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2018年5月アーカイブ

nomitori-di-500-1.jpg“人たらし”監督の演出術とは?『のみとり侍』鶴橋康夫監督インタビュー

(2018年4月27日(金)大阪市内にて)

 

「作品を語るのと同じくらい、相手の気持ちを聴くのが好き」
鶴橋康夫監督の新作は、江戸庶民の人情の機微に触れる艶笑痛快時代劇


阿部寛が、五色幕のようなど派手な衣装を着流し、江戸の街を颯爽と闊歩するのみとり侍』。生真面目すぎる性格がたたって左遷された元エリート侍を、「阿部さんは、真面目にやればやるほど哀愁と滑稽さが出てくる」と、ずばり特徴を捉えた監督の期待に応えて、痛快に熱演。その監督とは、TVドラマや映画『愛の流刑地』『後妻業の女』などの演出で、日常の中に潜む“恐怖”を人生観や時代性から滲み出る“おかしみ”をドラマチックに表現する鶴橋康夫監督である。ベテラン俳優たちは勿論、初めて鶴橋組に参加するキャストやスタッフからも絶大な人望を集め、物語の人物像にも親しみと愛着を感じさせる。


そんな鶴橋康夫監督に、映画の見所やキャストの魅力を訊ねると共に、監督自身の“人たらし”術についても迫ってみたいと思う。


nomitori-550.jpg―― 脚本も手掛けた「のみとり侍」という物語について?
江戸時代にこんな職業があったのか!? と驚くような題材を集めた小松重男さん原作の短編集から、三篇をひとつにまとめてみました。不測の事態に陥り、人情深い町人に助けられながらも正義を貫こうと奮闘する侍たちの生き様がテーマです。

主君の逆鱗に触れ、「猫の蚤とり」(女性に奉仕する裏稼業)を仰せつかった寛之進(阿部寛)を主役に、女にかけては手練手管の恐妻家の清兵衛(豊川悦司)や、無償で読み書きを教える清貧の友之介(斎藤工)と、3人の不遇の元侍たちが同じ時代で奮闘する姿を描いてみました。


―― キャスティングについて?
原作を読み終える頃には、大体のキャスティングは決まっていました。後は、俳優たちの顔を思い浮かべながら当て書きし、現場では雑談の中で役柄のヒントとなるようなことを話していました。


nomitori-making-1.jpg―― 阿部寛さんについて?
阿部寛さんは、どこかでコメディをやりたがっていたようですが、それは間違いだと思いました。既に、真面目にやればやるほど哀愁と滑稽さが滲み出てくる年齢にきていて、ちょっとしたヒントでも一気に様相が変わる伸び代を持っています。芝居熱心で、とにかく芝居が巧い。一生懸命やればやるほど、哀愁が滲み出て色気に繋がるんです。そんな阿部さんの特徴が毅然としたラストに活きてきたのです。


―― 豊川悦司さんについて?
豊川悦司さんは、私に忖度した芝居をしてくれます(笑)。こうすれば監督が喜ぶのでは…もう任せていても安心できる俳優さんです。鰻屋で寛之進と清兵衛が会話するシーンでは、阿部さんも豊川さんもお互いの芝居の邪魔にならないような反応を見せて、僕はその少年のようなチャーミングさが可笑しくて仕方なかったです。


nomitori-500-4.jpg―― 風間杜夫さんと大竹しのぶさんは、右往左往する元侍たちを鼓舞するような威勢の良さを見せていましたね?
お二人とは40年来の付き合いで、気風の良さと色気があります。イナセな人情家の江戸っ子の代表みたいな存在になりました。


nomitori-500-7_r1_c1.jpg―― 大竹しのぶさんや寺島しのぶさんに負けない猛女ぶりをハツラツと演じていた前田敦子さんについては?
ある授賞式で初めて会った時に、「これ位まで脱げるかね?」とバストアップの位置に腕を置いて訊いたら、「ウソだろう!? アッちゃんにそんなこと訊くなんて」ってな感じで、周りが固まっちゃいました(笑)。でも、その時の受け答えが実に男っぽくて、そういう思考回路を持っている人は色気があり、意外と慎ましやかだったりするのではと思いました。

スタジオにはいつも1番乗り、ひとりポツンと坐っているんです。今どきの女優さんにしては珍しく距離感のある人だなと思いました。「休みの日はどうしているの?」と訊くと、「アウトドア派じゃないので、家で本を読んだりDVDを見たりしています」。その話し方が妙に雰囲気があり、これは凄い女優さんになるなと予感しました。


―― 前田敦子さんと豊川悦司さんとの“絡み”のシーンは?
あのシーンは1カットで撮ったのですが、1回戦でOK!さすが度胸がある!豊川さんのリードも良かったのですが、「アッちゃんは、体も柔らかくてしなやか、大竹さん相手にする時とは随分違う!」と豊川さんも喜んでました(笑)。

 

nomitori-500-8.jpg―― 斎藤工さんについて?
斎藤さんとはTV対談で初めて会って、その知的な風貌に惹かれてオファー。彼の初監督作『blank13』を観て、誰かに未来を託さなければと思いました。阿部さんも豊川さんも斎藤さんも背が高くて、3人の侍たちを「ハンサムタワー」と呼んでました(笑)。


―― キャストとキャラクターがとてもマッチしていましたが、「人」の見方について?
僕は初めて会う人には、飲み会などでの雑談で出身地や家族構成などを訊きます。その人がどこでどんな育ち方をして、どんな人生観を持って生きてきたのか…作品を語るのと同じくらい、相手の気持ちを聴くのが好きなんです。


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鶴橋康夫監督の魅力は、「聴き上手な“人たらし”」にあるようだ。初対面でもソフトな話し方で懐深く受け入れ、相手の心の内を開かせる。とかく年齢を重ねると自分の意見を押し付けがちだが、むしろ相手に考える空間を創り出すのが巧いのではないか。そして、「笑い」の絶えない和やかな雰囲気にすっかり魅了されてしまう。


「不測な事態に陥った時の生き方」を、艶笑喜劇を見せながら勧善懲悪調で締める。生真面目な阿部寛ならではの寛之進は、困惑の連続でもいざという時には武士力を発揮させて、一気呵成に正義を貫くお白洲のシーンへと至る。「映画は〈1対0〉の投手戦!」という監督のこだわりと映画愛の詰まった作品。かなりメリハリの効いた、新しい時代劇の誕生である。

 
 


