レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

2023年4月アーカイブ

 

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~ちょっぴりノスタルジアに浸って―シチリアからマルタへ~

 

★『グラン・ブルー』のロケ地、タオルミーナ 


シチリアの東海岸にあるタオルミーナは世界的に知られる保養地+名勝地です。ここから、「シチリア富士」とも呼ばれるヨーロッパ最大の活火山エトナ山(3357メートル)の眺めは素晴らしかった! 映画でタオルミーナと言えば、リュック・ベッソン監督の『グラン・ブルー』(1988年)ですね。
 

シチリア映画紀行-(15)タオルミーナからのエトナ山.jpg

     (⑮エトナ山の遠望)


シチリア映画紀行-(16)『グラン・ブルー』の2人.jpgフリーダイビング(素潜り)に挑むフランス人ダイバー、ジャック・マイヨール(ジャン=マルク・バール)と強敵のイタリア人、エンゾ・モリナーリ(ジャン・レノ)、そしてジャックに恋した女性ジョアンナ(ロザンナ・アークエット)。彼らの心模様を描いた海洋ロマンでした。当時、40歳のジャン・レノがカッコよかった!

      (⑯『グラン・ブルー』の2人)


シチリア映画紀行-(17)「イゾラ・ベッラ」.jpg

(⑰「イゾラ・ベッラ」の情景)
 

シチリア映画紀行-(19)台湾式マッサージ.jpg

競技会の開催地がタオルミーナ。ここで3人が出会い、運命の物語が始まります。美しい入り江に浮かぶ小島「イゾラ・ベッラ」(美しい島)が映画の中で彩りを添えていましたね。そのシーンを思い浮かべながら、目の前の情景を眺めていると、自称、「台湾式マッサージ」の施術師というおばちゃん連中が「肩、揉みまっせ」、「30分で生き返りまっせ」としつこく言い寄ってきました。その瞬間、『グラン・ブルー』の世界が吹き飛びましたがな(笑)

        (⑱台湾式マッサージの施術師-右)


 


 

★『マレーナ』のロケ地、シラクーサ 


シチリア映画紀行-(18)『マレーナ』.jpg『ニュー・シネマ・パラダイス』で一躍、脚光を浴びたトルナトーレ監督が、その後、円熟味ある演出を見せたのが『マレーナ』(2000年)でした。12歳の少年が、美貌を誇る若妻のマレーナに恋情を抱く異色青春グラフィティー。モニカ・ベルッチが本当に艶っぽかった!


その彼女が純白のワンピース姿で少し俯き加減で歩いていたのが、シラクーサのオルティージャ島(旧市街)にある細長いドゥオーモ広場でした。開放感のあるバロック様式の広場が、マレーナのためだけにあるように思えてきました。彼女が歩いたであろうところをなぞって歩いてみたら、カメラの設置場所が何となくわかりました。   

         (⑲『マレーナ』)

シチリア映画紀行-(20)ドゥオーモ広場.jpg

    (⑳ドゥオーモ広場)


シラクーサは古代ギリシアの植民都市で、当時の遺跡があちこちに点在しており、海に突き出た半島のように見えるオルティージャ島は世界遺産に登録されています。前述した『グラン・ブルー』のエンゾはここで生まれているんですね。偶然、名前を記したモニュメントを発見でき、吃驚しました。

シチリア映画紀行-(21)オルティージャ島.jpg

シチリア映画紀行-(22)エンゾのモニュメント.jpgのサムネイル画像

 

 

 

 

 

    

 


(㉑オルティージャ島ー左)           (㉒エンゾのモニュメントー右)


 

★映画都市だったカターニア 


パレルモに次ぎシチリア第二の都市カターニアのバールで、ピザとビールでランチを取っていたら、若いバーマンから全く予期しなかった有益な情報を得ました。「中央駅の近くに映画博物館がありますよ」。えっ~! 


