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『フタバから遠く離れて』舩橋淳監督インタビュー

futaba-550.jpgfutaba-s1.jpg『フタバから遠く離れて』舩橋淳監督インタビュー

(2012年 日本 1時間36分) 
監督:舩橋淳
出演:双葉町のみなさま
2012年10月13日(土)~オーディトリウム渋谷、 12月1日(土)~シアターセブン、近日~神戸アートビレッジセンター ほか全国順次公開
http://nuclearnation.jp/
(C)2012 Documentary Japan, Big River Films
 

  オダギリジョー主演で全編アメリカ・ロケした異色作「BIGRIVER」(06年)で注目された船橋淳監督(38)が「3・11」にカメラを向けた。『フタバから遠く離れて』は被災地、避難所の人々を定点観測しつつ、これまで姿を見せなかった原発推進派にもインタビュー、事故後の本音をとらえた希有なドキュメンタリー。「みんな事故の当事者。事故の後、人々がどう変わったか」をつぶさに描く。


futaba-2.jpg―――原発事故に焦点を絞ったのが独自の視点。
4月に現地入りして、時間がカギになると思っていた。地震、津波の後に原発事故が起こって「被災者」とひとまとめに言っているけど、本質的に違う災害が2つある。私は原発事故が起こった双葉町をとらえた。
これまでは地震や津波被害の派手な絵を撮って素材を“おいしいもの”にしていったが、映画はジャーナリズムと違って人間の感情を描くもの。時間と一緒に定点観測しようと、双葉町の避難所(埼玉県立旧騎西高校)を撮り続けました。最初避難者は1400人だった。映画の終わりでは650人にまで減りましたが。

futaba-s2.jpg―――映画でおばあちゃんが「津波より双葉写せ」って叫ぶ。あれが避難所の人々の気持ち。
NHKは自社の社員を現地には行かせてないんですね。被災地は長引くことによって切り捨てられ、見捨てられていくのではという焦り、恐れがある。補償はあっても、ずっと補償されるのか、と。菅首相が「10年20年は帰れない」とポロっとしゃべってたたかれた。過剰反応ではないかということだが、漠然とした恐怖感があったのが言語表現になっただけ。

futaba-1.jpg―――ずっと撮り続けていて、このタイミングの公開は?
野田首相の“終息宣言”が出て、がく然とした。「おかしいだろ」。本当にそう思うか」と突き詰めた。まだまだ終わってない、と発言するために一旦区切りつけた。映像は300時間あったのをそれまでに何となくまとめていたが、急ピッチでつないで11時間になった。見ている人に避難所の時間を経験してほしいという思いがあった。だけど、ベルリン映画祭に呼ばれて、ワールドセールスにかけたら「もっと見やすくした方がいい」と、特にアメリカでは2時間以上は無理、と言われて、96分にした。でも、映画はまだ終わらない。続編の撮影は続けています。いつまで撮るか、分からない。
映画の時間は個人の感情を作っていくこと。物語を作っていくに当たって、ドキュメンタリーでは演出をしない。この映画では、定点にカメラを据えて撮影した。その映像が個人の感情とぶつかってどう広がっていくか、ですね。

futaba-s3.jpg―――続編の撮影はいつまでになる?
今回もそうだったが、いつ、どこでまとめていいか分からない。    この映画でも、一時帰宅に付いて行った。母親が死んだ場所に3カ月ぶりに帰って来て、墓参りするのに急がなければならなかった、ということが深刻さを表している。

―――国会議員が登場する場面が象徴的。
被災者が陳情に行くシーンに、国の姿勢や、民主主義の破綻が見える。

―――原発誘致した町長がインタビューに応えていて驚いた。これまでの反原発映画なら“悪役”。断罪される側だが。
誘致して、原発マネーが入ってきた人だが、町長も事故以後、明らかに変わってきている。事故の前後で変わった様子をとらえたかった。多くの人が事故までは安全神話を信じきっていたんですから。

―――映画人は黒澤明監督をはじめ、原発に警鐘を鳴らす人もいた。福島後は変化している。
福島原発が作る電力の大半は東京で使われる。原発はハイリスク・ハイリターンだが、リスクは福島など、原発所在地だけが負っている。地方に犠牲を強いるシステムになっている。そういう時代背景を描きたかった。

futaba-3.jpg―――この映画は日本だけでなく、世界にアピールする。
アメリカでは当初、年内公開の予定だったが、来年に延びた。年はじめ公開の予定、原発国のフランスでも公開します。
(安永 五郎)

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