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簡単ではなかったからこそ、思い入れのある作品になった。
『ろくでなし』主演大西信満さんインタビュー
 
『東京プレイボーイクラブ』『クズとブスとゲス』の奥田庸介監督が、大西信満、渋川清彦を迎え、渋谷の街に流れ着いた訳あり男たちの生き様を描く最新作『ろくでなし』。流れ着いた渋谷の街で、クラブで働く優子(遠藤祐美)に一目惚れし、クラブの用心棒になる一真(大西信満)、優子の妹で女子高生の幸子(上原実矩)と交際、遠山の仕事を手伝うひろし(渋川清彦)、クラブのオーナーで裏社会の顔も持つ遠山(大和田獏)と、渋谷で生きる様々な事情を抱えた男女をリアルに描いている。現代の生きづらさや、その中で愛を求める姿を表現する、激しくも切ない傷ついた大人のラブストーリーが誕生した。
 
8月12日(土)より第七藝術劇場、元町映画館、京都みなみ会館の3館で同時公開される本作の主演、大西信満さんに、奥田監督と作り上げた一真像や、作品の魅力、撮影エピソードについてお話を伺った。
 

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■ふだんは“ろくでなし”だから、演じる時の緊張感を保つことができる

―――一真役のオファーから撮影までの期間が短かったそうですが、撮影に入るまでの様子を教えてください。 
大西:撮影までの期間というのは作品によって様々で、撮影まで半年時間をもらえる場合もあれば、極端な話、撮影3日前にオファーがくることもあります。当初、一真役は外見もプロレスラーのような体でないと成立しないような物語になっていたのですが、なかなかオファーできる俳優がおらず、キャスティングが難航していたそうです。村岡プロデューサーからの推薦で、急遽自分が一真役をやることになったのは、撮影の1ヶ月弱前でした。そこから監督と話し合い、一真を何もかも一瞬でぶち壊すようなタイプから、周りを壊すのではなく、自分を壊し、生きづらい世の中に居場所を探すという風に、役の捉え方を変換していきました。 
 
―――一この作品は渋谷を映し出した映画でもありますが、一真が田舎から都会へ出る際、渋谷を選んだのはなぜでしょうか? 
大西:映画では説明されていないので何とでも解釈できるのですが、想像するに、人口密度の高い大都市で、雑踏に紛れたいという気持ちがあったのではないかと。人が多ければ多いほど、周りに関心を持たなくなりますし、彼の身の上であれば、紛れてしまいたいという気持ちが働くのではないかと解釈しています。 
 
―――今まで同じ作品に出演することも多かった渋川清彦さんとの共演シーンが今回は多いですね。 
大西:キーさん(渋川さんは以前「KEE」名義で活動していた)とは事務所も同じだし、昔からの古い友人です。常に一緒にいるわけではないけれど、忘れた頃にどちらともなく「飲みに行こう」と誘うような関係が10年以上続いています。キーさんはいわゆるパブリックイメージから遠くない人ですね。みなさんがイメージしているような感じと近いと思います。 
 
―――なるほど。渋川さんと正反対で、大西さんはいつも寡黙かつ、目が物語るような、内に情熱を秘めた男を演じることが多いですね。
大西:演じる役として異様な緊張感が求められる場合が多いので、そういう時ほど〝ろくでなし〟に生きてバランスを保ったりしています。まぁ〝ろくでなし〟と言っても自分の場合なんてかわいいものですけど。
 

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■演じていくうちにラブストーリーの要素が濃くなっていった撮影現場

―――本作のタイトルも『ろくでなし』ですが、大西さん、渋川さんが演じる二人には愛おしさも感じれば、彼らが抱えている孤独も感じます。ラストのラブシーンは、そんな孤独で不器用な男女の魂がぶつかる映画のクライマックスの一つですが、どのように撮影したのですか? 
大西:あのシーンはワンカットの長回しでしたし、車がこないようにスタッフが止めていますが、何が起こるか分からない状況でした。しかもかなり体力的、精神的に消耗するシーンなので、この映画の中で皆が一番緊張していたシーンだと思います。シーンの性質上リハーサルができないので、ある程度の導線を作って臨みました。カメラマンが一番大変で、どう動くか分からないので、手持ちカメラで追って、いくつかの約束ごとだけを事前に決め、あとは役柄に身を委ね互いに自由に演じました。一発勝負で撮ったシーンで、監督はOKを出すのをずっと悩んでいましたが、欠けているものはあっても2テイク目で全体の勢いやエネルギーが減るのは目に見えていて、全体として何かが伝わる事の方が大事だという判断で、結局OKを出しました。 
 
―――ハードボイルドな作品ではありますが、かなりラブストーリーの要素が入っています。これも大西さんが監督と話し合われた結果ですか? 
大西:当初はラブストーリーの要素は薄かったのですが、優子役の遠藤さんとやりとりをしていくうちに、勝手にその要素が濃くなっていきました。キーさんと幸子を演じる上原さんも、演じているうちにラブストーリーの要素がどんどん濃くなっていって、二次元が三次元になったとき、思わぬ方向に膨らんでいく。映画においては、よくあることだと思います。 
 
 
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■奥田監督は繊細さ、純粋さのある一真役のような生きづらさを抱えた男

―――大西さんが思う奥田監督の良さとは? 
大西:繊細さや純粋さですね。僕が演じた一真役のような部分がある男です。奥田監督でなかったら、こういう役作りにはなっていません。脚本を読むだけでなく、実際に奥田監督とディスカッションしていく中で、一真の生きづらさは何なんだろうと考えていきました。奥田監督は何かを壊したり、傷つけるための暴力ではなく、どちらかと言えば自分が消えてなくなってしまいたい絶望感のようなものを抱えているように感じたので。
 
―――グロテスクなシーンやエロスを前面に出したようなシーンがあまり登場せず、そのさじ加減が絶妙でした。これも奥田監督らしさと言えるのでは?
大西:奥田監督は色々な意味で下品なことが嫌いなのでしょう。潔癖症と言えるぐらいにそういう類のものが苦手で、だから生きづらい。どうしても世の中は汚れている部分を目の当たりにする機会だってあるから、当たり前にある雑菌を飲み込み切れない生きづらさがあるんじゃないかなと思います。奥田監督が生きづらさから解放される手段が映画しかないのであれば、何とかして作品を撮って欲しいと思うし、自分が俳優として作品に参加するなら、出来る限りそれを体現できるように、監督の考えていることを掬い取る努力をしました。
 
 
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■現場で起きていることをきちんと掬い取る力、自分の想定より良ければ採用する気概を感じた

―――先ほどのラブストーリー要素が増えたことといい、本作での奥田監督は、脚本に書かれていないような部分が膨らむことを受け入れてくれたということですね。 
大西:現場で起きていることをきちんと掬いとる力、想定外のことも自分の想定より良ければ採用するという気概がある監督でした。 現場で脚本のセリフ以外のことが出てきて、違った展開になっても、そちらにリアリティーがあれば、OKを出してくださいました。ある意味柔軟で、ある意味頑なな部分のある方ですね。
 
―――ラストシーンも、最初想定していたものとはかなり違うものになったそうですが。
大西:撮っていく過程で様々なズレが出てくるのが撮影ですから、ラストを決めてしまうと途中の修正が利かなくなってしまいます。1か月間ほぼ順撮りでやってきて、結果だけ当初決めていたものに落とし込むのは不自然になってしまう。だから現場で話し合いを重ね、今の形に落ち着いたのです。
 
―――今回のように、撮影を重ねるうちにラストを変えることになるという映画作りは、よくあることなのですか?
大西:現場やプロデューサーにもよりますし、基本的にはあまりないでしょうね。物語である以上、始まりから終わりは決まっているのですが、脚本の通りに進んでいけば相応しいラストでも、撮っていくとどうしても違和感が出てきたときにどうするかは監督の判断だと思います。

 

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■簡単ではなかったからこそ、思い入れのある作品『ろくでなし』

―――自分の意見が反映された作品として、『ろくでなし』は思い入れのある作品になったのでは?
大西:『ろくでなし』に限らず、どの作品でも自分が演じる以上、自分の意見は反映されている訳ですから、思い入れはもちろんあります。特に『ろくでなし』は、そんなに簡単にできた映画ではありませんから。
 
―――簡単ではなかったというのは、どういう点ですか?
大西:撮り終わった時点で配給や公開日が決まっている作品もあれば、撮ったものの公開されるかどうか分からない作品もあります。そういう意味では、『ろくでなし』は後者に属する作品だったので、それでも撮ったという部分が思い入れに繋がっているのかもしれません。もしかしたら撮ってもどうにもならないかもしれないという不安を皆が抱えながら臨んで、それでもきちんと形になったという感慨があります。
 
―――今回の一真を演じるにあたり、参考にした映画やキャラクターはありましたか?寡黙という点では、高倉健さんを彷彿させるキャラクターでもありましたが。
大西:役作りにおいて、何かを参考にすることはあまりないですね。この作品の場合、脚本を読むととてもいびつな人物で、そのまま演じると単調になってしまうので、ストローで飲むときに「あれあれ」と探す仕草をしてみたり、ただのドヤ顔でギラギラした目をした男にはしないように心掛けました。シンプルに言えば、かっこいい男にしたくなかった。生きづらさやみっともなさを抱えた一真を、かっこ悪くても人間味のあるキャラクターにしたかったのです。
 

■緊張と弛緩の振り幅を大事に、目の前にある現場の質を上げる努力をしていく

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―――40代になり、俳優としても脂が乗り、日本映画を支える存在となりつつある中、大西さんご自身で心掛けていることは?
大西:今、観客の方も映画館以外で映画を観る選択肢が増えた中、1800円を払って映画館に来ていただくだけの質をきちんと維持していかなければ、観客はより手軽で安価な方に流れていってしまいますから、目の前の現場を精一杯、質を上げる努力をしていくことに尽きると思います。
 
演じる面で言えば、俳優を始めたばかりの頃は、この針の穴の先がどれだけ細いか、深いかという集中力で勝負しなければならなかったけれど、場数を重ねていくうちに、それだけではないなと思うようになりました。今は、緊張と弛緩の振り幅が大事だと思っています。集中するためにはどれだけ緩めるかということを考えますし、これからもどうすればいい状態で現場に臨めるかを、ずっと追及していくことになるのでしょう。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ろくでなし』(2017年 日本 1時間46分)
監督:奥田庸介
出演:大西信満、渋川清彦、遠藤祐美、上原実矩、毎熊克哉、大和田獏、他
2017年8月12日(土)~第七藝術劇場、元町映画館、京都みなみ会館にて公開
※8月12日(土)第七藝術劇場、元町映画館、8月13日(日)京都みなみ会館にて、主演大西信満、渋川清彦による舞台挨拶あり
(C) Continental Circus Pictures
 

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『セザンヌと過ごした時間』ダニエル・トンプソン監督インタビュー

~セザンヌとゾラ。神格化されたイメージを覆し、知られざる二人の友情を描く~

 
近代絵画の父と呼ばれる画家セザンヌと、不朽の名作『居酒屋』で知られる小説家ゾラの40年に渡る友情を描いた『セザンヌと過ごした時間』が、9月2日(土)からBunkamuraル・シネマ他で全国順次公開される。
 
 
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監督は、『モンテーニュ通りのカフェ』のダニエル・トンプソン。幼馴染ながら、正反対の生き方をするセザンヌ(ギヨーム・ガリエンヌ)とゾラ(ギヨーム・カネ)の友情のみならず、衝突、嫉妬など様々な感情が、濃密な映像の中浮き彫りになる。また、セザンヌが長きに渡って絵を描き続けたエクス・アン・プロヴァンスの風景や、後年ゾラが邸宅を構えたパリ郊外のメダン等、セザンヌやゾラが実際に滞在したロケーションでの撮影を敢行。二人をはじめとするサロン仲間たちの会話から、フランス社会や絵画における主流の変化、写真のような新しい技術に心揺れ動く様子まで描かれ、19世紀後半のフランスにタイムトリップした気分になる、味わい深い作品だ。
 
フランス映画祭2017のゲストとして来日したダニエル・トンプソン監督に、作品についてお話を伺った。
 

 

