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フィギュアの“ペア”スケートに人生を懸けてきた女性の夢と恋を描くハートフルラブストーリー『ICE ふたりのプログラム』がいよいよ本日2月17日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほかにて公開となります。この度、本作の主演を務めたとロシアの俳優アグラヤ・タラーソヴァアレクサンドル・ペトロフのインタビューが到着しました。


2018年にロシアで公開された本作は、『ブラックパンサー』『フィフティ・シェイズ・フリード』などの大作を抑えて2週連続1位を獲得し、その年の年間興行収入4位を記録。そして2020年に公開された続編『ICE2』(英題)も大ヒットを記録。本作の主演はロシアを代表する名女優クセニア・ラパポルトの娘アグラヤ・タラーソヴァ、共演は本国で最も有名な授賞式の一つゴールデンイーグル賞で2度の受賞を果たす人気俳優アレクサンドル・ペドロフ、そして続編『ICE2』(英題)での演技が認められゴールデンイーグル賞助演女優賞を受賞したマリヤ・アロノーヴァ。美しいフィギュアスケートシーンとクオリティの高い映像制作技術による、心温まるラブストーリーが満を持していよいよ日本公開となります。


今回解禁されたインタビューでは、ふたりの各役柄についての他、共演者についてや監督に関して、また撮影の様子などとても興味深い内容を語ってくれています。


【アグラヤ・タラーソヴァ(ナージャ役)インタビュー】

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■役柄について

ナージャはわたしによく似ていますし、心の広さに感銘を受けました。彼女は降参することを知りません。人生の中で、喪失、痛み、失望といった多くのことを経験してきました。だけど、また立ち上がって前へと進むのです。そして彼女の心の中には、何か巨大な愛が詰まっているのです。非難することなく、許すのです。わたしも彼女から、降参せず信じ抜く能力を見習いたいと思います。


■共演者について

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共演者は驚くべき人たちでした。誰が欠けても映画は今のようにはならなかったでしょう。アレクサンドル・ペトロフには、クレイジーなほどの活力とエネルギーがあります。彼はわたしをとてもサポートしてくれました。彼には常に提案やアドリブがあったのです。同じことを、他の全員に関しても言うことができます。こういった共演者たちといることで気力が生まれ、俳優にとって非常に重要な創造的連帯と共生が芽生えました。マリア・アロノーヴァは真にその名に値する女性で、カリスマ性とユーモアの感覚にあふれ、厳しく責任感がありプロフェッショナルです。ミロシュ・ビコヴィッチとの仕事は素晴らしいものでした。彼は、いかにも外国の俳優のように感じられ、非常に洗練されていてデリケートです。彼とリンクに立つのはいい気分でした。気さくな人で努力家であり才能にあふれています。


■監督について

オレグ・トロフィムはわたしの近しい友人となりました。映画の決定方法、映画がどのように撮られたかは、すべて彼の功績であり、彼のアイデアです。これが彼にとっての最初の映画なのだと分かる瞬間がありました。わたしにとっても今回がはじめての大きな映画でした。オレグが不安そうにしていたり平静でなかったり、また、全身全霊を捧げているのが伝わってきました。わたしたち誰もが、最後であってもそれが初めてかのように取り組めたらいいなと思います。


■車椅子について

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ヒロインの障害は、わたしにとって役になりきるためのもっとも大きな、つらいテーマの一つになりました。現実の生活でそういった問題に実際に直面している人たちがどのように感じるかを想像するのが、怖いと感じました。ともすると、彼らの気に障るかもしれませんし、どこか間違って演じてしまうかもしれないのが怖かったんです。そこで、プロデューサーが16年前にヒロインと同じようなケガを負った、タチアナという少女を探してきました。わたしは彼女のところに行き、彼女と丸一日を過ごしました。彼女はどのように生活をしているか、どのように体をほぐしているか、何を感じているかを見せてくれたのです。彼女は腰から下が麻痺しています。時おり寒さを感じたり、両足に激痛が走ったり、あるいは逆に熱くなったりするのだと話してくれました。わたしがこのイメージにすっと入っていけるよう、ナージャが車椅子を使うシーンの撮影期間、わたしは一日中車椅子から立ち上がりませんでした。ヒロインと同じように、まるでわたしが歩けないかのように過ごそうと努力しました。


■映画について

この映画はわたしの幸せ、わたしの勝利、わたしの達成です。この映画の前と後で、わたしの人生は別物になりました。このプロジェクトでわたしは別人になったのです。この映画を撮り終えたあと、長年立ちたいと思っていたわたし自身の道がスタートしたのです。この映画は支えと、友情に関する映画です。見終わって映画館から出たみなさんが、微笑みを浮かべ、近しい人たちを抱きしめてくれたらな、と心から願っています。


【アレクサンドル・ペトロフ(サーシャ役)】

■プロジェクトについて

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本作のキャスティングが始まったのは、まだ『アトラクション 制圧』の撮影中だったため、わたしはオーディションに呼ばれませんでした。たくさんの人数をオーディションしたにもかかわらず、クランクインまで残り数週間、依然として主役がいませんでした。そんなとき急にオーディションに呼ばれ、翌週にはわたしに決定されたのです。


■共演者について

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わたしたちは本物のチームを作り上げ、相互理解を得ることに成功しました。アグラヤは今回が彼女にとって、大きな映画での初めての主役だったので、この物語を最大限よいものにしようと努力していました。特別な喜びをもたらしたのは、マリア・アロノーヴァとの仕事です。いつだったか彼女はドラマを見て、わたしに電話をしてきて、たくさんの心地よい言葉をかけてくれたのです。ドラマや映画で目にした見知らぬ若手俳優に電話をかけ、その人物にとって大切な言葉をかけるということは、わたしたちの間ではあまり一般的ではありません。そのうえマリアはロシア人民芸術家であり、人気者で、本物のプロフェッショナルです。若手俳優であるわたしにとって、そんな偉大な人物がわたしに電話をかけてきてくれたというのは、この上ない幸せでした。そしてどうやら彼女は、わたしのことをだいぶ気にかけてくれていたようです。『ICE ふたりのプログラム』の現場でわたしたちが会った際、お互いをハグしました。言葉は必要ありませんでした。それは、筆舌に尽くしがたい感覚でした。


■映画について

携わった人たちが織りなすパズルが理想的にはまった結果、こんなにも価値のある映画が出来上がったのだと思います。この作品にはどこか奇跡的なところがあります。今わたしは映画は成功するだろうと強く確信しています。
 


【STORY】

ふたりでなら強くなれる―

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大怪我を負い、夢破れたフィギュアスケート選手のナージャ。絶望に塞ぎ込む彼女の前に現れたのは、明るくて無鉄砲なアイスホッケー選手サーシャ。型破りな手法で懸命にリハビリを支えるサーシャのおかげで次第にナージャは笑顔を取り戻す。そして、再びスケートができるまでに回復したナージャの新たな夢と恋の挑戦が始まるー。
 

出演:アグラヤ・タラーソヴァ アレクサンドル・ペトロフ ミロシュ・ビコヴィッチ マリヤ・アロノーヴァ
監督:オレグ・トロフィム
2018/ロシア/107分/英題:ICE
提供:リージェンツ/AMGエンタテインメント
配給・宣伝:リージェンツ

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 役所広司、吉沢亮が初共演を果たし、オーディションで選ばれた在日ブラジル人キャストと共に、さまざまな違いを超えて家族を作ろうとする人たちを壮大なスケールで描くヒューマンドラマ『ファミリア』が、2023年1月6日(金)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、kino cinéma 神戸国際、MOVIX京都他全国ロードショーされる。
  監督は、『八日目の蟬』『ソロモンの偽証』2部作の成島出。いながききよたかが、自分にとって身近な題材や実際に起きた事件を取り入れたオリジナル脚本をもとに、ジャパニーズドリームを求めて日本に渡り、リーマンショック後の不景気と日常的な差別を体験している日系ブラジル人と、中でも若者たちが晒される暴力をリアルに描写。ある出来事をきっかけに彼らの隣町に住む、主人公、誠治(役所)との距離が近づく様子は、まるで現実と地続きのようだ。家族の愛を知らずに育ち、妻亡き後、陶芸の仕事に打ち込む誠治誠司と、海外の赴任先で出会った難民の女性、ナディアと結婚する息子、学(吉沢)の、それぞれが考える幸せの違いがもたらす悲劇を超えて、誠治が踏み出す先にあるのは何なのか。ブラジル人コミュニティーに憎悪を募らせる半グレ集団のリーダー役を演じるMIYAVI、誠治と同じ施設で育った友人を演じる佐藤浩市らの熱演にも注目したい。本作の成島出監督にお話を伺った。
 

――――最初、脚本家のいながききよたかさんのプロットを読んだとき、印象深かった点を教えていただけますか。
成島:このような題材ですから、ドキュメンタリーではないけれど、すごくリアルなものを目指したし、ちょっとネット検索をしたら出てくるようなことがベースになっているのではなく、いながきさんのシナリオは全て彼の身近で実際にあった出来事を描いていたのです。最初はアルジェリアの出来事を入れる必要はあるのかという気持ちもありましたが、いながきさんの日揮に勤めている知り合いが実際に事件に巻き込まれ、そのご友人が亡くなられたそうです。その距離感で知り合いが亡くなるということは、今のグローバル社会では作り話ではなく起きうることであるという認識のもと、プロットにあるものを全て使うことに決めました。
 
 
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■暴力の恐怖をリアリティーのある痛みとして表現する

――――親の愛を知らずに育った主人公誠治と息子の学や、学とアルジェリアで知り合った妻ナディア、ブラジル人コミュニティーで暮らすマルコスなど、様々な家族の関係を描くにあたり腐心したことは?
成島:最初に希望を描くと決め、そこから希望の逆算として、どれだけ現実が厳しいのかを描いていきました。例えば両親を空爆で亡くし、故郷もなく難民キャンプにいたナディアが学と出会い、日本で新しい家族を作ろうとする形で希望を提示していますし、今回は暴力描写をしっかりと描いています。嘘っぽい希望にしたくなかったので、痛みや傷、差別、分断、テロなど暴力の恐怖をリアリティーのある表現にしたかったのです。
 
――――冒頭、ブラジル人コミュニティーの象徴となる団地が映ってからのワンシーンワンカットは圧巻でした。
成島:この作品ではマルコスらが住む団地が主役なので、まずは主役の顔から入る形にしました。実際に夜の仕事から帰ってきた女性たちを乗せたバンと、朝、工場に出発するバンが交差している場所です。子どもたちは学校に向かい、夜勤から帰ってくる労働者もいる。そんな情景を、軍艦島のようにちょっと異様な造形の団地と共に収めています。それだけではなく、役所広司さんが演じる誠治が運転するトラックがそれらのバンの横を通り過ぎていきます。いつもその道を通っているけれど、誠治はそのブラジル人コミュニティーに決して接触することなく、暮らしていた男で、それらすべてをワンカットで撮ろうとしたシーンです。
 
 
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■役所さんに渡した「誠治の人生表」

――――日頃すれ違うだけの関係であることが一目でわかる名シーンですね。養護施設で育った誠治は、親子関係をどう構築するのか悩みながら、黙々と陶芸に打ち込む男ですが、演じた役所さんとはどんな話をされたのですか。
成島:役所さんとは長く仕事をしているので、具体的なことを細かくは言いません。誠治の生い立ちや、養護施設時代、中学、高校時代にグレた経緯や初恋のこと、妻との出会いや、どのようにして妻を亡くしてしまったのか、残された一人息子の学とどのように暮らしてきたのか、室井滋さんと中原丈雄さんが演じる金本夫妻にどのように助けられてきたのか等、誠治の人生表を役所さんにお渡ししました。それがいわば僕の演出になり、それをもとに役所さんが誠治という人物像を構築してくれました。
 
――――息子の学はまさに希望を抱き続けてきた人物で、妻のナディアと一時帰国し、誠治と3人で田んぼ道を歩きながら、ナディアが故郷のララバイ(子守唄)を歌うシーンは映画の中でも幸せの最高潮と言えるシーンでしたね。
成島:オーディションやワークショップをするうちに、ナディア役に選ばれたアリまらい果さんの声が素晴らしかったので、アフガニスタンの子守唄を歌ってもらうことにしました。故郷は戦争で失われ、母の顔も覚えていないけど、母が歌ってくれた歌だけは覚えているナディアが、新しい故郷になるであろう日本で、新しい家族になる義父と夫に聞かせている。そんなシーンですね。
 
