レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

インタビューの最近の記事

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上の写真、前列左から、
①眞田 康平(さなだ こうへい)   (34)  『サヨナラ家族』 
②板橋 基之(いたばし もとゆき)  (42)  『くもろ ときどき 晴れ』
③川上 信也(かわかみ しんや)   (42)  『最後の審判』

後列左から、
④山元  環(やまもと かん)        (25) 『うちうちの面達(つらたち)は。』
⑤岡本 未樹子(おかもと みきこ)(36) 『はずれ家族のサーヤ』


【5本まとめて大阪での上映会のお知らせ】

■日時: 3月16日(土)~3月21日(木・祝) 連日:18:00~
■劇場:シネ・リーブル梅田
■入場料金:(5本まとめて)一般¥1,200円、学生・シニア¥1,000円 *全席指定

◆3月16日(土)/ndjc2018参加監督5人による初日舞台挨拶予定
詳細はこちらをご覧ください⇒ 
一般上映会2018
※登壇者は変更になる場合がございます。あらかじめご了承ください。

(2018年/カラー/スコープサイズ/©2018 VIPO)
★公式サイト⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/



《ndjc:若手映画作家育成プロジェクト》とは? 


次世代を担う長編映画監督の発掘と育成を目的とした《ndjc:若手映画作家育成プロジェクト》は、文化庁からNPO法人 映像産業振興機構(略称:VIPO)が委託を受けて2006年からスタート。今回も、学校や映画祭や映像関連団体などから推薦された中から5人の監督が厳選され、最終課題である35ミリフィルムでの短編映画(約30分)に挑戦。日本映画の行く末を担う新たな才能を発掘する企画である


このプロジェクトからは、『湯を沸かすほどの熱い愛』で数々の賞に輝いた中野量太監督や、『トイレのピエタ』の松永大司監督、『ちょき』の金井純一監督、『話す犬を、放す』の熊谷まどか監督、さらに『嘘を愛する女』の中江和仁監督や、『パパはわるものチャンピオン』の藤村享平監督、『花は咲く』『ANIMAを撃て!』などオリジナル脚本で活躍中の堀江貴大監督などを輩出している。


今回もオリジナル脚本で挑んだ5人の監督作品が一挙に上映されることになり、公開を前に5人の監督の映画製作への意気込みをきいてみました。以下は、それぞれの作品紹介と会見でのコメントを紹介しています。

 


★①『サヨナラ家族』

(2019年/カラー/スコープサイズ/30分/©2019 VIPO)
〇監督:眞田 康平(SANADA KOHEI)

作家推薦:東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻
制作プロダクション:スタジオブルー
出演:石田法嗣、根岸季衣、村田唯、土居志央梨、佐野和宏、斎藤洋介

【作品紹介】
ndjc2018-saraba.jpgあらすじ:洋平は、一年前に目の前で突然死んでしまった父の死をいまだに受け止められずにいる。時折、目の前の人物が別の場面で別行動をとるという不思議な現象が見える。妊娠中の妻を残して一周忌のため帰省するが、実家の母と妹は意外なほど冷静に父の死を受け止めていた。それが洋平にはどうしても納得できない。困惑する洋平の前に、またもや不思議な現象が見え始める。


〇感想:洋平が見る不思議な現象とは、現実を受け止められない心の乖離が生む幻影なのか。分裂気味の洋平に対し、母親を演じた根岸季衣のチャキチャキぶりが陰影を際立たせて印象深い。ワンカットで捉えた違う場面の映像も面白い。死を受け入れられない思いは、亡くなった人との関係性にもよるだろうが、亡くなり方の衝撃にもよるだろう。見る者も自らの思い出と重ねて共感することができる。最後には失った命と新たな命の誕生との対比が希望を感じさせ、繊細な作風が印象的。

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【監督コメント】
3年前に父を亡くした実体験に基づいている。母と弟はそれぞれ父の死を受け止めているのに、自分はどうだろう?冷静な自分とそうでない自分、自分の中に二人の自分が存在し、ふとした瞬間に別な自分が見える。父が亡くなった時、自分の半身も死んでしまったような喪失感があった。その感覚を大事にしたいと思って、映画に活かした。怖がらせる映画ではないので、同一空間に人物が見えるよう合成とボディダブルの手法を使って撮った。

今までCMを作ってきて、クライアントの要望を重視するが、映画は自分の描く方向性にこだわって作れる。プロデューサーからうまく折り合いをつけることも重要だと言われることもあるが、映画をやる以上は自分の考えを責任をもって通したいと思う。


◎眞田康平監督の作品の詳細はコチラ ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4251/
 


★②『くもり ときどき 晴れ』

(2019年/カラー/ビスタサイズ/30分/©2019 VIPO)
〇監督:板橋 基之(ITABASHI MOTOYUKI)

作家推薦:ショートショートフィルムフェスティバル&アジア
制作プロダクション:ブースタープロジェクト
出演:MEGUMI、浅田美代子、水橋研二、有福正志


【作品紹介】       
ndjc2018-kumori.jpgあらすじ:母親と暮らすキャリアウーマンの晴子の元に一通の手紙が届く。それは25年前に両親が離婚して以来消息不明となっている父親の生活保護扶養照会だった。兄の元にも同じ通知が届いていたが、父親に可愛がられていた晴子が動かざるを得なくなる。そして、25年ぶりに入院中の父親に会いに行くと、認知症もあって娘という認識もできないような状態になっていた。それでも晴子は家族の中で一人父親のことを思い揺れ動く。


〇感想:仕事もよくできるしっかり者の晴子だが、いつも浅田美代子演じる母親に「家に帰って美味しいものでも食べよう!」と励まされるところが可愛い。外で様々な目に遭っても、食卓にはいつも美味しい食事が用意されている、なんて幸せなことだろう。だからこそ、晴子は「設計図通りに」生きられなかった不器用な性格の父親を見捨てられなかったのだろう。面倒くさいけど、家族の絆はそう簡単には断ち切れないもの。「街を歩いているとね、お父さんに似た人を見ちゃうの。どうか元気でいて下さいって、なんか思っちゃうの。」という晴子の言葉に思わず胸が熱くなった。晴子の優しさが滲むセリフだ。


ndjc2018-itabashi-240.jpg【監督コメント】
晴子も母も兄も、それぞれの考えがあって生きている。どんな家族でも形は様々で、家族の中のズレ感を描きたかった。家族だからこそ感じるやるせなさを描きたかった。和風の顔のイメージを希望していたらMEGUMIさんを推薦され、先に主人公から決まっていった。今までの尖った役とは違い、優しい雰囲気の役を演じてもらって新鮮だった。

僕にとって映画は精神安定剤。TVドラマとかはいろんな規制が多く、思うように撮れないので、映画は撮影していてとても楽しい。もっと短編映画にも注目してもらって、ジャンルとして確立してほしい。


◎板橋基之監督の作品の詳細はコチラ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4257/
 


 ★③『最後の審判』

(2019年/カラー/ビスタサイズ/29分/©2019 VIPO)
〇監督:川上 信也(KAWAKAMI SHINYA)

作家推薦:シナリオ・センター
制作プロダクション:ジャンゴフィルム
出演:須藤蓮、永瀬未留、黒沢あすか、荒谷清水

【作品紹介】
ndjc2018-saigono.jpgあらすじ:“画家”を目指して東京美術大学の受験に挑んで5年目となる稲葉は、既に大学4回生の弟やバイト先のおじさんに「いい加減諦めろ!」と言われながらも、どこか芸術家気取りの自意識過剰なところがある。今年で最後の挑戦と決めていたが、試験会場に遅れて入って来た初音の大胆な画力に圧倒され、自分のペースを狂わされてしまう。初音の非凡さに興味を持った稲葉はその秘訣を探ろうと、初音と共に商店街で似顔絵描きに挑戦。生きた人々を活写する初めての体験に、次第に描くことの楽しさを感じていく…。


〇感想:誰しも自分自身のことは見えないものだ。他人に嫌味を言われても気付けず、自分の傲慢さにも気付かない。そんな主人公に降りかかる真実の矢は、見ているこちらにもグサグサと突き刺さる。川上監督自身の経験を反映しているようだが、決して他人ごとではない。自分の真の姿(才能)を知った時の愕然たる思いや、求める何かの手応えを感じた時の歓びは、ラストの爽快感へとつながっていく。人間の本質を捉えようとする川上監督の人物描写は、自虐的であると同時に、虚飾が剥がれ落ちた後の真実を表現しているように思える。近年の日本映画に欠ける鋭利な作品を作っていってほしいものだ。


ndjc2018-kawakami-240.jpg【監督コメント】
自分の人生を基にエンタテイメントにまとめている。皆が受験や入社試験などで上手くいかなくて挫折した経験や、美大受験というあまり見たことがない世界の特殊性が合わさった時に面白くなるのでは思った。天才にもいろいろあると思うが、それに対する憧れや嫉妬心を、主人公の目線で語らせ、引いては見ている人の目線と重なるようにした。主人公が天才的な少女と出会って描くことの楽しさを感じるようになって、傲慢な心が氷解していく。「素直にものを伝えることが一番素晴らしく大事なこと」だと思ったことをベースにして映画を撮った。

今までCMなどのビジュアル製作に関わってきたが、小学校の頃から映画は作りたいと思ってきたので、このような機会に恵まれて嬉しい。映画は製作の流儀が違う。いろんな人にお金を払って観て頂くための作品でもあり商品でもある。映画は混じりっ気のない本物だと思う。重要な主人公二人はオーディションで選んだ。俳優が持つキャラクターを活かすようにした。

『未知との遭遇』を小学校の頃に観て、家族や人間がとても丁寧に描かれていて、そこにスペクタクルな要素を盛り込んでエンタテインメントとして完成している。どんな作品にも人を描くことの重要性を感じた。

◎川上信也監督の作品の詳細はコチラ ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4253/
 


★④『うちうちの(つら)(たち)は。』

(2019年/カラー/ビスタサイズ/28分/©2019 VIPO)
〇監督:山元 環(YAMAMOTO KAN)

作家推薦:PFF
作プロダクション:シネムーブ
出演:田中奏生、田口浩正、濱田マリ、小川未祐、山元駿


【作品紹介】
ndjc2018-uchiuchino.jpgあらすじ:二週間前、ママは夫婦喧嘩が原因で姿を消してしまった。ところが、家の屋根裏部屋に潜んで、家族が出かけると天井からトイレに降り立ち家事をこなしている。そのことを知っているのは13歳の浩次朗だけ。一番早く帰ってきてはママと過ごす日々を送っていた。ある日姉の志保が家庭教師を連れてきて危ない目に遭いそうになるが、ママの機転で撃退してしまう。また、ママのことを探そうともしないパパは仕事にばかり熱中。一体いつまでママの“かくれんぼ作戦”は続くのだろうか…。


〇感想:祖父が建てたという家が大きなモチーフになっている。同じ家の中に隠れ住んでいても気付かない存在。そう、関心を持っていなければ気付かないことは多い。バラバラだった家族が、ママの失踪と家の中の異変で次第に共鳴していく過程が面白い。書斎のように広くて明るいトイレやインテリアなど各所でセンスの良さが光る。テンポのいいワンシチュエーション・コメディも、強烈な個性の濱田マリの牽引力が活かされている。


ndjc2018-yamamoto-240.jpg【監督コメント】
家族の形態や普遍的な営みはそれぞれ違うと思うので、家族の細かい人間性をテーマにした。家というくくりで、カメラは一歩も外に出ず、家の中で生活する家族の在り方を面白く撮ってみたかった。家の中のイメージを美術監督の方に伝えただけで、あとはデザインして作ってもらった。暖かく見えるようなウッディな色彩を多用した。(本作にも出演している山本駿は監督の双子の兄弟。『帝一の圀』には兄弟で出演したという)。

映画は自由度が高いように思う。表現の幅が広い。人を撮っていくのに没入できる。映画の娯楽的要素は意識的には違うところにあるように思う。

『鎌田行進曲』が面白すぎて、深作欣二監督の他の作品も観てみたのですが、どの作品にもエンタメ性を必ず盛り込んだ作風は唯一無二だなと思った。

◎山本環監督の作品の詳細はコチラ ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4249/
 


★⑤『はずれ家族のサーヤ』

(2019年/カラー/ビスタサイズ/30分/©2019 VIPO)
〇監督:岡本 未樹子(OKAMOTO MIKIKO)

作家推薦:大阪芸術大学映像学科
制作プロダクション:テレビマンユニオン
出演:横溝菜帆、黒川芽以、増子倭文江、田村泰二郎、森優理斗


ndjc2018-saya.jpg【作品紹介】
あらすじ:おばあちゃんと二人暮らしの小学3年生の沙綾(サーヤ)の所には、時々ママが父親の違う弟を連れてやって来る。そう、ママは沙綾を祖母に預けて、新しい家族と暮らしているのだ。いつもママと一緒に居られる弟が羨ましい沙綾。ある日、学校帰りに不思議な古い木箱を売るおじさんに出会う。自分の願い事を書いた紙を箱の中に入れると願いが叶うというのだが・・・。


〇感想:沙綾は親の都合で寂しい想いをしているが、おばあちゃんもママも優しいし、弟も沙綾が大好きで懐いている。それでも、沙綾は新しい家族と一緒に暮らせず孤独を抱え、「ママを独り占めできたらいいのにな」と思うようになる。幼児や児童虐待事件が頻発している昨今、しかしながら、子供にとってどんな親でも親ほどいいものはない。親に愛されたいばかりに子供は時々不都合な行動をとることもある。本作は少々優しすぎるストーリーだが、ファンタジックな展開の盛り込み方や沙綾の表情の変化の捉え方など、ナイーブな演出に心を掴まれた。


ndjc2018-okamoto-240.jpg【監督コメント】
大人も子供もそれぞれ幸せになりたいと思っているが、それを求められる自由は圧倒的に大人にあるということを描きたかった。弟にやきもちをやいて、「要らない!」と思っていたものが、本当に居なくなってしまったらどうするのか?本当はそれが大事なものだったと気付いた時のショックを駆け合わせられたらと思って映画化した。(子役二人は仲良しすぎて、ずっと抱き着いたままだったようだ)。

映画製作に携わっている人達には終わりがないので、それを受け継ぐ意識が高く、TVドラマより映画の方が気合が入る。自分たちがやりたいことを発揮できるのが映画なのかなと思う。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、子供を描くのに参考になるかなと思って見直した映画。主役の横溝菜帆ちゃんに、絶対にため息をつかないでねと指導。子供の方がいろいろと溜め込んでいるものが多く、ため息をつかずにその想いを表情で見せようと思った。


◎岡本未樹子監督の作品の詳細はコチラ ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4255/
 


 

今回の作品は5本中4本が家族をテーマにしている。それぞれの視点で思い描いた家族像は、監督自身の経験をベースにしていたり、疎遠になりつつある社会を背景にしていたりするが、どれも家族の絆を求めている心情を浮き彫りにしている。自分自身を見失い自意識過剰な人間になってしまった青年が開眼する様子を描いた作品も興味深い。どれも人物描写が深く、ストーリーを追うだけの平凡なものではない。短編・長編を問わず、今後の活躍に注目していきたい。


(河田 真喜子)

 

 

 

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子ども達の命を守る疎開保育園の保母たちに光を当てた感動作

『あの日のオルガン』平松恵美子監督インタビュー

 
太平洋戦争末期、学童の集団疎開は知っていても、小さい子ども達がどうしていたのかに思いを巡らせる人は少ないのではないだろうか。戦火を逃れ、毎日食うにも困る生活の中、後手に回る国の政策に先んじて保育所の疎開を提案し、豊かな感性を文化的に育む努力を続けた保母達がいたという事実を知る人も少ないだろう。かくいう、私もその中の一人だった。
 
