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『演劇1』『演劇2』想田和弘監督インタビュー~前半~

engeki1-550.jpg『演劇1』『演劇2』想田和弘監督インタビュー~前半~

『演劇1』(2012年 日本・米国 2時間52分)
『演劇2』(2012年 日本・米国・フランス 2時間50分)
監督・製作・撮影・編集:想田和弘
出演:平田オリザ、青年団・こまばアゴラ劇場の人々
10月27日(土)~第七藝術劇場、11月10日(土)~神戸アートビレッジセンター、12月8日(土)~京都シネマ
公式サイト⇒http://engeki12.com/
(C) 2012 Laboratory X, Inc.

engeki-s1.jpg台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践し、『選挙』、『精神』、『Peace』と、独自の視点で社会に焦点を当てた作品をつくり続けてきた想田和弘監督。1995年に岸田國士戯曲賞を受賞し、日本を代表する劇作家・演出家の平田オリザと、彼が主宰する劇団・青年団に取材し、300時間以上の映像素材と4年の歳月を経て、長編演劇ドキュメンタリー2部作を完成させました。

『演劇1』では、演劇の創作現場にカメラが向けられます。平田が唱える「現代口語演劇理論」を追求する青年団の演劇は、日々の生活の中の静かで淡々とした時間をそのまま直接的に舞台にのせ、人間の存在自体を劇的なものとして浮かび上がらせようとします。セリフの間や速度を秒単位で決め、声のトーン、仕草も細かく指示する平田と、同じシーンを何度も繰り返す劇団員たち。青年団の演劇の魅力だけでなく、演劇そのもののありように迫ります。『演劇2』では、「まず食うこと それから道徳」という、青年団の事務所に掲げられた言葉のごとく、財政難と不況で芸術関連予算が削られる中、いかに生き残り、活動を継続していくか。教育現場、地方の演劇祭、政治家、海外進出と、劇団経営を模索する平田の活躍ぶりに迫ります。演劇を通して、現代社会のありようが浮き彫りになります。

晩夏、映画のPRのために想田監督が来阪され、共同取材が行われました。青年団や演劇のおもしろさ、演劇と社会との関わりなどに迫る興味深い内容でしたので、長くなりますが、前半・後半に分けて、詳細にご紹介したいと思います。

≪構成≫(1~4が前半、5~7が後半)
1 青年団との出会い
2 上映時間について
3 平田オリザさんの魅力その1~切り替えの速さ~
4 平田オリザさんの魅力その2~オープンであること~
5 「入れ子構造」~平田氏にとっての演劇と想田監督にとっての映画のありよう~
6 『演劇2』独自の視点
7 演劇(芸術)と社会の関係


【1 青年団との出会い】

engeki1-1.jpgQ:青年団のことは、いつ頃知ったのですか?
A:2000年10月にニューヨークで観たのが初めてです。僕が東大の駒場に入った1989年は、こまばアゴラ劇場で『ソウル市民』という平田さんが現代口語演劇を確立した、最初の代表作が発表された年です。僕はその頃、演劇とか全然興味がなくて、声を張り上げたり、不自然なセリフ回しとか、偏見がありました。でもNYで、平田さんの『東京ノート』を観た時、その偏見が払拭されました。平田さんは、いわゆる芝居臭さみたいな、演劇についていた手垢みたいなものを拭い去ることをされてると思ったんです。そこにポリシーというか平田さんの強い意思を感じました。しかもそれがドキュメンタリーっぽい、あたかも舞台上でドキュメンタリーをやっているかのようにみえました。僕はその頃、NYで駆け出しのドキュメンタリーのディレクターだったので、まずは素直に驚いてしまいました。なんでこんなことが可能なのかって。