 

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■幸せが一瞬にして壊れるシナリオが、悲しいことに現実に

――――誠治の養護施設時代の仲間で現在は定年直前の刑事を演じるのは、佐藤浩市さんです。時折お茶を飲みながら二人だけでじっくりと語り合うシーンは、幸せを感じた後の大きな後悔を背負った誠治の本音が垣間見えます。
成島:幸せが一瞬で壊れてしまうという本作のシナリオを書いたのは、ウクライナ侵略が起きる前でしたが、悲しいことにそれが現実になってしまい、戦争で家族と引き離されてしまうというまるで第二次世界大戦のときのような映像が、日々ニュースで流れている時代になってしまった。フィクションとして描こうとしていたものがリアリティーになってしまった一方で、役所さんと佐藤さんが演じた、家族の愛情を知らずに育った二人は子どもの頃から地獄を見ており、誠治は家族とどう接していいのかわからないわけです。ただこの二人はそのわからなさを共有し、お互いに支えあっているわけです。佐藤さんも役所さんも、映画界の中では兄弟分のようなものですし、この映画全体を見ても、演じてもらった人物像が、すべて俳優本人とリンクしているんですよ。
 
 
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■難民たちの痛みを知るMIYAVIに託したこと

――――それはとても興味深いですね。
成島:半グレ集団のリーダー、榎本海斗を演じたMIYAVIさんは、難民キャンプの子どもたちのために長年、支援活動を続け、現在UNHCR親善大使として活動されています。差別される側や故郷を失った難民たち、親を殺された孤児たちをずっと見つめ、その痛みを日本人の中で誰よりも知っている人のひとりです。その痛みを一番知っている人に、ブラジル人のマルコスやその仲間たちへの暴力、蹴りを入れてほしかった。逆に、何も知らない俳優に海斗役をやらせたくはなかったのです。MIYAVIさんが納得して演じてくれたので、監督として暴力描写にブレーキをかけることなく、存分に演出できました。顔の傷とて、彼らブラジル人の若者たちの青春そのものだし、救急車で心臓停止した若者が蘇生したというのも取材で聞いた実話です。そのように日常的に暴力があることを、リアルに描きました。
 
 
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■オーディションで選んだブラジル人キャストの境遇に合わせて、各キャラクターを構築

――――誠治に助けを求めるマルコスや同じコミュニティーのエリカなど、日本の半グレ集団に追い詰められる難しい役どころを、演技経験初のキャストたちが演じていますが、どのように役を掴む演出をされたのですか?
成島:ブラジル人コミュニティーの人たちは皆、オーディションで選んだキャストです。演じてもらった役と、実際の彼らの境遇を合わせていく形でシナリオを変更していきました。マルコスを演じたサガエルカスさんは、国籍がブラジルのブラジル人だけど祖国に行ったことがないんです。幼い頃から家ではポルトガル語で育ったのに、小学生になり、いきなり日本語オンリーの学校に入り、勉強についていけなかった。劇中でも追い詰められたマルコスが「日本人でも、ブラジル人でもない。何者なんだ、俺は!」と叫ぶシーンがありますが、あれはルカスさん自身の実感なのです。エリカを演じたワケドファジレさんは、ある年齢までブラジルで過ごし、そこから日本に来たので、根はラテン気質のブラジル生まれ、ブラジル育ちです。でも日本の学校で全くついていけなかった。そのようなリアルな境遇を使わせてもらい、それぞれのキャラクターを構築する上で、極力彼らの実感でできるように、嘘のないことを目指しました。マノエルを演じたスミダグスタボさんも、ブラジルにいた彼の兄が麻薬事件で命を落としたという実体験をもとに、キャラクターを作り上げましたから、兄のことを思いながら演じていたと思います。
 
――――今までブラジル人コミュニティーと接点のなかった誠治が、自身も絶望的な状況に陥る中、同じく四面楚歌のマルコスらと徐々に心の距離を近づけていく構造になっていますが、ドキュメンタリーではないけれど、そのような作り方をするからこそ、伝えられることの強さが増しますね。
成島:例えばウクライナも日本では日頃注目することがなかった国ですが、ロシアの侵略による戦争が始まったことで、みんなが知るようになった。それと同じで、争いが起き、逃げて来たマルコスを誠治が助けたことから、半グレやブラジル人たちなど、誠治が今まで触れることのなかった人たちと関わるようになっていく。僕の中で両者は似ていると思うし、それが大きなテーマではあったけれど、フィクションで描くつもりが、すごくリアルとリンクしてしまった。単なる架空の話ではなく、意外と近い例えになってしまいましたね。
 
――――マルコスの父はジャパニーズドリームを求めて、来日したものの、リーマンショックによる日本企業からの使い捨てで自死したという経緯も語られます。あれから時が経ち、日本で使い捨てのように扱われた外国人が、円安の今、もはや日本を捨て自国に戻る流れも顕著になってきています。本当に日本に住む外国人のみなさんとの関係を今一度真剣に考えるきっかけになる作品でもあります。
成島:僕は東京のコリアンタウンがある大久保に住んでいたので、一時期はヘイトスピーチがすごかった。実際に見ると、憎悪のパワーが凄まじいんです。関東大震災時の朝鮮人虐殺もしかり、日本人の根っこにあるものは変わっていないと悲しいけれど思わざるを得ない。ヘイトスピーチでの生の殴り合いも見ていたので、MIYAVIさんが演じた海斗ら半グレ集団のブラジル人に対する暴力も半端ないものにしたかった。津波のように連鎖する怒りのパワーは恐ろしいのです。差別は昔のことだと言う人もいますが、とんでもない。今も日本中で続いています。
 

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■娯楽映画の奥にあるものに触れてほしい

――――本当にその通りだと思います。憎悪だけではなく希望を描くのは、映画だからできることであり、辛いシーンも多いけれど、家族や人生について希望を捨ててはいけないと感じるラストでした。
成島:家族とはなんだと思いますかという質問に、役所さんがおっしゃってくださったのが「その人の痛みを自分の痛みとして感じられることができる相手が、家族なんじゃないですか」と。誠治も、マルコスの痛みを自分の痛みとして最後の行動に移っていくわけです。ちゃんと相手の痛みや哀しみを、自分のことのように感じることができるかどうか。それが争いや戦争、差別をなくす根本だと思います。その実感を映画は一番伝えやすいので、この作品も娯楽映画ではありますが、その奥にあるものに触れてほしい。ぜひ若いみなさんにも観てもらいたいですね。
(江口由美)
 

 
『ファミリア』(2022年 日本 121分) 
監督:成島出 
脚本:いながききよたか
出演:役所広司、吉沢亮、サガエルカス、ワケドファジレ、中原丈雄、室井滋、アリまらい果、シマダアラン、スミダグスタボ、松重豊、MIYAVI、佐藤浩市 
2023年1月6日(金)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、kino cinéma 神戸国際、MOVIX京都他全国ロードショー
公式サイト⇒https://familiar-movie.jp/
(C) 2022「ファミリア」製作委員会
 
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 台湾新世代と言えるロアン・フォンイー監督の長編デビュー作『アメリカから来た少女』が、2023年1月6日(金)よりアップリンク京都、1月7日(土)よりシネ・ヌーヴォ他全国順次公開される。
 『百日告別』『夕霧花園』のトム・リンが制作総指揮を務めた本作は、ロアン・フォンイー監督の自伝的要素を盛り込み、中学生のファンイーが、母と妹の3人で暮らしていたアメリカから、母の乳がん治療のため台湾に戻るところから物語が始まる。2003年、SARS(重症急性呼吸器症候群)が中華圏を襲った時代を背景に、進学校に転入したものの中国語があまり分からず、クラスメイトからもアメリカ人のようと揶揄され居場所のないファンイーの苛立ちや、死を感じながら生きる母への反発など、父、妹と家族4人暮らしの微妙な空気感が伝わってくる。自身も無念さを抱えながら、思春期のファンイーとつい衝突してしまう母、リリーを『百日告別』のカリーナ・ラムが演じる他、父役には半野喜弘監督作『パラダイス・ネクスト』のカイザー・チュアンなど実力派が顔を揃えた。自身のアイデンティティーや母への想いをうまく伝えられず気持ちが揺れるファンイーを演じたケイトリン・ファンの自然な演技も大きな魅力だ。
 本作のロアン・フォンイー監督に、リモートでお話を伺った。
 

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■思春期のアメリカ体験、自分の判断でやっていく気持ちが芽生える

――――自伝的作品とのことですが、監督自身、思春期の前半までを過ごした母娘三人のアメリカ生活はどんな印象を持っていたのですか?
ロアン監督:本作を撮る前の短編映画『おねえちゃん JieJie』は、まさしく母とわたしと妹と3人でのアメリカ暮らしで最も印象深かった90年代の話を描きました。当時鮮烈な印象を受けたのは華人社会の存在でした。中国語を話す色々な国や場所から集まってきた人たちが形成する社会で、母ですらそれらは初めての体験でしたから。わたしの中で「母すら頼りにならないんだ」という気持ちが芽生え、自分で判断し、この世界でやっていかなくてはいけないと、生まれて初めて強く思いました。
 
――――監督の体験を聞いていると、主人公、ファンイーが母になぜあれだけ反発するのか、理解できますね。
ロアン監督:アメリカに行ったファンイーは、初めてアイデンティティーが確立できたような気がするわけですが、せっかくできたアイデンティティーが台湾に戻ることにより、一度壊して、もう一度立て直さなくてはいけない。だからこそ、母との衝突が生じてくるのです。
 
――――親や学校の先生たちがファンイーに様々なことを命令し、彼女にとっては自尊心が叩き潰されるような気持ちになったのでしょうね。台湾に戻ったファンイーの葛藤を描くとき、特に重きをおいたことは?
ロアン監督:表面的には、ファンイーが台湾に戻ってきて向かわされているのは、台湾とアメリカの様々なギャップなのですが、わたしが特にしっかり描かなくてはいけないと思ったのは、思春期の時期に自分の母がガンに侵され、死ぬかもしれないという恐怖感でした。
 
 

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■人生において、いかに女性として生きることの負担が大きいか

――――一方、母自身は自分の病状を隠すというより、むしろ死の可能性を口にしながら、ファンイーにしっかりしてもらいたい一心で厳しく接していきますね。
ロアン監督:わたしの母の世代は台湾で、大学卒業後、仕事をしてキャリアを積んでいくという第1期の新女性と呼ばれ、社会的な立場を確立していました。でも、なぜそうなるのか考える間もなく、結婚、出産と自然にその道を歩んでしまうわけです。母の人物像を描くとき、特に気をつけたのは、40歳前後の人はまだ健康な人が多いわけで、その中でガンに侵されてしまう人の苦悩をしっかりと描かなくてはいけないということ。そして、最後の方に「生まれ変わったら男の子になりたい」と吐露するシーンがありますが、人生においていかに女性として生きることの負担が大きいかを込めました。ガンを患わなくても、女性はそういう重さを感じていると思いますし、そこをしっかりと描いていきました。
 
 

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■役のバックグラウンドを掘り下げ、自身の結婚生活も脚本に反映したカリーナ・ラム

――――母が夢を追いきれなかった根底に、病だけではなく家父長制への憤りが見えました。母のリリーを演じたカリーナ・ラムさんと、どんな話し合いをしたり、役へのアプローチを行ったのですか?
ロアン監督:本作で最初にキャスティングしたのが、カリーナ・ラムさんでした。カリーナさんとは1年ぐらい前から本作の企画についてお話をしており、だんだんと役に入っていけるように、お話を重ねました。カリーナさんから質問があったのは、リリーのバックグラウンドでした。どんな学校に行き、何を学んで、結婚生活はどうだったのかという人物設定を詳しく聞かれました。わたしの両親は30歳ぐらいに結婚したので当時としては晩婚で、知り合って半年で結婚したのですが、そういうこともお話しながら、役作りをしてもらいました。
カリーナさんなら内面をしっかりと演じてくださると思いましたし、カリーナさんご自身の結婚生活、例えばパートナーとの関係なども伺い、脚本を作っていきました。カリーナさんはわたしが書いた脚本の夫婦関係についても、すごく共感できると言ってくれましたね。
 

