喪失は失った後が長く、一生付き合っていくもの。
『永い言い訳』西川美和監督インタビュー
『蛇イチゴ』(03)、『ゆれる』(06)、『ディア・ドクター』(09)、『夢売るふたり』(12)と、コンスタントに優れたオリジナル脚本による作品を作り続けている西川美和監督。4年ぶりの最新作『永い言い訳』は、『おくりびと』(08)以来7年ぶりの主演となる本木雅弘と初めてタッグを組み、歪んだ自意識を持つ売れっ子小説家、衣笠幸夫が妻の事故死をきっかけに、改めて妻のことを知り、大きすぎる名前(鉄人の異名を持つ元広島カープの名選手、衣笠祥雄と同姓同名)の自分を受け入れ、そして生きる姿を丁寧に描いている。
同じく事故で妻を失った正反対の性格の陽一(竹原ピストル)やその家族とのふれあいを通じ、被害者同士がいつしか疑似家族のようになる姿や、亡くなった後に知る妻の真実に動揺する姿など、簡単に言い表せない複雑な心境を本木らが体現。スーパー16ミリで撮影された映像の豊かなニュアンスを味わい、かつ観終わっても後々カウンターパンチのようにじんわりと効いてくるヒューマンドラマだ。本作の西川美和監督に、本木さんに託した主人公幸夫の狙いや、現場のエピソード、撮影面のこだわりについて、お話を伺った。
■崩壊がクライマックスではなく、崩壊が前提の話を作る。
―――理不尽な別れの後、それでも生きていかなければいけない人々の物語ですが、なぜこのタイミングで、この物語を描こうとしたのですか?
西川監督:アイデア自体は東日本大震災の年の暮れぐらいに思いついていました。ただ振り返ってみると、今までは一見平穏な関係性やうまくいっているものが、何かのきっかけでほころびはじめ、本質がむき出しになり、最終的には崩壊する。でもその崩壊が、もしかすれば新しいスタートかもしれないという物語を作ってきました。でも崩壊のその後が、崩壊に向かうプロセス以上に困難なのではないか。年齢を重ねるごとにその思いが強くなってきました。震災以前にも、私自身も色々な人との別れがありましたが、自分の人生がそれで終わりではなく、失った後が非常に長いのです。喪失は、克服すると簡単にいえるものではなく、一生付き合っていくもの。だから、崩壊がクライマックスではなく、崩壊が前提の話を作ろうと思いました。
―――曲がった自意識や弱さを持つ主人公幸夫に監督ご自身を投影させたとのことですが、なぜあえて主人公を男性にした
西川監督:私は男性の主人公を書くことが多いのですが、今回特に自分自身の実感も含めて、思い切って色々なことを告白していかなければいけないと思っていました。その際に女性を主人公にすると、私の生き写しのようになってしまい、逆に少し躊躇してしまう。「これは監督、あなた自身の話ですよね」と言われるのは恥ずかしいのです。そこで、いい格好をしたり、良く見せようとしないために、異性の仮面を借ります。その方がむしろ大胆に切り込め、主人公もいじめられますから(笑)。私の”恥”を本木さんに演じていただきました。
■顔がいいがために自意識が肥大する気の毒な男を、本木さんにはコミカルに演じてもらいたかった。
―――幸夫役は最初から本木さんと決めていたそうですが、その理由は?
西川監督:周防正行監督の『シコふんじゃった。』(92)を見させていただいた時から、若い頃の本木さんは華のある二枚目にも関わらず、クールさだけではない、どこかコミカルで、困難に立ち向かって七転八倒する主人公がよく似合う方だと感じていました。そういう意味で、溌剌とした二枚目の活劇が書ければいつかご一緒したいと思っていました。今回は、「顔が良すぎるところが幸夫の運の尽き」。つまりもっと平凡な容貌なら楽に生きられたかもしれないのに、幸か不幸か綺麗な容貌に生まれついたばっかりに、外見とは裏腹な中身の平凡さや醜さとのギャップにつまずき、ますます自意識が肥大してしまった気の毒な男の話でしたから、二枚目に演じてもらわなければならない。そして、本木さんにもう一度、若い頃のコミカルさを演じてもらいたかったのです。
―――本作の撮影は一年にも及んだそうですが、本木さんとどのように幸夫を作り上げていったのですか?
西川監督:本木さん自身の性格が本当に幸夫とダブっていて、それこそ虚実ない交ぜになるというか、映画の中の登場人物が、本当に私にあれやこれやと毎日質問してきている感じです。「あなたのことばかり、見ている訳にはいかないですよ」と思いながら(笑)。でもこれだけ人間の隠しておきたい欠点のようなものを前面に出さなければならない役でしたから、そういう新しいものに挑戦している興奮もあるかと思います。きっとご本人はしんどいところもあったでしょう。私は本木さんの中の”本木さんらしさ”が出れば、この映画はすごく真実味のあるものになると思っていました。
―――本木さんご自身も、幸夫に似ていると感じていたのでしょうか?
西川監督:本木さん曰く「私自身は幸夫よりもっとねじくれていて、救いようのないパーソナリティ。でも映画はどんなにねじ曲がった主人公であろうと、どこかお客様にエールを送ってもらいながら見ていただかなくてはならないもの」。だから、どの程度自分を見せればいいのかを悩みながら、演じてくださっていました。
■自分以上にこの作品のことを心配してくれている人間がいるということに、深いところで支えられた。
―――自分をさらけ出すさじ加減が難しい役に挑まれたのですね。
西川監督:私も色々な俳優の方と仕事をしてきましたし、どの主演俳優からも助けらてきましたが、撮影期間が長かったこともあって、中でも本木さんとは本当によく話し合いました。主演俳優が監督以上に作品に熱中し、我が事のように悩み、七転八倒してくれるというのは、監督にとってこれほど孤独から解放されることはない。自分以上にこの作品のことを心配してくれている人間がいるということに、深いところで支えられてきたと思います。
―――深津絵里さん演じる妻、夏子は冒頭しか登場しませんが、夏子の言うことなすことを、幸夫が否定的な言葉で返し、夫婦関係を浮かび上がらせています。その会話の機微に惹きこまれましたが、どころからアイデアを得ているのですか?
西川監督:両親が不仲ですからね(笑)。相手を傷つけようとする言葉ではなかったはずが、一度ボタンをかけ違えるとゴロゴロ転がり続ける夫婦の会話を子どもの頃から見てきたからではないでしょうか。男女のコミュニケーションのかけ違え方のパターンを会得した気がします。でも、根底には甘えがあるでしょう。相手はずっとここにいてくれるし、どれだけ傷つけても自分の味方に違いない。そう思っているから、幸夫はあのような言葉を言い放つことができる。その日常が何かの力で奪われるという想像力を働かさない人間の性質が出ればと思い、書きました。
■カメラが回っていないところでの出演者たちの気持ちの繋がり、子どもたちとの関係性に嘘がなかった。
―――夏子と一緒に事故で亡くなった友人、ゆきの夫陽一を演じる竹原ピストルさんも、はまり役でした。幸夫とは正反対のキャラクターとして登場し、本木さんが心血を注いだ幸夫を受け止めるような演技が光っています。
西川監督:実生活でも本木さんとは真反対の生き方、性格の人を探しました。竹原さんと本木さんは外見的にもその人生も全然違いますし、地球の裏側に連れていっても全然違うように見える人が良かったのです。竹原さんとお会いすると、実際は大宮陽一よりもずっと繊細で言語的。そして、人も羨むような魂のストレートさがある方でした。本木さんが「今まで培ってきた技術では太刀打ちできない、どうしよう!?」と思うような人がいいなと思っていましたし、実際そういう面もありましたが、一番良かったのは本当に水と油のようでありながら、本木さんが竹原さんのことを本当に眩しいと思い、憧れ、好きになってくれたことです。
―――中盤、幸夫と陽一一家が疑似家族のようになります。大事な家族を亡くして傷ついていながらも続く日常に、一時的とはいえ幸せと感じる瞬間を映し出していますね。
西川監督:子どもたちも含めて、本当に幸福感がある4人でした。ずっと4人で一緒にいるのではないかというぐらいでしたし、カメラが回っていないところでの出演者たちの気持ちの繋がり、子どもたちとの関係性に嘘がなかった。単に撮影だからセットにやってきて、仲が良さそうに芝居をし、カットがかかれば別々の部屋に収まるような雰囲気ではなかったんです。映画という作りものを越えたところで、こちらが指示したわけでもないのにキャストの皆さんが子どもたちも交えて親しみのある雰囲気を作ってくれていた。それがとても良かったと思います。
■監督5作目で、本当にやりたいことを主張。スーパー16ミリのフィルム撮影を実現。
―――海辺で4人が水遊びをするシーンはファンタジーかと思うぐらい気持ちがほぐれる映像でした。今回は16ミリで撮影されていますが、その狙いは?
西川監督:今回は私にとって5作目になりますが、本当にやりたいことを「やりたい」と言ってみよう。当然お金がかかるので、色々なしがらみもありますが、しがらみを「しがらみだ」と思いこむ癖がだんだんついてしまっていたのです。しがらみを取り払う努力もせず、あると思いこもうとしている自分がいることに、キャリアを重ねながら気づいていたので、やりたいと思うことを一度主張してみよう。ダメなら別の方法を考えようと。
―――その「やりたいこと」が、16ミリのフィルム撮影だったのですね?
西川監督:3年前の当時はデジタルが台頭し、フィルム版が残らないのではないかと言われている時期でした。私のような作品ペース(3年で1作品)で制作している者からすれば、この機会を逃せば次回作の時にフィルムが世界から無くなっているかもしれないと思ったのです。当初から今回は長期間の撮影を想定していたので、人件費や機材費の問題を考えるとスーパー16ミリを使ったコンパクトな撮影体制をとり、小さなスタッフでしっかりスクラムを組み、長期間取り組んでいく。かつ子どもたちという予測不可能な行動をするキャストがおり、団地という狭い場所で撮らなければならない。今、撮れそうだからフィルムを回そうという時に、35ミリの40人という大所帯体制ではスタンバイに時間がかかり、撮りたいものを逃してしまいますから。今回は、撮りたいときにスッとカメラを構え、しかも手持ちができるものが最適でした。
―――今回西川監督は、長編ではじめて是枝監督作品の常連カメラマン、山崎裕さんを起用しています。
西川監督:私が映画界に入ったきっかけは是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』(99)だったのですが、そのカメラマンがスーパー16ミリで撮影していた山崎さんでした。90年代のインディペンデント映画は、まだデジタル撮影が普及する前で、スーパー16ミリを使うことがとても多く、私にとってはとても馴染みのある機材だったのです。そして、山崎さんは私が初めて見たプロのカメラマンで、今まで身内のように親しくして来てもらいました。山崎さんは長くドキュメンタリーを撮っておられるので、今目の前で起きている物事に対してとても敏感でフットワークの軽い人。いざというときに、手持ちで自由に、カメラマンの直感で撮ってもらえる人がいいなと思い、山崎さんにオファーしました。
―――本作では子どもの演出にもチャレンジされています。陽一の娘、灯の台詞は、重くなりがちなシーンをビシッと締め、観る者もハッとさせられましたが、台詞の演出はどのようにされたのですか?
西川監督:言わなければいけない台詞がある場面とない場面の段差がつかないように、心がけました。大人の俳優もそうですが、訓練された子役は、台詞があるとアドリブ部分との段差がついてしまいます。まだ演技なのか演技でないのか境目のない子どもの方が、より自由でいられます。灯役の白鳥玉季ちゃんは、自由に虚実を行き来していましたし、大人がびっくりするぐらいに全部状況を把握していました。でも、映画の現場は初めてですから、集中力が毎日必ず途切れてしまい、コンディションが悪くなればあちこちうろうろして、ただそこに座っているだけのお芝居もできない。これが子どもなんだと、私も実感しましたし、逆に「灯をちゃんと撮ろう」とチームが一丸となった気がします。
■人間の感情は複雑。人生経験を重ねれば重ねるほど、枠にはめられない感情が深くなる。
―――幸夫がテレビカメラの前で嘆き悲しむふりをしたり、陽一の目に思わず涙があふれたり、陽一の息子、真平が泣きたくても涙が出なかったりと、「泣く」という行為が何度も描かれています。これらのシーンに込めた思いは?
西川監督:人間の感情は、本当はとても複雑です。人生経験を重ねれば重ねるほど、枠にはめられない感情が深くなっていくのですが、色々な状況下で”役割”を与えられます。あるべき感情を持たなければ人間的ではないと言われ、ますます窮屈になっていき、嘘の感情を露わにしなくてはいけない。本作は「妻が死んで一滴も涙を流せなかった男」という謳い文句ですが、それは悲しんでいないわけではないと私は思っています。いかに人間の感情が複雑で、自分自身のコントロールが効かない、御しがたいものであるかということも、私が描きたかったことの一つですし、悲しみの深さは涙の量で測られるものではない。私はそう思っています。
(文:江口由美 写真:河田真喜子)
<作品情報>
『永い言い訳』(2016年 日本 2時間4分)
脚本・監督:西川美和
原作:西川美和『永い言い訳』 (文春文庫刊)
出演:本木雅弘、竹原ピストル、藤田健心、白鳥玉季、池松壮亮、黒木華、山田真歩、深津絵里他
2016年10月14日(金)~TOHOシネマズ梅田他全国ロードショー
公式サイト⇒http://nagai-iiwake.com/
(C) 2016「永い言い訳」製作委員会