本当は駒場で遭遇してもよかったのですが、僕の方が用意できていなかったわけです。駒場にいた時、僕は東大新聞の活動に没頭していて、1989年は「風の旅団事件」がありました。昭和天皇が亡くなった年で、反天皇の旗を掲げたメッセージ性の強い、風の旅団というテント劇団があって、駒場で公演を打とうとした時に、大学側が許可しなかったんです。劇団が許可なしに強行しようとしたら、機動隊が入って学生が5人逮捕されるという事件です。学生運動の最後ともいえるもので、僕は、警官にぼこぼこにされながら取材していて、だから、風の旅団とは縁があったのですが、青年団とは全く縁がなかった(笑)。

ただ昼飯とか食べるのに、駒場の商店街を歩いていると、アゴラ劇場と書いた、すごく小さな劇場があって、こんな劇場ってあるんだなあと思った記憶があります。その前の喫茶店にはよく入り浸っていて、近くのラーメン屋にも行ったのですが、いかに関心がないと何も気付かないか、見えていても出会っていないんですね。それから、僕が宗教学を志し、宗教学もやめて、映画を志し、NYに行って芸術や映画とか勉強して、入ったのがドキュメンタリーの会社で、駆け出しのディレクターとしてやっていて、初めてこれはすごいと思った…そういう出会い方でした。

Q:ドキュメンタリーを撮っていたからこそ、青年団のよさもわかったのではないですか?なかなかよさがわかりにくい演劇ですよね。
A:それはあるかもしれません。自分がカメラを向けるとそれまで生き生きしていた人が急にしらじらしくなったり、現実を撮りたいと思っても、何も戦略も技術もなしに撮ろうと思っても無理なんです。そのことが駆け出しのディレクターとしては、毎日骨身にしみていました。日常生活をそのまま切り取ってしまったかのような、青年団の舞台は、ものすごく自然で、即興にさえみえるわけですが、それはありえないという予感はありました。ただ、どうやっているのかと思い、2006年にNYに来た時、観に行きました。全然別の『ヤルタ会談』という喜劇でしたが、それでも世界観、人間観、芝居観は共通していると思ったんです。これはとてつもない芸術家なんじゃないかと思いました。そこで、いろいろ著書を読んだら、思ったとおりで、しかも僕が通っていた駒場で「現代口語演劇理論」というのを稽古場での実践からやっていて、これはすごいものに出会ってしまったなと思いました。僕は『選挙』の編集をしていて、「観察映画」という方法論を完成しようともがいていた時期ですから、「現代口語演劇理論、すげえなあ」と、方法論があって作品をつくりだすことにも、すごく感じるものがありました。

Q:それから平田さんに連絡をとって、撮影を始めたということですか?
A:2006年の時点では、僕はまだ『選挙』も発表しておらず、いきなりすごい劇作家のところに行って、撮らせてくださいなんてのもどうかと思いますし、2008年に、NYで俳優をやっていた、友人の近藤強さんが日本に帰って、青年団に入って平田さんと芝居をやりますという連絡が来た時に、急に具体化しました。その時点では『選挙』も公表して、観察映画というスタンスも段々固まってきた時期で、『精神』の編集中だったか、思い切って撮影を申し込もうと手紙を書きました。それで、会うことになり、決まった感じです。

Q:ずっと稽古場に詰めて、撮影されていたのですか?
A:会いに行ったのは2008年5月で、7月から9月にメインの撮影をして、打ち止めようかと思ったのですが、段々欲が出てきて、平田さんが11月なら世界初のロボット演劇があるとか(笑)、さすがプロモーターです。別に僕に言うわけじゃないのですが、誰かに宣伝しているのを聞くと、立ち会わないわけにいかないと思って(笑)。『冒険王』とか『サンタクロース会議』の稽古が11月、12月にあるということで、もう一回来ようかなと思って、来て撮影して、そしたら、今度は「2月、3月にフランスで公演をやる」と言われて(笑)、確かに海外公演も撮りたいなとフランスに行って、これで300時間以上回したので、十分だろうと思っていたら、政権交代が起きて、平田さんが鳩山首相のスピーチを書くことになり、それも撮りたいと思ったのですが、その頃『Peace』の撮影中で、『精神』も海外上映のたけなわで、撮影できませんでした。それで、ここまでということで、何が描けるのかやろうと思いました。