『のみとり侍』

~エリート侍が“のみとり”稼業に!?~
 

nomitori-pos.jpg【物語】
老中・田沼意次が権勢をふるう江戸時代の中頃。越後長岡藩の勘定方で重役を担っていた小林寛之進(阿部寛)は、生真面目すぎる性格がたたって主君の逆鱗に触れ、「猫の蚤とり」を仰せつかる。「猫の蚤とり」が何たるかも知らず、その稼業の親分である甚兵衛夫婦(風間杜夫と大竹しのぶ)を訪ね、女性たちに奉仕する裏稼業に奮闘することとなる。


武士の面子も男としてのメンツも打ち砕かれた寛之進が、亡き妻に生き写しのおみね(寺島しのぶ)や恐妻家の清兵衛(豊川悦司)に寝技の手ほどきを受けながら、清廉潔白ゆえに困窮する友之介(斎藤工)や甚兵衛夫婦などの江戸庶民の人情に支えられて、時代の荒波を越えていく。

 

■2018年 日本 1時間50分
■原作:小松重男「蚤とり侍」(光文社文庫刊)
■監督・脚本:鶴橋康夫
■出演:阿部寛 寺島しのぶ 豊川悦司 斎藤工 風間杜夫 大竹しのぶ 前田敦子 松重豊 桂文枝
公式サイト⇒ http://nomitori.jp/
■コピーライト: ©2018「のみとり侍」製作委員会

全国東宝系にて絶賛公開中!
 


(河田 真喜子)

4gatuyume-Di-550.jpg『四月の永い夢』中川龍太郎監督インタビュー


~映画と詩と人生と…~



4gatuyume-pos_r1_c1.jpg27歳(映画祭当時)にしてモスクワ国際映画祭で、国際映画批評家連盟賞、ロシア映画批評家連盟特別表彰のダブル受賞という快挙を遂げた中川龍太郎監督。受賞作『四月の永い夢』の公開が5月12日から始まり、公開翌日、全国各地の映画館を駆け回っている監督に、ギャガ(株)西日本配給支社の試写室でお話をうかがうことができました。


3年前に恋人健太郎を亡くした、元音楽教師初海のもとに、健太郎からの一通の手紙が届きます。かつての教え子楓との再会、染色工場で働く手ぬぐい職人の志熊からの告白、健太郎の母が暮らす富山への旅と、止まっていた時がゆっくりと動き始めるさまをゆったりとしたカメラで静かに描いた作品です。


ファンミーティングでも、初海の旅する車窓の風景について質問があったり、かなり細かいところまで丁寧に観てくださり、とてもいい反応でしたと語る監督。映画を中心にいろいろ興味深いお話をうかがえましたので、ご紹介します。


【画面づくりについて】

Q:ワンカットワンカットが絵画のように美しいです。どうやって絵づくりされたのですか?

監督:低予算の映画なので、現場で時間をかけるのは難しく、ロケハンに時間をかけました。僕と同い年で、初めて組んだカメラマンでしたので、現場でもめないよう、ロケハンでさんざん意見を戦わせ、話し合いました。


夏祭りの帰りに初海と志熊が並んで歩いていくシーンのバックにある提灯は映画のために作りこんだものです。色も黄色っぽい光にしたくて、染物工場では薄青い光、その後、初海が一人で歩くところは、その気分をひきずっているので、青っぽい光を基調にしました。


4gatuyume-500-4.jpgQ:染物工場で、色とりどりの手ぬぐいが天井から吊り下げられ、微かに揺れているシーンがとても幻想的でした。影響を受けた映画監督がいらっしゃったら、あわせて教えてください。

監督:このシーンは、小栗康平監督の『埋もれ木』(2005年)をイメージしています。僕達の能力では全然そこまで到達していませんが、現実の世界を描いているのにファンタジーっぽいというコンセプトに挑戦しました。


小さい頃、夜中にケーブルテレビで『埋もれ木』が放映されていて、うとうとしている時の夢うつつの感じと、映画の夢うつつの感じが共鳴して、本当に自分がその映画の中にいるんじゃないかと感じたことがありました。幼かったせいだとは思いますが、そんなふうに、子どもが夜中にこの映画をテレビで観た時、そういう印象に残る画面にしたいと思って、撮りました。

本作のカメラマンには、事前に市川準監督の『BU・SU』(1987年)と『大阪物語』(1999年)も観てもらいました。
 


【昭和を感じさせる生活風景】

Q:初海の部屋は、畳で、テレビがなく、ラジカセやボタン式の扇風機があったり、古い日本を感じさせるレトロな物であふれていますね。

監督:あの部屋の美術は、初海の好みです。美意識が高いと突き詰めれば突き詰めるほど、内向的、自閉的になっていきます。そういう外に一歩出れそうで出れない初海の精神性を表象するために、古い物やおしゃれなレトロな物を全面に出した部屋づくりにしました。こだわりが強くて、外とうまく適応できない人格ですね。こういう古いものを集めること自体、とても大変なことだと思うのですが(笑)。


【死について】

Q:恋人の健太郎の死の理由について、劇中ではほとんど描かれていませんね。そのわけは?

4gatuyume-Di-240-3.jpgもう一つの理由は、生まれる行為はパブリックな行為だと思うんです。人間は一人じゃ生まれません。生まれる時は、少なくとも男女という関係性の中で生まれます。死ぬ時は、たくさんの人に囲まれていても、死ぬのは一人です。だから、死ぬっていうのはプライベートな行為で、理由をつけるということはできないと思います。


北野武監督が、孤独死という言葉はすごく下品な言葉だと言われていて、一人で死んで野ざらしになったとしても、孤独だったかどうかはわかりません。僕もそうだなと思います。自殺した人が悲しいとは限りません。死んだ人間の最もプライベートな“死ぬ”という行為について、他人が、生きている人間が、とやかく言うべきではない、ずっとそう思っていて、僕も実際、親友が自殺した理由についてわかりません。類推はできますが、類推してつくったところで、それを彼に当てはめることは、彼に対して失礼な気がして、本作ではこういう形にしている面もあります。


4gatuyume-500-3.jpg【失うことについて】

Q:健太郎の母親役、高橋恵子さんの「人生って失っていくことなんじゃないかなって思うようになった。失い続ける中で、その度に本当の自分自身を発見していくしかないんじゃないかなって…」というセリフがすごく心に残りました。これは脚本を書いている中で思い浮かんだ言葉ですか?