■強いセリフも自然で説得力があるケイトリン・ファン

――――久しぶりの家族揃っての生活も、様々な問題が噴出し、家の中がギスギスしてしまうという描写は、非常に共感できました。主演のファンイーを演じたケイトリン・ファンさんのキャスティングや、役を掴んでもらうためにしてもらったことを教えてください。
ロアン監督:ケイトリン・ファンさんについては、バイリンガルという条件に合ったことと、映画の中で出てくる悲しいセリフや、母をなじるようなセリフも、彼女が言うとごく自然で嫌味が全然ない。すごく説得力のあるセリフが言えることが一番の魅力だと思いました。リハーサルを重ねる中で、お互いに理解し合っていたので、わたしの指示をすぐ理解してやってくれました。ケイトリンさんに学んでもらったのは、馬が本当に好きであることを表現するために、馬に乗るシーンはありませんが、親しんでもらうため馬術を習ってもらいました。
 もう一つ、役になりきるために配慮したことは、家の中をリアルに作り、そこで彼女が生活をしていることを理解してもらえるように工夫しました。
 

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■「今撮ればいいじゃないか」背中を押してくれた師匠、トム・リン監督

――――トム・リン監督は短編時代から指南を受け、本作でも製作総指揮を務めておられますが、一番大きな学びは何ですか?
ロアン監督:トム・リン監督から学ぶことはたくさんあり、短編と長編は相当違うので、非常に厳しいことが要求されました。プロの監督は長編をどういう風に撮るのか、どういう風に調整していかなければいけないのかを教わりました。特に「95分にできれば収めてほしい」と尺の要求は厳しかったですね。またわたしが長編を撮ろうとしたとき、多くの人が「若すぎる」と言いましたが、トム・リン監督はご自身が30歳ぐらいで長編第1作を撮っておられるので、決して若すぎるとは言わず、「今、撮ればいいじゃないか」とおっしゃってくださいました。数年経ったら、今わたしが撮りたいものは撮れなかったでしょうから、今撮りたいものを撮ることがすごく大事だと実感しました。
 
――――母と娘はとても普遍的なテーマです。自分の体験をもとに描いた初長編映画を作った今、振り返って、改めてお母さんについて思うことは?
ロアン監督:映画を撮ってみて、母への想いに大きな変化がありました。台湾で上映した時にもよく聞かれたことですが、わたしは今まで自分の好きなことを貫いてやってきた人間ですが、母や家族が自分の人生でどれだけ大事であったかを、この映画を撮ったことでよくわかりました。母も、この映画から娘と自分の関係を考えてくれたと思いますし、わたしも母をより理解できるようになりました。この映画がふたりの間の理解を進めてくれた気がします。
 (江口由美)
 

<作品情報>
『アメリカから来た少女』” AMERICAN GIRL”(2021年 台湾 101分) 
監督:ロアン・フォンイー 
出演:カリーナ・ラム、ケイトリン・ファン、カイザー・チュアン、オードリー・リン 
劇場:2023年1月6日(金)よりアップリンク京都、1月7日(土)よりシネ・ヌーヴォ他全国順次公開
配給:A PEOPLE CINEMA
 (C) Splash Pictures Inc., Media Asia Film Production Ltd., JVR Music International Ltd., G.H.Y. Culture & Media (Singapore).
 
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 台湾でフォーリーアーティストとして数多くの作品に携わった伝説の音響技師フー・ディンイーの取材を中心に、映画における音の仕事を探求したドキュメンタリー映画『擬音 A FOLEY ARTIST』が、12月10日(土)より第七藝術劇場、12月16日(金)より京都シネマ、今冬元町映画館にて公開される。
監督は、ドキュメンタリー映画『無岸之河』でデビューを果たし、本作で台湾映画史や台湾語映画についても調べ尽くしたというワン・ワンロー。フー・ディンイーの魔法のように鮮やかな映画の音作りの現場を見せる一方で、吹き替えや映画音楽など、映画にまつわる様々な音の現場でプロフェッショナルに働いている人たちにも取材を重ね、複層的かつ、コラージュのような、発見がたくさんあるドキュメンタリーになっている。映画の中で散りばめられている台湾、香港映画のフッテージの数々にも注目したい。
 
 
 本作のワン・ワンロー監督に、リモートでお話を伺った。
 

 

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■ポスプロ時に出会った、フー・ディンイーさんの仕事ぶりに惹きつけられて

――――映画でよく登場する中央電影公司ですが、ここは台湾映画にとってどのような場所であるか教えてください。
ワン監督:通称中影と呼んでいますが、台湾における非常に歴史の長い映画会社でスタジオもあり、たくさんの映画が作られていました。中影はもともと国民党政府が管理している国有企業で70年代には抗日映画など、たくさんのプロパガンダ映画が製作されました。80年代に入り、台湾映画全体の製作本数が減少していく中、89年に台湾全土で敷かれていた戒厳令が解かれ、国営企業が民営化したり解体されました。中影も、確か2008年だったと思いますが、民営化のため人員削減が行われ、多くの従業員が解雇されたのです。
 
――――ワン監督はここで本作の主人公とも言える国宝級音響効果技師(フォーリーアーティスト)のフー・ディンイーさんと出会われたそうですね。
ワン監督:そうです。私は中影でフー・ディンイーさんと出会いました。フーさんは2008年当時、解雇通告があったものの、最終的には会社に残り、フォーリーアーティストの仕事を続けていたのです。中影のスタジオで、わたしのデビュー作のドキュメンタリー映画『無岸之河』のポストプロダクションの作業をしていたときに、たまたまフーさんのスタジオをお邪魔し、こんなに細かい音を出すことができるなんて!と、その仕事ぶりに本当に惹きつけられました。当時は音についてはあまりにも勉強不足で、改善点がたくさんあったので、次の作品を早く撮りたいと思い、ちょうどテーマを探していたときに、フーさんに出会ったわけです。フーさんに焦点を当てて映画を撮ると面白いのではないかというアイデアが、この作品の出発点になりました。
 
 
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■フーさんの話を時系列に、映画の中の音がどのように作られているのかを肉付け

――――フーさんは既にテレビでもドキュメンタリー番組が放映されていますから、彼に密着するだけではなく他の肉付けが必要だったと思います。コラージュのように、あらゆる映画の「音」にまつわる要素が組み合わされていますが、どのように作品として組み立てていったのですか?
ワン監督:「コラージュのような映画」という表現はとても面白いですね。実は、この映画が台湾で公開されたとき、一部の評論家から批判を受けたのです。映画の中の情報量が多すぎて、雑然としていると。でも私はある意味野心的に、フーさん以外の映画人の歴史や、音のことをたくさん語りたかったので、多くの映画産業に携わった人に出会う旅をし、素材がたくさん溜まりました。フォーリーアーティストが作る効果音、声優たちの吹き替えする音や映画音楽と非常に内容が多岐に渡る中、どうやってこれらを編集し、語っていくのかは私にとっても大きな試練でした。おっしゃる通り、骨格が出来上がってからどのように肉付けしていくのか。そこに血液を送り込むことも必要ですが、フーさんは寡黙な人ですし、彼の人生を見ていても決して波乱万丈ではなく、コツコツ毎日同じリズムで生活をされている。いわゆる物語の起承転結にも当てはまりにくく、困難にぶつかってしまったのです。
 最終的には、フーさんにインタビューをし、彼が語ることを時系列に並べて展開していこうと決めました。フーさんがアシスタントの仕事をしていた時代は、現場で声優たちの吹き替えを手伝っていたと発言したなら、そこへ実際に吹き替えをしていた関係者の取材をして取り入れる。次に映画の音楽についてフーさんが話をすると、映画音楽関係者に話を聞きに行くという具合です。私は映画の中の音がどのように作られているのか、どういう役割を果たしているのかを描きたかったので、フーさんの話に合わせて都度インタビューしながら、アーカイヴ映像を織り込む形を取りました。
 
 
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■若い人にも台湾映画、台湾語映画を探求してほしい

――――本作ではかつて大衆に愛された台湾語映画についても触れられています。本作の中でもとても意義がある点だと感じました。
ワン監督:私自身の台湾映画に対する認識はフーさんのドキュメンタリー映画を作ることによって始まったと言えます。私は元々文学を専攻しており、あくまでも観客として映画を好きで観ていました。初めて映画製作に携わったのは、ドキュメンタリー映画のラインプロデューサーでしたが、そこで現場の動きを理解できたものの、台湾映画の歴史は知らなかったのです。本作を作るにあたっては、たくさんの書物を読みあさり、宿題もやりましたし、インタビューも行いました。そうすると、少しずつ台湾映画がどのように始まり、今日にいたっているのかという脈をある程度理解することができたのです。
 台湾映画の発展は、歴史的にも政治と大きな関連性を持っていました。50年間の日本統治時代、日本文化の影響は大きく、台湾で初めてできた映画館は日本人が建てたものだったと思います。また、映画製作に関しても、日本の技術から大きな影響を受けていたでしょう。国民党の時代になると、中国から上海や北京の映画会社で働いていた人がたくさん台湾にやってきました。戒厳令下でのプロパガンダ映画を経て、80年代、侯孝賢監督が活躍する時代になり、やっと台湾らしい映画が作られるようになりました。
台湾語の映画については、台湾語で演じる野外公演をそのまま撮影する台湾語映画も多数ありますし、今後どのように展開していくのか。その議論が今さかんに行われています。台湾映画の歴史を探求することはいいことで、私自身はこの作品を作ることにより、台湾映画界の歴史をある程度知ることができましたし、すごく良い機会になりました。今映画を勉強している人が自国の映画の歴史を知ることはとても大事です。彼らが参考にしているのは、作品数や有名な監督が多く、資金力があるので参照しやすい欧米の映画がメインですから。
 
 
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■少しでも音を立てると睨まれた、緊迫の撮影現場

――――フーさんがフォーリー(音作り)の作業をしているところは、まさに職人技で映画の中でも大きな見どころです。その撮影や編集について伺えますか?
ワン監督:フーさんは40年間、毎日同じ時間にスタジオへ出勤し、フォーリーアーティストの仕事をするというのが基本的な一日の流れなので、オープニングは彼が出勤する風景、エンディングは彼がスタジオの電気を消し、家に帰るという流れにしました。その間にフォーリーアーティストの仕事や、映画産業の様々な部門の仕事、中国、香港の発展してきた映画産業についても紹介しています。ここが決まれば、撮影に出かけて素材収集にあたるわけですが、実際にフーさんが現場で音を作るということは、映画の現場にいるところを撮影しなくてはならない。実際にいくつもの現場で仕事をされていましたが、我々がアプローチした撮影現場の中で、1本だけ現場の撮影を許可してくれました。フーさんとその作品の映画監督の関係性があったからこそです。とはいえ、フーさんも現場にいたのは5日間だけで、終日その仕事をカメラで追いました。日頃はニコニコしていますが、本番はとてもシリアスで、少しでも音を立てると睨まれてしまうのです。だから私たち撮影隊は直立不動のままカメラを回していました。どこでカメラを止めるかなども、こちらが指示を出すこともできない。ですから、フーさんの動きが変わった時に、アングルを変えたりしていました。
 
――――想像するだけでも、緊張感に満ちた現場だったんですね。
ワン監督:撮られた映像や集められた素材についてですが、例えばフーさんが20の音を作ったとすれば、私はその音を分類しなければなりませんでした。本棚の本を倒す音だとか、足音だとか、細かく分類した。さらに、場面と場面をどうつなぐのかを考えます。例えばフーさんがフォーリーの足音を作っていると、だんだん画面が前に動いていき、兵隊の歩みにつながっていく。そういう表現も効果的だと思います。音楽の部分に関していえば、映画の中で最も感性豊かで、なかなか言葉では語れません。ここにはフーさんが本を倒す音を入れ、映画音楽ができるまでのイメージとイメージの対話のようなものを生み出せるのではないかと考えました。このように、素材を映像と音とどのように組み合わせるかという、いわば実験のようなことをしていましたね。
 

★ワン・ワンロー監督_オフィシャル写真.jpgのサムネイル画像

――――最後に、フーさんのような専門職はなかなか継ぐ人がいないと若い男性スタッフが語る中、若い女性が弟子入りし、フーさんも一生懸命教えている姿に、少し未来を感じたのですが。
ワン監督:この撮影を終えた時、実はフーさんに弟子入りしていた女性が中影を辞めてしまったのです。撮影時は二人でゴミ捨て場に道具を探しにいくシーンが撮れたのですが、今は完全に映画業界を離れてしまい、本当に残念で仕方がありません。フォーリーアーティストの仕事をフーさんは40年も続けてきましたが、このまま継承者がいないのはとてももったいない。実際にフーさんと弟子のシーンは、時には父と娘のように見えました。なにせ、彼女は一生懸命熱意を訴え、学ぶ姿勢がありましたから。その姿は、映画にしっかりと刻まれているのです。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『擬音 A FOLEY ARTIST』” A FOLEY ARTIST”(2017年 台湾 100分) 
監督:ワン・ワンロー
出演:フー・ディンイー、台湾映画製作者たち
劇場:12月10日(土)より第七藝術劇場、12月16日(金)より京都シネマ、今冬元町映画館他全国順次公開
配給: 太秦
(C) Wan-Jo Wang
 
