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桐島聡が"自分の死をメディアにした"表現に、映画で応える 『逃走』足立正生監督インタビュー

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 安倍晋三元首相銃撃犯を描いた『REVOLUTION+1』の足立正生監督が、半世紀に及ぶ逃亡の末、病室で自身の名前を明かし、4日後に末期がんで亡くなった東アジア反日武装戦線「さそり」の元メンバー・桐島聡の半生を映画化。古舘寛治主演の『逃走』が、2025年4月4日(金)より京都シネマ、4月5日(土)よりシネ・ヌーヴォ、第七藝術劇場、元町映画館にて公開される。
 本作の足立正生監督に、お話を伺った。
 
 
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■「なぜ桐島聡はわざわざ本名を名乗ったのか」を考え続けて

――――足立監督は、桐島聡が指名手配された70年代当時、どのような印象を持っていたのですか?
足立:75年〜78年にかけて、自分たちが大きく敗北した問題を総括しなければ先に進めないので、先に進めるために東アジアの同志たちに来てもらったりしていたのです。ですから桐島君という名前は聞いたこともなかった。しかも海外にいたものだから、彼に対して何の知識もない状態でした。東アジア反日武装戦線の人たちは、その世代だけでなく、一世代上の僕らの運動の仕方を毛嫌いしていました。そこには組織官僚主義への反発や、新左翼のイデオロギー風言論への反発があったのでしょう。でも、この映画を作り終わり、新宿に飲みに行ったら、そこで「足立さん、やっぱりこの映画作ったね。だって、昔、何度も一緒にここで酒飲んでいたじゃない」と言われ、こちらがえっ!と驚いた(笑)それぐらい、桐島君と認識すらしていなかったし、何のイメージもなかったです。
 
――――2024年1月に入院患者が、自分が桐島聡だと名乗り出たというニュースを聞いた時はどうでしたか?
足立:(2000年に)強制送還されて日本に戻ってきたら、警察は何か知っているだろうと推測して「桐島、向こうに行ってるんだろ?」と。逆に「桐島って誰だ?」と聞き返しましたが、それが桐島聡という名前を聞いた最初でした。それから長く時が過ぎ、病床で死にかかっている男が「桐島聡」という本名を名乗ったと知り、まさにガン!ときた。ショックでしたね。名乗らないまま死ぬことで逃走貫徹になるわけですから、なぜ今、わざわざ本名を名乗るのか。とても考えさせられました。
 
 
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■逃げる闘いを続ける人へのメッセージではないか

――――桐島さんが名乗り出てから、何度もその理由を考え続けておられたんですね。
足立:色んな思いを整理して結論づけてみたのは、桐島が本名を名乗るのは、いわゆる自己顕示欲では全くない。わざわざ名乗ることで逃走のレベルをもう一つ上の段階に引き上げる“闘い”にしようとした。自分の逃げる闘いの表現を、自分の死をメディアにしてメッセージにしたのではないか。すでに死んだ仲間や逮捕された仲間、さらに言えば、全共闘以降、1万人ぐらいが逃走していると言われています。大半は既に時効が成立していますが、そのような逃げる闘いを自分と同じように続ける人たちへのメッセージなんです。桐島自身が「俺、頑張ったよ」というだけではなく、おそらく仲間や逃げている人たちに頑張ってほしいというメッセージだし、桐島が最後の自分の死をメディアにして、表現を実現したのなら、映画というメディアを持っている我々がそれに応えないでどうする!と思った。それがこの映画を作った根拠です。
 
――――名乗り出るまでは、本当に孤独な闘いでした。
足立:桐島は逃げているというより、地下活動を継続していたのでしょう。桐島みたいに徹底して友人、知人や支援する団体とコンタクトを取ることなく逃げ切るという、この研ぎ澄ました感じは相当苦労が要るわけです。その辛さの中で磨いていたからこそ、最後に本名を名乗るところを推測しながら(脚本を)書けたのです。
 
