レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

2019年7月アーカイブ

DSCN8457.jpg
 
誰もがグレーゾーンの中で生きている。
『よこがお』深田晃司監督インタビュー
 
 前作の『海を駆ける』では全編インドネシアロケを敢行し、ディーン・フジオカや仲野太賀の新たな一面を引き出した深田晃司監督。『淵に立つ』で凄まじい演技をみせ、高い評価を得た筒井真理子を主演に迎え、ある事件をきっかけに加害者扱いをされ、全てを失う女の絶望とささやかな復讐、そして再生を描いた最新作『よこがお』が、2019年7月26日(金)~テアトル梅田、なんばパークスシネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIX京都他全国ロードショーされる。
 
 終始張り詰めた雰囲気の中、美容師和道(池松壮亮)の前に現れるリサと、訪問看護先で基子(市川実日子)ら娘たちの勉強を教えてあげるほど信頼関係を深めている市子。同一人物だが真逆の境遇の二人が交互に描かれ、リサと名乗るようになった市子の企みや、結婚を目前に幸せだったはずの市子がなぜ全てを失ったのかが、じわりじわりと明かされていく。無実の加害者と言い切れない市子のグレーゾーンも描かれ、多面的な人物描写と、想像させる余白のある演出に、観終わった後、様々なことが頭の中を巡ることだろう。まさに登場人物の一挙一動から目が離せないサスペンスタッチのヒューマンドラマだ。本作の深田監督に、お話を伺った。
 

 

yokogao-550.jpg

■『淵に立つ』のプロデューサーと、「筒井真理子さんの主演で映画を作りたい」。

――――オリジナル脚本で、助演がメインのベテラン女優を主演に据える企画は、今の日本映画界では実現が難しいというイメージがありますが、企画から映画化までの経緯は?
深田:『淵に立つ』の時に声をかけてくれたプロデューサーと、また筒井真理子さんを主演で映画を作りたいという気持ちが一致し、企画を立ち上げました。KADOKAWAの方も筒井さんを主演にした映画に賛同してくれ、プロデューサーの尽力もあってトントンと話が進みましたね。日仏合作ですが、フランス側は役者としての技量を重視しているので、筒井さんのことを絶賛してくださり、スムーズに進みました。
 
 
yokogao-500-5.jpg

■努力家の筒井さんは、すごく信頼できる女優。

――――深田監督からみた筒井さんの魅力とは?
深田:すごく信頼できる女優です。天才的な演技センスや高い経験値、長年培った勘だけではなく、とにかく準備をして現場に臨まれる努力家なので、信頼感が生まれ、今回のように感情の振り幅の大きい役を安心して書けるのです。
筒井さんは、脚本の自分が演じるシーンにびっしりと書き込みをされていましたし、今回看護師を演じてもらいましたが、僕が訪問看護を取材する際も同行したり、筒井さんだけで訪問看護の現場を見学に行くこともありました。また、ある動物の動きをするシーンでは、専門のトレーナーに動きを教えてもらい、自宅で練習を積んだそうです。
 
――――深田監督が絶大な信頼を寄せていらっしゃるのがよく分かりました。『歓待』ではプロデューサーでもあった杉野希妃さんが主演を務めていましたが、今回筒井さんは脚本段階から関わったそうですね。
深田:全体のプロット(構成)ができた段階で、筒井さんに読んでもらい、ざっくばらんに感想や雑談を語り合いました。動物園で市川実日子さん演じる基子が市子に語った子どもの頃のエピソードは、筒井さんとの雑談の中で聞いたご自身の子ども時代の実体験から取り入れたりもしました。実際に脚本を書き始めてからは、こちらに任せていただきました。
 