 

【2 上映時間について】

Q:『演劇1』と『演劇2』に分けるという決断はいつ頃されたのですか?
A:最後の最後です。できれば1本にと思ったのですが、これだけの量を撮って、1本にまとまるわけないとも思っていました。人間って、区切りがつくだけで、長いものでも耐えられるという性質があることに、僕自身、本を書きながら気がついていて、同じ文章でも、1章、2章に分けると急にわかりやすくなったりします。だから、分けるという手があることは、薄々感じながらやっていました。最初は3部構成で、1は平田オリザの世界、2は平田オリザと世界、3は平田オリザの未来とか演劇の未来という感じでロボット演劇とか海外公演とか入れるとおもしろいと思ったのですが、編集しているうちにそれを2に合併したほうが、作品の強度が増すことがわかってきたので、最終的には2本になりました。

Q:編集段階で、上映時間について、これ以上短くできないと思ったのですか?
A:妥協すれば、短くするというのは、いくらでもできると思います。でもベストな作品にはなりません。別の作品になってしまいます。とりあえずベストなものを投げたいという気持ちがあって、僕も段々分別ができてきたので、5時間42分の映画をジリ貧の映画界でやるというのが、どういうことを意味するのかってことは、一応わかっているし、なんとか短くしたいという気持ちはあったのですが、何度観ても切れない。切ることはできても、ベストではなくなると思いました。それで、今まで日本で配給してくれた会社の人達がやってくれるかが試金石だと思ったので、まずは投げてみました。そしたら、絶対これはやりましょう、やらなきゃいけないでしょうというメールが返ってきたので、じゃあお願いしますということになりました。

Q:観ていて、飽きないですね。あっという間でした。『演劇1』で公演が終わるのが寂しいくらいで、もっと練習風景とか観たいと思いました。『演劇2』の予算の交渉も新鮮でした。
A:僕自身がそう思ってつくったんですよね。平田さんのことを知らない人、青年団を初めて観る人も映画館に呼びたいわけで、そういう人たちがどう観てくれるのかという不安もあったし、上映時間が長いので、劇場で一日何回上映できるのか、本当に興行的にはチャレンジでした。でも、そういうことをするインディペンデント作品があってもいいのではないか。皆が上映時間を気にして、売れることばかり気にしてやっていたんじゃ、映画界もだめになる。今の映像の世界での軽少化、どんどん切っていく傾向、ファーストフードみたいなものに対抗するスロー映像みたいなものを提起する意味でもいいかなと思いました。

 

【3 平田オリザさんの魅力その1~切り替えの速さ~】

engeki1-2.jpgQ:平田さんの演出光景をみて、一番印象的だったことは?
A:平田さんって、あらゆることが可能だと思っている人だと思うんです。できないことってないって、どこかで思っているふしがあって、必ずポジションを見つけるんですね。演技とかでも行きづまるということがない。稽古していても同じで、行きづまったときの人間の反応って、怒鳴るとか、諦めるとか、放り投げるとか、いろいろあります。平田さんの場合は、違う解決法を見つける。行きづまった時に、なんとか別の角度から攻めて行って、解決法を探し出します。たとえば、演劇がどうしてもうまくいかない場合は、セリフを変えるとかして、なんで言えないんだよと怒ったり、灰皿投げたりはしません(笑)。稽古場でもソフトで、声を上げたりはほとんどせず、あのテンションのまま。時々、ちょっと語調が強いくらいで、別に侮辱とかもしません。普段のプロデュース面でもそうで、障害があったら、どうやってそれを乗り越えるのか、解決するのかに、すぐ意識が向かう人だから、余計なことを考えません。「うまくいかないな」とか、「なんでだよ」とか、いちいち怒らない、そんな暇ないという感じで(笑)、「じゃあ、どうしよう」というふうに考える。やっぱり仕事のできる人って、そうですよね。いちいち感情で立ち止まりません。