 
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 コロナ禍で起きた殺人事件をモチーフに、自己責任論がはびこる現代社会へ一石を投じた高橋伴明監督(『痛くない死に方』)最新作『夜明けまでバス停で』が、10月21日(金)より京都シネマ、22日(土)よりなんばパークスシネマ、第七藝術劇場、MOVIX堺、kinocinema神戸国際ほか全国ロードショーされる。
 主演は、高橋伴明監督作品への出演を自ら熱望したという板谷由夏。2020年、60代のホームレス女性が殺された幡ヶ谷バス停事件をモチーフに、三知子をはじめとする中高年女性アルバイトがコロナ禍のあおりを受け、突然解雇されたことから、住む場所もなくなり、ホームレス生活に追い込まれていく姿をリアルに描いている。追い込まれる背景にある三知子の家族との関係や元夫の借金、三知子の同僚のアルバイト女性たち(ルビー・モレノ、片岡礼子)の運命、そして会社命令で解雇を通達したものの三知子と年齢、立場を超えた絆を築く店長、千春(大西礼芳)の成長と、様々な立場の女性たちのコロナ禍での葛藤が浮かび上がる。一方、下元史朗、根岸季衣、柄本明らが演じる古参ホームレスたちの言動には伴明節が炸裂。連綿と続く「自助の国」や家父長制社会にNOを突きつけ、現実とは違う映画らしいラストが待ち受けているのだ。
 本作の高橋伴明監督にお話を伺った。
 

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■板谷由夏主演で、現実とは違う展開に

――――制作の経緯を教えてください。
高橋:日頃さまざまな事件に注目している中で、2020年の幡ヶ谷バス停事件を知ったとき、犯人がなぜこんなに身勝手な行為に至ったのか、その背景を探る気になれなかった。被害者も全く殺される理由がないので、被害者側から描くという発想も生まれなかった。事件としては記憶に留めたいけれど、映画化はスルーしていたのです。
 
――――そこを覆したのは何だったのですか?
高橋:以前に制作会社から板谷由夏さんが僕と仕事をすることを希望していると聞き、人間として非常に魅力のある人なので、いい企画があればやりたいという話をしていたのです。事件の翌年、プロデューサーからこの事件を板谷由夏主演で映画化できないかと打診され、しばらく考えました。「彼女は私だ」という声が世間で上がっていることも知っていましたし、誰もが主役になりうると考えれば映画化が成立するかもしれない。被害者は60代でしたが、板谷さんに演じてもらうということは、彼女を老け役にして年齢で嘘をつくのではなく、現実とは違う展開すればいいと気づいたのです。誰もがホームレスになりうるコロナ禍で、その人生や過ごしてきた時間を切り取ることができれば、映画になるのではないかと、脚本の梶原阿貴さんに第一稿を書いてもらいました。事件が起こった背景や、コロナの状況を下敷きにしながらも、実際の事件とは全く違う物語になっています。
 

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■破綻した脚本を目指して

――――板谷さん主演で始まった企画だったのですね。脚本にもかなり監督らしい60年代から70年代にかけてのエピソードが盛り込まれ、柄本明さん演じるバクダン、根岸季衣さん演じる派手婆など、個性的で怒りを内包したキャラクターも登場します。
高橋:僕は破綻した脚本でないと嫌なので、1970年に起きた新宿クリスマスツリー爆弾事件に着想を得たキャラクターとしてバクダンや、宇野元首相のスキャンダルネタを入れるために元芸者の派手婆というキャラクターが生まれました。そうすると物語が壊れそうで面白くなるし、さらに僕自身が腹に抱えていたことを代弁してもらえば、乗れる話になってくるのではないか。そう考え、梶原さんとやり取りを重ねながら、ご覧いただいた形になりました。
 
 
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■板谷由夏の素の部分が見えた

――――板谷さんにはどんな演出をしたのですか?
高橋:一切演出はつけていません。彼女はとてもシンプルな人で、人として、母として、妻としてという生き方がきちんと自分の背骨に入っている。そして飾らない人なので、板谷さんがもしホームレスになったらこうなるというところを、あえてわかった上で演じてもらった気がします。今まではやり手の先輩を演じたり、キャスターなどインテリジェンスを全面に出す仕事をしてこられたけれど、今回は素の部分の板谷さんが見えたのではないでしょうか。
 
――――三知子がアルバイトをしていた居酒屋の同僚役として出演のルビーモレノさんは、コロナ禍で厳しい立場にあり、真っ先に切り捨てられる外国人労働者を力強く演じておられました。
高橋:出稼ぎ外国人で高齢の女性キャラクターを考えたとき、思い浮かんだのがルビーモレノさんでした。問い合わせてみるとまだ事務所に所属し、映画出演もできるということで、マリア役を作ったのです。
 
――――三知子は、どんどん顔色は悪くなるものの、ホームレスかどうか一見するとわからないのですね。
高橋:非常に短い時間でホームレスの世界に放り込まれるので、匂い立つほど汚くなることはありません。コインランドリーやオフィスビルに近づいても違和感を覚えないのです。今は、ほとんどの人はホームレスとわからないです。ときどき観察していましたが、公園で配給品をもらいに行くところを見て、その人がホームレスとわかるだけで、渡す側ともらう側の差も一見するとわからないですね。一方、映画では実際に路上で居を構えているホームレスの方にも出演していただいています。
 
 
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■日本人はきちんと公助を受けてきた歴史がない

――――三知子は元夫が作った借金を返し続け、それも自分が苦しい状況にある一因ですが、あなたが返す必要はないのにと伝えたくなります。
高橋:三知子は、そんな夫を選んだ自分が悪いと思っている。まさに自己責任の人なんです。助けてと言えない今を象徴するシーンとして、菅元首相が「自助、共助、公助」と言っているニュース映像を街頭に映し出しています。本当は逆ですよね。ただそれが正しいと思っている人がたくさんいる。それは、日本人が国からきちんと公助を受けてきた歴史がないからなのです。お国のためなら、何だってやってきたわけですから。
 
――――食べ物が欲しくてしかたないのに、三知子は配給の列に並べない。助けてと言えない人が実は多いのかと思わされました。
高橋:自尊心がそうさせるのだと思います。配給をもらいに行ってしまうとホームレスであることを宣言しているようなものですから、ホームレスだと思われたくない人が圧倒的に多いです。実際に配給されている食料はコロナ禍で個別包装になり、衛生面にも配慮され、とてもいいものですし、映画でも描きましたが一巡したら、もう一度取りに行くこともできる。飲食店の外に置いてある廃棄ゴミとは雲泥の差です。それでも三知子は取りにいけないんですよ。
 
 
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■ちゃんと怒ることの大事さと、千春の成長物語

――――この作品では怒りの爆発が見せ場ですが、高橋監督ご自身はある時期から怒ることをやめたそうですね。
高橋:『光の雨』から、撮影現場や実生活で怒ることをやめたんです。怒っても、いいことはまず生まれない。20年間封印してきたものの、怒らないと、むしろどんどん世の中が悪くなるばかりです。ちゃんと怒ることは大事だと思うんですよ。
 
――――怒りといえば、大西礼芳が演じた店長の千春が、会社オーナーの息子で上司の大河原の不正を告発するシーンは、本作のもう一つの山場です。
高橋:そうですね。三知子がホームレスになる物語の一方で、千春の成長物語を描きたかったんです。千春が成長するから、三知子を窮地から救うことができ、想定していた結末に矛盾がないように持っていけるかもしれませんし、最後は二人がひとつになるような感覚が生まれたらという狙いもありました。
 
――――怒りよりも悟りを語るホームレス男性の存在も印象的でしたね。
高橋:下元史朗さんが演じたホームレスのセンセイが語った「明日目覚めませんように」という言葉は、実際のホームレスの人の言葉を集めた本と出会った中で、絶対使いたいと思っていたセリフなんです。そのために、この役を作って下元さんに出ていただいたんです。
 
 

■いい意味で想像を裏切る映画

――――Twitterでこの映画についてのツイートを見ていると、事件のことを描いているので気持ちが落ち込むかもしれないというニュアンスのことが書かれ、「そうじゃない、観終わったらスッキリするよ」と言いたくなりますね。
高橋:弱者の死を扱う作品を作ることへのご批判もあるのですが、この人は絶対観ていないなと思うわけです。「想像から絶対にいい意味で裏切られるので、最後まで立たないで観てほしい」と言いたいですね。
(江口由美)
 

<作品情報>
『夜明けまでバス停で』(2022年 日本 91分)
監督:高橋伴明 脚本:梶原阿貴 
出演:板谷由夏、大西礼芳、三浦貴大、松浦祐也、ルビーモレノ、片岡礼子、土居志央梨、柄本佑、下元史朗、筒井真理子、根岸季衣、柄本明
10月21日(金)より京都シネマ、22日(土)よりなんばパークスシネマ、第七藝術劇場、MOVIX堺、kinocinema神戸国際ほか全国ロードショー
(C) 2022「夜明けまでバス停で」製作委員会
 
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 1950年代、北朝鮮から秘密裏にポーランドへ送られた朝鮮戦争の戦災孤児たちに光を当てたドキュメンタリー映画『ポーランドへ行った子どもたち』が、9月22日(木)よりシネ・ヌーヴォ、9月23日(金・祝)より京都シネマ、11月5日(土)より元町映画館にて公開される。
監督は、『気まぐれな唇』『誰にでも秘密がある』など俳優として活躍し、結婚出産後の現在はDMZ国際ドキュメンタリー映画祭理事、2021年に釜山国際映画祭「今年の俳優賞」審査委員を務めるなど、多方面で活躍しているチュ・サンミ。本作では監督自身がナビゲーターとして登場し、ポーランドへ行った子どもたちを描くフィクションのオーディションで出会った脱北者のイ・ソンとポーランドで戦争孤児たちの国家に翻弄されてきた足跡を辿る。彼らの面倒を献身的にみてきたかつての先生たちからは突然の北朝鮮による帰国命令で泣く泣く別れた子どもたちとの思い出が語られる。また二人はアウシュビッツにも足を運び、ポーランドの戦争の傷跡を見つめる。監督自身が出産後に体験した心の傷をはじめ、旅で明らかになるイ・ソンが抱えてきた心の傷など、それぞれの奥深くあるものが他者の心の傷と重なり合いながら表出していくのだ。過酷な分断の歴史を紐解くと同時に、それが他人事ではないことを感じ取ることができるだろう。
 本作のチュ・サンミ監督に、リモートでお話を伺った。
 

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――――既に劇場公開された韓国では大反響を呼んだとのことですが、特にどんな点が注目されたのですか?
チュ監督:韓国で、北朝鮮の戦争孤児がポーランドに送られていたという事実はほとんど知られていませんでした。両国の分断は長い間続いており、小学校の歴史の授業でも、「北朝鮮が朝鮮戦争のとき南に侵略してきた」という具合に、韓国の被害については習いますが、北朝鮮の被害については習うことはなかった。70年代韓国でのセマウル運動も、北朝鮮に対する敵対心から、自国を発展させる原動力になっていたのです。そのように北朝鮮の被害について、韓国で語られることはこれまでほとんどありませんでした。
 本作が韓国で公開されたのは2018年の平昌オリンピック開催で両国の融和ムードが生まれた時期でしたから、このような事実があったことに衝撃を受けつつ、韓国だけでなく北朝鮮にも戦争孤児がおり、東ヨーロッパに送られ、同じような痛みを経験していたと、お互いに共感できる問題として受け止めていただいたようです。
 
