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(2019年9月9日(月)@梅田ブルク7)

ゲスト:池松壮亮(29)



「ひるむことなく、全身全霊で闘う宮本を見て、

明日への活力につなげてほしい」

池松壮亮、29歳。むき出しの愛に全力投球!

 

今どきこんな熱血男子はいるのだろうか?…格闘技のような痛すぎる愛に「生きる覚悟」を示す主人公・宮本を、思慮深く大人しいイメージの池松壮亮が、今まで見たことのないブッチギレぶりで熱演。彼の本作に込めた想いを聴いて、改めて心を突き動かされてしまった。


miyamoto-550.jpg宮本を演じた池松壮亮は現在29歳、12歳で出演した『ラストサムライ』(2003年)以来、演技派俳優として若手俳優陣の中でも群を抜く存在。彼が演じるキャラクターは、奥深い人間性と豊かな心情を秘め、物語だけでなく不思議な魅力の世界観をも醸し出す。彼の出演する作品では目が離せない存在の俳優だ。


そんな池松壮亮が体当たりで演じた宮本は、理不尽な社会と闘い、靖子を命がけで愛し、新たな命を守り抜く義務感に燃える熱血男子を熱演。靖子を演じた蒼井優とは『斬、』に引き続いての共演。宮本をしのぐ圧倒的パワーでハートに火をつける靖子を、これまた他の女優にはない破壊力で熱演。今だから語れる、俳優として生きることや、作品への想い、そして今や“怪優”のような存在となってしまった蒼井優ついても正直に語ってくれた。

(以下にインタビューの詳細を紹介しています。)


――撮影中大変だったことは?

肉体的にも精神的にもダメージが強かったです。映画2時間で宮本の痛みを理解してもらうためには、どんな痛みも受け入れるつもりでいました。でも、もう一回やれと言われたらやりたくないですが(笑)。


――TVドラマ版と映画版とは宮本は少し違ってきているようだが、キャラクターについて真利子哲也監督と話し合ったことは?

何十時間も話し合ってきたので、一言で話すのは難しいです。日々宮本像を決定付けていかなければならない中で、それぞれ違う宮本像を描きつつも、どこかで一致させられるよう話し合いました。特にクランクインする前は慎重に議論を重ねました。


miyamoto-500-1.jpg――「傷付きたくない」と考えている今の若い男性に挑戦状を突き付けるような宮本像だが?

別に挑戦状を突き付ける気はないです。今の世の中は痛みを和らげるために経済が成立しているところがありますが、そんな中でも生き辛さを抱え、これだけの自殺率になってしまっている。本来、生きることはとても喜ばしいことであり、なおかつ痛みを伴うこともあるということを伝えられれば十分。ほんの一瞬の歓びを掴み取るために宮本は傷だらけになりながら生きていく訳ですから、リスクは付きもの。自分で経験しないと分からない。携帯を開けば人生が何たるかが分かるようになっている現代では、痛みに弱くなっていると感じます。


――今回の宮本を演じて、自分の中で変わったこと、得たものは?

「演ずることだけが俳優のゴールではない」と言いましたが、「届けることは俳優の義務」だとも考えています。一個人としてこの映画を通過して思うことは、時代の転換期にこの作品に出会えて、今一度人間らしくあらねばと思いました。

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原作者の新井先生の作風は過激な表現も多いですが、過激な部分を通過してピュアな所に行き着くという作風。人間回帰を表現してきた方でもあります。宮本もそういうところがあり、自分が暴れるのは、人生の苦難に対面した時に自分自身の価値が壊れてしまって、明日を掴むために暴れている。僕自身もそうだし、関わった人たちもそうだし、観て下さる人たちもそういう処を抱えていると思う。

非人道的なことが年々増加する現代において、目に見えない圧力を感じていても、宮本のような強引さが一瞬でも変化をもたらすことができるかも知れない。靖子の過去は変えられないが、心の痛みを半分にすることはできるかも知れない。別にみんなに宮本になってほしい訳ではありませんが(笑)、この作品を通して、強さの可能性を感じ取ってほしいと思います。


――原作が書かれた時代は違うが、今本作を発表する意味は大きい。特に池松さん自身の俳優としての覚悟を強く感じたが、今までの出演作で自分に一番近い役は?

僕は自分の中に賛同する要素がないと動かないタイプです。どの役が池松かと問われたら、どれも自分に近い部分はあると思う。表現する上で、役者本人そのものが出過ぎると傲慢で危険なことになってしまうので、俳優としての価値はないと思っています。そういう意味で本作は、20代最後に置いていきたいような池松の本音が出ている作品でもあると思います。


miyamoto-inta-240-2.jpg――長いキャリアの中で、今まで演じて来たキャラクターと、30代を迎えてからのキャラクターの変化について?

漠然とある程度は予測できますが、明日でも10年後でも20年後でも、せっかく心を使う俳優という仕事をしているのですから、心の赴くままに極力自然にやっていきたいと思っています。


――やってみたい役は?

そういうのはあまりありません。日本の俳優は演ずることがゴールとされてきました。僕はそこに反発してきた部分があると思います。自分がどういう役をやりたいというよりも、いい作品に携わっていきたい。そして、自分がその一助になれれば、まだまだ俳優としてやっていけるかな、と思えるのではないかと。


――蒼井優という女優について?

あり余るパワーを女優をやることで発散しているような方。それでも、映画に偏差値があるとしたら、とても偏差値の高い方なので、別に事前にやり取りしなくても無言のままでもそのシーンの目に見えないものを掴み取ることができる。そういう方とワンシーンワンシーン積み上げていく作業はとても面白かったです。

miyamoto-500-3.jpg――昨年、映画『斬、』でも共演されていましたが?

無言のうちに共有している時間がすごく長かったですが、雑談はよくしていました。

蒼井さんは普段すごくお喋りな方。僕はこうした取材ではスイッチを入れて話すようにしていますが、現場では極力話さず静かにしているタイプなのに、まあ話し掛けてくるわ!僕は本番前は助走が必要ですが、蒼井さんは本番になるとスイッチを切り替えて撮影する。そして終わったらまた話の続きをする(笑)。

蒼井さんはよく「疲れない!」と仰っていますが、僕はすぐに疲れてしまうので、それが理解できなかった。『斬、』の時もずっと元気で、「どこからあのパワーは来るんだろう?」と不思議でした。でも、本作で見てはいけないものを見てしまった!それはお昼休みの後、控室で歯ブラシを加えたまま寝ていたんです!? きっとさすがの蒼井さんも大変だったんだと思います。


miyamoto-500-4.jpg――蒼井さんとは同郷ですが、雑談では方言が出たりしますか?

そもそも僕は敬語で話していますので方言は出ないです。一応、蒼井さんは5歳上ですからね。


――靖子という女性はタイプとしてどうですか?

イヤですね(笑)。1か月向き合うのは大変でしたからね。

――激しいけど、言うべきことをビシッと言える、愛情いっぱいの女性のようですが?

大好きですよ。尊敬できるし、カッコいいなと思う。一個一個の迷いからの答えの出し方とか、髪を束ねて台所に立つ姿とか、気合いとか女のプライドを持っている素敵な女性だなと思います。

それより、この映画を観て、日々を向上しようとか、今日よりも明日を良くしようとか、今頑張っていることを大事にしようとか、小さいことでも明日への活力につながるように感じてくれたら作品も本望かなと思います。


――人を愛する覚悟は、生きる覚悟につながるような気がしたが?

宮本の、生きる覚悟、靖子を愛する覚悟、親になる覚悟など、いろんな覚悟が含まれています。明日を生きることの義務、これだけ過激に情熱を燃やそうとしている宮本を見て、何かしら活力につなげて頂ければ嬉しい。(パンフレットの表紙を指して)このバラを届けるために、宮本は悪戦苦闘しているんですよ。これが総てなんです!

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【STORY】
文具メーカー「マルキタ」で働く営業マン宮本浩(池松壮亮)は、ある喧嘩で負傷して上司に叱られている。愛想良くできない上に気の利いたお世辞も言えず、手柄を同僚に奪われるなど、営業マンとして四苦八苦していた。だが、この日の宮本はなぜか晴々しい顔をしていた。それは中野靖子(蒼井優)との愛を不器用ながらも貫けた、初めて感じる男としての自信だった。そこには、語るもせつない宮本の悪戦苦闘の日々があったのだ。


痛々しい程の究極の愛に挑む宮本。「靖子は俺が守る!」と宣言したものの靖子を襲った悲劇に無力な自分を責め、そして絶対敵わない相手に挑戦する!……リスクを恐れず真っ向勝負に挑む宮本の情熱と誠意は、観る者を奮い立たせ、人を愛する覚悟を教えてくれる。


(2019年 日本 2時間9分)
■出演: 池松壮亮、蒼井優、井浦新、一ノ瀬ワタル、柄本時生、 星田英利、古舘寛治、佐藤二朗、ピエール瀧、松山ケンイチ
■原作: 新井英樹『宮本から君へ』(百万年書房/太田出版刊)
■監督:真利子哲也 脚本:真利子哲也/港岳彦
■配給: スターサンズ/KADOKAWA   【R15+】
■コピーライト:(C)2019「宮本から君へ」製作委員会
■公式サイト: https://miyamotomovie.jp/

2019年9 月 27 日(金) ~梅田ブルク 7 他 全国ロードショー



【編集後記】
取材当日は台風15号の影響で新幹線が大幅に遅延し、午前中予定のインタビューが夜の先行上映会の舞台挨拶後となった。様々な媒体の取材を経てこの日最後の取材となったが、劇中の宮本とは対照的に普段は無口で静かなタイプだという池松壮亮は、終始穏やかに飾らぬ態度で応じてくれた。インタビュー終了後も、写真や原稿のチェックは必要ないという。最近、男優でもスタイリスト付きっきりでビジュアルを気にして、厳しく写真や原稿チェックする傾向にある中、なんという自然体!その無欲な姿勢に余裕を感じさせる。益々池松壮亮が大きく見えてきた。

(河田 真喜子)

 

 

 
 
 

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すべての人にエンディング・ドラマが待っている。

 

病院で最後を迎えるか、在宅で終えるか、人それぞれだが、カメラでその様子を捉えたドキュメンタリーがNHK地上波とBSで放送され、好評を博した。


もっぱら阪神や東日本など大震災報道を手がけ「命」をテーマにしてきた下村幸子監督は次に“終末医療”を取り上げた。「NHKスペシャルで放送された素材を映画にしたのはより多くの人に見てもらいたいから」にほかならなかった。「私のライフワーク。映画館で見てもらって、観客に問いかけたい」と語る言葉には説得力があった。


jinseisimau-550.jpg自ら現場に泊まり込んで監督、撮影もこなした「人生をしまう時間(とき)」(NHKエンタープライズ)は、カメラが臨終の場に付き添い、寄り添って見届けた稀有な作品。厳粛な死を身近に捉えながらも、生活の中にある“死ぬということ”を明るく見つめた。こんな映画は見たことない。何千本と映画を見てきた身にはお芝居の死は慣れている。だが、人が目の前(画面の中)で「息絶える実録もの」を見るのは初めての経験。これには驚いた。


jinseisimau-500-3.jpg超高齢化が進む日本、国は終末医療の場を病院から自宅へ移す政策を取った。家族に看取られ、穏やかに亡くなる「自宅死」に関心が高まる。だが“理想の最期”には厳しい現実も立ちはだかる。下村監督の前に現れたのが埼玉県新座市の「堀之内病院」の小堀鷗一郎医師80歳。文豪・森鴎外の孫で東大病院の外科医で手術の名人だったが、たどり着いたのが在宅の終末期医療だった。


jinseisimau-500-5.jpg型破りな小堀医師が一方の主役でもある。ざっくばらんで経験豊富。患者への気配りを忘れず去り際には「また来るからね」と付け加える。そんな小堀医師の特徴を下村監督はひと言で「人間力」という。ズバリ「小堀医師と在宅医療チームに密着した200日の記録」である。患者と家族とともに様々な難問に向き合い、奔走する医師や看護師、ケアマネジャーたちは“一人の人生の終わり”に何が出来るのか。映画はまさに命の現場からの“生中継”でもある。


jinseisimau-500-4.jpg映画は9つのエピソードで綴られる。いずれも身近な問題として「いつか通る道」と背筋が伸びる思いだ。すべてが近しいテーマなのだがとりわけ、70代の夫婦が103歳の母親を介護する(第1章)、78歳の母親が53歳の子を看取る(第2章)は切実。中でも、胸に響いたのは末期の肺がんを患う父親と、見守る全盲の娘のくだり。父親は妻が脳梗塞で倒れた後、娘のことを思って在宅での闘病を希望した。「このまま(病状が)持ち直してくれれば」という娘に小堀医師は「今が持ち直している状態。今みたいな日が1日でも長く続けばけっこう」と釘を刺す。父が死に向かっていることを娘は本当に分かっているのか、と疑問に感じている。


jinseisimau-500-2.jpg医師は父親に「庭になる百目柿を取りに来た」といい、父親は「まだ青いよ。もう少し匂ってから」という。いよいよ臨終の場、娘は父親の息を確かめ、文字通り息絶えるまで「喉仏が動かなくなって」死んだことを娘が確かめる。小堀医師が「死亡時間」を記入して彼の終末医療が終わった。


