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「自分の好きな自分は、人によって違う」 トランスジェンダーたちの恋、生き方を鮮やかに描く『恋とボルバキア』小野さやか監督インタビュー

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 「自分の好きな自分は、人によって違う」
トランスジェンダーたちの恋、生き方を鮮やかに描く『恋とボルバキア』小野さやか監督インタビュー
 

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セルフドキュメンタリー『アヒルの子』で鮮烈なデビューを果たした小野さやか監督の7年ぶりとなるドキュメンタリー映画『恋とボルバキア』が、1月13日(土)より第七藝術劇場で公開される。
 
女装男子を追ったテレビの深夜ドキュメンタリーNONFIX『僕たち女の子』(13)を1年間撮影後も自主的に取材を続け、3年かけて映画にしたという本作。
 
最初は自分とかけ離れた世界に感じていたという小野監督だが、撮影しているうちに「自分で自分の居場所を確立している人たちであることに心打たれ、人として尊敬できる」と思ったことが、撮影を続ける原動力になったという。生きてきたバックグラウンドや、様々なセクシャルの悩みを抱えながらも、自分らしく生き、愛する人を求めるトランスジェンダーや、その家族、恋人たちの姿を捉えたドキュメンタリーは、実に多彩だ。そして、変わりゆく彼女たちの瞬間を切り取った記録でもある。揺れる自分に素直である彼女たちやその恋にドキドキさせられるのだ。
 
多くのトランスジェンダーに取材を重ね、本作を撮り上げた小野さやか監督にお話を伺った。
 

■個人的なプロジェクトとして、当初2年間は自腹で取材

―――テレビドキュメンタリー『僕たち女の子』の後、どのような経緯で撮影を続け、映画にしたのですか?
小野監督: 『僕たち女の子』の後はフリーディレクターだったので、個人的なプロジェクトとして自腹で2年間取材を続けました。最後の1年は製作委員会でドキュメンタリージャパンと、前職のテレビ番組制作会社ラダック、配給の東風から出資していただき、完成にこぎ着けました。ドキュメンタリージャパンのプロデューサー、橋本佳子さん(『FAKE』、『フタバから遠く離れて 第1部・第2部』他)に、3年分の素材を2時間半にまとめたものを見ていただき、ここからどうやって映画にしていくのかを相談したのが、映画化のきっかけになりました。
 
取材をしていて思ったのは、手術をするために外国に行ったり、そこで住もうとしたり、日本の中で納まらない傾向があるということ。それはなぜかを映画にしたいと当初は思っていました。ただ、実際に海外まで追いかけて取材をしたものの、取材者の移住話がなくなってしまったり、撮影素材を使う許可を得られなかったり、それまで抱いていた映画化のビジョンが無くなってしまった。そこからゼロスタートで再構築していったのが、『恋とボルバキア』です。
 
―――元々あまり馴染みのない世界のことを撮るのに、苦労はなかったですか?
小野監督: 何も知らない私に、皆が本音を教えてくれました。メディアではオネエとかオカマとか、皆の笑いを取るような存在だけど、そうではないこと、「どういうことに悩み、どうすれば女性っぽく演じられるか」という細かいことを教えてもらいながら、撮影しましたね。
 
 

■常に生傷に触れているような感じ。積み重ねた関係性の中でしか出ないものがある。

―――取材を受ける皆さんは、カメラを前に本音を明かしづらいことも多かったと思いますが、よく語ってくれましたね。
小野監督: 常に生傷に触れているような感じで、セクシャルな悩みを持っている人にその話をカメラの前で話してもらうのは、とても残酷なことを強いているように思え、時間をかけてでないと、その関係性は築けなかった。4年間撮らせていただいて、3年目にやっと話をしてくれたようなことも映画に取り入れています。積み重ねた関係性の中でしか出ないものが、ご覧になる皆さんに伝わればうれしいですね。
 
 

