レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

2015年8月アーカイブ

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『わたしの、終わらない旅』坂田雅子監督インタビュー
 

~「聞いて下さい」母の訴えが背中を押した、核を選んだ人類の今を辿る旅~

 

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『花はどこへいった』『沈黙の春を生きて』で米軍がベトナム戦争で使用した枯葉剤の被害を追った坂田雅子監督。その最新作は、坂田監督の母、静子さんが77年から続けていたミニコミ紙、『聞いて下さい』で問い続けてきた原発の被害となった場所を巡り、その未来を問う。『わたしの、終わらない旅』というタイトルどおり、坂田監督は「核」をテーマに、実姉が70年代から放射能汚染を訴えていたフランスのラ・アーグ再生処理工場、46年から58年まで67回の核実験が行われたマーシャル諸島(ビキニ環礁)、旧ソ連の主要な核実験場だったカザフスタン・セミパラチンスクを取材。核実験による放射能に怯えながら過ごす日々や、今も体調不良を訴える人が後を絶たない様子などを、専門家の意見も取り入れながら映し出していく。
 
生前の母の活動を振り返りながら、その歩みを継承するかのようなドキュメンタリーを撮り上げた坂田雅子監督に、いち早く核の危険性に気付き、活動を続けてきた静子さんの歩みや、今回の旅を始めた動機、そして取材の中でさらに気付かされたことや今訴えたいことについてお話を伺った。
 

―――70年代に日本の使用済核燃料が、フランスで再処理されていたことは知りませんでした。お母様の静子さんは、いつ頃から核問題に関心を持っていたのですか?
スリーマイル島の爆発の前から危ないと思っていたようですが、大きなきっかけとなったのは、結婚後、フランスのラ・アーグ再生処理工場の対岸のガンジー島に住んでいる私の姉から手紙が来た時でした。手紙に驚いたと同時に、姉がその前年に重い障害を持った子供を産んでいたので、母の気持ちの中では「もしかしたら」という部分があったのです。母が調べてみると、放射能がどんなに危険なものかが記されていました。日本でもすでに反原発の動きが起こっており、東大の市民講座に連絡して勉強し始めたら、その危険性が分かり、母は居ても立っても居られなくなって、ガリ版を刷ったそうです。 
 
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―――原子力発電についてのビラ、『聞いて下さい』を作ってから、お母様の活動はどのように広がっていったのですか?

 

「公民館でガリ版を刷って駅前で配ってきたのよ」と母が言っていましたが、その一歩が大きいのです。初めてビラを配るなんて、本当に勇気が要りますから。たまたまガリ版を公民館で刷っているときに、信濃毎日新聞の方が記事にしてくださり、活動が周りに広がっていきました。そういう社会運動は一人では続けていけませんから。
 
 
―――監督は、お母様の活動をどのような気持ちでご覧になっていたのですか?
当時私は東海地方で働いており、自分の生活に必死だったので、母が原発のことを熱心に調べて行動していることが理解できませんでした。国や科学者の方が調べて、このような状態になっているのだから、何も知らない一介の主婦が心配しても、取り越し苦労ではないかと。
 
 
―――お母様は原発問題に対する運動を起こした先駆者のようにも思えますが、元々社会問題に興味を持っていたのですか?
母はクリスチャンだったので、ずっと宗教のことを考えており、靖国問題に興味を持ち始めたあたりから、社会問題に興味を持ったのだと思います。なぜキリスト教会が第二次世界大戦に加担したのか、また日本が国策で戦争をしてしまったが、私たちは何も知らないできてしまいました。原発の問題もそれに重ねて、何も知らないで来てしまったのではないかと。
 

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―――タイトルもある監督にとっての『わたしの、終わらない旅』は、いつから始まったのですか?
始まったのは3.11ですね。前作『沈黙の春を生きて』の最終的な編集をしていたときで、レーチェル・カーソンの『沈黙の春』を参考にしたのですが、これは50年前の作品なのです。あれだけレーチェル・カーソンが化学薬品や農薬に対する警告を発し、しかもその本がベストセラーになったにも関わらず、今の私たちの状況は警告を活かせていません。50年後になって、初めて被害が分かるものもあるのではないかと思うと、今から目を開き、間違っていないか考えるつもりで映画を作っていました。その50年を待つことなく福島原発事故という、とても過酷な形での環境破壊が起きてしまいました。
 
 
―――福島原発事故が起きたとき、お母様の運動が改めて頭をよぎったのではないですか?
外国の友達は、日本を脱出するように勧めてくれましたが、私は今こそ日本にいて、福島のことを映画にしなければいけないと思いました。でも、何が起こっているのか分からない。いても立ってもいられない状況の時に、母のガリ版誌『聞いて下さい』を読み直し、当時と福島の状況が一つにまとめて語れる映画ができればと思ったのです。
 
 
―――実際に、福島に入って取材はされたのでしょうか?
最初は日本各地の反原発運動をしている方に会いに行こうかと考えていました。そこでチェルノブイリの時に当時30万円ぐらいした放射能探知機を、母が仲間たちと一緒に買い、誇らしげに見せてくれたことを思い出しました。当時はこんなものが役に立つのかと思っていたのですが、仲間たちが母の死後も大事に持っていてくれ、彼女たちと一緒に福島に行ったとき、その探知機の値がどんどん上がり、飯館村の辺りになると信じられないような音を立てました。一緒に行った仲間は深いため息をついて、嘆いている声を聞きながら、私たちはどこに行ってしまうのかと考えた時に、思いついたのです。探知機を持って、ビキニ諸島に行ってみよう。60年前に核実験が行われたところが、今どうなっているかを見ることによって、福島のこれからがある程度見えるのではないかと。福島から旅は始まったし、福島に何度も行ってお話を伺いましたが、話を聞けば聞くほどまとめられなくなるのです。それぞれの悲劇がありますから。少し引いて違う角度から見ようとしたのが実際的な旅の始まりです。
 
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―――『聞いて下さい』の原点はフランスで、70年代当時は反対運動が行われていたそうですが、今はどのような状況なのですか?
ラ・アーグ再処理工場には、日本の使用済核燃料がまだあります。姉の島では、もう反対運動は全然ありません。みんな慣れてしまいました。70年代から稼働していて、目に見えて何かがあるわけではありませんから。今もジワジワと放射性廃棄物は流れていますが、皆見ないふりをしていますね。はっきりどこまでが危険で、どこまでが危険でないかが分からないという部分は、福島にもつながります。
 
 
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―――ビキニ島の住人達の取材も、いまだに島を追われ、戻っても残留放射能値が高く、とても住めない状況でした。
この映画には登場しませんが、ビキニ島の隣にあるロンゲラップ島も実際に放射能の灰を浴びており、80数人いた島民は別の島に避難していますが、甲状腺がんや亡くなった方も大勢いらっしゃいました。そのロンゲラップ島を除染し、住宅を建て、島民を返そうという努力をアメリカはしているのです。アメリカの科学者にインタビューすると、「少々放射能は残っているかもしれないが、決して危険な程度ではなく、しかも今のスラムのような場所に住んでいるよりはモダンな気持ちのいい家を作るのだから、そちらに住んだ方が全体的に見て絶対いいと思う」。島民は帰っていませんが、アメリカとしては島民を返して、この問題から手を洗いたいのです。それも、どこかで聞いたことのある話ですね。少しぐらい放射能が残っていても、住人を返せば責任はなくなると。ビキニ島の核実験で第五福竜丸が被ばくして帰ってきたときに、日本でも反核運動が盛り上がったにも関わらず、56~57年ぐらいからアメリカにより、原発の平和利用という名目で国民が洗脳されていく訳です。今は民意がNOと言っても、反映されません。
 
―――日本でも最近はSEALDsなど、若者発の市民運動が起こっていますが。
日本と原発全廃を決めているドイツとどこが違うかと言えば、ドイツは市民社会がかっちりしていて、町の反原発運動が、国中の大きなうねりになったのです。日本でも小さな運動はありますが、それが大きなうねりにはなりません。さざ波のままなので、どうすればうねりに持っていけるのかが課題です。うねりになるためには、上から来ないと。第二次世界大戦の時も開戦するときのうねりは上から来たわけで、下から来ないです。
 
―――この核をめぐる問題に答えはあるのでしょうか?
答えはあります。再生エネルギーにして原発を止めるということです。できてしまった廃棄物をどうするかに対する答えはまだありませんが、これ以上原発や廃棄物を作らないでいることはできます。
(江口由美)