53人の子ども達の尊い命を守った疎開保育園の実話を基にした感動作『あの日のオルガン』が、2月22日(金)からなんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他で全国ロードショーされる。『ひまわりと子犬の7日間』の平松恵美子監督が自ら脚本を手がけ、戸越保育所の主任保母、人呼んで「怒りの乙女」の板倉楓(戸田恵梨香)と、ドジばかりだが、子ども達を惹きつける魅力を持つ新任保母、野々宮光枝(大原櫻子)を中心にした保母達の奮闘ぶりをハツラツと映し出す。空襲が激しくなる中、皆で疎開保育園を作り上げ、子ども達を守る勇気と信念は、これから新しい時代を迎えようとしている今、時を超えて観る者に痛切に響くことだろう。
 
本作の平松恵美子監督に、映画化までの道のりや、疎開保育園で奮闘した保母達の魅力、この映画が今公開されることの意味について、話を聞いた。
 

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■現場の保母さんたちが声をあげ、小さい子どもたちの疎開を嘆願した実話、映画化までの長い道のり

―――本作は何度も映画化の話があり、実現するまで相当時間がかかったそうですが、オファーされた時の気持ちや、原作を読んだ時の感想を教えてください。
平松:1982年に出版された原作(「あの日のオルガン 疎開保育園物語」)は映画化を念頭に置いて作られましたが、当時関わっていた企画の鳥居明夫さんたちは、予算面や出演者の子どもを揃えることが難しいと判断し、映画化が一旦白紙になりました。
 
時を経て、2012年、鳥居さんの奥様が保育士であることもあり、小さい子どもたちの置かれている状況が虐待やネグレクトも含めてとても厳しいという現状に目を向けたとき、なんとか子ども達の命に光を当てる作品を作れないかと考えたそうです。そこでかつての原作を思い出し、あるご縁で私の元に原作が届いたのです。私も学童疎開のことは知っていたけれど、保育園の疎開があったことに驚きましたし、トップダウンではなく、現場の保母さんたちが声をあげ、小さい子どもたちの疎開を嘆願したということがすごいと思いました。でも、時代劇と同じぐらいセットや衣装にお金がかかる作品になるので、当時聞いていた予算では厳しい。しかも、小さい子どもがたくさん出てくる作品は大変だなと。その時も資金繰りの問題で映画化は見送られたのですが、私だったらこういう風に映画化したいというプロットを書いていたので、鳥居さんに記念のつもりで差し上げたのです。
 
―――今回は、エグゼクティブ・プロデュサーが李 鳳宇さん(『フラガール』)ですね。
平松:2014年に鳥居さんからお電話で「なんとかできそうです!」と言われ、打ち合わせでお会いしたのが李さんでした。「いい話だと思ったので、これぐらいの予算でやってくれ」と2年前の倍の予算を提示してくださったので、これなら映画化できるかなと。「以前のプロットで大丈夫なので脚本化を進めてほしい」とGOサインがでて、ようやく映画化への第一歩が踏み出せた訳です。
 

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■きちんと怒っている主人公のモデル、畑谷光代さんに魅力を感じて

―――自分なりのプロットを書いておられたとのことですが、脚本を書くにあたって、特に意識した部分、膨らませた部分はありますか?
平松:原作を読んだ時、畑谷光代さんという保母さんに非常に魅力を感じました。彼女は一度怒り出すと、顔が真っ赤になって手がつけられない。所長にも噛み付いて、しょっちゅう議論をしている様子は、はたから見ているとまるで喧嘩をしているようだったそうです。現在を顧みると、間違っていることや不条理なことに対し、きちんと怒ることができなくなっている。ヒステリーからくる暴言ではなく、「これは違うでしょ。どうして、こんなことがまかり通るのか」と怒れる人がだんだん少なくなっている。そして叱られる方も、愛情をもって叱られるということに慣れていない。もちろんパワハラというケースもありますが、そうではない時も全てパワハラ扱いにしてしまう風潮が見られます。そんな中、きちんと「怒っている」人はとても魅力的だなと思ったのです。畑谷さんは(戦争末期に)「学童は疎開させているのに、それ以外の小さな子どもたちを疎開させないのはなぜですか」と怒っています。そこから物語を追いかける形にしました。
 
 
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■新米先生を入り口に、少し風変わりな疎開保育園の世界を見てもらう

―――なるほど、映画もいきなり戸田恵梨香さん演じる保母、楓が怒っているところから始まりますね。
平松:ただ、強い人を話の真ん中に置き、その人がそのまま引っ張っていく物語にすると、単純であまり面白くない。右も左も分からない新米が、強い主人公に叱られたり、翻弄されながら成長していくという形にすると、現代の若い人たちに共感しやすいのではないか。本作で言えば、大原櫻子さんが演じるみっちゃんという新米先生を入り口として、疎開保育園の世界を見ることができるようにしようと考えました。
 
―――楓が光代(みっちゃん)を叱る時に口からでた「あんぽんたん!」は、久しぶりに聞いた言葉だなとうれしくなりました。
平松:実は、現場で急遽脚本を変えたときに考えついた言葉です。「怒りをぶちまけたいのだけれど、どういう言葉でぶちまけたらいいのかというもどかしさの中、つい、子どもを叱りつけるように『あんぽんたん!』と口から出たという風にしてください」と戸田さんにもお願いしました。
 

■戸田恵梨香に伝えたことは「楓の怒りには全て理由がある」

―――楓役を演じるにあたり、戸田さんにリクエストしたことは?
平松:楓は怒ってばかりいるけれど、全て理由があり、一つ一つの怒りが違うということをまず伝えました。ただ怒りっぽいという単純な人物ではなく、もっと深い部分があり、陰影のある人物だということは、言葉を重ねて伝えました。
 
 
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■元々持っている人間らしさや心の豊かさを守りたい 

―――楓が何度も訴えていた「現実的生活より文化的生活」は、戸越保育所の考える保育の根底に流れるキーワードですね。

 

平松:戸越保育所は当時では珍しく民主的な考え方の保育所でした。当時戸越保育所で働いていた保母さんたちは、良家の出身の方が多かったからこそ、自分の理想とするところを子ども達に伝えて育んでいきたいという真っ直ぐな気持ちを持てたと思います。疎開生活はもう少し現実的部分があり、理想ばかり追い求めてはいられません。でも、生きるために必要なことだけでは、動物と同じになってしまう。元々持っている人間らしさや心の豊かさを守りたいし、それを無くすと私たちが疎開をした意味がないという気持ちが常々あったそうです。実際にはお花を飾り、オルガンを弾いて歌を歌うとか、まかないのおとみさんの言葉を借りて言えば、「笑いがある」。そういう小さなことの積み重ねですね。
 
―――楓を中心とした保母たちが、夜な夜なその日起こったことを報告しながら、改善案を出すため喧々諤々するシーンは、笑いを誘う一方、民主的な運営を貫こうとしている姿が感じられます。特にベテランの風格すら漂うどっしりキャラの正子を演じる三浦透子さんが、素晴らしかったです。
平松:結局は、どの会議もうまくいっていないですよね(笑)そこをユーモラスに見せようと思いました。三浦さんは実年齢が若いのに、とても落ち着いて見えるんです。正子は力持ちで男勝りなキャラクターなのですが、三浦さんはとても華奢なので、衣装合わせの際にふと思いついて、「(衣装の)中に肉布団を入れてみようか」。うまくハマりました。普通なら本当にぽっちゃりした人をキャスティングするのですが、終戦直前という時代なので極端な体型の人を起用するというより、人柄から滲み出るものを重視しました。やはり子ども達がたくさん出てくる作品ですから、子ども達と向き合える人でないといけない。そういう部分はオーディションで選ぶときに大切にしました。
 
 
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■大原櫻子自身の真っ直ぐな部分が役に重なりながらも「狙ったらだめだよ」

―――光代演じる大原さんは、子ども達とのシーンが一番多く、オルガンを弾きながら様々な童謡を歌っています。平松監督の中で、印象的なエピソードはありますか?
平松:子ども達と林でチャンバラをしていて転んだ光代の上に子ども達が枯葉をかぶせるというシーンはクランクアップの日に撮ったのですが、大原さんとスタッフが大変でしたね。私はそこを綺麗なシーンにしたかったのですが、撮影は3月だったので枯葉しかなかった。そこでスタッフみんなでクラフト紙に色を塗ってから乾かし、葉の形に切って手で揉んで枯葉を作りました。それでもまだ足りないということで、しまいには色を塗っていないクラフト紙をそのまま使って、撮影所からロケ場所までの移動の車の中でチョキチョキ切っては揉んで、ゴミ袋5杯分くらい作りました。でも子ども達は元々あった枯葉や土までかけてしまうものだから、大原さんも口の中がジャリジャリになりながら頑張っていましたよ。
 
―――光代は、楓にはない子供のような心と素直さを持っています。大原さんご自身と重なる部分もあったのですか?
平松:そうかもしれません。ただ、最初大原さんに「一生懸命やっている中で、少しズレてくるのが楽しかったり、皆を笑わせたり、怒らせたりする。その部分が子ども達に好かれるので、狙ってやろうとしてはだめだよ」という話をしました。大原さん自身が真っ直ぐな人なので、そういう部分が演技にも出ていると思います。
 
 
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■童謡「この道」に、疎開場所と往復する「道」や、人生という「道」を重ねて

―――特にお好きなシーンは?
平松:全てが思い出深いですが、挙げるとすれば、よっちゃん先生(佐久間由衣演じる好子)とみっちゃん先生が自転車で二人乗りしながら「この道」を歌うシーンですね。ここでは二人でハモるようにお願いしました。私なりのこだわりがあったので、二人が歌う部分と、光代がオルガンを弾く部分を、音楽を担当いただいた村松崇継さんに依頼し、譜面に書いていただきました。
 
―――監督のこだわりで、「この道」を重要なシーンに起用した理由は?
平松:映画では「ちーぱっぱ」とか「ころころ」のように子どもらしい元気な歌詞の童謡をたくさん選んでいます。一方で、大人の先生たちが歌うときには、しっとりとしたものがいいなと思いました。「この道」の歌詞は深い意味が内在していますから、何度も疎開場所と東京を往復する道や、人生という道ともかけて選びました。

 

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■昭和時代の人たちの思いを継承しながら、私たちが次の時代へつなげる。

―――平成が終わるタイミングで、長い構想期間を経て『あの日のオルガン』が完成し、いよいよ見ていただくことに、どんな意味を感じますか?
平松:私は保母さん達を本当にリスペクトしています。彼女達が行動したから53人の子ども達が救え、その彼女達が戦後、昭和の保育界をリードする人材となっていきました。また53人の子ども達も昭和の日本の復興を支えた人になっているはずです。そのおかげで、平成という時代を日本はなんとか戦争なく終えることができた。そんな思いを継承しながら、私たちは平成から次の時代へ生きていかなければなりません。昭和の時代から今につながっている物語だと思いますし、ラストシーンもそういう気持ちをうまく表すことできたのではないかと感じています。
 

■疎開保育園も映画づくりも「皆でつくるもの」

―――平松監督は松竹撮影所で山田洋次監督のもとキャリアを積んでこられましたが、今自ら監督する中で、受け継いでいることはありますか?また、若い世代に伝えたいことは?
平松:山田さんの作品を見てから劇場を出るとき、暗い気持ちでは出ないですよね。悲しい場面はあっても最終的には表情が穏やかになる。そういう部分は私も目指したいと思います。映画を見ていただいて、明日も頑張ろうと少しでも思ってもらえたら嬉しいですね。
 
保母さんたちもこれだけの人数がいたから疎開保育園を自分たちの力でやり遂げることができた。映画づくりも同じで色々な意見がある中、皆がいるからやっていける。映画は皆の力を借りなければできませんから、自分だけではないということを大事にしてほしいです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『あの日のオルガン』(2018年 日本 119分)
監督・脚本:平松恵美子
原作:久保つぎこ「あの日のオルガン 疎開保育園物語」朝日新聞出版
出演:戸田恵梨香、大原櫻子、佐久間由衣、三浦透子、堀田真由、福地桃子、白石糸、奥村佳恵、夏川結衣、田中直樹、橋爪功 他
2019年2月22日(金)~なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都ほか全国ロードショー
公式サイト: https://anohi-organ.com/
 (C) 2018「あの日のオルガン」製作委員会
 
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奈良県天理市を舞台に、今年デビュー30周年の加藤雅也を主演に迎え、三世代家族の愛と葛藤を描いた人間ドラマ、『二階堂家物語』が2019年1月25日(金)より全国ロードショーされる。本作はなら国際映画祭プロデュース映画製作プロジェクト作品で、監督は同映画祭で2016年にゴールデンSHIKA賞を受賞したイランのアイダ・パナハンデ。受賞後、ロケハンで天理市を訪れ、そこでの体験も加えながら夫のアーサラン・アミリとオリジナル脚本を共同執筆。天理市民も撮影に全面協力した。二階堂家の三世代家族が向き合う後継者問題や、母と息子、父と娘、それぞれの愛が複雑に交差する。日本の四季折々の情景を見事に捉えている。町田啓太、田中要次、白川和子、陽月華と実力派俳優が脇を固め、奈良らしいゆったりとした時間の中で、登場人物たちの心の揺らぎを丁寧に映し出した作品だ。
本作のアイダ・パナハンデ監督、主演、二階堂辰也役の加藤雅也さん、辰也の娘、由子役の石橋静河さんに、お話を伺った。
 

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■天理市は「小津映画のよう」。最初から親近感を覚えた。(アイダ)

――――アイダ監督はロケハンで初めて来日され、石橋さんも天理市は撮影で初めて来られたそうですが、どんな印象を持たれましたか?
アイダ:2年前に初めてロケハンで奈良にきました。奈良がかつて日本の都であったことは知っていましたが、天理市を訪れた時は小津映画のようだと思いました。「この場所は知っている」という気持ちになりましたし、最初から親近感を覚えました。天理の人たちも小津映画に登場している人のようでもあれば、イランの田舎地方に住んでいる人たちにも似た風情を感じました。とてもフレンドリーで、家に招いてくれたり、一緒にご飯を食べたり、本当に歓迎してもらいました。旧友のように親しくなれた。それはとても感動的瞬間で、撮影中も全身全霊をかけて私たちを支えてくれました。
石橋:私も天理市は撮影で初めて訪れたのですが、街並みがとても印象的でした。田んぼがあるシンプルな場所で、東京と情報量やスピードも全然違います。タイムスリップした気分でした。天理市に来ることで、私が演じた由子が感じている時間感覚を体感できましたし、由子が見ているものも見えてきた。また二階堂家が住む古い日本家屋に自分が身を置き、感じることができました。撮影で1ヶ月天理市に滞在しましたが、本当に没頭して演じることができました。
 
――――加藤さんは奈良のご出身ですが、奈良で全編映画を撮影するのは初めてだそうですね。
加藤:基本的にテレビを含め、奈良で映画を撮影することは河瀨直美監督がし始めるまで、ほとんどなかった。時代劇を作るにしても、奈良を舞台にするとチャンバラではなく、文化が主眼となるのでエンターテイメントとして成立しにくい面があります。2時間もののサスペンスの舞台にも、奈良の雰囲気はあまり適さない。逆に、『二階堂家物語』のような家族の物語は、奈良や天理でなければ撮れないのです。
日本は、東京のように文化が発展していくことが良いとされていますが、奈良はそれから遅れてしまった。逆に今は奈良でしか撮れない日本の原風景が残っている訳で、日本人の監督が撮らないなら、外国人の監督に撮ってもらうのはある意味必然だったのかもしれません。
 
 
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■普通の人を演じたい、奈良で撮りたい。30年間実現できなかった夢が叶った(加藤)

