レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

2018年1月アーカイブ

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「清貧の気持ちで、故郷の失われていく文化を守り、伝えていく」大林宣彦監督、戦中戦後の体験を語る『花筐/HANAGATAMI』舞台挨拶@大阪ステーションシティシネマ
 
壇一雄の原作を基に、デビュー以前に脚本を書き上げていたという大林宣彦監督が、40年の時を経て、佐賀県唐津市を舞台に映画化した『花筐/HANAGATAMI』。大阪ステーションシティシネマで初日を迎えた1月27日(土)に、大林監督が上映後の舞台挨拶で登壇した。まずは大きなスクリーンに、そして満席の観客に感謝の意を表した大林監督は、手にしているステッキから往年のミュージカルスター、フレッド・アステアを引き合いにだし、「フレッド・アステアのようにタップダンスが踊れればいいが、さすがに今日は踊る訳にはいかないので」とおどけてみせると、映画と戦争との関係(ハリウッド映画の成り立ち)から、軍国少年時代の話、敗戦後8ミリで映画を撮るに至った経緯と『花筐/HANAGATAMI』に凝縮された思いの源を語り明かし、最後はガンと闘っている今の心境を明かした。その内容をご紹介したい。
 

 

■映画は戦争を記録し、その記録をより深く記憶するために生まれた~ハリウッド映画の起源。

フレッド・アステアといえば私たちはアメリカのハリウッド大スターとして覚えているが、本当はヨーロッパの人。その話の続きで言えば、今でもハリウッド人たちの8割はユダヤ系の血筋を引いている。そもそもハリウッドというのは、エジソンが発明した活動写真のトラストからはみ出したユダヤ系の人がアメリカの東海岸から逃れ、アメリカ大陸を横断し、当時は雨一つ降らなかったカリフォルニア・ウエストコーストの地に作ったのがハリウッドという映画の街。そして、ハリウッド映画は、第一次大戦、第二次大戦の歴史と共に育ってきた。映画は戦争を記録するため、その記録をより深く記憶するために生まれたことが歴史的にも言える。ハリウッドに集まった人が、二つの大戦で国が滅び、家族がホロコースト等で斬殺され、自らもさすらい人になった。かつては新天地だったウエストコーストに居をさだめ、ここなら憧れの自由と映画に満ちた国を作ることができる。それを映画で作るというのがハリウッド映画の起源なのです。

 

■フレッド・アステアらのミュージカル映画は占領政策の一環。アメリカの人種問題を描いた『駅馬車』『風と共に去りぬ』は上映されなかった。

敗戦後、当時占領国のGHQの指示で、「日本人は精神年齢12歳だから」と、随分日本人をバカにした話ですが、日本人を育てるにはアメリカ映画を見せるのが一番いいということで、占領政策で見せてくれたのがアメリカ映画。でも現実には戦勝国のアメリカ映画はほとんど上映されなかった。『駅馬車』『風と共に去りぬ』は1939年には出来上がっていたのに、私たちが見ることができたのは、日本独立後の1952年になってから。アメリカの国内の戦争(南北戦争)を題材に、奴隷制度にも関わる作品なので、「アメリカの恥部を見せてはならない。人種差別があることを日本に教えてはいけない」ということで、私たちが見ることができたのは、ヒューマニスティックな映画や、フレッド・アステアやジーン・ケリーが登場するようなアメリカ得意のミュージカル。我々を食べてしまう青鬼のように怖い奴と教えられてきたアメリカ人が、アメリカ映画を観て、なんと白い、お尻の大きな人なのだろうと一気に好きになったものでした。
 

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■軍国少年が体験した敗戦。自分の気持ちの中で人が生きたり死んだりしている。

満7歳で日本が戦争に負けた。本当はそこで大人たちは自決をし、その前に子どもたちを殺してくれる約束だった。戦争中は、山本嘉次郎監督の日本がハワイの真珠湾をやっつけた映画を夢中になってみていた。パンフにもあるが、当時、零戦に乗り、空からなすび爆弾を落とすと、船に乗ったルーズベルト大統領とチャーチル大統領がキャー助けて!という自筆のマンガを慰問袋に入れて、母が戦地の父に送ってくれていた。そういう軍国少年だったから、戦争に当然勝つと信じていた。ところがその戦争に日本が初めて負けてしまった訳です。子どもに何が分かるかと侮るけれど、子どもぐらい大人を観察し、大人の世界をよく知る存在はいない。当時の4、5歳の私もそう。この大人は自分にとって役立つことをやってくれるかどうかをしっかり見抜き、大人を識別して生きている。戦争中の子どもだから、物心がついたときから、戦争ごっこの中で生きている。名前を知っている十人ぐらいの人が必ず戦争で死んだと聞かされる。無人の廊下を見ると、廊下の光と影の中に、戦死をした隣の鳥屋の兄ちゃんが立っている。肺病で戦争に行けず、非国民と言われ、列車に飛び込み自死した兄ちゃんが立っている。自分も大きくなれば大日本帝国の国民として戦争に行き、爆弾を抱えて死ぬ姿が、当時から見えていた。だから人が生きている、死んでいるという実感はあまりなく、生きていると信じていればそこに居てくれるし、死んじゃったと思えば、死んだ人としてそこに居る。光と影の気配の中に、自分の気持ち次第で、人が生きたり死んだりしている。私にとって、生きている人と死んでいる人の実感がないのです。

 

■「日本が歴史の中ではじめて平和国家を託された最初の大人」として大人になった世代。

むしろ敗戦で大人たちは死んでいたはず。その前に僕の事を殺していたはず。それなのに、日本が戦争に負けた途端、大人たちは自ら死なないし、子どもを殺さない。平和だと浮かれている。こんな大人は信じられない。戦前派、戦中派でもないが、戦後派にもなれなかった子ども。敗戦後の日本の大人が一番信じられなかった。子どもだから余計に生きて今いること、平和な時代にいることが信じられなかった。それでもぼくは生きてしまった。昭和10~15年生まれは、「日本が歴史の中ではじめて平和国家を託された最初の大人」として大人になった世代。そこには何のお手本もない。10年生まれの寺山修司、立川談志、ミッキー・カーチス…こういう人たちが中途半端なところで生きてきて、そのうち戦争の話はなかったことになっていた。
 

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■平和の時代の映画を作るならキャメラも選ばなければいけない~8ミリキャメラに込められた思い。

私は父親が残してくれた8ミリキャメラがあった。私が映画の道を歩みたいというと、父は「人間、心に決めた道を一生まっしぐらに進むことこそ平和の証。医学のことは分かるけれど、映画の事は分からないから、せめて大切に使っている8ミリキャメラを譲るから、これを持って東京に行きなさい」。さすがにこんなもので映画は撮れないと思ったが、これが父親の遺言ならと思ったのです。僕は映画が大好きで、1960年代までは日本で見ることのできる世界中の映画を観た人間。そして、僕が観てきた35ミリの映画は権力の機械を使って撮っていた。機械にも必ず権力がまとわりついている。平和の時代の映画を作るなら、キャメラも選ばなければいけない。父が譲ってくれた8ミリキャメラはアマチュアの庶民のキャメラだが、権力ではなく、殺される側が持っていたもの。ぼくはこれで身を立てようと思いました。

 

