レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

2016年10月アーカイブ

konosekai-550.jpg『この世界の片隅に』片渕須直監督インタビュー

■原作:こうの史代(『この世界の片隅に』双葉社刊)
■監督・脚本:片渕須直
■声の出演:のん、細谷佳正、他
2016年11月12日(土)~テアトル梅田、  イオンシネマ近江八幡、イオンシネマ京都桂川、イオンシネマ茨木、109シネマズ大阪エキスポシティ、シネ・リーブル神戸、MOVIXあまがさき、ほか全国ロードショー
公式サイト: http://konosekai.jp/
■コピーライト:©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会


 

★戦火の中、健気なすずの暮らし

 

こうの史代の原作を片渕須直監督がアニメ映画化した『この世界の片隅に』が完成、公開を前に19日、片渕監督が来阪キャンペーンを行い、作品への思いを語った。


konosekai-di-1.jpg――今夏はアニメが活況だった。『この世界の片隅に』も泣けるアニメだが、原作のどこに惹かれたのか?
片渕監督:主人公が普通に生活していて、ご飯をつくるところがおもしろく丹念に描かれる。そうした普通の生活と、裏庭から見える軍港に浮かぶ戦艦大和が隣り合わせに存在する。そんな日常生活を営む主人公のすずさんは、多少おっちょこちょいでのどかな若奥さん。やがて、そんな普通の人々の上に爆弾が落ちてくることになって、それでも生活は続いてゆく、という物語なのですが、実は、ご飯を作っているあたりでもう感じ入ってしまいました。


――その時点でこうの史代さん(原作者)に連絡を? 
片渕監督:2010年夏に、こうのさんにアニメ化への思いを手紙に書きました。こうのさんのほうでも僕のそれまでの仕事を知っておられて、お互いに影響しあう関係であることが確かめられました。こうのさんは、日常生活の機微を淡々と描く僕の作品のことを、こうした作品を描きたいと思う前途に光るともし火、といってくれました。

でも、『この世界の片隅に』で今回は日常生活の対極に戦争が置かれています。それがかえって毎日の生活を営むことの素晴らしさを浮き上がらせています。アニメがテレビ放送されてから50年経ち、視聴する年齢層も高くなり、興味の内容も幅広くなっている。そうした観客を満足させられるものを作りたかったのです。自分がチャレンジするべき作品だと強く思いました。


konosekai-500-1.jpg――戦後71年の今年、公開される意義も大きいと思うが? 
片渕監督:今年の8月16日付け朝日新聞夕刊1面にこの映画の記事が載りました。原爆の日ではなく、終戦の日でもなく、その翌日に載ったことの意味は大きいと思います。戦争は終わっても、人々の毎日の営みは終わらない。生活は続いていきます。映画制作中に東日本大震災が起き、普通の生活が根こそぎひっくり返ってしまう、まるで昭和20年の空襲と同じようなことを経験しました。苦境にあえぐ人々がいれば、また彼らを救おうとする動きもありました。そうした人の心は空襲を受けた当時にもありました。たくさんの資料をリサーチする中で当時の人たちの気持ちがよく分かったんです。

あの時代のことはテレビや映画でいっぱい見ているつもりになっていますが、そうした時代を描く記号になっている女性のモンペだって、戦争中期まではほとんど履かれてないんですね。理由は簡単で、“カッコ悪い”からというのでした。素直に納得できて、あらためて当時の人々の気持ちが実感されてくるととても新鮮な感じがしました。『この世界の片隅に』は、そんなふうに当時の人々の気持ちを、今ここにいる自分たちと地続きなものとして捉え直す物語です。


――監督は当然、戦争体験はない。こうした戦争時代の映画を作るのはなぜ? 
konosekai-di-2.jpg片渕監督:私は昭和35年生まれなので、昭和30年くらいまでならば思い浮かべることが出来る。けれど、その10年前の戦時中の世界とのあいだには断絶があるように感じられた。でも、本来は“陸続き”なんです。ひとつひとつ”理解”の浮島を築いていって、この時代に踏み入り、やがて気持ちの上で陸続きなものとしていってみたい。そんな冒険心がありました。すずさんがその道案内です。


――すずの声はアニメ映画初出演ののんちゃん。「少しボーっとした、健気でかわいい」イメージ通り!ぴったりでしたね?
片渕監督:試写を始めると同時に彼女の評価が高まりましたね。彼女は、収録に先立って“すずの心の奥底にあるものは何ですか?”と問うて来ました。彼女は表面的にも面白く演じ、でもそれだけでなく人物の根底にあるものから理解した上ですずさんを作り上げようとしたのです。


――劇場用アニメは2000年『アリーテ姫』、2009年『マイマイ新子と千年の魔法』以来、3作目だが“やり終えた”感が大きい?
片渕監督:映画とは観ていただいた方の心の中で完成するものだと思っています。本当の満足は映画が多くの方々に届くはずの“これから”ですね。


 
konosekai-500-2.jpg★アニメ映画『この世界の片隅に』

 
第13回アニメ芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞したこうの史代原作を、片渕須直監督が劇場版映画にした素朴な珠玉のアニメ。「少しボーッとした」かわいいヒロインすずを女優のん(本名 能年玲奈)がアニメ初出演で好演。


1944年(昭和19年)、すず(のん)は18歳で呉にお嫁にくる。世界最大と言われた「戦艦大和」の母港で、すずの夫・北條周作も海軍勤務の文官。夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しいがその娘の晴美はおっとりしてかわいい。配給物資が減っていく環境の中、すずは工夫を凝らして食卓を賑わせ、服を作り直し、時には好きな絵を描く。ある日、遊郭に迷いこんだすずは遊女リンと出会い、巡洋艦「青葉」水兵になっていた小学校の同級生・水原哲とも出会う。
 

苦しいながらも穏やかな暮らしが3月の空襲で破られる。そして、昭和20年の夏。8月6日へのカウントダウンが始まる。広島の隣町の、呉ですずは戦火をどう潜り抜けるのか…。ほのぼのとした穏やかな絵に滲むスリリングな予感が見る者を釘付けにする。
 


◆片渕須直監督(かたふち・すなお) 1960年8月10日、大阪・枚方市生まれ。

アニメーション監督、脚本家。日大芸術学部映画学科でアニメーション専攻。現国立東京芸術大学大学院講師。在学中に特別講師として来た宮崎駿監督と出会い、1989年宮崎作品『魔女の宅急便』の演出補に。その後、虫プロの劇場用アニメ『うしろの正面だあれ』の画面構成を務めた。1998年『この星の上に』はザグレブ国際アニメーション映画祭入選。1999年アヌシー国際アニメーション映画祭特別上映。2002年『アリーテ姫』東京国際アニメフェア長編部門優秀作品賞。2009年『マイマイ新子と千年の魔法』オタワ国際アニメーション映画祭長編部門入選。

 

(安永五郎)

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岡山の桃農家役にチャレンジ。「人のつながり、温かさを感じたままに表現した」
『種まく旅人 夢のつぎ木』主演、高梨臨さんインタビュー
 
第一次産業を応援する『種まく旅人』シリーズの第三弾、『種まく旅人 夢のつぎ木』が、10月22日(土)から岡山県先行ロードショー、11月5日(土)から大阪ステーションシティシネマ、T・ジョイ京都、11月12日(土)から109シネマズHAT神戸他全国順次公開される。
 
第一弾は大分県白臼市の有機お茶づくり、第二弾は兵庫県淡路島の玉ねぎ栽培と海苔養殖を描いてきたが、『種まく旅人 夢のつぎ木』では、岡山県赤磐市の桃農家を題材に、数々の地方を舞台にしたヒューマンドラマを世に送り出してきた名匠、佐々部清監督がメガホンをとった。
 
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東京で女優になる夢を諦め、兄亡き後は一人で桃農家を継ぎながら市役所で働くヒロイン彩音には、アッバス・キアロスタミ監督『ライク・サムワン・イン・ラブ』をはじめ、映画、ドラマと出演作が絶えない高梨臨。農林水産省から派遣された職員、治を今一番多忙な俳優の一人、斎藤工が扮し、二人が不器用に気持ちを通わせながら、挫折しても諦めず、つぎ木のように夢を膨らませていく様子が描かれる。薄暗い桃畑にオレンジ色の防蛾灯が灯る幻想的な風景や、たわわに実る桃の木、そして春には桜のように美しいピンクの色に包まれる桃の花。赤磐市の自然豊かな情景の中、地元の人たちと支え合いながらこの地に根を張って生きていく彩音を、高梨臨が等身大で演じ、共感を呼ぶ。第一弾で主人公を演じた田中麗奈や吉沢悠、農林水産省の上司を演じる永島敏行と、シリーズならではのつながりをさりげなく感じさせる演出も健在だ。
 
本作のキャンペーンで来阪した主演、高梨臨さんに、岡山県赤磐市での撮影や、「夢のつぎ木」というサブタイトルに込められた意味についてお話を伺った。
 

―――『種まく旅人』シリーズ第三弾であり、岡山の桃農家を題材にした物語ですが、最初オファーされた時の印象は? 
高梨:脚本を読んだときに、人と人とが関わっていく温かい話だと感じました。私は岡山県には行ったことがなく、桃畑の風景も想像できなかったですし、小学校以来、農作業のような形で土を触ったことがなかったので、面白そうだなと思いながら、どんどん想像を膨らませていきました。他にも、脚本に書かれていた防蛾灯がどんな物か分からなかったのでインターネットで調べてみると、とても幻想的だったので、興味が湧きましたね。
 
―――実際にロケで舞台となる岡山県赤磐市に行かれて、どんな発見がありましたか?
高梨:桃の木は見たことがなかったのですが、接ぎ木をして、どんどん横に大きくなっていたのに驚きました。また、ロケのためにお借りした家から畑まで一本道で、撮影中は何度も往復していたのですが、そこを歩くだけで桃のいい香りがして、ワクワクしました。
 
 
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―――高梨さんが演じた彩音はどういう女性と捉えていますか?
高梨:本当に普通の人です。笑ったり、怒ったり何でもしますし、強い部分もあれば弱い部分もあって人間らしいなという印象です。佐々部監督からも、本当にナチュラルに演じてほしいと言われました。「彩音と高梨臨の中間で」と指示されていたので、桃についての知識はもちろん入れましたが、彩音を演じるための特別な役作りはせず、私そのまま。言うならば、「もし私が岡山に住んで、桃農家をやっていたら」という感じでしょうか。
 
―――クライマックスでは、ずっと彩音の様子を気にしていた地元の小学生が走り去るのを、ご当地の桃キャラクターに扮したままの彩音が追いかけるロングショットのシーンがあり、とても印象的でした。
高梨:暑い中、ももちゃん(赤磐市マスコットキャラクター、「あかいわももちゃん」)
の着ぐるみを着て走るのは大変なシーンではありましたが、ももちゃんにはすごく愛着があり、私の分身のように思っていたんですよ。赤磐市の備品で、元々は人が入っていない設定のキャラクターだったそうですが、映画で私が使わせていただいて解禁になったようです。ほぼ順撮りだったのですが、あのシーンでは撮影が終わりかけている淋しさを感じていました。リョウタ役の男の子が本気で走るので、私も走るのが好きですし、負けていられないと思って走りましたね(笑)。
 
―――彩音が桃の収穫や手入れをするシーンも多かったですが、地元の農家の方から手ほどきを受けたのですか?
高梨:収穫がほぼ終わった後に撮影に入ったので、実際には美術の方が包み直して下さったもので撮影したのですが、結構収穫しきれない桃が下に落ちていました。それほど収穫するのは大変だということを、実際に見ることができましたね。収穫の時期には、遠方に住んでいるご家族が手伝いに来られることも多いそうです。撮影中は毎日のように桃や、少し後の時期にはブドウなど本当に贅沢な果物の差し入れをいただきました。暑かったので、氷で冷やして持ってきてくださり、それがとてもパワーになりました。
 
―――映画からも赤磐市の方々が街ぐるみで応援されていることが伝わってきました。
高梨:エキストラの方もほとんどが赤磐市の方々が本当に暑い中協力してくださいましたし、市の職員の方とお食事しながらお話をしていても、映画に対する愛情や、赤磐市を盛り上げたいという話をしてくださいました。私も市長さんをはじめ、赤磐市の方の熱い思いを聞けるのはとても嬉しいですし、宣伝なども頑張らなければ!と思いましたね。
 
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―――東京からやってきた農林水産省職員、木村治役の斉藤工さんも普通の青年を独特のユーモアを交えながら演じていましたが、共演していかがでしたか? 
高梨:斎藤さんは面白いですし、安心できる空気感を作ってくださいました。くだらない話ばかりしていたのですが、私と斎藤さんの関係が、彩音と治の関係にもいい影響を与えているなと思います。たくさん会話をしたので、治がくだらないことを言って、彩音が呆れる等、自然とコミカルなテンポになっていきました。
 
―――佐々部組の常連俳優として、本作でも井上順さんが彩音の桃の取引先である酒屋役、や津田寛治さんが市役所の上司役で登場し、脇を固めていますね。
高梨:井上さんはすごく温かい方で、最初に「ご飯に連れていくから、場を作ってほしい」とおっしゃって、その場があったから佐々部監督ともさらにお話できるようになりましたし、みんなでご飯にも行くようになりました。太陽より明るいのではないかというぐらい、本当に明るい方でしたし、私にも気さくに話かけてくださいました。津田さんは、本当に課長ような感じで、彩音がちょっと舐めかかっている感じで接しているように、私も接することができました。優しいし、面白いし、津田さんが先に撮影が終わって帰られる時は淋しいぐらいでした。本当にいい上司でしたね。
 
―――本作はテーマが「夢」ですが、高梨さんご自身の夢や思い描いていることは?
高梨:とにかくやったことがないこと、知らないことには常にチャレンジしたいというモットーがあります。佐々部監督がおっしゃっていたのですが、本作は「夢のつぎ木」というサブタイトルがあります。彩音は東京で女優になるという夢を諦め、赤磐に帰ってきます。そこで、兄から受け継いだ桃があった。でも品種登録が許可されず心が折れてしまうけれど、斎藤さん演じる治に出会い、また桃を頑張ろうという新しい夢がつぎ木のように生まれ、また伸びていく。それはとても素敵だと思います。夢は必ずしも全てが叶うものでもなければ、達成できないこともたくさんありますが、それは別の夢に向かうような種を撒いているのかもしれません。ダメだったところからつぎ木をして、新しい芽が見えたらいいなと思っています。一つ一つの出会いを大切にしようと、この映画を通じて感じました。
 
―――普通は一度枝が折れてしまうと、挫折してしまいますが、とてもポジティブなメッセージですね。
高梨:「ここはどこですか?」「赤磐です。」というのが一つのキーワードになっているのですが、脚本を読んでいるときはピンとこなかったのです。でも、撮影で3週間赤磐市に滞在し、赤磐市の皆さんと触れ合い、お話するうちに、「ここはどこですか?」「赤磐です。」だけで成立するものを感じました。すごく素敵な街でしたね。
 
―――高梨さんは、20代前半でアッバス・キアロスタミ監督『ライク・サムワン・イン・ラブ』、後半で『種まく旅人』に出演され、それぞれご自身のキャリアにも大きな影響を与える作品になったと思います。高梨さんにとって、どのような位置づけの作品と捉えていますか?
高梨:アッバス・キアロスタミ監督の時は脚本も説明もなく、言われるがままに演じていたので、監督に上手く転がされてヒロインの明子が作られていきました。キアロスタミ監督に騙されましたね(笑)。本当にそのままの私で、とても素の自分に近い話し方や反応をしていました。当時は作品を観ても「なんだ、これは」と思ったのですが、数年後見返した時に、このお芝居は、やろうとしてもできないということに気付いたのです。いつでも撮影当時のフラットな状態に戻せるつもりでいたのですが、久しぶりに観ると、これが「自分の中の最高の芝居ではないか」と思うことがあります。それを越えたいと今も頑張っている感じですね。『ライク・サムワン・イン・ラブ』は私にとって運命の作品。これをきっかけにご縁をいただいて、仕事をたくさんさせていただくようになり、知らないうちに色々な技術が身についてきたと思います。
 
今回久しぶりに佐々部監督のような名匠の作品に出演することになり、芝居をフラットにし、監督が余分なものをそぎ落としてくれました。リセットしてくれた作品ですし、とても貴重なものになったと思います。
 
―――最後にメッセージをお願いいたします。
高梨:この映画は桃農家に関することも盛り込まれていますし、岡山県の皆さんが大切に思ってくださる映画になればいいなと思います。誰が観ても楽しめるエンターテイメント性のある人間ドラマですし、岡山県赤磐市で撮影をして感じた、人と人とのつながりがとても密で、温かいからこそ感じるほっこりした部分を、私が感じたままに表現しました。みなさんにも、この映画の温かさを感じてもらえればうれしいです。
(江口 由美)
 

<作品情報>
『種まく旅人 夢のつぎ木』(2016年 日本 1時間46分)
監督:佐々部清
出演:高梨臨、斎藤工、池内博之、津田寛治、升毅、吉沢悠、田中麗奈、永島敏行、辻伊吹、海老瀬はな、安倍萌生他
10月22日(土)~岡山県先行ロードショー、11月5日(土)~大阪ステーションシティシネマ、T・ジョイ京都、11月12日(土)~109シネマズHAT神戸他全国順次公開
 (C) 2016「種まく旅人」製作委員会
 

