レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

2012年11月アーカイブ

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来日キャストスペシャルイベント開催
映画版と舞台版の一夜限りのコラボレーション
2500人の観客から「民衆の歌」大合唱プレゼント!!

LM-1.jpgイベント実施日:11月28日(水)
場所:東京国際フォーラム ホールA(東京都千代田区)
登壇者:ヒュー・ジャックマン、アン・ハサウェイ、アマンダ・セイフライド、トム・フーパー監督、キャメロン・マッキントッシュ(プロデューサー)、日本版「レ・ミゼラブル」舞台キャスト

★作品紹介⇒ こちら

 ミュージカル界の金字塔とも評される「レ・ミゼラブル」が、12/21(金)の公開に先立ち、映画版と舞台版のコラボレーションという一夜限りのスペシャルイベントが実現。第一部は生オーケストラ演奏のもと舞台版キャストの歌唱パフォーマンスイベント、第二部に来日キャスト、スタッフ陣が登壇。当日朝到着したばかりの特別映像の上映や登壇ゲストのユーモア溢れるトークに会場は大いに沸きあがった。フィナーレは2500人による「民衆の歌」の大合唱が来日ゲストにプレゼントされた。その舞台挨拶と質疑応答の内容をご紹介したい。


◆舞台挨拶内容

LM-2.jpgMC:一言ずつご挨拶をお願いします。

トム・フーパー監督:みなさん、こんばんは。この場にいられて本当にうれしいです。実はこの映画の完成は先週の木曜日でした。最初にこの作品を携えて訪れた国が日本で大変うれしく思っております。

アン・ハサウェイ:日本のみなさんに温かい歓迎を受け、本当にうれしい気持ちでいっぱいです。大変素敵なパフォーマンスを見せてくれた日本版舞台キャストのみなさんも本当にありがとう!

ヒュー・ジャックマン:アリガトウ!コンバンハ!ワタシはニホンにこれてホントウにウレシイです(ここまで日本語)。日本は本当に大好きです! 何度も日本を訪れていますが、この映画を携えての来日は特別なものです。この映画を可能にしてくれたトム・フーパー監督、キャメロン・マッキントッシュ、そしてこの会場に足を運んでくれたみなさま、ありがとう!
日本舞台版キャストも素晴らしい!(日本語で)アリガトウゴザイマシタ!

アマンダ・セイフライド: (ヒューみたいに)日本語が話せません(笑)。人生でいちばんエキサイティングな瞬間を迎えています!素晴らしいキャスト・スタッフとともにこの傑作をお披露目、PRできるからです。夢を叶えてくれたここにいるメンバーにも感謝の気持ちでいっぱいです! クールな日本にも来られて本当にうれしいです。

キャメロン・マッキントッシュ:この中で一人だけ歳とっています(笑)。25年前の舞台初演から今まで長きに渡って、この作品が日本でこんなに受け入れてもらえるとは夢にも思っていませんでした!さらにこの映画をたずさえてこの場にたてるなんて、プロデューサー冥利に尽きます。

LM-3.jpgヒュー:文学的にも舞台としても優れている作品に参加することができて、監督、キャメロン、そしてヴィクトル・ユゴーなど、すべての方に感謝をしています。私は実際、撮影現場に現れるだけで、監督がすべてのキャストを生かしてくれました。今の映像は自分で観るには辛いものがあるのですが、撮影したあとにこのシーンを観た私の妻が、私だと気づいてくれないぐらいでした(笑)。私にとってジャン・バルジャンという役は本当にまれな役だと思っています。マッキントッシュが27年かけて映画化してくださったことに感謝しています。なぜなら、この作品が生まれたとき、私はまだ3歳だった…いや、サバ読みすぎましたね(笑)。実際は18歳ぐらいでした。

アン:最初の映像、ヒューの素晴らしさに目が行ってしまって…。今の映像では工場で働いている女性がたくさん出てきていましたがとても素晴らしく、ファンテーヌをいちばん追い出そうとしている女性はロンドンのウエストエンドで大変有名な舞台女優さんでいらっしゃいます。この中に参加できたことは、本当に信じがたい思いです!ファンテーヌは本当に辛い、惨めな目にあいます。ファンテーヌの痛みというのも娘コゼットのために強いられるものであってそこに演じる苦労はありました。楽しかったという言葉は演じていて合わないけれど、毎日ヒューという素晴らしい俳優と共演できて現場はとても楽しいものでした。

アマンダ:この映像を観ながら、撮影がどんなに楽しかったか、その思い出ばかりが頭に浮かんできます。ここにいる監督、マッキントッシュに心より感謝しています。このミュージカルは11歳のときから大好きで大ファンで、自分が演じることは本当に夢でした。最初に撮影したのがアンと唯一いっしょに撮ったシーンで、そこで彼女が優しさを表現してくれてアン演じるファンテーヌから生まれた、私が演じるコゼットという女の子がどういう子なのかを示してくれたと思います。そういう意味で、本当にやりやすいスタートでした。

監督:キャメロンやキャストたちといっしょにここに座っていられることを本当にエキサイティングに思っています!私の旅は、本当に長い旅でした。先週の木曜日にやっとこの映画が完成しまして、みなさんにこうして観ていただくことができました。すべてライブで歌っているのですが、この「ライブで歌をやりたい!」という夢を叶えてくれたのが、今ここにいるキャストのみなさんです。舞台体験そのままに歌で演じることを、しかもクローズアップでできる素晴らしい才能を持ったキャストがいなければ実現しなかったことです。この高いレベルだからこそ、みなさんを素晴らしい旅に連れ出せるのだと信じています。

LM-4.jpgマッキントッシュ:25年前にブロードウェイ初演があり、その2ヶ月後に東京でも初上演いたしました。実はそのときに映画化のプランがありました。しかし、私が信じているのは「運命」というものが最高のプロデューサーだということです。当時は作ってはいけない時期だったんだと思います。というのも、25年前にはまだ生まれていなかったキャストもいますし、トム・フーパー監督もまだ中学生ぐらいでした。今が作られるべき時だったんですね。このパーフェクトなキャストが観られるのも今だからこそなんです!私、これがはじめての映画なので、「グリーンライト」という言葉を学びました。「ゴーサインが出る」という意味なんですが、25年前にこれが出ていても素晴らしいキャストが揃わなかったと思うんですね。40年間、ミュージカル界に身を置いておりますが、最高に誇れる映画ができました。ここにいるキャストも、他のアンサンブルもそうですが、ほとんどがミュージカルの経験があり、トムが描いたビジョンを反映し、すばらしい映画作品に作りあげてくれました。18ヶ月前、監督とNYでミーティングをしたとき、私は3分の1はセリフで3分の2は歌という構成の映画ができると思っていたんですが、監督はミュージカルの台本を持ち出してきてそれを一旦バラバラにして、そして再構築しましょうと言ってくれました。ほとんど歌のままの形に、彼の提案でなったわけです!これは奇跡のようなことで私は本当にこの映画を誇りに思っています。このように、トムというすばらしい人と出会えたことも私の人生の中でもっともハイライトなことになりました。ここにいるみなさんもそうですが、『レ・ミゼラブル』を支えてくださった世界中のファンがいてくださったからこそこの映画が出来ました。本当にありがとう!


◆質疑応答内容

LM-s2.jpgQ:生で歌を収録したことについて。

ヒュー:困難よりも良さのほうが上回っていました。生で歌えたことは、言ってみれば毎日生の舞台に立ってオープニングナイト(初日)を迎えているような気分でした。帰って就寝するときには、きっとこの歌を歌うことは二度とないんだろうという特別な思いで、いつも撮影に臨めました。オープニングナイトだけでなく千秋楽とも感じられ、よりよく自由に演じることができました。生で歌うことを可能にするためにリハーサルも2ヶ月以上十分にとってあり、素材を熟知することもできました。大変なこともありました。午前8時から夜8時まで歌い続けたり、マイナス2度の山の上で歌わないといけないときもありましたが、常に、この映画を実現してくださった監督に大変感謝しています。

Q:なぜそんなに歌が上手なんですか?秘密があったら教えてください。

アン:ありがとう!歌うというのは母に教わったものでもあります。とても美しい声を持っている母は実は『レ・ミゼラブル』アメリカの最初のナショナルツアーで、アンダースタディでファンテーヌを演じたこともあるんです。ですから、歌うことは自己表現のひとつとして思っていましたし、小さいころから大好きでした。ボイストレーニングは10年ほど続けていて、それだけに今回『レ・ミゼラブル』で歌う機会をいただけたことは自分は何年間も予習をしてきたんだなという思いがしました。こういう作品に出るときは朝起きて寝るまで歌のレッスンは必要ですし、同時にスタミナもつけないといけないですね。
アマンダ: アニー』のオーディションを受けるために歌の勉強をはじめまして、11歳?17歳まで歌のレッスンを続けてきました。俳優業が忙しくなったこともあり途中でやめてしまいましたが、『マンマ・ミーア!』でまた始めました。そのときはABBAの曲を楽しんで歌ったという記憶があります。本格的に歌のレッスンを再開したのは、この映画のオーディションのためですね。私にとって歌は一生の趣味であり、歌い続けていきたいです。
 ヒュー:20年前、もともと私は舞台俳優として仕事をはじめました。演劇学校を出たばかりだったんですが、『美女と野獣』のオーディションを受け、“STARS”を歌いました。そのときに「間違っても君はその舞台に出ることはないだろう」と言われました(笑)。そのあと歌のコーチをつけたほうがいいと言われ、マーティン・フロストという方を紹介されました。彼の歌があまりにも素晴らしかったので、彼の歌い方を5年ほど真似していました(笑)。今はアンと同じボイスレッスンを受けていて、長いこと歌の訓練は続けています。
マッキントッシュ:今のヒューの言葉に付け加えさせていただくと、『レ・ミゼラブル』シドニー公演の際に、ヒューは雇わなかったのですが、歌のコーチのマーティン・フロストは雇いました(笑)。

※アンが記者にマイクを渡すという、優しいハプニング!

LM-5.jpgQ:配役の決め手は?

監督:私のジャン・バルジャンの候補リストはとても短くて、一人しか名前が挙がっていませんでした。それはヒュー・ジャックマンでした。(会場より大拍手)もしヒューがいなかったら、今この時期にこの映画を作らなかったと思います。(さらに大拍手)映画スターで歌えて演技がきちんと出来る人、ジャン・バルジャンの思いやり、精神性を持っていて 人格者で…この人を置いてバルジャンは考えられないと思います。ヒューのオーディションをしたのが、去年の5月でNYでした。そのときは本当にエキサイティングでした。彼が自然にパワフルに歌っているのを聞いて、この映画の方向性を決めました。歌うことによって新しいヒュー・ジャックマン像を皆さんにご覧いただけると思っています。
アンもNYでオーディションをしました。ファンテーヌはありとあらゆる映画スターが欲していた役です。“I Dreamed a Dream”を歌ってくださったとき、吹っ飛びました! この役は彼女しかいないと思いました。彼女が見せてくれたのは、歌でファンテーヌを表現すること。物語を語れる女優さんです!コゼットには世界一美しい映画スターを探したいと思って、ここにお座りでございます(笑)。(ここでアンとヒューから「なんだって?(笑)」とツッコミ)いや、最も美しいブロンドの映画スターでした(苦笑)。真面目な話をすると、アマンダはコゼットに必要なものをすべて持っていました。明確な強さを秘め、強靭な知性を持っていて、加えて母性というものがこの役には必要でした。そして彼女は天使の声をお持ちです!

Q.役が決まったとき、どう思われましたか?

アマンダ:興奮しました。心待ちにしていたお返事がいただけたのはクリスマスの3日前でした。最高のクリスマスプレゼントでした!
ヒュー:スバラシイ!
アン:ここで監督のことを褒めちぎろうと思っていたんですが、さきほど最高に美しい映画スターをアマンダとおっしゃいましたので、もう私にとっては知らない人だわ(笑)。いつもは役をいただいたときは喜びでいっぱいで駆け回りたいぐらいなんですが、この役は違ったんです。自分の夢が叶ったという思いが強すぎて、そういう表現をすることもできなかったのです。人生において本当に重要なことが起こったとき、私は静かに心に触れる、心に染み込んでくるみたいです。時間が流れて今日になっても役が決まったときの喜びが続いています!本当に自分はなんて幸運なんだろう、人生は捨てたものではないという思いです。

※2500人の観客から来日ゲストに向けて「民衆の歌」の合唱プレゼント。

MC:それでは最後に日本の皆さんにメッセージをお願いします。

 ヒュー:アリガトウゴザイマス!スバラシイ!(日本語)ここにいる来日ゲストを代表して、日本のみなさんにお礼を申し上げます。
日本でとても愛されている『レ・ミゼラブル』という作品を、私たちが映画としてお届けするというのも意義があるものだと思っています。
みなさんと共有できることをうれしく思います。日本にまた来ることができてうれしいです。(日本語で)スバラシイ!

最後はサプライズとして、客席側の中通路を通ってファンサービスをしながら5人が退場!
2500人の観客と200にもおよぶマスコミが集まった会場の熱気は最高潮に達しました。

            


『レ・ミゼラブル』

■監督:トム・フーパー
■作:アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク
■原作:ヴィクトル・ユゴー
■脚本:ウィリアム・ニコルソン、アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク、ハーバート、クレッツマー
■作詞:ハーバート・クレッツマー
■作曲:クロード=ミッシェル・シェーンベルク
■製作: キャメロン・マッキントッシュ
■出演:ヒュー・ジャックマン/ラッセル・クロウ/アン・ハサウェイ/アマンダ・セイフライド/エディ・レッドメイン/サシャ・バロン・コーエン/ヘレナ・ボナム=カーター

 12月21日(金)~ 全国ロードショー 

★作品紹介⇒ こちら

★公式サイト⇒http://www.lesmiserables-movie.jp/  

配給:東宝東和

 

miroku-s1.jpg『ミロクローゼ』石橋義正監督インタビュー
(2010年 日本 1時間30分)
監督・脚本・美術・編集・音楽:石橋義正
出演:山田孝之、マイコ、石橋杏奈、原田美枝子、鈴木清順、佐藤めぐみ、岩佐真悠子、武藤敬司、奥田瑛二
2012年11月24日(土)~シネクイント、12月1日(土)~シネマート心斎橋、テアトル梅田、2013年2月元町映画館、京都シネマ他全国順次公開
公式サイト⇒http://www.milocrorze.jp/
© 2012 「ミロクローゼ」製作委員会

『ミロクローゼ』関西公開記念 トーク三本勝負&ベッソンカー展示はコチラ

 とにかく強烈、とってもアート、音楽がめちゃくちゃカッコいい!山田孝之がファンタジーな世界の住人、おかっぱ頭のオブレネリ ブレネリギャー、毒舌、ワイルド、クールなダンスに目が釘付けの恋愛相談員熊谷ベッソン、そして驚異的な立ち回りを披露し時空を越えて恋人を捜し続ける浪人タモンの一人三役を熱演するマジカルムービー、『ミロクローゼ』。香港国際映画祭をはじめとして世界で熱狂的に迎え入れられた『ミロクローゼ』がいよいよ日本で劇場公開される。エッジの効いたキャラクターが繰り広げるマジカルワールド、脚本から編集・音楽まで手がけた石橋義正監督に、キャラクター誕生エピソードやこだわりの立ち回りシーン、美術・音楽の見どころ、聴きどころについてお話を伺った。


