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誰もがグレーゾーンの中で生きている。
『よこがお』深田晃司監督インタビュー
 
 前作の『海を駆ける』では全編インドネシアロケを敢行し、ディーン・フジオカや仲野太賀の新たな一面を引き出した深田晃司監督。『淵に立つ』で凄まじい演技をみせ、高い評価を得た筒井真理子を主演に迎え、ある事件をきっかけに加害者扱いをされ、全てを失う女の絶望とささやかな復讐、そして再生を描いた最新作『よこがお』が、2019年7月26日(金)~テアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都他全国ロードショーされる。
 
 終始張り詰めた雰囲気の中、美容師和道(池松壮亮)の前に現れるリサと、訪問看護先で基子(市川実日子)ら娘たちの勉強を教えてあげるほど信頼関係を深めている市子。同一人物だが真逆の境遇の二人が交互に描かれ、リサと名乗るようになった市子の企みや、結婚を目前に幸せだったはずの市子がなぜ全てを失ったのかが、じわりじわりと明かされていく。無実の加害者と言い切れない市子のグレーゾーンも描かれ、多面的な人物描写と、想像させる余白のある演出に、観終わった後、様々なことが頭の中を巡ることだろう。まさに登場人物の一挙一動から目が離せないサスペンスタッチのヒューマンドラマだ。本作の深田監督に、お話を伺った。
 

 

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■『淵に立つ』のプロデューサーと、「筒井真理子さんの主演で映画を作りたい」。

――――オリジナル脚本で、助演がメインのベテラン女優を主演に据える企画は、今の日本映画界では実現が難しいというイメージがありますが、企画から映画化までの経緯は?
深田:『淵に立つ』の時に声をかけてくれたプロデューサーと、また筒井真理子さんを主演で映画を作りたいという気持ちが一致し、企画を立ち上げました。KADOKAWAの方も筒井さんを主演にした映画に賛同してくれ、プロデューサーの尽力もあってトントンと話が進みましたね。日仏合作ですが、フランス側は役者としての技量を重視しているので、筒井さんのことを絶賛してくださり、スムーズに進みました。
 
 
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■努力家の筒井さんは、すごく信頼できる女優。

――――深田監督からみた筒井さんの魅力とは?
深田:すごく信頼できる女優です。天才的な演技センスや高い経験値、長年培った勘だけではなく、とにかく準備をして現場に臨まれる努力家なので、信頼感が生まれ、今回のように感情の振り幅の大きい役を安心して書けるのです。
筒井さんは、脚本の自分が演じるシーンにびっしりと書き込みをされていましたし、今回看護師を演じてもらいましたが、僕が訪問看護を取材する際も同行したり、筒井さんだけで訪問看護の現場を見学に行くこともありました。また、ある動物の動きをするシーンでは、専門のトレーナーに動きを教えてもらい、自宅で練習を積んだそうです。
 
――――深田監督が絶大な信頼を寄せていらっしゃるのがよく分かりました。『歓待』ではプロデューサーでもあった杉野希妃さんが主演を務めていましたが、今回筒井さんは脚本段階から関わったそうですね。
深田:全体のプロット(構成)ができた段階で、筒井さんに読んでもらい、ざっくばらんに感想や雑談を語り合いました。動物園で市川実日子さん演じる基子が市子に語った子どもの頃のエピソードは、筒井さんとの雑談の中で聞いたご自身の子ども時代の実体験から取り入れたりもしました。実際に脚本を書き始めてからは、こちらに任せていただきました。
 
――――本作では天使のような女から奔放な女、幸福な女から不幸な女 あらゆる状況を演じきった筒井さんですが、演じてみてどんな感想をお持ちになったのでしょうか?
深田:映画のほとんどのシーンに出演していますから、本当に体力的にも大変だったと思います。精神的に負荷の高い役を、器用にこなすのではなく、全力で向かってこられるので、試写会で初めて観た時は、「撮影の大変だったことを思い出しながら観て、疲れたわ」とおっしゃっていました(笑)。肌のハリや疲労具合にまで、細かな役作りもしっかりされていましたから。
 
 
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■私たちの生きている世界は、これだけ不確かで不安定なものという事実をベースに描く。

――――作品ごとに新しいことにチャレンジしておられますが、この作品のテーマは?
深田:映画というのはモチーフと監督の世界観から成り立っていると思っています。今回は筒井真理子をメインモチーフに、私たちの生きている世界はこれだけ不確かで不安定なものであるというポジティブでもネガティブでもないことを、今までの作品同様に描いたつもりです。『淵に立つ』では突然やってきた不審者によって家族が崩壊し、『海を駆ける』では自然災害に見舞われます。私たちは日常が変わりなく続くという期待を持って生きているけれど、日常は変わってしまうものであり、それこそが事実であるという世界観をベースに、物語ができていると感じますね。
 
――――リサが誘惑する美容師、和道を演じた池松壮亮さんは、深田監督作品初参加ですね。思わぬ気づきを与える存在でもありました。
深田:脚本段階で、和道はもう少しチャラく薄っぺらい若者。それ以上でもそれ以下でもない役にしていました。理由も分からないままリサのデートに巻き込まれていく展開を考えていたのです。それでは構成に厚みがないと思っていた時に、池松さんがキャスティングの候補に上がり、オファーさせていただきました。現場でも実年齢以上の落ち着きを感じる方で、池松さんに演じてもらったことで、和道がリサと対等に向き合う、大人のデートのシーンになりました。一方で、市川さんが演じる基子は若々しく、感情の幼さを持った役なので、いい対比になったと思っています。
 
 
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■一人の人間を多面的に見せる時間進行に。

――――ある思惑を腹に秘めて和道に接近するリサと並行して、リサと名乗る前の市子の穏やかな日常が映し出されます。悲劇へと向かう市子の運命が予想できるだけに、よりヒリヒリするサスペンス効果を高めていました。このような構成にした狙いは?
深田:『ブルージャスミン』(ウディ・アレン監督)のように、現代と過去が同時進行する物語にヒントを得た部分もありますし、チェコスロバキアの作家ミラン・クンデラの小説「冗談」の復讐の入れ子構造にもインスパイアされました。どうしても回想シーンを入れるとそこで物語が止まってしまうので、一人の人間を多面的に見せる時間の進行ができないかと考えた結果、二つの時間が同時進行で進み、最後に重なり合う構造になりました。
 
 
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■誰もがグレーゾーンの中で生きている。 

――――深田作品では主人公が不条理な目に遭う場面が度々描かれます。本作も加害者扱いされる市子は何もかもを奪われる不条理が描かれますが、一方、その状況に至るプロセスでは市子の潔白とは言い切れないグレーゾーンの行動も描かれ、観る者も立ち止まって考えさせられます。

 

深田:市子は「無実の加害者」とは言い切れないと思っています。基子に促されたとはいえ、真実を被害者家族や自分の家族に伝えなかったのは市子自身ですし、甥の辰男が幼い頃に性的トラウマになるかもしれないことをしてしまったことも事実です。市子自身は「辰男は覚えていない」と言いますが、被害者は往々にして覚えているものです。誰もが被害者、加害者で分けられるものではなく、グレーゾーンの中で生きている。そういう部分を映画でも描いていきました。そしてあくまでも三人称で語ることも大事にしました。
 
 
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■人が人を好きになること難しさを一番体現したキャラクター、基子。

――――グレーゾーンと言えば、基子の市子へ対する気持ちも単なる恋愛感情だけではなく、母親的愛情を求めているようでもあり、看護師という人生の目標をくれた憧れの存在とも映ります。映画の中でもキーとなる存在ですね。
深田:当初は市子と基子、道子という女性3人の運命が絡み合うような群像劇を考えていたのですが、筒井真理子さん主演の映画を撮りたいという思いから市子にフォーカスする形になっていきました。市川さんが演じる基子は、人が人を好きになることの難しさを一番体現しているキャラクターです。人が人を好きになればなるほど、誰もが孤独に生きている存在であることを実感します。市子も和道もそうですが、彼氏がいながら市子を好きになった基子はそれを際立たせています。
 
――――市子/リサの夢を映し出すシーンが意図的に挿入され、どれも非常に大きなインパクトを与えます。心象風景を鮮やかに映し出しているようにも見えましたが。
深田:僕の場合は映画で夢を描写しても、特別にぼやかしたような加工はせず、夢と現実を等価に描きたい。前半で社会性を失い動物の状態にまで剥き出しになったリサを夢の中で見せておけば、そのイメージは夢であっても観客にとっては映像の一片であって、観客の中ではずっと頭の片隅にその姿が残り続けます。その記憶はまだ市子が幸せな時のシークエンスにも影響を与えていく。それは映画におけるモンタージュの醍醐味ですね。
 
 
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■夢とも現実とも解釈できる湖のシーンは「一番自由に感じていただけるシーン」

――――突然、市子が青い髪をなびかせ、湖畔にいるシーンは現実離れしているけれど、ひたすら美しく、まさにフランス映画を見ているようでした。
深田:意図的に、夢でも現実でも解釈できるようなさじ加減にしています。脚本ではもう少しイメージを書き込んでいたのですが、編集で見直しました。彼女の人生のどこかで、あのような時間があったかもしれないと思ってもらうのも良し、市子の内面の世界と思ってもらうのも良し。一番自由に感じて頂いて構わないシーンです。
 
――――今回は見事な女優映画でしたが、筒井さん主演作はまだ続きそうですか?
深田:実は、筒井さんはコメディエンヌの面もあるのです。最近の岩松了さんの舞台「空ばかり見ていた」でも一番笑いをさらっていましたから。コメディエンヌの筒井さんを撮ってみたいですね。
 
――――筒井真理子さん主演のコメディ映画、期待しております。それでは、最後にこれからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
深田:筒井さん、池松さん、市川さんをはじめ、本当に隅から隅まで、いい俳優がたくさん出演しているので、ぜひ『よこがお』の俳優たちに会いに来てください。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『よこがお』(2019年 日本 111分) 
監督・脚本:深田晃司
出演:筒井真理子、市川実日子、池松壮亮、吹越満、須藤蓮、小川未祐他
公式サイト⇒https://yokogao-movie.jp/ 
(C) 2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

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見る人が自由に解釈し、「自分の映画だ」と思ってもらえる映画づくりを目指したい。
『僕はイエス様が嫌い』奥山大史監督インタビュー
 
 第66回サンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞した他、海外の映画祭で高い評価を得ている奥山大史監督の初長編作『僕はイエス様が嫌い』が、7月5日(金)~大阪ステーションシティシネマ、7月12日(金)〜シネ・リーブル神戸、8月17日(土)〜京都シネマほか全国順次公開される。
 
 東京から雪深いミッション系の小学校に転校した小学生のユラは、慣れない祖母の家から登校すると、初めての礼拝でちいさなイエス様と出会う。友達ができないときも、やっとカズマという友達ができたときも、ユラだけに見えるイエス様はひょっこり現れるが…。
 
 自身の体験を反映させ、奥山監督は21歳の青山学院大学在学中に本作を撮影。自身で脚本・編集・撮影も手掛けている。初監督作品でありながら、非常に客観的な視点で、少年ユラに起こる出来事やユラの心の動きを、セリフではなく、シンプルなショットの積み重ねで静かに、でも確実に観客に見せていく。誰でも子どもの頃に考えたことがある神様について、そして大事な人との別れについて、その記憶を思い起こさせてくれるような優しくも切ない作品。抑制された中でキラリと光る何かをたくさん感じることができる秀作だ。ユラを演じる佐藤結良の自然な演技にも注目したい。
 現在は大手広告会社に勤めながら映像系の仕事を手掛けている奥山大史監督に、映画に込めた狙いや、初監督作でチャレンジした点についてお話を伺った。
 

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■初めて宗教に触れる時の違和感を表現する「主の祈り」エピソード

―――キリスト教の小学校に転校してきたユラにとって、最初の衝撃的な体験はチャペルでのお祈りの時間です。そこで暗唱する主の祈りのエピソードが非常に大きな意味を持ちますね。
奥山: 主の祈りは、最初に宗教に触れた記憶として強く印象に残っています。僕自身、小さい頃にキリスト教の幼稚園へ転園したのですが、賛美歌は、聖書があれば譜面や歌詞が載っているので歌えるのですが、主の祈りはみんなが暗唱しているのに、自分だけその存在すら知らないことがすごく不思議に思えたのです。初めて宗教に触れる時の違和感を表すのに、一番いいと思い、映画に取り入れています。また、まだ主の祈りを覚えていない時は、皆が目をつむって暗唱している間、つい目を開けてソワソワしながら周りを見てしまうのですが、そういう時に小さいイエス様を見つけると面白いのではないか。そこからアイデアが浮かんだのです。
 
 
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■幅広い年代に楽しんでもらうために生まれた小さなイエス様、しゃべらないキャラクターの原点は、カートゥーンネットワークのアニメたち。

―――主人公ユラだけに見える小さいイエス様が色々な仕草をするのが意外性も相まってとても斬新かつユーモラスでしたが、企画当初からのアイデアですか?
奥山: 僕の小さい頃に亡くなってしまった親友に捧げる映画を作りたいという思いから始まった企画なので、小さなイエス様は想定していませんでした。ただ、企画を練り始めると、やはり重くなりすぎてしまい、一体誰が楽しめるのかと立ち止まって考えたのです。子どもから大人まで幅広い方に楽しんでいただける映画にするにはどうすればいいのかと悩んだ過程で、小さいイエス様というアイデアが生まれました。
 