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―――監督は、元々セザンヌ、ゾラに対してどんな印象を持っていましたか?また、本作を作る過程で、その印象や二人の関係への解釈はどう変わっていきましたか?
セザンヌとゾラの間に友情関係があるとは全く知りませんでした。15年前にそれを知って驚いたことが、二人の事を調べるきっかけになっていきました。おそらく皆さんが思っているのと同じ、19世紀の偉大なる作家であり、アーティストで、髭を生やしている動かないアイコンのような存在だったのです。でも本作では、そのように一般の人が抱いているような二人に対するイメージを覆してやろうと思っていました。我々はどうしても過去の偉人を神格化してしまうところがあり、遠い存在の人だと思ってしまいますし、私自身もそうでしたから。
 
―――その事実を知ってから、映画ができるまで15年かかった理由は?
15年間ずっと二人の事を調べていた訳ではありません。他の作品を撮ったり、脚本を書いたりしていましたが、それらが終わる度に、このタイミングでセザンヌの話に取り組めるか、そもそもこの企画をやりたいかどうかを自問自答していました。脚本を書く以前に、セザンヌとゾラの話で映画ができるかどうか確かめるために、数ヶ月間費やしてみようと決意したのが、この作品のはじまりでした。 ですから結果的に15年もかかってしまったのです。
 
―――40年以上に渡るセザンヌとゾラの関係をきめ細かく、かつ2時間で描くのはとても挑戦的なことだと思いますが、どのように脚本を作り上げていったのですか?
冒頭に始まり、何度か挿入される1888年の再会を、セザンヌとゾラの友情における「まとめ」のようなシーンにしました。まさに映画の中心部分です。実際の二人は、あのような形で再会していないかもしれませんが、再会した時、二人は復讐をするかのように言いたいことをぶつけ合い、自分たちの友情を思い返し、疑念を抱くシーンにしました。子ども時代、青年時代に二人が分かち合った楽しい時代を組み込みながら、一方で友情の中にも不吉で暗い部分を盛り込む。このような構成は私にとってはとてもロジックなものでした。
 
 
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―――ギヨーム・ガリエンヌさんとギヨーム・カネさんは二人とも自身で監督もこなす名俳優ですが、二人はどのように役を作り込んでいったのですか? 
不思議なことに私が今まで一緒に仕事をしてきた俳優は、結構監督を兼ねていることが多いのです。アルベール・デュポンテル、シドニー・ポラックや、ダニー・ブーン、息子のクリストファー・トンプソンもそうですね。実際に彼らが私の現場で演じる時は、監督としてではなく俳優として集中してくれます。彼らが監督もする人であることを忘れさせてくれますし、「僕だったらこう演じる」という考えはないのです。そういう意味ではとてもやりやすく、快適でした。 
 
 
―――本作は、ロケーション(エクス・アン・プロヴァンス、パリ、メダン)や暗い室内のシーンがとても印象的です。撮影(映像)面での工夫やこだわりは? 
まさにコントラストを強く出そうとおもっていました。ゾラが仕事をしている書架だけではとても閉鎖的で暗く、物が多いですし、演劇的なシーンだけになってしまいます。そういうシーンがあるかと思えば、一気に光りあふれる自然の中に観客を誘います。片や暗くて閉鎖的、片や広々として明るいというシーンを行ったり来たりすることは、観客の皆さんにもすごく快感を覚えていただけると思います。ゾラとセザンヌの話は一つの戯曲として舞台でも上演できるような内容ですが、映画だからこそできるのが光溢れるシーンではないでしょうか。そのような映画ならではの表現で、観客を旅に誘ったのです。 
 
 
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―――南仏エクス・アン・プロヴァンスの景色に魅せられましたが、監督自身がその場に立たれた時、感じたことは?

 

圧倒される感じでした。自然保護地区ですし、監督にとっては夢のような場所でした。普通、歴史映画を撮るときは電信柱やドラッグストアの緑色のランプなど、何かと現在社会を彷彿とさせるものが映り込んでしまうのですが、エクス・アン・プロヴァンスでは一切そのようなことがありませんでしたから。素晴らしい景色で、まるでセザンヌの絵のようであり、大きなインスピレーションを与えてもらいました。
 
―――お父様(ジェラール・ウーリー)も映画監督ですが、映画の道で生きていこうと決めたきっかけは? 
最初は弁護士や美術士を目指していた頃もあったのですが、やはり父が映画監督ですからその影響を受けました。父も、何か私の中に脚本家としての才能を見ていたようで、父の勧めで脚本を書いてみたら、それがとても面白かったのです。その時に私は脚本家になろうと決めました。 
 
―――これからご覧になる観客の皆さんにメッセージをお願いします。
私たちは激動の時代を送っています。そういう意味では過去にタイムトラベルすることはとても重要なことです。過去に身を置くことで、そこで与えられる心地よさがあります。もちろん戦争や暴力は存在しましたが、過去から現在に受け継がれている不変のものはアートや自然であります。私たちは、そういうものを今、必要としているのではないでしょうか。
 

6月24日、フランス映画祭2017の上映後に行われたダニエル・トンプソン監督トークショーの模様を一部ご紹介したい。
 

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―――本作では手紙も多く登場しますが、どんなリサーチをしたのですか?
セザンヌとゾラの書簡が多数残っているので、子どもの頃から大人になってからの最後の手紙まで読みました。ただ、「最後の手紙」が新たに発見されたので、本当に決定的な二人の別れとなる再会のシーンは、私自身が想像して付け加えました。確かなことは、本当にたくさんの書簡を交わしていた二人が、いつの間にか疎遠になってしまったことです。私が描いたほどの出来事はなかったかもしれませんが。
 
こういう芸術的な作品にリサーチは欠かせません。それはまるで井戸から水をくみ上げるように何度も何度もくみ上げていく作業でした。ゾラやセザンヌの伝記もたくさん読みましたし、そういう作業の中から私自身のフィクションの部分を膨らませ、構築していきました。史実はもちろん大事にしますが、私の作家としてのフィクションとして忘れてはならない題材は、ゾラが書いた「制作」という作品です。この作品が発表されたことで二人の関係はややこしくなっていきます。私自身、今回映画のリサーチをするまで読んだことはありませんでした。
 
 
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―――ギヨーム・ガリエンヌとギヨーム・カネの二人の会話や刻々と変わる緊張感が、セザンヌとゾラの微妙に変化する関係を見事に表現していましたが、監督から二人にどんな指示をだしたのですか?
大好きな二人と共同作業で作り上げた感じです。私がやりたいことが全てできました。教務深かったのは、二人は撮影現場ではとても和気藹々とやっていたのですが、後半の再会のシーンが近づくにつれ、二人の役者の関係もややこしそうな関係になっていくのを「そういうこともあるのだな」という思いで見ていました。ゾラとセザンヌの関係性が、ガリエンヌとカネの関係性に重なり、それを見てワクワクしました。一つのカップルについての作品なのでこういうことが起こるのは当然なのかもしれません。
 
 
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―――ギヨーム・ガリエンヌさんにセザンヌ役をオファーしたきっかけは?
前作『モンテーニュ通りのカフェ』で小さい役ながら出演いただき、マルチな才能を見せてくれました。ガリエンヌさんはコメディーフランセーズに所属している舞台俳優でもあり、親しくしていたのですが、そのうち監督業にも乗り出し、『不機嫌なママにメルシィ』でセザール賞6冠を達成し、大スターになったのです。私自身は今回シナリオを書いてオファーした時、ゾラ役でのオファーだったのですが、ガリエンヌから戻ってきた答えは「ぜひ出演したい。でも僕がやりたいのはセザンヌなんだ」と。それから読み合わせをしたとき、すぐに彼がセザンヌ役に相応しいと納得できました。あれほど日ごろは軽やかな人が、数時間も立たないうちに、私が書いたセザンヌになりきっていたのです。
 

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―――セザンヌとゾラの言葉の応酬が印象的でしたが、監督はどのようにセリフづくりをされたのですか?
この作品を作るのが一つのアドベンチャーだとすると、台詞を作るのはワクワクする瞬間です。まさにゾラのおかげという部分もありますが、それはゾラの小説にあったセリフを拝借している部分もあるからです。ただ、書斎でゾラとセザンヌが言い争うシーンは、私が想像して描いたシーンです。「開花しなかった天才」とゾラは最後に言いますが、実は画商ボラールの回想録に、ゾラがそのように言ったと人づてに聞いたセザンヌが、とても傷ついたと書き残しています。その部分は史実なのです。
 
今回の作品は史実をベースにしながら、私自身のイマジネーションを混ぜ、ゾラの小説の部分も混ぜ、エピソードを作り上げた、コンフィチュール(ジャム)のようなものです。だから気難しいセザンヌの反抗的な人物像を作り上げることができました。監督、脚本家としてこういうパズルを組み立てるような作業は、本当にワクワクしました。
(江口由美)
 
 
 

<作品情報>
『セザンヌとすごした時間』“Cézanne et moi”
(2016年 フランス 1時間54分)
脚本・監督:ダニエル・トンプソン
出演:ギヨーム・カネ、ギヨーム・ガリエンヌ、アリス・ポル、デボラ・フランソワ、フレイア・メーバー、サビーヌ・アゼマ、イザベル・カンドリエ
9月2日(土)~Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開
 

dancer-s-550.jpg『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン世界一優雅な野獣』セルゲイ・ポルーニン インタビュー

 

「自分の心に正直になった時、出てきたことが“アーティスト”になりたいってことだった。」

 

7 月15 日(土)よりBunkamura ル・シネマ、新宿武蔵野館ほかにて公開となる映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』。
映画の公開を記念し4 月に、5 年ぶりに来日を果たしたセルゲイ・ポルーニンは、日本テレビ朝の人気情報番組「スッキリ!!」への生出演や、瞬く間にチケットが完売してしまったジャパンプレミアイベントのパフォーマンス披露など大きな話題をよびました。公開に先駆け行われた、先行試写会での感想も「こんなにも切なく苦しく心かきむしられる作品は初めて!」「いつまでも踊る姿をみていたいと思った」「言葉が追いつかない。踊ることでしか伝わらない言語があるのだと感じた」と熱い感想が続出いたしました。この夏、セルゲイ・ポルーニン旋風が巻き起こること間違いなし!
 


――ご自身のドキュメンタリーをご覧になって、いかがでしたか?
正直に言えば、最初は見たくなかった。ロサンゼルスでデヴィッド・ラシャペルと一緒にいた時に、彼が「これからあの映画を観ることになっている」と言ったんだ。僕はビールを9本も飲んで、彼の隣に座った。本当に緊張して、彼の脚を蹴ってしまったよ。自分を客観的に見てみたかったんだけど、できないね。画面に映し出された自分を見るとそのときの感情が蘇るし、自分の素の部分を呼び覚ましてしまう。まるで感情のジェットコースターに乗ってるような気分だったよ。


Dancer-550.jpg――映画の中で『Take Me To Church』をダンスとの惜別と考えていると言っていました。なぜ続ける気になったのですか?
『Take Me To Church』をラストダンスのつもりで踊った。あの時はダンスが好きじゃなかったし、バレエ界に腹も立ててたから、とにかく終わらせたかった。これで何もかも終わりなんだという気持ち――臨終の感覚のような中で踊っていると、自分の中のもやもやとした霧のようなものが少しずつ晴れていくような気がしたんだ。空っぽになって、感情の赴くままに踊った。すると、僕が捨て去ろうとしているもののことばかりが頭に浮かんで、とても悲しかった。それで思ったんだ、僕は何かを見失っているのかもしれない、と。

撮影が終わって、すぐにゼレンスキーに話したんだ。「ギャラはいらない、ダンスが好きだから踊りたい」とね。“ダンスを愛しているから踊りたいんだ”ということを、僕はきちんと自覚しなくてはならなかったんだ。その後のYouTube の反響を見て、すごく驚いたよ。子供が僕の真似をして踊ってくれたり…バッドボーイでも人々に受け入れてもらえるんだ、僕の踊りは人々になにかを与えることができるんだと改めて感じたんだ。

それに、このMV を監督した写真家のデヴィッド・ラシャペルは素晴らしいアーティストで、楽曲、振付、環境、ビジュアル…すべてが整った、これこそ新たなものを作り出す体験だと思ったよ。もちろんクラシックバレエ(古典)はとても大事なもので、伝統は保たなければならないと思っている。その一方で、創造性をもってただ踊る道具になるのではなく、生み出すことができるアーティストにならなければいけないと思ったんだ。


dancer-s-250.jpg――“プロジェクト・ポルーニン”を始められたきっかけを教えてください。
ダンスを通して現状を変えたい、という思いが今の僕を動かしているんだ。自分のためだけなら、僕はもうバレエを続けていなかったと思う。だけどこのプロジェクトで、ダンサーたちに発言権を与え、踊りに集中できる環境を整えたい。スポーツ選手にはエージェントがついているけれど、バレエにはそれがない。やったことがないことを始めるのはとても怖いもの。一人きりでそんな思いをする必要はないと思う。みんなが助けてくれるようなチームを構築することで、若いダンサーが道を間違えることなく進めるシステム、チームをつくっていきたいんだ。