僕自身は、そこまで人間ができていないので、もう300時間の編集をやっていると、最初のカットができた時、本当に全然だめでがっかりして、もしかしたら撮影の時に根本的なミスをしたのではないかと、これは映画にならないんじゃないかと思った瞬間もありましたが、その時に、励みになったというか、参考にしたのは、平田さん自身の働き方というか、だめな時に違う解決法(ソリューション)を考えることでした。
編集中は結構いけてるんじゃないかと思っていただけに、去年の秋頃、ようやく編集が固まって、第一篇ができて、全体で観た時は、『演劇1』だけで4時間超あったのですが、カミさんと一緒に観てて、もうどんよりしちゃって(笑)、カミさんもずっと寝てるし、終わった時に「体感6時間だね」と言われて(笑)、僕もそう思っていたので、だめだってすごく落ち込んだんです。でも、おもしろいことに、そこからもう一回やってみようと思って、次の日にもう一回、がちゃがちゃやったら、そこで実は、ぱーっとできちゃいました。不思議なものですね。そのときすごく思ったのは、余計なものが流れを邪魔しているということで、その邪魔をしているものを全部削ぎ落としていって、スリムな形になったら、ようやく血が通う、という感じでした。結構、編集は苦労しましたね。 

Q:平田さんは話が上手いですよね。ここまでだったのかという驚きみたいなのは? 
A:一つ驚いたのは、ワークショップをいろんなところでやりますよね。毎回一言一句、同じなんですよ。ギャグまで、ギャグのタイミングまで同じなんです。自分の中で台本があって、使う言葉から表現から、全部一緒なんです。それを入れようかと思ったんですが、そういうところから、やっぱり演じてるとも思いました。

あとは、切り替えの速さですね。これは描きにくかったんですが、一日に4本か5本位の別々の作品を演出したりしているんです。その合間に、プロデュース的なことをやったり、子どもに教えたり、新作を執筆したり、そういうことを5分、10分単位で切り替えていて、すぐにそれに集中できるんですよ。タッタッタッと切り替えて。あれはすごいなと思いました。いきなり寝ちゃうんですよね。

Q:タイミングの合わせ方もすごいですね。子ども達に教えている時でも、合間を縫って、自分の脚本を書いていますね。
A:普通は気持ちを盛り立てないと書けないとかあるじゃないですか。平田さんは、そういうのがないんですよね。10分の間があれば、戯曲だろうとなんだろうと何かしちゃう。合間に何かをやっているというのは、結構、映画的には、描きにくくて、難しかったです。というのは、並列しただけだと、いつなのかわからないんです。たとえば、一日に10件取材があったというのを描くなら、テロップがあれば何時何分と書けば大丈夫ですが、それをただ積み重ねただけだと、いつだかわからないし、次から次へということが実感できません。それがすごく描きにくくて、でも、どうしても入れたかったので、学校でのワークショップ中に、パソコンをあけて、新作を書いているのは、結構、重要なシーンになりましたね。あれが撮れたのは。ああいうふうにバックグラウンドがあって、そこでパパッとやらないと、細かいことが伝わらないんですよ。そのへんが現実のリアルとドキュメンタリーのリアルとの違いでもありますよね。現実のリアルは、時間がずっとつながっているので、それを体感する人は、その時間の中で体感しているわけですけど、ドキュメンタリーは編集というハサミが入ることが前提なので、そのハサミが入ってもなおかつ、それがまとまった時間として感じられるためには、それなりの撮り方と技術、編集の技術が必要なんです。だから、ただ漫然と撮って、漫然と編集しただけでは、そのときの体験みたいなものは再現できません。そこを工夫する必要がありました。

 