そこには日本人がいつしか忘れてしまった家族ならではの温かい絆があった。名匠・小津安二郎監督が晩年、繰り返し描いた宝物“日本の家族”は最後の「東京物語」では崩壊の兆しも予感させたが、この臨終の場面に引き継がれたようだった。ラスト、百目柿がいくつもなっているアップの場面は命は終わっても家族の思いは終わらない、という象徴ではないか。
 


2019年 日本 1時間50分
監督・撮影:下村幸子
小堀鷗一郎、堀越洋一
コピーライト:©NHK
公式サイト: https://jinsei-toki.jp/

2019年10月5日(土)~第七藝術劇場、10月12日(土)~京都シネマ、11月9日(土)~元町映画館 他全国順次公開。


(安永 五郎)

 

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沖縄のために身を捧げた“不屈の男”の原点は、戦争への憎しみと怒り。
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』佐古忠彦監督インタビュー
 
 戦後アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑戦を挑んだ男、瀬長亀次郎の人生を通じて沖縄の戦後史を描いた前作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』から早2年。瀬長亀次郎の素顔や、彼の肉筆の日記から浮かび上がる不屈の精神を捉え、よりカメジロー像に深く迫る最新作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(カメジロー2)が、9月6日(金)より豊岡劇場、9月7日(土)より第七藝術劇場、京都みなみ会館、元町映画館、今秋シネ・ピピア他全国順次公開される。
 
 監督はキャスター時代(「筑紫哲也NEWS23」)から精力的に沖縄取材に取り組み、初監督作となる『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』で、沖縄のためにその身を捧げた瀬長亀次郎åの人生から沖縄戦後史を浮かび上がらせた佐古忠彦。上映後は「もっと闘うだけではない亀次郎さんの素顔を見てみたい」「なぜ“不屈の男”になったのか理由を知りたい」という反響が寄せられたという。再度日記を読み込むことから始めたという本作は、亀次郎の肉筆をクローズアップで見せ、その時の心情を浮かび上がらせている。また、沖縄の主張と政府の対応を佐藤首相に問う、亀次郎の魂の論戦シーンは必見だ。
 
 本作の佐古忠彦監督に、人間、亀次郎によりフォーカスしたカメジロー2(通称)の見どころや、より沖縄と本土の分断が深まる今、本作を公開する意義について、お話を伺った。
 

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■大反響を呼んだ前作で、闘う男としての瀬長亀次郎を認識してもらった。

━━━前作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』は、沖縄で今でも語り継がれる瀬長亀次郎さんのことを、本土や世界の人が知るきっかけになりました。実際に前作を公開してどのような手応えを感じましたか?
佐古:なぜ沖縄と本土の溝が深まり続けるのか。それは戦後史への認識が抜け落ちていることが大きいと思い、テレビ版から始まり、前作の映画化で亀次郎さんにアプローチして、沖縄を中心にした戦後史を見ていきました。公開時は、沖縄だけでなく、その熱が東京に伝わり、どんどんと広がって、どこでも入場待ちの行列を作っていただきました。「こんな人物がいたとは知らなかった」というお声もあれば、亀次郎さんと同時代に生き、その時代感を共有してくださる方もおられました。上映後も劇場内が亀次郎愛に満ち溢れていましたね。見ていただいた方には伝わったと思いますし、闘う男としての亀次郎さんを随分認識していただいたのではないかと感じています。
 
 

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■カメジロー2は日記を再度読み込み、世に知られないけれど、詳しく記述している事件を取り上げ、筋立てを作る。

━━━カメジロー2ということで、前作を見ていない方に配慮しつつ、新しい亀次郎像を見せるというのは、難しい作業だったのでは?
佐古:確かに頭を悩ませました。タイトル一つとっても「2」と続編を匂わせるものを入れてしまうと、前作を見ていない人が敬遠してしまうかもしれない。だからあえてタイトルに入れず、本作だけ見ても全てがわかるように、そして前作を見た人にはもっと亀次郎さんのことを知ってもらえるようにしたいと思いました。なぜ亀次郎さんが怒り、闘うのかを説明するにあたっては、前作と重なる時間は既視感がないように違うエピソードで歴史を振り返っています。いわば、前作は大きな歴史の流れがあり、そこに亀次郎さんの日記の記述を探していったのですが、今回は先に日記を読み込み、取捨選択をしながら一本の筋立てを作り、そこに映像をはめ込んでいく。ですから、世に知られる大きな事件より、世の中に知られていないけれど、亀次郎さんが詳しく記述している事件を取り上げているところもあります。
 
例えば、今回取り上げた輸送機の墜落事故。嘉手納基地の横での飛行機墜落事故は、この3年前に起きた宮森小学校での事故のように大きく現代にも語り継がれているというものではありませんが、亀次郎さんは日記の中で「3度目」と書いた上で、その謝罪について「いつも米軍は口先だけだ」と怒っています。今でも沖縄で米軍が事故や事件を起こせば、米軍幹部が沖縄知事に謝りに行くけれど、結局同じ悲劇が繰り返される訳で、亀次郎さんが怒る状況から現在が見えてくるのです。
 
 

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■戦後史だけでなく、家族とのエピソードが詰まった亀次郎さんの日記秘話。

━━━今回は亀次郎さんのよりパーソナルな部分を捉えるために、230冊を超える日記を再び読み込んだそうですが、そこでどんな発見があったのですか?
佐古:前作の上映後半年ぐらい経ってから、カメジロー2に進んでみたいという気持ちが芽生え、再び日記を読み込む作業を始めました。元々亀次郎さんの次女、内村千尋さんが「父の日記には戦後史が詰まっているので、これを世に出したい」とおっしゃっており、政治と沖縄に関する部分も多いのですが、一方で家族のエピソードもたくさんある。お嬢さんがやった宿題を褒める日もあれば、「フミ(妻)と大喧嘩」と一言だけ書いてあったり、亀次郎さんは映画がお好きだったのでお嬢さんと一緒に見に行った映画の感想も書いていました。また、なぜ闘うのかの原点も記されていました。
 
━━━亀次郎さんの次女、千尋さんは舞台挨拶も佐古監督と一緒にご登壇されていますが、カメジロー2を作るにあたり、かなり力になってくださったのでしょうか?
佐古:千尋さんがいなければこの映画はできなかったでしょう。私たちテレビ局では持っていないような写真や映像をはじめ、ありとあらゆる資料をご提供いただきましたし、亀次郎さんが投獄中に自身を小説「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャンと重ね、孫娘をコゼットと呼んだというエピソードも千尋さんとの会話の中から教えていただきました。千尋さんとお話する中で知った亀次郎さんの知られざる一面が本当に多かったんです。先行公開した桜坂劇場の舞台挨拶では、千尋さんのことを主演女優と紹介されていましたし(笑)不屈館だけでなく、千尋さんのご自宅にその5倍ぐらいの資料をお持ちなので、欲しい資料は逐一探していただきました。
 
 

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■不屈の男の原点は戦争への憎しみと怒り。

━━━映画の冒頭にも日記の一文が登場しましたが、その狙いは?
佐古:1969年、沖縄が日本への復帰が決まった年の慰霊の日の日記ですが、「恨みを飲んで殺された仲間たちの魂に報いる道は何か」と書いています。ラストに登場する佐藤首相との国会論戦で、「これは白骨であります」と写真を見せつけ、「再び戦場となることを拒否する」と断言しますが、何が彼をそうさせたのかと言えば、やはり沖縄戦、戦争への憎しみが原点にある。亀次郎さんが一番大事にしていた人間の尊厳も踏みにじられてしまうのですから、戦後アメリカ軍による軍事占領は耐えられなかったでしょう。加藤周一著「抵抗の文学」を読んだ後の感想と交えて「憎しみではなく、怒りの爆発だ。国民への愛情があるからなのだ」とも書いていますが、なぜ闘うのかという問いに対する人間のありようが見えます。一本筋が通っていますね。
 
━━━そこで一本の道が映し出されるのが新鮮でした。一貫した主義を貫く亀次郎さんの人生に重ねているようでした。
佐古:亀次郎が仲間たちの魂に報いる道、一筋に歩いた道をイメージしています。前作はガジュマルの樹で始まり、一本の道で終わったので、今回はその道で映画が始まり、最後はガジュマルの樹で終わります。2本の映画が不屈の精神の輪でつながるようにしています。
 
━━━亀次郎さんの不屈の精神を支えたのは、亀次郎さんを支持する沖縄のみなさんだったのでしょうね。
佐古:亀次郎さんは、あるインタビューで「カメさんファンがたくさんいますが」と問われ、沖縄の市民のことを「ファンというより友達だな」と語るように、先生と言われることを本当に嫌い、常に民衆と共に歩んでいました。そんな政治家は、なかなかいないと思います。
 
 
 

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■亀次郎さんは、アメリカ側の意図を読み取る分析力と先見性を持っていた。

━━━さらに、日記を紐解く中で、亀次郎さんの「先を読む力」にも注目されたそうですね。
佐古:亀次郎さんは、宮古島の刑務所で他の受刑者と隔離され、喋る相手はネズミぐらいという孤独な中で、奥さんからの手紙を待ち焦がれていた一方、すごく勉強していたんです。日記以外に学習ノートがあり、そこには領土問題、資本論など様々なことがびっしりと書かれていました。出所後に市長になりますが、アメリカ軍から市長を追い出される2ヶ月前には、日記に彼らが何をするかを書いています。実際、亀次郎さんは市長を追われ、でもすぐに、後継候補を立てました。またアメリカ軍から被選挙権まで奪われると、逆に立候補をし続けて、民衆からの支持を得ることでそれを打破すると書き、それを実現させました。また日米返還協定の前に、1969年佐藤・ニクソン会談で核密約のあったことが後年明らかになるのですが、亀次郎さんはそれ以前に「核隠し」「有事の場合持ち込む」と日記に書いているのです。アメリカ側の意図を読み取る分析力と先見性が、亀次郎さんの行動力の裏付けになっています。
 

 

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■本土と沖縄、沖縄のやり方はダブルスタンダード。

━━━亀次郎さんを見せしめにし、沖縄市民から土地も人権も奪う一方、今夏デジタルリマスター版が公開された『東京裁判』ではアメリカが本土市民の抵抗を逸らすために、天皇責任を問わぬ形にしたエピソードが語られました。この2作を見ると、アメリカの戦後日本に対する占領政策の使い分けが露わになっています。
佐古:最大の民主主義国家アメリカが日本に対して行ったダブルスタンダードです。例えば本土に対しては労働組合を認め、労働者にどんどん権利を与えていくので、ストライキも認められたのですが、沖縄の場合は権利を全て握りつぶされていきます。
 
━━━旅券を剥奪された亀次郎さんが唯一の夫婦旅行で、海の向こうへの思いをナレーションにのせて語るシーンがとても印象的でした。
佐古:現存している亀次郎さんの日記とフミさんの日記で、同じ日のものがあったのです。作ったおにぎりの数やおかずの中身、出発時間まで事細かに書かれていたのが、本当に一致していて、夫婦の仲睦まじさを感じました。本土を見るために、旅行に行った時の様々な会話をナレーションで再現していますが、祖国を見に行ったという特別な思いがあったのだと思います。
 
━━━そのナレーションは、役所広司さんが亀次郎さんの声を担当していました。すごく包容力がありましたね。
佐古:前作をご覧いただき、すぐにご快諾いただいたのですが、力強い演説にせよ、ご家族に対する言葉にしても、役所さんにお任せして亀次郎の世界を作っていただきたいと思っていました。役所さんも「すごい人がいたものだね」という風におっしゃりながら、亀次郎さん自身の映像は非常にキャラクターがしっかりしているので、声でどのように世界観を作り出すのか、随分考えていただいたと思います。本当に深く広い感じが出ていて、感動しました。
 