━━━一度見たら忘れられない個性的なキャラクター(オブレネリ ブレネリギャー、熊谷ベッソン、タモン)ですが、どうやってこれらのキャラクターを作っていったのですか?
 miroku-3.jpg いつもの作品の作り方としては、まずビジュアルのイメージや断片的なキャラクターのアイデアを先にいくつか出していき、形になりそうなものを広げていく形です。その中で、オブレネリ ブレネリギャーに関しては、絵本のようなお話で、かつ本人は特に大したことをしていないけれど、ナレーションでヒーローのように語り継がれていくような設定が面白いのではないかと思いました。タモンに関しては、長回しによる立ち回りのシーンを作りたかったので、男らしい一途な人物を作っていきました。(熊谷ベッソンは)コミカルながら男臭さがかっこよかった日本の70年代のキャラクターです。他の2人は恋に一途ですが、一途な人ばかり登場するではなく、恋の悩みをコミカルに相談に乗っていくような話が面白いのではないかと、最終的にこの3つで組み立てていきました。

━━━最初から3つのキャラクターを一人で演じてもらうつもりだったのでしょうか?
 もともと5つぐらいのエピソードがあって、女性が登場する話もあったのですが、今回は3つに絞って、すべての役を一人の俳優に演じてもらう様に最終的にまとめました。人間の様々な側面を3つの話で別々に描きながら、観終った時に一人の人間を想像できる様な新しい映画の作り方に挑戦しようと、山田孝之さんにお願いしました。 

━━━その3役を一人に演じてもらうと決めた段階で山田孝之さんのキャスティングは視野に入っていたのでしょうか? 
 早い段階でそれが演じられる人を考えていました。演技しすぎて、観終ったときに役者のイメージだけが残ってしまうと映画として成立しないので、表現力があり、自然に演じられる人ですね。タモンの役が一番しっくりくると感じて山田さんにお願いし、あと二つ全然別のキャラクターを演じられるか相談しました。彼自身も一つの映画で3つの役を演じられる仕事はなかなかないので、自分自身のチャレンジとしてもやりたいと快諾して下さいました。コミカルなキャラクターはあまり演じたことがないとおっしゃっていたので、ベッソンをどういう笑いにしたいのか割と細かく伝えましたが、タモンは本当に山田さんご自身で組み立てていらっしゃいましたね。(オブレネリ ブレネリギャーは)本人が一番悩んでいました。

━━━女性が非常に美しく描かれていますが、女性を撮る際のこだわりはありますか?
 美しく撮りたいと常に思っています。力強い女性像を好んで撮る傾向があり、メイクや衣装を含めて女性の色気があってかつ強いという感じです。ミロクローゼ自体もやさしい役ですが、完全にオブレネリより上の立場です。そういうイメージは自分の中で女性というものがいつまでたっても分からない。おそらく分かり合えないものだと思っていて、だからこそ神秘的で追いかけていけるような気がします。女性への憧れがあって撮っているつもりです。

━━━原田美枝子さんの起用の理由は?
 原田さんのファンだったので、やってもらえるならと壷振り師お竜の役をお願いしました。原田さんは最近悪役がないし、殺陣をやりたいが機会がなかったと今回喜んで参加していただけた上に、撮影現場でも一番楽しんでいただけました。結構刀は重たいのですが、それをスッと抜いて、サッと戻したりする動作など練習してきて下さり、非常によかったです。唐突にどんどんキャラクターが出てくる突飛な話の場合、演じている方に存在感がないと軽いものになってしまいますが、その中で原田美枝子さんや奥田瑛二さん、鈴木清順さんなどその人の存在感が際立って、映像の中にも効いてきますね。

━━━ビジュアルのこだわりに並々ならぬものを感じる一方で、日本人が作っているのにボーダレスな雰囲気があったり、70年代の男が色気のあった時代を見せたりされていますが、本作においてビジュアル的なものでテーマを決めたりされていたのでしょうか?
 miroku-1.jpg 特にテーマは決めていませんが、最初に映画のアイデアを考えたり、シナリオハンティングをしていく中で、自分が影響を受けたものがここに入ってきていますし、やりたかったことや、今まで溜めていたことが反映されています。例えばねぷたのような行灯の前に立っている岩佐真悠子さんのシーンは、初期の頃からイメージがありました。シナリオハンティングで弘前に行ったときねぷたを見て、行灯の前に立っている女性のイメージがふっと湧いたので、それをシーンに入れ込んだ形です。立ち回りのシーンも、7月半ばに開催される土佐の絵金祭りに行ったときに、歌舞伎絵の絵師・絵金の描写に触発され、長回しの殺陣シーンを思いつきました。

 このように、「こういうシーンを作りたい」というビジュアルイメージの集約になってくるのですが、その中で一つ一つのデザイン面でも細かい部分も出てきます。例えばタモンの着ている着物柄は茨(いばら)ですが、「茨の道を進む」というストレートな意味もありつつ、身体にまとわりつくものです。また岩佐さんが着ている着物は、蔦が絡まってくるようなデザインになっており、着物のデザインも身体との関係を持たせました。前面に出すことではありませんが、きっかけとしていくつかこだわって作った部分はあります。

━━━タモンの立ち回りシーンは観終わった後もジンと余韻が残るカッコ良さでしたが、どうやって撮影されたのですか?
  あのシーンを撮りたかったからこの映画を作ったというぐらい思い入れがあります。色々と段階を踏んで作っていきました。最初にイメージコラージュで写真を撮って、こういうレイアウトでやっていこうというイメージの絵巻物的なものを作り、次はどれぐらいの尺に収めるかという部分で写真を切り貼りしたムービーコンテを作りました。そこからアクション監督と話をしながら殺陣のアイデアを盛り込んでいき、完成したものをビデオに撮って、山田孝之さんに殺陣を習得してもらい、その上でリハーサルを繰り返して本番と、結構時間がかかりました。

 殺陣も大事ですが、この映像で一番こだわった部分は、いくつかのレイヤー(層)があり、手前だけではなく奥の方にも色々なドラマが起こっているようにしたかったのです。それぞれの層を別々に撮って、後で合成する方がコンポジションがうまくいきますが、それをやると臨場感がなくなり、前と後ろの人が絡み合わなくなってしまいます。役者さんには負担を強いましたが、何度か練習をしていいポジションでくるようにし、一発撮りしました。
とにかく奥の人が大事なので、手を抜かないようにと奥の人ばかり細かい指示をしていました。スローモーションですから、どの絵もいい絵になっていないといけないし、そうでなければ絵巻物は成立しません。どのコマも完璧にするには、常に全身に神経を行き渡らせなければいけないので、(山田さんは)かなり体力的に大変だろうと思いつつも、奥の人達の動きに指示を繰り返し出していました。

━━━立ち回りの音楽のカッコ良さがさらにシーンの迫力を増していましたが、音楽担当のmama!milkさんをはじめ、本作の音楽に対するこだわりをお聞かせください。
 miroku-2.jpg mama!milkは15年以上の付き合いで、バリエーションの多い音楽をお願いし、タイプの違う曲をたくさん作ってもらいました。ベッソンに使う音楽やタモンに使う音楽など、雰囲気を変えていきますから、そういう意味でかなり引き出しの多いミュージシャンだと思います。音楽のカッコ良さは、映像もそうだと思いますが、その人の持っている瞬間的に作り出すセンスやニュアンスにシビレる部分にあって、(mama!milkには)僕はグッとくる部分がたくさんあるんです。メロディーももちろんいいのですが、特に清水さんのベースの入り方とかカッコ良くて、普通じゃないです。

 立ち回りのシーンでベースがソロに入ってきて、タモンが手前にどんどん向かってくるところが一番カッコいいです。映像と音楽が何ともいえないぐらいマッチすると、頭に焼き付きますよね。映像と音楽を一緒に覚えて、思い出に残るのが映画の良さだと思います。
久保田修さんの曲もすごくいいですし、熊谷ベッソンのダンスミュージックは私が作曲しているのですが、すべて思い入れがあり、サウンドミックスもすごくこだわっています。5.1チャンネルサラウンドで体感してもらうとより一層ノリが良くなるので、DVDで観るよりも劇場で観てもらって音楽を楽しんでいただきたいです。エンドロールの主題歌がONE OK ROCKの書き下ろしですが、エンドまでノリ良く作っていますので、音楽と映像を同時に楽しんでもらえればと思います。

━━━香港映画祭から世界の映画祭を回られ、かなり熱狂的に受け入れられたそうですね。
 「好きだ」と言ってくれる人は、本当に気に入っていただいているみたいですね。例えばモントリオール国際映画祭のディレクターは「今年はとにかくこれがベストだ」と自分の作品のように大事にしてくれ、賞を取ると自分が取ったかのようにすぐに連絡をくれ、とにかく喜んでくれました。ありがたいです。
この映画は、観るというよりも体感するというか、「この映画に遊びに行こう」といった感じで劇場に来てほしいなと思っています。海外の方は元々そういう風に映画を楽しめる傾向があり、特に香港ではおおいに盛り上がりました。  

miroku-s2.jpg━━『ミロクローゼ』は今の日本映画に風穴を空けるような衝撃がある作品でしたが、石橋監督ご自身が今の日本映画に感じることは?  
 映画作りをされている方は、どの映画もすごい情熱を持ってやっていらっしゃいます。ただ全体的な流れとして、作りたいものがあるのになかなか作れないジレンマが、自分も含めて皆さんあるのではないかと思います。テレビドラマの映画化や原作マンガの映画化というような一つの流れができてしまっていることへの危機感や、それだからヒットするということに「それでいいのか」という気持ちがあります。その流れを変えていくには、時間がかかっても映画を作り、成立させていくことが大事だと思いますし、(『ミロクローゼ』が)一つのきっかけになってくれればと思います。見に来る人たちが少なくなっているので、それを変える方法を考えていきたいですね。 

━━━今まで影響を受けた監督や、お気に入りの作品を教えてください。 
 スタンリー・キューブリック監督はどの作品も好きなのですが、最近特に好きなのが遺作の『アイズ・ワイド・シャット』(99)です。キューブリック独特のエロシチズムや、色合いや、カメラワークがすごく出ていると思います。最近観た映画では『パフューム ある人殺しの物語』(06)がここ10年で一番です。匂いというテーマで映画を作っていて、観ているときに匂いがするわけではありませんが、匂いを感じさせようとする努力や手法、アイデアを使っています。非常に美しい映像で匂いを感じさせようとする試みが、新しい気がしますね。新しい試みをしている作品を観ると「やられた」と刺激になります。観るだけではなく、サウンドも大事ですし、五感を刺激するようなことは映像にはすごく大事だと思います。

━━━斬新な映像や個性的なキャラクターが繰り広げる物語は愛や恋に繋がっていきますが、直接異性に向き合うことが怖いという草食系男子が増えてきた今、あえて愛や恋を描いた意図は?
 恋をすることで、その先に大きな愛につながるのですが、きっかけは問わず、恋愛をすることはすごく大事だと思います。その話をこの間インドでもしたのですが、インドでも男の子たちが恋をしないでネットやゲームで満足してしまうそうで、全世界的にそういうことが起こっているようです。バーチャルなものだけでは、人との関係を薄くさせてしまう。やはり人のことが気になって、好きになって、はじめて大事に思ったり、それが大きな愛につながって、好きな人以外に対する優しさにも広がっていきます。しかも恋は楽しいし、とても自然なものですから。

━━━最後にこれからご覧になるみなさんにメッセージをお願いいたします。
 ストーリーを追いかけて観る映画ではなく、それぞれのシーンを楽しんでもらいたいです。このシーンが好きとか、このキャラクターが好きとか、アトラクション的な楽しみ方をしてもらえたらと思いますし、映像と合わせて音楽も楽しめる作品になっていますので、できるだけ多くの人に観ていただいて、日本映画の更なる可能性に繋げていけたらと思います。
(江口 由美)


puchini-550.jpg『プッチーニに挑む』飯塚俊男監督&岡村喬生(たかお)氏インタビュー
 

(2012年 日本 1時間28分)

監督:飯塚俊男
ナレーション:賠償千恵子
出演:岡村喬生、岡村和子、二宮咲子、末広貴美子

公式サイト⇒ http://pandoraez.exblog.jp/17417872
(C)アムール+パンドラ




~日本の文化を、心を、正しく伝えるための挑戦~


 映画やオペラなどで西洋人が日本人を描くと、どうしてもエキゾチックな東洋風の変な日本人になってしまうことがある。装束や所作が間違っていたり、神社仏閣の区別もデタラメだったり、そんな日本人像を見て幻滅したことも多いのでは?

 長年ヨーロッパの歌劇団で活躍してきたオペラ歌手の岡村喬生氏は、特にプッチーニ作曲オペラ『蝶々夫人』でヘンテコリンな僧侶の恰好をさせられ、屈辱的な経験をしたという。演出家にそれを指摘すると、「それがわかるのは君と君の奥さんだけだよ」と言われたそうだ。いろんな分野で間違った日本人像がまかり通っている現状を変えるために、岡村氏は80歳にして、日本人によるオペラ『蝶々夫人』を自ら演出し、本場イタリアで公演することを奮起する。

 本作は、岡村氏が未だ高くそびえたつプッチーニの権威と闘いながら、映画『プッチーニの愛人』でも舞台となったトッレ・デル・ラーゴで公演を実現するまでの奮闘ぶりを捉えた密着ドキュメンタリーである。そこには、日本の伝統文化や風俗、さらに日本人の精神をも伝えようとする岡村氏の信念と芸術への深い愛情が感じられる。改めて、総合芸術オペラの奥深さに驚かされると同時に、日本文化が海外で誤解されて表現されることを真っ向から正した、胸のすくような痛快さで観る者の心を熱くする。



 puchini-s1.jpg――― この密着ドキュメントを撮るキッカケは?

飯塚監督:オペラをもっと低料金にして大衆化したい、そして、風俗的に間違いのある『蝶々夫人』を日本人の演出でイタリア本場で公演したい、ということをオペラ歌手の岡村喬生氏がずっと言い続けておられ、これは面白い人だなと思いました。信念を曲げずに生きている人は映画の主人公になりそうだと興味を持ったのがキッカケです。

岡村氏:言い換えると、やる気は満々だがいい加減な奴だと(笑)。

――― いえいえ(汗)

飯塚監督:今まで社会的問題を掘り下げたものとか文化の起源を探るなどのドキュメンタリーを撮ってきて、オペラに詳しい訳ではなかったのです。音楽関係で岡村さんのことを知り会ってみると、絶対に志を曲げない強さに感銘しました。でも、実現するには先ずお金がかかり、身銭をきってやるには大変だなと思いましたが、何とか成功させたいという気持ちになりました。

岡村氏:オペラ公演には資金がかかります。イタリアのプッチーニフェスティバル財団が共催を持ちかけてきて、1億5000万円のうち半分を負担することになったのです。監督に「資金はあるのか?」と聞かれ「ない」と答えると、今度は資金集めにも奔走してくれました。結局ダメでしたが、とても一所懸命に協力してくれました。そこまでやってくれる監督はいない、「これは!」と感銘しました。

puchini-2.jpg――― 岡村氏の留学時代について?

