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~二人が語り尽すラトビアロケの舞台裏と、オリジナリティーに満ちた作品の魅力~

 
神戸と北欧ラトビアの首都、リガの2都市を舞台に、桃井かおりとイッセー尾形がアレクサンドル・ソクーロフ作品『太陽』(05)以来久々の共演を果たす『ふたりの旅路』が、6月24日(土)からユーロスペース、丸の内TOEI他、7月15日(土)から神戸国際松竹、第七藝術劇場他で順次公開される。
 
監督はラトビア出身のマーリス・マルティンソーンス監督。大阪アジアン映画祭2011のコンペティション部門作品として紹介された『雨夜 香港コンフィデンシャル』で初タッグを組んだ桃井かおりが、『OKI-In the middle of the ocean』に続き3作目となる本作で、イッセー尾形に出演を打診。結婚直前の娘を事故で、ほどなく震災で夫を亡くし、一人神戸の街で生きてきた主人公クミコの夫役として羽織袴で登場する。おとぎの国のように美しい街並みの中、着物ショーに出演するためにラトビア・リガを訪れたクミコに訪れる夢のような出来事に思わず惹きこまれる人生讃歌。異国の地で止まっていた時が動き出すかのように、自らの体験を語るクミコや、夫との思わぬ”夫婦喧嘩“など、桃井かおりとイッセー尾形だからこその名シーンの数々も見逃せない。
 
神戸でのプレミア上映前に神戸市役所で行われた記者会見では、ラトビアでのプレミア上映を終えて戻ったばかりという主演の桃井かおりさん、イッセー尾形さんが、劇中の黒留袖と羽織袴姿で登場。映画の中の夫婦さながらの和気藹々とした雰囲気の中、次から次へと撮影での思い出が沸き上がってくる、温かい時間となった。マーリス・マルティンソーンス監督と3作目になる本作で、初めて日本との合作が実現。名優たちも参加し、意気込み十分のお二人が熱い思いを語った記者会見の模様をご紹介したい。
 

■ラトビア・リガの街を挙げての撮影に感慨。震災の被害に遭った主人公の心がどうやって立ち直るのか、失くしてしまった愛しい人の思い出は進化しないのかを伝える上質な映画になった。(桃井)

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―――まずは、一言ずつご挨拶をお願いします。
桃井:マーリス・マルティンソーンス監督とは本作で3作目ですが、やるたびによく分からない台本で、よく分からないまま終わります。でも、出来上がると「こういう映画は言葉で打合せをしても何も分からないのは当たり前。やってみないと分からない作品を作る監督だな」と納得し、今回は特にその思いが強かったです。日本の俳優で出演するのが私ばかりではつまらないし、そろそろもっといい俳優を(ラトビアに)紹介しなければと思い、イッセー尾形さんに出ていただこうと無理やり引きずりこみました。
 
ラトビア・リガという街をフルに活用させていただき、ストーンブリッジという一番大きな橋も撮影のため閉鎖しましたし、夜中市庁前を貸し切ったり、旧市街は自由に使えました。私が出演したハリウッド映画よりも大規模で、国中が動いているような素晴らしい撮影をさせていただけました。私も昨日初めて出来上がった作品を観て、非常に面白かったです。イッセーさんとも同じぐらいのレベル感でいい映画だねと話をしたところです。記者会見の時にちょっと気に入っていない映画だと本当に辛いのですが、良かったよねと。
 
本当に品の良い上質な映画ですし、笑えますし、私は神戸の震災に遭った女性を演じているので、そのあたりの心境もきちんと伝えたいという気持ちもありました。福島や津波の被害に遭われた方もそうですが、ちゃんと生活は立ち直っても、心はどうやって立ち直るのかという問題。失くしてしまった愛しい人の思い出も失くしてしまわなければいけないのか。思い出は進化しないのか。お化けと一緒に思い出を作る話でもありますから、本当にオススメできる映画になりました。
 

■かおりさんと二人さえいれば、どこでも世界を繰り広げられるという確信があった。(尾形)

尾形:桃井かおりさんとは、30代の頃から舞台で共演しており、日本、ドイツ、イギリスでもやりましたし、映画もロシア・ペテルブルグで『太陽』を撮りましたし、言うなれば、「二人さえいれば、どこでも世界を繰り広げられる」という確信がありました。台湾で『沈黙』を撮影していた時に、かおりさんから「映画をやらないか」と連絡が来て、すごいタイミングだな、縁だな、戦友だなと色々なことを思いました。そのときストーリーはまだ聞いていませんでしたが、何であれ大丈夫だろうと。リガは夢のような、ファンタスティックな街で、羽織袴(イッセー尾形さん演じるクミコの夫の衣装)を着て歩くだけで本当に気分がいいんですよ。「お前は誰?誰でもない!」みたいな感じで、あんな自由を味わったのは生まれて初めてです。
 
台本はあるけれど、それを横に置いて好きにやってもいいと言ってくださる太っ腹な監督で、本当に好きにやったんですよ。それがほぼノーカットで映っていたので、監督の太っ腹さと、根性にビックリしました。その部分がこの映画の柱になっていましたね、自画自賛ですが(笑)。この映画は本当にオリジナルな世界が出来ており、「このような映画です」と例えられるものではない。震災の話や、その思い出という話も出てきますが、僕とかおりさんが出てくると、一つのカップルの日常が作れる。「日常に勝るドラマチックなものはないな」というのが一番の感想ですね。

 

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■イッセーさんは演じながら戯曲が出来ていく天才的な俳優。現場の力を信じている。(桃井)

意味ではなく、イメージ、感覚、五感が大事な映画。かおりさんは、この映画で人生の選択の可能性のドアを全て少しずつ開けていく。(尾形)

―――何度も共演されている桃井かおりさんとイッセー尾形さんですが、お互いにここが素晴らしい、もしくは個性的と感じる点は?
桃井:イッセーさんは、自作のお芝居(二人芝居など)をされるとき、最初は台本がなくやりながら戯曲が出来ていくのですが、それがとても哲学的かつ即興的で、ちょっと天才的なところがあります。そういう俳優さんは日本でも海外でもいらっしゃらない。そのセンスの高さと、現場の力を信じているところや、監督がなんと言おうと、出ないものは出ないと言える。俳優が作っていく力をイッセーさんと一緒にいると味わえるのです。だから海外の作品に出演しても大丈夫なのは、私が一番良く知っています。
 
この作品の現場でも、ただ道を歩くシーンで、台詞は一応作ってあるけれど尺が足りないんですよ。ある時「(台詞を)言っても、言わなくてもいいんだよ」と言われて、私も思わず「言わなくてもいいんですか?」と聞き返すと、「言いたくなったら言えばいいんじゃない?」と。夜のシーンでしたから、影や寒さを全部感じている中、ただ歩いていてもいいかなと思う。そういう判断も入れながら撮っていきました。監督から「ここでしゃべっていてください」と言われたら、即興でしゃべっていきますし。クミコがリガのお料理番組で出演するシーンで、私は一生懸命おにぎりのエピソードを長々としゃべっているのですが、監督は私が何をしゃべっているか分からなかったんですよ(笑)。
 

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尾形:意味ではなく、イメージであったり、感覚であったり、五感であったり、それが大事な映画なのです。言葉が分からないから監督抜きで、二人で作っていったのではなく、監督がいないと出来ない。というのも、僕たちは監督に観てもらいたくて芝居をしていたり、カメラマンにこの即興を投げかけて、彼らがそれを意味ではなく別のセンサーで感じとり、もう1テイク撮ったり、別の動きをしてみたり、様々なアイデアが出てくる。そうやってキャッチボールをしながら作っていくのです。
 
リガはとても不思議な街で、おとぎ話に出てくるようなお城があり、昼間はカッと照るのですが、闇とのコントラストがくっきりしており、夜になると真っ暗な中に店の照明が幻想的に浮かび上がる。「ここをこうしてやろうか」という演技上の邪な考えが消え、浄化されていく中でかおりさんと出会う訳です。かおりさんもそうですが、僕も自分で思ってもみないようなものが出ていました。
 
桃井さんの素敵なところについて一つ例え話をすると、生きている時は色々な選択肢があり、一つ一つ選択しながら皆人生を過ごしていく訳ですが、かおりさんはこの映画で可能性のドアを全部少しずつ開けていくんですよ。ちょっとずつ顔を覗かせて、その表情が万華鏡のように変化するところが素敵だなと思いました。

 

■ラトビアの人の強さにハッとさせられ、神戸と二つの都市で撮る映画は、いい大人のおとぎ話を作れる気がした。(桃井)

―――震災を経験した女性を演じるにあたり、どのような役作りをしたのですか?
桃井:以前の映画もそうですが、ずっと気になっていたことでした。例えば「4年経って、やっと涙が出た」とか、現実的な時間を止めて、元気になるためならどんなことでもしようと、やっと元気になったのだけど、どうしても喪失感が消えない。時間は止まっているけれど、生活は続いていくことを感じながら演じていこうと思いました。ところが、撮影を始めると時間は止まっているだけど、場所は移動して、距離はどこにでも飛んでいける女性になっていたのです。そうすると、嘘でも本当でも(亡くなった夫が)いてくれればいいとか、イメージさえあればいいとか、色々なことを撮りながら体験していきました。
 
ラトビアという国は独立してから20年強。神戸の震災と同じぐらいの時間しか経っていません。独立するまで色々な国に占領されてきた小国ですが、最後にはバルト三国は国境で、パン屋からおじいさん、子どもまでが手をつなぎ、戦車が迫ってきても、手をつなぎ続けたのです。結局戦車もひき殺すことが辛くなって引き揚げ、独立を勝ち取ったという無抵抗の勝利を収めた人々がいる国です。不条理な歴史を抱えており、ドイツに侵攻されればドイツ語を話せるようにし、ロシア語も話せるようになっています。マーリス監督と最初に香港で仕事をしたとき、中国語が全然分からないのに、全く困っていなかった。辛抱強い面も含めて、何だろうこの強さはと感じました。ちょうど、日本が地震など自然と闘わなければならなかった時に、ラトビア人の強さを見ていると何か生き延びることができるのではないかと強く思わされたので、ラトビアと神戸の二つの都市で撮る映画は、いい大人のおとぎ話を作れる気がしました。

 

■ケイコの場合はそういう風に立ち直る予感があると、個人的に優しく手を差し伸べた映画(尾形)

思い出にも未来がある感じがいいなと思う(桃井)

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―――震災の事に触れている作品ですが、神戸の皆さんに伝えたいことは?
尾形:僕が映画を観た時最初に感じたことですが、カオリはラトビアに異邦人として行くけれど、もう一人の異邦人を自分の中に抱えていることに気が付くのです。その異邦人とは時を止めてしまった見知らぬ自分で、夫らしき人に出会うことにより、どういう態度に出ようかと迷う訳です。夫と声をかけ、もし違っていれば、夢が醒めてしまうのが怖いと、ずっと他人のふりをして近づいていく。その近寄り方は彼女が過ごしていた、失くしてしまった日常の延長線上で、その異邦人がもう一度日常を繰り返すのです。そのことにケイコ自身が気付き、もう一度止めた時を自分の時に戻して生き直す。神戸の皆さんにこうですよと投げかけるのではなく、ケイコの場合はそういう風にして立ち直る予感があると、個人的に優しく手を差し伸べた映画だという気がしました。
 
桃井:震災のことを利用していない映画です。実は、ヘルシンキからリガに行くときに日本のご夫婦ばかり乗っていたツアーで、お一人で乗っていらっしゃるお客さんがいらっしゃったので話を聞くと、ご主人とバルト三国ツアーにずっと一緒に行っていたのが、ご主人が亡くなってしまったそうです。お一人での参加でしたが「二人で思い出を作るんです」とおっしゃっていたのが、すごく良かった。失くしただけではなく、それでもやれることがある。思い出が育つ、思い出にも未来があるという感じがいいなと思ったのです。
 
―――引退を決意されたとの噂もありますが、今後の活動について教えてください。
桃井:もう半分リタイアしているんですよ。老後を楽しみにしようかなと思って。私の大好きな叔母さんが「夫婦っていうのは、老後がいいのよ」とおっしゃったのだけど、そう?
 
尾形:俺、今老後だもん。
 
桃井:そうでしょ、いいなぁと思って。仕事もして、老後もしてと。ずっと働くとかは…。だからテレビ局のプロデューサーにも全然媚びないですよ。要らないの、私たちは。
 
尾形:「働く」と「休む」の間の、新しい日本語が欲しいよね。「安らぐ」とか。
 
桃井:でも、非常に清純に仕事ができるいい時間なんですよ。この年頃って。
 
尾形:ご褒美だよね。
 
桃井:多分、前よりも野心がなく、清純に監督と仕事が出来ていると思います。あまりに賞とかくれないから、ちょっと辞めたくはあります(笑)。こんなに頑張っているのに。海外では賞をくれるのに、(日本では)えっくれないのという、ちょっと拗ねる気持ちはありますが。ただ、おととしは『ふたりの旅路』を入れて、一年で5本の映画に出演し、桃井かおり史上最多。そういう意味では、60歳を過ぎてからの方が活気づいていますよ。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ふたりの旅路』“Magic Kimono”(2016年 ラトビア=日本 1時間45分)
監督:マーリス・マルティンソーンス
出演:桃井かおり、イッセー尾形、アルトゥールス・スクラスティンス、マールテインシス・シルマイシュ、アリセ・ボラチェンコ、木内みどり、石倉三郎他
2017年6月24日(土)~ユーロスペース、丸の内TOEI他、7月15日(土)~神戸国際松竹、第七藝術劇場他順次公開
公式サイト⇒https://www.futarimovie.com/
(C) Krukfilms / Loaded Films
 

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美しき日本の文化を伝承する松雪泰子主演『古都』、京都プレミアイベントを開催
(16.11.16 ウェスティン都ホテル京都 葵殿)
登壇者:松雪泰子(主演)、Yuki Saito(監督)、新山詩織(エンディング曲)、小林芙蓉(書道)、松山大耕(禅)、門川大作(京都市長) 
 
文豪川端康成の代表作で、過去に岩下志麻、山口百恵を主演に2度映画化された、京都に生きる生き別れた双子の姉妹を描いた『古都』。原作誕生から50年以上経った現在の京都とパリを舞台に、主人公千重子、苗子の20年後を描く新しい『古都』が生まれた。
 
 
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監督はハリウッドで8年間映画作りを学び、京都ヒストリカ国際映画祭関連企画の京都フィルムメーカーズラボにも参加経験のあるYuki Saito。千重子、苗子を一人二役で演じる松雪泰子、千重子の娘、舞を演じる橋本愛、苗子の娘、結衣を演じる成海瑠子が、伝統を継ぐか、自分の好きな人生を歩むか葛藤する娘と若い頃の自分と重ねる母の姿を小説のように美しく、鮮やかに演じている。京都で暮しているかのようにはんなりと流れる時間を感じる一方、千重子が身に付けている着物や、物語の鍵となり過去の『古都』ともつながる北山杉の帯の美しさや、京都で受け継がれてきた様々な文化の豊かさを体感できる作品だ。
 
 
 
 
 

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作品の舞台となり、全面ロケを敢行した京都で、11月16日にプレミアイベントが行われ、プレスや関係者、一般客の前で、本作にちなんだパフォーマンスや記者会見が行われた。
冒頭に横澤和也さんによる岩笛演奏と共に、本作にも出演され、題字を担当した書道家の小林芙蓉さんによる書パフォーマンスが行われた。舞を踊った後に大筆で、気合いのこもった掛け声と共に全身を使って見事な書が描かれ、池坊専好次期家元による生け花の横に飾られた。映画の世界をそのまま体現した会場に、引き続き主演の松雪泰子さん、Yuki Saito監督、エンディング曲を担当した新山詩織さんがレッドカーペットから登場し、感激の面持ちで挨拶してから記者会見へと移った。
 
 

 

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―――日本文化が色濃く描かれている作品ですが、特にこだわった点は?
Saito監督:まず、全て本物にこだわりました。お茶道具、着物も素晴らしいですが、なぜ本物にこだわったかといえば、そこに宿っている魂、本物だからこそ今まで培ってきたものが備わっているからです。
 
松雪:私は役を通して、この京都で生きることがどういうことなのか、私なりに作品に入る前に様々な稽古を通す中で学びました。できる限り、この土地に存在して生きている女性を自分の感覚と体、表現を通してしっかり体現したいと思い、撮影に臨みました。お茶や着物の所作、着付け、お料理など、肉体を通してしっかりと京都に存在することを丁寧にやりたい。それを体現することで文化を表現したかったのです。 
 

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―――名作『古都』を改めて映画化した意味は? 
Saito監督:偉大な中村登監督や市川昆監督が映画化し、名作として既に存在している映画『古都』ですが、過去あったものやその世界をそのまま焼き増しするのではなく、現代の京都、新しい視点を加えることができれば私でも撮れると思いました。『古都』には、日本人の精神性や、目には見えない宿命が描かれています。 川端香男先生からは「映画と小説は違うから、自由にやりなさい。ただ川端文学にあるように、今の京都をしっかり描く。その精神だけは受け継いでほしい」とおっしゃっていただいたのは、有難かったです。一番気を付けたのは精神性です。登場人物たちが京都やパリで生きることで、ある種の宿命や運命を背負います。私は、運命は変えられるもの、宿命は変えられないものと思っています。その狭間にいる京都の人を描いていきました。
 
松雪:川端先生の『古都』は、本当に偉大な作品です。改めて読み返すと、本当に美しく、京都文化の奥深さが、言葉による表現でありながらも絵のように広がります。その精神はかつての古都の時代から生きて、子をはぐくみ背負う宿命、渡す立場の人間でしたので、しっかり引き継いで表現したいという思いで臨みました。 
 
撮影で建物の歴史や存在する家の空気を感じた時に、全身に歴史の重みを感じながら演じることができました。簡単に「継承」などできませんが、どう若い世代に渡していくべきか。伝統の重みは計り知れない大きなものですが、母である役柄を通して、娘になにをどう伝えるか、苦労しながら演じました。若い世代の娘たちに対し、一方的に想いを押しつけるのではなく、同じ時間軸の中で葛藤しながらお互い成長する。どういう風に表現したら一番伝わるのか、皆でセッションをしながら作品を作り、一生忘れられない体験となりました。
 
―――中島みゆきさんの名曲『糸』をカバーした気持ちは? 
新山:学生時代からふとした時に耳にした曲で、年代を問わずにたくさんの人に響く曲です。 今回この映画の中でエンディング曲として歌わせていただきましたが、映画は京都の美しい景色に優しく寄り添えるように歌いました。名曲なので緊張感はありましたが、それも含めて、新山詩織としてこの曲を歌いましたし、観た方に届けばうれしいです。 
 
 
 
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―――日本の美、心を演じられるにあたって具体的にどのような部分を意識したのですか?

 

松雪:実際に伝統的な織物や建造物にふれていく中で、役を演じるにあたり歴史的背景を学び、そこに息づくエネルギーをすごく感じました。学ぶ機会があることは、日本古来の伝統的な美しさをより感じることができますし、この映画がそのきっかけになればいいなと思いながら、撮影しておりました。 準備にあたっては、着付けのお稽古や京言葉を1ヶ月半練習し、できる限り体現できるように準備をして臨みました。 
 
―――具体的に現場ではどのようなセッションをして、より作品を深めていかれたのですか?
Saito監督:1本の作品を撮るのに2年間準備をさせていただいたのは、すごく幸せなことでした。脚本も50稿まで書きましたし、撮影に入るまでに何度もディスカッッションできました。何度もロケハンで回り、全アングルが頭に入っているぐらいの準備をして撮影に臨みましたが、お着物姿の松雪さんが千重子として、町屋やお寺で現れた時、それらがパッと消えてしまう瞬間がありました。やはり松雪さんや橋本さんのお芝居を見せてもらい、現場で起きていることが正解ですから。町屋の撮影では、例えば「小津監督のフレームに自然と収まるようになるな」と学びながら行っていきましたし、娘と母の距離感は実際の現場でのお芝居を見ながら変えていった。そんなセッションでしたね。 
 
 
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―――川端康成の『古都』の原作が書かれたのは約50年前ですが、当時あったもので現代にはなかったものは?また、それに対してどう対処したのですか? 

 

Saito監督:精神は何かという見えないものを探っていくと、「川端先生はなぜ『古都』を書かれたのか」と考えました。50年前の当時、失っていくものを感じて「これは今、書いておかなければいけない」という思いから始まった。そうすれば、50年たち川端先生が見た景色より、失われたものはさらに多くなっています。特にオープニングシーンでは中村登監督の初代『古都』にオマージュを捧げる意味で、格子や鍾馗さん、瓦という京都のディテールから、クレジットとともに京都の街を描こうとしました。でも、絵を引けないのです。クローズアップでディテールは撮れても、引いた映像を撮ると、どうしても隣接するマンションや駐車場が映り込んでしまう。ただ、そこを排除して、昔の姿が残されている所ばかり撮っても、現代版にした意味がなくなる。ですから、引くことにより、マンションや工事中の現場もしっかり押さえることで、今の京都を描きました。2年間取材をする中でも町屋だったところが更地になったのが何軒もあり、現在進行形で起きているので今のうちに描かないと、と強く思いました。この感覚は50年前に川端先生が感じられたものに、少し近いのかもしれません。 
 
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この後、「奇跡的に発見した」という、東山魁夷の代表作『北山初雪』からイメージした北山杉柄の対の帯についても話が及んだ。「発見したとき、これは映画の軸に入れなくてはいけないと思った。夏の帯と秋の帯で、千重子と苗子がそれぞれ娘に受け継いでいくものを表現した」とSaito監督が語ると、財団法人川端康成記念会事務局長の水原氏は「それまで注目もされていなかった、あの美しい北山杉の美林を発見したのは川端さん。昭和38年に朝日新聞で連載を始めた『古都』で初めて取り上げ、有名になった。昭和30年代の半ば、京都にビルが建ち始めたときに『山が見えない京都は、京都ではない』と嘆き、激変する京都を描いて欲しいと親交が厚かった画家東山さんに頼んだ」と、物語のイメージを形作る北山杉や、東山魁夷と川端康成の秘話を語られた。
 
 

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「『古都』というタイトルが背負う意味として、京都の人が認めていないものを、世界に持っていけないというポリシーが自分の中にあります。まずは京都の人に観ていただき、まだ小さい産声ですが、その声を大きくしていくことでこの作品が成長していくと思います。京都から全国、そして最終的には日本人の精神が詰まったこの映画を世界に発信していきたいと思っています」(Saito監督)、「深く静かに、丁寧に時間が進む作品。今、映画館に足を運び、自分自身と向き合いながら観ることができる作品は少ないです。『古都』はすごく豊かな時間を過ごしていただける作品になったのではないかと思います。」(松雪)と記者会見を締めくくると、新山詩織さんがエンディング曲、『糸』を生演奏で披露。アコースティックギターを演奏しながら、奏でられる若々しくも少しハスキーな歌声が、聞きなれた名曲に新たな命を吹き込んだ。
 
 
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続いてスペシャルゲストとして登壇した書道家の小林芙蓉さんは、「川端康成の心と精神がとても出ている。美しい映像、テーマは水と祈りではないか」と作品にメッセージを寄せた。また、妙心寺退蔵院副住職の松山大耕さんは、「京都の人だったら躊躇して撮れなかったが、Saito監督は外から京都を見てくれた。京都の気持ちを伝えるのに一番難しいのは、歩き方や襖の開け方、足の運び方など日常の所作。若い世代の人が出演しているので、京都の美しい景色やお道具だけでなく、所作の美しさを少しでも味わっていただきたい」と作品の見どころを語った。
 

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最後に、門川大作京都市長が登壇。「伝えられる日本の伝統、伝えたい日本の心という言葉がぴったりの多くのことを考えさせられる映画。1000年を越えて伝わってきた精神文化、書道、華道、茶道、それらを支える伝統産業。なによりも大事なのは京都に伝わる心を京都市民が暮らしの美学、生き方の哲学として伝えていかなければなりません。この50年で日本中の伝統産業が危機的状況にあり、山林も荒れ、京町屋が毎日のように潰されていますが、我々は行動しなければなりません。何を大切にし、何を伝えていくか。それで豊かに暮らしていける循環が大事です。2年後に京都とパリの友好都市が60周年を迎えるにあたり、このような映画を作っていただき、本当にうれしい。どうぞ、多くの方にご覧いただきたい」と挨拶し、映画『古都』京都プレミアイベントを締めくくった。
映画制作のスタッフ、キャストだけでなく、京都の行政、文化人の方々が全面的に協力し、今後残していきたい精神と美を織物のように織り上げた新生『古都』。京都力、そして双子のようなフランスの古都、パリの魅力と共に、いつの世も変わらぬ母娘の絆が心に残ることだろう。
(江口由美)
 

<作品情報>
『古都』(2016年 日本 1時間57分)
監督:Yuki Saito
原作:川端康成『古都』新潮文庫刊
出演:松雪泰子、橋本愛、成海瑠子、蒼れいな、蒼あんな、葉山奨之、栗塚旭、迫田孝也/伊原剛志、奥田瑛二他
2016年11月26日(土)~京都先行公開、12月3日(土)~全国公開
公式サイト⇒http://koto-movie.jp/
(C) 川端康成記念會/古都プロジェクト
 

danchi-kai-550.jpg「阪本」と「藤山」で“SF映画”です!?『団地』爆笑記者会見

ゲスト:阪本順治監督、藤山直美(2016年5月19日(木) ホテル日航大阪にて)



『団地』
■(2016年 日本 1時間43分)
■脚本・監督:阪本順治
danchi-550.jpg■出演:藤山直美、岸部一徳、大楠道代、石橋蓮司、斎藤工 ほか
■公開情報:2016年6月4日(土)~有楽町スバル座、シネ・リーブル梅田、TOHOシネマズなんば、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 他全国ロードショー
■作品紹介⇒ こちら
■公式サイト⇒ http://danchi-movie.com/
■コピーライト: (C)2016「団地」製作委員会

ベストワンに輝いた傑作『顔』以来、16年ぶりに阪本順治監督と日本を代表する舞台女優・藤山直美がタッグを組んだ下町喜劇。直美のために阪本監督が書き下ろした絶妙の会話劇。さまざまな人間模様が織り成す団地で、平凡な夫婦が“普通じゃない”日常を描く。共演は岸部一徳、大楠道代、石橋蓮司、斎藤工ほか。
 



公開(6月4日)を前に阪本順治監督と藤山直美が大阪・市内でPR会見を行い、映画顔負けの面白話を披露した。
 

――― まずお二人からご挨拶。
danchi-kai-240-s-1.jpg阪本順治監督:表現は悪いですが、長年たまりたまったものを排泄してスッキリした気分です。16年ぶりですが、16年経ったから出来たと思う。『顔』の直後では出来なかった。『顔』は直美さんとは最初で最後のつもりだった。年月が経ってもう一度出来るようになった。

藤山直美: 『顔』の時は40歳でした。17年経ってあと3年で還暦を迎える。人生後半になり、阪本監督にまた撮って頂くことが出来た。月日の流れは大事やなあと思います。

阪本監督: 『顔』の後、(直美の)舞台見たり、楽屋に行ったり、食事に行くなど普通にお付き合いさせてもらいましたが、もう一度映画を撮ることは予定してなかった。去年、スケジュールが空いている、と聞いて急いで脚本書きました。

藤山: (映画の予定は)まったくなかった。監督はお芝居を見に来てくれたけど、声かけてもらえなかったら、ズーっと映画に出ないままだった。

――― SFを撮りたかったということだが?
阪本監督:阪本と藤山でSFですよ。SMではありません(笑)。まあ、子供のころから、空想や妄想で宇宙のこと考えたり、そこに人の死も入ってくる。実家が仏具屋で人の死と向き合うことが自分なりの宿題と思っていて、答えを出してみたかった。人は死んだらどこへ行くのか、宇宙空間に行く。人の死の疑念をどこまでシリアスにやるのか?あるいはユーモラスに描くのか? 直美さんが主演だからやれた。藤山直美の「団地」だからやれたと思う。

danchi-kai-240-f-2.jpg藤山:仕事断るのに、「日程的に無理」というのと「作品が合わん」というのがあるけど、阪本監督やから“あんなんイヤヤからよすわ”とは言えん。頭おかしいのがマックスに来たんかなとおもた(笑)。監督に任さな仕方ないなあ、と…。

――― 厳しい反応だが…?
阪本監督:いやいや、これでもすごく手加減してくれている(笑)。『顔』は直美さんに“何これ?”と言われたくて書いた。今度は直美さんを出来るだけ遠くへ連れて行きたいと思った。キテレツな部分をどこまで見せるか。どこで寸止めにするかが大事でした。撮った直後は分からない。あとは映画館のお客さんにお任せします。久々のオリジナル(脚本)でハダカになれたんで(公開を)楽しみにしています。

藤山:先ほど、ラジオにも行って来ましたけど、宣伝は苦手です。撮影が無事済んでよかった、と思ってます。あとはお客さんがジャッジしてくれるでしょう。野田阪神あたりのおばちゃんが見て、どうか、チケット買うて来てもらってどうかです。その辺は舞台と変わりませんね。

――― やはり舞台と映画は違い、苦労が多かった?
藤山:舞台は午前11時から午後8時過ぎまでやけど、映画は終わって帰って2時間ぐらい寝て“次の日”というのが普通らしいですね。今回の撮影は真夏だったので、45度ぐらいになったことがありました。

阪本監督:暑い日がありました。監督や俳優さんは日陰に入ることも出来るけど、スタッフには水分補給のタイミングがなく、『闇の子どもたち』のタイでの撮影ではスタッフが倒れたこともありました。直美さんはスタッフをとても気遣っていました。

danchi-kai-240-s-2.jpg――― 直美さんの他は“阪本組”の常連さんですが、ひとり若手の斎藤工さんはいかがでした?
阪本監督:直美さんに台本渡した時、「この“サイトウ・エ”って誰?」 と聞かれました(笑)。でも斎藤君は同年の俳優に比べて気配りも出来、ひとりの人間としてやっていける人。演技力よりも考え方が出来る人。過去の先達俳優をリスペクトしている。直美さんにも可愛がられていた。

藤山:最初は印刷ミスかと思った(笑)。詳しく注目してなかったので知らなかった。いろいろナンバーワンになった人でしょう。“あんた凄いねえ”と言いました。映画が好きなので私は感心しました。

阪本監督:藤山さんが決まった時に常連の3人(岸部、大楠、石橋)を想定して脚本書いた。『大鹿村騒動記』みたいな熱を帯びた現場。こうあってほしいという思い通りの現場になった。岸部さんは「明日、脚本届くから」と電話したら「俺明日からパリ行くわ」だし、石橋さんは「阪本が何か企んでる」と知ってて、ちゃんと来てくれた。ただ石橋さんは入る前に「最後は逃げにならないよう気をつけろよ」と言ってくれて、それが生きましたね。

danchi-kai-240-f-1.jpg藤山:岸部さんには私が19歳の時から恋愛相談とかいろいろ相談に乗ってもらってますし、大楠さんとは子供時代、7つか8つの時に大映で勝さんの『座頭市』で共演しています。「その時は安田道代さんでしたが、それ以来です」とあいさつしました。最後に、石橋蓮司さんと一緒にやりたいと希望しました。

――― 監督が最初に言った、たまったものとは何か?
阪本監督:最近は日本映画が元気だと言うが、ちょっといびつになっているように思う。私の『どついたるねん』も『顔』もインディーズで、みんな自分でお金集めて作ったり、(作るのを)断念したりしている。今、すそ野は広がっているかも知れないが、こういう状況が続くと「もうこんな業界に自分はいなくていいか」というところまで来ている。万人に愛されなくてもいいが、一石投じることが出来るとすれば、こんなおっさんが奇妙奇天烈なことやった、とアピールすることかな。この後は居酒屋で言います(笑)。

藤山:おばちゃんに“見に来いや”とはよう言いませんが、長いことやってきて、かなり世間が五体で分かってくる。この映画は大人がまじめに作ってるんで、おっちゃんおばちゃんが喜んで来てくれるか、パンフレット投げつけるか、ですね。

――― 大阪で初日を迎える感想は?
阪本監督:怖いですよ。大阪は娯楽に対して厳しいところですからね。『顔』の時は、「梅田で立ち見出てる」と聞いて見に行ったら、受付で何かもめてるんですよ。聞いたら、「立ち見やったら300円まけて!」とお客さんがクレームをつけてる。黙って帰りましたよ(笑)。

藤山:お客さんが怖いから役者は育つんですよ。舞台で初日なんかは団体の招待客がいっぱいいます。その人たちは最初は座席にもたれて座ってはる。だけど、最後には身を乗り出させる。そうしないとアカンのや、とうちの父親(藤山寛美さん)が言ってました。大阪のお客さんは一番親切です。
 


 


danchi-kai-240-s-3.jpg◆阪本順治監督
1958年、大阪府生まれ。井筒和幸、川島透ら各監督の現場にスタッフとして参加。89年、赤井英和主演『どついたるねん』で監督デビュー。日本映画監督協会新人賞、ブルーリボン賞最優秀作品賞など多数受賞。以後『王手』『ビリケン』の“新世界三部作”で名を上げる。藤山直美を主演に迎えた『顔』(00年)は日本アカデミー賞最優秀監督賞など賞を総なめした。ほかに『KT』(02年)『魂萌え』(07年)『闇の子供たち』(08年)『座頭市THELAST』(10年)『大鹿村騒動記』(11年)『北のカナリアたち』(12年)など。

 

 



danchi-kai-240-f-3.jpg◆藤山直美
1958年京都府生まれ。初舞台は64年、坂本九主演「見上げてごらん夜の星を」。以後、舞台、テレビに多数出演。00年、初主演した阪本順治監督作品『顔』でキネマ旬報主演女優賞など多数受賞。

 



(安永 五郎)

everest-kami-s-550-2.jpg困った時の阿部さん!? くっついて来る岡田君!? 『エヴェレスト  神々の山嶺(いただき)』合同記者会見

ゲスト:岡田准一、阿部 寛、平山秀幸監督
(2016年2月18日(木)あべのハルカス60F展望台にて)


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■(2016年 日本 2時間02分)
■原作:夢枕 獏「神々の山嶺」(角川文庫・集英社文庫)
■監督:平山秀幸(『愛を乞うひと』『必死剣 鳥刺し』)
■出演:岡田准一、阿部寛、尾野真千子、ピエール瀧、甲本雅裕、風間俊介、テインレィ・ロンドゥップ、佐々木蔵之介

■公開情報:2016年3月12日(土)~全国ロードショー
作品紹介は⇒ こちら
公式サイト:http://www.everest-movie.jp/

■コピーライト:(C)2016「エヴェレスト 神々の山嶺」製作委員会


  

~日本映画史上最高のスケールで圧倒する、山に魅入られた男たちの熱き闘い~ 


最も映画化困難とされてきた夢枕獏の小説「神々の山嶺」の映画がついに完成。発行当時から映画化がオファーされてきたが、エヴェレストを舞台にした壮大な物語は過酷な撮影が予想され、スタッフは勿論演じられる役者の確保が困難ということで、長らく実現されなかった。それが動いたのが『さらば、わが愛/覇王別姫』『始皇帝暗殺』などのプロデューサー、高秀蘭氏のオファーからだった。監督は『太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-』を監督した平山秀幸監督。最初原作を手にして「自分の苦手なことがいっぱい詰まっていそう」と危惧したそうだが、それよりも原作の面白さに惹かれて「これは何がなんでもやりたい!」と決断したそうだ。


everest-kami-500-4.jpgそうした平山監督の熱意に応えたのが、格闘技に精通し登山やロッククライミングを趣味とする岡田准一(深町誠カメラマン)と、ストイックな俳優として知られTVドラマの大ヒットで大忙しの阿部寛(羽生丈二)だった。さらに、羽生を慕う役の尾野真千子もエヴェレストロケに同行。標高5200mにあるベースキャンプを起点にした撮影は想像を絶する危険なものとなったそうだ。


3月12日(土)の公開を前に、世界一高い山エヴェレストにちなんで、日本一高いビル〈あべのハルカス〉60階の展望台で合同記者会見が行われた。快晴のこの日、360度の展望は遠くまで見通せる素晴らしい眺望となった。高所恐怖症だという平山秀幸監督と阿部寛に、高所恐怖症を克服したという岡田准一が登場。その精悍な姿は作品の力強さが相まって、増々熱い男たちの生き様に期待が高まった。
 


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岡田:
世界一高い山エヴェレストにちなんで、日本一高い「あべのハルカス」で記者会見するとは面白いですね(笑)。カメラマンの深町誠を演じました岡田准一です。よろしくお願いいたします。

阿部:孤高クライマーを演じました阿部寛です。撮影は1年弱前になりますが、エヴェレストの5000m以上の所で撮影できたことを幸せに思います。酷寒の地での撮影でしたが、熱い熱い映画になっていると思いますので、よろしくお願いいたします。
平山監督:高所恐怖症の私がエヴェレストの映画を撮り、今日もこのような日本一高いビルにつれて来られ、改めて高い所は苦手だなと思います。公開を前にようやく下山してきたような気持ちです。よろしくお願いいたします。

everest-kami-s-abe-240-1.jpg――― 5200mでの撮影で大変だったことは?
岡田:空気が半分というのは経験したことがなく、強風が吹くと一気に-20℃、-30℃になってしまうので、阿部さんや監督やスタッフの皆で助け合って固まってないと生きていけないような場所でした。崖を上っていくシーンでは、岩肌が手も掛けられないような所をよじ登っていくのですが、本当に命懸けの撮影でした。でも楽しかったですね、幸せな時間でした。
阿部:4500m越えたぐらいから明らかに景色が違ってきました。氷河が現れてその奥にエヴェレストが見えて来た時には距離感が分からない位でした。今まで見たことのない巨大な空間にお邪魔させて頂いているなと感じました。人間など小さな存在ですから、圧倒的な存在の自然の前では自然が機嫌を損ねないようにと、命の危険を感じながらの過酷な撮影現場でした。
平山監督:高所恐怖症だったり酷寒だったりと、僕の苦手なことがいっぱい詰まった原作でした。現地へ行ってからは岡田君も阿部さんも、どこまでが役柄なのか本人なのか分からなくなる位役に馴染んでいきました。その変化は見ていて楽しかったですよ。

――― 何か良かったことは?
岡田:阿部さんが何でも持って来てくれましたので、いつでも阿部さんを頼れば何でも揃いました。具合悪い時も、阿部さんの所へいくとお薬を頂けました。本当に助けてもらいました。
阿部:お医者さんに脅かされていたので、緊急の場合のお薬は勿論、携帯食や非常食など沢山持って行きました。でも途中重くなってきて皆に分けました。具合悪い人が出た時にはお薬がよく効いて、改めて日本製の薬品はいいなと思いました。

――― 岡田さんはこの映画のどういうところを伝えたいですか?
岡田:山岳映画の中でも日本的な映画だと思います。団体で登るのではなく単独で登る男を追い駆けて行く物語ですから、登ることが生きることに繋がると。原作にも力強い言葉が多く並んでいて、やり抜く、生き抜く人を見て震えがくるほど心が熱くなるような原作でした。その熱さをどう伝えられるのかをモチベーションに撮影しましたので、情熱を感じて頂けたらと思います。

everest-kami-s-abe-240-4.jpg――― 役作りについて?
岡田:僕の役はカメラマンで阿部さんを追っかける役なので、10日間の高度順応期間にとにかく阿部さんにくっ付いて行きました。阿部さんがどう役作りをするのかをカメラに収めながら自分も役に馴染んでいきました。それはもうショッピングに付いて行ったり、トイレに行こうとしてるのに「どこ行くんですか?」「トイレだよ!」てな具合に、阿部さんが役を背負う姿を見ながら、ぴったりくっ付いて行きました。
阿部:もう岡田君が付いて来るんでね(笑)…山でもプライベートでも付いて来て、僕はあまりカメラ好きじゃないんだけど、深町カメラマンとして役に入っているようでした。撮った写真を見せてもらったら、僕じゃなくて既に羽生丈二として撮っているんですよ。それを見た時、既に芝居は始まっているんだなと実感しました。日本にいる時から色んな準備をして、山屋さん(山岳の専門家)にいろいろ教えてもらいながら連れて行ってもらいました。撮影途中にリタイアする訳にもいきませんから、自分なりの責任感を持ってやりました。

――― 高い所はどうですか?役柄に対する感想は?
everest-kami-500-2.jpg岡田:僕は高い所は平気です。若い時には苦手だったんですが、色んなことをして克服しました。僕も山岳部を作って部長をやっていますが、「なぜ山へ登るのか?」という疑問はよく出ます。今回阿部さん演じる羽生丈二のように「山へ行かないと死んでるのと同じだ」という極端な人もいますが、僕の知っている山屋さんはとても尊敬できるステキな人ばかりです。「自然には勝てない、自然の中で遊ばせてもらいながら経験や知識を積む」という風に考えて、「山は楽しいから登る」という優しい方が多いです。5~6年前から登山を始めたのですが、危険なスポーツですのでプロの山屋さんに学ぼうと、去年山岳部を作って山登りを楽しんでいます。
阿部:僕も監督と一緒で高い所は苦手ですね。若い時には平気だったのですが、歳と共に怖くなってきました。8mの空中ブランコで怖くてパニックになり、高さに慣れるための訓練を受けたことがあります。今回は、山屋さんに安全を確保して頂きながら役に入ることができたので平気でした。


【P.S】
everest-kami-s-abe-240-5.jpg初めて〈あべのハルカス〉60階の展望デッキに上ったのですが、素敵なゲストによる合同記者会見の興奮冷めやらぬまま、東西南北遥か遠くまで見晴らせるその眺望を楽しむことができました。エヴェレストという世界一高い山からの眺望もさぞかし異次元の素晴らしさだろうなと想像しましたが、映画『エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)』の執念の登山家を思うと安易に近寄れるものではないなと反省。人は、大自然の驚異に感動するとともに、畏怖の念を忘れず謙虚な姿勢で臨まなければならない、とこの映画は教えてくれているようです。
春はもうすぐ、日本映画人の情熱が結集したアツイ映画を劇場で観て、心機一転、フレッシュな気持ちで春を迎えたいと思いました。

(河田 真喜子)

sayonaranokawarini-ki-550.jpg一瞬一瞬を大切に生きよう!『サヨナラの代わりに』ヒラリー・スワンク記者会見@TIFF2015
(2015年10月23日 六本木アカデミーヒルズにて)
 

・原題:You‘re Not You
・2014年 アメリカ 1時間42分
・監督:ジョージ・C・ウルフ
・出演:ヒラリー・スワンク『ミリオンダラー・ベイビー』『P.Sアイラヴユー』、エミー・ロッサム『オペラ座の怪人』、ジョシュ・デュアメル、ロレッタ・ディヴァイン、マーシャ・ゲイ・ハーデン
・作品紹介⇒ こちら
・公式サイト⇒ http://sayonarano-kawarini.com/
・コピーライト:©2014 Daryl Prince Productions, Ltd. All Rights Reserved.
・配給宣伝:キノフィルムズ

・公開日:2015年11月7日(土)~ 新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー!


 

★逆境にも前向きに生きる姿を圧倒的演技力で魅せるヒラリー・スワンク
 劇中歌を作詞作曲したエミー・ロッサムとの強力タッグに自信を見せる

 

困難に立ち向かう生き方が似合う女優、ヒラリー・スワンク。2度のアカデミー賞主演女優賞に輝いた演技派女優が、苦境の中でも一瞬一瞬を大切に生きる喜びにあふれた物語に感動して、自らプロデュースを買って出たが映画『サヨナラの代わりに』が11月7日から日本でも公開される。10月22日から開催された《東京国際映画祭2015》でも特別上映され、2度目の来日となったヒラリー・スワンクが記者会見に臨んだ。
 

sayonaranokawarini-550.jpg聡明な美人で誰もが羨むような人生を送っていた主人公ケイト(ヒラリー・スワンク)が、難病ALS(筋委縮性側索硬化症)発症という苦境に陥る。ヘルパーとして雇った歌手志望の学生ベック(エミー・ロッサム)との日々を通して、対照的な二人がお互い影響し合いながら、苦境の中でも自分らしく生きる喜びに目覚めていく。次第に言葉も不自由になり四肢も委縮して動けなくなる過程や、様々な感情を目で表現する難しいキャラクターを、大きな存在力と演技力で力強く生きたヒラリー・スワンクはさすがだ。


性同一性障害がまだ今ほど認知されていなかった時代、男性として生きようとした女性の悲劇を描いた『ボーイズ・ドント・クライ』(‘99)で世界を驚かせ、その5年後のクリント・イーストウッド監督と共演した『ミリオンダラー・ベイビー』(‘04)では一途な想いを貫こうと悲運に見舞われる女性ボクサーを演じて、人気実力共に演技派女優の名を不動のものにしたヒラリー・スワンク。いつも彼女の目力に惹き付けられ、彼女が歩むハードな人生に衝撃を受けてきた。彼女の素顔が知りたくて、一番会いたい女優――それがヒラリー・スワンクだった。


白の総レースのミニワンピースに黒のピンヒールをはいたヒラリー。引き締まったスリムなボディに満面の笑みを浮かべて登場。ひとつひとつの質問に丁寧に自信をもって応じていた。
 



――― 最初のご挨拶
sayonaranokawarini-ki-240-1.jpg皆様こんにちは。再び東京に戻って来られてとても嬉しく思っております。日本の美しい文化や美味しい食べ物を楽しんでおります。

――― 本作では主演だけでなくプロデューサーも務められていますが、制作のキッカケは?
とても美しい物語だと思ったからです。ALSについてはまだ原因も治療方法も解明されていません。二人のキャラクターは苦境の中で予期せぬことで友情を育むことになりますが、そこに人生の美しさや日々の瞬間を大切にしなければと思わせてくれる素晴らしいストーリーだったのがキッカケです。

――― 難病に侵されるケイトを演じてヒラリーさん自身が得たものは?
役者の素晴らしいところは、キャラクターを演じることで一人の人間として沢山の贈り物を得ることです。そのキャラクターの目を通して違う世界を見ることができ、私自身の視野がどんどん拡がっていくように感じられます。ケイトからも、人生は今の瞬間しかないのだから大切に生きなくてはならないということを学びました。また、人生で大切なのは、100%あるがままの自分であることだし、自分自身をちゃんと見てもらうことだと思うんです。ベックはケイトに贈り物をしているようですが、ケイトもまたベックに同じ贈り物を返しているんです。

――― もし、自分が限られた時間しかないとしたら、何をしたいですか?
私は本当に恵まれていると思います。いろんな役をやる度に、世界観が拡がり、世界中を旅して、自分とは違うタイプの人々と触れ合える、それが人生を豊かにしてくれています。数年前、愛する家族との時間を大切に生きていこうと誓いました。それはこの作品に出会ったからです。「一瞬一瞬を大切に生きる」これは「ポケットリスト(死ぬまでにしたいこと)」の一つであり、私は今生きているんです。

――― エミー・ロッサムを選んだ理由と共演した感想は?
sayonarakawarini-500-2.jpgエミーは素晴らしい才能を持った女優さんです。今回はオーディションだったのですが、私はオーディションの時違う作品の撮影のため立ち会えませんでした。後でエミーのテープを見た時に、彼女しかいない!と実感しました。プロデューサーも兼務していますので、こうしてキャスティングにも関われて、エミーを選ぶことができて本当に良かったと思っています。彼女は自由奔放なベックの心理状況を正確に掴んで演じてくれたので、彼女との共演は本当に本当に素晴らしいものでした!

――― 去年、ALSについて動画サイトを使った大規模なキャンペーンが行われましたが、その影響はあったのですか?
私も本作を手掛けるまでALSについては何の知識もありませんでした。あのキャンペーンを通じて世界中の多くの人々がALSに興味を持ってくれて、研究が進むように社会全体が動いてくれたことはとても有意義だったと思います。ただし、『サヨナラの代わりに』の撮影はあのキャンペーンの前に終わってましたので、タイミングは合ったという次第です。

――― 「一瞬一瞬を大切に生きることが大切」と仰ってましたが、どんなことをされているのですか?
sayonaranokawarini-ki-240-3.jpg例えば、誰かのことをふと思い出した時、「どうしているかなあ」とただ思うだけでなく、電話したりメールしたりしています。今チャリティを立ち上げる準備をしていますが、子供たちと捨てられた犬との触れ合いを通じて責任感を育んで行こうという意図です。何事も最初は大変ですが、充実した時間を過ごせます。それから、仕事からもすべて離れた1日オフの時間を取るようにしています。犬と遊んだり、散歩したり好きな本を読んだり、自分のための時間を必ず設けるようにしています。それ以外にも次のプランのために常にアンテナを張っているので、正直自分の時間を作るのはとても難しいですね。

――― 日本の学生に向けてのメッセージをお願いします。
全ての人は人生における生徒だと思います。別に学校へ通ってなくても、生きていく上でどんな逆境に在っても、諦めないで、乗り越えていくことが大変重要なことだと思います。若い時、自分を定義するのは自分自身でやるべきで、自分のために何が必要なのかを考えるべきです。自分のやりたいこと、自分の夢を叶えるために必要な事柄を日々選択していく生き方をすることが大切です。

sayonaranokawarini-ki-240-2.jpg――― しばらく休業されていましたが?
さあ?どうしていたかしら?(笑)実は父が肺の移植手術をして、その看病のため1年間仕事を休みました。

――― アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督とコラボされるとか?
はい、イニャリトゥ監督は素晴らしい監督ですので、一緒に仕事ができるのをとても楽しみにしております。まだレオナルド・ディカプリオの映画を撮っている最中ですので、もうしばらく後になりますが。

――― アニメ映画の声優もされていますが?
凄く楽しかったです。2日間だけでしたが、もっとやりたかったです。機会があればまたやりたいです。

――― オスカーのシーズンになると、受賞した時のことを思い出したり、また3つ目が欲しいと思ったりして落ち着かないのでは?
8歳で女優になりたいと思った頃は、ただいろんなキャラクターを演じたいと思っていたので、オスカーのことなど想像もできませんでした。でも受賞することはとても光栄なことです。また、オスカーのシーズンはとてもマジカルなシーズンでもあります。自分が関係している作品は勿論ですが、他の作品も観る機会が増えますし、多くの方が注目して見て下さるので、ノミネートされただけでも大きく違うのです。



sayonaranokawarini-ki-500-1.jpg「8歳の時に女優になりたいと思ってから、人生の大半を女優として過ごしてきました。人生にインスピレーションを与えてくれる様々なキャラクターを生きられることに心から感謝しています」と語るヒラリー・スワンクの謙虚さこそ、真っ白な状態でそのキャラクターを生きられる秘訣かもしれない。

 (河田 真喜子)

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オダギリジョー、「久しぶりにいい映画を観たなと思った」『FOUJITA』記者会見@TIFF2015
登壇者:小栗康平氏(監督/脚本/製作)、オダギリジョーさん(俳優)、中谷美紀さん(女優)、クローディー・オサール氏(プロデューサー) 
 

~天才画家フジタの生きたパリと日本から、文化や歴史の違いを提示する壮大な試み~

 
10月22日より開催中の第28回東京国際映画祭で、小栗康平監督の10年ぶりとなる最新作『FOUJITA』が、コンペティション部門でワールドプレミア上映された。
 
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エコール・ド・パリの寵児でありパリで画家として成功を治めたフジタこと藤田嗣治の人生を通じて、1920年代のパリと1940年代前半の日本を描いた本作。フジタを演じたオダギリジョーは、2つの全く違う時代の中で、時には自分が望む作品を、時には時代に求められた作品を描く画家の佇まいを見事に表現している。フジタの5番目の妻、君代を演じる中谷美紀も、出番は少ないながら、戦時中に天才画家を静かに支える妻を独特の存在感で表現し、強く印象付けた。まるで絵のように美しいカットの数々に息をのむと同時に、後半の日本部分はこれぞ小栗作品の真骨頂といえる深淵な映像や表現を存分に堪能できるだろう。
 
10月26日に行われた記者会見では、監督/脚本/製作の小栗康平氏、主演のオダギリジョーさん、君代を演じた中谷美紀さん、プロデューサーのクローディー・オサール氏が登壇。小栗監督作品に出演した感想や、小栗作品での演じ方についての話、さらに小栗監督からは今フジタを取りあげた理由や、本作の狙い、さらにオダギリジョーが演じたフジタについて語られた。その内容をご紹介したい。
 

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■小栗監督のおかげで、すごくいい俳優になれた(オダギリ)

 日本にこれだけ素晴らしい画家がいたことを、改めて心に刻んだ(中谷)

(最初のご挨拶)

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小栗康平監督(以下小栗):フジタは実在した人物で、彼が遺した素敵な絵画を映画の中で使わせていただきました。伝記的な映画にはせず、1920年代のパリと1940年代の戦時中の日本の二つを並べて文化や歴史の違いを浮かび上がらせました。オダギリさんはとても素敵なフジタになりましたし、中谷さんは5番目の妻ですが、いい妻になりました。

オダギリジョー(以下オダギリ)さん:小栗監督が10年ぶりに映画を撮られるということで、声をかけていただき、本当に光栄に思いました。正直、藤田嗣治はあまり知りませんでしたし、今もそんなに興味があるわけではありません。「小栗監督の作品に関わりたい」という気持ちで参加したのが正直なところです。出来上がった作品を観て、久しぶりに「ああ、いい映画を観たな」と思いました。今まで出演した自分の映画の中のオダギリジョーの幅を越え、小栗監督のおかげで、すごくいい俳優になれたな、とてもうれしく思っています。
 
中谷美紀(以下中谷)さん:小栗康平監督は『泥の河』、『死の棘』と映画史上に忘れがたき功績を残されていますが、その監督が久々に映画を撮られるということで、喜んで参加させていただきました。オダギリジョーさんが、フジタそのもののような佇まいで、映画の主軸としていてくださり、私は5番目の妻で、最後の妻を演じましたが、ただ映画にいさせていただくだけで幸せでした。フランスの撮影現場を覗かせていただいたときに「オグリ、オグリ」と皆さん小栗教の信者のように監督を慕っておられました。また「ジョーのフランス語も素晴らしい」とスタッフが口々に誉めており、同じ日本人として誇りに思いました。私もフジタという画家に今までそこまで愛情はなかったのですが、この作品をきっかけにフジタのアトリエに行ったり、ランスで最後に手がけた教会の絵を拝見し、日本にこれだけ素晴らしい画家がいたことを、改めて心に刻みました。ぜひ皆さん、ご支援ください。よろしくお願いいたします。
 
クローディー・オサール氏(以下クローディー):私はフランスを代表して来日しております。今回は小栗監督と一緒にお仕事をさせていただくことができ、本当に幸せに思っております。フランスのスタッフも日本のクルーと仕事をすることができ、お互いにリスペクトして仕事をすることができました。この場をお借りして、今や友人となったオダギリジョーさん、中谷美紀さんにもお礼申し上げます。小栗監督も、本当に素晴らしい作品でした。
 

■35歳で監督デビュー、人生の半分かかってフジタに辿りついた(小栗監督)

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―――10年ぶりの新作ですが、この作品を映画化しようとした一番の動機は?
小栗監督:私は1945年に生まれ、今年70歳になります。35歳でデビューしましたから、約半分かかってフジタに辿りついたという印象でしょうか。藤田は矛盾の多い人物です。20世紀という戦争の世紀を生きた故に、多くの矛盾を抱えた。そういう人物を、戦後70年を機に撮れた。その歓びでしょうか。
 
―――フランス語はどのように勉強されましたか?一番難しかった点は?
オダギリ:台詞は決まっていましたので、時間も限られていたので丸覚えでした。ただ、声を吹き込んでくれた先生はフランス語の先生なので、棒読みです。ですから丸暗記しながら、どう普通のフランス人がしゃべる会話調にするのか。そこで、現地の俳優に来ていただき、芝居していただいたものを録音して、その中でどうにか感情を持った言葉にしていきました。
 
―――藤田という画家は日本では複雑な面を持った画家ですが、フランスではどんなイメージを持たれ、またどの程度知られていますか?
オサール氏:フジタはフランスでは大変有名で、本当に愛されている画家です。絵画に日本的な要素を入れ、白背景で書いたものが、フランスでは新鮮だと人気がありました。フランスでも当時絵画で生計を立てるのは難しかったですが、フジタはそれができた、大変いいイメージを持っています。後半部分の、フジタが日本に戻ってからどういった作品を描いていたかは、なかなか知られていません。私自身もこの映画を通じて、後半のフジタの日本での人生を知ることができ、フジタという画家を再認識しました。
 
 
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■フジタの自由さに踏み込めない壁みたいなものを感じながら、妻役を演じた(中谷)

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―――君代を演じるにあたって、どのような女性をイメージしましたか?
中谷:フジタのアトリエにはわずかに君代の写真が残っていたのですが、フジタの最後の作品や、教会で共に眠っている以外は、君代の資料はなかなかありませんでした。とにかく小栗監督が書かれた脚本の行間を探るようにして演じました。オダギリさん演じるフジタは稀代の天才ですので、せめてその方の傍にいて、自分は何も持っていないけれど、せめてこの中の美意識に沿う人間であるよう努めている人ではないか。そう思いながら、フジタの自由さに踏み込めない壁みたいなものを感じながら、演じさせていただきました。
 
 

■自分の我を出した芝居を見せるより、監督の手のひらで転がっていく方が、僕にとっても作品にとってもいいと思った(オダギリ)

―――フジタの人生ですが、前半のパリ編と後半の日本編では、まるで二人の主人公の人生を描いているように思えます。演じるのにどんなところに気をつけましたか?
オダギリ:簡単に監督に丸投げですね。というのも、今まで色々な作品で色々な役を演じてきましたが、小栗監督ほど言っていることが分かるようで分からないようで。非常によく分かるのですが、真実すぎてそれを現実にするのはなかなか度胸がいるようなことを自然に話されます。そこを探ったり、自分の我を出した芝居を見せるよりも、監督の手のひらで転がっていく方が、僕にとっても作品にとってもいいと思いました。確かに前半と後半には大きなギャップがあります。自分が狙って落としていくこともありましたが、8~9割は監督の言うことを素直に聞いて演じました。
 
 
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■オダギリさんは、自分の身体感覚全体で芝居を掴むことができる俳優(小栗監督)

―――最初から、オダギリさんにフジタ役のオファーを考えていたそうですね。
小栗監督:先ほどのオダギリさんの話を補足しますと、芝居のハウツーではなく、いつも考え方を話し合っていたのです。先ほど、フランス語のことを答えたときに「丸暗記ですよ」、今回も「丸投げですよ」と、答えましたが、これはマイナスではないですね。何かに預けるということはとても勇気がいることです。20年代のパリと40年代の日本で、変わらなくてもいい、一つの命がそこをまたいでいるだけですから、変わるために何をしようかと話し合ったことは一度もしていません。
 
オダギリさんはフランス語を音で全体として覚えましたが、それはオダギリさんの芝居全体にも言えることで、彼は分析的に芝居をしません。フジタを伝記映画として演じるのではなく、佇まいとして20年代はこんな姿、40年代はこんな姿だったと表現するとき、オダギリさんがどう感覚的にいられるか。それを出来る役者は少ないのです。オダギリさんは、自分の身体感覚全体で芝居を掴むという難しいことができる俳優だと思います。
 
―――フジタを映画化するにあたり、どんなリサーチをされたましたか?
小栗監督:資料はたくさん残っていますし、エピソードもたくさんある人です。一通りは見ましたが、オダギリさんと一緒に「全部忘れてやろう」と。
 
―――最後に、今回映画を作り、藤田とお友達になりたいと思いましたか?
小栗監督:最後にイジワルな質問ですね。同じ時代に生きていたら、友達にならなかったと思います。2015年の今から1920年代や1940年代のフジタを思い描くと、私にとってのフジタは何かという問いが生まれますので、映画を撮った今は、とても親しい存在です。
(写真:河田真喜子 文:江口由美)
 

<作品情報>
『FOUJITA』
(2015年 日本=フランス 2時間6分)
監督:小栗康平
出演:オダギリジョー、中谷美紀、アナ・ジラルド、アンジェル・ユモー、マリー・クレメール、加瀬亮、りりぃ、岸部一徳
2015年11月14日(土)から全国ロードショー
公式サイト⇒http://foujita.info/
 
第28回東京国際映画祭は10月31日(土)までTOHOシネマズ六本木ヒルズ、TOHOシネマズ新宿、新宿バルト9、新宿ピカデリー他で開催中。
第28回東京国際映画祭公式サイトはコチラ http://2015.tiff-jp.net/ja/
 

popura-550.jpg『ポプラの秋』中村玉緒記者会見

・(The Letters 2015年 日本 1時間38分)
・原作:湯本香樹実『ポプラの秋』(新潮文庫刊)
・監督:大森研一   ・音楽:清塚信也
・出演:本田望結 中村玉緒 大塚寧々 村川絵梨 藤田朋子 宮川一朗太 山口いづみ 内藤剛志(特別出演)
2015年9月19日(土)~シネスイッチ銀座、シネ・リーブル梅田、なんばパークスシネマ、9月26日(土)~京都シネマ、109シネマズHAT神戸 ほかにてロードショー
公式サイト⇒ http://popura-aki.com
・(c)2015『ポプラの秋』製作委員会



~現代人の心を癒す不思議なおばあさんと天国への手紙~


popura-nakamura-1.jpg9月19日公開の映画『ポプラの秋』(大森研一監督)に“不思議なおばあさん”役で出演した中村玉緒(76)が18日、来阪。主役を務めた子役の本田望結ちゃんと65歳差の共演を「ホントに楽しかった。これで望結ちゃんも映画好きになってくれるでしょう」と充実の笑顔を見せた。

 

―――最初のご挨拶
中村玉緒「皆さんとお会いするのは鴈治郎襲名披露の時以来でしょうか? ご無沙汰いたしております」。

―――10歳(撮影時)の本田望結(みゆ)ちゃんと共演でしたが?
玉緒「今の子役の方はすごいですね。望結ちゃんは10~11歳で大人と子供の間ぐらいだったんですが、リハーサルと本番では全然違うんです。本番に強いんですね。家族の皆さんも良くて、望結ちゃんのお母さんにもよくしてもらいました。撮影から1年会ってないので、舞台挨拶が楽しみです」。

popura-240-1.jpg―――気難しいおばあさん役は普段のイメージとは違いますが、役作りの苦労は?
玉緒「苦労はしていません。映画は大好きなので、ホントに楽しくやらせてもらいました。年代的に無理はしません。綺麗にとかシワ伸ばしたりとかせず、普通にやれました」。

―――映画が合う、ということですか?
玉緒「ええ、テレビとは大きさが違いますね。カメラのことではなくて、ワンカットワンカット、丁寧に撮っていて、お天気待ちしたりする。みんな座って、ご飯食べたり、おやつをみんなで持ち寄ったり、映画でないと味わえないことがいっぱいあります」。

popura-nakamura-2.jpg―――勝新太郎さんが亡くなって20年近くたちます。様々な思いがあると思いますが、一番の思い出は?
玉緒「うーん、あまりにも波乱万丈だったので…。でも(思い出は)楽しい面しかありませんね。子供を2人ともインターナショナル(アメリカンスクール)へ行かせましたが、これは勝の考えです。今でこそ、みなさん行かせますけれど、当時は少なかった。主人がハリウッドに出たかったんでしょうね。私も出てほしかった。それで、子供に英語を習わせたんでしょう。私は今、韓国ドラマが大好きですが(笑)」。

―――女優生活は長い?
玉緒「私は22歳の時から映画に出ていますが、現役のままでどんどんやっていきたい。先ごろ“着物の作家”として25年目を迎えまして、東京で記念のパーティーをやったんですが、私は芸能生活何周年といった催しはやりません。だから、望結ちゃんも女優だけ、というんじゃなくてスケートもどちらも“二足のわらじ”でやってもらいですね」。

popura-nakamura-3.jpg―――映画では「手紙を天国に届けるおばあさん」ですが、私生活で手紙は?
玉緒「手紙は書きますよ。主人と夫婦げんかしたら、別れそうになるから手紙がいいんです。今でも、親子の間では手紙が多いです。娘は“ありがとう”とか“ママ、今日は疲れたでしょ”とか書いてくれます。メールはいまだに書けないのでね。前は日記も書いてたけど、あれは悪いことが出来なくなる。パチンコばっかりしてたことなんか書けませんわね(笑)。家計簿も付けてましたが、最後は赤字ばかりになって、やめました。小学校時代は初恋の人に手紙出したかったんですが、字が下手なので出せませんでした(笑)。でも、文字っていいものですね。兄とは近所なんですけど、メモ帳に書いて渡してます」。

―――娘さんのメモは残してますか?
玉緒「ええ、引き出しに入れてます。読み返してないから、溜まってますが」。

―――映画ではお棺に手紙を入れてましたが、何を入れたいと思いますか?
玉緒「入れないのがいいでしょう。出来るだけ軽い方がいいと思う」。

popura-240-2.jpg―――望結ちゃんは勝さんのこと知ってましたか?
玉緒「彼女のおばあちゃんがちょうど私と同じぐらいで、ご家族から座頭市などの話を聞いてたようです。望結ちゃんは初主演で現場の雰囲気がものすごく良かったんで、これで映画が好きになったと思いますよ。昔“子役は育たない”というジンクスがあったけど、今はない。望結ちゃんは今で良かった」。

―――天国に持っていきたいものはありますか?
玉緒「持っていきたいものはありません。生きてるうちに全部やっときたいと思います。主人には会いたいと思います。天国か地獄か、どっちにいるか分かりませんが(笑)。地獄にいても会いに行きたいです」。

―――最後にお客さんに『ポプラの秋』のアピールをお願いします。
玉緒「とてもさわやかな映画です。こんな人(おばあさん)が都会にも身近にいてくれたらいいのになあと思います。ストレスが多い世の中、みなさんのストレス解消、はけ口になりますように」。

 


★『ポプラの秋』

popura-240-3.jpg大好きだった父を突然亡くした8歳の千秋(本田望結)は母(大塚寧々)と2人でポプラの木のあるポプラ荘に引っ越す。そこで会った大家のおばあさん(中村玉緒)は“天国に手紙を届ける”不思議な配達人だった。千秋は死んだ父に伝えたかった溢れる思いを手紙に綴っていく。父に届く、と信じて…。

『夏の庭‐The Friends』『岸辺の旅』の湯本香樹実のロングセラー小説の映画化。フィギュアスケートでも注目の本田望結の映画初主演作。映画出演100作を越える大ベテラン、中村玉緒とは65歳差の共演。

原作は97年の発表以来、アジア、欧米など世界10ヵ国で翻訳、出版されている。今年の第18回上海国際映画祭「パノラマ」部門の正式招待作品。現地上映で喝采を受けた。

(安永 五郎)

romance-s-550.jpgしっかり者の大島優子主演映画『ロマンス』監督&サプライズゲスト記者会見

ゲスト:タナダユキ監督、大倉孝二(桜庭洋一役)
 

・(2015年 日本 1時間37分)
・監督・脚本:タナダユキ
・出演:大島優子、大倉孝二、野嵜好美、窪田正孝、西牟田恵
2015年8月29日(土)~ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田、京都シネマ、9月5日(土)~シネ・リーブル神戸 ほか全国順次公開
公式サイト⇒ http://movie-romance.com/
・コピーライト: (C)2015 東映ビデオ


 

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~大島優子と大倉孝二の“箱根湯けむり珍道中”~


元AKB48メンバーの大島優子主演映画は、新宿と箱根を往復する特急ロマンスカーに乗務するアテンダント女性の成長物語。ひょんなことから怪しい映画プロデューサーと名乗る男と箱根の名所を巡りながら、それまでの生き方を見つめ直して、前向きな気持ちになっていく。怪しい映画プロデューサー・桜庭を演じた大倉孝二と、母親との関係に悩む実年齢と同じ26歳の鉢子を演じた大島優子との掛け合いが、これまた絶妙で笑える! 大人の男性としてリードしようとする桜庭を全く信頼しない鉢子。ボケとツッコミ漫才の“箱根湯けむり珍道中”を見ているようだが、そこに人生をやり直そうとするふたりの心境の変化を感じとることができる。

 


 【STORY】
romance-2.jpg特急ロマンスカーでアテンダントをしている26歳の鉢子(大島優子)は、今日も同棲している彼(窪田正孝)にお小遣いを渡して出勤。ドジな後輩(野嵜好美)の失敗もさり気なくフォローし、テキパキと車内販売の仕事をこなすしっかり者。そんな鉢子が万引をした男・桜庭(大倉孝二)を捕まえたことから、変なオッサンと箱根をめぐる羽目になる。鉢子は、男にだらしない母親と高校卒業以来疎遠になっていた。一方、桜庭は、度重なる資金繰りの不調で妻子にも去られ、借金取りに追われる“人生崖っぷち”状態の映画プロデューサーだった。二人が晩秋の箱根を巡る内に、幼い頃の思い出が甦る鉢子と、不甲斐ない自分と向き合う桜庭。二人とも過去を振り返りながら、それまでの自分と決別して前へ進もうとする。

 


 8月29日の公開を前に来阪したタナダユキ監督の合同記者会見が行われた。そこに、急遽東京から駆け付けた大倉孝二が飛び入り参加。鉢子の前に突然現れた怪しい男とは違い、ナイーブさを感じさせる色白のスレンダーボディ。思わぬ嬉しいゲストに取材陣も湧き立った。箱根のガイドブックを見ながら脚本を書いたというタナダユキ監督と、大島優子との共演がとても楽しみだったという大倉孝二。作品に込めた思いや撮影秘話などについて、それぞれに語ってもらった。


 【大島優子について】

――― 大島優子さんに対するそれまでのイメージや、当て書の部分は?
romance-3.jpg監督:子供の頃に憧れていたアイドルのお姉さんという感じでした。とても明るくてキラキラしているけど、どこか憂えを感じさせる。何でもできるけど何でもやらされる、本人にしか分からない大変さもあるんだろうなと思っていました。

当て書の部分は、何でもテキパキとできるところや、足が速いところ、他は想像して書いていました。

大倉:大島さんは、足、マジで速いんで、大変でしたよ、逃げ切るの(笑)

――― 大倉さんは大島優子さんに対して?
大倉:僕は、失礼ながらアイドルということしか知りませんでした。「AKB48」もたまにテレビで見るくらいで、真ん中でとても綺麗な娘が踊っているなという印象しかなかったですね。それが、会ってすぐに「前から知ってる!」みたいな雰囲気になって、普通にダベってました。

監督:ここに大島さんがいたら、多分一番しっかりしていると思います(笑)。

大倉:どこでもそうなのか知らないけど、“アイドル大島優子”を演じているというところは見たことなかったですね。

監督:一番若いスタッフにでも誰に対しても変わらない態度で接していました。

romance-s-o-1.jpg――― 最初、大島さんとの共演を聞いた時の感想は?
大倉:なんか面白くなりそう!と思いました。

――― 体格も性格も対称的なふたりでしたが、撮影する際に工夫したことは?
監督:工夫というより、限られた時間の中でどれほど自由に動いてもらえるかなと考えました。自由に好き勝手にやってもらえればと。

大倉:本読みでも、10分くらいで「もう終わりです」と監督が言われたので、スタッフが慌てて「いやいやいや」と止めたほどです。「もういいです。後は本番でやって下さい」とね。

――― 車の中の二人の会話が面白かったのですが、緊張した?
大倉:まったく無かったすね。打ち合わせも練習もなかったです。

――― 絶妙な掛け合いに笑わされましたが?
大倉:たまたまですね(笑)。

  


 
【脚本と演出について】

――― 「脚本協力」とクレジットされている向井康介さんは、どんな協力だったのですか?
監督:鉢子と映画プロデューサーの二人が箱根へ行って帰ってくるという、大まかなプロットの部分です。それに私が肉付けしていったのです。

――― 映画プロデューサーのモデルはいるの?
監督:特にいないです。私自身がプロデューサーを胡散臭いと思っているので(笑)、未だにどんな仕事をしているのかよく分かっていないのです。いろんな人たちをミックスさせて桜庭という人物像を創り上げました。本当に、監督より個性的な人が多く、そんな人たちといると、自分が常識人だと思えてくるほどです。

romance-s-t-2.jpg――― 鉢子と桜庭との出会いのシーンについて?
監督:桜庭にとっては逃げる日だったので、鉢子が捨てた手紙を利用して、映画のプロデューサーらしく自分でストーリーをこしらえて、一緒に「母を探す」行動に出たのです。

大倉:そんな説明初めて聞いた!(笑)

監督:何も考えていない訳ではないんです。説明するのがイヤなんです、野暮に思えるから。

――― 細かな演出はしないんですか?
監督:一切しません。脚本を渡して好きにやってもらった方がいい。

――― 役者としてはやりにくいのでは?
大倉:いろんな監督さんがいらっしゃるので、その人の船に乗ったら従うだけです。説明がなくてもあんまり不安にはならなかったです。監督は言葉にしなくても「それでいいんだ」という顔をしていたので。

――― ラブホテルでのシーンについて?
監督:最初からそういう感じで撮ろうと思っていました。桜庭の中の男性としての欲望とは別に、若い女の子に泣かれてしまい、抱きしめてからの展開は、桜庭の中ではかなり混乱していたであろうと(笑)。

――― 監督からの説明もなく、脚本通りされたのですか?
大倉:理解しようとしても難しいですからね。

監督:あんまり言い過ぎると固まってしまうので、何も言わずに自由にやってもらった方が、新しい発見があるからいいんです。

――― ラストシーンにちょっと疑問を感じたのですが?
監督:最初からそういう構成でした。たまたま出会った鉢子と桜庭ですが、一緒に過ごすうちに、鉢子の母親へのわだかまりを落ち着いて考えられるようになり、最後は鉢子の笑顔で終わらせたいと思っていました。でも、母親を見掛けてすぐに母親を許す気にはなれないと思うので、ちょっと間を置いてからあのようなラストにしました。

――― それが鉢子が成長した姿だったんですね?
監督:そうです。

 
 


 
 【鉢子と親子関係について】

――― オリジナル脚本ということですが、主人公・鉢子の26歳という年齢は、タナダ監督にとって曖昧さや不安定感というものがありましたか?
監督:あったと思います。それまで“若い”というだけで許されていたことが段々と許されなくなる。今の年齢から見ればまだまだ若いと思えますが、当時は“若い”とは感じられませんでした。あまりにも一般常識もなく、できないことが多過ぎたり、また母が姉を産んだ年齢なのに自分が母親になるなんて無理だわ、「やばい!」と思ってました。

――― 26歳という年齢的なリミットを感じていたのですか?
監督:リミットは感じていませんでしたが、とても母親になる自信がないという焦りを感じていました。

romance-s-o-2.jpg――― 大倉さんは鉢子のような20代半ばの曖昧さとかありましたか?
大倉:個人的にはフラれたりバイトがダメになったり、周りの人たちが少しずつ映像に出だして「俺はもう諦めなければいけないのかな?」と思ったり、かなり腐った状態でした。でも、26歳~27歳の時が一番大きな転換期だったように思います。野田秀樹さんや三谷幸喜さんの舞台に出させて頂いたり、映画『ピンポン』に出演したりとね。

――― 親と子の関係や子供をうまく育てられなかったという思いが作品の中にあるが、監督もそんな難しさを感じているのですか?
監督:意識している訳ではないけど、「家族ってやっかいだな」と思っている部分はあります。どんなにひどい親でも捨てきれないとか、逆の立場では、私自身親の望み通りの人間に育ってないので、何だか面倒くさいなとかね。

――― 「親だから」といって許してしまうところもあるが?
監督:今回、私は桜庭の年齢に近いのですが、鉢子に対しては、まだ子供ですが親のことが理解できる立場でもあるので、子供だからといって親を責めていい年齢ではないよね、と気付き始めた時の苦しさがあります。桜庭に関しては、親としての不甲斐なさや、子供を嫌いになれないという親の感情を、今の年齢だから入れられたのかなと思います。

 


  
【箱根について】

――― 関西の人にはあまりなじみのない箱根ですが、ロケ地について?
romance-s-t-1.jpg監督:実は私も箱根は初めてだったんです(笑)。都心から1時間ちょっとで行けるので、いつでも行けると思って全然行ったことがなかったんですよ。今回は時間がなかったので、脚本はガイドブック見て書きました(笑)。行ったことのあるプロデューサーに、ここは1日で移動できる距離なのかと聞いてみたり、後はロケハンで決めればいいやというふうに思ったり、自分で脚本書いている強みですね。

大倉:ホント、ベタですからね。ガイドブックに載っている所しか出て来ないですからね(笑)。

――― 小田急電鉄からのオファーなのかと思いましたよ?
監督:いえいえ、こちらからお願いしたのです。最初小田急電鉄へ電話した時、たまたま受けて下さった広報の鈴木さんという方の奥様がロマンス号のアテンダントをされていて、「アテンダントに光を当てて下さって嬉しいです」と仰って下さり、撮影が実現しました。小田急さんに断られていたら、今ここで取材を受けることもなかったでしょう。

大倉:箱根はとてもいい所ですよ。

――― 今、火山活動の影響で観光客も減っているようですが?
監督:早く収束してほしいですね。でも、箱根へ行けない間は、この映画で見て箱根を楽しんで頂きたいです。


 (河田 真喜子)

 

MIRN-b-550.jpg『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』来日記者会見

飛行機にぶらさがるのはお勧めしないよ(笑)
トム・クルーズ史上&M:Iシリーズ史上
全米&世界オープニング興収No.1を引っ提げ日本で記者会見 
~ノースタントアクション秘話を語る~



日本で語る トム史上もっとも危険な超絶アクション。その舞台裏とは?

全世界で累計約21億ドル(約2,520億円)を超えるパラマウントピクチャーズの大人気シリーズ『ミッション:インポッシブル』の最新作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』 日本公開:8月7日(金)に先駆けて、7月31日(金)に公開された全米では、初日興収がシリーズ最高の2030万ドル(24億4000万円)で大ヒットスタートを切った! 初日単日としては、『ミッション:インポッシブル』シリーズ史上最高の興収で「M:I-2」(2000年)が記録した1660万ドル(19億9000万円、最終興収2億1500ド万ドル=258億円)の興収を大幅に更新した。一方、海外では20ヶ国以上で公開され、すでに2630万ドル(31億6000万円)大ヒットスタートを切っており、週末の興収は6000万ドル(72億円)と予測され、シリーズのみならず、トム・クルーズ出演作品史上、最大のオープニングとなった国もあり、全世界ではこの週末に約1億1200万ドル(134億4000万円)が見込まれている。

また、公開前には全米批評家サイト「ロッテン・トマト」で驚異の97%、「シネマスコア」でもAの高評価を獲得している。シリーズ最高傑作との呼び声も高い。
そんな世界中で話題沸騰の本作を引っさげ、7月31日におよそ1年1か月ぶりに来日したトム・クルーズの「来日記者会見」の様子を下記にて紹介いたします。


 


 
【来日記者会見】
・2015年8月2日(日)  ザ・ペニンシュラ東京にて 
◆出席者:トム・クルーズ(イーサン・ハント役兼プロデューサー)、クリストファー・マッカリー(監督)
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2日(日)、映画『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』の記者会見が東京で行われ、製作・主演のトム・クルーズ、監督のクリストファー・マッカリーが出席した。4000人ものファンが集まったロケ地でもあるオーストリア・ウィーンでのワールドプレミア、1000人のファンでごった返したNYでプレミア、そんな世界中で話題沸騰の本作の記者会見には、テレビカメラ20台、スチールカメラ80台、記者50名、総勢200名のマスコミ陣が会場に詰めかける盛況ぶりで、会場は熱気に包まれた。
あの有名なテーマ曲と共に、記者会見のステージに登場したトム・クルーズ、クリストファー・マッカリー監督は、最新作への自信と意気込みを語った。


 


 
「ミッション:インポッシブル」シリーズは、トム・クルーズ演じるIMFの諜報員イーサン・ハントとして、トム自身がノースタントで挑むアクションシーンが常にお茶の間の話題となりスポットライトを浴びるが、最新作でも、観ている方の心拍数が上がり、手に汗握るリアルスタントへの挑戦が注目されている。本作の出来栄えについて監督は、「トムとコラボレーションした5作目の作品で、毎回が学びの現場だったし、我々が学んできたことから生まれた結果に非常に満足している、きっと観客の皆にも分かってもらえる」と自信を見せた。トムも同様に「僕も同感だ。まるで生徒のようにいつも現場で新しいことを学ぶんだ」と語り始めた途端、トムのマイクが垂れ下がり、何度か自身で直そうとするが戻らない状況に!スタッフが直しにかかると、「ほら、こうやって今も新しいこと(マイクの治し方)を学んだよ、(スタッフに向かって)アリガトウ!」とマイクを直したスタッフを気遣いつつ、超大物俳優でありながら、周りへの気配りを忘れないトム自身の人柄を表し、会場を和ませた。そんなハプニングの後、トムは続けて「マッカリー監督本当にたくさんの知識を持っていて、私が今まで知らないこと、例えば軍用機のぶら下がり方などを学んだ。でも皆には、飛行機にぶら下がるのはお勧めしないよ!(笑)」

MIRN-550.jpgその本作の目玉となるアクションシーンの一つは、 "スタント無し"で地上約1500メートルを時速400キロ以上で飛ぶ軍用飛行機のドア外部に張り付き、侵入に挑むという体当たりアクションシーン。そんな不可能を可能にするトムに、「怖いものはありますか?」という質問が投げられ、注目が集まった。「怖さはあまり感じない、そう自分に言い聞かせている」とクールに答えたトムは、軍用機にぶら下がるシーンは監督のアイディアだったと明かした。そのトムのコメントに監督は「あれはジョークのつもりだったんだ」とは慌ててフォロー、逆にトムは「(そのアイディア)いいんじゃない?」と監督のアイディアを気に入ったと、名シーンが生まれた誕生秘話を語った。

MIRN-b-Tom-1.jpg現場でのエピソードとして監督は、「機内でモニターを見ていた後、軍用機に立つトムにコミュニケーションを図ろうとして外に出たが、非常に寒くて、あんな環境で演技をしているトムに驚いた!私は沢山着込んでいたが、それでもものすごく寒かったんだ。それでもトムはスーツ姿だからね!(笑)」と、現場でのエピソードを明かし、CGを排除した"本物のアクション撮影"を強調した。その後、トムは「スーツは着たかったんだ。スーツ姿にこだわったのは、ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』のオマージュとしてね」と、常に観客をエンターテインさせようとするプロとしてのこだわりを明かした。

あの名シーンのあまり過酷さに「1000フィート(約300メートル)上がるごとに3度気温が下がるのから極寒の寒さだった。更に、エンジンからの排気ガスが顔にかかって本当に苦しかった!僕はパイロットだからよくわかるんだ。鳥がもしぶつかったりしたら大変なことになるんだ。ぶら下がっているだけじゃなくて、そこで演技もしなくてはならなかったんだ。やっぱりやるんじゃなかったかな・・・」とジョークを飛ばして会場を笑わせた。

そこで更に監督は、「トムはそのシーンの撮影中ずっと叫んでいたんだ。僕はそれがパニックなのか素晴らしい演技なのか分からなかった。トムは『パニックじゃない、これは演技なんだ、カットしないで!と叫んでいたよ。』と明かした。

「今後、日本を舞台にするという考えはありますか?」という質問に、「いいね!道路を遮断させてもらったり、ビルから飛び降りることを許可してくれたらね。でも夏は避けて春か秋かな。」と日本のファンには嬉しいコメントも。

MIRN-b-Tom-3.jpg最後に、「本シリーズが長年続いてきた理由や想いは?」という質問に、トムは「初めてプロデュースした作品だった。映画学校に通ってきたわけではないので映画のあらゆることを現場で学んできた。このシリーズは、いろいろな国を周り、各国の人や文化を知るチャンスを与えてくれた映画で、チャレンジもできる、観客の皆を最大限エンターテインできる作品」と、熱い思いを明かした。監督は「僕の願いが叶った映画です。本シリーズにはルールがあって、不可能なことをイーサン自身はやりたくない、でも絶対不可能なことを毎回やらなくてはいけない状況に持っていく脚本作りは非常に難しいんです。でもいいところは、作品を作る私たち自身も、物語がどこに到達するか分からない。観客と同様毎回がサプライズなんです」と締めくくった。

一流の監督とキャストをチームに加え完成させた自信作「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」は8月7日(金)より全国ロードショー。


 


 
◆『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』ストーリー

MIRN-sub3.jpg超敏腕スパイ:イーサン・ハント率いるIMFは無。国籍スパイ「シンジケート」の暗躍により、またしても解体の窮地に追い込まれてしまう。イーサンはこの最強の敵にどう立ち向かうのか?誰が敵か味方かわからない中、究極の諜報バトルが繰り広げられる。史上最難関のミッションをコンプリートできるのか!?イーサンの究極の「作戦」とは?

 

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2015年8月7日(金)より全国ロードショー!

(C)2015 Paramount Pictures. All Rights Reserved.


 (プレスリリースより)

 

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★羽仁進監督が特集上映でトークショー

hani-3.jpg大阪・九条のシネ・ヌーヴォで6月13日(土)から、特集上映《映画の天才  羽仁進監督映画祭》がスタート、初日に羽仁進監督(87歳)が登場し、トークショーを行った。岩波映画時代の初期ドキュメンタリー作品から衝撃の劇映画デビュー作『不良少年』(60年)など全20本の特集上映に熱心な観客が詰めかけ、初回は満席=立ち見の盛況だった。特集上映は7月3日まで。


 羽仁進監督「“特集上映”がボクにとってどういう意味があるのか、と考えて、3年ぐらい前から教えられました。アメリカ・ハーバード大で“羽仁進研究”として特集された。詳しく研究している人たちが集まって、私も見直して初めて“自分でも分からないこと”があるんだ、と分かった。ボク自身にとってありがたいことですね」。

「私も『教室の子供たち』(55年)などは初めて見直したけど、意識していないシーンがあった。いろんな子供たちと一緒にそういう時間を持てた。これは凄いことだ、と」。

「私は“風変わりな子供”だった。妻は私を「5歳児」と呼ぶが、5歳児はアタマがいいんです。ほかのことは何も知らないんですけどね」。


――昨年は「ぴあフィルムフェスティバル」の「先人に学ぶ」でも「羽仁進に学ぶ」が行われたが?
羽仁監督:私も、皆さんと一緒に見て驚いた映画がある。『恋の大冒険』(70年)は隠れた大傑作。ホントに面白い。主役の前田武彦さんが大悪役でね。テレビの売れっ子で全部知っていたつもりだったが、映画はまったく違う。素晴らしい演技をされていた。いつもそうだが、相手の方(俳優)も羽仁の変な手法に力を貸してくれて、素晴らしい演技をされるんです。『ブワナ・トシの歌』(65年)の渥美清さんもそうだった。 


hani-1.jpg――初日の1回目は満席、立ち見も出ていますが?
羽仁監督:いろんな年齢の方がおられる。どう見てもらってもいい。人に押し付ける気はまったくない。“けしからん”と思ってもらってもいいんです。
これを言っちゃうと死んじゃうかも知れないけど、実は今“最後の映画”を撮っている。アフリカの動物映画です。もう30年近くアフリカで映画撮ってきているし、テレビの映像からも入れて、すでに編集に入っていて、映像の編集は終わっている」。7月ぐらいに公開出来たら、と思っている。


――動物のドキュメンタリー映画?
羽仁監督:僕は子供と動物が大好きでね。子供の頃はオオサンショウウオを飼っていた。けっこう大きな水槽だったけど、もっと大きなところで遊びたいだろう、と思って、近所の人に相談したら“持って来い”という。まだ自分も体が小さかったが、抱えたらオオサンショウウオが抱きついてくるんだ。だから、抱きかかえてつれていった。ボクを親戚と思ったのかどうか、抱きついてきた。そういうことから動物が好きになった。
アフリカの動物も人間とは別の方法だけど、考えている。ヌーという動物はみんなで川を渡るんですが、これは40年ぐらい前から始まった。今では何百万頭ものヌーが一度に川を渡っている。人間も自然界も変化し始めている。(アフリカの)タンザニアは近代化されずに大草原が残っている。そういう情報がヌーにどうして知られたのか。自然の中でどう生きていくのか、分かってるんだろうね。


――羽仁進監督のスタートはドキュメンタリーの岩波映画だったが?
羽仁監督:ボクは共同通信社で“ボーヤ”(見習い)から始まった。半年ぐらいで大きな賞もらって、初めて浴びるほど酒飲んで泥酔したこともある。その頃、岩波映画製作所作るというんで、そちらに移った。そのころはカメラマンと2人しかいなかった。ボクは映画の知識なかったけどね。


――ドキュメンタリー映画『教室の子供たち』(55年)や『絵を描く子供たち』(56年)、『法隆寺』(58年)などで名を上げた後、劇映画第1作の『不良少年』(60年)が翌年のキネマ旬報ベストテン1位になったが?
hani-furyou.jpg羽仁監督:この年は黒澤さん(『用心棒』)がNO1になるはずだった。東宝は予想が外れて大慌てだったでしょうね。皆さん、(『不良少年』に)投票しちゃった、という感じかな。で、監督協会に遅れて入った。一度だけ、理事会に出たら、小津監督がつかつかとやって来て“あなたと私の映画はまるで違うように見えるが、目指している頂上は同じではないか”と優しい態度で迎えてもらったのが印象的だった。『不良少年』は28歳の時に作って30歳で公開した。


――羽仁監督はご両親(父親・元参院議員・羽仁五郎、母親・婦人運動家・羽仁説子)も教育者として知られるが、影響は?
羽仁監督:父も母も、私に文句は一切言わなかった。私は、3歳ぐらいから変な子で、最初に覚えた言葉が“ジョン”だった。隣の犬がでかくて感銘受けた。小さい子にも優しくてすぐに名前を覚えた。ジョンというのはエラい人だと思っていた。

私は暴力をふるったことが一度もない。軍事教練でも、ワラ人形にも突き刺さらなかった。教官には殴られたけど、反抗する態度を見せないので“おまえはホントに変なやつだなあ”と呆れられた。何べん殴られてもボーっとしてるからでしょうね。

変わった子、いろんな子がいなきゃいけない。人間には、自分でも気付かないものがある。それを引っ張り出して捉えなきゃいけない。いろいろな可能性があって、表に出す機会、“出てみる”機会が要る。選んで見る、というわけではないけれど。

hani-hatukoi.jpgATGで撮った『初恋・地獄篇』(68年)は、ATGが500万円、私が500万円出す映画だったけど、私の分がなくて、ATGの500万円だけで撮った。週4日撮影して、あとの3日でいろいろほかのことをやった。カメラが回るのは、ボクがスイッチ押した時だけ。そういう撮り方をしてきたが、この映画は大ヒットした。何をしたいか…理屈ではないんですね。


  【動物と子供好きな“天然5歳児”羽仁進監督】   

hani-2.jpg米ハーバード大学、エール大学、NY近代美術館などで特集上映が行われ世界的に再評価されている羽仁進監督は、岩波映画製作所でドキュメンタリー映画から作り始めた。授業中の子供たちの姿を生き生きととらえた原点『教室の子供たち』でドキュメンタリーに新風を吹き込み、60年に手掛けた劇映画第1作『不良少年』では俳優を使わず、即興的な撮影でリアリティーあふれる映画を生み出し、黒澤明、木下恵介両巨匠を抑えてキネマ旬報ベストワンと監督賞ダブル受賞の快挙を果たした。


ほかに左幸子主演の『彼女と彼』(63年)はベルリン国際映画祭特別賞。渥美清主演でアフリカで長期ロケーションを行った『ブワナ・トシの歌』(65年)、南米アンデスでオールロケを行った『アンデスの花嫁』(66年)、羽仁プロ・ATG作品『初恋・地獄篇』は大ヒットしてATG1000万円映画の口火を切った。
ドキュメンタリーの手法を駆使して映画の地平を切り開いた“天才監督”である。

(安永 五郎)