――――加藤さんは海外でも活躍され、芸能活動30周年という節目で、故郷の奈良を舞台にした家族物語の主演を務められました。特別な思いがあったのではないですか?
加藤:なぜかマフィア役や日本人とは少し離れた役が多かったのですが、僕自身は俳優として普通の人を演じたいとずっと言い続けていたんです。ステレオタイプのキャスティングが多かった中で、外国人の監督が普通の人として使ってくれるという思いもよらぬ矛盾もあれば、奈良で撮りたいと思いながら、30年間実現できなかった夢も今回叶いました。
 
僕の中で起承転結があるとすれば、「起承」の30年間が終わり、残りの20年の「転」の時期に新しいことをやりたいと思っていました。「見たことのない加藤雅也を見た」と皆が言ってくれるように、まさに僕にとっての転換期を迎えているなと感じています。シルクロードでは、向こうから新しい文化が入ってきて、奈良で新しい文化が生まれ、今までとは違う日本が生まれた。僕も今回アイダ監督による今までとは違う目線の演出で、新しい僕になれる。本当に歴史は繰り返すと、僕自身思っていますね。
 

■「あなたがダメだったら、私の映画は失敗してしまう」火花を散らすような現場(加藤)

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――――父の代から引き継いだ会社を経営する二階堂家の主人、辰也は再婚問題、跡取り問題、娘との関係等、その行き詰まりぶりや決断の行方に最後まで目が離せません。確かに、加藤さんの新境地を見た思いでした。
加藤:最初に監督から言われたのは「あなたがダメだったら、私の映画は失敗してしまう」。仲良くやるのではなく、火花を散らす闘いのような部分があり、それがすごく勉強になりました。どんなに現場で仲良くても、映画がダメなら2度と集まることはない。逆に現場でどれだけ葛藤してもいい映画を作れればOK。それがプロフェッショナルだと思います。
アイダ:俳優は色々な作品の仕事をしているので、頭の中は色んなもので汚染されていると思うのです。だからまず汚染されているものを私が解き放つというプロセスがとても大事です。頭の中を一旦ニュートラルにして、私のキャラクターに命を与えるというプロセスを踏みます。素晴らしい俳優の魂と身体から、私のキャラクターを引き出していく。そこには痛みが伴います。だから、俳優たちが心を動かす時は、私の心も動きますし、毎日げっそりと疲れます。
映画づくりで重要なのは、まず俳優と一緒に作業をするということです。俳優たちを通して表現するものを観客に届けるために、50〜60名にもおよぶクルーが共に作っています。俳優がミスをすれば、全てカメラに映ってしまいますから、ミスは許されません。今回、みなさんは本当にプロフェッショナルで素晴らしい仕事をしてくれました。特に加藤さんとは、素晴らしいコラボレーションができ、多くのことを学びました。
 
 
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■日本人にしか分からない文化が含まれ、日本人がより深く作品を理解できることが重要(アイダ)

――――この作品は日本の四季折々の伝統的な行事や風景、アイテムなどを盛り込みながら家族の情景を描いています。舞台挨拶で「日本人が撮った映画と思ってもらえるとうれしい」とおっしゃっていましたが、そこはかなり意識的に取り入れられたのですか?
アイダ:海外の観客は、日本人ほど映画の中のシーンの意味を感じられなかったかもしれません。例えばなら国際映画祭審査員、ファトマ・アル・リマイヒさんはカタール出身ですが、物語の内容や社会背景はわかるけれど、雛人形が何か分からなかったと言っていました。日本人はそれが何かを必然的に分かります。雛人形の文化があることを踏まえて見てくれるので、伝わる内容も違ってくるのです。日本人にしか分からない文化が含まれていて、日本人はより深くこの作品を理解できる。それはとても重要なことです。私は日本独特の文化や芸術、映画が好きで、とてもリスペクトしています。日本から本当に色々なことを教えてもらった。それをこの映画を通して示しています。
 

■イランと日本、国は離れているけれど、家族関係はとても似ている(アイダ)

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――――日本では若い監督がこれほどしっかりと三世代の家族物語を描くことは少ないですが、脚本の着想はどこから得たのですか?
アイダ:実は、天理で本当に多くの三世代家族に出会いました。 滞在させていただいたお宅もそうですし、祖父祖母と一緒に暮らすのが一般的。私が住んでいるテヘランは都会ですが、イランの田舎も三世代家族が多く、似ていると思いました。私も8歳の時に父が亡くなったので、母と祖母の三世代家族でした。私の祖母はイランで初めての女性校長を務めた人物で、アゼルバイジャンの古い家系出身。まさに古くから続く地元の名士、二階堂家と同じですし、辰也の母、ハル(白川和子)のようにしつけもすごく厳しく、色々なことに敏感でした。特に自分が女学校の校長なので女性の教育についてはとても厳格で、「女性はこうすべき」という考えを明確に持つと同時に、男にばかり頼るのではなく、女性の自立を促す人でした。そういう部分もハルと重なり、二階堂家のことは、すごく知っているという気分にさせられました。イランと日本、国は離れているけれど、家族関係はとても似ている部分があることを皆さんに分かってもらいたい。欧米人が日本の文化に入ることが難しいかもしれませんが、私たちのようなアジア人は日本の文化には入っていきやすいと思います。
 
 
 
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■由子を演じる中で、私自身が父親についてどう感じているのかも考えた(石橋)

――――由子は、父親の会社で働き、跡取りを欲しがっていることを肌で感じながら、自分の存在を認めてもらいたい複雑な心境を抱えていましたが、彼女の感情をどう捉えて演じましたか?
石橋:幼い頃に両親が離婚し、父親が息子を欲しているのを見ている由子は、本当に自分を見てほしいという気持ちが強いだろうし、逆に自分に自信がない部分もあると思います。絶対に消えない孤独感はあっても、由子は諦めず、なんども父とぶつかります。婿養子を受け入れれば丸く収まることも、「皆が幸せになるかどうか分からない」と自分も含めて、皆がそれぞれ幸せになることを諦めずに訴えている人です。その前向きさや強さを表現するのが難しかったです。由子を演じる中で、私自身が父親についてどう感じているのかも考えなければならなかった。それを考える機会になったのはいい経験になりました。
 
――――由子が彼氏の家で一人ダンスを踊るシーンは、この映画の中でもかなり雰囲気が変わりますが、どんな狙いで取り入れたのですか?
アイダ:伝統的な旧家の二階堂家ではなく、一般的なマンションの一室である彼氏の部屋にたった一人、由子がいる。そこは由子が自由になれる場所で、英語の歌をかけ、思うがままに踊っています。そこで若さや喜びを表現しますが、それは長くは続きません。その間も由子は父親の辰也や家族のことを考えているからです。由子はこれからとても重要で難しい選択を迫られます。辰也も同じように重要な選択に迫られている。自分の好きな人のことを思いながら、自分が犠牲にしなくてはならないことについても感じている。二人ともがそれに対するジレンマを抱えていることを並行して見せています。
 

■辰也は、悩みから学ぶべきことが多い人生を送っている(加藤)

――――辰也も娘との葛藤だけでなく。実質の権力者である母、ハルとの葛藤があります。
加藤:辰也もハルに反抗しますが、それは相手がいるからできることで、いなくなると、はたと娘との関係や自分の運命について考えます。生まれたくて(二階堂家に)生まれたわけではないけれど、それは定めであり、そういう家に生まれなければ悩むこともない代わりに、学ぶこともない薄っぺらい人生になってしまう。辰也は学ぶべきことが多い人生を送っているのです。アイダ監督と(監督のパートナーでもある)アーサランさんの書いた脚本は非常に深い。例えば、外国の監督がお雛様を扱うときは「モノ」として扱いますが、アイダ監督はお雛様の意味を掘り下げ、歴史を学んだ上でお雛様を物語に取り入れています。日本の監督たちはなぜこの映画が日本映画っぽく見えたかを、考えるべきです。見かけが日本っぽいのではなく、日本の精神性を映画で撮った。そこが映画を作る時に大事なことです。
 
 
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■他のイラン人監督が持っていない特別な体験をし、新しい自分が生まれた(アイダ)

 アイダとの映画づくりで学んだ体験を若い監督や俳優たちに伝えて行きたい(加藤)

 役のことに没頭すればいいと思えたのは新しい体験(石橋)

――――最後に、この作品での体験を今後どのように生かしていきたいですか?
アイダ:映画づくりというのは、ただ単に映画を作っているだけではないということを学びました。新しい人に会い、新しい経験を積み、自分の視野を広げる。そんな映画づくりを終えて帰ると、新しい自分、新しいアイダが生まれました。他のイラン人監督が持っていないような特別な体験ができました。みんな西洋には行くのですが、東には行きません。私はアジアが歴史の中心だと思っていますし、文明もここにあります。
加藤:アイダと話し合ったことはとても深いことだったので、今でもどうすれば実現できるかと考えます。日本人が海外の人と演じる時、大げさであることが海外に出れない理由なのだとすれば、どうすればいいのか。言葉の問題もありますし、外国の監督が書いた脚本を日本語に訳す場合の問題点や、日本語の持つ特性などを今でも学術的に勉強しています。できればこの経験を若い監督や俳優たちに伝えていきたい。一方、外国の監督がステレオタイプの日本を撮ろうとした時、なぜそのように撮りたいのか。その理由を聞いて、場合によっては指摘する。そんなこともできれば、海外との合作もより良い作品になるでしょう。これをどう伝えていくのか、実践していくのか。それに尽きますね。
石橋:言葉や文化の違いがあり、日本人だけの現場では起こり得ない問題もたくさん起こりました。本当に大変だけど、その中でラクだと感じる部分もあったのは、留学したときに日本社会の窮屈さから開放されていた感覚に似ています。すごく現場に居やすかったので、役のことに没頭すればいいと思えたのはありがたかったです。アイダ監督と会い、まったく違う方向に広がったので、今後私の中でどうつながっていくのか楽しみです。
(江口由美)
 

『二階堂家物語』(2018年 日本=香港 106分)
監督:アイダ・パナハンデ 脚本:アイダ・パナハンデ、アーサラン・アミリ
エグゼクティブ・プロデューサー:河瀨直美
出演:加藤雅也、石橋静河、町田啓太、田中要次、白川和子、陽月華他
2019年1月25日(金)~全国ロードショー
公式サイト⇒https://ldhpictures.co.jp/movie/nikaido-ke-monogatari/
(C) 2018 “二階堂家物語” LDH JAPAN, Emperor Film Production Company Limited,Nara International Film Festival

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『この道』佐々部清監督インタビュー

(2018年12月25日(火)大阪にて)


konomichi-logo.jpg童謡誕生100年――
子供のような無邪気さでリズミカルな詩歌を作り続けた北原白秋の人物像と、
山田耕筰とのゴールデンコンビ結成秘話に迫る感動作

 

誰もが口ずさめる童謡、幼き頃の郷愁を掻き立てる詩歌に心和ませ、優しい気持ちにしてくれる。その多くは自由奔放な詩人・北原白秋の詩に、日本に初めて西洋音楽をもたらした音楽家の山田耕筰が曲を付けたものである。このゴールデンコンビによる歌は、童謡のみならず、校歌や社歌、そして、戦争へと突き進む国威高揚のための歌に至るまで実に幅広い。本作は、若い頃から次々と詩集や歌集を発表し文壇を賑わせた北原白秋の意外過ぎる人物像や、その豊かな才能が発揮される瞬間に焦点をあてた、魅力あふれる感動のヒューマンドラマである。


学校の音楽教室では教えてくれない北原白秋の人物像は、裕福な商家出身が倒産没落、隣家の美人妻との不倫の果て姦通罪で捕縛され、その後も結婚離婚を繰り返したり、泥酔しては喧嘩したりの自由奔放ぶり。3人目の妻との間に二人の子供を授かってようやく落ち着くが、関東大震災で被災し、山田耕筰との出会いから童謡の作詞を手掛けるようになる。小林一茶のように大の子供好きで、子供をあやす時に使う擬音を用いる詩は、リズミカルで唯一無二のもの。当時の文豪たちをも魅了する才能の持ち主だったようだ。


そんな北原白秋を、時代の変化を感じさせながら人間味たっぷりに描いた佐々部清監督。主役の大森南朋の個性をそのまま白秋に置き換えたという演出は、子供のようなおおらかさと無邪気さに男の色気が入り混じる、放っておけない愛すべき人物として魅了する。そんな白秋とドイツ留学経験のあるエリートの山田耕筰との対比がまた面白い。初対面での他愛ないケンカから始まる二人の関係性は、二人とも品行方正のイメージだが、実はやんちゃな熱血タイプだったようで、その人物像の膨らませ方にも佐々部監督の遊び心が感じられる。


konomichi-di-500-1.jpg「現代社会にも何かしらリンクするような作品作りをしたい」という佐々部清監督に、1月11日(金)の公開を前にお話しを伺う機会があり、下記はその詳細を紹介しています。大森南朋演じる北原白秋と共に、山田耕筰を演じたEXILEのAKIRAの熱演にも注目してご覧頂きたい作品です。


(河田 真喜子)


――本作製作のキッカケは?
生まれてから亡くなるまでを描くような偉人伝には興味を持てなかったのですが、以前ご一緒する機会があったミロシュ・フォアマン監督から伺っていた『アマデウス』のように実在の人物像を転がせるのなら、エンタメとしてクスクス笑えて感動できる作品にできるのではないかと思ました。童謡誕生100年ということで、幸いEXILEのHGH BROW CINEMAが製作について下さったので、本格的に本作りに入ることができたのです。

 

【北原白秋の人物像について】

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――リズミカルな詩の原点は子供をあやす女性の影響が大きい?
白秋は奥さんが嫉妬するほど子供好きだったのは事実です。自然児というか、女性から見て可愛らしいチャーミングな、それでいて色っぽい白秋にしたら、あのような詩が生まれたことをより理解して頂けるのではないかと思い、実話とフィクションを織り交ぜながら描いてみました。


――人物像を膨らませるポイントは?
ずっと商業映画を撮ってきたのですが、商業映画を撮りながらもどこかでリアルがいいと思っていました。ですから『東京難民』ではドキュメンタリーみたいな映画にしたいと思って撮りました。エンタメでクスっと笑わせるにはリアリティを重ねた方がいいと思うので、リアルとフィクションを丁度いい具合に盛り込めればと思っていたところ、今回、坂口理子さんという素敵な脚本家が、北原白秋の詩と山田耕筰の曲をリンクさせながら、私がやりたい世界観の話をうまく重ねてくれました。


――錚々たる近代文学の文豪たちが登場しますが?
北原白秋の弟子三羽烏は室生犀星、大手拓次、萩原朔太郎でして、高村光太郎はちょっと後輩で、石川啄木は喧嘩する相手だったようです。与謝野鉄幹・晶子夫妻のように支援してくれる先輩方もいて、皆が白秋の人柄よりも才能に惹かれていたように思います。そうでなきゃ、昼間っから酒飲んで、姦通罪で捕まって、やっと出て来たかと思えば「結婚します!」、なんて言う奴を誰も応援しませんよ(笑)。


――北原白秋の人望がうかがい知れるところですね?
でも、そうした文学者の名前を聞いてピンと来ない人も多く、そのように受け止めて下さるのはある年齢以上の方々ばかりなんです。若い人の中では「聞いたことはあるけど…」という感じですよ(笑)。


――大森南朋のキャスティングは?
大森南朋君については、一緒に仕事するのは今回が初めてだったのですが、いろいろ調べてみると、何となく“やんちゃ”そうで色っぽい俳優だなと感じました。彼を初めて認識したのは廣木隆一監督の『ヴァイブレータ』で、寺島しのぶさんが凄く評価されましたが、私は「彼女の受けを全部やれている大森君が素晴らしい!」と当時のブログに書いた程でした。それ以来、彼の名前を聞く度に一緒に仕事してみたいと思っていたのです。やんちゃそうで色っぽくお酒も飲めそうなところを白秋に活かせればと、脚本を大森君に近づけるようにしました。

