レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

インタビューの最近の記事

IMG_9659.jpg
 
 鯨が見えた途端、手作りの舟から大きな銛を持った男が飛び上がって鯨に一撃を食らわせる。鯨と命がけの戦いを繰り広げる男たち、そしてなんとかして逃げようと全力でもがく鯨の迫力ある対決に思わず目を奪われる。インドネシア、レンバタ島ラマレラ村で今でも行われている伝統的な鯨漁とそこからつながる命の循環を見事な映像美で描くドキュメンタリー映画『くじらびと』が、9月3日(金)よりなんばパークスシネマ、シネ・リーブル梅田、神戸国際松竹、MOVIXあまがさき、京都シネマ にて絶賛公開中だ。
 
監督は、初監督作品『世界でいちばん美しい村』で2015年に起きたネパール大地震の震源地近くにあるラプラック村と、そこに生きる人たちの絆、祈りを描いた写真家、石川梵さん。写真集「海人」をはじめ、ライフワークの一つとしてインドネシアのラマレラ村の人々やそこで行われる鯨漁に密着してきた石川さんが、ドローン撮影も駆使しながら、銛一本で突く伝統的な鯨漁や村人たちの暮らしをまさに体当たりで撮影。迫力ある映像と共に描かれるのは、捕獲した鯨を村の皆で分け合う和の文化や、村で代々受け継がれてきた信仰だ。
 
 「大いなる命の循環、大いなる営みを叙事詩のように表現したかった」という本作の石川監督に、ラマレラ村との関わり、鯨漁の撮影や映像で残す意義についてお話をうかがった。
 

kujirabito_main.jpeg

 

■秘境を探してたどり着いたラマレラ村、鯨獲りの根っこにある信仰に惹かれて

―――命がけで鯨を獲る舟に撮影で同乗することが許されるというのは、信頼関係が築かれていないとできないことだと思いますが、その経緯を教えてください。
石川:80年代以降、僕は誰も見たことのないような秘境に行く写真家として世界中を回っていました。当時ニューギニアでレンバタ島のことを聞き、インターネットもなく何の情報もない中、91年に初めて現地に向かいました。舟で迎えに来てもらったのですが、鯨の匂いがぷ〜んとして、1槽だけ壊れた舟があるのでどうしたのかと思ったら「鯨にやられたんだ」と。ついにそんなところに来たんだなと思いましたね。
 
大自然の中に生きる人や、その中で自然に生まれる信仰というのは僕の大きなテーマなのですが、このラマレラ村も知れば知るほど、鯨を獲ることの根っこにある信仰に惹かれていきました。
鯨獲りの舟にはお金を出せば旅行者も乗せてもらえます。ただ、漁が始まると下がれ!と相手にしてはもらえませんが。
 
 
kujirabito_sub8.jpeg

 

■4年かかった鯨獲りの撮影

―――初めて鯨が撮れたのはいつですか?
石川:毎年行ってもなかなか鯨が出ない。猟期以外は、朝から舟を出して、延々と待つんです。赤道直下の中、毎日8時間ぐらい待って帰るとうくとを大体3ヶ月ぐらい繰り返しますから、だんだん気が遠くなっていきますよ。そこまで長くいると、「おまえ、漕げ」と言われるぐらいにまでなっていました。
 
実は2年目、僕が来る直前に鯨が獲れたんです。本来なら間に合うはずだったのに飛行機が遅れてしまって。3ヶ月粘っても出ないので帰ったふりをしようかと言いながら戻ると、宿の主人から「おまえが帰った翌日に出たよ」と。その時は神さまが意地悪しているのかと思いました。結局、4年かかったんですよ。鯨漁は勇壮に見えますが、そのほとんどが待っている時間です。延々と待ち続けることが実は、鯨漁の本質です。時々マンタが獲れることもありますが、1年何も獲れないこともある。それぐらい非効率な漁なんです。
 
―――そこまでして鯨漁にこだわるのは村独自のシステムがあるからですね。
石川:鯨を獲ると、未亡人や貧しい人にまで鯨が行き渡るのです。先住民の長、トゥアン・タナが最初に鯨乞いの儀式を行い、鯨が獲れるとその一部をお礼としてトゥアン・タナに捧げる習わしもあります。舟にエンジンを導入した2000年ごろ、その儀式を辞めた時期があったのですが、途端に鯨が獲れなくなってしまった。結局再び儀式を行っていますが、まさに神話的世界ですね。
 
―――当時石川さんが取材し、写真を撮ったのが伝説のラマファ、ハリさんでした。
石川:取材で「誰が一番優れたラマファか?」と聞いても、みなが素晴らしいという人たちなので取材する側としてはやりにくく、彼らにとっては和を乱さないという考えがあるわけです。そこで取材をしたのがハリさんでした。撮影時で70歳を過ぎていましたが、手足が本当に大きく、筋骨隆々の体つきをされていた。当時から映画を作りたいと思っていたので、撮影素材を『くじらびと』に取り入れることができてよかったです。
 
 
kujirabito_sub2.jpeg

 

■鯨漁をする側の視点だけでなく、鯨側の視点で見ることにより獲得した普遍性

―――くじら獲りの際、水中での撮影がとても迫力がありましたが、どのように撮影したのですか?
石川:実は一番安全なのは鯨の背中。鯨が弱って動かなくなってきたとき、僕が鯨の背中に捕まって撮りました。僕が撮りたかったのは鯨の目で、なぜ目かといえば、先ほどの4年目に初めて鯨が獲れたとき、陸揚げされた鯨が泣いたんです。断末魔の叫びのような声で、もうびっくりしました。今までは海の上の人間の物語ばかり撮ってきたけれど、海の中の鯨の物語も撮らなければいけないと気が付いたのです。鯨の感情がどこにあるかといえばやはり目で、この映画自体も「目」がキーワードになっています。目をつむる、目を開けるという鯨自身の目だけでなく、途中で鯨を獲る時に「目を見るな」という話も挿入されます。捕鯨の映画は概して一面的ですが、鯨漁をする側の視点だけでなく、鯨側の視点で見ることにより、ある種の普遍性をこの物語は獲得すると実感しました。
 
―――舟作りの名人、イグナシウスの息子、ベンジャミンが漁で事故死という悲劇は映画でも大きな転換点となります。
石川:2018年、クルーを入れて本格的に撮影を始めてからです。僕のビザが切れ、一時的に現地を離れた時にその事故が起きてしまった。他のクルーは現地に残っていたけれど、気を遣って撮影をしていなかったので、ここは撮りに行かなければダメだと促しました。僕もすぐ駆けつけ、僕が撮るならとご家族も了承してくださった。東日本大震災でも同じですが、その時には複雑な思いがしても、後々撮影したことを感謝してくださる。どこまで人と人との付き合いを通してフォローができるかですね。
 
 
kujirabito_sub3.jpeg

 

■村の未来を象徴する少年、エーメン

―――とても笑顔の素敵なエーメン君は最初主役になるように見えましたが、どのように出会ったのですか?
石川:最初は前作の『世界でいちばん美しい村』のように子どもが主人公で、子どもの目線で見るような形にしようと、エーメン君が主人公だと思って追いかけていたんです。でもドキュメンタリーって思い通りにならないもので、ただ先ほどのベンジャミンの事故が起こってから、だんだん主人公がベンジャミンの兄、デモに変わっていくわけです。
この村自身も他の地域と同様にグローバル化や変化の波が押し寄せ、危機に直面しているのです。映画でもエーメンが鯨捕りになりたい一方で、両親は大学への進学を勧めようとしますが、エーメンのような子どもたちの未来は、村の未来を象徴しています。反捕鯨の動き以上に、グローバリズムによって取り去られようとしている村の文化や信仰がある中、エーメンはただ映画にとって癒しの存在だけではなく、ラストで村の未来を象徴し、群像劇の意味ができたと思っています。
 
実は今後、エーメンを主人公にした続編を考えています。3年後の15歳にエーメンは進路を選択しなくてはならない。もう一人、エーメンと同年代で、有名な名ラマファの孫がいるので、この二人を対比させて村の未来を考えていける作品にしたい。やはり文化の多様性は必要ですし、地域の文化はグローバリズムの中で消えていくなら、大きな損失です。貴重な文化の終焉を見届けるという思いと、そうならないでほしいという思いを込めて撮っていきたいですね。
 
―――後半、デモが父イグナシウスから舟作りを習い、村民が協力して新しい鯨舟を作るシーンが非常に印象的です。冒頭、まさかこの舟で鯨を獲るのかと思っていましたが、この作業を見ると、舟に込められた魂のようなものを感じますね。
石川:近代的な船を作ったら逆に鯨の一撃で壊れてしまうでしょう。左右非対称というのも知恵ですし、「舟は生きている」という考えがあり、それを伝え続けるイグナシウスがいる。彼は伝統の権化のような人で、編集をしていくと彼の語りが素晴らしいので、気がつくとイグナシウスがナレーションと言ってもおかしくないぐらいに登場してもらっています。彼のような人がいなくなると、村の伝統は薄まってしまうかもしれません。
 
―――後半の鯨漁は息もつかせぬ緊迫感と、それぞれの役目を果たす人たちの連携ぶりが見事でしたが、その中で撮影するのは至難の技では?
石川:待ち時間が長いのでずっと頭の中でシミュレーションをしていました。まず、鯨がドンときた時に振り落とされないようにする。また舟ごと水の中に持っていかれることがあるので、どうやってカメラを守るかもシミュレーションしました。もう一つ、鯨がきた時にカメラを守ると撮れないので、水を浴びたらカメラがダメになるけれど、タイムラグを利用してとにかく撮る。1番舟は鯨を突くとやることがなくなるので、2番舟に移るのですが、僕も水に飛び込んで泳いでいって。その舟は再建するために僕も援助をした舟で、乗組員とも仲がよかったので、仕方ないなと乗せてくれ、僕も前に行って鯨の頭を撮ったり、自由にやらせてくれたんです。綱を避けなければ、足を大怪我したり、命を落とすこともあるのですが、誰も危ないと注意してくれない。「梵なら大丈夫だろう」って(笑)
 
 
kujirabito_sub19.jpeg

 

■作品が世代を超え、現地に還元できる

―――この作品は、現地の方に観ていただいたのですか?
石川:まだこれからですね。僕が最初に行った頃は誰も行ったことがないですが、最近は日本のテレビからBBCまで多くのメディアが入って撮影するだけ、誰も再訪しないので撮り逃げ状態です。それは良くないので、今回行った時も過去の映像を見せると、「亡くなったおじいちゃんが映ってる」とか「若い頃の知り合いがいる」とみんな喜んでくれるんですね。また2010年現地を訪れたとき、反捕鯨の動きがあり、外部からの揺さぶり(網漁やクジラウォッチングの症例)もあり、随分村が揺れていたのです。ラマデラ村はそれに抵抗し、存続したのですが、その時、村の古老に「お前が昔撮った村の映像を見せてやれ。今は自分だけがいいという風潮になっているが、昔は皆が村のためにと一つになっていた」と言われたのです。僕は日本や世界に、ラマデラ村のことを紹介するつもりで映像や写真を撮っていたけれど、僕の作品が世代を超え、現地に還元できると気づき、衝撃を受けました。
 
やがてはなくなるかもしれない鯨漁を、現地で世代を超えて残せるのではないかということは、今回映画を作るモチベーションになりました。だから丹念に取材しましたし、時間もかけましたが、この映画だけでなく、この映画の裏にある映像資料も含めて、現地の方にとっても貴重なものになると思います。
(江口由美)

<作品情報>
『くじらびと』(2021年 日本 113分)
監督・撮影・プロデューサー:石川梵 
出演:エーメン、イナ、ピスドミ、アガタ、フレドス、イグナシウス、デモ他
2021年9月3日(金)~なんばパークスシネマ、シネ・リーブル梅田、神戸国際松竹、MOVIXあまがさき、京都シネマ にて絶賛公開中。
 
公式サイト⇒https://lastwhaler.com/  
(C) Bon Ishikawa
 

 

IMG_9610.jpg
 
 2年ぶりに対面で開催された第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で見事脚本賞を含む4冠を受賞した濱口竜介監督最新作『ドライブ・マイ・カー』が、8月20日(金)から大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、シネ・リーブル神戸、TOHOシネマズ二条ほか全国ロードショーされる。
  村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」所収の「ドライブ・マイ・カー」に「シェエラザード」「木野」の要素も加えて映画化した本作は、その世界観を踏襲しつつ、東京、広島、北海道、釜山と時間も場所も超えた、深みのある人間ドラマに仕上がっている。
  演出家の家福(西島秀俊)と妻、音(霧島れいか)。愛し合っているはずの夫婦関係に影を落とす高槻(岡田将生)、そして音の急死から2年後、家福の愛車、赤いサーブ900の専属運転手となるみさき(三浦透子)をめぐる物語は、言葉にできないそれぞれの過去や苦しみ、それを乗り越えようとする生き様が次第に立ち上がってくる。3時間だから描ける芳醇さにぜひ身を委ねてほしい。
  本作の濱口竜介監督に話を聞いた(後半、一部結末に触れる部分があります)。
 

drivemain.jpg

 

■村上作品の中で『ドライブ・マイ・カー』なら映画を作る糸口がある

――――村上春樹作品の映画化ということで心理的ハードルも若干高かったのではないかと思いますが、どのような部分に最も魅力を感じたのですか?
濱口:最初、プロデューサーから村上春樹さんの小説を映画化しようと渡されたのは別の作品でした。普通に考えても村上春樹さんの作品は映画になりづらい部分がありますから、提案された作品については映画化が難しいと思いました。そんな中、『ハッピーアワー』の製作中に映画化を抜きにして手にした短編が『ドライブ・マイ・カー』でした。読んだときに、これは自分が映画でやってきたこととすごく響きあうし、今まで取り組んできたこととの親和性を感じたんです。
 