バレエは常に誰かが誰かのポジションを狙っているような境遇にある。誰かが怪我をしたらデビューできる、というようなね。つねに競争なんだ。だから喜びや聴衆のためという大切なものが置き去りになってしまう。若いダンサーの中には、紆余曲折してそのまま引退してしまう人もいっぱいいる。だからエージェントや広報や収入に関しても交渉してくれる人がいるチームがあれば、ダンサーは演技だけに集中できる。航空券やホテルのブッキングなど、雑務に邪魔されずにダンスだけに集中できる環境にしたい。だから僕らはダンサーを支援する“プロジェクト・ポルーニン”という組織を作ったんだ。

資金提供者や法律家が協力してくれたおかげで、取締役会を作って組織を拡大できた。これからファションや映画や音楽といった他の分野とダンサーをつなぐ役目もする。ダンサー全員に参加してほしいな。僕らの旅は始まったばかりなんだ。


――『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』はあなたの人生のターニングポイントを描いていますね。ロンドンにバレエを学びに行って、ロイヤル・バレエを辞めて、ロシアに移り住んで…。そういった決断で後悔されていることはありますか?
だいたい僕は後悔をしない人間なんだ。良くても悪くても、あらゆることを楽しんでいる。ただ、もし可能だったのなら、あんな風に壊すんじゃなくて、作り上げられればよかったなって。誰かアドバイザーや良き指導者がいたら、違ったのかもしれない。あれは僕の僕だけの考えだったんだ。壊さずにやれたらよかったと思うよ。


Dancer-500-2.jpg――映画で描かれているように、多くの練習をして、バレエに人生を捧げて、世界有数のダンサーになったわけですが、そこにたどり着いた先では「次は何をする?」ということになりますよね。今もそんな気持ちですか?
自分の心に正直になった時、出てきたのがアーティストになりたいってことだった。自分自身に「僕はダンサーじゃない。僕は俳優じゃない」と言った途端、自由になれて何でもできるようになったんだ。自分を駆り立てないで、何も怖がらないで、「時間がない」とか、「あれとかこれをやらない」なんて言わずにね。

アーティストとして、選択権は自分にあるんだ。だからやりたいことをやる自由が生まれる。1日中踊ることもできるし、映画に出たり、振付をしたり、またいろんな写真家とファッションの写真を撮ったり、別のアーティストと仕事をしたりね。途方に暮れることはない。別のレベルに行くんだよ。何でも吸収するんだ。自分を閉じちゃダメさ。何でも試さないとね。僕はまた子供になったような気分なんだ。アーティストは子供なんだ。6才児の気分かな。



Dancer-500-1.jpg<ヌレエフの再来>と謳われる類まれなる才能と、それを持て余しさまよう心――

19 歳で英ロイヤル・バレエ団の史上最年少プリンシパルとなるも、人気のピークで電撃退団。バレエ界きっての異端児の知られざる素顔に迫ったドキュメンタリー。

途方もない才能に恵まれ、スターになるべく生まれたセルゲイ・ポルーニン。しかし彼はその運命を受け入れなかった。バレエ界のしきたり、天才ゆえの重圧、家族の関係。スターダムから自滅の淵へ――様々な噂が飛び交う中、彼が再び注目を集めたのは、グラミー賞にもノミネートされたホージアのヒット曲『Take Me To Church』のMV だった。写真家のデヴィッド・ラシャペルが監督し、ポルーニンが踊ったこのビデオはYouTube で2000 万回以上再生され、ポルーニンを知らなかった人々をも熱狂の渦に巻き込んだ。<ヌレエフの再来>と謳われる類い稀なる才能と、それを持て余しさまよう心。本人や家族、関係者のインタビューから見えてくる彼の本当の姿とは…?


監督:スティーヴン・カンター/『Take me to church』演出・撮影:デヴィッド・ラシャペル
出演:セルゲイ・ポルーニン、イーゴリ・ゼレンスキー、モニカ・メイソン他

配給:アップリンク、パルコ (2016 年/イギリス、アメリカ/85 分/カラー/16:9/DCP/原題:DANCER)

★作品紹介⇒ こちら
★草刈民代 ポルーニンを絶賛!!⇒ こちら

2017 年7 月15 日(土)~Bunkamura ル・シネマ、新宿武蔵野館、シネ・リーブル梅田、7/22(土)~シネ・リーブル神戸、8/19(土)~京都シネマ、9/30(土)~豊岡劇場 ほか全国順次公開


(オフィシャルレポートより)

kanojonojinsei-1.jpg『彼女の人生は間違いじゃない』廣木隆一監督インタビュー


kanojonojinsei-550.jpg■2017年 日本 1時間59分(R-15)
■原作:廣木隆一 「彼女の人生は間違いじゃない」(河出書房新社)
■監督:廣木隆一(『ヴァイブレータ』『さよなら歌舞伎町』)  脚本:加藤正人  撮影:鍋島淳裕
■出演:瀧内公美、光石 研、高良健吾、柄本時生、篠原篤、蓮佛美沙子
■公開情報:2017年7月15日(土)~ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館、テアトル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 他全国順次ロードショー
公式サイト: http://gaga.ne.jp/kanojo/
■コピーライト:(C) 2017『彼女の人生は間違いじゃない』製作委員会

■配給:ギャガ



「福島だけでなく今の日本が抱えている矛盾を描きたい」
~未来が見えず、満たされない想いに光を~

 

東日本大震災後、被災地を題材にした映画やTVドラマやドキュメンタリーが沢山作られてきた。そんな中、家族や仕事を失った喪失感や未来の見通しもつかない虚無感に苛まれながら、それでも日々の暮らしを慎ましく生きる人々の現状を、これほど濃密な映像で表現した作品はあっただろうか。物語の背後には原発事故後の福島の現状が数多く映しこまれている。それをも豊かな情景として、徐々に前進しようとする人々の精いっぱいの生き様を浮き彫りにしている。その静かだが力強い捉え方に惹き付けられる。


kanojonojinsei-2.jpg年に2~4本の新作が公開されている日本で一番忙しい映画監督、廣木隆一監督、63歳。今年だけでも『PとJK』『彼女の人生は間違いじゃない』『ナミヤ雑貨店の奇蹟』が公開、来年早々には『伊藤くん AtoE』の公開が控える。あらゆるジャンルの作品を手掛け、日本映画界になくてはならない存在である。そんな廣木監督が、東日本大震災後の原発事故により、復興の目途さえつかない福島に生きる人々を主人公にした小説を書き上げた。福島県出身の廣木監督にとって、「整理しきれない気持ち」を小説に書いて映画化したという。他の被災地より復興が長期に渡り、「再生」という一言では済まされないより一層の忍耐を強いられる現状。福島だけではなく誰にでも起こりうる普遍的試練がそこにはある。まさに廣木隆一監督の渾身作である。


仮設住宅で父親と二人暮らしのみゆき(瀧内公美)は、市役所に勤務しながら毎週日曜日になると高速バスで東京へ行きデリヘルの仕事をしている。母親は津波にさらわれ遺体も発見されず、父親(光石研)は酒が入ると母親とのなれ初めを語り、「助けてあげられなかった」と嘆く。放射能汚染で農業ができなくなり、その補償金でパチンコの日々。同じく市役所務めの新田(柄本時生)は、変なカルト教にはまり家庭放棄した祖母と母に代わり、小学生の弟の面倒をみている。スナックで知り合った女子大生に無神経な質問をされて、ひと言では語れない想いが沸き上がり言葉を詰まらせる。一方、大切な思い出の地を写真に収めたいというカメラマン・紗緒里(蓮佛美沙子)との出会いは、新田だけなく多くの人々に思わぬ光をもたらすことになる。


kanojonojinsei-500-1.jpg早朝のバスに乗って東京へ向かうみゆきの目に、福島原発からの巨大な送電線やスカイツリーが見えてくる。暗く停滞したままの福島から、明るく何事もないような東京の風景。みゆきを演じた瀧内公美の、風景に溶け込む福島での素朴な顔と、デリヘルの仕事をしている東京での顔の違いに、身の置き所を求めようとする心の隙間に悲哀を滲ませる。デリヘル嬢の送迎担当の三浦を演じた高良健吾の爽やかな眼差しが救いとなる。


それぞれの俳優は役作りのために取材したという。役になりきらなければ臨めないという緊張感のある現場を仕切った廣木監督。常連の役者が殆どだが、主演の瀧内公美は初参加とあって、その緊張たるや如何ばかりか。どんどん痩せていく彼女をスタッフが心配したほどだったとか。だが、その期待以上に実物大の“みゆき”を生きていたように思う。


廣木隆一監督に作品に込めた想いや現場での様子などについてお話を伺った。詳細は下記の通りです。



――年に2,3本は撮っておられるようなお忙しさですが?
新しい企画が出てきた時に僕が撮ったらどうなるか、と言ってくれるプロデューサーたちがいるので、この歳になってもオファー頂けるのはとてもありがたいことだと思っています。


――福島を扱った作品が多い中、物語の背後に映しこまれた情景の豊かさに驚きました。その濃密な映像について?
最初自分で小説を書いている時に、漠然とですが福島の情況について聞いていました。それらをうまく映像化して、2016年に撮った福島の風景を記録できればいいなと思いました。


――誰もいない桜並木や海上から捉えた福島第一原発のシーンだったり、さらには登場人物の背景に汚染土壌置場があったりと、かなり危険な状況の中で生きている現状がリアルに迫ってきましたが?
原発は絶対撮りたいと思っていたところ、禁漁区域になっている海域に漁船を出して下さる地元の人々の協力もあって、ある程度の近さで撮影することができました。それより危険な場所は、入場時間制限のある帰還禁止区域の町でした。桜並木もその町の一部で、住民の皆さんは未だに仮設住宅などで避難生活をされています。

美術監督の丸尾さんがいわき出身でその人脈にかなり助けられ撮影できてます。


kanojonojinsei-500-4.jpg――未来を見出せずにいる人々の情況が痛い程滲み出ていましたが、みゆきがデリヘルの仕事を選んだ理由が今一つよく理解できませんでした?
三浦との関係は恋愛でも何でもなく、ただ“いい人”という存在です。原作では説明しているのですが、映画では特に説明はしていません。ただ、彼女の“決意”が見えればいいかなと思いました。


――「内面に悩みを抱える女優を選びたかった」といって、瀧内公美さんを選んだ理由は?
瀧内さんはいろんな映画に出ていて、自分の年齢や役の大きさなど役者としての悩みを抱えていました。単純に芝居が巧いとかの理由ではなく、そういう内面性を持った女優がいいなと思ったのです。みゆきの気持ちを理解して役になりきってくれればいいなと。


――みゆきの日常を描くのにお料理するシーンが多かったようですが?
瀧内さん自身はそんなまめに料理するようなタイプではないかも知れませんが(笑)。でも、みゆきが食事をきちんと作るような娘だと思ってもらえるよう理解して演技してくれました。


kanojonojinsei-500-2.jpg――父親が補償金をパチンコにつぎ込んだり、霊感商法に騙されそうになったり、ネガティブな題材が多いように感じましたが?
すべて小説を書いている時に聞いた事柄です。


――それまでパチンコばかりしていた父親がトラクターで畑を耕しているシーンに込めた想いは?
補償金をパチンコにつぎ込んで一見愚かに見える父親ですが、彼にも前向きに生きようと思うまでの時間が必要だったということを理解して頂ければいいなと思います。


kanojonojinsei-500-3.jpg――新田がスナックで出会う女子大生とカメラマンの沙緒里との対比が面白いと思いました。他所から来た者の無神経さが示されていたようですが?
震災後のドキュメンタリーやニュースなどで「今のお気持ちは?」と被災者に普通に訊いて聞いているのを見て、「それはどうかな?」と疑問に感じていました。シナリオライターの加藤正人と相談しながら被災者と温度差の違いを描いていきました。