 


【山田耕筰について】

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――白秋が山田耕筰と初めて出会った時に喧嘩したのは事実?
あれは創作です(笑)。地味な作品なので、どこかはじけるシーンがあってもいいかなと思っていたところ、脚本家がうまく喧嘩のシーンを創ってくれました。「殺陣師は誰にしましょう?」と言われ、「はあ?」、任侠映画じゃあるまいし血みどろになる必要はないと。本ばかり読んで育った文学者と洋行帰りの音楽家の喧嘩ですから、台所にある野菜を投げ合うところから喧嘩が始まればいいかなと思って、二人に任せてみました。するといつの間にかAKIRA君がネギを持ってましてね~(笑)。


――山田耕筰の人物像とEXILEのAKIRAについては?
山田耕筰について調べてみると、オーケストラの女性と恋仲になったり、白秋と同じく3回妻を変えたりと、かなりやんちゃなお方だったようですが、それを真っ直ぐで男気のあるAKIRA君に合わせて、白秋とは対照的な真面目な人物として描きました。バイオリンをあそこまで弾くには1年はかかるのを、ピアノの演奏や体力の要る指揮などを1か月あまりで習得できるとは、さすがはAKIRA君です。普段からの鍛え方が違いますね。彼が一番緊張したのは、由紀さおりさんと安田祥子さんの前で「からたちの花」を指揮した時だったようです。なんせあの至近距離ですからね~(笑)。


konomichi-500-2.jpg――今回特殊メイクにも挑んでいますね?
70歳の山田耕筰の役は、最初は同年齢の俳優さんにお願いするつもりだったのです。ところが、AKIRA君が「僕じゃダメなんですか? 出来れば自分がやりたい」と言うもんだから、それならと特殊メイクに挑んでもらいました。ずっと立ったまま両手を上げて指揮するのは本当に大変な作業で、70代の俳優さんでは務まらなかったと思います。

 


【映画製作を決めるポイントについて】

――映画を撮ろうと決めるポイントは?
作品の中にどこか今の社会を照らし出せるものがあるかどうか――本作は明治・大正、そして昭和初期のお話ですが、関東大震災の後、がれきの中で山田耕筰と北原白秋が手を取り合って、「曲で人々を勇気付けられるのではないか」というシーンがあります。平成の時代、多くの災害が起こりましたが、そんな時すぐに駆け付け勇気付けてくれる人って、音楽やっている人かスポーツやっている人です。あの二人のシーンがどこまで事実か分かりませんが、この映画もしっかりと現代とリンクしているので「やりたい!」と思ったのです。


konomichi-500-3.jpg――ご自身の強い想いが込められているところは?
最後の方で、与謝野晶子が戦争を危惧して「いつまでも自由に作れるといいわね、この国がどこに向かおうとしているのかしら…」と言うセリフがあります。5年前「特定秘密保護法」ができた時、自由に映画が作れなくなるのではないかと危惧して、日本監督協会から反対声明を出しました。本作でそれを声高に叫ぶつもりはないし、政治運動をするつもりもないのですが、私の思いや反戦の立場を反映できる作品作りができればと思っています。


――今までの作品の中では?
『ツレがうつになりまして。』の時は、たて続けに身近な人がうつになって自殺してしまうというショッキングなことがあって、そんな時にあの原作に出会ったのです。うつ病になってしまった人は勿論、それを支えている人々のためにも何か力になればと思って製作しました。今の社会に何らかの形でリンクできて、重いテーマでもマイナスイメージではなく前向きな姿勢で描けるかどうかが、私の映画製作を決めるポイントです。


――『八重子のハミング』の時もそうでしたか?
老々介護を扱った『八重子のハミング』の時は、映画会社はどこも地味な企画だと製作費を出してくれなかったので、自分で製作費を集めて撮りました。誰しもがこれから先直面する老人問題ですので、映画を観て、問題に向き合い、考えてもらうキッカケになればと――映画にはその力があると思っています。


――時代劇は初めて?
『出口のない海』や『日輪の遺産』は戦時中の物語でしたが、明治・大正という時代劇は初めてです。そのために今回は、いつも東京で撮っているスタッフではなく、京都撮影所のスタッフで撮りました。撮影・照明はもちろん美術も衣装もメイクも結髪もロケ場所もすべてスタッフにお任せして、職人としての巧みさを作品に活かしました。空いた時間にも素早くセット造りや撤収と、それはそれは見事な仕事ぶりでした。


konomichi-di-240-1.jpg――今の日本映画について思うことは?
どんな映画があってもいいと思っています。ただ、メジャー系の映画会社が売れ筋を狙う一様の傾向にあるのはちょっと寂しいなと、一方、賞狙いの映画は貧しくて暗い心の闇を鋭利に描くことが芸術映画みたいに思っているようなところがあります。私はその隙間を埋める“隙間産業監督”なんてね、ウチのスタッフに言われていますが(笑)。私が中学・高校生の頃には、例えば「ルキノ・ヴィスコンティの『家族の肖像』が観たい!」というように明確な目的意識を持って映画館へ行っていました。その頃の日本映画は『スター・ウォーズ』みたいな大ヒット映画の亜流ばかりかというとそうではなく、『恍惚の人』(東宝)や『花いちもんめ』(東映)という老人問題を扱った名作も作られていたのです。もっとメジャー系の映画会社が多様な映画作りをしてほしいと思っています。

 


『この道』

(2019年 日本 1時間45分)
■監督:佐々部 清   
■出演:大森南朋、AKIRA、貫地谷しほり、松本若菜、小島藤子、由紀さおり、安田祥子、津田寛治、升 毅、柳沢慎吾、羽田美智子、松重 豊
■脚本:坂口理子  音楽:和田 薫 主題歌:「この道」EXILE ATSUSHI
■配給:HGH BROW CINEMA  ©2019 映画「この道」製作委員会
公式サイト: https://konomichi-movie.jp/
2019年1月11日(金)~TOHOシネマズ梅田 他全国ロードショー

 

 

 
 

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「理想だけではなく、残酷なもの、複雑なものをそのまま表現したかった」
『夜明け』広瀬奈々子監督インタビュー
 
是枝裕和監督と西川美和監督が立ち上げた制作者集団「分福」で監督助手を務めてきた広瀬奈々子監督の長編デビュー作、『夜明け』が2019年1月18日(金)より全国ロードショーされる。
 
川辺に倒れていた身元不詳の若い男と、彼を助け、自宅に招き入れて自身が経営する木工所での仕事も与えた初老の男。疑似家族のような関係を見せながらも、それぞれの持つ過去が露わになるにつれ、二人の関係にひずみが生じていく。シンイチと名乗る謎めいた若い男を演じるのは柳楽優弥。その佇まいや目の表情で、危ういシンイチの心境がどう動くのかと最後まで観る者を惹きつける。シンイチを亡き息子に重ね、家族のように迎え入れる哲郎を小林薫が演じ、再婚予定の相手のことも上の空で、シンイチに過剰な期待を寄せる男の危うさを見事に表現。サスペンスの色合いも滲む、重厚なヒューマンドラマだ。
 
オリジナル脚本でデビューを果たし、第19回東京フィルメックスコンペティション部門スペシャル・メンションを受賞した広瀬奈々子監督に、お話を伺った。
 

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■是枝作品の企画から編集まで立ち会い、手伝いながら「口出しする」監督助手時代。

――――広瀬監督は、2014年に是枝監督や西川監督が立ち上げた制作者集団「分福」から長編デビューする初めての監督でもありますが、実際にどのようなプロセスや教育を経て、監督デビューに至ったのですか?
広瀬:まず監督助手というポジションにつき、是枝作品の企画から編集まで、ずっとそばで立ち会い、お手伝いをしつつ口出しをするのが一番の任務でした。口出しするということは現場を止めてしまうことになるので、最初は本当にできなかったです。助監督は現場では進めていく立場で、いわばアクセル的存在。一方、監督助手はブレーキ的存在なので、意見を言うと周りはザワつきますし、今は言うなという圧力も感じていました。
 
――――徹底的な現場教育ですね。気づきも必要ですし、それを現場にフィードバックさせるのはまさに監督の仕事です。でも、相当言いづらかったのは想像できます。
広瀬:それでも言い続けて採用されるようになるとうれしいですし、今では「是枝さんのあの作品、このシーンは私のものだ」と密かに思っています(笑)。もっと慣れてくると、是枝さんを通して演出を試したり、そういう現場体験を3年間やりました。ただし、3年で卒業なので、そこからは分福に所属していても、自分で仕事を作らなければ仕事はこない。だからプレッシャーはありましたし、監督助手時代からプロットや企画は10本以上出していました。『海街diary』の撮影助手の方がカメラマンデビューされた短編WebCM(6分)の監督をし、その作品を見た是枝さんに、「もう長編を撮ったほうがいいね」と言われたことが長編監督デビューのきっかけになりました。
 
 

■オリジナル脚本は、自立できない時期の自分の不甲斐なさやプレッシャーがベースに。

――――オリジナル脚本で初監督作と恵まれている一方、大変な部分も多々あったと思いますが、脚本のアイデアはどこから来たのですか?
広瀬:私は2011年に大学を卒業したのですが、漠然と演出をしたいと思っていたので、(分福に所属する以前は)就職せずに日々アルバイトをしてひたすら稼ぐ毎日でした。世の中に対してどう関わったらいいのか分からない、社会に対して自分の考え方をどう示していいのか分からない悶々とした時期でした。そういう自立できない時期の自分の不甲斐なさや、プレッシャー、モヤモヤしたものをベースにキャラクターを作ってみようと思ったのがきっかけです。
 
――――シンイチや哲郎、木工所の従業員など、男性のキャストが多いですが、男の不器用さを含め、皆、自然に描かれていて、男心が分かっているなと思いました。最初から主人公は男性と決めていたのですか?
広瀬:私は企画やプロットを書く時、なぜか男性になってしまいます。色々意識せず、自然に書けるのです。誰でも男性的な脳と女性的な脳があると思うので、私の場合は書くときに男性的な脳が働くのかもしれません。分からない部分は役者さんが補ってくれるので、そこは信頼してお任せしました。うまく感情表現できない人間が好きなので、そういうどうしようもない部分を描いてみました。
 
 

■柳楽さんをシンイチ役に想定したら、ただ受け身なだけの主人公が動き出した。

――――脚本執筆中、物語が哲郎寄りになりすぎていることがあったそうですね。
広瀬:そうなんです。やはり20代の時のことを思い出そうとしても、もう30代になってしまったので、哲郎寄りになってきてしまって。できるだけ若々しいキャラクターを書きたかったので、シンイチの部分を書く時に自分の中で補いきれない部分があれば、柳楽さんや、他の人を想像しながら書きました。
 
――――柳楽さんの名前が出ましたが、キャスティングはどの段階でされたのですか?
広瀬:最初に哲郎役の小林薫さんにオファーさせていただきました。その時点で哲郎の方が立体的になってきたのでしょう。シンイチのキャスティングを決めかねていた時に柳楽さんの名前があがり、いいだろうなと思ってはいたけれど、是枝監督が見出した人なので自分の中で少し抵抗する部分があったんです。でも、柳楽さんがシンイチ役になればどうだろうと思って書くと、ただ受け身なだけの主人公が、受けてからもがくというか、一歩遅れてから反応するようになってきてキャラクターが動き出しました。柳楽さんのエネルギーがあると、全然違うことが見える。これは柳楽さんにオファーするしかないと腹をくくりました。
 

 

■大好きな小林薫さんへのオファー、「共感できるわけではないけど、だからこそ面白い」

――――脚本が未完成の段階で、相手役も分からず最初にオファーを受けてくれた小林さんの心意気を感じます。
広瀬:今思えば恥ずかしいぐらいですが、全然脚本が固まっていない時にオファーし他にも関わらず、やって見たいとおっしゃって下さいました。「(哲郎は)共感できるわけではないけど、だからこそ面白い」と。昔から映画やドラマで小林さんの演技は拝見していましたし、森田芳光監督の作品とか、おちゃらけた軽やかな役から、ずしりとした役までできる役者さんで、本当に大好きです。撮影中は、現場でも小物に至るまでいろいろなアイデアを出してくださいましたし、スタッフにも分け隔てなく話しかけてくれ、とてもいい雰囲気を作ってくださいました。若い人との映画作りを楽しんでいらっしゃいましたね。
 
――――柳楽さんを想定すると、シンイチ像が立体的になったとのことですが、その柳楽さんへのオファーを躊躇したのは、是枝監督への遠慮があったからですか?
広瀬:柳楽さんは是枝さんが産み出した才能であることは間違いないので、そういう方を自分のデビュー作に迎えると、必ずそういう是枝印のようなものが付いてしまいます。またそういう柳楽さんへ演出することへのプレッシャーもありました。私の中で、是枝さんから離れられないように見えることへの抵抗があったんです。
 
 
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■理想だけではなく、残酷なもの、複雑なものをそのまま表現することに挑戦。

――――その葛藤を乗り越えて柳楽さんへオファーした結果、是枝監督作品では逆に見られないような、柳楽さん世代が抱える身の置き所のなさとか、焦燥感、そして頑張りきれない主人公の人間臭さが見事に表現されています。
広瀬:理想だけではなく、残酷なものは残酷なまま、複雑なものは複雑なまま表現することに挑戦しました。(敢えてわかりやすさを嫌うのは)青臭いことかもしれませんが、一作目なのでそこはひよらず、自分がダサいと思うことは素直にやらない。そう思って作りました。 
 
――――なるほど。自分の思いをしっかり反映させた脚本、そして作品になった訳ですね。
広瀬:ここまで複雑な感情の行き来がある作品になると、正直思っていなかったです。柳楽さんのおかげもありますが、自分が思っている以上に複雑な内面を抱えたキャラクターになりました。現場で柳楽さんは「(シンイチの表現が)分からない」とよくおっしゃっていましたが、分からないなりに監督の私を信じて、シンイチとしてそこにいてくれたのがありがたかったです。
 

 

■現場で、柳楽さんのなんとも言えない表情にハッとすることが何度もあった。

――――本当にセリフが少ない中、相手との関係の中で、微妙な心の動きを表現する柳楽さんから目が離せなかったです。
広瀬:現場でも柳楽さんがなんとも言えない表情をよくされていて、ハッとすることが何度もありました。ずっと色々なことに否定的なキャラクターでいながら、とても意思の強い目をしていたり、控え目なようで割と図太い部分がある。そういう両面性がすごく出ていて、見方を変えればシンイチが全然違うキャラクターに見えてくるのが、すごく不思議でした。私自身も、見るたびにシンイチの見え方が変わるんです。取材を受けている自分自身も色々な人の意見を聞かせていただく中で受け止め方が変わったり、そういう変化がとても楽しいです。
 
 

■シンイチにも、哲郎にもエゴと残酷さがある。

――――そんなシンイチの面倒をみることになる哲郎も、赤の他人でありながら、亡くなった息子を重ね、親身になって面倒を見る様子が、最初は微笑ましく描かれます。一方、期待が膨らみすぎる危うさもまた、哲郎の未熟な部分を露わにしていますね。
広瀬:最初の顔合わせの時に、小林さんが恋愛に例えて、「哲郎はどこでシンイチのことを好きになるのか」と言われ、意外なアプローチに驚きました。実際、哲郎の狂気ぶりをかなり表現したつもりでいたのですが、哲郎と同世代の方はその狂気さにはあまり気づかない。それも今回、映画を観ていただいて気づいた部分です。シンイチにも哲郎にもエゴと残酷さがあります。シンイチに共感して見ていると、シンイチのエゴには気づかないし、哲郎目線で見ると、哲郎のエゴには気づかない。そんな双方の依存についての物語でもあります。
 
