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『イラク チグリスに浮かぶ平和』綿井健陽監督インタビュー

tigris-550.jpg『イラク チグリスに浮かぶ平和』綿井健陽監督インタビュー

(2014年11月5日(水) 大阪セブンシアターにて)

(2014年 日本1時間48分)

監督・撮影:綿井健陽
出演:アリ・サクバン

2014年12月6日(土)~12月26日(金)大阪・第七藝術劇場
2015年1月9日(金)~1月15日(木)神戸アートビレッジ

公式サイト⇒ http://www.peace-tigris.com/
(C)ソネットエンタテインメント/綿井健陽


 

★イラクの“戦後10年”、崩壊家族を訪ねて

 

衝撃的なドキュメンタリー映画『Little Birds イラク 戦火の家族』(05年)から10年、映画監督でフリージャーナリストの綿井健陽監督が撮った“続編”『イラク  チグリスに浮かぶ平和』が完成、12月に公開される。先ごろ来阪キャンペーンを行った綿井監督に聞いた。

tigris-di-1.jpg―――“続編”の製作構想はいつから?
綿井監督「去年、2013年がイラク戦争10年なので、メディア的な発想だけど、そこで公開したかった。そのために2011年ぐらいにイラクに入って、と考えて、実際エジプト経由でリビアへ行くチケットを取っていたが、丁度飛び立つ日に(東日本)大震災が起きて、翌日に福島へ行った。そのため1年遅れた」。

―――結局、撮影に入ったのは?
綿井監督「去年3月から4月にイラク入りして撮影した。顔写真いっぱい持って行って、前回の撮影で知り合った友人たちを訪ね回った」。

―――実際には2007年ごろまでイラクに行っている。
綿井監督「2008年から2013年まで5年は、ビザの問題もあって行けなかった。外務省がイラクの大使館に“フリーランスは入れないように”と言っていたようで、2005年にはヨルダンのイラク大使館で発給拒否されました。スタンプまで押してるのに。政府としては、フリーが勝手に入って、捕まったり処刑されたりしたら責任問題になる、ということでしょう。そういう事件も実際にあったし。フセイン政権崩壊後はビザなしで良かったけど、2007年からビザが要るようになった。だから入国ルートを探しました」。

tigris-7.jpg―――続編を作って感じることは?
綿井監督「Little Birds~は1年間の映画だけど、続編は10年間というスパンでとらえた。前作にも登場した友人のアリ・サクバンが亡くなっていたのには驚いた。2008年に亡くなっていたのに5年間、知らなかった。知るタイミングが遅すぎた。イラクでは、家族、親族の誰かが亡くなっている。実はイラクの死者の公式データはない。英国のNGOが毎日のニュースを調べて集計していて、それによると、少なくとも15万人以上が死亡している。イラクの人口は国連調べで3000万人から3500万人。その5%が死んでいることになる。こんな異常事態が日常化している」。

―――映画に登場するフセイン大統領の銅像をみんなで引き倒す場面で、自由を得たと青年が語っていたが、10年後には「何も手にしていない」と分かる。
綿井監督「銅像を引き倒した瞬間は私もそこにいた。イラク市民たちが銅像を足蹴にしていた。だけどその後、何も変わらず、よけいにひどい状態になった。アリ・サクバンの家族はほとんどが亡くなっていた。イラクは家族が多い。10人兄弟もいて、5 ~ 6人兄弟は普通。サクバンの家は12人兄弟。親族も合わせると30人以上になる。そのほとんどが命を落としている」。

tigris-4.jpg―――10年前はこれで平和になる、という希望もあったが、この映画ではやりきれなさも感じた。
綿井監督「この11年間、爆弾テロや宗派対立がり、武装グループが市民を殺していた。フセイン政権を倒した後、この国はさらに混乱がひどくなった。自由にも民主主義にもなっていない。最悪の結果になった。死んだ人がどうして死んだのか、生き抜いた人はどうして生き抜いたのか、また、死んだ人も生きていたらこうなっていただろう、というところまで表現したかった。足を切断したサッカー選手の話の中で、イラク-シリアのサッカー大会の映像はそんな意味をこめた」。

tigris-6.jpg―――アリの家を訪ねて会った父親は綿井監督を見て「息子を思い出す」と言って悲しんだ。アリの義兄の「みんな平和を望んでいるだけなのに、アメリカが壊した。中東を支配するために」という言葉が重い。   
綿井監督「父親はだれもいなくなった部屋で自殺したいと言った。映画にある通り、私は生きて下さい、と言うしかなかった」。

―――イラクの混乱は分かりにくい。
綿井監督「イラクはフセイン大統領のスンニ派が約2割と少ないが、世界的にはスンニ派が圧倒的に多い。民主化されたイラクではシーア派が逆転し、権力抗争が起き、武力闘争が起こった。いったん戦争が起きると、果てしなく広がっていく。イラクは憲法も国会も出来、形だけは民主国家になって、駐留米軍もいなくなったが…」。

 


 

★激動の90年代、フリーで活動

―――原点の話になるが、綿井さんは映画監督かジャーナリストか、どっち?
綿井監督「ジャーナリストであり映画監督。どちらかと言えばやはりジャーナリスト」。

tigris-di-2.jpg―――大学(日本大学芸術学部)でも放送学科だった。
綿井監督「学生だった90年に湾岸戦争が起こった。89年には天安門事件(中国)もあり、92年にはPKOのカンボジア派遣もあった。カンボジアはベトナムとリンクしていて、ベトナム戦争については、カメラマン、記者の体験記などを読んでいた。学生時代に(ジャーナリストの)原型が固まった。記者志望で新聞、テレビ、雑誌ほとんど全部受けたが、1社を除いて通らなかった。一般企業に就職する意思はなかったので、フリーで活動を始めた。知人に誘われて98年からフリージャーナリスト集団アジア・プレスに入った。ギャランティは最初はなかった」。

―――イラクの仕事で知られるが、様々な事件現場に行っている。
綿井監督「ウーン、好きだから、ですね」。

―――イラクの仕事がいったん決着ついて、次のターゲットは?
綿井監督「今はこの映画に全力ですが、来年は戦後70年の節目の年。テレビ、雑誌、写真も活字も含めて、問いかけたい」。


 (安永 五郎)

 

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