早々にランチを済ませ、その映画博物館へ駆けつけると、えらい立派な施設でした。ぼくは全く知らなかったのですが、カターニアは第1次世界大戦(1914~18年)の最中、世界に冠たる映画都市だったんですね。イタリアの映画産業は、北部のトリノで興り、続いてローマが後を追いましたが、そこにシチリアの地方都市カターニアも入っていたとは……。

シチリア映画紀行-(23)映画博物館の外観.jpg

     (㉓映画博物館の外観)


シチリア映画紀行-(24)エトナ・フィルム.jpg1913年に「エトナ・フィルム(ETNA FILM)」というヨーロッパ最大の映画会社が設立され、その後、当地で3社が相次いで誕生しました。戦争の影響、不況、俳優の不足、税金問題などでエトナ・フィルムが閉鎖された1916年まで、わずか3年間とはいえ、イタリア映画産業をけん引していたのです。

          (㉔エトナ・フィルムー右)


もちろん無声のモノクロ映画ですが、映画史上名だたるイタリア史劇の映画化作品や喜劇、メロドラマ、宗教劇、ドキュメンタリーなどあらゆるジャンルの映画が製作されていました。

シチリア映画紀行-(25)往年の俳優たち.jpg

     (㉕往年の俳優たち)


てっきり過去の栄光だけを紹介する博物館と思いきや、そうではなかったです。映画の黎明期から今日までの歩みを分かりやすく解説し、昔の映写機の陳列、さらに映画館やリビングルーム、酒場、駐車場などいろんなコーナーで、イタリア映画のみならず世界の名作のダイジェストを見せてくれるのです。
 

シチリア映画紀行-(27)古い映写機の陳列.jpg

    (㉖映写機の陳列)

シチリア映画紀行-(26)フィルムが散乱する駐車場コーナー.jpg

  (㉗駐車場)


映画館のコーナーでは、『月世界旅行』『駅馬車』『カサブランカ』『お熱いのがお好き』『ゴッドファーザー』『ブレイブハート』など懐かしの映画が次々と映し出されていました。ぼくは食い入るように見入ってしまい、感動しまくり! イタリア版の映画ポスターも非常に興味深かったです。

㉘映画館コーナーで、マリリン・モンローを見れました!.jpg

(㉘「映画館コーナーでは、マリリン・モンローを見れました!」)
 

シチリア映画紀行-(29)イタリア版の映画ポスター.jpg

シチリア映画紀行-(30)『風と共に去りぬ』のポスター.jpg

    

 

 

 

 

 


    

(㉙イタリア版ポスター-左)        (㉚『風と共に去りぬ』のポスターー右)


はるか昔の映画文化遺産をこんな形で今に残しているとは恐れ入りました。この映画博物館を訪れることができたのは大収穫。とにかく、バールのお兄さんには感謝、感謝。ホンマにラッキーでした!
 


 

★ちょっと蛇足で、マルタを……。 

シチリアのあと、「地中海の真珠」の異名を取るマルタへフェリーで渡りました。マルタは、1964年にイギリスから独立した共和国です。そこは『ポパイ』(1980)、『ピノッキオ』(2002)、『モンテ・クリストー巌窟王』(同)、『トロイ』(2004)、『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)などが撮影され、映画業界では「ミニ・ハリウッド」と呼ばれているそうです。
 

シチリア映画紀行-(31)ヴァレッタの光景.jpg

    (㉛ヴァレッタの光景)


そのマルタに映画撮影所があります。名称は「マルタ・フィルム・スタジオ」。首都ヴァレッタの対岸にある、海に突き出たリカゾーリ砦です。17世紀に建造された堅固な岩の砦で、19世紀以降、イギリス軍の軍事拠点となり、戦後も軍事施設になっていましたが、2000年に古代ローマを題材にした『グラディエーター』の製作を機に、映画撮影所に変身。巨大なコロッセウムのセットが評判を呼びました。NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』(2009~11年)も一部、このスタジオで撮影されました。
 

シチリア映画紀行-(32)リカゾーリ砦.jpg

    (㉜リカゾーリ砦)

シチリア映画紀行-(33)撮影所の標識.jpg

    (㉝撮影所の表示)


見学させてもらおうと訪れましたが、残念ながら、関係者以外は立ち入り禁止で、ガックリ。守衛のお兄さんは「いつか見学できるようにするみたいですよ」と言うてはりましたが、はて、どうなんでしょうかね。
 

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    (㉞撮影所の入り口)
 


 

《武部好伸のイタリア・シチリア映画紀行-PART.Ⅰ》はこちら

 