 

■舞台となる木工所は、自分のやりたいことができない期間こそ大事な世界。

――――哲郎が経営している木工所は、典型的な後継者不足の現場であり、家内工業的な親密さの象徴のようにも見えましたが、最初から舞台に想定していたのですか?
広瀬:温もりのあるものを扱いつつ、縦社会がきちんとあるような厳しいコミュニティという視点で、最初の段階から木工所を思い描いていました。実際に木工所をいくつか取材させていただくと、見習いの最初2年はカンナの刃を研ぐだけという厳しい世界だそうです。自分のやりたいことができない期間こそ大事な世界なのだと分かりました。大手家具量販店が出てくる中、衰退し、跡取り難に悩む世界だからこそ、経歴にこだわらず、どんな人でも積極的に採用します。そうして採用した社員を可愛がる情に厚い親方も多く、参考になりました。
 
――――シンイチが机の納品先で、店長からバイト店員へのパワハラを目撃するシーンなど、シンイチの過去を想起させるエピソードが非常に効果的ですね。
広瀬:東京でのシーンをいくらでも作ることはできますが、いかに回想シーンを使わずに、シンイチの親子関係や、社会に出るまでの生活をシーンの中から表出させるか。そこにはこだわりました。
 
――――釜山国際映画祭でワールドプレミア、東京フィルメックスで国内初上映(スペシャルメンション受賞)と、二つの映画祭を経てのロードショーとなりますが、それぞれの映画祭に参加した時の感想や反響は?
広瀬:釜山は街自体が映画を歓迎してくれるような温かい雰囲気で、街を歩いていても「映画を見たよ」と声をかけられました。基本的に観客は20代ぐらいの若い方が多く、皆さんとても熱心に見てくださいました。主人公が精神的にとても危ういので「この動作は死を暗示しているのか」とか、こちらがなるほどと思うようなことを聞いてくださいました。東京フィルメックスは、本当にコアな映画ファンが多く、映画祭の色が濃いと感じましたし、中には見終わってすぐに出て行ってしまう方もいて、ちゃんと賛否両論あるということを実感できる場でもありました。
 
 

■暗闇を歩き続けていても、いつかは「夜明け」が来る。

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――――最後に、夜明けで始まる映画ですが、『夜明け』というタイトルに込めた思いは?
広瀬:夜の中を歩いているような映画ですが、暗闇を歩き続けていても、いつかは夜明けがくる。そんな日が来ることを祈って、このタイトルをつけました。私はダルデンヌ兄弟作品が好きなのですが、安易にわかった気にさせないし、最後まで見たら、また最初から見たくなります。そんな映画をこれからも作っていきたいです。
(江口由美)
 
 
 
 
 
 
 
 

<作品情報>
『夜明け』(2018年 日本 113分)
監督・脚本:広瀬奈々子
出演:柳楽優弥、小林薫、YOUNG DAIS、鈴木常吉、堀内敬子他
2019年1月18日(金)~新宿ピカデリー、シネ・リーブル梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX尼崎、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国ロードショー
公式サイト⇒https://yoake-movie.com/
(C) 2019「夜明け」製作委員会
 

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津軽三味線奏者、高橋竹山を通して見える日本の地方と音楽の在りよう
『津軽のカマリ』大西功一監督インタビュー
 
明治末期に生まれ、幼少期に視力を失い、三味線を弾き門付けをしながら生きてきた初代 高橋竹山。後に津軽三味線の名人と呼ばれ、数多くの津軽民謡を編曲し、独奏者としてその名を残した竹山の人生とその演奏が蘇るドキュメンタリー映画『津軽のカマリ』が、2019年1月11日(金)よりシネ・リーブル梅田、1月12日(土)より京都シネマ、今冬元町映画館ほか全国順次公開される。
 
監督は前作『スケッチ・オブ・ミャーク』で宮古島の「古謡」や「神歌」、御嶽(うたぎ)での神事に密着した大西功一監督。竹山の素晴らしい演奏やその苦節の人生を体感できるだけでなく、沖縄、滋賀とロケを敢行し、普遍的な音楽、土地の歴史を追求する壮大な作品に仕上がっている。大西功一監督に、お話を伺った。
 

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■学生時代から興味を持っていた高橋竹山を通して、津軽のカマリ(匂い)を描く

――――いつ頃から、津軽三味線の第一人者である高橋竹山さんに注目していたのですか?
大西:学生時代にテレビ等多くで取り上げられていたこともあり、竹山さんのことは知っていましたし、興味を持っていました。病気のせいで盲目となり、何もしなければ飢えてしまうような状況の中、音楽で食べていくという時代ではなかった(大正〜昭和初期)にも関わらず、なんとか津軽三味線を弾いて生きるしか、竹山には道はなかった。そこから昔の日本の風景が見えてきます。僕達が生まれた頃には音楽産業が既に出来上がっていたので、お金を出して音楽を聞くことが当たり前になっていますが、元々音楽はそうではなかった。そういう元々の日本の地方の在りよう、音楽の在りようが、竹山を通して見えてきました。
 
――――前作の『スケッチ・オブ・ミャーク』では、宮古島での「古謡」や「神歌」、女性が中心となって執り行う御嶽(うたぎ)での神事に密着していました。今回はぐっと北上しましたね。
大西:98年に鈍行列車で東北各地を廻ったのですが、北上した津軽半島の十三湖の風景や、湖と海とが繋がる境界に架けられた橋から流氷の大群、そして無数の地蔵の姿を見た時、東北への想像を遥かに超える巨大な悲しみをたたえた風景やその絶叫を聞き、いつかは津軽を題材に映画を撮りたいと思いました。
時が経ち、『スケッチ・オブ・ミャーク』公開後に次回作のことを考え、津軽を再訪しました。僕の知り合いが竹山と同じ平内町出身というご縁で、初代・高橋竹山の弟子達が作った竹伸会の民謡教室を見学させていただいた時、竹山の直弟子、八戸竹清さんや、竹山の孫、哲子さんとの出会いがありました。また、僕はイタコ(東北北部で口寄せを行う巫女)が唱える呪文や歌のように聞こえる音が歌の原点のように思え、自分にとって大事なものとして、その音源を所有して聞いていることを話すと、哲子さんが「私のおばあちゃんがイタコだった」とおっしゃって。翌日お宅にお邪魔させていただき、竹山の奥様、ナヨさんが使った道具を見せてもらったり、祭文が入ったカセットテープを聞かせていただきました。本編でもたくさんその声が入っています。また、十三湖を再訪すると、流氷はなかったものの、同じ土地の空気感を思い出しました。旅行を終え、東京に帰った時に、竹山を中心にして津軽を描けばいいのではないか。竹山の原体験を描くことで、津軽を描くことにもなりますし、縦の歴史にも繋がっていく。僕が映画で映し出そうとしたことが津軽のカマリ(匂い)だし、竹山が音で表そうとしたのも津軽のカマリですから。
 
 
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■竹山自身が「津軽のカマリ」を超えて、宇宙のような普遍の領域まで到達している

――――私は本作で初めて高橋竹山さんの三味線演奏を聞いたのですが、非常に軽やかで小気味好く、感動しました。大西監督が感じる竹山さんの三味線の魅力とは?
大西:ブラジル民謡とか沖縄の音楽は、根底には悲しみがあるものの、すごくカラッとして洗練されている感じがするのですが、竹山の三味線もそうですよね。竹山の生い立ちを聞いて、ブルース的なものを想像していると少しズレを感じると思うのですが、そのカラッとした感じがいい。後は、竹山自身が津軽のカマリを超えて、世界に通じる人間の本質や生命、ひょっとしたら宇宙のような普遍の領域まで到達している感じがします。
 
――――今回、高橋竹山さんの色々な音源や映像が盛り込まれていますが、どのようにそれらを選択し、編集していったのですか?
大西:竹山は有名でしたし、テレビでも度々紹介されていたので、アーカイヴがあることには安心していました。今回は青森放送に多くをご協力いただいています。加えて、渋谷ジァンジァンという小劇場が作っていた竹山のビデオ映像を採用しています。晩年のものはドキュメンタリー映画『烈 ~津軽三味線師・高橋竹山~』の映像をお借りしました。
竹山が最後に三味線を手にしたという夜越山温泉の映像は、施設のスタッフが撮影したホームビデオです。
 
――――最後の温泉での演奏は、生涯を津軽三味線と共に生きた竹山の生き様が生々しく伝わってきました。厳しい自然と対峙してきた津軽の人々の歴史にも触れていますね。
大西:米作がメインだったので、豊作の時は米を高値で取引でき、人々も豊かだったそうですが、冷害が多いのでその時は大変だったと思います。労働歌も昔は今みたいに音楽を再生する装置がないので、単純作業をしている時に自分で歌いながら作業をした方が、気がまぎれる。そんな中にどんどん歌が生まれてくるし、替え歌も生まれてくる。姑や夫の文句の替え歌も、きっとあったと思いますよ(笑)。
 

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■民謡の歌い手より格下だった三味線弾きが、独奏でレコードデビューするまで

――――確かにそれは気が紛れます(笑)竹山さんは、元々歌の伴奏者で、後に今でいうインスト奏者として独立されたのですね。
大西:最初、師匠の戸田重次郎から基本の独奏を3曲教わっています。歌のある曲のメロディーを三味線で弾く曲弾きと呼ばれるもので、当時は津軽民謡もその3曲ぐらいしかなかった。しかもほとんどは歌が聞きたいので、三味線の独奏を求められることは滅多になかったのです。
当時、津軽民謡の大御所、成田雲竹は青森の方々に出向いて土着の歌を収集し、竹山に伴奏をつけさせました。それで今、津軽民謡がたくさん残っている訳です。竹山自身が編曲しましたから、それを曲弾き(独奏)できるのは自然なことです。
その後、キングレコードの斉藤幸二氏が成田雲竹の伴奏で弾いている竹山の三味線に興味を示し、雲竹を通して竹山と出会います。当時は民謡の歌い手と三味線弾きとはギャラも一桁違い、三味線弾きは見下されていました。でも竹山は三味線だけの演奏を披露することをどうも狙っていたようで、その後キングレコードから「津軽三味線高橋竹山」を53歳で発売し、7万枚のヒットを記録しました。そこから労音から声がかかります。それまではクラッシックを中心に聞く会でしたが、民謡を聞く会を開き、そこで初めて聴衆の前で津軽三味線の独奏を披露して、竹山は大喝采を浴びるのです。
 
――――まさに日本のフュージョン音楽のはしりのような存在ですね。本作では津軽三味線を作るところにもスポットを当て、蚕の糸から弦を作るということで滋賀県でもロケを行っているのも興味深かったです。
大西:これも偶然の出会いだったのですが、『スケッチ・オブ・ミャーク』の上映会をした時に、主催者である陶芸家の友人が近くに三味線の弦を製造する工房があると教えてくれたのです。今はほとんどが化学繊維の糸を弦に使用しており、蚕の糸を使って弦を作る工房は日本では2箇所だけしか残っていないと。7月に行けば、蚕を仕入れるので製造工程を見ることができると教えていただき、撮影しに行きました。竹山も三味線の弦を作ってもらっていたそうです。
 
 
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■沖縄、津軽「土地の慰霊」に繋げたい

――――18歳で既に60代だった竹山に弟子入りし、竹山が亡くなる前年に襲名した二代目高橋竹山さんも本作に登場し、師匠の思いを辿る旅をしています。この旅での狙いは?
大西:竹山は沖縄でひめゆりの塔にも立ち寄り、ステージでは絶句して涙したと本に書かれています。今回、二代目と一緒に沖縄をなぞり、また二代目も久しぶりに沖縄でライブを行いました。もう一つ、東北で飢饉凶作のことを描いていますが、土地の慰霊に繋げたいという気持ちがあります。沖縄のシーンもその意味を込めています。沖縄戦の哀しい事実があると同時に、内地の人も沖縄で戦い亡くなっている。そういうことも伝えたかったのです。
 
――――初代の記憶を辿る旅から、最後は襲名後初となる青森市のライブに結実していきますが、二代目と共に旅をした大西監督から見て、彼女の中にどんな変化を感じましたか?
大西:ライブが俄然良くなったと思っています。沖縄のライブも良かったですし、その後の青森初のライブももっと良くなっていました。今はいい意味で力が抜け、歌声も落ち着きが出ましたね。やはり華があります。
 
――――竹山に話を戻すと、竹山は日本全国を廻りながらも、最後まで津軽を拠点にして活動し続けました。これも竹山らしさを感じる部分だと思うのですが。
大西:戦後に大民謡ブームが起こり、やはり東京で仕事が多いものですから、津軽から腕利きの三味線弾きや民謡の歌い手がみんな東京に流れてしまった。だから青森放送の民謡番組の伴奏は竹山が一人で何時間も伴奏し続けていたそうです。奥様がイタコだったので青森を離れることができないという事情もあったと思いますが。
 
 
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■音楽と喋ることとの境界線は?音楽を掘り下げるうちに本質的なことに到達

――――この作品を見ていると、日本の音楽史を紐解いているようにも見えます。
大西:音楽と喋ることとの境界線って曖昧ではないかと僕は思うんですよ。お経だっていわば歌ですし。鳥の鳴き声も歌以外の何者でもないと捉えています。
 
――――大西監督はかなり若い頃から、普通にレコードで聞くような音楽以外の音も、音楽と捉えていたのですか?
大西:20代後半ぐらいからでしょうか。ロックの歌詞に照らし合わせて、自分自身や社会のことを考えたり、ロックの音自体に現代を生きることの苦しい感覚が重なったり。でもだんだんとロック自体が機能しなくなってきた時代があり、その時に音楽とは、歌とは何だろうと考え始めたのです。そこから『スケッチ・オブ・ミャーク』や竹山に繋がって行きました。もっと本質的なことを見ていかなければいけないと。
 
――――自分が生まれた時代に既にあった音楽から、もっともっと遡る必要があった訳ですね。
大西:それは音楽だけの問題ではなく、社会や生きること、食べることと繋がっていくのです。僕が今、函館で住んでいるのも、食のことを手がけたかったからなのです。
 
――――食に関心を持つようになったのはいつ頃からですか?
大西:『スケッチ・オブ・ミャーク』にて、宮古島で儀式の継承が危機である事実を知り、僕なりに撮りながらどうするべきかを考えさせられました。彼女たちがやっているのは五穀豊穣や安産祈願など生活の中の切実な願いに対する祈りなのですが、五穀豊穣と言いながらも今はほとんど穀物を作っておらず、サトウキビに偏っていて、スーパーでは島外から輸送された食物が季節を問わず豊富に陳列されている。一方儀式のためにクジで選ばれた女性の司たちは、厳格な所では年間100日ほどの務めがあり、辞退する人も出てくる訳です。例えば粟の豊作祈願をする場合にも、その時神様に奉納するミキ(発酵飲料)を作るのですが、その材料となる粟の大部分を輸入物に頼っている。そこまでして豊作祈願をしなければいけないのか。ご先祖が続けてきたことをすることによって、ご先祖や神様と繋がるという普遍的な部分は明らかにあるのですが、そもそも何のためのお願いだったのかという点が抜け落ちていることに気付いたのです。選ばれる司の女性が大変な思いをしているのなら、収穫してもいない豊作祈願を行うことを見直し、負担を減らして続ける方法はないのか。僕は撮影中そういう思いを抱いていました。
 
 
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■五穀を取り戻す運動から、本当の意味でのいきた神歌が継承できると確信