監督:あのセリフだけは、自分とは離れたリアリティから出てくる台詞にしたくて、二十歳代の人間に先輩が諭す台詞だから、その台詞まで自分でつくってしまうと、自分で自分を説教しているみたいになって嘘くさくなると思ったので、こうなりたいなと思っている人の言葉を引用してつくりました。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年)のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督と押井守監督の言葉を合体させてつくりました。この言葉を若い人が受けるという形にしたいなと。どの言葉をどう混ぜたかは、記憶が定かではないですが、アレハンドロ監督は息子さんを亡くされています。

 
実際この言葉は、自分の実体験としてもすごく納得感のある言葉です。学生時代が終わって社会に出る時に、一番親しい友人を亡くしました。彼を超える友情を、これから人生の中で新しく結べるか不安で、そんな時に、前作『走れ、絶望に追いつかれない速さで』(2015年)を完成する中で、出演してくれた太賀さんや小林竜樹さんと出会い、深い友情を築けました。人生って失うことでしか気付けないこともあるし、自分の心を豊かにする肥料になったり、暗いことでも残された生命にとっては輝きをもたらすこともあります。そういう実感はあったので、このセリフを使わせてもらいました。
 


【映画と詩について】

Q:監督は学生時代から詩人として活躍されていますが、詩と映画という表現手法についてどうお考えですか?

4gatuyume-Di-240-1.jpg監督:小説と映画よりも、詩と映画の方が似ていると思っています。小説は、心情描写であり、長い物語を語ります。映画は、2時間位の長さの中で語るには、結構短いです。


一つの絵、たとえば、本作でいえば、桜と菜の花の中で、喪服を着た女性が立っている映像があります。寂しげな表情でも、すごく生命力のあふれた世界の中に立っていれば、観客は自分で想像を広げるじゃないですか。それをやるには、一枚の絵で十分なんです。詩も同じで、一、二行で、あとは余白です。強いパワーワードと、そこから広がる世界観で、想像力を喚起させるもの。伝えるのではなく、想像力を刺激するのが映画や詩の力だと思います。


【初海の教え子、楓について】

Q:明るくてたくましい楓は、初海が変わっていくのを後押しするような存在ですね。恋人からDVされていたという設定なのでしょうか?

監督:楓というキャラクターは、当初、初海の腹違いの姉妹という設定でした。会ったことのない妹が訪ねてくる設定にしていたのですが、それだと3時間以上になり、短くするために設定を変えました。


初海も楓も、異性とのコミュニケーションということに関して、全く違う意味での不全感を感じています。どうやって男性とコミュニケーションをとるのか、となった時、初海は男性に対して距離が遠過ぎますし、楓は近過ぎます。楓と恋人との関係は、DVというよりも強依存です。DVというにはひ弱な感じの男でしょう(笑)。これは二人にとって共通の父親の不在からくるものとして描こうとしたのですが、その部分は映画をつくる中で削りました。


4gatuyume-500-2.jpgQ:楓は、夏祭りではしゃいだり、バーで歌手として歌ったり、立ち直りが早いですね。

監督:一つのことにとらわれすぎず、どんどん変えながら生きていける楓の生命力が、初海の人生のあの時期には必要なもの、として描きました。


Q:楓と初海の関係のように、前作でも、主人公がまわりの人の影響を受けて少しずつ変わっていきますね。

監督:前作も本作もエッセイみたいな映画にしたいと思っていました。

人間が成長した瞬間、たとえば、受験で合格する話をつくった時、普通は、受験以外のことは描かず、受験にまつわるエピソード、家族や予備校の先生や友人を描きます。でも、そうではなくて、そこに到達するには、実は、物語的には関係のない要素が非常に大きな影響を与えていたという考え方でつくりました。楓の話が恋人の死とどう結びつくのか、物語的には、つながりづらく見えても、僕は関係があると思うし、そのさまを詩のように撮りたいと思ったんです。


ある問題が解決する時って、たまたま天気がよかったからとか、風が気持ちよかったからとか、それまで何年も悩んでいたことが、たまたますれちがった人といいコミュニケーションがとれたとか、何かのきっかけで解決してしまうことがあります。直線的でない要素がいっぱいあって、そうやって人生は変わっていくという気がします。そういういろいろな要素を、物語のために切り落としてつくるのではなく、ゆるく残しながら作品をつくりたいと思いました。


4gatuyume-550.jpg【カメラについて】

Q:桜の花の下に立つ初海をとらえたカメラが静かに後退していく映像がとても美しく、心に残りました。こうしたカメラの動きは、劇中で3回ほど繰り返されますね。

監督:カメラは後退していますが、初海の世界はむしろ広がっていく。すごく狭い視野の中で生きていたけれど、開けていくイメージとして、後ろが広がっていくカットを撮りました。


3回目の山の中のシーンだけは、初海がアップになりながらも背景が遠ざかっていて、カメラを近づけながらズームアウトする“めまいショット”というヒッチコックの手法です。ピントの合っているところの大きさは変わらないけど、後ろだけ引いている。こんな古い手法を今さらドヤ顔してやる監督なんていなくて、ださいとは思ったのですが、やってみようと思いました。彼女の心情と見えている世界が変わったから、最後だけに使いました。


【今後について】

Q:前作、本作と監督自身が脚本も手がけられたオリジナル作品でしたが、今後はどうですか?

4gatuyume-Di-240-4.jpg監督:オリジナルかどうかというより、映画という文脈に置き換えられているかどうかです。『砂の器』も映画の世界になっているからこそ、原作があってもオリジナルと言っていいくらいだと思います。映画とは何か、というのは難しいですが、映画というメディアでやるところまで、置き換えて翻訳できるものであれば、原作があっても少女漫画でもいいと思います。今も原作ものの企画を一つ進めているところです。


自分自身、ネタもかぶってきているので、新しいものに挑戦する必要は感じています。人が死なない映画とか、古びたそば屋が出てこないとか(笑)、自分にルールを課す必要はあるかなと思っています。といいながら、今、進めている企画の一つは銭湯の建て直しなんですが(笑)。


やはりいい脚本じゃないといい映画にならないと思います。脚本を書く力が未熟すぎて足りないので、これから、いろんな脚本家とコラボをやりたくて、他の脚本家に自分が書いたものを直してもらうとか、書いてもらったものを自分が直すとか、書いてもらったのをそのまま撮るか、いろいろな方法を全部試してみたいと思います。それが、自分が脚本家として成長する糧にもなると思うのです。



4gatuyume-Di-240-2.jpg笑いを交えながら、明るく饒舌に語ってくれた中川監督のお話は、生と死、詩と映画まで、広範囲に及び、二十代とは思えないほど味わい深く、とても充実した時間でした。映画館に足を運び、人生の余った時間に観てもらうからには、映画のどこかに希望やあこがれがほしい、あこがれられる世界を描きたいと語る中川監督。今、3つの企画が進んでいるそうで、これからの活躍が楽しみです。


ここで紹介した台詞をはじめ、円熟した俳優さん達の織りなすドラマは、心の底に深くしみこみ、映画を観終わった後も、心の扉を開ければ、この映画の世界が静かに広がっているような、静かで深い余韻が残る作品になっています。初海を演じた朝倉あきさんの清楚なたたずまいも魅力的で、ほっこり微笑んだ顔がすてきです。ぜひ映画館の暗闇の中で出会ってください。


(伊藤 久美子)


『四月の永い夢』

・(2017年 日本 1時間33分)
・監督・脚本:中川龍太郎
・出演:朝倉あき、三浦貴大、川崎ゆり子、高橋由美子、青柳文子、森次晃嗣、志賀廣太郎、高橋惠子
2018年5月12日(土)~シネ・ヌーヴォ、元町映画館、出町座
公式サイト: http://tokyonewcinema.com/works/summer-blooms/
・コピーライト:(C)WIT STUDIO / Tokyo New Cinema

 

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津波が繋いだ縁。全編インドネシアロケの合作映画で描きたかったことは?
『海を駆ける』深田晃司監督インタビュー
 
インドネシア、スマトラ島北端のバンダ・アチェを舞台に、日本・インドネシアのキャストが集結した深田晃司監督最新作『海を駆ける』が、5月26日(土)からテアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都他で全国ロードショーされる。
海辺に突然現れた意識不明の男、ラウ(ディーン・フジオカ)の正体を探る一方、アチェに移住した貴子(鶴田真由)の息子タカシ(太賀)、日本から訪れた親戚のサチコ(阿部純子)、タカシの同級生クリス(アディパティ・ドルケン)、クリスの幼馴染でジャーナリスト志望のイルマ(セカール・サリ)の4人の群像劇が重なる。ラウの周りで起きる不思議な出来事、そして驚愕のラストと、深田流ファンタジーは最後まで目が離せない。
本作の深田晃司監督に着想のきっかけや、インドネシアキャストとの撮影、日本=インドネシア合作映画で描きたかったことについてお話を伺った。
 

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■津波の被害は日本だけではない。受け止め方も違うと気づいたバンダ・アチェのシンポジウム。

――――今回は日本とインドネシアの合作映画ですが、どのようなきっかけで実現したのですか?
深田監督:2011年12月に京都大学とインドネシア バンダ・アチェのシアクアラ大学が共同で、津波と防災に関するシンポジウムを開催しました。バンダ・アチェは2004年に起きたスマトラ沖地震による津波の被害を被った場所で、東日本大震災による津波の知見を共有する目的で行われたのです。京都大学で混成アジア映画研究会を主催されている山本博之先生が、私の作品『歓待』(10)を気に入って下さったことから、声をかけていただき、記録係としてバンダ・アチェに同行しました。
 
2011年に東日本大震災で津波が起こったとき、津波が全てを飲み込むような映像は信じられませんでしたし、多くの日本人が何か足元から覆されるような衝撃を受けたと思います。一方、バンダ・アチェで2004年に地震や津波が起き、その映像をニュースで見た時、きっと自分は驚いてはいたと思うのだけど、外国のたくさんあるニュースの一つとして消費したに過ぎず、日本で起きた津波のようには実感してはいなかったのです。でも、津波の被害は日本だけのものではないし、日本人だけが被害に遭った訳ではない。バンダ・アチェで、そのことに気付かされた経験が、非常に強く心に残りました。もう一つは、津波に対する受け止め方です。津波の被害に遭った日本人とインドネシア人とでは大きな違いがあるように思えた。そのことも、印象に残りました。
 
 

■『ほとりの朔子』の発展形をイメージ。朔子はインドネシアを遠くの地と感じていたが、今度はサチコがインドネシアに行く話にしようと考えた。

――――『ほとりの朔子』(13)で共演した鶴田さんと太賀さんが、本作で再共演しています。特に鶴田さんはインドネシア地域研究家という役柄だったので、本作との繋がりを感じますが、『ほとりの朔子』を作った頃から、いつかはインドネシアで映画を撮りたいという気持ちがあったのですか?
深田監督:(気持ちは)ありましたね。最初は、東日本大震災の経験をした日本人がバンダ・アチェに行くと、どんな景色が見えるのかと空想しました。どちらかといえば『ヒロシマ・モナムール』のような、いわば原爆という歴史的な大惨事が起きた場所にフランス人の女性が訪れ、現地の人と恋に落ちるという物語のインドネシア版ができればと思っていました。そんな妄想を重ねながら、一方で『ほとりの朔子』を制作、公開し、2014年1月に日活のプロデューサーとのミーティングで日本人が外国に行く映画を作りたいという話が持ち上がったので、すかさずインドネシアのバンダ・アチェを候補に挙げ、GOサインが出たのです。既に『ほとりの朔子』を作った後ですから、どこかでその発展形をイメージしはじめていました。朔子にとって、叔母の海希江が訪れていたインドネシアはどこか遠くの地というぼんやりしたイメージでした。今度は阿部純子さん演じる女子大生のサチコがインドネシアに行く話にしようと考えていきました。
 
 
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■ラウのイメージは、マーク・トゥエイン「不思議な少年」の美しい少年44号。

――――本作の鍵となるラウという存在は、自然に宿る神のようにも映りました。最初からファーストシーンが浮かんでいたそうですが、どのようにラウのイメージを膨らませていったのですか?
深田監督:インドネシアの話を書こうと思った時、「海から出てきてバタッと倒れる記憶喪失の男」というシーンからスタートしました。そこに日本からインドネシアに来る若者や、現地の若者が登場し、彼らの恋愛模様と同時並行して描くプランになりました。実はイメージとして、「トム・ソーヤの冒険」などアメリカ的楽天主義の小説で有名なマーク・トゥエインが、人間の存在に対してペシミスト(悲観主義)になる晩年に書いた「不思議な少年」がありました。人間社会に44号と名乗る美しい少年が現れて働き始めるが、最終的には人間の価値観を相対化し、疑念を投げかけて去っていく。ラウも、人間の価値観を相対化する存在と捉えられますし、むしろ自然そのもので、植物のようにニコニコとそこに立っていたり、意図も目的もなく人を助けることもあれば、でたらめに人を殺すこともあるという存在にしようと思いました。
 
 

■世俗離れした美しさと多国籍なプロフィールのディーン・フジオカなら、ラウのミステリアスさを演じられると確信。

――――ラウ役にディーン・フジオカさんのオファーを考えたのは、どの段階ですか?
深田監督:最初は「不思議な少年」のイメージがあったので、20代前後をイメージしていたのですが、なかなかピタリとくる人が見つかりませんでした。少し浮世離れしたような感じが出せる人を探していると、日活のプロデューサーをはじめ、周りの複数の方からディーン・フジオカさんの名前が挙がったのです。ちょうど朝ドラの「あさが来た」でディーンさんがブレイクされていた頃でした。経歴を拝見すると、生まれは日本ですが、香港や台湾でキャリアを重ね、ジャカルタをベースにしながら今は日本で活躍されているという多国籍のプロフィールがラウのミステリアスさを後押ししてくれると思いました。あとは世俗離れした美しさ。この人にお願いしようという気持ちに迷いはありませんでした。
 
――――ディーンさんは日本人キャストの中で、誰よりもインドネシア語が堪能だと思うのですが、そんなディーンさんにインドネシア語をほとんどしゃべらせない脚本にしたのは、ある意味勇気がありますね。
深田監督:ディーンさんはインドネシア語、日本語、中国語、英語がしゃべれますから、とにかくしゃべるシーンを作ろうという誘惑は、すごくありました(笑)でもラウをしゃべらせすぎると、どんどん人間臭くなってしまうので、ぐっとこらえて減らしました。記者会見で、中国語の記者に、中国語でラウが答えるというシーンも考えたのですが、いかにもディーンさんが語学堪能だから入れたシーンに見えそうだったのでボツにしました。
 
――――台詞が少ないことで、ディーンさんが持つ雰囲気と相まって、ラウ独特の存在感が浮かび上がっていますね。
深田監督:若者たちの人間ドラマの中で、だんだんラウという存在が大きくなり、最後一気に別の存在として立ち上がるイメージになればと考えて書きました。最初は全員が主人公のつもりで書いていましたが、やはりディーンさんの存在感は大きいですからね。
 
――――ラウは何者なのかという問題提起の一方で、人種を越えた青春群像劇も見ごたえがありました。インドネシア人キャスト、セカール・サリさん、アディパティ・ドルケンさん(大阪アジアン映画祭2018上映作、『ひとりじめ』主演俳優)について、教えてください。
深田監督:インドネシアのエドウィン監督作品をずっとプロデュースされているメイスケ・タウリシアさんに、現地プロデュースをお願いし、何人か候補を挙げていただいた中セカール・サリさんとアディパディ・ドルケンさんに、シナハンでジャカルタに行くタイミングでお会いし、決めました。それにしても、アディパティ君があんなに人気者とは、撮影を始めるまで知りませんでした。Twitterでもフォロワーが50万人程いますし、Youtubeにアップされている予告編(日本語)のコメント欄も、アディパティ君ファンのインドネシア語コメントで埋まっていますから(笑)。
 
 
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■インドネシアの菅田将暉こと、アディパティ・ドルケンは人気者だがとても気さく。撮影中もスタッフと俳優の距離が近く、気持ち良かった。

――――インドネシアでもアディパティさんの出演映画最新作として注目されているようですね。
深田監督:そうですね。帰りのタクシーでも若いインドネシア人男子の看板を見て「全部アディパティ君に見えるね~」なんて冗談半分で言うと、実は本当にアディパティ君がイメージキャラクターの携帯電話の広告だったとか。日本で言えば、菅田将暉さん並の人気者です。しかも本当に気さくなんです。日本が見習いたいと思う部分で、今回気持ちよく撮影できた理由の一つが、スタッフと俳優の距離が近いこと。我々スタッフが打合せをしている部屋の隅で、俳優たちが集まって同じ空間にいるんです。インドネシア人の俳優も日本人の俳優もスタッフと一緒にご飯を食べたり、リハーサルをしたりするので、スタッフも俳優たちを芸能人扱いしない。両者の垣根が低くて気持ちよかったです。セカール・サリさんも既に国際的な場で活躍されているので、本当にいいキャストに出演してもらえたと思っています。
 
 

■順応性が高い太賀の演技に、現地の人も「インドネシア人に見える」とお墨付き。

――――タカシ役の太賀さんも、インドネシア語を本当に自然に話し、いつもの飄々とした雰囲気で、アディパティさんともいいコンビぶりでした。
深田監督:太賀君は現地の人が見ても、インドネシア人に見えるとお墨付きをもらいました。現地の方が見て驚くのは、言葉やちょっとした仕草がインドネシアの若者そのものだそうです。一番良かったのは、太賀君と阿部純子さん、セカール・サリさん、アディパティ君が、出会ったその日からすごく仲良くなったことですね。太賀君と阿部さんはリハーサルのために、クランクインの1週間前に現地入りしたのですが、リハーサルの時はもちろん、撮影後もご飯を食べに行ったり、買い物に行ったり、本当にいい雰囲気でした。太賀君は順応性が高いので、こう演じようと凝り固まるのではなく、共演者の演技を受けて、それに反応するのがとても上手い俳優です。今回アディパディ君とは大学のクラスメイトで仲の良い二人という設定でしたが、自然に表現できていたと思います。
 
 
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■日本人として生まれ育ち、インドネシアに向き合う視点で、両国の関わりを提示する。

――――ドキュメンタリー的要素として、占領時に日本兵から教わった歌を歌ったり、津波の傷跡を映し出すなど、インドネシアの歴史と日本の繋がりに気付きを与えるシーンが挿入されているのも印象的です。
深田監督:日本人としてインドネシアに向き合うことになるので、普遍的な映画を作ろうとしてはいても難しい。かといって、普遍的になることが、あたかも自分がインドネシア人のように振る舞うことだとすれば、それは少し違うと思うのです。大事なのは作り手の視点なので、日本人として生まれ育ち、そしてインドネシアに向き合うという視点を絶対踏み外してはいけない。その視点でみると、日本とインドネシアの関わり方には色々な発見がある訳です。戦争中、日本が占領下に置いていた時代があり、ODA(政府開発援助)として支援をしていた一方で、その支援の歪みもある。今は津波で両方が繋がっている。インドネシアは親日国というイメージが強く、実際、現地では日本に親しみを感じてくれています。でも、日本は加害国なので、加害国と被害国という関係は消えません。占領されていた時代に日本軍に強制労働させられ、いまだに日本に対して恐怖感を抱いている人もいるのです。政治的メッセージを発している訳ではないので、親しみを込めて日本の軍歌を歌うおじいさんや、強制労働をさせられたことを歌うおじいさんを並べて描くことで、あとは観客に受け取り方を委ねるようにしています。
 
 

■大きな自然の営み(ラウ)と、たわいもない若者たちの人間らしい営みを対比して描く。

――――深田監督の一貫したテーマと思える不条理を、今回はファンタジーで表現したように見えますが、映画全体を通して描こうとしたことは?
深田監督:全体を通した一番大きなモチーフは自然であり、世界の不条理だと思います。ラウという存在が一番の鍵です。彼はたまたま、人間の恰好をして現れ、気まぐれに散歩をして去っていく存在です。大きな災害があると、人間はそれに意味やメッセージを汲み取ってしまいます。「なぜ自分だけ生き残ってしまったのだろう」とか、「これは天罰だ」等、良し悪しは別として、そのように考えてしまうのはある意味人間らしいことです。でも自然は、それこそ残酷かもしれませんが、何の意図も、目的も、意味もなく、ちょっとした偶然によって人間に恵みをもたらしもすれば、一方で災害を引き起こし、人間を死なせてしまう。ラウもそういう自然と同じ存在にしたかった。大きな自然の営み(ラウ)と、たわいもない若者たちの人間らしい営みを対比して描く。それが『海を駆ける』でやりたかったことです。
 
