
来日キャストスペシャルイベント開催
映画版と舞台版の一夜限りのコラボレーション
2500人の観客から「民衆の歌」大合唱プレゼント!!
イベント実施日:11月28日(水)
場所:東京国際フォーラム ホールA(東京都千代田区)
登壇者:ヒュー・ジャックマン、アン・ハサウェイ、アマンダ・セイフライド、トム・フーパー監督、キャメロン・マッキントッシュ(プロデューサー)、日本版「レ・ミゼラブル」舞台キャスト
★作品紹介⇒ こちら
ミュージカル界の金字塔とも評される「レ・ミゼラブル」が、12/21(金)の公開に先立ち、映画版と舞台版のコラボレーションという一夜限りのスペシャルイベントが実現。第一部は生オーケストラ演奏のもと舞台版キャストの歌唱パフォーマンスイベント、第二部に来日キャスト、スタッフ陣が登壇。当日朝到着したばかりの特別映像の上映や登壇ゲストのユーモア溢れるトークに会場は大いに沸きあがった。フィナーレは2500人による「民衆の歌」の大合唱が来日ゲストにプレゼントされた。その舞台挨拶と質疑応答の内容をご紹介したい。
◆舞台挨拶内容
MC:一言ずつご挨拶をお願いします。
トム・フーパー監督:みなさん、こんばんは。この場にいられて本当にうれしいです。実はこの映画の完成は先週の木曜日でした。最初にこの作品を携えて訪れた国が日本で大変うれしく思っております。
アン・ハサウェイ:日本のみなさんに温かい歓迎を受け、本当にうれしい気持ちでいっぱいです。大変素敵なパフォーマンスを見せてくれた日本版舞台キャストのみなさんも本当にありがとう!
ヒュー・ジャックマン:アリガトウ!コンバンハ!ワタシはニホンにこれてホントウにウレシイです(ここまで日本語)。日本は本当に大好きです! 何度も日本を訪れていますが、この映画を携えての来日は特別なものです。この映画を可能にしてくれたトム・フーパー監督、キャメロン・マッキントッシュ、そしてこの会場に足を運んでくれたみなさま、ありがとう!
日本舞台版キャストも素晴らしい!(日本語で)アリガトウゴザイマシタ!
アマンダ・セイフライド: (ヒューみたいに)日本語が話せません(笑)。人生でいちばんエキサイティングな瞬間を迎えています!素晴らしいキャスト・スタッフとともにこの傑作をお披露目、PRできるからです。夢を叶えてくれたここにいるメンバーにも感謝の気持ちでいっぱいです! クールな日本にも来られて本当にうれしいです。
キャメロン・マッキントッシュ:この中で一人だけ歳とっています(笑)。25年前の舞台初演から今まで長きに渡って、この作品が日本でこんなに受け入れてもらえるとは夢にも思っていませんでした!さらにこの映画をたずさえてこの場にたてるなんて、プロデューサー冥利に尽きます。
ヒュー:文学的にも舞台としても優れている作品に参加することができて、監督、キャメロン、そしてヴィクトル・ユゴーなど、すべての方に感謝をしています。私は実際、撮影現場に現れるだけで、監督がすべてのキャストを生かしてくれました。今の映像は自分で観るには辛いものがあるのですが、撮影したあとにこのシーンを観た私の妻が、私だと気づいてくれないぐらいでした(笑)。私にとってジャン・バルジャンという役は本当にまれな役だと思っています。マッキントッシュが27年かけて映画化してくださったことに感謝しています。なぜなら、この作品が生まれたとき、私はまだ3歳だった…いや、サバ読みすぎましたね(笑)。実際は18歳ぐらいでした。