加えて言えば、東アジア反日武装戦線“狼”部隊の大道寺将司は死刑判決を受け(のち獄中で病死)、たくさんの死傷者を出した敗北的なミスについての贖罪を延々と俳句で詠んできましたが、その中には自分たちが闘おうとした意思がぬぐいきれずに溜まっていた気持ちを詠んだものもありました。その句集を桐島が読み、自分ならどうするのかと考えた末の本名を名乗るという決断ではないかと考え、大道寺の俳句に影響を受けたであろうということも、桐島の真意を推測判断する根拠にしました。
 
――――半世紀にわたる桐島の人生を描くため、色々調べる中で新たに発見したことは?
足立:大枠の人物像はありましたが、それよりも非常に純粋で、モラリスティックで、一直線にバンドをやったと思えば、連続企業爆破のキャンペーン闘争に入っていき、そのまま逃げるという闘争をやっていた。考えていた以上に、人のいい青年が歳を重ねて老けていく中でも人々に愛されるような大人になっていったということが、リサーチした中でさらに明確になったことでしたね。
 
 
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■若い頃の桐島役に入れ込んでいた杉田雷麟

――――笑顔の指名手配写真が非常に印象的でしたが、若い頃の桐島を演じた杉田雷麟さんは風貌も非常に似ていました。
足立:杉田君自身がこの役に入れ込んでいて、桐島本人になっているような気分だったのではないかな。若さがほとばしる一直線でイキイキした感じがないと成立しない映画なので、杉田君は良くやってくれたという感じがありますね。
 
――――チラシでは「最期の4日」と書かれていましたが、実際は逃走前から逃走直後の数年間の若き日を杉田さんが、まさに若さほとばしる感じで演じていましたね。
足立:宇賀神寿一と二人で彼のアパートへ逃げた後、指名手配写真が出回っていたことから、実際には宇賀神が桐島の逃走前に彼の髪を切っているんですよ。それではあまりにも出来過ぎだったので、映画では桐島が自分で切るシーンになりましたが、結局二人は神社で待ち合わせを決めたものの会うことができず「僕がしてあげられたのは髪を切ったことだけだった」と。映画パンフレット用に宇賀神寿一と、大地の牙の浴田由紀子と鼎談をしたとき、本人が語っていましたね。
 
 

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■中年以降の桐島を演じた古舘寛治

――――本作の主役である中年以降の桐島を演じた古舘寛治さんのキャスティングについて教えてください。
足立:たくさんの候補の中から絞り込み、最後の2〜3人になったときに古舘さんの写真を見たら「もう桐島がいるじゃないか!」と。それですぐにオファーしました。古舘さんは最初、僕を警戒していたみたいですが。
 
――――古舘さんは深田監督作品でも知られる演技派俳優ですが、目立たないように生きてきた桐島の雰囲気がよく出ていましたね。
足立:出しゃばらない感じや、突き飛ばされてもひっくり返らないようなしぶとさがちゃんと混在して、桐島という人物が実在した感じが出ている。古舘さんはちゃんと人物像を整理してくれたと思うし、できるだけ芝居をしないようにという共通認識を持って演じてもらいました。自分のやりたいようにト書きやセリフを変えていいと言ったら、最初から最後まで真っ赤に書き込みをしてくるから「全部書き直してるじゃないか」というと、「赤く書いている部分を全部足立さんに聞いてから、判断しようと思います」と言われて。結局セッションをして全部解決したり、なかなか楽しかったですよ。
 
――――死の間際まで演じておられ、俳優冥利に尽きる役だったのでは?
足立:長セリフもあるし、自分の分身である坊主との禅問答など大変だったと思いますが、古舘さんも楽しくやっていたと思いますよ。「こんなに詰めた撮影をされるのは初めてだ」と言っていましたが。彼のスケジュールに合わせ、10日間の撮影だったので「余裕じゃないか」と言ったら、(古舘さんは)怒ってましたね(笑)。
 
――――映画の中で特にしっかり見せようと思ったシーンは?
足立:最期の4日間という時間のくくりの中でまとめなければ、3時間ぐらいの映画になってしまう。だからそのくくりの中で、現実の桐島は死ぬ間際に病室のベットにいるだけの姿なのですが、その全ての過去を回想し、妄想して思いを馳せながら本名を名乗るところに帰結していく。妄想の側から回想シーンや病室の現実シーンを見るという編集にしたいというのが僕の要求で、ある人が「妄想、回想、現実がポップに編集されているから、しんどくなかった」と感想をくれたけれど、そういう編集にしているから当然なんです。
 