【4 平田オリザさんの魅力その2~オープンであること~】

Q:芸術家の場合、プライベートな部分や本音とかが商売道具だと思うので、そこにカメラを向けられるのは、商売道具をさらけだすようで、あまり好ましく思われないように思うのですが、平田さんはどうでしたか?
A:平田さんはものすごくオープンな人だから、方法論も全部本で開示しています。平田さんの持論は、演劇というのは方法論を開示したところから始まると。これは『演劇2』にも関わることなのですが、やはり助成金で維持されている集団だということで、彼は24時間パブリックな存在だと思っているふしがあって、隠し事はしない、すべて公開するという透明性をものすごく大事にしています。

Q:劇団員との話合いでも、平田さんは、劇団の財政状況を示して、きちんと台所事情を説明していましたよね。
A:あれが求心力の原点です。皆、同じ意識でいられるというか、結構センシティブな情報でも、全部共有した上で、少なくとも共有したように感じる(笑)レベルまで公開するから、劇団員は、あまり不満を持たないし、持ちにくい。一緒に何かをやっているという感じになるのだと思います。多分。

Q:平田さんは、カメラに向かっても、全部出しますというところがありますよね。逆にカメラ用のパフォーマンスとかはなかったですか?
A:それが微妙なところで、最初はものすごく撮りやすい人だと思ったんですよ。カメラは基本、無視してもらえればと言ったら、本当に無視するんです。こっちがさびしくなるくらい(笑)。だから、最初はこんなに撮りやすい人はいないと思いました。でも、段々撮っていると、「おい、待てよ、この人は、人間とは演じる生き物であると言っていて、しかも、どうしたらリアルにみえるかということをずっとやってきた人で、俳優さんたちも自然な演技をどうできるかをやっていて、今僕が撮っているのは何だろう」(笑)と考えてしまうんです。普通ならドキュメンタリーを撮っていると、カメラを意識しすぎる人はぎごちなくなるか、ハイテンションになって、カメラ向きのパフォーマンスがありありになる。アメリカで撮っていると、そんな人ばかりで、トーンが普段より3オクターブ位上になったり、そういうカメラを意識したふるまいをどうやって普段のものにするかがドキュメンタリストの腕のみせどころなんです。

でも、青年団の場合は、一見、全然演技していないように見える、非常に自然な振る舞い、普通の基準でいえば、素の状態をずっと撮れているような感じがするのですが、でも、「待てよ」と。よく考えると、平田さんの無視の仕方は尋常ではない。稽古する時にも、普通だったら僕が撮り逃さないよう、撮る前に、今から稽古しますよとか、耳打ちするとかあると思うんですが、平田さんの場合は、全然おかまいなしで、結構、稽古も始めちゃうんです。これほどまでに無視するということは、もうカメラがいないことを、いないかのように振舞うことを徹底されているにちがいない、ということが、ずっと経って、今、思えてきて(笑)、その演技の裂け目みたいなものに、こちらはカメラを向けていきたくなるわけじゃないですか。時々それが撮れたんじゃないかという実感がするわけですよね。今のはいつもと違って、怒ってたんじゃないかとか、いらいらしてたんじゃないかなとか、素の感情が見えたような気がする瞬間もあるわけです。だけど、よく考えると、そういう素の瞬間が出たという演技かもしれない(会場爆笑)。

今回、青年団だから、そういうことを考えてしまうわけで、今まで撮ってきた『選挙』であろうと、『精神』であろうと、『Peace』であろうと、理論は同じだったんじゃないかと実は行き着いたんです。つまり、本当のところはわからないんです。いくら徹底的瞬間、素の感情が撮れたと思ったとしても、それはもしかしたら、本当にそうなのかもしれないけど、どこまでそれが、本人の自己演出というものが入っているかどうかはわからないんですよね。もしかしたら、本人ですらわからないかもしれない。もっというと、普段のコミュニケーションというのも、実はそうかもしれない。今、こうして話していますけれども、どれだけ僕のしゃべりに演劇的要素が入っているかはわからないですよね。というか、僕自身もわからないです。なんとなくそれは演技しているところもあるかもしれないし、でも本音を語っているつもりでもあるし、多分、普段の生活でもそうなんじゃないかと。

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