―――イエス様がしゃべらないのも、サイレント映画っぽくていいですね。
奥山: 昔からケーブルテレビのカートゥーンネットワークで放送されていたアニメをよく観ていたのですが、ピンクパンサーやスヌーピー、トム&ジェリーなど、しゃべらないキャラクターが大事なポジションを務めている作品が好きでした。言葉で説明せずに、キャラクターの動きで色々なものを子どもの視点で映していく感じがとても好きなので、今回もユラの視点に合わせてカメラを回し、イエス様も全然しゃべらないようにしています。
 
 
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■電話の音一つでも映画の印象を変えることができる。

―――登場人物もセリフを最小限に抑え、絵で見せる演出が魅力的でしたが、その意図は?
奥山: 言葉では伝わりづらいものを、絵の流れで見せる方が伝わることもある。だから、なるべく状況を説明するのは、セリフではなく、絵や音でつけるようにしました。例えば電話の音一つでも、いくらでも映画の印象を変えることができるのです。最初にカズマからユラにかかってきた電話の音と、嫌な出来事でかかってきた電話の音とでは若干音を変えているんです。今回はそういう音一つ一つの調整をとても大事にしています。
 
僕は『家族ゲーム』が好きなのですが、あの映画もヘリコプターの音だとか、音がすごく良いのです。一回も音楽が流れなくて、「音楽ではなく、音で全てを説明する」という覚悟が見えて、そこもすごく素敵ですよね。それぐらいこの作品も言葉では説明しないように心がけました。
 
―――雪の世界が舞台であることも相まって、静かに、丹念に積み上げられた物語をそっと覗いているような、心がほっと暖かい気持ちになる仕上がりでした。
奥山: どうしても入社前に映画を撮りたいと思うと冬の時期しか時間を取れず、それなら折角だから雪を映したいということで雪の中での撮影に挑みました。撮影中は曇ったり吹雪いたりすることなく、天気に恵まれて本当にラッキーでした。また、最初の方に軽井沢の別荘でユラとカズマが遊ぶシーンを撮ったのが良かったですね。
 
―――映画の冒頭に登場する、障子に穴を開けるのが好きなユラのおじいちゃんも、実際には亡くなっていますが強烈な印象を残します。
奥山: この映画のファーストカットだったのですが、おじいさん役の二瓶鮫一さんと、どんな気持ちで(障子の穴から)覗くかとか、色々な話ができました。この映画を満足いくような形で完成させることができたはじまりだった気がしますね。どんな優秀な監督の現場でも、ファーストカットの直前は皆ピリッと緊張するのですが、そんな中で二瓶さんのような経験のある役者さんがすっと座って、粛々と芝居をしてくれることは、僕らのような自主映画の体制の中で、とてもいい効果を産んでくれたと思っています。
 
―――映画を作るにあたって、心がけた点は?
奥山: 主演者に15歳から25歳の年代は入れないことを、少し意識していました。その年代でお芝居を目指している人はギャラが低くても出演してくれますし、コミュニケーションも取りやすい。上手い役者さんもたくさんいるのですが、そんな方ばかりが出演することで、自主映画っぽさが増してしまうこともあります。身近な学生映画をたくさん見てきたから分かるのですが、あえてそこをしっかり外すと学生映画っぽさをなくせると思ったのです。もちろん子役を起用すると親御さんの交通費もかかりますし、撮影時間の制限もあるのですが、それに勝る映画的なものが撮れると思い、今回は挑んでいます。
 
 
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■子どもに寄りかかりすぎない、年相応のことをしてもらえる演出に。

―――なるほど、すごく納得する部分があります。幅広い年齢層にアプローチすることにもつながりますね。主演、ユラ役の佐藤結良さんについて教えてください。
奥山: 既に演技経験もある子役ですが、ワンテイクの後、「次はこうしてほしいんだけど」と指示を出しても、「うん」とニコッとしてもう一度始まるのを待っている感じでした。でもいざもう一度やると、完璧にこなしてくれる。かと思えば子どもらしいサッカーシーンもすっとやってくれますし、こちらの意図を汲んで芝居をしてくれるんです。撮影時は11歳だったのですが、もう少し大きくなると男の子は大きくなるし、声変わりもしてしまう。だから『誰も知らない』とか『リリイ・シュシュのすべて』など、一瞬の少年のその時代にしかない儚さを捉えたような映画は好きですね。
 
―――演技経験がありながらも、自然な演技で「演じている」ことを意識させないのが、物語のトーンに合って良かったです。
奥山: 子どものお芝居が良くない意味で気になってしまう映画もありますが、それは作っている側が子どもに頼りすぎてしまっている気がするのです。この映画でも頼っている部分はもちろんありますが、子どもに寄りかかりすぎないように、年相応のことをしてもらえるように調整していきました。最初は泣くシーンもあったのですが、撮影していくうちに泣かないことにすることもありました。背中だけでお芝居をすることができる子だったので、なるべく抑えた芝居で一貫させた方がいい。それで感情がふと触れてしまうことが最後に出てくればいいなと思って、演出しました。
 
 
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■食卓シーンの構図で浮かび上がる「おじいちゃんの不在」

―――他にも、ユラのご両親とおばあちゃんを囲んでの食卓シーンが度々登場し、友達ができたのか気になって仕方がない大人たちと、その中で少し居心地が悪そうなユラの姿が、子ども時代の食卓を思い出させてくれました。
奥山: 食卓のシーンの構図では、おじいちゃんの不在感を出せたらと思っていました。4人なので二人ずつ向かい合わせて座ればいいのに、なぜかユラが真ん中のお誕生日席で、おばあちゃんの隣の席が空いている違和感を出せないかなと。僕もおじいちゃんが先に亡くなったので、おばあちゃんの家に行くとおじいちゃんの座る椅子は誰も座らなかったんです。もういなくなってしまった人の椅子をなんとなく残しておく感じは、僕以外の誰か共感できる人がいるのではないかと思って、あえて説明することなく、取り入れています。
 
―――『僕はイエス様が嫌い』というタイトルもセンセーショナルですが、英題は『JESUS』とシンプルですね。
奥山: 僕は今、コピーライターでもありますが、『僕はイエス様が嫌い』というタイトル自身がコピーみたいですよね。タイトルのことで印象的だったのは、マカオの映画祭で中国人の方が非常に熱心に質問してくださり、それに答えた後、ふと気になってタイトルのことを聞いたことがあったんです。というのも、普通は英題を訳すのですが、中国はなぜか日本語タイトルをそのまま中国語訳にしていたので。その時の答えが「『僕はイエス様を信じない』なら嫌だけれど、嫌いになるぐらいイエス様を好きだったということが映画を見て伝わったので、『僕はイエス様が嫌い』でいいと思うし、自分もそう思うことがある」と言ってくださったんです。海外の映画祭で色々なお客さんの反応をいただいていますが、質問は出ても拒絶されることはなかったというのは、イエス様がユラの想像であり、都合の良い神様の象徴でしかないと受け取ってくださっているからだと思っています。
 
 
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■今いるところから死後の世界を覗き見るような行動を、映画全編で表してみる。

―――亡くなった親友に捧げる映画を作り上げた今、改めて思うことはありますか?
奥山: どこかで、友達が死んでしまったことが自分の中で整理できていなかったということに、気づきました。今も整理できたかどうかは分かりませんが、死んでしまったらどこに行くの?とか、なぜ死んでしまうのだろう?とか、なぜいつか死んでしまうことを皆知っているのに普段は忘れて生きることができるんだろう?と。誰もが考えることだと思いますが、僕の場合、早い時期に親友が死んでしまったことで、変に考え込んでしまった時期があり、どこかでそれを引きずっていたことを自覚できた気がします。
 
―――遅かれ早かれ誰もが体験することですが、奥山監督にとって映画を作るということが、自分の体験を捉えなおすきっかけになったのですね。
奥山: もう一つ、映画を撮る過程で思ったのは、死のことを考えるのが怖いから宗教があるのかなとか、自分では操作できないことを受け入れる文化ができたのかもしれないということ。何かを信じるというのはどういうことなのかも考えましたし、宗教とは何なのだろうと。ただ、子どもに「宗教とは?」を語らせる訳にはいかないので、今いるところから死後の世界を覗き見るようなことを、行動としてこの映画全編で表せないかと思い、車の中から外を見たり、踊り場から外を眺めたり、障子に穴を開けたりを繰り返し入れています。誰もが一度は経験したことがあることだと思いますので、映画を見て、何かを感じていただけたらうれしいですね。
 
 
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■見る人が自由に解釈し、「自分の映画だ」と思ってもらえる映画づくりを目指して。

―――ユラが親友のカズマを家に呼んで人生ゲームで遊んだり、ちょっと懐かしい昔あるあるのシーンも楽しかったですが、どんな層にみていただきたいですか?
奥山: 僕はできれば子どもに観ていただきたい、さらに言えば親子で観て、色々話してもらえればうれしいなと思いますし、ゆくゆく映画公開やDVD発売が落ち着いたら、学校の授業でも使ってもらえたらうれしいなと思いますね。
 
障子の先に何が見えたかとか、なぜサッカーの途中でユラが帰ってしまったのかとか、余白を少しずつ残していくことで観る人が自由に解釈し、自分の中で映画を完成させてもらえたら、きっと見た人が「自分の映画だ」と思ってもらえるのではないか。僕自身、映画を観てそう思いましたし、これから、そう思ってもらえる映画作りを目指していきたいです。
(江口由美)
 

 

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<作品情報>
『僕はイエス様が嫌い』(2019年 日本 76分)
監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
出演:佐藤結良、大熊理樹、チャド・マレーン、佐伯日菜子
2019年7月5日(金)~大阪ステーションシティシネマ、7月12日(金)〜シネ・リーブル神戸、8月17日(土)〜京都シネマほか全国順次公開
公式サイト: https://jesus-movie.com/
©2019 閉会宣言
 

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『兄消える』柳澤慎一インタビュー

(2019年5月20日(月)シネ・リーブル梅田にて)


「柳澤慎一さん:60年ぶりの主演作「これが遺作です」

「土屋貴子さん:生まれ育った信州上田の観光大使に」

 

映画俳優・柳澤慎一氏が60年ぶりに映画『兄消える』(西川信廣監督)に主演。御年87才、これが170作目。主演は『酔いどれ幽霊』(58年)以来。自ら「遺作です」と笑ったが「遺作にふさわしい映画」で、“らしい生きざま”を見せた。ホンマお達者!


信州上田を舞台にした兄弟の物語。弟(高橋長英)は父親の介護で結婚もせずコツコツと父親が残した鉄工場を継いで一人暮らしてきた。その父親が百歳で亡くなり、賑やかに葬儀を終えたあと、40年間行方知れずだった兄・金之助(柳澤慎一)がふらりと舞い戻ってきた。今ごろ突然、なんで? 今年80歳になるというのに娘ほど年の離れた女・樹里(土屋貴子)を連れて。「今晩から世話になる」と居候を始める。


anikieru-500-1.jpg兄は「金を借りに来て」父親と喧嘩になり、プイと出て行った。フィリピンで暮らしていたというが詳しいことは不明。一方、樹里の方も何者かに追われている様子。下町の地味な人情ドラマなのになぜか緊迫感が漂う。兄とあの女は一体何をして生きてきたのか、これから何をするのか?