――――現代において、食や祈りを考え直すきっかけは、そこにあったのですね。
大西:その後映画を作り終わって2ヶ月後に東日本大震災が起こり、スーパーマーケットから食べ物が一時的ですがなくなり、その時はショックでした。これが長期化するとマズイことになると思った時に宮古島の状況に思いを馳せると、災害時に島民の命を守る五穀が、ここまでなくなってしまったこと自体が問題であることに気付いたのです。五穀豊穣祈願を見直し、削った方がいいと思ったけれど、時間をかけてでもプランを立てて、命を繋げるだけのもの、五穀を取り戻す運動をしていけば、本当の意味での神事も継承され、また本当の意味での生きた神歌が歌われるだろうと分かりました。
 
今は一般の人と、作物を作る人との間を繋ぐような役割が必要であると感じ、一軒家でレストラン(café&market「プランタール」)を経営しています。菜園を作り、そこで作った野菜や近隣の提携農家から届いた野菜を使ったお料理を提供しています。直売もやっていますし、ゆくゆくは家庭菜園を普及させていきたいと思っています。高齢化社会の中、シニア世代が作った野菜をお互いに分けあうことで、地域コミュニティも活性化しますし、先細りしていく年金頼りで、若い人たちのお荷物になってしまうような高齢化の構造を逆転できる。音楽の原点を見つめていくうちに、自ずと人間の原点に到達したという思いがあります。種を植えてから実り、またその種を植えてそれが芽を出すまでを見ていると、絶対の真実がそこにありますから。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『津軽のカマリ』(2018年 日本 104分) 
監督・製作・撮影・編集: 大西功一(『スケッチ・オブ・ミャーク』)
出演:初代 高橋竹山、二代目 高橋竹山、高橋哲子、西川洋子他
2019年1月11日(金)~シネ・リーブル梅田、1月12日(土)京都シネマ、今冬〜元町映画館ほか全国順次公開
公式サイト⇒ http://tsugaru-kamari.com/   (C) 2018 Koichi Onishi

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『銃』ナイーブさと瞬発力を併せ持つ村上虹郎インタビュー

(2018年11月9日(金)大阪にて)



~内に秘めた何かが惹きつける…村上虹郎の魅力に迫る~

 

『2つ目の窓』(河瀨直美監督)、『ディストラクション・ベイビーズ』(真利子哲也監督)、『武曲MUKOKU』(熊切和嘉監督)と、デビュー以来個性的な監督とのコラボが続いている村上虹郎。今回は、『悪と仮面のルール』『去年の冬、きみと別れ』と次々と映画化されている小説家・中村文則のデビュー作「銃」の映画化作品に主演。監督は、『百円の恋』の武正晴監督。俳優の未知数の力量を具現化させることに長けた監督の手にかかり、銃を所持することで精神的にも肉体的にも大胆になっていく青年の姿を繊細に描出。青年期の埋められない心の隙間に漂う危うさを、ナイーブさと瞬発力を併せ持つ村上虹郎の特徴をもって浮き彫りにした衝撃作である。


juu-550.jpg日本映画はそれぞれの時代を象徴するような青春像を映してきたが、今ここに村上虹郎による現代社会を映し出す新たな青春像がスクリーンに刻まれる。丁度20歳の等身大のトオルを演じた村上虹郎が、主人公トオルの人物像や自分との相違点、さらに共演者について語ってくれた。中でも、本作で重要な役どころを演じている実父・村上淳について語るあたりは、親子関係の意外な本音が出て、とても興味深い。


以下、インタビューの詳細です。



――今回の役は精神的にも肉体的にもハードな役でしたが、台本を最初に読んだ印象は?

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あまり原作を読まないタイプですが、今回は待ちきれずに読んでしまいました。原作では一人称で書かれていますが、完全に主観というよりトオルという人物を設定して客観視できるように映像化されている点はとても面白いなと思いました。

脚本に関しては、原作者の中村さんがとても大事にされている作品なので、武監督と中村さんで細かく協議しながら書かれていました。中村さん自ら「映画としてカタルシスを創った方がいいのでは?」と仰って追加されたシーンもあります。そのお陰で秀逸な場面を創り出すことができて、とてもありがたいと思いました。


――今回は原作を読んでから脚本を読まれたそうですが、今までと違った点は?

基本的には脚本をメインに演じています。武監督と中村さんは同郷であったり、原作を書いた時に住んでいた所も近かったりとリンクすることが多いので、そんな武監督が本作を撮った意味は大きいと思います。現場には武監督がイメージするトオルと僕が演じるトオルがいたのですが、大きな演出はありませんでしたが、トオルの言動について二人で擦り合わせることは多かったです。


――銃を持つことで変化していく心理面をどのように演じたのですか?

本作に関しては比較的真っ直ぐに演じました。なるべく忠実に、必要な情報をインプットして、原作からも取り入れたり、自分で考え演じました。今回家の中のシーンが多く、二日前からトオルのアパートに住んで、部屋の中のトオルの動線を考えました。お風呂がなかったので、銭湯に通い、サウナに入ってニコチンとカフェインを抜いていました。


juu-500-2.jpg――今回タバコを吸うシーンが多かったのですが、まだ幼い感じがしました。今回の役の自分との相違点は?

僕とトオルは全く違います。この役をやることになって、「ぴったりだと!」とよく言われましたが、「複雑だな~」と(笑)。僕の場合は両親がいて、ちゃんとぶつかって生きてきたのに、トオルの場合は両親がいない、養父母に対しても嘘をつくし、実の父親に会ってもあのような態度をとります。それはそうせざるを得なかった彼の衝動であり、器の小ささだと思いました。

僕の場合もダサい自分から逃げていた時期がありました。親(村上淳)がカッコいいから、それに反抗するにはダサくせざるを得なかったのです。ブランドものではなくファストファッションを着たいとか。それは反抗でもあり逃げでもある。その感覚はトオルにも通じるものがあったのではないかと考えています。

僕の世代はそこそこ賢くないと生き辛い。親のプレッシャーや社会のルールとの板挟みなど、本人のせいではなく環境のせいかも知れない、そうした迷いと不安が自分の中にも混在していると感じることはあります。


――社会性を持った作品の象徴的なキャラクターを演じておられましたが、青年期に入る頃の危うさを意識した?

そうした危うさについてよく書かれますが、真っ直ぐに生きようとすればそう映るのは自然なことで、敢えて意識はしていません。僕は成長が遅いタイプで、身長や骨格も変声期も歯の生え変わりも同世代の人より遅かったです。でも、それはある意味、他の人が表現できない部分を持っている強みでもあると思っています。


――『武曲MUKOKU』での瞬発力が強烈に印象に残っているので、この役にぴったりと言われる所以なのでは?

今回の『銃』に出演できて本当に光栄に思っております。僕としてはひとつの完璧な『銃』を作ったつもりですが、いろんな『銃』があってもいいのではと思っています


――銃を猫や女性に向ける時の半端ないビビり方が映像としても面白かったが?

銃と刀の違うところは、人を殺す覚悟が違うことです。撃つ時も、正面からと後ろからでは違うし、正面からだと怖くてとても撃てない。でも、刀は強い殺意がないと殺せないけど、銃は人に対して距離感があるので簡単な武器だと思います。


――デビュー作でも共演されている実父・村上淳さんについて?

僕から見る父親はさほど変わっていません。むしろ父親の方が、僕が素人から俳優として変化しているので大きく変わったと思います。芝居に関するアドバイスはありませんが、その人がどういう覚悟を持っている人なのか、どんな人と付き合っているのか、人としてのアドバイスはあります。


――村上淳さんは吹っ切れたような役を演じることが多いですね?

最近はオッサンにはまってますよ。一時期お腹を出していた時期があって、「どうしたの?」と訊くと、「やっぱ40代はこうだろう!」と言っていましたが、カッコ悪いと思ったのか、すぐに止めました(笑)。


――今回共演されて、撮影後に何かお話をされたのですか?

1日で撮ったシーンだったので、別に話しはしませんでした。ただ、能動的なカメラの前の立ち位置やタッフに対する態度についてとかは聞いています。


juu-500-1.jpg――リリー・フランキーさんとの共演は?

リリーさんは掴みどころのないあのままの方。「安心できない安心感がある」というか、リリーさんはリリーさんとしてそこにいる。


――お二人のシーンは繊細で緊張感があったが?

それは気持ちの悪い刑事をリリーさんが演じて下さったお陰です。手帳のひもを手繰り寄せたり、タバコも「HOPE」を使ったり、悪魔か天使なのかよくわかりませんでした。リリーさんが演じる刑事はトオルが作り出した幻想のような、父性の塊だったり、こう叱って欲しいと思ったり、自分を追い詰めますが、救いを求めているような不思議な存在でしたね。


――オフの時には映画を観に行ったりしますか?

はい、よく行きます。最近では『華氏119』や『ヴェノム』を観ました。『止められるか、俺たちを』を観に行こうとしたら、トークショー付きで立ち見だったので止めて、『ここは退屈、迎えに来て』を観に行ったら満席で見ることができませんでした(笑)。


juu-500-3.jpg――女優さんとの絡みは如何でしたか?

広瀬アリスさんは少年漫画が好きで、オタク気質のだということが、今回共演して知りました。華やかさの陰に意外とシャイなところがあって、この役には合っているなと思いました。ラブシーンはアクションだと思っているので、そんなに楽しいものではありません。


――東京国際映画祭での受賞について?

僕の【東京ジェムストーン賞】の新人賞より、武監督の【日本スプラッシュ部門】での監督賞の方が作品として認められたようで嬉しかったです。映画祭だけでなく、多くの人に観てほしいと思います。「記憶に残る作品にする」と奥山プロデューサーが言われた通りになればいいなと思っています。
 



次回作のため金髪で現れた村上虹郎、21歳。まだ少年のようなあどけなさが残るものの、俳優として作品にかける思いや人物像の解釈について迷いなく語ってくれた。その姿に、今後どのような役の幅を広げて成長していくのか、彼が創り出す世界観に浸れるのを楽しみにしていきたい。  
 



『銃』

【STORY】
大学生の西川トオルは、ある雨の夜拳銃を拾う。近くで殺人事件が起こり、その拳銃が凶器に使われたようだ。警察に届けることなくそのまま家に持ち帰り、毎夜銃を磨きながらひとり銃に話しかける。ごく平凡な大人しい学生に見えたトオルが、大胆な行動をとるようになり、次第にトオルの秘めていた内面も変化していく。それは、女性との付き合い方も変化していき、さらに過去のトラウマから銃を使って「殺したい」という衝動へとエスカレートしていく。そこに、一人の刑事が現れて秘密を抱えたトオルに揺さぶりを掛けていく……。


((C)吉本興業 2018年 日本 1時間37分 R15+)
・原作:中村文則(「銃」河出書房新社)
・監督・脚本:武 正晴  ・プロデューサー:奥山和由
・出演:村上虹郎、広瀬アリス、リリー・フランキー、日南響子、新垣里沙、岡山天音
・公式サイト:http://thegunmovie.official-movie.com/

2018年11月17日(土)~テアトル梅田、シネマート心斎橋、第七藝術劇場、T・ジョイ京都、シネ・リーブル神戸 ほか全国ロードショー


(写真・文:河田 真喜子)

 
 

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誰も知らないマリア・カラスがここに。
未完の自叙伝、未公開映像・音源・封印されたラブレター
初解禁!



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トム・ヴォルフ監督 & 綾戸智恵(ジャズシンガー) 登壇!

綾戸智恵、カラスは「魂で歌うオンリーワンな人」と大絶賛
トム・ヴォルフ監督の才能にも太鼓判!

 

音楽史に永遠に輝く才能と絶賛されたオペラ歌手、マリア・カラス。いちど聴けば忘れられない世界にひとつの歌声と、高度なテクニックを自在に操る歌唱力、役柄とひとつになる女優魂、さらにエキゾティックな美貌と圧倒的なカリスマ性で、聴衆をとりこにした不世出のディーヴァ。没後40年にして初めて紐解かれる彼女の人生を綴った映画『私は、マリア・カラス』が、12月21日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ他にて全国順次ロードショーとなる。


2013年にマリア・カラスの歌声に感銘を受け、マリア・カラスを探求するプロジェクトを開始したトム・ヴォルフ監督。彼は3年間にわたり世界中を旅して未公開の資料や映像、音源を入手。また、カラスの近親者や仕事相手にも会いに行き、60時間以上のインタビューを実施。そこで得た貴重な情報や素材が初長編監督映画となる本作だ。


 

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この度、11月15日(木)に東京・神楽座にて一般客向け試写会が行われ、本作でメガホンをとったトム・ヴォルフ監督、本作を一足早く観賞・絶賛し、マリア・カラスに魅了されたというジャズシンガーの綾戸智恵が登壇した。


会場から盛大な拍手で迎えられ監督が登場し、「皆さん、こんにちは。マリア・カラスを日本の皆さんにお披露目できる事をとても光栄に思っています。個人的にも日本が大好きで14年前に初めて日本に来て、富士山に登って以来ずっと日本のファンなんです!この映画をつくるプロセスは富士登山と非常に似ていて、忍耐も力も必要だけでなく、意志の強さも大切でした。」と挨拶し、イベントはスタートした。


maria-callas-bu-240-1.jpgなぜ、今マリア・カラスのドキュメンタリーという大きな山に登ろうと思ったのかと聞かれると、監督は「この山は誰も今まで登ったことがないからです。」と即答。「今までカラスについて取り上げた本やテレビ番組はたくさんありますが、最初から最後までカラスが自分自身の言葉で自分について語った映像は今までなかったんです。それが全く新しいアプローチであることに私が大変興味を持ちました。そして、彼女の言葉から彼女を直接知るという経験をしてみたいと思いました。」とカラスの魅力や想いを語った。


本編の50%以上が初解禁の素材で構成されている本作。膨大な素材の集め方については「皆さん彼女に関する音源や映像は全て見て、聴いたと思っていらっしゃると思います。だからこそ、この映画をつくる旅路に5年もかかりました。これまでとは異なる形で、私はこの映画の全てを彼女自身の言葉で構成しようと思ったので、最初の3年間はリサーチに時間を費やし、世界中に散らばっている素材を探しました。探し出した素材の多くは未公開で、中には失われたと思われていたり、個人が所有しているものがほとんどでした。幸運にも彼女の友人にもお会いできて、貴重な手紙やホームビデオを入手する事ができたんです。」と感慨深く語った。


続けて「二重の意味でこの映画を日本で公開できるのは、非常に光栄に思っているんです。というのも、マリア・カラスの最後の公演は日本で行われたので、彼女にとって日本は特別な位置を占めているんです。44年経ってこの映画を日本に持ってくるということ、日本のファンに紹介するということは非常に大きな意味があると思います。日本のファンはマリア・カラスを非常に愛していましたし、愛と尊敬をもって彼女を迎えていました。なので、この映画を若い方々にも観てもらい、ぜひ彼女を知ってほしいですね。そうする事で、日本とマリア・カラスの"ラブストーリー“がずっと続けばいいなと思います。」と言及し、会場の観客も感銘を受けた様子だった。


maria-callas-500-1.jpgドキュメンタリーでありながらドラマティックな要素もある本作の編集については「6ヶ月間、あちこちに散らばったパズルのピースを一つ一つ集めて、一枚の大きな絵を作り上げるような作業でした。編集担当のジャニス・ジョーンズと2人で部屋にこもって作業に没頭しました。劇中で度々登場するデビッド・フロストとのロングインタビューをバックボーンにして作り上げていったんですが、実はこのインタビューは1970年に放送されて以来、40年ぶりに発見したものでした。このインタビューは普通とは異なり、彼女の告白に近く、最初で最後の、カラスではなくマリアとして話をしているとても貴重な内容でした。