<作品情報>
『わたしの、終わらない旅』
(2014年 日本 1時間18分)
監督:坂田雅子
2015年8月29日(土)~第七藝術劇場、9月5日(土)~京都シネマ、9月26日(土)~元町映画館
公式サイト → http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/
(C) 2013 天空/アジア映画社/太秦
 
 

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90年代、パリの音楽シーンを駆け抜けたDJの栄光と挫折~『EDEN/エデン』共同脚本スヴェン・ハンセン=ラヴ氏インタビュー
 

「最初の10年は実り豊か、その後の10年は時が止まってしまったようだった」

 
90年代パリ。親友とDJデュオを結成し、瞬く間にクラブシーンで有名になっていったポールを主人公に、彼が辿った栄光と挫折の道のりを、時代を彩るガラージミュージックやクラブミュージック満載で綴る青春群像劇『EDEN/エデン』が、9月5日(土)から劇場公開される。
 
監督は、『あの夏の子供たち』のミア・ハンセン=ラヴ。兄で20年間ガラージミュージックのDJとして活動してきたスヴェン・ハンセン=ラヴの体験を元に、90年代後半から00年代にかけてフランスのダンス・ミュージックシーンで起こったムーヴメント、“フレンチ・タッチ”の最中で生きた若者たちの姿をリアルに再現。20年に渡る軌跡を、「パラダイス・ガラージ」と「ロスト・イン・ミュージック」の2部構成で瑞々しく描き出した。実存する伝説のクラブで行われる音楽イベントやパーティーは、当時の様子そのままの熱気と華やかな空気が伝わってくる。DJたちがアメリカの人気DJたちとセッションする様子や、音作りする様子など、DJの活動を詳細に映し出しているのも興味深い。ガラージミュージックにハマった世代には懐かしく、初めて知る人にはその魅力が全編から伝わってくるだろう。
 
 
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バブルのように人気が膨らみ、一転して挫折を味わうポールを演じるのは、22歳の時に本作の主役に抜擢されたフェリックス・ド・ジヴリ。若くしてアーティストだけでなく企業家の顔を持つフェリックスの、瑞々しくも堂々とした演技に注目したい。ポールと関わる女性たちには、ポーリーヌ・エチエンヌ(『愛について、ある土曜日の面会室』)、グレタ・カーヴィグ『フランシス・ハ』)、ローラ・スメット(『愛の残像』)、ゴルシフテ・ファラハニ(『彼女が消えた浜辺』)と、若手実力派女優が揃った。国籍もタイプも違う女たちとポールとの関係性の変化もリアルに描写され、ポールの揺れ動く内面を感じとることができるのだ。
 
フランス映画祭2015のゲストとして来日した共同脚本のスヴェン・ハンセン=ラヴ氏に、妹のミア・ハンセン=ラヴ監督と脚本を書くに至った経緯や、本作で描かれたガラージミュージックの魅力、当時の音楽的ムーヴメントを描くにあたって注力した点ついて、お話を伺った。また、『EDEN/エデン』トークショー@フランス映画祭2015でのスヴェン・ハンセン=ラヴ氏のトークも改めてご紹介したい。
 

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―――ご自身の半生を反映させたような本作を妹のミア・ハンセン=ラヴ監督と作るに至ったきっかけは?
スヴェン:ミアは、以前に撮っていたのが三部作だったので、次は少し違う方向の映画を作りたいと考えていました。音楽が登場人物のように重要な映画であると同時に、90年代の若者についての映画を撮りたいと思っていたのです。私はその時代の音楽シーンである程度の役割を担っていたので、ミアの方から声がかかり、一緒に映画を作ることになりました。
 
 
―――脚本を書くにあたり、スヴェンさん自身の人生を振り返り、妹のミアさんが今まで知らなかったことを話すことは、大変な作業だったのでは?また、どのように分担したのですか?
スヴェン:ミアが描こうとした90年代はパリでも音楽的なムーヴメントが起こっていた時代です。日々、お祭りやパーティー、また友達の集まりなどがあり、そこからムーヴメントが起こってきました。ミアからは音楽的ムーヴメントを語るために、「当時、そこで何があったのか、思い出を語ってほしい」といわれました。決して、私自身のことを話してほしいと言われたのではありません。私の語った事柄をもとに、ミアがシナリオを書き、第一稿ができあがったのですが、そこにはすでに私が話したことからインスピレーションを得た話や、彼女自身が当時私を見ていた時の思い出から生まれたミアの創作も加わっていたのです。第一項の段階でフィクションが作られていき、そこに私が参加していきました。
 
 
―――冒頭に流れた曲で一気にガラージの世界に引き込まれたが、スヴェンさんから見たガラージミュージックの魅力とは?
スヴェン:どの音楽にも似ていないところが魅力的です。変わった音楽でもありますが、色々な音楽を合わせることにより、オリジナルな音楽が生まれています。ガラージは当時新しく、また革命的な音楽でした。ダンス的な踊り出したくなる要素がある反面、ゴスペル的な要素も入っています。有機的なところと構成音のコントラストも、非常に魅力がありますね。
 
 

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―――映画では当時のDJの仕事ぶりや、クラブのライブなどが非常にリアルに再現されていましたが、それらを再現する際に一番こだわったことは?
スヴェン:ミアが重要視していたのは、嘘ではない本物を作ることです。そのためにディテールにこだわりました。DJが実際どうやって音楽を流すのか。それを正確に見せることが重要だと考えていたので、音楽シーンで重要な役割を担っている方に直接話を聞き、時には手取り足取りで教えてもらうこともありました。歴史ものを作っている時のように、お互いに意見を出し合い、専門家の助言を受け、間違いのないように注意して作っていきました。そこをいい加減にすると、後で非難されることをミアは分かっていたのです。
 
 
―――ポールの過ごした10年はポール自身だけでなくDJシーンの浮き沈みやパリで起こった音楽ムーヴメントの終焉を示唆しているようだったが、この時代を音楽シーンで生きたスヴェンさん自身は、この10年をどう捉えているか?
スヴェン:今振り返ってみると、最初の10年は実り豊かで、楽しかったです。毎日パーティーをし、様々な国にも行き、お金も儲けていました。全てが非常にうまくいっていたのです。ただ、未来のことは何も考えていませんでした。その後の10年は時が止まってしまい、まだ終わらないパーティーの中にいて、自分はずっとその中に浸かっているような感じがしていました。7~8年経ってようやく、私は目が覚めました。何も進化していない、ずっと同じことをしていると気づいた時から、私にとって人生で難しい時期が始まったのです。そこから未来を考えざるを得ない状況に追い込まれ、私は変わっていきました。
 

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―――映画は音楽で始まって、ロバート・クリーリーさんの詩で終わるが、この詩への思いや、このようなエンディングにしようとした狙いは?
スヴェン:もともとロバート・クリーリーは私が好きだった詩人で、ミアに紹介しました。“The Rhythm”という詩を選んだのはミアです。最後に詩を挿入するのは、ミアの映画の世界観に合っていますし、詩の内容も映画にマッチしていたと思います。
 
 
―――スヴェンさんは、音楽から書くことへと今は方向転換したが、今後の活動予定は?
スヴェン:文学のマスターを得るのにあと1年あるので、それを終えたら一度フランスを離れてスペインに行きたいと思っています。そこでできれば書くことに没頭したいと思います。すでに作品は書いているのですが、また新しいものを海辺の小さな街で書ければと思っています。
(江口由美)
 

『EDEN/エデン』トークショー@フランス映画祭2015

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―――『フランシス・ハ』に出演したグレタ・ガーヴィクさんをジュリア役に起用した理由は?
スヴェン:グレタさんは私もミアも大好きで、彼女が出演してくれるのは一つの夢でもありました。出演を了承してくれるかどうか不安でしたし、エージェントを通じて打診すると役が小さすぎると言われましたが、偶然にもグレタさんはミアの映画が好きで、すぐにやりたいと言ってくれました。少しのシーンですが、彼女の軽やかな感じが、作品に温かみを与えてくれたと思います。
 
 
―――今再びディスコやガラージが盛り上がってきているようですが、スヴェンさんから見て、この動きをどう思いますか?
スヴェン:一番大きな違いは、昔はこのようなクラブミュージックを聞いていた人が今より少なかったし、新しいミュージックを発見したという熱がありましたが、今は世界中で若者たちが様々なミュージックを聞いていて、彼らは自分たちの聞いている音楽の根っこが昔にあると知っています。
 