柳澤さんは『ザ・マジックアワー』(08)出演以来、自ら「出入り口を閉ざし、シャッターを下ろした生活をしてきた」。この作品のオファーが来た時も「絶対断ろう、と思った」という。何しろ映画の主演は実に半世紀を超える60年ぶり。11年間、人間嫌いが高じて世捨て人だった柳澤さんには生半可な決断ではなかった。


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【 土屋貴子さん(左)と柳澤慎一さん 】

「大体、セリフを覚えるのも並大抵じゃない」  。それほどの拒絶反応を覆したのは西川信廣監督と、何十年も「柳澤さんで撮りたい」と思い続けてきた新田博邦プロデューサー(企画)の熱意のなせるワザだった。


「どういう構想を持っているか、説明に務めた」と新田プロデューサー。柳澤さんも「私にたどり着くまでが大変だっただろう」と同情する。当然のことと言えば失礼だが、このお年で五体満足な訳はない。「だけど“ヨーイ・スタート”がかかったらもう止めることは出来ない。監督やプロデューサー、スタッフに迷惑はかけられない。無茶すぎる、と思った」。だけど、プロデューサーの説明は理路整然していて、普通の活動屋とは違った。異色な方だな、と思った」。そんな思いで自ら決断した。それはまた、長い間映画の中で過ごしてきた俳優の業でもあっただろうか。


anikieru-500-4.jpg撮影は昨年末、約20日間。柳澤さんは足の付け根を負傷し「患部から細菌が入って歯も腫れた」と歯ぐきも見せてくれた。実際、静脈血栓と診断され、足を切断するかどうか、というところまで追い込まれたという。60年ぶりのチャレンジはまさしく命がけだった。立っているだけでも負担がかかる状態。考えたら、PRのためとは言え「よお大阪まで来れた」と感心する。まったく、冗談では済まない。


anikieru-500-3.jpg映画は、大ベテランらしく、心に染み入るようなシーンがふんだん。まじめ一筋の弟との会話などは両ベテランの真骨頂。ええ加減な兄貴と樹里がお腹を空かした子供と遭遇し「メシを食わせてやる」という場面は世間から見る“はぐれトリオ”の連帯シーン。謎だった樹里の失踪の理由は最後近くに明らかになるが、喫茶店で金之助がいない間に、何者かに連れさられる空白の一瞬。事態を知った金之助が「一人になった」時のぼう然とした表情に孤独感が滲み出た。この表情が60年のキャリアを感じさせた。


「何気ない表情に見えるが、考え尽くしたシーン」と新田プロデューサーは証言する。この業界、金之助みたいな生き方を実行する人もいた。「ちゃらんぽらんでいい加減なオヤジ、こんなやつはいやだな、と思ってもらえたら成功かな」。最近増えている少子高齢化もの。「兄消える」もその1本にちがいない。だが、明確に一線を画すのが主人公・金之助の何とも言えない軽妙さ、不思議な明かるさ。新田プロデューサーが長年待ち続けたのは、柳澤さん以外には出せない、この「軽妙な明るさ」だったに違いない。筆者が調子に乗って、「いい映画になったんですから、遺作なんて言わず、もう1本どないですか?」と言ったら、「いやいやもうできませんな」というご返答でした。

 

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兄・金之助と一緒に帰って来た謎の女・樹里を演じた土屋貴子(54)も柳澤さんに同行してPR。しっとりと落ち着いた作品の出来栄えに自信の笑顔を見せた。大ベテラン柳澤氏との共演は大変な刺激になったようで「柳澤さんは努力する姿を人前で見せない。そんなところは、私も将来そうなりたいと思う」。


映画の舞台になったのは長野県上田市。土屋の出身地で現在、信州上田の観光大使を務めている。「兄消える」は現地で「映画を連日満席にする会」が結成されるなどご当地らしい盛り上がりを見せている

 

(安永 五郎)


出演:柳澤愼一 高橋長英/土屋貴子/ 金内喜久夫 たかお鷹 原康義 坂口芳貞 / 新橋耐子/雪村いづみ(特別出演) 江守徹(特別出演)
監督:西川信廣 脚本:戌井昭人 音楽:池辺晋一郎
企画・製作:新田博邦 エグゼクティブ・プロデューサー:井上元文
撮影監督・編集:小美野昌史|助監督:平波亘|照明:淡路俊之|美術:橋本千春
仕上げ:荷田一隆|整音:松本能紀|音効:藤田昌宏|衣装:深野明美|メイク:渡辺祐子
スチール:谷川真紀子|協力プロデューサー:増田徳也|AP:春山智
協力:上田市|特別協力:文学座|企画・制作:ミューズ・プランニング
製作:「兄消える」製作委員会|配給:エレファントハウス、ミューズ・プランニング
©「兄消える」製作委員会
公式サイト: https://ani-kieru.net/

2019年5月31日(金)~テアトル梅田、6月1日(土)~京都シネマ、順次元町映画館、6月14日(金)~豊岡劇場 ほか全国順次公開

 

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伝説のフィギュアスケート男子金メダリストの栄光と孤独――

「『ボヘミアン・ラプソディ』がヒットしたように、
セクシュアリティの物語を社会が受け入れるようなったんだと思う」

スポーツにおける“男らしさ”とは何か


アイススケートを芸術の領域にまで昇華させた伝説の英国人スケーター、ジョン・カリーを捉えた映画『氷上の王、ジョン・カリー』が5月31日(金)より、新宿ピカデリー、東劇、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国公開となります。英・ガーディアン紙は「羽生結弦は、ジョン・カリーの優雅さと偉大さ思い出させる」と報道するなど、ジョン・カリーの華麗な演技は現在活躍する選手にも影響を与え続けています。


本作はアスリートとしてのカリーだけでなく、栄光の裏にあった深い孤独、自ら立ち上げたカンパニーでの新たな挑戦、そして彼を蝕んでゆく病魔AIDSとの闘いを、貴重なパフォーマンス映像と、本人、家族や友人、スケート関係者へのインタビューで明らかにしていきます。2020年に東京五輪をひかえ、ホモフォビア(同性愛者に対する偏見)や性差別、人種差別は今なおスポーツ界で問題となっています。


今回、ロードレーサーのマルコ・パンターニを追った映画『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』(2014)をはじめ、スポーツや芸術の感動の裏側に秘められた物語や社会・政治問題をテーマにしたドキュメンタリー作品を多く手掛けるジェイムス・エルスキン監督のインタビューをご紹介いたします。
 



【ジェイムス・エルスキン監督インタビュー】


iceking-Di-240.jpg──映画『氷上の王、ジョン・カリー』を作る以前、監督はジョン・カリーについて、どの程度ご存知だったのですか?

イギリスで彼は有名人ではあるけれど、活躍していたのが1970年代から80年代にかけてだから、僕の中では子供の頃の遠い記憶に埋もれていた。ある日、ガーディアン紙にジャーナリストのビル・ジョーンズによるジョン・カリーの伝記『Alone』の紹介記事が載っていて、彼がどれほど重要な人物か書いてあった。それで、すぐその本を読んで「すごい話だ」と思い、版元に電話をかけて映画化の権利について問い合わせた。それが始まりだった。


彼の演技をネットで5分見ただけでも感動したから、映画にしてもっと長い演技映像とともに、彼の人生を描けば多くの人の心に響くんじゃないかと、彼をもっと広く知らしめることができるんじゃないかと思ったんだ。


──1984年に国立代々木競技場の体育館で開催された「シンフォニー・オン・アイス」の映像も含まれていましたが、過去映像の調査には相当、時間がかかったそうですね。

まず、彼の全パフォーマンスのリストを作ったんだ。彼のショーをプロデュースした、それこそ世界中の人たちに連絡した。日本、スイス、スカンジナビア、イギリス、アメリカ……。それと、ジョンの兄のアンドリューが、3000枚近くもある膨大な写真を貸してくれた。

もう一つ、大きなカギになったのはジョンの手紙で、彼は偏執的なまでにほぼ毎日、誰かに宛てて手紙を書いていたんだ。彼の手書き文字を映像で使えたのと同時に、手紙は彼の声と心情を知る重要な情報源になった。

iceking-tokyo-500-1.jpg──この映画で深く掘り下げられているのは、「スポーツにおける男らしさとは何か」ということですね。プロスポーツの世界では、その手の話は今も曖昧な状態だと思いますか?

“曖昧”以上のものだと思うね。ホモフォビア(同性愛者に対する偏見)や性差別、人種差別というものは、スポーツの世界では今も大きな問題だよ。その中でもホモフォビアは関心が高い。アートの世界では、多少人と違っていても大丈夫だけど、スポーツの世界では一般的な慣習に従うことを強いられる。それに、芸術的な才能というのは大人になってから芽生えることが多いけど、スポーツの分野では、幼い頃からその道に進む傾向にあって、セクシュアリティについては、大人になるにつれて気付くようになるからね。

僕がすごく気になったのは、ジョンが自分を社会に受け入れてもらうことを目指していたことだった。それはこの映画の最大のテーマだ。実際、彼は受け入れられ、金メダルを獲得して、メトロポリタン歌劇場で2万人の観客を動員し、天才と呼ばれた。だけど、それでも彼は自分自身を認められないんだ。


iceking-500-1.jpg──日本でも映画『ボヘミアン・ラプソディ』(日本公開2018年11月)が大ヒットしましたが、エイズで早逝したイギリスの同時代アーティストを描いた映画が、時をほぼ同じくして公開されたことについてどう思いますか?

セクシュアリティの物語を社会が受け入れるようなったんだと思う。ドキュメンタリーに限らず、ドラマでも多くなってきてるよね。実話への関心が高まっていることが、僕には興味深い。映画は、ニュースを見るだけではできない感情移入が可能になる。たとえ自分が主人公とまったく異なる人種、ジェンダー・アイデンティティーだったとしても、映画はその人の身になって感じることができる。


──日本でも人気の高いスケーターのジョニー・ウィアーは劇中で「カリーが僕を創った。ありのままでいられる僕を」と語っています。彼が映画の冒頭と終盤に登場する理由は?

iceking-JW-240.jpgジョンは1970~80年代に活躍した過去のスケーターだから、映画にはジョンから影響を受けた現在のスケーターを出したいと考えた。ジョニー・ウィアーのこれまでの発言を調べてから連絡を取って、なぜジョン・カリーの映画を作りたいか、その理由を伝えたんだ。ジョンがアスリート兼アーティストとしてスケート界で成した功績は、世の人々の記憶にとどめておかれるべきことだとね。「ついては、ジョンが与えたインパクトについて、ぜひ映画の中で語ってほしい」とジョニーに頼んだ。彼もジョンと同じく、ゲイである自分を表現するために、権力組織と闘ってきたスケーターだからね。彼が練習しているスケートリンクがあるアメリカのデラウェアまで撮影しに行った。彼はとても協力的で、滑っているシーンとインタビューに半日も時間を割いてくれた。

これは何かを成し遂げ、その努力を目撃する世界の目を変えた人間の話なんだ。とてつもない功績だよ。映画の中には盛り込めなかったけど、ジョニー・ウィアーがインタビューでこう言った。「自分の足跡を残すことは、世界で最も大変なことだ」。カリーはそれを成し遂げ、偉大なアートを作り上げたんだ。


──他に現在のアイススケート界で監督が惹かれるスケーターはいますか?

例えば以前ガーディアン紙でも記事になっていた羽生結弦は、アスリートとして極めて優秀だし、アーティスティックな面でも卓越していると思う。天才スポーツ選手でも、ジョンや羽生選手のような、観客が単純に「すごい」と感心するだけじゃなくて、見ていて共感を覚えるような魅力を兼ね備えた選手はなかなかいない。


──今後どんなプロジェクトが控えていますか。

劇映画版のジョン・カリーのドラマが進行中で、脚本家がすでに決まった。彼の物語を別の視点から見せたいとずっと思っていた。というのも、彼の人生は別の方法で、別の観客に届けることができるはずだから。ジョンは魅力的だから、きっととんでもない映画になると思うよ。

 



【監督プロフィール】
ジェイムス・エルスキン James Erskine

英国生まれ。オックスフォード大学で法律を学んだ後、脚本家・映画監督に転身。BBCアーツで映像作りをスタートした。2001年にBBCで放送されたドキュメンタリー番組『Human Face』がエミー賞にノミネートされる。長編映画デビュー作となったサイコスリラー『EMR』(2004/ダニー・マカルーとの共同監督)で、レインダンス映画祭審査員賞やワシントンDCインディペンデント映画祭観客賞などを受賞。人気BBCドラマ『秘密情報部 トーチウッド』(2006)や『ロビン・フッド』(2007)では数話の監督を担当。2009年に映画制作会社ニューブラックフィルムズを設立。代表作は、1990年のワールドカップイタリア大会を描いた『One Night in Turin』(2010)、早逝したロードレーサーのマルコ・パンターニを追ったドキュメンタリー『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』(2014)、伝説的なクリケット選手サチン・テンドルカールを描いた『Sachin: A Billion Dreams』(2017)など。スポーツや芸術の感動の裏側に秘められた物語や社会・政治問題をテーマにしたドキュメンタリー作品を得意としている。
 



iceking-pos.jpg映画『氷上の王、ジョン・カリー』

監督:ジェイムス・エルスキン(『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』)
出演:ジョン・カリー、ディック・バトン、ロビン・カズンズ、ジョニー・ウィアー、イアン・ロレッロ
ナレーション:フレディ・フォックス(『パレードへようこそ』『キング・アーサー』)
(2018年/イギリス/89分/英語/DCP/16:9/原題:The Ice King)
字幕翻訳:牧野琴子
字幕監修・学術協力:町田樹
配給・宣伝:アップリンク

公式サイト http://www.uplink.co.jp/iceking/
公式twitter https://twitter.com/theicekingjp
公式facebook https://www.facebook.com/TheIceKingJP/

2019年5月31日(金)、新宿ピカデリー、東劇、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

(c) New Black Films Skating Limited 2018 / (c) 2018 Dogwoof 2018

 

 
 
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京都人の足として長年愛されている通称「嵐電」(京福電気鉄道嵐山本線)は、古くから映画撮影所が多く集まる地区を走り、溝口健二をはじめとする多くの映画人が愛用していたことでも知られる路面電車だ。その嵐電をモチーフに、京都に住む人、外から来た人の視点を織り交ぜながら、3つのラブストーリーを描いた映画『嵐電』が、5月24日(金)からテアトル新宿、京都シネマ、6月7日(金)からテアトル梅田他で全国順次公開される。
 
監督は『ゲゲゲの女房』(10)、『楽隊のうさぎ』(13)の鈴木卓爾。嵐電の街で妻・斗麻子(安部聡子)と体験した出来事を呼び覚ますため、京都に滞在するノンフィクション作家衛星(井浦新)、撮影のため京都を訪れた新進俳優、譜雨(金井浩人)と撮影所にランチを届ける近所のカフェ店員嘉子(大西礼芳)、嵐電オタクの子午線(石田健太)と彼に一目惚れした修学旅行生の南天(窪瀬環)らが、時には時空を超えて出会いや別れ、そして愛おしい感情を共有していく。夕子さん電車や深夜電車の都市伝説を交えながら、鈴木節満開の時空を超えたヒューマンドラマだ。世界初上映された大阪アジアン映画祭のオープニングでは、キャストが勢ぞろいし、満席の観客と大いに盛り上がった。
 