このインタビューをバックボーンに、時代順に映画は進むのですが、ある意味で彼女が自分自身を振り返っている形になっています。劇中では、マリア・カラスのアーティストであるカラスの部分と、ひとりの女性であるマリアの部分の二重性を追っているんですが、そのバランスも大切にしました。彼女自身も個人的な生活とアーティストとしての生活のバランスを取ろうとしてもがいていたわけですが、個人としての幸せを追求したいという想いと、アーティストとしての自分が段々大きくなっていく間の苦悩をこの映画の中で表現できるよう構成していきました。そして、最終的にはマリア自身が浮かび上がるような、マリアとカラスのリンクが分かるような映画にしていきました。」と語った。


maria-callas-bu-240-2.jpg続いて、本イベントの特別ゲストとして日本のジャズ・ディーヴァことジャズシンガーの綾戸智恵が大輪のバラをもって登壇。「(マリア・カラスにかけて烏のマネをして)カ~カ~と言いながら登場しようと思ってたけど、足を痛めてたし、お花を持ってたからできへんかった。」と綾戸節炸裂で元気に登場し、会場は笑いの渦に包まれた。一足早く観賞した本作については「(カラスと自分は)音楽というのが共通点だと思う。なぜ、こんな歌なのかというのは、その人の人生をみればわかる。歌い方ではなく、歌詞でもなく、憂いや女性の性を彼女が歌うことによって、作品が彼女の歌になる。私もジャズの名曲を自分の歌として人生を重ねて歌えば、亡くなってからも愛される存在になるんかなと思いました。」とユーモアたっぷりに作品の魅力を話した。


賛美とバッシングを受けながらも舞台に立ったカラスについては「美しいから出る杭は打たれる。一番はやはり彼女が"歌えた”人だということ。歌いたいという気持ちはもちろんあるけれど、こんな風に歌えた人だし、歌を上手く歌うだけの努力ではなく、色々な人から受けた影響を大事に思いながら、歌に反映させたんちゃうかな。だから、マリア・カラスはオンリーワンやね。」と答え、監督は「映画の冒頭で、彼女がマリアとしての自分と、カラスとしての自分の2人がいるが、よく聞けば、そのカラスの中にマリアがいることが分かると語っています。


maria-callas-500-2.jpgつまり、それはマリアとして生きた感情や人生経験、葛藤があったからこそ、彼女が演じたオペラの役にリアルに浮かび上がらせる事が出来たんだと思います。自分の人生を超越して、天上にあるハーモニーという高みに達するために努力したお陰で、時代を乗り越え、没後40年経った今でも彼女は多くの人に愛されていますし、私たちは彼女が努力して得たアートの美しさを得ているんだと思います。綾戸さんや私のようなアーティストにも影響を与えてくれます。


映画をつくるにあたって、自分の役割は現代の今の観客の方にマリア・カラスの本当の姿を伝える事だと思ったんです。エゴや名声ではなく、人に仕えるというアーティストとしての謙虚さも彼女から学びました。」とコメント。さらに綾戸が「彼女はジャンルを超えて、心を通じて歌うんで、専門家でない人にまで、すべての人を引き込む力があった人やないかな。なんでか言うたら、小さい時に初めて彼女の歌を聞いて、何を歌ってるか分からなかったけど、思わず「ええな」と耳を傾けてしまった。そこにはジャンルを超えた人間マリア・カラスがおったからやと思う。それを監督が映画にしたのは良い意味の使命感がある。歌い続けることよりも、引き継ぐことに彼女の一生があるんだと思う。」と熱い想いを語った。


maria-callas-bu-500-1.jpg冒頭で“マリアとして生きるには、カラスの名が重すぎるの”というセリフが印象的な本作。歌い手でありながら、常に人の目に晒され、生き方までキャリアに影響したカラスについて、自身も同じ歌い手である綾戸は「女性だから、自分の幸せについて考えるし、何が幸せかはわからないけれど、それは彼女が決めること。辛い事もあったけど、彼女は全てを歌にぶつける事ができた。私は楽しい事があると家族にぶつける事が出来た。歌の重さは人それぞれですから、量りに乗せてもメーターは動かへん。ただ、(彼女の歌を)聴いてる私たちは、スキャンダルなどあった彼女の歌、その中でもがき苦しんだ女性の儚さが聴こえる。この人生だったから、この歌があると納得してほしいし、これだけ誰しも歌えるとはちゃいまっせと言いたいですね。それが彼女からのギフトであり、この人の道。だからこそ、没後40年経ってもマリア・カラスは皆さんに聴いていただけると思う。」と綾戸節全開で、深く共感する気持ちを明かした。


最後に監督が「綾戸さんにこの映画とマリア・カラスの事を理解していただけてとても嬉しいです。私よりも彼女について語れると思いました(笑)今日は綾戸さん、そして皆さまに心からお礼を申し上げたいと思います。」と熱いメッセージが贈られ、大盛況のなか笑顔でイベントを締めくくった。


『私は、マリア・カラス』

【STORY】
音楽史に永遠に輝く才能と絶賛されたオペラ歌手、マリア・カラス。いちど聴けば忘れられない世界にひとつの歌声と、高度なテクニックを自在に操る歌唱力、役柄とひとつになる女優魂、さらにエキゾティックな美貌と圧倒的なカリスマ性で、聴衆をとりこにした不世出のディーヴァだ。


maria-callas-pos.jpgスターの座に上り詰めた彼女の名は、数々のスキャンダルによってさらに広まった。28歳年上の男性との結婚、大統領やセレブも駆け付けたローマ歌劇場の舞台を第1幕で降りたことへのバッシング、メトロポリタン歌劇場の支配人とのバトル、ギリシャの大富豪オナシスとの大恋愛、そしてそのオナシスが元ケネディ大統領夫人ジャッキーと結婚したことを新聞で知るという衝撃の顛末。

ドラマティックな人生は幾度か映画化され、マリア・カラスの伝説はコンプリートされたかに見えた。ところが、没後40年にして彼女の未完の自叙伝の存在が明らかになる。彼女に惚れ込んだトム・ヴォルフ監督は、3年の月日をかけた〈真のマリア・カラスを探し求める旅〉でこの自叙伝を入手。さらに、彼女の親友たちから信頼を得て、封印されてきたプライベートな手紙や未公開映像もふんだんに集めることに成功した。


そこで描かれるのは「誰も知らない」マリア・カラス。スキャンダルやバッシングの嵐の中、プロフェッショナルとしての信念に、倒れても歌うことを諦めなかった壮絶な“カラス”と、ひとりの女性として愛を切望し、千々に心乱され苦悩しながらも、全てを受け入れようと変化していく“マリア”の姿があった。その「圧巻の歌声」は、彼女の偽りのない「告白」により、深い哀しみと深い愛を湛え、我々の胸をさらに掴んで離さないものとなる―。


■監督:トム・ヴォルフ  
■朗読:ファニー・アルダン(『永遠のマリア・カラス』) 
■配給:ギャガ 
公式サイト: http://gaga.ne.jp/maria-callas
■(c)2017 - Eléphant Doc - Petit Dragon - Unbeldi Productions - France 3 Cinéma

2018年12月21日(金)~TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ、大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、MOVIX京都、シネ・リーブル神戸 ほか全国順次ロードショー


(オフィシャル・レポートより)

 

 
 
 
 
 
 
 
 
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母からどんなに辛い仕打ちを受けても、母との絆を取り戻すべく、勇気を出して向き合った青年の実話を元にした映画『母さんがどんなに僕を嫌いでも』が、11 月16日(金)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹他全国ロードショーされる。
 
歌川たいじが自身の過去を振り返り、壮絶な母子関係を綴ったコミックエッセイを、『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』の御法川修監督が映画化。社会人になったタイジを演じる太賀と、母を演じる吉田羊の確執を超えて向き合うようになるまでの日々に加え、タイジを支えた友人たちや、幼い頃タイジが慕っていた婆ちゃんと過ごした日々も描かれ、辛い描写だけでなく、愛や友情にも満ちた物語になっている。幼い頃、母や周りから植え付けられたトラウマを乗り越え、心の闇を抱えた母と向き合う主人公タイジを演じた本作の主演、太賀さんにお話を伺った。
 

 
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――――最初脚本や原作を読んだ時の感想は?
太賀:脚本だけ読むと悲しいことの連続なのですが、マンガの原作は歌川さんの描く絵のタッチが柔らかく、とても可愛らしい。コミカルで、優しさや温かさがある物語でした。ただ悲しいだけではなく、それを乗り越える力や、人と人とが寄り添っていくことの方がより濃く描き出されていたのです。様々な困難を乗り越えた歌川さんの実人生を演じるのに、生半可なことはできないと思っていたので、これなら演じる上での糸口があるなと感じました。
 
 

■歌川さんに直接聞かず、自分なりに想像し、考えて望んだタイジ役

――――幼いころ親に虐待を受けたタイジを演じるにあたり、どんな役作りをしたのですか?
太賀:見た目のアプローチより、精神面のアプローチ、つまり歌川さんがその時どう感じていたのかを自分なりに掘り下げていく作業でした。歌川さんは撮影現場に、映画でも登場する手作りの混ぜご飯をスタッフ分差し入れして下さったり、撮影がしんどくなった時は手作りのお菓子を差し入れたり、声をかけたりして支えてくれていました。歌川さんに「この時どう思っていたんですか?」と聞く機会はいっぱいあったのです。でも、あえて聞かなかった。歌川さんの話を聞いて、その時の気持ちを知った気にはなりたくなかったし、このシーンのタイジはどんなことを考えていたのかを自分なりに想像し、考えていかなければ、歌川たいじが経験してきたことを僕が体感できないと思っていました。想像力との勝負で、そんな僕を歌川さんは見守ってくれました。ただ、佇まいを取り入れられたらいいなと思って歌川さんの様子はめちゃくちゃ観察していましたし、「今日寒いですね」というたわいもない会話もたくさんして、コミュニケーションはすごくとっていましたね。
 
 
 
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■役作りは、「お互いが影響し合う中で生まれるいびつさ」が理想形

――――タイジ役は、ご自身の想像力との勝負だったということですが、他の作品でも太賀さんが演じるキャラクターは、とても自然に見え、かつすごく説得力があります。日頃、演じる上で心がけていることはありますか?
太賀:撮影に臨む前は、こういうキャラクターで、こういう思いを持っていて、こういう目的でこの場所にいるという根底にある部分を自分の中に作って行きます。現場に入ると、目の前にいる役者さんとのやりとりや、監督の演出が加わり、自分が元々描いていた輪を色々な所から引っ張ってもらい、いびつな形になる。それが役としての自然な形なのかなと思っています。お互いが影響し合う中で生まれるいびつさが、僕の理想の形ですね。
 
 
 
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■木野さん演じる婆ちゃんは「僕が思い描いたものより、はるかに温かく、優しかった」

――――木野花さん演じる婆ちゃんは、小さい頃からタイジの実のお婆ちゃんのような存在でタイジの心の拠り所でした。長い別れを経て、余命少ない婆ちゃんと再会するシーンは映画の最初のクライマックスでもありますが、撮影のエピソードを教えてください。

太賀:タイジの幼少期を演じた小山春朋君と木野さん演じる婆ちゃんのシーンは多いのですが、青年になったタイジ役の僕と婆ちゃんとのシーンは1日で撮影し、まさにその日が本作で木野さんとの初顔合わせで、どんな感じになるのか想像がつかなかったのです。本当に外せないシーンで、どうにかしなくてはという気持ちで現場に臨んだのですが、木野さんは本当に素晴らしかったです。本番までに言葉を交わすことはほとんどなかったのですが、いざ本番が始まると、僕が家で脚本を読みながら描いていた婆ちゃんの芝居よりもはるかに温かく、はるかに優しい婆ちゃんがそこにいました。僕一人で考えて、現場に持ち寄ったものが、いい意味で変化していく。木野さんにはすごくいい方向に引っ張っていただき、一緒に演じている瞬間、僕をすっと「タイジ」にしてくれました。

 
――――婆ちゃんとの再会以降も様々な転機がタイジに訪れますが、作品を通して、タイジの気持ちの変化をどのように表現したのですか?
太賀:物語の中で、何度かタイジの節目になるようなところがあります。例えば友達4人の海辺のシーンで「こんなに嬉しかったことはなかったかも」というセリフがあるのですが、自分自身の感動を更新する瞬間の表情は、意識的に自分なりの表現を目指しました。
 
 
 
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■底抜けの明るさと真面目で繊細という二面性のあるキミツ役の森崎ウィンは「バチはまり」

――――正反対のように見えて、お互いの本性を瞬時に見抜き、あっという間に親友となるキミツ役の森崎ウィンさんとのコンビが楽しく、また、タイジを支える重要な役でしたが、共演した印象は?
太賀:森崎ウィン君とは同じ事務所で、以前ミュージカルで共演したことはあったのですが、映画では初共演です。僕は役者畑で、彼は同じ役者向けのレッスンを受けていたのですが、途中からダンスボーカルユニットPrizmaXに加入し、アーティスト活動を頑張り、最近は再び役者の方でも頑張っています。10年以上お互いに違う道で切磋琢磨をしてきた訳で、このタイミングで共演できるのはすごく嬉しかったですね。キミツという難しい役を誰がやるのかと思っていたら、ウィン君に決まったと聞き、彼なら絶対にできると思いました。彼の持っている底抜けの明るさと、根は本当に真面目で繊細な所であったり、人のことをよく観察している。そういう二面性がキミツにはあるので、バチはまりだなと。
 
――――太賀さんも森崎ウィンさんも、今回難しい役を演じていますが、お互いに相談をしあうことはあったのですか?
太賀:今回ダンスシーンがあるのですが、僕はダンスが苦手なので、ウィン君が手取り足取りして振り付けを教えてくれました。撮影の合間のダンス練習も付き合ってくれましたし、とても感謝していますね。
 
 
 
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■母役、吉田羊とのシーンは「とてもいい緊張感」。最終的には様々な起伏を経て溶け合うイメージに。

――――大人になったタイジは、体罰を加えた母の心の闇を知り、追い詰められていた母と向き合い、彼女を救います。それに到るまでの壮絶な母と息子の物語を演じた吉田羊さんとの撮影について教えてください。
太賀:母から拒絶されている役なので、現場では僕の気持ち的に、どのようにコミュニケーションを取ったらいいのか分からない。現場を離れても羊さんのことばかり考えているのですが、いざお会いすると、何を話したらいいか分からないのです。おそらく羊さんもそのような母役なので、必要以上にコミュニケーションを取ろうとされなかったです。いざ本番が始まると壮絶なバトルが始まる訳ですが、演じる上ではとてもいい緊張感で、とても濃密な時間でした。罵声や虐待が重なっていく中で、「どうして分かってくれないんだ。もっと自分のことを分かってほしい」という思いが膨らんできましたし、そういうテンションを維持しながら、ラストの土手のシーンに持っていけたらいいなという気持ちで演じていきました。そして、ラストでは溶け合いたいという気持ちがありました。今まで張り詰めていたものが、色々な起伏を経て、最終的には溶け合っていく。そんなイメージでした。
 

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――――最後に、かなりいびつではあっても「息子から母への全力のラブレター」のような母と息子の物語に主演しての感想や、これからご覧になる方へのメッセージをお願いします。

太賀:誰かを救うとまでは言えなくても、タイジが母と向き合う姿はとても勇気をもらえるのではないかと思います。悲しみを乗り越える勇気のある物語ですし、観終わった後に、お母さんのことを思ってもらいたい。誰しもが愛される権利を持っています。この作品をぜひ劇場で見て、何かを感じ、持ち帰ってもらえると嬉しいですね。

(江口由美)
 