■『花筐』は一つの集大成~映画作家大林宣彦誕生秘話。

当時8ミリで身を立てようと思っていたのは高林陽一と飯村隆彦の三人だけ。しかも、「新しい時代だから映画は映画館だけではなく、画廊に白いキャンパスを置いて、おれたちの8ミリを上映したら発表できるんじゃないかな」。試しに銀座の画廊でやってみたら、銀座4丁目からお客さんが並んでくれた。美術手帖などが新しいフィルムアーティストの時代がきたと、私の名前が初めて公に出た。当時は横文字の職業名が日本ではなかったので、フィルムアーティストとは名乗れない。映画監督も、松竹の映画監督部の小津監督など、今で言う職能で、フリーのどこにも属さない人は名乗れない。おれは絵描きが一人で絵を描くように、一人で映画を作っていく人間だから、映画作家と言えるのではないか。それで、20歳の時に映画作家と名乗り、それ以来60年映画作家として生きてきた。それが『花筐』として一つの集大成になっていった。この映画は、私の父親、黒澤明、小津安二郎、木下惠介、溝口健二と同世代の小説家、壇一雄さんが書いた小説が原作です。
 

■清貧の気持ちで、故郷の失われていく文化を守り、伝えていく。

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8ミリで撮っていてもそれで食えるわけではないから、将来小説家として身を立てようと思っていた。私の妻は、生涯食えない作家の妻になるという覚悟で結婚し、生涯映画プロデューサーとして私を支えてくれた。食うための仕事なんて決してしない。金に身を売るぐらい哀れなことはない。美しく、賢く生きようとすれば、食えないのは当たり前ということで、当時は清貧で当たり前という教えの中で生きてきた。今でも清貧の気持ちで、自主映画を作り、故郷の失われていく文化を守り、それを伝えていくことが、それを知っている最後の世代の務めと思い、故郷映画を作りました。
 
 

■ガンになったおかげで分かったのは、「私も地球の中でのガンだった」

私の体の中にガンという同居人がいるんですよ。可愛いやつで。「お前はいいものを食べて長生きしようと思っているだろうけど、お前は宿子で俺が宿主だ。宿主の俺が死ねば、お前も死んだようなものだから、お前も長生きしたかったら、宿主の俺と長生きしようじゃないか」という話をするのだけれど、そこでハッと気が付く。この私も地球の中でのガンではないかと。私自身美味しいものを食べたり、好き放題してきたけれど、温暖化や色々なことを招いてしまい、宿の地球を滅ぼそうとしていると学んだ。少しは我慢して地球という宿を大事にしないと、人間たちも滅びてしまうということがガンになったおかげで分かり、余命3カ月と言われて、この映画を完成させる力となった。
(江口由美)
 

『花筐/HANAGATAMI』
(2017年 日本 169分)
監督・脚本・編集:大林宣彦
出演:窪塚俊介、長塚圭史、満島真之介、柄本時生、矢作穂香、門脇麦、山崎紘菜、常盤貴子、村田雄浩
1月27日(土)~大阪ステーションシティシネマ、2月3日(土)~京都みなみ会館、3月3日(土)~元町映画館他全国順次公開
公式サイト⇒http://hanagatami-movie.jp/
(C) 唐津映画製作委員会/PSC 2017
 

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ジャン=ピエール・レオと「生きていることは素晴らしいという映画にしよう」
『ライオンは今夜死ぬ』諏訪敦彦監督インタビュー
 
ヌーヴェルヴァーグの申し子、ジャン=ピエール・レオを主演に迎えた諏訪敦彦監督の最新作、『ライオンは今夜死ぬ』が20日(土)からYEBISU GARDEN CINEMA、1月27日(土)からシネ・リーブル梅田、2月3日(土)からシネ・リーブル神戸、近日、京都シネマ他全国順次公開される。
 
2012年、フランスのラ・ロッシュ=シュル=ヨン国際映画祭で自身のレトロスペクティブ上映が行われた際に、同じく特集上映され、来場予定だったジャン=ピエール・レオから「会いたい」と連絡をもらったのが出会いのきっかけだったという諏訪監督。今回はフランスで映画作りに興味のある子どもたちを募集。ワークショップを重ねた後、出演者に選ばれた子どもたちが劇中で映画作りをするという試みも取り入れた。「映画を撮っていて初めて楽しいと感じた」という本作の諏訪監督に、ジャン=ピエール・レオとの映画づくりから、現在フランスで起こっているヌーヴェルバーグ的動きまで、縦横無尽に語っていただいた。
 

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■学生時代から大好きなジャン=ピエール・レオは、「特殊な存在」

―――ジャン=ピエール・レオさんとの初対面は、どんな感じでしたか?
諏訪監督:事前に送った僕の作品のDVDを全部観てきてくれ、実際会った時には「良かったよ」とジェスチャーしてくれました。一緒に食事をした時も、カンヌにフランソワ・トリュフォーと来た時の話等、昔話をたくさんしてくれ、なんとなく一緒に映画を作りたいという雰囲気になっていたし、ジャン=ピエール・レオ(以降ジャン=ピエール)本人にお会いして、改めて「この人を撮れたら面白いな」と思いました。僕は学生の時、『男性・女性』のジャン=ピエールが、煙草を投げてくわえるのを真似していたぐらい大好きで、『不完全なふたり』の時に、ワンシーンだけの出演を考えましたが、自粛したのです。その『不完全なふたり』をジャン=ピエールは、「ヌーヴェルヴァーグみたい」と評し、何度も見たと言っていました。ジャン=ピエールもそこで関心を持ってくれたのだと思います。
 
―――どのようにして本作のアイデアを出したのですか?
諏訪監督:僕は自分の頭の中だけで作り上げるより、俳優と会って雑談する時間が必要。僕がパリに行くこともあれば、3年前ジャン=ピエールが初来日した時にも会って話をし、少しずつどんなことをするか探っていきました。僕の中では割と早い段階で幽霊の存在が出てきたんですよ。
 
―――なぜ幽霊が出てきたのですか?
諏訪監督:ジャン=ピエールはとても特殊な存在です。一般的な俳優は、どんな役でもやるし、いい俳優はどんな役でも「こういう人がいるかもしれない」というリアリティを与える。ロバート・デ・ニーロのデ・ニーロアプローチは有名ですし、こういう人がいると思わせるのですが、ジャン=ピエールの場合は「現実にこんな人はいない。映画の中にしかいない」という感覚をもたらします。演じているのかどうかよく分からないギリギリのところにいる。そういう俳優がどの映画にもはまるかといえば、現代の一般的な映画のリアリティにはそぐわないです。

 

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■ジャン=ピエール演じる俳優と幽霊との恋物語、子どもたちと映画を作る。二つの映画的欲望が組み合わさった作品。

―――ジャン=ピエールさんと釣り合うには、幽霊ぐらいしかいないということですね。
諏訪監督:ジル・ドゥルーズという哲学者が「非職業的職業俳優」という風にジャン=ピエールのことを呼んでいましたが、そういう特殊性があります。チャップリンの『街の灯』のように、若い女性と組み合わせようかと思いもしましたが、どうもしっくりこない。幽霊なら釣り合うのではないかという直感が働きました。幽霊と普通に暮らしている男です。一方で、小学生とのワークショップを通じて、彼らに映画を撮らせるという映画的活動を行ってきて、いつか子どもたちをスタッフにして映画を撮りたいと考えていたのです。例えば脚本チームを作って映画を作るとか。その二つの映画的欲望が一つにまとまり、老人と子どもの組み合わせの映画もあり得るのではないかと発展していきました。
 
―――ジャン=ピエールさんはあまり子どもとの共演作はないですが、現場ではどのような反応をされていたのですか?
諏訪監督:僕の知る限りでも、ちゃんと子どもと共演したのはほとんどないと思います。ただ、どうすれば子どもとジャン=ピエールが一つの物語になっていくのか。子どもと一緒に映画を作るのが面白かったので、今回は映画の中で子どもたちが映画を作る設定にし、本当に自分たちの映画を作らせようと決めていきました。最初ジャン=ピエールが役者という設定ではなかったのですが、やはり普通の役はできない。今年公開される『ルイ十四世の死』では王様を演じていますから。最終的にはジャン=ピエールに俳優役で了承してもらいました。
 