――――本作では天使のような女から奔放な女、幸福な女から不幸な女 あらゆる状況を演じきった筒井さんですが、演じてみてどんな感想をお持ちになったのでしょうか?
深田:映画のほとんどのシーンに出演していますから、本当に体力的にも大変だったと思います。精神的に負荷の高い役を、器用にこなすのではなく、全力で向かってこられるので、試写会で初めて観た時は、「撮影の大変だったことを思い出しながら観て、疲れたわ」とおっしゃっていました(笑)。肌のハリや疲労具合にまで、細かな役作りもしっかりされていましたから。
 
 
yokogao-500-2.jpg

■私たちの生きている世界は、これだけ不確かで不安定なものという事実をベースに描く。

――――作品ごとに新しいことにチャレンジしておられますが、この作品のテーマは?
深田:映画というのはモチーフと監督の世界観から成り立っていると思っています。今回は筒井真理子をメインモチーフに、私たちの生きている世界はこれだけ不確かで不安定なものであるというポジティブでもネガティブでもないことを、今までの作品同様に描いたつもりです。『淵に立つ』では突然やってきた不審者によって家族が崩壊し、『海を駆ける』では自然災害に見舞われます。私たちは日常が変わりなく続くという期待を持って生きているけれど、日常は変わってしまうものであり、それこそが事実であるという世界観をベースに、物語ができていると感じますね。
 
――――リサが誘惑する美容師、和道を演じた池松壮亮さんは、深田監督作品初参加ですね。思わぬ気づきを与える存在でもありました。
深田:脚本段階で、和道はもう少しチャラく薄っぺらい若者。それ以上でもそれ以下でもない役にしていました。理由も分からないままリサのデートに巻き込まれていく展開を考えていたのです。それでは構成に厚みがないと思っていた時に、池松さんがキャスティングの候補に上がり、オファーさせていただきました。現場でも実年齢以上の落ち着きを感じる方で、池松さんに演じてもらったことで、和道がリサと対等に向き合う、大人のデートのシーンになりました。一方で、市川さんが演じる基子は若々しく、感情の幼さを持った役なので、いい対比になったと思っています。
 
 
yokogao-500-6.jpg

■一人の人間を多面的に見せる時間進行に。

――――ある思惑を腹に秘めて和道に接近するリサと並行して、リサと名乗る前の市子の穏やかな日常が映し出されます。悲劇へと向かう市子の運命が予想できるだけに、よりヒリヒリするサスペンス効果を高めていました。このような構成にした狙いは?
深田:『ブルージャスミン』(ウディ・アレン監督)のように、現代と過去が同時進行する物語にヒントを得た部分もありますし、チェコスロバキアの作家ミラン・クンデラの小説「冗談」の復讐の入れ子構造にもインスパイアされました。どうしても回想シーンを入れるとそこで物語が止まってしまうので、一人の人間を多面的に見せる時間の進行ができないかと考えた結果、二つの時間が同時進行で進み、最後に重なり合う構造になりました。
 
 
yokogao-500-4.jpg

■誰もがグレーゾーンの中で生きている。 

――――深田作品では主人公が不条理な目に遭う場面が度々描かれます。本作も加害者扱いされる市子は何もかもを奪われる不条理が描かれますが、一方、その状況に至るプロセスでは市子の潔白とは言い切れないグレーゾーンの行動も描かれ、観る者も立ち止まって考えさせられます。

 

深田:市子は「無実の加害者」とは言い切れないと思っています。基子に促されたとはいえ、真実を被害者家族や自分の家族に伝えなかったのは市子自身ですし、甥の辰男が幼い頃に性的トラウマになるかもしれないことをしてしまったことも事実です。市子自身は「辰男は覚えていない」と言いますが、被害者は往々にして覚えているものです。誰もが被害者、加害者で分けられるものではなく、グレーゾーンの中で生きている。そういう部分を映画でも描いていきました。そしてあくまでも三人称で語ることも大事にしました。
 
 
yokogao-500-1.jpg

■人が人を好きになること難しさを一番体現したキャラクター、基子。

――――グレーゾーンと言えば、基子の市子へ対する気持ちも単なる恋愛感情だけではなく、母親的愛情を求めているようでもあり、看護師という人生の目標をくれた憧れの存在とも映ります。映画の中でもキーとなる存在ですね。
深田:当初は市子と基子、道子という女性3人の運命が絡み合うような群像劇を考えていたのですが、筒井真理子さん主演の映画を撮りたいという思いから市子にフォーカスする形になっていきました。市川さんが演じる基子は、人が人を好きになることの難しさを一番体現しているキャラクターです。人が人を好きになればなるほど、誰もが孤独に生きている存在であることを実感します。市子も和道もそうですが、彼氏がいながら市子を好きになった基子はそれを際立たせています。
 