 
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■産後うつからの脱却と、子どもたちへの想い

――――この事実を最初に知った時の状況や、そのときの気持ちについて教えてください。また監督にとって出産を経験したことは、子どもに対する接し方や自身のキャリアについてどのような変化をもたらしたでしょうか?
チュ監督:妊娠時からうつがはじまり、出産直後から産後うつがひどくなりました。テレビで子どもの事件や事故報道を目にするだけで、すぐにチャンネルを変えたり、テレビを消してしまう。全ての子どもたちの苦痛が自分の子どもの苦痛のように考えてしまうという症状でした。2年ほど酷いうつ状態が続き、我が子が死ぬ悪夢にうなされ、早く映画を作らなければと思ったのです。既に大学院で映画を学び始めており、長編映画を作ろうと思っていたところ、知り合いの出版社で『ポーランドへ行った子どもたち』の素材に触れる機会がありました。
 同時に、北朝鮮でコチェビと呼ばれる孤児の映像を見ました。1990年代後半の苦難の行軍の時代、大飢饉で300万もの人が亡くなり、親たちが食料を探しに行っている間に孤児になってしまった子どもたちの映像を見ながら、それらが自分の子どもたちのことのように思え、涙が止まらないという経験をしたのです。ですから『ポーランドへ行った子どもたち』をまさに自分のことに受け止め、映画作りを決意しました。当初は自分の出演を想定していませんでしたが、そのような経緯から説明役として登場することになりました。
 

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■南北分断により生まれた現在の脱北孤児と、朝鮮戦争による戦争孤児

――――映画では『切り株』というフィクション映画のオーディションシーンが映りますが、彼ら脱北者の学生たちに演じてもらおうと考えた理由は?
チュ監督:もともとはフィクションとして映画製作を進めていましたが、シナリオのモニタリング段階で、元となる実話が韓国であまりにも知られていないので、まずはドキュメンタリーで事実を知らせることが大事ではないかという提案を受け、そこからドキュメンタリー製作へと舵を切りました。その過程で脱北者の子ども達と、韓国の子ども達が一緒に合宿をするというプロセスが大事なのではないかと考えました。北朝鮮の方言を韓国の子どもに伝えてあげることもできますし。結局はコロナで実現していませんが、そのためのオーディションの場面を本作で取り入れています。
 もう一つの理由は、脱北者の青少年たちは苦難の行軍の影響で、ラオスの国境を超えて韓国にやってきたというケースが多く、彼らは“分断孤児”と呼べるのではないかと思ったのです。南北の分断がなければ、300万人の餓死は起きなかったでしょうし、韓国から食料援助できたはずです。ですから彼らは分断の結果、孤児になり、南にやってきたわけで、現在の脱北孤児と、過去の朝鮮戦争による戦争孤児の、今も続いている悲惨な状況を伝えたいという気持ちもありました。
 
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■脱北者、イ・ソンさんにとってのポーランド旅とは?

――――ポーランドへ強制移送された戦災孤児たちの足跡をたどる旅に同行したイ・ソンさんは本作の主役と言える存在ですが、第一印象や、旅に誘ったときの様子について教えてください。
チュ監督:オーディションで他の子どもたちと違い、イ・ソンさんだけがとても明るかったのです。他の子どもたちは自分の過去を話すのですが、彼女は「もうなんともない。克服した」と、過去のことについて語らない傾向にありました。また、主人公キドクの親友役、オクスンを演じてもらうことになり、ポーランドではキドクのお墓に行くことが決まっていたので、親友役を演じるイ・ソンさんに同行してもらうことを考えていました。
 ポーランドで撮影しながら気づいたことですが、事前にドキュメンタリーの撮影であることを伝えていたものの、彼女自身が北朝鮮でドキュメンタリーにあまり接していなかったことから、ドキュメンタリーが何かを理解できておらず、自分の過去を明かさなければいけないという認識がなかったのです。でも語らないことが、彼女の精神的な回復を妨げているのではないかと思い、ポーランドで戦争孤児たちの世話をした先生たちを訪ねたり、キドクのお墓に行く中で、彼女はたくさん泣いたのです。そういう行程が自分の傷を外に出したり、過去を話すことにつながったようで、後々「ポーランドの旅が、自分の心の傷を治癒する旅になった」と言ってくれました。
 
――――世界初上映は釜山国際映画祭でした。
チュ監督:イ・ソンさんは俳優志望なので、わたしとレッドカーペットを一緒に歩き、とてもいい経験をしたと思います。もともと彼女は、資本主義社会の韓国に良い印象を抱いていなかったのですが、映画を観た観客が涙を流しながら話しかけてきたり、応援者も表れるなど激励を受け、韓国社会で生きていくことに関して良かったと思えるようになったそうです。
 

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■戦争孤児たちがポーランド人との出会いと別れの場所になった線路跡

――――ポーランドロケでは、戦争孤児たちが送られてきた線路跡の森で、感慨深げに「この森が覚えている」とおっしゃっていましたが、どんな気持ちを覚えたのですか?
チュ監督:フィクションのロケハンのための映像も別で撮っており、実際に現地に行くことでシナリオの絵作りが具体的に描けるようになりました。子どもたちにとっては到着の場所であり、最初は不安で恐れをなしていたと思うのです。彼らにとって外国人というのは米軍の存在しか知らず、ポーランド人も同様に見えて怖かったはずです。一方、先生たちの証言によると、7年後の別れの時に子どもたちは首に抱きついて大泣きしたそうで、親と思っていた先生たちと生き別れた場所でもあった訳です。これらを前向きに捉えると、戦争のトラウマを抱いていた子どもたちが、ここで暮らすことにより感情を表現できるぐらい回復し、心を開けるようになったと考えることもできます。そういう意味でも、森の中の駅跡というのは、子どもたちの変化を見せるとても重要な場所になると感じました。
 

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■ナチスドイツによる心の傷を負った先生たちにとって、戦争孤児たちは分身のような存在だった

――――プワコビシェで取材したかつての先生たちが、我が子を失った親のような表情で語っておられましたね。
チュ監督:子どもたちが7年間過ごしたプワコビシェは、森の中で湖もあり、とても環境の良い場所ですから、子どもたちは自然にも癒されたと思います。ポーランドのドキュメンタリー映像を見たときに、半世紀以上も前のことを涙しながら語る先生たちの愛情深さは何なのか。感情が豊かなのか、それとも特別の理由があるからなのかが気になりました。それが映画作りのきっかけであり、一番先生方に聞いてみたいことでもあったのです。
 
――――ポーランドと朝鮮は同じ痛みを持つことを「同じ母の子宮から生まれた双子のよう」という比喩で表現され、感覚的に理解できました。
チュ監督:実際にお話を聞いて気づいたのは、単に愛情だけではなかったということです。第二次世界大戦でポーランドにナチスドイツが侵攻し、大変な経験をした先生方の当時の年齢が、北朝鮮からポーランドにやってきた戦争孤児たちの年齢と同年代だったそうです。ポーランドの先生方も家族や親戚を亡くし、自身が先生孤児であるケースもありました。先生方自身がこうむった青春時代の辛かった時期のトラウマが、北朝鮮の戦争孤児たちの面倒を見ることによって、逆に癒されていたそうです。自分たちの若いころの姿を彼らに投影しながら、分身のように感じて彼らを理解したのだと感じました。
 戦争孤児たちが北朝鮮に帰ってから、その後の消息が分からないので、心配して泣いておられたし、70年前の子どもたちの姿がイ・ソンさんに重なり、彼女を抱きしめて泣いている先生たちもおられ、本当に感動しました。
 

■自分たちの話として受け止めて

――――ありがとうございました。最後に日本の観客へのメッセージと、劇映画「切り株」の製作状況についてお聞かせください。
チュ監督:フィクションとして製作予定だった「切り株」は、コロナ下で映画製作が難しくなってしまったため、今はドラマの脚本を書きながら、もう少しコロナが落ち着いたら映画が撮れるかどうかを見極めているところです。
わたしが今感じるのは、SNSなどで、ロシアのウクライナ侵攻をはじめ、戦争で爆破された村や難民の状況が、全世界リアルタイムで入ってくる状況にあります。『ポーランドへ行った子どもたち』は韓国の人たちにとっては北朝鮮の立場になって考えるきっかけになる作品になったと思いますが、日本の観客のみなさんにとっても同じように、韓国や北朝鮮の人たちの立場を考えてみることができるのではないでしょうか。日本の植民地時代を経て、南北の朝鮮が分断したという流れがあり、歴史はつながっています。ですから別の国の話と距離を置くのではなく、自分たちの話と受け止めてもらえればうれしいです。
 また今のウクライナの状況にも重なりますが、難民や孤児たちを愛情をもって見つめてほしいと思います。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ポーランドへ行った子どもたち』” Children Gone to Poland”(2018年 韓国 78分) 
監督:チュ・サンミ 
出演:チュ・サンミ、イ・ソン他
劇場:9月22日(木)よりシネ・ヌーヴォ、9月23日(金・祝)より京都シネマ、11月5日(土)より元町映画館にて公開 
配給: 太秦
公式サイト http://cgp2016.com/
©2016. The Children Gone To Poland.
 
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 ある一軒家で、唯一の肉親だった祖父亡き後、クロ、チャーという2匹の猫と暮らす青年、二星優斗(古川雄輝)がシェアハウスを営み、同居人たちや不動産屋の広瀬有美(長井短)らと家族のような絆を築いていくヒューマンドラマ「ねこ物件」。その集大成となる『劇場版 ねこ物件』が、8月5日より全国公開中だ。
ドラマ版と同じく、監督・脚本を務めるのは『おいしい給食』の綾部真弥。今までの住居人が夢を叶えて出ていってしまったところから始まる物語は、優斗と有美の今までに語られなかった過去や秘密にも踏み込み、主人公とねこたちの新たな物語を紡いでいく。
本作の主演を務める古川雄輝さんと出演の長井短さんにお話を伺った。
 

 
―――まず、ドラマ版でねこと共演する本作へオファーがあったときの印象を教えてください。
古川:自分の好きなことが演じる役に反映されればいいなと、常々思っています。英語が話せるので、英語の作品に出るとか、麻雀が好きだと言っていると麻雀のドラマ出演が決まったこともあったんです。そんな中で、ねこはずっと好きだと言っていたのですが、ねこに関する取材オファーはあっても、なかなか作品として決まらなくて。今回はねこと共演する作品で、しかも主役だと聞いたので、前々からやりたかったですし、すごく嬉しかったです。
 
長井:わたしは猫とあまり関わりのない人生だったので「ねこのお話しかぁ」くらいの印象でした。その後マネージャーさんが「紅一点っぽいです」と言ってきたときは「そのポジションわたしで大丈夫なの?」って不安が生まれましたが、実際に台本を読んでみて少しほっとしたのを覚えています。
 
 
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■劇場版は一歩前に踏み出した後、自分と向き合う姿を描く

―――確かに紅一点ではありますが、有美は不動産会社という仕事柄、住人候補者を優斗に紹介して関係を築いたり、優斗を見守るような母親的存在でもありましたね。テレビ版は「夢を追う」人を応援する物語でもありましたが、劇場版は夢を追うというより、そのままでいいということを肯定しているようにも見えました。
古川:現場的にはドラマ版から立て続けに撮ったので、すごくやりやすかったです。ドラマ版にさまざまな伏線が隠されているのですが、それを全て回収していくスタイルになっています。今までは優斗の成長物語が描かれていましたが、劇場版は優斗が一歩前に踏み出した後の彼が描かれているので、そこは演じる上で気をつけなければいけない点でした。途中で急に記憶が戻るシーンではドラマ版とは少し雰囲気が違うので、ドラマ版ファンの方も改めて楽しんでいただけると思います。
 
長井:ドラマ版は具体的になんとかしなければいけないことが多かったので、本当に向き合わなければいけないことからは、ある意味逃げることができる状態でした。でもそれらが解決した後は、逃げてきたものと向き合わざるを得ない気がしていて。わたし自身も、人のことを応援し、自身に目を向けることから逃げている時期があったので、有美の気持ちはよくわかるのです。映画の雰囲気はふんわりしていますが、有美にせよ、優斗にせよ、みんないつかは自分自身と向き合わないといけない時が来る。そこがドラマ版との違いかなと思います。
 
―――確かに、それを反映させるように、優斗と有美の掛け合いや関係性もどんどん進化していきますね。
古川:ストレートに台本を読めば、どのような演技で反応が返ってくるのか大体わかるんですが、長井さんの場合はストレートではない方で攻めてくるので、こういう感じでくるのかとこちらも対応しながらセリフのやりとりを重ねていきました。そういう形で、あらかじめこうやろうと決めてやらなくても、自然に有美と優斗の関係性が構築できたと思います。
 
 

