~ ちょっぴりノスタルジアに浸って―シチリア編 ~
映画愛と郷愁がびっしり詰まった、ジョゼッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』は、ぼくにとってベスト3に入る作品です。初めて観たのは、日本公開直後の1989年の暮れ、大阪・梅田の映画館でした。当時、35歳。古巣新聞社科学部記者として脳死移植の取材に明け暮れ、それこそ心身ともに枯渇していた時でした。
仕事のせいで大好きな映画を長年、観ることができず、映画館に足を運んだのは本当に久しぶりのこと。電話が鳴り響く静かな冒頭から、キスシーンのオンパレードともいうべきエンディングまでどっぷりのめり込み、エンドロールが終わっても涙が止まらず、しばし席を立てなかったのを覚えています。人間にとっての〈心の源郷〉とは何か、それを教えてもらった気がしました。
いつか必ず、この映画の舞台になったイタリア南部シチリアの村を訪れよう――。そう思っていたら、4月11日に実現できました。ついでに他の映画のロケ地も巡ってきました。
★『ニュー・シネマ・パラダイス』の村へ
映画の中では「ジャンカルド村」になっていましたね。実際はパラッツォ・アドリアーノ村です。シチリアの州都パレルモから南東48キロに位置する山あいの村で、2000人ほどが暮らしています。
パレルモからガイド付きのツアーがあるらしいですが、ぼくはとことん自力を活かした〈個人旅行主義者〉なので、公共交通機関の利用しか念頭になかったです。その村に行くバスは1日に2本だけ。日帰りするなら、パレルモを午前6時半のバスに乗り、午後3時半のバスで戻って来るという選択肢しかありません。つまり1日を全て費やすことに……。でも、シチリアの田舎でのんびりするのも、まぁ、よろしおます(笑)。
(①パラッツォ・アドリアーノ村の全景)
5人の客を乗せたバスは、快晴の下、くねくねした山道を走行し、途中、いくつかの村に立ち寄り、2時間20分後、パラッツォ・アドリアーノ村に到着しました。教会の横に停まったバスから下車したのはぼく1人だけでした。村の周りは緑豊かな山々が取り囲んでおり、見るからにのどかな風情です。
「わっ! ここや!!」。思わず声が飛び出しました。映画の中で映っていた噴水がある! 真横の教会も石畳も映画のまんまや! 思いのほか興奮し、取り乱してしまった。瞬時に、『ニュー・シネマ・パラダイス』の世界に埋没し、エンリオ・モリコーネが手がけたあの情感あふれるテーマ曲が頭の中で駆け巡りました。この広場の正式名は、「ウンベルトⅠ世広場」といいます。
(②広場-A)(③広場-B)(④噴水-右上)
平日の午前9時前、数人の村人が広場のベンチで談笑していました。翻訳アプリを使って、「日本から来ましてん。あの映画が大好きなので」と彼らに伝えると、「それはそれは、ようこそ。日本人は久しぶりですわ。コロナ禍前は多くの映画ファンが来ていたんですがねぇ」。
「ニュー・シネマ・パラダイス館」というミニ博物館が役場に併設されてあると聞いていたのですが、「残念。役場が改修工事中なんですわ」。ガックリ! 以前は、トト少年に扮したこの村出身のサルヴァトーレ・カシオの親戚らがガイド役を務めていたらしいです。役場に足を向けると、「3月23日完工」となっていました。もうとっくに工事が終わっているはずやのに、何でやねん!?
