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《武部好伸のイタリア・シチリア映画紀行-PART.Ⅱ》

 

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~ちょっぴりノスタルジアに浸って―シチリアからマルタへ~

 

★『グラン・ブルー』のロケ地、タオルミーナ 


シチリアの東海岸にあるタオルミーナは世界的に知られる保養地+名勝地です。ここから、「シチリア富士」とも呼ばれるヨーロッパ最大の活火山エトナ山(3357メートル)の眺めは素晴らしかった! 映画でタオルミーナと言えば、リュック・ベッソン監督の『グラン・ブルー』(1988年)ですね。
 

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     (⑮エトナ山の遠望)


シチリア映画紀行-(16)『グラン・ブルー』の2人.jpgフリーダイビング(素潜り)に挑むフランス人ダイバー、ジャック・マイヨール(ジャン=マルク・バール)と強敵のイタリア人、エンゾ・モリナーリ(ジャン・レノ)、そしてジャックに恋した女性ジョアンナ(ロザンナ・アークエット)。彼らの心模様を描いた海洋ロマンでした。当時、40歳のジャン・レノがカッコよかった!

      (⑯『グラン・ブルー』の2人)


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(⑰「イゾラ・ベッラ」の情景)
 

シチリア映画紀行-(19)台湾式マッサージ.jpg

競技会の開催地がタオルミーナ。ここで3人が出会い、運命の物語が始まります。美しい入り江に浮かぶ小島「イゾラ・ベッラ」(美しい島)が映画の中で彩りを添えていましたね。そのシーンを思い浮かべながら、目の前の情景を眺めていると、自称、「台湾式マッサージ」の施術師というおばちゃん連中が「肩、揉みまっせ」、「30分で生き返りまっせ」としつこく言い寄ってきました。その瞬間、『グラン・ブルー』の世界が吹き飛びましたがな(笑)

        (⑱台湾式マッサージの施術師-右)


 


 

★『マレーナ』のロケ地、シラクーサ 


シチリア映画紀行-(18)『マレーナ』.jpg『ニュー・シネマ・パラダイス』で一躍、脚光を浴びたトルナトーレ監督が、その後、円熟味ある演出を見せたのが『マレーナ』(2000年)でした。12歳の少年が、美貌を誇る若妻のマレーナに恋情を抱く異色青春グラフィティー。モニカ・ベルッチが本当に艶っぽかった!


その彼女が純白のワンピース姿で少し俯き加減で歩いていたのが、シラクーサのオルティージャ島(旧市街)にある細長いドゥオーモ広場でした。開放感のあるバロック様式の広場が、マレーナのためだけにあるように思えてきました。彼女が歩いたであろうところをなぞって歩いてみたら、カメラの設置場所が何となくわかりました。   

         (⑲『マレーナ』)

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    (⑳ドゥオーモ広場)


シラクーサは古代ギリシアの植民都市で、当時の遺跡があちこちに点在しており、海に突き出た半島のように見えるオルティージャ島は世界遺産に登録されています。前述した『グラン・ブルー』のエンゾはここで生まれているんですね。偶然、名前を記したモニュメントを発見でき、吃驚しました。

シチリア映画紀行-(21)オルティージャ島.jpg

シチリア映画紀行-(22)エンゾのモニュメント.jpgのサムネイル画像

 

 

 

 

 

    

 


(㉑オルティージャ島ー左)           (㉒エンゾのモニュメントー右)


 

★映画都市だったカターニア 


パレルモに次ぎシチリア第二の都市カターニアのバールで、ピザとビールでランチを取っていたら、若いバーマンから全く予期しなかった有益な情報を得ました。「中央駅の近くに映画博物館がありますよ」。えっ~! 