 

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■亀次郎さんや沖縄の皆さんのおかげで沖縄占領下の歴史、沖縄の気持ちを伝えることができた。 

━━━前作にも登場したハイライトの沖縄の主張と、政府の対応を佐藤首相に問う亀次郎さんの国会答弁シーンですが、今回はその全容を映し出し、魂の熱弁が胸に刺さりました。

 

佐古:国会議員になった亀次郎さんが民意を代弁する姿を描きたかったですし、あの亀次郎さんの演説はこの映画で描いてきたことが全て込められています。私も佐藤総理を追及する様々な言葉がすとんと胸に落ちてきましたし、さらに50年前の国会であんなに熱のこもった議論があったことが新鮮でした。当時は国会の場に、意見が違っても、それを認め、論じ合う姿勢があったんだと感じます。
 
━━━佐古監督は、15年に取材を始めてから4年間亀次郎さんに向き合っておられる訳ですが、取材を始める前と今とで、ご自身にどんな変化がありましたか?
佐古:テレビでは沖縄戦を伝える1時間半の特別番組など、様々な番組で沖縄のことを取り上げ、それにより伝えられたこともあったと思いますが、亀次郎さんや沖縄の皆さんのおかげで沖縄の占領されていた歴史、沖縄の気持ちを伝えることができた。それに対する感謝の気持ちが、まずあります。亀次郎さんの日記は色々なテーマで切り取ると、もっと様々なストーリーがありますので、まだまだ不屈の男にはまっていくと思います。
 

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■「少数派になることを恐れるな」日本戦後史の共通認識ができるものを提示し、議論に結びつけるきっかけづくりをしたい。

━━━最後に、前作のインタビューで、筑紫哲也さんから「自由の気風」を学んだとおっしゃっていましたが、今メディアで自由の気風がどんどん失われる中、佐古監督はこれからどのような役割を果たしていきたいですか?
佐古:自由の気風がなくなった時に、何が起こったかは歴史が教えてくれています。今の世の中どうなのかといえば、最近では忖度という言葉もよく話題になる。伝えるべきことをどこまで伝えているだろうかと、私もメディアの一人としてよく考えます。筑紫さんは「少数派になることを恐れるな」とおっしゃっていましたが、たとえ伝えていることが少数派であったとしても、だからこそ伝えなければいけないことがあります。私たちの仕事で、議論をするための一つの材料を提示することは重要な役割です。お互いに事実の認識を共有しなければ、まっとうな議論になりません。沖縄をめぐる今の議論も、戦後史の認識が抜け落ちたままでは、議論は的外れになってしまいます。そういう意味で、もう一度向き合うべきものを提示し、議論に結びつけるきっかけになればと思いますし、そういう仕事をさらに進めていきたいですね。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』
(2019年 日本 128分)
監督:佐古忠彦
出演:瀬長亀次郎他
語り:役所広司、山根基世
2019年9月6日(金)〜豊岡劇場、9月7日(土)~第七藝術劇場、京都みなみ会館、元町映画館、今秋シネ・ピピア他全国順次公開
(C) TBSテレビ
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「現代の神話的なものを作りたかった」
『タロウのバカ』大森立嗣監督インタビュー
 
 名前も戸籍もないタロウ、高校生のエージ、スギオの3人が、河原で、隠れ家で戯れ、街中を疾走する。「愛ってなに?」「好きってなに?」「死ぬってなに?」何も知らないタロウが、エージとスギオに交わることで起きる化学反応は、衝動的かつ刹那的で、青春にしかない一瞬のきらめきに目を奪われる。生きづらくても、3人でいれば無敵だった。
 
 大森立嗣監督(『さよなら渓谷』『日々是好日』)が長年温めていたオリジナル脚本を映画化。最新作となる『タロウのバカ』が、2019年9月6日(金)よりテアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都、9月13日(金)より京都みなみ会館他全国ロードショーされる。
名前も戸籍もない主人公のタロウ役にオーディションで選ばれた演技初体験の新人、YOSHI、ある事情から学校に行かなくなってしまったエージ役に菅田将暉、援助交際をする同級生の洋子に恋してしまうスギオ役に仲野太賀が扮し、3人のアナーキーな日々が、偶然拳銃を手にすることで死に近づいていく様を、エネルギッシュに演じている。
 
 死の匂いが漂う現代社会の闇と、その中で生きる彼らを真っ直ぐに描いた大森立嗣監督にお話を伺った。
 

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■戦中戦後の死の匂いを必死で消し、何かが失われているという20代半ばの実感を脚本に。

――――長編デビュー作の『ゲルマニウムの夜』以前に書かれたオリジナル脚本ですが、当時はどんな思いでその脚本を書かれたのですか? 
大森:僕の中学、高校時代は校内暴力全盛期で、学校がある種のアナーキーな感じがする場所でした。僕自身はいじめる側でもいじめられる側でもなかったけれど、一歩間違えればそのアナーキーな世界に行きかねないという肉体的感覚がすごくあったのです。1970年生まれの僕からすれば、高度成長時代を経て経済的に豊かになっているけれど、一方で経済的な豊かさを得ることで、戦中戦後の死の匂いを必死で消そうとしているのではないか。そして何かが失われているのではないか。そういう考えを当時の素直な衝動をもとに、ちょうど助監督になりたての20代中盤で書いた脚本でしたね。
 
――――脚本を書かれた当時から25年ほど経った今、映画化するに至った経緯は?
大森:年に1度ぐらい脚本を読み直し、そんなに風化していないという実感がありました。僕自身が年をとっていく中で、若い主人公たちのかなり無軌道な物語を撮れる気力が残っているかと考えると、まだいけると。実際、最初に脚本を書いてから時間が経ちましたが、現代の問題を盛り込むためにオープニングのシーンや携帯の扱いを考えた以外はほとんど脚本を変えていません。
 
 

■25年経っても日本は変わらないから、『タロウのバカ』を作りたいと思った。

――――現代に合わせてかなり加筆されたのかと思っていたので、驚きました。全編に死の匂いが漂いますが、その部分は25年前より強めた表現にしたのですか?
大森:阪神大震災やオウム真理教事件が起きた95年頃に最初の脚本を書き、もちろんその影響は大きかったのですが、その後の東日本大震災の影響も僕にとっては大きかったです。原発事故以降、日本が変わるのかと思ったら、やはり変わらない。事故を忘れようとする力がすごく働いている気がして、脚本はむしろ風化していないと感じたのです。『タロウのバカ』を撮らなくていい時代の方が良かったのかもしれませんが、やはり時代が変わらないから作りたいと思ったのでしょう。過去を忘れようとする、或いは消費する力をすごく感じますね。
 
 
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■どこにも所属していないタロウを演じたYOSHIは「変に社会化されていない」

――――タロウをはじめとする3人のボーダレスな関係が、突き進む疾走感を生んでいます。その中でもタロウの描き方が作品の肝だと思いますが、キャスティングやキャラクター設定について教えてください。
大森:タロウは戸籍も名前もないという設定で、かなり無軌道な行動をします。15歳ぐらいで、大人でも子どもでもない。どこにも所属していないという価値観を出したかった。でも実際にオーディションをすると、15歳ぐらいなら既に社会化されていて、なかなか思うような人に出会えなかったのです。YOSHI君は変に社会化されておらず、初対面でも親世代のような僕らに緊張することなく話すことができ、むしろ僕たちに近いような部分を持っていると感じて、タロウがそこにいると思いました。
 
――――仲野大賀さんが演じるスギオは、アウトサイダーと一般社会人の境界にいる人物で、その苦悩に共感しやすいと同時に危うさも感じますね。
大森:脚本を書く時、ある程度箱書きするのですが、書いているうちにキャラクターが動き出すこともあります。結果的に、我々と一番近い立場の人間が窮地に追い込まれる。それが社会に対する警鐘になればという気持ちがありました。
 
 
 

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■「愛ってなに?」「好きってなに?」という問いかけで、人間の感覚を素直に見つめる。

――――タロウは劇中で「愛ってなに?」「好きってなに?」「死ぬってなに?」と何度も問いかけます。スギオも、同級生の洋子もやはり愛が何か分からない。この作品で愛は大きな問いかけになっています。
大森:僕たちは「好き」ということをなんとなくわかったふりをして生きているけれど、本当はわかっていない。それぞれが社会生活を営む中で、好き嫌いを判断していると思うのです。でも、人間が経済的に豊かになり、合理性や生産性を追求するのとは別に、人間はそもそも生物です。生まれて死ぬという感覚や、どうしようもなく好きになるという人間の感覚を素直にみつめることが、今、失われすぎているのではないかという思いから、登場人物たちに「愛ってなに?」「好きってなに?」という問いかけをさせています。ただ、スギオや洋子は、1回転半ぐらい回った後での「好きってなに?」という感覚で、タロウのまっすぐな感覚とは違うと思います。タロウがいる河原で見かけるダウン症のカップル、藍子と勇生もタロウと同じような存在ですね。
 
――――タロウや藍子と勇生の存在が、物語を寓話的、神話的に感じさせますね。
大森:実は現代の神話的なものを作りたいという思いがありました。今は自意識が肥大しすぎている人が本当に多いと感じます。皆が自分の周りのことに敏感になりすぎ、傷ついて何もできなくなってしまう。でも自分は、もっと大きな地球の中で生かされている存在であり、人間であると肯定するだけで、悩みへの対処の一つになるのではないかと思うのです。世の中には自分がわからないものがいっぱいあるし、自分はそんなに大きいものではないと思うと、少し楽になれるのではないでしょうか。
 
――――3人の中のリーダー格であるエージは、半グレ集団との付き合いがある一方、他の2人が口にしないような戦争や虐げられた詩人の言葉を口にするのが印象的でした。
大森:僕は1970年生まれで、終戦から25年しか経っていないのにすごく戦争を昔のことにように捉えていた。そういう実感を、エージに反映させています。エージは早めに社会生活からドロップアウトしてしまいますが、そこでタロウという存在に出会い、無意識のうちに死が立体感をもって掴めそうな気になる、とても敏感な少年です。半グレの吉岡らに首を絞められたり、柔道部の先輩たちにボコボコにされた時、リアルに死が頭をよぎってしまった。だから、エージは教科書に載っていた詩の一部を口にしたりするのです。
 
 

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■YOSHIをキャスティングした狙いに沿った、全員がフラットな撮影現場。

――――菅田さん、仲野さんと、15歳で新人のYOSHIさんが組むことで、撮影中も予期せぬ化学反応が起きていたのではないかと思いますが、3人での撮影の様子は?
大森:映画の撮影は、映画監督をトップに置き、そこから下はピラミッド方式で、ある種の封建的な力が働きます。でも、今回は社会化されていない部分に魅力を感じて、演技経験が全くないYOSHI君を主演に起用した訳です。だから従来の撮影現場のシステムをYOSHI君に押し付けるやり方は全く違うと思い、本当に皆が並列にいるような現場を目指しました。YOSHI君は撮影の合間に「たっちゃん〜」と僕の膝の上に乗ってきたり、撮影が終わると「ゲーセン行こうよ!」と声をかけてくるので、スタッフが皆びっくりしていましたが、逆に皆が彼の影響を受けましたね。菅田君にも「マサキ〜」と駆け寄って、遊びの延長でじゃれあっている。菅田君も色々な撮影現場で仕事をしているので、「この現場は、こういうやり方なんだ」と敏感に感じ取り、先輩っぽさは一切出さなかった。みんなで銭湯にも行きましたし、非常にフラットな現場でした。僕は本当に楽しかったし、そういう現場であったことが、この映画にどこかリンクしている感じがします。
 
――――バイオレンスなシーンと共に印象に残るのは、歌のシーンです。特にずっと一緒にいた勇生が溺死している傍らでで、雨の中大声で歌い続ける藍子の存在感は絶大で、カメラもこれ以上ないぐらいのアップで藍子を捉えていましたが、その狙いは? 
大森:藍子さんが歌うシーンは当初ありませんでした。実際に会い、彼女が歌っているのを聞かせてもらい、脚本に取り入れています。僕の中では溺死した勇生君を生き返らせる儀式だと思っているので、生き返らせるためにもっと大きな声で!と藍子さんに指示を出しました。雨の中全身全霊で歌う、祈りのシーンにしたかったのです。
 
 

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■「わからないものにどう触れていくか」を模索させた、死が浮き上がるシーン。