 
―――自身の役をフィリップさんにしようとした決め手は?
スヴェン:ミアがオーディションで、フィリップのことがすぐにいいと思ったのは、当時の若者の中にあったエネルギーを彼の中に感じたからです。フィリップスは音楽のことも知っています。音楽のことは門外漢という人は選びたくなかったのです。
 
 
―――フランスの文化を紹介する一方で、本作はアメリカの影響を強く受けていることを示していますが、その意図は?
スヴェン:確かにこの映画の中ではアメリカ文化のことを紹介していますが、フレンチ・タッチを紹介する映画でもあります。フレンチ・タッチというのはアメリカとフランスのつながりによって生まれた音楽です。フランスは昔からアメリカの黒人音楽に対する根強い愛着がありました。この映画は、ある意味フランスの伝統を表しているともいえますし、その絆がいかに美しいかということを示した映画でもあります。私の好きなシーンで、主人公がシカゴに行き、アメリカのDJに会うシーンがありますが、そこで二つの全く違う文化をもったDJの間に絆が生まれ、お互い違いはないのだということが分かります。
 

<作品情報>
『EDEN/エデン』
(2014年 フランス 2時間11分)
監督:ミア・ハンセン=ラヴ
出演:フェリックス・ド・ジヴリ、ポーリーヌ・エチエンヌ、ヴァンサン・マケーニュ
配給:ミモザフィルムズ
2015年9月5日(土)~新宿シネマカリテ、大阪ステーションシティシネマ、今秋~京都シネマ、元町映画館ほか全国順次ロードショー
公式サイト ⇒ http://www.eden-movie.jp/
© 2014 CG CINEMA - FRANCE 2 CINEMA – BLUE FILM PROD– YUNDAL FILMS
 
『EDEN/エデン』共同脚本スヴェン・ハンセン=ラヴ、主演フェリックス・ド・ジヴリトークショー@フランス映画祭2015はコチラ
 

romance-s-550.jpgしっかり者の大島優子主演映画『ロマンス』監督&サプライズゲスト記者会見

ゲスト:タナダユキ監督、大倉孝二(桜庭洋一役)
 

・(2015年 日本 1時間37分)
・監督・脚本:タナダユキ
・出演:大島優子、大倉孝二、野嵜好美、窪田正孝、西牟田恵
2015年8月29日(土)~ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田、京都シネマ、9月5日(土)~シネ・リーブル神戸 ほか全国順次公開
公式サイト⇒ http://movie-romance.com/
・コピーライト: (C)2015 東映ビデオ


 

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~大島優子と大倉孝二の“箱根湯けむり珍道中”~


元AKB48メンバーの大島優子主演映画は、新宿と箱根を往復する特急ロマンスカーに乗務するアテンダント女性の成長物語。ひょんなことから怪しい映画プロデューサーと名乗る男と箱根の名所を巡りながら、それまでの生き方を見つめ直して、前向きな気持ちになっていく。怪しい映画プロデューサー・桜庭を演じた大倉孝二と、母親との関係に悩む実年齢と同じ26歳の鉢子を演じた大島優子との掛け合いが、これまた絶妙で笑える! 大人の男性としてリードしようとする桜庭を全く信頼しない鉢子。ボケとツッコミ漫才の“箱根湯けむり珍道中”を見ているようだが、そこに人生をやり直そうとするふたりの心境の変化を感じとることができる。

 


 【STORY】
romance-2.jpg特急ロマンスカーでアテンダントをしている26歳の鉢子(大島優子)は、今日も同棲している彼(窪田正孝)にお小遣いを渡して出勤。ドジな後輩(野嵜好美)の失敗もさり気なくフォローし、テキパキと車内販売の仕事をこなすしっかり者。そんな鉢子が万引をした男・桜庭(大倉孝二)を捕まえたことから、変なオッサンと箱根をめぐる羽目になる。鉢子は、男にだらしない母親と高校卒業以来疎遠になっていた。一方、桜庭は、度重なる資金繰りの不調で妻子にも去られ、借金取りに追われる“人生崖っぷち”状態の映画プロデューサーだった。二人が晩秋の箱根を巡る内に、幼い頃の思い出が甦る鉢子と、不甲斐ない自分と向き合う桜庭。二人とも過去を振り返りながら、それまでの自分と決別して前へ進もうとする。

 


 8月29日の公開を前に来阪したタナダユキ監督の合同記者会見が行われた。そこに、急遽東京から駆け付けた大倉孝二が飛び入り参加。鉢子の前に突然現れた怪しい男とは違い、ナイーブさを感じさせる色白のスレンダーボディ。思わぬ嬉しいゲストに取材陣も湧き立った。箱根のガイドブックを見ながら脚本を書いたというタナダユキ監督と、大島優子との共演がとても楽しみだったという大倉孝二。作品に込めた思いや撮影秘話などについて、それぞれに語ってもらった。


 【大島優子について】

――― 大島優子さんに対するそれまでのイメージや、当て書の部分は?
romance-3.jpg監督:子供の頃に憧れていたアイドルのお姉さんという感じでした。とても明るくてキラキラしているけど、どこか憂えを感じさせる。何でもできるけど何でもやらされる、本人にしか分からない大変さもあるんだろうなと思っていました。

当て書の部分は、何でもテキパキとできるところや、足が速いところ、他は想像して書いていました。

大倉:大島さんは、足、マジで速いんで、大変でしたよ、逃げ切るの(笑)

――― 大倉さんは大島優子さんに対して?
大倉:僕は、失礼ながらアイドルということしか知りませんでした。「AKB48」もたまにテレビで見るくらいで、真ん中でとても綺麗な娘が踊っているなという印象しかなかったですね。それが、会ってすぐに「前から知ってる!」みたいな雰囲気になって、普通にダベってました。

監督:ここに大島さんがいたら、多分一番しっかりしていると思います(笑)。

大倉:どこでもそうなのか知らないけど、“アイドル大島優子”を演じているというところは見たことなかったですね。

監督:一番若いスタッフにでも誰に対しても変わらない態度で接していました。

romance-s-o-1.jpg――― 最初、大島さんとの共演を聞いた時の感想は?
大倉:なんか面白くなりそう!と思いました。

――― 体格も性格も対称的なふたりでしたが、撮影する際に工夫したことは?
監督:工夫というより、限られた時間の中でどれほど自由に動いてもらえるかなと考えました。自由に好き勝手にやってもらえればと。

大倉:本読みでも、10分くらいで「もう終わりです」と監督が言われたので、スタッフが慌てて「いやいやいや」と止めたほどです。「もういいです。後は本番でやって下さい」とね。

――― 車の中の二人の会話が面白かったのですが、緊張した?
大倉:まったく無かったすね。打ち合わせも練習もなかったです。

――― 絶妙な掛け合いに笑わされましたが?
大倉:たまたまですね(笑)。

  


 
【脚本と演出について】

――― 「脚本協力」とクレジットされている向井康介さんは、どんな協力だったのですか?
監督:鉢子と映画プロデューサーの二人が箱根へ行って帰ってくるという、大まかなプロットの部分です。それに私が肉付けしていったのです。

――― 映画プロデューサーのモデルはいるの?
監督:特にいないです。私自身がプロデューサーを胡散臭いと思っているので(笑)、未だにどんな仕事をしているのかよく分かっていないのです。いろんな人たちをミックスさせて桜庭という人物像を創り上げました。本当に、監督より個性的な人が多く、そんな人たちといると、自分が常識人だと思えてくるほどです。

romance-s-t-2.jpg――― 鉢子と桜庭との出会いのシーンについて?
監督:桜庭にとっては逃げる日だったので、鉢子が捨てた手紙を利用して、映画のプロデューサーらしく自分でストーリーをこしらえて、一緒に「母を探す」行動に出たのです。

大倉:そんな説明初めて聞いた!(笑)

監督:何も考えていない訳ではないんです。説明するのがイヤなんです、野暮に思えるから。

――― 細かな演出はしないんですか?
監督:一切しません。脚本を渡して好きにやってもらった方がいい。

――― 役者としてはやりにくいのでは?
大倉:いろんな監督さんがいらっしゃるので、その人の船に乗ったら従うだけです。説明がなくてもあんまり不安にはならなかったです。監督は言葉にしなくても「それでいいんだ」という顔をしていたので。

――― ラブホテルでのシーンについて?
監督:最初からそういう感じで撮ろうと思っていました。桜庭の中の男性としての欲望とは別に、若い女の子に泣かれてしまい、抱きしめてからの展開は、桜庭の中ではかなり混乱していたであろうと(笑)。

――― 監督からの説明もなく、脚本通りされたのですか?
大倉:理解しようとしても難しいですからね。

監督:あんまり言い過ぎると固まってしまうので、何も言わずに自由にやってもらった方が、新しい発見があるからいいんです。

――― ラストシーンにちょっと疑問を感じたのですが?
監督:最初からそういう構成でした。たまたま出会った鉢子と桜庭ですが、一緒に過ごすうちに、鉢子の母親へのわだかまりを落ち着いて考えられるようになり、最後は鉢子の笑顔で終わらせたいと思っていました。でも、母親を見掛けてすぐに母親を許す気にはなれないと思うので、ちょっと間を置いてからあのようなラストにしました。

――― それが鉢子が成長した姿だったんですね?
監督:そうです。

 
 


 
 【鉢子と親子関係について】

――― オリジナル脚本ということですが、主人公・鉢子の26歳という年齢は、タナダ監督にとって曖昧さや不安定感というものがありましたか?
監督:あったと思います。それまで“若い”というだけで許されていたことが段々と許されなくなる。今の年齢から見ればまだまだ若いと思えますが、当時は“若い”とは感じられませんでした。あまりにも一般常識もなく、できないことが多過ぎたり、また母が姉を産んだ年齢なのに自分が母親になるなんて無理だわ、「やばい!」と思ってました。

――― 26歳という年齢的なリミットを感じていたのですか?
監督:リミットは感じていませんでしたが、とても母親になる自信がないという焦りを感じていました。

romance-s-o-2.jpg――― 大倉さんは鉢子のような20代半ばの曖昧さとかありましたか?
大倉:個人的にはフラれたりバイトがダメになったり、周りの人たちが少しずつ映像に出だして「俺はもう諦めなければいけないのかな?」と思ったり、かなり腐った状態でした。でも、26歳~27歳の時が一番大きな転換期だったように思います。野田秀樹さんや三谷幸喜さんの舞台に出させて頂いたり、映画『ピンポン』に出演したりとね。

――― 親と子の関係や子供をうまく育てられなかったという思いが作品の中にあるが、監督もそんな難しさを感じているのですか?
監督:意識している訳ではないけど、「家族ってやっかいだな」と思っている部分はあります。どんなにひどい親でも捨てきれないとか、逆の立場では、私自身親の望み通りの人間に育ってないので、何だか面倒くさいなとかね。

――― 「親だから」といって許してしまうところもあるが?
監督:今回、私は桜庭の年齢に近いのですが、鉢子に対しては、まだ子供ですが親のことが理解できる立場でもあるので、子供だからといって親を責めていい年齢ではないよね、と気付き始めた時の苦しさがあります。桜庭に関しては、親としての不甲斐なさや、子供を嫌いになれないという親の感情を、今の年齢だから入れられたのかなと思います。

 


  
【箱根について】

――― 関西の人にはあまりなじみのない箱根ですが、ロケ地について?
romance-s-t-1.jpg監督:実は私も箱根は初めてだったんです(笑)。都心から1時間ちょっとで行けるので、いつでも行けると思って全然行ったことがなかったんですよ。今回は時間がなかったので、脚本はガイドブック見て書きました(笑)。行ったことのあるプロデューサーに、ここは1日で移動できる距離なのかと聞いてみたり、後はロケハンで決めればいいやというふうに思ったり、自分で脚本書いている強みですね。

大倉:ホント、ベタですからね。ガイドブックに載っている所しか出て来ないですからね(笑)。

――― 小田急電鉄からのオファーなのかと思いましたよ?
監督:いえいえ、こちらからお願いしたのです。最初小田急電鉄へ電話した時、たまたま受けて下さった広報の鈴木さんという方の奥様がロマンス号のアテンダントをされていて、「アテンダントに光を当てて下さって嬉しいです」と仰って下さり、撮影が実現しました。小田急さんに断られていたら、今ここで取材を受けることもなかったでしょう。

大倉:箱根はとてもいい所ですよ。

――― 今、火山活動の影響で観光客も減っているようですが?
監督:早く収束してほしいですね。でも、箱根へ行けない間は、この映画で見て箱根を楽しんで頂きたいです。


 (河田 真喜子)

 

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『沖縄 うりずんの雨』ジャン・ユンカーマン監督トークショー@第七藝術劇場
2015年8月9日(日)第七藝術劇場にて
 
(2015年 日本 2時間28分)
監督:ジャン・ユンカーマン(『老人と海』『映画 日本国憲法』)
8月8日(土)~第七藝術劇場、15日(土)~ポレポレ東中野(アンコール上映)、29日(土)~神戸アートビレッジセンター、近日~京都シネマほか全国順次公開
公式サイト⇒ http://okinawa-urizun.com/ 
戦後70年、沖縄は問いかける『沖縄 うりずんの雨』ジャン・ユンカーマン監督インタビューはコチラ 
(C)2015 SIGLO
 

~主張をし続けることが大事。

日米双方で沖縄問題に関心を持つ人が少しでも増えれば、小さな勝利になる~

 
2005年に『映画 日本国憲法』で海外からみた日本国憲法を描いたジャン・ユンカーマン監督が、沖縄戦から現在に至るまでの長いスパンで「沖縄の戦後」を顧み、沖縄の声を聞く最新作『沖縄 うりずんの雨』を完成させた。東京、沖縄での上映を経て、現在第七藝術劇場で絶賛公開中だ。
 
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ジャン・ユンカーマン監督は、沖縄が本土復帰して3年後の1975年から沖縄に滞在している。復帰後にもかかわらず多数の米兵が滞在していることに理不尽さを感じ、ずっとアメリカに沖縄の現状を伝えたいと思っていたという。製作に3年半をかけた本作は「沖縄戦」「占領」「凌辱」「明日へ」の4部構成で、アメリカ側の沖縄映像資料(沖縄戦や、占領時代の映像)やインタビューを織り込み、沖縄とアメリカ双方の立場から米軍基地問題を掘り下げた。第七藝術劇場では、『沖縄 うりずんの雨』の延長線上に位置する作品、『戦場ぬ止み』(三上智恵監督)も現在同時公開しており、双方を観ることで、沖縄問題をより深く知り、考える良い機会となるだろう。
 
公開2日目の9日15:20の回終了後に行われたトークショーでは、満席の観客を前に、ジャン・ユンカーマン監督が本作のテーマや現在日本が抱えている安保、基地問題、沖縄に対する日米の差別意識について、会場からの質問に答えた。米兵によるレイプ事件の加害者インタビュー映像を取り入れたことについても、経緯やその必要性について監督の意見を真摯に語ってくださった。1時間に及ぶ熱のこもったトークショーの模様をご紹介したい。
 

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Q.現在記念上映されている『ひめゆり』(柴田昌平監督作)の感想は?
『ひめゆり』は丁寧に証言を集めていたので、ひめゆり学徒隊や沖縄の現実がみえる映画です。『沖縄 うりずんの雨』との共通点は、経験したことを自分の言葉で証言してもらっていること。歴史を理解するのに一番いい方法です。勇気が必要だったと思いますが、自分の目で見たことを話してもらいました。皆さん、とても劇的で、悲劇的な経験をした方々で、経験したことを明確に記憶しています。それらがこの映画のベースになっており、その延長戦上に三上智恵監督の映画(『戦場ぬ止み』)があります。私が歴史の証言を取っていく中で、辺野古も厳しい状況になってきています。昨年9月、空撮のため沖縄に行くと、モートン・ハルペリン氏(沖縄返還交渉に携わった米国家安全保障会議元高官)がシンポジウムで基調講演を行うため滞在しており、一緒に撮影もできました。シンポジウムとそこでの大田昌秀先生の発言が、この映画の主張の一つをまとめてくれ、最後のシーンができました。
 
 