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■あるセリフをきっかけに構築していった優斗の雰囲気

―――ちなみに、優斗は生い立ちや人、ねことの距離感を含めて個性的で、どこか可笑しみも感じさせますが、どのようにキャラクターを構築していったのですか?
古川:優斗は、あまりにも世間知らずで、例えば「ボクシングって、殴り合うものですか?」というセリフがあり、さすがにこれを言うにあたって、優斗がどれくらい世間知らずなのか、ジェスチャーが伴うぐらいなのかを綾部監督に相談しました。監督からはナチュラルに演じてほしいと言われたので、それならナチュラルに少し変わったことを言う人ってどんな感じなのかを考えたんです。さらに主人公として愛される人にと要望があったので、少しゆるふわな雰囲気を持った人が、本当にわからない時、手を上げて質問をするスタイルはどうでしょうかとご提案しました。劇中でもときどき手を上げて質問していますが、そうやって「ボクシングって何ですか?」と優斗が言えば、本当に知らない人ってことが伝わるかなと思いました。これはドラマ版の撮影初日にやってみて、監督からもOKが出たので、その雰囲気を保ったまま優斗を演じました。
 
―――独特の言葉の発し方やジェスチャーがあり、優斗のキャラクターを理解する助けになりますね。
古川:他にも、度々拍手をするシーンがあるのですが、普通は手を斜めに重ねて拍手するところを優斗は顔の近くで、お祈りのように手を重ねて拍手するんです。これも普通にやるのは優斗っぽくないですよねと相談し、幼さ、可愛らしさが出ていると思います。
 
 
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■有美と優斗は、少し変わっている者同士だからうまくいく

―――ちょっと宇宙人っぽくもある優斗を受け止める有美は、本当の想いを胸に秘めながら包容力をもって支えていますが、どのように役作りをされたのですか?
長井:主人公を助ける女性というのは、「仕方ないわね!」とチャキチャキした雰囲気になりがちなのですが、綾部監督ともそういうのは嫌だねというのが共通認識としてありました。優斗が変わり者だから目立たないけれど、有美も変わり者でなければああいう関係性にはならないんじゃないかと。ちょっと変わっている者同士が一緒にいるから、不思議と会話が成立しているけれど、他の場所ではここまで上手くはいってないんじゃないかと思ったんです。なので、優斗が変なことを言っているなと思っても、時にはスルーながら対応したりもしていました。
 
―――ねこ付きシェアハウスの生活は誰かを思いやること、意見が違っても排除せず、対話を試みることなど、大事なことがたくさん詰まっていますが、おふたりはシェアハウス生活をしたいですか?
古川:シェアハウスではありませんが高校時代に寮生活を経験しているので、シェアハウスは十分かなと思います(笑) 
 
長井:昔友人が住んでいたシェアハウスに遊びに行った時は楽しかったんですが、実際に住むとなると‥共同生活は血が繋がっている人間同士でも難しさがあることですから、なかなか「したい!」とは言えません。
 
 
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■エネルギッシュな祖父、幸三を演じた竜雷太

―――優斗や有美に大きな影響を与えた祖父、幸三を演じた竜雷太さんと古川さんは少しですが共演シーンがありましたね。
古川:1日だけご一緒することができました。幸三が倒れるシーンがあったのですが、今82歳でいらっしゃるのに、すごい勢いで倒れる演技をされていて、感動しました。ねこのいるポジションに合わせてセリフを出すタイミングを変えたり、アドリブを入れたりもされていて、学ぶことが多かったです。
 
長井:わたしは共演シーンはなかったんですけど、竜さんのクランクアップのタイミングがわたしのクランクインだったので、ご挨拶だけさせて頂きました。その時の現場の空気がとても温かだったので、素敵な現場を率先して作ってくださったんだなと感激しました。
 
 

■誰よりも現場を楽しむ綾部監督

―――とても優しい雰囲気の作品であるのは、きっと現場に流れている空気が穏やかだからではないかと思いますが、綾部監督の演出はいかがでしたか?
古川:役者同士が考えてきたことを最優先してくれて、かつ誰よりも現場を楽しんでいらっしゃいました。監督が現場で楽しんでいると、役者も乗ってきますし、長いシーンでもあえてカットをせずにアドリブを入れさせてくださったり、雰囲気をそのまま映画に取り入れてくださりました。
 
長井:何かを強制したり、急がせたりすることはなく、むしろ撮影が終わると「ここが面白かったよ」と声をかけてくださったりする方で。監督の方から声をかけてくれるので、迷った時に相談しやすく助かりました。沢山喋ったからこそのリラックスした雰囲気が画面にも現れているかもしれません。
 
―――個人的には小説の読後感のような味わいのある作品だと思うのですが、おふたりが劇場版を観ての感想は?
古川:劇場版も本当に癒される映画になっていますSPiCYSOLさんの音楽を聞きながら、主人公の成長とかわいいねこたちの姿を是非楽しんでいただければなと思います
 
長井:大きな出来事とか、派手な何かがいっぱい起こる!みたいな映画ではないんですが、だからこそ、日常をとても大切に、丁寧に描いている作品だと思います。穏やかな日々に癒されるんじゃないかなと。わたしたちも無理なく演じられているので、きっと見心地が良いのではないでしょうか。
 
 
 

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■自分のことしか考えないねこが羨ましい

―――最後に、劇中にも登場するセリフですが、撮影やプライベートでねこと接する中で「ねこに人生を教えてもらった」ことはありますか?
古川:ねこは自分ベースに全てが進んでいるので、そこは羨ましいと思いますね。自分は相手のために何かをするのが好きで、例えば食べ物なら、自分で美味しいものを食べるより、美味しいものを食べてもらうことの方が楽しいし、自分で高級なカバンを買うより、相手に高級なカバンをプレゼントして喜んでもらう方が嬉しいという性格なんです。でも自分ベースで考えていないわけですから、幸福度が低いと感じるときもあります。一方、ねこは自分のことを優先して考えているので、それを見ていると羨ましいなと思います。
 
長井:ねこは「嫌だ!」って時に隠れたり、威嚇したり‥気持ちに嘘をつかないですよね。そういうところを、わたしも見習いたいなと。自分の居心地を守る強さに、憧れを抱いています。
(江口由美)

<作品情報>
『劇場版 ねこ物件』(2022年 日本 94分)
監督・脚本:綾部真弥
出演:古川雄輝、細田佳央太、上村海成、本田剛文、松大航也、金子隼也、山谷花純、長井短、竜雷太
(C)2022 「ねこ物件」製作委員会/
 
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 『君を想って海をゆく』の脚本で知られるエマニュエル・クールコル監督による、囚人たちと崖っぷち俳優が起こした奇跡の物語『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』が、7月29日(金)よりシネ・リーブル梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX堺、アップリンク京都、8月12日(金)よりシネ・リーブル神戸にて公開される。 
デンマークで80年代に実際に行われた囚人たちによる演劇とその顛末をドキュメンタリー映画で知り、感銘を受けたというエマニュエル・クールコル監督が、現代のフランスの社会事情を反映させながら脚本を執筆。俳優のエチエンヌが、囚人たちの演技ワークショップ講師として招かれ、囚人たちが難解な作品として有名でサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」に挑むという驚くべき高いハードルを、最初は興味本位に、次第に舞台の楽しさにも魅了されながら懸命に越えようとする様が描かれる。
舞台を成功させるため、囚人の役者たちの個性を引き出し、ゴドーの世界を作り上げようと懸命に指導するエチエンヌと、演技に目覚める一方で外の世界と塀の中の世界の往復に苦痛を覚え、これ以上待てないという気持ちになっていく囚人たち。舞台に向けた物語の裏側に、登場人物それぞれの事情や願望が強弱をつけて描かれる。演劇のようなラストにもぜひ注目してほしい。
 本作のエマニュエル・クールコル監督にお話を伺った。
 

 

Emmanuel Courcol - Copyright Unifrance.jpeg

 
――――囚人たちは出所する日を、エマニュエルは自分が再び俳優として舞台で輝く日を待ち続け、それを観ているわたしたちは、コロナや戦争が終わる世を待ち続けているように思い、何度も劇中で演じられてきた「ゴドーを待ちながら」に重なりました。クールコル監督はもともと俳優としてのキャリアも長いですが、監督にとってサミュエル・ベケットはどんな存在であり、「ゴドーを待ちながら」とはどんな演劇と捉えていたのですか?
クールコル監督:演劇学校ではベケットは神話的存在で、「ゴドーを待ちながら」は傑作の一つです。私自身はベケットの作品を演じたことはありませんが授業で触れましたし、世界中で演じられており、現代不条理演劇のひとつだと思います。
 
――――本作のオリジナルとなるヤン・ヨンソンさんのドキュメンタリーを観た時、どのような点に一番魅力を感じたのでしょうか。映画化を熱望した背景は?
クールコル監督:まず、ラストが予想外の展開で印象深く、映画化したいと思いました。物語全体を見ると、演出家と囚人たちとの関係や、囚人たちとベケットの演劇との出会いに興味を抱きました。スウェーデンでも90年代に映画化されたそうですが、ヤン・ヨンソンさんはその作品より今回の『アプローズ、アプローズ!〜』はとても気に入ってくれたそうです。もちろんドキュメンタリーから変えた部分もありますが、精神的な部分をよく伝えてくれていると。
 
 
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■エチエンヌ役のカド・メラッドに出演してもらうため「待つ」

――――脚本を書く前に、実際に刑務所で撮影する仕事に従事することができたそうですね。その経験をどのように脚本に生かしていったのですか?
クールコル監督:刑務所でのドキュメンタリーを撮る前からシナリオを書いていました。エチエンヌ役のカド・メラッドさんもすでに出演を快諾してくれたのですが、多忙のため1年待ってほしいと言われたのです。その間に刑務所で数ヶ月撮影したわけですが、シナリオ自身を変えることはありませんでした。ただ、この映画を作るにあたり、様々な細かい点で反映させたことは確かです。
 
――――1年待ってでも出演を熱望したカド・メラッドさんの魅力とは?
クールコル監督:カド・メラッドさんは大衆コメディーによく出演している俳優です。わたしはテレビの連続ドラマ「バロン・ノワール」で彼が政治家を演じているのを観たのですが、日頃とのギャップからエチエンヌに良い影響をもたらしてくれるのではないかと感じ、彼のスケジュールが空くまでシナリオを書いたり、他の仕事をしながら待ちました。この映画は「待つ」がテーマなので、彼を待ち、劇中では彼と一緒に「ゴドー」を待つことになりましたね。
 
 
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■矛盾に満ちた人物像を描きたかった

――――この物語は、皆とても人間臭さがあります。特にエチエンヌは、演出家として揚々と指揮する面と、囚人たちの気持ちがわからず葛藤する面など、様々な顔を見せます。娘との葛藤もありますね。
クールコル監督:エチエンヌに関心を持っていただけて嬉しいです。わたし自身の内側の葛藤を投影していますから。俳優をやるというのは、すごくフラストレーションが溜まり大変で、うまく自分でコントロールしていかなければならないし、突然仕事がなくなるような経験も活かしています。囚人が変わっていくにつれ、エチエンヌも変わっていきますし、自分がやりたいことの方向性も変わってきます。また、演出をすることで囚人たちの様々な才能を発見したり、人間関係を作ることに関心を持ち、まさに人の人生を表していると思います。
 またエチエンヌは娘との関係も複雑です。自己中心的で仕事のため、ほとんど家にいなかった。ですが、囚人たちの演出をすることで、娘のことを知ることにもなりました。わたしはそのような矛盾に満ちた人物像を描きたかったのです。
 
――――囚人たちのバリエーションが非常に豊かです。様々な国出身の個性豊かな囚人が描かれていますが、中でもロシア人のボイコは掃除係だったのに、いつの間にか演劇に加わっていたりと、非常にユニークな存在ですね。
クールコル監督:ボイコはわたしが創作したキャラクターです。彼はベケット的なキャラクターで、どこからともなく謎めいた人物として現れ、ちょっと面白くて、感動させ、演出家や俳優が、彼をアシスタントとしていつの間にか受け入れているんです。幽霊みたいに舞台で突然ゴドーになるシーンは、何度見ても笑ってしまいます。カメルも色々なモチベーションが混ざった複雑な人物で、隠れた演劇へのモチベーションがあります。囚人たちはベケットの芝居を自然に受け入れ、自分のものとして演じているのですが、まさにそんな感じですよね。情報をなるべく少なくしながら複雑なキャラクターを描写しなくてはならなかったので、キャスティングには力を入れました。
 