■ありのままの自分を観てもらい、肯定してもらいたい。私はその隣にいさせてもらった。

―――幅広い年齢のトランスジェンダーの方を取り上げていることが、他のトランスジェンダーにはない深みを与えています。特に家庭を持ち、日頃は出稼ぎで働いている一子さんの自然な姿が印象的でした。
小野監督: 当時一子さんは家族の介護を抱えており、女装をする余裕がなかった。本当は女性になりたいけれど、それだけには構っていられないと。女装はしないけれど、女性の気持ちはある。ありのままの自分を見てもらい、肯定してもらいたい。そういう気持ちがあって、銭湯のシーンを撮らせてくれましたし、私もその隣にいさせてもらったという感覚が強かったです。
 
―――トランスジェンダーの登場人物が多い中、彼らを支える存在の魅夜さんは、トランスジェンダーの人と長く付き合うからこその本音を臆せず語っていますね。
小野監督: 魅夜さん自身も自分の性別やカテゴリーの中の答えみたいなものが出ていないんですよ。どうしても性同一性障害の人と生きていくとなると、そちらの方が純粋に女性になりたくて苦しんでいる訳です。だから魅夜さんは自分のことを後回しにして、彼女たちにできるだけ花開いてほしいと支援し、働く場所を提供してきた。でも、どこかで無理が積み重なり、自分のやりたいことと、愛する人の自己実現との間に微妙な差異が生まれてしまい、突然お店を辞めて、連絡が取れなくなってしまったんです。自分自身も将来どうしていけばいいのか分からない時だったと思います。それも撮影最初の2年間に起きた出来事でしたね。それから連絡が取れるようになり、私にできたのは、魅夜さんの話を聞いて、次の選択を待つことでした。最初にお店を開いた時は、性同一性障害の人を雇い、全人生の責任を持つぐらいの気持ちだったようですが、新しいお店を開いた今は、性同一性障害の人たちの通過点になればいいという考え方に転換しています。
 

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■自分の好きな自分は、人によって違う。

―――魅夜さんのようなグレーゾーン的存在は、観客にとっても新鮮に映るのでは?
小野監督: 自分の好きな自分は、人によって違うと思うんです。魅夜さんは、女の姿をしてダミ声で喋るのが好きだし、みひろさんは姿も声も女である自分が好きですし。みひろさんの場合は女装をするにもサラリーマンという社会的地位が必要なので、働く時には男性という自分を演じるためにカツラを付け、週末に自分を解放していました。 
 
―――みひろさんが、片思いの相手に告白するシーンも映し出されますが、非常にプライベートな局面をよく撮れましたね。

 

小野監督: あれは本当に大変でした。みひろさんの恋心は誰の目にも叶わないと一目瞭然です。彼女がいる男性ですし、編集長とモデルの関係ですし。ただ、本当に思い合ってはいたので、映画の中だけでもその記憶を残せないかということが、私を含めた三人での暗黙の了解でした。この三人で一緒にいられるのも撮影の間だけなのも分かっていましたから、できるだけベストな形で自分たちを表現しようと声かけをしていました。皆どこか、演じるということを少しずつ意識していたと思います。お相手の編集長、井戸さんは前作『アヒルの子』を観て下さっていて、コイツなら面白いものを撮るだろうと。そう信じて下さったから撮れたシーンでもありました。
 
 
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■ドキュメンタリーの堅いイメージを払拭、ミュージカルをやりたかった。

―――アイドル志望のあゆさんが路上ライブをするシーンは、冒頭だけにミュージカルが始まるかという雰囲気がありましたね。 
小野監督: ドキュメンタリーは結構真面目で堅いイメージがあるので、ドキュメンタリーでミュージカルをやりたいと思っていました。出演者は皆それぞれ、自己表現が得意な人達なので、あゆさんの夢見る世界を映画の中で表現したくて、冒頭から彼女が歌うシーンを取り入れました。路上ライブを提案したときは、クリスマスの夜に新宿の人通りの多いところで歌わせるなんてと随分抵抗されました。でも、私はあゆさんを撮り始めた訳ですから、どうしても終結点を作らなければいけない。だから、私も一歩も引かずに説得し、あゆさんも夜遅くまで練習して、なんとか路上ライブにこぎ着けました。本編では過去の話になるので敢えて入れていませんが、腹違いの妹たちの面倒を見たり、あの若さでお店を買うぐらいの稼ぎをし、お母さんを故郷から呼び寄せる努力家で、本当にあゆさんは偉いなと思います。 
 