――東日本大震災の被災者の皆さんは地域によって復興の仕方が違いますね。特に、福島の場合、放射能汚染という問題を抱え、即復興に踏み切れない特別な事情があります。現実問題として本作を通じて特に見てほしい点は?
全部です。福島で静かに生活している人々の生活の中に、今の日本の様々な矛盾や問題を含む現状が表れていると思うのです。どこにいても起こりうる問題として読み取ってほしいです。


kanojonojinsei-3.jpg――福島県郡山出身の廣木監督はずっと福島の映画を撮りたいと思っておられたのですか?
そんなことはありません。津波や原発事故が起きなければ福島の映画を撮りたいとは思わなかったでしょう。自分の中で整理しきれない気持ちを小説に書き、映画化するに当たっては客観的な見方を取り入れるために脚本は他の人にお願いして、そして自分で監督したのです。


――福島を描き切った感はありますか?
僕自身、そんなに映画で描き切ったとは思っていません。映画監督をやる上で作品のひとつとして、メッセージ性の強いものを撮ってみたいなと思いました。映画を撮る限り、「生きていくこととは?」をテーマにした作品を創り続けたいと思っています。


――“廣木監督らしい”と言われることについて?
自分らしさを目指している訳ではなく、むしろそれを無くしたいと思っています。サンダンスに留学している時に「廣木が好きなものを撮っているのだから、廣木らしいと言われるのは当たり前でしょう」と言われたことがあり、普通に意識せずに撮っています。映画は、「自分らしさ」より「何を伝えたいか」が重要だと思いますので。


――キャストについて?
高良健吾とは久々だったのですが、役者としての存在感が出てきて凄いなと思いました。撮影中は緊張感を持ってやってもらわないといけないので、特に今回初めてだった瀧内公美は厳しく感じたのではないでしょうか。柄本時生は、彼が14歳の時から公私共に交流がありましたが、近年の成長は著しいですね。光石研さんとは、彼がデビューの頃から知っていますが、今までの人生を役に反映できるいい役者さんだなと思っています。


――役柄になりきらせるための工夫は?
現場で自分の考えが変化するかもしれないので、自分の考えを理解してくれる役者さんがいいと思いました。東京から新幹線に乗ってやって来てタイトな時間で演技するのではなく、なるべく現場で過ごして、役柄の意味を汲み取ってほしい。ですが、僕は打ち合わせや相談などはしません。現場で悩んでいても仕方ないので、取りあえずやってもらいます。台本読んでイメージ膨らませて演技するのがプロの役者さんなんですよ。


(河田 真喜子)

 

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~第二次世界大戦後のポーランド、悲劇を乗り越え、新しい命のため一つになる女性たちの絆~

 
『ココ・ヴァン・シャネル』『ボヴァリー夫人とパン屋』のアンヌ・フォンテーヌ監督が、第二次世界大戦後のポーランドで起こった修道院での悲劇と、修道女たちの窮地を救ったフランス人女医の実話を映画化した。若手女優ルー・ドゥ・ラージュを主演に迎えた『夜明けの祈り』は、ソ連軍の蛮行により集団妊娠してしまった修道女たちを救うため、宗教や言葉の壁を越えて手をとりあう女性たちの強さと、生まれてくる命の輝きを映し出す。雪深い修道院の神秘的な映像に修道女たちが歌う讃美歌が重なり、厳粛な気持ちになる一方、蛮行の記憶や妊娠に対する恐怖におびえる修道女たちの苦悩の深さが描かれる。彼女たちの光となる女医マチルドの奮闘ぶりは、命に国境はないことを教えてくれるのだ。
 

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『夜明けの祈り』はフランス映画祭2017で、見事エールフランス観客賞を受賞。本作で、行動力のあるマチルドを熱演したルー・ドゥ・ラージュさんが映画祭ゲストとして来日し、インタビューに応えてくれた。

 


■ポーランドでは、悲しい歴史を引きずっている雰囲気を感じた。

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―――第二次世界大戦直後のポーランドを舞台に、実在の人物をモデルにした物語ですが、主人公マチルドを演じるにあたり、どんな準備をして臨んだのですか?
マチルド役に決まってから撮影に入るまでわずかな時間しかなかったので、マチルドは女医ですから、まずは医者という職業を身に付けなければなりませんでした。外科医や助産婦の方に帝王切開の仕方や、お腹の触診の仕方などを教えてもらいました。その後、ポーランドのロケ地に入りましたが、既にセットとなる修道院は出来上がっていましたし、ポーランド人女優のみなさんが修道女役として、そこにいてくださったのです。自然とその中に入ることができ、大変幸運でした。ただ、ポーランドに着いた時はなんとなく悲しい感じを覚えました。ポーランドは第二次世界大戦中に様々な国の侵略を受けましたし、その後も大変な時代を過ごしていますから、悲しい歴史を引きずっている雰囲気が感じられました。
 
―――修道院ではフランス語の分かる人がほとんどいない設定でしたが、実際のキャストはどうでしたか?
私はフランス語しか話しませんし、共演したポーランド人女優の皆さんはほとんどフランス語を話さない方ばかりだったので、そういう意味では私はマチルドと同じ立場になった気がします。マチルドは修道女のことを知りませんでしたが、修道院に入り、修道女たちの世界を知ることになります。マチルドの方がよほど大変で複雑だったとは思いますが、私もフランス語を話さない人たちの中に一人で入って行った訳で、少しはマチルドの感覚が捉えられたと思います。

 

■女性に対する暴力は戦時中も今も起こっている。その状況下で女性たちがどのように再生していくかが大事。

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―――本作は今まで知られなかった戦時下の女性にとって衝撃的な事実も明らかにしていますが、ルー・ドゥ・ラージュさんがそのことを知った時どんな感情を抱きましたか?
シナリオが非常に良く出来ていて、心動かされました。真実がグサリと刺さる感じで、女性に対する暴力は衝撃的ですが、それは戦時中も今も起こっています。そのような状況下で、女性たちがどのように再生していくかが大事だと思います。マチルドは医者としての科学的な信念を持っていましたし、修道女たちは信仰という信念を持っていました。その二者が連帯し、再生しようとすることが大事ではないでしょうか。今はあまりにも運命論者が多く、そういう傾向を描いた映画も多いです。でも、本作は暴力に暴力をぶつけていくのではないということを描いていますし、そこが良かったと思います。
 
―――マチルド役を演じるプレッシャーはありませんでしたか?
マチルドのモデルとなる実在の医者、マドレーヌ・ボーリアックに関しての資料はほとんどなかったのですが、彼女に書かれた手紙が残っていました。そこには「あなたは社会の影のヒロインだから、あなたのことがいつか日の当たる場所に出て、皆に知られるようになればいいのに」と書かれていたのですが、今回それが叶い、しかも私がマチルド役となって世界にこのような人がいたことを知らせることができました。大変光栄で、誇りに思っています。
 
 

■マチルド役の演出は、とにかくクールに。

「目の前の状況、戦争や修道院の悲惨な状況に飲み込まれてはいけない」

―――寒い冬の撮影や、特にセリフが少ない中マチルドの表情で語るというシーンが多かったのですが、撮影で苦労した点、工夫した点は?

 

アンヌ・フォンテーヌ監督からずっと言われてきたのは、「とにかくクールでいなさい。目の前の状況、戦争や修道院の悲惨な状況に飲み込まれるようなことがあってはならない」。医者としてのスタンスを守るために、修道女たちと距離を取るようにとも言われていましたし、硬い表情をしていました。マチルドは最初、科学的に全て解決しようとしますが、途中で彼女たちが負った心の傷は、薬を塗って治る類のものではないことに気付きます。医者として妊婦のお腹を触るのは当然のことなのに、(修道女たちが)触らせてくれないのはどういうことなのか分からなかった。でも修道女たちにとって体に触らせないことには意味がある。そのことにマチルドが気付くプロセスを見せるのは難しかったです。距離を置いた関係でありながら、少しずつ理解していくところを観客に見せる訳ですから。
 
 
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■マチルドと修道女たちは違う世界にいるように見えても、「命を大事にする」という同じ目標に向かっていた。

―――観客もマチルドと同様に、なぜ妊婦の修道女たちが診察の必要な状況にも関わらず、体に触ることを拒絶するのか分かりません。マチルドと共に修道女たちの信念に気付くようになっていますね。
マチルドは無宗教だったので、修道女が持つ信仰への知識はありませんでした。一方でマチルドは行動の人ですから、妊娠したのなら子どもをきちんと出産させることだけを考えるような、医者としての立場を取っていました。ただ修道女はそうではなかったのです。私は修道女の方から実際にお話しを伺ったのですが、修道女になるということは長い間のためらいがありますし、修道院に入る時には「男性とも関わらず、母親にもならない」という決断をする訳です。長い迷いの末の決断はとても大きなもので、だからこそ全てを拒絶するという行動に出たのでしょう。修道女をレイプすることは、女性を犯すだけでなく、男性を拒否する誓願を立てた人を犯すという、二重のレイプです。
 
最初は二つの世界が全く違って見えました。一つは非常に実用的で医者としての信念を持って行動するマチルドがいる世界。もう一つの修道院は全く世間的なことを捨て去り、神の事のみを信じて生きる世界です。でも結局「命を大事にする」という同じ目標があり、その目標に向かって、やり方は違ったけれど同じ言葉をしゃべっていたのです。
 
―――言葉も違うポーランドでの撮影はかなり大変だったと思いますが、どのようにしてその撮影を乗り越えましたか?
私にとって仕事は、人生の中でカッコ付きの期間だと思っています。カッコ付きの期間で様々な人と出会い、様々な体験をするのですが、その次にはぐっと成長したと感じられます。今回のテーマは非常に深いものでしたから、それを通り抜けることで自分の中に成長した部分があると思います。シスター・マリア役のアガタ・ブゼクさんはフランス語を少し話せるので、よく撮影中に話をしたのですが、最後にはほとんど完璧に話せるようになっていました。こういう関係を構築して、全く言葉の通じない人と映画を撮ることができたのは、本当に素晴らしい経験でした。
 

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■根っこの部分で命の大事さや愛という信念があれば、考え方が違っても相互理解できる。

―――日本の女性に、この作品のどんなところを感じてほしいですか?
この映画は宗教ではなく、信念を描いた映画だと思っています。マチルドも確固たる信念を持って行動していますが、無宗教のマチルドと修道女たちが出会い、相互理解ができたことがとても大事なのです。今の時代は考え方の違う人とは相入れない風潮にありますが、意見が違う人でも分かり合うことができる。根っこの部分で命の大事さや愛という信念があれば、それは可能であることをみなさんに分かっていただけたらと思います。
 
―――最後にルー・ドゥ・ラージュさんはお母様が画家だそうですが、幼い頃に親しんだアートや、母親から学んだことは?
母はずっとだまって絵を描いていました。そんな母から学んだことは、沈黙の意味です。もう一つは、絵を見る時は、頭で見るのではなく心で見るものだと教えてくれました。
(江口由美)
 

<作品情報>
『夜明けの祈り』“THE INNOCENTS”
監督:アンヌ・フォンテーヌ
出演:ルー・ドゥ・ラージュ、アガタ・ブゼク、アガタ・クレシャ、ヴァンサン・マケーニュ他
2017年8月5日(土)~ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、8月26日(土)~京都シネマ他全国順次公開
公式サイト⇒http://yoake-inori.com/ 
(C) 2015 MANDARIN CINEMA AEROPLAN FILM MARS FILMS FRANCE 2 CINEMA SCOPE PICTURES
 

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「冬ソナみたい」と言われるより、「日本の映画みたい」と言われる方がうれしい。
『心に吹く風』ユン・ソクホ監督、主演真田麻垂美さんインタビュー
 
北海道・富良野、美瑛を舞台に初恋を忘れられない男女の再会と奇跡の2日間を描いた純愛ラブストーリー『心に吹く風』が、6月17日(土)から新宿武蔵野館、7月8日(土)からテアトル梅田他全国順次公開される。
 
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本作は、『滝を見に行く』(沖田修一監督)、『恋人たち』(橋口亮輔監督)、『東京ウィンドオーケストラ』(坂下雄一郎)に続く松竹ブロードキャスティングオリジナル映画製作プロジェクト第四弾。「冬のソナタ」をはじめとする四季シリーズなど数々の大ヒットテレビドラマを手掛けてきたユン・ソクホ監督の初劇場用映画で、脚本も自らが担当している。主演の主婦、春香役には、俳優ワークショップから選ばれた真田麻垂美(『月とキャベツ』)。本作で16年ぶりの女優業復帰を果たしている。同じく主演のリョウスケ役には、映画やドラマで幅広く活躍している眞島秀和。富良野や美瑛の美しい丘陵地や白樺並木の中で、学生時代のモノクロの思い出と共に、当時の気持ちに戻って心の距離を近づけていく二人の二日間が、ロマンチックに描かれる。自然、とりわけ風を目で、耳で、そして心で感じられる作品だ。
 
本作のユン・ソクホ監督と主演の真田麻垂美さんに、映画ならではの試みや、オーディション秘話、春香の役作りについてお話を伺った。

 


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■「北の国から」がきっかけで富良野へ。「いつかはこの美しい場所を自分の絵の中に収めたい」と思っていた。(ユン監督)

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―――日本で映画を撮るにあたり、なぜ北海道、しかも札幌や函館など一般的に有名な場所ではなく、美瑛や富良野のような場所を舞台にしたのですか?

