レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

2012年7月アーカイブ

akkochan-s500.jpg浴衣で登場!『映画 ひみつのアッコちゃん』セレモニー&完成披露試写会

■実施日:7月24日(火)
■場所:丸の内ピカデリー
■登壇者:綾瀬はるか、岡田将生、川村泰祐監督 

魔法の鏡に「テクマクマヤコン」と唱えたら、なりたい姿に変身できる…。
不滅のオトメ心に現代的な視点を加えた完全オリジナルストーリーで公開する赤塚不二夫の名作漫画「ひみつのアッコちゃん」が誕生50周年を迎えて実写映画化!

主演に綾瀬はるか、相手役を岡田将生が演じ、大人も夢見ることができる、この秋一番の、超キュートでPOPなラブ・ファンタジー、「映画 ひみつのアッコちゃん」。

アッコちゃんのコンパクトをモチーフにしたミラーボールアートで鏡の国を再現したセレモニーでは、綾瀬はるか、岡田将生が夏らしい浴衣姿で登場し、キラキラと輝くミラーボールの前でフォトセッションを行いました。


<完成披露試写会、舞台挨拶の模様>
綾瀬はるか、岡田将生、川村泰祐監督が登場! 

MC:大きな拍手でお迎えください!(観客より、大きな声援!) 
今日は綾瀬さん、岡田さんは夏らしい浴衣姿で登場です。まずは一言お願いします。
●川村監督:監督の川村です。今日、この場に立って挨拶ができることがとても幸せです。
みんなで必死になって作った映画です。自信を持って素晴らしい作品になったと思うので、是非楽しんでください!

akkochan-s2.jpgMC:加賀美あつ子、通称アッコを演じました綾瀬はるかさん、お願い致します。
●綾瀬:こんにちは!本日はお越しいただきありがとうございます。とてもキラキラした作品になりました。子供から大人の方まで楽しんでいただけると思うので、最後まで楽しんで観て帰ってください!

MC:最後に、アッコちゃんが憧れる会社員、早瀬尚人(はやせ・なおと)を演じました、岡田将生さん、お願い致します。
●岡田:この映画はとても真面目な映画です。小学校の時に教わったシンプルなことを、丁寧に描いた映画なので、みなさんに楽しんでいただけたら嬉しいです。

MC:川村監督、この国民的マンガを実写化するのは大変だったのではないですか?どのような経緯で誕生したのでしょうか?
●川村監督:最初は「アッコちゃんを誰がやるの?」と思いました。でも、綾瀬さんに出演いただけることになり、「すごい楽しい作品になるな」と思いました。そして相手役ですが、さわやかでかっこ良い尚人を一体誰にやってもらえるのか、悩んでいたところ、岡田さんが出演していただけるかもしれないということを聞きまして、とても嬉しかったです。アッコちゃんを演じることができるのは、綾瀬さんだけだと思いますし、尚人を演じることができるのも、岡田さんだけだと思います。本当に素晴らしいキャスティングをしてくれて、スタートできたと思っています。

akkochan-pos.jpgMC:映画版は現代に即した新しい物語です。原作からアレンジしたことや、逆に変えなかったことを教えて下さい。
●川村監督:原作はかなり昔の作品なんですが、本質は全く変えていないんです。それに、今だからこそやらなければいけない映画だと思いました。こういう世の中で、大人たちが、子供たちを観て何か振り返らなければいけないことがあるんじゃないか、そういったものがこの映画の重要なテーマとなっているんです。原作をリスペクトした形で出来ればいいなと思いました。そして、子供から見ても「大人ってこんなに頑張ってるんだよ」というメッセージを伝えられたらと思いました。

MC:綾瀬はるかさん、「アッコ役」のオファーを受けた時、どう思われましたか?
●綾瀬:最初「ひみつのアッコちゃん」をやるよ、ということだけ言われたので「えっ?」と思いました(笑)。アッコちゃんというと年齢的に小学生くらいの子のイメージだったので驚いたんですが、10歳のアッコちゃんが変身した大人の方の役だ、と聞いて、なるほど、と思いました。

MC:綾瀬さんは、「カラダは22歳、ココロは10歳のオンナの子」という難しい役を演じられました。どのように、役を作り上げていったのでしょうか?
●綾瀬:自分が10歳の頃ってどうだったかというのが思い出せなくて、10歳って何をどこまで知っていて、物事をどういう風に感じるのかとか分かりませんでした。(少女時代のアッコちゃんを演じた)吉田里琴ちゃんに、「こういう時どんなリアクションするの?」と聞いたりとか、教わりながらやっていました。

MC:アッコちゃんの魅力とは?
●綾瀬:10歳なのにお化粧に興味があったりして、おませさんだなって思いました。

akkochan-3.jpgMC:すでに映画をご覧になられたマスコミの方からは、「アッコちゃんは女子力が高い!」という声も出ています。綾瀬さんから見てアッコちゃんの魅力はどんなところでしょうか?
●綾瀬:そういう点では女子力が高いですね。自分が10歳の頃はお化粧にも興味はなかったですし、変身と言っても動物くらいしか思わなかったです。あまり、大人の中に入っていきたいという気持ちは無かったかもしれないですね。

MC:ありがとうございます。続いて岡田将生さんです。岡田さんは、「アッコちゃんの白馬の王子様」ともいえるエリート会社員を演じました。原作にはない映画版ならではのキャラクターだったわけですが、この役のオファーを受けられた時、どう思われましたか?
●岡田:セリフがとても多かったです!(笑)どうしてかというと、中身が子供のアッコちゃんに対して、丁寧に教えてあげないといけないシーンが多かったので、難しかったですね。

MC:今回エリートサラリーマンを演じたのですが、いかがでしたか?
●岡田:ネクタイがきつかったです。サラリーマンの方は本当に大変だなと思いました。

MC:岡田さんは心が10歳という綾瀬さんに対しての演技だったのですが、いかがでしたか?
●岡田:すごく背伸びをしながら演じていたので、「無理しちゃってるな俺」…と思いながら演じていました(笑)。
●綾瀬:気づいていました。そして、遠くから見守っていました(笑)

akkochan-s1.jpgMC: 綾瀬さんも胸キュンシーンがありましたよね?如何でしたか?
●綾瀬: 「あ、小学生ってこういうリアクションなんだ!」と思いましたね。アッコちゃんからすると初恋なので「うわっ!」という感じなんですよね(笑)
●岡田:少し、笑ってしまう感じですね。

MC:もし、魔法のコンパクトを手に入れたら、何になりたいですか? 
●川村監督:変身願望はないのですが、女の子になってみたいですね。職業などと違って、なれるものではないので、一度でいいから女の子になって、女心を学んでみたいなと思います。

MC:岡田さんは如何でしょうか?
●岡田:僕はとても変身願望があります。僕、歴史がとても好きで、源頼朝になりたいです!多分、あとちょっとでなれるんですけど…(笑)。(女子になりたいという変身願望は?)姉と妹がいて、毎日見ていたので、「ならなくてもいいかな」と思います(笑)。

MC:綾瀬さんいかがでしょうか?
●綾瀬:そうですねえ、私も岡田君にちなんで、山本八重さんという方になりたいです。そろそろ撮影に入るので…いや宣伝ではないのですが(笑)。山本さん以外だったら、私は恐竜にもなりたいですね。飛べて首が長い感じの恐竜になりたいです。空が飛べて強くて、鳥ではなくて、恐竜がいいです!

MC:最後に監督から一言お願いします。
●川村監督:朝から並んでくださった皆さんもいるというということで、本当にありがとうございます。今の日本だからこそ、このアッコちゃんという映画をやる意味があるのではないかと、観終わった後に何かを感じていただけるんじゃないかと思っています。
もし、面白いと思っていただけたら、周りの方にも宣伝していただければと思います。今日は、お暑い中ありがとうございました!(盛大な拍手!)


『映画 ひみつのアッコちゃん』
(c)赤塚不二夫/2012「映画 ひみつのアッコちゃん」製作委員会
 9月1日(土)全国ロードショー
公式サイトはコチラ

『映画 ひみつのアッコちゃん』作品レビューはコチラ

Madagascar3-s500.jpg『マダガスカル3』 (Madagascar 3: Europe's Most Wanted)

(2012年 アメリカ 1時間33分)
監督・脚本:エリック・ダーネル
共同監督:トム・マクグラス、コンラッド・ヴァーノン
声:ベン・ステイラー、クリス・ロック、デヴィッド・シュワイマー、ジェイダ・ピンケット・スミス、フランシス・マクドーマンド
日本語吹替:玉木宏、柳沢慎吾、岡田義徳、高島礼子、小木博明、矢作兼

2012年8月1日(水・映画の日)~新宿ピカデリー、大阪ステーションシティシネマほか全国ロードショー

公式サイトはコチラ
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~あの動物園で過保護に育った動物たちが、今度はヨーロッパを舞台に大冒険!!!~

Madagascar3-1.jpg ライオンのアレックスとその仲間たちが、広い世界に憧れて動物園を飛び出し大騒動を巻き起こすという、愛と勇気と友情にあふれたハチャメチャコメディアニメの『マダガスカル』シリーズ3作目『マダガスカル3』。 ニューヨークからマダガスカルへ、さらにアフリカ野生の王国へと冒険を重ね、今度はアフリカからヨーロッパへと渡り、故郷のニューヨークを目指すことに。シルク・ド・ソレイユにヒントを得たという幻想的なサーカスを盛り込んだり、女ターミネーターのような動物ハンターが登場したり、これまで以上にファンタジーな世界とスリルとアクションが超過密状態となって、半端じゃないオモシロさで圧倒しちゃう。子供も大人も大満足! 家族そろって楽しめる映画です。

 本作の監督・脚本を手掛けたエリック・ダーネル氏が来日。ここ大阪でも、通天閣のビリケンさんにヒット祈願したり、御堂会館で開催された試写会では舞台挨拶をしたりと、キャンペーン活動に大忙し! 下記では、記者会見の模様をレポートしております。
 