 
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■ジャン=ピエールは、子どもたちと一緒だと、見たことのないような表情を見せる。

―――全体的には年齢を感じさせますが、瞳は少年のまま。子どもたちとのシーンでも、脅かしたり、追いかけているのがとても楽しそうで、子どもみたいに映る時もありました。
諏訪監督:僕も最初は、「こんなに年をとったのか」と思ったし、まだ元気な年頃なのに、彼には深いシワが刻まれ、消耗し、傷ついている雰囲気がありました。一方、話している最中にふっと笑うと、『柔らかい肌』のアントワーネル少年の瞬間がすぐに現れる。実際のジャン=ピエールは、子どもですよ。彼の奥さんは、「彼は一度だって、責任ある大人であった試しがない」と言っていました。子どもたちとの距離を縮めるためにリンゴを投げることを提案したら、本番でジャン=ピエールは剛速球でリンゴを投げつけたので子どもたちもビックリしていました。多分子どもたちと対等なのでしょう。犬でも子どもでも同じ共演者という感覚です。子どもと一緒にスープを飲むシーンで即興のやりとりがあるのですが、ジャン=ピエールは今まで見たことのないような表情をしていたんです。子どもとやりあったから出てきた、彼の新しい表情なのではないでしょうか。
 
 
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■映画は現実ではないが、映画でしか体験できない現実がある。この作品はある意味で「カーニバル」。

―――幽霊の登場は、年寄りが感傷的な気分に浸るという意味合いもあるのでしょうか?
諏訪監督:僕が映画を作り始めた頃は、映画の中で起こっていることは嘘くさいと思っていました。自分が知っている世界ではこういう風に話さないし、人間だってもっと訳のわからないものだけど、そういうものに映画で触れられないのかと、よりリアリスティックなものになっていきました。でもある時点で、映画は現実ではないが、映画でしか体験できない現実があるはずだと気付きました。必ずしもリアルである必要はないし、現実的である必要もない。映画の現実があればいい。だから、現実にはない幽霊という存在が映画としてのリアリティに繋がりました。
 
今回の映画はある意味でのカーニバルだと思いながら撮っていました。ロシアのミハイル・バフチンが著書「ドストエフスキーの詩学」で「ドストエフスキーの新しさは、新しい小説の形を発明した。それはカーニバルだ」と書いています。誰がいつ、何を言うか分からないし、ここで何か起これば、また別の場所で何かが起こる。それは演じる、演じられるとか、ましては舞台と客席の区別もなく、演出家もいない。それを統制している人もいない。観客が演者になる可能性もある。それは鑑賞されるのではなく、生きられるものだと。カーニバルではヒエラルギーもひっくり返されます。この映画では、子どもたちが「くそじじぃ、いつまで寝てるんだ」という無礼な事を言ってもいい。大人が考える常識的な社会に幽霊はいないけれど、そこからこぼれおちている場所があります。子どもたちがいる場所だけでなく、ジャンも年をとり、常識的な大人たちのいる場所から外れた場所にいます。彼自身、70代は「非理性的な年頃」と言っていますが、子どもも含めてそういう人たちが作っていく映画ですね。
 
―――『ライオンは今夜死ぬ』はタイトルでもあり、劇中でも子どもたちと歌っていますが、なぜこの歌を選んだのですか?
諏訪監督:ジャン=ピエールに好きな歌を聞くと、この歌でした。フランスでは皆知っている歌で、アンリ・サルバドールがヒットさせています。内容が白紙の段階で、タイトルだけ既にこれだと決めていました。シナリオを書いていく時点で、ライオンを実際に登場させたのもある種のいたずらのようなもの。カーニバルですから、常識的な世界をひっくり返すという意味もありました。ジュールという男の子の父親的シンボルでもあるでしょうし、ジャン=ピエールとも重なるでしょうし、子どものイマジネーションのシンボルかもしれない。色々なものが響き合い、現れてくるのが面白いですね。 
 
―――ポーリーヌ・エチエンヌ演じるジュリエットとジャンのシーンは、台詞も非常に詩的で印象深いですね。

 

諏訪監督:ジュリエットのシーンは、ジャン=ピエールの父が書いた戯曲をダイアログで使っています。一部男女をひっくり返している場面もありますが、彼は父の台詞を演じていて、感慨深かったと思います。それまで彼にとっての父はトリュフォーで、カンヌで名誉賞を獲った時の第一声が「私はカンヌで生まれた」でした。最近、僕には「精神的な父とフィジカルな父、僕には二人の父親がいる」と言いますね。

 

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■「生きていることは素晴らしいという映画にしよう」南仏の明るさに、イキイキとした生命の輝きを感じて。

―――南仏らしいまばゆい陽光が全編に渡って広がり、湖のシーンも皆もがキラキラしているのが印象的でした。
諏訪監督:およそ幽霊が出てくる明るさじゃありませんね(笑)『山椒大夫』のような陰影のある世界ではなく、本当にキラキラした南フランスの光ですね。南に行くというのはフランス人にも映画的な意味があります。ジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』はマルセイユに向かっていく話ですし、『勝手にしやがれ』は逆にマルセイユからパリに向かう話です。ジャン・ピエールはパリが似合う人で、南仏だと明るすぎるのですが、イキイキとした生命の輝きを感じていただけたと思います。
 
―――死をモチーフにした場面はありながらも、生きる希望を感じましたね。
諏訪監督:ジャン=ピエールと「死」の話はよくしましたが、暗い話は嫌で、「もうその話は止めよう」と。困難に耐えてきた人は暗い話はしたくない。それに、福島原発事故以降、世界的にも困難な時代になってきていると思います。だから、映画では明るく振る舞おう、できるだけ楽しくやろう、生きていることは素晴らしいという映画にしようと、話しました。普通の俳優はカメラの存在を消すように演じるのですが、ジャン=ピエールはカメラが恋人なので、カメラに向かって演技をします。

 

■ヌーヴェルヴァーグの時代のように、ユキの成長した姿を見せる。

―――前作『ユキとニナ』で出演したユキ役の女の子も出演し、成長した姿を見せてくれました。
諏訪監督:今は女優ではありませんが、快く出演してくれました。僕の現場には慣れているので、すごくやりやすかったですね。ジャン=ピエールもアントワーヌ役で別の映画に出演していますし、年齢を重ねるたびに、成長した姿でスクリーンに現れるので、ユキもこんなに大きくなったというのを作品に出て残していきたかった。ヌーヴェルヴァーグの時代は、役者がお互いの映画に出演していましたが、そんな意味で、これからもユキに出演してほしいですね。
 
 
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■フランスの若い世代は、現在のヌーヴェルヴァーグ。この時代に一緒に映画を作っている仲間として、色々な人と繋がれるのが映画のいいところ。