本作の鈴木卓爾監督、出演の井浦新さん、大西礼芳さん、金井浩人さんにお話を伺った。
 

 
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■京都に住み、その空気を吸いながら、大学のプロジェクトとつなげ、自分でプロデュース(鈴木)

―――京都で愛され続けてきた嵐電を題材にした映画ですが、制作のきっかけは?
鈴木: 2015年9月、オムロの西田宣善さんから「嵐電を題材にラブストーリーを撮ってほしい」と1枚の企画書を渡されたのがきっかけです。「嵐電の中で不思議な美女に出会った男は、謎の事件に巻き込まれていく…」という内容だったのですが、そこで僕はホセ・ルイス・ゲリンの『シルビアのいる街で』(07)を思い出しました。ストラスブールというトラムが走る街を舞台に、ある場所で出会った女の人をずっと探し求めている映画で、60分間全くストーリーはないのですが、絵でしっかりと見せきる映画でした。
 
2016年4月から京都造形芸術大学(以降京都造形大)准教授に就任したので、単身赴任で京都に住み、京都の空気を吸いながら、北白川派映画として京都造形大のプロジェクトとつなげたり、自分でプロデュースをするという方向で映画を制作することになりました。西田さんの父、西田智さんは、その昔、嵐電に乗車中に「あなたはいい顔をしているから、映画に出ませんか」とあの溝口健二監督にスカウトされたそうです。『武蔵野夫人』(51)や『新平家物語』(55)に出演されているし、西田(宣善)さんが初めて8ミリカメラを手にされた時は、まず嵐電を撮影しに行くぐらい、かなり長年の思い入れのある企画だったそうです。僕がシネマインパクトで撮った『ポッポー町の人々』(12)は、都営荒川線という単一車両で走っている電車の町を架空の町に見立てた群像劇なのですが、西田さんはその作品をご覧になり、依頼してくださったそうです。
 
―――あちらの世界とこちらの世界を行き来するアイデアは最初からあったのですか?
鈴木:私は素でやると、時制を無視してしまうタイプなので、監督補の浅利宏さんに撮影までの間、台本を通訳してもらったり、セリフの改変、シーンの書き足し等で分かりやすくしてもらいました。シャガールの絵のように時空を超えるような、「映画ってそういうものじゃないですか」ということを、他の映画監督はやらないですよね。今日は今日、明日は明日と時制どおりですし、回想は回想シーンとしてでしか登場しないということに私はどこか不自由を感じています。あまりにも遊ばなさすぎると感じてきました。テオ・アンゲロプロス監督はワンカットで10年をすっ飛ばしているじゃないかと思いますけれどね。
 
 
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■衛星は、『嵐電』の世界の中で出会い、すれ違う人をとにかく見つめている役回りとして、そこにいようと思った。(井浦)

―――井浦さんは、どのようにオファーが来たのですか?
井浦:監督が直接、僕の目をじっと見て、「僕の映画に出てください!」とおっしゃってくださったので、二つ返事で「はい!どんな役でもやります」と飛び込んでいきました。「電車の映画なんです」という誘い方もしてくださいました。僕は電車が好きで、乗り鉄、撮り鉄なので、大好きな電車の映画に携わり、その現場で過ごせるのはなんて幸せなんだろうと思いました。卓爾監督とは役者としても多数共演していますし、監督とまた新しく何かを探すことができるという気持ちもありました。
 
―――鎌倉からやってきたノンフィクションライターという役どころはいかがでしたか?
井浦:僕が演じた衛星は、あの世とこの世を行き来するので、難しかったですし、どう演じていこうかと考えました。衛星が映っているところは全部あの世かもしれない、というぐらいのテンションでいいのではないかと。『嵐電』の台本をいただき、文字を素直に読むことで想像させられる世界もあれば、また違う角度から見ると、全く違うところに飛んで行ってしまう。ワンシーンワンシーンで色々なことが起きています。撮影現場では、普通でないものがある中で、僕たちは芝居をさせていただきました。本当に想像させられる映画ですし、大きな軸として、各世代のラブストーリーがあります。監督も、本当に言いたいことを一番奥にしまい込みかつ、たくさんの人が楽しんでもらえるようにする。とてもチャレンジングな試みをされていることが台本から分かりましたので、衛星を演じるにあたり、難しいことはせず、しっかりとこの作品の核を握り続けたまま、何もしないでおこう。『嵐電』の世界の中で出会い、すれ違う人をとにかく見つめている。そういう役回りとして、そこにいようと思いました。
 
 
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■関西弁だと気持ちの動き方が全然違う。(大西)

―――大西さんは『MADE IN JAPAN〜こらッ!〜』(11)、『彌勒 MIROKU』(13)に続く北白川派作品への出演ですが、京都在住の嘉子役はいかがでしたか?
大西:卓爾監督の作品は初出演ですが、卒業制作展のゲストに呼んでいただき、映画のコメントをいただいたことがありました。「あのシーンの建物から出てきた大西さんの歩き方って、すごく素人っぽかったですよね」と言われて、素人っぽいってどういうことなんやろと考え始め、卓爾さんって何を考えてるんやろ、卓爾さんの演出する映画に出たいとずっと思っていました。今回、念願が叶ってうれしかったです。
鈴木:大西さんが人を見る時の目が、凄いなと思っていました。ちょっと人間じゃないような、「ん?漫画?異次元か?」みたいな感じで、早く撮りたいと思わせる目つきをされていた。そんな大西さんの起用をずっと狙っていました。
大西:今回は京都造形大に帰ってきたという感じではなく、鈴木組に参加するという気持ちで来ました。私は三重県出身で地元から出たことがなく、他の場所の空気や人と出会ったことがない人見知りだったのですが、そういう自分を思い出しながら演じました。大学で京都、仕事で東京に出て、いろいろな人に会い、仕事をする中で人との接し方がすごく変わってきたので、嘉子は今の自分とは違うけれど、昔の自分とは近いかもしれません。あとは関西弁だったので、標準語をしゃべっている時と気持ちの動き方が全然違う。今回は関西弁に助けられた部分もあると思います。
 
 

■今の若い俳優が持つ悩みを、役に投入した。(金井)

―――金井さんは俳優の卵、譜雨役で、劇中劇のシーンもありましたね。
金井:東京から来たそんなに有名じゃない俳優という役は、等身大の自分に近かったと思います。今の若い俳優が悩みがちなこと、今自分がどこにいて、これからどこにいくのかという悩みを僕も常に持っているので、そういうところを役に投入できればいいなと思いました。(だんだん嘉子のことが好きになっていく演技については)大西さん自身を好きになることから役にぶつかっていきました。
大西:嘉子と譜雨は最初とてもギクシャクしているのですが、そのギクシャクし具合も卓爾監督に結構細かく指導していただいたのを覚えています。譜雨の言葉尻を捉えて、「少しでも気に入らないことがあれば目を逸らすとか、そういうことするんですかねぇ」って。(笑)
鈴木:それは「目を逸らせ」ということですね(笑)今回、台本は本当に感情を抑えて書いているので、読んだだけではどう演じていいのかわからなかったと思います。俳優さんがどう見つけてくれるか、極力俳優さんに放り投げたかった。台本に書く抑揚の表現(?や!マーク)を止めると、どんどん演技が変わっていきますし、そこから映画にしかできないことが生まれたらいいなという思いがあったんです。
 
 
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■京都が小さな星、その周りをみんながグルグル動いて、電車が一回りしている。(大西)

―――3組の男女の話が描かれますが、それぞれ、結局どうなったのだろうかという想像を掻き立てますね。
大西:演じている時は思わなかったけれど、京都が小さな星で、その周りをみんながグルグル動いて、電車が一回りする気がします。
井浦:『嵐電』の世界自体が銀河ですよね。珈琲屋さんの名前が「銀河」ですし、若者たちが、全てのシーンで巡りながらセリフを話すんです。登場人物の名前もそれを想像させるものがポンポンと置かれていますし、星々の話、神話だなと思いました。
鈴木:京都が舞台ですし、「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」を通過してくる嵐電を相手にしなくてはならないわけですから、登場人物も星の守りを受け、風水的にも良いものをと「北門南天」や「有村子午線」、「川口明輝尾」という名前を付けました。それでようやく俺、頑張れるなと思いましたね。
 
 
 

■嵐電は、『風の谷のナウシカ』王蟲のイメージ。生き物のように撮りたかった。(鈴木)

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―――嵐電があらゆるシーンで登場するだけでなく、踏切音やレールを通過する音など、嵐電の気配を常に感じさせました。どのようにサウンドデザインをされたのですか?
鈴木:今回の録音は京都造形で録音技術を教えてこられた中山隆匡さんにお願いしました。嵐電は一両一両違う車両が、毎日走っていて、撮影では「この日のこの場面を撮るので、この車両が走ってくれるとありがたいです」という感じで京福電鉄さんにお願いをし、全て運行通りの中で、僕たちは準備してヨーイドンで撮影しました。それでNGが出ると、同じ方角からその電車が来るのを1時間待つことになるので、全員で集中力を高めて臨んでいました。嵐電の鉄の軋む音やブレーキ音は、トラムが新しくなったらそうは聞こえなくなるような音を、今でも京都の街で響かせて走っている。例えば西院駅では踏切遮断機がないのに、「チン、チン、チン、チン」と100年前ぐらいから使われている鐘が踏切の役割として今も現役で鳴っています。そういう音はこの映画の命です。
 
あと電車映画ではありますが、「電車映画だ」と思って撮らない方がいいのではないか。最初は『風の谷のナウシカ』の腐海にゴツゴツ突然現れては消えていく巨大な王蟲のイメージで嵐電を撮れたら最高だなと思ったのです。腐海の向こうで一匹だけナウシカを迎えに来る王蟲が僕には嵐電に見えて、あの作品は路面電車の映画だと思っています(笑)
 
もう一つ、嵐電の映画を撮るということは、いろいろな路面電車映画の記憶がベースになります。F・W・ムルナウの『サンライズ』(27)、アキ・カウリスマキの『浮き雲』(66)、それからバフティヤル・フドイナザーロフの『少年、機関車に乗る』(91)というとんでもない傑作もあります。常に人間と電車が近いし、家並みも近かったり、アヒルが横切ることもある。さすがに線路をまたいで撮影はできませんが、実際にできる中から嵐電を撮ろうとした時、音に関しては嵐電を生き物のように撮りたいという考えで作っています。
 
 
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■北白川派の映画現場に入ると、自分の演技が「清められる」感じがする。(井浦)

―――今回の現場は京都造形大の学生キャスト、スタッフが多数携わっていますが、プロの役者として井浦さんは何かアドバイスなどをされたのですか?
井浦:生徒さんたちを育てているのは先生で、監督の鈴木卓爾さんですから、僕は双方の関係を一歩引いて見ていました。これから映画のプロ、俳優のプロを志す人たちが集まる現場から、正直言えば、僕も勉強しに来ている部分がありました。
 
実際、こちらが意識しなくても、現場で僕が「おはようございます」と入り、帰る瞬間まで、学生の皆さんは俳優がどのように現場に入るか、スタッフとどのような関わり方をして一緒に映画を作っていくのか等を見ているはずです。僕は今まで先輩方から現場で学んできたことを、何も変わらずにやる。逆に学生たちとやっているからといって、変えてはいけません。いつもの現場と同じように僕が鈴木組でやっていることを、知りたい人が自由に知る。監督と共演者とスタッフが皆で映画を作っていく中で、そういうことが自然にあればいいなと思います。
 
後は、北白川派の映画現場にいると、芝居が「洗濯される」感覚があります。今まで色々なことを学び、こびり付いてきたものが、一度北白川派の現場に入ると清められる。真っ白になるわけではありませんが、真っ白い人たちが周りにたくさんいるので、「こんな芝居ができてよかったな」とか「子午線には敵わないな」とか、いいなと思う人たちがたくさんいる中で、芝居をさせていただいたのが、すごく良かったです。
 
 
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■嵐電そのものが、きっと映画。(井浦)

―――最後に、嵐電の思い出について教えてください。
井浦:路面電車と鉄道の違いは、鉄道は速いので車窓の風景を楽しむ時、どんどん流れてしまう。山が綺麗だとか、全体の風景をみる訳ですが、路面電車の場合、窓ガラスがスクリーンのようになって、例えば洗濯物が見えたり、住人の喧嘩が見えたりする。速度がゆっくりで隣との距離が近いので、物語の中を通過している気がします。嵐電そのものが、きっと映画なのです。嵐電の中でも窓ガラスの向こう側でも、映画のような瞬間がたくさんある。そんな気がします。
 
(江口由美)

 
<作品情報>
『嵐電』(2019年 日本 114分)
監督・脚本・プロデューサー:鈴木卓爾  音楽:あがた森魚
出演:井浦新、大西礼芳、安部聡子、金井浩人他
2019年5月24日(金)~テアトル新宿、京都シネマ、6月7日(金)~テアトル梅田、6月中旬〜シネ・リーブル神戸他全国順次公開
公式サイト:http://www.randen-movie.com/
© Migrant Birds / Omuro / Kyoto University of Art and Design

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(2019年4月24日(水)リーガ・ロイヤルホテルにて)



「倍賞千恵子&藤竜也+星由里子」豪華俳優映画初共演!

