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2014年11月アーカイブ

koubezaiju-b-550.jpg『劇場版 神戸在住』完成披露試写会舞台挨拶レポート

2015年1月17日(土)より公開致します『劇場版 神戸在住』の完成披露試写会が、オールロケーションを行った街、シネ・リーブル神戸で行われ、主演の藤本泉(23歳)、竹下景子(61歳)、白羽弥仁監督(50歳)が、舞台挨拶に登壇しました。
 

★来年1月17日の公開に先駆け、完成披露試写会を神戸の街で。
 

■日程:11月25日(火) 
■場所:シネ・リーブル神戸 

■登壇者:藤本泉(23歳)、竹下景子(61歳)、白羽弥仁監督(50歳)


 
藤本泉 〔主人公・辰木桂役〕:
埼玉県出身の藤本は、本作の撮影中ずっと神戸に滞在。神戸の印象を聞かれ「本当にきれいな街というのが第一印象。中華街や異人館があって、海があり山があり…素敵な物が凝縮された美しい街ですね」と絶賛。

koubezaiju-1.jpg阪神・淡路大震災の時にはまだ3歳であった藤本は「私は桂の等身大のような気持ちでした。初めて神戸に引っ越してきた桂は、神戸の街で生きていく中で、震災の傷跡を目にしていく。私自身も撮影をしていく中で、少しずつそういう傷跡に触れていって初めて、このきれいな建物が立ち並ぶ神戸の街は、震災という悲しい過去によって造られたのか…と、過去の震災というものがあっての今なのだ、ととても考えさせられました。今まではキレイな街という印象しかありませんでしたが、この作品に出演したことによって神戸の見方、感じ方が変わりました。

この映画は、私のような震災を知らない若い世代の女の子の目線で描かれているので、若い世代の皆さんにも是非観ていただきたいです。」

 

竹下景子 〔武内真弓役〕:
「1996年からスタートした震災復興支援の「詩の朗読とメモリアルコンサート」に1999年から14年間参加し続けていますが、実は震災前の神戸はほとんど知りませんでした。ですので、心のどこかで震災前を知らない私がここにいていいのか?という思いがあって、その小さな棘を抱えたまま通い続けた神戸でした。でも、今回この映画で、今の神戸の “街” が魔法で “人” に生まれ変わったような素敵な役をいただき、神戸の街と神戸に住む皆さんに少しでも気持ちが近づけたのではないかと感謝しています。

koubezaiju-3.jpg私自身(震災から)20年と言われてもピンと来なかったのですが、こんな可愛い藤本さんが震災を知らない世代と知り、あぁ、こんなに時間が経ったんだなと、まず私自身が驚きました。一方で、桂という女子大生を通して、ドラマやフィクションを超えてとても自然に“今の神戸”が私たちに入ってくる。今の神戸の風景を通して、震災以前をご存知の方はその以前のことへ思いを馳せ、藤本さんのように震災を実際に体験していない若い方達には、この町がどういうことを経験し、ここで生きてきた方々がどういう思いでいらっしゃるかということに、思いを馳せるきっかけになればいいなと思います。ありのままの自分を振り返られる、何気ないけれど大事なものが詰まっている映画です。」

 

白羽弥仁(シラハミツヒト)監督:
koubezaiju-2.jpg「関係者ではなく一般の方に観ていただくのは今日が初めてなので、若干緊張しております。
神戸に住んでいるので毎日がロケハンみたいなものでして、この映画を撮るにあたっては、自分が熟知している場所なので、あとはもういい役者さんに存分に思い通りにやっていただければ、良い映画ができると確信しておりました。いいものができたと自負しております。明るい未来を予測できるような、明るいラストシーンになっているので、是非お楽しみください。」

 


 
「劇場版 神戸在住」は、2015年1月17日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸他で全国順次公開をする。また、テレビ版を、同日の20:00より、サンテレビジョンでオンエア。
劇場公開と地上波が同日に展開されるのは、日本のメディア史上初の試みであります。

監督:白羽弥仁  脚本:安田真奈  
原作:木村紺「神戸在住」(講談社刊)

出演:藤本泉/菅原永二/浦浜アリサ/松永渚/柳田小百合/松尾貴史/田中美里(友情出演)/仁科貴/愛華みれ/竹下景子
2014年/日本/カラー/ステレオ/ビスタ/97分/G  
公式サイト⇒ http:// www.is-field.com/kobe-zaiju/

配給:アイエス・フィールド  
© 2014木村紺・講談社/サンテレビジョン

 (プレスリリースより)

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『TATSUMI マンガに革命を起こした男』別所哲也さんインタビュー
 
『TATSUMI マンガに革命を起こした男』(2011年 シンガポール 1時間36分)
監督:エリック・クー
原作:辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』 
声の出演:別所哲也、辰巳ヨシヒロ他 
2014年11月15日(土)~角川シネマ新宿、11月29日(土)~テアトル梅田、2015年1月17日(土)~京都シネマ、1月~シネ・リーブル神戸他全国順次公開
公式サイト⇒http://tatsumi-movie.jp/
(C) ZHAO WEI FILMS
 

~別所哲也が語る、世界が絶賛する劇画“TATSUMI”ワールドと一人六役の“挑戦”~

 
日本が世界に誇るアニメーションの中でも、よく耳にする“劇画”が実はどのようなものであり、誰によって誕生したか知っている人は少ないのではないだろうか。戦後大阪で手塚治虫に憧れてマンガを描き続けた青年、辰巳ヨシヒロが、深みのあるリアルな描写で大人のためのストーリーマンガを“劇画”と宣言したのが1959年のこと。以来、高度経済成長の陰で、怒りにも似た感情を時には情熱的に、時には哀愁を込めて描く作品を作り続けてきた。
 
海外では、アニメ界のアカデミー賞と呼ばれるアイズナー賞を受賞し、本屋では平積みで置かれるほど絶大な人気を誇っている辰巳ワールド。マンガの世界で社会を風刺する世界観を表現できることから、バンド・デシネ(フランスのアニメのジャンル)というアート性や社会性を持ち、メジャーな人気を誇るカルチャーにも大きな影響を与えている。
 
辰巳ヨシヒロの大ファンであるシンガポールのエリック・クー監督が、辰巳ヨシヒロの自伝的劇画『劇画漂流』から辰巳ヨシヒロの半生を描くと共に、辰巳ワールドの伝説的な短編マンガ『地獄』、『いとしのモンキー』、『男一発』、『はいってます』、『グッドバイ』を挿入。戦後、日本が歩んできた復興の陰にある市井の人々の苦悩や哀しみが、迫力のある絵と、劇画の雰囲気を損なわない絶妙の色合いで、今を生きる我々に訴えかけてくるのだ。
 
短編マンガでナレーションをはじめ6人のキャラクターの声を一人で演じた俳優、別所哲也さんに、辰巳ヨシヒロさんの劇画の魅力や、一人六役を演じた感想、日本にいる私たちが辰巳ワールドに触れることの意義などについてお話を伺った。
 

■成熟したヨーロッパ社会で熱狂的に受け入れられている辰巳ヨシヒロさんの世界。その社会性と過激さから、知られないような社会になっている日本は、むしろ怖い。

━━━辰巳ヨシヒロさんの劇画をいつお知りになりましたか?またその印象は?
別所:恥ずかしながら、この作品で声の出演というオファーがあるまでは辰巳ワールドを知りませんでした。何故なのかと考えてみると、描かれている世界が過激で、社会性を帯びているので子どもからは遠く離して見せたくないという事情や、いじめや理不尽さ、情けなさや格好悪さが描かれているからなのです。物語を作るとき、僕たちは知らぬ間に格好よくて、ヒーローで、夢があって、元気なキャラクターの方に目を向けてしまいがちです。でも、人間にはもう一つの面、いわゆるアザーサイドがあり、それをダークと捉えるのか、人間の一部と捉えるのかという部分で、日本とヨーロッパは感じ方に違いがある気がします。
 
ヨーロッパで本作や辰巳ワールドが圧倒的に支持されているのは、人間力や成熟した社会が背景にあるからです。日本は辰巳ワールドが実在していた場所なのに、僕も含めて知らない、もしくは知られないようになっている社会になっていて、むしろ怖いと思いますね。
 
━━━エリック・クー監督から別所さんに直接オファーがあったそうですが、その経緯は?
別所:ハリウッドで映画デビューしていることや、僕が携わっている国際短編映画祭を含め、世界の映画祭を通しての交流が根底にありました。エリック監督のことはカンヌ映画祭に出品されておられたのでお互いの存在は知っていたのですが、間を取り持つプロデューサーが入ってくれたことで、全てが一つに繋がっていきました。正直、最初にオファーを受けたときは驚きましたが、彼にしてみれば日本人でありながら英語でクリエイティブな話も含めコミュニケーションがとれ、辰巳ワールドがなぜ日本に息づいていないのかと共感できる人も探していたのだと思います。
 

■辰巳ヨシヒロのキャラクターの分身として、人間の情けなく、いやらしく、ダメな部分を演じ分けたことが、やりがいに。

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━━━今回6人の役を演じ分けましたが、監督からはどのような指示がありましたか?
別所:最初は女性の役も全部やってほしいと言われました。演出の意図としては、辰巳先生の創り出したキャラクターは先生の分身だから、それを一人の役者が演じたら面白いのではないかということだったのでしょう。声優経験はありますが、そのときは一人一役でしたし、正直悩みましたが、辰巳先生のキャラクターの分身として演じ分けるのだと解釈すれば腑に落ちました。日本では落語もありますし、普段の自分ではできない役を劇画の中で演じるというのは俳優としてすごく演じ甲斐がある、チャレンジングなことです。国際的なプロジェクトでもありましたし、これはやろうと気持ちが固まりました。
 
━━━実際にどうやって6人のキャラクター(声)を作り上げていったのですか?
別所:ただ単に声を変えるのではなく、各キャラクターの立ち方や生活習慣、考え方などのパーソナルヒストリーを自分で作っていき、「重心が高い人だから早口なのではないか」とか、「スタスタ歩くから息遣いが荒くなるのではないか」などと考えて作っていきましたね。
 
━━━なるほど、一人一人演じるかのごとく、声を作りあげたわけですね。
別所:一球入魂ではないですが、一つ一つキャラクターを作っていくのはとても面白かったです。自分の肉体を動かして作っていくのとは違い、声を出して映像もあって、辰巳先生の世界とエリックの演出をその場の反射神経で受け止めながら作り上げていきました。声の質もそうですが、自分でも「俺ってこんな声が出るんだ」と、今まで自分で意識しないような声も出たのには驚きました。催眠術にかかっているようで、映像を見ながら自分で覚醒していく感じが面白かったです。
 
━━━それだけ辰巳ヨシヒロ先生の絵に力があったのでしょうか?
別所:『地獄』や『愛しのモンキー』、『男一発』等、ちょっとドキッとするようなことが起こるんですよ。物語の持っているドラマチックさや意外性に役者としても火をつけられた気分で動いていったのかもしれません。
 
━━━実際に辰巳ヨシヒロ先生の分身ともいえる6つの役を演じたことで、別所さん自身何か見えてきたことや、辰巳ワールドについて思うことはありましたか?
別所:僕たちは昭和40年代生まれで高度経済成長の恩恵を受けて育った世代ですが、辰巳ワールドはオリンピック景気以降、日本を一気に引っ張ってきた僕たちの両親の世代が後ろも振り返らず生きてきた時代の世界観が、多く描かれています。社会の重みもずしりと感じましたし、日本の戦後の良くも悪くも生まれ変わって前進する時代を体感できました。
 
キャラクター的には、僕のように身長が186センチもあるような俳優に、弱々しかったり、引っ込み思案だったり、自己主張できなかったり、どちらかといえば負け組のキャラクターは今までオファーがこなかったです。今回そういう役を演じることができ、とてもやりがいを感じました。人間の情けなくて、イヤらしくて、ダメな部分を演じられてこそ、初めて俳優と呼べるのかなと思いますし、そういう経験ができたのはすごく良かったです。
 

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■「辰巳先生に対する思いを映画で真空パックに」エリック・クー監督が挑んだ最初で最後のアニメ作品。

━━━エリック監督の辰巳ヨシヒロ先生に対する思いが、作品から伝わってきました。シンガポールの監督でありながら、本当に細部まで描かれていましたね。
別所:エリック監督は辰巳先生に心酔しています。若い頃辰巳先生の劇画に出会い、多感な少年期にヒーローの世界ではなく、人間のダメな世界が描き出されているのを見て「これだ」と思ったそうです。それ以来ずっと辰巳先生の作品を読み続け、今回辰巳先生の絵の世界観を残して、辰巳先生に対する思いを「映画で真空パックにしたい」と作品に臨んでいます。基本は実写の監督なので、「一生でこれが最初で最後だ」と宣言していますし、僕以外の声の出演者はドキュメンタリーのように一般の方を起用しています。ドキュメンタリー的な世界観の中で、劇画の部分だけ俳優を使って動かしていくという構成ですね。
 
━━━エリック監督の演出はかなり厳しかったですか?
別所:厳しいというより、要求が多かったです。撮影は2日半でしたが、ずっとスタジオに缶詰で、気がつけば水も飲まずに、3時間休憩なしという状況でした。とてもアジア的でアーティストの熱気を感じましたね。劇中に登場する阪急電車のシーンではエリックが唯一うなだれて「僕は日本人ではないから、この時代の電車の色が分からない・・・」と必死に調べていました。辰巳先生の作品は白黒ですから、色合いを作り出すのにかなり苦労したようです。
 
━━━海外の映画祭や劇場では既に上映され、ようやく日本での劇場公開ということで、エリック監督をはじめ、別所さんも特別な思いがあるのでは?
別所:とても残念なことに今、辰巳先生が病床にいらっしゃる状況です。本当ならば辰巳先生は大阪ご出身なので、関西で公開される際に劇場のお客さんの様子を見ていただきたいところなのですが。10年に声で参加し、東日本大震災が起きた11年にカンヌ映画祭へ行き、東京国際映画祭で賞を頂き、12年のアメリカ・アカデミー賞にシンガポール代表として選出され、その後、世界中で上映され、現在に至っています。本当に感無量ですね。

 

■大阪出身の辰巳ヨシヒロが熱望した地元公開。ちょっとほろ苦くて、ドキッとする大人の辰巳ワールドを全てのマンガファンに観てほしい。

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━━━ようやく最後に日本での公開が叶った格好ですね。
別所:これも運命なのでしょう。やはり日本では本作は邦画なのか洋画なのか、ドキュメンタリーなのかアニメなのかと問われてしまいがちですが、『TATSUMI マンガに革命を起こした男』はジャンルレスです。型破りのところがあるので、観ようと思っても戸惑いがあるのではないでしょうか。僕も最初は辰巳先生を知りませんでしたが、本作を観たら本当に大切なものを持ち帰れます。日本公開までに時間をかけて映画が成熟していき、芳醇な香りと共に上映されるのもいいなと受け止めています。
 
ただ、少し辛辣なことを言えば、日本では本作のようなインディーズ的な世界観や、GでもPGでもないようなちょっと過激で、子どもに見せてもいいの?という部分があると、どこか遠くへ追いやってしまい、あまり自分の中で大きく取り上げたりしなくなってしまう傾向がありますね。
 
━━━話題にすることもはばかられるような雰囲気はありますね。
別所:日本の悪いところですよ。ちょっと棚上げしたり、先送りしたりという感覚が、ヨーロッパから見れば不思議で仕方がなく映るのです。本作を観ていただければ、そのあたりの日本のカラクリ自体にも気付いていただけるのではないでしょうか。もっとこういう世界に、観る方も成熟して向き合っていくのが普通のことですから。今日本では、昔話で残酷な場面を「子どもに見せるのはふさわしくない」と書き換えたという話題も耳にしますが、理不尽なことや残酷なことにきちんと物語で触れていないと、本当に理不尽なことや残酷なことが分からなくなってしまいます。でも今は逆で、「残酷なシーンを見せるから、猟奇殺人などが起こる」と言われ、触れることを排除する方向に向かっていますね。
 
辰巳先生が描いてきた世界は、万人がヒーロー感を満喫したり、健康的と感じる世界ではありませんから、今観ることに意義があると思います。
 
━━━本作に携わったことで、別所さんのこれからの役者人生でチャレンジしたいことや、新しい可能性が見えてきたのでは?
別所:人間の情けなさや哀しさ、ダメさを表現できる人間臭い表現者になっていきたいです。そして、涼やかに、軽やかに演じたいですね。人間だから「ああ、そういうことがあるね」と腑に落ちたり、心当たりがあるようなことは大事な気がします。また、俳優は「人に非らず」と書くのですが、例えば架空のモンスターのような、人を超越したキャラクターを演じる跳躍力も劇画の役を演じる中で養われたと思います。今まで演じてきたようなトレンディーな感じではない役の方が、俳優としては演じごたえがある気がしますね。
 
━━━最後にこれから劇場でご覧になるみなさんに、一言お願いします。
別所:辰巳先生は大阪出身の方なので、関西での上映を楽しみにされています。世界中の観客や京都のマンガミュージアムに足を運ぶようなマンガファンが絶賛している世界です。スタジオジブリの作品や押井守さんのような世界も素敵ですが、そういう劇画アニメや、ルパン三世を観た人たちや、ドラえもんが好きな人たちにも観てほしいです。ちょっとほろ苦くて、ドキッとする大人の味もしますが、現在大人のあなたにも、これから大人になるあなたにも、「大人ってこういうことじゃない?」「これを受け止めて、大人になろうよ」とメッセージを送りたいです。
(江口由美)
 

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今年で第19回を迎えた神戸100年映画祭。毎年テーマを設定し、神戸で撮影した作品や往年の名作を上映、ゲストを迎えてのトークを交え、映画ファンにとって神戸の秋の風物詩となっている映画祭だ。第19回のテーマは「あの女優に会いたい」。NHK連続テレビ小説に主演した女優たちの作品を特集上映したり、元町映画館では過去から現在を射抜く女性が主人公の『エレニの帰郷』、『フランシス・ハ』が上映された。また、11月15日から全国公開される『紙の月』プレミア試写会では、吉田監督をはじめ主演の宮沢りえ、池松壮亮が登壇し、神戸ロケのエピソードを披露。そして神戸アートビレッジセンターにて「新開地 淀川長治メモリアル」で伝説の女優たちの作品、『モロッコ』、『カサブランカ』、『哀愁』、『めし』が上映中された。

 

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去る10日に神戸文化ホール中ホールで開催されたメインイベントでは、第1回神戸100年映画祭で『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』のゲストとして夫、篠田正浩監督と登壇した岩下志麻さんが久しぶりに映画祭ゲストとして来場。「岩下志麻さんを迎えて」上映会&トークショーと題して、岩下さん自身が上映を希望された代表作『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』と名匠小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』が上映された。

トークショーでは、『昭和の女優』著書で岩下さんへのインタビュー経験も多数という伊良子序氏(神戸100年映画祭顧問)が聞き手となり、今だから話せる撮影エピソードや女優人生について思わず笑いが飛び出すような和やかなトークが展開された。その主な内容をご紹介したい。
 

 

■『はなれ瞽女おりん』撮影エピソード

―――岩下さんは徹底した役作りで有名ですが、『はなれ瞽女おりん』で演じた盲目の瞽女(ごぜ)役はどのように役作りをしたのですか。
岩下:暗闇恐怖症なので、盲目の女性の役がきたとき、暗闇に慣れるか不安でした。化粧をしたり、風呂に入ったりするときも目をつむり、暗闇になれることがから始めました。実際に新潟で生存されておられる瞽女さんを訪ねると、夜8時でも真っ暗闇の中いらっしゃり、私たち訪問者のために電気をつけてくれました。目が見えないというのはこういうことかと実感し、役に入っていけました。瞽女さんには、傘の差し方など色々ご指導いただき、とてもありがたかったです。目をつむって何か月か生活しました。
 
盲学校にも行きましたが、こんなにたくさんの方が暗闇で生活されているのかと思うと、取材をする前に涙が止まらず大変でした。校長先生に目隠しされ、廊下をまっすぐ歩くように指示を受け、歩いてみたのですがどうしても左方向に歩いてしまうのです。人間は耳がいい方に歩いてしまうと聞き、演技するときも誰かがセリフを言ったときに耳を差し出すようにしました。瞽女が弾く三味線の稽古をするのも大変で、6か月間毎日通って習いました。いつも微笑みを浮かべているようなおりんでいたい。目が不自由でも否定的ではなく、いつも明るいおりんをイメージして演じました。私にとっては大変思い出深い、大好きな映画です。
 
―――台本は撮影前にすべて覚えてしまうのですか。
岩下:撮影前に、台本一冊を覚えてしまわないと、役に入っていけません。台本を全て読み、全体を見ないと役の性格や芝居の強弱は付けられません。まずは全て覚えてから撮影前日に復習するようにしていました。
 
―――88か所でロケを行ったそうで、当時の映画作りの贅沢さを感じました。
岩下:電線やテレビのアンテナがない場所を探すのが大変でした。道を歩いて角を曲がると静岡県でロケをしたシーン、次の角を曲がると富山県でロケをしたシーンという具合に、各地のロケを緻密につないで、作品ができました。ロケハンだけでも3年半かかりました。
 
―――共演の原田芳雄さんは、おりん役の岩下さんに気遣って、あることをしていたそうですが。
岩下:私は瞽女役で目が見えない設定なので、朝ロケバスに乗ったときから目をつむっているのですが、時々目を開けても原田さんの姿が全然見えなかったのです。実は、原田さんが私の前からわざわざ姿を消していたことを、亡くなる前にテレビで話されていたのを聞き、心遣いに感動してお礼を言いました。当時の私は、「なぜ原田さんはいらっしゃらないのか」と思っていましたから。
 

■『極道の妻シリーズ』撮影エピソード

―――『極道の妻シリーズ』では、「あんたら覚悟しいや」という決め台詞が印象的でしたが、役に入り込む岩下さんが姐御役から日常生活に戻るのは大変だったのでは?
岩下:背中に入れ墨をいれなくてはならないし、ピストルは撃たなければならないし、最初は躊躇しましたが、皆さんが「姐さん!」と呼んで下さるので、だんだんその気になっていました。京都の撮影中に友達から電話がかかってきたときは、思わず「わてや」と返事をし、随分驚かれましたね。
 

■女優人生を歩む決意が固まった作品『五瓣(ごべん)の椿』

―――岩下さんの女優人生を振り返ると、駆け出しの頃は清純派でしたが、山本周五郎原作 『五瓣の椿』ではとても凄惨な役を演じました。以降、人間の中に眠っている殺人願望、多面性や暗黒面を演じると、はまり役だと感じます。自叙伝でも少女時代から精神科の医者になりたかったと語っておられますね。
岩下:大学は心理学に進みたいと猛勉強していましたが、体をこわして留年し、心理学を断念したところ、女医ではなく女優になりました。子どもの頃、前進座の『屈原』という舞台を観ましたが、王妃の行動から人間の奥に潜む恐ろしさを小6にして体現したことが今も記憶に残っています。『五瓣の椿』でも、私の役は父親をとても愛していたけれど、母親がとても淫乱で、母親と遊んだ男5人を殺して椿の花を置いていくという、初めての悪への挑戦でした。とても印象に残りましたし、女優をやっていこうと決意が固まった作品でした。
 

■『秋刀魚の味』撮影エピソード

―――岩下さんは、小津安二郎監督、木下恵介監督と、巨匠と組まれることが多かったですね。
岩下:当時松竹は巨匠と呼ばれる監督が多かったです。木下監督は、風や雲や光という自然をとても大事にする監督でした。小津監督はセットが多く、ベテランの方でも最低50回、ひどいときには100回もカットがかかっていました。一つの画面が小津監督の額縁のようになっていて、絵画なども「5センチ上」とかける場所が決まっています。役者も、小津監督の絵づくりの中にいなくてはならず、演技の癖やテクニックは嫌われます。あくまでも自然でなくてはいけないのです。失恋したシーンで巻き尺を巻くとき、100回目でようやくOKをもらったことがあるのですが、後々小津監督から「人間は悲しいときに悲しい顔をするのではない。人間の喜怒哀楽はそんな単純なものではない」と言われました。きっと、悲しい顔をしていたのでしょうね。美術面でも、お料理の食器は、清水焼など上質なものを全部取り寄せ、絵画も全て本物なので、小道具さんはいつも大事に抱えて、鍵をもって歩いていました。
 

■妻として、母としての篠田志麻と、女優岩下志麻の裏にある夫篠田監督の支え

―――妻、母としての岩下さんのお話を伺います。『はなれ瞽女おりん』出演の前にスランプの時期があったそうですが。
岩下:当時は自分の表現力のなさに愕然としていました。子どもを犠牲にしてまで女優を続けていくべきか、ずいぶん悩みました。子どもがかわいい時期だったので、子どもを置いて仕事に行くことについて悩んだ時期が2年ほどあったでしょうか。鬱状態になっていたと思います。『はなれ瞽女おりん』は6ヶ月ロケだったので、子どもを置いていかなければならない辛さを背負って演じきりました。日本アカデミー賞女優賞をいただいたことが励みになり、一つの垣根を越え、女優をし続けようと思えるようになったのです。
 
―――夫であり映画監督である篠田さんは、岩下さんの女優という職業に理解を示していらっしゃったのでしょうか。
岩下:篠田は「家庭は休息の場でなくてはいけない。たくさん休息して現場には元気で行ってほしい」ということで、女優をするために家事をせずにいることができました。大抵のご主人は、家事をやらないと文句が出ますが、篠田の場合は女優という仕事に没頭させてもらえましたね。私が女優を辞めようかと悩んでいた時も、「おまえは女優をやっているときが一番輝いているのだから」と言われました。よく、女優は自信過剰でなければやっていけないと言われますが、その時期は自信を喪失していたのでしょう。
 

■観客へのメッセージ

岩下:これからも映画を愛して、たくさん映画館に足を運んでいただけたらうれしく思います。
(江口由美)
 
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健さん、男の夢をありがとう!
《高倉健 追悼特別寄稿 ―安永五郎》

 

京都の撮影所担当(日刊スポーツ文化部)、通称“撮回り”が原点だった。幸せなことに…。高校時代から大映“勝新・雷蔵”、次いで東映“鶴田・高倉”に熱くなった記者には、映画の現場(とりわけ京都)は“夢の工場”。取材の重圧に緊張はしたものの「目の前を映画が歩いている」思いだった。
 

高倉健-4.jpg数年間の撮影所担当で多くの俳優、監督、プロデューサーやスタッフ、時には撮影所長も取材したが、忘れられない大スターは大映・勝新太郎さんと東映・高倉健さんだ。スクリーンと素顔が異なるのはすでに常識だったが、この二人は、対照的な性格なのに差がないことが共通していた。つまり、映画の役柄そのままの人だった。
 

初めての“生・健さん”は新米記者の73年。東映京都撮影所『現代任侠史』(石井輝男監督)。60年代に一世を風びした東映任侠(やくざ)映画はその直前の72年、藤純子引退記念映画『関東緋桜一家』で幕を下ろし、時代は深作欣二監督『仁義なき戦い』を皮切りとする実録路線へと切り替わろうとしていた。『現代任侠史』は“実録風の任侠映画”の触れ込みで、健さんも最後は銃で撃たれて死ぬ。「それが珍しい」映画だった。
 

当時、現場取材は邪魔にならないよう「撮影の合間に片隅で立ち話(取材)」が原則。東映任侠映画『日本侠客伝』と『昭和残侠伝』などのシリーズをほぼ全作見ていた記者は、真正面で見る「どアップの花田秀次郎(昭和残侠伝)」に震える思いだったのを覚えている。
 

この時の話を記憶しているのは“花田秀次郎”だからか。映画の話はもちろん聞いたが、健さんが熱っぽく語ったのは当時、吉田拓郎のヒット曲「旅の宿」などで評判の作詞家・岡本おさみについてだった。取材で知り合ったとかで「素晴らしい人」と誉めるのに懸命だった。
 

健さんには数々の伝説が伝わるが「人との出会いを大切にする」「共感した人から学ぶ」姿勢がよく知られる。最初にその一端を見せてもらった、とずいぶん後になって分かった。
 

勝さんは対照的に、2~3度、撮影を覗いただけの新米記者も楽屋に入れてくれて直接話を聞けた。イメージ通り自由奔放、ざっくばらんな人だった。当時、当たり役『座頭市』はフジテレビ制作に移っていたが、その頃、アメリカで大ヒットしていた『ジョーズ』の話題に触れ「ハリウッドで“座頭市”を撮ったら、いい勝負出来るんじゃないか」と勝さんらしい壮大な夢を話していたものだ。
 

健さんでもうひとつ、有名なのが「俳優は私生活を見せてはいけない」という確固たる信念。だから、プライベートは秘中の秘だし、記者も伝聞でしか知らない。だが、物静かに“成りきる姿”を垣間見たことがある。“東映卒業後”、東宝で森谷司郎監督が撮った『八甲田山』(77年)の現地ロケのことだ。
 

雪深い八甲田山中の宿舎には俳優もスタッフも、当然エキストラ記者も同宿。周りに何も娯楽施設のない宿では、出演していた俳優・加山雄三がピアノ弾き語りでエキストラの面々と仲良く声を張り上げていた。脚本家の橋本忍氏も顔を出し、これがロケ撮影の持ち味と理解したが、そこに主役の姿はなかった。健さんはロケ隊の中でも、ひとり個室に籠って「決死の登山行」に挑む隊長という難役に集中していた。いかにも陽気な加山雄三らしい盛り上げ方だし、いかにも“孤高の健さん”だった。
 

高倉健-3.jpg健さんはその年、山田洋次監督『幸福の黄色いハンカチ』と『八甲田山』の2本に出演、日本アカデミー賞とブルーリボン主演男優賞をダブル受賞、俳優として広く日本映画界に漕ぎ出し、以後、文字通り大スターに上り詰めていく。
 

京都撮影所からは姿を消した健さんだが、その後も何度か名前を耳にした。本紙連載企画「日本映画の源流、マキノ組とその一党」の取材中、監督業に乗り出したマキノ(津川)雅彦から「(叔父)マキノ雅弘監督の誕生日(2月29日)に家を訪れるのは藤純子と高倉健だけ」と聞いた。任侠映画を卒業しても、大先輩から受けた恩は忘れない…礼儀正しく、けじめに厳しい、任侠映画のヒーローそのままだった。
 

撮影所担当と言えば駆け出し時代、ライバル紙に京都撮影所を押さえていたベテラン記者がいて、キャリアの差で歯が立たなかった。その“京都の主”が数年前に死去。葬儀が終わった後、そっと焼香する健さんの姿があったという。どこから聞いたのか、礼儀は欠かさないが目立つことはしない、健さんらしい、これも映画で見たような場面に感じた。
 

高倉健-5.jpg遺作となった205本目の映画『あなたへ』で、夜の海辺を見つめる健さんの後ろ姿がどうしようもなく胸に迫った。かつて熱い血をたぎらせたあの背中…。任侠映画では「背中(せな)で泣いてる唐獅子牡丹」とテーマ曲が流れ、命をかけて殴り込む。満員の場内に「健さん、あいつを叩き斬ってくれ」と掛け声がかかったのも忘れられない。
 

混乱の時代、悪者を一刀両断する健さんの背中はめっぽう強くて頼もしかった。だがそれは、たった一人の孤独なヒーロー像でもあった。70年安保で盛り上がった全共闘の学生たちも「止めてくれるなおっ母さん」と権力と闘う自分たちの気持ちをこの背中に託した。
 

 『あなたへ』で共演したビートたけしは「健さんには嫌われたくない思いからみんな遠慮して話す。だから本人はどんどん孤独になっていくんだ」と監督らしく分析した。
 

任侠映画から、多くの人の共感を呼ぶ人間像へ…。動乱の時代を生き抜いて、崇高ささえ感じさせる俳優へと自らを高めていった健さん。ストイックな生きざまには、ただただ「ありがとう」の言葉しかない。

 (安永五郎)

tigris-550.jpg『イラク チグリスに浮かぶ平和』綿井健陽監督インタビュー

(2014年11月5日(水) 大阪セブンシアターにて)

(2014年 日本1時間48分)

監督・撮影:綿井健陽
出演:アリ・サクバン

2014年12月6日(土)~12月26日(金)大阪・第七藝術劇場
2015年1月9日(金)~1月15日(木)神戸アートビレッジ

公式サイト⇒ http://www.peace-tigris.com/
(C)ソネットエンタテインメント/綿井健陽


 

★イラクの“戦後10年”、崩壊家族を訪ねて

 

衝撃的なドキュメンタリー映画『Little Birds イラク 戦火の家族』(05年)から10年、映画監督でフリージャーナリストの綿井健陽監督が撮った“続編”『イラク  チグリスに浮かぶ平和』が完成、12月に公開される。先ごろ来阪キャンペーンを行った綿井監督に聞いた。

tigris-di-1.jpg―――“続編”の製作構想はいつから?
綿井監督「去年、2013年がイラク戦争10年なので、メディア的な発想だけど、そこで公開したかった。そのために2011年ぐらいにイラクに入って、と考えて、実際エジプト経由でリビアへ行くチケットを取っていたが、丁度飛び立つ日に(東日本)大震災が起きて、翌日に福島へ行った。そのため1年遅れた」。

―――結局、撮影に入ったのは?
綿井監督「去年3月から4月にイラク入りして撮影した。顔写真いっぱい持って行って、前回の撮影で知り合った友人たちを訪ね回った」。

―――実際には2007年ごろまでイラクに行っている。
綿井監督「2008年から2013年まで5年は、ビザの問題もあって行けなかった。外務省がイラクの大使館に“フリーランスは入れないように”と言っていたようで、2005年にはヨルダンのイラク大使館で発給拒否されました。スタンプまで押してるのに。政府としては、フリーが勝手に入って、捕まったり処刑されたりしたら責任問題になる、ということでしょう。そういう事件も実際にあったし。フセイン政権崩壊後はビザなしで良かったけど、2007年からビザが要るようになった。だから入国ルートを探しました」。

tigris-7.jpg―――続編を作って感じることは?
綿井監督「Little Birds~は1年間の映画だけど、続編は10年間というスパンでとらえた。前作にも登場した友人のアリ・サクバンが亡くなっていたのには驚いた。2008年に亡くなっていたのに5年間、知らなかった。知るタイミングが遅すぎた。イラクでは、家族、親族の誰かが亡くなっている。実はイラクの死者の公式データはない。英国のNGOが毎日のニュースを調べて集計していて、それによると、少なくとも15万人以上が死亡している。イラクの人口は国連調べで3000万人から3500万人。その5%が死んでいることになる。こんな異常事態が日常化している」。

―――映画に登場するフセイン大統領の銅像をみんなで引き倒す場面で、自由を得たと青年が語っていたが、10年後には「何も手にしていない」と分かる。
綿井監督「銅像を引き倒した瞬間は私もそこにいた。イラク市民たちが銅像を足蹴にしていた。だけどその後、何も変わらず、よけいにひどい状態になった。アリ・サクバンの家族はほとんどが亡くなっていた。イラクは家族が多い。10人兄弟もいて、5 ~ 6人兄弟は普通。サクバンの家は12人兄弟。親族も合わせると30人以上になる。そのほとんどが命を落としている」。

tigris-4.jpg―――10年前はこれで平和になる、という希望もあったが、この映画ではやりきれなさも感じた。
綿井監督「この11年間、爆弾テロや宗派対立がり、武装グループが市民を殺していた。フセイン政権を倒した後、この国はさらに混乱がひどくなった。自由にも民主主義にもなっていない。最悪の結果になった。死んだ人がどうして死んだのか、生き抜いた人はどうして生き抜いたのか、また、死んだ人も生きていたらこうなっていただろう、というところまで表現したかった。足を切断したサッカー選手の話の中で、イラク-シリアのサッカー大会の映像はそんな意味をこめた」。

tigris-6.jpg―――アリの家を訪ねて会った父親は綿井監督を見て「息子を思い出す」と言って悲しんだ。アリの義兄の「みんな平和を望んでいるだけなのに、アメリカが壊した。中東を支配するために」という言葉が重い。   
綿井監督「父親はだれもいなくなった部屋で自殺したいと言った。映画にある通り、私は生きて下さい、と言うしかなかった」。

―――イラクの混乱は分かりにくい。
綿井監督「イラクはフセイン大統領のスンニ派が約2割と少ないが、世界的にはスンニ派が圧倒的に多い。民主化されたイラクではシーア派が逆転し、権力抗争が起き、武力闘争が起こった。いったん戦争が起きると、果てしなく広がっていく。イラクは憲法も国会も出来、形だけは民主国家になって、駐留米軍もいなくなったが…」。

 


 

★激動の90年代、フリーで活動

―――原点の話になるが、綿井さんは映画監督かジャーナリストか、どっち?
綿井監督「ジャーナリストであり映画監督。どちらかと言えばやはりジャーナリスト」。

tigris-di-2.jpg―――大学(日本大学芸術学部)でも放送学科だった。
綿井監督「学生だった90年に湾岸戦争が起こった。89年には天安門事件(中国)もあり、92年にはPKOのカンボジア派遣もあった。カンボジアはベトナムとリンクしていて、ベトナム戦争については、カメラマン、記者の体験記などを読んでいた。学生時代に(ジャーナリストの)原型が固まった。記者志望で新聞、テレビ、雑誌ほとんど全部受けたが、1社を除いて通らなかった。一般企業に就職する意思はなかったので、フリーで活動を始めた。知人に誘われて98年からフリージャーナリスト集団アジア・プレスに入った。ギャランティは最初はなかった」。

―――イラクの仕事で知られるが、様々な事件現場に行っている。
綿井監督「ウーン、好きだから、ですね」。

―――イラクの仕事がいったん決着ついて、次のターゲットは?
綿井監督「今はこの映画に全力ですが、来年は戦後70年の節目の年。テレビ、雑誌、写真も活字も含めて、問いかけたい」。


 (安永 五郎)

 

ryuuguu-b-550-2.jpg『竜宮、暁のきみ』青木克齊監督、谷内里早さん舞台挨拶

(2014年11月8日(土) 大阪・第七藝術劇場にて)

(2013年 日本 1時間34分)
脚本・監督:青木克齊
出演:石田法嗣、谷内里早、小林ユウキチ
★青木克齊監督インタビュー⇒ こちら
★公式サイト⇒ http://ryugu-akatsuki.jp/

11月8日(土)~大阪・第七藝術劇場、11月24日(祝・月)〜京都みなみ会館


 
ryuuguu-b-2.jpgおとぎ話の浦島太郎の物語をモチーフに、現代の若者の喪失と再生を、人形浄瑠璃を織り混ぜファンタジックに描いた『竜宮、暁のきみ』。関西での公開初日の11月8日、第七藝術劇場で青木克齊監督と、透明感あふれ、凛とした存在感で、主人公の太郎を勇気づける不思議な少女みずきを演じた谷内里早さんが登壇。大勢の観客のあたたかい拍手に包まれ、なごやかな舞台挨拶が行われました。

 

 


 
 

ryuuguu-b-3.jpgまず最初に、竜宮からの『玉手箱企画』大阪編と題して、七芸での上映期間中、日替わりで入場者にプレゼントされる香川県の特産品について紹介された後、青木監督が「2年前に撮影し、1年かけて上映に向けての準備を進め、この夏、新宿で公開し、大阪に来ました。今、観なおしてみて、何か変わったことは?」と里早さんに質問。「こんなにきゃぴきゃぴすることはなくなりましたね(笑)」今、猫を飼っているという里早さんに、監督は、「そういえば、撮影が始まる前日ぐらいに、ロケ地で、一人で田んぼを歩いていたら20センチほどの亀が出てきたので、拾って宿に帰り、しばらく飼っていました。13日間の撮影が終わり皆が帰った後、元の場所に返そうかと思って、起きたら、旅館の人に亀がいなくなったと言われました。玄関で飼っていたのに、結局どこにいったのか全然わかりませんでした。撮影とともに現れ、撮影が終わるとともにいなくなってしまったんです」と不思議な逸話を披露。「亀は幸運をもたらすかな?」との問いに、「こうして映画も公開に至りましたしね」とにっこり微笑む里早さん。
 

ryuuguu-b-550.jpgこのほか、監督の、人形浄瑠璃に浦島太郎の演目はないとのコメントに、客席からは「なるほど」との声。「亀の人形がなくて、ネットのオークションで亀のはく製を買いました。他の人に入札されたらどうしようと、すごくドキドキしていたのに、後で見たら、入札していたのは僕だけでした」というエピソードには、会場からどっと笑いがあふれました。その亀のはく製は、太郎を演じた石田法嗣さんが持って帰られたとのことです。「亀に始まり、亀に終わる映画ですね」「この映画を観て、香川のよさを発見していただき、気軽に足を運んでもらえたら」と監督。最後は、里早さんが「今日観てもらった感想をいろんな人に伝えてもらえたら嬉しいです。あったかい映画になっていると思いますので、大切な方とぜひ観に来てほしいです」と締めくくった。
 

ryuuguu-b-4.jpg会場には、香川県出身の方々もたくさん来場され、映画の中の荘内半島(三豊市)の山や海の美しさにうっとり。京都での公開も決まり、神戸では春に公開予定とのこと。上映後のサイン会には、大勢の人が並び、映画の話で盛り上がっていました。

(伊藤 久美子)

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「自信を持ってお届けできる作品」宮沢りえ、7年ぶりの主演作を語る~『紙の月』記者会見&東京国際映画祭舞台挨拶
登壇者:吉田大八監督、宮沢りえ、池松壮亮
 
(2014年 日本 2時間6分)
監督:吉田大八(『桐島、部活やめるってよ』『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』) 
原作:角田光代(『紙の月』角川春樹事務所刊/第25回柴田錬三郎賞受賞)
出演:宮沢りえ、池松壮亮、大島優子、田辺誠一、近藤芳正、石橋蓮司、小林聡美
2014年11月15日(土)~丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、OSシネマズ神戸ハーバーランド、TOHOシネマズ二条、MOVIX京都他全国ロードショー
公式サイト⇒http://www.kaminotsuki.jp/
(C) 2014「紙の月」製作委員会
 
『紙の月』作品レビューはコチラ 
 

~祝東京国際映画祭最優秀女優賞&観客賞受賞!宮沢りえが7年間の蓄積をぶつけた渾身作~

 
10月31日に閉幕した第27回東京国際映画祭で最優秀女優賞と観客賞の見事W受賞を果たした吉田大八監督最新作、『紙の月』。女性行員の巨額横領事件を題材にしながらも、事件の顛末をセンセーショナルに描くというよりはむしろ、どんどん解放されていく普通の主婦の内面の変化をドラマチックに映し出し、吉田監督の演出力や、それに応える主人公梅澤梨花役の宮沢りえの表現力に目を奪われる。
 
10月25日に行われた東京国際映画祭の記者会見では、海外プレスも多数参加し、世界からも注目を集めている作品であることが伺えた。その模様をご紹介したい。

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<記者会見>

 
(最初のご挨拶)
宮沢:梅澤梨花役の宮沢りえです。7年ぶりの主演作でとても大切に作った映画が、こんなに多くの海外メディアの方に注目され、とてもうれしく思っています。
池松:池松壮亮です。今日は本当にありがとうございます。東京国際映画祭から、この作品の勢いがつけばいいなと思っています。
吉田監督:監督の吉田です。皆さんとお話できるのを楽しみにしています。よろしくお願いします。
 
―――コンペティション部門作品として世界に臨む『紙の月』ですが、受賞の自信はありますか?

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吉田監督:普段は日本語で考え、日本語で作ってきた映画が、東京国際映画祭のコンペティション部門に選ばれる機会を得て、世界でどういう風に観てもらえるのか。その反響が届くのはすごく刺激的ですし、また楽しみたいと思っています。(賞をとれたらという気持ちは)コンペティションという言葉の意味は分かっているつもりですから、負けたくはないですね。
宮沢:吉田監督は本当に撮影中、緻密な演出をしてくださいました。梨花役や『紙の月』を作り上げてきた時間は本当に妥協なく、「これ以上のことはできないと」毎回シーンに挑む度に思い、その積み重なりで出来上がった映画です。自信があるといえばありますし、胸を張ってみなさんにお届けできる映画になったと思います。
池松:コンペティション部門作品に選ばれたからには自信をもって、いい知らせを待ちたいと思います。
 
―――映画の中で、アメリカのルー・リードの曲を選曲された理由は?
吉田監督:映画が終わった後で流れる歌ですね。男性から女性を観たときに割とよく使う言葉で「ファムファタール」という言葉があります。僕の中では「ファムファタールになれる女性なんていないよね」という男性から女性を観たときに感じることを歌にしたものだと思っています。映画の中でも主人公の梨花を多くの男性が眺めていますし、彼らに梨花は見送られながら進んでいきます。見送るのに相応しい曲という点と、梨花の顔と歌声がマッチするという直観的な理由もありました。
 
―――7年ぶりの主演を務めるにあたって「それまで溜めていたものを全て注ぎ込んだ」とのコメントがあったが、具体的にはどのようなものを自らの活動の中で蓄積されていたのか?

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宮沢:10代の頃から主に映像の活動をしており、20代で舞台も経験しましたが、30歳になったときに野田秀樹さんの『透明人間の蒸気』という舞台に参加させていただき、初めて演劇を作る場での自分の無力さに気づきました。このままではいけないと自省し、40歳になるまでにできるだけ舞台に心も時間も費やしたい、そして40歳になったときにちゃんと舞台の上に立っていられる役者になりたいという目標を立てました。30代でも映画のお話はいただいていましたが、どうしても自分の40歳までの目標を達成したかったので、ずっと舞台に目を向けていました。演劇をやっていてたくさんの発見や学んだこと、豊かになれたことがあり、それらを40歳からはバランスよく映像や舞台の仕事に取り組もうと思っていたところに、『紙の月』のお話をいただきました。タイミングはとても大事だと思いますので、7年間で自分が得たものをこの映像の世界で出していこう。そういう気持ちで臨みました。
吉田監督:宮沢さんが、蜷川幸雄さんや野田秀樹さんといった世界的な舞台演出家とお仕事をされていて、映画から距離をとっているように見えていたので、映画側の人間としては少し悔しい気持ちもありました。受けていただけるかどうか分かりませんでしたが、オファーして引き受けていただいたことで、この映画はちゃんと勝負できる企画だという自信が持てました。タイミングが良かっただけというのは、後から聞いた話ですが。
宮沢:グッドタイミングなだけではなく、もちろん吉田監督とお仕事することにも興味がありましたよ。
池松:この仕事をしていると色々な女優さんに出会いますが、これだけ一つの作品に身も心も投げられる人を僕は初めてみました。
 


<舞台挨拶>

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記者会見後に行われたワールドプレミア上映前に、吉田大八監督、宮沢りえ、池松壮亮が登壇。満席の客席から大きな拍手が贈られた後、最初のご挨拶では「一般のお客様に観ていただくのは今日が最初で、武者震いしています。今日はよろしくお願いします」(吉田監督)、「梅澤梨花を演じると決めてから今日までは、世界を3周ぐらいマラソンしてここにたどり着いたような気分です。公開初日がゴールだとすれば、今ようやく歓声が聞こえ始め、ちょうどクライマックスだなと思います。本当に一生懸命、妥協せずに携わった作品なので、自信をもってお届けしたいと思います」(宮沢)、「一般公開前に観ていただくのはすごく緊張しますし、映画祭で上映されるということで間口も広がり、どうなるのかとワクワクしています。好きなように騒いでもらうなり、応援してもらうなり・・・いや、応援してください」(池松)と緊張と喜びに満ちたコメントが語られた。

 

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司会の矢田部プログラミングディレクターから7年ぶりの主演作に臨んだ心境を聞かれた宮沢は、「脚本をいただき、梅澤梨花という役を目の当たりにしたとき、今まで演じてきた中で初めて私の中にモデルとなる人物が見当たらず、演じきれるかという不安が大きかった。監督との話し合いや池松さんとの共演の中で、梨花という人格がようやく輪郭を帯び、最終的にはものすごい熱を帯びた梨花ができあがってよかった」と大いなるチャレンジであったことを明かした。一方、梨花が恋に落ちる大学生光太を演じた池松は、「宮沢さんとは1か月一緒に撮影し、ほんの10%も(宮沢さんという人を)分かったつもりはないが、これほど役に身も心も捧げて『この人は、もうどうなってもいいんだな』と思う女優さんは今までにいなかった」とその徹底した役作りぶりを池松らしい言葉で表現。宮沢に梨花役をオファーすることからスタートしたという吉田監督は、「梨花は逃げながら、ある大きなものに立ち向かう一方、繊細な心のゆれを感じて進む女性。ダイナミックな表現とミリ単位の表現の両方を突き詰め、撮影では毎日奇跡が起こっていた。その奇跡をこぼさず映画にできたと思う」と、綿密な演出によって最高の演技が引き出されたことを明かした。

 

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舞台挨拶後のフォトセッションでは、満面の笑みで会場の観客の声援に応えた3人。11月15日からの全国公開で、宮沢りえが演じた梅澤梨花の決断や、決断に至るまでの疾走ぶりが大反響を呼ぶことは間違いない。また今年映画にドラマに舞台にと大活躍をみせた池松壮亮が宮沢りえを相手に堂々と彼女を解放していく恋人役を演じているのにも注目したい。

ドラマにも原作にもない、映画オリジナルの設定が光る『紙の月』を是非スクリーンで体感してほしい。(江口由美)

 
 
 

devikuro-ivent-550.jpgLaQ史上最大の壁画 完成!!『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』イベントレポート

みんな、片想い。聖なる夜、4人の秘めた恋に、デビクロくんが起こす《奇跡ミラクル》―
相葉雅紀 榮倉奈々 ハン・ヒョジュ 生田斗真

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総製作時間5時間30分
LaQ史上最大の壁画 完成!!
参加人数:延べ約600人


11月22日(土)より全国公開となる映画『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』の公開を記念して、11月3日(月・祝)にアリオ八尾(八尾市光町2丁目3番)にて知育玩具LaQ(ラキュー)を使用した、LaQ史上最大の壁画を作るイベントを実施しました!!

devikuro-ivent-2.jpg当日は11時からイベントスタートのところ、開始時間前からたくさんのお客様がイベントに参加するために集まって下さいました。イベントに参加されたお客様は八尾市周辺だけではなく、枚方市や泉南市、京都や神戸など大阪府外からも多数集まり、壁画作成イベントにご参加いただきました。

 

 

devikuro-ivent-3.jpgお子さま2人と両親の4人家族で参加されたり、若い女性同士のお客様や老夫婦お二人で参加されるお客様がいらっしゃったりと、非常に幅広いお客様が楽しそうにパーツをつなげて作品作りに協力していただきました。慣れた手つきでLaQをつなぎ合わせるお子さまや、なかなかうまくつなげられない大人のお客様もちらほらといらっしゃいましたが、すぐにコツを掴んでは作品を少しずつ完成させていきました。
 

devikuro-ivent-550.jpg高さ約2000mm 横幅約3600mmはLaQ史上最大規模!(ヨシリツ調べ)
総製作時間5時間30分、参加人数延べ600人以上とLaQを使ったイベントとしては
過去最大級の壁画が完成しました。

こちらの壁画は、12月11日(木)までアリオ八尾2階GU前にて、クリスマス装飾を施して絶賛展示中です!
また、11月29日(土)からは光(相葉雅紀)と杏奈(榮倉奈々)の衣装も展示されます。(12月11日までの予定)
アリオ八尾(八尾市光町2丁目3番 http://www.ario-yao.jp/web/
知育玩具LaQについては(http://www.laq.co.jp) ヨシリツ株式会社(http://www.yoshiritsu.com

 


devikuro-550.jpgのサムネイル画像画『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』は、片想いの恋をする男女4人の物語。運命の女性と出会ってしまった光、幼なじみにずっと恋してる杏奈、元カレを忘れられないソヨン、恋に素直になれない北山。すれちがう4人の片想い。
しかし、光にしか見えない相棒の“デビクロくん”が、聖なる夜に素敵な≪MIRACLE≫を呼び起こす――。

出演:相葉雅紀 榮倉奈々 ハン・ヒョジュ(韓国ドラマ「トンイ」主演) 生田斗真
小市慢太郎 渡辺真起子 塚地武雅 岸井ゆきの 市川美和子 温水洋一 クリス・ペプラー 劇団ひとり(声の出演)
監督:犬童一心
原作:中村航 「デビクロくんの恋と魔法」(小学館刊)
脚本:菅野友恵
配給:東宝=アスミック・エース
音楽監修:山下達郎 音楽:上野耕路 テーマ曲:山下達郎「クリスマス・イブ」(ワーナーミュージック・ジャパン)
(C)2014『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』製作委員会 (C)2013中村航/小学館
公式サイト⇒ http://miracle-movie.com

11月22日(土) 全国東宝系にてロードショー!

るろうに剣心.jpg時代劇ファンのために映画祭!『第6回京都ヒストリカ国際映画祭』

 

期間:2014年12月6日(土)~12月14(日)
場所:京都文化博物館 (最終日は京都みなみ会館) 

公式サイト⇒ こちら
 

年末恒例となった歴史映画の祭典、第6回京都ヒストリカ国際映画祭が今年も12月6日から14日まで京都文化博物館(最終日のみ京都みなみ会館も)で行われることになり先ごろ、日程と上映作品が発表された。

今年のオープニング上映作品はフランスの名匠パトリス・ルコント監督の新作『暮れ逢い』。12月10日ロードショーに先駆けて初日に上映され、ルコント監督も来日して上映後にトークイベントを行う。

最終日は今年、最も話題を集めた時代劇『るろうに剣心』シリーズ3部作の“一挙上映”が行われ、こちらは大友啓史監督とアクション監督の谷垣健治氏によるトークショーもある。

11-6-550.jpg阿部勉実行委員長は「映画祭は10年続けば一人前と言われるが、6年目を迎えて折り返し点を過ぎたところ。映画祭は何のため?  誰のためか、と言えば、やはり映画を愛する人のために、です。関西から発信して行こうという思いが強く、華やかだけど薄っぺらな映画祭ではないところを見てもらいたい」。

高橋剣プロデューサーは「最初は日本映画を中心にしていた。昨年は東映『利休に訪ねよ』、松竹『武士の献立』と京都の新作が2本あって幸運な年だった。今年は『るろうに剣心』が席巻した年ということで、“刀のアクションの凄さ”を見てもらいたいと、京都撮影所で作られた時代劇を組んだ。京都発の作品は弱くなっていると言われるが、『るろうに~』をはじめかなりの本数は作っている。時代劇はなくなるどころか、むしろ増えている。誇れる映画を作っている」と“京都の時代劇”に胸を張った。


 【その他の上映作品】
★ヒストリカ・ワールド (世界の新作歴史映画)

暮れ逢い .jpg6日午後1時
  『暮れ逢い』(フランス、ベルギー)

同午後2時55分
パトリス・ルコント監督トークショー

同午後5時半
  『黄金』(13年ドイツ)

 

 

悪戦.jpg7日午後0時、12日午後3時半
 『ガイド少年と盲目の旅芸人』(14年ウクライナ)

同午後3時
  『悪戦』(13年香港)

同午後6時半、11日午後3時半
  『トワイライト・フォレスト』(12年スペイン)

 

★ヒストリカ・フォーカス (日本刀アクション映画の系譜)

人斬り.jpg9日午後6時半
  『人斬り』(69年大映)

10日午後6時半
  『必殺4  恨みはらします』(87年松竹)

11日午後6時半
  『柳生一族の陰謀』(78年東映)

12日午後6時半
  『伊藤大輔初期チャンバラ集』

 

キートンのセブンチャンス.jpg13日午前10時20分  『キートンのセブンチャンス』(25年アメリカ) 活弁とギター伴奏付き

同午後0時20分  『忍者武芸帖  百地三太夫』(80年東映)

同3時20分  『座頭市血煙り街道』(67年大映)

同午後5時50分  『酔拳2』(94年香港)

 
 

RNK2-1.jpg14日午前10時20分  『るろうに剣心』(12年、ワーナー)

同午後1時20分  『るろうに剣心  京都大火編』(14年、ワーナー)

同午後4時  『るろうに剣心  伝説の最期編』(14年、ワーナー)

 


※京都みなみ会館での上映は★ヒストリカ・ワールド

14日午後2時半  『ベル―ある伯爵令嬢の恋―』(13年イギリス)

同午後6時  『黄金』

同午後8時40分  『悪戦』


ほかに★ヒストリカ・トークとして映画祭ナビゲーターの飯星景子さん、東京学芸大学歴史学・大石学教授ほか上映作品と連動したトークショーが多数予定されている。

 (問い合わせは映画祭事務局・075―275―9515)

ryuuguu-550.jpg浦島太郎のお話を人形浄瑠璃により、現代の物語に巧みにリンクさせた『竜宮、暁のきみ』青木克齊監督インタビュー

(2013年 日本 1時間34分)
脚本・監督:青木克齊
出演:石田法嗣、谷内里早、小林ユウキチ
★初日舞台挨拶(11/8 大阪・第七藝術劇場にて)⇒ こちら
★公式サイト⇒ http://ryugu-akatsuki.jp/

11月8日(土)~大阪・第七藝術劇場、11月24日(祝・月)〜京都みなみ会館

★初日舞台挨拶!
 日時:
 11月8日(土)13:30~予定 
 登壇者:青木克齊監督谷内里早


 

~喪失の痛みで現実に向き合えなくなった青年の別れと、再生に向けた一歩~

 
ryuuguu-3.jpg日本人の誰もが知っている浦島太郎のおとぎ話をモチーフに、現代の若者が新たな一歩を踏み出すまでを描いた力作。浦浜太郎は、大学の夏休みに帰省した故郷の海で溺れ、助けようとした親友を喪ったショックから立ち直れず、ぼんやりと無気力な毎日を過ごし、心を閉ざしたまま。事故から1年余りが過ぎようとする、夏のある日、太郎の目前にどこからともなく不思議な少女みずきが現れる。太郎は、みずきとの出会いをとおして、少しずつ変わっていく…。

太郎役は、『カナリア』(2005年)以来、確かな演技力で評価の高い石田法嗣。みずきを、今注目の若手女優、谷内里早が演じる。浦島伝説にちなんだ地名や遺跡などが数多く残されている香川県の西部、荘内半島(三豊市)の美しい海や山を舞台に、人形浄瑠璃を巧みに取り入れ、一人の若者の喪失と再生が描かれ、深い余韻が残る。さぬき映画祭の企画募集に応募し、優秀企画作品に選ばれた「竜宮」を元に、脚本と監督を担当し、初の長編デビューとなった青木克齊監督が広報・宣伝のため来阪。お話をうかがった。
 


 ◆どうして今、浦島太郎を?
ryuuguu-di2.jpg―――浦島太郎のお話が、主人公の太郎の境遇とうまく重ねあわされ、映画の中で生きていました。
監督:亀を助けて、良いことをしたはずなのに、仕打ちみたいなことで終わるという最後の結末が、子供心によくわからなくて、なんでだろうと気になっていて、ずっと好きなお話です。これをモチーフにしたらおもしろい企画になりそうで、人の出会いや別れとか、縁に関わる話にしようと思い、映画の冒頭に出てくる「君に逢ふ夜は浦島が玉手箱 あけて悔しき我が涙かな」という和歌を知った時、これを話の軸にしようと、発想していきました。「あけて」というのは掛詞で、「夜が明ける」という意味と「玉手箱を開ける」という意味があります。夜が明けて悔しくて涙が出るという恋の歌で、男の人が夜、女の人のところにしのんでいって、夜明け方に帰らないといけない、別れがたく寂しいから涙が出るという悲しみを、浦島太郎が玉手箱を開けて、おじいさんになってしまった時の呆然とした思いを、つらさに例えている歌です。それをこの映画の中でできるんじゃないかなと思いました。

 

◆配役について
―――太郎役の石田法嗣さんの表情がよかったですね。
監督:石田法嗣といえば、もっとすごい役者なんです。これは僕がこれから勉強しなければいけないところで、石田君のよさをもっと引き出さなきゃいけないというのが僕の反省点です。せりふが少なく、感情の起伏もあまりない役で、ちょっとした仕草や表情で表現しなきゃいけないので、ものすごく大変だったと思います。石田君は脚本を読みこんで、現場でも、ここはこういう感じでやりたいと思うとか、そういう話は互いにものすごくしました。常に悩みながらやっていたような印象があります。


ryuuguu-2.jpg―――谷内さんも難しい役回りで、元気で明るくて、やたら太郎にかまう感じですが、映画が進むにつれ、印象が変わっていきます。どんな人物として描こうとしたのですか?
監督:太郎のまわりでうろちょろして、沈んでいる彼を楽しませ、前向きな気持ちにさせます。でも、実は、自分の方がずっと深刻な状態にあるというのをうまくやってもらいたかった。自分の人生、深刻な状況は受け入れていて、その上で、自分ができることは何か、太郎をどう救ってあげられるのか、そういうことをやろうとしている人物として描きたかった。しゃきしゃきした明るい人間が、実は、深刻なことを抱えているというのは、よくあります。自分がそういう状態でも、前向きに、楽しい瞬間を明るく過ごすことができる、そんな子に背中を押され、太郎が人生に対して後ろ向きだったのが、前を向くというのを、二人の関係を通して描ければと思いました。谷内さんには、できるだけ自然にということをずっと言い続けていたので、いい意味で、力が入らずリラックスしてやってもらってたかなと思います。


―――谷内さんが踊っている砂浜は、とてもすてきな場所でしたね。
監督:鴨の越の浜辺は、浦島太郎が亀を助けたといわれる場所です。そこを見た時、この映画の舞台になると思い、映画はここから始まりここで終わるようにいきたいと思いました。潮の満ち引きで、あの砂浜の場所が現れたり沈んだりします。崖の上の道から見下ろすと、潮が引いた時は、砂浜が円形に浮き上がって、まわりは水で、海辺の舞台みたいに見えたので、ここで踊ってもらおうと考えました。


◆人形浄瑠璃について
ryuuguu-5.jpg―――人形浄瑠璃の声は、石田さん、谷内さんと、亀の声を子役の丸山歩夢君がやっているのですね。
監督:「浦島太郎」という演目自体、人形浄瑠璃には存在しません。だから、人形浄瑠璃で浦島太郎をやるには、一からつくらなければなりませんでした。該当する役の人に声を当ててもらうアテレコというかたちが一番よいと、オリジナルの人形浄瑠璃をつくりました。振付をしてくれたのは、文楽協会の吉田文司先生です。本物の人形浄瑠璃をそのままやってもおもしろくないと、黒塗りをバックに照明で遊ぶということをやりました。音楽も義太夫節じゃないので、映画音楽をつけ、背景の音で、今、どこにいるのかわからせるようにしました。

亀の人形もなかったので、剥製でいくしかないと決め、人形の大きさを計って、これぐらいの亀の大きさなら、人形が上に乗る時の見え方がおかしくないところで、ヤフーオークションで探しました(笑)その時、世界一、亀の剥製をほしがっていたのは僕だと思います(笑)。


ryuuguu-di1.jpg―――人形浄瑠璃を入れようというアイデアは、いつ思いついたのですか?
監督:プロデューサーとロケハンしていた時、たまたま地元で伝統を引き継ぎながら細々とやっている人形浄瑠璃の保存会(讃岐源之丞保存会)があると知って、映画に使えないかと思い、発想しました。現地に行かなければわからなかったことです。地元に密着したさぬき映画祭という企画にもマッチするし、浦島太郎というおとぎ話をモチーフにした作品にとって、人形浄瑠璃を入れるというのはいいことだと思って、相談しました。

台本の段階で、人形浄瑠璃のシーンをどこに入れるかは決めていて、吉田先生にも、浦島太郎のどういう場面を、どんなシーンの間に入れるか、お伝えした上で、動きをつくってもらいました。現代のお話と浦島太郎の物語をリンクするようにしていましたので、この点は、撮影前後で変わっていません。


◆小道具について
―――太郎が、夜中に、桃を食べるシーンが印象的でした。
監督:太郎が、ひとつ前に進む気持ちを持った瞬間だと思います。桃は仙人の食べ物で、不老長寿とか生命の象徴でもあります。太郎は生きながらに死んでいたわけですから、桃をかぶりつくことで、生きる力を手に入れたい、ということをやりました。もともと、浦島太郎のお話で、太郎に桃をあげた地元の友人・恭平の役を農家という設定にした時、たまたま香川の特産で桃があって、単純に、浦島太郎に対して、桃太郎という遊びをやりたくて、ぴったりだと思い、桃にしました。


ryuuguu-8.jpg―――恭平は、太郎を励ましながらも、時にきついことを言ったり、存在感がありました。
監督:恭平を演じた小林ユウキチ君は唯一、脚本の段階から、彼にやってもらいたいと思って書いた役です。師匠の佐々部清監督の作品の時に、現場で一緒にやっていて、当時まだ彼は17歳くらいで、いいなと思い、いつか一緒にやりたいと思っていました。彼なりにキャラクターをつくってきてくれて、僕のイメージより少し硬派な恭平という役になりました。台本を書いている時から、小道具が何かつながっていくというのは大事にしたいと思い、恭平から手渡された桃を太郎が食べるという流れにしました。


―――小道具といえば、オルゴールがよかったですね。
監督:里早さんに踊ってもらおうと思っていたのでああいうオルゴ-ルを使えば人の想像していないところにつなげられるなと思って、取り入れました。オルゴールの曲は、映画音楽の人につくってもらった曲です。実際のオルゴールは蓋を開けたら音楽が鳴り出す仕組みですが、映画では違う仕組みに変えています。


◆さいごに
―――海の中のシーンの撮影は?
監督:撮影はプールで、背景だけ実際に海に潜って撮ってきた映像と合成しています。夜、溺れているところの光は海の光で、最後、上がっていくあたりは仕込みのライトです。香川県に水深4メートルの飛込みプールが一か所だけあって、そこでロケさせてもらいました。カメラマンは水中にいて、役者が出たり入ったり、石田君は泳げなかったので、練習してもらって、でも、泳げるのと潜れるのはまた違って、苦しみながらやってもらいました。僕はプールサイドにいて、モニターで大丈夫?とか言うだけで、役者とスタッフの力、なにより俳優さんの頑張りです。


ryuuguu-di2.jpg―――監督が一番気に入っているシーンはどこですか?
監督:最後の方の長回しが一番やりたかったことです。太郎が走って海の方にいくのを、本当は、途中で切らないで、一連でやりたかったんですが、単純に、ロケ場所のつながりが、途中に階段があったり、走るには危ない場所があったりで、一連で行けなかったので切りました。車にカメラをのせ、走っていく石田君を撮りました。イメージは、一連でいっているように見せて、海で、太郎がみずきを探すところは、自分でもイメージどおりにやれたかなと思います。


―――最後の場面、余韻が残っていて、いいですね。最後の声は?
監督:男女含めて誰の声と言われても、全部正解だと思います。映画を観られた方がどう考えたかということで、あえて誰の声だかわからないようにしています。


 ―――観客の方へのメッセージをお願いします。
監督:「君に逢ふ夜は浦島が玉手箱 あけて悔しき我が涙かな」の和歌ですね。一歩前に踏み出した感じ。それからタイトルです。夜明けのあなた、というのは、あなたにとっての大切な人は誰ですかということです。観客の方々が感じたままに、それぞれ観たときの印象から、体調にもよるかもしれませんが、自分なりのメッセージをつかんでもらえたらいいなと思います。


自分のせいで親友を死なせてしまい、罪の意識から、自らの時を止め、前に歩けなくなってしまった現代の太郎。海の中の竜宮城でずっと楽しく過ごしたかったのに、玉手箱を開けてしまい、過ぎた時は返らないと嘆く、おとぎ話の浦島太郎。“時”をめぐる二つの物語が、登場人物の声で演じられるオリジナルの人形浄瑠璃を介して溶け合い、海の底の世界や、和歌の言葉の響きと重なり合って、味わい深い世界が広がる。テンポよく展開するドラマは観る者をひきつけて離さない。「脚本の段階でこだわって、あとは、現場での役者さんやスタッフとの化学反応で、いいものを取り入れていきました」という青木監督。第二作目が楽しみだ。 

(伊藤 久美子)

sasara-b-550.jpgハイテンション大泉洋の爆笑トーク炸裂!『トワイライト ささらさや』舞台挨拶

(2014年10月31日(金)19:00~梅田ブルク7にて)
ゲスト:新垣結衣、大泉 洋、深川栄洋監督


『トワイライト ささらさや』

(TWILIGHT SASARASAYA 2014年 日本 1時間54分)
原作:加納朋子「ささら さや」(幻冬舎文庫)
監督:深川栄洋(『神様のカルテ』『60歳のラブレター』)   
脚本:山室有紀子、深川栄洋  
出演:新垣結衣、大泉 洋、中村 蒼、福島リラ、つるの剛士、波乃久里子、藤田弓子、小松政夫/石橋 凌、富司純子

2014年11月8日(土)~新宿バルト9 梅田ブルク7 他全国ロードショー

公式サイト:http://www.twilight-sasara.jp
(c)2014「トワイライト ささらさや」製作委員会


 

~笑いと感動の幽霊話!? “大泉洋”が乗り移った脇役の演技にご注目!~

 

sasara-7.jpg生まれたばかりの息子と身寄りのないお人好しの妻を遺して急死してしまった夫が、心配のあまり成仏できず、周囲の人に乗り移っては妻子を守るという物語。大泉洋が新垣結衣の夫役というのも驚きだが、幽霊が乗り移るシーンでは大泉洋が登場するのではなく、いろんな人が大泉洋になりきって喋るという離れ業を披露して、これがまた抱腹絶倒シーンの連続なのだ。
 

例えば、あの富司純子がお茶漬けかきこんで顎にご飯粒を付けて喋ったり、4歳の言葉の遅れた男の子が急に江戸っ子口調になって“立板に水”の話芸を披露したり、それはそれは意外な驚きで笑いと感動の人情話に仕立て上げている。
 

sasara-6.jpg乳飲み子を抱えて「ささら」という町の人々に支えられながら健気に生きていく主人公さやを演じた新垣結衣と、幽霊となって妻子を守ろうとする夫を演じた大泉洋、そして、脚本も担当した深川栄洋監督が試写会の舞台挨拶に登壇。撮影中のエピソードやハロウィンにちなんだいたずら経験について語ってくれた。
 

終始、大泉洋のペースで進められた舞台挨拶。誰が喋っていても必ず大泉洋のコメントが入る。その一つ一つのコメントに会場は笑いに包まれるのだから、“大泉洋”という人のコメディセンスには恐れ入る。その“大泉洋”になりきって演技する他の役者さんたちはさぞかし大変だったのでは?と想像してしまった。


 *下記は舞台挨拶でのトークです。(敬称略)

sasara-b-2.jpg――― 最初のご挨拶。
新垣:とてもいい映画になっていると思います。素敵な時間をお過ごし下さい。
大泉:高い所から失礼します。この劇場こんなに高かったですか?私はここに来たことがありますか?私をここで見たことのある人?(会場から手が挙がる)すっかり忘れてます。スクリーンも大きいですね。これからこの大きなスクリーンに私が出ますので、「キモ~イ!」とか言わないで下さいね。最後までお楽しみ下さい。
深川:今、雨がパラパラと降ってきましたが、この映画が終わる頃には止んでいると思います。きっと皆さんの心の中に雨を降らせると思います。終映後、胸に手をあててみて下さいね。
 

――― 初めての母親役ですが、難しいところは?
新垣:一人ではなく、夫のユウタロウは幽霊となってずっと傍にいましたので、ささらの町の人々にも支えられていきますし、難しいと思ったことはないです。「さや」は新米ママですので、子供を持ったことのない私だから逆にリアルかなと思いました。撮影が進むにつれて「さや」になっていければいいなと。

 

sasara-b-o-2.jpg――― 大泉さんの今回の役は、今までにやったことがないのでは?
大泉:そうですね~全編死んでるってのは初めてですね(笑)。全編妖怪だったというのは2回ありますが(笑)。死んでいる役ですが、登場する時は生きている時と同じように元気に演じましたので、特別に脈を弱めるというのはなかったですね(笑)。ただ、落語家の役でしたので、いつもより滑舌を良くし声を大きくするとかはしました。でも、私は元々落語が好きですので、楽しくやらせて頂きました。
それより、新垣結衣さんの夫役ですので、そのプレッシャーの方が強かったですね。世の男性のそねみ・ねたみを跳ね返すような決死の覚悟で演じました(笑)。

 

sasara-b-a-1.jpg――― 新垣さん、大泉さんは現場でもずっとこのテンションだったんですか?
新垣:もう少し低かったです。でも、「カメラ大好き!」のお方のようで、メイキングのカメラが回り始めると、途端にこんなテンションになっていました(笑)。
大泉:はい、メイキングのカメラが大好きなんです!(笑)
新垣:サービス精神旺盛なんですよね?

 

――― 深川監督は「追いこむ監督」だとお聞きしたのですが?
深川:そんなつもりはありません。ただ、いい作品になるように、声が大きい方ではありませんので、近くに寄ってボソボソと言っております。
大泉:ボソボソと追い込んでいきますね(笑)。

 

sasara-b-f-1.jpg――― 新垣さんは何か言われたことはありますか?
新垣:ボソボソと仰るので聞き取れなくて、何回か「えっ?」て聞き返してしまい、申し訳なかったです。
大泉:聞こえないんだよね。
深川: 「えっ?」て聞かれると改まってしまい、「僕が思っていることは……」と固くなっちゃうんです。
大泉: (笑)逆に、監督を追い込む主演なんですよ、新垣さんは!
深川:こんなこと初めてだったんで、だんだん心拍数が上がっていって、こんなこと言っちゃいけないなと緊張しました。
新垣:いえいえ、申し訳なかったです。取材中教えてもらったのですが、「ささやきの深川」と言われているらしく、改めて申し訳なかったと思いました。
深川:ささやかせてもらえなかったです。

 

sasara-b-a-2.jpg――― 女性像については?
新垣:女性像に関しては任せて下さったので。
深川: 「さや」という女性像が原作を読んでもよく分からなかったんです。そこで、新垣さんにお尋ねしたら、「何で分かんないの?」という顔をされて、それじゃお任せしますということになったんです。僕が考えてたものの真逆のことを考えておられたので、原作からも大きく違う女性像になっていると思います。
新垣:原作は10年以上前に書かれたもので、今の女性像とは違う感じがしました。今の女性の方が芯が強いのではと思い申し上げたら、受け入れて下さいました。
深川:他の女優さんたちには寄り添いながら演出してきましたが、新垣さんについては遠くから見ていて、「そうですか、それでお願いします」という感じでした。

 

――― ハロウィンにちなんで、いたずらした経験は?
新垣:よくやるのは、隣りの人の反対側の肩をポンと叩いて知らんぷりするのかな?
大泉:そうそう!エレベーターの中で、私のメイクさんの肩を叩いて知らんぷりするんですよ!僕が疑われましたよ(笑)。なんと小悪魔な!
新垣:以前は「膝ガックン」をよくやってましたが、あれは怪我するのでもう止めました。
大泉:怪我した奴いたんですか?
新垣:はい、いましたね。絶対やってはいけないいたずらです!

 

sasara-b-o-1.jpg――― 大泉さんのいたずらは?
大泉:僕はいたずら大好きなんです!あんまり沢山あるので、どれを紹介していいのか……ラジオ番組の収録の時、私が39℃くらいの熱があり具合が悪かったのですが、後輩が来るのが遅れていて、とても腹が立ちました。そこで、そいつに「風邪を移しちゃおう」といういたずらを思い付き、番組の冒頭だけを先に収録して「今から藤尾君に風邪を移そうと思いますので、番組を楽しみにして下さい」と公言しちゃったんです。それから、彼が来てからやたら体を触ったり、「チョコ食べなよ」と口の奥まで手を突っ込んだり、最後にはホッペにチュウまでしました。でも結局風邪は移らなかったんです!(笑)

 

――― えっ、まだあるんですか?
大泉:話はまだまだ続きます!
音尾君(「TEAM NACS」のメンバー)の誕生日にプレゼントを贈るのに、彼の持ち物をプレゼントして、彼がどこでそれに気付くか、といういたずらをしました。まず、彼のCDに僕がサインしてあげたところ、「これ持ってますよ~」。次に、彼のパンツを安田君にはかせて、番組中にパンツを脱いであげたんです。そしたら、「汚ね~!これシミ付いてるじゃないですか~!?」自分のパンツのシミに文句言ってるんですよ。その次は彼のカーテンにメチャクチャな落書きしてプレゼントしたんです。「これって、ウチのに似てるな~?」。終いには、音尾君ちの猫を籠に入れてあげたんです。そしたら、「裕次郎~!!!」って叫んでました(笑)。

 

――― 最後にご挨拶を。
sasara-550.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像深川:この映画は11月8日から公開されます。少しでも皆さんの心に残ればいいなと思っております。ご家族やお友達をお誘いのうえ、また劇場へ足を運んで頂けたら嬉しいなと思います。どうかよろしくお願いいたします。
大泉:3年前のいたずらなんですが……もういいですか?(笑)
この映画は大変楽しく見て頂けるのではないかと思います。ははは~と笑って、ううう~と泣いて、うっうっう~と泣いて、後半泣いてばかりですが(笑)。(語気を強めて)もうすぐ公開されますが、私共がいくら言ってもダメなんです。見られた皆さんが「面白かった!」と言って頂かないと効果はありません。どうか、新垣結衣を男にしてやって下さい!(笑)

新垣:今日もテンション高いですね?大丈夫ですか?
大泉:疲れがピークに達しております。
新垣:いろんな方から取材を受けて、それぞれ感想をお聞きしたのですが、グッときたシーンというのが様々で、こんなにも多くのバリエーションのある映画なんだなと実感しました。今日もいろんな世代の方に来て頂いてますが、きっとグッとくるシーンに出会えると思います。公開されましたら、大事な人を連れてまた見に来て頂けたら嬉しいです。どうかよろしくお願いいたします。


 (河田 真喜子)

 

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