―――ヌーヴェルヴァーグといえば、撮影のトム・アラリさんと、兄で監督(本作では俳優)のアルチュール・アラリさんも本作で一緒に仕事をしていますね。
諏訪監督:撮影監督のトム・アラリはすごく注目していただきたい人物です。兄の『汚れたダイヤモンド』監督、アルチュール・アラリは、本作に出演しています。フランスのこの世代は正に現在のヌーヴェルヴァーグで、ギヨーム・ブラックの撮影監督もトム・アラリですし、若いフランスのジェネレーションと仕事ができたのは、今回うれしかったですね。僕は基本的に長回しが多かったのですが、それを知った上でトムは切り返しや、カット割りなどを提案してくれました。照明担当も仲間同士で映画を撮るところから始まっているので、助手経験がない。だからすごく大胆です。そこもヌーヴェルヴァーグらしいですね。どんどん新しいアイデアが湧いてきて、不自然なことに対する怖さもない。ヴァンサン・マケーニュ周辺の人たちも面白いですし、今回ギヨーム・ブラックに編集を見てもらったのも、ヌーヴェルヴァーグ的な仲間意識が表れていると思います。色々な人と繋がれるのが映画のいいところですね。今、この時代に一緒に映画を作っている仲間なのですから。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ライオンは今夜死ぬ』
監督・脚本:諏訪敦彦
出演:ジャン=ピエール・レオー、ポーリーヌ・エチエンヌ、イザベル・ヴェンガルテン
配給:ビターズ・エンド
2017年 / フランス=日本 / 103分 / ビスタ
2018年1月20日~、YEBISU GARDEN CINEMA、1月27日~テアトル梅田、2月3日~シネ・リーブル神戸、順次京都シネマ にて公開。
 
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/lion/
Facebook : https://www.facebook.com/lion.tonight/
Twitter:@lion_tonight
(C) 2017-FILM-IN-EVOLUTION-LES PRODUCTIONS BALTHAZAR-BITTERS END
 

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「舞台が日本、演じるのは日本人、脚本に韓国映画の要素と混ざることで、日韓合作の良さが出ている」『風の色』主演古川雄輝さんインタビュー

『猟奇的な彼女』、『僕の彼女を紹介します』で知られるラブストーリーの名匠クァク・ジェヨン監督。主演に古川雄輝(ドラマ『イタズラなKiss〜Love in TOKYO』、『ライチ☆光クラブ』、『太陽』)を迎えた日韓合作の最新作『風の色』が1月26日(金)より大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズ 西宮OS、TOHOシネマズ 二条他にて全国ロードショーされる。

東京と流氷の北海道・知床を舞台に展開する物語で、古川雄輝が天才マジシャン隆と記憶を失くした隆に瓜二つの青年、涼の一人二役を熱演。約1万人のオーディションから選ばれた注目の新星、藤井武美も、涼の前から消えた恋人ゆりと、北海道で涼が出会ったゆりと瓜二つの女性、あやの一人二役を演じている。流氷の幻想的な風景や、一瞬で人やモノが消えるマジックの独特な世界を交えながら展開する壮大なラブストーリー。ミステリアスだが遊び心も忘れない。クァク監督自身が「自分史上、最高のラブストーリー」と称した自信作だ。


本作の主演、古川雄輝さんに、クァク・ジェヨン監督の撮影現場エピソードや、日韓合作作品ならではの特徴、魅力についてお話を伺った。


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■日本映画では珍しい設定の日韓合作映画。クァク監督は毎日ご飯を誘ってくれた。


―――クァク・ジェヨン監督作品で主演をオファーされた時の心境は?
古川:以前からクァク監督の『猟奇的な彼女』を見ていましたし、合作映画にも出演させていただいていたので、クァク監督の日韓合作作品で主演ができるのは、とてもうれしかったですね。

―――シナリオを読んだ時の感想は?
古川:一人二役は初めてでしたし、マジックもやったことがなかったので、どうなるのかなとは思いました。この作品は自然の景色が素晴らしいのも見どころの一つですが、想像しながら読みつつも、実際にやってみなければ分からないという部分が大きかったですね。

―――クァク監督とは初めて一緒に仕事をされたと思いますが、どのような印象を持ちましたか?
古川:役者に対して愛情を持っていらっしゃる方です。監督が毎日「一緒にご飯を食べよう」と誘って下さるなんて普通ないことですし、クァク監督は写真を撮るのが趣味なのですが、撮影後に写真を撮って送ってくれたりもします。富川国際ファンタスティック映画祭に参加したときも一緒にご飯を食べ、この作品ができたことを嬉しそうに微笑みながら話してくださった時は、愛情を感じましたね。
それと同時に、監督というお仕事ではよくあることなのですが、作品に入ると真剣だからこそ別人のように厳しくなる時もありました。

―――クァク監督も「自分史上、最高のラブストーリー」と気に入っておられるとのことですが、古川さんからみた『風の色』の魅力とは?
古川:SF感ですね。特に日本映画では、なかなかない設定だと思います。ドッベルゲンガーが登場しますし、一人二役を主演二人がやっているのも珍しい。日本が舞台で日本人が演じていながらも、脚本に韓国映画の要素が入っているというように混ざったことで、日韓合作の良さが出ているのではないかと思います。

 

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■日本映画と韓国映画、両方の感覚の真ん中を狙う作業を積み重ねて。

 

―――古川さんが演じる涼や隆は、多くは語らないけれど、印象的な言葉を残します。クァク監督が書いたシナリオを日本語にする際に、古川さんが何かアドバイスされたのですか?
古川:この作品の特徴は日本の文化と韓国の文化が混ざっている部分で、脚本はクァク監督が書き、韓国の方が日本語に訳しているので、日本人の細かいニュアンスが掴めていない箇所もありました。日本人の感覚ではこう表現すると僕から提案し、監督と細かい台詞回しを議論しましたね。例えば「ちきしょう」というセリフがあった時、日本ではもうそんなことを言わないけれど、韓国にそういう表現があったのをそのまま訳されていたのです。文化の違いなので、こちらから「『ちきしょう』の代わりに、『クソッ』なら言います。ただ日本の映画なら表現か、もしくはオフ台詞にしますよ」と提案すると、監督は「『ちきしょう』を台詞で言ってほしい」。韓国映画では、その言葉を台詞にすることで成立するので、監督の判断に従って、作品中では「ちきしょう」と台詞で言っています。日本映画と韓国映画、両方の感覚の真ん中を狙えるように、かなり脚本の僕の台詞に関しては提案をさせていただきました。日本人的感覚と韓国人感覚が混ざった映画という点では、全体的には邦画というより洋画寄りの雰囲気になっているのが、この作品の一番の特徴ですね。

 

kazenoiro-550.png ■監督の頭の中に全てがある。対応力や応用力が問われる現場。


―――ご自身の台詞については、かなり監督と議論を重ねたとのことですが、演技面でクァク監督からどんな指導がありましたか?
古川:基本的にこういう風に演じてと指導する演出方法ではありません。こうやってくださいと指示が来て、すぐに本番が始まるという現場でした。例えば泣くシーンではなかったけれど、「ここは泣いた方がいいから、本番で泣いてください」という感じでシナリオに書かれていないこともその場の指示でどんどんと加わっていきました。監督の頭の中に全てがあった。逆に言えば、助監督に次に何をするのか聞いても、分からないと言われる。こんな現場は初めてでした。ただ、撮影が終わってから、その日撮った全ての映像に音を入れて監督が見せてくれ、「流氷がとてもきれいだ」とか、皆がまた明日頑張ろうと思えるような撮り方をされていましたね。事前情報がない中で撮影するので、対応力や応用力が問われる現場でした。監督の意思が非常に強く反映されている映画ですから、いかに指示に従うか。監督のやりたいことの中には、かなり遊びも詰まっていますし。

―――遊びが詰まっているといえば、全体的にシリアスかつミステリアスに進行する物語が、ガラッと変わるシーンがあります。涼とあやが、映画『レオン』のレオンとマチルダに変装していましたね。
古川:信号を渡るシーンでわざと4人歩かせて、ビートルズの「アビー・ロード」風にするような遊びも入れていますね。後は、急に主人公がカメラに向き合う仕掛けも入れています。普通の映画なら、急にカメラを見る行為はしませんから、かなり独特の演出でしょう。あや役の藤井さんも「カメラを見ていいんですか?」と驚いていましたから。
マチルダのシーンは少し分かりにくかったかもしれませんが、元々3時間あったものを2時間にしているので、相当カットしている部分があるのです。マジックも最初から最後まで通しでやっていますが、映画ではかなり編集されています。マチルダのシーンも、床屋に行って、「この髪型にしたい」とあやが『レオン』のポスターを指さすというフリがあったのですが、色々な事情があり、実際にはクァク監督の『更年期的な彼女』のポスターで(笑)。

 

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■かなり鍛え上げられた。リハーサルなしの本番一発撮り、スタントなしの水中シーン。


―――編集でかなりカットされたというマジックシーンですが、テーブルマジックから舞台でのマジック、大掛かりな脱出マジックと様々なマジックを披露していますが、かなり練習したのですか?
古川:事前にたくさんマジックの練習をするのかと思っていましたが、実際には本番の20分前ぐらいから練習しました。普通はカット割りをするのですが、クァク監督はマジックを見るお客さんの反応も撮りたいと、リハーサルなしの本番一発撮りをやっていましたね。かなり鍛え上げられる現場ではありました。

―――海に飛び込むシーンや、水中での脱出劇もスタントなしで、大変だったのでは?
古川:海に飛び込むのも自分でやりましたし、水中撮影はやはり相当冷たかったです。浴槽を氷で埋めた下にもぐるシーンも、本当の氷なので滅茶苦茶冷たかったです。危険でしたが、役者としてそこで「できない」と言うのはタブーですから。今から考えれば誰か止めてくれれば良かったのにと思います(笑)。

―――一人二役ですが、涼と隆は真逆というより、どこか親密性を感じます。演じる上で意識したことは?
古川:ドッベルゲンガーなので一人二役といっても、そんなに差を出す役ではないとクァク監督もおっしゃっていました。差は出さないけれど、涼の方が普通の青年っぽい優しい雰囲気があり、隆の方はプロのマジシャンっぽいクールでスマートな雰囲気があることだけを頭に入れました。それさえあれば、後はそれぞれの動きが分かってきますので、難しさを感じることなく演じることができました。

 

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■藤井武美さんはその場の感情に乗り、一つ上まで行ける演技力がある。


―――古川さんと同じく一人二役を演じるゆり、亜矢役の藤井武美さんは、オーディションで抜擢されたヒロイン役は初めての女優さんですが、共演しての感想は?
古川:今まで色々な女優さんとお仕事をさせていただきましたが、その中でもトップクラスに演技が上手な方だと思いました。僕は「こういう役で、今こういうシーンだからこうだ」と考えて演じるのですが、藤井さんはその場の感情に乗ることができる。俳優は皆、やっていくうちに、どこかで考えてセーブするようになる人が多いと思うのですが、藤井さんはセーブせずにもう少し先まで行くんです。例えば泣くシーンがあると、何カットか撮影するので、一度止めてと普通なら器用にやるところを、藤井さんは一つ上まで行く。今回隆が死ぬシーンでは、過呼吸になるぐらい泣いていたのですが、そこまでできる女優さんはいるようで、なかなかいないと思います。僕は一緒にやっていて、ただただ上手いなと思っていました。

―――藤井さんは情感のある演技をされていましたね。
古川:演技が上手いかどうかは、一緒に演じなければ分からない。映像を通してだと、監督が編集するので演技の下手な部分を隠すこともできれば、上手くみせることもできる。だから、映像を通して、演技が上手いかどうかはほとんど判断ができないと思うんですよ。藤井さんは約1万人のオーディションからクァク監督が選んだヒロインですが、選ばれて当然だと思います。

 

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■ネイティブレベルの英語を武器に、今後も海外と関わりのある作品に携わりたい。


―――最後に、古川さんが今後俳優として目指していきたい方向や活躍したいフィールドについて教えてください。
古川:日韓合作の『風の色』もそうですが、今後も海外と関わりのある作品に携わりたいという思いがあります。英語をネイティブレベルで話すことができる俳優は日本では限られますから、その部分を武器にしてやっていきたいですね。30歳を迎え、今後は演じる役が大人の役にシフトしていくと思うので、30代前半に大人の役を経験して、40代、50代へと繋げていきたいです。なりたい俳優としては、頭の回転が速い俳優。その場にあるものや、状況に素早く対応し、お芝居の引き出しが多い俳優に憧れますし、そういう俳優になりたいですね。

(江口由美)


<作品情報>

『風の色』(2017年 日本=韓国 1時間59分)
監督・脚本:クァク・ジェヨン
撮影:イ・ソンジュ、パク・チョンボク
照明:パク・ソンチャン
録音:ハン・チョルヒ
編集:ホン・ジェヒ
ヘアメイク:藤井康弘
スタイリスト:五十嵐堂寿
出演:古川雄輝、藤井武美、石井智也、袴田吉彦、小市慢太郎、中田喜子、竹中直人

1月26日(金)~大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズ 西宮OS、TOHOシネマズ 二条他全国ロードショー
公式サイト⇒http://kaze-iro.jp/




 

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若い人たちに挑戦状を叩きつけるような、エネルギッシュでキラキラした映画を作りたかった。
『星くず兄弟の新たな伝説』手塚眞監督インタビュー
 
1985年にロックンローラー・近田春夫が発表した架空の“ロックミュージカルのサントラ盤アルバム”を手塚眞監督が映画化、伝説の映画として若者に熱狂的な支持を得た『星くず兄弟の伝説』が30年の時を経て甦る。三浦涼介、武田航平ら若手俳優陣に加え、前作も出演した久保田しんご、高木完、ISSAY、更には夏木マリや井上順のベテラン勢も登場するロックミュージカル『星くず兄弟の新たな伝説』が1月20日(土)からテアトル新宿、1月27日(土)からシネ・リーブル梅田、2月17日(土)から元町映画館、出町座他にて全国順次公開される。
 
スターを夢見て月にやってきたスターダスト・ブラザーズが、ロックの魂を探す旅に出る物語では、ロックの神様に内田裕也、更にはウエスタンパートで浅野忠信も登場。主人公が2度変身を遂げる他、随所にロックなミュージカルシーンを交え、何が起こるか分からないワクワク感が味わえる。とにかくパワフルで音楽が楽しい本作の手塚眞監督に、作品に込めた思いを伺った。
 

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■切実で辛い映画が多い今、楽しくて、豊かで、前向きで、キラキラした映画をやってみたかった。

―――『星くず兄弟の伝説』から32年ぶりとなる本作ですが、映画を作る環境や観客の変化について、感じることは?
手塚監督:30年前はバブルの真っ盛りで、日本全体が上向きであり、色々と豊かなものがあった時代。その中で『星くず兄弟の伝説』を作ったのは、そんな時代を反映する意味合いがありました。当時は若い人のエネルギーを見せることができ、それを企業が後押ししてくれる。そんな夢のような時代だったのです。ところが今は、皆が穏やかに暮らしてはいるけれど、気持ちが保守的で現状維持志向になっています。キラキラした夢など見てはいけないという雰囲気がある。映画も切実だったり、暴力的で辛いものばかり。そんな時代だからこそ逆に、『星くず兄弟の新たな伝説』は必要だと痛切に感じています。楽しくて、豊かで、前向きでキラキラした映画をやってみたかったのです。
 
もう一つは、今、学生が作った作品を指導する機会も多いのですが、彼らの作品からエネルギーを全く感じない。作り方は上手いのですが、内容が保守的で小さくまとまっており、悪くはないが強いインパクトもない。要は薄味なのです。そういう中で、もう一度僕たちが若い頃にやってきたエネルギーを見せたい。そんな気持ちがありました。
 
―――こじんまりとまとまるのではなく、もっとハチャメチャにということですね。
手塚監督:若いうちだからこそできる奔放さがあるのではないか。こちらはもう若くないけれど、まだ負けないよと。「できるものなら、これぐらいやってみたら」と、若い人たちに挑戦状を突きつけた気分ですよ。
 
―――前作に引き続き、今作もロックミュージカルですが、舞台が宇宙なのに驚きました。
手塚監督:30年前に近田春夫さんが「続編にするなら月に行く話」とおっしゃっていたのです。冗談ついでに、さらに次の映画は西部劇ともおっしゃっていたのです。それをずっと覚えていて、今回映画を作るにあたり、そのアイデアがすごくいいなと。本当は別々の映画のつもりだったでしょうが、二本立てのつもりで作ってしまいました。
 
―――地球から始まり、宇宙もの、西部劇と展開していく物語は楽しいですが、作るにはすごくエネルギーが要りますね。
手塚監督:前作は東京で自分たちが体験している面白さや、こんなことが起きればいいなと思う夢を含めて作りました。昔ご覧になった方は、「東京ってこういう場所なんだと、あの映画で知りました」と感想を寄せてくださいます。当時の若者たちにとって、最も憧れる東京の雰囲気が表現されていたのだと思います。ネット社会ではなかったので、映画で目にした東京のインパクトが大きかった。今は東京の事はリアルタイムで分かるし、地方都市でも東京とさして変わらない。その中で映画を撮るのなら、もう一度自分たちが見たことがないものをみせるしかない。それならいっそのこと、月まで行った方が潔いし、外国の西部劇の時代に戻るのも面白いのではないか。そういうものを自分も見てみたかった。
 
 
 
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■若い頃、見たこともない、理解できないものに触れることがとても大事。

―――余談ですがパンフレットで、原案・音楽の近田春夫さんがジューシー・フルーツをプロデュースされていたことを知り、初めて聞いた時の衝撃が甦っていたんです。
手塚監督:若い頃は、見たことがないもの、理解できないものに触れることがとても大事です。僕自身も背伸びをして大人の映画を観に行っていました。例えばフェリーニの映画など、子どもが観ても全く分からない。でもどこか見たこともない世界を見せられているドキドキ感があったのです。50歳を超えて初めてフェリーニ作品が分かったぐらいですから、20代の若者が理解するのは無理でしょうが、それをその年齢で観たことが大事だと思います。普段見慣れていないものでも観てほしいという気持ちがありますね。

 

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■シンプルな映画の対極や、映画の禁じ手をわざと取り入れる。

―――前作の主演から映画初出演の若手まで、幅広い年齢層の俳優陣がキャスティングされていますが、若い人たちにアピールする狙いもあるのでしょうか?
手塚監督:必要な役柄を揃えると必然的にそうなりました。主人公は2人でも、それぞれ3人ずつで演じているので、人数が大幅に増えています。それも皮肉で面白いですね。今は登場人物が3人だけとか、場面もあまり変わらない、とてもシンプルな映画が多いので、その対極をやってみました。
 
―――三浦涼介、武田航平が演じるスターダスト・ブラザーズの思わぬ変身ぶりは、予想できませんでした。
手塚監督:若くてカッコイイ俳優さんが出てくれるのだから新しい衣装をと思っていたのですが、前作主演で、今回もカン役と衣装を担当してくれた高木完さんが、「絶対前のままがいい!」。実際着てもらうと、前よりカッコよかったです(笑)。音楽もテーマ曲『星くず兄弟の伝説』だけが前のままなのは僕の考えではなく、スタッフからの意見。衣装も音楽も前作のものを継承するアイデアを出してくれて、感謝しています。変身してからが長いですが、映画でやってはいけない“禁じ手”を集めて、わざとやっています。普通ならそっちには行かないという脚本にしていますね。
 
―――ロックの神様として登場する内田裕也さんの存在感が凄かったですが、オファーの経緯は?
手塚監督:内田裕也さんは「ロックの神様だったら、自分が出ない訳にはいかないね」と、1日だけ空いている日に出演を快諾して下さいました。実際はその日が撮影初日で、いきなり裕也さんのシーンから撮り始めたのです。通常、映画の初日は軽いシーンから始まるのですが、一番濃いシーンから(笑)。スタッフが映ってもお構いなし、複数のカメラで撮影したので、スタッフの方も「この映画はそれでいいんだ」と理解してくれ、かえって良かったですね。
 
―――CGやセットを使うのではなく、夜空に月ではなく地球が浮かんでいることで宇宙にいることを表現する演出方法も斬新ですね。
手塚監督:僕のイメージの中でオマージュとしてあるのは、2つの映画です。一つはジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』。舞台っぽい装置の前にダンサーが出てきて、皆が踊りながら見送ります。するとピストル弾のような形のロケットが月に飛んでいき突き刺さる。そんなサイレント時代のメリエスの世界を今の技術で作りたかった。特別な細工をしなくても、そこが月や未来になるというのは、ジャン=リュック・ゴダールの『アルファヴィル』のオマージュです。パリを架空の「アルファヴィル」という都市に見立てているのに、若い頃すごく衝撃を受けましたね。

 

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■『月世界旅行』のように、百年後観てもいい映画を作りたい。

―――技術面では劣っても、往年の名作から学ぶべき点は、やはり多いのですね。
手塚監督:『月世界旅行』はモノクロで技術も大したことはないけれど、百年以上経った今でも観て楽しい。表現として古びていないのがすごいですね。今回僕が作った映画も百年経って古びていなければいいなと思っています。映画を作る時はいつも、百年後観てもいい映画を作りたいし、今の流行りでは作りたくない。見方によってはすごく古くも、新しくも見える。今回ご覧になった方が、30年後ぐらいにもう一度観ても同じぐらいの気分で観ていられる。まさに前作がそうでした。作った当時は、後々古臭く見えるのではと思いましたが、今観てもそうではないし、若い人が新たに観て、楽しんでもらっているようです。
 
―――作品中、手塚監督がそのまま登場するシーンが何度かあります。「細かいこと言わなくていいの、映画なんだから」という台詞も面白かったですが、最初から出演を決めていたのですか?
手塚監督:実は自主映画の頃は、しょっちゅう出演していたので、もう一度その頃に戻ってみようと思ったのです。当時は監督をしていても、絵的にはただの学生で監督に見えない。でも、今回は完璧に監督なので、ちゃんと監督として出演できるなと(笑)
 
学生映画の歴史に必ず名前が出てくる僕の作品『MOMENT』は、ミュージカルではないのに、主役が急に歌い始め、周りからダンサーが出てきて歌い踊るミュージカルシーンがあり、当時とてもウケました。誰もミュージカルシーンなど撮らなかったので、みんな驚くのですが、最後に僕が出ていって言うんです。「みなさん、この映画はミュージカルではないんです。やめましょう!」。ちなみに本作では僕がミュージカルシーンの後に出て行って「OKです!細かいことは気にしない」と言う。セルフパロディーなんですよ。

 

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■70年代イギリスロックミュージカルのイメージや、発想の面白さを参考に。

―――ちなみにどんなミュージカル映画がお好きですか?
手塚監督:一つはロックを使ったミュージカルです。70年代に流行ったイギリスの映画が多いですが、近田さんが熱愛したブライアン・デ・パルマの『ファントム・オブ・パラダイス』や、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のように舞台を映画化したものもたくさんありました。でも90年代以降にそれらがパタリとなくなってしまった。もう一つはもっと古い40~50年代のジーン・ケリーらに代表されるハリウッドミュージカル。『ザッツ・エンターテイメント』を観てから、ビデオで昔の映画を見返したのが自分の中で大きな経験になりました。ハリウッドミュージカルは芸の極み。ものすごい芸人を、ものすごい職人がきちんと計算をして撮る。ヨーロッパのロック映画はむしろニュアンスやイメージの飛躍、演出の飛躍が面白いのです。ビートルズ映画などを見ても、彼らは普通のミュージシャンで芝居も達者ではないけれど、その勢いが面白い。普通の映画と違うことをする。ケン・ラッセルの『トミー』もそうですが、少し反体制的なところも含めて、違うイメージを持っていて、その両方とも好きです。今回はロックミュージカル寄りなので、職人的世界よりもイメージや発想の面白さを重視しています。
 
 
 
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■インディーズで、幅広い世代が楽しめる作品があってもいい。

―――各キャラクターに合わせた曲や衣装のバリエーションが豊かで楽しい作品ですが、こだわった点は?
手塚監督:長年映画をやってきて思うのは、「観客はいつも若者」。最も一般的な映画は、子どもから大人まで楽しめるという前提がないとつまらない。インディーズ映画と言えば、ことさら若者に向けた作品が増えてしまうので、むしろインディーズなのに幅広い世代が楽しめる作品があってもいいのではないかと思いました。観る人は永遠に若者のつもりですから。この作品も若い人に向けて作ったのに、むしろおじさんが喜んでいるぐらいです。
 
―――西部劇風シーンで登場する浅野忠信さんは『白痴』以来のタッグですが、久々に一緒に仕事をしての感想は?
手塚監督:僕の監督としての持論は「演技と芝居は違う」。演技というのは心の中から出てくる感情によりするもの。芝居は人に見せるためにするもの。見せ方が違う訳です。浅野さんは若い頃は圧倒的に演技の人で、感情を大事にし、感覚で捕まえてパッとやってしまう。人に見せるための計算はしなかった。一方、夏木マリさんや井上順さんなどのベテランは自分がどう大きく動けば一番伝わるかという芝居が分かっています。浅野さんも今はそういう大きな芝居ができるようになりました。撮影現場では男のスタッフまで見とれるぐらい。昔よりもカッコよくなり、今一番脂が乗っています。根っからのスターですね。
 
―――最後にこれからご覧になる皆さんに、メッセージをお願いします。
手塚監督:夢をみようというのがこの映画のテーマでもあります。それは世相など関係なく、意識の問題。どんな社会状況でも夢を見ることはできる。それを伝えたいですね。若い皆さんが見慣れない俳優もたくさん出ていますが、勇気をもって観に来てください。
(江口由美)
 

<作品情報>
『星くず兄弟の新たな伝説』(2016年 日本 2時間8分)
監督:手塚眞 
出演:三浦涼介、武田航平、ISSAY、藤谷慶太朗、久保田しんご、高木完、谷村奈南、田野アサミ、ラサール石井、板野友美、野宮真貴、浅野忠信、夏木マリ、井上順、内田裕也
2018年1月20日(土)~テアトル新宿、1月27日(土)~シネ・リーブル梅田、2月17日(土)~元町映画館、出町座他全国順次公開
公式サイト⇒http://stardustbros.com/
(C) 2016 星くず兄弟プロジェクト
 

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 「自分の好きな自分は、人によって違う」
トランスジェンダーたちの恋、生き方を鮮やかに描く『恋とボルバキア』小野さやか監督インタビュー
 

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セルフドキュメンタリー『アヒルの子』で鮮烈なデビューを果たした小野さやか監督の7年ぶりとなるドキュメンタリー映画『恋とボルバキア』が、1月13日(土)より第七藝術劇場で公開される。
 
女装男子を追ったテレビの深夜ドキュメンタリーNONFIX『僕たち女の子』(13)を1年間撮影後も自主的に取材を続け、3年かけて映画にしたという本作。
 
最初は自分とかけ離れた世界に感じていたという小野監督だが、撮影しているうちに「自分で自分の居場所を確立している人たちであることに心打たれ、人として尊敬できる」と思ったことが、撮影を続ける原動力になったという。生きてきたバックグラウンドや、様々なセクシャルの悩みを抱えながらも、自分らしく生き、愛する人を求めるトランスジェンダーや、その家族、恋人たちの姿を捉えたドキュメンタリーは、実に多彩だ。そして、変わりゆく彼女たちの瞬間を切り取った記録でもある。揺れる自分に素直である彼女たちやその恋にドキドキさせられるのだ。
 
多くのトランスジェンダーに取材を重ね、本作を撮り上げた小野さやか監督にお話を伺った。
 

■個人的なプロジェクトとして、当初2年間は自腹で取材

―――テレビドキュメンタリー『僕たち女の子』の後、どのような経緯で撮影を続け、映画にしたのですか?
小野監督: 『僕たち女の子』の後はフリーディレクターだったので、個人的なプロジェクトとして自腹で2年間取材を続けました。最後の1年は製作委員会でドキュメンタリージャパンと、前職のテレビ番組制作会社ラダック、配給の東風から出資していただき、完成にこぎ着けました。ドキュメンタリージャパンのプロデューサー、橋本佳子さん(『FAKE』、『フタバから遠く離れて 第1部・第2部』他)に、3年分の素材を2時間半にまとめたものを見ていただき、ここからどうやって映画にしていくのかを相談したのが、映画化のきっかけになりました。
 
取材をしていて思ったのは、手術をするために外国に行ったり、そこで住もうとしたり、日本の中で納まらない傾向があるということ。それはなぜかを映画にしたいと当初は思っていました。ただ、実際に海外まで追いかけて取材をしたものの、取材者の移住話がなくなってしまったり、撮影素材を使う許可を得られなかったり、それまで抱いていた映画化のビジョンが無くなってしまった。そこからゼロスタートで再構築していったのが、『恋とボルバキア』です。
 
―――元々あまり馴染みのない世界のことを撮るのに、苦労はなかったですか?
小野監督: 何も知らない私に、皆が本音を教えてくれました。メディアではオネエとかオカマとか、皆の笑いを取るような存在だけど、そうではないこと、「どういうことに悩み、どうすれば女性っぽく演じられるか」という細かいことを教えてもらいながら、撮影しましたね。
 
 

■常に生傷に触れているような感じ。積み重ねた関係性の中でしか出ないものがある。

―――取材を受ける皆さんは、カメラを前に本音を明かしづらいことも多かったと思いますが、よく語ってくれましたね。
小野監督: 常に生傷に触れているような感じで、セクシャルな悩みを持っている人にその話をカメラの前で話してもらうのは、とても残酷なことを強いているように思え、時間をかけてでないと、その関係性は築けなかった。4年間撮らせていただいて、3年目にやっと話をしてくれたようなことも映画に取り入れています。積み重ねた関係性の中でしか出ないものが、ご覧になる皆さんに伝わればうれしいですね。
 
 

■ありのままの自分を観てもらい、肯定してもらいたい。私はその隣にいさせてもらった。

―――幅広い年齢のトランスジェンダーの方を取り上げていることが、他のトランスジェンダーにはない深みを与えています。特に家庭を持ち、日頃は出稼ぎで働いている一子さんの自然な姿が印象的でした。
小野監督: 当時一子さんは家族の介護を抱えており、女装をする余裕がなかった。本当は女性になりたいけれど、それだけには構っていられないと。女装はしないけれど、女性の気持ちはある。ありのままの自分を見てもらい、肯定してもらいたい。そういう気持ちがあって、銭湯のシーンを撮らせてくれましたし、私もその隣にいさせてもらったという感覚が強かったです。
 