(⑤修復工事中の役場ー右)
エスプレッソが欲しくなり、バール(飲み屋)に入ると、すでに朝っぱらからデキあがっているおっちゃん連中にいろいろ話しかけられました。イタリア語なので、もちろんちんぷんかんぷん。確か、このバールの3軒隣に映画館があったはず。そこはしかし、なにもありません。というのは、あの「ネオ・シネマ・パラディッソ座」は映画のために作られたもので、劇中、撮り潰されましたからね。
(⑥村のバールー左) (⑦劇中の映画館-右)
村唯一のレストランでランチを取り、翻訳アプリを介して女将さんにいろいろ訊くと、即座に回答してくれました。
「撮影の間、村は毎日、お祭り騒ぎでした。あゝ、懐かしい」
「あの映画館、残してほしかったなぁ」
「サルヴァトーレ・カシオは一時期、この村で飲食業をやっていたけど、数年前、〇〇〇〇(判別不可能)に移りましたわ。村で一番の有名人やね。今では43歳かな」
お礼に浮世絵の絵葉書をプレゼントしたら、特製デザートを出してくれはりました。おおきに!
(⑧レストランの女将とツーショットー左) (⑨特製デザートー右)
★『ニュー・シネマ・パラダイス』の野外上映会のロケ地へ
映画では、トトの家から海が見えていました。村は内陸地なのに……? 実はいろんな所で撮影されていたんですね。一番、印象的なシーンは、青年になった映写技師のトトが真夏に開催した野外上映会でした。海に小舟を浮かべて観ている人もいましたね。途中、雷雨に見舞われ、その時、離れ離れになっていた恋人のエレナ(アニェーゼ・ナーノ)がいきなり現れるという感動的な場面。
(⑩劇中の野外上映会のシーン)
そのロケ地になったのが、パレルモから東へ約80キロ、風光明媚な海辺の保養地チェルファーという町です。現場に行くと、野外上映会のシーンが脳裏によぎりました。堤防沿いの少し開けたところ。映画では大きなスクリーンを設置していたんですね。せめて、ロケ地の説明板くらい設置してもらいたかったです。多くの観光客がいましたが、『ニュー・シネマ・パラダイス』を目的に来ているのはぼくだけだったみたい。
(⑪そのロケ現場)
恩師ともいえる元映写技師アルフレード(フィリップ・ノワレ)から「村を出て行け。戻って来るな」と言われた青年トトが列車に乗り込んだ駅が、近くにあるラスカリ駅。しかし数年前に取り壊されたそうです。
★『ゴッドファーザー PARTⅢ』のマッシモ劇場
シチリアと言えば、マフィアを連想しますね。それは、巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督が渾身の力を込めて作り上げた三部作『ゴッドファーザー』(1972~90年)の影響でしょうね。土産物店にはマーロン・ブランド扮するヴィトー・コルレオーネをあしらったエプロンが売られており、今なお、シチリアはこの映画を引きずっています。
(⑫『ゴッドファーザー』のエプロンー右)
(⑬コルレオーネ村の表示-左)
ファミリーのコルレオーネ家の出身地が、シチリアにあるコルレオーネ村。パラッツォ・アドリアーノ村の近くにありましたが、複数のコルレオーネ村があるとか。三部作とも主舞台はニューヨークとはいえ、シチリア各地でもロケ撮影が行われました。
中でも一番インパクトが強かったのが、『ゴッドファーザーPARTⅢ』(1990年)のクライマックスシーンが撮られたパレルモのマッシモ劇場。1897年にオープンした、世界で3番目の規模を誇る歌劇場です。外観の威圧感がすごい!
(⑭マッシモ劇場)
この劇場でオペラ歌手としてデビューした主人公マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)の息子の晴れ舞台を、ファミリーがそろってロイヤル・ボックスから観劇し、終演後、彼らが劇場の階段を下りていくその時、マイケルを狙った銃弾が愛娘に当たるという悲劇的なシーンでした。劇場の前で佇むと、ニーノ・ロータの哀愁を帯びたメロディーに体が包まれました。
★《武部好伸のイタリア・シチリア映画紀行-PART.Ⅱ》につづく
~シチリアからマルタへも行っちゃいました!~
武部 好伸(作家・エッセイスト)
(写真:Album/アフロ)
(写真①~⑭は武部好伸氏撮影)