シニア世代に贈る、滑稽なほど不器用な“昭和の夫婦”の愛情物語

 

昭和の高度成長期を猛烈社員・仕事人間として生き抜いてきた夫と、家庭を守ることで夫を支えてきた妻。夫は家に帰っても「風呂」「飯」「寝る」としか言わず、家のことは妻に任せっきりで、妻の話に耳を傾けることもない。だが、子供も巣立ち、夫婦二人だけの生活になってくると、それまで耐えてきたことが苦痛になってくる。本作は、そんなシニア世代の夫婦のひずみによって巻き起こる騒動をコミカルに描きながら、新たな夫婦の在り様をしみじみと感じさせてくれるラブストーリーである。


hatukoi-550-2.jpg結婚50年の70代夫婦に訪れた危機をめぐる物語に、世代を超えて共感するところも多い。メガホンをとったのは、大阪十三を舞台にした映画『かぞくのひけつ』(‘06)で監督デビューを飾った小林聖太郎監督。5月10日(金)の公開を前に、「若い世代にも新たな夫婦像を見出してほしい」という小林監督にお話を伺った。
 



国民的映画『男はつらいよ』シリーズ、“寅さんの妹・さくら”でお馴染みの倍賞千恵子が久しぶりの映画主演で、藤竜也演じる亭主関白の夫・勝にかいがいしく尽くす妻の有喜子を愛らしく演じている。編み物しながら韓流ドラマ見て、愛猫のチビとお喋りするのが一番の楽しみ。ところが、ある日チビが居なくなったことで、長年連れ添った夫との関係にヒビが入る。意外にも映画初共演という二人は自宅がご近所という親しい間柄だが、撮影中はヒビの入った夫婦らしく距離を置いていたという。


――お二人の役作りについて?
実際の倍賞さんも藤さんも77歳とは思えないほどお若い。そのため、藤さんは角刈りに、倍賞さんにも役柄に合わせてメイクアップではなくダウンしています。

藤さんは初め脚本を読んだ時に「今どき、こんな人居ないんじゃないの?」と思って地元の友人たちに聞いて回ったら、「いやいや、もっと酷い夫もいるよ!」といっぱい具体例を聞かされて驚いたそうです。倍賞さんとは、私的すぎて取材では言えないような夫婦や男女のことについていろいろお話しました。


hatukoi-500-2.jpg――「倍賞さんが可愛らしすぎてつい優しくしてしまって、監督にNG出された」と藤竜也さんが仰ってましたが?
はい。優しくなった時、それから逆に、勝が不器用を通り越して無神経になったと感じた時に、その都度、少しずつ修正しながら演出しました。加減を見極めるのも監督の仕事ですから。


――作品のどこに重点をおいたのですか?
言葉のコミュニケーションが大事だ、ということでしょうか。有喜子が、「私がどんな思いをしてきたか、お父さんわかりますか!」というセリフがありますが、ずっと我慢してきているので、実はネガティブなことをあまり夫に言ってないのです。自分で抑え込まずに、もっとイヤなことはイヤとお互い言えるようだったら、危機は回避できたんじゃないかな、とも思います。


hatukoi-500-6.jpg――『若大将』シリーズの星由里子さんが、夫・勝が密かに会う女・志津子の役で出演されていますね?
映画ファンにとっては何とも豪華な顔ぶれでしょう。撮影終了2か月後の星由里子さんの訃報に本当に驚きました。撮影中はまったく不調を感じさせず、打ち上げに風邪をひいて出席できないというお電話を頂いたのが最後でした。

――勝の話に無邪気に笑って耳を傾けていたお姿がとても印象的でしたね。
       西炯子原作の同名漫画は30代女性にも人気がありますが、その世代を意識しましたか?

特にその世代に向けた何かを意識してはいませんが、有喜子さんと世代は違っても彼女の孤独には共感できるんじゃないでしょうか。あるいは共感ではなく、そんな母親にいら立ちを覚えている末娘・菜穂子(市川実日子)に気持ちを乗せられるかなと思っています。

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「この映画をどういう風に見てもらえるかな」と脚本の段階でぼんやりと考えていたのですが、長期間パートナーシップを維持してきた人、特に女性に最も共感してもらえる映画になるだろうと思いました。そして、男性優位社会や家父長制に少なからぬ違和感を持ってきた人たち。人は所属する組織や血縁・家族などに縛られず、自分のしたいようにすることを認められるべきだ、というようなことを、そう思っていてもなかなか表明できない人たちに届けて、その背中を押すことにつながればいいな、と。もちろんそんなことは全く思わず、ただ良かったわ、とか、猫可愛かったわ、と思ってもらえれば充分ではありますが……。


――今の若い世代の男性は家事を手伝うことにあまり抵抗がないようですが?
「手伝う」というのは他人ごとのようでおかしいと思います。普通に家事を分担してやっているだけです。家事をしない世の夫たちを再教育するためにもこの映画を観てもらって、「そのままやと、こんな未来が待ってるよ~!」と警鐘を鳴らせればいいかな?(笑)


hatukoi-500-1.jpg――猫が拠り所という、お茶の間の造形は?
プロフェッショナルなスタッフが脚本を頼りに美術や小道具なども頑張ってくれました。中でも、初仕事が『男はつらいよ』シリーズだった装飾の高橋光さんは、「倍賞さんとまた一緒に仕事ができる!」と、とても丁寧に作って下さいました。「編み物が好き」を軸にして、どういう年月を経て生活してきたかを、そこに座ればその人たちの生活が見えてくる、そんな家庭的な雰囲気もよく出ていたと思います。


――シニア世代を題材にした映画が増えてきたことについて?
増えているという実感はあまりないですが、もしそうだとすると、悪いことではないと思います。少なくとも高校生の色恋モノしかないよりは。他の映画がどうであるかはともかく、『チビ』は、初めに準備稿を読んだ時から名前の通り小さいけれども可愛らしい話になるのではないかなと思いました。これからも特に世代に拘らずに作品を撮っていきたいと思っています。いろんな世代の方にこの映画を観て語り合って頂ければ嬉しいです。
 



【小林聖太郎監督 プロフィール】
 1971 年 3 月 3 日生まれ、大阪府出身。大学卒業後、ジャーナリスト今井一の助手を経て、映画監督・原一男主宰「CINEMA 塾」に第一期生として参加。原一男のほか、中江裕司、行定勲、井筒和幸など多くの監督のもとで助監督として経験を積み、06 年『かぞくのひけつ』で監督デビュー。同作で第 47 回日本映画監督協会新人賞、新藤兼人賞を受賞。11 年公開の『毎日かあさん』では第 14 回上海国際映画祭アジア新人賞部門で作品賞を受賞した。その他の監督作は『マエストロ!」(15)、『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(17)など。

 



◆出演:倍賞千恵子、藤 竜也、市川実日子、星由里子、佐藤流司
◆監督:小林聖太郎
◆原作:西炯子「お父さん、チビがいなくなりました」(小学館フラワーコミックα刊)
◆脚本:本調有香   
◆配給:クロックワークス 
◆© 2019 西炯子・小学館/「お父さん、チビがいなくなりました」製作委員会

シネルフレ作品紹介⇒ こちら
公式サイト:http://chibi-movie.com/

2019年5月10日(金)~梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー



(河田 真喜子)

 

 
 
 

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​凄惨な児童虐待事件が頻発している昨今、社会情勢を喚起させる映画


『こどもしょくどう』

・原作・脚本:足立 紳
・監督:日向寺太郎
・出演:藤本哉汰、鈴木梨央、浅川 蓮、吉川 凜、常盤孝子、吉岡秀隆
2019年4月5日(金)~テアトル梅田、4月12日(金)~神戸国際松竹、4月20日(土)~京都シネマ
公式サイト⇒ https://kodomoshokudo.pal-ep.com/
・(C)2018「こどもしょくどう」製作委員会

 

トシのせいか、社会事件には鈍感になりつつあるが、この虐待オヤジの所業には震えがきた。到底許せるものではない。こんな絶望的な状況の中、映画はかつてのように、すさんだ社会情勢に一石を投じることが出来るか、興味深い。


kodomoshokudou-500-3.jpg映画「こどもしょくどう」は、一見豊かに見える日本の社会をえぐって見せる。小学5年生の高野ユウト(藤本哉汰)は食堂を営む両親(吉岡秀隆、常盤貴子)や妹と穏やかに暮らしていた。その一方、ユウトの幼なじみのタカシは育児放棄の家庭でユウトも両親もタカシを心配し、夕食を振る舞っていた。


ある日、ユウトとタカシは河原で父親と車中生活をしている姉妹に出会い、かわいそうな姉妹の姿にユウトは両親に「2人にも食事を出してほしい」と頼む。妹は「温かいごはん」を素直に喜ぶが、姉のミチル(鈴木梨央)は他人を拒否しているように見えた…。


kodomoshokudou-500-1.jpgユウト少年は先頭に立っていじめ組を止めたりしない。さほど目立つことなく、両親の食堂で食事を振る舞う。さりげない行為にユウト少年の「精一杯」が見える。彼はヒーローにはほど遠い“フツーの子”どもだった。


車中生活をする姉妹の父親があるときからいなくなり、2人の“棲み家”の車が不良少年たちに破壊される。2人は住む場所を奪われ、行き場所もなくしてしまう…。ユウトたちはもはや為すすべもなかった。


kodomoshokudou-di-1.jpg2008年作品「火垂るの墓」で知られる日向寺監督は映画は「二つの流れで描きたかった。ひとつは“子供の視点”、もうひとつはこどもしょくどうが出来るまでの“いい大人たち”の話。面白い話ではない」という。


監督は「背景には社会や世間の無関心がある」と指摘する。さらに「大人と子どもは合わせ鏡。両親もユウトのように決断出来るものでない。“社会”に共同体がなくなっている時代。虐待行為を止める親やご近所もいない。虐待を止めることが出来なくなっている土壌がある」。


殺人にまで及んだ虐待オヤジに比べたらこの映画は“まだまし”に見える。父親不在でも、オンボロ車でも住む場所があるだけでもいいかも知れない。だが保護責任者が「責任を放棄する」という大人の無責任に大差はなく、同じ最悪の結果になってもおかしくない。


kodomoshokudou-pos.jpg「おなかをすかせているこどもに食事を与える」実に基本的、素朴で人間的な心が、ひとつの運動に結びつきつつある。こどもの貧困対策として注目を集めている「こども食堂」。12年初夏から始まり、昨年には2300か所を超え、さらに広がひつつあるという。


食堂は、食材は寄付、調理は地域ボランティア。無料または数百円で食事を提供する。このネットワークにはいくつもの食堂が登録され食材や寄付金、ボランティアの情報が集まり、社会運動の頼もしいトレンドになっている、という。


映画はこの運動よりやや遅れて企画されたが、満開の時期に合わせたように全国公開される。激しい叫び声や抗議行動よりも、おなかをすかせた子どもたちの空腹感が画面に漲る映画。時の権力者の“虐待防止”の法案以上に、多くの人の心を揺り動かすかも知れない。 


(安永 五郎)

 

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上の写真、前列左から、
①眞田 康平(さなだ こうへい)   (34)  『サヨナラ家族』 
②板橋 基之(いたばし もとゆき)  (42)  『くもろ ときどき 晴れ』
③川上 信也(かわかみ しんや)   (42)  『最後の審判』

後列左から、
④山元  環(やまもと かん)        (25) 『うちうちの面達(つらたち)は。』
⑤岡本 未樹子(おかもと みきこ)(34) 『はずれ家族のサーヤ』


【5本まとめて大阪での上映会のお知らせ】

■日時: 3月16日(土)~3月21日(木・祝) 連日:18:00~
■劇場:シネ・リーブル梅田
■入場料金:(5本まとめて)一般¥1,200円、学生・シニア¥1,000円 *全席指定

◆3月16日(土)/ndjc2018参加監督5人による初日舞台挨拶予定
詳細はこちらをご覧ください⇒ 
一般上映会2018
※登壇者は変更になる場合がございます。あらかじめご了承ください。

(2018年/カラー/スコープサイズ/©2018 VIPO)
★公式サイト⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/



《ndjc:若手映画作家育成プロジェクト》とは? 