もう1点、共同監督の酒井耕さんと東北でドキュメンタリー(「東北記録映画三部作」の『なみのおと』『なみのこえ』『うたうひと』)を撮っていたとき、ひたすら彼と一緒に車で移動していたので、車の中で生まれてくる会話があることが、自分の実感として残っていました。
 
そういう過去の記憶も含めて、そのときは現実的ではなかったけれど「これは映画にできるかもしれない」と読んだ当初から思ったし、その後プロデューサーに「『ドライブ・マイ・カー』だったらできるかもしれない」と返しました。ものすごく覚悟をしたというより、これだったら映画を作る糸口があるという感じでしたね。
 
 
――――本当に映画の魅力が詰まった3時間でした。コロナ禍で自由に移動できないし、演劇も中止に追い込まれる中、本作ではそれらの魅力を疑似体験させてもらった心地よさがありましたね。
濱口:ありがとうございます。カンヌでも、上映したシアターの客席が舞台の客席のように感じたり、車に乗っているような感覚が多々あったので、僕もそういう疑似体験を観客と一緒に観て味わうことができた気がします。
 
 
drivesub8.jpg
 

■シンプルに演技をする多言語演劇を取り入れて

――――当初は釜山でほぼ撮影する予定だったそうですが、年内に撮影を終えるまで急ピッチで脚本を改訂されたのではないかと思います。多言語演劇の要素も含めて、どのように行ったのか教えてください。
濱口:車を自由に走らせることができるという点に魅力を感じ、基本的に釜山で撮る予定でした。釜山で国際演劇祭が行われる設定にしていたんです。東京の家福が演出家として釜山に呼ばれ、彼に現地での運転手がつくという流れならスムーズだろうと。そこでどういう演劇をやっているのかと考えたときに、実際にもやられている多言語演劇がいいのではないかと思いました。
 
多言語演劇というのはシンプルに演技をする方法ではないでしょうか。相手の言っている言葉の意味がわからなくても、相手の声や身体の動きを通して現れているので、映画の中のような訓練を重ねれば、ある音がどんな意味を持つのかが俳優たちは大まかにわかるわけです。言葉の意味ではなくもっと直接的にお互いの体同士で反応しあう演技ができるのではないか。そう思って映画に取り入れましたし、実際にその瞬間を目撃していただけると思います。
 
 
――――今回大江崇允さんとはどのような経緯で共同脚本を務めることになったのですか?
濱口:山本プロデューサーがずっと脚本家の大江さんと仕事をされており、今回僕から共同脚本家の候補を探していたときに大江さんを推薦してくれたんです。大江さんは演劇に詳しい方なので、それはぜひとお願いしました。
 
 
drivesub10.jpg

 

■納得度の高い作品を生む共同脚本

――――一般的に単独で脚本を書く方が多いですが、濱口監督は過去何度も共同で脚本を手がけておられますね。そのスタイルの方がやりやすいのですか?
濱口:一人で書く良さもありますが、結果的にちゃんとやればクオリティーが高くなるのは、複数で脚本を書く方です。客観性の部分もしかりですし、できるだけ多くのフィルターを通っているものの方が、納得度の高い作品が生まれやすいですね。
 
――――カンヌの授賞式でも大江さんがこのままでいいと励ましてくれたから脚本を書ききることができたとおっしゃっていましたが、一番悩んだ点は?
濱口:基本的な物語は家福と突然失ってしまった妻の音、運転手のみさきの話になるので、演劇の話がどの程度絡むべきなのかは最後の最後まで、明確には見えづらかったです。最終的には編集段階まで持ち越しましたね。
 
――――多言語演劇を一から作るところが入ることで、停滞した空気が流れていくというか、作品に新たな命が宿るようなインパクトがありました。
濱口:脚本段階では、本当に要るのかなとも思うわけですが、実際に撮影すると「要るね!」となるわけです。ずっと見ていられるし、とても魅力的な時間であることが、実際の俳優たちを前にすることでわかりやすくなります。
 
――――その過程で、演出家の家福自身の変化も見えたように感じましたが。
濱口:家福は演出家なので、仕事場ではよく見て、よく聞く人間です。でもプライベートではそうではなかった。そのことを気づかせるのが、プライベートとバブリックな場を繋ぐ岡田将生さんが演じた高槻ですね。
 
――――濱口監督の演出方法として、事前に本読みを重ねることがありますが、本作では演劇中の本読みのシーンが出てきますね。
濱口:厳密にはやや異なりますが、僕の演出の場合は無感情で本読みをすることを重ねていきます。一般的に言って、演技をする上での問題点として、何が起こるかわかっているのに、はじめてのように反応しなくてはならないことが挙げられます。何十回も本読みをすることで、条件反射的に言葉が出てくるようになりますから、物事の順番はある意味、完全に固定されます。ただ、どんな風に言うかは本番はじめて知るので、セリフを言う相手に対して「こんな風に言うのか」と、多分皆さん感じるのではないかと思いますし、そのときの反応がどこか生々しくなっていく。部分的にですがさきほど挙げた演技の問題は解決するのではないかと感じています。
 
 
drivesub5.jpg

 

■三浦透子のもつ気高さを引き出し、みさきとして映画に定着させる

――――原作では運転のうまさに焦点当たっていた運転手のみさきですが、本作では時間をかけてその人物像が立ち上がってくる様がとても印象的でした。みさきという人物の掘り下げ方や、また演じた三浦透子さんについて教えてください。
濱口:原作では家福の精神的介助役という部分が強いみさきですが、基本的にはとても魅力的なキャラクターだと思っていました。短編を長編に展開していくにあたり、どのように描けば最終的には家福と互角のような存在感まで育てていけるかを考えていました。どこまでみさきの存在を大きくすることが適当なのかと。
 
三浦透子さんを見ていると、このように描きたくなるという魅力がすごくありました。彼女自身が持っている気高さのようなものがあるのです。そういうものをちゃんと引き出したい、映画に定着させたいという気持ちがみさきの描写に反映されていると思います。
 
 

■閉じて終わるのではなく、突き抜けていく物語に

――――みさきも絡む、飛躍のある本作のラストが本当に素晴らしく、このラストを観て原作を超えたと思いました。またコロナの時代であることも描く選択をされていますが、そこに込めた想いは?
濱口:衣装合わせのときに、「マスクをつけますか、つけませんか?」と言われて、「つけます」と。たった一つのことですが、それはとても大きなことであることもわかっています。マスクをつけない(コロナを表さない)こともできたけれど、そちらの方が、今の心持ちに合っていたし、マスクをつけることで、登場人物たちが自分たちと同じ世界に生きているという実感を持ってもらえると思います。晴れ晴れとした表情はしているけれど、世界の厳しさはあるということを表現していますね。
 
実際には舞台に絡むシーンで終わってもいい話ですが、それでは円環が閉じて終わる印象があるので、最終的にどこか突き抜けていく物語にしたいという気持ちがありました。結果としては三浦さんの見せてくれた表情が、それまでの表情とは違う素晴らしいもので、いい形で終われるのではないかと思ったんです。
 
 
drivesub3.jpg

 

■亡き後も存在感を残す、音役の霧島れいか

――――もう一人、比較的原作のニュアンスがにじみ出る前半で、夫婦のすれ違いと情感を絶妙な塩梅で表現したのが音役の霧島れいかさんです。美しい背筋がしなる様に品のあるエロスを感じました。
濱口:原作は妻が死んだところから始まりますが、原作ほど主人公の心情に立ち入ることはできない中、妻の死から2年後、淡々と暮らしている家福の心情はどのようなものなのかを観客が理解するには、妻の存在は明確に示されなくてはいけない。そして彼ら夫婦が抱えている問題はとのようなものだったのかもわからなくてはいけない。それを見せるためには、ある種の性描写は必要だと思っていたので、脚本段階からかなり詳しくどんなことをするのか書き込んでいました。
 
霧島さんに脚本を読んでいただき、かなり勇気が要ることだと思いますが、ぜひやりたいとおっしゃってくださった。脚本はこちらがやりたいことを書いているけれど、やりたくなければ言ってくださいとお伝えしていましたが、その上ですごく勇敢にやりきっていただいたので、とてもありがたかったです。ずっと家福と音の話として観ることができるように、その後も存在感を残してくれたと思います。
 
 

■役者の相互作用が起きるような脚本

――――濱口監督が今まで描き続けてきた作品と同様に、本作もコミュニケーションの物語であり、言葉のあるコミュニケーション、言葉に頼らないコミュニケーションの両方を描くという点でも今までの総括以上の飛躍があったかと思います。最後に監督の考えをお聞かせください。
濱口:自分で「コミュニケーションの映画だ」と思って撮っているわけではありませんが、脚本の書き方や演出の仕方によるところが大きいのだと思います。役者であり、キャラクターでもある人物たちが具体的に相互作用しあうことにより、何かが生まれる。それは現実生活の中では頻繁に起きているものですが、それを演技の場で起こしてくれれば、それが観客にも観念的ではなく、もっと直接的に伝わるのではないかと思っています。そういう相互作用が起きるためには、相互作用が起きるような脚本を書かなければいけない。その結果がご覧になっているような映画になる、ということですね。
(江口由美)
 
 

<作品情報>
『ドライブ・マイ・カー』(2021年 日本 179分) 
監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介、大江崇允
原作:村上春樹「ドライブ・マイ・カー」(短編小説集『女のいない男たち』所収/文春文庫刊)
出演:西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生他
8月20日(金)から大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、シネ・リーブル神戸、TOHOシネマズ二条ほか全国ロードショー
公式サイト⇒https://dmc.bitters.co.jp/https://dmc.bitters.co.jp/
(C) 2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
 
『犬部!』篠崎監督(シネルフレ江口).JPG
 
 
 保護犬を助けるために奔走する“犬バカ”な若者たちを描く篠原哲雄監督(『影踏み』)の最新作『犬部!』が、7月22日(木・祝)よりTOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、OSシネマズミント神戸、MOVIX京都他全国ロードショーされる。
 
 片野ゆかのノンフィクション小説「北里大学獣医学部 犬部!」(ポプラ社刊)を原案に、「犬は愛情を食べて生きている」(光文社)をはじめ、犬と猫の命をテーマにした映像作品・書籍を数多く手がける山田あかねが脚本を担当。
動物保護活動を行う大学の「犬部」創設メンバーで、一匹の犬も殺したくないと獣医学部の生体を使った外科実習を拒み、卒業後は動物病院で診療の傍ら保護犬を救う道を選ぶ颯太役に、林遣都。犬部の部員で颯太とは違い、犬にとって最悪の場所である動物愛護センターを変えることで保護犬を救う道を選ぶ、同級生の柴崎役に中川大志が扮し、それぞれの道で保護犬と向き合う様子を暖かくもリアルに映し出す。
同級生の犬部メンバーに大原櫻子、浅香航大が扮し、学生時代と、社会人になり、それぞれの現場で壁にぶつかりながらも、新たな犬部のようなつながりを作り上げていくさまは、人との関係が希薄になっている今、希望の光にも映る。保護犬の実情や、現場の疲弊ぶりもつぶさに捉え、改めて人間と動物との関係、飼うことを選んだ人間の責任を考えたくなる、今ここにある題材に目を向けたとも言える作品だ。
本作の篠原哲雄監督にお話を伺った。
 

 

 

『犬部!』main.jpg

 

■犬との思い出と颯太のモデル、太田快作さん

――――篠原監督ご自身も若いころ、犬や猫を飼っていたそうですね。
篠原:僕が高校時代から飼っていたのは、ロクという黒い犬で、自主映画時代の題材はロクの散歩中に考えていました。今から思うと、毎晩必ずやっていたロクとの散歩は自分をリセットしたり、物を考える貴重の時間になっていました。どんなに遅くなろうとも必ず家に帰っていたし、ロクも僕が帰ってくるのをずっと待っていましたね。
 
――――まさに青春時代を共に過ごした相棒だったんですね。今回映画の原案本や、颯太のモデルになった太田快作さんにお会いになり、どんな印象を受けたのですか?
篠原:犬を飼っていたのは1980年代で、犬は庭につないで飼うのが当たり前だし、番犬がわりという時代でした。僕は家の中で飼うことに違和感があり、庭で飼うのがちょうどいい距離感でしたが、太田さんを見ていると、治療中も飼い犬のハナコがそばにいて治療を見ているんです。そう考えると、犬というのはかなり濃密に付き合わなければいけない動物なのかなと思いますし、常に犬と一緒に生きている太田さんは凄いなと。
 
――――映画では獣医学部の颯太が外科実習を拒否するシーンもありました。
篠原:太田さんは大の犬好きですが、今のような活動をするに至ったきっかけは、獣医学部時代に外科実習をなぜしなければいけないのか。なぜ生きている犬を殺さなければいけないのかと思ったことなのです。映画でも描いたように、外科実習用に託された犬が逃げたところを林くん演じる颯太が保護したものの、一度学校の人に引き取られてしまい、その犬を渡してしまったことを後悔し、でもその犬が颯太のもとに戻ってきたので、大学の教授も特例として手続きを踏んだ上で颯太が飼うことができたというエピソードは原案にもありますが、太田さんの自伝(著者は本作の脚本、山田あかねさん)「犬は愛情を食べて生きている」にも書かれています。脚本で山田さんが書いたエピソードは彼女が過去に携わったさまざまな犬に関する調査などで得た見識や実例からうまくチョイスしてくれています。一方、中川大志くんが演じた柴崎は外科実習もやらざるを得ないと思っていた人ですが、ドラマとしてバディを狙っていたので同級生という設定になりました。でも柴崎のような苦悩を背負った人物も確かに存在していたようです。
 
――――映画では犬部結成時の大学時代と、現在の2つの時代が描かれますが、これは映画オリジナルですか?
篠原:プロデューサーの近藤あゆみさんから『犬部』映画化を企画するにあたり、2003年の犬部結成が過去の回想ではなく、現在と過去をそれぞれブロックで脚本に組み込んでいく狙いでいきたいと聞きました。学生時代と現在を地続きのように描写していくことに興味を覚えましたね。
 
 
 
inubu-500-2.jpg

 

■林遣都、中川大志の役へのアプローチは?

――――林遣都さんが演じる颯太、中川大志さんが演じる柴崎、ともに本当に犬を愛している様子が伝わってきましたが、キャスティングの経緯は?
篠原:クランクインは2020年7月でしたが、2019年終盤に林遣都くんのキャスティングがまず決まり、これでちゃんと映画になるなと思いました。それまでは本当に撮れるのか、いつスタートするのか決まっていませんでしたから。林くんが決まり、相手役で真っ先に候補に上がったのが中川大志くんでしたが、彼も本当に忙しく、スケジュール調整が難しかった。でも林くんとは同じ事務所の先輩後輩で、ふたりともこの作品をやりたがっているということで、多分お互いにスケジュールを調整してくれたのでしょうね。奇跡的にふたり一緒に撮影できる日程を抑えることができました。もし中川くんが無理だったら、全然違う映画になっていたでしょう。
 
――――ふたりの役へのアプローチが真逆だったそうですね。
篠原:林くんは「犬を一匹も殺したくない」と保護活動に入り込む役、中川くんは同じことを目指すにしても違うアプローチをしていく役ですが、ふたりの俳優としての資質で言えば、二人ともそれぞれにアグレッシブですが、中川君の役作りにおいてはエキセントリックに入りこむ場面があり、そこは自分を鼓舞するくらいの集中力が必要。林くんも自分の信念を貫く役柄ですので、かなり自分を追い込んでいったと思いますが、どこか自分を客観視しているクールさを感じました。中川くんにも自分を客観視するものはもちろんありますが、そういうアピローチの違いが垣間見れて面白かったですね。
 
 
その他1.jpg
 

■リアリティを求める俳優と、試行錯誤を重ねた現場

――――犬を一匹でも多く助けるという目標は同じでも、真逆の方法を選んだふたりが対峙するシーンも見どころです。
篠原:今回は林くんと中川くんのふたりの芝居が多く、学生時代の青森県十和田市で撮影したものも多かったのですが、俳優としての資質として、ふたりは設定の背景にあるものを考えたり、彼らなりにリアリティを欲するのです。例えば卒業式のあと、颯太が「一緒に動物病院をやらないか」と柴崎を誘いますが、「違うアプローチをするよ」とわかれていく大学時代のある種の決別シーンがあります。どんな状況でそんな話をするのか考えてみると、卒業式で後輩たちが祝ってくれているなか、肝心の話をしなくてはならないわけで、当初の脚本では「犬部控え室で犬を世話しているときに」と書かれていました。「世話」というのはどんなことをするのか、それが演出に求められることで、最終的には颯太と柴崎、それぞれが犬をと散歩し、颯太は柴崎が帰ってくるのを待つという設定に落ち着いたものの、そこに到るまで結構いろいろなことをふたりと話しているんです。最初僕は、ワンカットで二人が歩きながら話をするのを流れるように撮りたいと言っていたのだけど、やりだすと、やはりきちんと止まって話をする必要性を感じ、設定自体をきちんと見直したりしながら、現場で試行錯誤を重ねていましたね。
 
――――犬たちの名演技と、犬と共にいる林さん、中川さんの自然な演技が作品にリアリティを与えていますね。
篠原:一番最初に秋田が逃がしてしまった犬、ミックは元野良犬で、まさに爪を立てて怯えていたんです。林くんは青森に先行して入り、まずミックと戯れる時間を作ってくれたので、林くんだけに懐くようになっていました。中川くんも少しはコミュニケーションを取ってくれたけれど、林くんほど懐かないようにうまくふたりで計算してくれているんですね。犬に関わる役を演じるという時点で、演じる上でのスタンスが普段とは違っていたのだと思います。犬を通して役に入り込むことが大事だったので、そこをきちんとやってくれているなと思って見ていました。颯太と柴崎がバディであるだけでなく、それぞれが自分の飼い犬とバディであるということを、すごく忠実に演じてくれましたね。
 
――――映画では颯太たちが行う保護犬の譲渡会のシーンもありましたが、篠原監督は参加したことがありますか?
篠原:何度か行ったことはありますし、行くと飼いたくなるのですが、犬を託す側は犬の個性をきちんと教えてあげなくてはいけないし、託される側も本当にきちんと飼えるかどうかを見られるわけです。だから、実際に譲渡する前に何度か対面するというシステムなんですね。保護犬や保護猫を飼うのはいいことだけど、それを今の自分の環境できちんとできるかどうかは別問題なので、諸条件をまずは整えていくことができなくてはいけないのだろうなと思います。
 
SsJAD2Zg.jpeg

 

■ある種の現実を切り取ることが大事な作品

――――私自身、ペットを飼ったことはありませんが、人間と動物との関係や、自分が正しいと思ったことを貫く力など、いろいろな気づきを与えてくれる作品ですね。
篠原:僕も最初オファーを受けるとき、単に犬や猫を愛でるような映画だったらイヤだなと思ったんです。この作品は、犬が人間に尽くしまくるような献身的な姿を描くことである種の感動をもたらせるという映画ではありません。たまたま犬の題材ですが、世の中の矛盾や違和感に対して異を唱えていく若者の話だと捉えることもできるでしょう。映画は時に、ある種の現実を切り取ることが大事であるということに自分自身が気づく作品になったとも思っています。
(江口由美)
 

<作品情報>
『犬部!』
(2021年 日本 115分)
監督:篠原哲雄 
原案:片野ゆか「北里大学獣医学部 犬部!」(ポプラ社刊) 
出演:林遣都、中川大志、大原櫻子、浅香航大、田辺桃子、安藤玉恵、しゅはまはる、坂東龍汰、田中麗奈、酒向芳、螢雪次朗、岩松了
7月22日(木・祝)よりTOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、OSシネマズミント神戸、MOVIX京都他全国ロードショー
公式サイト → https://inubu-movie.jp/
(C) 2021『犬部!』製作委員会
 
いとみち横浜監督、駒井さん写真(シネルフレ江口).jpg
 
「いとは瞬間、瞬間で姿が違うんです」
二人三脚で役作りに挑んだ『いとみち』主演、駒井蓮さん、横浜聡子監督インタビュー
 
 『陽だまりの彼女』の著者としても知られる越谷オサムの原作を横浜聡子監督(『ウルトラミラクルラブストーリー』『俳優 亀岡拓次』)が映画化した『いとみち』が、6月25日(金)よりテアトル梅田、イオンシネマシアタス心斎橋、京都シネマ、26日(土)より元町映画館にて公開される。
世界初上映された第16回大阪アジアン映画祭で見事グランプリと観客賞のW受賞に輝いた本作。人見知りの高校生いとがメイドカフェでのアルバイトや、友達の支え、そして津軽三味線を通じて成長していく姿を、青森の津軽を舞台に伸びやかに描いている。人見知りのいとを青森県出身の駒井蓮、いとの父親役を豊川悦司、伝説の三味線奏者でもあるいとの祖母役を初代高橋竹山の一番弟子、西川洋子が演じ、三世代親子による濃密な津軽弁での会話も見どころだ。メイドカフェの店長やスタッフには中島歩、黒川芽以、横田真悠らが顔を揃え、エンターテインメント色の強い中に女たちの連帯もしっかりと描かれている。駒井が猛特訓したという、いとの津軽三味線ライブシーンも必見だ。
 いとを演じた駒井蓮さんと横浜聡子監督に、お話を伺った。
 

『いとみち』メイン.jpg

 

■伝わったと感じて嬉しかった大阪アジアン映画祭の観客賞(駒井)

―――まずは、大阪アジアン映画祭でのグランプリと観客賞のW受賞おめでとうございます。改めて受賞したときのお気持ちをお聞かせください。
横浜:賞があることは知っていたけれど、受賞することは全く考えていなかったので、グランプリをいただいてビックリしたのが最初の気持ちですね。観客賞をいただけたのも素直に嬉しくて、俳優部やスタッフと早く共有したいと思いました。
 
駒井:大阪アジアン映画祭はアジアの映画をたくさん上映するというイメージが強かったので、監督と同じ印象はあったかもしれません。『いとみち』が完成して初めてお客さまに見ていただいたのですが、こんなに青森色の強い映画をどんな風に見ていただけるだろうかと思っていたので、観客賞をいただけたのは本当に嬉しかったです。私たちが映画を撮るときに伝えたいことはたくさんあるけれど、それがそのまま伝わるとは限らないし、全く別のイメージで伝わるかもしれない。でも観客賞をいただけて、(伝えたいことが)伝わったのかなと思えましたね。
 
―――出身地、青森での撮影はいかがでしたか?
駒井:家族や、私が今まで生きる中で関わってきた人たちがたくさんいる場所なので、心強い反面、仕事をするために上京して6年経つ私が、仕事をしに青森に戻ってきたわけですから、不思議な気持ちにもなりました。津軽の人間を演じるということは、津軽で私が生き直す感覚だったので、逆にそれを地元で見ていただくことの緊張感はありました。新聞などで『いとみち』を撮影するというニュースもよく報じられていたので、友達が蓮絡してくれることもありましたね。
 
 
『いとみち』サブ2.jpg

 

■一つひとつ探りながら、積み重ねた主人公、いと(横浜監督)

―――原作では小柄でよく泣くキャラクターだったいとを、映画版ではその逆で泣くことができないキャラクターにしたり、駒井さんが演じる映画版ならではのいとを作り上げていますね。
横浜:最初読み合わせをしたときに、駒井さんの喋り方を観察し、そこからどのようにいとを作り上げていくかを考えました。駒井蓮という人間からどのようにして、歩いたり、しゃべったり、表情を作ったりするいとへ放射線状に広げていけるのか。いとはこういう人物像という、明確なものがあったわけではなく、一つひとつ探りながら積み重ねていった形ですね。
 
駒井:いろいろと試しつつ、いとの断片を掴んでいく。喋り方はこうかなとか、家族とはこんな関係かなと周囲から作り上げていく感じはありました。
 
横浜:学校ではこんな存在だけど、家族のなかではこんな感じだねという話はしました。場所によって有りようが変わる人ではないかと。頑なにこれがいとだと信じこまなくてもいいよと駒井さんには声をかけていました。
 
 

『いとみち』サブ1.jpg

 

■いとは瞬間、瞬間で姿が違う(駒井)

―――いとは他人に理解されたいという気持ちもまだ芽生えていない、思春期の真っ只中にいる少女で、彼女の成長が物語の中心ですが、いとの気持ちは想像しやすかったですか?
駒井:自分の思春期のことを思い出すのはすごく恥ずかしいのですが、そういう作業を重ねながらも、なかなかいとの気持ちが自分の中で定まらなかった。撮影中もずっとそうで定まらなかったのですが、相手に対してこういう態度を取るというのではなく、いとはその瞬間、瞬間で姿が違うんです。だからいとの“筋”にたどり着くまでは時間がかかりました。
 
横浜:駒井さん自身は内気ではないし、クラスの中では元気なタイプですよね。
 
駒井:根がマイペースなので、すごく仲の良い人はいる一方で、その時々によって一緒にいる人が違うんです。だから、基本的にクラスのみんなと仲がいいし、最近話が合うから一緒にご飯を食べるけど、次の週は別の友達と一緒にいたり、結構浮遊していますね。
 
横浜:演じる上で、いとみたいな内気な女の子を演じるのは難しいですか?私は(内気ないとは)自分自身と思ってシナリオを書けるけど、俳優は演じるものによって自分と全く違うキャラクターを演じる必要があるじゃないですか。
 
駒井:基本的に、自分の中にあるどこかの要素を拡大していく感じです。たまにクラスの中心に立つけれど、日頃はあまり目立たないような、立ち位置の定まらない友達を想像しながら演じましたね。学園ものは人気者、委員長、盛り上げ役という役割が往往にしてありますが、そのどれにも当てはまらない人がいとのイメージでしたね。
 
 

『いとみち』サブ4.jpg

 

■三味線を弾くと、ひとりの世界で闘っている感じ(駒井)

―――なるほど。もう一つ、いとの気持ちを掴む上で欠かせないのが津軽三味線です。相当練習され、映画でも見事な演奏を披露されていますが、津軽三味線を演奏しての感想は?
駒井:すごく面白いです。ギターやピアノのようでもあるけれど、もっともっと孤独な楽器だと思います。指の痛さや、バチで叩いている時の力も、そこで鳴らす音も全て自分の世界であり、だからこそとても孤独な楽器だと感じる。いとも劇中で目を閉じて弾いていますが、ひとりの世界で闘っている感じがあるし、私自身も闘った感じがありましたね。
 
―――津軽三味線名人で祖母役の西川洋子さんと二人で演奏するシーンも見事でした。
駒井:ふたりでドキドキして、手を繋いでいました(笑)。西川さんも映画の中で芝居として弾いた経験もないし、ふたりで演奏するということもないので、カメラが回る瞬間までお互いにずっと練習していました。弾きながら相手の呼吸や表情を視界に入れる必要があったので、本番まで「あーやばい!」「間違ったらごめんね」という感じでしたね。
 
 
『いとみち』サブ3.jpg

 

■女性の生き方を感じながら演じたメイドカフェのシーン(駒井)

―――いとがアルバイトで働くメイドカフェのシーンは、横浜監督も現代に女性性の強い場所をどのように描くかで悩まれたそうですが、いとと先輩スタッフたちとのやりとりやお客とのエピソードが豊かでかつフェミニズム的要素がしっかり含まれていましたね。
駒井:女性の生き方(フェミニズム)は自分の中でとても興味のある話題だったので、それを感じながら演じていました。私は男女を超えたものがあると思うし、中島歩さんが演じた店長はまさに独自の世界観がありました。メイドカフェのシーンは、いろいろな人と関わり合っていくなかで生まれる人間の面白さを感じましたし、お兄ちゃんお姉ちゃんと一緒にいたようで、私自身も完全に頼り切っていました。
 
―――横浜監督は撮影前、実際にメイドカフェに行かれたそうですね。
横浜:2回ぐらい行って、「萌え萌え、キューン」を低い声で、低いテンションでやってきました。私自身、楽しむより恥ずかしさの方が優ってしまって、ダメですね(笑)。メイドさんたちから本当にお客様を楽しませようとする心意気が感じられ、かといって、それを押し付けてくるわけでもない。女性のお客様も多いし、それぞれの時間を過ごして、たまに「萌え萌え、キューン」をやるという、なかなか日常では体験のできない空間です。
 
 

■いとと早苗はお互いに片思いしている距離感、初々しさを出して(横浜監督)

―――いとの心の支えになったのが同級生の早苗で、最初は電車内でのアイコンタクトが徐々に距離が近づいていく様子も、微笑ましかったです。
駒井:べったりいっしょにいる友達ではないけれど、見えないところでお互いが好きというか隠れて繋がっている。私の中では結構珍しい関係性の友達ではありますね。よく監督に「初々しさを」と言われていたので、名前を呼び合ったり、お互いに自分のことを打ち明けたりするシーンもまさにそれがテーマでした。
 
横浜:早苗が三味線というものを初めて見て、初めて触らせてもらうときの初々しさとか、初めて見たものにどのように接するのか。いとと早苗はお互いがお互いに片思いをしているような距離感のなか、はじめていとが早苗の家に行くわけで、恥ずかしさと初々しさが混じり合うような感情が見えましたね。学校とは違うふたりの一面が見えたと思います。
 
―――豊川悦司さん演じる、思春期の娘と自分なりのやり方で距離を縮めようとする父はいとにとってどんな存在だったのでしょうか?
駒井:二人とも不器用ですよね。性格が似ている家族は距離ができてしまうと思うのですが、似ているがために真正面からうまく向き合えない。相手のことを思っているからこそうまくいかないというのは、ちょっと恋にも似ていますね。豊川さんとは現場でほとんどお話することがなかったのですが、豊川さんがクランクアップする日に、青森の美味しいご飯屋さんを聞かれたり、身長の高さについてワイワイと話をできたのが思い出です。
 
 

■常にフラットで、ちゃんと吸収できる人間でいたい(駒井)

―――最後に駒井さんがこれから目指していきたいことは?
駒井:大学に入って、自分が知らないだけで、世の中には無限に仕事があることを知ったので、自分で向いていないと決めつけるのではなく、何事も試してみる精神でいきたいですね。こだわる人間でいたい一方、こだわりすぎない人間でいたい。常にフラットで、いつでもいろいろな人やものからの刺激をちゃんと吸収できる人間でいたいです。
(江口由美)
 

 
<作品紹介>
『いとみち』Ito  (2021年 日本 116分)
監督・脚本:横浜聡子
原作:越谷オサム「いとみち」新潮文庫刊
出演:駒井蓮、豊川悦司、西川洋子、黒川芽以、横田真悠、中島歩、古坂大魔王、宇野祥平
公式サイト → http://www.itomichi.com/
6月25日(金)よりテアトル梅田、イオンシネマシアタス心斎橋、京都シネマ、26日(土)より元町映画館にて公開  
(C)2021「いとみち」製作委員会
 
石井監督(シネルフレ).jpg
 
「世界で痛みを共有する今、傷ついたもの同士をつなぐ橋になる作品」
『アジアの天使』石井裕也監督インタビュー
 
 池松壮亮(『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』)、チェ・ヒソ(『金子文子と朴烈』)、オダギリジョー(『茜色に焼かれる』)の共演で描く石井裕也監督最新作『アジアの天使』が7月2日(金)からテアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、Tジョイ京都他にて公開される。
 
 2020年2月から3月にかけてオール韓国ロケを敢行。コロナによる懸念事項が次々生まれるなか、スタッフたちの努力により奇跡的に無事クランクアップを果たしたという本作は、観光地ではないソウルの一面や、海辺の町、江原道の風情を楽しむことができる。妻を亡くし、一人息子と韓国在住の兄のもとを訪ねる剛を演じた池松は初めての韓国ロケにどこかリアルな異邦人ぶりを漂わせる一方、日本語でなんとかコミュニケーションを取ろうとする不器用さが逆に滑稽さを醸し出す。風来坊の雰囲気をまとった兄を演じるオダギリジョーとの絶妙なやり取りは、うまくいかない異国での日々の重い空気を吹き飛ばす。スーパーで営業をしていたソルとの思わぬ再会、ソルの兄妹を巻き込んでの旅路と、思わぬことが起きても、それが人生と言わんばかりに転がり、そしていつの間にか膝を突き合わせて飯を食い、酒を呑むようになっている姿は、今は避けざるをえない「会って話す」コミュニケーションがいかに豊かなものであるかを痛感させる。それぞれが旅の果てに見たものは何なのか。人生に行き詰まった韓国人家族と、人生を探して韓国にたどり着いた日本人家族がみせる、全く新しい「家族のような」物語だ。
 本作の石井裕也監督にお話を伺った。
 

 

アジアの天使 メイン写真.jpg

 

■互いの心の傷や哀しみが手に取るように分かる関係

――――世界初上映となった大阪アジアン映画祭のクロージング上映では笑いも多数起こり、大盛況でした。舞台挨拶で、プロデューサーのパク・ジョンボムさんとはとてもウマが合うとおっしゃっていましたね。
石井:パクさんとは、日本であまり友達に話すことのないような、自分が心に抱えている傷や痛みについてよく話をしました。お互い拙い英語なので言葉自体は不完全で、言語的に理解できているかどうかはわからないけれど、少なくとも彼の哀しみや心の傷は手に取るようにわかった。彼も僕に対して同じような思いだったでしょう。30歳を過ぎて、そんな特別な友達ができるとは思ってもいませんでした。パクさんもなぜそんなに二人は仲がいいのかと聞かれたとき「前世で深い関係だったとしか言いようがない」と答えたそうです。
 
――――それだけ深いところで分かり合える友人で映画監督であるジョンボムさんと一緒に映画を作るのは自然な流れだったと?
石井:一緒に作ろうという話はありましたが、本作に関して言えば、プロジェクトが窮地に陥って頓挫しかけた時にパク・ジョンボムが「絶対に諦めるな、俺がプロデューサーをやるから」と手をあげてくれたんです。
 
 
アジアの天使 サブ4.jpg

 

■韓国で遊んでいた頃からはじまっていた、池松壮亮への言葉にしない演出

――――まさに「アジアの天使」ならぬ「映画の天使」ですね。今回は『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』主演をはじめ石井監督作品に多数出演している池松壮亮さんが、妻を亡くし、一人息子がいる作家、剛を演じています。ちょっとトリッキーさも感じる役ですが、二人でどのように剛のキャラクターを作り上げていったのですか?
石井:池松君とは、パク・ジョンボムと出会った翌年ぐらいから、普通に遊びに行く感覚で韓国に行き、パクさんとも遊んでいたんです。お揃いのグローブを買って、キャッチボールをして、という子どものようなことをやっていたのですが、口には出さずとも、韓国で映画を撮るんだろうなということが互いに分かっていた。だから、言葉にしない演出はその頃からはじまっていたんですね。
 
――――ずっとタッグを組んできた池松さんと、今回は全編韓国ロケでタッグを組み、また新たな一面が見えたという感じですか?
石井:今までとは全部違いましたね。馴染みのない土地を子どもと一緒に歩くということ自体が彼にとっては迷子ですから、異邦人のような感覚があったはず。どこまでその土地に入り込めるか、もしくは入り込まないかということをよく考えたのだと思います。
 
――――入り込む/入り込まないのバランスは、監督とディスカッションで決めたのですか?それとも池松さん自身の判断に委ねたのですか?
石井:その辺は池松君とかなり話をしました。プライベートで一緒に韓国に行っただけではなく、役を掴むきっかけが少しでも多い方がいいと思ったのでロケハンも一緒に行きました。僕が韓国人スタッフとあーでもない、こーでもないと話している姿を見ているだけでも、何かの参考になったのではないでしょうか。撮影を終えて、「これまでとは全く別の景色が見られた」というようなことを言ってくれましたね。
 
 
アジアの天使 サブ5.jpg

 

■日韓関係が最悪な中、強い志で、全存在をかけてタッグを組んでくれたチェ・ヒソ

――――相手役となるかつてのアイドル歌手、チェ・ソルを演じたチェ・ヒソさんは、大阪アジアン映画祭とも馴染みが深く、小学校時代に日本で暮らした経験もある俳優ですが、ヒソさんをキャスティングしたいきさつは?
石井:役の年齢層に合う俳優を何名かピックアップし、打診していくオーソドックスなスタイルをとったのですが、2019年ごろは日韓関係が最悪で、それを理由に断られることが多かった。このプロジェクトに参加することで、日本に加担しているという見方をされかねない状況の中、ヒソさんは「そんなの知るか、面白いことをやりたい」というとても意志の強い方で、日本語もしゃべれるし、色眼鏡が全くない方でした。それなら一緒にチャレンジしましょうかと声をかけさせていただいたのです。実際にすごく聡明で志の高い方で、共に力を合わせて戦えた。思いの強い方でしたね。
 
――――ソルは自国語で話す一方、剛も日本語で話しかけ続け、コミュニケーションが取れていないように見えながらも、だんだん距離感を縮めていきます。映画の中で、コミュニケーションについてどのように捉えて演出したのですか?
石井:いろいろな言葉が飛び交うけれど、結局言葉だけでは本心にたどり着けない。言葉でたどり着けないところにある本当の感情を表現できれば面白いなと思ったのです。だから、今回はディスコミュニケーション(誤解)を生むものとして、言葉を使っていますね。ソルと剛がなんとか思いを伝えあうのは本当に拙い英語で、それは僕とパクさんの関係と似ています。
 
 
アジアの天使 サブ1.jpg

 

■池松壮亮とオダギリジョー、天才ふたりが韓国でみせた演技

――――剛の兄を演じたオダギリジョーさんの軽やかな演技が魅力的でした。池松さんとオダギリさんの共演は初めてなのではないかと思いますが、現場ではいかがでしたか?
石井:韓国で池松君とオダギリさんが、バカみたいなことを言っているシーンを撮るのはすごく楽しかったですね。韓国のスタッフも芝居を見ながらクスクス笑っていましたし。池松君とオダギリさんが一緒に芝居をしているのを日本で見たことはないですが、この天才ふたりが韓国で愚かな会話をしているのは、素晴らしい光景でしたね。キャストも家族のようなものになっていくということを意識していたかどうかは分かりませんが、皆さん本当に仲が良くて、頻繁にビールを飲みに行っていましたね。特に江原道に行ってからはみんなで合宿して撮影したので、浜辺でもよく一緒に遊んでいました。
 
 
アジアの天使 サブ2.jpg

 

■扱いきれないもの、言葉にならないものを映画にしたかった

――――『アジアの天使』というタイトルは意外性もありながら、しっくりとくるタイトルのように思えます。映画でも重要なモチーフですね。
石井:天使というものに対し、人それぞれのイメージがあるでしょうし、捉え方も違う。いるかもしれないし、いないかもしれない。信じているかもしれないし、信じていないかもしれない。そんな扱いきれないもの、言葉にならないものを映画にしたかったので、ちょうどいいと思ったのです。加えて、アジアの隣国であり、別々の国である韓国と日本をつなぐものが、西洋のシンボリックなものだと意味があるのではないかと。あるかないか分からない可能性が偶発的、もしくは奇跡的に二者を結びつけると面白いのではないかという気持ちがありましたね。
 
――――決して主人公たちの置かれた境遇が改善するわけではないけれど、逆にそのままでも大丈夫と包み込んでくれる作品で、コロナ時代で疲れ切っている今の私たちにすごく心地よい余韻を与えるのではないでしょうか。
石井:期せずしてではありますが、コロナ禍になり、痛みを共有せざるを得なくなりました。世界平和という言葉を使うのは恥ずかしいのですが、どこの国の人も皆、同じように辛い状況を強いられているんだと想像することは、新しい関係を生む小さなきっかけになるような気がします。この映画は小さな橋になるかもしれません。みんなで集まってご飯を食べ、ビールを飲むこと以上に重要なことは、実はないんじゃないかと思います。
 
(江口由美)

『アジアの天使』“The Asian Angel”(2021年 日本 128分) 
監督・脚本:石井裕也
出演:池松壮亮、チェ・ヒソ、オダギリジョー、キム・ミンジェ、キム・イェウン他
7月2日(金)からテアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、Tジョイ京都にて公開。
公式サイト⇒https://asia-tenshi.jp/
(C)2021 The Asian Angel Film Partners
 
ブータン2.jpeg
 
「自然と一体化したブータンの伝統的な美しさを見せたい」
『ブータン 山の教室』パオ・チョニン・ドルジ監督インタビュー
 
 幸せの国として知られるブータンを舞台に、僻地のルナナ村に教師として赴任することになった青年、ウゲンと、村人や子どもたちとの交流を通じて改めて幸せの意味を考えたくなるヒューマンドラマ『ブータン 山の教室』が、4月30日(金)よりシネ・リーブル梅田、京都シネマ、5月7日(土)よりシネ・リーブル神戸、他全国順次公開される。
 
 監督は、本作が初監督作となるブータン王国出身のパオ・チョニン・ドルジ。数人の主役級俳優を除き、ルナナ村の人たちが映画に出演。映画を見たことのない村の子どもたちが、生徒役としてとても自然な表情を見せている。標高4800メートルのルナナ村への徒歩の旅路や、村の四季の情景の美しさ、氷河を抱く山々にこだまする、ヤクに捧げる歌の響きなど、騒々しい日常を忘れさせてくれる風情も大きな魅力の作品だ。オーストラリアで歌手の夢を叶えようと移住を計画しているウゲンがどのような成長を遂げるかにも注目してほしい。本作の脚本、プロデュースも務めたパオ・チョニン・ドルジ監督にリモートインタビューを行った。
 

 
―――大阪アジアン映画祭2017ではプロデュース作品『ヘマヘマ:待っている時に歌を』のゲストとして来阪されましたね。『ヘマヘマ〜』は非常に前衛的な作品だったので、初監督作の『ブータン 山の教室』は全くテイストが違うことに驚きました。本作は幸せについて考えさせられますが、ブータンが「幸せの国」と呼ばれることに対し、監督自身はどのように感じているのですか?
ドルジ監督:幸せとは非常に主観的なものですが、幸せになる理由や条件は変わり続けています。ブータンは多くの国から幸せと思われていますが、何が幸せなのか、私たちもブータンの人たちも分からなくなっている気がします。うつ病にかかる人や自殺率が多いのが実情ですし、おそらく世界で一番都会への流入率が高いのではないでしょうか。またウゲンのように若い人たちは自分が何をしたいのかわからず、答えはブータンの外にあると考えている人が多いです。
 
以前、私たちにとっての幸せはブータンの伝統文化や精神的な支えである仏教に基づいていました。ブータンは、何世紀にもわたって続いた鎖国状態が、まさに一晩にして開国したような変化を経験し、今の若い人たちが抱く幸せはテレビやインターネットに影響されています。モダンで西洋的な生活が幸せだと考えている人が多いのですが、そういう生活はブータンにはない。自国にないものを求めるので、幸せ度は減ってしまうのです。
 
 
ブータン5.jpeg

 

■プロデュース作の上映禁止を糧に、ユニークさと観客を喜ばせる内容を取り入れる

―――監督ご自身は世界中を旅されておられますが、ルナナ村との出会いについて教えてください。また、僻地での撮影は非常にチャレンジングですが、それを貫いた理由は?
ドルジ監督:『ヘマヘマ〜』はとても実験的な映画で、映画祭界隈では非常に評判が良く、有名な映画祭にも招待されましたが、ブータンでは上映禁止になってしまいました。批評家は物議を醸す作品を好むので、上映禁止により評価はさらに高まりましたが、私自身、非常に深く映画に関わっていたので、とても心が挫ける経験になってしまったのです。その時、自分が監督する映画は、海外の映画祭で上映されるユニークさは持ちつつも、観客を喜ばせる内容のもので、少なくともブータン政府から発禁処分を受けない作品を作ろうと心に決めました。そして色々な人々にアートの力、映画の力を見せたいと思った。それが『ブータン 山の教室』を作る最初の動機です。おかげで海外の映画祭をはじめ、上映後の評判も良く、ブータン政府も上映を許可しているのでその思いは遂げたと思います。
 
 
ブータン4.jpeg
 

■西洋的な価値観を持つ者を誘う正反対の僻地を探して

―――なるほど、前作の経験から作品の方向性が決まったのですね。
ドルジ監督:ブータンに限らず、世界のほとんどの人は西洋的な価値観をもとに幸せについて考えていると思うのですが、その反対を見せたいと思いました。ですから西洋的な価値観を持つ主人公をルナナへ旅させようと思ったのです。私自身も反対のものを見せるために僻地を探し歩き、ようやく出会ったのがルナナでした。ここはブータンの中で非常に伝統的な場所であり、ブータン人にとっても一番辺鄙な場所です。そこに行くために14日間歩き続けなければいけません。また、ルナナという名前は「暗い谷」という意味で、西洋的な価値観で幸せを求めている人が、反対の暗闇に行き、幸せの光の意味を知るという意図でこの場所を選びました。
 
―――僻地、ルナナでの撮影は相当大変だったのでは?
ドルジ監督:電気はなく太陽電池のみだったので、その電源は全て撮影と録音のために使い、ラフカットを作るまで自分たちが何を撮ったのか見ることができませんでした。アメリカでも仕事をしている撮影クルーからは、アメリカには組合があり、撮影クルーは徒歩15分圏外から出てはいけない決まりになっているのに、この撮影は14日間歩かなければ通りにも出ないような場所に連れてきて、ベッドもシャワーもないところで仕事をさせると冗談ぽく言われましたね。ブータンには組合がなくて良かったです。実際、クルー達はルナナでの生活をとても楽しみ、帰るときにはノスタルジックな気持ちになっていましたよ。
 
 
ブータン3.jpeg

 

■ブータンの伝統文化や知恵の美しさを思い出させる「ヤクに捧げる歌」

―――原始的な歌の誕生や、今につながる歌の継承も大きなテーマになっていますが、セデュが歌ったヤクに捧げる歌について教えてください。
ドルジ監督:文明や文化は様々な心情や信仰、伝統を持っていますが、だいたいそれは過去の話に基づいていますし、特に歌は過去を語っていると思います。ヤクに捧げる歌を映画の中心に据えたのは、我々のご先祖様たちが今、忘れられていると感じたからです。ヤクに捧げる歌はブータンの文化や伝統を表しています。カルマや輪廻転生というブータンの人にとても大切な考え方や、山、氷河、水とブータンの人が伝統的に抱いている周りの環境への敬意を歌っています。でも、今は過去のものとして忘れられ、多くの若者はウゲンのように自分が人生に求める答えはブータンの向こうにあると思っていますが、そんな彼らにブータンの伝統文化や知恵の美しさを思い出してもらいたいという狙いもありました。どうしても古臭い音楽と思われがちですが、映画に取り入れることで、むしろカッコいいと再発見してもらいたいという気持ちもあったのです。
 
―――セデュがウゲンに歌を教えるシーンや別れのシーンも印象的でしたね。
ドルジ監督:ウゲンはブータンの現代の若者の代表として描いています。彼はオーストラリアで歌手になり周りから認められたい、有名になりたいと幸せを外側に求めていますが、セデュはその真反対の立場をとる人物です。彼女は鳥のために歌うなど、歌は捧げ物だと思っており、それはブータンの伝統的な価値観を表しています。最後にウゲンは一緒に来ないかと誘いますが、セデュはルナナに居続けるということで、正反対のバランスを保ち続けるだけでなく、ウゲンはセデュからも人生に求めていることを学んでいるのです。二人の間にロマンチックな雰囲気をほんの少しだけ出していますが、それが余計にみなさんの想像を掻き立てているかもしれません。
 
 
ブータン1.jpeg

 

■教室にいるヤクのノルブ(宝)が、自然と一体化したブータン

―――ありがとうございました。最後にどうしてもお聞きしたかったのが、長老のヤク、ノルブのことです。教室で飼われているノルブは授業中の生徒たちと必ず一緒の画に収まっていましたが、この映画でノルブが果たした役割について教えてください。
ドルジ監督:学校の先生が、毎日火起こし用にヤクの糞を拾い回ることに疲れてしまい、ヤクを教室の中に入れたという実話を知り、それに基づいてこのシーンを考えました。ヤクが教室にいることで、ブータンの文化のとんでもないぐらいの美しさ、現代的概念がないぐらい自然と一体化しているところを見せたいと思ったのです。
 
ヤクはおとなしい動物ではないので、最初、私が教室にヤクを入れようとした時に、子どもたちはとても怖がっていました。壁を取り払い、2つの教室を1つの大教室にしたのですが、建物自体が大きくないので、もしヤクが暴れたら壊れてしまうのではないかと心配していました。ノルブを演じてくれたのは、白い斑点があるナカという名前のヤクで、ルナナで一番気が優しいヤクだったのです。高山病の人を下山させる仕事で、人の役にも立っている、とても気のいいヤクでした。だから、撮影が終わってナカを教室から出すとき、悲しい気持ちになりましたし、撮影が終わることを実感しました。ナカは、撮影の後老衰で亡くなってしまったので、映画の中でナカが生き続けていると思い、共に撮影ができたことを光栄に思うと同時に、とても感謝しています。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ブータン 山の教室』(2019年 ブータン 110分)
監督・脚本・プロデューサー:パオ・チョニン・ドルジ
出演:シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップ、ケルドン・ハモ・グルン
2021年4月30日(金)よりシネ・リーブル梅田、京都シネマ、5月7日(土)よりシネ・リーブル神戸、他全国順次公開
公式サイト→https://bhutanclassroom.com/
(C) 2019 ALL RIGHTS RESERVED

 

tarcois-inta-550.jpeg

(2021年3月13日(土) シネ・リーブル梅田にて)

ゲスト:柳楽優弥(主演)、KENTARO(監督)

 

「ありのままの自分を活かしてくれた監督に感謝」――柳楽優弥

「柳楽君は、役者にとって一番大事なものを持っている」――KENTARO監督

 

日本・モンゴル・フランスの合作映画『ターコイズの空の下で』は、自堕落な生活を送っていた青年がモンゴルの大草原を旅しながら成長していくロードムービーである。

同世代の俳優の中でも抜群の存在感を示す柳楽優弥が主演のタケシを演じ、『誰も知らない』以来となる即興的演出に手応えを感じたようだ。そして、タケシを案内するアムラを演じたのは、モンゴルのスーパースター、 アムラ・バルジンヤム 。遊牧民特有の大らかな逞しさでタケシを導き、その雄姿はモンゴルへの憧憬へと繋がっていく。さらに、俳優でもあるKENTORO監督は、大自然と対峙しながら生きる人々を悠然たる映像で捉え、“本当の幸せって何?”と現代人が忘れてしまった何かを思い起こさせてくれる。


tarcois_sub.jpg柳楽優弥は、約3週間半に及ぶモンゴルロケで、当たり前のように享受していた文化的生活から遮断され、「自分自身を見つめ直す時間が持てたことはラッキーでした。より前向きに仕事に取り組めている自分がいます」と述懐。KENTORO監督も、「携帯も通じない、物のない生活を送ると、本当に必要なものとは何かを考えました」と、映画の主人公同様に、撮影隊全員がテーマを追体験してきたようだ。

柳楽優弥は今年31歳。若手俳優の中でも16年以上のキャリアを持ち、あまり生活感を感じさせないが、他の人より濃厚な俳優人生を歩んでいるように見える。そんな異色ともいえる唯一無二の存在感は、KENTARO監督にも期待されているように、海外を視野にした今後の活躍ぶりが楽しみな俳優だと思う。


関西での公開に合わせて来阪したお二人にお話を伺うことができたので、下記にご紹介致します。


(以下はインタビューの模様です。)

turquoise-pos-2.jpg

――美しい映像でしたが、撮影で特にこだわった点は?

K監督:こだわった点?あり過ぎました(笑)。今はTVや小さい画面で観ている時代ですので、どうやったら映画っぽく作れるかという事にこだわりました。映画館で観る価値のある映像を撮るために8Kで撮る。今こそ違いを見せるために、美術や色彩・構図にこだわり、ハイレベルの技術を目指していました。所々、ヌーヴェルバーグへのオマージュを込めたところもあります。


――俯瞰・ロングでのショットなど人物と大自然との対比でよりスケールアップする構図に惹かれました。

K監督:そうですね、構図には強弱を付けました。顔のアップにも、顔のテクチャ―を表現として使いました。例えば、麿赤児さんの顔は最初からアップで撮ると決めていたんです。彼の顔には人生が滲み出ているので、あのマーキングされたような皺ひとつがモンゴルの山を連想させる。モンゴル人ではないけど、モンゴルをイメージさせる顔って、そう居ないですよね。素晴らしいあの声と顔と演技、麿さんはとてもユニークな俳優さんで、三郎の役はファーストチョイスでした。


――柳楽さんは、外国ロケは『星になった少年』以来15年ぶりだと思うのですが?

柳楽:あの時は、『誰も知らない』直後で、いきなり大作に出演することになって、まだどうやって演技したらいいのかよく分からず怖かったです。今回はウランバートルから車で9時間位の所での撮影でした。ラクダや羊や馬はいっぱい居ましたが、携帯も通じないような所で、自分自身を見つめ直す瞬間が沢山ありました。

今までは個性が強い役柄を演じることが多かったのですが、今回は即興演出的な感じもあり、より役者の力量が試されているようでした。でも、「こういうの好きだ!」と初心に戻れたようでした。今までいろんな役を演じてきて、自分でも分からなくなってきていたことに気付けた気がします。20代後半でこのことに気付くことができて、30代のプランみたいなものが見えてきました。それはとてもラッキーなことでした。今、より前向きに仕事に取り組めている自分がいます。

turquoise-550-2.jpg――柳楽優弥さんを起用した理由について?

K監督:役者にとって一番大事な「ピュアで素直」なところを感じたことと、「野性味」を持っているところです。それは俳優やミュージシャンには必要なことで、人間が忘れてしまった野性味を、歳をとってからも保ち続けることはとても難しいことなんです。柳楽君はまだ若いですけどね。

私が旅をして来た中で、モンゴルが一番カルチャーショックを受けた国です。モンゴルは儒教の国ではなく、チンギス・ハーンの国で、同じ東洋人でもプライドの持ち方や価値観などすべてにおいて違います。ましてや、文化的な生活に慣れている日本人にはその衝撃は大きいと思いますよ。アジアの文化圏でも違う文化を持っている国なんです。


――日本人にとってモンゴルに対してのイメージは、相撲界で活躍されている力士や、雄大な大自然への憧れがありますが、特別なシンパシーを感じるものなのでしょうか?

K監督:そうです。モンゴル人の男らしさも、日本のひと昔前の“男らしさ”というイメージかなと思います。モンゴル人も日本人に近いものを感じていると思います。


turquoise-500-4.jpg――撮影中、一番大変だったことは?

柳楽:大変なことが多かったです! 日本から持ってきていたカップ麺を、プレイリードッグに何個か食べられちゃいました(笑)。

K監督:それと必要な物はポン酢ね。ラム料理には欠かせないので、持って行くのをおススメします。

柳楽:大変でしたが、ある意味、心のデトックス効果があったように感じます。とにかく、物がない。でも、より精神的に学べることが多かったように思います。

K監督:世界がこのように大変な状況にある中で、ある意味、根源的な価値観を大事にすることが必要です。だからこそ、モンゴルの暮らしが尊く感じられると思います。

約3週間半の間、携帯電話が使えなかったのですが、私は最初から諦めて、使えなければ「何が大事か?」って他のことを考えました。いろんな国を旅行していますけど、社長と呼ばれるような人でも、モンゴルの風景を見て感動して涙を流していました。モンゴルには心を大きく揺り動かす何かがあるんです。そんな国って、他にはないように思います。

モンゴルは海抜が高く、雲がすぐそこにあり、プラネタリウムのような本物の星空を間近に眺めることができるんです。「この美しい瞬間を撮りたい!」という衝動に駆られました。アムラと出会ってこの話をしたら、「すぐやろう!」ということになって、この映画が稼働し始めたのです。


――今回の役は、祖父の若い頃の体験を追体験しながら成長していくような旅だったと思いますが、即興的演出の中でも、成長に繋がるような演技を意識されましたか?

柳楽:今までも自分の中では常にもっと良くしたいと考えながら演じていたのですが、この作品では、“放り込まれた感”というか、“これが自分の記録だ”なんて開き直った面もあれば、悩んでいた面もあり、すべてを記録してもらった感じです。役作りということはあまりなくて、もう“行って来ます!”という勢いでやりました。


――そんな柳楽さんを監督がしっかり受け止めて描いているのが、この映画の醍醐味ではないかと思うのですが?

K監督:ありがとうございます。この作品は、いい役者+いい役者、全く違う感覚を持った者同士がぶち当たった時に生まれるエネルギー効果が活かされています。それが本当の演技なのだと思います。それはとても難しいことですが、柳楽君はとてもいい役者なので、言葉ではなく役と本当の自分とが混じり合った瞬間を写し撮ったのです。10年後に同じことはできないと思います。この映画は、彼の記録であり、役になり切って本当の涙を流したのもすべて、演技に対するパッションなのです。


――ロードムービーとしていろいろご苦労されたと思いますが、「完成した」と実感した瞬間はありましたか?

K監督:なかったですね。全く「完成した!」という気持ちはなかったですが、いつかはケジメをつけなきゃならないし、映画祭に出品することが決まった時に完成させました。

柳楽:海外の映画祭では、監督が通訳なしで爆笑させるんですよ。これは凄いなと思いました。自分も監督のように、外国の方に直接アピールできるようになりたいと思っています。

 


『ターコイズの空の下で』

【解説】
turquoise-pos.jpg『誰も知らない』でカンヌ国際映画祭主演男優賞に輝き、以降も『許されざる者』、『ディストラクションベイビーズ』など意欲作に出演する柳楽優弥が、新たな挑戦として臨んだ初の海外合作。資産家の祖父を持ち、東京で自堕落で贅沢三昧の暮らしを送る青年タケシはある日突然、モンゴルに送り込まれる。目的は、第二次世界大戦終了時にモンゴルで捕虜生活を送った祖父と現地の女性の間に生まれ、生き別れとなった娘を探すこと。ガイドは、馬泥棒のモンゴル人アムラ。果てしなく広がる青い空の下、言葉も通じない、価値観も異なる二人の詩的でユーモラスな旅が始まる。監督は、『キス・オブ・ザ・ドラゴン』や『ラッシュアワー3』など多数の欧米作品への出演経験を持つKENTARO。


【STORY】
大企業の経営者を祖父に持つタケシ(柳楽優弥)は、祖父の三郎(麿赤児)からモンゴルへ人探しに行くように言われ、アムラ(アムラ・バルジンヤム)というちょっと得体の知れないガイドと共にモンゴルへ行く。東京で自堕落な日々を送っていたタケシにとって、携帯も通じない、言葉も分からない、迷子になって狼に遭遇するなど、カルチャーショックと共に死ぬほどの思いをしながら、物質的なものではなく精神的な豊かさの中で成長を遂げていく。

タケシの旅には、祖父の若き日の悔恨の想いが込められていた。第二次世界大戦後に捕虜としてモンゴルで強制労働に就かされていた祖父は、モンゴルの女性との間に娘を儲けていたのだが、帰国後行方知れずとなっていた。タケシにとって祖父の娘を探す旅は、祖父が辿った道を追体験する旅と重なり、雄大な大自然の中で暮らすモンゴルの人々の大らかさや逞しさに触れながら、人間として大きく成長していくのである。


■監督・脚本・プロテューサー:KENTARO
■出演:柳楽優弥 アムラ・バルジンヤム 麿赤兒 ツェツゲ・ビャンバ
■2020年製作 日本・モンゴル・フランス合作 上映時間:95分
■配給:マジックアワー マグネタイズ
公式サイト:http://undertheturquoisesky.com
■ (C)TURQUOISE SKY FILM PARTNERS / IFIPRODUCTION / KTRFILMS

■2021年2月26日(金)~新宿ピカデリー、3月12日(金)~シネ・リーブル梅田、アップリンク京都、MOVIXあまがさき、4月9日(金)~シネ・リーブル神戸 他全国順次公開


(河田 真喜子)

 

『大綱引の恋』西田さま(シネルフレ江口).jpg
 
 
「この作品の中に佐々部監督の魂がきっちり入り込んでいる」
『大綱引の恋』西田聖志郎さん(企画、プロデューサー、出演)インタビュー
 
 心温まる家族ドラマを数多くてがけてきた名匠、佐々部清監督の最新作にして遺作となる鹿児島県薩摩川内市を舞台にした『大綱引の恋』が、5月7日の全国公開を前に第16回大阪アジアン映画祭の特別招待部門作品として、関西プレミア上映された。
 薩摩川内市で400年の歴史を誇る大綱引に青春をかける青年・武志と、韓国からやってきた女性研修医・ジヒョンとの恋だけでなく、薩摩川内市と大綱引が縁で姉妹都市盟約を結んでいる韓国・昌寧(チャンニョン)郡との交流も描かれる。
 三浦貴大が武志を演じ、見事な一番太鼓を披露するほか、知英が武志一家と交流する研修医ジヒョンを好演している。比嘉愛未や升毅など佐々部組の常連俳優も顔を揃え、軽快かつ味わい深いヒューマンドラマに仕上がった。迫力の大綱引シーンはまさに圧巻だ。
 本作の企画、プロデューサーを務めるだけでなく、武志の父を熱演。長年、佐々部監督と交流の深かった西田聖志郎さんにお話をうかがった。
 

 

■佐々部監督とは共に遅咲き、シンパシーを感じた仲間

―――まずは佐々部監督との出会いについてお聞かせください。
西田:佐々部監督が44歳でデビュー作『陽はまた昇る』を撮ったのですが、僕は当時46歳でそのオーディションを受け、いわば東映の大作で役名がつくような役をいただけた。監督も長年助監督を務めた遅咲き組ですし、同世代として昭和のいい時代に青少年期を過ごしたという意味でも、シンパシーを感じたんですよ。ただ失礼なことをしたと思うのが、オーディションで、中央に監督と思しき方がが座っていて、周りをチョロチョロしている人がいて、その人は助監督なんだろうなと思っていたら、実はそれが佐々部監督で、僕が監督だと思い込んでいたのは、大御所カメラマンの木村大作さんだったんです。その後何年経っても、佐々部監督からそのことを言われてましたね(笑)
 
―――その後、佐々部監督とは『六月燈の三姉妹』でプロデューサーとして初タッグを組まれましたね。
西田:『六月燈の三姉妹』は僕が構想を練り、全国で上演した舞台です。再演した2011年に、違う映画製作会社の3人のプロデューサーが別々に観劇し、3人とも映画にしたら面白いのではと仰ったので、映画に向いているのかと僕もその気になったんですよ。佐々部監督しかいないと思い、演劇の台本を読んでもらい、公演映像を観て頂いたら面白いと快諾してもらえ、僕の初プロデュース作品でタッグを組むことが実現しました。
 

SS4_Love and the Grand Tug-of-war_main.jpg

 

■薩摩川内市と昌寧(チャンニョン)郡の関係を通して日韓の交流を描く

―――今回の大綱引は、西田さんご自身も馴染みの深いものだったのですか?
西田:僕は鹿児島市出身なので、川内大綱引のことを新聞やテレビのニュースでしか知りませんでした。『六月燈の三姉妹』が海外で上映される中、5カ国8都市を僕一人で行ったり、監督とともに周ったりしたのですが、鹿児島の経済界から依頼を受け、その体験記を「映画により鹿児島の魅力を世界に発信」という演題で県内3ヶ所で講演したことがあり、その中の一つが薩摩川内市でした。その時、「薩摩川内には400年の歴史を誇る大綱引がある。これを、どげんかして映画にできんですか?」と声をかけられ、その年の川内大綱引にお招き頂いたのです。3000人の男たちが本当に死に物狂いで激闘している姿を見ながら、この人たちそれぞれに家族や恋人がいるだろうし、その一人にスポットを当てながら主人公を取り巻く人間模様を描くと、面白いドラマができるのではないかと閃いたんです。
 
薩摩川内市は、綱引がご縁で韓国の昌寧(チャンニョン)郡と友好都市盟約を結んでおり、私も2018年の交流ツアーに同行させて頂いたのですが、国同士がどれだけギクシャクしていても、大綱引保存会の人たちは毎年交流していて、親睦を深めているんですよ。佐々部監督も『チルソクの夏』『カーテンコール』と韓国との交流を描く作品を撮っていますし、その関係性も映画の中に取り入れようと思っていました。また主人公、武志の相手役となる知英さん演じる韓国からの研修医・ジヒョンがどのように武志の家族に受け入れられていくかも最初からイメージができていたんです。そういう意味でも、日韓の交流を描いた『大綱引の恋』を大阪アジアン映画祭に呼んでいただけたのは本当に意義深いし、佐々部監督も喜んでおられると思います。
 
 
SS4_Love and the Grand Tug-of-war_sub1.jpg
 

■2年がかりで撮影した迫力の大綱引シーン

―――大綱引シーンの迫力に圧倒されましたが、どのように撮影されたのですか?
西田:2年がかりで撮りました。年に一度、秋分の日の前日に大綱引が開催されるのですが、その翌日から次の年に向けての人数集めが始まります。両チームとも綱の長さに収まる約1500人ずつを集めることになります。それだけではなく、毎年365m、直径40cm、重さ7tの大綱を作るのですが、その材料となる縄作りも始まるんですよ。ちょうど稲の収穫の時期でして、藁を確保し始めるタイミングでもありますので、諸々の準備も含めて一年がかりの祭りなのです。

そんな祭りを撮影するのに、本番の祭りに役者を入れるのはとても危険なので、2018年、2019年の本番の大綱引を撮り、2019年は本番の6日後に、中央でぶつかり合っていた両チーム約200人ずつの大綱引メンバーに、今度はエキストラとして参加してもらったんです。双方の一番太鼓を叩く三浦貴大さんと中村優一さんが入って撮った時は、エキストラの皆さんも本番さながらの熱気で挑んでくれました。

 
―――佐々部監督も相当気合が入ったシーンだったのでは?
西田:亡くなった佐々部監督も大綱引シーンは全神経を集中させて挑んでいました。国道3号線を封鎖して行う祭なのですが、国道を全面封鎖する祭は日本でも数少ないし、前週に本番をやったばかりなので、まずは警察に必死でお願いして、なんとか18時から22時まで時間を確保したのです。限られた時間の中で撮りきらなければいけない緊迫感がある中、佐々部監督は助監督経験が長かったので、段取りが全て頭の中に入っていたんですね。だから、きっちりと決められた時間内に撮影することができました。
 
―――大綱引の要となるのは一番太鼓ですが、三浦さんは相当練習されたのですか?
西田:三浦さん、中村さんに加え、一番太鼓経験者である父親役の僕も、写真だけしか登場しませんが、一緒に練習しました。実際に一番太鼓を経験された方々が指導をしてくださるのですが、皆さん、三浦さんは最初から上手いと褒めていましたね。大綱引では2時間近く叩き続けなければいけないのですが、「太鼓を掲げた手が下がったら負けだ」というプレッシャーがある中で、二人ともよく頑張ったと思います。一番太鼓は一生に一度のことですし、その人選については何年も前から取り組む姿勢などを先輩たちがしっかり見ているんですよ。今回、三浦さんは鹿児島弁に加え韓国語を喋るシーンもあり予習が多い現場でしたが、どれもしっかりとマスターされていました。
 

SS4_Love and the Grand Tug-of-war_sub2.jpg

 

■佐々部監督と作品作りの根底で共通していたのは「家族がテーマ」

―――一番太鼓をかけた青春物語だけではなく、家族模様を細やかに撮りきったのも、佐々部監督ならではだなと痛感します。
西田:これまでの僕のプロデュースする作品も家族がテーマですし、佐々部監督も家族をテーマにした作品を多く手がけてこられた。そういう面でお互い作品作りの根底で共通している部分があります。ただ、脚本のことなどで意見が対立することはもちろんあって、僕は、父親が息子の武志を呼び、ジヒョンとの交際を反対する場面を入れ、綺麗ごとではない日韓の間にある壁を描こうと思っていました。でも佐々部監督は直接的な方法ではなく、次のシーンの、病院でジヒョンが席を外している時の妻と娘との会話の中でそれを表現したのです。最終的には佐々部監督が気持ちよく撮れることが一番なので、信頼してお任せしましたね。
 
―――今まで佐々部監督と一緒に仕事をされてきた中で、思い出深いエピソードはありますか?
西田:まず驚いたのは、佐々部監督は撮影初日に全スタッフの名前を覚えているんですよ。助監督でもサードやフォースの人が自分の名前を覚えてもらっていれば、そりゃ頑張りますよね。ご自身の助監督時代が長かったからこそそうなれるし、一方若いスタッフの成長のために厳しく叱咤する時もある。佐々部監督の作品を見て温かい気持ちになれる根底には、その愛情深さがあるんですよ。佐々部監督と接した中で、深く心に響いたことですね。

■この作品の中に佐々部監督の魂がきっちり入り込んでいる

―――佐々部監督らしさが詰まったまさに集大成で、コロナ禍でしばらく川内大綱引の本番を迎えることが難しい今、本当に大きな役目を果たす映画となりそうですね。
西田:佐々部監督は街の人たちともすぐ仲良くなるし、必ず一緒に飲むんです。この作品は我々が東京から遠征し、単にロケ地として薩摩川内市で撮った映画ではなく、エキストラ、ボランティア合わせて1000人近い方が現場に携わってくださり一緒に作り上げた映画ですから、市民の皆さんもスタッフであり出演者なんです。佐々部監督は昨年の3月31日に亡くなった時点で、本作に関しては監督としての仕事を全てやり終えていました。しかし、ポスターやチラシ作りにおいて監督の意見を伺いたくて、亡くなる数日前まで頻繁にメールでやりとりをしていたのです。だから訃報を聞いた時は全く受け入れられず、脳も感情も時が止まったかのようにシャットダウンしてしまった。その事実を受け入れたくなかったんでしょうね。でも、この作品の中に佐々部監督の魂がきっちり入り込んでいるし、作品という形で監督は生きている。だんだん、そう思えるようになりました。今は監督の代わりに舞台挨拶やインタビューなどでお話しさせて頂くこともありますが、この作品について実際にあったことをそのままお話すれば、それだけで佐々部イズムが伝わると思っています。
 
(江口由美)

 
<作品情報>
『大綱引の恋』(2020年 日本 108分)
監督:佐々部清
出演:三浦貴大、知英、比嘉愛未、中村優一、松本若菜、升毅、石野真子、西田聖志郎
2021年5月7日(金)より全国公開
公式サイト→http://ohzuna-movie.jp/
©️2020「大綱引の恋」フィルムパートナーズ
 

natsujikan-550.jpg

『夏時間』は、30歳のユン・ダンビ監督の長編デビュー作である。

【STORY】
父が仕事に失敗し、母がいなくなって、インチョンの祖父の家に行くことになったオクジュとドンジュの姉弟。弟は新しい暮らしにすぐ馴染むが、十代のオクジュにはなんだか居心地がわるい。やがて父の妹であるミジョンおばさんもやってきた。おばさんはどうやら夫とうまく行っていないようだ。オクジュにはボーイフレンドがいて会いに来るがこの二人もうまくいかない。そんなある日、おじいちゃんが倒れた…。



韓国女性監督作品『はちどり』と『わたしたち』の間の年齢の少女が主人公で、彼女の気持ちがヴィヴィッドに映し出され、韓国映画界にまたひとり逸材が誕生したと思う佳作。今後の活躍が期待できるユン・ダンビ監督にインタビューした。

natsujikan-di-250.jpg
Q:この作品は、ユン監督の自伝的なものではないとのことですが、姉と弟と父、祖父、おばさん(コモ)の関係性は、どのような想像から生まれましたか?

A: 母親の不在が子どもたちにとって一番怖いことだと思います。そのことによって子どもたちが結束するのではないかと思いまして、この映画では母親がいないという設定にしています。そして、この姉弟と対照的な存在として、おじいさんを設定しました。

この映画では、まず少女オクジュが中心的な存在です。お父さんは、保守的で家父長的な存在ではない人として描きたいと思いました。おばさんのミジョンは、母親の代わりとしてではなく、一人の人間として、女性として描きたいと思いました。弟のドンジュはかわいらしくて純粋な世代の存在として描きたかったので、このような構成を考えました。

 


Q:監督は1990年生まれですが、インチョンで撮影されたということで、同じくインチョンを舞台にしたチョン・ジェウン監督作品『子猫をお願い』を思い出しました。2001年作品なので当時は見ていないと思いますが、どこかで見ておられますか?多くの女性監督がこの映画に影響を受けたと言っています。

A:『子猫をお願い』はもちろん見ています。あの作品からは当時(2000年ごろ)のインチョンの雰囲気がよく伝わりますし、20歳ごろの女性たちが誰しも迷う時期をうまく捉えており、シネフィルとして、映画を学ぶものとしては当然見るべき作品です。

『子猫』もインチョンの町をよく捉えていましたが、私もおじいさんの家がインチョンにあることを示すような場所が欲しいと思ってチャイナタウンでも撮影しました。


natsujikan-500-1.jpgQ:ユン監督は小津安二郎作品がお好きということですが、『チャンシルさんには福が多いね』のキム・チョヒ監督も小津監督が好きなようですね。ユン監督はどこで彼の作品を見ましたか?檀国大学院で?

A:キム・チョヒ監督に直接お会いした時に聞いたのですが、彼女は「小津安二郎監督のお墓にお参りした」そうです!(うらやましい)

私自身は、はじめて高等学校で小津監督の『お早よう』を見ました。大学で『東京物語』などを見て、小津監督の視角というか演出の方法、どのように映画を撮るべきかという手法について大いに影響を受けたと思います。


natsujikan-500-2.jpgQ:あの印象的な祖父の家の二階に上がる途中に扉がある造りは、よくある家屋なのでしょうか?独特なものでしょうか?螺鈿の家具があったり、そうとう裕福なおうちに見えます。

A: 私自身は、おじいさんの家がかつてとても裕福な家だったらいいなと思い、そんな環境を探しました。そして螺鈿の箪笥などもそのまま使いました。

あの階段の扉は実際にあるもので非常に珍しいのです。とても気に入って活用したいなと思いました。扉というものはいろんな感情の境界を指すものとして存在します。玄関の扉とか、ベランダに出る時の扉とか、登場人物の気持ちの変化を表すものとして使いました。


natsujikan-500-4.jpgQ:オクジュが整形手術のお金がほしいという話に関して、人権委員会の作ったオムニバス映画『もし、あなたなら〜6つの視線』の中のイム・スルレ監督作品『彼女の重さ』や、チャン・ヒソン監督の『和気あいあい?』でのエピソードなどを思い出しました。どちらも女性に外見の美しさを強制する韓国社会への批判がありました。ユン監督もそうでしょうか?

A: オクジュが二重瞼の手術をしたいというエピソードについて、私は特に韓国社会を批判するために作ったわけではではありません。オクジュは思春期なので、その年頃の少女によくある悩みですね。自分のルックスに対するコンプレックスとか、たとえば彼女はボーイフレンドとうまくいってないのはそのせいだと考えるとか。

ドンジュは末っ子なので、みんなにかわいがられるけど、それに比べると、自分はかわいがってもらえない、もっと愛されたいという欲求がそういった発言をしたと思われます。

実際にオクジュを演じたチェ・ジョンウンさんに、私たちスタッフは「そのままでかわいいから絶対整形しないで」と言いました。


natsujikan-500-5.jpgQ: 弟のドンジュの名前は尹東柱から取られましたか?

A:大学の後輩オクジュという名前の子がいて、今ではあまりつけられないちょっとダサい名前なのですが、私はそれが好きで、常々、ご両親はどうしてこの名前を付けたのかなと思っていたのです。それで今回、主人公の名前をオクジュにしました。弟は深く考えず姉のオクジュに合う名前としてドンジュにしただけで、尹東柱から取ったわけではありません。


Qお父さんが偽物の靴を売っている話はちょっとせつないですね。かつて、リーボックは韓国の工場で作られているから同じ製品でブランドマークなしを売っていると聞いたことがあります。その話は少し前の時代かと思うのですが、この映画の設定はいつ頃でしょうか?

A:時代設定については観客からもよく質問されます。たとえばこの映画ではケータイ(スマホ)はあまり使わないのです。オクジュがケータイをかけるシーンまで全然画面に出てこないので、ちょっと前の時代なのかと聞かれました。それに関して、私はケータイを見ているとかテレビを見ているという状態は家族の団らんにふさわしくないと考えるからです。それで個々人がバラバラな感じになる場面は意識的に避けました。家族の連帯感を描きたかったんです。

natsujikan-500-7.jpg

また夢がひとつのテーマにもなっているので、それもいつの時代かはっきりしないと言われましたが、そのへんは意図的にはっきりさせていません。

リーボック事件は私も知らなかったのですが、偽物の靴のエピソードは、私も個人的にすごく気にいっています。お父さんのビョンギが「工場はおなじだよ」と正当化するような言い訳します。またオクジュがボーイフレンドに偽物の靴をプレゼントしたことで恥ずかしい想いをするとか、自分でも好きなシーンです。

ビョンギが親(オクジュのおじいさん)の家を売ろうとしているのでオクジュが批判した時「おまえも靴を売ろうとしたじゃないか、同じことをしただろ」と自分を正当化するのはとてもビョンギらしいと思います。完成した映画を見て自分でも笑ってしまいました。

とある建築家の方がこの映画を見て「この映画は、いずれとてもいい記録映画になるのではないか」と言ってくれました。私自身も、ある時代の雰囲気を残したつもりなのでそうだといいなと思いました。

natsujikan-di-250-2.jpg
Q 言いにくいかも知れませんが、特に好きな監督とか作品は?

A:あえてひとりあげるならイム・スルレ監督です。彼女の短編『雨の中の散歩』と長編では『ワイキキ・ブラザース』が好きです。

女性監督ではもちろんチョン・ジェウン監督も好きです。


Q ダンビさんの名前は漢字でどう書くのですか?

A:漢字はありません。〈久しぶりに降る雨〉という意味です。父がつけました


                                 



現在、韓国映画界では、派手なアクションや、激しくドラマティックな事件が起こらない〈静かな〉映画が作られ、観客にも受け入れられている。女性監督たちの活躍はそういう状況と無縁ではない。ユン監督は東京で1週間、是枝裕和監督のワークショップに参加したことがあるそうだ。韓国の女性監督が好きな監督として小津安二郎監督や是枝裕和監督の名前がよくあがるのは、喜怒哀楽を大きく表す韓国映画にないものを、日本の監督作品に見出すからではないだろうか。
 


【キャスト】
姉オクジュ:チェ・ジョンウン
弟ドンジュ:パク・スンジュン(『愛の不時着』)
父ビョンギ:ヤン・フンジュ(『ファッションキング』)
叔母ミジョン:パク・ヒョニョン(『私と猫のサランヘヨ』『カンウォンドの恋』)
祖父ヨンムク:キム・サンドン

【スタッフ】
監督・脚本:ユン・ダンビ
制作:ユン・ダンビ/キム・ギヒョン(『わたしたち』)
撮影:キム・ギヒョン(『私たち』) 照明:カン・ギョングン
整音:ハン・ドンフン   編集:ウォン・チャンジェ
原題:남매의 여름밤 英題:Moving ON 
韓国/2019年/105分/DCP   (C)2019 ONU FILM, ALL RIGHTS RESERVED  
日本版字幕:三重野聖愛 
協力:あいち国際女性映画祭
配給:パンドラ (C)2019 ONU FILM, ALL RIGHTS RESERVED
公式サイト:http://www.pan-dora.co.jp/natsujikan/

 2021年2月27日(土)〜ユーロスペース、3月19日(金)~テアトル梅田、アップリンク京都、4月10日(金)~神戸・元町映画館 ほか全国順次公開


第24回 釜山国際映画祭韓国映画監督協会賞/市民評論家賞
NETPAC(アジア映画振興機構)賞/KTH賞
第49回ロッテルダム国際映画祭Bright Future長編部門グランプリ
第45回ソウル独立映画祭新しい選択賞
第8回ムジュ山里映画祭 大賞(ニュービジョン賞)


(夏目 こしゅか)

 
 

ndjc2020-inta-550-1.jpg

上の写真、左から、
植木咲楽(UEKI SAKURA)(25)   『毎日爆裂クッキング』 
木村緩菜(KIMURA KANNA)(28)  『醒めてまぼろし』
志萱大輔(SHIGAYA DAISUKE)(26)『窓たち』



日本日本映画の次世代を担う

若き3人の監督作品とコメントを紹介

 

まず、《ndjc:若手映画作家育成プロジェクト》とは――?

ndjc2020-pos-240.jpg

次世代を担う長編映画監督の発掘と育成を目的とした《ndjc:若手映画作家育成プロジェクト》です。文化庁からNPO法人 映像産業振興機構(略称:VIPO)が委託を受けて2006年からスタート。今回も、学校や映画祭や映像関連団体などから推薦された中から3人の監督が厳選され、最終課題である35ミリフィルムでの短編映画(約30分)に挑戦します。第一線で活躍中のプロのスタッフと共に本格的な映画製作できるという、大変貴重な機会が与えられるのです。


このプロジェクトからは、先ごろ公開された『あのこは貴族』の岨手由貴子(そでゆきこ)監督も輩出されています。「東京」で生きる立場の違う二人の若い女性の生き方を、鋭い洞察力と瑞正な映像センスで観る者の心を掴む秀作です。他にも、『湯を沸かすほどの熱い愛』で数々の賞に輝いた中野量太監督や、『トイレのピエタ』の松永大司監督、さらに『嘘を愛する女』の中江和仁監督や、『パパはわるものチャンピオン』の藤村享平監督、そして『おいしい家族』『君が世界のはじまり』のふくだももこ監督などを輩出して、映画ファンも業界人も注目するプロジェクトです。


今年はどんな若手監督に出会えるのか?――日本映画の次世代を担う新たな才能、3人の監督に作品に込めた想いや作品についてご紹介したいと思います。



 

ndjc2020-inta-ueki-2.jpg

■監督:植木咲楽(UEKI SAKURA)

■作品名:『毎日爆裂クッキング』

■作家推薦:PFF
■制作プロダクション: アルタミラピクチャーズ
■出演: 安田聖愛 肘井ミカ 駒木根隆介 今里真 小日向星一 大谷亮介 渡辺えり

■製作総指揮:松谷孝征(VIPO理事長)■プロデューサー:土本貴生 
■撮影:柳島克己
(2021年/カラー/スコープサイズ/30分/©2021 VIPO)


【あらすじ】
ndjc2020-「毎日爆裂クッキング」-pos.jpg味覚障害に苦しむ相島文(安田聖愛)は、あらゆる調味料をかけて無理やり食べていた。それというのも、<食>の情報誌『織る日々』の編集者として働く文は、上司・皆月によるパワハラ、というより執拗なイジメに遭っていたのだ。文が手掛ける連載記事「畑食堂」は読者や上層部にも好評なのだが、それを皆月は妬んでいるのか、文だけに嫌がらせをしていた。同僚は知らん顔、誰も助けてくれない。もうストレスゲージはMAX!そんな時に空想するのが、キッチンで大暴れする憧れのエッセイスト・芳村花代子(渡辺えり)だった。


食についての編集者が味覚障害とは!? ある日、取材に訪れた農家の妻に見破られ、益々自分を追い込んでしまう。さらに、文が敬愛する芳村花代子が出版社に打合せにやってきて、連載記事「畑食堂」のファンだと言われ大喜びする。ところが、なんとその記事の担当者はいつの間にか皆月になっていたのだ。大好評の自信作を皆月に横取りされて、ついに文の怒りが爆裂する!

【感想】
ストレスを抱えながら生きている人が多い現代、にっちもさっちも行かなくなることもあるだろう。だが、自分を追い詰める前に、まずはその原因となる障害に立ち向かおうよと、勇気をくれるような作品。明らかに理不尽なことを強要されれば我慢も限界となる。立場の弱い人々が置かれた現状に着目し、ストレスからくる障害も妄想シーンを交えてユーモラスに描出。さらに、青々とした田園風景の中で作物への愛を語るシーンからは、得意分野で輝ける希望を感じさせてくれる。キッチンで爆裂する渡辺えりが痛快!


【植木咲楽監督のコメント】
ndjc2020-inta-ueki-1.jpgベテランのプロの方々との初めての大規模撮影に緊張しましたが、皆さんに支えて頂いて心から感謝しています。また、渡辺えりさんに出演して頂けたことはとてもラッキーでした。可愛い衣装選びも楽しかったです。

元々「食」をテーマにした作品を撮りたいと思っていたので、コロナ禍で時間が出来たこともあり、今までの想いを全部詰め込んで書いてみました。

テーマについては、昨今の状況や自分の人生の中で、罵倒されたり不当な扱いを受けたりして心に傷を負うことも多くなってきて、そんな重い空気を笑い飛ばせるようなコミカルなテイストの作品を目指しました。

できるだけ重くならないように、弱っている人を追い詰めないように、最悪の事にはならないように、頑張っている人に失礼にならないように、人を傷付けることにならないように、というような事を大事にしながら書きました。

私は自然がある所に惹かれる性質のようで、今回の農家のシーンは、企画の段階から三浦半島で撮りたいと希望しました。豊かな自然を背景にした映画を撮っていきたいです。ラッセ・ハルスレム監督が好きなんですが、『ギルバート・グレイプ』や『サイダーハウス・ルール』でも自然の描写が活かされていると思いました。

今後は、なるべく誠実な映画を作っていきたいです。できれば、見過ごされてしまったり、蔑ろにされてしまいそうなもの、そういう経験で感じた悔しい思いや、また、そこから助けてもらった時の嬉しさとかを忘れないで映画を撮っていきたいと思っています。
 



【PROFILE】1995年大阪府生まれ。
京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映画学科にて、高橋伴明、福岡芳穂らより映画制作について学ぶ。監督・脚本を務めた卒業制作『カルチェ』がPFFアワード2018にて入選、第19回TAMA NEW WAVEにてグランプリを受賞。大学卒業後は上京し、石井裕也監督のもとで監督助手を務め、映画・ドラマ・ドキュメンタリー作品の助監督および映像作家としても活動中。
 




ndjc2020-inta-kimura-2.jpg■監督:木村緩菜(KIMURA KANNA)

■作品名:『醒めてまぼろし』

■作家推薦:日本映画大学
■制作プロダクション: シネムーブ
■出演: 小野花梨 青木柚 遠山景織子 仁科貴 青柳尊哉 尾崎桃子
■製作総指揮:松谷孝征(VIPO理事長)
■プロデューサー:臼井正明、古森正泰 
■撮影:今泉尚亮
(2021年/カラー/ビスタサイズ/30分/©2021 VIPO)

【あらすじ】
ndjc2020-「醒めてまぼろし」-pos.jpg2009年、冬。高校二年生の清水あき子(小野花梨)は自宅から自分の学力で通える最大限に遠い都内の高校に通っている。家では眠れないあき子は常に睡眠不足で、教室や電車内でよく居眠りをしている。ある日、電車内で目覚めると、将棋に夢中になっている一人の少年・吉田(青木柚)が目に入る。吉田との出会いがあき子の暗くて単調な生活に変化をもたらすが、またしても共に過ごす時間が消え去ろうとする。

あき子は時々、昔一緒に住んでいた祖母の家に行って眠りにつく。と言っても、もう家は取り壊され更地になっているのだが、お構いなしに、優しい祖母との思い出に包まれるようにして地べたで寝てしまうのだ。そんな祖母を大切しなかった両親への反発もあり、家には居場所がないあき子にとって、そこが一番安心して眠れる場所だったのだ。

【感想】
大切な人を失って、その面影と温もりを求め過ぎて他を寄せ付けないこともあるだろう。ましてや、思春期のどうしようもない気持ちを持て余し、家族や級友らにも心を閉ざしてしまうこともあるだろう。そんな行き場のない気持ちを抱えた少女が、安心して眠れる場所を探すように他者とのコミュニケーションをとろうとする。その姿に冷ややかなニヒルさを感じさせる。終始仏頂面の少女と、安易な理解を拒むような展開は共感しづらいところもある。思春期の暗い面ばかりでなく、少女ならではの生命力はじけるようなシーンも盛り込んでほしかったなぁ。


【木村緩菜監督のコメント】
ndjc2020-inta-kimura-1.jpgコロナ禍での撮影は、マスクやフェイスシールドなどで相手の表情が見えにくく、気持ちも分かりにくかったように感じて、コミュニケーションを如何にとっていくかが大変でした。それでも、いろんな人が意見を言って下さったり協力して下さったりして作品ができたことにとても感謝しています。

テーマについては、「自分の居場所がないというか、帰る場所がないと思っている人が、どうやって一人で生きていったらいいのか?」と思った時に書いた脚本です。主人公は自己肯定感の低い少女ですが、過去の楽しかった思い出を拠り所にして、新たなコミュニケーションをとろうとしていきます。私が伝えたいテーマは分かりにくいと思うので、どこまで理解してもらえるか分かりませんが、自分の中でこれが正しいと思うことは曲げないようにしました。

好きな映画監督は、田中登監督や熊代辰巳監督に黒澤明監督、アンドレイ・タルコフスキー監督などが好きです。「感性が先行する映像派」と言われるかも知れませんが、今後は、言葉で説明できない感情をちゃんと映画にできたらいいなと思っています。
 



【PROFILE】1992年千葉県生まれ。

日本映画大学卒業。在学中からピンク映画や低予算の現場で働く。卒業制作では脚本・ 監督を務めた「さよならあたしの夜」を16mmフイルムで制作。卒業後は映画やドラマ、CM、MVなど様々な監督のもとで助監督として働く。
 




ndjc2020-inta-shigaya-2.jpg■監督:志萱大輔(SHIGAYA DAISUKE)

■作品名:『窓たち』

■作家推薦:PFF
■制作プロダクション:角川大映スタジオ
■出演: 小林涼子 関口アナン 瀬戸さおり 小林竜樹 里々佳
■製作総指揮:松谷孝征(VIPO理事長)
■プロデューサー:新井宏美 
■撮影:芦澤明子
(2021年/カラー/ビスタサイズ/30分/©2021 VIPO)

【あらすじ】
ndjc2020-「窓たち」-pos.jpg一緒に暮らして5年程が経つ美容師の朝子(小林涼子)とその恋人でピザ屋のアルバイトをしている森(関口アナン)。その関係性はもうときめくことはないが冷め切っているわけでもない。森には他の女性の気配がする上に、生活を向上させようとする意欲もない。このままこの関係を続けていいものだろうかと不安に感じ始めた朝子は、森に妊娠したことを告げる。

子どもがいる友人宅で父親としての自覚を感じ始めた森は、朝子に子どもを産んで欲しいと伝える。彼なりに正社員になろうとしたり女性関係を清算したりするが、朝子はなぜか冴えない表情のまま。そんな朝子が働く美容室に、森の彼女らしき女性がやって来る。笑顔で対応する朝子。その夜、朝子は森にある告白をする……。

【感想】
同棲も長くなると緊張感も薄れ不安がつのることもあるだろう。お互いの信頼感が揺らぎ始めると、相手の心を試したくなってくる。そんな二人の変化を日常の生活の一部分を切り取ったような描写は、微妙すぎて瞬時には理解しづらいところもあった。本当に一緒に生きていきたいのか、本当に必要な存在なのか、もう少し心情を吐露するようなシーンがあっても良かったのでは?と、単調なトーンで終始した展開にちょっと物足りなさを感じた。それでも、朝子役の小林涼子さんの美しさと芦澤明子カメラマンの陰影の効いた撮影に救われた気がした。


【志萱大輔監督のコメント】
ndjc2020-inta-shigaya-1.jpg私もプロの方々との大規模撮影に緊張しました。「監督」と呼ばれること自体初めてでしたので、監督としてどう振舞えばいいのか分からず戸惑いました。

テーマについては、「絶妙な男女のすれ違いを切り取ったストーリー」、自身の経験上、夫婦ではないが恋人同士とも違うという実感があったので、それを映画にできたらいいなと思って書きました。

設定の説明不足もあり、人物が登場するシーンなどで唐突に思われたシーンもあったかも知れませんが、基本的には脚本に忠実に撮影していきました。本当はもっと前の段階のシーンもあったのですが、30分に収めるが課題でしたので、どの段階から描き始めればいいのかと考えた結果、あのような構成になったのです。

好きな映画というか、何度も見返している映画は、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』です。物語が好きという訳ではないのですが、無表情の登場人物をただ撮っているように見えて、心の中がありありと映し出されていくところが好きでよく観ています。他にホン・サンス監督も好きで、キム・ミニと一緒に撮っている作品が最高だと思います。

今後は、単純に霊感に興味があるので、そういうものを題材にした作品を撮ってみたいです。どんな撮り方ができるのか、とても興味があります。
 



【PROFILE】1994年神奈川県生まれ。

日本大学芸術学部卒。監督作「春みたいだ」がPFF2017、TAMA NEW WAVE正式コンペティション部門などに入選。また海外では、Tel Aviv International Student Film Festival(イスラエル)などに出品/上映された。現在はフリーランスの映像ディレクター/エディターとしてMVやweb CMを手がける一方、自主映画制作も行い、最新作「猫を放つ」(2019)が公開準備中。
 




★東京で開催された合評上映会のレポートはこちら▶ http://cineref.com/report/2021/02/ndjc2020.html



(シネルフレ・河田 真喜子)

 
 

月別 アーカイブ