<作品情報>
『母さんがどんなに僕を嫌いでも』(2018年 日本 104分) 
監督:御法川修
原作:歌川たいじ「母さんがどんなに僕を嫌いでも」KADOKAWA刊
出演:太賀、吉田羊、森崎ウィン、白石隼也、秋月三佳、小山春朋、斉藤陽一郎、おかやまはじめ、木野花他
2018年11 月16日(金)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹他全国ロードショー
公式サイト⇒http://hahaboku-movie.jp/
(C) 2018「母さんがどんなに僕を嫌いでも」製作委員会
 
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250年間平和な世が続いた後、開国を前に揺れる幕末期を舞台に、池松壮亮、蒼井優を迎えて描く塚本晋也監督初のオリジナル時代劇『斬、』が、11月24日(土)よりユーロスペース、12月1日(土)よりシネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマほか全国順次公開される。
 
農家の手伝いをしながら、日々剣の稽古を怠らない実直な浪人、杢之進(池松壮亮)が、通りすがりの剣の達人、澤村(塚本晋也)と出会い、武士の本分を果たす決意を固めるところから始まる物語は、人が超えてはいけない一線を超えてしまう瞬間を捉えた物語でもある。池松壮亮がどんどん精神的に追い詰められていき、ある決断に及ぶ杢之進を全身全霊で演じ、今年の主演男優賞と呼んでも過言ではない凄みのある演技を見せている。杢之進に想いを寄せるゆうを演じる蒼井優の存在感も見逃せない。舞台は幕末だが『野火』に通じる、とても普遍的なテーマが根底にある作品だ。
20年間温めていたアイデアを一気に映画化したという塚本晋也監督に、お話を伺った。
 

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■ベテランなのに新人のような初々しさを保ち続けている池松さんの出演決定で動き出した『斬、』。

――――20年間「一本の刀を過剰に見つめる若い浪人」というアイデアが頭にあったそうですが、いよいよ映画化すると決めた時に、主演の杢之進は最初から池松さんを想定していたのですか?
塚本:『野火』の後に何を撮ろうかと考え、この時代劇を撮ろうと決めた時から、池松さんに杢之進を演じてほしいと思っていました。ここ数年の池松さんの作品を何本か拝見し、とても自然な感じの演技をなさるので、素晴らしい新人さんが現れたのかと思っていたのです。初々しいアンテナの塊のような感じがする池松さんを見て、初々しい今の池松さんに僕の時代劇へぜひ出てほしいと思ったところ、実は子役時代から活躍しているベテランであることを後になって思い出しました。ベテランなのにこなれず、こんなに新人のような初々しさを保ち続けていらっしゃる。それは池松さんの素養であり、実力で、なおさら出演してほしいと思ったのです。
 
――――今回は忙しいスケジュールを空けて、オファーを快諾されたそうですね。
塚本:オファーをする前に、池松さんの方からマネージャーさんを通して僕の作品に興味があると連絡を下さいました。まだ内容も定まっていない時でしたが、それなら時代劇をやるしかない!と、思いました。最初お会いしたのが春で、物語は夏を想定していたので、あまりにも時間がなさすぎるし、夏は池松さんのスケジュールも詰まっていたのでいったんは諦めました。でもその後、夏のスケジュールが空いたと池松さんサイドからご連絡を頂いて、さらに時間はなくなっていましたが、このタイミングを逃したらずっと先になってしまうと思い、すごい勢いで準備、撮影を駆け抜けました。夏恒例の『野火』全国行脚がすでに決まっていたので、さらに過酷な日々になりました。
 
 

■過去を通して描くことで今や、これから起こりうることを考える。

――――時代劇の時代設定を幕末にした理由は?
塚本:以前から幕末ものは興味がありましたが、今回は時代考証の先生に今自分がやりたいことを伝えたところ、幕末がちょうどいいと。250年平和に過ごし、ペリーの黒船来航の後、開国か否かを巡り、だんだん国内が血生臭くなっていきます。時代の変わり目で、次の時代には大戦争に突入していく訳ですが、その時代と今の時代は似ています。70年以上戦争がなかったものの、だんだんと戦争ができる状態になってきていますし、そのまま次の時代に行くと恐ろしいことになってしまう。過去を通して描くことで、今に照り返して感じることができるのではないかという狙いを込めました。
 
――――農家の手伝いや用心棒、市助の稽古をする等、杢之進の本当に質素な武士の暮らしが描かれているのが新鮮でした。
塚本:いざという時には戦に臨む準備は出来ているつもりなのですが、本当に戦が起きたらどうなるのか。それこそ、今の若い人たちが戦争に行ったらどうなるだろうという気持ちで杢之進を設定しています。
 
 

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■身体能力と演技が一体となった池松さん。相当な集中力なのにさりげないのが素晴らしい。

――――杢之進を演じる池松さんの殺陣の動きが見事でしたが、本格的な殺陣は初経験だそうですね。
塚本:池松さんは、身体能力と演技は一体であると信じて演技をしていらっしゃり、僕はそういう俳優さんが大好きです。顔だけではなく、全身から出るオーラが演技だと思っているので強く共感しました。殺陣は本格的にはこの映画で初めてやったそうですが、すごく覚えが早い。殺陣のシーンも挑み方がすごくて、下に石がある場所でも勢いよく転がるのです。僕が心配になって「大丈夫ですか?」と声をかけると、「大丈夫です!」とケロッというのですが、後で腕を見ると傷の上にまた新しい傷があって、大丈夫の基準が僕と違う!と驚きました。洞窟の中の壊れた小屋に飛び込んでいくシーンも、池松さんが「目だけカバーすれば大丈夫ですから!」と言ってどんどん前に進んでくださったんです。相当な集中力で演じて下さったと思います。それでも現場をピリピリさせることはなくて、さりげない。それが本当に素晴らしかったですね。

 

■もう一つの主役、刀に人と暴力との関係や、道具との関係を収束させる。

――――映画は刀ができるところから始まり、刀の音で終わります。刀が重要な役割を果たす作品ですが、どんな思いを込めているのでしょうか? 
塚本:もう一つの主役は刀です。刀が生まれてからどのような変遷を経て、どう使われるのかという話です。人が最初に出会うシンプルな道具は、鉄の塊です。農耕など食を得るために使われますが、叩いて動物を殺したりと、暴力の道具としても使われるようになります。『野火』では鉄が恐ろしい戦車になったり、数々の武器になりましたが、戦争の時代から時を遡り、この映画では刀一本に凝縮させました。人と暴力との関係や、道具との関係をぎゅっと収束させ、シンプルにそのことを見つめられないか。そういうテーマで作っています。
 
――――塚本監督は、杢之進の運命を変える澤村を演じています。杢之進を実戦で通用する刀の達人に育てようとする師匠的役割を果たし、物語の鍵を握っていますね。
塚本:当時では有能な剣の使い手でもあるし、映画を見ている人も拍手喝采を送っているうちに、いつの間にか目の前に刀を向けられる。そういう印象の映画になればいいなと思っています。
 
――――杢之進の人生を変えてしまうぐらい、とことん追い詰める凄みがありました。
塚本:だいたい僕の役は、主人公をストーカーのように追い詰める役なので・・・。杢之進は外交的な手腕があり、村にやってきた無頼漢の浪人たちと対話を試みるのですが、僕の演じる澤村が時代の波とともに杢之進を追い立てていきます。とてもシンプルな映画ですが、自分の言いたいところがすっきり入っています。
 
 
 
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■ゆうは、一般民衆の代表的役割をも内包した役。

――――蒼井優さんが演じる杢之進に想いを寄せるゆうも、杢之進同様、運命が変わってしまう複雑な役を演じていますが、物語でどんな役割を担わせたのですか?
塚本:ゆうには、一般民衆の代表的役割も込めています。弟や好きな人が戦争に行きそうになればその身を案じるのですが、怖い人が村を圧迫していると感じると、シンプルにやっつけてほしいと思う。それを自分の見えない所で退治をしてくれると、「やった!」と喜ぶ訳です。太平洋戦争の時にフィリピンで負けていても、新聞で「勝った」と書かれていると一般の人たちが喜んだのと同じです。実際には血みどろの戦いなのに、それを目の当たりにしない限りは、そういう想像力が働かない。蒼井さんはそういう役を典型的にせず、さまざまな女性の顔で自然と実感がわくよう魅力的に演じてくださいました。蒼井さんには最初に、『野火』という戦争映画に時間を遡って繋がる映画であることをお伝えしました。 
 
――――だんだん血生臭くなっていく物語の中で、杢之進とゆうのミニマムな描写ながらエロチシズムを感じるシーンが印象的でした。
塚本:理屈で考えていたわけではないですが、暴力的なことをするかしないかというジレンマと、エロチシズムは繋がるのではないかと思っていました。実はエロチシズムのない脚本もあり、それも面白かったのですが、いざやろうとすると面白いと思えなかった。やはり本能的な情動が映画にないと面白くないと気づき、エロチシズムのある方を取ったんです。
 
 
 
 
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■様々なシーンを積み重ねた先の最後、どちらを選ぶのかは池松さんにお任せした。

――――終盤は森の中でアクションを交えての撮影でしたが、現場の様子は?
塚本:とにかく時間がなくて、猪突猛進の現場でした。池松さんとはまるでセッションをしているかのように、その瞬間、瞬間でアンテナを立てまくりました。相手がどう出るから、こちらがこう返すという具合に、瞬間的なことを刈り取って行く感じでした。池松さんが様々なシーンを積み重ねた先の最後にどちらを選ぶのかは、その時にならなければ分からない状況でした。最初に一度は通しで基本的なことをやったのですが、後は現場でのお楽しみという感じで池松さんにお任せしました。僕は自分が演じるとき脚本で“泣く”と書かれていると、「泣くかどうかは分かりませんよ」と言いたくなるんです。“感情が高まる”というのなら分かるのですが、物理的なことは自分の脚本に書きたくないと思っていますし、感情の流れの中で自然に演じてくださいと言っています。
 
――――そういう撮影は、塚本組ならではでしょうか?
塚本:いや、僕の映画は割と細かくネチネチとやる方で、いつも撮影期間がとても長いんです。昔は1年間撮っていましたし、30代は4ヶ月、それ以降はスタッフが育ったので2ヶ月ですが、それより短くなることはなかった。3週間は今までにないですが、今回は主役があの二人なので2週間でもいいと思った。照明でお待たせするよりは、テーマをはっきり決めて、照明ではなく二人の温度を撮るんだ!二人さえいれば、昼は自然光、夜はロウソクの灯りで映っていなくても息の揺らぎが入ればと。そう言いながら、実際は照明待ちをさせてしまったこともあったのですが(笑)。
 
――――『野火』も自然の中でしたが、今回も見事な農村地帯で自然に囲まれたロケーションです。
塚本:山形県の庄内で全て撮りました。『野火』以降は、こんなに綺麗な自然の中で人は何をしているのかという気持ちを込めているかもしれません。普遍性と言いますか、その時のしがらみがなければ、自然の中に人と人がいるだけです。映画でも皆が仲良く遊ぶシーンがありますが、しがらみが入ってくると同じ森の中で人と人とが戦わなければいけない。はっと我に帰れば、ただの人と人なのに。
 
 

■石川さんの未公開音源も採用し、対話しながら作り上げた音楽。

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――――今まで塚本監督の作品の音楽を手がけられ、本作にも携わる予定だった故石川忠さんのエピソードをお聞かせいただけますか?
塚本:この映画をやろうと勢い込んでいる時に石川さんと会う機会があり、音楽担当を快諾いただいたのですが、撮影が終わった頃に具合が悪くなられ、編集中に再度「やります」と言っていただいていたものの、12月に亡くなってしまわれました。いつも編集を見た後で打ち合わせをするので、今回は残念ながら編集途中だったので映像を見ていただくことはできなかったんです。ただ石川さん以外の人に頼む気にはどうしてもなれず、石川さんとの長いお付き合いを振り返るつもりで、今まで僕の映画につけていただいた音楽を全部聞いて、それを映画につけました。最初はCDの曲でと考えていたのですが、それでは足りなくて。さらに映画に使ったものでCD化されていないものも探しましたし、それでも足りなかったので、石川さんの奧さんにお願いし、石川さんの自宅にあり、まだ世に出ていない音源を聞かせてもらい、ようやく形になりました。 
 
――――今回の音楽は石川さんの集大成になりましたね。
塚本:生きている石川さんの意思は入っていませんが、石川さんがこうするとどういう返事をするかは、石川さんの声の調子まで僕の中に入っているので、ごく普通に「どうっすかね〜」「いいんじゃなすか〜」みたいな感じで貼っていきました。
ヴェネチア映画祭の公式上映の前に、1400人ぐらいが入るシアターでプレス上映があり、エンディングの前に様子を見に行ったのですが、驚くほど賑わっていて、エンドロールで石川さんの名前が出ると拍手喝采が起こっていたので、そこは感動してしまいました。
 
 

■みんなが戦争は正しいと動いてしまうと、抗うのは難しい。その前に何とかしておかなければ、もはや頑張る美談すら作れない。

――――人間が追い詰められるとどうなるか。『野火』に通じる普遍的なテーマです。
塚本:みんなが戦争は正しいと動いてしまうと、それに抗うのは難しい。その前になんとかしておかなければいけないと思います。映画の中でしたらそこで若い人ががんばって違う道を達成する姿を描きますが、みんなが同じ方向に向いてしまうとー。そういう時代に少しでも近づかないようにするのは大人の責任と思います。日本で優しいお父さんだった人が戦争に行き、上官に捕虜を銃剣で突き刺せと命令され、いやだけど断ると自分が上官に殺されるので捕虜を突き刺したところ、ドンと腹が据わり充足感を味わったそうです。そこからは上官に求められる人に変わってしまった。つまりそういう状況を作り出すというのが、大人が一番やってはいけないことです。その中で「僕は殺さなかった」という美談を作り出すことなんて、もはやできません。
 
 
 
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■塚本組に初参加の池松さんと蒼井さんは、夜、星を見ながら「幸せだ」

――――ヴェネチアにもご一緒された池松さんと蒼井さんは初めての塚本組での撮影にどんな感想を持たれていたのでしょうか?
塚本:結構喜んで下さったみたいなので安心しました。今回はプロに入ってもらいましたが、たいへんにミニマムな現場ですし、お二人は大作でも活躍されているので申し訳ないと思っていたのですが、かえって現場の純粋性を喜んで下さり、手を貸してくださいました。蒼井さんの周りの草を濡れた状態にしたかった時、蒼井さんがジョウロで水を撒いて下さったこともありました。通常、俳優さんは段取りが整うまで別の場所で待っているのですが、最初から近くにいてすぐ参加できるように様子を見てくれていました。
 
――――お二人も今までにない撮影で、充実感を覚えていらっしゃったんでしょうね。
塚本:庄内は夜、星がとてもたくさん出るのですが、二人で夜撮影が終わって星を見ながら「幸せだ」と言っていたんですと蒼井さんが教えてくれました。本当に少人数で、何かの軋轢もなく、ただシンプルに映画を作ることに邁進していたのが良かったのだと思います。
 
――――『野火』の時は、若い方に見てもらいたいとおっしゃっていましたが、この作品はどんな方に見ていただきたいですか?
塚本:時代劇なので色々な層の方に見ていただきたいですが、映画のテーマ的にはやはり若い人に見て、感じていただきたいですね。ただ面白かったというのではない、居心地の悪さを含めて、いろいろ考えてもらいたい。カタルシスの得られなさや、取り残された感じを、ぜひ味わってほしいです。
(江口由美)
 

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<作品情報>
『斬、』(2018年 日本 80分) 
監督・脚本・撮影・編集・製作:塚本晋也 
出演:池松壮亮、蒼井優、中村達也、前田隆成、塚本晋也他
2018年11月24日(土)~ユーロスペース、12月1日(土)〜シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマほか全国順次公開
※第75回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品
公式サイト⇒ http://zan-movie.com/
(C) SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER