『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』御法川修監督インタビュー
(2012年 日本 1時間46分)
監督:御法川修
原作:益田ミリ著『すーちゃん』シリーズ 幻冬舎刊
出演:柴咲コウ、真木よう子、寺島しのぶ、井浦新、染谷将太
2013年3月2日(土)~新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://sumasa-movie.com/
© 2012 映画「すーちゃん まいちゃん さわ子さん」
~地道に生きる人への愛おしさあふれる応援歌~
3人の30代独身女性が織りなすドラマは、ありふれた日常の延長上にあるような自然な流れで見る者の心をつかむ。精査されたセリフからは、現代を女性ひとりで生きる難しさや切なさを、それでも日々少しずつ前向きに生きる輝きを見せてくれて、地道に普通に生きる人のための応援歌となっている。
柴咲コウ、真木よう子、寺島しのぶ、この個性派3人のキャスティングだけでも驚きだが、それぞれが今までにないキャラクターを自然体で演じて、男女の区別や年齢を超えて共感することが多い。「単に癒されるだけの映画にはしたくなかった」という御法川修監督の言葉どおり、本当の優しさとは、積極的生き方とは、自分の気持ちに正直に生きることとは、見る者の心に様々な思いを投げかけてくれる。
――― 映画化のキッカケは?
初めてこの作品を読んだ時、独身の私は、映画の仕事をしていると言っても何の保障も確信がある訳でもなく、〈すーちゃん〉は僕と同じだ!と思ったんです。益田ミリ作品に対する感動が最初の衝動として、映画が完成するまでずっと繋ぎとめられたのです。
――― 主役3人のキャスティングは?
これだけの規模の映画となると、プロデューサーと相談して、脚本も納得がいくまで時間をかけてから、キャスティングの段階に。3人の皆さんは第一希望でオファーしたら快く受けて下さったのです。
――― 主役の3人だけでなく、脇役の皆さんへの焦点の当て方が絶妙ですね?
原作に出会った時に感じ入ったことは、心の中でつぶやく声が絶妙で、クスっと笑いながらブラックな気分を残す。それに対し慎重になったのは、表では笑って裏では舌を出すような、本音と建前とは違うようなものではなく、この主人公たちみたいに30歳を過ぎると、年齢を重ねて来て、無意識の内に社会の中で責任ある役割を担わされ、若い時みたいにはいかなくなる。
――― 内面の成長ですね?
やはり、相手がどう思うか、気を配るようになる。心の中で自問自答する彼女らに共感するかもしれないが、実はリアルな事象で、これらが日々の中で一番見失われていることだと思う。目の前のことで精いっぱいで、正直な気持ちを曖昧にしていると思うんです。
――― 現代人を反映している?
震災以降、世の中は目にするもの耳にするものが不安だらけで、先行き不透明で神経過敏になりがち。ネガティブに閉じこもるより、信じられるもの、今日より明日、少しずつでも良くするためにも、逆に自分の寂しさや切なさにちゃんと向き合い、自分の心と体と同化して、自分の心の声に耳を澄ましたり、考えたりする時間が必要です。自分の手の届く範囲の中にいっぱい見過ごしているものや素敵なものがあるのではないか?それらをちゃんと見つけていく心と体の眼差しを獲得できれば、少しずつだけど、日々を豊かに、より奥深く手にすることが、この映画を通してできるのではと思ったのです。
――― 表現しにくいことですね?
それを映画にすると、ドラマチックな展開のない構成だし、日々繰り返される当たり前のしぐさを丁寧に描いていくしかない。俳優さんたちも、テクニックで演じるのではなく、俳優である前に人間として心を覗き込むことを恐れない強さを持っている人たちに、それぞれのキャラクターになってもらいたいと思ったのです。
3人の女優さんたちが、今までのパブリックイメージとは違い、いかに日々を丁寧に生きているか、ウソじゃなく、いろんな所で見せてくれていると思う。ストーリーとは別に、彼女たちの佇まいから、人間ってこんなにも愛おしい存在であるということを、もう一度目を開かされるような映画であってほしい。
――― それでこのキャスティングになったのですね?
キャスティングの際も、そういう感覚を共有してくれるかどうかによって決めた。カッコつけた表情は全く必要なかったので、あるがままの表情を見せてくれることが重要でした。役者さんたちも、僕の求めるものが解放された感じなので、自由に緊張感もなく穏やかな時間を捧げてくれたと思います。
――― 撮影期間は?
2012年の春に、1か月も掛かってません。
――― 井浦新と染谷将太の存在は?