――――後半、死者を表現したような大駱駝艦のパフォーマンスは、「生きてる人と死んでる人、どちらが多い?」という問いかけと共に、自分たちがあまたの死者たちの中で生きているような感覚を覚えますね。
大森:大駱駝艦にある種の死者を演じてもらいましたし、「生きている人と死んでる人、どちらが多い?」「死んでる人だよ」とか、「死ぬんだから痛くたっていいじゃない」など、子どもの遊びのようなセリフの中に、死そのものがフワッと浮き上がるようにもしています。また、拳銃を手にしたエージがロシアンルーレットのようにするシーンも含めて、ふと肌触りのように死が近寄ってくる感じを表現したかった。死は、実際に死んだ人でなければわからないものですが、わからないものにどう触れていくかをタロウらに模索させたかもしれません。
 
――――死が全編に匂うというのは、そういう様々な表現の積み重ねによるものが大きいと改めて感じました。最後に、同世代の子どもたちの中でタロウは絶叫しますが、そのシーンに込めた思いは?
大森:あの絶叫は、タロウが生まれ変わる時の産声だと思っています。社会的になるというより、タロウが新しい人間として生まれてこないだろうかと。そういうタロウの姿をもう少し見ていたい。この先どう生きていくのかを見ていたいと思ったのです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『タロウのバカ』(2019年 日本 119分) R15+
監督・脚本・編集:大森立嗣 
出演:YOSHI、菅田将暉、仲野太賀、奥野瑛太、豊田エリー、植田紗々、國村隼
2019年9月6日(金)~テアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都、9月13日(金)〜京都みなみ会館他全国ロードショー
公式サイト⇒http://www.taro-baka.jp/
(C) 2019 映画「タロウのバカ」製作委員会
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誰もがグレーゾーンの中で生きている。
『よこがお』深田晃司監督インタビュー
 
 前作の『海を駆ける』では全編インドネシアロケを敢行し、ディーン・フジオカや仲野太賀の新たな一面を引き出した深田晃司監督。『淵に立つ』で凄まじい演技をみせ、高い評価を得た筒井真理子を主演に迎え、ある事件をきっかけに加害者扱いをされ、全てを失う女の絶望とささやかな復讐、そして再生を描いた最新作『よこがお』が、2019年7月26日(金)~テアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都他全国ロードショーされる。
 
 終始張り詰めた雰囲気の中、美容師和道(池松壮亮)の前に現れるリサと、訪問看護先で基子(市川実日子)ら娘たちの勉強を教えてあげるほど信頼関係を深めている市子。同一人物だが真逆の境遇の二人が交互に描かれ、リサと名乗るようになった市子の企みや、結婚を目前に幸せだったはずの市子がなぜ全てを失ったのかが、じわりじわりと明かされていく。無実の加害者と言い切れない市子のグレーゾーンも描かれ、多面的な人物描写と、想像させる余白のある演出に、観終わった後、様々なことが頭の中を巡ることだろう。まさに登場人物の一挙一動から目が離せないサスペンスタッチのヒューマンドラマだ。本作の深田監督に、お話を伺った。
 

 

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■『淵に立つ』のプロデューサーと、「筒井真理子さんの主演で映画を作りたい」。

――――オリジナル脚本で、助演がメインのベテラン女優を主演に据える企画は、今の日本映画界では実現が難しいというイメージがありますが、企画から映画化までの経緯は?
深田:『淵に立つ』の時に声をかけてくれたプロデューサーと、また筒井真理子さんを主演で映画を作りたいという気持ちが一致し、企画を立ち上げました。KADOKAWAの方も筒井さんを主演にした映画に賛同してくれ、プロデューサーの尽力もあってトントンと話が進みましたね。日仏合作ですが、フランス側は役者としての技量を重視しているので、筒井さんのことを絶賛してくださり、スムーズに進みました。
 
 
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■努力家の筒井さんは、すごく信頼できる女優。

――――深田監督からみた筒井さんの魅力とは?
深田:すごく信頼できる女優です。天才的な演技センスや高い経験値、長年培った勘だけではなく、とにかく準備をして現場に臨まれる努力家なので、信頼感が生まれ、今回のように感情の振り幅の大きい役を安心して書けるのです。
筒井さんは、脚本の自分が演じるシーンにびっしりと書き込みをされていましたし、今回看護師を演じてもらいましたが、僕が訪問看護を取材する際も同行したり、筒井さんだけで訪問看護の現場を見学に行くこともありました。また、ある動物の動きをするシーンでは、専門のトレーナーに動きを教えてもらい、自宅で練習を積んだそうです。
 
――――深田監督が絶大な信頼を寄せていらっしゃるのがよく分かりました。『歓待』ではプロデューサーでもあった杉野希妃さんが主演を務めていましたが、今回筒井さんは脚本段階から関わったそうですね。
深田:全体のプロット(構成)ができた段階で、筒井さんに読んでもらい、ざっくばらんに感想や雑談を語り合いました。動物園で市川実日子さん演じる基子が市子に語った子どもの頃のエピソードは、筒井さんとの雑談の中で聞いたご自身の子ども時代の実体験から取り入れたりもしました。実際に脚本を書き始めてからは、こちらに任せていただきました。
 
――――本作では天使のような女から奔放な女、幸福な女から不幸な女 あらゆる状況を演じきった筒井さんですが、演じてみてどんな感想をお持ちになったのでしょうか?
深田:映画のほとんどのシーンに出演していますから、本当に体力的にも大変だったと思います。精神的に負荷の高い役を、器用にこなすのではなく、全力で向かってこられるので、試写会で初めて観た時は、「撮影の大変だったことを思い出しながら観て、疲れたわ」とおっしゃっていました(笑)。肌のハリや疲労具合にまで、細かな役作りもしっかりされていましたから。
 
 
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■私たちの生きている世界は、これだけ不確かで不安定なものという事実をベースに描く。

――――作品ごとに新しいことにチャレンジしておられますが、この作品のテーマは?
深田:映画というのはモチーフと監督の世界観から成り立っていると思っています。今回は筒井真理子をメインモチーフに、私たちの生きている世界はこれだけ不確かで不安定なものであるというポジティブでもネガティブでもないことを、今までの作品同様に描いたつもりです。『淵に立つ』では突然やってきた不審者によって家族が崩壊し、『海を駆ける』では自然災害に見舞われます。私たちは日常が変わりなく続くという期待を持って生きているけれど、日常は変わってしまうものであり、それこそが事実であるという世界観をベースに、物語ができていると感じますね。
 
――――リサが誘惑する美容師、和道を演じた池松壮亮さんは、深田監督作品初参加ですね。思わぬ気づきを与える存在でもありました。
深田:脚本段階で、和道はもう少しチャラく薄っぺらい若者。それ以上でもそれ以下でもない役にしていました。理由も分からないままリサのデートに巻き込まれていく展開を考えていたのです。それでは構成に厚みがないと思っていた時に、池松さんがキャスティングの候補に上がり、オファーさせていただきました。現場でも実年齢以上の落ち着きを感じる方で、池松さんに演じてもらったことで、和道がリサと対等に向き合う、大人のデートのシーンになりました。一方で、市川さんが演じる基子は若々しく、感情の幼さを持った役なので、いい対比になったと思っています。
 
 
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■一人の人間を多面的に見せる時間進行に。

――――ある思惑を腹に秘めて和道に接近するリサと並行して、リサと名乗る前の市子の穏やかな日常が映し出されます。悲劇へと向かう市子の運命が予想できるだけに、よりヒリヒリするサスペンス効果を高めていました。このような構成にした狙いは?
深田:『ブルージャスミン』(ウディ・アレン監督)のように、現代と過去が同時進行する物語にヒントを得た部分もありますし、チェコスロバキアの作家ミラン・クンデラの小説「冗談」の復讐の入れ子構造にもインスパイアされました。どうしても回想シーンを入れるとそこで物語が止まってしまうので、一人の人間を多面的に見せる時間の進行ができないかと考えた結果、二つの時間が同時進行で進み、最後に重なり合う構造になりました。
 
 
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■誰もがグレーゾーンの中で生きている。 

――――深田作品では主人公が不条理な目に遭う場面が度々描かれます。本作も加害者扱いされる市子は何もかもを奪われる不条理が描かれますが、一方、その状況に至るプロセスでは市子の潔白とは言い切れないグレーゾーンの行動も描かれ、観る者も立ち止まって考えさせられます。

 

深田:市子は「無実の加害者」とは言い切れないと思っています。基子に促されたとはいえ、真実を被害者家族や自分の家族に伝えなかったのは市子自身ですし、甥の辰男が幼い頃に性的トラウマになるかもしれないことをしてしまったことも事実です。市子自身は「辰男は覚えていない」と言いますが、被害者は往々にして覚えているものです。誰もが被害者、加害者で分けられるものではなく、グレーゾーンの中で生きている。そういう部分を映画でも描いていきました。そしてあくまでも三人称で語ることも大事にしました。
 
 
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■人が人を好きになること難しさを一番体現したキャラクター、基子。

――――グレーゾーンと言えば、基子の市子へ対する気持ちも単なる恋愛感情だけではなく、母親的愛情を求めているようでもあり、看護師という人生の目標をくれた憧れの存在とも映ります。映画の中でもキーとなる存在ですね。
深田:当初は市子と基子、道子という女性3人の運命が絡み合うような群像劇を考えていたのですが、筒井真理子さん主演の映画を撮りたいという思いから市子にフォーカスする形になっていきました。市川さんが演じる基子は、人が人を好きになることの難しさを一番体現しているキャラクターです。人が人を好きになればなるほど、誰もが孤独に生きている存在であることを実感します。市子も和道もそうですが、彼氏がいながら市子を好きになった基子はそれを際立たせています。
 
――――市子/リサの夢を映し出すシーンが意図的に挿入され、どれも非常に大きなインパクトを与えます。心象風景を鮮やかに映し出しているようにも見えましたが。
深田:僕の場合は映画で夢を描写しても、特別にぼやかしたような加工はせず、夢と現実を等価に描きたい。前半で社会性を失い動物の状態にまで剥き出しになったリサを夢の中で見せておけば、そのイメージは夢であっても観客にとっては映像の一片であって、観客の中ではずっと頭の片隅にその姿が残り続けます。その記憶はまだ市子が幸せな時のシークエンスにも影響を与えていく。それは映画におけるモンタージュの醍醐味ですね。
 
 
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■夢とも現実とも解釈できる湖のシーンは「一番自由に感じていただけるシーン」

――――突然、市子が青い髪をなびかせ、湖畔にいるシーンは現実離れしているけれど、ひたすら美しく、まさにフランス映画を見ているようでした。
深田:意図的に、夢でも現実でも解釈できるようなさじ加減にしています。脚本ではもう少しイメージを書き込んでいたのですが、編集で見直しました。彼女の人生のどこかで、あのような時間があったかもしれないと思ってもらうのも良し、市子の内面の世界と思ってもらうのも良し。一番自由に感じて頂いて構わないシーンです。
 
――――今回は見事な女優映画でしたが、筒井さん主演作はまだ続きそうですか?
深田:実は、筒井さんはコメディエンヌの面もあるのです。最近の岩松了さんの舞台「空ばかり見ていた」でも一番笑いをさらっていましたから。コメディエンヌの筒井さんを撮ってみたいですね。
 
――――筒井真理子さん主演のコメディ映画、期待しております。それでは、最後にこれからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
深田:筒井さん、池松さん、市川さんをはじめ、本当に隅から隅まで、いい俳優がたくさん出演しているので、ぜひ『よこがお』の俳優たちに会いに来てください。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『よこがお』(2019年 日本 111分) 
監督・脚本:深田晃司
出演:筒井真理子、市川実日子、池松壮亮、吹越満、須藤蓮、小川未祐他
公式サイト⇒https://yokogao-movie.jp/ 
(C) 2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

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見る人が自由に解釈し、「自分の映画だ」と思ってもらえる映画づくりを目指したい。
『僕はイエス様が嫌い』奥山大史監督インタビュー
 
 第66回サンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞した他、海外の映画祭で高い評価を得ている奥山大史監督の初長編作『僕はイエス様が嫌い』が、7月5日(金)~大阪ステーションシティシネマ、7月12日(金)〜シネ・リーブル神戸、8月17日(土)〜京都シネマほか全国順次公開される。
 
 東京から雪深いミッション系の小学校に転校した小学生のユラは、慣れない祖母の家から登校すると、初めての礼拝でちいさなイエス様と出会う。友達ができないときも、やっとカズマという友達ができたときも、ユラだけに見えるイエス様はひょっこり現れるが…。
 
