『演劇1』『演劇2』想田和弘監督インタビュー~後半~
≪構成≫(1~4が前半、5~7が後半)
1 青年団との出会い
2 上映時間について
3 平田オリザさんの魅力その1~切り替えの速さ~
4 平田オリザさんの魅力その2~オープンであること~
5 「入れ子構造」~平田氏にとっての演劇と想田監督にとっての映画のありよう~
6 『演劇2』独自の視点
7 演劇(芸術)と社会の関係
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【5 「入れ子構造」~平田氏にとっての演劇と想田監督にとっての映画のありよう~】
Q:監督の「観察映画」では、BGM等の音楽を使わないということですが、作品を観ると、リズムがあってすごく音楽的に思えます。
A:それはよく言われます。そういう意味では、平田さんの演劇とも似ていて、平田さんも、音のリズムとか、そういうもので世界を描こうとしているところがあります。演劇をつくりだし、演劇で世界を描こうとしている人たちがいて、その人たちのありのままを描こうとする僕がいる、そういう「入れ子構造」だったんだなと、最近本を書きながら気がつきました。
Q:稽古中、平田さんはパソコンで脚本をみながら、俳優たちのセリフを音として聞いていますよね。お芝居も見るというより、聞いている感じがします。俳優が、同じ場面の稽古を何十回と繰り返させられて、セリフの間や高さ、強さを正確に再現できるのは驚きました。
A:特別な訓練がないと、ああいうことはできないと思います。芝居は、一見自然で、非常に“普通”に見えるので、誰にでもできそうに見えますが、そうじゃありません。ものすごい操作と計算と精進の結果です。この部分は、撮っていてすごく感じたことだし、それをきちんと描きたいと思いました。
僕自身もそういうことをやっている自負はあって、カメラで何か写す時は、絞りや画角、カメラの動きやいろんな要素があって初めて、自然に見えたりします。編集の時に、あたかもなんの操作もされていないようにみえるように、操作というものをするわけですよね。ある意味、観客をだますということなんですが。その意味で、やはり「入れ子構造」というか、そういう部分に関心がいきます。どうやってつくっているのか、やっぱりそうだよね、という感じです。
Q:監督が演技について話されているのを聴くと、監督が平田さんに対してすごくシンパシーを感じているようにみえます。
A:そうなんだなあと思いました(笑)。僕も最近始めて気がついたんですけれども、ある意味、アルター・エゴ的に、平田さんに自分自身を託すところがあったんだなと最近気がつきました。むしろ対峙する相手ですよね。
Q:平田さんが俳優さんに対して演技について話すことと、監督がドキュメンタリーを撮る時に話すことが、根本的にはすごく似通っていると感じました。
Aそう思います。僕は別に、理論だてて撮影をつくっているわけではなく、もちろん、「観察映画」の方法論に則ってやっているわけですけれども、テーマありきで撮っているのではないし、撮りたいという気持ち、衝動はあったりするから、あらためて分析してみないとよくわからないところがあるわけです。本を書きながら、なんでこんなに苦労して、4年もかけて、やってるのだろう、なんでこの映画を撮ったんだろうみたいなことをあらためて考えざるをえなくなって、初めてですよね。鏡を見るような感覚がどこかにあったんだ、という、それでこんなに一生懸命になれたんじゃないかと(笑)。向こうは大巨匠で、僕は駆け出しのペーペーですから、こういう言い方は失礼で、僕自身の勝手な思い込みですが、主観的にはそういうことが無意識にあったんだろうなと思います。
【6 『演劇2』の独自の視点】
Q:現代社会との照らし合わせとか、今までの演劇を題材にした映画とは一味違い、想田監督ならではの視点だと思いました。
A:僕の場合は、自然に社会に目が向いてしまうところがあります。今回、連作みたいなところがあって、たとえば、『選挙』で政治家の人たちをいっぱい撮ったので、政治家の動きに敏感になります。町を歩いていても、ポスターがあるだけで、○○の地盤だなと思ったり(笑)、いちいち目に付くわけです。そうすると撮影中にも、平田さんが民主党若手と会合とかいうと、撮影に行くし、鳥取での公演会場に市長が出てきてとなると、つい嬉々として撮ってしまう(笑)。青年団の人から「想田さん、今までで一番生き生きして撮ってますよ」と言われたり(笑)、そういう視点が入り込みますよね。
また、『精神』を撮っていたから、平田さんが、明日はメンタルヘルスの会合で、といわれたら、ぜひ撮らせてくださいと頼んだり、つながってくるんですよね。ある意味、変奏曲みたいに、主旋律があって、別のメロディを奏でていくみたいな、一種の連作として観てもらってもいいかなと思います。
Q:『精神』を撮られた時、世界のどの場所にいるのかということを気にされていたと思います。『選挙』は政治中心のメインの場所。『精神』はその周辺。その両者を行き来する作品を3つ目に持ちたいと、そのあたりは、本作でねらいどおりですか?
A:ドキュメンタリー作品には、コミュニケーションのあり方、どうやって人はコミュニケーションをとっているのかが写ります。選挙事務所には、選挙事務所なりのコミュニケーションのとり方があって、たとえば、机をバーンと叩くとかいろいろあるわけです。『精神』の舞台の「こらーる岡山診療所」には、診療所なりの、心の内をどっとさらけ出すとか、いろいろやり方はあります。じゃあ、『演劇』の現場ではどうなっているのかというと、やっぱり芸術家集団なので、社会の周辺的な目線、コミュニケーションのあり方は必ず必要なのですが、それだけでは、演劇はできない。やっぱりお金のこともやらなくちゃいけないし、集客のためにはチラシをつくって宣伝したり、取材を受ける必要も出てくるわけです。そういう意味では、両方のチャンネルを活性化させないと、演劇という芸術は成り立たないところがあります。それは編集していて感じたことですね。
【7 演劇(芸術)と社会の関係】
Q:芸術のあり方、芸術の必要性をもっと社会的に認めてほしい、というところに監督の思いが出ているように感じました。
A:平田さんの言っていることが正しいというふうに、僕は言うつもりもなくて、ただ、そういう説得の仕方をこの人はしているんだなと、しかも、そういう説得の仕方をしている人はすごく稀で、特に、日本では、そういう部分は芸術家の側に弱いとは思います。弱いからこそ、今、文楽とか、大阪のオーケストラとかが攻撃された時、それに対して、対抗する理論を持ってないんですよね。
Q:今まで、日本では、伝統だからとか、流れだからとか、かなり思想的な部分で、芸術がみられていて、理論性が足りないというのはそのとおりですよね。だから、文楽とかが攻撃されても、言い返せずに、結局は、排除される流れになってしまう。だからこそ、この作品が広く観られるべき理由があると思います。
A:別にプロパガンダのつもりは全然なく、こうでなければならないというメッセージを伝えたいわけでもありません。僕の映画にメッセージはないと今までも言い続けてきたし、今も変わらないですが、期せずして、今の状況とすごくシンクする(今の状況を反映させた)ものをつくってしまったと思います。
最近すごく感じるのは、冷戦が終わって、共産主義はだめだった、社会主義もだめだったと、資本主義万歳というような価値観が猛威を振るっていて、それまでは福祉といった社会主義的発想や、芸術、伝統にも一定の価値があるというコンセンサスみたいなのがあったと思うのですが、それがどんどん崩壊しかかっている気がするんです。だから、橋下市長が、文楽なんてお金にならないから要らない、無価値だと言った時に、そうだよねという人も結構多いわけですよね。だから今、問題になっているわけで、もちろんそれに抵抗する人たちもいっぱいいるわけですが、それが圧倒的に多かったら、橋下さんは、失言ととられて失脚する可能性だってあると思うんです。でも、失脚しないということは、やっぱりある程度、支持する人がいるからで、それは僕は、じわじわと資本主義的価値観というものが浸透している結果だと思うし、そういう中で、芸術をやっていくというのは、それ自体、逆行というか、逆風であるという認識を新たにしています。やっぱり芸術というのは、資本主義的価値観とは相容れない価値観ではあると思います。だから儲かればいい、という人は芸術やらないんで、そういう人はドキュメンタリー撮らないですよ(笑)。
Q:まさか2012年がこんなふうになっているとは、予想されていませんでしたよね?
A:撮り始めたのは2008年ですし、今の状況は予見できませんでした。タイムリーなものとは全く考えていませんでした。編集している段階で、無意識にそのへんに視点があったのかなという気がしています。『演劇2』をわざわざ別立てにすると決めた時にも、今まで芸術をつくることは、内容とか作り方とか方法論にだけ焦点が当てられがちで、『演劇1』はあっても、実は、自分も作り手だから実感することなんですが、それを支えるための経済活動あるいは社会的活動というのが、芸術家にとってはものすごく比重を占めていて、かなり重くのしかかっている部分でもあるんです。よく自転車にたとえるのですが、前輪と後輪のようなもので、どっちかがなくなっても、活動できなくなる。『演劇1』だけでもだめだし、『演劇2』だけでもだめ。両方があって初めて、両輪の自転車になります。
そういう問題意識は、今の状況があるからというより、僕もつくり手なので、映画をどうやって世に送り出すかとか、どうやって持続可能なものにしていくか、次から次へと作品をコンスタントにつくって発表できるか、ということは、もともと重大な関心を持っていたので、演劇は特にその傾向が強まるというか、もともと社会的な芸術で、一人で完結できるようなものではありません。平田さんが言っていたように、詩のような芸術表現とはちょっと性格が違う。社会を巻き込まないと、社会に認知されないと、芸術活動が成り立ちません。演劇をやることイコール社会にコミットしていくことだという部分があるので、これを大きなテーマとして描きたいという気持ちはありました。
大阪の文化施策の現状についても、触れずにはいられなかった想田監督。「芸術分野が攻撃されたり、表現の規制の問題になってくると、黙っていることイコール黙認していることになり、発言しないわけにいかなくなります」と笑顔で言われたあと、「でも、僕としては、あくまで、作品をまっさらな目でみてほしいので、発言することで、色眼鏡で見られてしまい、作家としてはマイナス部分も多いです」と付け加えられました。監督の率直な発言とユーモアと気取りのない姿勢で、取材中は笑いが絶えることもなく、楽しい時間でした。わかりやすいお話とさわやかな笑顔で、終始、謙虚な姿勢を失わず、相手の言うことを真剣に聞き、答えようとする監督の姿が、とても印象的でした。
『演劇1』、『演劇2』とも、観始めたら、長さは全然気にならず、その世界に入り込みます。対象を冷静に観察し、考察して、独自の映像世界をつくりあげていく構築力は、さぞやと思われます。平田オリザ氏と想田監督の力が見事に掛け合わされた本作は、非常に思索深く、興味深いものです。ぜひ、劇場でご覧ください。きっと、青年団のお芝居も観たくなるにちがいありません。(伊藤 久美子)