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珈琲を飲む時間のように「明日も頑張ろう」と思える映画を
『函館珈琲』西尾孔志監督インタビュー 
 
 “映画を創る映画祭”として函館でスタートした「函館港イルミナシオン映画祭」から、シナリオ大賞映画化プロジェクト第一弾として誕生した映画、『函館珈琲』が10月29日(土)からシネ・リーブル梅田を皮切りに、関西ではイオンシネマ京都桂川、京都みなみ会館、元町映画館他順次公開される。  
 
大阪出身の西尾孔志監督(『ソウルフラワートレイン』)がメガホンをとり、いとう菜のはが同映画祭シナリオ大賞を受賞した脚本を映画化。函館にあるアーティストの卵が集う「翡翠館」を舞台に、夢と挫折の狭間でなんとか自分の居場所を見つけようとする30代男女の群像劇をしっとりとした映像で描写。どこか飄々としたクスミヒデオ(赤犬)の音楽や、テディーベア、とんぼ玉、ピンホールカメラの写真などが並ぶアーティストたちの住まいなど、アート好き、カフェ好きが和める雰囲気が漂う。ゆったり珈琲を片手に、肩の力を抜いて楽しめる作品だ。 
 
本作の西尾孔志監督に、このプロジェクトに関わった経緯や意義、脚本から浮かび上がらせたこと、函館で映画を撮った感想についてお話を伺った。  
 

―――本作を企画した函館港イルミナシオン映画祭(以下イルミナシオン映画祭)と接点を持ったきっかけは?  
西尾監督:イルミナシオン映画祭で『ソウルフラワートレイン』と『キッチンドライブ』を上映して下さったのですが、その時同映画祭のシナリオ大賞を受賞したのが、いとう菜のはさんのシナリオだったのです。映画祭に行くと、僕は関係者の皆さんたちと映画を観るのもさることながら、よく飲みに行くのですが、その席で受賞シナリオの監督をやってもらえないかと声をかけられたのが本作につながりました。 
 
 
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 ■社会に認められている自分という確たるものがないまま生きている30~40代を描く。 

―――実際に、受賞シナリオを読んでの感想はどうでしたか? 
西尾監督:自分も含め30~40代の人間が、「大人になる」ということが良く分からないまま、宙ぶらりんに生きている感じがあります。年を取ってきたので、大人の顔つきはしているけれど、社会に認められている自分という確たるものがないまま生きている。10~20代前半の人たちのこれから社会に出ていくドラマは昔からよくあるのですが、いとう菜のはさんの脚本は、30~40代が今どうやって社会で生きていこうかと考えている内容だったので、自分がやりたいテーマと合うと思いました。若い頃は感覚で動きますが、その年代は、まじめに考えすぎて身動きが取れなくなるのです。 
 
―――社会で一度挫折を経験したような年代の青春群像劇とも言えますね。 
西尾監督:菜のはさんとは受賞したシナリオから撮影用の脚本になるまで、かなりやり取りをしました。元々は登場人物それぞれがあまり対立しないので、小道具を盛り込んだりして登場人物が少し感情をぶつけ合う場面を書いては投げてというキャッチボールをしましたね。  
 
―――小道具といえば、皆が待っていた家具職人藪下の代わりにやってきた主人公、桧山は藪下が作った椅子を持ってきます。この椅子は藪下の不在を埋める重要な役割を果たしていました。
西尾監督:そうですね。その椅子には藪下を巡って過去にあったかもしれない様々なことを託しました。ファーストカットは椅子が荷物と一緒に運ばれるシーンです。時子や一子たちは座りますが、桧山はその椅子には座らず、ラストシーンも椅子で終わります。気付かない人も多いでしょうが、よく見ると「そういうことだったのか」と思えるように作り込んでいますし、桧山と先輩藪下との関係も新たな発見があるのではないでしょうか。  
 

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■函館は北海道のラテン。関西でのやり方で映画が撮れると確信した。 

―――西尾監督は今まで大阪で映画を作ってこられましたが、今回初めて函館で映画を作った感想は?撮りやすかったですか?
西尾監督:函館の映画は今まで割と「淋しい」とか「寂れている」という印象があったのですが、映画祭で出会った方たちは、みなさん陽気な方ばかりで、それこそ天神橋商店街のお好み焼き屋に入ったらいそうなおばちゃんとかがたくさんいらっしゃるんですよ。ぐいぐい来る感じで、函館の方自身も“北海道のラテン”と思っていらっしゃるようです。イルミナシオン映画祭の委員長も本当にムードメーカーですし、函館という街の温かさに触れ、僕が今まで関西でしてきたやり方で映画が撮れると思いました。とはいえ、関西色を盛り込み過ぎて、一度プロデューサーから怒られました。「登場人物が全員、関西人のノリになってる!」って(笑)。  
 
―――確かに、函館の方がそんなに陽気だというのは新たな発見ですね。西尾監督作品のカメラマンは今まで高木風太さん担当が多かったですが、今回は上野彰吾さんが担当されています。カメラマンが変わると、随分映画の雰囲気が変わりますね。 
西尾監督:撮影の上野彰吾さん、照明の赤津淳一さん、美術の小澤秀高さんという、この三人の力は非常に大きかったです。高木さんのように同年代の人たちとワイワイ作るという雰囲気ではなく、優しさの中にもどこかピリッとしたところもありました。僕の映画は軽いタッチが多いのですが、上野さんが撮ると重みとしっとりさが出るんです。また美術の小澤さんは、蔵のような場所を人が住んでいる場所に見事に変えて下さいました。 
 

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 ■「なんとなくいい話」より、帰ってからも思い出してもらえるシーンを盛り込んで。 

―――クスミヒデオさんの音楽は西尾さんらしさを感じましたが、今回のコンセプトは? 
西尾監督:音楽は僕の好みを表している部分なので、『ソウルフラワートレイン』から一緒にさせていただいているクスミさんにお願いしました。あまり欝々とした雰囲気にはしたくなかったんですね。上野さんのカメラはしっとりとしていますが、カット割りやカメラの感じ、音楽などの好みはしっかり加えたいなと。ちょっとあがきましたね。先ほどの椅子や音楽にこだわったりすることで、大量生産される地方の観光映画的な作品にはしたくなかったんですね。もちろん函館をいいイメージにしたいという気持ちはありますが、ただ単に風光明媚な場所が出てきたり、なんとなくしっとりとしたいい話で終わるより、映画として帰ってからも思い出すようなシーンを盛り込んでいきました。   
 
―――キャスティングですが、夏樹陽子さんが『翡翠館』館主役で出演されています。 

 

西尾監督:夏樹さんも『あいときぼうのまち』がイルミナシオン映画祭で上映されたときに、函館にいらしています。夏樹さんは最近インディーズ映画にもよく出演されていて、企画や脚本が良ければ出てくださるとのことだったので、読んでいただいて出演を快諾いただきました。  
 
―――劇中の台詞で「この街は流れる時間がちがう」とありますが、実際、函館の時間の流れ方をどう感じましたか? 
西尾監督:大阪とは全然違いますね。真ん中に路面電車が走り、和のテイストが入った洋館もたくさんあります。街の時間の流れ方が上品というか、ええ感じですね。冬になって雪が積もると、また雰囲気が変わります。それに港町なのであか抜けていますね。撮影前、2~3週間先に行って、しばらく住んでいましたが、もし別荘を持てるのなら、函館がちょうどいいなと。自転車で飲みに行けるところもあり、そこにきちんと文化があるという、コンパクトな規模感が本当にいいです。
 
―――今までとは全く違うスタッフとの映画づくりでしたが、それを通じて学んだことは?
西尾監督:プログラムピクチャーではないですが、職業監督なら誰もが経験することを僕は今回初めて経験させてもらいました。なかなか作品を客観視することができなくて、今回は今まで撮ってきたようなコメディじゃないので笑うシーンも少ないこともあり、きちんとお客様に作品が届いたのか分からなくてドキドキしましたが、公開初日に映画好きの友人が好意的なつぶやきをTwitterでしてくれていたのを観て、やっと安心しました。次はオリジナル脚本で映画を撮りたいですね。  
 

■みんなが悩んでいることを柔らかく取り込みながら、コメディー的作品を作りたい。 

―――それは楽しみです。オリジナル脚本の構想は既にあるのですか? 
西尾監督:全部で三本考えています。一つ目はこじんまりとしたコメディーで、都会からアートフェスティバルをしにやってきた人たちを田舎の街づくりNPOが食い物にされるのではなく、逆に食い物にしてしまうピカレスクロマン。二つ目は年代が違う4人の女性が団地で一人暮らしをするオムニバス。三つ目は60代になったらシェアハウスをして、有名アイドルオタク生活を続けようとする人たちのコメディーです。僕は社会をえぐるような硬派な作品を作るタイプでもないし、アートに近いような作家性を出すタイプでもありません。大阪育ちなので、目の前で生活している人の悲喜こもごもや、今みんなが気にしたり悩んでいることを柔らかく取り込みながら、コメディー的なパッケージで作品を作りたい。そういう方向が僕には向いていると思いますね。 
 
 
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 ■『函館珈琲』はイルミナシオン映画祭が資金、スタッフ集めから興行まで全て行った第一作。軌道に乗れば、他映画祭とは違う特色を打ち出せる。

―――西尾監督はCO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)の運営に携わっておられた時期があり、また本作はイルミナシオン映画祭から誕生した作品です。このような映画祭が次の時代の映画人を育てていく場所になればいいですね。 
西尾監督:イルミナシオン映画祭は受賞シナリオを映画化していますが、初期段階はグランプリをとった脚本を制作会社に渡して映画制作を行っていたそうです。今回初めてイルミナシオン映画祭がお金もスタッフも集めて作ったのです。そういう意味では、『函館珈琲』は自分たちで作った初めての映画で、みなさん本当に大変だったと思います。イルミナシオン映画祭は映画を作ると宣言し、もう2本目も制作中です。多くの映画祭は助成をしても一部で、残りは監督が負担することがほとんどなのですが、イルミナシオン映画祭はお金だけでなく、興行まで含めて全てやる訳ですから、気合が違います。この映画制作が軌道に乗っていけば、他の映画祭とは違う特色を打ち出せるのではないでしょうか。 
 
―――最後に、メッセージをお願いします。
西尾監督:『函館珈琲』は、珈琲を一杯飲むときの、立ち止まって考える時間や物思いにふける時間の大事さや、その時間そのものを映像にできればという気持ちで撮りました。忙しい生活の中、ほっと一息つきたいときに観ていただければうれしいです。人生をかけて気合を入れるような映画も大事ですが、アメリカのインティーズ映画の小品でよくあるような疲れない映画、明日も頑張ろうと思える映画がもっとあっていいなと思いますね。それこそ、昔のプログラムピクチャー的な作品がなくなっているのは、すごく勿体ないですから。
(江口由美)  
 

<作品情報> 
『函館珈琲』
(2016年 日本 1時間30分) 
監督:西尾孔志  
脚本:いとう菜のは 
出演:黄川田将也、片岡礼子他 
10月29日(土)からシネ・リーブル梅田、11月19日(土)、20日(日)イオンシネマ京都桂川、今冬京都みなみ会館、元町映画館他順次公開 
(C) HAKODATEproject2016 

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喪失は失った後が長く、一生付き合っていくもの。
『永い言い訳』西川美和監督インタビュー
 
『蛇イチゴ』(03)、『ゆれる』(06)、『ディア・ドクター』(09)、『夢売るふたり』(12)と、コンスタントに優れたオリジナル脚本による作品を作り続けている西川美和監督。4年ぶりの最新作『永い言い訳』は、『おくりびと』(08)以来7年ぶりの主演となる本木雅弘と初めてタッグを組み、歪んだ自意識を持つ売れっ子小説家、衣笠幸夫が妻の事故死をきっかけに、改めて妻のことを知り、大きすぎる名前(鉄人の異名を持つ元広島カープの名選手、衣笠祥雄と同姓同名)の自分を受け入れ、そして生きる姿を丁寧に描いている。
 
同じく事故で妻を失った正反対の性格の陽一(竹原ピストル)やその家族とのふれあいを通じ、被害者同士がいつしか疑似家族のようになる姿や、亡くなった後に知る妻の真実に動揺する姿など、簡単に言い表せない複雑な心境を本木らが体現。スーパー16ミリで撮影された映像の豊かなニュアンスを味わい、かつ観終わっても後々カウンターパンチのようにじんわりと効いてくるヒューマンドラマだ。本作の西川美和監督に、本木さんに託した主人公幸夫の狙いや、現場のエピソード、撮影面のこだわりについて、お話を伺った。
 

■崩壊がクライマックスではなく、崩壊が前提の話を作る。 

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―――理不尽な別れの後、それでも生きていかなければいけない人々の物語ですが、なぜこのタイミングで、この物語を描こうとしたのですか?
西川監督:アイデア自体は東日本大震災の年の暮れぐらいに思いついていました。ただ振り返ってみると、今までは一見平穏な関係性やうまくいっているものが、何かのきっかけでほころびはじめ、本質がむき出しになり、最終的には崩壊する。でもその崩壊が、もしかすれば新しいスタートかもしれないという物語を作ってきました。でも崩壊のその後が、崩壊に向かうプロセス以上に困難なのではないか。年齢を重ねるごとにその思いが強くなってきました。震災以前にも、私自身も色々な人との別れがありましたが、自分の人生がそれで終わりではなく、失った後が非常に長いのです。喪失は、克服すると簡単にいえるものではなく、一生付き合っていくもの。だから、崩壊がクライマックスではなく、崩壊が前提の話を作ろうと思いました。
 
―――曲がった自意識や弱さを持つ主人公幸夫に監督ご自身を投影させたとのことですが、なぜあえて主人公を男性にした
西川監督:私は男性の主人公を書くことが多いのですが、今回特に自分自身の実感も含めて、思い切って色々なことを告白していかなければいけないと思っていました。その際に女性を主人公にすると、私の生き写しのようになってしまい、逆に少し躊躇してしまう。「これは監督、あなた自身の話ですよね」と言われるのは恥ずかしいのです。そこで、いい格好をしたり、良く見せようとしないために、異性の仮面を借ります。その方がむしろ大胆に切り込め、主人公もいじめられますから(笑)。私の”恥”を本木さんに演じていただきました。
 
 
 

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■顔がいいがために自意識が肥大する気の毒な男を、本木さんにはコミカルに演じてもらいたかった。

―――幸夫役は最初から本木さんと決めていたそうですが、その理由は?
西川監督:周防正行監督の『シコふんじゃった。』(92)を見させていただいた時から、若い頃の本木さんは華のある二枚目にも関わらず、クールさだけではない、どこかコミカルで、困難に立ち向かって七転八倒する主人公がよく似合う方だと感じていました。そういう意味で、溌剌とした二枚目の活劇が書ければいつかご一緒したいと思っていました。今回は、「顔が良すぎるところが幸夫の運の尽き」。つまりもっと平凡な容貌なら楽に生きられたかもしれないのに、幸か不幸か綺麗な容貌に生まれついたばっかりに、外見とは裏腹な中身の平凡さや醜さとのギャップにつまずき、ますます自意識が肥大してしまった気の毒な男の話でしたから、二枚目に演じてもらわなければならない。そして、本木さんにもう一度、若い頃のコミカルさを演じてもらいたかったのです。
 
―――本作の撮影は一年にも及んだそうですが、本木さんとどのように幸夫を作り上げていったのですか?
西川監督:本木さん自身の性格が本当に幸夫とダブっていて、それこそ虚実ない交ぜになるというか、映画の中の登場人物が、本当に私にあれやこれやと毎日質問してきている感じです。「あなたのことばかり、見ている訳にはいかないですよ」と思いながら(笑)。でもこれだけ人間の隠しておきたい欠点のようなものを前面に出さなければならない役でしたから、そういう新しいものに挑戦している興奮もあるかと思います。きっとご本人はしんどいところもあったでしょう。私は本木さんの中の”本木さんらしさ”が出れば、この映画はすごく真実味のあるものになると思っていました。
 
―――本木さんご自身も、幸夫に似ていると感じていたのでしょうか?
西川監督:本木さん曰く「私自身は幸夫よりもっとねじくれていて、救いようのないパーソナリティ。でも映画はどんなにねじ曲がった主人公であろうと、どこかお客様にエールを送ってもらいながら見ていただかなくてはならないもの」。だから、どの程度自分を見せればいいのかを悩みながら、演じてくださっていました。
 
 
 
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■自分以上にこの作品のことを心配してくれている人間がいるということに、深いところで支えられた。

―――自分をさらけ出すさじ加減が難しい役に挑まれたのですね。
西川監督:私も色々な俳優の方と仕事をしてきましたし、どの主演俳優からも助けらてきましたが、撮影期間が長かったこともあって、中でも本木さんとは本当によく話し合いました。主演俳優が監督以上に作品に熱中し、我が事のように悩み、七転八倒してくれるというのは、監督にとってこれほど孤独から解放されることはない。自分以上にこの作品のことを心配してくれている人間がいるということに、深いところで支えられてきたと思います。
 
―――深津絵里さん演じる妻、夏子は冒頭しか登場しませんが、夏子の言うことなすことを、幸夫が否定的な言葉で返し、夫婦関係を浮かび上がらせています。その会話の機微に惹きこまれましたが、どころからアイデアを得ているのですか?
西川監督:両親が不仲ですからね(笑)。相手を傷つけようとする言葉ではなかったはずが、一度ボタンをかけ違えるとゴロゴロ転がり続ける夫婦の会話を子どもの頃から見てきたからではないでしょうか。男女のコミュニケーションのかけ違え方のパターンを会得した気がします。でも、根底には甘えがあるでしょう。相手はずっとここにいてくれるし、どれだけ傷つけても自分の味方に違いない。そう思っているから、幸夫はあのような言葉を言い放つことができる。その日常が何かの力で奪われるという想像力を働かさない人間の性質が出ればと思い、書きました。
 
 

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■カメラが回っていないところでの出演者たちの気持ちの繋がり、子どもたちとの関係性に嘘がなかった。

―――夏子と一緒に事故で亡くなった友人、ゆきの夫陽一を演じる竹原ピストルさんも、はまり役でした。幸夫とは正反対のキャラクターとして登場し、本木さんが心血を注いだ幸夫を受け止めるような演技が光っています。
西川監督:実生活でも本木さんとは真反対の生き方、性格の人を探しました。竹原さんと本木さんは外見的にもその人生も全然違いますし、地球の裏側に連れていっても全然違うように見える人が良かったのです。竹原さんとお会いすると、実際は大宮陽一よりもずっと繊細で言語的。そして、人も羨むような魂のストレートさがある方でした。本木さんが「今まで培ってきた技術では太刀打ちできない、どうしよう!?」と思うような人がいいなと思っていましたし、実際そういう面もありましたが、一番良かったのは本当に水と油のようでありながら、本木さんが竹原さんのことを本当に眩しいと思い、憧れ、好きになってくれたことです。
 
―――中盤、幸夫と陽一一家が疑似家族のようになります。大事な家族を亡くして傷ついていながらも続く日常に、一時的とはいえ幸せと感じる瞬間を映し出していますね。
西川監督:子どもたちも含めて、本当に幸福感がある4人でした。ずっと4人で一緒にいるのではないかというぐらいでしたし、カメラが回っていないところでの出演者たちの気持ちの繋がり、子どもたちとの関係性に嘘がなかった。単に撮影だからセットにやってきて、仲が良さそうに芝居をし、カットがかかれば別々の部屋に収まるような雰囲気ではなかったんです。映画という作りものを越えたところで、こちらが指示したわけでもないのにキャストの皆さんが子どもたちも交えて親しみのある雰囲気を作ってくれていた。それがとても良かったと思います。
 
 
 
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■監督5作目で、本当にやりたいことを主張。スーパー16ミリのフィルム撮影を実現。

―――海辺で4人が水遊びをするシーンはファンタジーかと思うぐらい気持ちがほぐれる映像でした。今回は16ミリで撮影されていますが、その狙いは?
西川監督:今回は私にとって5作目になりますが、本当にやりたいことを「やりたい」と言ってみよう。当然お金がかかるので、色々なしがらみもありますが、しがらみを「しがらみだ」と思いこむ癖がだんだんついてしまっていたのです。しがらみを取り払う努力もせず、あると思いこもうとしている自分がいることに、キャリアを重ねながら気づいていたので、やりたいと思うことを一度主張してみよう。ダメなら別の方法を考えようと。
 
―――その「やりたいこと」が、16ミリのフィルム撮影だったのですね?
西川監督:3年前の当時はデジタルが台頭し、フィルム版が残らないのではないかと言われている時期でした。私のような作品ペース(3年で1作品)で制作している者からすれば、この機会を逃せば次回作の時にフィルムが世界から無くなっているかもしれないと思ったのです。当初から今回は長期間の撮影を想定していたので、人件費や機材費の問題を考えるとスーパー16ミリを使ったコンパクトな撮影体制をとり、小さなスタッフでしっかりスクラムを組み、長期間取り組んでいく。かつ子どもたちという予測不可能な行動をするキャストがおり、団地という狭い場所で撮らなければならない。今、撮れそうだからフィルムを回そうという時に、35ミリの40人という大所帯体制ではスタンバイに時間がかかり、撮りたいものを逃してしまいますから。今回は、撮りたいときにスッとカメラを構え、しかも手持ちができるものが最適でした。
 
―――今回西川監督は、長編ではじめて是枝監督作品の常連カメラマン、山崎裕さんを起用しています。
西川監督:私が映画界に入ったきっかけは是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』(99)だったのですが、そのカメラマンがスーパー16ミリで撮影していた山崎さんでした。90年代のインディペンデント映画は、まだデジタル撮影が普及する前で、スーパー16ミリを使うことがとても多く、私にとってはとても馴染みのある機材だったのです。そして、山崎さんは私が初めて見たプロのカメラマンで、今まで身内のように親しくして来てもらいました。山崎さんは長くドキュメンタリーを撮っておられるので、今目の前で起きている物事に対してとても敏感でフットワークの軽い人。いざというときに、手持ちで自由に、カメラマンの直感で撮ってもらえる人がいいなと思い、山崎さんにオファーしました。
 
 
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―――本作では子どもの演出にもチャレンジされています。陽一の娘、灯の台詞は、重くなりがちなシーンをビシッと締め、観る者もハッとさせられましたが、台詞の演出はどのようにされたのですか?
西川監督:言わなければいけない台詞がある場面とない場面の段差がつかないように、心がけました。大人の俳優もそうですが、訓練された子役は、台詞があるとアドリブ部分との段差がついてしまいます。まだ演技なのか演技でないのか境目のない子どもの方が、より自由でいられます。灯役の白鳥玉季ちゃんは、自由に虚実を行き来していましたし、大人がびっくりするぐらいに全部状況を把握していました。でも、映画の現場は初めてですから、集中力が毎日必ず途切れてしまい、コンディションが悪くなればあちこちうろうろして、ただそこに座っているだけのお芝居もできない。これが子どもなんだと、私も実感しましたし、逆に「灯をちゃんと撮ろう」とチームが一丸となった気がします。

 

■人間の感情は複雑。人生経験を重ねれば重ねるほど、枠にはめられない感情が深くなる。

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―――幸夫がテレビカメラの前で嘆き悲しむふりをしたり、陽一の目に思わず涙があふれたり、陽一の息子、真平が泣きたくても涙が出なかったりと、「泣く」という行為が何度も描かれています。これらのシーンに込めた思いは?

西川監督:人間の感情は、本当はとても複雑です。人生経験を重ねれば重ねるほど、枠にはめられない感情が深くなっていくのですが、色々な状況下で”役割”を与えられます。あるべき感情を持たなければ人間的ではないと言われ、ますます窮屈になっていき、嘘の感情を露わにしなくてはいけない。本作は「妻が死んで一滴も涙を流せなかった男」という謳い文句ですが、それは悲しんでいないわけではないと私は思っています。いかに人間の感情が複雑で、自分自身のコントロールが効かない、御しがたいものであるかということも、私が描きたかったことの一つですし、悲しみの深さは涙の量で測られるものではない。私はそう思っています。

(文:江口由美 写真:河田真喜子)
 
 
 
 

<作品情報>
『永い言い訳』(2016年 日本 2時間4分)
脚本・監督:西川美和 
原作:西川美和『永い言い訳』 (文春文庫刊) 
出演:本木雅弘、竹原ピストル、藤田健心、白鳥玉季、池松壮亮、黒木華、山田真歩、深津絵里他
2016年10月14日(金)~TOHOシネマズ梅田他全国ロードショー
公式サイト⇒http://nagai-iiwake.com/ 
(C) 2016「永い言い訳」製作委員会
 

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宮沢りえ、「はっぴ姿には自信がある」余命2ヶ月の肝っ玉母ちゃんを熱演。
『湯を沸かすほどの熱い愛』先行上映会舞台挨拶
登壇者:中野量太監督、宮沢りえ(16.10.6 梅田ブルク7)
 
日本映画界にまた頼もしい才能が誕生した。前作『チチを撮りに』(12)が海外の映画祭でも高く評価された京都出身の中野量太監督。10月29日(土)に全国公開される最新作『湯を沸かすほどの熱い愛』で『紙の月』(14)の宮沢りえとタッグを組み、見事商業映画デビューを果たす。
 
 
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宮沢が演じるのは、余命2ヶ月の宣告を受けた幸野双葉。夫、一浩(オダギリジョー)が1年前に家を出た後、家業だった銭湯、幸の湯は休業状態。娘の安澄(杉咲花)が学校で問題を抱えているのを励ましながらつつましく暮らしていたが、残りわずかの人生で出来ることを考えた末、夫の所在を突き止めてその愛人の子ども共々連れ戻し、幸の湯を再開させることを決意する。いじめに遭っていた安澄に闘う勇気を与える双葉。だが死ぬまでに安澄に伝えなければならないことは、それだけではなかった…。
 
中野監督によるオリジナル脚本は、家族の物語に一筋縄ではいかない展開を盛り込み、命が限られた人間の葛藤や、過去の過ちに対する自責の念、弱い自分を克服しようと奮闘する姿を各キャラクターに託している。スクリーンから思わぬパワーが伝わってくる、まさに“湯を沸かすほどの熱い愛”に包まれた作品だ。
 
一般公開を前に10月6日(木)梅田ブルク7にて行われた先行上映会では、中野量太監督と、主演の宮沢りえが上映前の舞台挨拶で登壇。故郷への凱旋試写会となった中野監督と、中野監督の脚本に惚れ込んだという宮沢りえの同い年コンビが、作品への愛や、アツかった撮影現場を振り返るトークを繰り広げた。その模様をご紹介したい。
 

(最初のご挨拶) 

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宮沢:みなさん、暑い中お越しいただいておおきにです。この作品は同い年の中野量太監督と撮りました。同世代で、こんなに素晴らしい脚本を書く監督がいることを知ることができたのは、私の宝です。そしてこの物語の中で思いを交わしあった共演者のみんな、スタッフをすごく誇りに思いますし、そこで交わした思いは未だに私の中で熱を帯びている気がします。どうぞ、楽しんでください。 
 
中野監督:脚本、監督をしました中野量太です。僕は京都出身なので、こうして関西で試写会を開くことができ、とてもうれしいです。しかも理恵さんを連れて帰ってくることができました。映画のことを少しお話すると、面白い脚本を書けば映画が撮れるのではないかという気持ちで、全くのゼロベースで脚本を書きました。この話で一番重要な母親役を誰がやるかという時に、宮沢さんが脚本を読んでくれ、新人監督のしかもオリジナル脚本に出演すると言ってくれたのです。理恵さんが出演を快諾してくれたおかげで、この映画は一気に動き出しました。その後は、自分の思いを全部込めて、込めて映画を作り、いつの間にか理恵さんとこの場にいた感じです。(宮沢が「イエイ~」とハイタッチ)。楽しんでもらえればと思います。 
 

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―――なかなか日本映画でオリジナル脚本の作品は少ないですが、最初に読んだときの感想は? 
宮沢:大体作品をオファーされると、最初に自分が演じることを重ねながら脚本を読むのですが、この本は読み進めるうちに、どんどん双葉という役に自分の思いが入っていきました。タイトルにも含まれていますが、本当に衝撃的なラストシーンを読んだときには、心にも体にも鳥肌が立ちましたし、なかなかこんな作品に出会えないぞという気持ちがありました。 
 
ただ余命を宣告された女性の役なので、悲劇的に作ることもできれば、ドライに作ることもでき、そこは監督にお会いしてみないと分からない。私はあまりウェットな悲劇のヒロインにはなりたくなかったので、その気持ちが監督と共有できれば、ぜひ演じたいと思いました。監督と初めてお会いして、その気持ちが共有できたので、その場でOKしました。 
 
中野監督:代官山のツタヤでしたね。めちゃくちゃうれしかったし、何か強い縁があり、絶対この役は宮沢さんがやってくれると思っていましたから。でも、半分はダメかもと思っていましたよ。 
 
宮沢:そんな弱気な感じは全くなかったですよ!最初からかなり強気で・・・。 
 
中野監督:会って断られるほど辛いことはないですから。必死で思いを伝えました。そのときに宮沢さんが「双葉役は聖母になったら絶対にダメだよ。普通にそこら辺にいるお母ちゃんが余命2ヶ月で下した決断は、自分のことより家族をなんとかしたいという思いだよね」とおっしゃって。正にその部分を共有できたのが、とても良かったです。 
 
 
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―――宮沢さんが演じる双葉は、肝っ玉母ちゃん役でしたね。 
宮沢:幸の湯という銭湯の話ですが、はっぴを着ました。かなりはっぴ姿には自信があります。この物語の中で双葉を生きていたときには「これほどはっぴが似合う女はいないぞ」と鏡を見ながら思っていました。 
 
―――銭湯の掃除をするシーンもありましたが、実際に練習したそうですね。 
中野監督:一度は経験してほしかったので、ロケで使わせていただいた銭湯で練習しました。 
宮沢:カネヨンというパウダー状の洗剤を使って、その銭湯の方が「こうやってやるのよ!」と熱心に指導してくださり、すごく楽しかったです。 
 
 
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―――幸野家は父や娘のいる家族ですが、家族間の撮影中の感じはどうでしたか? 
宮沢:娘役の杉咲花ちゃんとは撮影に入る前に連絡先を交換しあい、撮影当日まで毎日作品とは関係のないことを交換しあっていました。そこでは敬語もやめて、お母ちゃんと呼んでもらうようにしたので、撮影に入る頃には密度の深い関係が出来ていて、親子役をするのにいいエネルギーになりました。 
 
夫役のオダギリジョーさんは、私がいつか共演してみたい俳優さんでしたし、脚本を読む力がとてもある方でした。役者は格好良く見られたいと、一瞬でも思ってしまうものですが、この物語の中のオダギリさんはダメ男です。そこに徹していて、最後はとても素敵になりますし、そのバランス感覚に感動しました。 
 
 
―――俳優は絶対格好いいシーンをやりたいものですが、オダギリさんとはどんなやりとりをしたのですか?
中野監督:オダギリさんに会ったその日から、「今回格好良かったら負けですからね」と言ったのですが、実際はやはり格好良くて。これが格好良く見えなくなるのは難しいなと思ったのですが、一歩間違えばただのダメ男をちゃんと憎めないダメ男に演じてくださったのは、オダギリさんの力です。
 
 
―――それでは、最後のご挨拶をお願いします。
中野監督:どんな作品か、まずは観てください。自信があります。宮沢りえさんも、とてもとてもいい演技をしてくれました。脚本を書いても、自分の想像を超える芝居はなかなかなくて、自分の頭の中で想像している方が面白いのですが、今回の映画は見事に僕の想像を超える芝居をしてくれるメンバーが集まり、何度も僕は現場でアツくなって、たまらない思いをしました。その思いがこの映画の中に映っていると思います。ぜひ、楽しんでください。
宮沢:この撮影で命に限りがあるということを覚悟した双葉という役を演じ、命があって、呼吸ができて、日常があるということは決して当たり前ではなく、奇跡の積み重ねです。そう思うと人と会ったり、暮らしたりすることがとても大事なことに思えました。そういうことがこの映画から滲んでほしいし、観て下さった方が、自分の持っている日常や愛する人や大切な人を、心から「大切」と思えるようなきっかけになればいいなと思います。どうぞ、楽しんでください。
 
(文:江口由美 写真:河田真喜子)
 

<作品情報>
『湯を沸かすほどの熱い愛』
(2016年 日本 2時間5分)
脚本・監督:中野量太
出演:宮沢りえ、杉咲花、篠原ゆき子、駿河太郎、伊東蒼、松坂桃李、オダギリジョー
2016年10月29日(土)~新宿バルト9、梅田ブルク7、他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://atsui-ai.com/
(C) 2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会
 

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本木雅弘って、「面倒くさい」男!?『永い言い訳』大阪舞台挨拶
登壇者:西川美和監督、本木雅弘
(16.10.5 TOHOシネマズ梅田別館アネックス)

 

~本木雅弘は、撮影後も自分の演技を監督に確認したがる「面倒くさい」男!?~

『ゆれる』(06)、『ディア・ドクター』(09)、『夢売るふたり』(12)とコンスタントにオリジナル脚本による優れた人間観察の作品を作り続けてきた西川美和監督。『おくりびと』以来7年ぶりの主演となる本木雅弘と初めてタッグを組んだ4年ぶりの最新作『永い言い訳』が10月14日からTOHOシネマズ梅田ほかで全国公開される。
 
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歪んだ自意識を持つ売れっ子小説家、衣笠幸夫(本木雅弘)が妻の事故死から再生するまでを、同じく事故で妻を失った正反対の性格の陽一(竹原ピストル)やその家族とのふれあいを絡めながら描写。スーパー16ミリで撮影された映像の豊かなニュアンスや、被害者同士がいつしか疑似家族のようになる関係性など、喪失感と共に、それでも生きていく人々を丁寧に綴ったヒューマンドラマだ。
 
TOHOシネマズ梅田別館アネックスで10月5日(火)に行われた先行試写会では、上映前に西川美和監督と主演の本木雅弘が登壇し、大ヒット祈願の舞台挨拶が行われた。
 

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主人公幸夫のキャラクターにちなんで今も引きずっているコンプレックスを聞かれた本木は、「数え切れないほどある。スポットライトを浴びているのに責められている気分だし、自信があるのかないのか自分でも所在がわからない。簡単に言えば自意識過剰。あまのじゃくのところも(幸夫に)似ている」。ただ、いざ演じるとなると「自然のままでというものではない。今まではコスチュームに助けられていたが、今回はお尻を見せる無防備さで、どれだけカメラの前でカメラを意識せずにいられるか努力した」と自らをさらけ出す新しいチャレンジに挑んだことを明かした。
 
一方、本木を起用した感想について西川監督は「タイトル通り、”言い訳の多い”方だった(笑)。二枚目だけどどこかコミカル。近年の役は近よりがたい雰囲気のものが多かったが、この撮影では色々な欠点を余すところなくさらけ出してくれ、人との垣根がない方だった。人として親近感を覚えた」。そんな本木の言い訳とは「いまだに『あのシーンはどこが悪かった?』、『本当はどう思っているの?』と聞いてくる。面倒くさいでしょ?」と西川監督が暴露し、会場は大爆笑。
 
 

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主人公の名前を往年の広島カープの名選手で鉄人の異名を持つ衣笠祥雄(きぬがささちお)と同姓同名にしていることについて、カープファンでも有名な西川監督は、「大きすぎる名前を背負った男という設定で、自分が生まれもったものを背負っていくことができない、いつまでも幼稚な男を描きたかった」とその意図を明かした。また共演した陽一役の竹原ピストルについて、本木は「この共演で初めて出会ったが、自分がしばらく出会うことのなかった魂の純粋さを持った人」と絶賛。「自分とは対比のある竹原さんと出会うことで、映画の中で幸夫を重ねることができた。今は僕の方が竹原さんに熱を上げていて、明日は竹原さんがライブをしている名古屋で舞台挨拶があるので、ライブに行ける!」と追っかけファンのように目を輝かせて語ると、西川監督も「お互いの持っていないものに対し、やわらかにリスペクトし合う関係」と映画にとてもいい効果を与えたことを付け加えた。
 

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本作は一年をかけて撮影されたが、季節の移り変わりをカメラに収めるだけでなく、関係者同士の絆が濃くなり、特に陽一の子ども、真平役の藤田健心君や、灯役の白鳥玉季ちゃんの一年間の成長ぶりは素晴らしかったと2人揃って絶賛。役柄では子どもがいない男を演じた本木が待ち時間に子役たちの遊び相手となって現場の雰囲気を作ったり、撮影終了後も竹原が「お父ちゃん」と呼ばれたエピソードを披露し、映画でも垣間見える疑似家族のような温かい関係は、撮影中の現場の雰囲気がそのまま映し出されたものであることを、西川監督がしみじみと語った。
 
最後の挨拶では、
「他のエンターテイメント映画と比べると、劇的な展開があるわけでもないけれど、その中に時間の積み重ねからしか分からないものを感じてもらえれば」(本木)
「耳よりの情報があります。4年ぶりの新作なので、何もかも丁寧に作りました。劇場で販売するパンフレットも特別寄稿で内田也哉子や小説家の長嶋有さんからの特別寄稿や、幸夫に扮した本木さんが撮影後幸夫に関して語るDVD、劇中のアニメ『ちゃぷちゃぷローリー』のシナリオ完全版もつけて1000円で販売しているので、是非もう一度公開後に劇場で鑑賞し、パンフを買って帰って幾通りにも楽しんでください。今日はありがとうございました」(西川監督)と熱弁を振るった。
 
7年ぶりの主演、しかも自らの欠点をさらけ出しての演技を全編に渡ってみせた本木雅弘はいつになく緊張の面持ちも見せながら、「(映画を見て)悪かったら、どこが悪かったとしっかり伝えて」と、本作にとことん向き合っていることを感じさせる舞台挨拶だった。西川監督も、観客の反応が楽しみで仕方がない様子。「大阪のお客さんは上映後のトークショーでも、まずは何も考えていなくても我先に手を上げ、一発ボケて場を和ませてくれる。本作でもまたQ&Aの機会をぜひ設けてほしい」と語ってくれた。観た後からじわじわとカウンターパンチのように効いてくる作品。鑑賞後は、誰かと家族や大事な人について語りたくなることだろう。
(文:江口由美 写真:河田真喜子)
 

<作品情報>

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『永い言い訳』
(2016年 日本 2時間4分)
脚本・監督:西川美和 
原作:西川美和『永い言い訳』 (文藝春秋社)
出演:本木雅弘、竹原ピストル、藤田健心、白鳥玉季、池松壮亮、黒木華、山田真歩、深津絵里他
2016年10月14日(金)~TOHOシネマズ新宿、TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、OSシネマズミント神戸他全国ロードショー
公式サイト⇒http://nagai-iiwake.com/
(C) 2016「永い言い訳」製作委員会
 
 
fuchini-di-550.jpg観客にとって共感できる映画より「共感できない他者」でありたい。
『淵に立つ』深田晃司監督インタビュー
 
『歓待』(10)、『ほとりの朔子』(13)、『さようなら』(15)と、オリジナル脚本で家族や青春、さらには生と死を見つめる秀作を生み出し続けている深田晃司監督。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した最新作『淵に立つ』が、10月8日(土)よりシネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、OSシネマズ神戸ハーバーランド、京都みなみ会館、イオンシネマ京都桂川他で全国ロードショーされる。
 
自宅兼工場で金属加工業を営む鈴岡家に夫・利雄(古舘寛治)の旧友、八坂(浅野忠信)が突然現れ、住み込みで働くことになったことから始まる不条理劇は、予測のできない展開の連続だ。妻の章江(筒井真理子)や娘の蛍(篠川桃音)に隠していた八坂との関係、一家に訪れる悲劇、そして不思議な巡り合わせ。緊迫感に満ちた物語は家族一人一人の本性を静かに炙り出していく。
 
本作の深田晃司監督に、『淵に立つ』に込めた深田流家族物語の狙いや、映画と観客とのあるべき関係について、お話を伺った。
 

fuchini-550.jpg■『歓待』と『淵に立つ』はコインの裏表。

―――舞台設定や、第三者が一見平和に過ごしている家族の日常を壊していく様子は『歓待』を彷彿とさせました。この企画の始まりと『歓待』との関係性について教えてください。
深田監督:実は、2006年に『淵に立つ』のシノプシスは出来上がっていました。ただ当時はまだ自分のキャリアも浅く、撮るのが難しそうだったので、前半部分だけ抜き出して『歓待』を撮りました。女の子がいる一家によそ者が入り込み、家族をかき乱して去っていくというストーリーは『淵に立つ』の前半部分と同じです。
 
―――『歓待』も『淵に立つ』も自宅兼作業場のある町工場が舞台になっています。従業員の出入りが多いという「他者が侵入しやすい」設定を作りやすいという点以外に、町工場を舞台にする理由は?
深田監督:ヨーロッパは公共の場とプライベートとが非常にきっちりと分かれています。でも、少し前の日本は公共の場とプライベートの空間の境目が曖昧です。特に舞台となっている工場のような場所は、通りに接続していて、その奥にプライベートの住空間まで繋がっています。そのようなセミパブリックな空間はドラマが作りやすいですし、とても日本的に感じて面白いですね。
 
―――出発点は同じながら、『歓待』はコメディー要素が強かったですね。
深田監督:前半だけで映画を決着させるために、どんどん(異文化を持つ)外国人が入ってきたら面白いのではないか。そのあたりからコメディー要素が強まっていきましたが、『歓待』と『淵に立つ』はコインの裏表で、“黒い『歓待』”とも言えます。
 
fuchini-di-240-1.jpg―――コインの裏表で言えば、両作品に出演している古舘寛治さんも、正反対の役柄です。
深田監督:『歓待』に出演された古舘寛治さんは、当時撮影が終わった段階で、「お金は集まっていないけどこんな企画を考えている」と一番に声をかけていました。『淵に立つ』で言えば八坂のような役を『歓待』で古舘さんが演じていたのですが、彼は舞台でもどちらかといえば攻めや、引っ掻き回すような役が得意な俳優さんです。なので、たまには普通の、寡黙なおじさん役の古舘さんが見たかったので、『淵に立つ』が正式に制作スタートしたら引っ掻き回される方の役をやってもらいたいとお願いしていました。 
 
―――章江を演じる筒井真理子さんの、妻として、母として女として変貌を遂げていく様が圧巻でした。
深田監督:『歓待』を観た米満プロデューサーが、一緒に映画を作ろうと声をかけてくれて、どんな企画がいいかと色々とテーブルに上げて話し合っているときに、どちらともなく「筒井真理子さんっていいよね」という話が出ました。で、改めて筒井真理子さんの写真を見ると、かつて自分が書いた『淵に立つ』の章江役にピッタリで、翌日には米満プロデューサーにこの企画を持参していました。そういう意味では、筒井さんは『淵に立つ』がリスタートするきっかけを与えてくれた存在。とても感謝しています。
 
―――物語の鍵を握る存在、八坂を演じる浅野忠信さんは、これまでの深田監督作品でよく出演されている演劇畑の俳優さんとは違い、日本を代表する映画人です。浅野さんがキャストに加わることで、現場で新たな発見はありましたか?
深田監督:夫婦役が決まってから、その二人の間に誰が入ってきたら面白いだろうと考え、浅野さんをキャスティングしました。古舘さんと筒井さんは演劇畑出身ですし、浅野さんは映画畑の方なのでどうなるかなと思いましたが、それは(作品に滲み出ている)浅野さんの異物感にいい意味で影響を与えているかもしれません。出身はどうあれ皆独立した俳優なので、すぐに馴染んでいらっしゃいました。撮影中面白かったのは、古舘さんと筒井さんは自身の演技論をしっかり持っている方々なので、リハーサルをしていても、いつの間にか演技論を闘わせ、傍から見ていると夫婦喧嘩みたいなのです。その様子を、浅野さんが横からニコニコしながら見ているところが、役の関係性に似ているなと。

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■本音を話さない人たちを描きたい。想像してもらうために沈黙や余白をいかに作るかが重要。

―――家族は本音を打ち明けているようでいて、実はとても気をつかって暮らしているのだと感じますね。
深田監督:家族を描いて面白いと思うのは、毎日顔を合わせているがために、だんだん言葉が減っていく。会話は情報の交換ですが、家族はどんどん新しい情報がなくなっていく関係性なので、お互い知っていることは敢えて口にしなくなります。そのような中で毎日を合わせ、食事を共にする関係が続いていくのは、どこか不条理だと思います。
 
―――作品中でも、言葉と言葉の間やその時の表情などがとても丁寧に描かれています。
深田監督:僕が描きたいと思っているのは、本音を話さない人たちです。僕達は普段本音を剥きだしにして生きている訳ではありません。現代の人間観で重要なのは、自分自身が本音を話しているつもりでも果たしてそうなのか。それは自分自身でも分かる訳ないじゃないかという世界観が好きなのです。だから僕は、登場人物の本音が良く分かる映画は前時代的映画だと思ってしまいます。なるべく僕たちが日常話しているように、本音が説明的にそこにあるのではなく、それぞれの想像の中に本音らしい何かが存在するようなものにしたい。そして想像してもらうためにも、沈黙や余白をいかに作っていくかが重要だと思っています。

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■本質的には因果関係のないところに何か罪や罰を見出すのが、人間の不思議さや弱さ。

―――八坂によって利雄一家は残酷な爪痕を残されます。8年の時が流れた後に利雄は章江に向かって「オレとお前への罰。8年前、俺たちはやっと夫婦になった」と言い放ちますが、この言葉に込めた意図は?
深田監督:人間の身勝手さだと思っています。僕達は生きているうちに事故や災害、暴力など、色々な状況にさらされながら生きています。それは誰かの罪に対する罰なのでしょうか? そんな訳はありませんよね。でも本質的には因果関係のないところに何か罪や罰を見出すのが、人間の心の不思議さであり弱さでもあります。利雄が言ったことに対し、章江は全く共感できない。でも、心のどこかでそう思ってしまったことを利雄に暴露され、動揺し、嫌悪を感じてしまう。そういう二人のすれ違いを表すために書いたセリフです。 
 
―――八坂が着ていたシャツ、蛍の発表会用のドレス、ピクニックで咲いていた花など、赤色が観る者に何かが起こりそうなイメージを呼び起こしています。

 

深田監督:リアリティーから少しずれて八坂のキャラクターを徹底的に作っていこうという意図で、浅野さんが「赤いシャツにしよう」と提案してくれました。八坂は前半こそ登場しますが、後半は出てこないことで常に画面を支配していきます。ヒッチコックの『レベッカ』のように、一度も映画の中で出てこないレベッカの存在感が常に映画全体を不穏で覆い続けているような感じを出したかったので、八坂に赤のイメージを持たせることで、その演出がやりやすくなりました。孝司に赤いリュックを持たせたり、作業場に赤の機械を置くことで、赤色から常に八坂の気配を感じる雰囲気は作れたと思います。

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■タイトルの由来は、平田オリザさんの言葉「崖の際で踏みとどまり、心の闇を覗き込むのが“表現する”ということ」。

―――『淵に立つ』というタイトルの由来は?
深田監督:基になっているのは平田オリザさんの言葉です。私は2005年に平田オリザさんが主宰する劇団「青年団」の演出部に入団したのですが、最初の研修のとき平田さんが言った言葉がとても心に残ったのです。「表現をやっている人間は、少しでもいい芸術を作ろうとすると人の心の闇を覗きこまなければならない。少しでもよく見ようとすれば崖の淵まで行かなくてはならないが、表現者自身が崖から落ちてしまうと、表現そのものができなくなってしまう。だからギリギリのところで崖の際に踏みとどまり、心の闇を覗き込むのが“表現する”ということ」。この作品自体も観客と一緒に人の心の闇を覗き込むような作品にしたい。そういう思いでタイトルをつけました。
 
―――編集は深田監督ご自身がされていますが、今回は編集コンサルタントから随分意見が出たとお聞きしました。編集に対する意見をもらうことで、作品はより豊かになるのでしょうか?
深田監督:今回は、ポストプロダクションをほとんどフランスで行いました。自分で編集をすると、客観的に観ることができなくなるので、毎回どの作品でも現場スタッフではない人からアドバイスをもらっているのですが、今回はフランス人の編集アドバイザーにお願いしました。おしなべて、日本の技術スタッフの人はすごく技術力が高い一方で、自分の意見を押し殺す人が多い印象を受けます。自分を殺して、監督のやりたいことを実現させようと動いてくれるし、それがいい結果を生む場合もあります。一方、僕が仕事をしたフランスのスタッフは、技術者である前に一人の表現者として、この映画をどうすればより良いものになるかを、その人の感性や考え方、人生哲学を織り交ぜながらぶつけてきてくれました。お互いに言葉を尽くして説明するというキャッチボールの中で、その作品が変わっていくのはすごく面白かったですね。

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■僕の作る映画が、観客にとって共感できる映画より「共感できない他者」でありたい。

―――本音の分かりやすい映画が席巻している中、深田監督は観客に捉え方をゆだねる作品を作っています。それは、観客を信用しているからですか?
深田監督:重要なのは、観客の想像力を信じることであり、信じすぎないこと。その綱引きをどうするかだと思います。観客にあれこれ想像してもらいながらも、それを少しずつずらしたりしていく。それがサスペンスを生んだりしますが、それ以上に、観客の想像力に働きかける表現は本質的に非常に大事だと思っています。映画の歴史は、一方で例えば戦時下では思想統制に使われてきたプロパガンダの歴史でもあります。それだけ映画には、人の心をぐっと掴み、巻き込んでいく強い力があり、そこが映画の魅力でもあり警戒すべき罠でもあります。負の歴史を経て私たちは映画を作る以上、そのプロパガンダ性には細心の注意を払わなければいけません。観客全員の感情を同じように塗りつぶそうとするような作品ではなく、出来る限り映画自体が観客の他者となる。つまり観客の共感を必ずしも求めないもの、観客の思考を刺激するもの、例えば「家族とは?」と考えてもらえるような作品を作りたいし、そのためにはカタルシスを犠牲にしてもいいと思っています。
 
―――共感を抜きにしてでも、観客を参加させようという意図でしょうか?
深田監督:映画を作る技術の上では、細かく共感してもらえる部分も取り入れながら、どこかで突き放すことを繰り返して、作り上げていきます。共感できる映画がいい映画というのは、とても違和感がありますね。僕自身が映画を観る際に別に共感を求めないこともあるでしょうが、共感できる映画よりは、僕の作る映画が観客にとって「共感できない他者」であることが重要です。
 
今私たちは多文化共生の時代に生きています。この時代に重要なのは、多数決が原則の民主主義の中で、いかにしてマイノリティーの意見や気持ちを汲み取り、社会の制度を構築していくか。そういった社会で前提として求められるのは、他者の考えや他者性が社会の中に常に可視化されているかであり、その中で芸術が果たす役割はとても大きい。別に啓蒙的なことを考えているのではなく、芸術自体が他者性を帯びた異物として社会にゴロゴロと転がっている状況が重要だと思っています。この映画もそういう存在であってほしいですね。
(江口由美)
 

<作品情報>
『淵に立つ』(2016年 日本・フランス 1時間59分)
脚本・監督:深田晃司
小説版:深田晃司『淵に立つ』ポプラ社刊
出演:浅野忠信、古舘寛治、筒井真理子、太賀、三浦貴大、篠川桃音、真広佳奈他
2016年10月8日(土)~シネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、OSシネマズ神戸ハーバーランド、京都みなみ会館、イオンシネマ京都桂川他全国ロードショー
※第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞
公式サイト⇒http://fuchi-movie.com/
(C) 2016映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS