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「組織の論理と個の論理のせめぎ合いが、メディアにとって大切」
東京新聞望月衣塑子記者に密着した『i 新聞記者ドキュメント』森達也監督インタビュー
 
 6月に劇場公開された映画『新聞記者』(藤井道人監督)の原作者であり、官邸記者会見では菅官房長官へ鋭い質問を投げ続けている東京新聞社会部記者の望月衣塑子さんに、森達也監督(『A』『A2完全版』『FAKE』)が密着。安倍政権下の不祥事や未解決問題をエネルギッシュに取材する望月さんの姿や、官邸記者会見での生々しいやり取りを通して、政権やメディアの今、さらにはその情報を受け取り、消費する我々に訴えかけるドキュメンタリー『i 新聞記者ドキュメント』が、第七藝術劇場、シアターセブン、京都シネマで絶賛公開中だ。(11月29日より神戸国際松竹、イオンシネマ加古川、MOVIX八尾、イオンシネマ四條畷、イオンシネマ高の原、イオンシネマ西大和、イオンシネマ和歌山 にて公開)
 
 ワールド・プレミア上映された第32回東京国際映画祭では、日本映画スプラッシュ部門作品賞を受賞。現在の日本社会を鋭く切り取った本作は、11月15日の全国公開後、ぴあ映画初日満足度ランキング第1位に輝いた。望月さんと菅官房長官との攻防だけでなく、官邸記者会見の撮影許可を巡る森監督の闘いも描かれ、あちらこちらでバトルの火花が散る。かと思えば、望月さんの意外な一面や、取材に応じた籠池夫妻とのやり取りでは思わず笑いがこみ上げる。「僕の映画は、どんどん笑ってほしい」という森達也監督に、望月さんの取材活動に密着することで見えてきたこと、官邸とメディア、さらには我々につながる問題点について、お話を伺った。
 

 
―――6月に公開された劇映画『新聞記者』に引き続き、ドキュメンタリーを発表するというダブルリリースでしたが、元々森監督は、劇映画の監督を依頼されていたそうですね。
森:僕は学生時代から自主映画を撮っており、劇映画出身です。たまたま就職した会社がドキュメンタリーを制作していたので、ドキュメンタリーを撮り始めましたが、劇映画も撮りたいと思っていました。実際に前作『FAKE』(16)の後、テレビドラマを1本監督しています。最初、河村プロデューサーから『新聞記者』の企画を見せていただき、監督を打診されたのでお受けしたのですが、脚本を詰めている時に「劇映画とドキュメンタリーの両方は無理かな」と言われたのです。さすがに両方は無理なので断って、最終的に劇映画の方は藤井道人監督にやっていただき、僕はドキュメンタリーに専念することにしました。テレビ時代も含め、僕は今まで一度も女性を撮ったことがなく、今回が初めて。同じことを続けていても面白くないので、手法も含め、いつもとは違うことをやるつもりでした。
 
 
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■当たり前のことをしている望月さんが、なぜこんなに注目されてしまうのか。

―――女性を撮るのは初めてとのことですが、東京新聞社会部記者の望月衣塑子さんは、本当にエネルギッシュですね。実際に密着しての感想は?
森:撮りはじめて、男女差は関係ないなと思いました。他の人の3倍ぐらいの速さの時間軸で動いているみたいな感じですよね。撮っている間に彼女のモチベーションの高さや、アクティビティの強さ。同時に方向音痴で、ちょっと抜けているところも見えてきた。望月さんには過剰すぎる部分もありますし、パーフェクトな人ではないけれど、彼女がやろうとしていることは、記者として当たり前のことだと思う。でも当たり前のことをしている望月さんが、なぜこんなに注目されてしまうのか。それは密着して実感したことですね。
 
 

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■「なぜこんなに大きな事件や不祥事がグレーのままで終わってしまっているのか」という思いは望月さんと同じ。

―――望月さんは辺野古基地移設問題、伊藤詩織さん準強姦事件、森友問題、加計問題と、安倍政権下で起きた様々な問題、事件に密着し続けています。新元号の祝祭感で、政権が国民から忘れさせようとメディアを使って印象操作をしているように思える問題を、オウム真理教事件をずっと追い続けている森監督は、どんな思いで撮影していたのですか?
森:望月さんと同じ思いはありました。彼女に同行して籠池夫妻や前川喜平さんに会いながら、なぜこんなに大きな事件や不祥事がグレーのままで終わってしまっているのだろうかと改めて思いました。過去形ではなく現在進行形です。例えば今も、沢尻エリカ(11月17日MDMA所持の疑いで逮捕)でテレビが一色になりかけています。このままでは、桜を見る会が政治献金規制法に違反しているという疑惑もまた、グレーのままに終わってしまう可能性がある。ならばこれは政権側の工作であり、メディアの権力への忖度なのか。……そう主張する人は少なくないけれど、僕はその見方については違和感があります。それは考えすぎだと思う。ならばなぜテレビは一色になるのか。視聴率が上がるからです。つまり多くの国民が、政権の重大な疑惑よりも沢尻エリカの事件に反応するからこそ、テレビは今の状況になっている。例えば今、デモが内戦下状態にある香港で芸能人の不倫報道を流しても、誰も関心を示さないでしょう。でも日本では沢尻エリカ報道一色になってしまうのは、メディアもどうしようもないけれど、国民もどうしようもない。そういうことは感じてほしいと思います。
 
 
―――森監督が常々おっしゃっておられる「メディアは市場原理によって社会の合わせ鏡になる」ということですね。
森:権力は暴走するし腐敗する。それは世の常です。だからこそメディアがしっかりと監視しなくてはいけない。今のこの国のメディアがその機能を果たしていない理由のひとつは、市場である日本社会が関心を示さないからです。この映画はメディアと政治に対する批判性はもちろんありますし、ご覧になるほとんどの方はそれを感じると思いますが、それを自分自身にフィードバックしてほしい。
 
 
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■オウム真理教事件以降高まってきたセキュリティ意識が、どんどん強まっている。

―――タイトルの「i」には団体ではなく、個人で考える存在であれという気持ちが込められているように思いますが、3年前の『FAKE』の頃と比べて社会の動きをどう捉えていますか?
森:特に最近、映画や展示会、トレンドアートの表現の自由に対する色々なバイアスがものすごく大きくなってきています。一部の人は権力の検閲であると訴えていますが、これについても僕は違和感がある。基本的には自主規制です。ならばなぜこれほどに自主規制が露骨になったのか。オウム真理教事件以降に発動したセキュリティ意識がどんどん強まっているからです。
 
 
―――セキュリティ意識が強くなった結果、表現関係の自主規制が起こっているということですね。
森:言論や表現には絶対にリスクや加害性がある。ところが、「万が一のことが起きたらどうするんだ」という声に異議を唱えることができなくなっている。不安や恐怖が増幅している。リスクを軽減することは間違っていない。ただ、リスクをゼロにすることは不可能です。でも一つだけ方法がある。展示や上映や発言をやめればいい。その連鎖が続いています。でも、それはまさに、万が一交通事故に遭うかもしれないから家から出ない、との発想と同じです。そんな人生が豊かになるはずがない。
 

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■記者クラブというシステム、最近はマイナスばかりが突出してきた。

―――本作では記者の望月さんが、官邸記者会見で菅官房長官と火花を散らす闘いだけでなく、森監督自身も会見を撮影したいと再三申し出、手続きを行いながらも杓子定規的対応で結局許可が下りないフリーランスジャーナリストの闘いが描かれます。外国人ジャーナリストの意見でも、日本の官邸記者会見や記者クラブが非常に閉鎖的であることを問題視していましたね。
森:記者クラブは明治に始まったシステムで、多くの人が問題視していることは事実ですが、功罪両方があると思います。映画でも登場したギルド的な視点で捉えると、強大な権力と対峙するためにメディアが連帯する記者クラブは、意義があると思います。ただ功罪の罪の部分では、排他性や、一つにまとまるので権力に利用されやすい、などがある。プラスマイナスの両方あるシステムですが、最近はマイナスばかりが突出してきています。それならばシステムを修正するべき。ところが変わらない理由は、政治権力側も今の状態は都合がいいし、メディア側もすぐに情報が共有でき、ある意味で安心できるからだと思います。政治とメディアが相互依存するシステムになってしまった以上、僕は変えるべきだと思っています。会見場の席はあれほどに空いているのだから、もっと広く開放すべきです。
 
 
―――官邸記者会見では望月さんが再三、菅さんに切り込んでいましたが、他社の記者で同じように切り込む人はいないのでしょうか。
森:政治部は政治家と良好な関係を作り、社会部が切り込む。これが日本の組織ジャーナリズムのひとつのスタイルでした。このハーモニーがうまく機能していた時期も確かにあった。でも、今は社会部が弱くなった。ならば権力監視が機能しない。僕も望月さん以外の記者がどうしているのか、聞きたいです。
 

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■鈍感さとセキュリティ感度の低さで「怯えすぎない」

―――望月さんと菅さんの攻防では、食い下がる望月さんを、菅さんが一言でバッサリと切り捨てる姿が幾度も登場し、望月さんは仕事とはいえ、本当にメンタルの強い方だなと思わずにはいられませんでした。
森:確かにメンタルは強い。でもそれよりもむしろ、場を見ない力のほうが強いかもしれない。カメラの前でも、本当に無頓着というか無防備すぎる瞬間が何度もありました。僕もかつてオウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を撮った時、周りから「どうやって撮ったのか」「なぜおまえだけが施設に入れたのか」などとよく質問されました。答えは単純です。撮っていいかと聞いたらOKしてもらえたから撮っただけ。むしろ、なぜ他の人は撮らなかったのかと言いたいぐらいです。推測だけど、多くの人はオウムの危険性やオウム側と見なされるリスクなどセキュリティのアンテナが働き、あの時期にオウムの施設に入らなかったけれど、僕はアンテナがないので施設に入って撮ることができた。そう思っています。セキュリティの感度は場や空気から感染します。空気を読めないという意味では、僕と彼女は共通点がある。ただし彼女は僕よりも圧倒的にメンタルが強い。それは確かです。
 
 
―――7月の参議院選まで盛り込まれていたので、公開直前まで編集他の作業が続いたと思いますが、そんな中、『i 新聞記者ドキュメント』は10月開催の東京国際映画祭(TIFF)日本映画スプラッシュ部門でワールド・プレミア上映されました。
森:当初は6月に撮影終了、8月に編集終了して、9−10月は宣伝期間に当てるつもりでしたが、結局10月まで撮影していたので、TIFFのプログラミングディレクター、矢田部吉彦さんには編集途中のものを見てもらい、「ぜひ、やりたい」と言ってくださった。僕自身、今までTIFFには全く縁がなかったし、国際的にTIFFは商業主義が色濃い映画祭と見られているので、僕の映画なんか上映するはずがないと思っていた。しかも原一男監督の『れいわ一揆』と併せて特別上映と提案されたのに、本作の河村プロデューサーは「コンペティションにエントリーする」と言いだした。何を考えているんだ裏目に出るだけじゃないか、と思いました(笑)。でも最終的には日本映画スプラッシュ部門で作品賞を受賞できた。河村プロデューサーの直感と、いい意味での鈍感力、上映を決断してくれたTIFFの矢田部さんの力が大きいですね。
 
 
―――TIFF全体としては、商業主義と言われがちですが、矢田部さんがプログラミング担当のコンペティション部門ではそれぞれの国のタブーを新しい手法で描く意欲作が揃っていました。一般的な評価を鵜呑みにせず、自分で観たい作品を探せば、映画祭のまた違う面を発見できるはずですね。
森:メディアも営利企業ですから、市場原理が基底に働くことは当たり前です。だからこそ組織に帰属する記者やディレクターの抗いや闘いが重要です。僕はそのダイナミズムや、組織の論理と個の論理のせめぎ合いがメディアにとって大切だと思います。そのせめぎ合いが消えてしまったら、組織の論理で埋め尽くされてしまいますから。映画撮影時に、官邸記者会見で望月さんが質問をしようとするたびに、最前列で菅さんと目配せをしていた記者がいました。いわゆる番記者ですね。でも最近異動があったらしく、今の記者は、望月さんが驚くほど鋭い質問を菅さんに浴びせているそうです。やはり、会社じゃなくて、個人なんですよ。
 
 
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■これほどに固有性を隠す日本のメディアは普通ではないことに気づくべき。

―――政治、メディア、日本社会とそれぞれが悪しき方向に向かっていく中で、今一度、問題意識を持ってもらうために、どうすればいいと考えておられますか?
森:『i 新聞記者ドキュメント』を1000万人が見てくれれば、少しこの国が変わるのではないかと思います。……まあそれは分不相応な夢としても、こうした映画やテレビ、記事などが、もう少し増えてもいいのでは、とは思います。アメリカなどでは、この数年だけでも、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』や『バイス』、『記者たち 衝撃と畏怖の真実』など、政治やジャーナリズムを題材にした作品が、すべて会社や個人の実名を使いながら、数多く公開されている。ところが日本の場合、政治やジャーナリズムをテーマにした数少ない映画やテレビドラマでも、ほぼすべて朝毎新聞とか帝都テレビとか、仮名が当たり前。テレビ報道やドキュメンタリーはモザイクだらけ。僕たちはそれが当たり前だと思っているけれど、これほどに固有性を隠す日本のメディアは普通ではない、ということに気づくべきです。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『i 新聞記者ドキュメント』(2019 日本 120分)
監督:森達也
出演:望月衣塑子他
11月16日から第七藝術劇場、シアターセブン、京都シネマ、11月29日から神戸国際松竹、イオンシネマ加古川、MOVIX八尾、イオンシネマ四條畷、イオンシネマ高の原、イオンシネマ西大和、イオンシネマ和歌山 にて公開。
公式サイト → http://i-shimbunkisha.jp/
 
※シアターセブンで12月7日(土)〜12月20(金)まで「森達也監督 特集上映」開催
上映作品:『A』(98)、『A2 完全版』(15)、『311』(11)、『FAKE』(16)
 
(C) 2019『i-新聞記者ドキュメント-』
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原住民、アミ族の祖母への思いを映画に込めて。
台湾アニメーション『幸福路のチー』ソン・シンイン監督インタビュー
 
 東京アニメアワードフェスティバルでグランプリを受賞、他にも世界の映画祭で受賞を果たし、台湾アニメーション映画初の快挙を続ける台北郊外の幸福路(こうふくろ)を舞台にした『幸福路のチー』が、11月29日(金)より京都シネマ、今冬よりテアトル梅田、出町座、シネ・リーブル神戸他全国順次公開される。
 
 監督は、京都で映画理論を、アメリカで映画制作を学び、アニメーション制作の実績が乏しい台湾で新たにアニメーションスタジオを設立して本作を作り上げたソン・シンイン。ジャーナリスト時代に培った観察力を生かし、台湾の昔の風情や、その裏にある政治背景を織り交ぜながら、70年代生まれの台湾女性が抱える葛藤や、人生の転機、家族との関係を時代ごとに細やかに描写。合間に挿入されるファンタジックなシーンは、想像力溢れる主人公チーの内面を鮮やかに映し出す。チーの成長やその中で浮かび上がる様々な問題に自分の体験を重ねる人も多いのではないだろうか。
 
11月に自著「いつもひとりだった、京都での日々」(早川書房刊)が日本で発刊されたのに合わせて来日したソン・シンイン監督に、お話を伺った。
 

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■移民社会ではないのに、一つの家族の中で親世代は北京語、子ども世代は母語と二つの言語が混じっている。

――――本作を見ると、今まで日本で紹介されてきた台湾映画で知ることができた断片的な台湾の歴史が、私の中で一本の線につながりました。まず、小学校時代に学校で母語を禁止され、北京語でしゃべり、学ぶことを強制されるシーンがありましたが、実際にシンイン監督はどのように感じていたのですか?
シンイン監督:私が小学生の頃は、きれいな北京語を喋れば、いい人間、つまり能力のある人間になれると思っていたので、そのことに何の疑問も抱いていませんでした。私の両親は北京語が喋れないのに、私には北京語を喋れと言うので、おかしいとは思っていたんです。でも、今の若い台湾人は、とても上手に母語で喋っていて、かえって私たち世代の方が母語を喋れないという皮肉な現象が起きています。例えば私の友達の子どもは、学校で母語教育が必須ですが、親世代は母語教育を受けていない。移民社会ではないのに、一つの家族の中に、違う言語が入っているのかと、すごく複雑な気持ちになります。今まで信じたものが覆されてしまい、何を信じていいのか。私が13歳の時、蒋経国総統が死去し、高校入学(90年)の時、ようやく小中学校における郷土教育が開始されましたから、母語が話せないというのは台湾人の中でも、私たち世代特有の体験ですね。
 
 
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■フェミニズムに触れ、祖母の行動やルーツを否定していたのは間違った教育だったと気付く。

――――ヤン・ヤーチェ監督の『GF*BF』では、戒厳令解除や、その後の学生運動の高まりも描かれていました。その時代の思い出を教えてください。
シンイン監督:87年に戒厳令が解除された時は、少しずつ国が変わっていく様子を肌で感じました。例えば、20歳の時にフェミニズムの本を読み、とても影響を受けたのです。その時初めて、アミ族の祖母がビンロウを噛んだり、タバコを吸うことはダメだと思い込んでいたり、自分のルーツを否定していたことを振り返り、間違った教育をされていたことに気づいたのです。でも既に祖母は亡くなっていて、その気持ちを伝えることはできませんでした。
 
――――台湾原住民の一つ、アミ族の祖母の死が、アメリカで暮らしていたチーが台湾に戻るきっかけになっています。さらにチーが困った時は、ふっと現れる守護神のような役割も果たしていますね。
シンイン監督:私自身は、祖母と仲良くありませんでした。実際、私の世代はみな親が仕事で忙しかったので、おばあちゃんっ子の友達が多かった。だから、友達の様子を観察しながら、「あんなおばあちゃんがいいな」とずっと羨ましく思っていたのです。映画で登場するのは、そんな孫と密接な関係にあった祖母像を描いています。私の祖母はとても気が強くて、芯も強い。あまり教育を受けたことはないけれど、シンプルな言葉がすっと出てくる。例えば、「そんなに勉強が嫌いなら、勉強しなければいい」と。母にすれば女の子はいい教育をしないとダメという気持ちがあり、医者や弁護士のような立派な職業に就いてほしいと思っていたので、祖母の言葉にすごく怒っていました(笑)今は、祖母に対してお詫びをしたいと思っています。
 
 
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■原住民運動が盛んになった90年代前半、アミ族の血が流れていることを誇りに思うようになった。

――――否定していたアミ族の血が流れていることを、今は肯定的に捉えているということですか?
シンイン監督:はい、今は誇りに思っています。90年代前半は、台湾で原住民運動が盛んだった時期です。当時、原住民は山胞(野蛮という意味)という差別用語で呼ばれていたので、正しい呼び方をすることを訴えました。大学の同級生でアミ族の男子がいたのですが、彼は自分の中国語名を捨てて、アミ族名に変えたのです。その時、彼のことをカッコいいと思いました。私も祖母のアミ族の血が流れていることを知った台湾大学の友達には、「羨ましい!」と言われたこともあったんです。
 
 

■先行して本を執筆し、投資者を募って、アニメーションスタジオを自ら立ち上げる。

――――台湾のアニメーション界はまだ成熟していない中、本作を制作するのは大きな冒険だったのではないですか?
シンイン監督:まだ台湾で制作されたオリジナルアニメーションで成功したものはありませんでしたから、ハードルが高かったのは事実です。知り合いの有名監督がアニメーションに挑戦していますが、1億台湾ドルかけて、まだ何もできていません。そんな状態ですから、制作中私も「作品は完成しないだろう」とよく言われていました。だから完成した時は本当に周りに驚かれたのです。中国の検閲を心配する投資家もいましたが、エンジェルファンドを使ったり、先に本を執筆して、投資してくれそうな人に送り、私のアイデアや夢に投資してくれる人を募りました。集まったお金で自分のアニメーションスタジオを立ち上げ、最終的に、宣伝も含めて5000万台湾ドル(1.8億円)で本作を作ったのです。
 
 
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■審査員だったグイ・ルンメイが元になった短編を高評価。チーのキャラクターデザインは、ルンメイをイメージして。

――――グイ・ルンメイがチーの声を演じていますが、その経緯は?
シンイン監督:本作の元になった短編アニメーション『幸福路上』が台北電影獎でグランプリを受賞した時、グイ・ルンメイさんも審査員の一人でした。審査委員長だったピーター・チャン監督から「『幸福路上』を一番気に入っていたのは、グイ・ルンメイだ」と聞いていたので、長編化を考えた時、まずルンメイさんが頭に浮かびました。ダメ元で、マネージャーに脚本を送り、主人公の声優になってほしいと伝えたところ、ルンメイさんはすぐに脚本を読んで、「短編より何倍も感動しました」とすぐに快諾してくれたのです。おかげで、投資家のプレゼン時にルンメイさんのキャスティングを伝えることができ、非常に助かりました。キャラクターデザインも、ルンメイさんをイメージしています。今、ユニクロの台湾イメージキャラクターなので、そのカタログを見ながら、アニメーターたちと議論してデザインしました(笑)他のキャラクターは、全て特にモデルはいないんです。一般的な台湾人という視点でデザインしていきました。
 
――――今や台湾を代表する映画監督の一人、ウェイ・ダーションさんも、チーの叔父、ウェン役で声優を務めています。雰囲気が似ているので、ダーションさんをモデルにキャラクターデザインしたのかと思いました。
シンイン監督:キャラクターデザインは全てできていたのですが、ウェン役だけどうしても声優が決まらなかったんです。そこでプロデューサーの一人が、「あなたの友達、ウェイ・ダーションがいいんじゃない?」と勧めてくれました。ダーションさんは『海角七号 君想う、国境の南』で大ブレイクするずっと前、私がジャーナリスト時代に彼を取材したことがあったのです。本当にまだ誰も取材しない時代だったので、当時新聞社の上司になぜ取材したのかと驚かれました(笑)そういう縁があったので、依頼すると脚本を読む前から即快諾してくれましたが、内心は本当に完成するのかという懸念もあったようですね。
 
――――脚本を書くのは大変でしたか?
シンイン監督:マルジャン・サトラピ監督の『ペルセポリス』のように、ある女性の半生、つまり自分の中から湧き上がるものを書いているので、楽しかったです。中には自分の政治的主張を作品に込める人もいますが、私はそれをしたくなかったのです。
 
 

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■チーの生涯の友人、チャン・ベティは、同姓同名の友人をエピソードもそのまま描く。

――――登場人物の中で、チーの小学校時代からの友達で金髪に青い目の混血児、チャン・ベティは、大人になってからもチーを勇気付ける存在ですね。
シンイン監督:チャン・ベティは実在の人物です。私のクラスメイトで、映画同様に出会ったその日におもらしをしてしまったり、泣き虫な女の子でしたが、私が小学4年生の時、突然学校に来なくなり、私の生活からいなくなってしまったのです。映画では、ベティは大人になってたくましいシングルマザーになっています。というのも、彼女のような女性をとてもすごいと思うからで、この映画を見て、連絡をくれたらという思いも込めて描きました。
 

――――シンイン監督もアメリカで暮らしている時期がありましたが、チーのように離れてみて故郷、台湾への望郷の念が湧いてきたのでしょうか?

シンイン監督:もちろん、そうです。だから、台湾に戻って、この作品を作りました。これからも台湾をベースに映画を撮っていきたいです。アメリカ時代はシカゴに住んでいたのですが、クラスメイトは優しかったけれど、貧しい白人はアジア人のことが嫌いなので、一度バーで「中国に帰れ、ビッチ!」と見知らぬ白人男性からビール瓶を投げつけられたこともありました。アメリカン・ドリームは幻想でしたね。

 
――――この作品はすでに世界中で上映されていますが、観客からの声で心に残ったものはありますか?
シンイン監督:あるフランス人の若い女性はすごく泣いていて、自分の祖母もトルコ出身なので、台湾のことは知らないけれどチーの気持ちが分かると言ってくれました。みなさん、自分の人生を重ねて見てくださるみたいです。男性の方も、「チーは自分を見ているようだ」と言ってくださいます。皆の心の中に、家族への憎しみもあれば、愛もあるのではないでしょうか。
(江口由美)
 

<作品情報>
『幸福路のチー』(2017年 台湾 111分) 
監督:ソン・シンイン 
声の出演:グイ・ルンメイ、チェン・ボージョン、リャオ・ホェイジェン、ウェイ・ダーション、ウー・イーハン他
2019年11月29日(金)より京都シネマ、2020年1月24日(金)よりテアトル梅田、シネ・リーブル神戸他全国順次公開
公式サイト→http://onhappinessroad.net/
 
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「魅力的な人間は、より演技者として力を発揮できる」
山崎まさよし主演作『影踏み』篠原哲雄監督インタビュー
 
 『月とキャベツ』(96)の篠原哲雄監督と、同作主演で俳優デビューを果たしたミュージシャンの山崎まさよしが再タッグを組み、横山秀夫(『64-ロクヨン-』シリーズ)原作を映画化した『影踏み』が、11月15日(金)よりテアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都他全国ロードショーされる。
 
 
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 山崎が演じる修一は、深夜に人のいる家に忍び込み、現金だけを盗み取る凄腕の「ノビ師」。修一が忍び込んだ家で火災に見せかけて夫を殺そうとした女(中村ゆり)を目撃した瞬間に、幼なじみの刑事・吉川(竹原ピストル)に逮捕される。その吉川が不審な死を遂げ、事件の真相を追ううちに、保育士をしながらずっと修一のことを待っている幼馴染の久子(尾野真千子)をも巻き込んでいく。修一のことを兄のように慕う啓二(北村匠海)や、久子に交際を申し込んだ久能(遠藤賢一)など、修一が自身の過去と向き合わされるキャラクターたちの存在感も見事だ。『月とキャベツ』から時を経て、大人の男の孤独や背負ってきた過去を静かに表現しながら、依然としてピュアな部分を持ち続ける繊細な修一を演じる山崎の演技にも注目したい。
 本作の篠原哲雄監督に山崎と再タッグに至るまでの道のりや、キャストたちの撮影の様子について話を伺った。
 

■伊参発の『月とキャベツ』を毎年上映する伊参スタジオ映画祭。シナリオ大賞創設から繋がった縁が、山崎まさよしとの再タッグへ。

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――――まずは、この作品を制作するきっかけになったという伊参スタジオ映画祭と、その経緯について教えてください。
篠原:山崎まさよしさんをキャスティングする前に、どこでロケをしようかと考えていると、今回と同じプロデューサーの松岡周作さんが、当時は小栗監督の『眠る男』の制作担当をされていて、「一年間を通して映画制作できる場所(スタジオ)を群馬の伊参に作ったから、『月とキャベツ』も群馬で撮ったらどうか」と声をかけていただいたのです。群馬はほぼ初めてでしたが1週間ぐらいロケハンし、廃校を利用した伊参スタジオのような、別の廃校を見つけ、そこで『月とキャベツ』を撮影しました。その後、伊参で緒方明監督が『独立少年合唱団』を撮ったのを機に、『眠る男』と『月とキャベツ』の3本を上映し、それが2000年の第1回伊参スタジオ映画祭になったのです。
 
 
――――10年足らずのうちに、伊参で3本も映画が制作されたということも凄いですが、伊参スタジオ映画祭で毎年『月とキャベツ』が上映されているのも、ファンにはたまらないですね。
篠原:今でいう聖地巡礼ですが、『月とキャベツ』が好きで、ロケ地を訪れるファンが当時後を立たなかったのです。伊参スタジオに宿泊されるファンの方もいたそうで、自主的に映画のファンサイトを作ったり、『月とキャベツ』を観たいというファンがずっといらっしゃる。ぼくは「他の映画を上映した方がいいんじゃないですか?」と真剣にお話しても、事務局の方は皆「やることに意義があるんです」と毎年『月とキャベツ』を上映してくださる。すごくありがたいなと思っています。
 
 
――――原作者、横山秀夫さんともこの映画祭で出会われたそうですね。
篠原:シナリオ大賞を創設し、若い作家たちが集まる場所として彼らに門戸を開きたいと言い出したのは、僕です。その流れで審査委員をやることになり、2003年から16年続け、もう30本以上の中編や短編が制作されています。この3年ほど、地元の上毛新聞記者でもあった作家の横山秀夫さんと審査委員をやっており、2016年『月とキャベツ』20周年上映のゲストで来場した山崎まさよしさんと、『64―ロクヨンー』の原作者として来場した横山さんが出会った。そこから山崎さんが横山さんのファンだということもあって意気投合し、20周年だからぼちぼち僕と再タッグを組んで何か撮ったらどうかと、横山さん原作の話を映画化する流れになったのです。横山さんの代表作はほとんど映画化されている中、なぜか「影踏み」だけは残っていて、横山さんの方から推して下さったんです。
 
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■山崎まさよしは「一枚絵にできる人」。素朴だが男らしい魅力を出すように心がけて。

――――山崎さんと久々に組まれた印象は?
篠原:山崎さんとはその後も『けん玉』や太宰治の「グッド・バイ」(「BUNGO-日本文学シネマ-」)でタッグを組んでいますが、その度にお芝居が上手くなっています。『月とキャベツ』はミュージシャンの初芝居ということで、演技は未知数でした。ただ、他の候補がいる中で、この人は一枚絵にできる人だと思いましたし、ライブを見に行った時、お客さんの巻き込み方などに、惹きつけるものがあり、彼はエンターテイナーだと感じました。きっとお芝居もやれるという直感がありましたね。今回も、セリフだけではなく、自分の言葉でしゃべってほしい。素朴だけれど男らしい魅力を出すように心がけました。今までは、「俳優じゃない」と言っていましたが、これだけ主役もやっていますから、これからは俳優と名乗ってやっていくと思います。
 
 

■魅力的な人間は、より演技者として力を発揮できる。 

――――素朴さの中に、強い目力があり、孤独を背負った表情がいい歳の重ね方をされているなと思わされました。

 

篠原:俳優はこうでなければならないということに凝り固まっているタイプはあまり好きではないんです。その人が演じる上で、やっている人間が役に現れると思うのです。だから魅力的な人間は、より演技者として力を発揮できるのではないか。それに演技の上手さが加われば、よりいい役者だと思えるんです。ミュージシャンの方は、自分で考える人が多いんです。竹原ピストルさんも、北村匠海さんもそうですが、俳優ではないとおっしゃりつつも、人間的魅力が演技に出てきて、普通の演者ではないものを感じますよね。竹原さんは山崎さんをすごく慕っていて、二人のシーンは2日だけでしたが、終わるのがもったいないぐらい、特別なものが出ていたと思います。
 
――――北村匠海さんが演じる啓二と、修一のやりとりも微笑ましかったです。
篠原:北村くんは上手いんですよ。さらりとした身のこなしや佇まい、素ぶりで表現するので、僕から何も言わなくても考えてやってくれましたね。
 
 
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■「この座組みで決めました」という尾野真千子は、一緒に仕事をして、とても気持ちがいい人。

――――修一の幼馴染で、ずっと彼を愛し続ける久子を演じた尾野真千子さんの演技も、圧巻でしたが、キャスティングの理由は?
篠原:この作品で一緒に仕事をするのは3本目ですが、あの世代の女優さんの中で、映画にこだわっている女優の一人だと思っています。一緒に仕事をして、とても気持ちがいい人なんです。山崎さんのことが非常に好きで、一緒に組みたいと思っていたそうで、この作品のオファーをしたとき、内容に関わらず快諾してくれました。本人も「私読んでないです。この座組みで決めました」とおっしゃっていましたから(笑)
 
――――「一緒に仕事をして、とても気持ちがいい」というのは演技が上手いのとはまた違う視点で、最高の誉め言葉ですね。
篠原:映画は皆で作るということの認識をどこかでしっかり持っている人ですね。例えば、今回尾野さんは幼稚園の保育士役で、現地の実際の幼稚園児に映画に出てもらったのですが、通常は本番までに助監督が子どもたちの中に入り、緊張せずに臨めるようにもっていくんです。でも尾野さんは「私はそういう役でしょ。私がやらなくてどうするの」と思ってくれているので、一緒になって子どもたちの間に入ってくれました。今までもそうやって、一緒に映画を作ってきましたし、だからこれからも一緒に映画を作りたい女優さんですね。一方、撮影ではまさにガハハと関西弁で笑っているかと思えば、「ヨーイ、スタート!」でガラリと変わる。気っ風が良い人ですね。
 
 
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■今までにないアプローチも加えた、山崎まさよしの劇中音楽秘話。

――――今回も音楽は山崎まさよしさんが担当しています。劇中の音からエンディグ曲まで、心情に寄り添い、余韻が残る曲でしたが、篠原監督からオファーしたことはあったのですか?
篠原:本人から、途中で賛美歌的なボーイソプラノを使ったらいいのではと言ってくれたので、今までにはないアプローチだったので、いいねと。「影踏み」というテーマ曲や、赦しというテーマを出していく中で、最初は中村ゆりさん演じる葉子にと作っていたミステリアスな曲を、結局全部久子のシーンに使ったんです。久子はどこか悲しさを持っている女性なので、その内面を映し出すようなものになりました。そして、全体的にサスペンスな雰囲気を出す曲も作りました。ラストのテーマ曲は、相当悩んで作っていましたね。じっと待っていたら、最後の最後に素晴らしい曲が出てきました。
 
――――最後に、ノワール的な要素の濃い作品ですが、修一と啓二が川沿いを自転車二人乗りで通り過ぎるシーンは、すごく幸せな気持ちになりました。
篠原:山崎さんとは日頃プライベートで接しているわけではないけれど、彼のことは信頼しています。『月とキャベツ』の時はまだ若かったけれど、今の方が格好良くなりましたね。自転車って、僕の映画の中で重要なんです。大事な時にはよく自転車に乗っている。『月とキャベツ』でも乗っていましたね。
(江口由美)
 

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<作品情報>
『影踏み』
(2019年 日本 112分)
監督:篠原哲雄 
原作:横山秀夫「影踏み」(祥伝社文庫)
出演: 山崎まさよし、尾野真千子、北村匠海、中村ゆり、竹原ピストル、中尾明慶、藤野涼子、下條アトム、根岸季衣、大石吾朗、高田里穂、真田麻垂美、田中要次、滝藤賢一、鶴見辰吾、大竹しのぶ他
11月15日(金)よりテアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都他全国ロードショー
公式サイト → https://kagefumi-movie.jp
(C) 2019 「影踏み」製作委員会
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血縁関係の家族、疑似家族が入り混じる世界で、ぶつかり、歩み寄ることの大切さを描く。
『ひとよ』白石和彌監督インタビュー
 
 劇団KAKUTAを主宰する劇作家・桑原裕子の代表作を実写化した白石和彌監督(『孤狼の血』『凪待ち』)の最新作『ひとよ』が、11月8日(金)よりTOHOシネマズ 梅田他全国ロードショーされる。
 家庭内暴力から子ども達を守るため、雨の降る夜、夫を殺害したこはる(田中裕子)が、15年後に出所し、約束通り子ども達のもとに帰ってきた。事件によって運命を狂わされた長男・大樹(鈴木亮平)、次男・雄二(佐藤健)、長女・園子(松岡茉優)という3兄妹の皮肉な運命と、母との再会からはじまる葛藤を、彼らが住むタクシー会社の面々たち(音尾琢真、筒井真理子、浅利陽介、韓英恵、佐々木蔵之介)の人間模様と絡めて描く奥深いヒューマンドラマだ。本作の白石和彌監督に、お話を伺った。
 

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■田中裕子はまさに映画女優、本当に特別な時間になった。

――――白石監督にとっては、初めて血縁関係に結ばれた家族を真正面から描いた作品ですが、その母親こはる役は、田中裕子さんを最初から念頭に置いていたそうですね。
白石:田中さんは 降旗康男監督の『夜叉』(85)などずっと女の情念を演じられていて、女としても女優としても底のなさを見せつけられていました。近年では青山真治監督の『共喰い』(13)で、菅田将暉君が演じる主人公の母親を演じていた田中さんも素晴らしかった。今回、母をテーマにした作品で、田中さんは役の年齢的にもちょうど良かったですし、まずは無理を承知でオファーをしました。早速「来年の春は無理です」と断られたので、「1年待てば大丈夫ですか?」とお聞きすると、「考えさせてください」。最終的にはそこまで待ってくれるのならと、出演を決めてくださいました。
 
――――役作りの過程で、どんなやりとりをされたのですか?
白石:時々マネージャーを通じてメッセージが来るのです。セリフなど、その都度修正して書き直してまた送ったり、脚本という名の往復書簡を繰り返しました。送るたびにメッセージを再度いただくので、一度お会いして直接お話しをしてもいいですかとお聞きすると、「衣装合わせの時で大丈夫です」と(笑)。だから、初めてお会いするまで、すごく緊張感がありましたよ。実際に衣装合わせで初顔合わせをした時に、なぜ田中さんにオファーをし、なぜこの作品をやりたいと思ったのかをお話し、あとは本当にお任せしました。初対面の時は、相当緊張しましたが、とても柔らかい感じの方で、とはいえ、なかなか本心は見せていただけない。まさに、映画女優といった方で、本当に特別な時間になりました。
 
――――15年後に出所したこはるを演じるにあたり、田中さんは自ら白髪で演じることを提案されたそうですね。
白石:日頃は染めていらしたそうですが、オファーを受けていただいた際に、「今から染めるのを止めれば、来年の春にはちょうどいい感じになると思います」とおっしゃり、準備していただきました。こちらの思いの大きさを十分に感じて、田中さんも時間をかけて役の準備をしてくださったのだと思います。
 
 
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■佐藤健の「内に秘めた並々ならぬ情熱」を体感してみたかった。

――――次男・雄二を演じた佐藤健さんは白石組に初参加ですね。
白石:佐藤さんはスター俳優ですが、まだその階段を駆け上がっている途中で、これから日本映画界を背負って立つ俳優になる人材です。それだけの仕事ができているのは、クールに見えても本人の中に並々ならぬ情熱があるはずで、それがどんなものかを体感してみたかった。また雄二は最初、母親にきちんとコミュニケーションをできない役ですが、後半になるにつれ、他のどの兄弟よりも母親のことが好きで、兄弟のことを誰よりも考え、母親の期待に応えられていない自分にイラついている。そんな内に熱いものを持っている雄二が、佐藤さんにマッチするのではないかと思ってオファーしました。
 
――――長男・大樹役の鈴木亮平さん、長女・園子役の松岡茉優さんも、東京から帰ってきた雄二、そして出所した母親に翻弄され、家族ならではの難しさを見事に体現していました。
白石:鈴木さんはキャラクターの作り方の強さに加え、器用さと不器用さを持ち合わせた方。内にエネルギーが向かうという大樹役に合うのではないかと思ってオファーしました。松岡さんは、兄妹の時間や空間を埋め合わせる能力が非常に高かった。この3兄妹をまとめ上げたのは、松岡さんの力が本当に大きいですね。園子は他人には強く当たるのですが、実は一番自分の中の時間が止まっているキャラクターで、母親がいなくなってから、ちゃんと大人になれていなかった。そういうキャラクターがとてもハマっていましたね。
 
 
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■タクシー会社の社員たちはある意味で疑似家族。舞台として絶対に必要だったタクシー会社を探し求めて。