―――トランスジェンダーの登場人物が多い中、彼らを支える存在の魅夜さんは、トランスジェンダーの人と長く付き合うからこその本音を臆せず語っていますね。
小野監督: 魅夜さん自身も自分の性別やカテゴリーの中の答えみたいなものが出ていないんですよ。どうしても性同一性障害の人と生きていくとなると、そちらの方が純粋に女性になりたくて苦しんでいる訳です。だから魅夜さんは自分のことを後回しにして、彼女たちにできるだけ花開いてほしいと支援し、働く場所を提供してきた。でも、どこかで無理が積み重なり、自分のやりたいことと、愛する人の自己実現との間に微妙な差異が生まれてしまい、突然お店を辞めて、連絡が取れなくなってしまったんです。自分自身も将来どうしていけばいいのか分からない時だったと思います。それも撮影最初の2年間に起きた出来事でしたね。それから連絡が取れるようになり、私にできたのは、魅夜さんの話を聞いて、次の選択を待つことでした。最初にお店を開いた時は、性同一性障害の人を雇い、全人生の責任を持つぐらいの気持ちだったようですが、新しいお店を開いた今は、性同一性障害の人たちの通過点になればいいという考え方に転換しています。
 

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■自分の好きな自分は、人によって違う。

―――魅夜さんのようなグレーゾーン的存在は、観客にとっても新鮮に映るのでは?
小野監督: 自分の好きな自分は、人によって違うと思うんです。魅夜さんは、女の姿をしてダミ声で喋るのが好きだし、みひろさんは姿も声も女である自分が好きですし。みひろさんの場合は女装をするにもサラリーマンという社会的地位が必要なので、働く時には男性という自分を演じるためにカツラを付け、週末に自分を解放していました。 
 
―――みひろさんが、片思いの相手に告白するシーンも映し出されますが、非常にプライベートな局面をよく撮れましたね。

 

小野監督: あれは本当に大変でした。みひろさんの恋心は誰の目にも叶わないと一目瞭然です。彼女がいる男性ですし、編集長とモデルの関係ですし。ただ、本当に思い合ってはいたので、映画の中だけでもその記憶を残せないかということが、私を含めた三人での暗黙の了解でした。この三人で一緒にいられるのも撮影の間だけなのも分かっていましたから、できるだけベストな形で自分たちを表現しようと声かけをしていました。皆どこか、演じるということを少しずつ意識していたと思います。お相手の編集長、井戸さんは前作『アヒルの子』を観て下さっていて、コイツなら面白いものを撮るだろうと。そう信じて下さったから撮れたシーンでもありました。
 
 
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■ドキュメンタリーの堅いイメージを払拭、ミュージカルをやりたかった。

―――アイドル志望のあゆさんが路上ライブをするシーンは、冒頭だけにミュージカルが始まるかという雰囲気がありましたね。 
小野監督: ドキュメンタリーは結構真面目で堅いイメージがあるので、ドキュメンタリーでミュージカルをやりたいと思っていました。出演者は皆それぞれ、自己表現が得意な人達なので、あゆさんの夢見る世界を映画の中で表現したくて、冒頭から彼女が歌うシーンを取り入れました。路上ライブを提案したときは、クリスマスの夜に新宿の人通りの多いところで歌わせるなんてと随分抵抗されました。でも、私はあゆさんを撮り始めた訳ですから、どうしても終結点を作らなければいけない。だから、私も一歩も引かずに説得し、あゆさんも夜遅くまで練習して、なんとか路上ライブにこぎ着けました。本編では過去の話になるので敢えて入れていませんが、腹違いの妹たちの面倒を見たり、あの若さでお店を買うぐらいの稼ぎをし、お母さんを故郷から呼び寄せる努力家で、本当にあゆさんは偉いなと思います。 
 
―――お母さんも男に生まれたあゆさんを娘と思い、「あゆちゃんが生まれてきてくれて本当に良かった」と心から語っているように見えました。

 

小野監督: お母さんもそうですが、あゆさんの、あの自然体が新しいですね。女の子として育てられたからこその自分に対する自信がすごくあります。後天的に男性から女性になったのではないからか、女として揺れない部分を持っています。
 
―――あゆさんと一緒に登場する王子は、恋人以上の信頼関係があるように見えます。
小野監督: 二人ともホルモン異常を抱え続ける体質です。王子にとってあゆさんは、命をかけても支えたい存在と明言していましたし、あゆさんも王子とならいつか家族になれたらいいなと、それぐらい大事に思っている間柄です。お互い見守って居続けられる相手ということですね。
 

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■周りが当人たちの揺れる性を支えている。

―――単に恋人ではなく、家族のような人間関係が色々なところで成立していますね。
小野監督: 例えば、王子が男性でいたい時と、女性でいたい時があります。どちらの時でも周りが支えているという関係が家族間でもあるし、あゆさんとの間でもある。周りがいて、その人たちの揺れる性が支えられていると思います。誰の事でも理解しろというのは難しいでしょうが、たった一人のことを支えるのならできるかもしれないと思えますよね。
 
―――じゅりあんさんとはずみさんの関係も、今は幸せだけど、結婚に対する双方の思いの違いが露呈しています。
小野監督: はずみさんの撮影を諸々の事情で一旦打ち切り、久しぶりに会いに行くと、じゅりあんさんと住んでいて驚きました。じゅりあんさんは生まれも性自認も女。つまり、男に生まれながら性自認は女であるはずみさんと、レズビアンの関係でした。同棲している二人を撮影しに行く時、カップルという関係性の中に私がカメラを持って入るというのは、とてもプレッシャーが大きかったです。二人に向かっていくエネルギーを自分の中に持つのが毎回大変でした。関係性が上手くいっている二人に対し、切り込む部分が見つかるまではしんどかったですね。結婚に対しては、普通のカップルでも様々な問題がある訳で、じゅりあんさんとはずみさんの間にはもっと難しい問題、例えば子どもの問題だとか、自然に乗り越えられないハードルがありました。はずみさんは、本当の自分を実現するためには手術がしたい。じゅりあんさんは、子どもがほしい。その折り合わない二人の願望は、今のところは叶わないという形にしました。私が29歳から33歳までに撮った作品なので、じゅりあんさんの「結婚できるだろうか。子どもが産めるだろうか」という不安や心の痛みに共感し、当初の想定以上に彼女をクローズアップしています。
 
 

■出演することによるプラスはなくても、映画を公開することで、たった一人の“誰か”に出会ってほしい。

―――4年かけて撮影し、LGBTと一般的に一くくりで称されている以上に多様な個々の姿を映し出すことができたのではないですか?
小野監督: 4年間の付き合いの中で、皆、性別が変わっていったというのが大きいですね。編集長に片思いしていたみひろさんも今では女の子が好き。撮影当時では考えられなかったです。この映画を観て、「人を愛することを忘れていた」と語っていました。皆にとって、出演することによるプラスはなかなかないかもしれないけれど、この作品を公開することによって、たった一人の“誰か”に出会ってくれればいいなと思います。観に来て下さる方も、映画の世界だけではなく、誰かに出会いに行って欲しいですね。
(江口由美)
 

<作品情報>
『恋とボルバキア』(2017年 日本 1時間34分)
監督:小野さやか 
出演:王子、あゆ、樹梨杏、蓮見はずみ、みひろ、井上魅夜、相沢一子、井戸隆明
2018年1月13日(土)~第七藝術劇場、今冬公開~元町映画館、出町座
※1月13日(土) 14:30回 終了後みひろさん(本作出演)×小野さやか監督トークショー
公式サイト⇒http://www.koi-wol.com/  
(C) 2017「恋とボルバキア」製作委員会
 

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