『スケッチ・オブ・ミャーク』大西功一監督インタビュー
(2011年 日本 1時間44分)
監督:大西功一
原案、監修:久保田麻琴
出演:久保田麻琴、長崎トヨ、高良マツ、ハーニーズ佐良浜、譜久島雄太他
2012年11月17日(土)~第七藝術劇場、11月24日(土)~元町映画館、12月8日(土)~京都みなみ会館、12月15日(土)~シネピピア他全国順次公開
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※第64回ロカルノ国際映画祭批評家週間部門「批評家週間賞・審査員スペシャル・メンション2011」受賞
(C) Koichi Onishi 2011
沖縄の宮古島で「古謡」や「神歌」に出会った音楽家の久保田麻琴が、その素晴らしさに感銘すると共に、なんとかして後世に伝えられないかと記録を始めたのがきっかけとなって誕生した『スケッチ・オブ・ミャーク』。フォークシンガー高田渡を迎えて『とどかずの町で』を撮って以来、これが16年ぶりの映画復帰作となった大西功一監督が、消えつつある宮古の「古謡」「神歌」を丹念に記録した意義深い作品だ。キャンペーンで来阪した大西監督に、制作の経緯や実際に「古謡」「神歌」に出会って感じたこと、編集時に念頭に置いたことなどお話を伺った。
━━━本作にも出演し、監修を務めているミュージシャン久保田麻琴さんとの出会いや、本作を撮ることになった経緯をお聞かせください。
一番最初は1999年に細野晴臣さんと久保田麻琴さん二人のロックプロジェクト「ハリ-とマック」のプロモーションビデオを作らせてもらったのが発端で、久保田さんが映像の必要なときには呼んでもらったり、個人的な交流もウェイトを占めている関係でした。そんな中、映画制作の2年前にあたる2007年に久保田さんが、映画でも描いている通り思うところがあって宮古島を訪ねて歌と出会っていきました。その状況や音や、自らハンディカメラを回していたことを知っていたので、「お婆ばかり撮っているな」と思っていたのですが(笑)。僕も昔岡本太郎の写真集を持っていて、沖縄の祭祀の写真を収めていたのでこういう光景があることは知っていたし、興味はありましたが、そんなにさかんに(神事が)行われているとは知らなかったし、残っているという奇跡、かつそれがいつ途絶えてもおかしくない危険性がある。何百年と続いた島の歴史や大変な生活を知っている人も戦前の世代、80~90歳ぐらいで歌の背景や島の生活を聞かせてもらう機会は今しかないと思っていました。映像の作り手として、記録をしなければならないという気持ちはありましたが、映画を作るのは大変なことですからそんな簡単にはできないとその時はそれで終わっていたんです。
久保田さんが2007年から(古謡を)録音していた流れから、2009年に開催されたアリオン音楽財団と朝日新聞社主催の第25回<東京の夏>音楽祭2009(2009年で最後)より、その年は日本の歌がテーマだったのですが、宮古もそのひとつに選ばれ、久保田さんの人脈で宮古で取材した人たちに東京へ来ていただきました。映画で随所に挿入されているのは、この音楽祭のライブシーンですね。
久保田さんから2009年7月に行われるこのコンサートの映像の相談を2009年2月に受け、そのときに予算はないけれど、記録と収録をしたいという意図が分かり、DVDにして販売することも考えたのですが、歌単体よりもその背景に生活、儀式があるのはわかっていたし、それが見えた方がもっと豊かに伝わると思ったのです。記録をしなければいけないという責務が頭の片隅にあったので、コンサートの出演者を軸にしながら、その背景にある島の人の風習や生活を描いて、記録し、映画にしようと決めました。久保田さんに色々紹介してもらって、まず4月に宮古島に行きました。
━━━7月、東京でコンサートが行われる前に撮影を始めたんですね。
コンサートよりも前に行った訳は、(7月に東京へ)行ってしまうとお婆ちゃんたちの何かが変わってしまうのではないかと思ったんです。たとえば古い町でも何かに指定されてしまうと、素の状態ではなくなってしまうじゃないですか。これがきっかけですね。
━━━コンサートが終わってからは、どれぐらいの期間撮影されたのですか?
期間はおよそ1年間で、のべ4ヶ月強です。(取材対象者は)コンサートの出演者というメインの軸はあったので、カットした方は少ないぐらいで、あとは久保田さんから紹介された人を取材するだけでも大変でした。
━━━お婆たちの歌やしゃべり言葉に字幕が付いていましたが、聞き取るのはかなり難しかったですか?
内地の人間に合わせて、お婆たちは標準語としてしゃべってくれているので、字幕を付けられるのは不服だろうと思います(笑)。本当の方言でしゃべられると分かりませんよ。
━━━宮古の古謡はバリエーションも豊富で、独特の節回しが印象的ですが、実際取材されてこれらの音楽をどう感じましたか?
僕は沖縄の民謡は好きなのですが、宮古の歌に関しては最初あまりピンときていなかったです。多分この映画の作り手ではなく、純粋に作品と出会ったなら宮古の歌の魅力にはまると思うのですが、何もない状態で聞くと、同じメロディーの繰り返しでそんなにかっちり掴むという感じではなかったです。それよりも記録しなければという気持ちが強かったので、(音楽の魅力が)分かるまでにタイムラグがあったかもしれません。撮影しながら、だんだん宮古の歌を理解していった部分が大きかったです。宮古の歴史から現代に至るまでのところで、宮古にまだ残っているものを掴むのに時間がかかりましたね。二ヶ月ぐらい行ったとき、すごく葛藤があって、それを掴めないと映画がつなげないし、いいものはできないと分かっていたので、それを獲得するのに苦労しました。
━━━ライブのシーンで、「みなさんご一緒に」という掛け声に合わせて、舞台上まで観客が上がって場内全員でクイチャーを踊る姿が印象的でした。
踊るという行為はすごく自然な行為だったはずでしょうね。歌うということも会話をするのにも近いし、お祈りから歌になっていったのかもしれないし、そんなに特殊なことではなくて、全部繋がっているはずのことが今は分離してしまっています。そういうことがこのミャークを通じて確かめられたし、そういうのを見に行きたかったという部分もあります。音楽は好きなので、音楽に対する限界も感じていたし、元々の本当のものはどうなんだろうと。昔宮古の人はアドリブで皆歌えたんですよ。さすがに今はいませんが、メロディーにどんどん乗せて恋人同士や嫁姑などが歌い合うという話も聞きました。
━━━ライブシーンや、お婆たちの語り、このプロジェクトに取り組む久保田さんの姿、村の歴史を紐解くことなど、様々な要素が盛り込まれていますが、編集の際に念頭に置いていたことや、心がけたことはありますか。
撮影の途中から編集をはじめ、一年以上かけて編集しました。あそこまでミックスされた形に収まるまで、すごく時間がかかりました。写真集みたいな映画にしようと思ったんですよね。写真集には色んな写真があって、それをめくっていき見終わって閉じたときに、何か心に残っていると思うのですが、その写真を(映画の)一つ一つのシーンに置き換えた形で、映画を見終わるときに何かが残っている。一つの起承転結があるような形ではなく、画集のような構成でいきたいと思っていました。
そういう構成にすると、普通はアート作品になるのですが、『スケッチ・オブ・ミャーク』は宮古島のことなので、宮古島で上映したときに島のおじさんやおばさんたちにも伝わらなければなりません。画集のような構成でありつつも、きちんと一般の人にも伝わるような作品にしたいと思い、制作しました。
━━━長きにわたって続いていく伝統がある一方で、それらが消えてゆく現実も映り込んでいましたね。
この映画は宮古島オンリーではなくて、宮古諸島と言った方がいいのですが、多良間島はテロップを入れていますが、ほかはあえてテロップを入れていません。伊良部島の佐良浜地区は儀式がかなり盛んだし、かつ記録に応じてくれました。儀式を撮るのは全然大変ではなくて、先方もいつ途絶えるか分からないから記録をしてもらいたい、こういうことをやっていると公表してもらいたいという気持ちと、何百年も続いてきた儀式を次につなげていきたいという気持ちがあるので、スケジュールも教えてもらい応援してもらいました。映像にもでていると思いますが、かなり熱中して撮れましたし、編集も早くつなぐことができたんです。宮古本島になるとずいぶん昔から変わっていて、24時間営業のコンビニやスーパーがあるような島なので、昔のままのものが視覚的にも空気的にも掴みにくくなっています。そこでお婆たちの記録や歌と、今この島で空気感を掴まえて、これが宮古だなと感じ取って古い映像を混ぜながら作っていくのは時間がかかりました。
━━━第64回ロカルノ映画祭で、「批評家週間賞・審査員スペシャル・メンション2011」賞を受賞されましたが、お客様の反響はいかがでしたか?
昨年の8月に2回上映しました。批評家週間部門というのはロカルノ映画祭に関してはドキュメンタリーに特化した作品が上映されます。世界から集まった作品の中で7本が選ばれた中の一本で、ロカルノのこの部門でははじめての日本映画でした。エンドロールのうちに拍手のボルテージや歓声が上がってきて、7本中ピカイチでした。これは一等賞かビリだろうと思っていたら、二等でがっかりしました(笑)。後から思えばありがたかったと思います。
━━━本作が監督にとっては16年ぶりの映画となったわけですが、監督にとってどんな意味があったのでしょうか。
前に撮った映画はドラマだったこともありますし、16年の間に何度か脚本に着手もしました。この作品も最後までできるかどうか分からなかった部分もあります。途中で気持ちが萎えてしまったり、様々な状況が起これば動けなくなりますから。できてよかったと思うと同時に、自分のエゴをあまり感じないので、カタルシスもないですね。どちらかといえば宮古をなんとか感じ取って、それをどうやって映画として純粋な形で置くことができるかに専念したので、創作的なシーンはありつつも自分の作品ではない感じがします。作業的には大変でしたが、自分の中では3本目というよりは、2.5本目といった気がします。それはいい意味だと思います。
━━━これからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
古い歌のことを追いかけている映画ですが、それと同時に背景である島の人の暮らしや、儀式を含めた風習があって、その原初のものを知る、人間自身のことを知るような意味を持った映画だと思います。僕も実際に島で(原初のものに)触れてきたわけで、この映画でそれに触れることができる役割を果たすのではないでしょうか。今の時代、我々は大きな問題に直面していて、ルーツである人間の生き様をこの映画を通して一緒に見つめて、これからの未来に向けて、ものを考え始めよう。そういうきっかけになってほしいと思って作ったところもあります。僕も答えは出せないけれど、それを共有して一緒に考えていきたいですね。(江口 由美)