――――非常に重いテーマの家族物語ですが、一方、舞台となったタクシー会社の社員たちの日常描写が秀逸で、『月はどっちに出ている』(93崔洋一監督)を彷彿とさせるような活気もあり、非常に印象的でした。実際に、ロケ地を探すのは大変だったのでは?
白石:原作となる劇団KAKUTAでは、タクシー会社の事務所、裏庭があり、稲村家の母屋が隣接しているという舞台ならではの設定になっており、やはり家が離れていると困るのです。そういう場所を探そうとしたのですが、こちらの思うような場所はなかなか見つからない。5ヶ月ほど、総出で探しても見つからなくて、これはヤバイと皆が思っていた時に偶然国道沿いで見つけたのが浜松タクシーというタクシー会社。見せていただくと、あて書きかと思うぐらい、増設されている場所もあり、少し狭目ではありますが中庭もあって、見るだけでストーリーができるような建物だった。実際には営業中の場所だったのですが、皆でお願いし、事情を汲んでいただいて撮影期間はその場所をお借りすることができました。浜松タクシーさんのご協力が全てだったと思います。
 
――――住居と職場が一体となっている場所で、従業員とも家族のようないい関係だったことが、母親が帰ってきたことで動揺を隠せない三兄妹の不安を包み込んでいるようでした。
白石:稲村家だけでなく、大樹が結婚して抱えている家族、筒井真理子さんが演じる弓子が抱えている家族、佐々木蔵之介さんが演じる堂下が抱えている過去の家族と、血縁関係にある家族は皆、それぞれに重いものを抱えています。でもタクシー会社の社員たちはある意味で疑似家族的になっていて、そこにいる時は皆楽しそうにしている。血が繋がっていないからこそ、家族間では口にできないような悩みを打ち明けられたり、家族だからこそ言えないことも多々あるというような疑似家族や家族ならではの雰囲気が、タクシー会社と自宅が一体となったあの場所ではよく出ていると思います。
 
――――ラスト近くに目が覚めるような大きな太陽がスクリーンに現れ、やりきれない気持ちの登場人物たちにエールを送っているようにも映りますね。
白石:カーチェイスのシーンは、3日間海辺で撮影したのですが、あらかじめ太陽が昇る場所を探して、太陽がでるかどうかとドキドキしていたら1日目で撮れました。『太陽を盗んだ男』(79 長谷川和彦監督)ぐらい大きく撮ってとお願いしたのは、この一夜から朝が来て、何かが動き出したという感じを出したかったのです。
 
 
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■「巻き込まれなよ」というセリフに込めた思い。 

――――音尾琢真さんが演じる、こはるの甥で稲丸タクシーの社長、丸井が、母親こはるとの向き合い方に悩む三兄弟に放つ一言「巻き込まれなよ」。親子関係だけでなく、様々な局面につながる言葉だなと、思わず唸りました。

 

白石:あのセリフはこの物語のトリガーになっています。家族だけではなく、人との関係であったり、さらには国と国という政治的な場所でも、自分のことだけでなく、相手のことを考えてという歩み寄りの一歩が必要ですね。また最初の台本にクラッシュシーンは、なかったんです。でもそのシーンを入れたのは、まずはクラッシュしないとコミュニケーションは始まらないという僕からのメッセージでもあります。
 
 

■若松さんが歴代の弟子たちに言い続けてきた言葉を胸に。

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――――確かに、避け合っていては何も始まらない。一度ぶつかってみることで、いがみ合う間柄でも、お互いに感情を吐露したり、何かが動き出すきっかけになりますね。最後に、白石監督にとって人生を動かす「ひとよ」とは?
白石:『止められるか、俺たちを』(18)で門脇麦さんが演じた吉積めぐみさんが、若松さん(若松孝二監督)に新宿ゴールデン街に連れて行かれ、「おまえ、どんな映画を撮りたいんだよ。誰かをぶっ殺したいとか、爆破したいとか、そういうものはないのかよ。そういうものがあれば、それを、ばあっと入れれば映画になるんだよ」というようなことを言われるシーンがあります。その言葉は取材して聞いた言葉ではなく、僕がまさに若松さんに20歳の時、言われた言葉です。めぐみさんも僕が弟子入りする30年前に、若松さんに弟子入りしているのですが、若松さんは変わらない人なので、めぐみさんに言ったのと同じことを僕に言っていたはずです。僕は当時、ぶっ殺したい奴はいなかったので「映画監督になれねえー」と思ったのだけど(笑)、あの瞬間はワクワクした。そのワクワクは今まで続いています。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ひとよ』
(2019年 日本 123分)
監督:白石和彌
出演:佐藤健、鈴木亮平、松岡茉優、音尾琢真、筒井真理子、浅利陽介、韓英恵、MEGUMI、大悟(千鳥)、佐々木蔵之介・田中裕子他
11月8日(金)よりTOHOシネマズ 梅田他全国ロードショー
公式サイト → https://www.hitoyo-movie.jp/
(C) 2019「ひとよ」製作委員会
 
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  「悪人」「怒り」などの原作者・吉田修一の短編集「犯罪小説集」より、「青田 Y 字路」「万屋善次郎」を映画化した瀬々敬久監督(『64-ロクヨン-』シリーズ、『友罪』)最新作『楽園』が、10月18日(金)よりTOHOシネマズ梅田他全国ロードショーされる。
 
  歪んだ人間関係やデマの拡散によって、罪なき人が追い詰められ、思わぬ事件を引き起こす現代社会と地続きのテーマを扱いながらも、映画版では紡(杉咲花)と豪士(綾野剛)の関係や、善次郎(佐藤浩市)と亡くなった妻(石橋静河)との関係から、小説では描かれなかった男たちの知られざる表情が豊かに描かれる。失踪事件の被害者、愛華と最後まで一緒にいた紡の物語を膨らませ、罪悪感を抱えて生きる彼女が最後に放った言葉が大きな感動を呼ぶ。限界集落で起きた事件に翻弄される主人公の周辺人物も丁寧に描写し、閉鎖的な共同体の在り方にも一石を投じる作品だ。脚本も手がけた本作の瀬々敬久監督に、お話を伺った。
 

 

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■喪失感を抱えた人たちの物語で、生き残った紡を象徴的存在に据える。

――――杉咲花さんが演じた紡は、原作ではあまり描かれていませんが、映画では「青田 Y 字路」「万屋善次郎」の短編2つを繋ぐ存在です。紡を描くトーンが、作品に大きな影響を与えていますが、どのように紡のパートを構築していったのですか? 
瀬々監督:Y字路がとても象徴的な意味合いを持つ映画で、紡は右に、愛華は左に行きます。結局紡が生き残るわけですが、彼女だけでなく、大事な人を失った人の話が多いのです。例えば柄本さんが演じる五郎は孫の愛華を失っているし、佐藤さんが演じる善次郎も、愛妻を亡くしている。綾野さんが演じる豪士も、どこか母親から見捨てられたような青年です。喪失感を抱えた人たちの物語ですが、最後にはその喪失感から立ち直る物語にしなければいけないと思いました。失踪事件の時、生き残った紡を象徴的存在に据え、彼女の喪失感を何とかして取り戻してあげるべきだという考えのもと、原作にはなかった紡のパートを膨らませていきました。
 
――――紡を演じた杉咲花さんは初めての瀬々組ですが、オファーの決め手は?
瀬々監督:杉咲さんは一見線が細いのですが、どこか芯の強さが宿っているところが、今回演じた紡に通じているし、彼女に惹かれた理由でもあります。豪士とのシーンが多かったので、綾野さんとはよく話をしていましたね。あとは、紡の幼馴染、広呂役の村上虹郎君とは和気藹々としていました。広呂はちょっと能天気なキャラクターですが、そこに優しさがあって、紡にとっての守護天使のような存在なんです。常に屈託のない笑顔をしているのはこの作品で広呂だけですから。
 
 
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■綾野さんは、映画史上見たことのないような表情をしている瞬間がいくつもあった。

――――綾野剛さんは『64-ロクヨン-』以来ですが、幼少期に母と来日し、どこにも居場所がない物静かな青年、豪士を、今まで見たことのないような表情で演じていますね。
瀬々監督:綾野君も内股の歩き方や、少し猫背の姿勢など、こちらが何も言わなくてもパッとやってくれました。ただ、『64-ロクヨン-』とは違って、今回はY字路や神社、また豪士が住んでいる、見捨てられたような文化住宅など、自然や貧困を暗示するような場所と対峙しなくてはならない。綾野君はそういう場所に対する感受性が豊かで、そこから感じたものを取り入れてお芝居をしている。そんな感じがすごくしましたし、より深い表現になっていたと思います。綾野君がやっている一つ一つの表情は、綾野君の中というだけではなく、今までの映画史上見たことのないような表情をしているなという瞬間がいくつもありました。
 
――――佐藤浩市さんは、ちょっとした誤解が積み重なり、限界集落の中でどんどん追い詰められていく善次郎役を悲哀たっぷりに演じているのが印象的でした。
瀬々監督:浩市さんは長年の経験があるので、演技で見せる技術をもちろん持っている方です。でも技術以上のものを発見しようとされる。見せ方だけではどうしてもクリアできないもの、画面には映らないけれど、そのキャラクターが抱えている思いなどが、映画にはあるのです。浩市さんは、そういう部分を非常に大切にし、綿密に考えてくる一方で、現場ではそれを超えるものを発見しようとする。それが浩市さんのやり方だし、映画をよく知っている人だと思います。一緒に映画を作っているという感じがする役者さんですね。
 
――――柄本明さんも、紡を追い詰める言葉を放つ被害者の祖父役で、強烈な印象を残していますね。
瀬々監督:柄本さんは「芝居なんか嘘に決まってるから」「自然に芝居するなんて、できる訳ないんだから」と、いつもちょっと怒った口調なんですよ(笑)。今回印象的だったのが、あるシーンで何度かテイクを重ねたことがあり、その後柄本さんが「監督の思ったことは分かったんだけど、できなかった。悔しい!」とおっしゃったこと。柄本さんのように勲章をもらうような役者さんでも、素直に悔しさを滲ませる。そんなチャーミングさがありますね。
 

 

■「結界を切って進む」奈良澤神社の祭礼。人と人とをつなぐ共同体意識を再発見する狙いを込めて。

――――天狗の舞いで知られる奈良澤神社の祭礼を以前から撮影したかったそうですが、そこまで惹かれた理由は?
瀬々監督: 10年ほど前に行きたいと思って調べ、実際に訪れたことがあります。松明をかざした時の炎の勢いがものすごくて、その時抱いた印象が強烈だったのです。また映画でははっきり描いていませんが、松明で燃やした後、太刀で村の辻々に張ってあるしめ縄を切り落としていくんです。結界を切って進むという意味らしいのですが、そのことも象徴的に思え、いつか映画に取り入れたいと思っていました。祭りで歌われる数え歌もいいんですよね。地元のお祭りなので、踊り子は現地の小学生から高校生まで、笛は大人の方が多かったですが、映画でも地元のみなさんが協力してくださいました。祭りには、人と人とを繋ぐ共同体意識がありますが、今はそういう意識が希薄になってきている。だから映画に祭りを取り入れることで、その共同体意識を再発見したいという思いもありました。
 
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■限界集落がなくなってしまうことへの悲しさはあっても、その中で生き、より良き社会にしたいと思い続けるしかない。

――――瀬々監督は大分県出身ですが、限界集落の問題を今まで身をもって感じてこられたのでしょうか?また本作でその問題を描き、改めて感じたことは?
瀬々監督:僕は59歳で、両親もそう長く元気ではいられない年齢です。それが僕ら世代の現実で、生まれ故郷の集落はなくなるかもしれません。僕たちが通っていた小学校も、かつては生徒が180人ぐらいいたのに、今は10分の1くらいです。若い人はどんどんいなくなり、老人しか残らない地域は日本中にある訳です。僕たちの故郷も、UターンやIターン、田舎に住もうというキャンペーンなど、若い世代に住んでもらうとか、都会との交流、観光資源の有効活用でしか生き残っていけない。だから善次郎のような町おこしをしないといけない訳です。そういう集落がなくなってしまうことへの悲しさや侘しさはもちろんあるのだけれど、現状はそういう中で生きて行かざるを得ない。だからどこか楽園的世界観、つまりより良き社会にしたいと思い続けるしかないと思っています。
 
――――タイトルの『楽園』につながる考え方ですね。
瀬々監督:犯罪を犯す人たちが出てくる映画ですが、そういう人たちもより良き社会にしたいという思いを持って生きてきたはずです。それがボタンのかけ違いで、罪を犯してしまった。当事者たちだけではなく、その周りの人たちも同じなのです。彼らもより良き社会にしたいと思っているはずなのに、ふとしたことで、他人を追い詰めてしまう。その連鎖が今の社会にある。ですから、皮肉めいていますが、『楽園』と名付けました。
 
 
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■『ヘヴンズ ストーリー』から10年、当事者性から、犯罪者を切り離してしまう不寛容さが前面に出る時代に変わった。