 【エリック・ダーネル監督 記者会見】

 Madagascar3-3.jpgQ: 今回デュボア捜査官が加わりスピーディでスケールアップして大変面白かったのですが、構成やキャラクターなどはどなたがどのようにして作られたのですか?
アニメーションは共同作業の過程で作られていくものです。絵コンテを担当する人のアイデアや、声を担当する俳優さんからもキャラクターの性格付けがされていきます。今回デュボアの声を担当したフランシス・マクドーマンドはこの役をとても気に入ってくれて、デュボアの考えや立ち居振る舞いなども研究してくれました。あの歌うシーンも彼女のアイデアなんですよ。このように様々なアイデアを寄せ合い、何度も作り直しては完成させていったのです。

Q:シリーズ初の3Dですが、特にこだわった点は?
3Dはとても気を付けて作らなければ、観客の鑑賞を妨げることになり兼ねません。ただ理由もなく物を投げつけたり極端な遠近にしたりすると、鑑賞の負担になってしまいます。でもクリエイティブな点では、シリーズの過去2作 を見直すとすでに作風として3Dに合った演出をしていたことに気付いたのです。敢えて3Dだからといって作風を変えることなく、3Dも作品の要素として、さらに観客を引き込めるように作りました。  

Madagascar3-s1.jpgQ:空中ブランコのシーンはとてもファンタジックでうっとりしましたが、どのようにして作られたのですか?  
とても難しいシーンでした。撮影方法では美術や3D等あらゆる要素をうまく融合させて、キャラクターたちに共感し感情移入してもらわなければなりません。そして、キャラクターたちが持つ感情や幸福感、カタルシスのような浄化作用を表現するのに、ケイティ・ペリーの「ファイヤーワーク」という歌を使って、現実を超越するようなファンタジーの世界を作り出したのです。でも、表面的な美しさだけでは何の意味がなく、そうしたものをうまく使って深みのある表現をするのにとても難しいシーンでした。

Q:日本版声優陣に対する印象は?
日本版声優陣の中でお会いしたのは柳沢慎吾さんだけです。彼の観客やマスコミに対する態度を見ていて、常に愉快で快活、マーティ にぴったり! ただセリフを言っているだけでなく、オリジナルを越えて日本の文化に近いキャラクターを独自に作り上げ、それを自分のものとしてより素晴らしいものにしていると思います。

Madagascar3-2.jpgQ:とても個性的なキャラクターですが、最初に動物を決めてからキャラクターの個性付けをするのか、それとも、その逆?
通常、性格を決めてから動物を決めています。人間の言葉を話す動物たちですが、人間と同じような恐れ、不安、欲望を持っていて、実際は人間を表現しているのです。例えば、キリンなどは臆病な弱い性格がメルマンに合っているし、グロリアは他の3匹をつなぎ合わせる役目を持たせるためタフで威厳のあるパワフルなカバにした訳です。普通ライオンの方が凶暴だと思われていますが、実際の野生ではカバの方が人間 を襲うケースが多いのです。アニメーションの良さはファンタジーな世界をより豊かに表現できることです。動物たちの見た目や立ち居振舞いなどを可愛らしく誇張して表現できると思います。

Q:特に思い入れのあるキャラクターは?
全て私の子供のように思えて、とても選べません。それぞれのキャラクターが仲良く相性のいいものになってくれればいいなと。今回15のキャラクターがあり、それぞれの個性を活かしながらひとつの物語としてまとめていかなければならなかったのですが、それは成功していると思います。

Q: 監督自身が仲間入りするとしたら、どれ?
壁にとまっているハエかな? 自分が脚光を浴びる中心的な役になることはありません。どちらかというと裏方の役割の方が好きです。

Madagascar3-5.jpgQ:本作でどのような気持ちをファンに伝えたいですか?
今までの足跡を忘れず、シリーズ1作目 から2作目へと発展させてきたものを尊重し、そこから黄金を発掘させるものもあるので、それらをベースにして製作に入りました。人間の世界に多く登場させることで、スリル、アクション、コメディ部分が増え、またサーカスを用いることで劇場的な大がかりな演出ができましたし、今回特にデュボアという強力な敵役を登場させることも大きな変化です。巨額の製作費もかかる作品ですので、成功させなければというプレッシャーもありますが、皆様にこのように受け入れて頂き幸せな気持ちでいっぱいです。

Q: 日本やフランスなどの作品を見ることがありますか?
私の年代の人は日本のアニメーションで育ってきています。子供の頃よく見ていたのは「鉄腕アトム」です。特に日本のアニメという意識はなかったのですが、なじみ深いものはありました。特に、宮崎駿作品は好きです。うちの娘は宮崎駿の大ファンで、彼のDVDは全作品あります。今回来日が決まった時も、宮崎駿のDVDを全部出してきて並べては見ておりました。宮崎作品は先入観なしで見られ、作品のトーンや生きることを愛してやまないテーマ、深みのある女性の主人公などもいいですね。

Madagascar3-4.jpgQ: 作品に込めたメッセージは?
本作は元々、セントラルパークの動物園にいた動物たちが、冒険して帰ってきてからどうするのか? から始まり、アフリカからヨーロッパまで旅をさせ、実際に彼らの経験を共有しながら作ってきたのです。作り手として自分たちが楽しめたら観客の皆さんも楽しんでくださるのではと思い、誰でも理解し楽しめる作品を目指してきました。大好きな人たちと楽しい時間を過ごして頂けたら嬉しいです。

 エリック・ダーネル監督は、お腹を抱えて笑ったり、ハラハラドキドキしたり、うっとりとしたり、グッと心を動かされたりと、スリルや冒険、愛と感動を求めて映画館にやってくる観客の心を常に意識しながらアニメーション作りをしているようだ。アメリカでしか作れないスケールの大きさとサービス精神てんこ盛りの『マダガスカル3』。3Dになってスクリーンから飛び出してくるのは何もキャラクターたちだけではない。作り手も観客も楽しい時間を共有したいという熱い思いも飛び出してきているようだ。

(河田 真喜子)


金髪のビリケンさんが、“レインボーアフロ”に大変身?!『マダガスカル3』に仲間入りで、“奇跡”を起こす!


madagascar3-tuutenkaku-500.jpg◆ヒット祈願のご報告◆
  

今年の夏を大いに盛り上げるファミリー映画の大本命『マダガスカル3』が、8月1日(水)より全国で3D・2D同時公開に先立ちまして、エリック・ダーネル監督が来阪し、通天閣を訪問いたしました!
3代目ビリケンさん×シリーズ3作目にして初の3D、そしてビリケンさんもマダガスカルの仲間もアメリカ出身の人気者など共通点がある『マダガスカル3』&通天閣! そこで “幸福の神様”として知られるビリケン様に、エリック・ダーネル監督とアレックス、ペンギンズが共にヒット祈願を行ないました!!  この訪問を待ちわびていた通天閣スタッフ全員がレインボーアフロをかぶってお出迎えした歓迎ぶりに、エリック・ダーネル監督も大興奮! そこでヒット祈願のお礼に、エリック・ダーネル監督よりマダガスカルの仲間たちとビリケンさんを一緒に描いた“世界に一枚だけのイラスト”をプレゼントを贈呈し、最後には、アレックスやペンギンズたちと一緒にダンスも披露するなど、大阪ならではのノリノリで楽しいヒット祈願になりました!

◆日時:7月16日(月・祝)  
◆場所:通天閣(大阪市浪速区恵美須1-18-6)
◆時間: 8:30 イベント開始(30分程度)
◆登壇者:エリック・ダーネル監督 アレックス(ライオン)ペンギンズ(ペンギン)   

madagascar3-orijinal.jpg【エリック・ダーネル監督コメント】
大阪は素晴らしい街だと思います。全国キャンペーンで来阪できて嬉しいです! ビリケンさんはアメリカ出身の神様なんですよね。実は日本に来るまでビリケンさんの事は知らなかったのですが、ビリケンさんを通じて日本とアメリカのつながりを聞いて嬉しいく思いました。今日はビリケンさんと『マダガスカル3』の仲間を一緒にイラストを描いてきました。次回作、この絵のように大阪を舞台にしてマダガスカルの仲間がビリケンさんに会いに来るのも面白いかも(笑) いつも映画を作っている自分たちが“面白い”と思った物を作ることで、大人にも子供にも楽しんでもらえる作品が生まれると思います。本作品も凄く面白い内容なので、必ず皆に楽しんでもらえる作品です! 



≪エリック・ダーネル監督&アレックス&ペンギンズ来阪≫
超満員の親子900人が大熱狂!!“奇跡のレインボー”でパワー全開!


Madagascar3-s7.jpg『マダガスカル3』が、8月1日(水)より全国で3D・2D同時公開に先駆け、本日(7/16)、御堂会館(大阪市)にて親子試写を開催しました。会場には抽選に当たった900人の『マダガスカル3』ファンの親子が詰めかけ超満員! シリーズで大活躍のアレックスとペンギンズが “踊るの、好き、好き~”の音楽に合わせて踊りながら登場すると、会場からは「アレックス~」「ペンギンズ~」という割れんばかりの声援が飛び交い子供たちは大興奮! 


Madagascar3-s5.jpgそして今回は本作品の生みの親であるエリック・ダーネル監督がプロモーションで来阪中とあって、会場から「エリック~」っというかけ声が起こり、なんと監督も登壇!! 熱い大阪ファンへの感謝を述べると共に、ヒット祈願のため、午前中にビリケンさんを訪問した際、『ビリケンさんの足の裏を撫でると願いが叶うと聞いて20分も撫でていたよ(笑)』っと監督から冗談も飛び出した。また『マダガスカル3』のトレードマーク“レインボーアフロ”にちなみに、本作品の大ヒットを願い、会場に集まった900人全員で “奇跡のレインボー”を誕生させた! 監督の「踊るの」という掛け声のあとに、会場に集まった900人の親子が「好きー」っとい言いながら七色の用紙をかざし、御堂会館には“七色に輝く、奇跡のレインボー”が出来上がった!その様子に、エリック・ダーネル監督も感動しきりで、「大阪、最高ー!」を連発!会場のお客様と一体となり、パワー全開の元気な試写会となりました。 


Madagascar3-s4.jpg≪関西マツダプレゼンツ産経ファミリースペシャルプレビュー≫
■日時:7 月 16 日(月・祝) 15:30~ 
■場所:御堂会館       
■登壇者:エリック・ダーネル監督、アレックス(ライオン)、ペンギンズ(隊長+リコ)


【エリック・ダーネル監督コメント】 
今日は900人もの方が来場してくださり本当にありがとうございます! 大阪の皆さんがこんなに『マダガスカル3』を楽しみにしてくれていて本当に嬉しいです!! 今日は朝一にビリケンさんにもヒット祈願に行ったしヒット間違いなし!! みなさん、ぜひ映画を楽しんでください!

 

chihiro-s1.jpg(2012年 1時間36分 日本)

監督・編集:海南友子
エグゼクティブプロデューサー:山田洋次
声の出演:檀れい、田中哲司
出演者:黒柳徹子、高畑勲、中原ひとみ、松本善明
7/14〜テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、9月下旬〜京都シネマ
公式サイトはコチラ

~優しくみずみずしい絵に秘められた作家の人生に迫る~

 いわさきちひろの絵はカレンダーなどで、日本人なら一度は目にしたことがあるにちがいない。淡く柔らかで優しい絵の作家としてその名は広く知られている。しかし、ちひろの苦労続きの波乱に富んだ人生について知る人は少ない。本作は、初めてちひろの人生にスポットをあてたドキュメンタリー映画。監督の海南友子さんは、ちひろについては、子どもの頃触れたきりで、ほとんど縁がなかったが、本作がきっかけで、ちひろの生きる強さを知り、絵の印象が180度変わったと語る。大阪では、テアトル梅田で公開が始まったが、平日休日を問わず、日中は客席がかなり埋まるそうだ。没後40年近くたった今も根強い人気を誇る絵本画家いわさきちひろの魅力とその人生について、公開を前に行われた海南監督への共同取材の模様をつうじて、ご紹介したい。


chihiro-1.jpg■映画化について

――本作を監督されるきっかけは?

4年ほど前に山田洋次監督から、人間いわさきちひろのドキュメンタリーをつくらないかと声をかけられ、生前のちひろさんを知っている人に話を聞こうと、50人に足掛け3年かけてインタビューを重ねました。「鉄の心棒を真綿でくるんだような人」という言葉を度々うかがいました。確かに絵は可愛らしいですが、波乱万丈の人生の中で、決して諦めない、固い意思を持ち、自分らしさを求め、極めようとした人だと感じました。

――ちひろが20歳で親の決めた相手と結婚して満州に渡り、2年弱で夫が自殺、帰国したという話は衝撃的でした。戦時中、ちひろの母親が旧満州に若い女性達を“大陸の花嫁”として送り込むなど、両親ともに戦争に協力的だったことは、広く知られているのですか?

大半の人はちひろの絵しか知らないと思います。私も知りませんでした。最初の結婚の話はショックで、結婚したのに身体も心も開かないというのはどういうことかと思いました。いろいろ発見していく喜びがあり、証言を得てまた発見があって、という繰返しで作品づくりを進めていきました。最初の不幸な結婚をはじめ、苦しい思いをし、見てきたからこそ、あんな優しい絵が描けたのではないか、そこが知りたいと思いました。

■ちひろの人生の転機

――映画のタイトルの「27歳の旅立ち」というのは?

彼女の人生で一番大きいのは、27歳の時の転機だと思います。前年に敗戦で家も焼かれ、職もなく、(戦争に協力していたため)親の立場もなくなり、さらにバツイチ――今のバツイチと違って当事はちょっとタブーというか、結婚して戻ってきた娘――という三重苦の状態でした。その中で初めて、彼女は自分が本当に絵を描きたいということに気がつくんですよね。それまでは、絵を仕事にまでしようとは思っていなくて、もし敗戦がなかったら、ただの絵の上手い近所のおばさんで終わっていたかもしれません。でも、そうじゃなくて、絵の道で生きていきたいということを、人生のどん底で決意するんです。今こうして有名になっているからこそ、そこがスタートといえますが、ここで立ち上がっても、なんの成果も得られない可能性だってあったわけで、立ち上がる勇気というのが、彼女の人生の最大の転機だったと思います。

――ちひろの人生のどこにスポットを当てようと考えましたか?

彼女の3つの強さ、まず人間としての強さ、戦争にどう向き合うのか、二つめは働く女性としての強さ、母としての強さ、三つめはアーティストとしての強さを大事に描きたいと思いました。ちひろをアーティストというと違和感があるかもしれませんが、彼女は自分の絵にプライドを持っていたので、著作権運動も一生懸命やっていました。当時、絵本作家にはまだ著作権がなく、出版社が勝手に絵を切ったりしていた中で、彼女は、自分の絵をぞんざいに扱わないでほしいと、原画の返還や作家の権利を働きかけていくんです。そのことで、大手出版社からの仕事を失ったりもしているのですが、私は私でこうなんですという自分のアートに対する絶対的自信が彼女の強さに結びついていたと思います。

――彼女の強さはどんなところから生まれたと思いますか?

ご自分の好きなものをとても大事にされていました。たとえば敗戦後、物がなくて、おしゃれとかできない時に、彼女は可愛らしいものをすごく大事にしていて、どこかからひもを拾ってきてリボンをつくって、髪の毛やブラウスにつけたりしていました。当時、そんな人はおらず、すごく異様だったそうですが、自分がいいと思うものは、まわりからどんなに批判を受けても、絶対やりたい。それが著作権運動ともつながっていて、リボンと著作権は多分彼女にとっては同じことで、自分が大事にしているものを汚されたくない、そこが彼女の強さだったのではないかと取材を終えて思いました。

――弁護士を目指す夫を支え、生活費を稼ぐため、生後1か月半の息子を長野の実家に預け、東京で絵筆一本で仕事に励み、お金が入ると喜び勇んで子どもに会いに行くというエピソードが印象的でした。

ちひろは、自分の子どもが一番可愛い時期に離れ離れになってしまいました。すごく悲しいことですが、会えないからこそ、子どものことを考え、子どもの絵をいっぱい描く。子どもに会いたいという思いや愛を、ちひろは絵にぶつけるしかありませんでした。それがアーティストとしての彼女の深みにつながったとも思うので、不幸なエピソードが彼女の作風を高めていくことにつながったと感じます。27歳が1回目の転機だとしたら、息子との別れというのが2回目の大きな転機だったと思います。そこがなかったら、ちひろの絵はもっと違っていたかもしれません。

chihiro-s2.jpg■ちひろの描く子ども

――ちひろの絵に、満面の笑顔の子どもというのは、あまりいませんね。

ちひろは、子どもの気持ち、心をどうやって描くのかということに随分思いを砕いていました。いわゆる“可愛い子ども”というイメージではなく、その子が今どんな気持ちなのかというところまで、絵の中から伝わってくるようにするためには、どうしたらいいのか、工夫を重ねて最後までやり続けた人です。たとえば、『あめのひのおるすばん』という絵本に、お母さんを待って留守番をしている子どもの絵があります。雨が降っていて、色が重なって輪郭がなく、にじんだような絵です。お母さんが帰ってこないと本当に不安で、「ママどこ行っちゃったんだろう」という経験は誰もがお持ちだと思います。それを色の重ね方、ぼかし方で表現しています。どういう絵画の技法を使うかは無意識だったと思うのですが、どうしたら雨の日にお留守番をしている子どもの気持ちが表現できるのか、すごく考えて、そこにたどりついたのです。 

――表現としても斬新で、あまり言葉を尽くさずに、絵から感情がわきあがるということに感銘しました。 

「余白の美」と彼女はよく言っていますが、白く余っているところがあることで、世界が完成する。普通なら黒く塗らないと髪の毛に見えないのに、ちひろの絵では、髪の毛とかも白い子が多いです。白いところ、何もないところに、少女の思い詰めている気持ちが読み取れたりして、色使いや描きぶりは独自なものだと思います。

――ちひろの作品のうち、どれが一番好きですか?

本当にいろいろあるのですが、今は、ベトナム反戦を訴えた絵本『戦火のなかの子どもたち』の、まさしく今、焔に巻き込まれて死んでいく母と、母の腕に抱かれている子どもの絵です。戦争を表現する時に悲惨な場面を描くという方法もありますが、彼女は違います。これから壊される平和な世界を描き、それが壊されるということをどう思いますかと語りかけてくるのです。同じものづくりをする人間として、その方法はリスペクトしたいですし、表現者としてすごいと思います。

彼女は戦前2回ほど満州に行って、現地で悲惨な状況をみていますし、東京大空襲では被災者になっています。苦しい体験をしている子どもたちをたくさん見て、子どもが幸せということは大人も幸せということで、“いのち”の象徴として子どもを描くというのが、彼女が人生を通じて成し遂げたことだと思います

――ちひろの絵には、今でも数多くのファンがいますね。

私の母の世代に、ちひろの絵が好きな方が多く、見るだけで大好きみたいに言われ、正直最初は違和感がありました。でも、私自身、この年末に子どもを生んで、それから、ちひろの絵を見ると、母達が、絵を見ていたのではなく、絵の向こうに、娘である私とか、自分の子どもへの思いを見ている。そのことが、私自身の体験としてわかった時があって、ちひろの息子に向けた愛が、絵のどこかに、見えないけど凝縮して入っていて、それがきっと見る人にはね返って、一層、ちひろの絵への想いが強くなっていくのかなと今は思っています。

chihiro-s3.jpg■映画づくりについて

――今、いわさきちひろの映画をつくる意味は?

単にちひろさんの生前の映画をつくるのではなく、迷ったり悩んだりしている人達に、どうしたらちゃんと希望を伝えることができるのか、今映画をつくる意味についてはかなり考えました。彼女の生き方の強さは、今いろんなことに悩んでいる若い女性達にとって、とても意味があり、それをメッセージとして伝えたい。当時の27歳は、今の30歳代後半位だと思いますが、そんな遅くからでも自分の夢を貫き実現することができる、いつ始めても遅くない、歩き続けていれば、いわさきちひろのようになれる、そういう瞬間もあるのではないか、という希望みたいなものを提示できたらと思って編集しました。

3.11の東北大震災のことも意識しました。ちひろのように絶対的に不幸な三重苦の状態、何もかもなくしたからこそ、これをやりたいということを見つけることができた人もいます。3.11は絶対的に不幸なことですが、そこから立ち上がっていける生き方を提示したいと思いました。

――映画づくりの中でどんなところに苦労されましたか?

ご本人は約40年前に亡くなっていますし、証言だけで一人の人間像を立体化していくことは難しいですが、やりがいがありました。50人の人から見た50個の真実と出会い、その中からどこが一番ちひろらしいのか、円が一番重なるところを見つけることが私の仕事だと思いました。編集の過程では、随分悩んで、議論も果てしなくやって、結局1年位かかりました。ご本人の動く映像がなかったので、ちひろの書いた日記やメモの中の言葉を壇れいさんに読んでもらいました。ちひろの書き残した言葉の解釈、どういう気持ちでその言葉を書いたのか、また、一万枚近く残っている絵の中から、どの絵をどこに差し込むのかという構成について、ちひろの気持ちをどの絵で表現すべきかについても、山田監督やいろんな人と議論を重ねました。

――ちひろが27歳の時に描いた自画像は珍しい絵だと思いますが、今回の映画化で、新しい絵の発見はあったのでしょうか?

昔の自分の作品をかなりきちんととっておく方だったので、無名時代のスケッチも捨てないでとってありました、東京のちひろ美術館や、長野の安曇野ちひろ美術館できちんと整理され、あまり人目に触れられていないものもありますが、全部美術館にあったものです。でもこうやって一つの作品にまとめてみせるのはほぼ初めてで、この27歳の自画像を描いた人と、童話の絵を描いた人が同じ人だというのは少し意外な感じもします。アーティストというのは、いろんな紆余曲折を経て自分の作風にたどりつく、その過程を映画の中で一緒に体験してもらえたらと思います。下宿で描きなぐった大量のスケッチをワンカット撮っていますが、どんな思いでこれだけの絵を模写していたのかと思うと、ちひろの抱えていたいろんな思いがこちらに向かってくるように感じられて、撮影しながら背筋がびりびりするようでした。

夫の善明さんからちひろに宛てたラブレターは、たまたま美術館からいただいた資料のコピーの中に紛れ込んでいて、今まで整理したものにはなかったそうです。人に対する思いとか、どうやって社会と向き合っていくのか、本当に運命の人という感じの出会いだったようです。結婚式もつつましやかで、二人の結びつきが強いのも、一回目の結婚で失敗されているからこそ、二回目は本当に好きな人と結婚したいという願いが凝縮されていたと思います。

■観客に向けて

――映画だからこそと意識された点は?

私はもともとテレビ出身です。テレビはたくさんの方に一度に観てもらえる長所がある反面、お客さんの反応が全くわからず、作り手としてはすごく孤独でした。半年かけてつくった作品が45分の放送であっという間に終わってしまい、何も残りません。会社を辞めて私が選んだのは、暗闇で時間を共有できる映画という表現方法です。今回作風は若干テレビっぽいところもありますが、暗闇の中で90分間、観客の方と一緒にちひろの旅に出たいと思ってつくりました。自分が27歳の時どうだったかなということは、テレビだとあまり思いませんが、暗闇の中で観ると、自分の人生と比べたりすることも多く、それがドキュメンタリー映画のいいところだと思います。

――観客の方へのメッセージをお願いします。

ちひろの絵が好きな方からは、大画面でちひろの絵の世界を堪能でき、絵の世界に包み込まれる喜びがあり、音と絵を体感できて嬉しかったという感想をいただきました。私を含めて、ちひろの絵が少し苦手とか、あまり縁のない人には、今回、一人の女性としての生き方に焦点を当てたつくりになっていますので、彼女がどんなふうに悩み、どんなふうに立ち上がり、生き抜いたかはきちんと描けたと思いますので、ぜひ観ていただきたいと思います。


海南監督と同じく私もちひろの人生については全く知らなかった。本作を観て驚き、幾つもの苦しみをバネにして、大きく飛翔したともいえる人生に圧倒された。絵を描くことをこよなく愛し、1本の線に想いを込めて描き続けたちひろ。「甘い絵」と批判されても自分のスタイルを貫きとおす強さ、絵本画家として成功をおさめた後も、著作権運動に果敢に取り組んでいく志の高さ。優しく、弱く、純粋な子どもたちへの視点を終生忘れることはなかった。そんな、自分に誠実に生き抜いたちひろの生き様に大いに感銘を受けた。ぜひ、本作を観て、多くの人にこのことを共感してほしい。そして自分自身について、自分の人生についてちょっと振り返ってみてほしい。きっと、ちひろの強さ、潔さは、私たち誰もの心の中にもあるはずのものだと思うから…。(伊藤 久美子)

 

HS-s2.jpg(12.7.6大阪ステーションシティシネマ)
ゲスト:蜷川実花監督、大森南朗

2012年 日本 2時間7分 R15+
監督:蜷川実花
原作:岡崎京子著『へルタースケルター』祥伝社
出演:沢尻エリカ、寺島しのぶ、大森南朗、桃井かおり、綾野剛、水原希子、窪塚洋介
2012年7月14日(土)~大阪ステーションシティシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国ロードショー

公式サイト⇒ http://hs-movie.com/index.html

作品レビューはコチラ

岡崎京子の人気アニメが原作の、芸能界を舞台にした愛と欲望の世界を描き出す沢尻エリカ5年ぶりの主演映画『ヘルタースケルター』。14日(土)の公開を前に「関西起爆プレミア試写会」と題して開催されるこの日の試写会には160組の応募に対し、なんと2万通の応募があったという。この話題作を早く観たいという熱気に溢れた劇場に、スペシャルゲストとして蜷川実花監督、沢尻エリカ演じるりりこと対峙する検事、麻田役の大森南朗が登壇。本作への想いや、主演沢尻エリカの撮影秘話について語った。


HS-s3.jpg━━━どうしてこの作品を撮ろうと思ったのですか。

監督:岡崎知子さんはもともと大好きなのですが、読み終わった後にずっと自分の中に何かが残るような衝撃で、この映画もそのようなドキドキが残せればいいなと思いました。美に執着する女性の話なので、りりこは随分と極端な人ではあるけれど、みなさんの中にも女性だったら小さなりりこがいるのではと思って撮っていました。

━━━りりこと対峙する麻田という役をオファーされたときの率直なお気持ちは?

大森:なかなかの二枚目キャラにも見えるので俺でいいのか、錦ちゃんのほうがいいんじゃないかと自分では思ったのですが、監督たっての希望だったので。

監督:撮影もご一緒してよく知った仲なので、最初のオファーは「今度ご飯いこう。あと、映画出て。」という感じで。返事も「メシ、行く行く。映画、出る出る。」みたいな。どうしてもこの役をやってほしいと思ったんです。南朗さんが演じたこの役は、すごく好みの男性で、さらに夜中に自分でせりふを書いたものですから、自分がこう言ってほしいというせりふが満載です。

HS-s4.jpg━━━監督から演じるにあたってのリクエストはありましたか?

大森:現場で話し合いはして、そのキャラクターを探していくという作業はしましたね。

監督:本当に難しい役で、せりふも口語体じゃないので、南朗さんがやってくれたことによって、人間味や説得力がでましたね。

━━━りりこ役の沢尻エリカさんも蜷川監督からのオファーですか?

監督:本当にりりこのストーリーなので、これを誰にやってもらおうかと何度もいろんな角度から考えても沢尻エリカしかいませんでした。見ていただいて感じていただけると思いますが、今この場に立っても本当に彼女にしかこの役はできなかったなと日々思っています。

━━━大森さんは沢尻エリカさんと共演していかがでしたか?

大森:すごく感受性の豊かな20代の女優さんだなと。マスコミに取り上げられていますが、意外と会うと普通に「地元近いね。」という話をしたりしましたね。

監督:多分緊張するんでしょうね。あとすごく不器用なので、お芝居をしているときはすごいなと思いますし、普通の女の子のときはそうなんだなと、私も思いました。 

hs-2.jpg━━━蜷川監督から沢尻さんに演じる上でのリクエストはしたのでしょうか?

 

監督:南朗さんにはほとんどしていませんが、エリカはものすごく細かくやっていました。最後の方は大体前日に電話をして、翌日のシーンのかなり細かい打ち合わせをしてから、お互い納得した上で現場に立っていたので、現場ではあまり言ってないように見えたかもしれませんね。

━━━寺島しのぶさんや桃井かおりさんなど、存在感のある女優さんとの共演でしたね。

監督:女の人が濃いので、男性は心安らぐキャストにしました(笑)。

hs-3.jpg━━━あと1週間で公開ですが、蜷川監督の今のお気持ちはいかがですか?

監督:本当に7年間ぐらいやりたくて、やりたくて、待っていた作品で、やっとここまできたかとドキドキしています。うれしいですけれどね。

大森:満を持して本当にヒットしてほしいです。お客さんにいっぱい入っていただいて、見て、いろんなことを感じていただければと思います。

監督:もしよかったら、ガンガンお友達に薦めてください。ブログとかTwitterとかに書いてくだされば、リツイートしますので!

━━━最後のメッセージをお願いいたします。

大森:すげえ力のある映画なので、みんながんばって見てください。きっといいものをもって帰れると思います。今日はありがとうございました。

監督:この作品は自分にとって本当に運命的な作品で、これ以前とこれ以降とはっきり自分の中で区切りがつくものになっています。私もエリカも他のキャストやスタッフの魂がかかった結構アツイ映画になっていますので、どうぞ楽しんでいってください。今日はありがとうございました。


HS-s1.jpg挨拶後は七夕にちなんで、蜷川監督と大森南朗が劇中に登場する蝶のモチーフに大ヒット祈願をかけて、笹の葉に飾り付ける一幕もあった。最後のフォトセッションではさらに大きな「大ヒット祈願」を手に引き締まった顔でポーズに応えてくれたお二人。蜷川監督の口から「運命的な作品」との言葉があった通り、鮮烈な映像と魅力的な主人公に強く惹きつけられ、ガツンとしたパワーを放つ作品だ。劇場公開までカウントダウン、この夏一番の話題作を是非スクリーンで目撃してほしい。

(江口 由美)

(C)2012映画『ヘルタースケルター』 製作委員会

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『グスコーブドリの伝記』舞台挨拶とバンドネオン演奏はコチラ

『グスコーブドリの伝記』なでしこジャパン代表澤穂希選手による舞台挨拶レポート

MC それではご紹介しましょう。神戸を本拠地としているあの選手です!サッカー日本代表のあの方にさっそくご登場いただきましょう。澤穂希さんです!どうぞ大きな拍手でお迎えください!

澤 (登場)

MC あでやかな浴衣姿ですね!まずは、皆さんにご挨拶をお願いします。

澤 皆さん、こんばんは。

MC 皆さん、もっと元気出してください!(笑)

澤 皆さん、こんばんは〜!!

MC いつものユニフォーム姿とは打って変わって、浴衣ですね。わりと夏は浴衣を着られたりするんですか?

澤 いえ、あまり着ませんね。「なでしこジャパン」という名前がついたときに選手5人で着て以来ですね。

MC そうなんですか。では、今日はかなり貴重なお姿なんですね。

 そうですね。

MC そして、色はやっぱり…

budori-ss2-240.jpg澤 (笑)青ですね。

MC やっぱり、この色はテンションあがりますか?

澤 そうですね。ユニフォームと同じ色なので、やっぱり青い色を着ると、テンションがあがりますね。

MC お似合いですね。あと、爪もきれいですね〜

澤 皆さん、見えますか?オリンピックモードになっているので、オリンピックのマークと自分の背番号とワールドカップで優勝した星が一個入ったのをネイリストさんにやっていただきました。

MC 普段からネイルとかされるんですか?

澤 そうですね。自分が人の手先をよく観るので指先が綺麗だといいじゃないですか。なので、ちょっとこだわってみました。

MC では、まずロンドンオリンピック代表メンバー選出おめでとうございます!

澤 ありがとうございます!

MC 一ヶ月きりましたね。

澤 そうですね。女子サッカーは、日本選手団の中でも一番最初の試合なので、開会式の前に試合があります。

MC この時期って、緊張されているのか、逆にリラックスされていらっしゃるのか、どちらなんでしょうか?

澤 来週の月曜日からなでしこが集合なので、みんなで集まったらちょっと緊張もしますし、メンバー18人も決まったので、オリンピックに集中できる環境になりますね。

MC そんなお忙しい澤さんが、どうして、今日駆けつけてくださったんですか?

澤 実は、この映画のプロデューサーが私の叔母にあたる渡邉桐子さんなので、応援にきました!

MC そうなんですね。この映画のおすすめのポイントはありますか?

澤 そうですね。とにかく感動する映画であって、本当に、どんな困難があっても、それを乗り越えて、前向きに進む勇気に、すごく感動しました。

MC 澤さんもそういう経験があるかと思うのですが、そういう時は、どのように乗り越えられるんですか?

澤 そうですね。そういう時は、サッカーのことを考えないようにしたり、とにかく静かに過ごす時間を持つようにしたりします。

MC ブドリは、映画の中でいろんな仕事をするんですが、澤さんは、もしサッカー選手じゃなかったら、どういうお仕事につかれていたと思いますか?

 たぶん無理だとは思うんですが、興味があるのは、弁護士です。かっこいいじゃないですか。絶対無理ですけど(笑)弁護士の友達がいたりするので、憧れますね。

MC パンツスーツ姿の澤さんですか。似合いそうですね(笑)

澤 そうですか?ありがとうございます!

MC 映画の中で、ブドリとネリの兄弟愛が描かれていますが、澤さんもお兄さんと仲がよろしいんですよね?

澤 そうなんです。サッカーを始めたきっかけも兄の影響なんです。今でもとても仲が良くて、よくご飯も一緒に行ったりします。中学校以来、喧嘩したこともないですね。いつも兄の後ろをついていって、一緒に遊んでもらっていましたね。

MC じゃ、まさにブドリとネリの関係ににてますね。

澤 そうですね。

MC 映画の中で家族が食事をするシーンがあるんですが、澤さんのパワーの源となる食べ物はなんですか?

澤 やっぱり、お寿司ですね!白身魚が特に好きです。大きい大会の前か、帰ってきてからは、必ず食べますね。あとは、母が作ってくれる茶碗蒸しは、やっぱりパワーになりますね!

MC  なるほど。ありがとうございました。

budori-ss3-240.jpg(フォトセッション)

MC それでは、最後に会場の皆様にメッセージをお願いします。

澤 あと3週間でロンドンオリンピックが始まります。私たちもチーム一丸となって、みんなで一生懸命がんばって一番輝く色のメダルをとれるようにがんばりたいと思いますので、皆さん、ぜひ応援のほうをよろしくお願いします。そして、これから、映画を楽しんでかえってください。ありがとうございました。


囲み取材 19:20〜

Q: おばさんがプロデューサーをされているということですが、どちら方のおばさんですか?
A: 父親のお兄さんの奥さんです。

Q: その渡邊さんのプロデュースされている作品は大体ごらんになっているんですか?
A: 観ているものもありますし、お話を伺うだけというものあります。今回はすごくいい作品で、「オリンピック前で結構ばたばたしていて申し訳ない。」と言われていたのですが、すごくいい映画ですし、たくさんの方々に是非この作品を見ていただきたいというのがあって、今日、こういう形で舞台挨拶させていただきました。

budori-2.jpgQ: 家族のことも描かれているストーリーで、澤さんにとってお母さんの存在も大きいかと思いますが、今回代表に選ばれてまた改めて連絡はしましたか?
A: 母親もテレビでメンバー発表を知って、その後も取材で忙しく、落ち着いてから連絡すると言っていたのですが、生の声を聞きたかったみたいで、すごく必要以上に電話してきたりして「待って。落ち着いたらこちらから連絡する」と言いました。そして、その日にはちゃんと父親にも母親にも連絡して「メンバー入ったよ!」と言ったら父親には「知ってるよ」と言われました。

Q: 原作が宮沢賢治さんということで、宮沢さんといえば有名な「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」という詩がありますが、まさに今年の五輪の代表に選ばれるまでの澤さんの道のりに非常にシンクロしているのではないかと思うのですが・・・
A: 重なる部分はあります。この映画でも描かれているように、色んな困難を乗り越えて前向きな気持ちでやっていくというストーリーなんですが、今年に入ってケガや病気もあったり、今までにないしんどいことも経験しました。だけど、やっぱりオリンピックという目標があって、その目標に向かって頑張れたという部分もあるので、この映画のストーリーに感動したというか、グッと来るものがありました。

budori-1.jpgQ: 先程のお話にもありましたが、オリンピックも間もなくですが、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」ということで、日本が優勝するためにはこれからの準備も含めてどういうことに負けなければよいと思いますか
A: ああいう大きな大会になればなるほど、緊張もありますし、メンタルを占める部分は大きくなります。自分もそうなんですが、百何十試合していても毎回緊張しますし、いつもの平常心を保たなくてはいけないということがすごく大事だと思います。

Q: そういう中で、多くの若い選手が澤さんの背中をみて、試合中、劣勢の中でもはね返していく力をもらっている選手がいっぱいいると思うのですが、改めて自分のメンタル部分でどういうことに気を付けていこうと思いますか?
A: 自分でやれることは「ベストを尽くしてやる。」ということはもちろんです。自分が引っ張る立場にもありますが、逆に後輩が頑張る姿をみて自分が勇気や元気をもらうことも絶対にあると思います。18人しかいませんが、とにかくみんなで力を合わせ、18人とバックアップ、スタッフも力を合わせ、チーム一丸となって戦いたいと思います。

Q: ワールドカップのときは、挑戦者という立場だったところ、チャンピオンとして今回臨まれますが、その部分で改めて違いはどういったことですか?
A: 皆さんは私たちがチャンピオンだと思われていると思いますが、私たちはまだオリンピックでチャンピオンになったことはなく、メダルもとったこともないチームです。逆に自分たちはチャンレンジャーだと思っています。そういう意味では、チャンピオンではなくチャレンジャーの気持ちで臨んで行きたいです!

(ワーナー・ ブラザーズリリースより)

「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭 映画の國名作選 VI」

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『ベルタのモチーフ』(1983年 スペイン 1時間58分)
『影の列車』(1997年 スペイン 1時間22分)
『シルビアのいる街の写真』(2007年 スペイン 1時間17分)
『シルビアのいる街で』(2007年 スペイン=フランス 1時間26分)
『イニスフリー』(1990年 スペイン=フランス=アイルランド 1時間48分)
『工事中』(2001年 スペイン 2時間13分)
『ゲスト』(2010年 スペイン 2時間13分)
『メカス×ゲリン 往復書簡』(2011年 スペイン 1時間39分)

9月から第七芸術劇場にて、今秋、京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンターにて公開予定

公式サイト⇒ http://www.eiganokuni.com/jlg/

『ベルタのモチーフ』作品レビューはコチラ

~驚きと発見に満ちた映像体験~

一昨年、日本で劇場公開された『シルビアのいる街で』のすばらしい音と映像世界で多くの映画ファンを魅了した、稀有の映像作家、スペインのホセ・ルイス・ゲリン監督。幻の処女作『ベルタのモチーフ』をはじめとした8作品が、「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」と題して、関西では、この秋、一挙上映されることになりました。東京では6月末から開催された同映画祭にゲストとして来日されたゲリン監督を、大阪では、7月3日に迎えて『ベルタのモチーフ』公開記念の記者会見が行われました。その内容をご紹介します。


―――昨年スペインのビクトル・エリセ監督が来日された折、映画は自分と向こう岸にいる人とを結ぶ架け橋のようなものと言われましたが、ゲリン監督はどう思われますか。

確かに私もそう思います。エリセ監督とはとても親しい仲で、スペインで最も尊敬できる監督です。私にとって日本との架け橋は小津安二郎監督の映画です。小津作品を観るまで、日本のイメージは芸者と侍しかありませんでした。若い時に小津の映画を観て、原節子が自分の姉のように、笠智衆が自分の父親のような気がしていました。ほかにも、日本の文化として、俳句や文楽にも興味を抱きましたが、最初に興味を持ったのは小津の映画です。

映画は、どの国においても、外務大臣より外交ができると思います。国のイメージがつくられるのは映画を通してです。イラクが空爆されてしまうのもイラクのイメージがなかなか世界に伝わっていないからで、イメージを持っている国は権力を持つことができると思います。

berta-1-240.jpg―――『ベルタのモチーフ』は1983年の作品ですが、モノクロで撮った意図は?

これは、私が22歳の時、今から30年位前の初監督の作品です。すべての要素をコントロールすることが大切と考え、何もない空間を探しました。フレームの中で、地平線のライン、垂直を表す木のライン、道路など、ラインというものをコントロールしたいと思ったのです。そのように統制された中でイメージがもっと饒舌に語り出すには、モノクロのほうがいいと考えました。

絵画においては色彩が一番重要だと思いますが、映画にとって重要なのは光だと思います。私の場合、ほとんどモノクロに戻ります。というのも、モノクロは最も基本的であり、私が親しんできた映画の大半はモノクロでした。

―――監督が親しんできた作品とは、具体的にどんな作品ですか?

『生れてはみたけれど』、『東京物語』、『晩春』、『雨月物語』、チャップリン、ジョン・フォード、ジャン・ルノワール、『お早よう』などなどです。

カラーの作品はとても費用がかかります。すべての要素をそろえようとすると、美術、衣装にも気を配らなければなりません。資金がないということで、どこかを妥協するぐらいなら、モノクロの方がよいと私は思っています。

Gerin-1.jpg―――小津監督の作品に、そこまで魅かれる理由は?

映画を観ていて、彼らが自分の家族だと思えたのは小津作品だけです。映画の中で、人というものを一番よく描いている監督で、奥ゆかしさ、謙虚さをもとに、シンプルに仕上げているところにあると思います。職人的に、フレームの決め方や構図などが非常に厳格に行われていて、それが日々の小さな出来事を映画という物語に変えています。 

(『晩春』で)父親がただ林檎の皮をむくところも、単純な仕草が、厳格なフレームの中で、とても大きな意味を持ち、後に何かが起きるきっかけになる秘密を秘めていることがわかります。小さな出来事を映画の中で描ききることが、今の現代映画では重要だと思います。

小津監督の作品をずっと観ていると、笠智衆も原節子も次第に年をとっていきます。その感覚が私にとっては新鮮で、家族だという感覚を教えてくれるのだと思います。北鎌倉を訪れて高齢の女性を見るたびに、私は、原節子さんかもしれないと思って見ています。すべての小津作品の中で、原節子は私の姉であり、娘であり、母です。ぜひ一度でいいから抱擁してみたいと思います。きっと驚いて逃げられると思いますが(笑)。

―――失われた時間や記憶に強い関心をお持ちなんですね?

私の映画には、すべて、過去という神秘的な時間と現在と、二つの時間が弁証法的につかわれています。それは、探しているわけではなく、偶然そうなってしまうといった方がいいかもしれません。たとえば、『工事中』(2001年)という映画の撮影中、古い建物を壊して掘っている時に、ローマ人の遺体が出てきましたが、これは偶然に現れたものです。

一作目の『ベルタのモチーフ』は、一番かっちり書いた脚本に基づいて撮影したものですが、それ以降は、何か起こったことに順応しながら撮っていく中で、過去と現在の間の関係というものを、その緊張感を新鮮に見出したいと思っています。

berta-2-240.jpg―――『ベルタのモチーフ』で、シューベルトの「さすらい」という歌をつかった意図は?

あの曲は女優アリエル・ドンバールが歌っていて、スペイン語で「歩いていく」という意味です。この曲自体、ベルタが大人になっていく成長過程を示すものであり、また、自殺する男はドイツのロマンティシズムの具現化なのですが、そのロマンティシズムを表すためと、二つの意味でシューベルトをつかいました。

―――自殺する男が持っていた三角帽子が印象的です。

ドイツのロマンティシズムの伝統と、ベルタの、戻ってくる人を待っているという間違ったロマンティックな解釈につながるものです。『イニスフリー』(1990年)でも、撮影隊が閉ざされた共同体に到着して、撮影を始めるという中で、少女と帽子というモチーフをつかっています。

―――スペインのアート系映画づくりの環境はどうですか?

スペインの映画の上映環境はよくありません。アメリカのヒット作品、大作ばかりが上映されるので、私は、アート系の映画を観るためにフランスに行きます。スペインはインディペンデント映画になかなか助成がなく、アート系の映画は製作しにくい状況にあります。今の経済危機の中で文化的要素が真っ先に切られているのが現状です。


 今、活躍中の日本人監督の名前を尋ねられて「知らない」と答えたゲリン監督は、ふと、いたずらっ子のような表情で微笑んで「ホウ・シャオシェン(侯 孝賢)」と言って、会場を笑いでなごませた。その後、ふと思い出したかのように「スワ、スワ」(諏訪敦彦)と繰り返した。小津監督作品への思いを、とても楽しそうに語ってくれ、言葉はわからなくても、熱い思いが伝わってきた。

監督は、大阪での記者会見を終えた後、京都へ向かい、夜、同志社大学で、学生や熱心な映画ファンを前にトークに臨んだ。会場は、監督の話を生で聞けるということで、満場の熱気であふれた。『ベルタのモチーフ』でアリエル・ドンバールの出演に至ったいきさつを尋ねられ、監督は、エリック・ロメールの映画で何度か観ていて、出てほしいと思い、お金はないですが、ぜひ映画に出てほしいと手紙を書いたところ、優しい人で、承諾してくれたというエピソードを紹介。撮影中もとても寛容な人でしたと感慨深く述べた。映画だけでなく、日本のいろんな文化に造詣の深い監督は、翌日は鴨長明の足跡をたどると嬉しそうに話し、俳句を読むことも発見に満ちていると言って、蕪村、芭蕉、子規、良寛、そして、山頭火の名を加えた。俳句という、限られた言葉で無常や詩的な世界を描写しようとする試みは、監督の、台詞や説明的な要素をできるだけ映画からそぎ落とし、詩的で内面的な映像世界をつくりあげようとする姿勢に通じるものがあるかもしれない。

京都では、『ベルタのモチーフ』、『メカス×ゲリン 往復書簡』の2本が先行上映され、ゲリン監督の音の感覚、映像を構築する力、生まれ出た映画のもつイメージの豊かさに、あらためて圧倒された。一つ一つのシーンが見事に絵になっていて、限りなく美しい。「映画の基本は見る事と聞く事だと思います」との監督の言葉どおり、目の前の映像と向き合い、聞こえてくる音にときめき、心洗われるような映画体験は、発見と驚きと喜びに満ちていた。

ゲリン監督は京都のトークで「時々、肖像画を描くように映画を撮りたくなってきました。映画を観たあと、物語は忘れても、ただ一つの場面の姿勢や態度などが、心に焼きつくことがあります。それが私にとっての『肖像画』になるのです」と言われた。監督の映画に出会った観客は、きっと、宝物のようなすてきなシーンを、幾つも心に刻み込んで、家路に着くにちがいない。秋の映画祭がただもう待ち遠しいばかり。この至福な出会いが関西でも実現したことに心から感謝したい。(伊藤 久美子) 

olo-s2.jpg(2012年 日本 1時間48分)
監督:岩佐寿弥
プロデューサー:代島治彦
音楽:大友良英 
絵・題字:下田昌克

© OLO Production Committee

6月30日~ユーロスペース(東京)、7月7日〜シネ・ヌーヴォ、(公開時期未定)京都みなみ会館
公式サイト⇒http://www.olo-tibet.com/

~少年オロの悲しみと明るさが心に刻みこまれる…~

チベットでは、中国政府の政策でチベット文化やチベット語の公教育が十分行われず、親たちは、インド北部のダラムサラにある「チベットこども村」(チベット亡命政府が運営)という全寮制の学校で勉学させるため、あえて子どもたちを人に託して、ヒマラヤを越え、亡命させる。少年オロもそんなふうに6歳の時、母から国外へと送り出された一人。映画の前半では、オロの学校生活や、友達の家族の姿が描かれ、家族が離散した悲しみや、友達が体験した亡命の苦労が語られる。後半は、岩佐監督ご本人が登場。オロは、監督とともに、チベット難民一世でネパールで暮らすおばあちゃん(監督の前作『モゥモ チェンガ』(2002年)の主人公)の家を訪ねる。

おちゃめで繊細な少年オロはじっと見守りたくなるくらいにかわいく、その表情にひき込まれる。オロを主人公としたドキュメンタリーでありながら、他のチベット映画の映像やアニメ映像も挿入され、撮影者である監督と被写体のオロとが映画について語りあうシーンもあり、自由な作風が魅力的。来阪された岩佐監督と代島プロデューサーから本作の魅力についてたっぷりとお話をうかがったのでご紹介したい。


■映画化のきっかけ

olo-1.jpg―――最初にチベットに魅かれたきっかけは何ですか。

監督「16年前、妻がトレッキングをやっていて、ガイドの方がネパール国籍を持つチベットの難民でした。妻たちが山に行っている間、僕は、彼が育った難民キャンプに行くようになりました。日本人と顔も感覚も似ていて、難民キャンプの空間も、僕の子どもの頃を思い出し、とても懐かしい、でもひとつ微妙な違いを感じていました。何だろうと思っていたら、こびへつらわない、卑屈にならないというのがあって、チベット文化が生み出すものだと思いました。チベット仏教が生活のひだまでしみとおるようにあって、そういう伝統の中から生まれてきた一つの人格という独特のものを、難民の人たちが外国へ行っても、とても大事にしているところに、とてもひかれました。

こびへつらうことは、威張ることの反対のようにみえますが、僕は一つのことだと思います。威張ることの裏返しがへつらうことで、威張りたい人は局面によってはすぐ卑屈になるし、卑屈な人は威張るチャンスがあれば威張りたがる。チベットの人たちにはそういうものがありません。日本人でも卑屈でない人はたくさんいますが、チベットの場合、子どもの時からそのようなものが育たないように育てられてきている感じがして、それがひきつけられた第一の理由です」

―――チベットの映画を撮ろうと思われたのは?

監督「チベットの人たちは、異国の地で、自分たちが持ってきた文化を抱きしめるように大切にしています。お寺もすぐつくるし、難民になってもお坊さんはいっぱい出てくるし、日常は全部祈りを中心に進んでいきます。衣装やお茶、生活の細かい様式で、強いられなくても自然に文化を保っている姿をみると、戦後私たち日本人が失ってしまったものがとても大事だったと考えさせられました。それで、最初は、そういった文化を一番守っているおばあさんの映画をつくりたいと思い、それから10年経って、今度は少年の映画をつくりたくなって、踏み出したんです」

olo-2.jpg―――なぜ少年を主人公にしたのですか。

監督「2008年の北京オリンピックの聖火リレーで、世界中あちこちの聖火が通る場所で人権デモがあり、チベットの置かれた状況についても広く知られるようになりました。その時、日本でもチベットのための運動が起きて、33年間監獄に入っていたバルデン・ギャツォ師という老僧が日本に来て講演をされました。僕は、壇上のそのおじいさんにずっと見入っていたのですが、その時ふっと横から少年が現れ、二人が対話を始めたというような幻がでてきて、“少年”と思ったのです。それからしばらくして、十歳位の少年を主人公にしたら、何かが生まれそうだと思ったのが、始まりでした」

―――オロが暮らすダラムサラはどんなところですか。

監督「北インドのダラムサラは、チベット難民に与えられた街で、インドの中のチベットです。1959年にダライラマ法王と一緒に亡命した難民たちに対し、翌年、インド政府がそこを与えることを決定しました。イギリス植民地時代のイギリス人たちの保養地、避暑地です。商売をするインド人もいますが、量的にも質的にもチベットの街で、当時のネルー首相が教育は大事だからと、チベットの学校もつくられました。

その頃チベットでは、中国政府の下、チベット文化の教育が全くなされず、そのことに耐えられない親たちが、ちゃんとしたチベットの教育を受けさせるため、子どもをインドに送り出すことが始まりました。年間何百人もの子どもたちが亡命したことも一時期ありましたが、今はそれほどではありません。お金を渡して、人に子どもを託し、ヒマラヤを越えてインドまで送りつける。そして、その人だけがチベットに帰ってくるということが秘密裏に行われていました。

映画に登場するホームの子は、警察に捕まるという典型的な苦労をしていますが、凍傷で足の指がなくなる子どももいます。生涯会えないかもしれないという不安があっても、親は子どもの教育が一番大事と考え、あえて亡命させるのです。中国の学校では差別があるでしょうし、チベット語で5、6歳まで育った子が、学校に行くと全然チベット語を使えないというのは、親にしたら、心配で見ていられないのではないでしょうか」

■少年オロの魅力 

olo-s1.jpg―――山で、オロがお母さんに向けて、しゃべりながら歩く場面がとても印象的です。

 

監督「お母さんに手紙を書くように語ろうかと丘の上でオロに言いました。それまで特に何も言ってなかったのですが、やろうと言ってから3分位で、あれだけ大人びた、しっかりした内容の言葉を頭の中で構築できるのは、驚くべき才能ですね。オロが特別ではなく、チベットの子はああいうことができるのです。日本の子とはえらく違います。でも、おやつをもらえなかったりした時、お母さんが恋しい、と子どもみたいなこともオロは言うでしょう(笑)」

―――映画の冒頭では、逆にオロが原稿を読むシーンがありますね。

監督「あれは真反対ですよね。映画の中でこれぐらいのことは言っておかないと筋道がわからないというのがあって、モノローグのナレーションをつけようと思って撮りました。録音機がなくて、カメラで録ったのですが、それなら写っていてもいいじゃないかということで、ライティング(照明)も何もせず、音を録るために撮っていた映像を、編集の時にそのまま使うことになりました。あのナレーションにどんな映像をあわせても、ちっともおもしろくなく、一緒に写された映像をそのまま入れると、言葉で説明しているオロがドキュメントされていて、非常に立体的になっています」

代島「あれは、オロ自身が、『音しか使わない』と言われてしゃべっていますから、表情を撮られているとは思ってなくて、ほとんど素なんです。だから、しゃべる緊張感とかしゃべり終わった後の開放感とか、一番オロらしい表情で撮れたところですね」

監督「観客に伝えなきゃいけないある程度の事実の説明もできるし、非常にうまくいったと思います。あれは『やらせてますよ』ということと、『やってますよ』ということと、そういう関係を、ずっと縄をよじるようにやってきて、映画の後半は、やらせていた人(監督)が、いつのまにか被写体となってくるとか、そういう意味もありますね」

代島「嵐がきて、外で撮影ができないということで、音も密閉されていない普通の部屋で録音しましたので、雷が鳴ったり、どんどん暗くなっていったのも妙にリアルでしたね。意図したわけではありません(笑)」

olo-s3.jpg―――オロがカメラをのぞきながら、監督に向かって「アクション、スタート」と言うシーンは、おもしろいですね。

監督「ああいう遊びは、放っておけば、するんですよ」

代島「オロはずっと撮られてるんですよね。ずっとそうだったから、逆のことをずっとやってみたかったんです。監督も長旅で疲れていましたが、オロにつきあってましたね(笑)」

監督「同じバスの中で、オロが、揺りかごのまねをするところも本当にかわいらしいですね。気持ちが自由なんですよ。小さな街から出て行ったこととか、いろいろ含めてちょっと気持ちもはしゃいでいて、バスの中の移動感も出ていて、あそこはよかったですね。オロというのは本名とは違うんです」

―――オロが、ネパールの難民一世のおばあちゃんと、チベットでの放牧の話をしているときの顔は、本当に生き生きとしていましたね。

監督「観た人の中で、あのシーンについて語ってくれる割合はものすごく高いです。二人はかなり長くしゃべっていますが、その長さがいいみたいな感じで、観客からのリアクションがあります」

―――明るくて屈託のないオロが、ネパールの難民キャンプで仲良くなった難民三世の姉妹に、亡命する途中の苦労について尋ねられて、初めて、つらい思い出を終始うつむき加減で答えるシーンがすごく印象的でした。

代島「オロがしゃべるのは、ある程度仲良くなって、好かれてるということがわかってるからだと思います」

監督「オロは僕たちにはああいうことはずっとしゃべりませんでした。全体として、オロは、特に思い出したくはないというのがあって、その中でやっと語ったということだと思います。その前に『いい人に拾われて』と言っていますが、そういうのも気を遣っているんだと思いますよ。朝、水をぶっかっけられて起こされた人だというのに、『いい人』と表現するなんて、矛盾しているおもしろさですよね。子どもが、しゃべりながら、状況に気を遣っているんです。彼女たちがかなり追求するみたいな形でしゃべるのは、映画の方から頼んでる面もあるんですけど、チベット人は聞き出したらずけずけ聞いていくところがあって、非常にチベット人らしいです」

―――亡命の途中、たった一人で迷子になってしまったオロがお店の人に雇ってもらうよう頼んだ時の言葉が「僕を買って」という訳になっているのが気になりました。

監督「きつい言葉なので、「雇って」という言葉に変えた方がいいのではないかと話し合いました。それで僕がチベット人に、ああいう時に「買って」と言うのかと聞いたら、それは言いませんとのこと。じゃあ、オロはどう言っているのかと聞くと、オロは「買ってください」と言ってます、と教えてくれた。それで、これは絶対僕は使いたいと思って、あえて、オロが言っているとおりに「買う」という言葉を訳に入れました。子ども心に、オロはそこまで追い詰められていたということなんですね」

―――最後にオロが、監督に向かって「ありがとう」というときの表情がすごいですね。

代島「チベットの人たちを代表して言ってる顔だねという感想がありました」

監督「オロはちゃんとだぶらせてますね。心のどこかで、チベットとしてありがとうと言っているのだと思います。本人はそんなことを計算しているわけじゃないですよ。でも、心の中は多分そうだろうと思います。本当にロケの最後の頃に撮ったシーンです」

■似顔絵と歌について 

―――映画の最後に出てくる似顔絵は、一枚一枚深みがあって、人生を感じました。似顔絵を使おうと思ったのはなぜですか。

 

監督「はじめ僕は成立するかなあと疑問に思っていたのですが、ものすごくよかったですね」

代島「似顔絵を描いた下田昌克さんは、チベットと出会うことで人生が変わった画家です。会社を辞めて放浪の旅に出て、いろんな絵や似顔絵を描いて、旅から帰って、その絵を気に入った編集者がいて、週刊誌に連載したりして絵描きになりました。この映画の気持ちがよくわかったのだと思います。

この映画は、監督の『ヨーイ、スタート』という掛け声から始まっていて、作り手のメッセージがあってもいい映画だと思っています。撮るということで、皆さんを引き込みながら映画をみせていく。フェイクしながらリアルをみせる。だから、最後にすごくリアリティがあるけど、『絵』というもの(フェイク)が入ってきてもいいんじゃないかと思いました。

映画は、学校の夏休み、冬休みと進んでいきますが、前半の物語と後半の物語とに分かれていますよね。映画の最後に、物語の総体というか、最初からの全体を感じてほしかったんです。そのとき登場人物の一人ひとりがどういう思いを抱えて生きているのか、ということを思い出してほしい。そこに岩佐監督の大好きなオロの歌「きっとまた会おう、兄弟たちよ」という歌を重ねたい。あの登場人物一人ひとりにも会いたい人がいるし、皆が会いたい。じゃあ、人間を出したいという中で、似顔絵を出そうという発想が出てきました」

監督「あの歌には『チベットでみ仏と会うことができますように』という歌詞が何回も出てきますが、チベット人は“み仏”というのを“ダライラマ”だと思って歌っているんです。でも、翻訳の人に、具体的に“ダライラマ”と言ってるのかと聞くと、いや、“み仏”と言ってると言われました。ダライラマ法王は観音菩薩の化身なんです。それを“み仏”といって歌にしていますが、心は具体的には“ダライラマ”なんです。ただ、歌の訳を“ダライラマ法王”と書いたら、日本人からみたら全然違うイメージになる。結局、言葉として言っているのは、“み仏”だから、“み仏”という訳にしようということになりました。

僕は、頑張ってチベット人と同じ気持ちになって、あれが“ダライラマ”だと思って歌っていると想像して、あの画面を観てると、ぐーっと迫ってきて、涙が出てきました。チベットの人たちにしたら、“ダライラマ法王”にチベットに帰ってきてほしいんです、そして、自分たちもチベットに帰って、あそこで会いたい、そういう歌なんです。ダライラマを慕って、一緒に国外に亡命した人もたくさんいますし、中国政府に禁止されているのを承知でダライラマの写真を大切に持っている人もいます」

―――観客の方へのメッセージをお願いします。

監督「チベットが中国にいじめられているという概念ではなく、映画を楽しもうという気持ちで、構えないで、観てほしいと思います」


オロが乗り越えてきた苦しみ、悲しみを知り、驚きながらも、今、目の前に映っているオロの明るさ、賢さ、たくましさに、未来への希望を感じずにはいられなかった。最後に、監督にお礼を言う時のオロの表情は、少年と大人が同居しているような、あどけなくて深みのある顔で、その成長ぶりに息をのんだ。ぜひ映画館へオロに会いにいってほしい。

少年オロの姿をとおして、未来がみえない不安の中でも、人とつながっていること、人との絆を感じることで不安を乗り越えていけるし、しっかりと前を向いて歩き続ける勇気がわいてくることを教えられた気がした。

 大阪シネ・ヌーヴォXでは、本作の公開にあわせ、「チベット映画特集2012」と題し、『モゥモ チェンガ』(2002年)をはじめ、チベット映画4本も上映される。ぜひこの機会に観に行ってほしい。

(チベット映画特集2012⇒http://www.cinenouveau.com/sakuhin/tibet/tibet.htm

(伊藤 久美子)

 

budori-s1.jpgゲスト:杉井ギサブロー、小松亮太(バンドネオン奏者)

(2012年 日本 1時間48分)
監督・脚本:杉井ギサブロー 
原作:宮澤賢治  キャラクター原案:ますむら・ひろし
声の出演:小栗旬、忽那汐里、草刈民代、柄本明、佐々木蔵之介、林隆三
(C) 2012「グスコーブドリ製作委員会/ますむらひろし
2012年7月7日(土)~丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
http://wwws.warnerbros.co.jp/budori/

『グスコーブドリの伝記』なでしこジャパン代表澤穂希選手舞台挨拶はコチラ

~今こそ見つめ直そう、自然との共生を~

 本作は、『雨にも負けず』の詩で有名な宮澤賢治が37歳で亡くなる前年(昭和7年)に書き上げた童話『グスコーブドリの伝記』の映画化である。厳しい自然との共生や、火山国に生きる者の宿命であったり、身を挺してまでも成し遂げることなど、人類にとって尊いメッセージが沢山つまった作品でもある。
本作を監督したのは、『白蛇伝』『少年猿飛佐助』『西遊記』など日本アニメーション草創期から大活躍のベテラン・杉井ギサブロー監督(72歳)。音楽は、バンドネオン奏者の小松亮太(39歳)が、厳しい自然に立ち向かうブドリの勇気と悠久とした自然の美しさを、アルゼンチンタンゴで使われる楽器・バンドネオンで表現している。
 本作の試写会の前に、杉井ギサブロー監督と小松亮太による舞台挨拶とバンドネオンのミニコンサートが催された。

budori-1.jpg【STORY】
イーハトーヴの森で父と母と幼い妹の4人で幸せに暮らしていたブドリは、冷害で飢饉となり両親は行方不明に、妹は謎の男にさらわれてしまう。てぐす工場で働いたり、里に下りて農作業を手伝ったりしながらひとりで生き抜く。イーハトーヴの街でクーボー博士と出会い火山局で働けるようになったブドリは科学の力を学んでいく。そして、火山を科学の力でコントロールする方法を知り、度重なる冷害を防ぐ方法を思いつく。しかしそれは、ブドリにとって重大な決意をすることになる―――すべては愛する故郷を守るために。

 


(ご挨拶)
 budori-s2.jpg監督:今までいろんな作品を作ってきましたが、この作品には特別な思いがあります。昨年3月、この作品がほぼ完成していた時あの大震災が起こり、大変なショックを受けました。宮澤賢治が昭和初期に書いた童話ですが、自然と人間と科学を今こそ本気で見直さなければいけないと実感しました。そうした賢治の思いを考えながらご覧頂きたいです。
小松:この大作に関わらせて頂いて光栄に思っています。普段アルゼンチンタンゴの情熱を演奏している僕ですが、「人類に対する問いかけ」という壮大なメッセージをどのように表現するのか、と不安と期待が入り混じっていました。でも、意外とこの作品にフィットしていると思いますので、今までにない映画音楽と思ってお楽しみ頂ければ嬉しいです。

――― 1985年の『銀河鉄道の夜』の時もネコキャラで、今回もそうですが、その理由は?
監督:はい、よく聞かれることです。賢治は東北生まれで、舞台も東北だと思われますが、無国籍にしています。おそらく賢治の中では、国境も性別も超えた総ての人々に向けて書いた童話だと思うのです。その奥深さを表現するためには人間の少年ではとても無理だと思い、敢えて人間ではなくネコに似たキャラクターにしました。作品の深い情感は音楽に、キャラクターの思いはネコに託しました。

budori-s4.jpg――― 初めての映画音楽ということで、悩まれたことは?
小松:アルゼンチンタンゴは人間の怒りや悲しみ懐かしさという人間的感情を過剰なほど表現している音楽ですが、今回は自然と人類との関わりがテーマなので、迷うこともありました。でも、僕なりの方法で自然の厳しさを表現するとどうなるのか、と試行錯誤しながらやってみたところ、僕なりの答えが出たような気がしています。27年前の『銀河鉄道の夜』も、細野晴臣さんが初めて映画音楽を担当されたとか。それまでにない映画音楽を楽しむいい機会になっているように思います。

(ここで、小松亮太さんによるバンドネオンとレオナルド・ブラーボさんによるギターで『グスコーブドリの伝記』のメインテーマと、小田和正の主題歌を演奏。) 

budori-2.jpg――― 監督、演奏は如何でしたか? 
監督:聴くたびに思うのですが、バンドネオンは不思議な音で情感豊かですよね。
小松:アルゼンチンタンゴ以外ではあまり使われない楽器なんです。よくアルゼンチンの伝統楽器ですか?と聞かれるのですが、実はドイツ生まれの楽器なんです。金属的なガツンとした音を出すのですが、その裏に悲しさを感じさせるのが特徴なんです。

――― 舞台のそでで聴いていて、泣きそうになりました・・・。
監督:確かに、小松さんの音楽性もありますが、バンドネオンが奏でる音の質感が、ブドリの情感を引き出していると思います。

budori-3.jpg――― 監督は小学生の頃からアニメを志しておられたとか?続ける秘訣は?
監督:小学5年生の時からです。ディズニーの『バンビ』を見てその面白さに魅了され、この道を進もうと決心しました。その頃、漫画映画と呼ばれていた時代で、東映動画がディズニースタジオに近い形で始めたので、そこで必死にやってきました。続けてこられた秘訣なんて特にありませんが、ただ、何でも好きになることが一番だと思います。そうでないと一所懸命になれませんから。(まさに「好きこそもの上手なりけり」)  

――― 小松さんは14歳でバンドネオンを始められたとか?  
小松:はい、その頃バンドネオンの先生が居なかったので、自己流でやってきました。今でも日本には15人くらいしか演奏者がいません。世界的には増加傾向にあり、アルゼンチンへ留学する人も多いです。

budori-s3.jpg――― メッセージをお願いします。
小松:80年前に書かれた原作が映画化され、杉井監督と宮澤賢治のハートに触れ、時空を超えて、何を考えて現代をどのように捉えていたか、みんなのハートに残りますように。
監督:決して押し付けがましい作品ではありません。見終えて、綺麗だった、面白かったという思いを持ち帰ってもらいたいです。賢治作品の中の謎めいたことや、家族とは、自然とは、と語るきっかけになればいいなと思います。


自然との共存が求められる今こそ、主人公の忍耐強さと人道的な生き方に学ぶことは多いように思う。 (河田 真喜子)