 自身の体験を反映させ、奥山監督は21歳の青山学院大学在学中に本作を撮影。自身で脚本・編集・撮影も手掛けている。初監督作品でありながら、非常に客観的な視点で、少年ユラに起こる出来事やユラの心の動きを、セリフではなく、シンプルなショットの積み重ねで静かに、でも確実に観客に見せていく。誰でも子どもの頃に考えたことがある神様について、そして大事な人との別れについて、その記憶を思い起こさせてくれるような優しくも切ない作品。抑制された中でキラリと光る何かをたくさん感じることができる秀作だ。ユラを演じる佐藤結良の自然な演技にも注目したい。
 現在は大手広告会社に勤めながら映像系の仕事を手掛けている奥山大史監督に、映画に込めた狙いや、初監督作でチャレンジした点についてお話を伺った。
 

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■初めて宗教に触れる時の違和感を表現する「主の祈り」エピソード

―――キリスト教の小学校に転校してきたユラにとって、最初の衝撃的な体験はチャペルでのお祈りの時間です。そこで暗唱する主の祈りのエピソードが非常に大きな意味を持ちますね。
奥山: 主の祈りは、最初に宗教に触れた記憶として強く印象に残っています。僕自身、小さい頃にキリスト教の幼稚園へ転園したのですが、賛美歌は、聖書があれば譜面や歌詞が載っているので歌えるのですが、主の祈りはみんなが暗唱しているのに、自分だけその存在すら知らないことがすごく不思議に思えたのです。初めて宗教に触れる時の違和感を表すのに、一番いいと思い、映画に取り入れています。また、まだ主の祈りを覚えていない時は、皆が目をつむって暗唱している間、つい目を開けてソワソワしながら周りを見てしまうのですが、そういう時に小さいイエス様を見つけると面白いのではないか。そこからアイデアが浮かんだのです。
 
 
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■幅広い年代に楽しんでもらうために生まれた小さなイエス様、しゃべらないキャラクターの原点は、カートゥーンネットワークのアニメたち。

―――主人公ユラだけに見える小さいイエス様が色々な仕草をするのが意外性も相まってとても斬新かつユーモラスでしたが、企画当初からのアイデアですか?
奥山: 僕の小さい頃に亡くなってしまった親友に捧げる映画を作りたいという思いから始まった企画なので、小さなイエス様は想定していませんでした。ただ、企画を練り始めると、やはり重くなりすぎてしまい、一体誰が楽しめるのかと立ち止まって考えたのです。子どもから大人まで幅広い方に楽しんでいただける映画にするにはどうすればいいのかと悩んだ過程で、小さいイエス様というアイデアが生まれました。
 
―――イエス様がしゃべらないのも、サイレント映画っぽくていいですね。
奥山: 昔からケーブルテレビのカートゥーンネットワークで放送されていたアニメをよく観ていたのですが、ピンクパンサーやスヌーピー、トム&ジェリーなど、しゃべらないキャラクターが大事なポジションを務めている作品が好きでした。言葉で説明せずに、キャラクターの動きで色々なものを子どもの視点で映していく感じがとても好きなので、今回もユラの視点に合わせてカメラを回し、イエス様も全然しゃべらないようにしています。
 
 
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■電話の音一つでも映画の印象を変えることができる。

―――登場人物もセリフを最小限に抑え、絵で見せる演出が魅力的でしたが、その意図は?
奥山: 言葉では伝わりづらいものを、絵の流れで見せる方が伝わることもある。だから、なるべく状況を説明するのは、セリフではなく、絵や音でつけるようにしました。例えば電話の音一つでも、いくらでも映画の印象を変えることができるのです。最初にカズマからユラにかかってきた電話の音と、嫌な出来事でかかってきた電話の音とでは若干音を変えているんです。今回はそういう音一つ一つの調整をとても大事にしています。
 
僕は『家族ゲーム』が好きなのですが、あの映画もヘリコプターの音だとか、音がすごく良いのです。一回も音楽が流れなくて、「音楽ではなく、音で全てを説明する」という覚悟が見えて、そこもすごく素敵ですよね。それぐらいこの作品も言葉では説明しないように心がけました。
 
―――雪の世界が舞台であることも相まって、静かに、丹念に積み上げられた物語をそっと覗いているような、心がほっと暖かい気持ちになる仕上がりでした。
奥山: どうしても入社前に映画を撮りたいと思うと冬の時期しか時間を取れず、それなら折角だから雪を映したいということで雪の中での撮影に挑みました。撮影中は曇ったり吹雪いたりすることなく、天気に恵まれて本当にラッキーでした。また、最初の方に軽井沢の別荘でユラとカズマが遊ぶシーンを撮ったのが良かったですね。
 
―――映画の冒頭に登場する、障子に穴を開けるのが好きなユラのおじいちゃんも、実際には亡くなっていますが強烈な印象を残します。
奥山: この映画のファーストカットだったのですが、おじいさん役の二瓶鮫一さんと、どんな気持ちで(障子の穴から)覗くかとか、色々な話ができました。この映画を満足いくような形で完成させることができたはじまりだった気がしますね。どんな優秀な監督の現場でも、ファーストカットの直前は皆ピリッと緊張するのですが、そんな中で二瓶さんのような経験のある役者さんがすっと座って、粛々と芝居をしてくれることは、僕らのような自主映画の体制の中で、とてもいい効果を産んでくれたと思っています。
 
―――映画を作るにあたって、心がけた点は?
奥山: 主演者に15歳から25歳の年代は入れないことを、少し意識していました。その年代でお芝居を目指している人はギャラが低くても出演してくれますし、コミュニケーションも取りやすい。上手い役者さんもたくさんいるのですが、そんな方ばかりが出演することで、自主映画っぽさが増してしまうこともあります。身近な学生映画をたくさん見てきたから分かるのですが、あえてそこをしっかり外すと学生映画っぽさをなくせると思ったのです。もちろん子役を起用すると親御さんの交通費もかかりますし、撮影時間の制限もあるのですが、それに勝る映画的なものが撮れると思い、今回は挑んでいます。
 
 
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■子どもに寄りかかりすぎない、年相応のことをしてもらえる演出に。

―――なるほど、すごく納得する部分があります。幅広い年齢層にアプローチすることにもつながりますね。主演、ユラ役の佐藤結良さんについて教えてください。
奥山: 既に演技経験もある子役ですが、ワンテイクの後、「次はこうしてほしいんだけど」と指示を出しても、「うん」とニコッとしてもう一度始まるのを待っている感じでした。でもいざもう一度やると、完璧にこなしてくれる。かと思えば子どもらしいサッカーシーンもすっとやってくれますし、こちらの意図を汲んで芝居をしてくれるんです。撮影時は11歳だったのですが、もう少し大きくなると男の子は大きくなるし、声変わりもしてしまう。だから『誰も知らない』とか『リリイ・シュシュのすべて』など、一瞬の少年のその時代にしかない儚さを捉えたような映画は好きですね。
 
―――演技経験がありながらも、自然な演技で「演じている」ことを意識させないのが、物語のトーンに合って良かったです。
奥山: 子どものお芝居が良くない意味で気になってしまう映画もありますが、それは作っている側が子どもに頼りすぎてしまっている気がするのです。この映画でも頼っている部分はもちろんありますが、子どもに寄りかかりすぎないように、年相応のことをしてもらえるように調整していきました。最初は泣くシーンもあったのですが、撮影していくうちに泣かないことにすることもありました。背中だけでお芝居をすることができる子だったので、なるべく抑えた芝居で一貫させた方がいい。それで感情がふと触れてしまうことが最後に出てくればいいなと思って、演出しました。
 
 
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■食卓シーンの構図で浮かび上がる「おじいちゃんの不在」

―――他にも、ユラのご両親とおばあちゃんを囲んでの食卓シーンが度々登場し、友達ができたのか気になって仕方がない大人たちと、その中で少し居心地が悪そうなユラの姿が、子ども時代の食卓を思い出させてくれました。
奥山: 食卓のシーンの構図では、おじいちゃんの不在感を出せたらと思っていました。4人なので二人ずつ向かい合わせて座ればいいのに、なぜかユラが真ん中のお誕生日席で、おばあちゃんの隣の席が空いている違和感を出せないかなと。僕もおじいちゃんが先に亡くなったので、おばあちゃんの家に行くとおじいちゃんの座る椅子は誰も座らなかったんです。もういなくなってしまった人の椅子をなんとなく残しておく感じは、僕以外の誰か共感できる人がいるのではないかと思って、あえて説明することなく、取り入れています。
 
―――『僕はイエス様が嫌い』というタイトルもセンセーショナルですが、英題は『JESUS』とシンプルですね。
奥山: 僕は今、コピーライターでもありますが、『僕はイエス様が嫌い』というタイトル自身がコピーみたいですよね。タイトルのことで印象的だったのは、マカオの映画祭で中国人の方が非常に熱心に質問してくださり、それに答えた後、ふと気になってタイトルのことを聞いたことがあったんです。というのも、普通は英題を訳すのですが、中国はなぜか日本語タイトルをそのまま中国語訳にしていたので。その時の答えが「『僕はイエス様を信じない』なら嫌だけれど、嫌いになるぐらいイエス様を好きだったということが映画を見て伝わったので、『僕はイエス様が嫌い』でいいと思うし、自分もそう思うことがある」と言ってくださったんです。海外の映画祭で色々なお客さんの反応をいただいていますが、質問は出ても拒絶されることはなかったというのは、イエス様がユラの想像であり、都合の良い神様の象徴でしかないと受け取ってくださっているからだと思っています。
 
 
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■今いるところから死後の世界を覗き見るような行動を、映画全編で表してみる。

―――亡くなった親友に捧げる映画を作り上げた今、改めて思うことはありますか?
奥山: どこかで、友達が死んでしまったことが自分の中で整理できていなかったということに、気づきました。今も整理できたかどうかは分かりませんが、死んでしまったらどこに行くの?とか、なぜ死んでしまうのだろう?とか、なぜいつか死んでしまうことを皆知っているのに普段は忘れて生きることができるんだろう?と。誰もが考えることだと思いますが、僕の場合、早い時期に親友が死んでしまったことで、変に考え込んでしまった時期があり、どこかでそれを引きずっていたことを自覚できた気がします。
 
―――遅かれ早かれ誰もが体験することですが、奥山監督にとって映画を作るということが、自分の体験を捉えなおすきっかけになったのですね。
奥山: もう一つ、映画を撮る過程で思ったのは、死のことを考えるのが怖いから宗教があるのかなとか、自分では操作できないことを受け入れる文化ができたのかもしれないということ。何かを信じるというのはどういうことなのかも考えましたし、宗教とは何なのだろうと。ただ、子どもに「宗教とは?」を語らせる訳にはいかないので、今いるところから死後の世界を覗き見るようなことを、行動としてこの映画全編で表せないかと思い、車の中から外を見たり、踊り場から外を眺めたり、障子に穴を開けたりを繰り返し入れています。誰もが一度は経験したことがあることだと思いますので、映画を見て、何かを感じていただけたらうれしいですね。
 
 
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■見る人が自由に解釈し、「自分の映画だ」と思ってもらえる映画づくりを目指して。

―――ユラが親友のカズマを家に呼んで人生ゲームで遊んだり、ちょっと懐かしい昔あるあるのシーンも楽しかったですが、どんな層にみていただきたいですか?
奥山: 僕はできれば子どもに観ていただきたい、さらに言えば親子で観て、色々話してもらえればうれしいなと思いますし、ゆくゆく映画公開やDVD発売が落ち着いたら、学校の授業でも使ってもらえたらうれしいなと思いますね。
 
障子の先に何が見えたかとか、なぜサッカーの途中でユラが帰ってしまったのかとか、余白を少しずつ残していくことで観る人が自由に解釈し、自分の中で映画を完成させてもらえたら、きっと見た人が「自分の映画だ」と思ってもらえるのではないか。僕自身、映画を観てそう思いましたし、これから、そう思ってもらえる映画作りを目指していきたいです。
(江口由美)
 

 

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<作品情報>
『僕はイエス様が嫌い』(2019年 日本 76分)
監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
出演:佐藤結良、大熊理樹、チャド・マレーン、佐伯日菜子
2019年7月5日(金)~大阪ステーションシティシネマ、7月12日(金)〜シネ・リーブル神戸、8月17日(土)〜京都シネマほか全国順次公開
公式サイト: https://jesus-movie.com/
©2019 閉会宣言
 

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『兄消える』柳澤慎一インタビュー

(2019年5月20日(月)シネ・リーブル梅田にて)


「柳澤慎一さん:60年ぶりの主演作「これが遺作です」

「土屋貴子さん:生まれ育った信州上田の観光大使に」

 

映画俳優・柳澤慎一氏が60年ぶりに映画『兄消える』(西川信廣監督)に主演。御年87才、これが170作目。主演は『酔いどれ幽霊』(58年)以来。自ら「遺作です」と笑ったが「遺作にふさわしい映画」で、“らしい生きざま”を見せた。ホンマお達者!


信州上田を舞台にした兄弟の物語。弟(高橋長英)は父親の介護で結婚もせずコツコツと父親が残した鉄工場を継いで一人暮らしてきた。その父親が百歳で亡くなり、賑やかに葬儀を終えたあと、40年間行方知れずだった兄・金之助(柳澤慎一)がふらりと舞い戻ってきた。今ごろ突然、なんで? 今年80歳になるというのに娘ほど年の離れた女・樹里(土屋貴子)を連れて。「今晩から世話になる」と居候を始める。


anikieru-500-1.jpg兄は「金を借りに来て」父親と喧嘩になり、プイと出て行った。フィリピンで暮らしていたというが詳しいことは不明。一方、樹里の方も何者かに追われている様子。下町の地味な人情ドラマなのになぜか緊迫感が漂う。兄とあの女は一体何をして生きてきたのか、これから何をするのか?


柳澤さんは『ザ・マジックアワー』(08)出演以来、自ら「出入り口を閉ざし、シャッターを下ろした生活をしてきた」。この作品のオファーが来た時も「絶対断ろう、と思った」という。何しろ映画の主演は実に半世紀を超える60年ぶり。11年間、人間嫌いが高じて世捨て人だった柳澤さんには生半可な決断ではなかった。


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【 土屋貴子さん(左)と柳澤慎一さん 】

「大体、セリフを覚えるのも並大抵じゃない」  。それほどの拒絶反応を覆したのは西川信廣監督と、何十年も「柳澤さんで撮りたい」と思い続けてきた新田博邦プロデューサー(企画)の熱意のなせるワザだった。


「どういう構想を持っているか、説明に務めた」と新田プロデューサー。柳澤さんも「私にたどり着くまでが大変だっただろう」と同情する。当然のことと言えば失礼だが、このお年で五体満足な訳はない。「だけど“ヨーイ・スタート”がかかったらもう止めることは出来ない。監督やプロデューサー、スタッフに迷惑はかけられない。無茶すぎる、と思った」。だけど、プロデューサーの説明は理路整然していて、普通の活動屋とは違った。異色な方だな、と思った」。そんな思いで自ら決断した。それはまた、長い間映画の中で過ごしてきた俳優の業でもあっただろうか。


anikieru-500-4.jpg撮影は昨年末、約20日間。柳澤さんは足の付け根を負傷し「患部から細菌が入って歯も腫れた」と歯ぐきも見せてくれた。実際、静脈血栓と診断され、足を切断するかどうか、というところまで追い込まれたという。60年ぶりのチャレンジはまさしく命がけだった。立っているだけでも負担がかかる状態。考えたら、PRのためとは言え「よお大阪まで来れた」と感心する。まったく、冗談では済まない。


anikieru-500-3.jpg映画は、大ベテランらしく、心に染み入るようなシーンがふんだん。まじめ一筋の弟との会話などは両ベテランの真骨頂。ええ加減な兄貴と樹里がお腹を空かした子供と遭遇し「メシを食わせてやる」という場面は世間から見る“はぐれトリオ”の連帯シーン。謎だった樹里の失踪の理由は最後近くに明らかになるが、喫茶店で金之助がいない間に、何者かに連れさられる空白の一瞬。事態を知った金之助が「一人になった」時のぼう然とした表情に孤独感が滲み出た。この表情が60年のキャリアを感じさせた。


「何気ない表情に見えるが、考え尽くしたシーン」と新田プロデューサーは証言する。この業界、金之助みたいな生き方を実行する人もいた。「ちゃらんぽらんでいい加減なオヤジ、こんなやつはいやだな、と思ってもらえたら成功かな」。最近増えている少子高齢化もの。「兄消える」もその1本にちがいない。だが、明確に一線を画すのが主人公・金之助の何とも言えない軽妙さ、不思議な明かるさ。新田プロデューサーが長年待ち続けたのは、柳澤さん以外には出せない、この「軽妙な明るさ」だったに違いない。筆者が調子に乗って、「いい映画になったんですから、遺作なんて言わず、もう1本どないですか?」と言ったら、「いやいやもうできませんな」というご返答でした。

 

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兄・金之助と一緒に帰って来た謎の女・樹里を演じた土屋貴子(54)も柳澤さんに同行してPR。しっとりと落ち着いた作品の出来栄えに自信の笑顔を見せた。大ベテラン柳澤氏との共演は大変な刺激になったようで「柳澤さんは努力する姿を人前で見せない。そんなところは、私も将来そうなりたいと思う」。


映画の舞台になったのは長野県上田市。土屋の出身地で現在、信州上田の観光大使を務めている。「兄消える」は現地で「映画を連日満席にする会」が結成されるなどご当地らしい盛り上がりを見せている

 

(安永 五郎)


出演:柳澤愼一 高橋長英/土屋貴子/ 金内喜久夫 たかお鷹 原康義 坂口芳貞 / 新橋耐子/雪村いづみ(特別出演) 江守徹(特別出演)
監督:西川信廣 脚本:戌井昭人 音楽:池辺晋一郎
企画・製作:新田博邦 エグゼクティブ・プロデューサー:井上元文
撮影監督・編集:小美野昌史|助監督:平波亘|照明:淡路俊之|美術:橋本千春
仕上げ:荷田一隆|整音:松本能紀|音効:藤田昌宏|衣装:深野明美|メイク:渡辺祐子
スチール:谷川真紀子|協力プロデューサー:増田徳也|AP:春山智
協力:上田市|特別協力:文学座|企画・制作:ミューズ・プランニング
製作:「兄消える」製作委員会|配給:エレファントハウス、ミューズ・プランニング
©「兄消える」製作委員会
公式サイト: https://ani-kieru.net/

2019年5月31日(金)~テアトル梅田、6月1日(土)~京都シネマ、順次元町映画館、6月14日(金)~豊岡劇場 ほか全国順次公開

 

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伝説のフィギュアスケート男子金メダリストの栄光と孤独――

「『ボヘミアン・ラプソディ』がヒットしたように、
セクシュアリティの物語を社会が受け入れるようなったんだと思う」

スポーツにおける“男らしさ”とは何か


アイススケートを芸術の領域にまで昇華させた伝説の英国人スケーター、ジョン・カリーを捉えた映画『氷上の王、ジョン・カリー』が5月31日(金)より、新宿ピカデリー、東劇、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国公開となります。英・ガーディアン紙は「羽生結弦は、ジョン・カリーの優雅さと偉大さ思い出させる」と報道するなど、ジョン・カリーの華麗な演技は現在活躍する選手にも影響を与え続けています。


本作はアスリートとしてのカリーだけでなく、栄光の裏にあった深い孤独、自ら立ち上げたカンパニーでの新たな挑戦、そして彼を蝕んでゆく病魔AIDSとの闘いを、貴重なパフォーマンス映像と、本人、家族や友人、スケート関係者へのインタビューで明らかにしていきます。2020年に東京五輪をひかえ、ホモフォビア(同性愛者に対する偏見)や性差別、人種差別は今なおスポーツ界で問題となっています。


今回、ロードレーサーのマルコ・パンターニを追った映画『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』(2014)をはじめ、スポーツや芸術の感動の裏側に秘められた物語や社会・政治問題をテーマにしたドキュメンタリー作品を多く手掛けるジェイムス・エルスキン監督のインタビューをご紹介いたします。
 



【ジェイムス・エルスキン監督インタビュー】


iceking-Di-240.jpg──映画『氷上の王、ジョン・カリー』を作る以前、監督はジョン・カリーについて、どの程度ご存知だったのですか?

イギリスで彼は有名人ではあるけれど、活躍していたのが1970年代から80年代にかけてだから、僕の中では子供の頃の遠い記憶に埋もれていた。ある日、ガーディアン紙にジャーナリストのビル・ジョーンズによるジョン・カリーの伝記『Alone』の紹介記事が載っていて、彼がどれほど重要な人物か書いてあった。それで、すぐその本を読んで「すごい話だ」と思い、版元に電話をかけて映画化の権利について問い合わせた。それが始まりだった。


彼の演技をネットで5分見ただけでも感動したから、映画にしてもっと長い演技映像とともに、彼の人生を描けば多くの人の心に響くんじゃないかと、彼をもっと広く知らしめることができるんじゃないかと思ったんだ。


──1984年に国立代々木競技場の体育館で開催された「シンフォニー・オン・アイス」の映像も含まれていましたが、過去映像の調査には相当、時間がかかったそうですね。

まず、彼の全パフォーマンスのリストを作ったんだ。彼のショーをプロデュースした、それこそ世界中の人たちに連絡した。日本、スイス、スカンジナビア、イギリス、アメリカ……。それと、ジョンの兄のアンドリューが、3000枚近くもある膨大な写真を貸してくれた。

もう一つ、大きなカギになったのはジョンの手紙で、彼は偏執的なまでにほぼ毎日、誰かに宛てて手紙を書いていたんだ。彼の手書き文字を映像で使えたのと同時に、手紙は彼の声と心情を知る重要な情報源になった。

iceking-tokyo-500-1.jpg──この映画で深く掘り下げられているのは、「スポーツにおける男らしさとは何か」ということですね。プロスポーツの世界では、その手の話は今も曖昧な状態だと思いますか?

“曖昧”以上のものだと思うね。ホモフォビア(同性愛者に対する偏見)や性差別、人種差別というものは、スポーツの世界では今も大きな問題だよ。その中でもホモフォビアは関心が高い。アートの世界では、多少人と違っていても大丈夫だけど、スポーツの世界では一般的な慣習に従うことを強いられる。それに、芸術的な才能というのは大人になってから芽生えることが多いけど、スポーツの分野では、幼い頃からその道に進む傾向にあって、セクシュアリティについては、大人になるにつれて気付くようになるからね。

僕がすごく気になったのは、ジョンが自分を社会に受け入れてもらうことを目指していたことだった。それはこの映画の最大のテーマだ。実際、彼は受け入れられ、金メダルを獲得して、メトロポリタン歌劇場で2万人の観客を動員し、天才と呼ばれた。だけど、それでも彼は自分自身を認められないんだ。


iceking-500-1.jpg──日本でも映画『ボヘミアン・ラプソディ』(日本公開2018年11月)が大ヒットしましたが、エイズで早逝したイギリスの同時代アーティストを描いた映画が、時をほぼ同じくして公開されたことについてどう思いますか?

セクシュアリティの物語を社会が受け入れるようなったんだと思う。ドキュメンタリーに限らず、ドラマでも多くなってきてるよね。実話への関心が高まっていることが、僕には興味深い。映画は、ニュースを見るだけではできない感情移入が可能になる。たとえ自分が主人公とまったく異なる人種、ジェンダー・アイデンティティーだったとしても、映画はその人の身になって感じることができる。


──日本でも人気の高いスケーターのジョニー・ウィアーは劇中で「カリーが僕を創った。ありのままでいられる僕を」と語っています。彼が映画の冒頭と終盤に登場する理由は?

iceking-JW-240.jpgジョンは1970~80年代に活躍した過去のスケーターだから、映画にはジョンから影響を受けた現在のスケーターを出したいと考えた。ジョニー・ウィアーのこれまでの発言を調べてから連絡を取って、なぜジョン・カリーの映画を作りたいか、その理由を伝えたんだ。ジョンがアスリート兼アーティストとしてスケート界で成した功績は、世の人々の記憶にとどめておかれるべきことだとね。「ついては、ジョンが与えたインパクトについて、ぜひ映画の中で語ってほしい」とジョニーに頼んだ。彼もジョンと同じく、ゲイである自分を表現するために、権力組織と闘ってきたスケーターだからね。彼が練習しているスケートリンクがあるアメリカのデラウェアまで撮影しに行った。彼はとても協力的で、滑っているシーンとインタビューに半日も時間を割いてくれた。

これは何かを成し遂げ、その努力を目撃する世界の目を変えた人間の話なんだ。とてつもない功績だよ。映画の中には盛り込めなかったけど、ジョニー・ウィアーがインタビューでこう言った。「自分の足跡を残すことは、世界で最も大変なことだ」。カリーはそれを成し遂げ、偉大なアートを作り上げたんだ。


──他に現在のアイススケート界で監督が惹かれるスケーターはいますか?