――――『楽園』というタイトルを見て、約10年前の名作、『ヘヴンズ ストーリー』(10)が頭に浮かびました。『ヘヴンズ ストーリー』は瀬々監督にとっても、非常に大きな意味を持つ作品だったと思いますが、あれから10年経ち、この『楽園』は監督のフィルモグラフィーの中で、どんな意味を持つ作品になると思われますか?
瀬々監督:『ヘヴンズ ストーリー』の頃は、事件に関わる感触が、当事者性に突入したと感じました。自分の妻や子どもが犯罪者や被害者になるかもしれないというような、当事者として事件を描くという感覚です。今回の『楽園』は、SNSが人の意識に大きな影響を与える今の時代を象徴するように、犯罪を犯すのは私たちとは違う人なのだ、あんなことをやる人は信じられないと、切り離してしまう不寛容さが前面に出ています。国もナショナリズムの時代ですし、自国の利益ばかりを追求し、敵を作る時代になりました。時代が変わったという感触をすごく感じている中、『楽園』でも疑惑がある人を指弾する村の人たちが描かれています。吉田修一さんの原作(「犯罪小説集」)も、その辺をとても良く掬い取っていると感じましたし、『ヘヴンズ ストーリー』の時代と、それから10年後の『楽園』の時代とは、明らかな変遷があります。人々の間で、犯罪にまつわる考え方も変わった。そういう意味合いで『楽園』は作られたと思っています。
 
もう一つ、『ヘヴンズ ストーリー』は完全な自主映画でしたが、『楽園』は製作幹事のKADOKAWAさんを中心に、吉田修一さんという日本を代表する作家と組んで制作しました。『ヘヴンズ ストーリー』のようなインディーズ精神と合致しながら、メジャー作品として作ることができたのは、また別の感慨がありますね。
(江口由美)
 

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<作品情報>
『楽園』
(2019年 日本 129分)
監督・脚本:瀬々敬久
原作:吉田修一「犯罪小説集」角川文庫刊
出演:綾野剛、杉咲花/村上虹郎、片岡礼子、黒沢あすか、石橋静河、根岸季衣、柄本明
/佐藤浩市他
10月18日(金)よりTOHOシネマズ梅田他全国ロードショー
公式サイト → https://rakuen-movie.jp/
(C) 2019「楽園」製作委員会
 
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「自分の思いを言葉で伝える勇気が出る映画になれば」
『WALKING MAN』ANARCHY監督インタビュー
 
 関西出身の人気ラッパーANARCHYが、自身の体験を盛り込みながら、吃音症でうまく話せない青年の成長を描いた初監督作『WALKING MAN』。ラップバトルを交えながら、少しずつ、でも確実に、声をあげたくてもそれができなかった主人公アトムが変わっていく様子を、丁寧に描写。川崎市を舞台に、日常にある差別にも目を向けながら、殺伐とした現代社会に希望の灯をともす感動作だ。不用品回収業のアルバイトで生計を立てる主人公アトムをANARCHYと親交のある野村周平が演じる他、アトムの妹ウランを優希美青が演じ、柏原収史、伊藤ゆみ、冨樫真、星田英利、渡辺真起子、石橋蓮司と多彩な俳優陣が脇を固めている。自分が伝えたいことは何なのか、どうやってそれを伝えるのか。変わらない日常生活の中、時間を見つけて言葉を探し、アルバイトで手にした通行量調査のカウンターでリズムを自分に刻み込むアトムの、少しずつ、でも確実に手ごたえを掴んでいく表情にも注目したい。
 
 
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<物語>
 極貧な母子家庭で育ったアトムは、うまく言葉が喋れないことで、自分の思いや怒りを伝えられず、周りとうまくコミュニケーションが取れない。入院している母の保険料が払えないと、ソーシャルワーカーから「自己責任」と言われ、誰も救いの手を差し伸べてくれない中、彼はラッパーの遺品から、ラップが吹き込まれたウォークマンと、言葉がびっしりと書かれたノートを見つける。一方、兄の真意が読み取れず、学校のお金も払えないウランは、友達の家に行ったきり帰ってこなくなってしまう。
 
10月11日(金)から梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、OSシネマズ神戸ハーバーランド、T・ジョイ京都他で全国ロードショーされる本作のANARCHY監督に、作品に込めた思いを伺った。
 

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■言いたいことが溜まり、音楽で伝えたいことがいっぱいあった中学生時代

――――最初に、ANARCHYさんがラッパーになった動機を教えていただけますか。
ANARCHY:父がミュージシャンだったので、音楽の近くにいることができたのは、自分にとっていい環境で育ったと思いますし、どこか音楽をやるだろうなという気持ちはありました。父子家庭でしたし、育った街の環境が必ずしもいいとは言えず、言いたいことが溜まっていて、音楽で伝えたいことがいっぱいあったんです。また、当時見たラッパーがとても格好良かった。Zeebraさん、RHYMESTERさん、KING GIDDRAさん、SHAKKAZOMBIEさんなど、僕は全てのラッパーさんが好きで、ラッパーが一番カッコいい職業だと思う中学生でした。サッカーを始める子が、いつの間にかボールを蹴っているように、僕もいつの間にかラップを始めていましたね。
 
――――映画も昔から観るのがお好きだったそうですね。
ANARCHY:子どもの頃はずっと家で一人だったので、『ホーム・アローン2』が大好きでした。何回も観た作品ですね。「一人でも楽しめるやん」と結構勇気付けられたのです。
 
 

■コンプレックスは、僕が好きなラップやブルースにとって一番重要なこと。

――――初監督作品ですが、ご自身の経験も反映されているのですか?
ANARCHY:逆境やコンプレックス、例えば良いとは言えない家庭環境や貧困もそうですし、この主人公アトムで言えば吃音症で他人とうまく話せないということが全て武器になるのが、ヒップホップという音楽なんです。僕が子どもの頃、母親がいないことで寂しかったり、強がったりしていたことを武器にできたのはラップで、母子家庭のアトムにも同じ部分があると思います。「なんで俺だけ辛い思いをしなければいけないんだ」とアトムは思っていますが、そのコンプレックスはラップやブルースなど、僕が好きな音楽にとっては一番重要なことです。その、一見マイナスに捉えてしまうものを武器にしてほしいという思いをアトムに込めていますね。
 
――――主人公のアトムとその妹ウランという名前は『鉄腕アトム』と同じで、一度聞いたら忘れられないインパクトがありますね。
ANARCHY:これは漫画家の高橋ツトム先生(本作の企画・プロデュース)の案で、名前でイジられてしまうという設定にも生かされています。
 
 
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■上手く喋ることができないアトムが、言いたいことがありあまりすぎて、ようやく口から絞り出た言葉、それ自体がラップ。

――――ヒップホップと映画の融合という点で、特に心がけた点は?
ANARCHY:自分の人生やライフスタイルを何かの形で表現するというのが、僕の中でのヒップホップです。例えばアトムがウォークマンを見つけたり、言いたいことが見つかる。それ自体がヒップホップなので、その部分をきちんと保ったままストーリーをつなげていきました。最初、アトムが可哀想に見えますが、その彼が成長していく様をきちんと描きたいと思って作ったので、ANARCHYが映画を作るということで、例えば銃が出てきたりするようなもっと派手なものを想像される方がいるかもしれませんが(笑)、できるだけ余分なものを省いています。上手く喋ることができないアトムが、言いたいことがありあまりすぎて、ようやく口から絞り出た言葉、それ自体がラップなんです。アトムが喋る一言一言が、歌う前からラップであるという映画にしたかったのです。
 
――――アトムがウォークマンと同時に見つけた、びっしりと書き込みされているノートも、その後のアトムが自分のラップを紡ぎ出す大きな手助けとなります。ANARCHYさんの自筆ですか?
ANARCHY:僕が書きました。(ラッパーの歌詞ノートは)自分でしか読めないような書き込みノートになるんですよ。今は携帯で思いついた歌詞を書く子もいますが、アトムのルーツは三角という中年ラッパーで、アトムは三角のノートを真似し、自分もノートに言葉を書き始めたわけです。言いたいことがない人なんていないですから。僕の若い時も、誰にも読めないような、字の上に字が重なっているようなノートでしたね。
 
――――ラップは基本、自分で書いた言葉とリズム、曲で歌うのでしょうか?
ANARCHY:いわゆる一般的な歌とは違い、ラッパーはどんな奴が、どんなことを経験して、どんなことを歌うかが一番大事なんです。それが大げさだったり、嘘だったりすると、絶対相手に響かない。僕がラップで好きなところはそこで、言葉はすごく大事です。
 

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■アトムの成長を、ラップで、彼の言葉で表現できなければ、ラッパーの僕が作った意味がない。

――――今回、アトムが歌ったラップをANARCHYさんが作ったそうですが、自分が歌うのではない曲を作ることは難しかったですか?
ANARCHY:難しいなとも思いましたが、脚本を書いているときから、アトムの気持ちになって梶原阿貴さん(脚本)や高橋ツトム先生と作ったつもりなので、自然とアトムの気持ちは僕の中に入っていました。あとはアトムになって書くことに専念しました。今まで何もしゃべれなかった分、アトムが人生で体験したこと全てを書きましたし、僕が今まで経験したことも全て込めようと思いました。ラッパーが作った映画でそこをきちんと表現できなければ、僕が作った意味がない。そこを失敗したら、この映画は失敗してしまう。それぐらいの意気込みでしたね。
 
 
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――――アトムを演じたのは、ANARCHYさんがプライベートでも懇意にされているという野村周平さんですが、俳優としての野村さんの魅力は?
ANARCHY:野村さんは俳優としても有名ですし、人気者です。でも普通の、その辺のスケーターと変わらない部分、ピュアに自分の好きなことをして楽しむという感覚が僕たちと一緒で、そういう部分がとても好きですね。今回僕が映画を撮ると話すと、会社の制約など様々なことがある中でも「僕にやらせてください」と言ってくれ、その人間味や男気にも惚れました。撮影に入ってからは、アトムという喋る言葉が少ない役の中で、表情や歩き方ひとつで変わるアトムを自分の中にしっかりと入れて、現場に来て、演じてくれました。そういう彼を見ていると、リスペクトと感謝、あとカッコいいなと思いましたね。
 
――――ANARCHYさんが作ったラップをアトムが歌うクライマックスシーンを撮るために、だいぶん準備をされたのでしょうね。
ANARCHY:実際には1日でライブシーン全てを撮らなければならなかったので、野村さんにも3テイクぐらいしか歌ってもらっていません。クランクインする前に、クラブを借し切って二人で練習しましたが、もともと彼はヒップホップが好きで、やれるポテンシャルは持っていたので、後はステージの上で、お客さん役のエキストラがいる中で、立って歌う。そこはさすがにやりきってくれました。アトムが堂々と歌うことで、それを見守る家族の中に思いが込み上げた。それを見せることができただけで、もう成功だと思っています。
 
 

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■言わなければ伝わらないし、相手の思いも分からない。自分の思いを言葉で伝える勇気が出る映画になれば。

――――なかなか思う言葉を発することができないアトムの葛藤が最後までじっくりと描かれる中、中華料理店でアルバイトする韓国女性が罵声を浴びせられた時、彼女に告げようと絞り出した言葉にアトムの優しさを感じました。
ANARCHY:アトムは優しすぎて言いたいことが言えない。僕の目の前にアトムがいたら、「おまえ、言いたいことがあるなら言えよ。歯がゆい奴だ」と思うかもしれません。でも一番そう思っているのはアトム自身です。「ありがとう」とか「愛している」とか、妹に対する気持ちとか、どれだけ表情で表しても、言わなければ伝わらない。自分の気持ちだけでなく、他人の気持ちも分からないですから、そんな思いが言葉で伝えられたり、伝える勇気が出る映画になればというのが、この映画に込めたメッセージの一番大事なところだと思っています。
 
 
 

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■自分がやると決めたこと、言葉には責任を持つという「自己責任」が一つのメッセージ。

――――映画では何度か「自己責任」という言葉が登場します。家庭環境に関係なく自己責任で済まされ、厳しい状況でも誰も手を差し伸べない現在社会がリアルに描かれていますね。
ANARCHY:映画に出てくるような、自己責任論を振りかざす人たちは、現実社会ではそこまで多くないでしょう。そこは映画的な表現なのですが、「自己責任」について伝えたかったのは、自分がやると決めたことに対して、自分が歌うことや発する言葉に自己責任を持てということ。それが最後に分かればいいと思いました。途中まで映画で言及されている自己責任は、アトムのせいではないことばかりです。それは様々な状況に置き換えられると思うのですが、後半に同僚の山本が「ラップで歌ったり、自分がこれをやると決めたなら、それは自己責任だ」というのは、若者に限らず、全ての人に対するメッセージを込めています。
 
――――現代の若者に向けた応援歌のような映画だと思いますが、ANARCHYさんからみて彼らはどのように映っているのでしょうか。
ANARCHY:若いから何にでもなれるし、何でもできるということに気づいていない人が多いような気がします。ラッパーは今増えて、面白くなってきているのですが、一般的に選択肢が多くなりすぎた分、何になりたいのか迷っているのかもしれません。失敗した時のことを考えるよりも、自分の直感を信じてやってみて、転んでも経験を積み、魅力的な人間になることは誰でもできると思います。そういう勇気が出るきっかけになるような映画になればと思っているので、この映画を観てもらい、お客さんの反応を僕も確かめたいですね。僕自身もこの作品を撮って、音楽に対して、人生に対して初心に帰れたという気がしましたし、これから音楽を作るにしても映画を作るにしても、この作品やアトムが僕に影響を与えてくれると思っています。
(江口由美)
 

 
『WALKING MAN』(2019年 日本 95分)
監督:ANARCHY 
出演:野村周平、優希美青、柏原収史、伊藤ゆみ、冨樫真、星田英利、渡辺真起子、石橋蓮司
2019年10月11日(金)~梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、OSシネマズ神戸ハーバーランド、T・ジョイ京都他全国ロードショー
(C) 2019 映画「WALKING MAN」製作委員会

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(2019年9月9日(月)@梅田ブルク7)

ゲスト:池松壮亮(29)



「ひるむことなく、全身全霊で闘う宮本を見て、

明日への活力につなげてほしい」

池松壮亮、29歳。むき出しの愛に全力投球!