次世代を担う長編映画監督の発掘と育成を目的とした《ndjc:若手映画作家育成プロジェクト》は、文化庁からNPO法人 映像産業振興機構(略称:VIPO)が委託を受けて2006年からスタート。今回も、学校や映画祭や映像関連団体などから推薦された中から5人の監督が厳選され、最終課題である35ミリフィルムでの短編映画(約30分)に挑戦。日本映画の行く末を担う新たな才能を発掘する企画である


このプロジェクトからは、『湯を沸かすほどの熱い愛』で数々の賞に輝いた中野量太監督や、『トイレのピエタ』の松永大司監督、『ちょき』の金井純一監督、『話す犬を、放す』の熊谷まどか監督、さらに『嘘を愛する女』の中江和仁監督や、『パパはわるものチャンピオン』の藤村享平監督、『花は咲く』『ANIMAを撃て!』などオリジナル脚本で活躍中の堀江貴大監督などを輩出している。


今回もオリジナル脚本で挑んだ5人の監督作品が一挙に上映されることになり、公開を前に5人の監督の映画製作への意気込みをきいてみました。以下は、それぞれの作品紹介と会見でのコメントを紹介しています。

 


★①『サヨナラ家族』

(2019年/カラー/スコープサイズ/30分/©2019 VIPO)
〇監督:眞田 康平(SANADA KOHEI)

作家推薦:東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻
制作プロダクション:スタジオブルー
出演:石田法嗣、根岸季衣、村田唯、土居志央梨、佐野和宏、斎藤洋介

【作品紹介】
ndjc2018-saraba.jpgあらすじ:洋平は、一年前に目の前で突然死んでしまった父の死をいまだに受け止められずにいる。時折、目の前の人物が別の場面で別行動をとるという不思議な現象が見える。妊娠中の妻を残して一周忌のため帰省するが、実家の母と妹は意外なほど冷静に父の死を受け止めていた。それが洋平にはどうしても納得できない。困惑する洋平の前に、またもや不思議な現象が見え始める。


〇感想:洋平が見る不思議な現象とは、現実を受け止められない心の乖離が生む幻影なのか。分裂気味の洋平に対し、母親を演じた根岸季衣のチャキチャキぶりが陰影を際立たせて印象深い。ワンカットで捉えた違う場面の映像も面白い。死を受け入れられない思いは、亡くなった人との関係性にもよるだろうが、亡くなり方の衝撃にもよるだろう。見る者も自らの思い出と重ねて共感することができる。最後には失った命と新たな命の誕生との対比が希望を感じさせ、繊細な作風が印象的。

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【監督コメント】
3年前に父を亡くした実体験に基づいている。母と弟はそれぞれ父の死を受け止めているのに、自分はどうだろう?冷静な自分とそうでない自分、自分の中に二人の自分が存在し、ふとした瞬間に別な自分が見える。父が亡くなった時、自分の半身も死んでしまったような喪失感があった。その感覚を大事にしたいと思って、映画に活かした。怖がらせる映画ではないので、同一空間に人物が見えるよう合成とボディダブルの手法を使って撮った。

今までCMを作ってきて、クライアントの要望を重視するが、映画は自分の描く方向性にこだわって作れる。プロデューサーからうまく折り合いをつけることも重要だと言われることもあるが、映画をやる以上は自分の考えを責任をもって通したいと思う。


◎眞田康平監督の作品の詳細はコチラ ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4251/
 


★②『くもり ときどき 晴れ』

(2019年/カラー/ビスタサイズ/30分/©2019 VIPO)
〇監督:板橋 基之(ITABASHI MOTOYUKI)

作家推薦:ショートショートフィルムフェスティバル&アジア
制作プロダクション:ブースタープロジェクト
出演:MEGUMI、浅田美代子、水橋研二、有福正志


【作品紹介】       
ndjc2018-kumori.jpgあらすじ:母親と暮らすキャリアウーマンの晴子の元に一通の手紙が届く。それは25年前に両親が離婚して以来消息不明となっている父親の生活保護扶養照会だった。兄の元にも同じ通知が届いていたが、父親に可愛がられていた晴子が動かざるを得なくなる。そして、25年ぶりに入院中の父親に会いに行くと、認知症もあって娘という認識もできないような状態になっていた。それでも晴子は家族の中で一人父親のことを思い揺れ動く。


〇感想:仕事もよくできるしっかり者の晴子だが、いつも浅田美代子演じる母親に「家に帰って美味しいものでも食べよう!」と励まされるところが可愛い。外で様々な目に遭っても、食卓にはいつも美味しい食事が用意されている、なんて幸せなことだろう。だからこそ、晴子は「設計図通りに」生きられなかった不器用な性格の父親を見捨てられなかったのだろう。面倒くさいけど、家族の絆はそう簡単には断ち切れないもの。「街を歩いているとね、お父さんに似た人を見ちゃうの。どうか元気でいて下さいって、なんか思っちゃうの。」という晴子の言葉に思わず胸が熱くなった。晴子の優しさが滲むセリフだ。


ndjc2018-itabashi-240.jpg【監督コメント】
晴子も母も兄も、それぞれの考えがあって生きている。どんな家族でも形は様々で、家族の中のズレ感を描きたかった。家族だからこそ感じるやるせなさを描きたかった。和風の顔のイメージを希望していたらMEGUMIさんを推薦され、先に主人公から決まっていった。今までの尖った役とは違い、優しい雰囲気の役を演じてもらって新鮮だった。

僕にとって映画は精神安定剤。映画は撮影していてとても楽しい。もっと短編映画にも注目してもらって、ジャンルとして確立してほしい。


◎板橋基之監督の作品の詳細はコチラ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4257/
 


 ★③『最後の審判』

(2019年/カラー/ビスタサイズ/29分/©2019 VIPO)
〇監督:川上 信也(KAWAKAMI SHINYA)

作家推薦:シナリオ・センター
制作プロダクション:ジャンゴフィルム
出演:須藤蓮、永瀬未留、黒沢あすか、荒谷清水

【作品紹介】
ndjc2018-saigono.jpgあらすじ:“画家”を目指して東京美術大学の受験に挑んで5年目となる稲葉は、既に大学4回生の弟やバイト先のおじさんに「いい加減諦めろ!」と言われながらも、どこか芸術家気取りの自意識過剰なところがある。今年で最後の挑戦と決めていたが、試験会場に遅れて入って来た初音の大胆な画力に圧倒され、自分のペースを狂わされてしまう。初音の非凡さに興味を持った稲葉はその秘訣を探ろうと、初音と共に商店街で似顔絵描きに挑戦。生きた人々を活写する初めての体験に、次第に描くことの楽しさを感じていく…。


〇感想:誰しも自分自身のことは見えないものだ。他人に嫌味を言われても気付けず、自分の傲慢さにも気付かない。そんな主人公に降りかかる真実の矢は、見ているこちらにもグサグサと突き刺さる。川上監督自身の経験を反映しているようだが、決して他人ごとではない。自分の真の姿(才能)を知った時の愕然たる思いや、求める何かの手応えを感じた時の歓びは、ラストの爽快感へとつながっていく。人間の本質を捉えようとする川上監督の人物描写は、自虐的であると同時に、虚飾が剥がれ落ちた後の真実を表現しているように思える。近年の日本映画に欠ける鋭利な作品を作っていってほしいものだ。


ndjc2018-kawakami-240.jpg【監督コメント】
自分の人生を基にエンタテイメントにまとめている。皆が受験や入社試験などで上手くいかなくて挫折した経験や、美大受験というあまり見たことがない世界の特殊性が合わさった時に面白くなるのでは思った。天才にもいろいろあると思うが、それに対する憧れや嫉妬心を、主人公の目線で語らせ、引いては見ている人の目線と重なるようにした。主人公が天才的な少女と出会って描くことの楽しさを感じるようになって、傲慢な心が氷解していく。「素直にものを伝えることが一番素晴らしく大事なこと」だと思ったことをベースにして映画を撮った。

今までCMなどのビジュアル製作に関わってきたが、小学校の頃から映画は作りたいと思ってきたので、このような機会に恵まれて嬉しい。映画は製作の流儀が違う。いろんな人にお金を払って観て頂くための作品でもあり商品でもある。映画は混じりっ気のない本物だと思う。重要な主人公二人はオーディションで選んだ。俳優が持つキャラクターを活かすようにした。

『未知との遭遇』を小学校の頃に観て、家族や人間がとても丁寧に描かれていて、そこにスペクタクルな要素を盛り込んでエンタテインメントとして完成している。どんな作品にも人を描くことの重要性を感じた。

◎川上信也監督の作品の詳細はコチラ ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4253/
 


★④『うちうちの(つら)(たち)は。』

(2019年/カラー/ビスタサイズ/28分/©2019 VIPO)
〇監督:山元 環(YAMAMOTO KAN)

作家推薦:PFF
作プロダクション:シネムーブ
出演:田中奏生、田口浩正、濱田マリ、小川未祐、山元駿


【作品紹介】
ndjc2018-uchiuchino.jpgあらすじ:二週間前、ママは夫婦喧嘩が原因で姿を消してしまった。ところが、家の屋根裏部屋に潜んで、家族が出かけると天井からトイレに降り立ち家事をこなしている。そのことを知っているのは13歳の浩次朗だけ。一番早く帰ってきてはママと過ごす日々を送っていた。ある日姉の志保が家庭教師を連れてきて危ない目に遭いそうになるが、ママの機転で撃退してしまう。また、ママのことを探そうともしないパパは仕事にばかり熱中。一体いつまでママの“かくれんぼ作戦”は続くのだろうか…。


〇感想:祖父が建てたという家が大きなモチーフになっている。同じ家の中に隠れ住んでいても気付かない存在。そう、関心を持っていなければ気付かないことは多い。バラバラだった家族が、ママの失踪と家の中の異変で次第に共鳴していく過程が面白い。書斎のように広くて明るいトイレやインテリアなど各所でセンスの良さが光る。テンポのいいワンシチュエーション・コメディも、強烈な個性の濱田マリの牽引力が活かされている。


ndjc2018-yamamoto-240.jpg【監督コメント】
家族の形態や普遍的な営みはそれぞれ違うと思うので、家族の細かい人間性をテーマにした。家というくくりで、カメラは一歩も外に出ず、家の中で生活する家族の在り方を面白く撮ってみたかった。家の中のイメージを美術監督の方に伝えただけで、あとはデザインして作ってもらった。暖かく見えるようなウッディな色彩を多用した。(本作にも出演している山本駿は監督の双子の兄弟。『帝一の圀』には兄弟で出演したという)。

映画は自由度が高いように思う。表現の幅が広い。人を撮っていくのに没入できる。映画の娯楽的要素は意識的には違うところにあるように思う。

『鎌田行進曲』が面白すぎて、深作欣二監督の他の作品も観てみたのですが、どの作品にもエンタメ性を必ず盛り込んだ作風は唯一無二だなと思った。

◎山本環監督の作品の詳細はコチラ ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4249/
 


★⑤『はずれ家族のサーヤ』

(2019年/カラー/ビスタサイズ/30分/©2019 VIPO)
〇監督:岡本 未樹子(OKAMOTO MIKIKO)

作家推薦:大阪芸術大学映像学科
制作プロダクション:テレビマンユニオン
出演:横溝菜帆、黒川芽以、増子倭文江、田村泰二郎、森優理斗


ndjc2018-saya.jpg【作品紹介】
あらすじ:おばあちゃんと二人暮らしの小学3年生の沙綾(サーヤ)の所には、時々ママが父親の違う弟を連れてやって来る。そう、ママは沙綾を祖母に預けて、新しい家族と暮らしているのだ。いつもママと一緒に居られる弟が羨ましい沙綾。ある日、学校帰りに不思議な古い木箱を売るおじさんに出会う。自分の願い事を書いた紙を箱の中に入れると願いが叶うというのだが・・・。


〇感想:沙綾は親の都合で寂しい想いをしているが、おばあちゃんもママも優しいし、弟も沙綾が大好きで懐いている。それでも、沙綾は新しい家族と一緒に暮らせず孤独を抱え、「ママを独り占めできたらいいのにな」と思うようになる。幼児や児童虐待事件が頻発している昨今、しかしながら、子供にとってどんな親でも親ほどいいものはない。親に愛されたいばかりに子供は時々不都合な行動をとることもある。本作は少々優しすぎるストーリーだが、ファンタジックな展開の盛り込み方や沙綾の表情の変化の捉え方など、ナイーブな演出に心を掴まれた。


ndjc2018-okamoto-240.jpg【監督コメント】
大人も子供もそれぞれ幸せになりたいと思っているが、それを求められる自由は圧倒的に大人にあるということを描きたかった。弟にやきもちをやいて、「要らない!」と思っていたものが、本当に居なくなってしまったらどうするのか?本当はそれが大事なものだったと気付いた時のショックを駆け合わせられたらと思って映画化した。(子役二人は仲良しすぎて、ずっと抱き着いたままだったようだ)。

映画製作に携わっている人達には終わりがないので、それを受け継ぐ意識が高く、TVドラマより映画の方が気合が入る。自分たちがやりたいことを発揮できるのが映画なのかなと思う。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、子供を描くのに参考になるかなと思って見直した映画。主役の横溝菜帆ちゃんに、絶対にため息をつかないでねと指導。子供の方がいろいろと溜め込んでいるものが多く、ため息をつかずにその想いを表情で見せようと思った。


◎岡本未樹子監督の作品の詳細はコチラ ⇒ http://www.vipo-ndjc.jp/ndjc/4255/
 


 

今回の作品は5本中4本が家族をテーマにしている。それぞれの視点で思い描いた家族像は、監督自身の経験をベースにしていたり、疎遠になりつつある社会を背景にしていたりするが、どれも家族の絆を求めている心情を浮き彫りにしている。自分自身を見失い自意識過剰な人間になってしまった青年が開眼する様子を描いた作品も興味深い。どれも人物描写が深く、ストーリーを追うだけの平凡なものではない。短編・長編を問わず、今後の活躍に注目していきたい。


(河田 真喜子)

 

 

 

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子ども達の命を守る疎開保育園の保母たちに光を当てた感動作

『あの日のオルガン』平松恵美子監督インタビュー

 
太平洋戦争末期、学童の集団疎開は知っていても、小さい子ども達がどうしていたのかに思いを巡らせる人は少ないのではないだろうか。戦火を逃れ、毎日食うにも困る生活の中、後手に回る国の政策に先んじて保育所の疎開を提案し、豊かな感性を文化的に育む努力を続けた保母達がいたという事実を知る人も少ないだろう。かくいう、私もその中の一人だった。
 
53人の子ども達の尊い命を守った疎開保育園の実話を基にした感動作『あの日のオルガン』が、2月22日(金)からなんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他で全国ロードショーされる。『ひまわりと子犬の7日間』の平松恵美子監督が自ら脚本を手がけ、戸越保育所の主任保母、人呼んで「怒りの乙女」の板倉楓(戸田恵梨香)と、ドジばかりだが、子ども達を惹きつける魅力を持つ新任保母、野々宮光枝(大原櫻子)を中心にした保母達の奮闘ぶりをハツラツと映し出す。空襲が激しくなる中、皆で疎開保育園を作り上げ、子ども達を守る勇気と信念は、これから新しい時代を迎えようとしている今、時を超えて観る者に痛切に響くことだろう。
 
本作の平松恵美子監督に、映画化までの道のりや、疎開保育園で奮闘した保母達の魅力、この映画が今公開されることの意味について、話を聞いた。
 

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■現場の保母さんたちが声をあげ、小さい子どもたちの疎開を嘆願した実話、映画化までの長い道のり

―――本作は何度も映画化の話があり、実現するまで相当時間がかかったそうですが、オファーされた時の気持ちや、原作を読んだ時の感想を教えてください。
平松:1982年に出版された原作(「あの日のオルガン 疎開保育園物語」)は映画化を念頭に置いて作られましたが、当時関わっていた企画の鳥居明夫さんたちは、予算面や出演者の子どもを揃えることが難しいと判断し、映画化が一旦白紙になりました。
 
時を経て、2012年、鳥居さんの奥様が保育士であることもあり、小さい子どもたちの置かれている状況が虐待やネグレクトも含めてとても厳しいという現状に目を向けたとき、なんとか子ども達の命に光を当てる作品を作れないかと考えたそうです。そこでかつての原作を思い出し、あるご縁で私の元に原作が届いたのです。私も学童疎開のことは知っていたけれど、保育園の疎開があったことに驚きましたし、トップダウンではなく、現場の保母さんたちが声をあげ、小さい子どもたちの疎開を嘆願したということがすごいと思いました。でも、時代劇と同じぐらいセットや衣装にお金がかかる作品になるので、当時聞いていた予算では厳しい。しかも、小さい子どもがたくさん出てくる作品は大変だなと。その時も資金繰りの問題で映画化は見送られたのですが、私だったらこういう風に映画化したいというプロットを書いていたので、鳥居さんに記念のつもりで差し上げたのです。
 
―――今回は、エグゼクティブ・プロデュサーが李 鳳宇さん(『フラガール』)ですね。
平松:2014年に鳥居さんからお電話で「なんとかできそうです!」と言われ、打ち合わせでお会いしたのが李さんでした。「いい話だと思ったので、これぐらいの予算でやってくれ」と2年前の倍の予算を提示してくださったので、これなら映画化できるかなと。「以前のプロットで大丈夫なので脚本化を進めてほしい」とGOサインがでて、ようやく映画化への第一歩が踏み出せた訳です。
 

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■きちんと怒っている主人公のモデル、畑谷光代さんに魅力を感じて

―――自分なりのプロットを書いておられたとのことですが、脚本を書くにあたって、特に意識した部分、膨らませた部分はありますか?
平松:原作を読んだ時、畑谷光代さんという保母さんに非常に魅力を感じました。彼女は一度怒り出すと、顔が真っ赤になって手がつけられない。所長にも噛み付いて、しょっちゅう議論をしている様子は、はたから見ているとまるで喧嘩をしているようだったそうです。現在を顧みると、間違っていることや不条理なことに対し、きちんと怒ることができなくなっている。ヒステリーからくる暴言ではなく、「これは違うでしょ。どうして、こんなことがまかり通るのか」と怒れる人がだんだん少なくなっている。そして叱られる方も、愛情をもって叱られるということに慣れていない。もちろんパワハラというケースもありますが、そうではない時も全てパワハラ扱いにしてしまう風潮が見られます。そんな中、きちんと「怒っている」人はとても魅力的だなと思ったのです。畑谷さんは(戦争末期に)「学童は疎開させているのに、それ以外の小さな子どもたちを疎開させないのはなぜですか」と怒っています。そこから物語を追いかける形にしました。
 
 
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■新米先生を入り口に、少し風変わりな疎開保育園の世界を見てもらう

―――なるほど、映画もいきなり戸田恵梨香さん演じる保母、楓が怒っているところから始まりますね。
平松:ただ、強い人を話の真ん中に置き、その人がそのまま引っ張っていく物語にすると、単純であまり面白くない。右も左も分からない新米が、強い主人公に叱られたり、翻弄されながら成長していくという形にすると、現代の若い人たちに共感しやすいのではないか。本作で言えば、大原櫻子さんが演じるみっちゃんという新米先生を入り口として、疎開保育園の世界を見ることができるようにしようと考えました。
 
―――楓が光代(みっちゃん)を叱る時に口からでた「あんぽんたん!」は、久しぶりに聞いた言葉だなとうれしくなりました。
平松:実は、現場で急遽脚本を変えたときに考えついた言葉です。「怒りをぶちまけたいのだけれど、どういう言葉でぶちまけたらいいのかというもどかしさの中、つい、子どもを叱りつけるように『あんぽんたん!』と口から出たという風にしてください」と戸田さんにもお願いしました。
 

■戸田恵梨香に伝えたことは「楓の怒りには全て理由がある」

―――楓役を演じるにあたり、戸田さんにリクエストしたことは?
平松:楓は怒ってばかりいるけれど、全て理由があり、一つ一つの怒りが違うということをまず伝えました。ただ怒りっぽいという単純な人物ではなく、もっと深い部分があり、陰影のある人物だということは、言葉を重ねて伝えました。
 
 
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■元々持っている人間らしさや心の豊かさを守りたい 

―――楓が何度も訴えていた「現実的生活より文化的生活」は、戸越保育所の考える保育の根底に流れるキーワードですね。

 

平松:戸越保育所は当時では珍しく民主的な考え方の保育所でした。当時戸越保育所で働いていた保母さんたちは、良家の出身の方が多かったからこそ、自分の理想とするところを子ども達に伝えて育んでいきたいという真っ直ぐな気持ちを持てたと思います。疎開生活はもう少し現実的部分があり、理想ばかり追い求めてはいられません。でも、生きるために必要なことだけでは、動物と同じになってしまう。元々持っている人間らしさや心の豊かさを守りたいし、それを無くすと私たちが疎開をした意味がないという気持ちが常々あったそうです。実際にはお花を飾り、オルガンを弾いて歌を歌うとか、まかないのおとみさんの言葉を借りて言えば、「笑いがある」。そういう小さなことの積み重ねですね。
 
―――楓を中心とした保母たちが、夜な夜なその日起こったことを報告しながら、改善案を出すため喧々諤々するシーンは、笑いを誘う一方、民主的な運営を貫こうとしている姿が感じられます。特にベテランの風格すら漂うどっしりキャラの正子を演じる三浦透子さんが、素晴らしかったです。
平松:結局は、どの会議もうまくいっていないですよね(笑)そこをユーモラスに見せようと思いました。三浦さんは実年齢が若いのに、とても落ち着いて見えるんです。正子は力持ちで男勝りなキャラクターなのですが、三浦さんはとても華奢なので、衣装合わせの際にふと思いついて、「(衣装の)中に肉布団を入れてみようか」。うまくハマりました。普通なら本当にぽっちゃりした人をキャスティングするのですが、終戦直前という時代なので極端な体型の人を起用するというより、人柄から滲み出るものを重視しました。やはり子ども達がたくさん出てくる作品ですから、子ども達と向き合える人でないといけない。そういう部分はオーディションで選ぶときに大切にしました。
 
 
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■大原櫻子自身の真っ直ぐな部分が役に重なりながらも「狙ったらだめだよ」

―――光代演じる大原さんは、子ども達とのシーンが一番多く、オルガンを弾きながら様々な童謡を歌っています。平松監督の中で、印象的なエピソードはありますか?
平松:子ども達と林でチャンバラをしていて転んだ光代の上に子ども達が枯葉をかぶせるというシーンはクランクアップの日に撮ったのですが、大原さんとスタッフが大変でしたね。私はそこを綺麗なシーンにしたかったのですが、撮影は3月だったので枯葉しかなかった。そこでスタッフみんなでクラフト紙に色を塗ってから乾かし、葉の形に切って手で揉んで枯葉を作りました。それでもまだ足りないということで、しまいには色を塗っていないクラフト紙をそのまま使って、撮影所からロケ場所までの移動の車の中でチョキチョキ切っては揉んで、ゴミ袋5杯分くらい作りました。でも子ども達は元々あった枯葉や土までかけてしまうものだから、大原さんも口の中がジャリジャリになりながら頑張っていましたよ。
 
―――光代は、楓にはない子供のような心と素直さを持っています。大原さんご自身と重なる部分もあったのですか?
平松:そうかもしれません。ただ、最初大原さんに「一生懸命やっている中で、少しズレてくるのが楽しかったり、皆を笑わせたり、怒らせたりする。その部分が子ども達に好かれるので、狙ってやろうとしてはだめだよ」という話をしました。大原さん自身が真っ直ぐな人なので、そういう部分が演技にも出ていると思います。
 
 
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■童謡「この道」に、疎開場所と往復する「道」や、人生という「道」を重ねて

―――特にお好きなシーンは?
平松:全てが思い出深いですが、挙げるとすれば、よっちゃん先生(佐久間由衣演じる好子)とみっちゃん先生が自転車で二人乗りしながら「この道」を歌うシーンですね。ここでは二人でハモるようにお願いしました。私なりのこだわりがあったので、二人が歌う部分と、光代がオルガンを弾く部分を、音楽を担当いただいた村松崇継さんに依頼し、譜面に書いていただきました。
 
―――監督のこだわりで、「この道」を重要なシーンに起用した理由は?
平松:映画では「ちーぱっぱ」とか「ころころ」のように子どもらしい元気な歌詞の童謡をたくさん選んでいます。一方で、大人の先生たちが歌うときには、しっとりとしたものがいいなと思いました。「この道」の歌詞は深い意味が内在していますから、何度も疎開場所と東京を往復する道や、人生という道ともかけて選びました。

 

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■昭和時代の人たちの思いを継承しながら、私たちが次の時代へつなげる。

―――平成が終わるタイミングで、長い構想期間を経て『あの日のオルガン』が完成し、いよいよ見ていただくことに、どんな意味を感じますか?
平松:私は保母さん達を本当にリスペクトしています。彼女達が行動したから53人の子ども達が救え、その彼女達が戦後、昭和の保育界をリードする人材となっていきました。また53人の子ども達も昭和の日本の復興を支えた人になっているはずです。そのおかげで、平成という時代を日本はなんとか戦争なく終えることができた。そんな思いを継承しながら、私たちは平成から次の時代へ生きていかなければなりません。昭和の時代から今につながっている物語だと思いますし、ラストシーンもそういう気持ちをうまく表すことできたのではないかと感じています。
 

■疎開保育園も映画づくりも「皆でつくるもの」

―――平松監督は松竹撮影所で山田洋次監督のもとキャリアを積んでこられましたが、今自ら監督する中で、受け継いでいることはありますか?また、若い世代に伝えたいことは?
平松:山田さんの作品を見てから劇場を出るとき、暗い気持ちでは出ないですよね。悲しい場面はあっても最終的には表情が穏やかになる。そういう部分は私も目指したいと思います。映画を見ていただいて、明日も頑張ろうと少しでも思ってもらえたら嬉しいですね。
 
保母さんたちもこれだけの人数がいたから疎開保育園を自分たちの力でやり遂げることができた。映画づくりも同じで色々な意見がある中、皆がいるからやっていける。映画は皆の力を借りなければできませんから、自分だけではないということを大事にしてほしいです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『あの日のオルガン』(2018年 日本 119分)
監督・脚本:平松恵美子
原作:久保つぎこ「あの日のオルガン 疎開保育園物語」朝日新聞出版
出演:戸田恵梨香、大原櫻子、佐久間由衣、三浦透子、堀田真由、福地桃子、白石糸、奥村佳恵、夏川結衣、田中直樹、橋爪功 他
2019年2月22日(金)~なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都ほか全国ロードショー
公式サイト: https://anohi-organ.com/
 (C) 2018「あの日のオルガン」製作委員会
 
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奈良県天理市を舞台に、今年デビュー30周年の加藤雅也を主演に迎え、三世代家族の愛と葛藤を描いた人間ドラマ、『二階堂家物語』が2019年1月25日(金)より全国ロードショーされる。本作はなら国際映画祭プロデュース映画製作プロジェクト作品で、監督は同映画祭で2016年にゴールデンSHIKA賞を受賞したイランのアイダ・パナハンデ。受賞後、ロケハンで天理市を訪れ、そこでの体験も加えながら夫のアーサラン・アミリとオリジナル脚本を共同執筆。天理市民も撮影に全面協力した。二階堂家の三世代家族が向き合う後継者問題や、母と息子、父と娘、それぞれの愛が複雑に交差する。日本の四季折々の情景を見事に捉えている。町田啓太、田中要次、白川和子、陽月華と実力派俳優が脇を固め、奈良らしいゆったりとした時間の中で、登場人物たちの心の揺らぎを丁寧に映し出した作品だ。
本作のアイダ・パナハンデ監督、主演、二階堂辰也役の加藤雅也さん、辰也の娘、由子役の石橋静河さんに、お話を伺った。
 