武部 好伸(作家・エッセイスト)

(写真⑮~㉞は武部好伸氏撮影)

 

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~ ちょっぴりノスタルジアに浸って―シチリア編 ~

 

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映画愛と郷愁がびっしり詰まった、ジョゼッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』は、ぼくにとってベスト3に入る作品です。初めて観たのは、日本公開直後の1989年の暮れ、大阪・梅田の映画館でした。当時、35歳。古巣新聞社科学部記者として脳死移植の取材に明け暮れ、それこそ心身ともに枯渇していた時でした。


仕事のせいで大好きな映画を長年、観ることができず、映画館に足を運んだのは本当に久しぶりのこと。電話が鳴り響く静かな冒頭から、キスシーンのオンパレードともいうべきエンディングまでどっぷりのめり込み、エンドロールが終わっても涙が止まらず、しばし席を立てなかったのを覚えています。人間にとっての〈心の源郷〉とは何か、それを教えてもらった気がしました。


いつか必ず、この映画の舞台になったイタリア南部シチリアの村を訪れよう――。そう思っていたら、4月11日に実現できました。ついでに他の映画のロケ地も巡ってきました。

 



★『ニュー・シネマ・パラダイス』の村へ 

映画の中では「ジャンカルド村」になっていましたね。実際はパラッツォ・アドリアーノ村です。シチリアの州都パレルモから南東48キロに位置する山あいの村で、2000人ほどが暮らしています。


パレルモからガイド付きのツアーがあるらしいですが、ぼくはとことん自力を活かした〈個人旅行主義者〉なので、公共交通機関の利用しか念頭になかったです。その村に行くバスは1日に2本だけ。日帰りするなら、パレルモを午前6時半のバスに乗り、午後3時半のバスで戻って来るという選択肢しかありません。つまり1日を全て費やすことに……。でも、シチリアの田舎でのんびりするのも、まぁ、よろしおます(笑)。


シチリア映画紀行-(1)パラッツォ・アドリアーノ村の全景.jpg

(①パラッツォ・アドリアーノ村の全景)

5人の客を乗せたバスは、快晴の下、くねくねした山道を走行し、途中、いくつかの村に立ち寄り、2時間20分後、パラッツォ・アドリアーノ村に到着しました。教会の横に停まったバスから下車したのはぼく1人だけでした。村の周りは緑豊かな山々が取り囲んでおり、見るからにのどかな風情です。


シチリア映画紀行-(4)噴水.jpg「わっ! ここや!!」。思わず声が飛び出しました。映画の中で映っていた噴水がある! 真横の教会も石畳も映画のまんまや! 思いのほか興奮し、取り乱してしまった。瞬時に、『ニュー・シネマ・パラダイス』の世界に埋没し、エンリオ・モリコーネが手がけたあの情感あふれるテーマ曲が頭の中で駆け巡りました。この広場の正式名は、「ウンベルトⅠ世広場」といいます。
 

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シチリア映画紀行-(3)広場2.jpg   

 

 

 

 

 

 

 (②広場-A)(③広場-B)(④噴水-右上)


平日の午前9時前、数人の村人が広場のベンチで談笑していました。翻訳アプリを使って、「日本から来ましてん。あの映画が大好きなので」と彼らに伝えると、「それはそれは、ようこそ。日本人は久しぶりですわ。コロナ禍前は多くの映画ファンが来ていたんですがねぇ」。


シチリア映画紀行-(5)修復工事中の役場.jpg「ニュー・シネマ・パラダイス館」というミニ博物館が役場に併設されてあると聞いていたのですが、「残念。役場が改修工事中なんですわ」。ガックリ! 以前は、トト少年に扮したこの村出身のサルヴァトーレ・カシオの親戚らがガイド役を務めていたらしいです。役場に足を向けると、「3月23日完工」となっていました。もうとっくに工事が終わっているはずやのに、何でやねん!?    