 

今どきこんな熱血男子はいるのだろうか?…格闘技のような痛すぎる愛に「生きる覚悟」を示す主人公・宮本を、思慮深く大人しいイメージの池松壮亮が、今まで見たことのないブッチギレぶりで熱演。彼の本作に込めた想いを聴いて、改めて心を突き動かされてしまった。


miyamoto-550.jpg宮本を演じた池松壮亮は現在29歳、12歳で出演した『ラストサムライ』(2003年)以来、演技派俳優として若手俳優陣の中でも群を抜く存在。彼が演じるキャラクターは、奥深い人間性と豊かな心情を秘め、物語だけでなく不思議な魅力の世界観をも醸し出す。彼の出演する作品では目が離せない存在の俳優だ。


そんな池松壮亮が体当たりで演じた宮本は、理不尽な社会と闘い、靖子を命がけで愛し、新たな命を守り抜く義務感に燃える熱血男子を熱演。靖子を演じた蒼井優とは『斬、』に引き続いての共演。宮本をしのぐ圧倒的パワーでハートに火をつける靖子を、これまた他の女優にはない破壊力で熱演。今だから語れる、俳優として生きることや、作品への想い、そして今や“怪優”のような存在となってしまった蒼井優ついても正直に語ってくれた。

(以下にインタビューの詳細を紹介しています。)


――撮影中大変だったことは?

肉体的にも精神的にもダメージが強かったです。映画2時間で宮本の痛みを理解してもらうためには、どんな痛みも受け入れるつもりでいました。でも、もう一回やれと言われたらやりたくないですが(笑)。


――TVドラマ版と映画版とは宮本は少し違ってきているようだが、キャラクターについて真利子哲也監督と話し合ったことは?

何十時間も話し合ってきたので、一言で話すのは難しいです。日々宮本像を決定付けていかなければならない中で、それぞれ違う宮本像を描きつつも、どこかで一致させられるよう話し合いました。特にクランクインする前は慎重に議論を重ねました。


miyamoto-500-1.jpg――「傷付きたくない」と考えている今の若い男性に挑戦状を突き付けるような宮本像だが?

別に挑戦状を突き付ける気はないです。今の世の中は痛みを和らげるために経済が成立しているところがありますが、そんな中でも生き辛さを抱え、これだけの自殺率になってしまっている。本来、生きることはとても喜ばしいことであり、なおかつ痛みを伴うこともあるということを伝えられれば十分。ほんの一瞬の歓びを掴み取るために宮本は傷だらけになりながら生きていく訳ですから、リスクは付きもの。自分で経験しないと分からない。携帯を開けば人生が何たるかが分かるようになっている現代では、痛みに弱くなっていると感じます。


――今回の宮本を演じて、自分の中で変わったこと、得たものは?

「演ずることだけが俳優のゴールではない」と言いましたが、「届けることは俳優の義務」だとも考えています。一個人としてこの映画を通過して思うことは、時代の転換期にこの作品に出会えて、今一度人間らしくあらねばと思いました。

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原作者の新井先生の作風は過激な表現も多いですが、過激な部分を通過してピュアな所に行き着くという作風。人間回帰を表現してきた方でもあります。宮本もそういうところがあり、自分が暴れるのは、人生の苦難に対面した時に自分自身の価値が壊れてしまって、明日を掴むために暴れている。僕自身もそうだし、関わった人たちもそうだし、観て下さる人たちもそういう処を抱えていると思う。

非人道的なことが年々増加する現代において、目に見えない圧力を感じていても、宮本のような強引さが一瞬でも変化をもたらすことができるかも知れない。靖子の過去は変えられないが、心の痛みを半分にすることはできるかも知れない。別にみんなに宮本になってほしい訳ではありませんが(笑)、この作品を通して、強さの可能性を感じ取ってほしいと思います。


――原作が書かれた時代は違うが、今本作を発表する意味は大きい。特に池松さん自身の俳優としての覚悟を強く感じたが、今までの出演作で自分に一番近い役は?

僕は自分の中に賛同する要素がないと動かないタイプです。どの役が池松かと問われたら、どれも自分に近い部分はあると思う。表現する上で、役者本人そのものが出過ぎると傲慢で危険なことになってしまうので、俳優としての価値はないと思っています。そういう意味で本作は、20代最後に置いていきたいような池松の本音が出ている作品でもあると思います。


miyamoto-inta-240-2.jpg――長いキャリアの中で、今まで演じて来たキャラクターと、30代を迎えてからのキャラクターの変化について?

漠然とある程度は予測できますが、明日でも10年後でも20年後でも、せっかく心を使う俳優という仕事をしているのですから、心の赴くままに極力自然にやっていきたいと思っています。


――やってみたい役は?

そういうのはあまりありません。日本の俳優は演ずることがゴールとされてきました。僕はそこに反発してきた部分があると思います。自分がどういう役をやりたいというよりも、いい作品に携わっていきたい。そして、自分がその一助になれれば、まだまだ俳優としてやっていけるかな、と思えるのではないかと。


――蒼井優という女優について?

あり余るパワーを女優をやることで発散しているような方。それでも、映画に偏差値があるとしたら、とても偏差値の高い方なので、別に事前にやり取りしなくても無言のままでもそのシーンの目に見えないものを掴み取ることができる。そういう方とワンシーンワンシーン積み上げていく作業はとても面白かったです。

miyamoto-500-3.jpg――昨年、映画『斬、』でも共演されていましたが?

無言のうちに共有している時間がすごく長かったですが、雑談はよくしていました。

蒼井さんは普段すごくお喋りな方。僕はこうした取材ではスイッチを入れて話すようにしていますが、現場では極力話さず静かにしているタイプなのに、まあ話し掛けてくるわ!僕は本番前は助走が必要ですが、蒼井さんは本番になるとスイッチを切り替えて撮影する。そして終わったらまた話の続きをする(笑)。

蒼井さんはよく「疲れない!」と仰っていますが、僕はすぐに疲れてしまうので、それが理解できなかった。『斬、』の時もずっと元気で、「どこからあのパワーは来るんだろう?」と不思議でした。でも、本作で見てはいけないものを見てしまった!それはお昼休みの後、控室で歯ブラシを加えたまま寝ていたんです!? きっとさすがの蒼井さんも大変だったんだと思います。


miyamoto-500-4.jpg――蒼井さんとは同郷ですが、雑談では方言が出たりしますか?

そもそも僕は敬語で話していますので方言は出ないです。一応、蒼井さんは5歳上ですからね。


――靖子という女性はタイプとしてどうですか?

イヤですね(笑)。1か月だけでも向き合うのは大変でしたからね。

――激しいけど、言うべきことをビシッと言える、愛情いっぱいの女性のようですが?

大好きですよ。尊敬できるし、カッコいいなと思う。一個一個の迷いからの答えの出し方とか、髪を束ねて台所に立つ姿とか、気合いとか女のプライドを持っている素敵な女性だなと思います。

それより、この映画を観て、日々を向上しようとか、今日よりも明日を良くしようとか、今頑張っていることを大事にしようとか、小さいことでも明日への活力につながるように感じてくれたら作品も本望かなと思います。


――人を愛する覚悟は、生きる覚悟につながるような気がしたが?

宮本の、生きる覚悟、靖子を愛する覚悟、親になる覚悟など、いろんな覚悟が含まれています。明日を生きることの義務、これだけ過激に情熱を燃やそうとしている宮本を見て、何かしら活力につなげて頂ければ嬉しい。(パンフレットの表紙を指して)このバラを届けるために、宮本は悪戦苦闘しているんですよ。これが総てなんです!

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【STORY】
文具メーカー「マルキタ」で働く営業マン宮本浩(池松壮亮)は、ある喧嘩で負傷して上司に叱られている。愛想良くできない上に気の利いたお世辞も言えず、手柄を同僚に奪われるなど、営業マンとして四苦八苦していた。だが、この日の宮本はなぜか晴々しい顔をしていた。それは中野靖子(蒼井優)との愛を不器用ながらも貫けた、初めて感じる男としての自信だった。そこには、語るもせつない宮本の悪戦苦闘の日々があったのだ。


痛々しい程の究極の愛に挑む宮本。「靖子は俺が守る!」と宣言したものの靖子を襲った悲劇に無力な自分を責め、そして絶対敵わない相手に挑戦する!……リスクを恐れず真っ向勝負に挑む宮本の情熱と誠意は、観る者を奮い立たせ、人を愛する覚悟を教えてくれる。


(2019年 日本 2時間9分)
■出演: 池松壮亮、蒼井優、井浦新、一ノ瀬ワタル、柄本時生、 星田英利、古舘寛治、佐藤二朗、ピエール瀧、松山ケンイチ
■原作: 新井英樹『宮本から君へ』(百万年書房/太田出版刊)
■監督:真利子哲也 脚本:真利子哲也/港岳彦
■配給: スターサンズ/KADOKAWA   【R15+】
■コピーライト:(C)2019「宮本から君へ」製作委員会
■公式サイト: https://miyamotomovie.jp/

2019年9 月 27 日(金) ~梅田ブルク 7 他 全国ロードショー



【編集後記】
取材当日は台風15号の影響で新幹線が大幅に遅延し、午前中予定のインタビューが夜の先行上映会の舞台挨拶後となった。様々な媒体の取材を経てこの日最後の取材となったが、劇中の宮本とは対照的に普段は無口で静かなタイプだという池松壮亮は、終始穏やかに飾らぬ態度で応じてくれた。インタビュー終了後も、写真や原稿のチェックは必要ないという。最近、男優でもスタイリスト付きっきりでビジュアルを気にして、厳しく写真や原稿チェックする傾向にある中、なんという自然体!その無欲な姿勢に余裕を感じさせる。益々池松壮亮が大きく見えてきた。

(河田 真喜子)

 

 

 
 
 

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すべての人にエンディング・ドラマが待っている。

 

病院で最後を迎えるか、在宅で終えるか、人それぞれだが、カメラでその様子を捉えたドキュメンタリーがNHK地上波とBSで放送され、好評を博した。


もっぱら阪神や東日本など大震災報道を手がけ「命」をテーマにしてきた下村幸子監督は次に“終末医療”を取り上げた。「NHKスペシャルで放送された素材を映画にしたのはより多くの人に見てもらいたいから」にほかならなかった。「私のライフワーク。映画館で見てもらって、観客に問いかけたい」と語る言葉には説得力があった。


jinseisimau-550.jpg自ら現場に泊まり込んで監督、撮影もこなした「人生をしまう時間(とき)」(NHKエンタープライズ)は、カメラが臨終の場に付き添い、寄り添って見届けた稀有な作品。厳粛な死を身近に捉えながらも、生活の中にある“死ぬということ”を明るく見つめた。こんな映画は見たことない。何千本と映画を見てきた身にはお芝居の死は慣れている。だが、人が目の前(画面の中)で「息絶える実録もの」を見るのは初めての経験。これには驚いた。


jinseisimau-500-3.jpg超高齢化が進む日本、国は終末医療の場を病院から自宅へ移す政策を取った。家族に看取られ、穏やかに亡くなる「自宅死」に関心が高まる。だが“理想の最期”には厳しい現実も立ちはだかる。下村監督の前に現れたのが埼玉県新座市の「堀之内病院」の小堀鷗一郎医師80歳。文豪・森鴎外の孫で東大病院の外科医で手術の名人だったが、たどり着いたのが在宅の終末期医療だった。


jinseisimau-500-5.jpg型破りな小堀医師が一方の主役でもある。ざっくばらんで経験豊富。患者への気配りを忘れず去り際には「また来るからね」と付け加える。そんな小堀医師の特徴を下村監督はひと言で「人間力」という。ズバリ「小堀医師と在宅医療チームに密着した200日の記録」である。患者と家族とともに様々な難問に向き合い、奔走する医師や看護師、ケアマネジャーたちは“一人の人生の終わり”に何が出来るのか。映画はまさに命の現場からの“生中継”でもある。


jinseisimau-500-4.jpg映画は9つのエピソードで綴られる。いずれも身近な問題として「いつか通る道」と背筋が伸びる思いだ。すべてが近しいテーマなのだがとりわけ、70代の夫婦が103歳の母親を介護する(第1章)、78歳の母親が53歳の子を看取る(第2章)は切実。中でも、胸に響いたのは末期の肺がんを患う父親と、見守る全盲の娘のくだり。父親は妻が脳梗塞で倒れた後、娘のことを思って在宅での闘病を希望した。「このまま(病状が)持ち直してくれれば」という娘に小堀医師は「今が持ち直している状態。今みたいな日が1日でも長く続けばけっこう」と釘を刺す。父が死に向かっていることを娘は本当に分かっているのか、と疑問に感じている。


jinseisimau-500-2.jpg医師は父親に「庭になる百目柿を取りに来た」といい、父親は「まだ青いよ。もう少し匂ってから」という。いよいよ臨終の場、娘は父親の息を確かめ、文字通り息絶えるまで「喉仏が動かなくなって」死んだことを娘が確かめる。小堀医師が「死亡時間」を記入して彼の終末医療が終わった。


そこには日本人がいつしか忘れてしまった家族ならではの温かい絆があった。名匠・小津安二郎監督が晩年、繰り返し描いた宝物“日本の家族”は最後の「東京物語」では崩壊の兆しも予感させたが、この臨終の場面に引き継がれたようだった。ラスト、百目柿がいくつもなっているアップの場面は命は終わっても家族の思いは終わらない、という象徴ではないか。
 


2019年 日本 1時間50分
監督・撮影:下村幸子
小堀鷗一郎、堀越洋一
コピーライト:©NHK
公式サイト: https://jinsei-toki.jp/

2019年10月5日(土)~第七藝術劇場、10月12日(土)~京都シネマ、11月9日(土)~元町映画館 他全国順次公開。


(安永 五郎)

 

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沖縄のために身を捧げた“不屈の男”の原点は、戦争への憎しみと怒り。
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』佐古忠彦監督インタビュー
 
 戦後アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑戦を挑んだ男、瀬長亀次郎の人生を通じて沖縄の戦後史を描いた前作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』から早2年。瀬長亀次郎の素顔や、彼の肉筆の日記から浮かび上がる不屈の精神を捉え、よりカメジロー像に深く迫る最新作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(カメジロー2)が、9月6日(金)より豊岡劇場、9月7日(土)より第七藝術劇場、京都みなみ会館、元町映画館、今秋シネ・ピピア他全国順次公開される。
 
 監督はキャスター時代(「筑紫哲也NEWS23」)から精力的に沖縄取材に取り組み、初監督作となる『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』で、沖縄のためにその身を捧げた瀬長亀次郎åの人生から沖縄戦後史を浮かび上がらせた佐古忠彦。上映後は「もっと闘うだけではない亀次郎さんの素顔を見てみたい」「なぜ“不屈の男”になったのか理由を知りたい」という反響が寄せられたという。再度日記を読み込むことから始めたという本作は、亀次郎の肉筆をクローズアップで見せ、その時の心情を浮かび上がらせている。また、沖縄の主張と政府の対応を佐藤首相に問う、亀次郎の魂の論戦シーンは必見だ。
 
 本作の佐古忠彦監督に、人間、亀次郎によりフォーカスしたカメジロー2(通称)の見どころや、より沖縄と本土の分断が深まる今、本作を公開する意義について、お話を伺った。
 

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■大反響を呼んだ前作で、闘う男としての瀬長亀次郎を認識してもらった。

━━━前作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』は、沖縄で今でも語り継がれる瀬長亀次郎さんのことを、本土や世界の人が知るきっかけになりました。実際に前作を公開してどのような手応えを感じましたか?
佐古:なぜ沖縄と本土の溝が深まり続けるのか。それは戦後史への認識が抜け落ちていることが大きいと思い、テレビ版から始まり、前作の映画化で亀次郎さんにアプローチして、沖縄を中心にした戦後史を見ていきました。公開時は、沖縄だけでなく、その熱が東京に伝わり、どんどんと広がって、どこでも入場待ちの行列を作っていただきました。「こんな人物がいたとは知らなかった」というお声もあれば、亀次郎さんと同時代に生き、その時代感を共有してくださる方もおられました。上映後も劇場内が亀次郎愛に満ち溢れていましたね。見ていただいた方には伝わったと思いますし、闘う男としての亀次郎さんを随分認識していただいたのではないかと感じています。
 
 

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■カメジロー2は日記を再度読み込み、世に知られないけれど、詳しく記述している事件を取り上げ、筋立てを作る。

━━━カメジロー2ということで、前作を見ていない方に配慮しつつ、新しい亀次郎像を見せるというのは、難しい作業だったのでは?
佐古:確かに頭を悩ませました。タイトル一つとっても「2」と続編を匂わせるものを入れてしまうと、前作を見ていない人が敬遠してしまうかもしれない。だからあえてタイトルに入れず、本作だけ見ても全てがわかるように、そして前作を見た人にはもっと亀次郎さんのことを知ってもらえるようにしたいと思いました。なぜ亀次郎さんが怒り、闘うのかを説明するにあたっては、前作と重なる時間は既視感がないように違うエピソードで歴史を振り返っています。いわば、前作は大きな歴史の流れがあり、そこに亀次郎さんの日記の記述を探していったのですが、今回は先に日記を読み込み、取捨選択をしながら一本の筋立てを作り、そこに映像をはめ込んでいく。ですから、世に知られる大きな事件より、世の中に知られていないけれど、亀次郎さんが詳しく記述している事件を取り上げているところもあります。
 
例えば、今回取り上げた輸送機の墜落事故。嘉手納基地の横での飛行機墜落事故は、この3年前に起きた宮森小学校での事故のように大きく現代にも語り継がれているというものではありませんが、亀次郎さんは日記の中で「3度目」と書いた上で、その謝罪について「いつも米軍は口先だけだ」と怒っています。今でも沖縄で米軍が事故や事件を起こせば、米軍幹部が沖縄知事に謝りに行くけれど、結局同じ悲劇が繰り返される訳で、亀次郎さんが怒る状況から現在が見えてくるのです。
 
 

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■戦後史だけでなく、家族とのエピソードが詰まった亀次郎さんの日記秘話。

━━━今回は亀次郎さんのよりパーソナルな部分を捉えるために、230冊を超える日記を再び読み込んだそうですが、そこでどんな発見があったのですか?
佐古:前作の上映後半年ぐらい経ってから、カメジロー2に進んでみたいという気持ちが芽生え、再び日記を読み込む作業を始めました。元々亀次郎さんの次女、内村千尋さんが「父の日記には戦後史が詰まっているので、これを世に出したい」とおっしゃっており、政治と沖縄に関する部分も多いのですが、一方で家族のエピソードもたくさんある。お嬢さんがやった宿題を褒める日もあれば、「フミ(妻)と大喧嘩」と一言だけ書いてあったり、亀次郎さんは映画がお好きだったのでお嬢さんと一緒に見に行った映画の感想も書いていました。また、なぜ闘うのかの原点も記されていました。
 
━━━亀次郎さんの次女、千尋さんは舞台挨拶も佐古監督と一緒にご登壇されていますが、カメジロー2を作るにあたり、かなり力になってくださったのでしょうか?
佐古:千尋さんがいなければこの映画はできなかったでしょう。私たちテレビ局では持っていないような写真や映像をはじめ、ありとあらゆる資料をご提供いただきましたし、亀次郎さんが投獄中に自身を小説「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャンと重ね、孫娘をコゼットと呼んだというエピソードも千尋さんとの会話の中から教えていただきました。千尋さんとお話する中で知った亀次郎さんの知られざる一面が本当に多かったんです。先行公開した桜坂劇場の舞台挨拶では、千尋さんのことを主演女優と紹介されていましたし(笑)不屈館だけでなく、千尋さんのご自宅にその5倍ぐらいの資料をお持ちなので、欲しい資料は逐一探していただきました。
 
 

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■不屈の男の原点は戦争への憎しみと怒り。

━━━映画の冒頭にも日記の一文が登場しましたが、その狙いは?
佐古:1969年、沖縄が日本への復帰が決まった年の慰霊の日の日記ですが、「恨みを飲んで殺された仲間たちの魂に報いる道は何か」と書いています。ラストに登場する佐藤首相との国会論戦で、「これは白骨であります」と写真を見せつけ、「再び戦場となることを拒否する」と断言しますが、何が彼をそうさせたのかと言えば、やはり沖縄戦、戦争への憎しみが原点にある。亀次郎さんが一番大事にしていた人間の尊厳も踏みにじられてしまうのですから、戦後アメリカ軍による軍事占領は耐えられなかったでしょう。加藤周一著「抵抗の文学」を読んだ後の感想と交えて「憎しみではなく、怒りの爆発だ。国民への愛情があるからなのだ」とも書いていますが、なぜ闘うのかという問いに対する人間のありようが見えます。一本筋が通っていますね。
 
━━━そこで一本の道が映し出されるのが新鮮でした。一貫した主義を貫く亀次郎さんの人生に重ねているようでした。
佐古:亀次郎が仲間たちの魂に報いる道、一筋に歩いた道をイメージしています。前作はガジュマルの樹で始まり、一本の道で終わったので、今回はその道で映画が始まり、最後はガジュマルの樹で終わります。2本の映画が不屈の精神の輪でつながるようにしています。
 
━━━亀次郎さんの不屈の精神を支えたのは、亀次郎さんを支持する沖縄のみなさんだったのでしょうね。
佐古:亀次郎さんは、あるインタビューで「カメさんファンがたくさんいますが」と問われ、沖縄の市民のことを「ファンというより友達だな」と語るように、先生と言われることを本当に嫌い、常に民衆と共に歩んでいました。そんな政治家は、なかなかいないと思います。
 
 
 

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■亀次郎さんは、アメリカ側の意図を読み取る分析力と先見性を持っていた。

━━━さらに、日記を紐解く中で、亀次郎さんの「先を読む力」にも注目されたそうですね。
佐古:亀次郎さんは、宮古島の刑務所で他の受刑者と隔離され、喋る相手はネズミぐらいという孤独な中で、奥さんからの手紙を待ち焦がれていた一方、すごく勉強していたんです。日記以外に学習ノートがあり、そこには領土問題、資本論など様々なことがびっしりと書かれていました。出所後に市長になりますが、アメリカ軍から市長を追い出される2ヶ月前には、日記に彼らが何をするかを書いています。実際、亀次郎さんは市長を追われ、でもすぐに、後継候補を立てました。またアメリカ軍から被選挙権まで奪われると、逆に立候補をし続けて、民衆からの支持を得ることでそれを打破すると書き、それを実現させました。また日米返還協定の前に、1969年佐藤・ニクソン会談で核密約のあったことが後年明らかになるのですが、亀次郎さんはそれ以前に「核隠し」「有事の場合持ち込む」と日記に書いているのです。アメリカ側の意図を読み取る分析力と先見性が、亀次郎さんの行動力の裏付けになっています。
 

 

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■本土と沖縄、沖縄のやり方はダブルスタンダード。

━━━亀次郎さんを見せしめにし、沖縄市民から土地も人権も奪う一方、今夏デジタルリマスター版が公開された『東京裁判』ではアメリカが本土市民の抵抗を逸らすために、天皇責任を問わぬ形にしたエピソードが語られました。この2作を見ると、アメリカの戦後日本に対する占領政策の使い分けが露わになっています。
佐古:最大の民主主義国家アメリカが日本に対して行ったダブルスタンダードです。例えば本土に対しては労働組合を認め、労働者にどんどん権利を与えていくので、ストライキも認められたのですが、沖縄の場合は権利を全て握りつぶされていきます。
 
━━━旅券を剥奪された亀次郎さんが唯一の夫婦旅行で、海の向こうへの思いをナレーションにのせて語るシーンがとても印象的でした。
佐古:現存している亀次郎さんの日記とフミさんの日記で、同じ日のものがあったのです。作ったおにぎりの数やおかずの中身、出発時間まで事細かに書かれていたのが、本当に一致していて、夫婦の仲睦まじさを感じました。本土を見るために、旅行に行った時の様々な会話をナレーションで再現していますが、祖国を見に行ったという特別な思いがあったのだと思います。
 
━━━そのナレーションは、役所広司さんが亀次郎さんの声を担当していました。すごく包容力がありましたね。
佐古:前作をご覧いただき、すぐにご快諾いただいたのですが、力強い演説にせよ、ご家族に対する言葉にしても、役所さんにお任せして亀次郎の世界を作っていただきたいと思っていました。役所さんも「すごい人がいたものだね」という風におっしゃりながら、亀次郎さん自身の映像は非常にキャラクターがしっかりしているので、声でどのように世界観を作り出すのか、随分考えていただいたと思います。本当に深く広い感じが出ていて、感動しました。
 

 

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■亀次郎さんや沖縄の皆さんのおかげで沖縄占領下の歴史、沖縄の気持ちを伝えることができた。 

━━━前作にも登場したハイライトの沖縄の主張と、政府の対応を佐藤首相に問う亀次郎さんの国会答弁シーンですが、今回はその全容を映し出し、魂の熱弁が胸に刺さりました。

 

佐古:国会議員になった亀次郎さんが民意を代弁する姿を描きたかったですし、あの亀次郎さんの演説はこの映画で描いてきたことが全て込められています。私も佐藤総理を追及する様々な言葉がすとんと胸に落ちてきましたし、さらに50年前の国会であんなに熱のこもった議論があったことが新鮮でした。当時は国会の場に、意見が違っても、それを認め、論じ合う姿勢があったんだと感じます。
 
━━━佐古監督は、15年に取材を始めてから4年間亀次郎さんに向き合っておられる訳ですが、取材を始める前と今とで、ご自身にどんな変化がありましたか?
佐古:テレビでは沖縄戦を伝える1時間半の特別番組など、様々な番組で沖縄のことを取り上げ、それにより伝えられたこともあったと思いますが、亀次郎さんや沖縄の皆さんのおかげで沖縄の占領されていた歴史、沖縄の気持ちを伝えることができた。それに対する感謝の気持ちが、まずあります。亀次郎さんの日記は色々なテーマで切り取ると、もっと様々なストーリーがありますので、まだまだ不屈の男にはまっていくと思います。
 

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■「少数派になることを恐れるな」日本戦後史の共通認識ができるものを提示し、議論に結びつけるきっかけづくりをしたい。

━━━最後に、前作のインタビューで、筑紫哲也さんから「自由の気風」を学んだとおっしゃっていましたが、今メディアで自由の気風がどんどん失われる中、佐古監督はこれからどのような役割を果たしていきたいですか?
佐古:自由の気風がなくなった時に、何が起こったかは歴史が教えてくれています。今の世の中どうなのかといえば、最近では忖度という言葉もよく話題になる。伝えるべきことをどこまで伝えているだろうかと、私もメディアの一人としてよく考えます。筑紫さんは「少数派になることを恐れるな」とおっしゃっていましたが、たとえ伝えていることが少数派であったとしても、だからこそ伝えなければいけないことがあります。私たちの仕事で、議論をするための一つの材料を提示することは重要な役割です。お互いに事実の認識を共有しなければ、まっとうな議論になりません。沖縄をめぐる今の議論も、戦後史の認識が抜け落ちたままでは、議論は的外れになってしまいます。そういう意味で、もう一度向き合うべきものを提示し、議論に結びつけるきっかけになればと思いますし、そういう仕事をさらに進めていきたいですね。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』
(2019年 日本 128分)
監督:佐古忠彦
出演:瀬長亀次郎他
語り:役所広司、山根基世
2019年9月6日(金)〜豊岡劇場、9月7日(土)~第七藝術劇場、京都みなみ会館、元町映画館、今秋シネ・ピピア他全国順次公開
(C) TBSテレビ
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「現代の神話的なものを作りたかった」
『タロウのバカ』大森立嗣監督インタビュー
 
 名前も戸籍もないタロウ、高校生のエージ、スギオの3人が、河原で、隠れ家で戯れ、街中を疾走する。「愛ってなに?」「好きってなに?」「死ぬってなに?」何も知らないタロウが、エージとスギオに交わることで起きる化学反応は、衝動的かつ刹那的で、青春にしかない一瞬のきらめきに目を奪われる。生きづらくても、3人でいれば無敵だった。
 
 大森立嗣監督(『さよなら渓谷』『日々是好日』)が長年温めていたオリジナル脚本を映画化。最新作となる『タロウのバカ』が、2019年9月6日(金)よりテアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都、9月13日(金)より京都みなみ会館他全国ロードショーされる。
名前も戸籍もない主人公のタロウ役にオーディションで選ばれた演技初体験の新人、YOSHI、ある事情から学校に行かなくなってしまったエージ役に菅田将暉、援助交際をする同級生の洋子に恋してしまうスギオ役に仲野太賀が扮し、3人のアナーキーな日々が、偶然拳銃を手にすることで死に近づいていく様を、エネルギッシュに演じている。
 
 死の匂いが漂う現代社会の闇と、その中で生きる彼らを真っ直ぐに描いた大森立嗣監督にお話を伺った。
 

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■戦中戦後の死の匂いを必死で消し、何かが失われているという20代半ばの実感を脚本に。

――――長編デビュー作の『ゲルマニウムの夜』以前に書かれたオリジナル脚本ですが、当時はどんな思いでその脚本を書かれたのですか? 
大森:僕の中学、高校時代は校内暴力全盛期で、学校がある種のアナーキーな感じがする場所でした。僕自身はいじめる側でもいじめられる側でもなかったけれど、一歩間違えればそのアナーキーな世界に行きかねないという肉体的感覚がすごくあったのです。1970年生まれの僕からすれば、高度成長時代を経て経済的に豊かになっているけれど、一方で経済的な豊かさを得ることで、戦中戦後の死の匂いを必死で消そうとしているのではないか。そして何かが失われているのではないか。そういう考えを当時の素直な衝動をもとに、ちょうど助監督になりたての20代中盤で書いた脚本でしたね。
 
――――脚本を書かれた当時から25年ほど経った今、映画化するに至った経緯は?
大森:年に1度ぐらい脚本を読み直し、そんなに風化していないという実感がありました。僕自身が年をとっていく中で、若い主人公たちのかなり無軌道な物語を撮れる気力が残っているかと考えると、まだいけると。実際、最初に脚本を書いてから時間が経ちましたが、現代の問題を盛り込むためにオープニングのシーンや携帯の扱いを考えた以外はほとんど脚本を変えていません。
 
 

■25年経っても日本は変わらないから、『タロウのバカ』を作りたいと思った。

――――現代に合わせてかなり加筆されたのかと思っていたので、驚きました。全編に死の匂いが漂いますが、その部分は25年前より強めた表現にしたのですか?
大森:阪神大震災やオウム真理教事件が起きた95年頃に最初の脚本を書き、もちろんその影響は大きかったのですが、その後の東日本大震災の影響も僕にとっては大きかったです。原発事故以降、日本が変わるのかと思ったら、やはり変わらない。事故を忘れようとする力がすごく働いている気がして、脚本はむしろ風化していないと感じたのです。『タロウのバカ』を撮らなくていい時代の方が良かったのかもしれませんが、やはり時代が変わらないから作りたいと思ったのでしょう。過去を忘れようとする、或いは消費する力をすごく感じますね。
 
 
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■どこにも所属していないタロウを演じたYOSHIは「変に社会化されていない」

――――タロウをはじめとする3人のボーダレスな関係が、突き進む疾走感を生んでいます。その中でもタロウの描き方が作品の肝だと思いますが、キャスティングやキャラクター設定について教えてください。
大森:タロウは戸籍も名前もないという設定で、かなり無軌道な行動をします。15歳ぐらいで、大人でも子どもでもない。どこにも所属していないという価値観を出したかった。でも実際にオーディションをすると、15歳ぐらいなら既に社会化されていて、なかなか思うような人に出会えなかったのです。YOSHI君は変に社会化されておらず、初対面でも親世代のような僕らに緊張することなく話すことができ、むしろ僕たちに近いような部分を持っていると感じて、タロウがそこにいると思いました。
 
――――仲野大賀さんが演じるスギオは、アウトサイダーと一般社会人の境界にいる人物で、その苦悩に共感しやすいと同時に危うさも感じますね。
大森:脚本を書く時、ある程度箱書きするのですが、書いているうちにキャラクターが動き出すこともあります。結果的に、我々と一番近い立場の人間が窮地に追い込まれる。それが社会に対する警鐘になればという気持ちがありました。
 
 
 

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■「愛ってなに?」「好きってなに?」という問いかけで、人間の感覚を素直に見つめる。

――――タロウは劇中で「愛ってなに?」「好きってなに?」「死ぬってなに?」と何度も問いかけます。スギオも、同級生の洋子もやはり愛が何か分からない。この作品で愛は大きな問いかけになっています。
大森:僕たちは「好き」ということをなんとなくわかったふりをして生きているけれど、本当はわかっていない。それぞれが社会生活を営む中で、好き嫌いを判断していると思うのです。でも、人間が経済的に豊かになり、合理性や生産性を追求するのとは別に、人間はそもそも生物です。生まれて死ぬという感覚や、どうしようもなく好きになるという人間の感覚を素直にみつめることが、今、失われすぎているのではないかという思いから、登場人物たちに「愛ってなに?」「好きってなに?」という問いかけをさせています。ただ、スギオや洋子は、1回転半ぐらい回った後での「好きってなに?」という感覚で、タロウのまっすぐな感覚とは違うと思います。タロウがいる河原で見かけるダウン症のカップル、藍子と勇生もタロウと同じような存在ですね。
 
――――タロウや藍子と勇生の存在が、物語を寓話的、神話的に感じさせますね。
大森:実は現代の神話的なものを作りたいという思いがありました。今は自意識が肥大しすぎている人が本当に多いと感じます。皆が自分の周りのことに敏感になりすぎ、傷ついて何もできなくなってしまう。でも自分は、もっと大きな地球の中で生かされている存在であり、人間であると肯定するだけで、悩みへの対処の一つになるのではないかと思うのです。世の中には自分がわからないものがいっぱいあるし、自分はそんなに大きいものではないと思うと、少し楽になれるのではないでしょうか。
 
――――3人の中のリーダー格であるエージは、半グレ集団との付き合いがある一方、他の2人が口にしないような戦争や虐げられた詩人の言葉を口にするのが印象的でした。
大森:僕は1970年生まれで、終戦から25年しか経っていないのにすごく戦争を昔のことにように捉えていた。そういう実感を、エージに反映させています。エージは早めに社会生活からドロップアウトしてしまいますが、そこでタロウという存在に出会い、無意識のうちに死が立体感をもって掴めそうな気になる、とても敏感な少年です。半グレの吉岡らに首を絞められたり、柔道部の先輩たちにボコボコにされた時、リアルに死が頭をよぎってしまった。だから、エージは教科書に載っていた詩の一部を口にしたりするのです。
 
 

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■YOSHIをキャスティングした狙いに沿った、全員がフラットな撮影現場。

――――菅田さん、仲野さんと、15歳で新人のYOSHIさんが組むことで、撮影中も予期せぬ化学反応が起きていたのではないかと思いますが、3人での撮影の様子は?
大森:映画の撮影は、映画監督をトップに置き、そこから下はピラミッド方式で、ある種の封建的な力が働きます。でも、今回は社会化されていない部分に魅力を感じて、演技経験が全くないYOSHI君を主演に起用した訳です。だから従来の撮影現場のシステムをYOSHI君に押し付けるやり方は全く違うと思い、本当に皆が並列にいるような現場を目指しました。YOSHI君は撮影の合間に「たっちゃん〜」と僕の膝の上に乗ってきたり、撮影が終わると「ゲーセン行こうよ!」と声をかけてくるので、スタッフが皆びっくりしていましたが、逆に皆が彼の影響を受けましたね。菅田君にも「マサキ〜」と駆け寄って、遊びの延長でじゃれあっている。菅田君も色々な撮影現場で仕事をしているので、「この現場は、こういうやり方なんだ」と敏感に感じ取り、先輩っぽさは一切出さなかった。みんなで銭湯にも行きましたし、非常にフラットな現場でした。僕は本当に楽しかったし、そういう現場であったことが、この映画にどこかリンクしている感じがします。
 
――――バイオレンスなシーンと共に印象に残るのは、歌のシーンです。特にずっと一緒にいた勇生が溺死している傍らでで、雨の中大声で歌い続ける藍子の存在感は絶大で、カメラもこれ以上ないぐらいのアップで藍子を捉えていましたが、その狙いは? 
大森:藍子さんが歌うシーンは当初ありませんでした。実際に会い、彼女が歌っているのを聞かせてもらい、脚本に取り入れています。僕の中では溺死した勇生君を生き返らせる儀式だと思っているので、生き返らせるためにもっと大きな声で!と藍子さんに指示を出しました。雨の中全身全霊で歌う、祈りのシーンにしたかったのです。
 
 

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■「わからないものにどう触れていくか」を模索させた、死が浮き上がるシーン。

――――後半、死者を表現したような大駱駝艦のパフォーマンスは、「生きてる人と死んでる人、どちらが多い?」という問いかけと共に、自分たちがあまたの死者たちの中で生きているような感覚を覚えますね。
大森:大駱駝艦にある種の死者を演じてもらいましたし、「生きている人と死んでる人、どちらが多い?」「死んでる人だよ」とか、「死ぬんだから痛くたっていいじゃない」など、子どもの遊びのようなセリフの中に、死そのものがフワッと浮き上がるようにもしています。また、拳銃を手にしたエージがロシアンルーレットのようにするシーンも含めて、ふと肌触りのように死が近寄ってくる感じを表現したかった。死は、実際に死んだ人でなければわからないものですが、わからないものにどう触れていくかをタロウらに模索させたかもしれません。
 
――――死が全編に匂うというのは、そういう様々な表現の積み重ねによるものが大きいと改めて感じました。最後に、同世代の子どもたちの中でタロウは絶叫しますが、そのシーンに込めた思いは?
大森:あの絶叫は、タロウが生まれ変わる時の産声だと思っています。社会的になるというより、タロウが新しい人間として生まれてこないだろうかと。そういうタロウの姿をもう少し見ていたい。この先どう生きていくのかを見ていたいと思ったのです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『タロウのバカ』(2019年 日本 119分) R15+
監督・脚本・編集:大森立嗣 
出演:YOSHI、菅田将暉、仲野太賀、奥野瑛太、豊田エリー、植田紗々、國村隼
2019年9月6日(金)~テアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都、9月13日(金)〜京都みなみ会館他全国ロードショー
公式サイト⇒http://www.taro-baka.jp/
(C) 2019 映画「タロウのバカ」製作委員会

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