――――日本=インドネシア合作で、スタッフもキャストもインドネシアの方と混合での映画作りでしたが、今後この経験をどのように活かしていきたいですか?
深田監督:異文化の人と映画を作るのは面白いです。自分の狭い世界観を打ち崩してくれます。単に資金的に合作にするのではなく、多くの異文化の人と映画を作ることを今後もやっていきたいですし、またインドネシアで映画を撮りたいですね。一番良かったのはスタッフです。本当に優秀だし、怒鳴り声の全くない現場というのはとても気持ちよく、日本も見習うべきだと思いました。
(江口由美)
 

<作品情報>
『海を駆ける』(2018年 日本・フランス・インドネシア 1時間47分) 
監督・脚本・編集:深田晃司
出演:ディーン・フジオカ、太賀、阿部純子、アディパティ・ドルケン、セカール・サリ、鶴田真由 他
2018年5月26日(土)~テアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都他全国ロードショー
公式サイト⇒http://umikake.jp/ 
©︎2018 "The Man from the Sea" FILM PARTNERS
 
 

yuzai-bu-550.jpg生田斗真、瑛太『友罪』特別試写会舞台挨拶

(2018年5月13日(日)17:10~17:30  なんでもアリーナにて)


5月13日(日)大阪のなんでもアリーナにて、『友罪』の特別試写会が開催され、主演の生田斗真さん、瑛太さんが舞台挨拶に登壇しました。


上映後の興奮冷めやらぬ300人を越える観客の前に二人が現れると、会場からは黄色い大歓声!生田さんは「本日はお足元の悪い中、ありがとうございます。皆さんが映画を観ている間、大雨警報が出ていたみたいですよ。帰りも気をつけて帰って下さいね。」と生憎の天気になったことを気遣いながらご挨拶すると、瑛太さんは「この前の完成披露も雨だったので、生田斗真には気をつけた方がいいですよ(笑)」と生田さんへの雨男いじりの発言で会場から笑いを誘うと共に「素晴らしい作品が出来たと思っているのでお客さんに観てもらえて本当に嬉しい」と熱い気持ちが込もったご挨拶を。


yuzai-bu-500-1.jpg和やかな雰囲気で始まったイベントですが、三度目の共演について質問が及ぶと、生田さんは「普段から瑛太のことを知っている分、関係性が築きやすかった。覚悟がいる作品だけど、二人だからこそ増田と鈴木が演じられたと思う」と、一方瑛太さんからは「斗真はパーフェクトな人間なので僕は捻くれたことをしたくなるんですが、どうやったら斗真の感情を揺すぶらせられるかを考えながら演じました」と二人の関係性が垣間見れる回答が。


yuzai-bu-240-1.jpg「友罪」という映画タイトルに因み、お互いの罪だなーと思う部分を問われると、生田さんは「瑛太は、どんなに朝が早くてもいつも現場にお洒落な格好をしてきてシャレオツ!罪だ!と思います」と一言。瑛太さんは「全体的に罪だなと思います。役者としての幅や説得力があって…」とギャップのある真面目な回答が。これには生田さんも思わず「シャレオツとか言って、おれ瑛太のこと真面目に考えてないみたいじゃん!」と。会場からは再び笑いが起こっていました。


最後に生田さんから「映画をご覧になって賛否両論あると思いますが、皆さんに語り合って貰うきっかけになればいいなと思います」と、瑛太さんからは「人それぞれ感じ方が違うと思いますが、周りの方に問題作と広く伝えて貰えたら」と、映画公開に向けて期待が高まるご挨拶で舞台挨拶は締めくくりとなりました!


(オフィシャルレポートより)

 


yuzai-550.jpg『友罪』

【STORY】
ジャーナリストの夢に破れた益田。他人との交流を避ける無口な鈴木。
二人は町工場で出会い、同じ寮で暮らし始める。
「俺が死んだら悲しい?」「悲しいに決まってるだろ」
益田にとって他愛のないやり取りだったはずのそれは、鈴木の悲壮な思いを秘めた質問だった。 やがて少しずつ友情が芽生えてゆく二人。だが、ある事件をきっかけに益田は、鈴木が17年前の連続児童殺害事件の犯人だった “少年A”ではないかと疑い始める――。

 
・(2018年 日本 2時間9分)
・監督・脚本:瀬々敬久
・原作:薬丸岳『友罪』集英社文庫刊
・出演:生田斗真、瑛太、夏帆、山本美月、富田靖子、佐藤浩市他
・2018年5月25日(金)~全国ロードショー
公式サイト⇒ http://gaga.ne.jp/yuzai/
・(C) 薬丸 岳/集英社 (C) 2018映画「友罪」製作委員会

 

 

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「友達」という言葉が背負わされている純粋性、優しさを大切にできる映画にしたかった。
『友罪』瀬々敬久監督インタビュー
 
17年前に許されない罪を犯した鈴木(瑛太)と、癒えることのない傷を抱えた元ジャーナリストの男益田(生田斗真)。二人の男の出会いから、止まっていた時計が動き出す…。瀬々敬久監督(『64−ロクヨン−』、『ヘヴンズ ストーリー』)の最新作『友罪』が5月25日(金)から全国ロードショーされる。ミステリー界の旗手、薬丸岳のベストセラー小説を映画化した本作では、生田斗真と瑛太のW主演に加え、佐藤浩市が息子が起した罪によって家族を’’解散’’したタクシー運転手を、富田靖子が過去に少年院に勤め、唯一鈴木の過去を知る女性、を演じる他、夏帆が元AV女優役で瀬々監督作品に初参加している。様々な過去を抱えた登場人物が、過去とどう折り合いをつけ、未来を描いていくのか。元犯罪者と真の「友達」になれるのか。様々な問いとその答えを映画の中で見つけていく。そんな醍醐味が感じられる作品だ。
 