アン:最初の映像、ヒューの素晴らしさに目が行ってしまって…。今の映像では工場で働いている女性がたくさん出てきていましたがとても素晴らしく、ファンテーヌをいちばん追い出そうとしている女性はロンドンのウエストエンドで大変有名な舞台女優さんでいらっしゃいます。この中に参加できたことは、本当に信じがたい思いです!ファンテーヌは本当に辛い、惨めな目にあいます。ファンテーヌの痛みというのも娘コゼットのために強いられるものであってそこに演じる苦労はありました。楽しかったという言葉は演じていて合わないけれど、毎日ヒューという素晴らしい俳優と共演できて現場はとても楽しいものでした。
アマンダ:この映像を観ながら、撮影がどんなに楽しかったか、その思い出ばかりが頭に浮かんできます。ここにいる監督、マッキントッシュに心より感謝しています。このミュージカルは11歳のときから大好きで大ファンで、自分が演じることは本当に夢でした。最初に撮影したのがアンと唯一いっしょに撮ったシーンで、そこで彼女が優しさを表現してくれてアン演じるファンテーヌから生まれた、私が演じるコゼットという女の子がどういう子なのかを示してくれたと思います。そういう意味で、本当にやりやすいスタートでした。
監督:キャメロンやキャストたちといっしょにここに座っていられることを本当にエキサイティングに思っています!私の旅は、本当に長い旅でした。先週の木曜日にやっとこの映画が完成しまして、みなさんにこうして観ていただくことができました。すべてライブで歌っているのですが、この「ライブで歌をやりたい!」という夢を叶えてくれたのが、今ここにいるキャストのみなさんです。舞台体験そのままに歌で演じることを、しかもクローズアップでできる素晴らしい才能を持ったキャストがいなければ実現しなかったことです。この高いレベルだからこそ、みなさんを素晴らしい旅に連れ出せるのだと信じています。
マッキントッシュ:25年前にブロードウェイ初演があり、その2ヶ月後に東京でも初上演いたしました。実はそのときに映画化のプランがありました。しかし、私が信じているのは「運命」というものが最高のプロデューサーだということです。当時は作ってはいけない時期だったんだと思います。というのも、25年前にはまだ生まれていなかったキャストもいますし、トム・フーパー監督もまだ中学生ぐらいでした。今が作られるべき時だったんですね。このパーフェクトなキャストが観られるのも今だからこそなんです!私、これがはじめての映画なので、「グリーンライト」という言葉を学びました。「ゴーサインが出る」という意味なんですが、25年前にこれが出ていても素晴らしいキャストが揃わなかったと思うんですね。40年間、ミュージカル界に身を置いておりますが、最高に誇れる映画ができました。ここにいるキャストも、他のアンサンブルもそうですが、ほとんどがミュージカルの経験があり、トムが描いたビジョンを反映し、すばらしい映画作品に作りあげてくれました。18ヶ月前、監督とNYでミーティングをしたとき、私は3分の1はセリフで3分の2は歌という構成の映画ができると思っていたんですが、監督はミュージカルの台本を持ち出してきてそれを一旦バラバラにして、そして再構築しましょうと言ってくれました。ほとんど歌のままの形に、彼の提案でなったわけです!これは奇跡のようなことで私は本当にこの映画を誇りに思っています。このように、トムというすばらしい人と出会えたことも私の人生の中でもっともハイライトなことになりました。ここにいるみなさんもそうですが、『レ・ミゼラブル』を支えてくださった世界中のファンがいてくださったからこそこの映画が出来ました。本当にありがとう!