――――市子/リサの夢を映し出すシーンが意図的に挿入され、どれも非常に大きなインパクトを与えます。心象風景を鮮やかに映し出しているようにも見えましたが。
深田:僕の場合は映画で夢を描写しても、特別にぼやかしたような加工はせず、夢と現実を等価に描きたい。前半で社会性を失い動物の状態にまで剥き出しになったリサを夢の中で見せておけば、そのイメージは夢であっても観客にとっては映像の一片であって、観客の中ではずっと頭の片隅にその姿が残り続けます。その記憶はまだ市子が幸せな時のシークエンスにも影響を与えていく。それは映画におけるモンタージュの醍醐味ですね。
 
 
yokogao-500-3.jpg

■夢とも現実とも解釈できる湖のシーンは「一番自由に感じていただけるシーン」

――――突然、市子が青い髪をなびかせ、湖畔にいるシーンは現実離れしているけれど、ひたすら美しく、まさにフランス映画を見ているようでした。
深田:意図的に、夢でも現実でも解釈できるようなさじ加減にしています。脚本ではもう少しイメージを書き込んでいたのですが、編集で見直しました。彼女の人生のどこかで、あのような時間があったかもしれないと思ってもらうのも良し、市子の内面の世界と思ってもらうのも良し。一番自由に感じて頂いて構わないシーンです。
 
――――今回は見事な女優映画でしたが、筒井さん主演作はまだ続きそうですか?
深田:実は、筒井さんはコメディエンヌの面もあるのです。最近の岩松了さんの舞台「空ばかり見ていた」でも一番笑いをさらっていましたから。コメディエンヌの筒井さんを撮ってみたいですね。
 
――――筒井真理子さん主演のコメディ映画、期待しております。それでは、最後にこれからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
深田:筒井さん、池松さん、市川さんをはじめ、本当に隅から隅まで、いい俳優がたくさん出演しているので、ぜひ『よこがお』の俳優たちに会いに来てください。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『よこがお』(2019年 日本 111分) 
監督・脚本:深田晃司
出演:筒井真理子、市川実日子、池松壮亮、吹越満、須藤蓮、小川未祐他
公式サイト⇒https://yokogao-movie.jp/ 
(C) 2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

DSCN8490.jpg

見る人が自由に解釈し、「自分の映画だ」と思ってもらえる映画づくりを目指したい。
『僕はイエス様が嫌い』奥山大史監督インタビュー
 
 第66回サンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞した他、海外の映画祭で高い評価を得ている奥山大史監督の初長編作『僕はイエス様が嫌い』が、7月5日(金)~大阪ステーションシティシネマ、7月12日(金)〜シネ・リーブル神戸、8月17日(土)〜京都シネマほか全国順次公開される。
 
 東京から雪深いミッション系の小学校に転校した小学生のユラは、慣れない祖母の家から登校すると、初めての礼拝でちいさなイエス様と出会う。友達ができないときも、やっとカズマという友達ができたときも、ユラだけに見えるイエス様はひょっこり現れるが…。
 
 自身の体験を反映させ、奥山監督は21歳の青山学院大学在学中に本作を撮影。自身で脚本・編集・撮影も手掛けている。初監督作品でありながら、非常に客観的な視点で、少年ユラに起こる出来事やユラの心の動きを、セリフではなく、シンプルなショットの積み重ねで静かに、でも確実に観客に見せていく。誰でも子どもの頃に考えたことがある神様について、そして大事な人との別れについて、その記憶を思い起こさせてくれるような優しくも切ない作品。抑制された中でキラリと光る何かをたくさん感じることができる秀作だ。ユラを演じる佐藤結良の自然な演技にも注目したい。
 現在は大手広告会社に勤めながら映像系の仕事を手掛けている奥山大史監督に、映画に込めた狙いや、初監督作でチャレンジした点についてお話を伺った。
 

