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2016年11月アーカイブ

hamon-550.jpg大阪人なら120%楽しめる!『破門 ふたりのヤクビョーガミ 』舞台挨拶

ゲスト:小林聖太郎監督、原作者の黒川博行氏


■(2017年 日本 2時間)
■原作:黒川博行 「破門」(角川文庫刊)
■監督:小林聖太郎
■出演:佐々木蔵之介、横山裕、北川景子、濱田崇裕(ジャニーズWEST)、矢本悠馬、橋本マナミ、中村ゆり、木下ほうか/キムラ緑子 宇崎竜童 / 國村隼 橋爪功
■2017年1月28日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークス、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー

公式サイト⇒ http://hamon-movie.jp

■ (c)2017『破門 ふたりのヤクビョーガミ』製作委員会


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大阪人なら120%楽しめる!
漫才師顔負け!? 大阪弁炸裂のバディ・ムービー

 

黒川博行氏が大阪を舞台に書き上げた痛快小説『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(松竹、来年1月28日公開=小林聖太郎監督)の完成披露試写会が11月28日夜、大阪・なんばパークスで行われ、原作者の黒川氏と小林監督が舞台挨拶を行った。
 


黒川博行氏: (試写会に)来て下さってありがとうございます。原作者がこんなところに出てくるのはおかしいんですが、とっても映画がよく出来ているので……。
小林聖太郎監督: (今の気持ちはという質問に)死刑は決まったがいつ執行か分からない、という気持ちです。なんせ撮影は1年前でしたから。


――(小林監督は)黒川作品はWOWOWで連続ドラマ『煙霞(えんか)』を撮って以来ですね?
黒川氏:原作者の気持ちをよく分かっている。その能力に自分を預けました。ドラマの『煙霞』もよく出来ていたし、今レンタルで出ているのでぜひ見てもらいたい。もちろん『破門~』の出来も素晴らしい。

――シリーズ5作目で初の映画化ということですが?
黒川氏:小説が映画になるかは分からないが、何作目でもうれしいもんです。ありがたいですね。ヒットしても、原作者には一銭も入ってきませんが(笑)。ただ『破門』がヒットしたら、次の『国境』という作品が映画化されたら面白いので……。

――小林監督も黒川さんと脚本を書いていますね。何か考えが?
小林監督:この原作では、どこを削らないとイケナイか、が問題でした。ここではしゃべりにくいが、やはり全体で見てほしいです。

――佐々木蔵之介さんと横山裕さんの掛け合いが見どころになると思いますが、そこは脚本から意識しましたか?
小林監督:絶妙な掛け合いをやりながら作っていきました。リハ前のホン読みの時から掛け合いを意識していたのですが、テンポ良すぎてこれで2時間はキツイ感じでした。コンビと思われたくない二人ですから(笑)。
黒川氏:佐々木さんは『超高速!参勤交代』で“きてる”感じだったので、そのままの勢いで来てくれたら、と。横山さんはトボけた感じがよく出ていましたね。

――何と言っても大阪弁のテンポが凄い。そこはかなり意識しましたか?
黒川氏:中心のふたりもそうですが、ワキの橋爪(功)さんですね。あの方は大阪出身で天王寺高校出て18歳で東京へ出て行った人。これぐらい下町の大阪弁しゃべれる人はいない。

――そうしますと現場はほとんど大阪弁?
小林監督:大阪弁が標準語でしたね。

――黒川さんは現場には?
黒川氏:1回だけ行きました。出演もしました。どことは言いませんので見つけて下さい。私は映画には“アルバム代わりに”出たい。その年の自分が分かりますからね。

――監督は黒川さんの出番は意識してますか?
小林監督:脚本を書いてる時は“どこがええかな”と思ってますけど。
――黒川さんは出番の時は何を?
黒川氏:女優さん見てるなあ。今年は女優さんと一緒の出番がなく、本もののスッチーさんがいた。他の女優さんとはあいさつも出来なかった。
小林監督:今度一回、お食事でも…(笑)。

――あべのハルカスや御堂筋、アメリカ村など随所に大阪が登場しますが、大阪テイストは満点?
小林監督:どうしても違法駐車出来なかったので、グリーンバックで合成しました。なんで大阪で合成せなあかんのか、と思ったけど。

黒川氏:完成版は1回だけ見ましたが、ホントにとても面白い。小説は長くて、全部映画にしたら6 ~ 7時間かかる。それを2時間以内に収めて、なおかつ華を入れている。全部やってくれたんやからたいしたもんや!
小林監督:あんまり郷土愛はないんやけど、ぜひ楽しんで観て頂ければ嬉しいです。

 



◆映画『破門 ふたりのヤクビョーガミ』 (2017年1月28日公開)

今年『後妻業の女』の映画化で注目を集めたミステリー作家・黒川博行氏の「疫病神」シリーズ第5作で 151回直木賞を受賞した『破門』を、大阪生まれの小林聖太郎監督が映画化。原作通り、大阪を舞台に、全編小気味いい大阪弁が飛び交う痛快無比の“バディ・ムービー”が誕生した。主演は京都生まれの佐々木蔵之介、相棒役に関ジャニ∞の横山裕が単独映画初出演。脇役にも大阪出身の名優・橋爪功ら「本物の大阪弁をしゃべれる」にこだわったキャスティング。


イケイケやくざの桑原保彦(佐々木蔵之介)と、彼を迷惑がりながらも離れられないヘタレで貧乏な“建設コンサルタント”二宮啓之(横山裕)のコンビのアブない“裏稼業”暮らしの日々…。「サバキ」と呼ばれる建設現場での“暴力団対策”を主なシノギにする二宮は仕事で「二蝶会」のコワモテやくざ桑原と知りあったのが運のつき。以来、何かとトラブルに巻き込まれっぱなしで、桑原は二宮の「疫病神」そのもの。仕事の都合上、縁を切ることも出来ず行動を共にしている。


そんなある日、二宮は映画プロデューサーの小清水(橋爪功)から映画企画を持ち込まれ、桑原のいる二蝶会の若頭・嶋田(國村隼)に紹介したことからとんでもないドツボにはまりこんでしまう。小清水が食わせもので、金をかき集めて愛人の玲美(橋本マナミ)とドロン。桑原と二宮は小清水を追ってマカオのカジノにまで追いかける…。


漫才も顔負けの大阪弁トークがすこぶる快調!このあたりは黒川氏の独壇場。加えて、大阪の名所「アベノハルカス」や「関空」、レストランも難波の老舗「はり重」などなじみの地名や店名がどっさり出てきて「大阪人なら120%楽しめる出来」が売り物になっている。


(安永 五郎)

式サイト

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美しき日本の文化を伝承する松雪泰子主演『古都』、京都プレミアイベントを開催
(16.11.16 ウェスティン都ホテル京都 葵殿)
登壇者:松雪泰子(主演)、Yuki Saito(監督)、新山詩織(エンディング曲)、小林芙蓉(書道)、松山大耕(禅)、門川大作(京都市長) 
 
文豪川端康成の代表作で、過去に岩下志麻、山口百恵を主演に2度映画化された、京都に生きる生き別れた双子の姉妹を描いた『古都』。原作誕生から50年以上経った現在の京都とパリを舞台に、主人公千重子、苗子の20年後を描く新しい『古都』が生まれた。
 
 
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監督はハリウッドで8年間映画作りを学び、京都ヒストリカ国際映画祭関連企画の京都フィルムメーカーズラボにも参加経験のあるYuki Saito。千重子、苗子を一人二役で演じる松雪泰子、千重子の娘、舞を演じる橋本愛、苗子の娘、結衣を演じる成海瑠子が、伝統を継ぐか、自分の好きな人生を歩むか葛藤する娘と若い頃の自分と重ねる母の姿を小説のように美しく、鮮やかに演じている。京都で暮しているかのようにはんなりと流れる時間を感じる一方、千重子が身に付けている着物や、物語の鍵となり過去の『古都』ともつながる北山杉の帯の美しさや、京都で受け継がれてきた様々な文化の豊かさを体感できる作品だ。
 
 
 
 
 

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作品の舞台となり、全面ロケを敢行した京都で、11月16日にプレミアイベントが行われ、プレスや関係者、一般客の前で、本作にちなんだパフォーマンスや記者会見が行われた。
冒頭に横澤和也さんによる岩笛演奏と共に、本作にも出演され、題字を担当した書道家の小林芙蓉さんによる書パフォーマンスが行われた。舞を踊った後に大筆で、気合いのこもった掛け声と共に全身を使って見事な書が描かれ、池坊専好次期家元による生け花の横に飾られた。映画の世界をそのまま体現した会場に、引き続き主演の松雪泰子さん、Yuki Saito監督、エンディング曲を担当した新山詩織さんがレッドカーペットから登場し、感激の面持ちで挨拶してから記者会見へと移った。
 
 

 

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―――日本文化が色濃く描かれている作品ですが、特にこだわった点は?
Saito監督:まず、全て本物にこだわりました。お茶道具、着物も素晴らしいですが、なぜ本物にこだわったかといえば、そこに宿っている魂、本物だからこそ今まで培ってきたものが備わっているからです。
 
松雪:私は役を通して、この京都で生きることがどういうことなのか、私なりに作品に入る前に様々な稽古を通す中で学びました。できる限り、この土地に存在して生きている女性を自分の感覚と体、表現を通してしっかり体現したいと思い、撮影に臨みました。お茶や着物の所作、着付け、お料理など、肉体を通してしっかりと京都に存在することを丁寧にやりたい。それを体現することで文化を表現したかったのです。 
 

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―――名作『古都』を改めて映画化した意味は? 
Saito監督:偉大な中村登監督や市川昆監督が映画化し、名作として既に存在している映画『古都』ですが、過去あったものやその世界をそのまま焼き増しするのではなく、現代の京都、新しい視点を加えることができれば私でも撮れると思いました。『古都』には、日本人の精神性や、目には見えない宿命が描かれています。 川端香男先生からは「映画と小説は違うから、自由にやりなさい。ただ川端文学にあるように、今の京都をしっかり描く。その精神だけは受け継いでほしい」とおっしゃっていただいたのは、有難かったです。一番気を付けたのは精神性です。登場人物たちが京都やパリで生きることで、ある種の宿命や運命を背負います。私は、運命は変えられるもの、宿命は変えられないものと思っています。その狭間にいる京都の人を描いていきました。
 
松雪:川端先生の『古都』は、本当に偉大な作品です。改めて読み返すと、本当に美しく、京都文化の奥深さが、言葉による表現でありながらも絵のように広がります。その精神はかつての古都の時代から生きて、子をはぐくみ背負う宿命、渡す立場の人間でしたので、しっかり引き継いで表現したいという思いで臨みました。 
 
撮影で建物の歴史や存在する家の空気を感じた時に、全身に歴史の重みを感じながら演じることができました。簡単に「継承」などできませんが、どう若い世代に渡していくべきか。伝統の重みは計り知れない大きなものですが、母である役柄を通して、娘になにをどう伝えるか、苦労しながら演じました。若い世代の娘たちに対し、一方的に想いを押しつけるのではなく、同じ時間軸の中で葛藤しながらお互い成長する。どういう風に表現したら一番伝わるのか、皆でセッションをしながら作品を作り、一生忘れられない体験となりました。
 
―――中島みゆきさんの名曲『糸』をカバーした気持ちは? 
新山:学生時代からふとした時に耳にした曲で、年代を問わずにたくさんの人に響く曲です。 今回この映画の中でエンディング曲として歌わせていただきましたが、映画は京都の美しい景色に優しく寄り添えるように歌いました。名曲なので緊張感はありましたが、それも含めて、新山詩織としてこの曲を歌いましたし、観た方に届けばうれしいです。 
 
 
 
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―――日本の美、心を演じられるにあたって具体的にどのような部分を意識したのですか?

 

松雪:実際に伝統的な織物や建造物にふれていく中で、役を演じるにあたり歴史的背景を学び、そこに息づくエネルギーをすごく感じました。学ぶ機会があることは、日本古来の伝統的な美しさをより感じることができますし、この映画がそのきっかけになればいいなと思いながら、撮影しておりました。 準備にあたっては、着付けのお稽古や京言葉を1ヶ月半練習し、できる限り体現できるように準備をして臨みました。 
 
―――具体的に現場ではどのようなセッションをして、より作品を深めていかれたのですか?
Saito監督:1本の作品を撮るのに2年間準備をさせていただいたのは、すごく幸せなことでした。脚本も50稿まで書きましたし、撮影に入るまでに何度もディスカッッションできました。何度もロケハンで回り、全アングルが頭に入っているぐらいの準備をして撮影に臨みましたが、お着物姿の松雪さんが千重子として、町屋やお寺で現れた時、それらがパッと消えてしまう瞬間がありました。やはり松雪さんや橋本さんのお芝居を見せてもらい、現場で起きていることが正解ですから。町屋の撮影では、例えば「小津監督のフレームに自然と収まるようになるな」と学びながら行っていきましたし、娘と母の距離感は実際の現場でのお芝居を見ながら変えていった。そんなセッションでしたね。 
 
 
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―――川端康成の『古都』の原作が書かれたのは約50年前ですが、当時あったもので現代にはなかったものは?また、それに対してどう対処したのですか? 

 

Saito監督:精神は何かという見えないものを探っていくと、「川端先生はなぜ『古都』を書かれたのか」と考えました。50年前の当時、失っていくものを感じて「これは今、書いておかなければいけない」という思いから始まった。そうすれば、50年たち川端先生が見た景色より、失われたものはさらに多くなっています。特にオープニングシーンでは中村登監督の初代『古都』にオマージュを捧げる意味で、格子や鍾馗さん、瓦という京都のディテールから、クレジットとともに京都の街を描こうとしました。でも、絵を引けないのです。クローズアップでディテールは撮れても、引いた映像を撮ると、どうしても隣接するマンションや駐車場が映り込んでしまう。ただ、そこを排除して、昔の姿が残されている所ばかり撮っても、現代版にした意味がなくなる。ですから、引くことにより、マンションや工事中の現場もしっかり押さえることで、今の京都を描きました。2年間取材をする中でも町屋だったところが更地になったのが何軒もあり、現在進行形で起きているので今のうちに描かないと、と強く思いました。この感覚は50年前に川端先生が感じられたものに、少し近いのかもしれません。 
 
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この後、「奇跡的に発見した」という、東山魁夷の代表作『北山初雪』からイメージした北山杉柄の対の帯についても話が及んだ。「発見したとき、これは映画の軸に入れなくてはいけないと思った。夏の帯と秋の帯で、千重子と苗子がそれぞれ娘に受け継いでいくものを表現した」とSaito監督が語ると、財団法人川端康成記念会事務局長の水原氏は「それまで注目もされていなかった、あの美しい北山杉の美林を発見したのは川端さん。昭和38年に朝日新聞で連載を始めた『古都』で初めて取り上げ、有名になった。昭和30年代の半ば、京都にビルが建ち始めたときに『山が見えない京都は、京都ではない』と嘆き、激変する京都を描いて欲しいと親交が厚かった画家東山さんに頼んだ」と、物語のイメージを形作る北山杉や、東山魁夷と川端康成の秘話を語られた。
 
 

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「『古都』というタイトルが背負う意味として、京都の人が認めていないものを、世界に持っていけないというポリシーが自分の中にあります。まずは京都の人に観ていただき、まだ小さい産声ですが、その声を大きくしていくことでこの作品が成長していくと思います。京都から全国、そして最終的には日本人の精神が詰まったこの映画を世界に発信していきたいと思っています」(Saito監督)、「深く静かに、丁寧に時間が進む作品。今、映画館に足を運び、自分自身と向き合いながら観ることができる作品は少ないです。『古都』はすごく豊かな時間を過ごしていただける作品になったのではないかと思います。」(松雪)と記者会見を締めくくると、新山詩織さんがエンディング曲、『糸』を生演奏で披露。アコースティックギターを演奏しながら、奏でられる若々しくも少しハスキーな歌声が、聞きなれた名曲に新たな命を吹き込んだ。
 
 
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続いてスペシャルゲストとして登壇した書道家の小林芙蓉さんは、「川端康成の心と精神がとても出ている。美しい映像、テーマは水と祈りではないか」と作品にメッセージを寄せた。また、妙心寺退蔵院副住職の松山大耕さんは、「京都の人だったら躊躇して撮れなかったが、Saito監督は外から京都を見てくれた。京都の気持ちを伝えるのに一番難しいのは、歩き方や襖の開け方、足の運び方など日常の所作。若い世代の人が出演しているので、京都の美しい景色やお道具だけでなく、所作の美しさを少しでも味わっていただきたい」と作品の見どころを語った。
 

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最後に、門川大作京都市長が登壇。「伝えられる日本の伝統、伝えたい日本の心という言葉がぴったりの多くのことを考えさせられる映画。1000年を越えて伝わってきた精神文化、書道、華道、茶道、それらを支える伝統産業。なによりも大事なのは京都に伝わる心を京都市民が暮らしの美学、生き方の哲学として伝えていかなければなりません。この50年で日本中の伝統産業が危機的状況にあり、山林も荒れ、京町屋が毎日のように潰されていますが、我々は行動しなければなりません。何を大切にし、何を伝えていくか。それで豊かに暮らしていける循環が大事です。2年後に京都とパリの友好都市が60周年を迎えるにあたり、このような映画を作っていただき、本当にうれしい。どうぞ、多くの方にご覧いただきたい」と挨拶し、映画『古都』京都プレミアイベントを締めくくった。
映画制作のスタッフ、キャストだけでなく、京都の行政、文化人の方々が全面的に協力し、今後残していきたい精神と美を織物のように織り上げた新生『古都』。京都力、そして双子のようなフランスの古都、パリの魅力と共に、いつの世も変わらぬ母娘の絆が心に残ることだろう。
(江口由美)
 

<作品情報>
『古都』(2016年 日本 1時間57分)
監督:Yuki Saito
原作:川端康成『古都』新潮文庫刊
出演:松雪泰子、橋本愛、成海瑠子、蒼れいな、蒼あんな、葉山奨之、栗塚旭、迫田孝也/伊原剛志、奥田瑛二他
2016年11月26日(土)~京都先行公開、12月3日(土)~全国公開
公式サイト⇒http://koto-movie.jp/
(C) 川端康成記念會/古都プロジェクト
 

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「心の故郷は台湾」歴史に翻弄された湾生たちに密着したドキュメンタリー
『湾生回家』ホァン・ミンチェン監督インタビュー
 
1895年から50年に渡って続いた日本統治時代には、日本から渡った官僚や企業の駐在員、移民として渡った土地を開拓した農業従業者など、多くの日本人が住んでいた。「湾生」とは、戦前の台湾で生まれ育った約20万人の日本人を称する言葉。11月26日からシネ・リーブル梅田他で順次公開される『湾生回家』は、湾生たちが終戦で日本本土に強制送還された後、どのような人生を歩んできたか、そして彼らが生まれ育った故郷、台湾の地を再び訪れる姿を綴るドキュメンタリーだ。
 
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台湾でドキュメンタリーとしては異例の大ヒットを記録。大阪アジアン映画祭2016ではオープニング上映後スタンディングオベーションが起こり、観客賞にも選ばれた同作。終戦後70年以上経っても、心の故郷台湾にいた頃のことを思い返し、その地に戻りたいと痛切に願う湾生の皆さんの姿や、台湾から湾生の肉親のルーツを辿って日本を訪れる子孫たちの姿など、戦争で引き離された家族や友人たちが長い時を経て再会を果たす「絆」を感じる物語でもある。台湾と日本の、あまり知られることのなかった歴史の一面に光を当て、浮かび上がらせたという点でも必見作。劇中で流れる懐かしいメロディー『ふるさと』が、観る者の心の中にある故郷の記憶を呼び起こしてくれることだろう。
 
本作のホァン・ミンチェン監督に、湾生の皆さんにインタビューをして感じたことや、湾生たちを通して見つめた日本統治時代、そして湾生と台湾人との共通点についてお話を伺った。
 

■初めて知った「湾生」という存在。台湾の記憶も思い起こさせてくれた。

―――台湾はドキュメンタリーとして異例のヒットを記録し、若い観客も多かったそうですが、どんな感想が寄せられましたか? 
ホァン・ミンチェン監督:(以降ホァン監督)「とても感動している」との声が多かったです。言葉にならないという方も多く、自分のアイデンティティの拠り所など、心の奥の柔らかい部分を刺激したのではないでしょうか。 
 
―――本作を撮ることになった経緯は?
ホァン監督:元々、日本にはとても興味がありますし、初めて訪れた海外は25年前の京都でした。2013年にファン・ジェンヨウプロデューサーから電話でオファーされ、そのときに「湾生」という言葉を初めて聞きました。それから湾生の方を探して、取材を重ねた訳ですが、徳島の大学の先生から冨永さんを紹介していただきました。清水さんは早い時期に花蓮に来てくださり、色々とお話を伺うことができました。 
 
―――私も「湾生」という言葉を、この映画で初めて知りました。
ホァン監督:今回たくさんの湾生の方々にお会いし、彼らがこんなにも台湾のことを愛してくださっているのを目の当たりにしました。これは台湾人である我々が注目する点です。日頃そこで暮らしていると、台湾の良さになかなか気づきませんが、台湾の記憶までも思い起こさせてくれました。 
 

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■湾生の人たちが、自らのアイデンティティについて悩む姿は、台湾人も同じ。

―――映画で登場する湾生の方は、官僚として台湾に赴任した家族のご子息もいれば、開拓移民として台湾に行き、何代にも渡って現地で暮らしてきた方もいらっしゃいました。たくさんお会いになった湾生の方の中から映画の6名を選ばれた基準は?
ホァン監督:私を感動させてくれるかどうかが基準となっています。彼らの人生、日本に引き揚げてからどのように暮らしてきたのかについて、私が感動するということは、観客も感動するのではないかと思いました。
 
また、彼らの体験を共有できるかも重要でした。私の人生の中でも、アイデンティティについて考えることがよくあり、その部分は湾生の方と同じなのです。彼らが持っている疑念は共有できますし、人生の大先輩でもある彼らが自らのアイデンティティについて悩んでいる姿を見て、そう思いますね。
 
―――湾生の方は、常に自らのアイデンティティについて問い続けていましたね。
ホァン監督:彼らの持っている悩みは、中国と日本という2つの文化の狭間で、アイデンティティに悩んでいる台湾人が持っている悩みと同じです。文化の狭間で悩む一方、何かを生み出す力もあり、悩む部分も人間を成長させるのに大事な部分ですね。 
 
―――映画で登場された方以外にも、30人近くの湾生の方とお会いになったそうですが、インタビュー中、どのような様子でしたか? 

 

ホァン監督:子どもの頃カエルを膨らませたりしたイタズラや、些細なことも色々はなしてくださいました。子どもの頃の話は嘘がありませんし、体で覚えている記憶を皆さん、うれしそうに話してくださいましたね。 
 
―――本作の中でも小さい頃から台湾人やタイヤル族の子たちと遊んでいたという冨永さんが、様々なエピソードを語っておられ、非常に印象に残ります。 
ホァン監督:冗談を言うのが大好きなおじいさんといった感じですね。撮影の時はとても喜んでくれましたが、普段はとても孤独な感じを受けました。今回、この映画の撮影を通じて、周囲に人がいることや、多くの湾生の知り合いと出会えたことを本当に喜んでくださっていたようです。 ちなみに冨永さんは元大学教授で台湾原住民の研究をされていたそうです。
 
―――台湾では映画を見て冨永さんのファンになった若いファンもいたそうですね。 
ホァン監督:台湾では冨永さんにサインを求める方もいたそうです。撮影中には「この映画の主役は私」ともおっしゃっていました(笑)。 
 

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■湾生の方が台湾で過ごした一つ一つの経験は、書物でも探すことはできない。

―――70年以上昔の話でありながら、湾生の皆さんは昨日のことのように、時には涙を浮かべながら語っておられました。当時の台湾を知る上でも、非常に貴重な証言です。
ホァン監督:今まで自分たちが経験したことに興味を持って下さった人がいなかったので、このように取材で話を聞いてもらえるということを嬉しいと思っていただいたようです。日本の戦争の記憶は決まりきった部分だけのように感じます。湾生の方の存在という、今まであまり注目されなかったところを今回取材し、時間を共有することに対して、とても協力的。話せることは何でもという気持ちが、伝わってきました。湾生の方が台湾で過ごした一つ一つの経験は、書物でも探すことはできません。多くの台湾人に、日本統治時代の知られざる一面を明らかにすることになったのではないでしょうか。 
 

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■50年の統治を受けた日本をなぜ台湾人が好きなのか。その疑問が映画を作る原動力に。

―――それぞれの個人史を紐解くドキュメンタリーである一方で、日本統治時代の知られざる歴史を湾生たちの語りから綴っています。監督ご自身は日本統治時代をどうとらえていらっしゃいますか? 
ホァン監督:とても複雑ですね。日本はとても好きですが、多くの台湾人が日本を好きだというのは、少し誇張されている気がします。50年も植民地としての統治を受け、私自身も、なぜ台湾人がこんなに日本を好きなのだろうと思いますから。私が知っていることの多くは本やメディアから得たものなので、完全には信じられません。やはり自分が湾生の方たちと直接交流して得たものの方が信じられますね。50年の統治を受けて、なぜ台湾人が好きなのかという疑問がこの映画を作る原動力になりました。
 
―――なるほど。そのような疑問を原動力にした『湾生回家』を撮り終え、ホァン監督の中で何か新しい気付きはありましたか?

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ホァン監督:普段興味があるのは、台湾人が日本人をどう思っているのかという点でしたが、日本人が日本人をどう思っているのかをあまり考えたことがありませんでした。今回撮影で気が付いたのは、日本人の中に、台湾に対して申し訳ないという気持ちがあるということです。松本さんのお嬢さんが「アジアの国は日本のことを嫌っているのに、台湾は日本のことが好きだ」とおっしゃっていたのには、非常に驚きました。今まではその意味を理解することができなかったし、そして今回の撮影で一番困難な部分でした。
 
―――台湾語を話せる湾生の方は、直接監督とお話されたのでしょうか?
ホァン監督:湾生の方が台湾に住んでいた頃からかなり時が経っていたので、そこまで多くはなかったです。ただ、家倉さんと松本さんは、日本が戦争に負けてから本土に帰るまで2年ぐらいかかったので、国民党政権下での学校にも通い、中華民国の国家も歌っていたそうです。それは多くの人が知らなかった事実です。この2年間は私にとっては非常に興味深いのですが、一般的にはあまりそう思われていません。
 

―――今回密着した湾生の皆さんの存在を、どのように捉えていますか?
ホァン監督:人類の歴史の中の、一つの証明と言えるのではないでしょうか。人はある時期愚かであり、興奮しすぎたこともありましたが、戦争は二度と起こしてはいけません。

 
―――湾生に密着することで、日本と台湾の歴史に触れる作品を撮られましたが、今後、また別の切り口での構想はありますか?
ホァン監督:私は『湾生回家』を撮るずっと以前から、どのような題材がいいか考えています。感情的に日本が好きという部分もありますが、やはり台湾の歴史の中で日本がもたらしたことの重みはとても大きい。ドキュメンタリーにせよ、劇映画にせよ、感動できるかを念頭に置いて、取り組んでいきたいですね。
 
―――最後に、メッセージをお願いします。
ホァン監督:日本と台湾の交流だけではなく、人間の普遍的なテーマを描いています。自分の心を失ってしまうと、自分が住んでいる社会に溶け込めず、孤独に陥ってしまいますから。『湾生回家』を通して、日本と台湾で心の交流や絆があることを感じていただけるでしょう。それは、私にとって非常に光栄なことなのです。
(江口由美)
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<作品情報>
『湾生回家』
(2015年 台湾 1時間51分)
監督:ホァン・ミンチェン
出演:冨永勝、家倉多恵子、清水一也、松本治盛、竹中信子、片山清子他
2016年11月26日(土)~シネ・リーブル梅田、ユナイテッド・シネマ橿原、12月17日(土)~京都シネマ、今冬~元町映画館他全国順次公開
公式サイト⇒http://www.wansei.com/
(C) 田澤文化有限公司
※11月27日(日)シネ・リーブル梅田にて、出演者冨永勝さん、家倉多恵子さん、松本治盛さんの舞台挨拶あり
 

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目標体重100キロ!松山ケンイチ、命がけの役作りを語る。
『聖の青春』舞台挨拶
登壇者:松山ケンイチ、森義隆監督、森信雄師匠(16.11.8 なんばパークスシネマ)
 
弱冠29歳の若さで亡くなった伝説の棋士、村山聖。病魔と闘いながら、将棋に命を捧げた村山の生涯を描いた大崎善生のノンフィクションを、『宇宙兄弟』などの森義隆が映画化した。村山聖役には自ら名乗りを上げた松山ケンイチが、外見、内面の両面から人物像に肉薄し、命を削って将棋に打ち込む姿を熱演。村山の最大のライバルである羽生善治は東出昌大が扮し、手に汗握る対局シーンをはじめ、尊敬しあう二人の関係を見事に甦らせた。村山の師匠であり、病魔に侵された村山を支え続けた森信雄師匠をリリー・フランキーが演じ、その包容力で村山ら若き棋士、そして映画を支えている。
 
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一般公開を前に11月8日(火)なんばパークスシネマで行われた先行上映会では、主演の松山ケンイチと森義隆監督が登壇。大阪・福島の将棋会館や、村山が住んでいた前田アパートでロケも行い、ゆかりの地での凱旋試写会に満席の客席から熱い拍手が送られた。スペシャルゲストも登壇し、在りし日の村山聖さんそのままの松山ケンイチ版「村山聖」を絶賛した、話は尽きない舞台挨拶の模様をご紹介したい。
 

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松山:みなさん、こんにちは。村山聖役をやらせていただきました松山ケンイチです。今日はお越しいただき、ありがとうございます。関西の将棋会館や、前田アパート周辺でも撮影させていただき、ある意味地元で試写会ができたことをうれしく思っています。短い時間ですが、よろしくお願いいたします。

森監督:『聖の青春』の監督を務めさせていただいた森です。満席の中、ロケをした大阪で初めて観ていただけるのは、緊張もありますがすごくうれしい思いです。今日はよろしくお願いします。
 
―――松山さんご自身から村山聖役に名乗りを上げたそうですが?
松山:村山聖さんのことを知ったのは、僕が29歳の時でした。本棚を整理していたら、奥から『聖の青春』が出てきて読んだのがきっかけで、村山さんの生き方、命に対しての向き合い方に僕自身胸に突き刺さるものがあったのです。人生は人それぞれに向き合うテーマでもあるので、色々な人に村山さんの生き方を知ってほしい。そこから何か受け止れるものがあるので、ぜひやりたいと思っていました。
 
―――ポスターに写っている主人公が、松山ケンイチさんですよね?
松山:サモ・ハン・キンポーではないですね(笑)。今年の1~2月に撮影していたのですが、当時はいていた下着のパンツを僕はいまだに履いているのですが、(当時のサイズに伸びてしまい)パンツが元のサイズに戻っていないんです。だから、ズボンを履くと逆にずり上がって、ずっと食い込んでいるという・・・ネタバレでした。
森監督:そんなシーン、撮ってないですよ(笑)
 

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―――撮影中の松山さんの様子は?
森監督:企画から8年の歳月がかかった映画ですが、(村山聖役は)本当に難しい、命をかけないと演じられない役であり、自ら手をあげてくれた松山君を除いて選択肢はありませんでした。8年というのは、松山君が29歳になるのを映画が待っていた。それに僕自身も29歳のとき原作に出会いましたから、同じ時に、同じものが刺さり、そこに松山さんと向き合った時間でした。スタートからそうでしたから、僕ももちろん太ることを提案しようと思っていましたが、(松山君にとっては)そんなことは当たり前で、勝手に目標体重をきめていました、100キロと。それだけの意気込みで来ていたので、僕の現場での仕事は村山が命を燃やし続けるのですが、順撮りしながら、最後まで 燃やし続けるように見守ること。松山君が命を燃やす姿を見るのが幸せでした。
 
―――撮影を順撮りにした理由は?
森監督:村山さんは時間が限られた中で生きていた人。松山君自身も刻々と迫りくる時間の中で一つ一つ感じた意味をシーンの中で表現してほしかったのです。順撮りは時間もお金もかかります。でも、僕ギャラ要らないと申し出たぐらい、村山さんが生きた軌跡を撮るために順撮りすることはとても重要でした。松山君自身が、この映画の中を迫ってくる時間の中で生きていたと思います。
 
 
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―――福島(大阪)の将棋会館で撮影されていますね。
松山:朝、将棋会館で取材があり、久しぶりに出入り口からエレベーターに入るのを見るだけでも撮影当時が蘇ります。対局室でプロの方の対局も見学させていただきました。今はただの部屋ですが、その中に刀を持って切りあいをしていたような殺気がみなぎっていたのだなと。僕らはプロ棋士ではないので、醸し出される空気感をどう表現していくかという闘いでもありました。
 
―――息詰まる対局シーンが見事でしたが、撮影は大変でしたか?
松山:この作品に携わる皆に共通することですが、村山さんに惚れ込んでいる。将棋が大好きで、好きという気持ちは何でも越えるんですね。苦しさや楽しさをも越え、どこまでも深くもぐっていける気になるし、これができるなら何もいらないという気持ちにさせてくれたのが、将棋であり、将棋に生きる人たちでもあり、村山聖さんでした。 
 

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(ここでスペシャルゲストとして、村山聖の師匠であり、献身的に村山さんを支えた森信雄師匠がご登壇、大きな拍手で迎えられた。)

 

森師匠:この映画は村山聖を、松山ケンイチさんが熱演を越えたような、途中で村山君と声をかけそうになったぐらいでした。今日は松山ケンイチでカッコいいですけれど。映画の時は村山聖で、声をかけても村山聖であり、親しくさせていただきました。今日はゆっくり映画を観てください。

 
―――松山さんは、師匠とは何度も会っているのですか?
松山:撮影前には取材で、撮影中も将棋会館の対局シーンでは将棋指導として、とてもたくさんアドバイスをいただきました。最後にお会いしたのは京都で、撮影が終わって全てを出し尽くした後に森師匠に会いたいからと呼び出して。初対局をさせていただきました、麻雀で。村山さんも麻雀をやっていたし、師匠もやっていたので、これはぜったいにやらなければと。結果、師匠にボコボコにされました。
 
―――映画では松山ケンイチさんが骨身を削って演じた村山聖と、師匠がご存じの村山聖さんとはかなり一致していましたか?
森師匠:大阪ロケのとき、間違えて声をかけたくなるぐらいでした。演じているのではなく、村山聖がいて、18年ぶりに彼に会えたような気持ちでした。
 
 
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―――劇中で森師匠役はリリー・フランキーさんが演じています。
森師匠:リリーさんは淡々とされているので、だいぶん皆に「森さんよりカッコいい」と言われました。
森監督:村山さんの人生にとって森師匠は本当に大きな存在。動物のような方であり、愛のかたまりであり、原作の大崎さんは「純真がヘドロをかぶったような人」と上手い表現をしていますが、映画の中では純真の部分を描こう。森師匠のもっている変なものに縛られない自由な生き方の匂いを感じとり、そういう佇まいを持っている人がリリーさんだったのです。 
 
―――森師匠とお話することで、在りし日の村山さんの雰囲気を吸収されたのですか?
松山:実際の村山さんを知っている人に取材することが、スタート地点でした。森師匠やプロ棋士のみなさん、ご両親などにインタビューしましたが、皆言うことが違うんです。すごく多面的で、自分のある面を出す人、出さない人がいる。そして、皆笑って村山さんの話をするので、それだけ愛された人なのだと思いました。
 
―――森師匠から見て、村山さんはどんな弟子でしたか?
森師匠:かわいかったですね。時々憎ったらしいのですが、冷静なところと子どもっぽいところがあり、色々な表情がありました。
松山:森師匠の人柄をみることで村山さんを感じました。血のつながっていない親のような存在です。師匠を通して村山さんを見つけていきました。
 
 
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―――森師匠から見て、将棋のシーンはいかがでしたか?
森師匠:ロケのとき、僕は「もういい」と言ったシーンでも、松山さんは納得せずに、微妙なところを感じてくれ、頑固な部分が垣間見れました。最後はいい駒音がでていました。
松山:将棋は未知の領域です。プロ棋士の美しい指す仕草もそうですし、みなさんは何十年も指し続けていらっしゃいます。撮影では、とにかく頼りになるのは森師匠でしたから、対局のときはずっと師匠の顔を伺っていました。
 
―――羽生さんとの対局シーンは見事でしたね。
松山:棋譜は全部覚えていました。
森監督:2時間半の長まわしで最初から最後まで全部撮りました。本当の瞬間、村山さんが生きた魂の瞬間を少しでも撮りたいと。最後の最後に撮ったシーンですが、松山さんは、そのときは村山聖でした。病でせっぱ詰まったところでの対局シーンを、「用意スタート!」「カット!」の連続では撮れません。そこまで俳優ができるか、博打のような部分がありましたが、松山君も東出君も「やりたい」と言ってくれました。
 

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(最後のご挨拶)
森師匠:村山聖が18年ぶりに帰ってきた映画なので、じっくり見てください。
森監督:将棋の映画ですが、生きるということの映画です。村山さんは限られた時間で命を燃やしましたが、それは僕もみなさんも一緒。無限の時間を生きている訳ではないと僕も村山さんに教わりながらこの映画を作りました。感動とか、泣けたということではない、何か刺さるようなもの、自分の生き方に照らし合わせて見てもらえたら、うれしいです。
松山:役者を15年やらせていただいて、スタート地点に立つまでに、一番役を作る時間がかかりました。役者の自分がそうではない自分を暴力でたたきのめす時間が長かったです。完膚なきまでに叩きのめされた自分がどこかにあり、自分にとってすごく貴重な経験でした。命を燃やすということは手放しでいいことだとはいえない部分があります。ただ自分の意志で、自分の好きなように燃やすことは誰も文句が言えないし、すごく美しいことです。村山さんの中でも、自分に暴力をふるってしまう部分もありますが、公開されてから、役者の自分をまた完膚なきまでに叩きのめしてやろうと思っています。
(江口由美)
 

<作品情報>
『聖の青春』
(2016年 日本 2時間4分)
監督:森義隆
原作:大崎善生『聖の青春』(角川文庫/講談社文庫)
出演:松山ケンイチ 東出昌大 染谷将太 安田顕 柄本時生 北見敏之 筒井道隆 竹下景子 リリー・フランキー
2016年11月19日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://satoshi-movie.jp/
©2016「聖の青春」製作委員会
 

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『でんげい』チョン・ソンホ監督トークショー
登壇者:チョン・ソンホ監督(16.11.5 シネ・ヌーヴォ)
 

大阪アジアン映画祭では『いばらきの夏』というタイトルで上映され、生徒たちのパフォーマンスと共に大反響を呼んだ青春ドキュメンタリー映画が、『でんげい』とタイトルを改め、大阪・九条シネ・ヌーヴォで11月5日(土)より先行ロードショーされている。

 
タイトルの「でんげい」とは、大阪市住吉区にある建国高等学校・伝統芸術部の通称。民族学校である同校の「でんげい」は、大阪代表として全国高等学校総合文化祭に2016年現在で12年連続出場を果たし、また総合文化祭でも常にトップクラスの評価を得ている。この「でんげい」に出会った韓国のテレビ局・釜山MBCのプロデューサー、チョン・ソンホ監督が、本番に向けて練習に励む部員たちの日々に密着。テレビドキュメンタリーとして放映され、その後映画版に編集、韓国で公開された本作が、キノ・キネマ配給により、日本にも届けられることになった。
 
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『でんげい』大阪先行ロードショー初日初回上映後には、チョン・ソンホ監督が登壇し、キノ・キネマ代表岸野令子さん司会のトークショーが開催された。冒頭で、日本劇場公開を祝って、建国高等学校・伝統芸術部員の皆さんが花束を持って駆けつけ、ソンホ監督に花束が贈られた。
 

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部員を代表して、本作でも撮影当時高校1年生ながら必死で練習に励む姿を見せていたカン・ソナさんが、「今日はこうして私たちの映画を観に来てくださり、本当にありがとうございます。私たちはご覧のとおり毎日伝統芸術部で一生懸命活動しています。2年前ドキュメンタリーとして作られたのが、こうして映画となり、日本にきて私たちもいい経験をさせていただいていると思います。ソンホ監督にも感謝しています。映画を観て、私たちのことを知っていただいた皆さんには、これからも頑張るので私たちのことを応援してください。よろしくお願いします」と日本と韓国語で挨拶。大きな拍手が沸き起こった。

 
渡された花束を、「韓国には持って帰れないのが残念。この花束を是非お渡ししたい人がいる」と配給を手掛けている岸野さんに贈呈したソンホ監督から、引き続き、本作をなぜ撮ったのか、そのいきさつや観客とのQ&Aが行われた。その内容を、追加インタビューを交えてご紹介したい。
 

 


■「韓国でも高校でこれほど熱心に伝統芸術に取り組む学校はない」という驚き。

ソンホ監督:最初は建国高校の伝統芸術部を全く知りませんでした。もともとは韓国の週刊誌「ハンギョレ21」に日本の朝鮮学校の写真が載っており、それが今、自分たちの子どもの運動会でも見られない、昔の運動会の雰囲気でした。当時自分が経験した運動会を感じたドキュメンタリーを作りたいと思い、2014年に会社の安息月制度(1ヶ月の休み)を利用し、写真に掲載されていた大阪の学校を訪ねました。ただ、そこでは「南北関係が非常に難しい時期なので撮影できない」と断られてしまいました。そこで、現地コーディネーターの方に勧めていただいたのが、建国学校だったのです。
 
当時の校長先生から、「運動会よりも伝統芸術部の方が10年以上大阪代表で全国大会に出場しているので、案内します」と申し出をいただき、練習を見学できるとのことだったので、皆が練習している柔道場に案内してもらいました。2月で寒いのに半袖半ズボンで汗をかきながら練習している姿に、私は本当に驚きました。 韓国では、大学では伝統芸術部はありますが、高校でこんなに熱心に伝統芸術を練習しているところはなく、無条件に「これは撮ろう」と思いました。 
 

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■伝統が継承されていくことへの興味。マイノリティの伝統は、守る側も少数。

ソンホ監督:伝統芸術の全国大会があるなんて、韓国では考えられません。考えようによっては、日本が持っている文化の底力です。伝統芸術部の先生はどこの学校の先生も厳しいそうです。伝統をそのまま継承するには、その厳しさが必要なのです。もう一つ驚いたのは、大阪代表で韓国の伝統芸術が選ばれていることです。例えば韓国で日本の和太鼓のチームが韓国の地区代表に選ばれることはないでしょう。というのは、韓国は日本に植民地支配された被害者意識があるからです。だから、建国学校の学生たちが大阪代表に選ばれて全国大会に出場し、演技の素晴らしさが認められて賞を獲得するということが、新鮮な驚きでした。私の考えですが、マイノリティの伝統は、守る側も少数です。そういうものに、日本側も力を貸してほしいというのが私の願いです。

 

■政府からの支援金を得て、本格的に撮影。テレビ局制作のドキュメンタリーが劇場映画となり、日本で公開されるのは初めて。

ソンホ監督:撮影すると決めると、校長先生に「韓国できちんと準備をします。MBCの上司を説得し、韓国政府から映画制作支援金をもらい、十分な制作費で準備をしてから戻ってきます」と宣言し、一旦韓国に戻りました。こんな素晴らしい話に、制作支援金をもらえないなんて、ありえませんから。もちろん支援金をきちんとゲットしました!「でんげい」部員と顧問の先生の前で映画を撮ると報告し、皆さんの許可を得たことは、今でも覚えています。

 

■会社主導ではなく、自ら映画化、劇場公開へと動く。

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ソンホ監督:このようにして、まずはテレビのドキュメンタリーが制作されました。その作品がここまでくるとは思いも寄りませんでした。韓国でテレビ局がテレビ用に制作したドキュメンタリーが劇場映画として上映されるのは珍しいですし、ましてや日本で公開されるというのは初めてのことです。
 
ただテレビ用ドキュメンタリーを劇場公開用素材にする別予算は会社にはなく、また劇場公開する体制もありませんでした。ですから、素材に関することや、編集面では釜山国際映画祭関係者の知り合いにアドバイスをもらいながら、自分で進めていきました。特に苦労したのは編集です。テレビ放映では2部構成だったロングバージョンを、劇場用に短くした訳ですが、「テレビ的だ」と指摘されました。映画の文法とテレビの文法は違います。8回編集し直しましたが、私は20年間テレビ畑を歩んできた人間ですから限界があります。でも、本作のコンテンツが持っている力、子どもたちが持っている力で勝負しようと思ったのです。編集する間に、劇場公開する投資会社を自分で見つけ、会社の支援なしに劇場公開にこぎ着けることができました。
 
 
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■この映画には3つのタイトルがある。

ソンホ監督:大切なのは、この映画には3つのタイトルがあるということ。韓国で放映したテレビ用のタイトルは、『17歳、鮮華(ソナ)の挑戦』でした。ただ、韓国で劇場公開をするときに、インパクトが弱いので、集客のためにタイトルを変えた方がいいという投資家たちの意見をうけて『いばらきの夏』と改題したのです。そして、今回岸野さんが日本で劇場公開してくださるので、いろいろ考えた末、伝統芸術部の通称「でんげい」を映画のタイトルにした方がいいのではないかということで『でんげい』となりました。 
 
岸野さん:大阪では「いばらき」というと「茨城」ではなく「茨木」を連想されますし、『でんげい』と聞いて、「え?これ何」というところから興味を持ってもらいたいという狙いもありました。

 

■顧問の先生が怒っているシーンから滲む、生徒との信頼関係。

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ソナさん:(「チャ先生は人情に厚いが、最初から厳しく怒られたりしたのか?」 との問いに)練習するにあたり、普段からどんどん詰めていくところに向かって、私たちがもっといいものを出せるように指導してくださっています。そのおかげで、もっと上にいけると思っているので、(映画では)怒っているイメージがついていますが、とてもありがたいことだと思っています。 
 
ソンホ監督:いつも怒っていたからそうなりました(笑)。先生の真心と生徒の真心がかみ合っていたから、撮ることができた訳で、変なことになっていたら私は撮らなかったと思います。 
 
岸野さん:チャ先生の愛情や、生徒との信頼関係が出ていました。日本の学校では今、先生と生徒の関係が希薄になっているような気がするので、ここにはアツいものがあるというのは一つの発見でした。在日の方だけで留まるのではなく、日本の方にも観ていただきたいです。今、日本は色々な民族、宗教、文化の方が一緒に住んでいる社会なので、お互いがもっと仲良くなり、理解し合える社会になるために、この映画の果たせる力がある。そう思ったのが、配給を引き受けた大きな狙いです。 様々な偶然が積み重なっての結果ですが、それも運命かなと思います。
 

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■テーマは「子どもたちの成長」

ソンホ監督:私のドキュメンタリーのテーマは「子どもたちの成長」です。 (演技が)技術的に優れているのに賞をもらわないということは、私の関心外です。最後の川の土手に生徒たちが座っている場面は、私が映画的に演出した場面です。子どもたちがあのように集中的に練習するのは夢のよう。彼らの日常は、夏休みになればラフな服装でアイスクリームを食べながらおしゃべりをするものだと考えました。 子どもたちのありふれた日常や、熾烈な経験を経たことで日本の社会で生きる力を身につけたと思うし、それを撮りたかったのです。在日韓国人がどのような思いで根をおろして子どもたちを育てているかというところを観てほしいですね。 

 

■ソンホ監督からのメッセージ

ソンホ監督:日本の方がご覧になっても、説明なしで感じてもらえると思います。受験で一生懸命な時期にでんげいのようなクラブ活動で一生懸命だったことが、きっと後々役に立ちます。これは現在子育てをしている父兄たちへのメッセージとしても残せると思います。
(江口由美)
 

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<作品情報>
『でんげい』
(2015年 韓国 1時間37分)
監督・プロデューサー:チョン・ソンホ  撮影:キム・ウクチン  ナレーション:パク・チョルミン(「もうひとつの約束」)
出演:キム・ヒャンスリ、コ・スンサ、ソ・ヌンヒャン、チャン・スギョン、イ・スンオン、カン・ソナ、キム・ソンファ、イ・サフェ、イム・モジョン、チャ・チョンデミ、パク・ジョンチョル
2016年11月5日(土)~シネ・ヌーヴォにて先行ロードショー、以降、元町映画館、京都みなみ会館、名古屋シネマスコーレ他全国順次公開
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