◆質疑応答内容
Q:生で歌を収録したことについて。
ヒュー:困難よりも良さのほうが上回っていました。生で歌えたことは、言ってみれば毎日生の舞台に立ってオープニングナイト(初日)を迎えているような気分でした。帰って就寝するときには、きっとこの歌を歌うことは二度とないんだろうという特別な思いで、いつも撮影に臨めました。オープニングナイトだけでなく千秋楽とも感じられ、よりよく自由に演じることができました。生で歌うことを可能にするためにリハーサルも2ヶ月以上十分にとってあり、素材を熟知することもできました。大変なこともありました。午前8時から夜8時まで歌い続けたり、マイナス2度の山の上で歌わないといけないときもありましたが、常に、この映画を実現してくださった監督に大変感謝しています。
Q:なぜそんなに歌が上手なんですか?秘密があったら教えてください。
アン:ありがとう!歌うというのは母に教わったものでもあります。とても美しい声を持っている母は実は『レ・ミゼラブル』アメリカの最初のナショナルツアーで、アンダースタディでファンテーヌを演じたこともあるんです。ですから、歌うことは自己表現のひとつとして思っていましたし、小さいころから大好きでした。ボイストレーニングは10年ほど続けていて、それだけに今回『レ・ミゼラブル』で歌う機会をいただけたことは自分は何年間も予習をしてきたんだなという思いがしました。こういう作品に出るときは朝起きて寝るまで歌のレッスンは必要ですし、同時にスタミナもつけないといけないですね。
アマンダ: 『アニー』のオーディションを受けるために歌の勉強をはじめまして、11歳?17歳まで歌のレッスンを続けてきました。俳優業が忙しくなったこともあり途中でやめてしまいましたが、『マンマ・ミーア!』でまた始めました。そのときはABBAの曲を楽しんで歌ったという記憶があります。本格的に歌のレッスンを再開したのは、この映画のオーディションのためですね。私にとって歌は一生の趣味であり、歌い続けていきたいです。
ヒュー:20年前、もともと私は舞台俳優として仕事をはじめました。演劇学校を出たばかりだったんですが、『美女と野獣』のオーディションを受け、“STARS”を歌いました。そのときに「間違っても君はその舞台に出ることはないだろう」と言われました(笑)。そのあと歌のコーチをつけたほうがいいと言われ、マーティン・フロストという方を紹介されました。彼の歌があまりにも素晴らしかったので、彼の歌い方を5年ほど真似していました(笑)。今はアンと同じボイスレッスンを受けていて、長いこと歌の訓練は続けています。
マッキントッシュ:今のヒューの言葉に付け加えさせていただくと、『レ・ミゼラブル』シドニー公演の際に、ヒューは雇わなかったのですが、歌のコーチのマーティン・フロストは雇いました(笑)。
※アンが記者にマイクを渡すという、優しいハプニング!
Q:配役の決め手は?
監督:私のジャン・バルジャンの候補リストはとても短くて、一人しか名前が挙がっていませんでした。それはヒュー・ジャックマンでした。(会場より大拍手)もしヒューがいなかったら、今この時期にこの映画を作らなかったと思います。(さらに大拍手)映画スターで歌えて演技がきちんと出来る人、ジャン・バルジャンの思いやり、精神性を持っていて 人格者で…この人を置いてバルジャンは考えられないと思います。ヒューのオーディションをしたのが、去年の5月でNYでした。そのときは本当にエキサイティングでした。彼が自然にパワフルに歌っているのを聞いて、この映画の方向性を決めました。歌うことによって新しいヒュー・ジャックマン像を皆さんにご覧いただけると思っています。
アンもNYでオーディションをしました。ファンテーヌはありとあらゆる映画スターが欲していた役です。“I Dreamed a Dream”を歌ってくださったとき、吹っ飛びました! この役は彼女しかいないと思いました。彼女が見せてくれたのは、歌でファンテーヌを表現すること。物語を語れる女優さんです!コゼットには世界一美しい映画スターを探したいと思って、ここにお座りでございます(笑)。(ここでアンとヒューから「なんだって?(笑)」とツッコミ)いや、最も美しいブロンドの映画スターでした(苦笑)。真面目な話をすると、アマンダはコゼットに必要なものをすべて持っていました。明確な強さを秘め、強靭な知性を持っていて、加えて母性というものがこの役には必要でした。そして彼女は天使の声をお持ちです!
Q.役が決まったとき、どう思われましたか?
アマンダ:興奮しました。心待ちにしていたお返事がいただけたのはクリスマスの3日前でした。最高のクリスマスプレゼントでした!
ヒュー:スバラシイ!
アン:ここで監督のことを褒めちぎろうと思っていたんですが、さきほど最高に美しい映画スターをアマンダとおっしゃいましたので、もう私にとっては知らない人だわ(笑)。いつもは役をいただいたときは喜びでいっぱいで駆け回りたいぐらいなんですが、この役は違ったんです。自分の夢が叶ったという思いが強すぎて、そういう表現をすることもできなかったのです。人生において本当に重要なことが起こったとき、私は静かに心に触れる、心に染み込んでくるみたいです。時間が流れて今日になっても役が決まったときの喜びが続いています!本当に自分はなんて幸運なんだろう、人生は捨てたものではないという思いです。
※2500人の観客から来日ゲストに向けて「民衆の歌」の合唱プレゼント。
MC:それでは最後に日本の皆さんにメッセージをお願いします。
ヒュー:アリガトウゴザイマス!スバラシイ!(日本語)ここにいる来日ゲストを代表して、日本のみなさんにお礼を申し上げます。
日本でとても愛されている『レ・ミゼラブル』という作品を、私たちが映画としてお届けするというのも意義があるものだと思っています。
みなさんと共有できることをうれしく思います。日本にまた来ることができてうれしいです。(日本語で)スバラシイ!
最後はサプライズとして、客席側の中通路を通ってファンサービスをしながら5人が退場!
2500人の観客と200にもおよぶマスコミが集まった会場の熱気は最高潮に達しました。
『レ・ミゼラブル』
■監督:トム・フーパー
■作:アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク
■原作:ヴィクトル・ユゴー
■脚本:ウィリアム・ニコルソン、アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク、ハーバート、クレッツマー
■作詞:ハーバート・クレッツマー
■作曲:クロード=ミッシェル・シェーンベルク
■製作: キャメロン・マッキントッシュ
■出演:ヒュー・ジャックマン/ラッセル・クロウ/アン・ハサウェイ/アマンダ・セイフライド/エディ・レッドメイン/サシャ・バロン・コーエン/ヘレナ・ボナム=カーター
12月21日(金)~ 全国ロードショー
★作品紹介⇒ こちら
★公式サイト⇒http://www.lesmiserables-movie.jp/
配給:東宝東和
『ミロクローゼ』石橋義正監督インタビュー


━━『ミロクローゼ』は今の日本映画に風穴を空けるような衝撃がある作品でしたが、石橋監督ご自身が今の日本映画に感じることは?
『プッチーニに挑む』飯塚俊男監督&岡村喬生(たかお)氏インタビュー
――― 岡村氏の留学時代について?
――― イタリアへ行ってからも大変だったのでは?
ベテランサギ師タケ(阿部寛)の元に、しがないおっさんテツ(村上ショージ)が弟子入りする。いろんな所でサギを働いては生計を立てるふたり。ある日、可愛い女の子がスリに失敗し捕まりそうになるところを助ける。それ以来、女の子とその姉と姉の恋人の3人がタケを頼ってやってくる。こうして始まった5人での共同生活は、忘れていた家族団らんのひと時を思い出させる。だが、タケが過去にしでかしたヤバい連中との因縁が、次第に彼らの平穏な生活を脅かしていく。そこで、5人のサギ(カラス)師は、過去を断ち切り未来へ進むために、一世一代の大勝負を仕掛ける!
――― 原作については?
――― 現場でのエピソードは?
『フタバから遠く離れて』舩橋淳監督インタビュー
―――原発事故に焦点を絞ったのが独自の視点。


―――この映画は日本だけでなく、世界にアピールする。
『おだやかな日常』杉野希妃記者会見、インタビュー
(2012年 日本=アメリカ 1時間42分)
━━━内田監督の前作『ふゆの獣』は脚本は特になく、設定だけ決めておいて、出演者がその状況下アドリブで、どういう台詞を言うか、役者の自由に任せた撮り方をしていましたが、今回はどういう撮り方をしたのですか。
━━━園子温監督の『希望の国』と比べると、『おだやかな日常』は希望に満ちた終わり方をしていますが、エンディングを作るに当たってどのようなディスカッションをされたのでしょうか?
━━━杉野さん演じるサエコが娘を守る孤独な闘いを見て、愛する人を守るのが本当に難しい世の中になってしまったことを実感しましたが、どうやって役作りをされたのでしょうか。
━━━今回初共演となったユカコ役の篠原友希子さんの追いつめられていく心理を体現した演技も印象的でした。杉野さんと一緒になるシーンは少なかったですが、共演されていかがでしたか?
『スケッチ・オブ・ミャーク』大西功一監督インタビュー
(2011年 日本 1時間44分)
━━━本作にも出演し、監修を務めているミュージシャン久保田麻琴さんとの出会いや、本作を撮ることになった経緯をお聞かせください。
━━━宮古の古謡はバリエーションも豊富で、独特の節回しが印象的ですが、実際取材されてこれらの音楽をどう感じましたか?
━━━長きにわたって続いていく伝統がある一方で、それらが消えてゆく現実も映り込んでいましたね。
≪構成≫(1~4が前半、5~7が後半)
Q:稽古中、平田さんはパソコンで脚本をみながら、俳優たちのセリフを音として聞いていますよね。お芝居も見るというより、聞いている感じがします。俳優が、同じ場面の稽古を何十回と繰り返させられて、セリフの間や高さ、強さを正確に再現できるのは驚きました。
Q:現代社会との照らし合わせとか、今までの演劇を題材にした映画とは一味違い、想田監督ならではの視点だと思いました。
『演劇1』『演劇2』想田和弘監督インタビュー~前半~
台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践し、『選挙』、『精神』、『Peace』と、独自の視点で社会に焦点を当てた作品をつくり続けてきた想田和弘監督。1995年に岸田國士戯曲賞を受賞し、日本を代表する劇作家・演出家の平田オリザと、彼が主宰する劇団・青年団に取材し、300時間以上の映像素材と4年の歳月を経て、長編演劇ドキュメンタリー2部作を完成させました。
Q:青年団のことは、いつ頃知ったのですか?
Q:平田さんの演出光景をみて、一番印象的だったことは?
笑福亭銀瓶さん、『高地戦』の見どころを語る
【笑福亭銀瓶(落語家)プロフィール】
1950年6月25日から3年1か月も続いた朝鮮戦争。いまだに社会主義国家の北朝鮮と民主主義国家の韓国の南北に分断された国家は、世界でもここだけだ。その朝鮮戦争の終結間際の、高地での戦いを描いたのが『高地戦』である。山を占拠するため日々一進一退を繰り返し、その山肌は死体で埋め尽くされ、熾烈を極めていた。「何のために戦っているのか?」……双方の兵士がその疑問を抱きつつも、ようやく訪れた停戦協定の日。やっと、やっと戦争が終わった!生き延びられた!と喜んだのも束の間、協定が実行されるのは12時間後だという。最後まで戦い抜いた時点で境界線が決まる。そのために、どれ程の人命が失われたのだろう。弾丸の飛び交う戦地と、作戦本部との大きな温度差。
戦争がもたらす悲劇は、今までも『太白山脈』『ブラザーフット』『トンマッコルへようこそ』など様々な形の映画で表現されてきたが、本作は、南北の戦士たちの人間性を浮き彫りにすることによって、戦争の空しさ、愚かさ、非情さを、心に染み入るように訴えかけている。戦闘シーンだけではなく、人間性に焦点を当てた描写が特徴的。