jesus-550.jpg

■初めて宗教に触れる時の違和感を表現する「主の祈り」エピソード

―――キリスト教の小学校に転校してきたユラにとって、最初の衝撃的な体験はチャペルでのお祈りの時間です。そこで暗唱する主の祈りのエピソードが非常に大きな意味を持ちますね。
奥山: 主の祈りは、最初に宗教に触れた記憶として強く印象に残っています。僕自身、小さい頃にキリスト教の幼稚園へ転園したのですが、賛美歌は、聖書があれば譜面や歌詞が載っているので歌えるのですが、主の祈りはみんなが暗唱しているのに、自分だけその存在すら知らないことがすごく不思議に思えたのです。初めて宗教に触れる時の違和感を表すのに、一番いいと思い、映画に取り入れています。また、まだ主の祈りを覚えていない時は、皆が目をつむって暗唱している間、つい目を開けてソワソワしながら周りを見てしまうのですが、そういう時に小さいイエス様を見つけると面白いのではないか。そこからアイデアが浮かんだのです。
 
 
jesus-500-1.jpg

■幅広い年代に楽しんでもらうために生まれた小さなイエス様、しゃべらないキャラクターの原点は、カートゥーンネットワークのアニメたち。

―――主人公ユラだけに見える小さいイエス様が色々な仕草をするのが意外性も相まってとても斬新かつユーモラスでしたが、企画当初からのアイデアですか?
奥山: 僕の小さい頃に亡くなってしまった親友に捧げる映画を作りたいという思いから始まった企画なので、小さなイエス様は想定していませんでした。ただ、企画を練り始めると、やはり重くなりすぎてしまい、一体誰が楽しめるのかと立ち止まって考えたのです。子どもから大人まで幅広い方に楽しんでいただける映画にするにはどうすればいいのかと悩んだ過程で、小さいイエス様というアイデアが生まれました。
 
―――イエス様がしゃべらないのも、サイレント映画っぽくていいですね。
奥山: 昔からケーブルテレビのカートゥーンネットワークで放送されていたアニメをよく観ていたのですが、ピンクパンサーやスヌーピー、トム&ジェリーなど、しゃべらないキャラクターが大事なポジションを務めている作品が好きでした。言葉で説明せずに、キャラクターの動きで色々なものを子どもの視点で映していく感じがとても好きなので、今回もユラの視点に合わせてカメラを回し、イエス様も全然しゃべらないようにしています。
 
 
jesus-500-5.jpg

■電話の音一つでも映画の印象を変えることができる。

―――登場人物もセリフを最小限に抑え、絵で見せる演出が魅力的でしたが、その意図は?
奥山: 言葉では伝わりづらいものを、絵の流れで見せる方が伝わることもある。だから、なるべく状況を説明するのは、セリフではなく、絵や音でつけるようにしました。例えば電話の音一つでも、いくらでも映画の印象を変えることができるのです。最初にカズマからユラにかかってきた電話の音と、嫌な出来事でかかってきた電話の音とでは若干音を変えているんです。今回はそういう音一つ一つの調整をとても大事にしています。
 
僕は『家族ゲーム』が好きなのですが、あの映画もヘリコプターの音だとか、音がすごく良いのです。一回も音楽が流れなくて、「音楽ではなく、音で全てを説明する」という覚悟が見えて、そこもすごく素敵ですよね。それぐらいこの作品も言葉では説明しないように心がけました。
 
―――雪の世界が舞台であることも相まって、静かに、丹念に積み上げられた物語をそっと覗いているような、心がほっと暖かい気持ちになる仕上がりでした。
奥山: どうしても入社前に映画を撮りたいと思うと冬の時期しか時間を取れず、それなら折角だから雪を映したいということで雪の中での撮影に挑みました。撮影中は曇ったり吹雪いたりすることなく、天気に恵まれて本当にラッキーでした。また、最初の方に軽井沢の別荘でユラとカズマが遊ぶシーンを撮ったのが良かったですね。
 
―――映画の冒頭に登場する、障子に穴を開けるのが好きなユラのおじいちゃんも、実際には亡くなっていますが強烈な印象を残します。
奥山: この映画のファーストカットだったのですが、おじいさん役の二瓶鮫一さんと、どんな気持ちで(障子の穴から)覗くかとか、色々な話ができました。この映画を満足いくような形で完成させることができたはじまりだった気がしますね。どんな優秀な監督の現場でも、ファーストカットの直前は皆ピリッと緊張するのですが、そんな中で二瓶さんのような経験のある役者さんがすっと座って、粛々と芝居をしてくれることは、僕らのような自主映画の体制の中で、とてもいい効果を産んでくれたと思っています。
 
―――映画を作るにあたって、心がけた点は?
奥山: 主演者に15歳から25歳の年代は入れないことを、少し意識していました。その年代でお芝居を目指している人はギャラが低くても出演してくれますし、コミュニケーションも取りやすい。上手い役者さんもたくさんいるのですが、そんな方ばかりが出演することで、自主映画っぽさが増してしまうこともあります。身近な学生映画をたくさん見てきたから分かるのですが、あえてそこをしっかり外すと学生映画っぽさをなくせると思ったのです。もちろん子役を起用すると親御さんの交通費もかかりますし、撮影時間の制限もあるのですが、それに勝る映画的なものが撮れると思い、今回は挑んでいます。
 
 
jesus-500-2.jpg

■子どもに寄りかかりすぎない、年相応のことをしてもらえる演出に。

―――なるほど、すごく納得する部分があります。幅広い年齢層にアプローチすることにもつながりますね。主演、ユラ役の佐藤結良さんについて教えてください。
奥山: 既に演技経験もある子役ですが、ワンテイクの後、「次はこうしてほしいんだけど」と指示を出しても、「うん」とニコッとしてもう一度始まるのを待っている感じでした。でもいざもう一度やると、完璧にこなしてくれる。かと思えば子どもらしいサッカーシーンもすっとやってくれますし、こちらの意図を汲んで芝居をしてくれるんです。撮影時は11歳だったのですが、もう少し大きくなると男の子は大きくなるし、声変わりもしてしまう。だから『誰も知らない』とか『リリイ・シュシュのすべて』など、一瞬の少年のその時代にしかない儚さを捉えたような映画は好きですね。
 
―――演技経験がありながらも、自然な演技で「演じている」ことを意識させないのが、物語のトーンに合って良かったです。
奥山: 子どものお芝居が良くない意味で気になってしまう映画もありますが、それは作っている側が子どもに頼りすぎてしまっている気がするのです。この映画でも頼っている部分はもちろんありますが、子どもに寄りかかりすぎないように、年相応のことをしてもらえるように調整していきました。最初は泣くシーンもあったのですが、撮影していくうちに泣かないことにすることもありました。背中だけでお芝居をすることができる子だったので、なるべく抑えた芝居で一貫させた方がいい。それで感情がふと触れてしまうことが最後に出てくればいいなと思って、演出しました。
 
 
jesus-500-3.jpg

■食卓シーンの構図で浮かび上がる「おじいちゃんの不在」

―――他にも、ユラのご両親とおばあちゃんを囲んでの食卓シーンが度々登場し、友達ができたのか気になって仕方がない大人たちと、その中で少し居心地が悪そうなユラの姿が、子ども時代の食卓を思い出させてくれました。
奥山: 食卓のシーンの構図では、おじいちゃんの不在感を出せたらと思っていました。4人なので二人ずつ向かい合わせて座ればいいのに、なぜかユラが真ん中のお誕生日席で、おばあちゃんの隣の席が空いている違和感を出せないかなと。僕もおじいちゃんが先に亡くなったので、おばあちゃんの家に行くとおじいちゃんの座る椅子は誰も座らなかったんです。もういなくなってしまった人の椅子をなんとなく残しておく感じは、僕以外の誰か共感できる人がいるのではないかと思って、あえて説明することなく、取り入れています。
 
―――『僕はイエス様が嫌い』というタイトルもセンセーショナルですが、英題は『JESUS』とシンプルですね。
奥山: 僕は今、コピーライターでもありますが、『僕はイエス様が嫌い』というタイトル自身がコピーみたいですよね。タイトルのことで印象的だったのは、マカオの映画祭で中国人の方が非常に熱心に質問してくださり、それに答えた後、ふと気になってタイトルのことを聞いたことがあったんです。というのも、普通は英題を訳すのですが、中国はなぜか日本語タイトルをそのまま中国語訳にしていたので。その時の答えが「『僕はイエス様を信じない』なら嫌だけれど、嫌いになるぐらいイエス様を好きだったということが映画を見て伝わったので、『僕はイエス様が嫌い』でいいと思うし、自分もそう思うことがある」と言ってくださったんです。海外の映画祭で色々なお客さんの反応をいただいていますが、質問は出ても拒絶されることはなかったというのは、イエス様がユラの想像であり、都合の良い神様の象徴でしかないと受け取ってくださっているからだと思っています。
 
 
jesus-500-6.jpg

■今いるところから死後の世界を覗き見るような行動を、映画全編で表してみる。

―――亡くなった親友に捧げる映画を作り上げた今、改めて思うことはありますか?
奥山: どこかで、友達が死んでしまったことが自分の中で整理できていなかったということに、気づきました。今も整理できたかどうかは分かりませんが、死んでしまったらどこに行くの?とか、なぜ死んでしまうのだろう?とか、なぜいつか死んでしまうことを皆知っているのに普段は忘れて生きることができるんだろう?と。誰もが考えることだと思いますが、僕の場合、早い時期に親友が死んでしまったことで、変に考え込んでしまった時期があり、どこかでそれを引きずっていたことを自覚できた気がします。
 
―――遅かれ早かれ誰もが体験することですが、奥山監督にとって映画を作るということが、自分の体験を捉えなおすきっかけになったのですね。
奥山: もう一つ、映画を撮る過程で思ったのは、死のことを考えるのが怖いから宗教があるのかなとか、自分では操作できないことを受け入れる文化ができたのかもしれないということ。何かを信じるというのはどういうことなのかも考えましたし、宗教とは何なのだろうと。ただ、子どもに「宗教とは?」を語らせる訳にはいかないので、今いるところから死後の世界を覗き見るようなことを、行動としてこの映画全編で表せないかと思い、車の中から外を見たり、踊り場から外を眺めたり、障子に穴を開けたりを繰り返し入れています。誰もが一度は経験したことがあることだと思いますので、映画を見て、何かを感じていただけたらうれしいですね。
 
 
jesus-500-4.jpg

■見る人が自由に解釈し、「自分の映画だ」と思ってもらえる映画づくりを目指して。

―――ユラが親友のカズマを家に呼んで人生ゲームで遊んだり、ちょっと懐かしい昔あるあるのシーンも楽しかったですが、どんな層にみていただきたいですか?
奥山: 僕はできれば子どもに観ていただきたい、さらに言えば親子で観て、色々話してもらえればうれしいなと思いますし、ゆくゆく映画公開やDVD発売が落ち着いたら、学校の授業でも使ってもらえたらうれしいなと思いますね。
 
障子の先に何が見えたかとか、なぜサッカーの途中でユラが帰ってしまったのかとか、余白を少しずつ残していくことで観る人が自由に解釈し、自分の中で映画を完成させてもらえたら、きっと見た人が「自分の映画だ」と思ってもらえるのではないか。僕自身、映画を観てそう思いましたし、これから、そう思ってもらえる映画作りを目指していきたいです。
(江口由美)
 

 

jesus-pos.jpg

<作品情報>
『僕はイエス様が嫌い』(2019年 日本 76分)
監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
出演:佐藤結良、大熊理樹、チャド・マレーン、佐伯日菜子
2019年7月5日(金)~大阪ステーションシティシネマ、7月12日(金)〜シネ・リーブル神戸、8月17日(土)〜京都シネマほか全国順次公開
公式サイト: https://jesus-movie.com/
©2019 閉会宣言
 

月別 アーカイブ