例えば以前ガーディアン紙でも記事になっていた羽生結弦は、アスリートとして極めて優秀だし、アーティスティックな面でも卓越していると思う。天才スポーツ選手でも、ジョンや羽生選手のような、観客が単純に「すごい」と感心するだけじゃなくて、見ていて共感を覚えるような魅力を兼ね備えた選手はなかなかいない。


──今後どんなプロジェクトが控えていますか。

劇映画版のジョン・カリーのドラマが進行中で、脚本家がすでに決まった。彼の物語を別の視点から見せたいとずっと思っていた。というのも、彼の人生は別の方法で、別の観客に届けることができるはずだから。ジョンは魅力的だから、きっととんでもない映画になると思うよ。

 



【監督プロフィール】
ジェイムス・エルスキン James Erskine

英国生まれ。オックスフォード大学で法律を学んだ後、脚本家・映画監督に転身。BBCアーツで映像作りをスタートした。2001年にBBCで放送されたドキュメンタリー番組『Human Face』がエミー賞にノミネートされる。長編映画デビュー作となったサイコスリラー『EMR』(2004/ダニー・マカルーとの共同監督)で、レインダンス映画祭審査員賞やワシントンDCインディペンデント映画祭観客賞などを受賞。人気BBCドラマ『秘密情報部 トーチウッド』(2006)や『ロビン・フッド』(2007)では数話の監督を担当。2009年に映画制作会社ニューブラックフィルムズを設立。代表作は、1990年のワールドカップイタリア大会を描いた『One Night in Turin』(2010)、早逝したロードレーサーのマルコ・パンターニを追ったドキュメンタリー『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』(2014)、伝説的なクリケット選手サチン・テンドルカールを描いた『Sachin: A Billion Dreams』(2017)など。スポーツや芸術の感動の裏側に秘められた物語や社会・政治問題をテーマにしたドキュメンタリー作品を得意としている。
 



iceking-pos.jpg映画『氷上の王、ジョン・カリー』

監督:ジェイムス・エルスキン(『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』)
出演:ジョン・カリー、ディック・バトン、ロビン・カズンズ、ジョニー・ウィアー、イアン・ロレッロ
ナレーション:フレディ・フォックス(『パレードへようこそ』『キング・アーサー』)
(2018年/イギリス/89分/英語/DCP/16:9/原題:The Ice King)
字幕翻訳:牧野琴子
字幕監修・学術協力:町田樹
配給・宣伝:アップリンク

公式サイト http://www.uplink.co.jp/iceking/
公式twitter https://twitter.com/theicekingjp
公式facebook https://www.facebook.com/TheIceKingJP/

2019年5月31日(金)、新宿ピカデリー、東劇、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

(c) New Black Films Skating Limited 2018 / (c) 2018 Dogwoof 2018

 

 
 
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京都人の足として長年愛されている通称「嵐電」(京福電気鉄道嵐山本線)は、古くから映画撮影所が多く集まる地区を走り、溝口健二をはじめとする多くの映画人が愛用していたことでも知られる路面電車だ。その嵐電をモチーフに、京都に住む人、外から来た人の視点を織り交ぜながら、3つのラブストーリーを描いた映画『嵐電』が、5月24日(金)からテアトル新宿、京都シネマ、6月7日(金)からテアトル梅田他で全国順次公開される。
 
監督は『ゲゲゲの女房』(10)、『楽隊のうさぎ』(13)の鈴木卓爾。嵐電の街で妻・斗麻子(安部聡子)と体験した出来事を呼び覚ますため、京都に滞在するノンフィクション作家衛星(井浦新)、撮影のため京都を訪れた新進俳優、譜雨(金井浩人)と撮影所にランチを届ける近所のカフェ店員嘉子(大西礼芳)、嵐電オタクの子午線(石田健太)と彼に一目惚れした修学旅行生の南天(窪瀬環)らが、時には時空を超えて出会いや別れ、そして愛おしい感情を共有していく。夕子さん電車や深夜電車の都市伝説を交えながら、鈴木節満開の時空を超えたヒューマンドラマだ。世界初上映された大阪アジアン映画祭のオープニングでは、キャストが勢ぞろいし、満席の観客と大いに盛り上がった。
 
本作の鈴木卓爾監督、出演の井浦新さん、大西礼芳さん、金井浩人さんにお話を伺った。
 

 
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■京都に住み、その空気を吸いながら、大学のプロジェクトとつなげ、自分でプロデュース(鈴木)

―――京都で愛され続けてきた嵐電を題材にした映画ですが、制作のきっかけは?
鈴木: 2015年9月、オムロの西田宣善さんから「嵐電を題材にラブストーリーを撮ってほしい」と1枚の企画書を渡されたのがきっかけです。「嵐電の中で不思議な美女に出会った男は、謎の事件に巻き込まれていく…」という内容だったのですが、そこで僕はホセ・ルイス・ゲリンの『シルビアのいる街で』(07)を思い出しました。ストラスブールというトラムが走る街を舞台に、ある場所で出会った女の人をずっと探し求めている映画で、60分間全くストーリーはないのですが、絵でしっかりと見せきる映画でした。
 
2016年4月から京都造形芸術大学(以降京都造形大)准教授に就任したので、単身赴任で京都に住み、京都の空気を吸いながら、北白川派映画として京都造形大のプロジェクトとつなげたり、自分でプロデュースをするという方向で映画を制作することになりました。西田さんの父、西田智さんは、その昔、嵐電に乗車中に「あなたはいい顔をしているから、映画に出ませんか」とあの溝口健二監督にスカウトされたそうです。『武蔵野夫人』(51)や『新平家物語』(55)に出演されているし、西田(宣善)さんが初めて8ミリカメラを手にされた時は、まず嵐電を撮影しに行くぐらい、かなり長年の思い入れのある企画だったそうです。僕がシネマインパクトで撮った『ポッポー町の人々』(12)は、都営荒川線という単一車両で走っている電車の町を架空の町に見立てた群像劇なのですが、西田さんはその作品をご覧になり、依頼してくださったそうです。
 
―――あちらの世界とこちらの世界を行き来するアイデアは最初からあったのですか?
鈴木:私は素でやると、時制を無視してしまうタイプなので、監督補の浅利宏さんに撮影までの間、台本を通訳してもらったり、セリフの改変、シーンの書き足し等で分かりやすくしてもらいました。シャガールの絵のように時空を超えるような、「映画ってそういうものじゃないですか」ということを、他の映画監督はやらないですよね。今日は今日、明日は明日と時制どおりですし、回想は回想シーンとしてでしか登場しないということに私はどこか不自由を感じています。あまりにも遊ばなさすぎると感じてきました。テオ・アンゲロプロス監督はワンカットで10年をすっ飛ばしているじゃないかと思いますけれどね。
 
 
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■衛星は、『嵐電』の世界の中で出会い、すれ違う人をとにかく見つめている役回りとして、そこにいようと思った。(井浦)

―――井浦さんは、どのようにオファーが来たのですか?
井浦:監督が直接、僕の目をじっと見て、「僕の映画に出てください!」とおっしゃってくださったので、二つ返事で「はい!どんな役でもやります」と飛び込んでいきました。「電車の映画なんです」という誘い方もしてくださいました。僕は電車が好きで、乗り鉄、撮り鉄なので、大好きな電車の映画に携わり、その現場で過ごせるのはなんて幸せなんだろうと思いました。卓爾監督とは役者としても多数共演していますし、監督とまた新しく何かを探すことができるという気持ちもありました。
 
―――鎌倉からやってきたノンフィクションライターという役どころはいかがでしたか?
井浦:僕が演じた衛星は、あの世とこの世を行き来するので、難しかったですし、どう演じていこうかと考えました。衛星が映っているところは全部あの世かもしれない、というぐらいのテンションでいいのではないかと。『嵐電』の台本をいただき、文字を素直に読むことで想像させられる世界もあれば、また違う角度から見ると、全く違うところに飛んで行ってしまう。ワンシーンワンシーンで色々なことが起きています。撮影現場では、普通でないものがある中で、僕たちは芝居をさせていただきました。本当に想像させられる映画ですし、大きな軸として、各世代のラブストーリーがあります。監督も、本当に言いたいことを一番奥にしまい込みかつ、たくさんの人が楽しんでもらえるようにする。とてもチャレンジングな試みをされていることが台本から分かりましたので、衛星を演じるにあたり、難しいことはせず、しっかりとこの作品の核を握り続けたまま、何もしないでおこう。『嵐電』の世界の中で出会い、すれ違う人をとにかく見つめている。そういう役回りとして、そこにいようと思いました。
 
 
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■関西弁だと気持ちの動き方が全然違う。(大西)

―――大西さんは『MADE IN JAPAN〜こらッ!〜』(11)、『彌勒 MIROKU』(13)に続く北白川派作品への出演ですが、京都在住の嘉子役はいかがでしたか?
大西:卓爾監督の作品は初出演ですが、卒業制作展のゲストに呼んでいただき、映画のコメントをいただいたことがありました。「あのシーンの建物から出てきた大西さんの歩き方って、すごく素人っぽかったですよね」と言われて、素人っぽいってどういうことなんやろと考え始め、卓爾さんって何を考えてるんやろ、卓爾さんの演出する映画に出たいとずっと思っていました。今回、念願が叶ってうれしかったです。
鈴木:大西さんが人を見る時の目が、凄いなと思っていました。ちょっと人間じゃないような、「ん?漫画?異次元か?」みたいな感じで、早く撮りたいと思わせる目つきをされていた。そんな大西さんの起用をずっと狙っていました。
大西:今回は京都造形大に帰ってきたという感じではなく、鈴木組に参加するという気持ちで来ました。私は三重県出身で地元から出たことがなく、他の場所の空気や人と出会ったことがない人見知りだったのですが、そういう自分を思い出しながら演じました。大学で京都、仕事で東京に出て、いろいろな人に会い、仕事をする中で人との接し方がすごく変わってきたので、嘉子は今の自分とは違うけれど、昔の自分とは近いかもしれません。あとは関西弁だったので、標準語をしゃべっている時と気持ちの動き方が全然違う。今回は関西弁に助けられた部分もあると思います。
 
 

■今の若い俳優が持つ悩みを、役に投入した。(金井)

―――金井さんは俳優の卵、譜雨役で、劇中劇のシーンもありましたね。
金井:東京から来たそんなに有名じゃない俳優という役は、等身大の自分に近かったと思います。今の若い俳優が悩みがちなこと、今自分がどこにいて、これからどこにいくのかという悩みを僕も常に持っているので、そういうところを役に投入できればいいなと思いました。(だんだん嘉子のことが好きになっていく演技については)大西さん自身を好きになることから役にぶつかっていきました。
大西:嘉子と譜雨は最初とてもギクシャクしているのですが、そのギクシャクし具合も卓爾監督に結構細かく指導していただいたのを覚えています。譜雨の言葉尻を捉えて、「少しでも気に入らないことがあれば目を逸らすとか、そういうことするんですかねぇ」って。(笑)
鈴木:それは「目を逸らせ」ということですね(笑)今回、台本は本当に感情を抑えて書いているので、読んだだけではどう演じていいのかわからなかったと思います。俳優さんがどう見つけてくれるか、極力俳優さんに放り投げたかった。台本に書く抑揚の表現(?や!マーク)を止めると、どんどん演技が変わっていきますし、そこから映画にしかできないことが生まれたらいいなという思いがあったんです。
 
 
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■京都が小さな星、その周りをみんながグルグル動いて、電車が一回りしている。(大西)

―――3組の男女の話が描かれますが、それぞれ、結局どうなったのだろうかという想像を掻き立てますね。
大西:演じている時は思わなかったけれど、京都が小さな星で、その周りをみんながグルグル動いて、電車が一回りする気がします。
井浦:『嵐電』の世界自体が銀河ですよね。珈琲屋さんの名前が「銀河」ですし、若者たちが、全てのシーンで巡りながらセリフを話すんです。登場人物の名前もそれを想像させるものがポンポンと置かれていますし、星々の話、神話だなと思いました。
鈴木:京都が舞台ですし、「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」を通過してくる嵐電を相手にしなくてはならないわけですから、登場人物も星の守りを受け、風水的にも良いものをと「北門南天」や「有村子午線」、「川口明輝尾」という名前を付けました。それでようやく俺、頑張れるなと思いましたね。
 