女性たちの物語の中で、彼らが造詣してくれたキャラクターの男性の在り様に、監督としてとても満足しています。映画を通して、男も女も、悪意がなくても人を傷付けてしまっているということに対し、いかに敏感に繊細になっているのかということを示したかったので、お二人は映画に素敵なものを提供してくれました。
新さんが演じた中田マネージャーというのは、とんでもない奴なんだけど、それを単純に悪人として描いてしまうと、よくあるドラマになってしまう。人間としてもマナーとデリカシーを持っていて、一歩引いて気遣いするが故に、肝心なことを自分本位じゃないところに流されていってしまう。男性として肯定はできないけれど、そういう風に、痛みを伴いながらすれ違ってしまう一人の男性の在り様として新さんはいてくれました。
染谷君の場合は、柴咲さん演じるすーちゃんが、健気に地道に生きている女性なんで、ちゃんと彼女を見守ってくれる視線がほしいという、スタッフみんなの願いだったんです。
――― 演出方法は?
ウソのないようにするという確認はしたが、仕草について指示したことはなかったです。柴咲さんが「撮影に通うということが癒しだった」と言って下さって、本当に嬉しかった。そんな彼女の気持ちが映画をたおやかにしていたと思います。
――― 柴咲さんに合ったキャラクターだったのでしょうね?
そうですね。
――― 柴咲コウさんはお料理好きだと聞いてますが?
彼女は普段から、自分のためにもきちんと料理を作っている人なんだなぁということは感じられました。言葉少ないけど、僕やスタッフに届ける言葉をちゃんと言って下さる方です。
――― 女優業だけではなく歌手活動にも力を入れておられ、出演作品も選んでおられるように感じますが?
彼女は女優という枠を超えて、ひとりの表現者として確認したいことがいっぱいあるように感じます。作り手である僕たちが、この作品を通してどういうことを表現しようとしているのか、ということを含め、参加するかどうかを決めているようです。女優として参加するだけでなく、作品をどう作り上げていくかを、共有できる方でした。
――― 柴咲コウの魅力満載ですね?
よく見所を聞かれますが、彼女のさりげない仕草、例えば、瞬きひとつにしても、箸の上げ下ろしにしても、振り向いた時の表情、すべてが切なげで・・・そこに感じられることを自分たちが生きることとイコールになるような感じなんですよね。
――― 最後のまいちゃんのセリフが気になったのですが?
すーちゃんだから気を許して言った言葉です。でも、すーちゃんの負担にならないよう、後で「ごめん」と電話してくる。
――― そのシーンの意味は?
絶えず迷うというのは人間として避けられないことです。迷うということも年齢を重ねていくと、いろんな選択肢が生まれてきます。それは何も悪いことではないんです。
――― 男女の違いは?
男性か女性かというジェンダーは設けていません。むしろ、女性の心情をリサーチして作っていたら、こんな映画は作れなかったと思います。
――― カラーについて?個性を際立たせるための考え?
勿論そうですが、別に語る程のことではありません。それは隠し味なんで(笑)。
――― 脚本について?
プロデューサーと脚本家と3年かけて仕上げました。特別なことなど何も起こらない構成ですが、巧妙に練られた脚本です。特に、映画をよく見ている人に見てほしいです。
――― 共感しやすいセリフが多かったが?
見る側の気持ちを穏やかにして、変な緊張感を強いるものにはしないように仕上げたつもりです。ただ、共感するだけで終わる映画にはしたくない。好きでなげやりに生きている人はいないと思う。自分の手の届く範囲の中で、見過ごしていることをもう一度見つめ直して、“慈しむ”という行いをきちんと実感することで人と繋がることができる。人にちゃんと気持ちを伝えることができると思います。
―――単なる癒し系に終わっていない映画ですね?
この映画の本質をちゃんとつかんでくれたら、最後にただ明るい気持ちにはなれないと思う。主人公たちは、今後大変な試練の日々が続くと思うので、3人の友情物語でありながら、肝心なことは其々で決めていく、という孤独と寂しさと切なさを、しっかり受け止めてくれたら、見終わって、すごく人恋しい気持ちになると思うんです。
でも、そういう気持ちをネガティブにとらえないで、その気持ちこそ大切に温めてもらいたい。そうしたら、きっと、映画を見終わった先に、ちゃんとご自身の生活の中で、いい意味で昇華してくれるのではないかと思います。
世の中が、ある事の解釈に対しひとつの見方しかできず、偏ったまま議論されるのは想像力の欠如としか言いようがない。狭い了見でしか判断できないのは寂しいことだ。すーちゃんは、誰かを傷付ける訳でもなく、健気なまでに地道に生きている女性だ。まいちゃんは、人並みに頑張ってきたつもりが、何か無理をしてきたようだ。現状打破という積極的な生き方の先に到達した心境とは?さわ子さんは、別に人生を諦めている訳ではない。ただ、譲れない基本的な事をしっかりと持った芯の強い女性だ。それぞれの生き方に多少の違いはあるが、みんな自分の気持ちに正直で、自分の足で立って生きている。それが見ていて心地良く映る。自分もそうありたいという思いがあるからかもしれない。
この映画を見て思うことは人様々だろう。だが、これだけは言える。何かを考えずにはおられないということ。表面的な癒しだけでなく、本当に自分が求めているものとは? 自分にとっての幸せとは? ……いろんなことをこの映画は提示してくれているようだ。
(河田 真喜子)