ユン監督:札幌や函館は都会ですから、ビルが視界を遮り、視野が開けていない印象があります。一方、美瑛や富良野はパッと視界が開けて、自然そのままの姿が生きている場所です。映画で登場する畑や雲の姿、その畑も場所によって新芽が出ていたり、湿って黒っぽい色だったりと表情が違って、パッチワークのようになりとてもキレイですが、それも偶然生まれたものです。また車で移動しているときに眺める空の雲も、毎回変わっていきます。今回の映画の一つのテーマでもある偶然性を、自然の中でたくさん感じられ、それがとても印象的な場所だったので、ここを舞台にしようと決めました。
 
―――ユン監督はドラマでも四季シリーズを手掛け、自然がいつも印象的に使われますが、自然を好きになった原点は何ですか?
ユン監督:私はソウルのど真ん中で生まれ育ちましたが、自然がたくさんある場所でした。実は父がソウル農業大学の教授だったので、大学の中に自宅がありました。牧場やお花畑、森、湖など自然が揃っている特殊な環境で育ったので、大きな影響を受けていると思います。大学の門を出るとソウルの街中なのですが、学校から家に帰ると森でしたから(笑)
 
―――富良野に関心を持たれたのは、ドラマ「北の国から」の影響もあるのでしょうか?
ユン監督:随分前ですが、日本に留学していた先輩から、日本に本当に美しいドラマがあると紹介され、「北の国から」を見たことがありました。その後「冬のソナタ」が日本でも大変愛され、札幌の放送局に招待されて初めて北海道に行ったのです。その時に「北の国から」の話をすると、関係者の方が富良野と美瑛に連れて行ってくださり、倉本先生にもお会いすることができました。またドラマのスタッフも紹介していただき、それからは何度も富良野に足を運ぶようになったのです。いつかはこの美しい場所を自分の絵の中に収めたい。好きなものを誰かと共有したいという気持ちをずっと持っていました。
 

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■ユン監督は人の気持ちをうまく引き出すマジックをかけられる方。(真田)

―――真田さんは女優復帰作となりましたが、ユン監督との撮影はいかがでしたか?
真田:6年前にアメリカに留学し、その後結婚、出産を経て、ヨガのインストラクターとして活動していました。ユン監督の作品は大好きで、全部見ていたのですが、16年ぶりにワークショップに参加したのは本当に偶然で、とてもありがたい出会いだったと思います。ユン監督は、人の気持ちをうまく引き出すマジックをかけられる方です。眞島さんと私が美瑛に撮影で滞在したのは3週間でしたが、その間は完全にユン監督のマジックの中で生きていた気がします。

 

■長年女優業を離れていたけれど、ユン監督の作品に出会うための準備を長年かけてやっていたのかなと思える。(真田)

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―――家庭がありながら青春時代の恋人と再会し、心が揺らぐという精神面の表現が必要な役どころですが、演じた感想は?
真田:ヨガに絡めてお話すると、ヨガのポーズというのは練習の一部に過ぎないんですね。ヨガは自分が何者なのかと考えていく時間がとても大切で、アメリカでヨガを勉強している時代に、私はずっとそれに取り組んできました。それは、女優として役に自分を近づける行為とリンクするのです。私は長い間、演じることから離れていたけれど、ユン監督の作品に出会うための準備を長年かけてやっていたのかなと、後からそう思えるようになりました。というのも、ワークショップで春香役が私に決まったときも、信じられなくて半信半疑。何もしていなかった私が決まるとは、どういうことなのか。本当にその答えが欲しかった。でもそう簡単に答えなど見つからないので、それならば目の前にあることを一生懸命やろうと決め、撮影に挑みました。撮影を通じて、今の自分が何者なのかを毎回考えながらやっていたことはここに繋がるのだと、今ままでの点が一気に線になって繋がったような不思議な感覚になりました。
 
―――具体的に、どのようにして春香役にアプローチしていったのですか?
真田:春香という人物にどこまで自分を投影できるか、春香の感情に自分の感情がどこまで近づけるか、という作業をしました。そして、本読みやリハーサルの度に、ユン監督と春香についてたくさん話をしました。その中でユン監督から「女優ならば美しくと映りたいと思うかもしれないが、春香は痩せないでほしい。むしろ今より太ってくれてもいい」と言われました。その意味はどういうことなのか、自分なり考えました。春香は、色々なものを諦めてきてはいるけれど、日常を大切に生きる女性だと理解したので、家族のためにきちんと三食を用意し、自分も一緒にしっかり食べるという、春香がやっている生活を続けていたら半年で10キロ増えていました。そう生活することで、少しずつ春香という人物になっていくことができたと思います。
 
―――ワークショップやオーディションを通じて真田さんを春香役に起用した決め手は?
ユン監督:私は外国人監督で、過去の情報もないため、今、目の前にいる真田さんを見て感じるものが全てでした。私は韓国でも新人を多く起用するタイプです。その時大事にするのは自分自身のフィーリングで、理由は分からないけれど、もう一度会いたいとか、魅力を感じて飽きないと感じる人を起用するようにしています。真田さんも自分が惹かれるかどうかを第一に選びました。自分が作品の中でこうしたいと感じることが何より大事なのです。春香は、あまり女優っぽい感じがしてはいけないキャラクターです。私が初めて真田さんに会った時は、本当に主婦の女性でしたが、なぜか分からないけれど惹かれるし、美しさを感じました。今、目に見えない美しさは私が演出家として引き出せばいい。見た目の平凡さは映画の中でリアリティーを担当してくれるだろう。たくさんの方の中で、唯一真田さんは最初のイメージからどんどん新しくいいものが見つかっていく方で、最終的に選ぶとき、何の迷いもなく決めることができました。

 

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■編集でロマンチックな部分がそぎ落とされ、本当に自分の作品かと思うぐらい新鮮。(ユン監督)

―――日本の監督は撮れないだろうと思うぐらい、とてもロマンチックな映画ですが、監督はご自身のことをロマンチックと思っていますか?
ユン監督:私が感じる真田さんはとてもロマンチックな女性ですし、私もロマンチックなことは好きです。ただ現実ではそれを表現し続けることはできないので、自分の好きなロマンチックな部分を映画の中で表現しています。
真田:私もすごくロマンチックなことが好きです。リョウスケが足にキスをするとか、実はもっとロマンチックなシーンがあったのですが、眞島さんは「日本人の男性はこんなことはしない」とおっしゃって。私は好きな人ならしたらいいのにと思ったんですけどね(笑)
ユン監督:自らシナリオを書いたので、自分の中では二人の関係ならあり得ると思っていたのですが、意外と眞島さんは恥ずかしがっていました。そこは日本と韓国の感情の違いなのかもしれません。ロマンチックなものをそぎ落とされましたが、実はそれは私がいつも書き慣れている部分なので、ちっとも残念ではなかったです。編集も日本の女性の方でしたが、最終的に仕上がったものは本当に自分の作品なのかと思うぐらい、とても新鮮でした。淡白で、控えめな感じになり、かえって良かったと思っています。「冬ソナみたい」と言われるよりは、「日本の映画みたい」と言われる方がうれしいですね。
 
―――「冬のソナタ」ら一連の四季シリーズとの共通点や、またそれらとの違いは?
ユン監督:共通点は、変わらない愛、初恋の純粋な愛です。愛の美しさは変わらないですから。映画だからできたことは、作家主義を大事にすること。つまり、何かを意識せずに私がやりたいことを、やりたいように表現することだと思います。テレビでできなかったことをやってみようと、ロングショットや、観客とゆったり考える時間を共有するロングテイク(長回し)を取り入れています。メタファーもたくさん使うことができました。テレビでは本当に不特定多数の様々な年齢層の方が見るので、親切な案内が必要です。今回はそんな制約を外して、映画だからできることをやれたと思います。

 

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■人間と自然とのつながり、時間と偶然に対して感じたことを、『心に吹く風』で表現したかった。(ユン監督)

―――ロングショットで美しい風景とその中にいる二人が描かれていましたが、風景に込めた思いとは?
ユン監督:映画の中でキーワードとなるのは、一つは偶然、もう一つは過去と現在の出会いです。それが二人の男女の中で起こる訳ですが、それを自然の中でも見せたいと思いました。ロングショットのシーンが意味するのは、自然と人間を対等な立場に置き、物語を引っ張っていきたかったのです。『心に吹く風』というタイトルも、心は人間の現象、風は自然の現象で、それを一つの言葉とし、人間と自然が繋がっていることを表しました。過去と現在の出会いというのは、時間を表しています。時間は過ぎていくもので、人間は過去に戻ることはできません。ただ自然の中ではそれが可能な時もあります。例えば劇中で倉庫の壁が出てきますが、色あせている壁に雨粒が落ちます。壁は過去のものですが、雨は現在のもので、過去と現在がこの瞬間存在するのです。青池も外側の木は生きていますが、中にある木は全て死んでおり、死んだ木と生きた木が同じ画面の中に収まっています。また、オープニングのロングショットでは、リョウスケが乗る赤い車がずっと道を走っていくのですが、その背景の山々の頂きには過去に降った雪が残っています。その手前には新芽が徐々に芽吹いている緑色の畑があり、自然の中の過去と現在の共存も、一つの画面に収めています。軸として引っ張るのはラブストーリーですが、時間と偶然に対して感じたことを、私はこの作品で表現したかったのです。
 

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<作品情報>
『心に吹く風』(2017年 日本 1時間47分)
監督・脚本:ユン・ソクホ 
出演:眞島秀和、真田麻垂美、長谷川朝晴、菅原大吉、駒井蓮、鈴木仁他 
2017年6月17日(土)~新宿武蔵野館、7月8日(土)~テアトル梅田他全国順次公開
公式サイト⇒http://kokoronifukukaze.com/
(C) 松竹ブロードキャスティング
 

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“奪われる側の痛み”を刻み込んだ映画『昼顔』 西谷弘監督インタビュー

人の痛みを感じてこそ、人間らしく生きられる。
「不倫、されど純愛」から「奪われる側の痛み」を刻み込む、愛の結末とは? 