飯塚監督:1960年代というのは、日本人がようやく世界へ出て行った頃なんです。文学では小田誠が「世界を見てやろう」と出て行ったのもその頃だし、音楽では小澤征爾や岡村先生のように後に世界的に活躍された方が留学したのもその頃なんです。

岡村氏:戦後15年経って、国際社会にリンクしようとエンジンがかかった頃が1960年代です。その頃日本には何もなかったので、小澤さんとこれは外国へ行かないといけないなと思いました。

飯塚監督:その頃の日本はとんでもなく貧乏だったんです。

岡村氏:あの頃NHKによるイタリアオペラ招致公演があったのですが、びっくりしました。ソリスト(オペラ歌手)と指揮者だけが来て、オーケストラや合唱は日本人という構成。舞台や美術も日本で調達。チケット代がかなり高額で、日本中の志ある若者はタダでオペラを観るために、棍棒担いだり通行人になったりと――僕は合唱をやっていましたが、児玉清や篠沢教授などもアルバイトしていたんですよ。オペラというものは引っ越しするものではなく、みんなで作るものなんですよ。今では日本も経済大国となって、オペラ団全部を招致して、来ないのは劇場と観客だけ。それは文化国としてやるべきことではないのです。

――― イタリアオペラの何に一番驚いたのですか?

岡村氏:声です。声量と声の輝きですね。それまでの自分たちが井の中の蛙で、何も知らなかったということに気付いて、大変なショックを受けました。ひと声聴いただけでその違いが分かった。僕だけではなく、皆カルチャーショックを受けていましたよ。演出家は本場の演習方法に、N響のメンバーはこういう立派な指揮者がいることに驚いたと思います。リッカルド・ムーティの師匠のヴィットリオ・グイが来日して指揮したのですから。NHKもいいことをしましたよね。

――― 装束や所作など日本文化が海外で誤解されて表現されることが多い中、それらを正面から正して、とても胸のすく思いがしました。

岡村氏:そういう風に思って下さると嬉しいです。私自身、衣装や美術を直接手掛けることはできないので、今回世界的に活躍されている友禅作家の千地泰弘(ちじやすひろ)さんに高価な衣装を無料で提供して頂きました。さらに、舞台や映像美術家の川口直次(かわぐちなおじ)さんに美術を担当して頂いて、振付も日本舞踏家の立花志津彦さんにお願いしたんです。日本古来の伝統美にのっとった本物の『蝶々夫人』を、世界で初めて披露することができたのです。イタリア人も驚いて、マスコミ各紙も取り上げてくれました。

 ――― 一番苦労されたことは?

岡村氏:台本の中の楽譜と台詞は神聖なものなので、これは変えてはいけない。でもト書の部分は変えられます。今まで純和風でやれなかったのは演出家の責任だと思います。私のような専門家か日本に詳しい人のアドバイスを受けていれば、今までのような違和感のある日本人は登場しなかったでしょう。それでも、間違った日本語11か所を変えてもいいか、プッチーニの孫の80歳を超えるシモネッタ・プッチーニさんに訊いたら、3か所だけ許してくれた。あとはダメ。さらに、この映画のタイトルでもある『プッチーニに挑む』というのが気に入らなかったのか、来年予定の公演は中止となりました。

飯塚監督:イタリア人の中にも、シモネッタさんのようにイタリアオペラを寸分たりとも変えてはならないという保守的な人たちと、イタリアオペラはもう世界のオペラなのだから、外国を舞台にしたものはその国の文化をリサーチして、それらを反映させたものにしていくべきだという人たちもいます。観客はイタリア人だけではありませんからね。

――― 岡村氏による改訂版について?

飯塚監督:プッチーニ財団のモレッティさんや東京のイタリア文化会館の館長は、岡村さんの改訂版を支持してくれて、改訂版で公演したこともあります。今後はイタリア文化会館とも協力して、できるだけイタリアと日本が真の文化交流ができるようにしていかなければと。そうすることで、シモネッタさんのような保守的な人も改訂版を支持してくれるのでは・・・

岡村氏:いや、あの方は変わらない!僕より頑固だからね(笑)

 puchini-3.jpg――― イタリアへ行ってからも大変だったのでは?

飯塚監督:想像以上にイタリアの壁は険しかったですね~。シモネッタおばあちゃんの件だけでなく、イタリア合唱団との契約の関係で9人の芸者は歌えないとか、声量が足りないという理由でソリストのすずき役が出演できないとか、日本でのオーディションや訓練は無駄だったのか?と団員を失望させることもあったりして、岡村さんもそれはもう心労があったと思いますよ。

岡村氏:合唱団との契約のことは全く知らなかったんですよ。

飯塚監督:団員の士気も下がり、岡村さんも孤立してしまうような場面もありました。でも、このようなことをやれるのは岡村さんしかいないんだから、自信を持ってやって下さい!と励ましたりして(笑)。あのような大事業を成功させるという責任を、岡村さんひとりが背負っていたのですからね。

岡村氏:もう僕は演出に専念するしかなかったですね。舞台設置のため夜中まで働いてました。あんな作業したのは初めてでしたよ。

――― オペラの演出で苦労された点は?

岡村氏:マエストロに、死ぬ時なぜ両足を縛るのか訊かれました。足が乱れて内股を見せないようにするためで、女性のたしなみだと教えました。また、ハラキリは自殺の総称だと思っていたようです。何度も『蝶々夫人』をやっている国なのに、日本文化に対してはその程度の知識しかないんですよ。

――― 最初に、蝶々夫人の女性像を二宮咲子さんに質問していましたね?

岡村氏:毅然とした女性だったら『トスカ』になってしまう。『蝶々夫人』はいじらしくなければ。

飯塚監督:ヨーロッパオペラではトスカみたいな女性像が多く、旋律もそれに合わせたものが多いようです。それで二宮さんは、岡村さんから指導された歌い方と、本場イタリアでの指導とが違うので、公演直前まで悩んでいたようです。

岡村氏:将来的にはイタリア式の方が役立つかも知れませんが、『蝶々夫人』は15歳の娘なんですから、芸者とは違うんです。この公演では、繊細で細やかないじらしい蝶々夫人を見せたかったのです。



 客観的に被写体を捉えてきたドキュメンタリー監督の飯塚監督が、自ら資金集めに奔走したり、岡村氏を助け励ましたり、製作者のように支え、純日本版『蝶々夫人』を世界に披露するために尽力している。岡村氏の信念は、飯塚監督だけではなく、衣装の千地泰弘氏や美術の川口直次氏、そして、振付の立花志津彦さんの大和魂を衝き動かしたのだろう。誇りを持って伝統的日本文化と精神を世界にアピールする。それは今を生きる日本人が見失ったことかもしれない。

それにしても、岡村版『蝶々夫人』をナマで観てみたいものだ! (河田 真喜子)


【イベントのお知らせ】

『オペラをみんなのものに! シネマとコンサート』

◎日時:2012年12月2日(日)

★13:00~14:28 シネマ『プッチーニに挑む』上映

★15:00~16:00 コンサート オペラ歌手・岡村喬生の熱唱「世界を巡る名歌の旅」

◎場所:大阪市中央公会堂

◎料金:一般前売券3,000円 当日券3,500円

〈後援〉イタリア文化会館大阪

〈主催・お問い合わせ〉シネオペラの会 TEL.0120-778-237

公式サイト⇒ http://pandoraez.exblog.jp/17598393

 



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『カラスの親指』阿部寛合同インタビュー

 

(2012年 日本 2時間40分)
原作者:道尾秀介
監督:伊藤匡史
出演:阿部寛、村上ショージ、石原さとみ、能年玲奈、小柳友

2012年11月23日(金・祝)~大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、TOHOシネマズ西宮OS、ほか全国ロードショー

公式サイト⇒ http://crow-movie.com
(C)道尾秀介・講談社/2012「カラスの親指」フィルムパートーナーズ


 

 

~今度はサギ師に挑戦! 阿部寛の智略家ぶりに注目~

 

 今年だけでも主演作『麒麟の翼』や『テルマエロマエ』と大ヒットを連発している阿部寛。映画にTVドラマと超多忙の人気ぶりだ。男女の情愛には疎いが、冷静沈着で知的なクールさとコミカルさを併せ持つキャラクターで魅了する中、今回はサギ師に挑戦。しかも相棒は“いじられキャラ”の村上ショージという凸凹コンビ。そこに、不思議キャラ全開の石原さとみと期待の新人能年玲奈と小柳友が絡む。
 

 不幸な過去を持つ者同士が引寄せられる様に出会い、そして、真っ当な人生を歩むために最後の勝負に出るという。素人相手のサギからヤクザ相手の超ヤバいサギまで、そのダマシのテクニックの巧妙さと、各々が演じるキャラの変化が面白い。さらに、最後に映画全体に仕掛けられた大きなワナに気付くとき、きっと大きな愛に包まれていた幸福感で胸を熱くすることだろう。
 

【STORY】
karasu-1.jpg ベテランサギ師タケ(阿部寛)の元に、しがないおっさんテツ(村上ショージ)が弟子入りする。いろんな所でサギを働いては生計を立てるふたり。ある日、可愛い女の子がスリに失敗し捕まりそうになるところを助ける。それ以来、女の子とその姉と姉の恋人の3人がタケを頼ってやってくる。こうして始まった5人での共同生活は、忘れていた家族団らんのひと時を思い出させる。だが、タケが過去にしでかしたヤバい連中との因縁が、次第に彼らの平穏な生活を脅かしていく。そこで、5人のサギ(カラス)師は、過去を断ち切り未来へ進むために、一世一代の大勝負を仕掛ける!

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――― 本作の脚本を読んだ最初の印象は?
テツさんの方をやりたいと思いました(笑)。すごく魅力的な人物像で面白そうだなと思いました。

karasu-s1.jpg――― 原作については?
脚本を先に読んだのですが、映像化不可能と言われていたものをやれる喜びはありました。それに、原作者の道尾秀介さんがこの映画をとても気に入って下さって、現場にも2~3回お見えになりました。自分が書いたものを客観的に見られたのが良かったと言って下さったのが嬉しかったですね。原作と脚本と、ここまで映像化してくれた監督に感謝しています。

――― サギ師について、何か役作りは?
監督が詐欺の手口本を何冊か持っておられて、それを読んだのですが専門的すぎて、今回はそこまでは必要ないかなと感じてあまり参考にはしませんでした。普通の人間とサギ師と二重に演じることは面白かったです。しかも違う手口で数回詐欺を働いたのですが、其々に気持ちを変えて演じることが楽しかったです。

――― 村上ショージとの共演は?
それなりにプレッシャーを感じておられたようです。「これにかける!」なんて仰って(笑)。関西弁を封印した役柄でしたので、いい意味での緊張感があったように思います。今までの村上さんの生き方がテツという人物に表れていたので、安心して共演できました。

――― 村上ショージとの共演で、他の人と違うなと思ったことは?
ショージさんが持っているエネルギーが違うなと。そこにいるだけでキャラクターが成立していました。意外にも少し引けを感じるような哀感のある人物像で、しかも、人の心に伝えることについてはプロなので、空気を埋める役割を担っておられたように感じます。

――― 共演者に対して気を遣う方ですか?
よくマイペースと言われます。本人は気を遣っているつもりなんですが、なぜかそう言われます(笑)。舞台だと毎日同じ時間帯で行動していますので、べったり一緒にいることが多いです。それが映像だと、個別の撮影が多くバラバラの時間帯になるので、時間を合わせるのが難しい。でも、基本的には共演者やスタッフの方に気を遣っている方だと思います。

――― 家族ドラマとしても楽しめたが、タケの立場は?
まわりが濃いキャラクターの人ばかりなので、共同生活に入ってからは受けの立場で演じました。テツさんも同じで、周りの人の気持ちを吸収する役柄にしたいと思いました。

――― 「阿部さんからいい意見をもらった」と監督がコメントしていたが…?
大抵の監督は役柄の気持ちなどを聴くと嫌がられますので、「こんな風にするのと別なやり方とはどっちがいいですか?」という聴き方をしていたので、おそらくそのことを言われたのではないかと思います。
 

karasu-s3.jpg――― 現場でのエピソードは?
後半はスタジオで一緒にいましたが、各々好きなことをして過ごし気を遣わずに済みました。ショージさんは「やばい、やばい!」と言いながら助監督相手にセリフの練習をしていたし、若い人達とは会話についていけなかったし(笑)、とてもナチュラルな現場でした。

――― まひろ役の能年玲奈について?
おっとりしてましたね…最初はわざとかな?と思うくらい。可愛いだけでなく、役に入る段階からその意味を理解していたし、頑張りやさんだなと思いました。女優として将来成功していくのではないかと思います。

――― ラストの清々しいシーンへの思い入れは?
ほぼ受け身でした。ここが見所だと思うから、それ以前のシーンとは全く別物として演じていました。各々傷付いた過去を持つ者が集まっている物語ですので、根底には優しさが流れていて、それで清々しく感じて頂けたのでしょう。

――― 他の見所は?
全体的に人物が浮き出てくるような奥行きのある映像で、自分のやった演技以上のものがありました。共同生活しているシーンとかに監督の仕組んだワナがいくつもあるので、その辺りのことを踏まえて、最後まで楽しんで頂ければいいなと思います。


【あとがき】
 10年ほど前、阿部寛主演『熱海殺人事件~モンテカルロイリュージョン~』という舞台をかぶりつきで観たことがある。今は亡きつかこうへい演出、バイセクシャルな部長刑事役を阿部寛が熱演し、それまでの単なる二枚目役から完全に脱却したと言われる記念すべき演劇の再演だった。阿部寛のツバや汗が飛んで来るような席だったが、一心不乱に演じた彼の残り香がとてもいい匂いだったことを覚えている。終演後、場内一斉にスタンディングオベーションとなり、熱狂的歓声と拍手に包まれて、彼が感極まって泣き出してしまった。既に映画やTVなどで人気を博していたが、観客の絶賛の波に洗われた阿部寛の素顔を見たような気がして、忘れられない舞台となった。(河田 真喜子)

futaba-550.jpgfutaba-s1.jpg『フタバから遠く離れて』舩橋淳監督インタビュー

(2012年 日本 1時間36分) 
監督:舩橋淳
出演:双葉町のみなさま
2012年10月13日(土)~オーディトリウム渋谷、 12月1日(土)~シアターセブン、近日~神戸アートビレッジセンター ほか全国順次公開
http://nuclearnation.jp/
(C)2012 Documentary Japan, Big River Films
 

  オダギリジョー主演で全編アメリカ・ロケした異色作「BIGRIVER」(06年)で注目された船橋淳監督(38)が「3・11」にカメラを向けた。『フタバから遠く離れて』は被災地、避難所の人々を定点観測しつつ、これまで姿を見せなかった原発推進派にもインタビュー、事故後の本音をとらえた希有なドキュメンタリー。「みんな事故の当事者。事故の後、人々がどう変わったか」をつぶさに描く。


futaba-2.jpg―――原発事故に焦点を絞ったのが独自の視点。
4月に現地入りして、時間がカギになると思っていた。地震、津波の後に原発事故が起こって「被災者」とひとまとめに言っているけど、本質的に違う災害が2つある。私は原発事故が起こった双葉町をとらえた。
これまでは地震や津波被害の派手な絵を撮って素材を“おいしいもの”にしていったが、映画はジャーナリズムと違って人間の感情を描くもの。時間と一緒に定点観測しようと、双葉町の避難所(埼玉県立旧騎西高校)を撮り続けました。最初避難者は1400人だった。映画の終わりでは650人にまで減りましたが。

futaba-s2.jpg―――映画でおばあちゃんが「津波より双葉写せ」って叫ぶ。あれが避難所の人々の気持ち。
NHKは自社の社員を現地には行かせてないんですね。被災地は長引くことによって切り捨てられ、見捨てられていくのではという焦り、恐れがある。補償はあっても、ずっと補償されるのか、と。菅首相が「10年20年は帰れない」とポロっとしゃべってたたかれた。過剰反応ではないかということだが、漠然とした恐怖感があったのが言語表現になっただけ。

futaba-1.jpg―――ずっと撮り続けていて、このタイミングの公開は?
野田首相の“終息宣言”が出て、がく然とした。「おかしいだろ」。本当にそう思うか」と突き詰めた。まだまだ終わってない、と発言するために一旦区切りつけた。映像は300時間あったのをそれまでに何となくまとめていたが、急ピッチでつないで11時間になった。見ている人に避難所の時間を経験してほしいという思いがあった。だけど、ベルリン映画祭に呼ばれて、ワールドセールスにかけたら「もっと見やすくした方がいい」と、特にアメリカでは2時間以上は無理、と言われて、96分にした。でも、映画はまだ終わらない。続編の撮影は続けています。いつまで撮るか、分からない。
映画の時間は個人の感情を作っていくこと。物語を作っていくに当たって、ドキュメンタリーでは演出をしない。この映画では、定点にカメラを据えて撮影した。その映像が個人の感情とぶつかってどう広がっていくか、ですね。

futaba-s3.jpg―――続編の撮影はいつまでになる?
今回もそうだったが、いつ、どこでまとめていいか分からない。    この映画でも、一時帰宅に付いて行った。母親が死んだ場所に3カ月ぶりに帰って来て、墓参りするのに急がなければならなかった、ということが深刻さを表している。