脚本も手がけた瀬々敬久監督に、原作で感銘を受けた点や、本作に反映させた日ごろの問題意識について、お話を伺った。
 

 
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■原作者薬丸岳さんに感じた、こだわりの強さと優しさ。

――――犯罪者に復讐する物語はよくありますが、社会復帰した元犯罪者と、かつては追う立場だった元ジャーナリストとの友情がテーマとなる物語は珍しくもあり、とても奥深かったです。薬丸岳さんの原作を読まれた時、どの部分に特に魅力を感じたのですか? 
瀬々監督:薬丸さんが、ずっと少年犯罪をテーマに書き続けてきたという部分で、作家としてのこだわりの強さを感じました。また、ジャンルは違えど、同じ作り手として尊敬の念を抱きました。犯罪を基にした作品は興味がありますが、原作者の態度に大きく触れたのは初めてに近い体験で、とても印象的でした。実際、薬丸さんにお会いすると、とても優しい方ですし、「友罪」というタイトルもすごく優しい。シビアな内容の物語ですが、友情という純粋さが出てくる映画になればという気持ちで、作りはじめました。
 
 
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■未来へ向かうベクトルと、過去に向かうベクトルが、それぞれ映画の中で進んでいく。

――――モチーフになった事件をあまり想起させず、元犯罪者のその後の人生を描く未来志向の映画になっていますが、脚本を書くにあたって重視したことは?
瀬々監督:事件そのものは取り返しがつきません。事件を起こした本人でさえ、どうしたらいいか分からないのです。そのようなことが起こった時、その後を描いていく上で、事件そのものがどうだったかも大切ですが、それから未来に向かっての比重が大きくなるのだと思います。一方で、過去もこの映画の中でとても重要な物語です。鈴木は自分の起こした事件がどうだったのか。死んだ少年への思いをどう償いとすればいいのかを、益田と出会って発見していきます。益田自身も、事件に対する気持ちを整理していく訳です。また、益田と鈴木以外に、心に傷を持っている人たちが登場します。彼らにもそれぞれ過去に事件があり、それに対して今贖罪的なことをしています。例えば佐藤浩市さんが演じる山内は、息子が交通事故で何人もの児童を死傷させてしまった。その謝罪を実行するために、自らも家族を解散してしまいます。でも本当に謝罪ができているのか。そして息子たちと本心で付き合うことができているのか。山内は、この映画の時間を通す中で、最後に息子との会話や本当の謝罪がどういうことかを発見していくのだと思います。そういう意味では未来へ向かうベクトルと、過去に向かうベクトルが、それぞれ映画の中で進んでいく話ですね。
 
 
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■現実は一つの出来事に対してあまり深く考えない不思議な情報社会。そこから一つ一つの事件に関わり、重く感じなければならない立場の人を作り出す。

――――山内は、事故を起こした息子に「犯罪者が幸せになってはいけない。子供も産んではいけない」と言い放ちます。犯罪者に関わる人たちにも様々な影を落とす様子が印象的でした。
瀬々監督:ここで描かれているのは、どれも極端な例です。僕達は、毎日様々な殺人事件や天災にニュースとして接しています。しかもそれは次から次へと新しい情報に更新されていくので、一つの出来事に対してあまり深く考えないのが、普通の生活でしょう。それが幸せなのかもしれませんが、実際に僕達と関係がないように見えるところで、事件は起こっています。僕たちはそういう希薄で不安定な情報社会で生きているなと思う訳です。だったら、もし一つ一つの事件に深く関わり、重く感じなければならない登場人物たちだったらどうなるだろう。そのような考えから作っている部分はありますね。
 
――――鈴木は早い段階から「友達」という言葉を口にしていましたが、瀬々監督は鈴木をどのようなキャラクターと捉えていますか?
瀬々監督:瑛太さんは、皆が理解不能な芝居を敢えてしています。普通の人では理解できないような人間像を目指されていました。一方で映画の中で表立って現れてはいませんが、脚本を作るうえでは、鈴木は生や死を子どもの頃から人一倍考えてしまう人間という設定にしています。どうして人は死ぬのかという不思議さを抱え、命はどういうことなのかと深く考え込み、逆にその謎を解くために人を殺してしまうような少年像を考えていました。
 
――――ファーストシーンはその鈴木と益田の背中が映りますが、それぞれの背中から人物像がふわりと浮かび上がってきました。ハッとさせられるオープニングでしたが、演出の意図は?
瀬々監督:かなり早くからファーストシーンは背中から始めようと決めていました。観客が二人を追いかけるように見せる方がいいと思ったのです。タイトルバックも二人が背中を向けて立っています。それは二人が、観客に面と向かって顔を見せるという存在ではないということでもあります。鈴木は社会の中でひっそりと生きている訳ですし、益田もどこか逃れて生きている訳で、二人の背中から入るというのは、そういう二人の社会の中での立場を象徴しています。
 
 
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■かけがえのない一瞬を生きている時に誰もが感じる愛情、友情が、罪深い世界を救うことができる。

――――生田斗真さんが演じる益田も、最初は鈴木から友達呼ばわりされることに抵抗感を覚えながら、最後には「友達だから死なせたくない」と気持ちが変化していきます。鈴木と呼応しながら、自身のトラウマを乗り越える難しい役でしたが、どのような演出をしたのですか?
瀬々監督:生田さんには、観客と同じ立場に立ってくれとお願いしました。この事件を全て受け止める訳で、鈴木といる時も受け身です。観客と同じ目線の「普通の人」としてこの映画で生きてほしいと言いました。友達という概念で言えば、私のような年になると「彼は友達だ」とはなかなか言えません。中学生や高校生の頃のもので、そういう意味では「友達」というのはとても純粋なものだと思います。原作者、薬丸さんの世界観は少年犯罪があったとしても、その中で彼らの未来に関して優しい目線で見ています。友達だったら救えるのではないかと。情報化社会となり人間同士の関係性が薄れてきた中で、友情や愛情、情けというものが、悲惨な出来事に対して救いを投げかけることができるのではないか。後半、益田と鈴木が公園へ飲みに行くシーンがありますが、本音を語り、とても大切なシーンになっています。そういうかけがえのない一瞬を生きている時に誰もが感じる愛情、友情が、罪深い世界を救うことができる。そういう意味では、友達という言葉が背負わされている純粋性、優しさを大切にできる映画にしたいと思って作っています。
 

■元犯罪者から問いかけられる逆転構造。そこから起こる本心と本心のぶつかり合いは、普通の生活ではなかなか起こりえない。

――――公園のシーンでは、鈴木が「死んで罪を償おうと思うけど、心の底から生きたいと思っている」と告白します。本作のキーワードのようにも見えました。
瀬々監督:台詞もさることながら、瑛太さんの表情と独特の言い方が心に響きますね。原作では居酒屋という設定になってるんですが、元犯罪者である鈴木側から、普通の人である益田側に問いかけがある訳です。「君もどこかで傷ついているんじゃないか」と聞きますよね。元犯罪者から問いかけられる逆転の構造です。必然的に本心と本心のぶつかり合いになっていく。その会話劇が素晴らしいと、原作を読んだ時から思っていました。元犯罪者と、それに関わろうとしている人との間に本音のぶつかり合いが起こる。そういうことはなかなか普通の生活では起こりえないことです。だから、その流れの中で鈴木が言った「心の底から生きたい」という台詞が、胸に響くのだと思います。
 
 
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■『友罪』は、事件のその後を描いていることが興味深い。

――――瀬々監督は、今まで様々な犯罪をテーマに作品を作ってこられましたが、平成を締めくくるタイミングで『友罪』が公開されることに、どのような意義を感じますか?
瀬々監督:神戸連続児童殺傷事件が起きた1990年代(平成初期)は、暗い時代でした。阪神大震災もありましたし、オウム真理教関連の事件が象徴していたと思います。景気も低迷し、皆が精神性のものを追求していく時代でした。2000年代になると、金融的自由主義が発展し、ネットも流行り出し、仮想通貨もそうですが、価値が目に見えなくなる時代、ふわっとした時代になっていきました。ほんの10年前に起きた事件のことも忘れ去ってしまい、奇妙な明るさすら感じます。東日本大震災で絆を再認識することもありましたが、それもまた忘れつつあります。そういう意味で、この映画は事件のその後を描いていることが、興味深い。色々な事件や出来事があり、その後の先には次の未来がある。それが、『友罪』の中から見えてくるはずです。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『友罪』(2018年 日本 2時間9分)
監督・脚本:瀬々敬久
原作:薬丸岳『友罪』集英社文庫刊
出演:生田斗真、瑛太、夏帆、山本美月、富田靖子、佐藤浩市他
2018年5月25日(金)~全国ロードショー
公式サイト⇒http://gaga.ne.jp/yuzai/
(C) 薬丸 岳/集英社 (C) 2018映画「友罪」製作委員会
 

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アン ミカ、ヒロインの境遇に自身を重ね「人生に無駄なものは何もない」
『モリーズ・ゲーム』トークショー
(18.5.2 大阪商工会議所 国際会議ホール)
登壇者:アン ミカ
 
『ソーシャル・ネットワーク』『マネーボール』『スティーブ・ジョブズ』の天才脚本家アーロン・ソーキンが初監督を務める『モリーズ・ゲーム』が5月11日(金)よりTOHOシネマズ梅田他全国ロードショーされる。
 
 
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レース中の大怪我で引退をよぎなくされたトップアスリート、モリー・ブルームがセレブの集う高額ポーカールームの経営者となり、一大スキャンダルを巻き起こした実話を映画化。『女神の見えざる手』で圧巻のロビイストを演じたことも記憶に新しいジェシカ・チャスティンがモリーを演じ、父親から叩き込まれた負けず嫌いの気性と知性で、男ばかりのポーカーの世界へ果敢に経営者として挑み、独自のポリシーで大成功を収めていく姿を熱演している。FBIに逮捕されたモリーがどうやって巨額の富を手に入れ、それを失ったのか。世間がイメージするモリーとは違うモリーの真の姿とは。一瞬たりとも目が離せないサクセスストーリーは、失敗を糧にして前に進む決断の物語でもあるのだ。
 
 
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本作の公開を記念して行われた試写会の前に、アン ミカさんのトークショーが開催され、自身の境遇や、成功への秘訣、そして本作の見どころについてアツいトークを繰り広げた。
ポスターのジェシカ・チャスティン演じるモリーを彷彿とさせるような、エレガンスなノースリーブのワンピース姿で登壇したアン ミカさん。開口一番「苦労があったからこそ、今がある」と力を込め、「東京に魂を売ったと言われるから週1回は大阪に帰っています!」と大阪でのトークショーにノリノリの様子。
 
 
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本作でもモリーとケビン・コスナー演じる父親との関係が、モリーの人生に大きな影響を与えているが、自身の父親との関係を振り返ったアン ミカさんは、「モデルになることを父親には反対されたので、一流モデルにならないと家には帰れない。逆にそこで(父に)認めてもらえれば家に帰れると思い、頑張りました。父からはモデルをやる以外にも資格を取り、新聞を読むようにと言われ、皆さんの役に立てるような資格を20ほど取りました。すると、オーディションでもありきたりの答えではなく、知性と輝きのある返事をすることができるのです」と父の言葉で奮起したエピソードを披露した。また、本業のモデル以外にも多方面で活躍している理由を聞かれると、「1つの事だけでなく色々なことを楽しむのが成功の秘訣。子どもの頃から安定した生活をしたことがなかったので(笑)、チャンスが複数あるとすれば、ワクワクする方を選びます。商品プロデュースも売りたいという我欲ではなく、誰かのお役に立てることを考えると自然と売れました。貧乏時代から様々な経験をしてきましたが、無駄なものは何もありません」とアンミカ流幸せを掴む生き方を紹介。
 
 
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さらに、ファッションリーダーでもあるアン ミカさんは、ジェシカ・チャスティン演じるモリーのファッションに注目し、「最初は安物の服を着ていたけれど、ある時服装をけなされ、モリーは成功するために服装が大事だと思い知ります。『同じ服を2度と着ないの』という台詞がありますが、実際90着もの衣装が用意されていたそう。自信のある女性は露出が増えますが、露出の多い服は着こなすのも大変。でもモリーが服に着られない女性になるのが分かります。モリーは所作が知的でセクシー、そして男に媚びていないのがいいですね」とその着こなしぶりから滲むモリーの成長ぶりを絶賛した。
 

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アーロン・ソーキン監督は義兄にあたるというアン ミカさん。「脚本家として優れているのはもちろんですが、今回は初監督ということで、監督としての彼の目線も入っています。ちょっとしたところに深いヒントがあり、とても展開が早いので、一瞬たりとも見逃せません」と前置きし、「人生は毎日が新しい選択の連続。この作品もまだ今39歳の女性の選択と生き方の物語です。他人の目からの幸せではなく、自分が何を幸せと感じるかを思いながら観てほしい」と観客へメッセージを送った。盛りだくさんの台詞と目まぐるしい展開が魅力の作品だが、アン ミカさんが語った注目ポイントを頭に入れると、作品の魅力が増すはずだ。ぜひ楽しんでほしい。
(江口由美)
 
 
 

<作品情報>

『モリーズ・ゲーム』
(2017年 アメリカ 2時間20分)
監督・脚本:アーロン・ソーキン 
出演:ジェシカ・チャステイン、イドリス・エルバ、ケヴィン・コスナー、マイケル・セラ 
原題:Molly’s Game/配給:キノフィルムズ/木下グループ 
facebook: @MollysGameJP 
原作:「モリーズ・ゲーム」ハーパーコリンズ・ジャパンより刊行予定
© 2017 MG’s Game, Inc.  ALL RIGHTS RESERVED
2018年5月11日(金)よりTOHOシネマズ梅田他全国ロードショー