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■天理市は「小津映画のよう」。最初から親近感を覚えた。(アイダ)

――――アイダ監督はロケハンで初めて来日され、石橋さんも天理市は撮影で初めて来られたそうですが、どんな印象を持たれましたか?
アイダ:2年前に初めてロケハンで奈良にきました。奈良がかつて日本の都であったことは知っていましたが、天理市を訪れた時は小津映画のようだと思いました。「この場所は知っている」という気持ちになりましたし、最初から親近感を覚えました。天理の人たちも小津映画に登場している人のようでもあれば、イランの田舎地方に住んでいる人たちにも似た風情を感じました。とてもフレンドリーで、家に招いてくれたり、一緒にご飯を食べたり、本当に歓迎してもらいました。旧友のように親しくなれた。それはとても感動的瞬間で、撮影中も全身全霊をかけて私たちを支えてくれました。
石橋:私も天理市は撮影で初めて訪れたのですが、街並みがとても印象的でした。田んぼがあるシンプルな場所で、東京と情報量やスピードも全然違います。タイムスリップした気分でした。天理市に来ることで、私が演じた由子が感じている時間感覚を体感できましたし、由子が見ているものも見えてきた。また二階堂家が住む古い日本家屋に自分が身を置き、感じることができました。撮影で1ヶ月天理市に滞在しましたが、本当に没頭して演じることができました。
 
――――加藤さんは奈良のご出身ですが、奈良で全編映画を撮影するのは初めてだそうですね。
加藤:基本的にテレビを含め、奈良で映画を撮影することは河瀨直美監督がし始めるまで、ほとんどなかった。時代劇を作るにしても、奈良を舞台にするとチャンバラではなく、文化が主眼となるのでエンターテイメントとして成立しにくい面があります。2時間もののサスペンスの舞台にも、奈良の雰囲気はあまり適さない。逆に、『二階堂家物語』のような家族の物語は、奈良や天理でなければ撮れないのです。
日本は、東京のように文化が発展していくことが良いとされていますが、奈良はそれから遅れてしまった。逆に今は奈良でしか撮れない日本の原風景が残っている訳で、日本人の監督が撮らないなら、外国人の監督に撮ってもらうのはある意味必然だったのかもしれません。
 
 
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■普通の人を演じたい、奈良で撮りたい。30年間実現できなかった夢が叶った(加藤)

――――加藤さんは海外でも活躍され、芸能活動30周年という節目で、故郷の奈良を舞台にした家族物語の主演を務められました。特別な思いがあったのではないですか?
加藤:なぜかマフィア役や日本人とは少し離れた役が多かったのですが、僕自身は俳優として普通の人を演じたいとずっと言い続けていたんです。ステレオタイプのキャスティングが多かった中で、外国人の監督が普通の人として使ってくれるという思いもよらぬ矛盾もあれば、奈良で撮りたいと思いながら、30年間実現できなかった夢も今回叶いました。
 
僕の中で起承転結があるとすれば、「起承」の30年間が終わり、残りの20年の「転」の時期に新しいことをやりたいと思っていました。「見たことのない加藤雅也を見た」と皆が言ってくれるように、まさに僕にとっての転換期を迎えているなと感じています。シルクロードでは、向こうから新しい文化が入ってきて、奈良で新しい文化が生まれ、今までとは違う日本が生まれた。僕も今回アイダ監督による今までとは違う目線の演出で、新しい僕になれる。本当に歴史は繰り返すと、僕自身思っていますね。
 

■「あなたがダメだったら、私の映画は失敗してしまう」火花を散らすような現場(加藤)

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――――父の代から引き継いだ会社を経営する二階堂家の主人、辰也は再婚問題、跡取り問題、娘との関係等、その行き詰まりぶりや決断の行方に最後まで目が離せません。確かに、加藤さんの新境地を見た思いでした。
加藤:最初に監督から言われたのは「あなたがダメだったら、私の映画は失敗してしまう」。仲良くやるのではなく、火花を散らす闘いのような部分があり、それがすごく勉強になりました。どんなに現場で仲良くても、映画がダメなら2度と集まることはない。逆に現場でどれだけ葛藤してもいい映画を作れればOK。それがプロフェッショナルだと思います。
アイダ:俳優は色々な作品の仕事をしているので、頭の中は色んなもので汚染されていると思うのです。だからまず汚染されているものを私が解き放つというプロセスがとても大事です。頭の中を一旦ニュートラルにして、私のキャラクターに命を与えるというプロセスを踏みます。素晴らしい俳優の魂と身体から、私のキャラクターを引き出していく。そこには痛みが伴います。だから、俳優たちが心を動かす時は、私の心も動きますし、毎日げっそりと疲れます。
映画づくりで重要なのは、まず俳優と一緒に作業をするということです。俳優たちを通して表現するものを観客に届けるために、50〜60名にもおよぶクルーが共に作っています。俳優がミスをすれば、全てカメラに映ってしまいますから、ミスは許されません。今回、みなさんは本当にプロフェッショナルで素晴らしい仕事をしてくれました。特に加藤さんとは、素晴らしいコラボレーションができ、多くのことを学びました。
 
 
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■日本人にしか分からない文化が含まれ、日本人がより深く作品を理解できることが重要(アイダ)

――――この作品は日本の四季折々の伝統的な行事や風景、アイテムなどを盛り込みながら家族の情景を描いています。舞台挨拶で「日本人が撮った映画と思ってもらえるとうれしい」とおっしゃっていましたが、そこはかなり意識的に取り入れられたのですか?
アイダ:海外の観客は、日本人ほど映画の中のシーンの意味を感じられなかったかもしれません。例えばなら国際映画祭審査員、ファトマ・アル・リマイヒさんはカタール出身ですが、物語の内容や社会背景はわかるけれど、雛人形が何か分からなかったと言っていました。日本人はそれが何かを必然的に分かります。雛人形の文化があることを踏まえて見てくれるので、伝わる内容も違ってくるのです。日本人にしか分からない文化が含まれていて、日本人はより深くこの作品を理解できる。それはとても重要なことです。私は日本独特の文化や芸術、映画が好きで、とてもリスペクトしています。日本から本当に色々なことを教えてもらった。それをこの映画を通して示しています。
 

■イランと日本、国は離れているけれど、家族関係はとても似ている(アイダ)

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――――日本では若い監督がこれほどしっかりと三世代の家族物語を描くことは少ないですが、脚本の着想はどこから得たのですか?
アイダ:実は、天理で本当に多くの三世代家族に出会いました。 滞在させていただいたお宅もそうですし、祖父祖母と一緒に暮らすのが一般的。私が住んでいるテヘランは都会ですが、イランの田舎も三世代家族が多く、似ていると思いました。私も8歳の時に父が亡くなったので、母と祖母の三世代家族でした。私の祖母はイランで初めての女性校長を務めた人物で、アゼルバイジャンの古い家系出身。まさに古くから続く地元の名士、二階堂家と同じですし、辰也の母、ハル(白川和子)のようにしつけもすごく厳しく、色々なことに敏感でした。特に自分が女学校の校長なので女性の教育についてはとても厳格で、「女性はこうすべき」という考えを明確に持つと同時に、男にばかり頼るのではなく、女性の自立を促す人でした。そういう部分もハルと重なり、二階堂家のことは、すごく知っているという気分にさせられました。イランと日本、国は離れているけれど、家族関係はとても似ている部分があることを皆さんに分かってもらいたい。欧米人が日本の文化に入ることが難しいかもしれませんが、私たちのようなアジア人は日本の文化には入っていきやすいと思います。
 
 
 
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■由子を演じる中で、私自身が父親についてどう感じているのかも考えた(石橋)

――――由子は、父親の会社で働き、跡取りを欲しがっていることを肌で感じながら、自分の存在を認めてもらいたい複雑な心境を抱えていましたが、彼女の感情をどう捉えて演じましたか?
石橋:幼い頃に両親が離婚し、父親が息子を欲しているのを見ている由子は、本当に自分を見てほしいという気持ちが強いだろうし、逆に自分に自信がない部分もあると思います。絶対に消えない孤独感はあっても、由子は諦めず、なんども父とぶつかります。婿養子を受け入れれば丸く収まることも、「皆が幸せになるかどうか分からない」と自分も含めて、皆がそれぞれ幸せになることを諦めずに訴えている人です。その前向きさや強さを表現するのが難しかったです。由子を演じる中で、私自身が父親についてどう感じているのかも考えなければならなかった。それを考える機会になったのはいい経験になりました。
 
――――由子が彼氏の家で一人ダンスを踊るシーンは、この映画の中でもかなり雰囲気が変わりますが、どんな狙いで取り入れたのですか?
アイダ:伝統的な旧家の二階堂家ではなく、一般的なマンションの一室である彼氏の部屋にたった一人、由子がいる。そこは由子が自由になれる場所で、英語の歌をかけ、思うがままに踊っています。そこで若さや喜びを表現しますが、それは長くは続きません。その間も由子は父親の辰也や家族のことを考えているからです。由子はこれからとても重要で難しい選択を迫られます。辰也も同じように重要な選択に迫られている。自分の好きな人のことを思いながら、自分が犠牲にしなくてはならないことについても感じている。二人ともがそれに対するジレンマを抱えていることを並行して見せています。
 

■辰也は、悩みから学ぶべきことが多い人生を送っている(加藤)

――――辰也も娘との葛藤だけでなく。実質の権力者である母、ハルとの葛藤があります。
加藤:辰也もハルに反抗しますが、それは相手がいるからできることで、いなくなると、はたと娘との関係や自分の運命について考えます。生まれたくて(二階堂家に)生まれたわけではないけれど、それは定めであり、そういう家に生まれなければ悩むこともない代わりに、学ぶこともない薄っぺらい人生になってしまう。辰也は学ぶべきことが多い人生を送っているのです。アイダ監督と(監督のパートナーでもある)アーサランさんの書いた脚本は非常に深い。例えば、外国の監督がお雛様を扱うときは「モノ」として扱いますが、アイダ監督はお雛様の意味を掘り下げ、歴史を学んだ上でお雛様を物語に取り入れています。日本の監督たちはなぜこの映画が日本映画っぽく見えたかを、考えるべきです。見かけが日本っぽいのではなく、日本の精神性を映画で撮った。そこが映画を作る時に大事なことです。
 
 
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■他のイラン人監督が持っていない特別な体験をし、新しい自分が生まれた(アイダ)

 アイダとの映画づくりで学んだ体験を若い監督や俳優たちに伝えて行きたい(加藤)

 役のことに没頭すればいいと思えたのは新しい体験(石橋)

――――最後に、この作品での体験を今後どのように生かしていきたいですか?
アイダ:映画づくりというのは、ただ単に映画を作っているだけではないということを学びました。新しい人に会い、新しい経験を積み、自分の視野を広げる。そんな映画づくりを終えて帰ると、新しい自分、新しいアイダが生まれました。他のイラン人監督が持っていないような特別な体験ができました。みんな西洋には行くのですが、東には行きません。私はアジアが歴史の中心だと思っていますし、文明もここにあります。
加藤:アイダと話し合ったことはとても深いことだったので、今でもどうすれば実現できるかと考えます。日本人が海外の人と演じる時、大げさであることが海外に出れない理由なのだとすれば、どうすればいいのか。言葉の問題もありますし、外国の監督が書いた脚本を日本語に訳す場合の問題点や、日本語の持つ特性などを今でも学術的に勉強しています。できればこの経験を若い監督や俳優たちに伝えていきたい。一方、外国の監督がステレオタイプの日本を撮ろうとした時、なぜそのように撮りたいのか。その理由を聞いて、場合によっては指摘する。そんなこともできれば、海外との合作もより良い作品になるでしょう。これをどう伝えていくのか、実践していくのか。それに尽きますね。
石橋:言葉や文化の違いがあり、日本人だけの現場では起こり得ない問題もたくさん起こりました。本当に大変だけど、その中でラクだと感じる部分もあったのは、留学したときに日本社会の窮屈さから開放されていた感覚に似ています。すごく現場に居やすかったので、役のことに没頭すればいいと思えたのはありがたかったです。アイダ監督と会い、まったく違う方向に広がったので、今後私の中でどうつながっていくのか楽しみです。
(江口由美)
 

『二階堂家物語』(2018年 日本=香港 106分)
監督:アイダ・パナハンデ 脚本:アイダ・パナハンデ、アーサラン・アミリ
エグゼクティブ・プロデューサー:河瀨直美
出演:加藤雅也、石橋静河、町田啓太、田中要次、白川和子、陽月華他
2019年1月25日(金)~全国ロードショー
公式サイト⇒https://ldhpictures.co.jp/movie/nikaido-ke-monogatari/
(C) 2018 “二階堂家物語” LDH JAPAN, Emperor Film Production Company Limited,Nara International Film Festival

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