 
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■ラッキーを呼び込んでいた桐島の人となり

――――70年代、履歴書や自分を証明するものを提示しなくても、住み込みで雇ってもらう様子や、桐島の人生を通じて日本社会の変遷も映し出していますね。
足立:高度成長期でしたから、履歴書は全く関係なかったし、特に日雇い仕事には底辺労働者が群れをなしていた。よくて山谷や釜ヶ崎、もっと悲惨な寄せ場もたくさんありました。桐島たちも大学を追い出されてから山谷に入りますが、そこで仕事をすると目立つので他の手配所から仕事を得ていたんです。その後藤沢に流れ着いて38年間過ごします。大規模工事をするような土建会社ではないとか、桐島が原則的にやればやるほど、ラッキーを呼び込むようなところがありましたね。
 
――――変な欲を出さない限り、平穏な暮らしを続けられる人物だったと?
足立:自分より随分若い女性に惚れられることがあっても、自分が逃亡者でいずれ迷惑をかけるので「結婚できない」と自制する部分も桐島にはありました。何よりも最期に今まで貯めてきた250万の現金を病院に持っていき、自分の入院費を支払っているんです。一事が万事。そのエピソードに彼の性格が象徴されていますよ。
 
――――阪神淡路大震災など、逃走の間日本で起きた歴史的な事象も挿入していますね。
足立:桐島は逃げているだけですが、同時にキャンペーン闘争をまだ続けたいと思っているので、時代の動きが彼には生々しく伝わってくるんですよ。それなのに何もできない、何もやれないという気持ちが積み重なった49年間なのです。ただ、のっぺらぼうに過ぎたわけではない。日々逃げるしんどさはあるけれど、逆にこれはどうするのという感じは、僕も多少わかるんです。その切なさの中で、宇賀神の亡霊が「切ない、苦しい闘いでも幸せはある。お前やってみてくれないか」と言います。あんな無責任なセリフは誰にも書けないですよ。でも僕は、ぜひ宇賀神にそれを言わせたかった。
 
 

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■現代の閉塞感との共通性を捉え、桐島世代の人々の生き様がもう一度広く論議されれば

――――桐島に対する映画でのアンサーだとおっしゃっていましたが、実際に映画が完成してのお気持ちは?
足立:所詮、自分でイメージした桐島しか描けないので、できるだけリサーチしたものを反映して俳優に演じてもらうことで突き放していくというプロセスを取って作りました。試写を終わって、身につまされて泣いて出てくる同時代の方もいらっしゃるし、若い方には現代の閉塞感との共通性を捉えてもらえるところまで、見ていただければもう言うことはないですね。
 
――――高橋伴明監督も「桐島です」を作られていますが、足立監督と同時期にお二人が桐島聡の映画を作って公開するということにも、大きな意味を感じますね。
足立:最初はもう一人、桐島聡の映画を撮ろうと考えていた人がいたんですよ。それぐらい彼が本名を名乗ったことで高い関心が寄せられていたし、高橋伴明さんは桐島と同世代だから余計にそうでしょう。映画が公開された後で、桐島像や桐島世代の人々の生き様がもう一度広く論議されたり、捉え直されたりすればいいのではないかと思います。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『逃走』
2025年 日本 114分 
脚本・監督:足立正生 
出演:古舘寛治
杉田雷麟  タモト清嵐 吉岡睦雄 松浦祐也 川瀬陽太 足立智充  中村映里子
2025年4月4日(金)より京都シネマ、4月5日(土)よりシネ・ヌーヴォ、第七藝術劇場、元町映画館にて公開
4月5日(土)にシネ・ヌーヴォ、京都シネマ、4月6日(日)に第七藝術劇場、元町映画館にて足立正生監督、中村映里子さんの舞台挨拶あり(予定)
公式サイト:kirishima-tousou.com
(C) 「逃走」制作プロジェクト2025
 

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