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Q.20年前に起きた12歳少女レイプ事件の犯人の一人、ロドリコ・ハープ氏が画面で証言しているが、証言を映画に入れるまでの経過は?また、沖縄の方の反応は?
こういう映画を作るときは、最初から誰に観てもらうかを考えます。沖縄問題を意識してもらいたいのは、主に日本本土、アメリカの人たちで、彼らが沖縄問題を掴むためにどうすればいいかを考えました。沖縄で上映したときは、本土とは全然違う感じがしました。レイプ事件だけでなく、沖縄戦のことを沖縄で観ることは、とても辛いところでもあったと思いますが、アメリカ人や本土の日本人に伝えるためには真正面から描く必要があったのです。沖縄でも、多くの人に沖縄のことを伝えようとすることに対し、暖かい反響と感謝を伝えてもらいました。
 
私は、最初から加害者の証言も映画の中に入れるべきだと思っていました。沖縄問題が出てくるたびにレイプ問題も取り上げられますが、その実態はなかなか理解されていません。特に沖縄以外の人たちは遠いところの事件と思っています。ハープ氏は今回最初に撮ったインタビューですが、それまでには撮るかどうか、撮った後につかえるかどうかという判断がありました。いつも相手にシンパシーを持ってインタビューをしているので、レイプした人に面と向かって話ができるか不安でしたが、実際に会うと、とても素朴な人でした。心の深いところで反省していたので、これは使えると思いました。
 
後は、どうやって見せるかです。そのためには事件の背景に何があるかを描きました。加害者の話だけでなく、(今までのレイプ事件の)被害者の話も入れ、最終的にはアメリカの学者シンシア・エンローさんの話を入れて、インタビューの前に枠組みを作って、丁寧に見せるようにしました。沖縄で女性問題に深く関わっている方も、こちらの意図は認めてくださっていますが、加害者インタビューは見せるべきではないと言われました。20年前に起こった事件ですが、被害者に配慮し、沖縄のメディアは今でもディテールには触れないようにしています。だから僕たちはそれに真正面から取り組み、見せようと判断しました。
 
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Q.今回の映画のテーマの一つである憲法第9条に対する沖縄県民の思いと本土の人の思いは、アメリカ人のジャン・ユンカーマン監督からみると、どう映るのか?
一つの見え方として、沖縄は憲法第9条を守る最前線です。戦後70年の今、憲法問題や安保法案を通して、日本の戦後の歴史が見えてきています。多くの日本市民が心の深いところで戦争を否定、放棄しています。ただ、矛盾しているのは、日本とアメリカが軍事同盟を組んでいることです。アメリカは絶えず戦争を選んでおり、日本がアメリカと組むと、どうしてもアメリカの方針に従わざるを得なくなります。安保がそうですが、それがはっきりと見えてきているのが今年の夏で、民意と政府の方針が対立しています。
 
もう一つの見え方は、同じことが狭い規模で沖縄に起こっているということです。20年間沖縄の人たちは(辺野古移設は)ダメだと否定し、特にこの2、3年はオール沖縄の意思となっているのに、安倍政権はアメリカ政府と約束しているから基地を作ると言っています。TBSキャスターの金平氏が、「全国が辺野古化されてきた」と言っていますが、辺野古で起こっているのと同じことが国会で起きています。どうやって解決するかはとても難しいですが、その難しさがこの映画のテーマでもあります。
 
また、それらが起こる環境には二つの意識が内在しています。一つは(アメリカ側から見て沖縄は)戦利品という考え方で、沖縄はアメリカが沖縄戦で犠牲を払って得た特権的な権利を持つ場所なのです。長いスパンで映画を描くことは、戦争が終わった途端、アメリカが特権的意識で扱ってきた沖縄を映し出すことでもあります。占領が終わっても基地がそのまま残るのは、特権的な権利がある戦利品だからです。
 
もう一つは、本土の日本市民の中に沖縄に対する差別意識があることです。今は米軍基地の74%が沖縄に集中しています。「それはしょうがない」という発言には差別が入っていると思います。なぜ70~90年代に沖縄の基地に反対する声が挙がってこなかったのかと考えると、それは沖縄市民が二流市民(second citizen)と思われているからです。実際、アメリカ本土占領が終わったとき、米軍基地の80%が本土にありました。沖縄が74%になったのは沖縄の本土復帰後です。本土の基地を閉鎖して、沖縄に移設しているのです。今になってそれに対して疑問が広がっていますが、沖縄では(基地を残したままの)本土復帰は差別的だと当時から言われています。映画の中で沖縄の写真家、石川真生さんも、沖縄の人が受ける差別と黒人差別が似ていると語っていました。重要なのは、差別が根拠になるときは、差別がなくなるまで闘い続けることです。アメリカの黒人公民権運動も差別と闘う歴史でしたし、沖縄もそういう歴史になると思います。
 
 
Q. (生粋の沖縄県民であることを表明しての質問)事件の加害者であるロドリコ・ハープ氏には、実際にどういう言葉で映画の出演依頼をし、それに対してどのような返答があったのか?また、沖縄県民の反発は予想はされていたと思うが、実際はどうだったか?
ハープ氏らには、「あなたたちは罪を犯したが、その罪を責めるつもりはない。あなたたちの状況を正直に話してもらいたい」と手紙を書きました。手紙が届くまでは色々な経緯があり、時間がかかりましたが、届いてからすぐに「了解しました」と返事をもらったのです。後で理由を聞くと、カメラの前で事件が起きたときのことを正直に話すことが自分のためにもなると語ってくれました。レイプ事件を起こしたことは許してはいけないし、(観客の皆さんには)映画の方針を理解していただいていると思います。メディアが(事件のことを)丁寧に扱ってきたことに対して、そのルールを破ったという反感はありましたが、コザ地区での上映後に、「ハープ氏と話す機会があったら、『あなたには生きてほしい、自殺しないで』と伝えてほしい」とおばあさんが話しかけてくれたこともありました。
 
加害者のインタビューを見て複雑な気持ちにならない人はいないですが、そこから色々なことが見えてくると思います。ハープ氏はとても素直な人でした。「アメリカではレイプ事件に関わることは想像もできないが、沖縄では関わることができる」というのはどういうことかといえば、占領者の意識であり、基地から外に出た世界を見下しているのです。それはすごく大事な情報です。加害者が普通の兵士だからこそ、深刻な問題で、現に米軍基地の中でも、性暴力が頻繁に起こっています。
 
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Q.将来の展望という点で、アメリカが沖縄を戦利品と捉えているのなら、アメリカの国民世論が盛り上がることも必要だと思うが、アメリカで本作のような映画に賛同してくれる人がどれぐらいいるのか?
残念ながらアメリカの軍事主義はとても根強く残っています。アメリカ人として悲しいことですが、僕はベトナム戦争の最中に育てられ、反戦運動もしていました。終わったときに二度とあんな戦争をしないと思っていましたが、アメリカはそこから何も教訓を得ていません。民主党も共和党も軍隊を支持しており、武力で国際問題を解決することができるし、必要だと思っています。また、アメリカは海外に100か国で800基地を持っています。残念ながら沖縄はその中の一つという捉え方です。
 
ただ、沖縄の辺野古問題が長引いたことにより、辺野古の基地建設をやめてほしいという人は増え続けています。私が関わっている大学のネットワークによると、平和を唄う元米兵グループが、辺野古の基地建設反対声明を出していますし、バークレイの市議会も声明を出しています。それらはまだ少数派なことは否めませんが、秋に『沖縄 うりずんの雨』上映ツアーを組み、大学などで上映しながら、広めていきたいと思います。解決方法となると、主張をし続けるということでしょう。辺野古を応援しつづけ、強制的に基地が建設されることに対し抗議の声をあげれば、その声はアメリカに響くはずです。
 
特に(沖縄に駐在した)元米兵の動きが大事です。(米軍が沖縄に駐在し始めてから)70年になりますが、大体年平均5万人が沖縄に駐在しており、延べ350万人にのぼります。彼らは、沖縄に対して懐かしさを抱いていますし、沖縄のことが好きです。そういう人たちが沖縄にずっと基地を残すべきなのかと考えるのではないでしょうか。少なくともインタビューで出演した元米兵(沖縄戦に従事)は、まだ米軍が沖縄に残り、負担させられていることを残念がっていました。
 