―――国会議員が登場する場面が象徴的。
被災者が陳情に行くシーンに、国の姿勢や、民主主義の破綻が見える。

―――原発誘致した町長がインタビューに応えていて驚いた。これまでの反原発映画なら“悪役”。断罪される側だが。
誘致して、原発マネーが入ってきた人だが、町長も事故以後、明らかに変わってきている。事故の前後で変わった様子をとらえたかった。多くの人が事故までは安全神話を信じきっていたんですから。

―――映画人は黒澤明監督をはじめ、原発に警鐘を鳴らす人もいた。福島後は変化している。
福島原発が作る電力の大半は東京で使われる。原発はハイリスク・ハイリターンだが、リスクは福島など、原発所在地だけが負っている。地方に犠牲を強いるシステムになっている。そういう時代背景を描きたかった。

futaba-3.jpg―――この映画は日本だけでなく、世界にアピールする。
アメリカでは当初、年内公開の予定だったが、来年に延びた。年はじめ公開の予定、原発国のフランスでも公開します。
(安永 五郎)

odayakana-s550.jpg『おだやかな日常』杉野希妃記者会見、インタビュー
odayakana-1.jpg(2012年 日本=アメリカ 1時間42分)
監督:内田伸輝
出演:杉野希妃、篠原友希子、山本剛史、渡辺真起子、山田真歩、西山真来、寺島進
2012年12月22日(土)~渋谷ユーロスペース、シネ・ヌーヴォ、元町映画館、京都みなみ会館にて公開
公式サイトはコチラ  
作品レビューは
コチラ
『おだやかな日常』第17回釜山国際映画祭新着レポートはコチラ

(C)odayaka film partners
※第17回釜山国際映画祭 A Window on Asian Cinema部門
※第13回東京フィルメックス コンペティション部門

 『ふゆの獣』で男女4人の生々しい恋愛模様を描き出した内田伸輝監督最新作は、プロデューサー、主演に杉野希妃を迎え、震災を被災地ではなく東京に住む女性たちを主人公に見えない敵への孤独な闘いとその行方をリアルに描く震災ヒューマンドラマだ。
第17回釜山国際映画祭 A Window on Asian Cinema部門でワールドプレミア上映され、今月開催される第13回東京フィルメックスコンペティション部門でジャパンプレミア上映となる注目作品は、12月22日(土)より東京、大阪、神戸、京都で一斉公開される。
 本作のキャンペーンで来阪したプロデューサー兼主演、杉野希妃さんの記者会見およびインタビューの模様をご紹介したい。


~記者会見~

odayakana-s1.jpg━━━内田監督の前作『ふゆの獣』は脚本は特になく、設定だけ決めておいて、出演者がその状況下アドリブで、どういう台詞を言うか、役者の自由に任せた撮り方をしていましたが、今回はどういう撮り方をしたのですか。
 今回は脚本が100ページぐらい完璧にありました。撮影に入る前も、細かい話を事前に完璧に作り上げてから、現場でそれをいかに破壊していくかということが監督の一つの挑戦だったようです。現場に入る前に監督に言われたのは、「本当に感じたことだけを役者として台詞でしゃべってほしい」。撮影の直前に監督から「この台詞とこのあたりはしゃべらなければいけない。この流れはひとまずFIXでいくんだけど、あとはアドリブ入れたり、言い回しは変えてもいいよ」と言われたので、基本的には流れと言わなければいけないことは入れながらも、役者の自由にさせていただいたという感じでした。『ふゆの獣』とはまた違う撮り方ですね。

━━━第17回釜山映画祭、ワールドプレミアでの反響はどうでしたか?
 こういうテーマに韓国の方や世界の映画人が関心を持ってくれ、反響がありました。韓国でも公開したいという声がたくさん上がったのはありがたかったです。個人的には、海外では賛否両論がある作品じゃないかと思っていたのですが、こういうテーマに挑戦したこと自体に勇気があると、9割ぐらいは好意的に見て下さったという印象です。
韓国のお客さんは7割方が若い学生なのですが、質疑応答ではカット割から含めて聞いてきたり、男性が情けなく描かれていたのは何故かとご質問がありました。女優3人で登壇したときには、役者として実際にこの問題について思うことと照らしあわせて、演じるときに違いがあったのかという質問が印象的でした。

odayakana-3.jpg━━━園子温監督の『希望の国』と比べると、『おだやかな日常』は希望に満ちた終わり方をしていますが、エンディングを作るに当たってどのようなディスカッションをされたのでしょうか?
 最後の二人の選択ですが、作り手としては善とも悪とも言っていません。これが正しいとか間違っているとか言うつもりはなく作っているので、観る人によって希望だと思えば、韓国である観客の方は「逃げだ」と捉えていらっしゃり、それは色々な捉え方があっていいと思っています。ただ、一人一人が選択をしていかければならない。その選択はその人にとって未来につながるものであればいいと私は思っているのですが、意外と(他人と)違う選択をする人に対して許さない社会、寛容的な心を持たない社会になってきているのではないかというところに悲しさを覚えています。彼女たちがとった選択に、色々な価値観や、色々な意見で、それを寛容に受け入れる世の中になってほしいと思ってこの映画を作ったつもりです。だから最後は希望や希望じゃないというよりは、未来を作っていくための作品になってほしいと個人的に思っています。

━━━『歓待』の深田監督と本作の内田監督は若手で期待されているお二人ですが、お二人の作品に出演されている杉野さんから見て、どう違うのか教えてもらえますか。
 演出家としての共通点として、自分のイメージに役者を引き寄せるというよりは、役者の個性に合わせてその良さを引き出すのが、お二人の良さだと思います。描き方は本当に両極端ですね。内田さんは役者の演技の火花、感情の火花を見せたい。生っぽさを見せたいタイプで、深田さんは「そういうの(火花のような感情)は、人間押し隠して生きてるだろ?」ということをベースに、感情の見えない機微を描いていらっしゃるので、映像も全然違っていました。内田さんはあおるような感じで、こちらが演技終わると、息を切らして一緒になってハアハア言ったりする感じですが、深田さんはもっと俯瞰的に見ている感じがします。


~インタビュー~

━━━『ふゆの獣』の内田監督と、震災後の東京に着眼した企画にした意図や、プロデューサーとして杉野さんが参加される中で、特に盛り込みたかった点を教えてください。
 初めに内田監督からこういうことをしたいという紙一枚のプロットをいただき、既にそのときに『おだやかな日常』という題名が付いていたと思います。内田監督は海外にも通用する作品を作りたいと私に相談いただいたのですが、そのときはユカコとタツヤの夫婦の話しかありませんでした。もし私がプロデューサーとして参加させていただくなら、(役者としても)やりたいとお伝えし、どういう役がいいのかと話し合っていくうちに、子どもに対しての立ち位置が違うユカコとサエコというキャラクターを作リ出し、隣通しに住む二人の生活が交差していくという話の方がより広い視点で描けていけるのではないかと。私が関わってから、サエコと清美というキャラクターが生まれて話が進んでいきました。

odayakana-2.jpg━━━杉野さん演じるサエコが娘を守る孤独な闘いを見て、愛する人を守るのが本当に難しい世の中になってしまったことを実感しましたが、どうやって役作りをされたのでしょうか。
 私は子どもを産んだことも育てたこともないので、母性がないなと思っていたところに、内田監督が「杉野さんに」ということで作り出したのが単身で娘を守るサエコというキャラクターでした。実際に5歳児のお子さんを持つお母さん何名かにインタビューをさせていただいたり、お子さんと一緒にいさせていただいたりして役作りをしていきました。幼稚園のシーン(職員室での怒鳴り合いや、下校後の園庭など)のリアルさを作り出せたのは、内田監督のおかげだと思います。

━━━杉野さんが今まで演じてきた役の中でも、感情を激しく露呈し、女優としても一皮剥けたのではと思いますが、演じていて難しかったことは?
 自分が今まで演じてきた役が、感情や自分の素性を隠しているというのが多かったので、キャラクターということで考えると、もしかして一番自分にしっくりくる役だったかもしれません。サエコは私の性格やキャラクターとも全く違って、私だったらあんな行動はとらないと思うのですが、演じていて精神的にはすごく辛かったです。後半はずっと怒るか泣くかで、キャラクターとして感情を吐き出すことで、すごく自分が救われているような、吐き出し口があるんだという点で救われているような部分も残りました。

odayakana-4.jpg━━━今回初共演となったユカコ役の篠原友希子さんの追いつめられていく心理を体現した演技も印象的でした。杉野さんと一緒になるシーンは少なかったですが、共演されていかがでしたか?
 後半まで全く一緒になるシーンはありませんでしたが、マンションで撮っていたので大体同じ時間に集合してきて、待ち時間には一緒にお昼を食べたり、「じゃあ私行ってくるね」「いってらっしゃい」みたいな感じで篠原さんはタツヤとのシーンを、私は清美とのシーンをやる感じでした(笑)。篠原さん自体がものすごく人間的に優しくて大きい方だったので、本当にたすかりました。義母のもとに娘を返してもらいにいくシーンでも、車の中で一緒に待機していたんですけれど、演技論や「こういうときはどういう風に準備するか」を二人で話し合ったり、役者としての普段どういうことをしているとか話できたので、同志といった感じがします。

━━━『おだやかな日常』というタイトルを、杉野さんはどう感じていらっしゃいますか?
 私はすごく好きなタイトルです。途中でタイトル自体にもう少しインパクトがあるものにしたらいいのではという意見もあったのですが、『おだやかな日常』という中にいろいろな意味が込められていますし、「おだやか」ということに対して観た人がどう思うか、どのシーンを想像して、どう自分と照らし合わせて、題名を思い返すことができるのか。映画のタイトルはそこがすごく重要だと思います。そういった意味ではこのタイトルはちょっとシニカルというか皮肉も入っていて、バッチリ合っているのではないでしょうか。 

━━━これからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。 
 本当にいろんな立ち位置の、東京ならではの方々が出てきて、これは今起こっている放射能問題だけではなくて、色んな問題に置き換えることができると思います。どの国でも、どの場所でも、どのシチュエーションでもこういう事態は起こり得ることですし、どのキャラクターかには感情移入して観ることのできる作品です。未来を一緒に築いていくための映画ではないかと思っていますので、一人でも多くの方に観ていただいて、激論を交わしていただけるとうれしいです。
(江口 由美)

sketch-s550.jpg『スケッチ・オブ・ミャーク』大西功一監督インタビュー
sketch-1.jpg(2011年 日本 1時間44分)
監督:大西功一
原案、監修:久保田麻琴
出演:久保田麻琴、長崎トヨ、高良マツ、ハーニーズ佐良浜、譜久島雄太他
2012年11月17日(土)~第七藝術劇場、11月24日(土)~元町映画館、12月8日(土)~京都みなみ会館、12月15日(土)~シネピピア他全国順次公開
公式サイトはコチラ

作品レビューはコチラ

 ※第64回ロカルノ国際映画祭批評家週間部門「批評家週間賞・審査員スペシャル・メンション2011」受賞
(C) Koichi Onishi 2011

  沖縄の宮古島で「古謡」や「神歌」に出会った音楽家の久保田麻琴が、その素晴らしさに感銘すると共に、なんとかして後世に伝えられないかと記録を始めたのがきっかけとなって誕生した『スケッチ・オブ・ミャーク』。フォークシンガー高田渡を迎えて『とどかずの町で』を撮って以来、これが16年ぶりの映画復帰作となった大西功一監督が、消えつつある宮古の「古謡」「神歌」を丹念に記録した意義深い作品だ。キャンペーンで来阪した大西監督に、制作の経緯や実際に「古謡」「神歌」に出会って感じたこと、編集時に念頭に置いたことなどお話を伺った。 


sketch-s1.jpg━━━本作にも出演し、監修を務めているミュージシャン久保田麻琴さんとの出会いや、本作を撮ることになった経緯をお聞かせください。 
 一番最初は1999年に細野晴臣さんと久保田麻琴さん二人のロックプロジェクト「ハリ-とマック」のプロモーションビデオを作らせてもらったのが発端で、久保田さんが映像の必要なときには呼んでもらったり、個人的な交流もウェイトを占めている関係でした。そんな中、映画制作の2年前にあたる2007年に久保田さんが、映画でも描いている通り思うところがあって宮古島を訪ねて歌と出会っていきました。その状況や音や、自らハンディカメラを回していたことを知っていたので、「お婆ばかり撮っているな」と思っていたのですが(笑)。僕も昔岡本太郎の写真集を持っていて、沖縄の祭祀の写真を収めていたのでこういう光景があることは知っていたし、興味はありましたが、そんなにさかんに(神事が)行われているとは知らなかったし、残っているという奇跡、かつそれがいつ途絶えてもおかしくない危険性がある。何百年と続いた島の歴史や大変な生活を知っている人も戦前の世代、80~90歳ぐらいで歌の背景や島の生活を聞かせてもらう機会は今しかないと思っていました。映像の作り手として、記録をしなければならないという気持ちはありましたが、映画を作るのは大変なことですからそんな簡単にはできないとその時はそれで終わっていたんです。

 久保田さんが2007年から(古謡を)録音していた流れから、2009年に開催されたアリオン音楽財団と朝日新聞社主催の第25回<東京の夏>音楽祭2009(2009年で最後)より、その年は日本の歌がテーマだったのですが、宮古もそのひとつに選ばれ、久保田さんの人脈で宮古で取材した人たちに東京へ来ていただきました。映画で随所に挿入されているのは、この音楽祭のライブシーンですね。

 久保田さんから2009年7月に行われるこのコンサートの映像の相談を2009年2月に受け、そのときに予算はないけれど、記録と収録をしたいという意図が分かり、DVDにして販売することも考えたのですが、歌単体よりもその背景に生活、儀式があるのはわかっていたし、それが見えた方がもっと豊かに伝わると思ったのです。記録をしなければいけないという責務が頭の片隅にあったので、コンサートの出演者を軸にしながら、その背景にある島の人の風習や生活を描いて、記録し、映画にしようと決めました。久保田さんに色々紹介してもらって、まず4月に宮古島に行きました。

━━━7月、東京でコンサートが行われる前に撮影を始めたんですね。
 コンサートよりも前に行った訳は、(7月に東京へ)行ってしまうとお婆ちゃんたちの何かが変わってしまうのではないかと思ったんです。たとえば古い町でも何かに指定されてしまうと、素の状態ではなくなってしまうじゃないですか。これがきっかけですね。

━━━コンサートが終わってからは、どれぐらいの期間撮影されたのですか?
 期間はおよそ1年間で、のべ4ヶ月強です。(取材対象者は)コンサートの出演者というメインの軸はあったので、カットした方は少ないぐらいで、あとは久保田さんから紹介された人を取材するだけでも大変でした。 

━━━お婆たちの歌やしゃべり言葉に字幕が付いていましたが、聞き取るのはかなり難しかったですか? 
 内地の人間に合わせて、お婆たちは標準語としてしゃべってくれているので、字幕を付けられるのは不服だろうと思います(笑)。本当の方言でしゃべられると分かりませんよ。

sketch-2.jpg━━━宮古の古謡はバリエーションも豊富で、独特の節回しが印象的ですが、実際取材されてこれらの音楽をどう感じましたか?
 僕は沖縄の民謡は好きなのですが、宮古の歌に関しては最初あまりピンときていなかったです。多分この映画の作り手ではなく、純粋に作品と出会ったなら宮古の歌の魅力にはまると思うのですが、何もない状態で聞くと、同じメロディーの繰り返しでそんなにかっちり掴むという感じではなかったです。それよりも記録しなければという気持ちが強かったので、(音楽の魅力が)分かるまでにタイムラグがあったかもしれません。撮影しながら、だんだん宮古の歌を理解していった部分が大きかったです。宮古の歴史から現代に至るまでのところで、宮古にまだ残っているものを掴むのに時間がかかりましたね。二ヶ月ぐらい行ったとき、すごく葛藤があって、それを掴めないと映画がつなげないし、いいものはできないと分かっていたので、それを獲得するのに苦労しました。

━━━ライブのシーンで、「みなさんご一緒に」という掛け声に合わせて、舞台上まで観客が上がって場内全員でクイチャーを踊る姿が印象的でした。
 踊るという行為はすごく自然な行為だったはずでしょうね。歌うということも会話をするのにも近いし、お祈りから歌になっていったのかもしれないし、そんなに特殊なことではなくて、全部繋がっているはずのことが今は分離してしまっています。そういうことがこのミャークを通じて確かめられたし、そういうのを見に行きたかったという部分もあります。音楽は好きなので、音楽に対する限界も感じていたし、元々の本当のものはどうなんだろうと。昔宮古の人はアドリブで皆歌えたんですよ。さすがに今はいませんが、メロディーにどんどん乗せて恋人同士や嫁姑などが歌い合うという話も聞きました。

━━━ライブシーンや、お婆たちの語り、このプロジェクトに取り組む久保田さんの姿、村の歴史を紐解くことなど、様々な要素が盛り込まれていますが、編集の際に念頭に置いていたことや、心がけたことはありますか。
 撮影の途中から編集をはじめ、一年以上かけて編集しました。あそこまでミックスされた形に収まるまで、すごく時間がかかりました。写真集みたいな映画にしようと思ったんですよね。写真集には色んな写真があって、それをめくっていき見終わって閉じたときに、何か心に残っていると思うのですが、その写真を(映画の)一つ一つのシーンに置き換えた形で、映画を見終わるときに何かが残っている。一つの起承転結があるような形ではなく、画集のような構成でいきたいと思っていました。

そういう構成にすると、普通はアート作品になるのですが、『スケッチ・オブ・ミャーク』は宮古島のことなので、宮古島で上映したときに島のおじさんやおばさんたちにも伝わらなければなりません。画集のような構成でありつつも、きちんと一般の人にも伝わるような作品にしたいと思い、制作しました。

sketch-3.jpg━━━長きにわたって続いていく伝統がある一方で、それらが消えてゆく現実も映り込んでいましたね。
 この映画は宮古島オンリーではなくて、宮古諸島と言った方がいいのですが、多良間島はテロップを入れていますが、ほかはあえてテロップを入れていません。伊良部島の佐良浜地区は儀式がかなり盛んだし、かつ記録に応じてくれました。儀式を撮るのは全然大変ではなくて、先方もいつ途絶えるか分からないから記録をしてもらいたい、こういうことをやっていると公表してもらいたいという気持ちと、何百年も続いてきた儀式を次につなげていきたいという気持ちがあるので、スケジュールも教えてもらい応援してもらいました。映像にもでていると思いますが、かなり熱中して撮れましたし、編集も早くつなぐことができたんです。宮古本島になるとずいぶん昔から変わっていて、24時間営業のコンビニやスーパーがあるような島なので、昔のままのものが視覚的にも空気的にも掴みにくくなっています。そこでお婆たちの記録や歌と、今この島で空気感を掴まえて、これが宮古だなと感じ取って古い映像を混ぜながら作っていくのは時間がかかりました。

━━━第64回ロカルノ映画祭で、「批評家週間賞・審査員スペシャル・メンション2011」賞を受賞されましたが、お客様の反響はいかがでしたか?
 昨年の8月に2回上映しました。批評家週間部門というのはロカルノ映画祭に関してはドキュメンタリーに特化した作品が上映されます。世界から集まった作品の中で7本が選ばれた中の一本で、ロカルノのこの部門でははじめての日本映画でした。エンドロールのうちに拍手のボルテージや歓声が上がってきて、7本中ピカイチでした。これは一等賞かビリだろうと思っていたら、二等でがっかりしました(笑)。後から思えばありがたかったと思います。

sketch-s2.jpg━━━本作が監督にとっては16年ぶりの映画となったわけですが、監督にとってどんな意味があったのでしょうか。
 前に撮った映画はドラマだったこともありますし、16年の間に何度か脚本に着手もしました。この作品も最後までできるかどうか分からなかった部分もあります。途中で気持ちが萎えてしまったり、様々な状況が起これば動けなくなりますから。できてよかったと思うと同時に、自分のエゴをあまり感じないので、カタルシスもないですね。どちらかといえば宮古をなんとか感じ取って、それをどうやって映画として純粋な形で置くことができるかに専念したので、創作的なシーンはありつつも自分の作品ではない感じがします。作業的には大変でしたが、自分の中では3本目というよりは、2.5本目といった気がします。それはいい意味だと思います。

━━━これからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
 古い歌のことを追いかけている映画ですが、それと同時に背景である島の人の暮らしや、儀式を含めた風習があって、その原初のものを知る、人間自身のことを知るような意味を持った映画だと思います。僕も実際に島で(原初のものに)触れてきたわけで、この映画でそれに触れることができる役割を果たすのではないでしょうか。今の時代、我々は大きな問題に直面していて、ルーツである人間の生き様をこの映画を通して一緒に見つめて、これからの未来に向けて、ものを考え始めよう。そういうきっかけになってほしいと思って作ったところもあります。僕も答えは出せないけれど、それを共有して一緒に考えていきたいですね。(江口 由美)

『演劇1』『演劇2』想田和弘監督インタビュー~後半~

engeki-s2.jpg≪構成≫(1~4が前半、5~7が後半)
1 青年団との出会い
2 上映時間について
3 平田オリザさんの魅力その1~切り替えの速さ~
4 平田オリザさんの魅力その2~オープンであること~
5 「入れ子構造」~平田氏にとっての演劇と想田監督にとっての映画のありよう~
6 『演劇2』独自の視点
7 演劇(芸術)と社会の関係

『演劇1』『演劇2』想田和弘監督インタビュー~前半~はコチラ

 

【5 「入れ子構造」~平田氏にとっての演劇と想田監督にとっての映画のありよう~】

Q:監督の「観察映画」では、BGM等の音楽を使わないということですが、作品を観ると、リズムがあってすごく音楽的に思えます。
A:それはよく言われます。そういう意味では、平田さんの演劇とも似ていて、平田さんも、音のリズムとか、そういうもので世界を描こうとしているところがあります。演劇をつくりだし、演劇で世界を描こうとしている人たちがいて、その人たちのありのままを描こうとする僕がいる、そういう「入れ子構造」だったんだなと、最近本を書きながら気がつきました。

engeki2-2.jpgQ:稽古中、平田さんはパソコンで脚本をみながら、俳優たちのセリフを音として聞いていますよね。お芝居も見るというより、聞いている感じがします。俳優が、同じ場面の稽古を何十回と繰り返させられて、セリフの間や高さ、強さを正確に再現できるのは驚きました。
A:特別な訓練がないと、ああいうことはできないと思います。芝居は、一見自然で、非常に“普通”に見えるので、誰にでもできそうに見えますが、そうじゃありません。ものすごい操作と計算と精進の結果です。この部分は、撮っていてすごく感じたことだし、それをきちんと描きたいと思いました。
僕自身もそういうことをやっている自負はあって、カメラで何か写す時は、絞りや画角、カメラの動きやいろんな要素があって初めて、自然に見えたりします。編集の時に、あたかもなんの操作もされていないようにみえるように、操作というものをするわけですよね。ある意味、観客をだますということなんですが。その意味で、やはり「入れ子構造」というか、そういう部分に関心がいきます。どうやってつくっているのか、やっぱりそうだよね、という感じです。

Q:監督が演技について話されているのを聴くと、監督が平田さんに対してすごくシンパシーを感じているようにみえます。
A:そうなんだなあと思いました(笑)。僕も最近始めて気がついたんですけれども、ある意味、アルター・エゴ的に、平田さんに自分自身を託すところがあったんだなと最近気がつきました。むしろ対峙する相手ですよね。

Q:平田さんが俳優さんに対して演技について話すことと、監督がドキュメンタリーを撮る時に話すことが、根本的にはすごく似通っていると感じました。
Aそう思います。僕は別に、理論だてて撮影をつくっているわけではなく、もちろん、「観察映画」の方法論に則ってやっているわけですけれども、テーマありきで撮っているのではないし、撮りたいという気持ち、衝動はあったりするから、あらためて分析してみないとよくわからないところがあるわけです。本を書きながら、なんでこんなに苦労して、4年もかけて、やってるのだろう、なんでこの映画を撮ったんだろうみたいなことをあらためて考えざるをえなくなって、初めてですよね。鏡を見るような感覚がどこかにあったんだ、という、それでこんなに一生懸命になれたんじゃないかと(笑)。向こうは大巨匠で、僕は駆け出しのペーペーですから、こういう言い方は失礼で、僕自身の勝手な思い込みですが、主観的にはそういうことが無意識にあったんだろうなと思います。

 

【6 『演劇2』の独自の視点】

engeki2-3.jpgQ:現代社会との照らし合わせとか、今までの演劇を題材にした映画とは一味違い、想田監督ならではの視点だと思いました。
A:僕の場合は、自然に社会に目が向いてしまうところがあります。今回、連作みたいなところがあって、たとえば、『選挙』で政治家の人たちをいっぱい撮ったので、政治家の動きに敏感になります。町を歩いていても、ポスターがあるだけで、○○の地盤だなと思ったり(笑)、いちいち目に付くわけです。そうすると撮影中にも、平田さんが民主党若手と会合とかいうと、撮影に行くし、鳥取での公演会場に市長が出てきてとなると、つい嬉々として撮ってしまう(笑)。青年団の人から「想田さん、今までで一番生き生きして撮ってますよ」と言われたり(笑)、そういう視点が入り込みますよね。
また、『精神』を撮っていたから、平田さんが、明日はメンタルヘルスの会合で、といわれたら、ぜひ撮らせてくださいと頼んだり、つながってくるんですよね。ある意味、変奏曲みたいに、主旋律があって、別のメロディを奏でていくみたいな、一種の連作として観てもらってもいいかなと思います。

Q:『精神』を撮られた時、世界のどの場所にいるのかということを気にされていたと思います。『選挙』は政治中心のメインの場所。『精神』はその周辺。その両者を行き来する作品を3つ目に持ちたいと、そのあたりは、本作でねらいどおりですか?
A:ドキュメンタリー作品には、コミュニケーションのあり方、どうやって人はコミュニケーションをとっているのかが写ります。選挙事務所には、選挙事務所なりのコミュニケーションのとり方があって、たとえば、机をバーンと叩くとかいろいろあるわけです。『精神』の舞台の「こらーる岡山診療所」には、診療所なりの、心の内をどっとさらけ出すとか、いろいろやり方はあります。じゃあ、『演劇』の現場ではどうなっているのかというと、やっぱり芸術家集団なので、社会の周辺的な目線、コミュニケーションのあり方は必ず必要なのですが、それだけでは、演劇はできない。やっぱりお金のこともやらなくちゃいけないし、集客のためにはチラシをつくって宣伝したり、取材を受ける必要も出てくるわけです。そういう意味では、両方のチャンネルを活性化させないと、演劇という芸術は成り立たないところがあります。それは編集していて感じたことですね。

 

【7 演劇(芸術)と社会の関係】

engeki2-1.jpgQ:芸術のあり方、芸術の必要性をもっと社会的に認めてほしい、というところに監督の思いが出ているように感じました。
A:平田さんの言っていることが正しいというふうに、僕は言うつもりもなくて、ただ、そういう説得の仕方をこの人はしているんだなと、しかも、そういう説得の仕方をしている人はすごく稀で、特に、日本では、そういう部分は芸術家の側に弱いとは思います。弱いからこそ、今、文楽とか、大阪のオーケストラとかが攻撃された時、それに対して、対抗する理論を持ってないんですよね。

Q:今まで、日本では、伝統だからとか、流れだからとか、かなり思想的な部分で、芸術がみられていて、理論性が足りないというのはそのとおりですよね。だから、文楽とかが攻撃されても、言い返せずに、結局は、排除される流れになってしまう。だからこそ、この作品が広く観られるべき理由があると思います。
A:別にプロパガンダのつもりは全然なく、こうでなければならないというメッセージを伝えたいわけでもありません。僕の映画にメッセージはないと今までも言い続けてきたし、今も変わらないですが、期せずして、今の状況とすごくシンクする(今の状況を反映させた)ものをつくってしまったと思います。
最近すごく感じるのは、冷戦が終わって、共産主義はだめだった、社会主義もだめだったと、資本主義万歳というような価値観が猛威を振るっていて、それまでは福祉といった社会主義的発想や、芸術、伝統にも一定の価値があるというコンセンサスみたいなのがあったと思うのですが、それがどんどん崩壊しかかっている気がするんです。だから、橋下市長が、文楽なんてお金にならないから要らない、無価値だと言った時に、そうだよねという人も結構多いわけですよね。だから今、問題になっているわけで、もちろんそれに抵抗する人たちもいっぱいいるわけですが、それが圧倒的に多かったら、橋下さんは、失言ととられて失脚する可能性だってあると思うんです。でも、失脚しないということは、やっぱりある程度、支持する人がいるからで、それは僕は、じわじわと資本主義的価値観というものが浸透している結果だと思うし、そういう中で、芸術をやっていくというのは、それ自体、逆行というか、逆風であるという認識を新たにしています。やっぱり芸術というのは、資本主義的価値観とは相容れない価値観ではあると思います。だから儲かればいい、という人は芸術やらないんで、そういう人はドキュメンタリー撮らないですよ(笑)。

Q:まさか2012年がこんなふうになっているとは、予想されていませんでしたよね?
A:撮り始めたのは2008年ですし、今の状況は予見できませんでした。タイムリーなものとは全く考えていませんでした。編集している段階で、無意識にそのへんに視点があったのかなという気がしています。『演劇2』をわざわざ別立てにすると決めた時にも、今まで芸術をつくることは、内容とか作り方とか方法論にだけ焦点が当てられがちで、『演劇1』はあっても、実は、自分も作り手だから実感することなんですが、それを支えるための経済活動あるいは社会的活動というのが、芸術家にとってはものすごく比重を占めていて、かなり重くのしかかっている部分でもあるんです。よく自転車にたとえるのですが、前輪と後輪のようなもので、どっちかがなくなっても、活動できなくなる。『演劇1』だけでもだめだし、『演劇2』だけでもだめ。両方があって初めて、両輪の自転車になります。

そういう問題意識は、今の状況があるからというより、僕もつくり手なので、映画をどうやって世に送り出すかとか、どうやって持続可能なものにしていくか、次から次へと作品をコンスタントにつくって発表できるか、ということは、もともと重大な関心を持っていたので、演劇は特にその傾向が強まるというか、もともと社会的な芸術で、一人で完結できるようなものではありません。平田さんが言っていたように、詩のような芸術表現とはちょっと性格が違う。社会を巻き込まないと、社会に認知されないと、芸術活動が成り立ちません。演劇をやることイコール社会にコミットしていくことだという部分があるので、これを大きなテーマとして描きたいという気持ちはありました。


大阪の文化施策の現状についても、触れずにはいられなかった想田監督。「芸術分野が攻撃されたり、表現の規制の問題になってくると、黙っていることイコール黙認していることになり、発言しないわけにいかなくなります」と笑顔で言われたあと、「でも、僕としては、あくまで、作品をまっさらな目でみてほしいので、発言することで、色眼鏡で見られてしまい、作家としてはマイナス部分も多いです」と付け加えられました。監督の率直な発言とユーモアと気取りのない姿勢で、取材中は笑いが絶えることもなく、楽しい時間でした。わかりやすいお話とさわやかな笑顔で、終始、謙虚な姿勢を失わず、相手の言うことを真剣に聞き、答えようとする監督の姿が、とても印象的でした。
『演劇1』、『演劇2』とも、観始めたら、長さは全然気にならず、その世界に入り込みます。対象を冷静に観察し、考察して、独自の映像世界をつくりあげていく構築力は、さぞやと思われます。平田オリザ氏と想田監督の力が見事に掛け合わされた本作は、非常に思索深く、興味深いものです。ぜひ、劇場でご覧ください。きっと、青年団のお芝居も観たくなるにちがいありません。(伊藤 久美子)

engeki1-550.jpg『演劇1』『演劇2』想田和弘監督インタビュー~前半~

『演劇1』(2012年 日本・米国 2時間52分)
『演劇2』(2012年 日本・米国・フランス 2時間50分)
監督・製作・撮影・編集:想田和弘
出演:平田オリザ、青年団・こまばアゴラ劇場の人々
10月27日(土)~第七藝術劇場、11月10日(土)~神戸アートビレッジセンター、12月8日(土)~京都シネマ
公式サイト⇒http://engeki12.com/
(C) 2012 Laboratory X, Inc.

engeki-s1.jpg台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践し、『選挙』、『精神』、『Peace』と、独自の視点で社会に焦点を当てた作品をつくり続けてきた想田和弘監督。1995年に岸田國士戯曲賞を受賞し、日本を代表する劇作家・演出家の平田オリザと、彼が主宰する劇団・青年団に取材し、300時間以上の映像素材と4年の歳月を経て、長編演劇ドキュメンタリー2部作を完成させました。

『演劇1』では、演劇の創作現場にカメラが向けられます。平田が唱える「現代口語演劇理論」を追求する青年団の演劇は、日々の生活の中の静かで淡々とした時間をそのまま直接的に舞台にのせ、人間の存在自体を劇的なものとして浮かび上がらせようとします。セリフの間や速度を秒単位で決め、声のトーン、仕草も細かく指示する平田と、同じシーンを何度も繰り返す劇団員たち。青年団の演劇の魅力だけでなく、演劇そのもののありように迫ります。『演劇2』では、「まず食うこと それから道徳」という、青年団の事務所に掲げられた言葉のごとく、財政難と不況で芸術関連予算が削られる中、いかに生き残り、活動を継続していくか。教育現場、地方の演劇祭、政治家、海外進出と、劇団経営を模索する平田の活躍ぶりに迫ります。演劇を通して、現代社会のありようが浮き彫りになります。

晩夏、映画のPRのために想田監督が来阪され、共同取材が行われました。青年団や演劇のおもしろさ、演劇と社会との関わりなどに迫る興味深い内容でしたので、長くなりますが、前半・後半に分けて、詳細にご紹介したいと思います。

≪構成≫(1~4が前半、5~7が後半)
1 青年団との出会い
2 上映時間について
3 平田オリザさんの魅力その1~切り替えの速さ~
4 平田オリザさんの魅力その2~オープンであること~
5 「入れ子構造」~平田氏にとっての演劇と想田監督にとっての映画のありよう~
6 『演劇2』独自の視点
7 演劇(芸術)と社会の関係


【1 青年団との出会い】

engeki1-1.jpgQ:青年団のことは、いつ頃知ったのですか?
A:2000年10月にニューヨークで観たのが初めてです。僕が東大の駒場に入った1989年は、こまばアゴラ劇場で『ソウル市民』という平田さんが現代口語演劇を確立した、最初の代表作が発表された年です。僕はその頃、演劇とか全然興味がなくて、声を張り上げたり、不自然なセリフ回しとか、偏見がありました。でもNYで、平田さんの『東京ノート』を観た時、その偏見が払拭されました。平田さんは、いわゆる芝居臭さみたいな、演劇についていた手垢みたいなものを拭い去ることをされてると思ったんです。そこにポリシーというか平田さんの強い意思を感じました。しかもそれがドキュメンタリーっぽい、あたかも舞台上でドキュメンタリーをやっているかのようにみえました。僕はその頃、NYで駆け出しのドキュメンタリーのディレクターだったので、まずは素直に驚いてしまいました。なんでこんなことが可能なのかって。

本当は駒場で遭遇してもよかったのですが、僕の方が用意できていなかったわけです。駒場にいた時、僕は東大新聞の活動に没頭していて、1989年は「風の旅団事件」がありました。昭和天皇が亡くなった年で、反天皇の旗を掲げたメッセージ性の強い、風の旅団というテント劇団があって、駒場で公演を打とうとした時に、大学側が許可しなかったんです。劇団が許可なしに強行しようとしたら、機動隊が入って学生が5人逮捕されるという事件です。学生運動の最後ともいえるもので、僕は、警官にぼこぼこにされながら取材していて、だから、風の旅団とは縁があったのですが、青年団とは全く縁がなかった(笑)。

ただ昼飯とか食べるのに、駒場の商店街を歩いていると、アゴラ劇場と書いた、すごく小さな劇場があって、こんな劇場ってあるんだなあと思った記憶があります。その前の喫茶店にはよく入り浸っていて、近くのラーメン屋にも行ったのですが、いかに関心がないと何も気付かないか、見えていても出会っていないんですね。それから、僕が宗教学を志し、宗教学もやめて、映画を志し、NYに行って芸術や映画とか勉強して、入ったのがドキュメンタリーの会社で、駆け出しのディレクターとしてやっていて、初めてこれはすごいと思った…そういう出会い方でした。

Q:ドキュメンタリーを撮っていたからこそ、青年団のよさもわかったのではないですか?なかなかよさがわかりにくい演劇ですよね。
A:それはあるかもしれません。自分がカメラを向けるとそれまで生き生きしていた人が急にしらじらしくなったり、現実を撮りたいと思っても、何も戦略も技術もなしに撮ろうと思っても無理なんです。そのことが駆け出しのディレクターとしては、毎日骨身にしみていました。日常生活をそのまま切り取ってしまったかのような、青年団の舞台は、ものすごく自然で、即興にさえみえるわけですが、それはありえないという予感はありました。ただ、どうやっているのかと思い、2006年にNYに来た時、観に行きました。全然別の『ヤルタ会談』という喜劇でしたが、それでも世界観、人間観、芝居観は共通していると思ったんです。これはとてつもない芸術家なんじゃないかと思いました。そこで、いろいろ著書を読んだら、思ったとおりで、しかも僕が通っていた駒場で「現代口語演劇理論」というのを稽古場での実践からやっていて、これはすごいものに出会ってしまったなと思いました。僕は『選挙』の編集をしていて、「観察映画」という方法論を完成しようともがいていた時期ですから、「現代口語演劇理論、すげえなあ」と、方法論があって作品をつくりだすことにも、すごく感じるものがありました。

Q:それから平田さんに連絡をとって、撮影を始めたということですか?
A:2006年の時点では、僕はまだ『選挙』も発表しておらず、いきなりすごい劇作家のところに行って、撮らせてくださいなんてのもどうかと思いますし、2008年に、NYで俳優をやっていた、友人の近藤強さんが日本に帰って、青年団に入って平田さんと芝居をやりますという連絡が来た時に、急に具体化しました。その時点では『選挙』も公表して、観察映画というスタンスも段々固まってきた時期で、『精神』の編集中だったか、思い切って撮影を申し込もうと手紙を書きました。それで、会うことになり、決まった感じです。

Q:ずっと稽古場に詰めて、撮影されていたのですか?
A:会いに行ったのは2008年5月で、7月から9月にメインの撮影をして、打ち止めようかと思ったのですが、段々欲が出てきて、平田さんが11月なら世界初のロボット演劇があるとか(笑)、さすがプロモーターです。別に僕に言うわけじゃないのですが、誰かに宣伝しているのを聞くと、立ち会わないわけにいかないと思って(笑)。『冒険王』とか『サンタクロース会議』の稽古が11月、12月にあるということで、もう一回来ようかなと思って、来て撮影して、そしたら、今度は「2月、3月にフランスで公演をやる」と言われて(笑)、確かに海外公演も撮りたいなとフランスに行って、これで300時間以上回したので、十分だろうと思っていたら、政権交代が起きて、平田さんが鳩山首相のスピーチを書くことになり、それも撮りたいと思ったのですが、その頃『Peace』の撮影中で、『精神』も海外上映のたけなわで、撮影できませんでした。それで、ここまでということで、何が描けるのかやろうと思いました。

 

【2 上映時間について】

Q:『演劇1』と『演劇2』に分けるという決断はいつ頃されたのですか?
A:最後の最後です。できれば1本にと思ったのですが、これだけの量を撮って、1本にまとまるわけないとも思っていました。人間って、区切りがつくだけで、長いものでも耐えられるという性質があることに、僕自身、本を書きながら気がついていて、同じ文章でも、1章、2章に分けると急にわかりやすくなったりします。だから、分けるという手があることは、薄々感じながらやっていました。最初は3部構成で、1は平田オリザの世界、2は平田オリザと世界、3は平田オリザの未来とか演劇の未来という感じでロボット演劇とか海外公演とか入れるとおもしろいと思ったのですが、編集しているうちにそれを2に合併したほうが、作品の強度が増すことがわかってきたので、最終的には2本になりました。

Q:編集段階で、上映時間について、これ以上短くできないと思ったのですか?
A:妥協すれば、短くするというのは、いくらでもできると思います。でもベストな作品にはなりません。別の作品になってしまいます。とりあえずベストなものを投げたいという気持ちがあって、僕も段々分別ができてきたので、5時間42分の映画をジリ貧の映画界でやるというのが、どういうことを意味するのかってことは、一応わかっているし、なんとか短くしたいという気持ちはあったのですが、何度観ても切れない。切ることはできても、ベストではなくなると思いました。それで、今まで日本で配給してくれた会社の人達がやってくれるかが試金石だと思ったので、まずは投げてみました。そしたら、絶対これはやりましょう、やらなきゃいけないでしょうというメールが返ってきたので、じゃあお願いしますということになりました。

Q:観ていて、飽きないですね。あっという間でした。『演劇1』で公演が終わるのが寂しいくらいで、もっと練習風景とか観たいと思いました。『演劇2』の予算の交渉も新鮮でした。
A:僕自身がそう思ってつくったんですよね。平田さんのことを知らない人、青年団を初めて観る人も映画館に呼びたいわけで、そういう人たちがどう観てくれるのかという不安もあったし、上映時間が長いので、劇場で一日何回上映できるのか、本当に興行的にはチャレンジでした。でも、そういうことをするインディペンデント作品があってもいいのではないか。皆が上映時間を気にして、売れることばかり気にしてやっていたんじゃ、映画界もだめになる。今の映像の世界での軽少化、どんどん切っていく傾向、ファーストフードみたいなものに対抗するスロー映像みたいなものを提起する意味でもいいかなと思いました。

 

【3 平田オリザさんの魅力その1~切り替えの速さ~】

engeki1-2.jpgQ:平田さんの演出光景をみて、一番印象的だったことは?
A:平田さんって、あらゆることが可能だと思っている人だと思うんです。できないことってないって、どこかで思っているふしがあって、必ずポジションを見つけるんですね。演技とかでも行きづまるということがない。稽古していても同じで、行きづまったときの人間の反応って、怒鳴るとか、諦めるとか、放り投げるとか、いろいろあります。平田さんの場合は、違う解決法を見つける。行きづまった時に、なんとか別の角度から攻めて行って、解決法を探し出します。たとえば、演劇がどうしてもうまくいかない場合は、セリフを変えるとかして、なんで言えないんだよと怒ったり、灰皿投げたりはしません(笑)。稽古場でもソフトで、声を上げたりはほとんどせず、あのテンションのまま。時々、ちょっと語調が強いくらいで、別に侮辱とかもしません。普段のプロデュース面でもそうで、障害があったら、どうやってそれを乗り越えるのか、解決するのかに、すぐ意識が向かう人だから、余計なことを考えません。「うまくいかないな」とか、「なんでだよ」とか、いちいち怒らない、そんな暇ないという感じで(笑)、「じゃあ、どうしよう」というふうに考える。やっぱり仕事のできる人って、そうですよね。いちいち感情で立ち止まりません。

僕自身は、そこまで人間ができていないので、もう300時間の編集をやっていると、最初のカットができた時、本当に全然だめでがっかりして、もしかしたら撮影の時に根本的なミスをしたのではないかと、これは映画にならないんじゃないかと思った瞬間もありましたが、その時に、励みになったというか、参考にしたのは、平田さん自身の働き方というか、だめな時に違う解決法(ソリューション)を考えることでした。
編集中は結構いけてるんじゃないかと思っていただけに、去年の秋頃、ようやく編集が固まって、第一篇ができて、全体で観た時は、『演劇1』だけで4時間超あったのですが、カミさんと一緒に観てて、もうどんよりしちゃって(笑)、カミさんもずっと寝てるし、終わった時に「体感6時間だね」と言われて(笑)、僕もそう思っていたので、だめだってすごく落ち込んだんです。でも、おもしろいことに、そこからもう一回やってみようと思って、次の日にもう一回、がちゃがちゃやったら、そこで実は、ぱーっとできちゃいました。不思議なものですね。そのときすごく思ったのは、余計なものが流れを邪魔しているということで、その邪魔をしているものを全部削ぎ落としていって、スリムな形になったら、ようやく血が通う、という感じでした。結構、編集は苦労しましたね。 

Q:平田さんは話が上手いですよね。ここまでだったのかという驚きみたいなのは? 
A:一つ驚いたのは、ワークショップをいろんなところでやりますよね。毎回一言一句、同じなんですよ。ギャグまで、ギャグのタイミングまで同じなんです。自分の中で台本があって、使う言葉から表現から、全部一緒なんです。それを入れようかと思ったんですが、そういうところから、やっぱり演じてるとも思いました。

あとは、切り替えの速さですね。これは描きにくかったんですが、一日に4本か5本位の別々の作品を演出したりしているんです。その合間に、プロデュース的なことをやったり、子どもに教えたり、新作を執筆したり、そういうことを5分、10分単位で切り替えていて、すぐにそれに集中できるんですよ。タッタッタッと切り替えて。あれはすごいなと思いました。いきなり寝ちゃうんですよね。

Q:タイミングの合わせ方もすごいですね。子ども達に教えている時でも、合間を縫って、自分の脚本を書いていますね。
A:普通は気持ちを盛り立てないと書けないとかあるじゃないですか。平田さんは、そういうのがないんですよね。10分の間があれば、戯曲だろうとなんだろうと何かしちゃう。合間に何かをやっているというのは、結構、映画的には、描きにくくて、難しかったです。というのは、並列しただけだと、いつなのかわからないんです。たとえば、一日に10件取材があったというのを描くなら、テロップがあれば何時何分と書けば大丈夫ですが、それをただ積み重ねただけだと、いつだかわからないし、次から次へということが実感できません。それがすごく描きにくくて、でも、どうしても入れたかったので、学校でのワークショップ中に、パソコンをあけて、新作を書いているのは、結構、重要なシーンになりましたね。あれが撮れたのは。ああいうふうにバックグラウンドがあって、そこでパパッとやらないと、細かいことが伝わらないんですよ。そのへんが現実のリアルとドキュメンタリーのリアルとの違いでもありますよね。現実のリアルは、時間がずっとつながっているので、それを体感する人は、その時間の中で体感しているわけですけど、ドキュメンタリーは編集というハサミが入ることが前提なので、そのハサミが入ってもなおかつ、それがまとまった時間として感じられるためには、それなりの撮り方と技術、編集の技術が必要なんです。だから、ただ漫然と撮って、漫然と編集しただけでは、そのときの体験みたいなものは再現できません。そこを工夫する必要がありました。

 

【4 平田オリザさんの魅力その2~オープンであること~】

Q:芸術家の場合、プライベートな部分や本音とかが商売道具だと思うので、そこにカメラを向けられるのは、商売道具をさらけだすようで、あまり好ましく思われないように思うのですが、平田さんはどうでしたか?
A:平田さんはものすごくオープンな人だから、方法論も全部本で開示しています。平田さんの持論は、演劇というのは方法論を開示したところから始まると。これは『演劇2』にも関わることなのですが、やはり助成金で維持されている集団だということで、彼は24時間パブリックな存在だと思っているふしがあって、隠し事はしない、すべて公開するという透明性をものすごく大事にしています。

Q:劇団員との話合いでも、平田さんは、劇団の財政状況を示して、きちんと台所事情を説明していましたよね。
A:あれが求心力の原点です。皆、同じ意識でいられるというか、結構センシティブな情報でも、全部共有した上で、少なくとも共有したように感じる(笑)レベルまで公開するから、劇団員は、あまり不満を持たないし、持ちにくい。一緒に何かをやっているという感じになるのだと思います。多分。

Q:平田さんは、カメラに向かっても、全部出しますというところがありますよね。逆にカメラ用のパフォーマンスとかはなかったですか?
A:それが微妙なところで、最初はものすごく撮りやすい人だと思ったんですよ。カメラは基本、無視してもらえればと言ったら、本当に無視するんです。こっちがさびしくなるくらい(笑)。だから、最初はこんなに撮りやすい人はいないと思いました。でも、段々撮っていると、「おい、待てよ、この人は、人間とは演じる生き物であると言っていて、しかも、どうしたらリアルにみえるかということをずっとやってきた人で、俳優さんたちも自然な演技をどうできるかをやっていて、今僕が撮っているのは何だろう」(笑)と考えてしまうんです。普通ならドキュメンタリーを撮っていると、カメラを意識しすぎる人はぎごちなくなるか、ハイテンションになって、カメラ向きのパフォーマンスがありありになる。アメリカで撮っていると、そんな人ばかりで、トーンが普段より3オクターブ位上になったり、そういうカメラを意識したふるまいをどうやって普段のものにするかがドキュメンタリストの腕のみせどころなんです。

でも、青年団の場合は、一見、全然演技していないように見える、非常に自然な振る舞い、普通の基準でいえば、素の状態をずっと撮れているような感じがするのですが、でも、「待てよ」と。よく考えると、平田さんの無視の仕方は尋常ではない。稽古する時にも、普通だったら僕が撮り逃さないよう、撮る前に、今から稽古しますよとか、耳打ちするとかあると思うんですが、平田さんの場合は、全然おかまいなしで、結構、稽古も始めちゃうんです。これほどまでに無視するということは、もうカメラがいないことを、いないかのように振舞うことを徹底されているにちがいない、ということが、ずっと経って、今、思えてきて(笑)、その演技の裂け目みたいなものに、こちらはカメラを向けていきたくなるわけじゃないですか。時々それが撮れたんじゃないかという実感がするわけですよね。今のはいつもと違って、怒ってたんじゃないかとか、いらいらしてたんじゃないかなとか、素の感情が見えたような気がする瞬間もあるわけです。だけど、よく考えると、そういう素の瞬間が出たという演技かもしれない(会場爆笑)。

今回、青年団だから、そういうことを考えてしまうわけで、今まで撮ってきた『選挙』であろうと、『精神』であろうと、『Peace』であろうと、理論は同じだったんじゃないかと実は行き着いたんです。つまり、本当のところはわからないんです。いくら徹底的瞬間、素の感情が撮れたと思ったとしても、それはもしかしたら、本当にそうなのかもしれないけど、どこまでそれが、本人の自己演出というものが入っているかどうかはわからないんですよね。もしかしたら、本人ですらわからないかもしれない。もっというと、普段のコミュニケーションというのも、実はそうかもしれない。今、こうして話していますけれども、どれだけ僕のしゃべりに演劇的要素が入っているかはわからないですよね。というか、僕自身もわからないです。なんとなくそれは演技しているところもあるかもしれないし、でも本音を語っているつもりでもあるし、多分、普段の生活でもそうなんじゃないかと。

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ginpei-2.jpg笑福亭銀瓶さん、『高地戦』の見どころを語る

(2012年11月3日(土)シネマート心斎橋にて)

登壇者:笑福亭銀瓶(しょうふくていぎんぺい)

 

(2011年 韓国 2時間13分)

監督:チャン・フン 

出演:シン・ハギュン、コ・ス、イ・ジェフン、リュ・スンリョン、キム・オクビン

2012年10月27日(土)~シネマート新宿、シネマート六本木、11月3日(土)~シネマート心斎橋、11月24日(土)~元町映画館、12月1日(土)~京都みなみ会館

公式サイト⇒ http://www.kouchisen.com/

(C)2011 SHOWBOX/MEDIAPLEX AND TPS COMPANY ALL RIGHTS RESERVED.


 

ginpei-1.jpg【笑福亭銀瓶(落語家)プロフィール】

兵庫県神戸市出身。1988年、笑福亭鶴瓶に入門。

 

2009年、第4回繁昌亭大賞受賞。
現在は大阪・繁昌亭を中心に京阪神、東京で自身の独演会、落語会を開催。
2005年からは韓国語落語に取り組み、毎年韓国で公演を継続。
 OBCラジオ「笑福亭銀瓶のぎんぎんワイド」メインパーソナリティ。

MBSラジオ「こんちわコンちゃん お昼ですょ!」の人気コーナー

「銀瓶人語」は第3刊まで書籍化。

 


 

【作品紹介】

kouchisen-1.jpg1950年6月25日から3年1か月も続いた朝鮮戦争。いまだに社会主義国家の北朝鮮と民主主義国家の韓国の南北に分断された国家は、世界でもここだけだ。その朝鮮戦争の終結間際の、高地での戦いを描いたのが『高地戦』である。山を占拠するため日々一進一退を繰り返し、その山肌は死体で埋め尽くされ、熾烈を極めていた。「何のために戦っているのか?」……双方の兵士がその疑問を抱きつつも、ようやく訪れた停戦協定の日。やっと、やっと戦争が終わった!生き延びられた!と喜んだのも束の間、協定が実行されるのは12時間後だという。最後まで戦い抜いた時点で境界線が決まる。そのために、どれ程の人命が失われたのだろう。弾丸の飛び交う戦地と、作戦本部との大きな温度差。
 

kouchisen-3.jpg戦争がもたらす悲劇は、今までも『太白山脈』『ブラザーフット』『トンマッコルへようこそ』など様々な形の映画で表現されてきたが、本作は、南北の戦士たちの人間性を浮き彫りにすることによって、戦争の空しさ、愚かさ、非情さを、心に染み入るように訴えかけている。戦闘シーンだけではなく、人間性に焦点を当てた描写が特徴的。

 


 

11月3日シネマート心斎橋で公開初日に、落語家の笑福亭銀瓶さんが、映画を見終えたばかりの観客の前に登壇し、韓国の国民性と作品の見所を楽しく語ってくれた。

【笑福亭銀瓶さんのトーク】

今日は平均年齢高ですね~いい映画だったでしょう?(会場から拍手)寒くなかったですか?どうぞトイレ行きたい人は行って下さいね。(と観客を気遣う。)
 

ginpei-3.jpg僕、この頃映画見たら眠たくなるんですけど、この『高地戦』だけは全然眠くなかったですわ! 僕、朝4時半に起きてましてね…別に新聞配達してるワケやないですよ!(笑)ラジオ大阪で「笑福亭銀瓶のぎんぎんワイド」という番組をやってるんですけど…聴いてる人?…いやメッチャ少ない! 朝7時~9時の生放送なんです。その後映画館へ行ったりしてるんですが、予告編始まって館内が暗くなり本編始まる頃には、もうぐ~っと眠たくなるんですよ。でも、この映画は午後1時から試写室で見せてもらったんですが、いつもなら眠くなるところを、最後まで集中して見れました。


ホンマは11月2日~4日は韓国で落語をする予定でしたが、3月に延期になったんで、今日こうして皆さんとお会いできて良かったですわ。(拍手)それにまだ韓国語の落語を覚えてなかったんで、ホンマ良かった!(笑)

 


皆さん、『ワンドゥギ』も良かったでしょう?あの映画に出ていた猫背のお父さん役のパク・スヨンは私の友達なんです。舞台『焼肉ドラゴン』というお芝居では僕もパク・スヨンと一緒に出てたんですよ。彼は僕より年下なんですよ。(え~1?)老けてるけど巧いでしょう?


皆さん、韓国へ行ったことありますか? 僕行く度に思うんですが、韓国の人って、2時開演や!というても、2時から集まり出して、2時15分位にやっと揃うんですよ。食堂行っても、韓国には生ビールがないんで瓶ビール頼んで、「栓抜きちょうだい」っておばちゃんに言うても、黙って壁の方を指さすんですわ。つまり、壁に掛かってるのを自分で取って来い!ちゅうことで、使い終わったらまた指さして、今度は戻せ!という具合に、ええ加減なところがあります。でも、映画に関しては驚くほど緻密なんですよ~!

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『高地戦』のような映画は、ひと昔前までは描けなかった内容です。南北は善悪ではっきり分けられてましたが、今では友好的な物語が多くなっています。特にこの映画は、『JSA』の脚本を書いたパク・サンヨンが脚本を担当していますので、南北の兵士同士の友好的な光景がまたいいんです。主演のシン・ハギュンは、『JSA』にも出演していましたが、その時は26歳だったんですよね。いまでも情感込めたいい演技してますよね。コ・スもカッコイイし、ワニ中隊の若き大尉を演じたイ・ジェフンがまた良かったですね。仲間を守るため、この戦争を生き抜くため、非情の決断をするところなんかは泣けます。


この映画は、戦争を描いていますが、決して戦争を美化することはせず、戦争がいかにバカげているか、無駄に人の命を奪う愚かな行為であるかを痛切に描いています。停戦協定の調印とそれが実行される時間に12時間も差があるなんて、ひどい話です。やっと戦争が終わったと思ったのに、また12時間も戦うなんて……戦争がいかに無駄なことかを伝えることがこの映画のテーマなんでしょう。
 

ginpei-4.jpgとても迫力のある戦闘シーンですが、CGは殆ど使わず、俳優たちもマジで山を駆け上がったり格闘したりしていたらしいです。ひとつのシーンでも20回もリハーサルしていたというから、その撮影がいかに過酷なものだったかわかりますよね。戦闘シーンも凄いんですが、平和なシーンもこれがとても美しい! 韓国軍の兵士たちが小川で水浴びをするシーンなんて、印象的ですよね。『マイウェイ 12,000キロの真実』も見たんですが、奇跡的に再会したオダギリジョーとチャン・ドンゴンが海岸で一緒に走るシーンが綺麗でしたね~、僕あのシーンで泣いてしまいました。


日本も政治状況次第では戦争になる可能性がゼロではありません。平和な日本を持続させるためにも、このような映画が発するメッセージを真摯に受け止める必要があると思います。今日はどうもありがとうございました。



噺家らしく先ず会場をなごませ、韓国の国民性と映画製作の対称的な点を分かりやすく説明し、そして、作品の見所を一気に紹介するあたりは、さすがだ。当日のお客さんは、いい映画を見たあと、銀瓶さんの 楽しいお話も聴けて、本当にお得感のある映画鑑賞日だったことだろう。
                               
(河田 真喜子)

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『パラノーマル・アクティビティ4』舞台挨拶

(2012年11月1日(木)TOHOシネマズ梅田にて)

登壇者:島田玲奈(19)、近藤里奈(15)、木下百花(15)

(原題:Paranomal Activity 4)

(2012年 アメリカ 1時間23分)

撮影・監督:ヘンリー・ジュースト、アリエル・シュルマン

出演:ケイティ・フェザーストン

2012年11月1日(木・映画の日)~TOHOシネマズ六本木、TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条、西宮OS)ほか全国ロードショー

公式サイト⇒ http://www.paranormal.jp/

© 2012 Paramount Pictures. All Rights Reserved.


 

★成功するか!? NMB48メンバーにドッキリを仕掛ける!!★

paranomal4-2.jpg 「パラノーマル・アクティビティ」シリーズも今回で4作目となる。監視カメラによる超常現象と悪魔のような存在が平和な家族を恐怖に陥れる様子を延々見せこんでいくという作風でおなじみ。いつ、どこで、何が起こるか分からない、じっとスクリーンに目を凝らして見入るしかない、そして、最後に悪魔がもたらす恐怖を目撃する……

 カリフォルニアで消えたケイティと幼い男の子ハンターが、ネバダ州のヘンダーソン一家の前に現れる。その家のハンターと同じ年齢の男の子ワイエットに近付き、それを姉のアレックスが怪しみ、家中のホームビデオやパソコン内蔵のWEBカメラを作動させる。今回はアップの場面が多く、今回健闘する高校生のアレックスが可愛いので、つい彼女の表情に魅入られてします。

paranomal-s1.jpg 恐怖の『パラノーマル・アクティビティ4』の公開初日に、NMB48の3人の可愛いゲストに来てもらって、それぞれの恐怖体験を語ってもらおうというイベントが開催された。初日1回目の上映後現れた島田玲奈、近藤里奈、木下百花・・・だが、百花の様子がおかしい・・・実は、百花だけが当日映画を見たばかりで、恐怖のあまりかなりのショックを受けている様子・・・果たしてどうなることやら?

MC:『パラノーマル・アクティビティ1』からご覧のお客様は、5年後の『4』でさらにお話が大きくなって終わっているなぁと感じておられると思います。映画の余韻と共にこれからのイベントもお楽しみ下さい。
さあ、今日はNMB48から島田玲奈さん、近藤里奈さん、木下百花さんが来て下さいました。ホラー映画にこんな可愛い子たちが来てくれて、ごめんなさいね!って感じですが、それでは自己紹介をお願いします。

玲奈:はい、今日もおつかレナ~!明日も1日がんばレナー!みんなに幸せを伝えたい、大阪出身19歳、島田玲奈です!よろしくお願いします♪

里奈:ばっちリナー、がんばリナー、やったリナー、滋賀県出身高校1年生15歳、近藤里奈です!よろしくお願いします♪

百花:(急にスローテンポで)りんごかみかんかやっぱり“ももか~!”が好き、木下百花です。。。


paranomal-s4.jpgMC:百花さんが元気ないのには原因があるんですよね?

百花:今見たんですよ~!

MC:足で突っ張ってたんですって?

百花:スクリーンを足で遮ろうとしたんですよ。

MC:どういう遮り方ですか!?

百花:足で見えないようにして、手で耳を塞いでたんです。見る前に「ポップコーンこぼしたりして?」なんて言ってたんですが、ホンマにこぼすとは思いませんでした。二段階に渡って、ポン!ポン!って、凄かったです。


MC:ポップコーンがその辺に転がってるようですが、そんなに怖がって頂けたら、監督もとても喜ぶと思います。他のお二人は数日前に見て頂きましたが、如何でしたか?

paranomal-s3.jpg玲奈:ケイティが追っかけて来るんじゃないかなとか、家にTVカメラ付けたらどうなるんやろうとか、帰ってからも怖かったです。『1』~『3』も見たんですが、今度の『4』が一番リアリティがあって、核心に迫っていたように感じました。

里奈:真面目やな~(笑)。私は凄く怖かったけど、『5』に繋がるような終わり方で、監督が凄く巧いな~と思いました。

 

MC:ちょっと百花ちゃんには休んどいてもらって、今度は超常現象を体験した人は?

玲奈:2歳の時からずっとクマの人形がいるのですが、そのクマの人形が時々散歩にいくんですよ。ホントニ! 小さい時、いなくなったので外に探しに行ったら、雨の中ひとり座ってたんですよ。

百花:いらん、いらん、そういう話いらん!

玲奈:ホント、ホント!これはホントのことで・・・。

百花:歳なんちゃう?(笑)

玲奈:ホントだってば!歳のせいじゃないです。

paranomal-s2.jpg里奈:劇場で怖いことがあったんですが、それを話すと皆さんが劇場に来なくなるので違う話をします。母の友人で霊感が強い人がいて、よくハワイに行ってはホテルで、幽霊が来ると音が鳴って、「来たら分かるやろな!」と幽霊に喋り掛けては幽霊とケンカしてるという、それほど幽霊のことを分かりきっているらしいです。

MC:それは凄いですね~!映画に出てもらって、悪魔祓いとかしてもらったらどうでしょうか?(笑)百花さんは大丈夫ですか?

百花:はい、おばあちゃん家へ行った時メンバーの子と電話で話してたら、急に電気が消えて、誰も入れないようなぎゅうぎゅう詰めの物置の中からノックする音が聞こえたんですよ。私としてはポジティブに考えるしかなくて、ひいおばあちゃんが帰って来たんやな~と(笑)。

MC:ひいおばあちゃんが電気消して、帰って来たよって教えてくれたワケ?

百花:そう考えないとやっていけない!

 

MC:ケイティがキーワード的存在ですが、今までで怖かったキャラクターとかありますか?

玲奈:小さい頃から・・・(音声が消える)ええ~!?怖い~!(気を取り直して)小さい頃からよくお母さんに、「10時までに寝ないと包帯ぐるぐる巻きにしたリリーさんが追いかけてくるよ」と言われ続けていて、(また音声が消える)ホンマに怖い!!!

(次の瞬間、場内真っ暗となる)

百花:やめよう、やめよう、こんなんやめよう!

paranomal-s5.jpg(オフィシャルカメラマンのフラッシュで照らし出されるステージ・・・百花の横には何やら人影が・・・“ギャシャーン!!!”と大きな衝撃音と共に現れたケイティ。「きゃ~!!!ぎゃ~!!!」「ちょっと待って!?えっ何?キャ~!!!」と暗転の中、叫びながら逃げ惑う3人。特に、百花のうろたえ様はなく、ステージから転げ落ちるように床に伏せたかと思うと、全速力で客席後方へ飛んで行った。とても演技でやれるうろたえ方とは違い、心底怖がっていた。だが、その様子が可笑しくて、可笑しくて・・・百花はマジで腰抜かしていたようだ。)

 

MC:ごめんね~怖かったね~大丈夫? こちらはケイティです。ご挨拶に来ました。

paranomal-s7.jpg百花:バカ~!!!(と泣きじゃくる百花。場内大爆笑!)

MC:実は、みんな知ってたんです。

百花:うそ~!?なんなんこれ?

MC:作戦勝ちですね!(拍手)予想以上に驚いて下さったので、作戦大成功です!

 

(その後、ケイティを交えて、客席を背景にフォトセッション。)

paranomal-s6.jpg百花:ケイティ本物なん?
(腰が抜けたのか、真っ直ぐ立てない百花。他の2人は笑顔でポーズとっているのに、百花だけがいまだ恐怖が抜けきらない様子。)

 

玲奈:映画が大好きで、いつも客席の方から見ていたのですが、今日はこうして皆さんの前でお話ができて、そして、『パラノーマル・アクティビティ4』を皆さんと共有できて、本当に幸せです。真面目でごめんなさい(笑)。本日はどうもありがとうございました!

(拍手で送られながら退場する3人。)

(場内を去りながら)百花:次はホラーじゃなくて、もっとグロいスプラッターみたいな映画でお願いします(笑)。


あれほど怖がっていた百花ちゃんでしたが、去り際に残した捨てゼリフは懲りないものでした。最後まで天然の百花ちゃんに、観客もマスコミ陣も大爆笑のイベントとなりました。やっぱ、3人とも可愛い!!!

玲奈ちゃんと里奈ちゃんとは試写室で一緒に本作を見たのですが、ギャ~スカ騒ぐのかな?と思いきや、意外と大人しく、怖がってはいたが我慢している様子でした。マスコミ試写とあって、周りに遠慮していたのかな~? 明るく元気に挨拶をし、お行儀のいい映画鑑賞ぶりに、おばちゃんもファンになっちゃいそうでした。

 

ちなみに、ホラー苦手な筆者は、怖そうな場面にくるとメガネをはずして見ています。(もう見るな!と怒られそうですが…(汗))(河田 真喜子)

 

nobou-sss550.jpg東宝『のぼうの城』舞台挨拶
(2012年11月3日(土・祝)TOHOシネマズ梅田にて)
登壇者:野村萬斎、山口智充、上地雄輔

nobou-1.jpg(2011年 日本 2時間24分)
監督:犬童一心、樋口真嗣
脚本:和田竜 (小学館「のぼうの城」)  音楽:上野耕路
主題歌:エレファントカシマシ 「ズレてる方がいい」(ユニバーサル シグマ)
出演:野村萬斎 榮倉奈々 成宮寛貴 山口智充 上地雄輔 山田孝之 平 岳大 西村雅彦 平泉 成 夏八木勲 中原丈雄 鈴木保奈美  前田 吟 中尾明慶 尾野真千子 芦田愛菜/ 市村正親/佐藤浩市
2012年11月2日(金)全国超拡大ロードショー

公式サイトはコチラ

★大ヒット! 萬斎ら主演トリオに黄色い歓声★

nobou-sss3.jpg2日公開された東宝のスペクタクル時代劇「のぼうの城」(犬堂一心、樋口真嗣監督)が期待通り大ヒット・スタートし3日、上映中の大阪・TOHOシネマズ梅田で野村萬斎、山口智充、上地雄輔の主演トリオが舞台挨拶、満員のファンの歓声に応えた。
 映画は和田竜の脚本が“脚本家の登竜門”城戸賞を受賞、それをもとに書き下ろした小説が175万部のベストセラーになった。2万もの軍勢で押し寄せる豊臣軍に対し、ふだんは“でくのぼう”と農民たちから親しみを込めて呼ばれる北条軍の成田長親(野村)が、わずか500人の軍勢なのに「戦いまする」と宣言し無謀な戦いを挑む。のぼうの右腕の豪傑・和泉に山口、敵将・石田三成に上地というフレッシュなキャスティングも人気の要因。


nobou-sss1.jpg―――たった今、ニュースが飛び込んできました。「のぼうの城」が全国的に大ヒットです。
山口:40億円目指せるんじゃないか、って聞いた。

―――40億円は今年の日本映画のベストテンに入ることは確実です。
野村:今ご覧いただいた通り、のぼうの萬斎です。今日は来ていただいてありがとうございます。

―――今日は東京でも舞台挨拶があって、玉入れ合戦してきたと聞きました。どちらが勝ちました?
上地:(三成軍敗退も)人数が違いましたからねえ。これはどうしようもないですね。玉入れで人数が違ったらどうしようもないです(笑)。
山口:玉入れの話は今初めて聞きました。この数分、話がまったく分からなかった(笑い)。僕は大阪から出陣、関テレから歩いて来ました(笑)。

―――大阪はノリが違いますよね。
野村:本当にノリがいい。(客席に向って)面白かった人!(大歓声)泣いた人! (大歓声) 笑った人!(大歓声)
上地:萬斎さんが一番ノリがいいんですよ。
山口:いつもは萬斎さん、声低いんですけどね。この変わり身の早さは快感。撮影中、ずっと一緒だったし。

nobou-sss2.jpg―――山口さんは大阪のノリはよくご存じですね。
山口:ええ、大阪出身ですからね。ロケ先で大阪の人携帯で電話してる、と思ったら大きなパン持っていてびっくりした…。(観客に)嘘でしょうって言ってくださいよ(笑い)。
ロケでおばちゃんがやってきて「主役はどこ?」って聞くから「あっち」と言ったら「(僕を見て)ここにおるやん」ですからね(爆笑)。

―――大阪と言えば阪神ファンの上地さん、今年のドラフトは阪神が藤浪(晋太郎)投手(大阪桐蔭高)を当てました。
上地:和田監督、やってくれました。選手時代 から和田監督が好きだったんですが、どうして伝わったのか、和田監督からグローブもらいました。藤浪君のほかにも、2位に北條(史也)内野手(光星学院)ですからね。ホント、いいドラフトでした。

nobou-sss4.jpg―――萬斎さんは大阪はどうですか?
野村:「履物」ですね。新大阪で、坂道の途中に履物店があって、看板に「閉店セール」と書いてあったんですが、何度行っても“閉店セール”なんです。あれにはびっくりでしたね(笑い)。看板が新しくなっていたり…(笑い)。

―――最後に皆さん、ひとことお願いします。
上地:ちょっとでも何か感じるところがあったら、出来るだけ多くの人にこの映画のことを伝えてください。
山口:今は居ながらにして情報入る時代ですが、大スクリーンにこれだけの人に来てもらえることはすごいこと。生で見た方がいいぞと伝えて頂ければ。
野村:ホントにみなさん、今日はようこそ来ていただきました。時代劇は、今の若い人にはとっつきにくいものかもしれないけど、見ていただいたら面白いことが分かるので、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんお母さん、友だちにもこの映画の話を伝えてください。よろしくお願いします。
(安永 五郎)

 

ougon-s550.jpgougon-1.jpg『黄金を抱いて翔べ』舞台挨拶
(2012年11月1日 大阪中之島公会堂)
登壇者:井筒和幸監督、妻夫木聡
 

(2012年 日本 2時間09分)
監督:井筒和幸
出演:妻夫木聡、浅野忠信、桐谷健太、溝端淳平、チャンミン(東方神起)、西田敏行
2012年11月3日(土)~全国ロードショー
http://www.ougon-movie.jp/
© 2012「黄金を抱いて翔べ」製作委員会

~舞台となった中之島で、本物の黄金を手に緊張!~

ougon-2.jpg  大阪を舞台にした高村薫原作の映画「黄金を抱いて翔べ」(松竹、11月3日公開)の完成披露試写会が1日夜、大阪・中之島の中央公会堂で行われ、主演の妻夫木聡と井筒和幸監督が舞台あいさつ、約1000人のファンを前に絶妙トークで会場を沸かせた。
 原作は90年に発表され、日本推理サスペンス大賞を受賞した高村薫のデビュー作。大阪の町を舞台に、6人の男たちが銀行の地下に眠る240億円の金塊強奪を目論むクライム・サスペンス。井筒監督は受賞作を収録した「小説新潮」を長年持ち歩き、映画化を期していたという。
 長年の夢を果たした井筒監督と、念願の井筒組出演の夢がかなった妻夫木は夕暮れ迫る中之島へ豪華リムジンで乗り付け、レンガ造りの中央公会堂前の“ゴールドカーペット”を歩き壇上に上がる凝った演出で、待ち受けたファンの歓声に応えた。


ougon-s1.jpg妻夫木:今年のはじめごろ、この中之島辺りで撮影していたので、今日もまだ撮影が終わってないような気がした。
井筒監督:ようお越し。以上!(爆笑)。

―――監督は本は読んだら捨てる主義と聞いていますが、原作が収録された「小説新潮」はずっと持っていたそうですね。
井筒監督:そうやね。本は捨てるけど、これは持ってた。面白かったしカッコいい小説だった。当時は全然力及ばず、手の付けようがない、と思っていた。スケール感大きいし、お金もかかる。他の者に映像化されるのはイヤやけど、誰かがするやろなと思ってた。

ougon-s2.jpg―――初の井筒組で主演というのは?
妻夫木:井筒組は楽しかった。ずっと仕事したいと思っていて、念願だった。ハードボイルドやるという時に呼んでもらえてうれしかった。(井筒監督が)厳しいのは聞いていた。山田(洋次)組か井筒組かというぐらい。でも、井筒監督は愛情がある人なので…。人間が描かれていて、どんな小さな役でも見ていてくれる。その姿を見ていると、日本映画は楽しいと思えます。

―――妻夫木さんの起用は?
井筒監督:見事に合っている、から。彼はこの映画のために撮影の2か月前に大阪に潜入していた(笑)。 
妻夫木:2月前というとずいぶん早いように思いますが、12月から撮影開始の予定が延び延びになっただけなんです。おかげでそこらへんを歩いていました。吹田とか相川何かへも行きました。
井筒監督:(行きつけのレストラン)「明治軒」も教えた。けど、彼は役に入り込んでたようで行ってないみたい。
妻夫木:「5本くしセット」がうまい、聞いてましたが…。
 
ougon-s3.jpg――大阪・中之島の銀行が舞台なので、銀行へ視察に行ったとか?
井筒監督:行ってへん、行ってへん。そんなこと言われへんがな。

―――キャッチが『札束より欲しいもの、おまえにはあるか』なので、本日は1キログラムの金塊を用意しました(2人に手渡し)。
妻夫木:(落としかける格好で)見かけよりずっと重いですね。じゃこれで、今日はありがとうございました(笑)(金塊を持ったまま立ち去りかける)。
井筒監督:庶民が持てるもんやないなあ。1グラム4600円か。撮影当時はもっと安かった。社会がキナ臭くなればなるほど金は上がる。(妻夫木を見ながら)ホンマ色男やね(笑)。 

ougon-s4.jpg―――大阪では最初で最後の試写会。3万通を超える応募から選ばれたハッピーな皆さんに一言を。 
妻夫木:今日はありがとうございます。先日、私ももう1回見ましたが、本当にハラハラドキドキする。小さい頃に見ていたようなこういう映画は最近、本当に少ない。それが自分の出演映画というのが嬉しかった。1人1人の生き様に惚れてしまう映画です。格好いいの作ったねえ、井筒さん!って感謝したい。見どころはいっぱいあって、特に大阪の方は十分楽しんでもらえるでしょう。
井筒監督:僕もハラハラドキドキしました。この映画は男をダマすいい機会。(女性ファンの皆さん)ぜひ出来るだけ多くの友人にツイッターでも出しまくって下さい(笑)。

(安永 五郎)

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