
筒井康隆による老人文学の傑作「敵」を『紙の月』『騙し絵の牙』の吉田大八監督が映画化した『敵』が、1月17日(金)よりテアトル梅田他で絶賛公開中だ。
77歳の元大学教授で、妻亡き後一人暮らしの渡辺儀助に扮するのは12年ぶりの主演となる長塚京三。全編モノクロームの映像で、死を迎えるまで尊厳を持って生きたいと願う儀助の心の平安が、「敵」によって脅かされていく様をダイナミックかつコミカルに描く。世界初上映された第37回東京国際映画祭では東京グランプリ、最優秀男優賞、最優秀監督賞の三冠に輝き、アジア全域版アカデミー賞「第18回アジア・フィルム・アワード」でも作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、撮影賞、衣装賞の6部門ノミネートを果たした必見作だ。
本作の吉田大八監督に、お話を伺った。
■脚色をしている感覚はなく、息を吸うように書けた
――――筒井康隆さんの原作から、映画オリジナルのラストも含め、様々な面がアップデートされていると感じましたが、脚色するにあたり、念頭に置いていたことは?
吉田:僕が脚色をするときは、基本的に自分の読後感を中心に書いています。今まで様々な原作を脚色してきましたが、いつもなら例えばこの場面とか、この一文とか、核となる部分を掴み、そこから再構成する過程で、いろいろなものを足したり外したりというプロセスでした。今回は、中学時代から筒井康隆さんを愛読してきた自分にとっては、ある意味育ってきた土壌なので、あまり脚色をしているという感覚がなかったんです。「敵」を映画にするなら、当然こうなるだろうし、きっと筒井先生も納得してくださるだろう。映画版のオリジナルとして付け加えた部分や膨らましたところが、原作の世界とシームレスに馴染むだろうという根拠のない自信がありました。だからごく自然に、息を吸うように書きはじめて終わるという形でしたし、ほぼ初稿の形が決定稿になったんです。自分としてもこういう脚色のプロセスは珍しかったですね。

■長塚京三イコール儀助だった
――――自身の老いに向き合う主人公、儀助が観客にどう映るかという点では、演じた長塚京三さんの演技が絶妙且つリアルで、最後まで目が離せませんでした。長塚さんと儀助を作り上げるプロセスについて教えてください。
吉田:撮影前に2〜3回、長塚さんと脚本の読み合わせを行いました。長塚さんが儀助のセリフを、僕がそれ以外の登場人物のセリフやト書きを全部読むのですが、30分に一度くらい休憩を入れるんです。そこでの雑談で、脚本の印象や解釈について意見交換をしたり、長塚さんは若い頃にフランス留学されていたので、そのときのエピソードをお聞きしたり、贅沢な時間を過ごすことができました。そんな風に長塚さんのお話を聞いているうちに、これは「儀助=長塚さん」でいいのではないかと思ったのです。留学時代のエピソードも、きっと儀助にはそういう歴史があったのだろうと考える。長塚さんが書かれたものを、あらためて儀助の話を聞くつもりで読み返してみる。長塚さんと儀助が僕自身の中でイコールになり、二人が重なっていきました。それが長塚さんとの読み合わせの一番の成果だと思っています。
――――なるほど、特別な役作りや細かい調整はもはや必要なかったと?
吉田:現場でもそこを演出する必要がなく、気分的に楽でした。なにしろ長塚さんが儀助なのだから、そこに嘘はないんです。

■長塚京三と黒沢あすかの間に起きたケミストリー
――――元教え子で学生時代から目をかけてきた鷹司靖子(瀧内公美)や、馴染みのバー「夜間飛行」で出会った大学でフランス文学を学ぶ菅井歩美(河合優実)など、若くて魅力的な二人の前の儀助と違い、夢の中で出会う亡き妻信子の前ではその本音を露わにし、後悔の言葉を度々口にします。現実と幻想が混濁する中、信子を演じる黒沢あすかさんの存在感が光っていましたね。
吉田:以前から黒沢さんには、日本の俳優ばなれしたスケールを感じていました。黒沢さんが画面に登場するだけで、空気がダイナミックに動くという稀有な俳優なので、いつかはご一緒したいと機会を伺っていたのです。だから、今回の信子役は黒沢さんに適役だと思いましたし、長塚さんと並んだ姿が見たいと思いましたね。
信子が登場した瞬間に、一気に儀助の表情が変わっていくんですよ。それまでの、鷹司靖子や菅井歩美に対し格好をつけていたポーズがさっと取れて、迷子が母親を見つけたときのような「ほんとにさびしかった、でもまたあえてホッとした」という表情をする。それは黒沢さんと長塚さんの間で起きたケミストリーだなと思います。当たり前ではありますが、3人の女性たちに対してこんなに違う表情を見せるのかと、現場で長塚さんの演技を見ながら、僕も楽しませていただきました。
――――物語の鍵となる井戸や物置があり、手入れが行き届いている儀助の家が、室内撮影も多かった本作の、もう一つの主役とも言えますが。
吉田:原作を読んでいても、なかなか儀助の家を空間的に把握するのが難しかったので、まずは美術デザイナーに家の図面を起こしてもらい、それに即して動線を考えながら脚本を書いていったのです。そこから半年以上かけて家探しを行い、撮影直前にやっと見つかったのがあの家でした。ただ、もちろん原作通りの間取りではなかったので、庭の離れを物置に決め、それに合わせて脚本を書き換えることで、より映画がリアルに肉付けされていく感触がありました。コロナのタイミングで原作を読み直したこと、そのときちょうど長塚さんが儀助役に適した年齢であったこと、あの家が見つかったこと、この3つの奇跡のうちどれが欠けても『敵』という映画は成立していなかったと思います。

■「敵」に込められたイメージの豊かさ
――――老いやフェイクニュースなど、日常でも本作でも様々な「敵」が想起されますが、吉田監督ご自身が考える「敵」とは?
吉田:個人的には、敵によって生かされるものがあるのではないかと、最近なんとなく思っています。好敵手なんて言葉があるように、敵の存在によって自分を緊張させ、高めて、新しいパワーに目覚める、なんて少年漫画を読んで育ってきた男子特有の考え方なんでしょうけど、本作でも「敵」というのが死や老い、孤独だけではなく、死んだ妻ともう一度会いたいとか、美しい教え子とそれ以上の関係になりたい、という欲望が夢や妄想としても現れるし、それによって儀助は生かされる。そういう欲望が全て消えてしまったら、人間が明日も目覚めて生きていこうという気持ちには、なかなかなれないのではないか。ちょっと辛すぎると思うんです。
――――胸の中の傷、心残りなどもそうなのかもしれませんね。
吉田:へたにスッキリしてしまったら、「あ、人生ここで終わりたい」と思ってしまうかもしれない。生かすも殺すも「敵」次第。今は漢字一文字の「敵」に込められたイメージの豊かさを、日々感じています。
(江口由美)
<作品情報>
『敵』
2024年 日本 108分
監督:吉田大八
原作:筒井康隆「敵」(新潮文庫)
出演:長塚京三、瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、中島歩、カトウシンスケ、高畑遊、二瓶鮫一、高橋洋、唯野未歩子、戸田昌宏、松永大輔、松尾諭、松尾貴史
宣伝・配給:ハピネットファントム・スタジオ/ギークピクチュアズ
1月17日(金)よりテアトル梅田他で絶賛公開中
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