早々にランチを済ませ、その映画博物館へ駆けつけると、えらい立派な施設でした。ぼくは全く知らなかったのですが、カターニアは第1次世界大戦(1914~18年)の最中、世界に冠たる映画都市だったんですね。イタリアの映画産業は、北部のトリノで興り、続いてローマが後を追いましたが、そこにシチリアの地方都市カターニアも入っていたとは……。

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     (㉓映画博物館の外観)


シチリア映画紀行-(24)エトナ・フィルム.jpg1913年に「エトナ・フィルム(ETNA FILM)」というヨーロッパ最大の映画会社が設立され、その後、当地で3社が相次いで誕生しました。戦争の影響、不況、俳優の不足、税金問題などでエトナ・フィルムが閉鎖された1916年まで、わずか3年間とはいえ、イタリア映画産業をけん引していたのです。

          (㉔エトナ・フィルムー右)


もちろん無声のモノクロ映画ですが、映画史上名だたるイタリア史劇の映画化作品や喜劇、メロドラマ、宗教劇、ドキュメンタリーなどあらゆるジャンルの映画が製作されていました。

シチリア映画紀行-(25)往年の俳優たち.jpg

     (㉕往年の俳優たち)


てっきり過去の栄光だけを紹介する博物館と思いきや、そうではなかったです。映画の黎明期から今日までの歩みを分かりやすく解説し、昔の映写機の陳列、さらに映画館やリビングルーム、酒場、駐車場などいろんなコーナーで、イタリア映画のみならず世界の名作のダイジェストを見せてくれるのです。
 

シチリア映画紀行-(27)古い映写機の陳列.jpg

    (㉖映写機の陳列)

シチリア映画紀行-(26)フィルムが散乱する駐車場コーナー.jpg

  (㉗駐車場)


映画館のコーナーでは、『月世界旅行』『駅馬車』『カサブランカ』『お熱いのがお好き』『ゴッドファーザー』『ブレイブハート』など懐かしの映画が次々と映し出されていました。ぼくは食い入るように見入ってしまい、感動しまくり! イタリア版の映画ポスターも非常に興味深かったです。

㉘映画館コーナーで、マリリン・モンローを見れました!.jpg

(㉘「映画館コーナーでは、マリリン・モンローを見れました!」)
 

シチリア映画紀行-(29)イタリア版の映画ポスター.jpg

シチリア映画紀行-(30)『風と共に去りぬ』のポスター.jpg

    

 

 

 

 

 


    

(㉙イタリア版ポスター-左)        (㉚『風と共に去りぬ』のポスターー右)


はるか昔の映画文化遺産をこんな形で今に残しているとは恐れ入りました。この映画博物館を訪れることができたのは大収穫。とにかく、バールのお兄さんには感謝、感謝。ホンマにラッキーでした!
 


 

★ちょっと蛇足で、マルタを……。 

シチリアのあと、「地中海の真珠」の異名を取るマルタへフェリーで渡りました。マルタは、1964年にイギリスから独立した共和国です。そこは『ポパイ』(1980)、『ピノッキオ』(2002)、『モンテ・クリストー巌窟王』(同)、『トロイ』(2004)、『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)などが撮影され、映画業界では「ミニ・ハリウッド」と呼ばれているそうです。
 

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    (㉛ヴァレッタの光景)


そのマルタに映画撮影所があります。名称は「マルタ・フィルム・スタジオ」。首都ヴァレッタの対岸にある、海に突き出たリカゾーリ砦です。17世紀に建造された堅固な岩の砦で、19世紀以降、イギリス軍の軍事拠点となり、戦後も軍事施設になっていましたが、2000年に古代ローマを題材にした『グラディエーター』の製作を機に、映画撮影所に変身。巨大なコロッセウムのセットが評判を呼びました。NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』(2009~11年)も一部、このスタジオで撮影されました。
 

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    (㉜リカゾーリ砦)

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    (㉝撮影所の表示)


見学させてもらおうと訪れましたが、残念ながら、関係者以外は立ち入り禁止で、ガックリ。守衛のお兄さんは「いつか見学できるようにするみたいですよ」と言うてはりましたが、はて、どうなんでしょうかね。
 

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    (㉞撮影所の入り口)
 


 

《武部好伸のイタリア・シチリア映画紀行-PART.Ⅰ》はこちら

 

武部 好伸(作家・エッセイスト)

(写真⑮~㉞は武部好伸氏撮影)

 

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