 
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■現実を反映させた女性の刑務所長

――――刑務所長マリアンヌの毅然としながら、演劇活動に理解を示す姿はとても魅力的でした。女性がそのような立場になれることにも驚きました。
クールコル監督:女性の刑務所長は、フランスでは非常に多く、過半数はいると思いますので、映画は現実を表しています。マリアンヌは新しいことをして動かしていこうとする実際に取材をした刑務所長をモデルにしており、エチエンヌをしっかり支え、最後まで興行がうまくいくように尽力するのです。
 
――――演劇にまつわるシーンの中で、特に監督の心に残るシーンは?
クールコル監督:一つだけ挙げるのは難しいですが、エチエンヌとジョルダンがジム部屋で、繰り返しセリフを練習しているシーンは好きですね。彼は失語症で思うようにセリフが言えなかったのですが、ローイングマシンを漕がせてリズムを付けることでセリフを発することができるようにトレーニングし、一生懸命覚えようとしているんです。
 
――――ありがとうございました。最後に、映画を撮影され、改めて名作「ゴドーを待ちながら」について発見したことはありましたか?
クールコル監督:囚人たちが「ゴドーを待ちながら」を演じる話ですから、何度も読み直しました。どのセリフを映画で採用するかを選ぶ作業をしましたので、とても自分の中に入り込んできた演劇です。もともと俳優にとって、非常に難解で、覚えるのが難しい作品ですし、映画でもそれが現れていると思います。「ゴドーを待ちながら」の芝居の中で普遍的なメッセージを伝えることができたのではないでしょうか。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』(2020年 フランス 105分) 
監督・脚本:エマニュエル・クールコル
出演:カド・メラッド、マリナ・ハンズ、ワビレ・ナビエ、ソフィアン・カメス、ダヴィッド・アヤラ、ピエール・ロタン、ラミネ・シソコ、アレクサンドル・メドベージェフ
劇場:7月29日(金)よりシネ・リーブル梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX堺、アップリンク京都、8月12日(金)よりシネ・リーブル神戸にて公開
配給: リアリーライクフィルムズ / インプレオ
(C) 2020 - AGAT Films & Cie - Les Productions du Ch’timi / ReallyLikeFilms - Photo (C) Carole Bethuel
 
 
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 2018年に日本をはじめ、世界で大旋風を巻き起こした上田慎一郎監督の『カメラを止めるな!』が、フランスでリメイクされ、この夏あの笑いが戻ってくる!
『アーティスト』のミシェル・アザナヴィシウス監督が脚本も務め、ロマン・デュリス(『モリエール 恋こそ喜劇』『タイピスト!』)、ベレニス・ベジョ(『ある過去の行方』)、フィネガン・オールドフィールド(『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』)ら豪華キャストを迎えて全力で映画愛と笑いを届ける『キャメラを止めるな!』が、7月15日(金)より全国ロードショーされる。
今年のカンヌ国際映画祭ではオープニング上映されたことでも話題になった本作では、オリジナル版でテキトーなプロデューサーを演じ、大ブレイクした竹原芳子が、リメイク版でもリメイクをオファーした日本のプロデューサー、マダムマツダ役で再登場。オリジナルにオマージュを捧げた本作でも、とりわけ大きな存在感を見せている。
初の映画出演となったカメ止めからリメイク版まで、まさに映画のような活躍ぶりを見せるにお話を伺った。
 

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■カンヌの重みを感じたレッドカーペット

――――本作は今年のカンヌ国際映画祭のオープニング上映で、晴れ舞台の様子は日本でも大きく報道されました。おめでとうございます!カンヌはいかがでしたか?
竹原:カンヌに着いたのは夜中で、その日がオープニングの前日だったんです。レッドカーペットの場所を確認しに行くとまだ準備中で、当日の午前中も3つあるレッドカーペットステージのうちの真ん中がまだできていなかった。ですから、ようやく全てのレッドカーペットが出来上がったとき、「いよいよできたな、あそこに立つんだな」と思い、しっかり踏みしめて歩きました。準備をするのに相当たくさんの人が携わっていらっしゃるので、そこからもカンヌの重みを感じました。インタビューで今の気持ちをと聞かれましたが、とにかく「うれしい、うれしい!」と言っていましたね。本当に幸せでした。
 
――――オープニング上映では笑いが巻き起こり、沸きに沸いたそうですね。
竹原:そうなんです。字幕が出ないので、言葉はわからないけれど、日本版のカメ止めと脳内で比べたりしながら、フランスならではの面白さを感じましたね。日本にはないフランスらしいジョークもありますし、同じゾンビでも動きが全く違うので、そうなるのか!と。細かいところが笑いのツボでした。
 
――――竹原さんはゾンビドラマ『ONE CUT OF THE DEAD』のリメイクを発注し、日本からやってきたプロデューサー役として、前作同様キレッキレでしたが、登場シーンの評判はいかがでしたか?
竹原:自分では客観的に観ることができなかったので、インタビュアーから「笑いが起きてましたよね」と言われて、逆に「そうなんですか?」と聞き直したぐらいです(笑)
 
――――今回はキャストの中でも竹原さんが唯一オリジナルから参加していますが、ミシェル・アザナヴィシウス監督からオファー理由をお聞きになったのですか?
竹原:リモートで監督と打ち合わせをしたときに、オリジナルの『カメラを止めるな!』を観てオファーしたとおっしゃり、「受けてくれてありがとう」と。こちらこそ呼んでいただいてありがとうございますと言いたいですね。
 
 
 
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■監督の許可を得て、セリフを標準語から大阪弁へ

――――脚本は事前に目を通されたのですか?
竹原:日本語に訳したものを送ってくださったのですが、標準語で書かれていたので、打ち合わせのときに、オリジナルは勢いのある大阪のおばちゃんというキャラだったということをお伝えしたんです。監督からはやりやすいように変更してくださいと許可をいただいたので、すぐに大阪弁へ変更しました。
 
――――大阪弁で登場されたので、コレコレ!とカメ止めの記憶が蘇りました!
竹原:「条件については話をしていただけましたか?」というセリフがあったのですが、日本で公開されることがわかっていたので、オリジナルで使っていた決め台詞に変えました。オリジナルでは、上田監督がそれぞれのキャラクターに当てはめながら、いろいろな言葉を紡ぎ出してくださったので、ここはコレやなと。
 
 
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■上田監督とアザナヴィシウス監督の想いが融合されたシーン

――――元々のカメ止めは300万と本当に低予算映画でしたが、フランス版は相当豪華ですよね。現場の様子はいかがでしたか?
竹原:今回は本当に現場の雰囲気も和やかでしたし、撮影もスムーズでした。わたしのこともすぐに受け入れてくださり、毎日楽しく過ごしました。オリジナルでは、スタジオシーンだけだったので、半日だけの撮影だったのですが、今回は5日間撮影しました。中盤のスタッフやキャストたちの集まるシーンがワンカットになっているので、その撮影に1日以上かけています。実は上田監督がやりたかったまさにそのことを、アザナヴィシウス監督がされていて、おふたりの想いと想いが融合されましたね。
 
――――今の時代にこういうみんなで笑える映画は必要ですね。
竹原:フランス映画は日常を切り取って、静かな感動を呼ぶ作品が多いというのがわたしの印象で、そんなに大騒ぎをする映画はないと思うのですが、これは本当に笑えますよね。関係者の方のお子さんが笑っていたとおっしゃっていたので、子どもから大人まで一緒に楽しめるので、夏休みに打ってつけの映画ですよ。吹き替え版もあり、上田監督が監修しているので、字幕版と両方観ていただくと、より面白みがわかるのではないでしょうか。
 
 
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■織田信長を思い「50歳からは第二の人生」、やり残したことにチャレンジ

――――女性の場合、歳を重ねるにつれて演じる役が限られ、出演機会が奪われる中、竹原さんは50代からNSCに入学、俳優にチャレンジされ、カンヌ、そして著書も出版されました。まさに中高年女性に勇気を与える存在ですね。
竹原:とにかく行き当たりばったりなんですよ。あまり考えすぎると前に踏み出せないので、とにかくえいっと足を踏み出すんです。NSCに入学した時もそうでした。「行こう!」と。
実はわたしが50歳になったとき、織田信長が炎の中で舞っているシーンを思い出したんです。信長は50歳で死んでしまったと考えると、50歳からは第二の人生だ。やり残したことをやろう!と思いました。
 
――――映画の中でプロデューサーが大声で笑うシーンが、オリジナルよりパワーアップされていると感じましたが、ミシェル・アザナヴィシウス監督の演出ですか?
竹原:何がおかしかったのかわからないけれど、とにかくそのときは後ろに反っくり返るぐらい思いっきり笑いました。最初は笑ってから一瞬間を置いて、もう一度笑ってくださいと指示されたのですが、何回も笑ううちに、笑ったままセリフを言う流れになって、そのときは驚きました。日本語吹き替え版で、自分の役をアフレコしたのですが、その時改めて、あれだけ大声で笑ってたんだと思いました。ちなみに、携帯見ながら「あ〜〜〜っ?」と怪訝に言うシーンは一発OKでしたね(笑)
 
――――やはり、このむちゃぶりでテキトーなプロデューサーがいるからこそ、『キャメラを止めるな!』も成立するんだなと、改めて竹原さんの役の存在感に唸りました。
竹原:オリジナルも5年経っていますから、若い人は観たことがないという人も増えてきたんですよ。だからもう一度『キャメラを止めるな!』と同時にカメ止めブームが起きてほしいですね。本当にカメ止めから『キャメラを止めるな!』まで出演させていただけてよかった。夢のようです。また人生を振り返り、NSCからはじまって、本当にいろいろやらせてもらってよかったなと思いますね。
 

■フリーの活動はボケ防止、今までのキャリアが役に立っている

――――ちなみに、今は事務所に属さず、フリーの俳優として活動されています。
竹原:ボケ防止になるんですよ!前はマネージャーさんが細かく行く場所のことを連絡してくれましたが、今は自分で調べて行きますし、今までやってきたことが全部役に立っているんですよ。昔営業関連のことをしていたので、人とお話するのも好きですし、請求書も書ける。いろいろな人にお会いできるから楽しいです。出演オファーがあったとき、直接事務所の方に聞きたいことをすぐ聞けるのでいいですよ。本当に頭を使わないとダメになりますから!
 
――――最後に、これからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
竹原:『キャメラを止めるな!』は、日本版の『カメラを止めるな!』に加えて、とろみと甘みが加わってさらに面白くなっています。家族愛の表現の仕方も感じていただけますし、「あれがこうなってる!?」と目新しい部分もありますので、ぜひご覧いただきたいです。できれば、字幕版を観て、吹き替え版を観て、そしてパンフレットを買ってください。ミシェル・アザナヴィシウス監督が細やかにその想いやディテールについて説明してくださっているので、より理解が深まりますよ。
 
(江口由美)

 
<作品情報>
『キャメラを止めるな!』” FINAL CUT”(2022年 フランス 112分)
監督・脚本・製作・編集:ミシェル・アザナヴィシウス 
出演:ロマン・デュリス、ベレニス・ベジョ、グレゴリー・ガドゥボワ、フィネガン・オールドフィールド、マチルダ・ルッツ、ジャン=パスカル・ザディ、竹原芳子 
2022年7月15日(金)より全国ロードショー
(C) 2021 - GETAWAY FILMS - LA CLASSE AMERICAINE - SK GLOBAL ENTERTAINMENT - FRANCE 2 CINEMA - GAGA CORPORATION
 
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 『半世界』『一度も撃ってません』の阪本順治監督によるオリジナル脚本の最新作『冬薔薇(ふゆそうび)』が、6月3日(金)より大阪ステーションシティシネマほか全国ロードショーされる。
 主演は、本作が2年ぶりの主演作となる伊藤健太郎。横須賀を舞台に、服飾系専門学校に在籍しながらも、学校にいかず不良グループと行動を共にしていた淳(伊藤)が、喧嘩で大怪我を負い、ガット船業を営む両親のもとに戻るところからはじまる群像劇。小林薫、余貴美子が演じる両親や、不良仲間たち、突然戻ってきた幼馴染、専門学校の同級生など、淳の周りの人たちとのすれ違いや勘違いを描きながら、なんとか自分なりの道を手繰り寄せようと葛藤する淳を伊藤が好演。今までにない佇まいで、見事な復帰を果たしている。父が保有するガット船で働くシニア従業員たちの日常生活がしっかりと描かれているのも注目したい。
 本作の阪本順治監督にお話を伺った。
 

 
――――冒頭にガット船のシーンが登場し、一気に映画の世界に引き込まれました。ロケ地は横須賀ですか?
阪本:横須賀の西浦賀です。淳らの喧嘩のシーンは、元造船所のドッグで観光地としてリニューアルする前に、映画の撮影をさせていただけたのです。そこからすぐの場所にガット船専用の港があります。そこと横須賀駅前のバーなどでも撮影をしました。映像には写っていませんが、横須賀には米海軍基地がありますから米兵が行き来していますし、『亡国のイージス』で撮影した横須賀の自衛隊基地が公園の向こうに見えたりしますね。
 

■ひとりディストピア作品『弟とアンドロイドと僕』、コロナ禍を経て生まれた『冬薔薇』

――――『冬薔薇』というタイトルの生まれた背景は?
阪本:わたしは一人暮らしなので調理もせず外食中心の生活なのですが、コロナ禍になりお店も閉まっていた時期が続き、ずっと悶々としていました。やっと緊急事態宣言からまん延防止等重点措置に変わり、時短営業中の行きつけ店で時間いっぱい飲み、酔っ払った勢いで、鉢植えを買ったのが昨年1月のことでした。それからベランダで水をあげ続け、2月の極寒の日、ついに花が咲いたのです。その薔薇が愛おしくなり、5月に伊藤健太郎で一本映画を撮らないかとオファーがあったとき、この薔薇も登場させたいと思ったのです。たまには文学的なタイトルでもいいかなと。
 
――――2022年は本作と『弟とアンドロイドと僕』の2本が公開と、コロナ禍でもそれをバネに創作を続けておられますね。
阪本:『弟とアンドロイドと僕』は2019年に撮影を終えていたので、コロナに先んじて、ひとりディストピアを終えていたんですよ(笑)。そこから現実のディストピアが訪れ、この2年間は撮影や仕事もたくさんキャンセルされてしまい、鬱々とした沼に自らはまっていた時期もありました。それを経て受けた仕事が『冬薔薇』でしたから、本来ならば観た方が元気になるような、希望で終わるものが良いのだろうと思いつつ、生理的に沼に入っていた頃の残滓みたいなものが拭きれなかった。だから希望というより、むしろギクシャクした人間関係やすれ違い、勘違いを重ねながら、健太郎君の役だけではなく、現在地がわからない人たちを包み込むような映画になってしまいましたね。
 
 
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■伊藤健太郎との面談と、復帰作への覚悟

――――伊藤さんとまずお会いになってじっくり話を聞かれたそうですが、一番印象に残ったことは?
阪本:本来は明るい人なのでしょうが、最初は硬い表情でした。生い立ちや家族関係、友人のこと、どこでどんな遊びをしていたのか、事故のこと、SNS上での噂の真偽について一つ一つ聞いていきましたが、そこで彼が言葉を濁したり、言い換えたりしてごまかしていたら、その日だけで健太郎君と仕事をするかの決断ができなかったと思います。でも彼の返答を聞いてきちんと受け止められたのです。僕は33年間、監督業で多種多様な演出をやらせてもらっていますから、たとえごまかしたとしてもバレますから、僕には。初対面で40歳も上の人間に色々な質問をされて、キツかったでしょうが、僕も彼が素直に話せるように自分の今までの恥の部分や親との関係も話し、最終的にはその日のうちに仲間として一緒にやろうと決めることができました。
 
――――どん底の状態にあるとき、どんな手が差し伸べられるかは、伊藤さんにとって非常に重要だったと思いますが、阪本監督の手が差し伸べられたことで最高のリスタートが切れそうですね。
阪本:そう思ってもらえるように、がんばりました。健太郎君が脚本を読んで驚いたように、今まで彼がやってきた役とも違うし、淳は自らの責任で堕ちていく人間です。彼を追い詰めるつもりではなかったけれど、結果的に彼はこの役柄を通過しなくてはいけないということで、追い詰められたと思います。
 この作品は健太郎君の復帰作でもあるけれど、僕にとってもコロナ鬱からの復帰作です。『弟とアンドロイドと僕』のひとりディストピアのまま、本当のディストピアに突入後、オリジナルの新作を撮れないままだったら、旅に出ていたかもしれません(笑)
 
 
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■小林薫が演じる父とのシーン

――――小林薫さん演じる淳の父で船長の義一は、息子のことを気にかけながらもうまく関係を築けない不器用さが滲み出ていました。
阪本:黙しては何も伝わらないのに言葉が届かないというのは、僕の父や健太郎君の父にも重なる部分です。息子が父性を求めてしまうというのは一つのテーマでもありましたし、それを僕の作品に初めて出ていただく小林薫さんに担っていただくことができたのは良かったと思います。義一がまかないを作るシーンで、「監督、僕、『深夜食堂』というドラマに出演していたんですよ」と小林さんから話しかけられたときは、「知ってます!」とツッコミましたが(笑)
 
――――淳の幼少期に兄が亡くなったことも、父と息子の関係にも影を落としていますね。
阪本:幼少期に長男の兄が亡くなっても、次男の淳はそのことがわかっていないと両親は感じているんです。だから幼い淳の前でも平気で夫婦喧嘩をしていた。でも淳は幼いながらにそれをわかっていて、両親がバレていないと思っているのとズレがあるのです。映画でそこまでは描いていませんが、思春期になって急に反抗しているのではなく、実は幼少期に受けた心の傷がある。そこを理解もされず、両親からは説教されるような状態だったのでしょう。
 
――――そんな淳は、今まで伊藤さんが演じてきたカッコいいキャラクターとは真逆の、しっかりしろよとゲキを飛ばしたくなりました。
阪本:架空の人物ですが、もし僕自身がもし同じ環境に放り込まれたら同じような行動をしたり、口にしてはいけないようなことを口にしていたかもしれないと思う場面がいくつもあります。いろんなことを他人の責任にしてしまうかもしれないし、人間誰しもそういう部分があるけれど、そこで踏みとどまれるかどうか。そこが淳の弱さでもあります。
 
 
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■伊藤健太郎に伝え続けた「何もしない芝居もある」

――――淳がすれ違い続けてきた父と船上ではじめて向き合うシーンは、本作のクライマックスでもあります。
阪本:「何でもいいから俺に言ってくれないかな」というセリフがありますが、これは健太郎君が実際に父親に対して思っていたそうで、彼との面談から一番ヒントとして取り入れた部分でもあります。台本上でも一つのクライマックスにもなりますから、クローズアップを重ねて、大切に撮ろうと思っていましたが、実際にリハーサルの二人を見ると、引いたままでOKだった。その画を見て、興味を持ってもらえれば、観ている観客自身がクローズアップしてくれる。父親の顔を見たければそちらに観客がズームをしてくれると思ったのです。健太郎君にしてみれば、最も自分とすり合わせられる瞬間だったのではないでしょうか。何も言わずに、すっとカメラの前に立ってくれました。
 
――――自然に演じることができたのでしょうか?
阪本:そうですね。普通が、一番難しいんですよ。特に撮影初日のあたりは、それまで健太郎君が演じてきたのがマンガ原作のものも多かったからでしょうか伝わりやすい表現が求められ、過度な動きが垣間見えたのです。そのたびに「今の動きは要らない」とか「今の目の動きは要らない」と指摘し、「何もしないという芝居もあるんだよ」と伝えてきました。その後は、たとえセリフが熱のこもったものであっても、動きそうなものをなんとか抑えてくれましたね。とはいえクライマックスともなれば力が入って、通常は余計な仕草や目の動きが出たりするのです。でも「熱演は要らない」と言い続けてきたので、このシーンはほぼ一発でOKを出しました。
 
――――確かに普通に演じることや、何もしない芝居というのは、難しいですね。
阪本:だからこの映画で一番印象に残ってほしいなと思うクローズアップは、眞木蔵人さん演じる中本と向かい合い、健太郎君演じる淳が何も語っていないときのクローズアップです。逆に熱演のときのクローズアップはあまり撮っていないと思いますね。
 
 
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■ガット船の仕事、現代日本の社会問題を織り交ぜて

――――ガット船での仕事の様子や、そこで住み着いた作業員の生活ぶりなど、非常にリアルに描いていましたが、かなり取材をされたのですか?
阪本:ガット船をお借りした船長のご家族や乗組員の人たちにお話を伺いました。乗組員は50代や70代とシニアばかりですが、そのうちのお一人が本当に船に住んでおられたので、住み込みの船員、沖島のモデルにさせていただきました。
 
――――石橋蓮司さんが演じた沖島が、ともすれば重くなりがちな物語をカラリと盛り上げかつ、ジワリとくる名言を放っていましたね。
阪本:沖島は淳と血縁関係はないけれど、先代から船に乗っているし、淳にとっては伯父のような存在です。唯一、親父以上に彼を理解しようとしてくれる人間でしょう。蓮司さんには「しゃべりにくいセリフを書きやがって、このヤロー」と言われたので、「蓮司さんのお年のことを考えて、脳の活性化ですよ!」と。やはり、重たいことは軽妙に語った方が伝わるんです。かと思えば、いい大人がまかないのエビを巡って言い争って(笑)あれも実際にお世話になった船長のエピソードです。単なる世話ばなしにならないように、なんとか着地点を見つけられました。
 
――――毎熊克哉さん、坂東龍汰さん、河合優実さんと若手を起用し、不良グループの犯罪や性犯罪など現代社会で若者たちが加害者、被害者となっている問題を、彼らの背景がわかるような描き方をされているのに、脚本の力を感じました。
阪本:健太郎君が出ずっぱりではありますが、今の日本でそれぞれの世代や、あからさまになってきた問題を入れていこうという狙いがありました。またガット船という職業を知らなかったけれど、彼らがいなければ湾岸の開発やタワマン建設もできず、空港もIR候補地も、しいては辺野古の埋立地もないわけです。日本の高度経済成長を支えてきたガット船に従事する人たちを忘れずに知ってほしいという気持ちもありました。
 
 

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■様々な読書の果てに生まれたオリジナル脚本

――――映画的でもあると同時に、本作はとても文学的な作品ですね。
阪本:僕自身、小説を読むと、その名残のようなものが必ず残るんです。僕が単に経験したことだけで、映画は作れない。小説を読むと自分ではない人の人生が書かれていますが、自分の人生のようにそこへ没入していくわけです。その経験がオリジナル脚本を書くときに生きていますね。様々な読書の果てに生まれている感じが今回、初めてしました。
日頃は桐野夏生さん、髙村薫さん、角田光代さん、湊かなえさん、中上健次さんなどをよく読んでいますが、特に桐野さんの小説を読み続けると、ディストピアになったんです(笑)。東日本大震災や、原発事故などを背景とするフィクションの映画化は難しいけれど、小説『バラカ』を読み、桐野さんの怒りをすごく覚え、共感しました。桐野さんの『魂萌え!』を映画化したときに言われたのが、「映画だから原作を離れてもらっても構わないけれど、一つだけお願いしたいことがあります。男の願望で女を描かないでください」。この言葉が脚本を書くたびに頭をよぎり、女性を描くときにも「これは男の願望か?」と常々、自分に問いただしています。
 

■純度の高い現場を経験したことが俳優として生きていく上での礎になれば

――――犠牲者的な描かれ方ではなく、女性たちの様々な表情が見えました。最後に、ベテラン勢との撮影を通じて、伊藤さんに何か変化はありましたか?
阪本:この作品で表舞台に再び現れたわけで、健太郎君も舞台挨拶で「賛否両論があると思います」と語っていましたが、次のバッシングの波がきっと来ると思います。ただこの映画を一本取り組んだことで培ったもの、その記憶をもって、罵詈雑言を突破してほしい。素晴らしい俳優たちと一緒に共演したこと、純度の高い現場を経験したことが、これから演じていく上でも、俳優として生きていく上でも礎になれば嬉しいなと思います。健太郎君が取材で阪本監督はどんな存在かと聞かれたとき、「あっ、お父さんです」と答えたそうで、保護者的な気分ではありますね(笑)。
(江口由美)
 

<作品情報>
『冬薔薇(ふゆそうび)』(2022年 日本 109分)PG12
脚本・監督:阪本順治
出演:伊藤健太郎 小林薫 余貴美子
眞木蔵人 永山絢斗 毎熊克哉 坂東龍汰 河合優実 佐久本宝 和田光沙 笠松伴助
伊武雅刀 石橋蓮司
6月3日(金)、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマほか全国ロードショー
公式サイト https://www.fuyusoubi.jp/ 
©2022 「冬薔薇(ふゆそうび)」 FILM PARTNERS
 

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