―――お母さんも男に生まれたあゆさんを娘と思い、「あゆちゃんが生まれてきてくれて本当に良かった」と心から語っているように見えました。

 

小野監督: お母さんもそうですが、あゆさんの、あの自然体が新しいですね。女の子として育てられたからこその自分に対する自信がすごくあります。後天的に男性から女性になったのではないからか、女として揺れない部分を持っています。
 
―――あゆさんと一緒に登場する王子は、恋人以上の信頼関係があるように見えます。
小野監督: 二人ともホルモン異常を抱え続ける体質です。王子にとってあゆさんは、命をかけても支えたい存在と明言していましたし、あゆさんも王子とならいつか家族になれたらいいなと、それぐらい大事に思っている間柄です。お互い見守って居続けられる相手ということですね。
 

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■周りが当人たちの揺れる性を支えている。

―――単に恋人ではなく、家族のような人間関係が色々なところで成立していますね。
小野監督: 例えば、王子が男性でいたい時と、女性でいたい時があります。どちらの時でも周りが支えているという関係が家族間でもあるし、あゆさんとの間でもある。周りがいて、その人たちの揺れる性が支えられていると思います。誰の事でも理解しろというのは難しいでしょうが、たった一人のことを支えるのならできるかもしれないと思えますよね。
 
―――じゅりあんさんとはずみさんの関係も、今は幸せだけど、結婚に対する双方の思いの違いが露呈しています。
小野監督: はずみさんの撮影を諸々の事情で一旦打ち切り、久しぶりに会いに行くと、じゅりあんさんと住んでいて驚きました。じゅりあんさんは生まれも性自認も女。つまり、男に生まれながら性自認は女であるはずみさんと、レズビアンの関係でした。同棲している二人を撮影しに行く時、カップルという関係性の中に私がカメラを持って入るというのは、とてもプレッシャーが大きかったです。二人に向かっていくエネルギーを自分の中に持つのが毎回大変でした。関係性が上手くいっている二人に対し、切り込む部分が見つかるまではしんどかったですね。結婚に対しては、普通のカップルでも様々な問題がある訳で、じゅりあんさんとはずみさんの間にはもっと難しい問題、例えば子どもの問題だとか、自然に乗り越えられないハードルがありました。はずみさんは、本当の自分を実現するためには手術がしたい。じゅりあんさんは、子どもがほしい。その折り合わない二人の願望は、今のところは叶わないという形にしました。私が29歳から33歳までに撮った作品なので、じゅりあんさんの「結婚できるだろうか。子どもが産めるだろうか」という不安や心の痛みに共感し、当初の想定以上に彼女をクローズアップしています。
 
 

■出演することによるプラスはなくても、映画を公開することで、たった一人の“誰か”に出会ってほしい。

―――4年かけて撮影し、LGBTと一般的に一くくりで称されている以上に多様な個々の姿を映し出すことができたのではないですか?
小野監督: 4年間の付き合いの中で、皆、性別が変わっていったというのが大きいですね。編集長に片思いしていたみひろさんも今では女の子が好き。撮影当時では考えられなかったです。この映画を観て、「人を愛することを忘れていた」と語っていました。皆にとって、出演することによるプラスはなかなかないかもしれないけれど、この作品を公開することによって、たった一人の“誰か”に出会ってくれればいいなと思います。観に来て下さる方も、映画の世界だけではなく、誰かに出会いに行って欲しいですね。
(江口由美)
 

<作品情報>
『恋とボルバキア』(2017年 日本 1時間34分)
監督:小野さやか 
出演:王子、あゆ、樹梨杏、蓮見はずみ、みひろ、井上魅夜、相沢一子、井戸隆明
2018年1月13日(土)~第七藝術劇場、今冬公開~元町映画館、出町座
※1月13日(土) 14:30回 終了後みひろさん(本作出演)×小野さやか監督トークショー
公式サイト⇒http://www.koi-wol.com/  
(C) 2017「恋とボルバキア」製作委員会