僕、この頃映画見たら眠たくなるんですけど、この『高地戦』だけは全然眠くなかったですわ! 僕、朝4時半に起きてましてね…別に新聞配達してるワケやないですよ!(笑)ラジオ大阪で「笑福亭銀瓶のぎんぎんワイド」という番組をやってるんですけど…聴いてる人?…いやメッチャ少ない! 朝7時~9時の生放送なんです。その後映画館へ行ったりしてるんですが、予告編始まって館内が暗くなり本編始まる頃には、もうぐ~っと眠たくなるんですよ。でも、この映画は午後1時から試写室で見せてもらったんですが、いつもなら眠くなるところを、最後まで集中して見れました。
とても迫力のある戦闘シーンですが、CGは殆ど使わず、俳優たちもマジで山を駆け上がったり格闘したりしていたらしいです。ひとつのシーンでも20回もリハーサルしていたというから、その撮影がいかに過酷なものだったかわかりますよね。戦闘シーンも凄いんですが、平和なシーンもこれがとても美しい! 韓国軍の兵士たちが小川で水浴びをするシーンなんて、印象的ですよね。『マイウェイ 12,000キロの真実』も見たんですが、奇跡的に再会したオダギリジョーとチャン・ドンゴンが海岸で一緒に走るシーンが綺麗でしたね~、僕あのシーンで泣いてしまいました。
「パラノーマル・アクティビティ」シリーズも今回で4作目となる。監視カメラによる超常現象と悪魔のような存在が平和な家族を恐怖に陥れる様子を延々見せこんでいくという作風でおなじみ。いつ、どこで、何が起こるか分からない、じっとスクリーンに目を凝らして見入るしかない、そして、最後に悪魔がもたらす恐怖を目撃する……
恐怖の『パラノーマル・アクティビティ4』の公開初日に、NMB48の3人の可愛いゲストに来てもらって、それぞれの恐怖体験を語ってもらおうというイベントが開催された。初日1回目の上映後現れた島田玲奈、近藤里奈、木下百花・・・だが、百花の様子がおかしい・・・実は、百花だけが当日映画を見たばかりで、恐怖のあまりかなりのショックを受けている様子・・・果たしてどうなることやら?


(オフィシャルカメラマンのフラッシュで照らし出されるステージ・・・百花の横には何やら人影が・・・“ギャシャーン!!!”と大きな衝撃音と共に現れたケイティ。「きゃ~!!!ぎゃ~!!!」「ちょっと待って!?えっ何?キャ~!!!」と暗転の中、叫びながら逃げ惑う3人。特に、百花のうろたえ様はなく、ステージから転げ落ちるように床に伏せたかと思うと、全速力で客席後方へ飛んで行った。とても演技でやれるうろたえ方とは違い、心底怖がっていた。だが、その様子が可笑しくて、可笑しくて・・・百花はマジで腰抜かしていたようだ。)
百花:
百花:
東宝『のぼうの城』舞台挨拶
(2011年 日本 2時間24分)
2日公開された東宝のスペクタクル時代劇「のぼうの城」(犬堂一心、樋口真嗣監督)が期待通り大ヒット・スタートし3日、上映中の大阪・TOHOシネマズ梅田で野村萬斎、山口智充、上地雄輔の主演トリオが舞台挨拶、満員のファンの歓声に応えた。
―――たった今、ニュースが飛び込んできました。「のぼうの城」が全国的に大ヒットです。
―――萬斎さんは大阪はどうですか?
『黄金を抱いて翔べ』舞台挨拶
大阪を舞台にした高村薫原作の映画「黄金を抱いて翔べ」(松竹、11月3日公開)の完成披露試写会が1日夜、大阪・中之島の中央公会堂で行われ、主演の妻夫木聡と井筒和幸監督が舞台あいさつ、約1000人のファンを前に絶妙トークで会場を沸かせた。
妻夫木:
――大阪・中之島の銀行が舞台なので、銀行へ視察に行ったとか?
―――大阪では最初で最後の試写会。3万通を超える応募から選ばれたハッピーな皆さんに一言を。