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Q.米軍兵士が置かれている状況を以前直接聞く機会があり、軍隊内は暴力が支配し、レイプも当たり前。兵士たちは貧しい中でリクルートされ、完全に暴力的支配で統治されておりというのは忘れてはいけないアメリカの状況だと感じたが。
その通りだと思います。軍隊は根本的に非人間的な組織で、敵を見下すことが必要です。それは、米軍が沖縄でやっている行動につながっています。米軍もPTSDを抱えている若い兵士が25万人おり、年間7000人の自殺者(1時間に一人ぐらいの割合)がいます。戦死者より自殺者が圧倒的に多いですし、自衛隊でもイラクからの帰還兵には自殺者が多いです。しかし、そういう精神的な病気を抱えている人の治療は全く行われておらず、兵士は使い捨てのようになっているのが、軍隊の根本的な姿です。米軍の性暴力も同じで、毎年2万8千件ぐらい起きており、とても深いところにある問題です。だから、妥協してはいけません。
 
集団的自衛権も同じことです。戦争に行かせるということは問題の解決にはならず、両方が被害者になることにつながります。沖縄という一つの島でもそういう状況が見えてきますが、それは普遍的なメッセージでもあります。沖縄から届く声を聞くことが大事です。
 
三上監督の『戦場ぬ止み』で、辺野古の座り込みに参加している人たちは、唄って踊って、とても明るく、人間的なところがあります。厳しい状況の中、強い精神をもって座り込みを行っているのです。これがおかしい、やってはいけないという人が増え続ければ、いずれは改善できます。本土の中でも、この映画を歓迎する人がたくさんいます。沖縄への関心が確実に高くなり、その事実が沖縄に届くと、沖縄の人の励みになります。沖縄問題に関心を持つ人が少しずつ増え続ければ、それは小さな勝利です。一度、「沖縄の人たちは、負けは知らない」と言われたことがあるので、「負けっぱなしではないか」と返すと、「勝ったことはないから、負けはわからない」と言われました。沖縄は「(見方を変えれば)世の中はこういう風に見える」と教えてくれる気持ちの豊かな島です。
(江口由美)
 

MIRN-AP-550.jpgシリーズ最高傑作を引っ提げ、トム・クルーズ来日!

「日本に戻って来られてうれしい!」 ファン700人の熱い歓迎に、トム感激!!

 
映画史上最高のスパイ、<不可能を可能にする>伝説のスパイ:イーサン・ハントに、史上最難関のミッションが発令される!

全世界で累計21億ドル(約2520億円)を超えるパラマウントピクチャーズの超人気シリーズ『ミッション:インポッシブル』の最新作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(日本公開:8月7日(金)。公開に先駆け、トム・クルーズとクリストファー・マッカリー監督が7月31日(金)、プロモーションのため来日致しました。
 


  

 『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』トム・クルーズ来日空港取材

2015年7月31日(金) 17:50頃   羽田空港 国際線到着ロビーにて

 
トム・クルーズが、監督のクリストファー・マッカリーとともに、本作のプロモーションのために来日した。トム・クルーズの来日は昨年6月の「オール・ユー・ニード・イズ・キル」以来約1年1か月ぶり、21回目。クリストファー・マッカリー監督はトムと初タッグを組んだ『アウトロー』のプロモーション(2013年1月)以来2度目の来日となる。


羽田空港の到着ロビーでは、多くの報道陣と、女性ファンやファミリーのほか、夏休みということもあり小学生や制服姿の女子高生など幅広い層のファン約700人が到着をいまかいまかと待ちわびた様子だった。「Welcom to Japan」と書かれたお手製のボードを持ったファンやお手製のトム写真入りうちわを持ったファンの姿も。そしてロビーにトムが姿を現した瞬間、あちこちから「トムー!トムー!」の歓声があふれ、まさにトムコール一色に!!トムは真っ先に5歳くらいの女の子のもとへ駆け寄りサインに応じたり、中には「I Love You!! Hug Me!!」と熱烈なラブコールを送る女性ファンもおり、トムも熱いハグで応じるなど感無量の様子だった。そのあとも一人ひとり丁寧にサインや握手、写真撮影に応じたり、時にはファンと会話を交わす場面もあり、黄色い声援が収まらない中、ファンサービスは1時間弱にも及んだ。


ようやくマスコミの前にも姿を現したトムは「日本に戻って来られてうれしい!」とコメント。「サングラスを外してくれる?」とのマスコミからのリクエストには「明日ね!」と笑顔で応えた。


先日ウィーンのオペラハウスで行われたワールドプレミアでは、詰めかけた5,000人以上のファンに向けて約4時間にわたるファンサービスをたっぷりと行ったトム。日本でのキャンペーンはクリストファー・マッカリー監督、製作のブライアン・バークとともに2日の記者会見、3日のプレミアレッドカーペットに出席する予定だ。なお、全米批評家ランキングサイトRotten Tomatoesで97%の高評価(2015年7月28日現在)をたたき出しており、ワールドプレミアでもトムは「シリーズ最高傑作だと自信を持って言える出来だから、きっと皆さんにも楽しんでもらえるはずさ」とコメントしており、自信作を引っ提げてのプロモーションにあたる。親日家のトムだけに、日本のファンに向けて丁寧なファンサービスが期待され、この夏一番熱い1日になることは間違いなさそうだ。
 


 

 ◆『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』ストーリー

MIRN-550.jpg超敏腕スパイ:イーサン・ハント率いるIMFは無国籍スパイ「シンジケート」の暗躍により、またしても解体の窮地に追い込まれてしまう。イーサンはこの最強の敵にどう立ち向かうのか?誰が敵か味方かわからない中、究極の諜報バトルが繰り広げられる。史上最難関のミッションをコンプリートできるのか!?イーサンの究極の「作戦」とは?

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2015年8月7日(金)より全国ロードショー!
(C)2015 Paramount Pictures. All Rights Reserved.


 (プレスリリースより)

  

MIRN-b-550.jpg『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』来日記者会見

飛行機にぶらさがるのはお勧めしないよ(笑)
トム・クルーズ史上&M:Iシリーズ史上
全米&世界オープニング興収No.1を引っ提げ日本で記者会見 
~ノースタントアクション秘話を語る~



日本で語る トム史上もっとも危険な超絶アクション。その舞台裏とは?

全世界で累計約21億ドル(約2,520億円)を超えるパラマウントピクチャーズの大人気シリーズ『ミッション:インポッシブル』の最新作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』 日本公開:8月7日(金)に先駆けて、7月31日(金)に公開された全米では、初日興収がシリーズ最高の2030万ドル(24億4000万円)で大ヒットスタートを切った! 初日単日としては、『ミッション:インポッシブル』シリーズ史上最高の興収で「M:I-2」(2000年)が記録した1660万ドル(19億9000万円、最終興収2億1500ド万ドル=258億円)の興収を大幅に更新した。一方、海外では20ヶ国以上で公開され、すでに2630万ドル(31億6000万円)大ヒットスタートを切っており、週末の興収は6000万ドル(72億円)と予測され、シリーズのみならず、トム・クルーズ出演作品史上、最大のオープニングとなった国もあり、全世界ではこの週末に約1億1200万ドル(134億4000万円)が見込まれている。

また、公開前には全米批評家サイト「ロッテン・トマト」で驚異の97%、「シネマスコア」でもAの高評価を獲得している。シリーズ最高傑作との呼び声も高い。
そんな世界中で話題沸騰の本作を引っさげ、7月31日におよそ1年1か月ぶりに来日したトム・クルーズの「来日記者会見」の様子を下記にて紹介いたします。


 


 
【来日記者会見】
・2015年8月2日(日)  ザ・ペニンシュラ東京にて 
◆出席者:トム・クルーズ(イーサン・ハント役兼プロデューサー)、クリストファー・マッカリー(監督)
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2日(日)、映画『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』の記者会見が東京で行われ、製作・主演のトム・クルーズ、監督のクリストファー・マッカリーが出席した。4000人ものファンが集まったロケ地でもあるオーストリア・ウィーンでのワールドプレミア、1000人のファンでごった返したNYでプレミア、そんな世界中で話題沸騰の本作の記者会見には、テレビカメラ20台、スチールカメラ80台、記者50名、総勢200名のマスコミ陣が会場に詰めかける盛況ぶりで、会場は熱気に包まれた。
あの有名なテーマ曲と共に、記者会見のステージに登場したトム・クルーズ、クリストファー・マッカリー監督は、最新作への自信と意気込みを語った。


 


 
「ミッション:インポッシブル」シリーズは、トム・クルーズ演じるIMFの諜報員イーサン・ハントとして、トム自身がノースタントで挑むアクションシーンが常にお茶の間の話題となりスポットライトを浴びるが、最新作でも、観ている方の心拍数が上がり、手に汗握るリアルスタントへの挑戦が注目されている。本作の出来栄えについて監督は、「トムとコラボレーションした5作目の作品で、毎回が学びの現場だったし、我々が学んできたことから生まれた結果に非常に満足している、きっと観客の皆にも分かってもらえる」と自信を見せた。トムも同様に「僕も同感だ。まるで生徒のようにいつも現場で新しいことを学ぶんだ」と語り始めた途端、トムのマイクが垂れ下がり、何度か自身で直そうとするが戻らない状況に!スタッフが直しにかかると、「ほら、こうやって今も新しいこと(マイクの治し方)を学んだよ、(スタッフに向かって)アリガトウ!」とマイクを直したスタッフを気遣いつつ、超大物俳優でありながら、周りへの気配りを忘れないトム自身の人柄を表し、会場を和ませた。そんなハプニングの後、トムは続けて「マッカリー監督本当にたくさんの知識を持っていて、私が今まで知らないこと、例えば軍用機のぶら下がり方などを学んだ。でも皆には、飛行機にぶら下がるのはお勧めしないよ!(笑)」

MIRN-550.jpgその本作の目玉となるアクションシーンの一つは、 "スタント無し"で地上約1500メートルを時速400キロ以上で飛ぶ軍用飛行機のドア外部に張り付き、侵入に挑むという体当たりアクションシーン。そんな不可能を可能にするトムに、「怖いものはありますか?」という質問が投げられ、注目が集まった。「怖さはあまり感じない、そう自分に言い聞かせている」とクールに答えたトムは、軍用機にぶら下がるシーンは監督のアイディアだったと明かした。そのトムのコメントに監督は「あれはジョークのつもりだったんだ」とは慌ててフォロー、逆にトムは「(そのアイディア)いいんじゃない?」と監督のアイディアを気に入ったと、名シーンが生まれた誕生秘話を語った。

MIRN-b-Tom-1.jpg現場でのエピソードとして監督は、「機内でモニターを見ていた後、軍用機に立つトムにコミュニケーションを図ろうとして外に出たが、非常に寒くて、あんな環境で演技をしているトムに驚いた!私は沢山着込んでいたが、それでもものすごく寒かったんだ。それでもトムはスーツ姿だからね!(笑)」と、現場でのエピソードを明かし、CGを排除した"本物のアクション撮影"を強調した。その後、トムは「スーツは着たかったんだ。スーツ姿にこだわったのは、ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』のオマージュとしてね」と、常に観客をエンターテインさせようとするプロとしてのこだわりを明かした。

あの名シーンのあまり過酷さに「1000フィート(約300メートル)上がるごとに3度気温が下がるのから極寒の寒さだった。更に、エンジンからの排気ガスが顔にかかって本当に苦しかった!僕はパイロットだからよくわかるんだ。鳥がもしぶつかったりしたら大変なことになるんだ。ぶら下がっているだけじゃなくて、そこで演技もしなくてはならなかったんだ。やっぱりやるんじゃなかったかな・・・」とジョークを飛ばして会場を笑わせた。

そこで更に監督は、「トムはそのシーンの撮影中ずっと叫んでいたんだ。僕はそれがパニックなのか素晴らしい演技なのか分からなかった。トムは『パニックじゃない、これは演技なんだ、カットしないで!と叫んでいたよ。』と明かした。

「今後、日本を舞台にするという考えはありますか?」という質問に、「いいね!道路を遮断させてもらったり、ビルから飛び降りることを許可してくれたらね。でも夏は避けて春か秋かな。」と日本のファンには嬉しいコメントも。

MIRN-b-Tom-3.jpg最後に、「本シリーズが長年続いてきた理由や想いは?」という質問に、トムは「初めてプロデュースした作品だった。映画学校に通ってきたわけではないので映画のあらゆることを現場で学んできた。このシリーズは、いろいろな国を周り、各国の人や文化を知るチャンスを与えてくれた映画で、チャレンジもできる、観客の皆を最大限エンターテインできる作品」と、熱い思いを明かした。監督は「僕の願いが叶った映画です。本シリーズにはルールがあって、不可能なことをイーサン自身はやりたくない、でも絶対不可能なことを毎回やらなくてはいけない状況に持っていく脚本作りは非常に難しいんです。でもいいところは、作品を作る私たち自身も、物語がどこに到達するか分からない。観客と同様毎回がサプライズなんです」と締めくくった。

一流の監督とキャストをチームに加え完成させた自信作「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」は8月7日(金)より全国ロードショー。


 


 
◆『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』ストーリー

MIRN-sub3.jpg超敏腕スパイ:イーサン・ハント率いるIMFは無。国籍スパイ「シンジケート」の暗躍により、またしても解体の窮地に追い込まれてしまう。イーサンはこの最強の敵にどう立ち向かうのか?誰が敵か味方かわからない中、究極の諜報バトルが繰り広げられる。史上最難関のミッションをコンプリートできるのか!?イーサンの究極の「作戦」とは?

 

・公式HP:http://missionimpossiblejp.jp/  
・公式Facebook:
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2015年8月7日(金)より全国ロードショー!

(C)2015 Paramount Pictures. All Rights Reserved.


 (プレスリリースより)

 

cinamon-s-550.jpg『シナモンの最初の魔法』インタビュー

ゲスト:衣笠竜屯監督、白澤康宏(プロデューサー兼、黒葉役)、篠崎雅美(桂役)

・2015年 日本 1時間6分
・監督:衣笠竜屯
・出演:辻岡正人、栗田ゆうき、篠崎雅美、西出 明、松田尚子、白澤康宏、有北 雅彦
・2015年8月1日(土)から7日(金)まで元町映画館にて上映
公式サイト⇒ http://sweetsmpr.wix.com/cinnamon-cookie


 

~神戸の街を舞台の、心ときめくファンタジー~

 

あなたの前にいきなり、可愛い、白いエプロンをつけた少女が現れ、「私はシナモン、クッキーの妖精です。あなたをしあわせにするために、洋菓子のお店からやってきました」と言われたら、あなたはどんな顔をするだろう。

cinamon-550.jpg東京から神戸に出張でやってきた営業サラリーマンの川北龍成。契約は一つもとれず、上司からは、契約がとれなかったら倉庫にとばすと電話がかかる。このところ喧嘩ばかりの婚約者の桂からは、「食べたら幸せになるクッキー」を買ってきてほしいと何度も携帯に催促の電話がかかる。そんな龍成の目前に、いきなりチャーミングな少女シナモンが現れる……。


シナモンは落ちこぼれの見習い妖精。龍成を幸せにするという課題を与えられ、龍成につきまとう。シナモンの先輩の妖精メブキと謎の男、黒葉のほか、お菓子の学校のバニラ先生、妖精の仲間たちと、楽しい人物が登場する。龍成を演じるのは、総合プロデューサーでもある辻岡正人さん。今まで『クローズZERO』などアクションやホラー系の作品への出演が多かったが、本作では、自分で自分につっこむようなひとりごとの多い、人間くさい青年を演じていて、栗田ゆうきさんが演じる、ふわふわしたトリックスターのような、明るいシナモンとの組み合わせは絶妙。二人が、神戸の街を駆けめぐるドタバタ・ファンタジー・ラブコメディー。


cinamon-2.jpg映画は、龍成と桂が、互いの存在のかけがえのなさに気付くことができるかという話であると同時に、シナモンの成長譚でもある。シナモンが、自分の“生きる道”を見つけられるか…。“自分の幸せ”ではなく、自分が好きな人を“本当に幸せにする”ためには、どうあったらいいのか…。シナモンが唱える「お菓子の心得」の言葉が、映画を観終えた時、思いのこもった、あたたかいメッセージとして、あなたの心に届くにちがいない。


衣笠竜屯監督と、プロデューサーで黒葉を演じた白澤康宏さん、桂を演じた篠崎雅美さんにお話をうかがいましたので、ご紹介します。
 


 
◆お菓子の妖精シナモンについて

―――シナモンが本当に可愛くて、動きも楽しく、目が離せませんでした。シナモンのキャラクターはどのようにつくられたのですか?
cinamon-3.jpg監督:子どもの頃、お手伝いのコメットさんが魔法を使って手伝う『
コ メットさん』(1967~68年九重佑三子さん主演、1978~79年大場久美子さん主演)というテレビドラマがあり、学校でしんどいことがあっても、このドラマを観て、いやされたり、『メリー・ポピンズ』(1964年)というファンタジー映画を観て、次からはちょっと頑張ろうと思いました。映画ってそういう機能がありました。映画館に入って、ちょっと現実を忘れ、出た時には軽くなっている…、そういう映画をつくりたい。本作も、現実のつらいことを、ファンタジーとか神話、童話といった異界に助けられる話になっています。

シナモンの脚本段階でのイメージは、繊細で線の弱い少女という設定で、栗田さんのイメージではなかったですが、栗田さんをとおしてキャラがみえて、立ち上がってきたところがあります。シナモンがくるくる回りながら動いていくのは、栗田さんが自分で考えついてやってくれました。大半がアフレコだったのですが、遠くから撮影していて録音できない時でも、何度もウワワ~と声を出してやってくれました。


―――この映画をつくるきっかけは?
監督:私が監督した短篇『バニーカクタスは喋らない』(2012年)では、メブキというしゃべれない女の子が主人公で、サボテンと会話し、サボテンと友達になります。その映画では、メブキは人間という設定でした。辻岡正人さんがこれを観られて、2012年暮れに、辻岡プロダクションから一本つくってほしいとリクエストがあり、2年位かけて脚本を書き、昨年GWの5日間で大半を撮影しました。

 


 
◆色彩・特撮について

―――映画の始まり方もおもしろいですね。本が開いて、挿絵がそのまま実景に変わり、カメラがひくと、龍成の姿が映る。
監督:本が開いて、そこから映画が始まると、中に実景があって…というディズニーのような映画が大好きです。本好きの少年で、小学校の図書室に行って、30年くらい前の布張りの本とか探して、引っ張り出すワクワク感が大好きでした。

―――少しぼかしたような映画の色調は?
監督:私の考え方は、今の主流と違っていて、ピントが合ってリアルな色合いでやるという映画が多い中、子どもがクレヨンで描いたような映画があってもいいんじゃないかと思っていまして、そういう雰囲気にしたかったんです。

―――そういうイメージがあるから、UFOが出てきて文字まで出てきて(笑)、あれだけ大胆だと、楽しかったです。
cinamon-s-2.jpg白澤:あれはいろいろ意見ありましたが、衣笠監督ならではと思います。皆に何やってるのと言われながらも、絶対やらせてと引きませんでした。

監督:あれも無茶なことで、ないほうが映画としてまともと反対意見もありましたが、『コメットさん』でも、人間が風船の中に入ってしまったり、無茶なことをやっていて、最近そういうのがありません。

嘘というのが分かった上で楽しめるという特撮が、昔はあったと思います。今はCGでリアルに撮影された作品ばかりなので、レイ・ハリーハウゼン(特撮映画の監督)の映画のような、骸骨がガーツと上がってきて戦ったり、どうみても人形を動かしているのだけれど、おもしろい…そういう映画の可能性を追求したいと思いました。お菓子のお店も、小さいミニチュアをつくって映したら、若いスタッフから、監督、本気?と言われました(笑)。

 
―――シナモンがピョンと跳んで小さくなってミニチュアの家に入ったり、バニラ先生や妖精たちが、お菓子の学校の何かの画面で、シナモンと龍成の様子を見守っていて、賭けをしたり、助け舟を出したり、おもしろかったです。
監督:学校で画面を見ているシーンは、70年代の特撮の、皆で水晶玉に映る映像を眺めているイメージです。石森章太郎の漫画「二級天使」や、フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』(1946年)のイメージで、皆で見ている感じを出したかったんです。

 


 

 ◆ファンタジーと現実が混ざり合うおもしろさ、神戸という街について

cinamon-500.jpg―――ファンタジーの世界に浸っている中で、いきなり黒葉が名刺を出して営業やら、現実の話になって、その対比が楽しかったです。
白澤:龍成がセールスマンで、持っている営業のチラシも全然ファンタジックではなく、どぎついちらしが映りこんできて、僕も現場でびっくりしました。あんな毒々しいものを売っている青年が、あんなピュアな恋をするというギャップがおもしろかったです。

監督:職業の設定をどうするかという時に、神戸のクッキーなら、東京のマムシドリンクだろう(笑)って感じになりました。

白澤:龍成のキャラと他のキャラクターのギャップがおもしろく、彼が現実のどぎつさみたいなのを引き受けて出てきてるのかなと、つまり人間側の人ということですね。ファンタジックなキャラの中に、一人、生々しい人間が混じっています。

監督: 『メリ-・ポピンズ』、『コメットさん』でも、現実とまるで違う異世界に行って、最後は、必ず現実に、家に戻ってきて、現実の中の問題も解決していて、そういうところが好きです。

ファンタジーって、神様の力というか、異界の力、異界のキャラクターの力を利用するみたいなところがあります。黒葉のクローバー薬局はきっとこれからもずっと続けるでしょうし、あのサボテンも育てるでしょう。そういうファンタジーのあり方があるのではないか。

魔法を使えるお手伝いさんが普通に街にいる世界が成り立ちそうなのが神戸で、ファンタジーと日常との境界があまりないような感覚が子どもの頃からあって、初めから神戸で撮るつもりでした。神戸は、百年位経っている古い家とか、西洋の家とか、子どもの頃から不思議な光景がありました。街を曲がると不思議なお店があって、そこに入ると魔法を売っていて、もう二度と行けないみたいな話があっても、違和感がない街並みが神戸です。
 



◆テーマについて

―――桂は電話のシーンでしか登場せず、はじめは、わがままで、いい印象を受けませんが、段々変わっていきますね。
監督:自分の心の中に世界を持っている人が、外とどうやってつながっていくか、そういう人同士がどうやってうまくつきあっていくのかを、『バニーカクタスは喋らない』の時からずっと考えていて、本作も、桂が心の中で、婚約者の龍成の愛情を受け取れるかどうかという葛藤の物語です。龍成のことを愛しているけれど、うまくいくか心配で、自分が愛に値するかどうか、相手を信じられるか不安。いわば、結婚する前のマリッジ・ブルーをどう乗り越えるのか。それで愛が壊れることもありますが、心の中に、お菓子の妖精や神様をつくりだして、異世界の力を借りて、不安や迷いを乗り越えて、相手とつながる、そういう物語をずっとやりたかった。


―――シナモンが成長する話でもありますね。
監督:シナモンが龍成に恋をするというのはどうだろうと言って、最初は大反対されましたが、シナモン自身が自分の使命を忘れて、恋敵になってしまうところがおもしろいと思って、スタッフを説得した覚えがあります。

脚本の時に、「お菓子の心得」みたいなのを入れようと言って、1条「人を幸せにすること」、2条、3条と考えてみて、スッタフに「本気?」と苦笑いされたりしましたが、言葉にするとシナモンの気持ちが伝わるかなと思い、やってみました。
 


 
◆観客の皆さんに向けて

cinamon-s-3.jpg監督:今は、上を向いて歩こうとは、気恥ずかしいとか、いまいちリアルじゃないとかで、言えなくなっていて、映画を観てほっとできるような作品は、案外つくろうとされていない気がします。だからこそ、そういう映画をつくりたくなっていると思います。

篠崎:何かをつかもうとするには、勇気が要って、手を伸ばさずにやめてしまうことが多いですが、この作品で、スタッフもキャストも頑張って手を伸ばしてみようとした作品です。登場人物が皆幸せになるのを観て、観客の皆さんにも幸せを感じてもらうと同時に、幸せをつかむことを恐れなくていい、そう思ってもらえる力があるかなと思います。

白澤:長い期間をかけて、全員参加で、意見を寄せ合いながらやってきたので、作品は監督のものですが、スタッフ、キャスト一人ひとりの思いがたくさん詰まった映画になりました。キャストにとっても本当に自分の作品だと思えるものになっていて、そこが伝わると嬉しいと思います。
 



本作は、神戸で1989年から活動している自主制作映画サークル「神戸活動写真倶楽部 港館」による自主制作映画です。撮影予定の5日間のうち、1日雨に降られて、予定どおりの撮影ができなくなり、その日のうちにメブキ役の松田尚子さんの撮影を完了させるため、急遽、屋根があるところで撮れるシーンを即興で考えたそうです。映画をたくさん観て、映画をこよなく愛する人たちが集まり、その力が結集された作品。神戸の街がとても魅力的に撮られており、ぜひシナモンに会ってみてください。

(伊藤 久美子)

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