 



映画『昼顔』
■2017年 日本 2時間05分
■出演:上戸彩 斎藤工 伊藤歩 平山浩行 
■監督:西谷弘  ■脚本:井上由美子  ■音楽:菅野祐悟

■(C)2017 フジテレビジョン 東宝 FNS27社
公式サイト: http://hirugao.jp/

2017年6月10日(土)~全国東宝系にてロードショー


 

「夫のある身で奥さんのいる人を好きになってしまった私は、罰を受けました。」というモノローグから始まる映画『昼顔』。2014年の夏、センセーショナルを巻き起こした上戸彩主演のTVドラマ『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』の3年後を描いている。「不倫、されど純愛」というテーマがさらに昇華して、「奪われる側の痛み」を刻み込みながら衝撃のラストへと疾走する。ドラマファンならずとも、運命の恋の道行に引き込まれる快感と、さらに、抗えない“人間の業”を鮮烈に植え付けられる衝撃作である。


hirugao-550.jpg不倫によって多くの人を傷付け多くのものを失った主人公・紗和(上戸彩)。紗和への想いを封印することによって紗和を守ろうとした北野(斎藤工)。強引に夫を取り戻したものの孤独を抱えて生きる北野の妻・乃里子(伊藤歩)。二度と出会ってはいけない紗和と北野が再会した瞬間の溢れ出た感情に、胸キュン必至。そして、奪い、奪われる女たちの対峙には、怒りと絶望と悲しみが入り交じった恐怖の緊張が走る。


男と女のドロドロより、女同士の対峙に重点を置いた、大人のための新しいラブストーリーを完成させたのは、TVドラマに引き続いてメガホンをとった西谷弘監督。敢えて「一番不倫が似合わない人」をイメージして上戸彩を主役に抜擢。「逆境の中でも生きる力を失わない強さと色っぽさを表現してくれた」と絶賛。いつも明るい笑顔の上戸彩が世間から冷たい言葉でボコボコにされる様は、か弱い中にも意外な強さを感じさせて新鮮。


hirugao-500-2.jpgまた、俳優として絶大な人気を誇る斎藤工には恋に奥手な純真な教師役を。「どんな役にも染まる覚悟を持った俳優」と絶大な信頼を寄せる。そんな二人の前に立ちはだかる乃里子を演じた伊藤歩は、最初、役柄に感情移入できず苦しんだという。それを「一所懸命生きている一人の女性を演じてもらいたい」と話し合いを重ねたそうだ。ようやく取り戻した夫を気遣ったり、心ここに在らずの夫との生活に孤独感を覚えたりと、それまでの人物の関係性を明確に表現。再び紗和と対峙して激情をぶちまけるシーンでは目が覚めるような迫力で圧倒する。さらに理性で感情を抑え込むシーンなど、彼女の的確な演技に激しく共感してしまった。


不倫に対する風潮も変化する中、「自分の気持ちに正直に生きることをよし」としながらも、「いかに奪われる側の痛みを刻み込めるか」という西谷弘監督の強い想いが伝わってくる。人の痛みを感じてこそ人間らしく尊厳ある生き方ができるのではと、映画『昼顔』は教えてくれているようだ。


【西谷弘監督のインタビューの詳細は下記の通りです。】



――TVドラマ以上に衝撃的なラストでしたが、映画化するにあたり特に工夫した点は?
ドラマから3年の月日の間に不倫への世間の意識は変わりました。映画化が決まる頃には風当たりが強くなってた。今、映画にするべきか否か躊躇もしましたが、折角吹いた風。追い風にするか?向かい風と捉えるのか?は、我々制作側にかかってると前向きに考えるようにしました。ドラマ当初は「不倫、されど純愛」と掲げていましたが、「奪われる側の痛み」をどれだけ制作側が意識できるのかが重要だと思いました。その痛みを紗和の胸にどう刻みこむかが映画作りの起点でもありました。但し、ドラマからのアンサーだけの映画ではなく、独立した新たな一作品を目指しました。

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――表情の変化を細かに捉えた映像が印象的でしたね?
雑多な中で視聴するTVは「わかりやすさ」が常に求められますが、整った環境の映画は観客がスクリーンといかにコミュニケーションとれるかが大事。ドラマで多投した“紗和の独白”を映画では物語が進むにつれて削っていきました。紗和の言葉で感情を知らせるのではなく、その表情で伝え、探ってもらえればと。よりヒロインに感情移入していただけると思います。


――現場での演出は細かい方ですか?
ドラマ当初は、紗和と北野への注文は細かく厳しかったと思います。でも、今作は上戸さんも斎藤さんも2年振りに役を演じたのですが、二人とも紗和と北野がしっかりと体の中に浸みついていました。だから、二人の体内から湧き出す芝居を大切にしました。できる限り、自然体を生かしドキュメントを撮るように描きました。


――それまでのイメージを払しょくするような演技を見せた上戸彩さんについて?
ドラマ撮影の時以上に、演技の幅を感じましたね。劇中、説明的なセリフがあっても、喉を絞ったり、開いたり、時に声を胸の奥から発したり。そうすることによって、紗和の言葉になり、自然なカタチで観客に伝わる。また、セリフのない長回しのシーンでも、その表現力は圧巻でした。とてもスクリーン映えする女優さんだと思います。今後は映画女優としても活躍していくのではないでしょうか。


hirugao-500-6.jpg―――親しみやすい笑顔が魅力の上戸彩さんだからこそ、共感しやすい?
最初、上戸さんにキャスティングのオファーを入れたとき断られたんです。恋愛ものを演じるのに苦手意識があり、不倫に対しても嫌悪感があると。でも、そんな背徳の似合わない上戸さんだからこそ演じて欲しいと、粘り強く口説きました。ドラマの第1話は、紗和が隣町の火事を眺めているところから始まり、最終回では自分の家に火をつけてしまう。不倫は決して“対岸の火事”ではない。昼顔は上戸さんが紗和を演じたからこそ多くの共感を得られたのだと思います。


――斎藤工さんについては?
最初、プロデューサーに斎藤さんを薦められましたが、映像や写真で見る限りカッコ良すぎるのでピンと来ませんでした。紗和同様、背徳の似合わない俳優を求めていたので。でも、お会いしてみたらとても好感が持てました。飾らず気負わない、斎藤さん本来の姿が窺えたからです。ここから北野先生を創っていけるなとワクワクしたのを今でも覚えています。彼自身、監督もする作り手でもあるせいか、とても染めやすい役者、常に役柄に染まる覚悟を持っています。いつもニュートラルで挑むことのできる、勇気ある俳優です。


hirugao-500-4.jpg――乃里子役の伊藤歩さんの存在がドラマに深みを出していましたね?
昼顔の核はラブストーリー以上に女同士の生き様のぶつかり合いです。連ドラでは利佳子(吉瀬美智子)との女同士の友情でしたが、映画は敵対同士。避けては通れないシーンであり、観客が観たいシーンだと思います。クランクイン前、伊藤さんはどちらかといえば紗和の心境に同情的でもありました。それが、本番では「絶対に紗和を許せない!」と言い切るまで乃里子に同化してました。とてもスキルの高い女優さんです。ドラマから映画に至るまで、乃里子という苦しい役を演じきった伊藤さんに感謝しています。

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――接見禁止の誓約書まで交わした北野先生に会おうとする紗和の行動について?
行動原理は“人間の業”でしかありません。紗和と北野が再会してからの物語にウエイトを置くために、紗和の自制心や揺れの表現はテンポを上げて描きました。ルール違反すれすれの逢瀬は、二人にとって、もどかしくも甘い至福の時だったのです。


hirugao-500-1.jpg――紗和が乃里子のマンションに会いに行き対峙するシーンで、乃里子が一瞬見せた夜叉のような表情が衝撃的でしたが?
あのシーンがその後の全てを決めることになります。まさに女同士の生き様のぶつかり合いです。もしも二人に、その先の未来が予測できたとしても、同じ言葉を使い、同じ感情になるのだと思います。それは、人間の「愛」なのか?「業」なのか?観客の皆さんも、自分自身に問いかけてみてはいかがでしょうか?


――「映画はTVドラマのアンサーにしたくない」と仰ってましたが、TVドラマを観てない人でも人物の関係性が分かりやすく作られていましたね?
紗和と北野のラブストーリーの行方や、乃里子との人間模様をより深く掘り下げたかった。もちろん「吉瀬(美智子)さんや木下(ほうか)さんなど、連ドラのオールキャストを見たい!」という声はたくさん聞こえてきましたが、2時間の映画で全てを消化するのは、事象の羅列になるだけなのでキャストを絞り込みました。但し、紗和と北野の素性を知らない、二人を客観視できる人物が必要だなと思いました。さらに、紗和にとって元夫の亡霊となる存在が欲しかった。それは、元夫本人を登場させるのではなく、他人からの言葉で紗和に影響を与えたかったからです。そこで新たに、杉崎という色気のある大人の男を登場させました。また、今まで登場した男たちは、生物教師、画家、編集者といった文化系が多かったので、体育会系キャラに色合いを変えてみました。

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――自分の気持ちに正直に生きようとする紗和のように、今後のラブストーリーの表現が変化してくのでは?
どうでしょうか?日本人には「本音と建前」という文化や、「やせ我慢」を美学とするところがありますからね。


――ラブシーンについて?
紗和と北野のラブシーンは、とても魅力的でした。エロスを醸し出すのに裸で抱き合えばいいという訳ではないと思います。エロスは“生きる欲望”という考えで、逆境の中でも生きる力を失わない強さ。それが二人のラブシーンです。

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――瑞々しい映像でしたね?
許されぬ愛の物語です。悲しみや切なさは必然にやってくる。それは、きっと淋しさを生むことになるだろうと。淋しさを少しでも埋めてくれるのは美しいものを見ることだと思います。ロケーション、シチュエーション、そして人物描写に美しさを追求しました。


――今後、自由企画で撮れる機会があったら?
青春映画です。でも“キラキラ”ではなく“キラ・ギラ”したものを撮りたいです(笑)。


(河田 真喜子)

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熟高年の“究極の恋愛映画”を作りたかった。
『八重子のハミング』佐々部清監督インタビュー
 
若年性アルツハイマーを発症した妻八重子と、亡くなるまでずっと寄り添い介護を続けた夫誠吾の12年間に渡る愛の物語。自らの介護体験を短歌とエッセイで綴った陽信孝(みなみ・のぶたか)さんの原作を映画化したヒューマンドラマ『八重子のハミング』が、5月13日(土)よりシネ・リーブル梅田他全国順次公開される。監督は、『半落ち』(04)『ツレがうつになりまして。』(11)『種まく旅人~夢のつぎ木~』(16)の佐々部清。本作では、監督だけでなく、脚本とプロデューサーも兼ね、実際に八重子が愛した山口県の各所でロケを敢行、風情のある景色が夫婦の思い出を呼び起こす。本作の語り部でもある誠吾役には演技派俳優の升毅、八重子役には近年、小説家としての活動が多かった高橋洋子が28年ぶりに銀幕に復帰。どんどんと記憶を失くし、子どもがえりしていく八重子を持ち前の愛らしさで熱演している。誠吾の愛情深い介護の様子をはじめ、二人を見守る家族や医師、教え子、友人たちの姿が、優しい感動を与えてくれる作品だ。
 
本作の佐々部監督に、プロデューサーとしてゼロから映画制作を行った経緯や、映画で描きたかったことについて、お話を伺った。

 


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■脚本、監督と並行しての初プロデューサー業、「命懸け」宣言で道が開ける。

―――本作は佐々部監督ご自身がプロデューサーになり、他の作品を撮りながら完成にこぎ着けた作品です。そこまでして、この『八重子のハミング』に全てを注ぎ込んだ理由は?
佐々部:僕は原作者の陽さんとは飲み友達で、大好きな人なのですが、陽さんから『八重子のハミング』を出版する前に自費出版した『雲流る』という本をいただきました。別の監督で映画化されることも同時に聞いたのですが、新幹線でこの本を読むと涙が止まらなくなり、こういう題材の映画を自分で監督できれば良かったのにと思いながら、いい映画になることを祈っていたのです。しかし、翌年陽さんに映画化に向けての話を聞くと、シナリオハンティングや取材に誰も来ていないと言うのです。あれ?と思って映画会社を調べると、映画化の話は立ち消えており、原作者に何も知らされていなかった。同じ映画業界にいる人間として憤りを感じながら、陽さんにはこの原作を僕に預けてもらえれば、僕が脚本を書き、映画化の話を持ち込んでプレゼンをしますとお話しました。それが8年前のことになります。脚本は書けても、映画会社に持ち込んで、結果を待ってというプロセスを繰り返すうちに、4年ぐらいはあっという間に過ぎてしまいました。取材の交通費、宿泊費から脚本代まで全て自費で、お金は一切いただいていない状況でしたから、最終的に台本を印刷して、陽さんに渡し、「ここまでが限界です」と伝えるのがやっとでした。
 
―――脚本はできたものの、企画がなかなか通らない中、実現に向けての気運が生まれたきっかけは?
佐々部:『群青色の、とおり道』(15)を撮った時、若いプロデューサーにこの台本を読んでもらったところ、「今の時代に絶対やるべき企画、一緒にやりたい」と僕の背中を押してくれました。お金集めから一緒に、ゼロからやりたいと言ってくれたので、そこからまず行政で資金面の柱を作ろうと交渉をはじめました。僕らは東京なので、山口県にも窓口になってくれる人が欲しいと、企画・イベント会社をしている高校時代の同級生に頼み、そこを山口事務所にさせてもらいました。そこから、資金提供のお願いに行くときは、僕も山口県まで行き、彼と同行したりしながら、土台作りを進めていきましたね。 
 
―――エンドクレジットにもたくさん方のお名前が出ていますが、今までやったことのない、資金集めも自ら行う映画作りを通して感じたことは?

 

佐々部:ほぼ助けてもらった人のおかげで出来た映画です。今まで山口県で4本映画を撮りましたが、それは映画会社が出してくれたお金で撮りましたから、地元に宿泊代やガソリン代などを還元しているし、(映画について)文句は言わないでというぐらいの気持ちでいました。今回は地元の方や、行政の税金からいただいたお金で撮らせていただいているので、本当に1円もムダにしたくない。それに報いるには、たくさんの方に観ていただけるようないい映画にしなければいけないというプレッシャーがありました。
 
でも「命懸けでやります」と記者発表したおかげで、本当にたくさんの応援団が出来ました。僕の年齢で「命懸けで」と宣言したことが、皆さんに響いたようです。とにかく人が動き出してくれ、企業だけでなく、個人や主婦の方にも一人50万ぐらいの金額で出資をしていただきました。元本は保証できませんが、大化けすれば夢は見ることができるかもしれない。山口県での上映を終え、少しですが配当を出させていただきました。今後全国での上映や、DVD化したときも配当が出せるようにしています。
 
 

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■「引退宣言をした覚えはない」キラキラとチャーミングな高橋洋子さんに八重子役を。

―――八重子役の高橋洋子さんは、海峡映画祭のゲストとして来場されていたそうですが、オファーをしようと思った理由は?
佐々部:海峡映画祭には、1回目からゲストの招聘などを含めた顧問という位置づけで関わっているのですが、2015年、『旅の重さ』(72)を上映し、主演の高橋洋子さんにゲストとしてご来場いただきました。『旅の重さ』は僕も大好きな映画で、吉田拓郎さんの音楽も素晴らしい。高橋さんにも興味があったので、空港の送迎から食事まで、ずっとアテンドをしながら、観察していたのです。お話すると、今でも高橋さんは映画が好きで、よくご覧になっているそうで、同世代なので映画の話も弾みますし、高橋さん自身もキラキラされていて、チャーミングなんです。もし八重子さんを高橋さんが演じて下さったら、僕よりも上の世代の方には「あの高橋洋子が…」と観客の方にも興味を持っていただけるのではないかと、色々な考えを巡らせていました。ドラマをそつなくこなすタレントのような人ではなく、やはり映画女優に演じてもらいたかったですし。高橋洋子さんは「引退宣言をした覚えはない」とおっしゃっていて、いいお話があれば、いつでも女優に復帰したいという意欲をお持ちでした。そこで思い切って高橋さんに台本をお渡しして、読んでいただきました。
 

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■熟高年の“究極の恋愛映画”。批判をされてもきれいな映画、美しくありたいという映画にしたかった。

―――男性が介護側になる物語は、悲壮感が漂いがちですが、本作はラブストーリーにも見えますし、非常に落ち着いて介護をしているように映りました。脚本を書く上で念頭に置いたことは?
佐々部:原作者は、若年性アルツハイマーや介護のことを知ってほしくて、この本を出版したり、在命中は奥さんを講演に連れて行ったりしていたのですが、僕は、映画化するときに熟高年の“究極の恋愛映画”を作りたかった。だから高橋さんには限りなくチャーミングで輝かしい人を演じてほしいし、升さんには撮影期間だけでも高橋洋子を愛おしく思い、好きでいてほしい。それしか注文を出しませんでした。それをうまく繋げば、恋愛映画が作れるのです。縦の軸には恋愛を、横の軸には家族の物語を作れれば、背景に若年性アルツハイマーや介護を置けばいい。最初から介護を啓蒙するような難病ものにするつもりはなく、批判をされてもきれいな映画、美しくありたいという映画にしたいと思いました。
また、原作の手記は短歌があり、それにまつわるエッセイの羅列で、ストーリーの作りようがなかったので、脚本化にあたってすごく悩みました。結局、誠吾を今の原作者と同じ年代にし、語り部にすれば、観客が混乱しそうな時に修正することができ、物語を運びやすくなる。それを発見してからは、スムーズに書けました。
 
 
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■認知症の人を介護する側から描くことで、観客が受け取りやすい物語に。

―――自分の介護を振り返るという視点で進行するからこそ、感情的になりすぎず、適度な距離感で観客も観ることができますね。
佐々部:観客の皆さんが、冒頭の講演会のシーンで来場者と一緒に座っている感覚になればいいなと思い、来場者越しで誠吾を捉えるショットにしています。来場者席の延長に観客の皆さんがいるような気分になってもらいたいという狙いです。
 
アルツハイマーを取り上げた映画といえば、ジュリアン・ムーア主演『アリスのままで』(14)や、渡辺謙主演『明日の記憶』(06)、韓国映画『私の頭の中の消しゴム』(04)などがありますが、アルツハイマーになっていく患者の視点で描かれる物語です。『八重子のハミング』は、主役が介護をする側であるのがいい。映画館に来る観客は、99.9%が認知症患者ではなく、介護する側の立場の人ですから、そちら側の人を描けば共感をしてもらえるのではないか。その切り口もこの原作のいいところで、観客が受け取りやすい物語だと思いました。
 
―――映画では病気が進行していく八重子が描かれていながらも、周りの人たちの声かけや、元生徒のエピソードで、元気な時の八重子の人柄を浮かび上がらせています。
佐々部:もう少し元気な時の八重子を描こうともしたのですが、熟高年となったときの八重子を見てほしいのに、別の人が若い時を演じるのは映画としてはマイナスの気がして、僕は苦手です。だから白黒にして、高橋さんと升さんに若い頃のエピソードも演じてもらいました。誠吾が介護に専念するため辞表を書くシーンの前に、当初は、八重子が女先生と呼ばれた若い頃、坊主頭の生徒を叱るエピソードを入れたのですが、編集すると肝心の辞表のシーンの意味合いが薄れてしまった。わざわざ坊主頭になってもらった役者さんには申し訳ないが、そこはカットしました。大人になった元女生徒が訪れる椿原生林のシーンで、10年、20年後に八重子が理想にしていた教育が結果を出したことを見せているので、元気な時の八重子は充分表現できているはずです。
 
八重子のお葬式のシーンでも、200~300人のエキストラさんに並んでもらったのですが、実際には2000人も参列したそうです。テレビだと「橋本橋まで並んでるぞ」と言っておしまい。映画だと、そこからを見せなければいけない。葬儀場の外の橋本橋まで参列者が並ぶシーンはほんの1カットですが、その1カットがあるから映画なのです。
 

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■現場でひらめき、映画に奥行きを与えた名シーン。

―――升さん演じる夫、誠吾は、最後まで妻を「八重子さん、かあさん」と呼び続け、元気な時と変わらぬ接し方で、八重子の尊厳を守っていました。その本質に触れるラストのセリフが、非常に効いていましたね
佐々部:本当は、梅沢富美男さん演じる医者が八重子の死後、誠吾に言う尊厳に関するセリフはありませんでした。あのシーンを撮る前の日、撮影中頑張って下さった梅沢さんに、最後にもう一つ、決めのセリフを言ってもらいたいと思って考えていると、「人の尊厳を守った」というセリフが浮かびました。まさに本質のところを突いているので、梅沢さんには「難しい単語を使っていますが…」と相談してみると、「このセリフ、最後にきちゃう?うれしい!」と喜んでくださり、最後に重みがつきました。
 
八重子が口だけで「ありがとう」と告げるシーンも、助監督からの、八重子の最後のアンサーが聞きたいという言葉から発想を得たもの。本当はそれを受けて誠吾が「こちらこそ」と言うところまで撮っていたのですが、両方入れると映画が甘っちょろくなってしまうので、八重子さんだけにしたんです。すると、映画を観た方が「あれは『アイ・ラブ・ユー』って言っているんですか?」とか、色々な受け取り方をしてくださり、映画として奥行きができました。
 

■作品に馴染む、谷村新司バージョン『いい日旅立ち』。

―――音楽教師であった八重子の介護エピソードに様々な曲が登場する中、エンディングでは谷村新司さんの『いい日旅立ち』、劇中では『昴』が使われています。実際に生前の八重子さんがお好きな曲だったのですか?
佐々部:今回は八重子さんが好きだった場所ばかりで撮影しましたし、谷村新司さんも生前八重子さんが一番好きな歌手でした。『昴』は歌詞が歌えなくなった時でも、ハミングでメロディーを奏でていたそうです。谷村さんにお手紙を書き、谷村さんからは「何かこの映画に協力したい」ということで、楽曲使用を許可していただきました。この作品は、ピアニストの穴見めぐみさんに劇中音楽を依頼し、ピアノがメインになると分かっていたので、還暦を越えた谷村さんがピアノソロだけで歌っているアコースティックバージョンをエンディングに起用することで、全体がうまくリンクできました。『いい日旅立ち』の歌詞も、「母の背中で…」と作品にもリンクしている気がします。最近、佐々部組ではカラオケのラストは決まって、谷村新司バージョンの『いい日旅立ち』を皆で歌っていますよ。
 
―――最後に、これからご覧になる皆さんに、メッセージをお願いします。
佐々部:きっと10年後、20年後、この国で介護はもっと大きな問題になっていきます。そこへ準備する気持ち、こんなことが起こり得るかもしれないということを少しでも考えてもらえるといいなと思います。また、男と女が夫婦となって添い遂げることが、こんなに素敵だということを分かってもらえるといいなと思って作りました。地味な映画ですが、映画館で観ていただけるとうれしいです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『八重子のハミング』(2016年 日本 1時間52分)
監督・脚本:佐々部清 
原作:陽信孝『八重子のハミング』小学館刊
出演:升毅、高橋洋子、文音、中村優一、安倍萌生、辻伊吹、二宮慶多、上月左知子、月影瞳、朝加真由美、井上順、梅沢富美男他
2017年5月13日(土)~シネ・リーブル梅田他全国順次公開
配給:アークエンタテインメント
公式サイト⇒http://yaeko-humming.jp/
(C)Team『八重子のハミング』
 

ps-inta-550.jpg『パーソナル・ショッパー』ララ役/シグリッド・ブアジズ インタビュー

≪シグリッド・ブアジズ プロフィール≫
1984年3月10日、フランス・パリ生まれ。フランス国立高等演技学校(Contuvatoire national superior d'Art dramatique du Paris)で学ぶ。2008年、短編映画『Cortege』(未/原題)で映画デビュー。13年に世界的に大ヒットしたデンマーク・スウェーデン合作の北欧ミステリー「THE BRIDGE/ブリッジ」を原作にリメイクされた英国のTVドラマシリーズ「トンネル~国境に落ちた血」に出演し注目を浴びる。その他の出演作にミア・ハンセン=ラブ監督作『EDEN/エデン』(14)、さらにFENDIの広告モデルとしても活躍。


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シグリッド・ブアジズさん、『パーソナル・ショッパー』を語る。

 
「主役を演じるより脇役を演じる方が難しい」――そう言われることがよくある。確かに、どんなに主人公が輝いていても、他の登場人物に魅力がなければ、映画に深みがなくなってしまい、見ていてもときめかないという体験をお持ちの人も多いのではないだろうか?


5 月12日から上映が始まる『パーソナル・ショッパー』で、確かな存在感を放つ脇役の一人が、シグリッド・ブアジズさんだ。クリステン・スチュワートが演じる主人公・モウリーンの義理の姉・ララを演じる。双子の兄を亡くしたモウリーン。そして、彼女と共通の大切な人を亡くしたララ。映画は、モウリーンの悲しみを軸に展開されていくが、伴侶を亡くしたララもまた、スクリーンに映し出されないところで悲しみを抱えている。


ps-inta-240.jpg脇役を演じる難しさはどこにあるのか?
「シナリオに書かれていない部分を自分で想像しなければならないところ」「主役にも脇役にも同じように1つの人生があります。だから、登場シーンが少ない人物は、登場しない部分の生活を、自分の想像力で埋めていかなければなりません」とシグリッドさんは語る。
複数の俳優たちが懸命な姿勢で役に取り組むからこそ、1本の映画にずしりとした重みが出るのだろう。
オリヴィエ・アサイヤス監督は、その重要な任務のひとつをシグリッドさんに委ねた。


彼女がこの映画を出演した経緯は?
「監督から直接依頼がありました。カフェでアサイヤス監督と会って、シナリオを読んだとき、その多様な要素にものすごく感動したんです!」。
トラディショナルな要素と、新しいテクノロジーを駆使したモダンな要素とが混在し、絵に描いたような現代っ子が主人公として登場するが、彼女は「孤独」という普遍的な苦しみをまとっている。キラキラしたモードの世界と、幽霊といったオカルトの世界が混在しているところも面白い。


ホラーやモードを題材にしながらも、哲学的な結末を導き出していくアサイヤス監督。現場では俳優たちにどのように接しているのだろうか?
「とても穏やかな方です。自分の作品に信念を持っているからでしょうか。柔軟性があり、俳優に要求する内容はとてもシンプルです」
シグリッドさんもそんな監督のもとで、のびやかにララを演じた。また、主演・クリステン・スチュワートが醸し出す力強いエネルギーもまた、彼女の演技に大きな影響を与えたに違いない。

ps-500-7.jpg静かで落ち着いた印象のシグリッドさんだが、心の中は”演じることへの情熱”でいっぱいだ。数年前に「自分はジャンヌ・ダルクだ」と思い込む人物を演じたと聞いたとき、彼女の役者としてのはかり知れない可能性を見た気がした。(日本未公開作“Jeanne”/ ブノワ・ジャコ監督作品)


アサイヤス監督は前作『アクトレス〜女たちの舞台〜』で脇を固めたクリステン・スチュワートを本作で主役に抜擢した。シグリッド・ブアジズさんが、アサイヤス監督の作品で主役を演じる日も、遠くはないかもしれない。


(写真・文:田中明花)

■作品紹介⇒ こちら
■公式サイト⇒ http://personalshopper-movie.com/

©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR

 <写真キャプション>シグリッド・ブアジズさん(2017年4月19日撮影/田中明花)


(オフィシャル レポートより)

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~吉祥寺・井の頭公園を舞台にした青春音楽映画がつなぐ過去、現在、そして未来~

 
橋本愛がギターの弾き語りをし、染谷将太が等身大の若者の言葉をラップにのせて歌いあげ、永野芽郁が公園中の音を拾い集める。トクマルシューゴをはじめ、高円寺、西荻窪、吉祥寺など中央線沿線で活動するミュージシャンたちが、そこここに現れ、ライブでその音色や歌声を響かせる。公園愛、そして音楽愛に溢れた瑞々しい青春映画が誕生した。
 
今年で100周年を迎える吉祥寺・井の頭公園を舞台に、瀬田なつき監督が脚本・編集も手がけたオリジナル長編映画『PARKS パークス』。彼氏と別れ、大学も留年の危機を迎えた純(橋本愛)、亡き父の学生時代の恋人、佐知子の消息を探す高校生のハル(永野芽郁)、佐知子の孫、トキオ(染谷将太)の3人が、佐知子の遺品から見つけたオープンリールのテープに録音された歌を完成させようと動き出す。過去と現在をつなぎ、さらに未来へと遺す物語は、瀬田監督らしい軽やかさと風が吹いたような爽やかさを運んでくれる。何者にもなれず、もがいてしまう青春時代のモヤッツとした気持ち、それを吹っ切り走り出す瞬間が役者たちの豊かな表情から感じ取れることだろう。第12回大阪アジアン映画祭のクロージング作品としてワールドプレミア上映された本作の瀬田監督に、物語の成り立ちや橋本愛をはじめとするキャストたち、様々なミュージシャンと作り上げた音楽についてお話を伺った。
 

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■「(井の頭)公園が映っていれば、好きにやっていい」

  100周年を迎える井の頭公園を映画に遺すプロジェクトで、オリジナル作品を撮る。

―――井の頭公園を舞台にした映画を撮ることになったいきさつは?
瀬田:吉祥寺にはバウスシアターという映画館があり、そこに行けば邦画、洋画問わずいい映画を観ることができたり、特集上映をしてくれる場所だったのですが、2014年5月に閉館してしまいました。バウスシアターのオーナーだった本田拓夫さんは生まれも育ちも吉祥寺で、100周年を迎える井の頭公園の映画を遺したいと企画を立ち上げ、色々なつながりから私に監督のお声がかかったのです。是非やってみたいと快諾し、脚本も自分で書いたオリジナル作品を撮ることができました。
 
―――音楽が重要な要素となる映画ですが、最初から音楽をメインにしようと考えていたのですか?
瀬田:公園が映っていれば好きにやっていいとのことだったので、公園の中で何かを完成させるようなものにしようと考えていました。最初は何かを探すお話にしようと、小説だとか色々考えていたのですが、音楽を作り上げる話を思いついたのです。ゼネラルプロデューサーの樋口泰人さんから、音楽の部分を最初から誰かに頼んで、シナリオを書く段階から参加してもらい、同時に作っていけばいいのではないかとの提案があり、トクマルシューゴさんに最初から参加してもらうことになりました。歌詞も一緒に考えましたし、色々なイメージが膨らんでいきました。
 
―――音楽監修をされたトクマルシューゴさんについて、教えてください。
瀬田:トクマルさんも、井の頭公園は小さい頃から遊びに行っていた思い出深い公園だそうです。一人での活動だけでなく、様々なアーティストさんとコラボをしたり、一緒にライブもされてもいるので、トクマルさんのお知り合いで、吉祥寺を中心として中央線沿線の西荻窪や高円寺などのミュージシャンの方も巻き込んでいただきました。トクマルさんには劇中で演奏する曲を何曲か作ってもらい、たくさんのミュージシャンも参加し、面白い形の音楽映画が作れたと思います。

 

■過去や現在、その先の事も見える映画に。ビートルズが上陸する前の音楽を再現。

―――ファンタスティックな部分を併せ持つ作品ですが、物語はどのように作り上げたのですか?
瀬田:結構不思議な世界になっていますね(笑)。「100年」というのがキーワードになっているので、過去や現在、その先のことも見える映画にしたいなと思い、それらがサッとつながる見せ方になりました。過去は1964年という設定ですが、忠実に再現するのではなく、イメージの60年代という世界で面白いものを美術や衣装などで表現してもらいました。音楽も60年代のメロディーのコードなどを調べて下さり、ビートルズが上陸する前の音楽で、その時代の楽器の編成も再現しつつ作ってもらいました。
 
―――60年代の物語ではオープンリールテープが使われていますね。録音するのも一苦労だった当時の様子が伝わってきます。
瀬田:操作を覚えると結構楽しいのですが、撮影中でもたまにテープが切れることがあり、セロファンテープでくっつけたりしました。テープが劣化して続きが聴けなくなるというところから、過去の曲を現代で完成させ、次の時代につなげると面白くなるのではないかと。公園も色々な人の過去の記憶があるけれど、それを今の人が更新していく。そうやってつながっていくといいなと思いました。
 

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■主演、橋本愛の力の抜けたその表情も取り入れ、重さと軽さの両面を映画で見せる。

―――主演、純役の橋本愛さんもギターの弾き語りを披露していましたが、結構練習されたのですか?
瀬田:ご自分でギターを持っていらして、弾いたりされてたようですし、音楽が好きで色々な歌手の歌を歌っていたそうです。こちらが提示した曲も家で練習してくださり、「音楽がちょっと好きだけど、プロフェッショナルほどではない」という丁度いい塩梅で、純役に合っていました。
 
―――いつもヒロインの女の子がとても瑞々しく描かれていますが、今回の橋本愛さんも、ナチュラルな彼女の魅力が引き出されていました。初めて一緒に仕事をしたそうですが、キャスティングの経緯は?
瀬田:前からずっと一緒にお仕事をしたいという気持ちがありました。橋本さんは、普段は割と陰があったり、気の強い役が多いと感じていたのですが、何かの映画のメイキングを観た時に、力の抜けた素の表情を見せていて、日頃見るような凛とした表情とギャップがありました。その両面を映画で見せることができれば、モヤッとしている重さと軽さをうまく演じてくれるのではないかと思い、オファーさせていただきました。橋本さんは自称「風を操れる人」で、彼女がベランダに出ると風がふわっと吹いて、カーテンが揺れたりするんですよ。話してみると、とてもチャーミングな方でしたね。
 
―――瀬田監督の作品で「軽さ」はキーワードのように感じますね。
瀬田:この作品は特に軽やかに撮りたいという部分がありました。永野芽郁さんが演じたハルも普通だと悩みそうな役ですが、過去に行っても、現在でも溶け込んでいて柔軟な表現力がありました。現実なのか、幻想なのかという部分を、永野さんだからふわっと演じてくれました。
 
 
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■大人でも子どもでもないキャラクター、トキオ役を自分で作り、共演者を巻き込んでくれた染谷将太の存在。

―――瀬田監督は、染谷将太さんをよく起用されていますが、染谷さんの魅力はどんなところですか
瀬田:染谷さんは本当にプロフェッショナルな役者さんで、トキオ役を自分でふくらませて作ってくださり、橋本さんや永野さんをうまい具合に巻き込んでくれ、信頼できる人だなと思っています。私からは軽やかにと伝えただけですが、大人でも子どもでもないキャラクターでちょっとテンション高めの男の子になりましたね。
 
―――染谷さんはラップを披露していましたね。即興っぽいラップもありましたが。
瀬田:染谷さんは、園子温監督の『TOKYO TRIBE』でラップをされていたので、トクマルさんと染谷さんに何をやってもらおうかと考えていた時、「きっと染谷さんならラップできるよ」と、フリースタイルで勝手に言葉を選んで歌ってもらおうと考えていたんです。でも、染谷さんから「いや、できないですよ」と言われて(笑)。最後に歌うものは、ceroの高城さんにリリッックを書いて頂いたのですが、そこまでのラップは「池にはカモ」とか、「空には雲」と素人の私が勉強しながら書いて、染谷さんに添削してもらって、トクマルさんも巻き込みながら一緒に考えていく作業でしたね。シナリオ段階は結構不安でしたけれど、染谷さんの技術で歌いこなしてくれました。韻の踏み方も上手でしたね。
 
―――瀬田監督の映画で外せないといえば自転車のシーンですが、今回も冒頭からヒロインの純が桜満開の井の頭公園を疾走していきます。
瀬田:走っているよりもすっと映る疾走感やスピード感があるので、自転車のシーンは好きですね。自転車を撮っているだけで、背景も変わっていくので、一気に街や公園も見せられます。公園は自動車で走れないので、撮影の時もカメラマンの方が電動自転車の後ろにつけたリアカーにカメラを載せて撮影する撮り方を考えてくれました。橋本さんもいい距離感で自転車を漕いでくれましたね。桜のシーンから始めたいというのは、企画の本田さんの希望で、それだけは外せないと。
 

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■編集は表情を重視。鈴木清順監督のような、予想を裏切る展開を心がけて。

―――瀬田監督は脚本だけでなく、編集もご自身でされていますが、心がけている点は?
瀬田:役者の方の表情や動きが1回限りしかできないような形に切り取りたい。その瞬間しか出ないところを残し、魅力的に見せたいという点を重視しています。表情を重視していますね。あとは、驚きのある、予想を少し裏切れるような繋ぎ方を心がけています。鈴木清順監督も大好きで、こういう風にしてもいいんだと勉強になります。
 
―――鈴木清順監督の名前が挙がりましたが、他に影響を受けた監督は?
瀬田:ヌーヴェルヴァーグの監督、初期のゴダールや、フランソワ・トリュフォーやエリック・ロメールは、少ない人数で街に出て、さっと撮っているスタイルや、自然光で撮るなどが参考になっています。街に出てカメラを回せば物語ができる。今回はまさしく公園が撮り放題でしたから。
 
―――クライマックスは、公園を舞台に軽やかなミュージカル風のシーンが用意され、最後まで楽しめました。ミュージカル映画への布石にもなりそうですね。
瀬田:トクマルさんが作ってくれた曲が壮大で盛り上がる曲だったので、エキストラの人にも踊ってもらおうと少しずつ豪華になって、ビデオコンテを作って、公園に人が少ない時間を狙って3日ぐらいに分けて撮りました。音楽がいつの間にか始まり、人が台詞ではなく、音楽で動き始めるようなミュージカル映画も好きですし、日本ではなかなか難しいのですが、街で想像外のことが起こるミュージカル、いわば『ラ・ラ・ランド』のようにもっと音楽の要素を入れた作品にも挑戦してみたいです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『PARKS パークス』(2017年 日本 1時間58分)
監督・脚本・編集:瀬田なつき
出演:橋本愛、永野芽郁、染谷将太/石橋静河、森岡龍/佐野史郎他
2017年4月22日(土)~テアトル新宿、5月6日(土)~シネ・リーブル梅田、5月13日(土)~神戸国際松竹、初夏~京都シネマ他全国順次公開
公式サイト⇒http://parks100.jp/  
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