 
 

■嵐電は、『風の谷のナウシカ』王蟲のイメージ。生き物のように撮りたかった。(鈴木)

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―――嵐電があらゆるシーンで登場するだけでなく、踏切音やレールを通過する音など、嵐電の気配を常に感じさせました。どのようにサウンドデザインをされたのですか?
鈴木:今回の録音は京都造形で録音技術を教えてこられた中山隆匡さんにお願いしました。嵐電は一両一両違う車両が、毎日走っていて、撮影では「この日のこの場面を撮るので、この車両が走ってくれるとありがたいです」という感じで京福電鉄さんにお願いをし、全て運行通りの中で、僕たちは準備してヨーイドンで撮影しました。それでNGが出ると、同じ方角からその電車が来るのを1時間待つことになるので、全員で集中力を高めて臨んでいました。嵐電の鉄の軋む音やブレーキ音は、トラムが新しくなったらそうは聞こえなくなるような音を、今でも京都の街で響かせて走っている。例えば西院駅では踏切遮断機がないのに、「チン、チン、チン、チン」と100年前ぐらいから使われている鐘が踏切の役割として今も現役で鳴っています。そういう音はこの映画の命です。
 
あと電車映画ではありますが、「電車映画だ」と思って撮らない方がいいのではないか。最初は『風の谷のナウシカ』の腐海にゴツゴツ突然現れては消えていく巨大な王蟲のイメージで嵐電を撮れたら最高だなと思ったのです。腐海の向こうで一匹だけナウシカを迎えに来る王蟲が僕には嵐電に見えて、あの作品は路面電車の映画だと思っています(笑)
 
もう一つ、嵐電の映画を撮るということは、いろいろな路面電車映画の記憶がベースになります。F・W・ムルナウの『サンライズ』(27)、アキ・カウリスマキの『浮き雲』(66)、それからバフティヤル・フドイナザーロフの『少年、機関車に乗る』(91)というとんでもない傑作もあります。常に人間と電車が近いし、家並みも近かったり、アヒルが横切ることもある。さすがに線路をまたいで撮影はできませんが、実際にできる中から嵐電を撮ろうとした時、音に関しては嵐電を生き物のように撮りたいという考えで作っています。
 
 
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■北白川派の映画現場に入ると、自分の演技が「清められる」感じがする。(井浦)

―――今回の現場は京都造形大の学生キャスト、スタッフが多数携わっていますが、プロの役者として井浦さんは何かアドバイスなどをされたのですか?
井浦:生徒さんたちを育てているのは先生で、監督の鈴木卓爾さんですから、僕は双方の関係を一歩引いて見ていました。これから映画のプロ、俳優のプロを志す人たちが集まる現場から、正直言えば、僕も勉強しに来ている部分がありました。
 
実際、こちらが意識しなくても、現場で僕が「おはようございます」と入り、帰る瞬間まで、学生の皆さんは俳優がどのように現場に入るか、スタッフとどのような関わり方をして一緒に映画を作っていくのか等を見ているはずです。僕は今まで先輩方から現場で学んできたことを、何も変わらずにやる。逆に学生たちとやっているからといって、変えてはいけません。いつもの現場と同じように僕が鈴木組でやっていることを、知りたい人が自由に知る。監督と共演者とスタッフが皆で映画を作っていく中で、そういうことが自然にあればいいなと思います。
 
後は、北白川派の映画現場にいると、芝居が「洗濯される」感覚があります。今まで色々なことを学び、こびり付いてきたものが、一度北白川派の現場に入ると清められる。真っ白になるわけではありませんが、真っ白い人たちが周りにたくさんいるので、「こんな芝居ができてよかったな」とか「子午線には敵わないな」とか、いいなと思う人たちがたくさんいる中で、芝居をさせていただいたのが、すごく良かったです。
 
 
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■嵐電そのものが、きっと映画。(井浦)

―――最後に、嵐電の思い出について教えてください。
井浦:路面電車と鉄道の違いは、鉄道は速いので車窓の風景を楽しむ時、どんどん流れてしまう。山が綺麗だとか、全体の風景をみる訳ですが、路面電車の場合、窓ガラスがスクリーンのようになって、例えば洗濯物が見えたり、住人の喧嘩が見えたりする。速度がゆっくりで隣との距離が近いので、物語の中を通過している気がします。嵐電そのものが、きっと映画なのです。嵐電の中でも窓ガラスの向こう側でも、映画のような瞬間がたくさんある。そんな気がします。
 
(江口由美)

 
<作品情報>
『嵐電』(2019年 日本 114分)
監督・脚本・プロデューサー:鈴木卓爾  音楽:あがた森魚
出演:井浦新、大西礼芳、安部聡子、金井浩人他
2019年5月24日(金)~テアトル新宿、京都シネマ、6月7日(金)~テアトル梅田、6月中旬〜シネ・リーブル神戸他全国順次公開
公式サイト:http://www.randen-movie.com/
© Migrant Birds / Omuro / Kyoto University of Art and Design

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(2019年4月24日(水)リーガ・ロイヤルホテルにて)



「倍賞千恵子&藤竜也+星由里子」豪華俳優映画初共演!

シニア世代に贈る、滑稽なほど不器用な“昭和の夫婦”の愛情物語

 

昭和の高度成長期を猛烈社員・仕事人間として生き抜いてきた夫と、家庭を守ることで夫を支えてきた妻。夫は家に帰っても「風呂」「飯」「寝る」としか言わず、家のことは妻に任せっきりで、妻の話に耳を傾けることもない。だが、子供も巣立ち、夫婦二人だけの生活になってくると、それまで耐えてきたことが苦痛になってくる。本作は、そんなシニア世代の夫婦のひずみによって巻き起こる騒動をコミカルに描きながら、新たな夫婦の在り様をしみじみと感じさせてくれるラブストーリーである。


hatukoi-550-2.jpg結婚50年の70代夫婦に訪れた危機をめぐる物語に、世代を超えて共感するところも多い。メガホンをとったのは、大阪十三を舞台にした映画『かぞくのひけつ』(‘06)で監督デビューを飾った小林聖太郎監督。5月10日(金)の公開を前に、「若い世代にも新たな夫婦像を見出してほしい」という小林監督にお話を伺った。
 



国民的映画『男はつらいよ』シリーズ、“寅さんの妹・さくら”でお馴染みの倍賞千恵子が久しぶりの映画主演で、藤竜也演じる亭主関白の夫・勝にかいがいしく尽くす妻の有喜子を愛らしく演じている。編み物しながら韓流ドラマ見て、愛猫のチビとお喋りするのが一番の楽しみ。ところが、ある日チビが居なくなったことで、長年連れ添った夫との関係にヒビが入る。意外にも映画初共演という二人は自宅がご近所という親しい間柄だが、撮影中はヒビの入った夫婦らしく距離を置いていたという。


――お二人の役作りについて?
実際の倍賞さんも藤さんも77歳とは思えないほどお若い。そのため、藤さんは角刈りに、倍賞さんにも役柄に合わせてメイクアップではなくダウンしています。

藤さんは初め脚本を読んだ時に「今どき、こんな人居ないんじゃないの?」と思って地元の友人たちに聞いて回ったら、「いやいや、もっと酷い夫もいるよ!」といっぱい具体例を聞かされて驚いたそうです。倍賞さんとは、私的すぎて取材では言えないような夫婦や男女のことについていろいろお話しました。


hatukoi-500-2.jpg――「倍賞さんが可愛らしすぎてつい優しくしてしまって、監督にNG出された」と藤竜也さんが仰ってましたが?
はい。優しくなった時、それから逆に、勝が不器用を通り越して無神経になったと感じた時に、その都度、少しずつ修正しながら演出しました。加減を見極めるのも監督の仕事ですから。


――作品のどこに重点をおいたのですか?
言葉のコミュニケーションが大事だ、ということでしょうか。有喜子が、「私がどんな思いをしてきたか、お父さんわかりますか!」というセリフがありますが、ずっと我慢してきているので、実はネガティブなことをあまり夫に言ってないのです。自分で抑え込まずに、もっとイヤなことはイヤとお互い言えるようだったら、危機は回避できたんじゃないかな、とも思います。


hatukoi-500-6.jpg――『若大将』シリーズの星由里子さんが、夫・勝が密かに会う女・志津子の役で出演されていますね?
映画ファンにとっては何とも豪華な顔ぶれでしょう。撮影終了2か月後の星由里子さんの訃報に本当に驚きました。撮影中はまったく不調を感じさせず、打ち上げに風邪をひいて出席できないというお電話を頂いたのが最後でした。

――勝の話に無邪気に笑って耳を傾けていたお姿がとても印象的でしたね。
       西炯子原作の同名漫画は30代女性にも人気がありますが、その世代を意識しましたか?

特にその世代に向けた何かを意識してはいませんが、有喜子さんと世代は違っても彼女の孤独には共感できるんじゃないでしょうか。あるいは共感ではなく、そんな母親にいら立ちを覚えている末娘・菜穂子(市川実日子)に気持ちを乗せられるかなと思っています。

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「この映画をどういう風に見てもらえるかな」と脚本の段階でぼんやりと考えていたのですが、長期間パートナーシップを維持してきた人、特に女性に最も共感してもらえる映画になるだろうと思いました。そして、男性優位社会や家父長制に少なからぬ違和感を持ってきた人たち。人は所属する組織や血縁・家族などに縛られず、自分のしたいようにすることを認められるべきだ、というようなことを、そう思っていてもなかなか表明できない人たちに届けて、その背中を押すことにつながればいいな、と。もちろんそんなことは全く思わず、ただ良かったわ、とか、猫可愛かったわ、と思ってもらえれば充分ではありますが……。


――今の若い世代の男性は家事を手伝うことにあまり抵抗がないようですが?
「手伝う」というのは他人ごとのようでおかしいと思います。普通に家事を分担してやっているだけです。家事をしない世の夫たちを再教育するためにもこの映画を観てもらって、「そのままやと、こんな未来が待ってるよ~!」と警鐘を鳴らせればいいかな?(笑)


hatukoi-500-1.jpg――猫が拠り所という、お茶の間の造形は?
プロフェッショナルなスタッフが脚本を頼りに美術や小道具なども頑張ってくれました。中でも、初仕事が『男はつらいよ』シリーズだった装飾の高橋光さんは、「倍賞さんとまた一緒に仕事ができる!」と、とても丁寧に作って下さいました。「編み物が好き」を軸にして、どういう年月を経て生活してきたかを、そこに座ればその人たちの生活が見えてくる、そんな家庭的な雰囲気もよく出ていたと思います。


――シニア世代を題材にした映画が増えてきたことについて?
増えているという実感はあまりないですが、もしそうだとすると、悪いことではないと思います。少なくとも高校生の色恋モノしかないよりは。他の映画がどうであるかはともかく、『チビ』は、初めに準備稿を読んだ時から名前の通り小さいけれども可愛らしい話になるのではないかなと思いました。これからも特に世代に拘らずに作品を撮っていきたいと思っています。いろんな世代の方にこの映画を観て語り合って頂ければ嬉しいです。
 



【小林聖太郎監督 プロフィール】
 1971 年 3 月 3 日生まれ、大阪府出身。大学卒業後、ジャーナリスト今井一の助手を経て、映画監督・原一男主宰「CINEMA 塾」に第一期生として参加。原一男のほか、中江裕司、行定勲、井筒和幸など多くの監督のもとで助監督として経験を積み、06 年『かぞくのひけつ』で監督デビュー。同作で第 47 回日本映画監督協会新人賞、新藤兼人賞を受賞。11 年公開の『毎日かあさん』では第 14 回上海国際映画祭アジア新人賞部門で作品賞を受賞した。その他の監督作は『マエストロ!」(15)、『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(17)など。

 



◆出演:倍賞千恵子、藤 竜也、市川実日子、星由里子、佐藤流司
◆監督:小林聖太郎
◆原作:西炯子「お父さん、チビがいなくなりました」(小学館フラワーコミックα刊)
◆脚本:本調有香   
◆配給:クロックワークス 
◆© 2019 西炯子・小学館/「お父さん、チビがいなくなりました」製作委員会

シネルフレ作品紹介⇒ こちら
公式サイト:http://chibi-movie.com/

2019年5月10日(金)~梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー



(河田 真喜子)

 

 
 
 

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