       (⑤修復工事中の役場ー右)


エスプレッソが欲しくなり、バール(飲み屋)に入ると、すでに朝っぱらからデキあがっているおっちゃん連中にいろいろ話しかけられました。イタリア語なので、もちろんちんぷんかんぷん。確か、このバールの3軒隣に映画館があったはず。そこはしかし、なにもありません。というのは、あの「ネオ・シネマ・パラディッソ座」は映画のために作られたもので、劇中、撮り潰されましたからね。
 

シチリア映画紀行-(6)村のバール.jpg

シチリア映画紀行-(7)劇中の映画館.jpg    

 

 

 

 

 

 


(⑥村のバールー左)   (⑦劇中の映画館-右)


村唯一のレストランでランチを取り、翻訳アプリを介して女将さんにいろいろ訊くと、即座に回答してくれました。

「撮影の間、村は毎日、お祭り騒ぎでした。あゝ、懐かしい」

「あの映画館、残してほしかったなぁ」

「サルヴァトーレ・カシオは一時期、この村で飲食業をやっていたけど、数年前、〇〇〇〇(判別不可能)に移りましたわ。村で一番の有名人やね。今では43歳かな」

お礼に浮世絵の絵葉書をプレゼントしたら、特製デザートを出してくれはりました。おおきに!
 

シチリア映画紀行-(8)レストランの女将さんと.jpg

シチリア映画紀行-(9)特製デザート.jpg      

 

 

 

 

 


 

(⑧レストランの女将とツーショットー左)      (⑨特製デザートー右)



★『ニュー・シネマ・パラダイス』の野外上映会のロケ地へ 


映画では、トトの家から海が見えていました。村は内陸地なのに……? 実はいろんな所で撮影されていたんですね。一番、印象的なシーンは、青年になった映写技師のトトが真夏に開催した野外上映会でした。海に小舟を浮かべて観ている人もいましたね。途中、雷雨に見舞われ、その時、離れ離れになっていた恋人のエレナ(アニェーゼ・ナーノ)がいきなり現れるという感動的な場面。

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      (⑩劇中の野外上映会のシーン)

そのロケ地になったのが、パレルモから東へ約80キロ、風光明媚な海辺の保養地チェルファーという町です。現場に行くと、野外上映会のシーンが脳裏によぎりました。堤防沿いの少し開けたところ。映画では大きなスクリーンを設置していたんですね。せめて、ロケ地の説明板くらい設置してもらいたかったです。多くの観光客がいましたが、『ニュー・シネマ・パラダイス』を目的に来ているのはぼくだけだったみたい。

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      (⑪そのロケ現場)

恩師ともいえる元映写技師アルフレード(フィリップ・ノワレ)から「村を出て行け。戻って来るな」と言われた青年トトが列車に乗り込んだ駅が、近くにあるラスカリ駅。しかし数年前に取り壊されたそうです。
 



★『ゴッドファーザー PARTⅢ』のマッシモ劇場 


シチリア映画紀行-(12)『ゴッドファーザー』のエプロン.jpgシチリアと言えば、マフィアを連想しますね。それは、巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督が渾身の力を込めて作り上げた三部作『ゴッドファーザー』(1972~90年)の影響でしょうね。土産物店にはマーロン・ブランド扮するヴィトー・コルレオーネをあしらったエプロンが売られており、今なお、シチリアはこの映画を引きずっています。

(⑫『ゴッドファーザー』のエプロンー右)

 

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(⑬コルレオーネ村の表示-左)


ファミリーのコルレオーネ家の出身地が、シチリアにあるコルレオーネ村。パラッツォ・アドリアーノ村の近くにありましたが、複数のコルレオーネ村があるとか。三部作とも主舞台はニューヨークとはいえ、シチリア各地でもロケ撮影が行われました。


中でも一番インパクトが強かったのが、『ゴッドファーザーPARTⅢ』(1990年)のクライマックスシーンが撮られたパレルモのマッシモ劇場。1897年にオープンした、世界で3番目の規模を誇る歌劇場です。外観の威圧感がすごい!

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     (⑭マッシモ劇場)

この劇場でオペラ歌手としてデビューした主人公マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)の息子の晴れ舞台を、ファミリーがそろってロイヤル・ボックスから観劇し、終演後、彼らが劇場の階段を下りていくその時、マイケルを狙った銃弾が愛娘に当たるという悲劇的なシーンでした。劇場の前で佇むと、ニーノ・ロータの哀愁を帯びたメロディーに体が包まれました。
 


 

《武部好伸のイタリア・シチリア映画紀行-PART.Ⅱ》につづく

 ~シチリアからマルタへも行っちゃいました!~ 


武部 好伸(作家・エッセイスト)

(写真:Album/アフロ)

(写真①~⑭は武部好伸氏撮影)

 

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右より、足立紳監督、永瀬正敏、佐藤現(プロデューサー/MC)

『百円の恋』『アンダードッグ』(脚本)、『喜劇愛妻物語』(脚本·監督)や、2023年度後期のNHK連続テレビ小説「ブギウギ」(脚本)など、脚本家として、小説家として、そして映画監督として、人間のみっともない部分を愛情込めて描き続ける足立紳が、20年がかりで念願の企画を実現させた映画 『雑魚どもよ、大志を抱け!』 が、ただ今絶賛公開中です!

zakodomoyo-550.jpg関西ジャニーズJr.内のグループ「Boys be」で活躍する池川侑希弥を映画初主演に迎えた本作の主人公は7人の小学生男子たち。地方の町を舞台に、グループのナンバー2的なポジションだが、実は小心で臆病者な高崎瞬。ケンカが強くて人情に厚いリーダー格の村瀬隆造。気弱な性格の愛称・トカゲこと、戸梶元太。母親と姉の3人暮らしで東大進学を目指す星正太郎。大の映画好きで、スピルバーグに憧れて映画監督を夢見る西野聡。隆造を一方的にライバル視しているイジメっ子の玉島明。転校生で、日和見主義な小林幸介など、それぞれが昭和末期の“今”を過ごす個性豊かな7人の成長物語は、観る者の心に懐かしさと温かさの余韻をもたらします。


4月19日(水)に大ヒットを記念し、出演者の永瀬正敏さんと足立紳監督によるトークイベントが行われました。主人公の親友でリーダー格の村瀬隆造(田代輝)の父親役で、強面ヤクザの真樹夫役を演じた永瀬正敏さんが、本作のイベントでは初登壇となりました。故・相米慎二監督を恩師と仰ぐ足立紳監督が、同じく相米監督の『ションベン・ライダー』(83年)でデビューを果たした永瀬正敏さんへ出演の熱烈オファーし実現。本作の撮影秘話にとどまらず、『ションベン・ライダー』の撮影当初の思い出、相米監督への想いなども語っていただきました。


【日時】 4月19日(水)19:20の回上映後
【場所】 新宿武蔵野館(新宿区新宿3丁目27−10 武蔵野ビル 3階)
【登壇者】 永瀬正敏(56歳/村瀬真樹夫役) 、足立紳監督(50歳) 
      MC:佐藤現(プロデューサー)



zakodomoyo-4.18足立紳 監督-240.jpgまず、永瀬をキャスティングした理由について聞かれた足立監督は「映画学校を卒業した後、相米慎二監督に丁稚のようにくっついていたのですが、唯一、相米監督に褒められたのが、この映画の元になった脚本でした。二十数年が経ち映画化が決まった際、主人公たちの子供たちの前に立ちはだかる、大きな存在としての大人を、永瀬さんにお願いしたかったんです。永瀬さんのデビュー作『ションべン・ライダー』は子供たちがヤクザの大人に立ち向かう話。今度は、その大人の役を永瀬さんに演じてほしかったんです」と回答。オファーを受けた永瀬は「嬉しかったですね。脚本も一気に読みました。ニマニマしたり、時に自分に置き換えたり、そして最後はグッと来て、これはすごい脚本だと思いました!」と出演を快諾したことを明かした。


本作に登場する主人公の子供たちは、幼少時代の足立監督の周りに実在した子供たちがモデルなのだが、実は、永瀬が演じた強面ヤクザの真樹夫にも、モデルが存在したとのこと。「僕が子供の頃にいた家の隣に、顔に火傷のある本当に怖いヤクザが住んでいました。ある日、母親とヤクザが言い争いになった時は、母親に頼むからやめてくれ!とお願いしましたが、なぜかその後、仲良くなり、キャッチボールをする仲に…。子供の時って、こういう大人が必ずいて、そんな怖い大人の代表が、真樹夫なんです」と、永瀬が演じたキャラクターの誕生秘話を明らかにした。


改めて、『ションベン・ライダー』でデビューして40周年となる永瀬にとって本作の現場はどのように写ったのか。「『ションベン・ライダー』から40年というタイミングで、(相米監督と縁がある)足立監督の現場にいることができて光栄でした。相米慎二監督といえば、雨や水によって感情を表現する監督。『雑魚どもよ、大志を抱け!』でも、地元の消防団の皆さんが一生懸命、慣れない【雨降らし】をやってくれました。その雨のシーンで『ションベン・ライダー』の当時のことも思い出したりして、たぶん上から相米監督は見ていたんじゃないかな…と思います。」と、撮影現場を振り返った。


zakodomoyo-4.18-永瀬正敏-240.jpgさらに話題は、相米監督と足立監督の共通点へと発展。永瀬は「(両監督は)目線の角度というか、子供たちの目線・角度にいるところが似ているのかもしれません。子供ならどう考えるのか、どう動けばいいんだろう、ということを、子供目線で一緒に考えているところが、すごく素敵だな!」と話し、足立監督も「(普段)そこまで相米監督を意識はしていないのですが、走りまわっている子供たちを一番イキイキ撮れるのって、長廻しなんですよね。『ションべン・ライダー』のオープニングの長廻しは、本当にワクワクします!」と応え、本作のオープニングが、『ションベン・ライダー』のオープニングの長廻しにインスパイアされていることが判明。


改めて完成した本作を見た感想を聞かれた永瀬は「最高でしたね。ラストシーンを見て、こんな父親でごめん!と思い、そしてグッと来るものがありました!自分も小学生のころ、秘密基地を作ったり、いたずらしたり、そういった郷愁も含めて、この映画には、時代は変わっても、今の子供たちにも分かってもらえるところがある。『ションベン・ライダー』は当時【ガキ映画】と呼ばれていましたが、この映画こそ【ガキ映画の真骨頂】だと思います。参加できて最高でした!」と、改めて本作への熱い想いを語る。


そして、ふたりのトークは、(共演した)子供たちの俳優についての話題に。永瀬は「自分がデビューした時に比べ、今の子供たちは、100倍も1000倍も演技が上手。僕もデビューして何年か経って、藤竜也さんや伊武雅刀さんと再び共演できた時、すごく嬉しかった!そして、今後は自分が子供たちにとって、そういう存在でありたい。そして、いつか足立組で、彼らと一緒にやりたい、と思っています」と語ると、足立監督は(永瀬が演じた真樹夫の息子・隆造を演じた)田代輝について「田代くんは撮影が終わり開放された時、本当にホッとしていた、相当なプレッシャーだったんだなと感じました。彼はオーディションで憧れの俳優を聞いた時、“ある若手俳優さん”を上げていたのですが、撮影後は「永瀬さんのようになりたい!」と言っていましたよ!」と発表、場内の笑いを誘った。

最後は、満席の観客の皆さんからの盛大な拍手により、イベントは終了した。


『雑魚どもよ、大志を抱け!』 

【物語】 地方の町に暮らす平凡な小学生・瞬(池川侑希弥)。心配のタネは乳がんを患っている母の病状……ではなく、中学受験のためにムリヤリ学習塾に入れられそうなこと。望んでいるのは、仲間たちととにかく楽しく遊んでいたいだけなのに。瞬の親友たちは、犯罪歴のある父(永瀬正敏)を持つ隆造(田代輝)や、いじめを受けながらも映画監督になる夢を持つ西野(岩田奏)など、様々なバックボーンを抱えて苦悩しつつも懸命に明日を夢見る少年たち。それぞれの家庭環境や大人の都合、学校でのいじめや不良中学生からの呼び出しなど、抱えきれない問題が山積みだ。ある日、瞬は、いじめを見て見ぬ振りしてしまう。卑怯で弱虫な正体がバレて友人たちとの関係はぎくしゃくし、母親の乳がんも再発、まるで罰が当たったかのような苦しい日々が始まる。大切な仲間と己の誇りを獲得するために、瞬は初めて死に物狂いになるのだった。

公式サイト https://zakodomoyo-movie.jp/

新宿武蔵野館ほか大ヒット上映中!全国順次公開!


(オフィシャル・レポートより)