『たとえば檸檬』片嶋一貴監督インタビュー
(2012年 日本 2時間18分)
監督:片嶋一貴
出演:韓英恵、有森也実、綾野剛、古田新太、室井滋、内田春菊、伊原剛志他
2013年2月23日(土)~第七芸術劇場、3月2日(土)~京都みなみ会館、3月9日(土)~元町映画館、他全国順次公開
公式サイト⇒http://www.dogsugar.co.jp/lemon
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~境界性人格障害を鮮烈な演技で表現、見たこともない痛切な母娘物語~
こんなに痛切な母娘物語は観たことがない。男を作って出ていくくせに、過干渉で全てを奪っていく母親(室井滋)から逃げたくて仕方がなかった20歳のカオリ(韓英恵)。引きこもりの娘を抱え、大手企業の秘書を務める一方、万引き常習犯でセックス依存症の40歳の香織(有森也実)。万引きで捕まったとき、現場にいた刑事の河内(伊原剛志)から境界性人格障害を指摘された香織と、野心家の石山(綾野剛)に彫金の才能を見いだされながらも、母親の邪魔が入り、精神が混濁していくカオリが思わぬ形で交錯していく。前作『アジアの純真』で鮮烈な印象を与えた片嶋一貴監督が、バブル時代と現代の2つの時間軸で、二人のカオリ/香織他、登場人物を対比させて描く衝撃の母娘物語『たとえば檸檬』。関西公開を前にキャンペーンで来阪した片嶋監督に、本作の狙いや撮影の舞台裏についてお話を伺った。
―――前作『アジアの純真』とは一転して、個人にフォーカスしたストーリーですが、構想のきっかけは?
脚本の吉川次郎さんとは前々作の『小森生活向上クラブ』(古田新太主演)で一緒に仕事をしたのですが、前作『アジアの純真』を撮った後に、「また一緒にやろうぜ」といった話になったんです。『アジアの純真』のときは政治的な要素が強かったので、海外の映画祭に行って政治的なスタンスや、世界をどう見るかといったことを色々語ってきたのですが、そういう広い見方というよりはむしろ、人間関係の最小単位である親子関係、それも母娘の関係をきっちり描くことによって、世界につながっていくのではないか。そういったきっかけで本作に着手し始めました。
―――母と娘の話ですが、実は母娘ではないと分かったときの衝撃は大きかったです。このような構造をどうやって組み立てていったのですか?
吉川さんも僕も男兄弟なので、母娘の関係性なんて夢にも考えたことがなかった世界ですが、それがおもしろいのではないかと話し合いました。僕が企画の時に投げかけたのは、まずタイトルは『たとえば檸檬』でいくということ。檸檬のようなものは一つの象徴なので、話が作りやすくなります。もう一つは母と娘の配役についてです。韓英恵は『アジアの純真』の主役ですし、有森さんは『小森生活向上クラブ』に出演いただいたり、一緒に呑んだりすることもありましたので、この二人を主役に据えました。そして時間が交錯するものを作ろうということで、最初は母と娘の話を考えていたわけです。
けれど、実は(母と娘とは)違うというのがおもしろいのではないかと思い始めました。そのとき吉川さんが、自分の友達の境界線人格障害の人の話を聞かせてくれたのです。調べてみると、境界線人格障害というのは幼少期の母の抑圧的な行動などから生じやすいと分かって、今回の物語の核に据えられるのではないかと考えました。有森さん演じる香織が万引きした後寿司屋へ行ったり、愛人と会ったり、刑事に暴言を吐くとか、あれは皆モデルになった人の実話を元にしています。
―――有森さんは『東京ラブストーリー』のイメージがまだ残っているので、本当にびっくりしました。本当に凄味のある演技です。
30代の頃の有森さんを知らない方が多いですね。20代だった『東京ラブストーリー』からいきなり飛んで『たとえば檸檬』を見たら、それは驚きますよね。16歳ぐらいからこの世界で活動されていますから、時代の傷跡みたいな形で有森さんを捉える世代もいるわけです。『東京ラブストーリー』もバブル期でしたし。
―――本作でも現在と並行してバブル期を描いています。最初は気づかなかったのですが、一度気づくとバブルの傷跡が意図的に映し出されていますね。
それぞれの時代の人物が最後になって結びつく構造になっています。例えば昔は「愛じゃない、尊敬だ」と言っていた奴が、今では「愛ですよ、愛」と言い続けていたり。
―――普段、母が娘を虐待したというニュースを耳にすると、母親への批判的感情が沸き上がってしまいますが、伊原さん演じる河内の「表現の仕方が普通とは違うんだ」という言葉に、愛情表現がいびつなだけという新しい認識をさせられました。
みんな壊れた人たちばかりなんですよ。みんな何かに依存しているという意味では、「この物語はあなたの物語ですよ」という展開で、非常に重層的な色々なキャラクターがでてくる形にしたかったのです。
―――母娘の血からは逃れられないいう、血縁の絆の深さも現れています。
最後に檸檬のレリーフがでてきたとき、自殺はやめようと思うのですが、その後香織が何十年か生きたとしても幸せにはなれそうにないんです。救いってどこにあるのだろうと考えたとき、やはりそれは自分で探していくしかないということなのかもしれません。
―――母娘を実際に描いてみて、苦労した部分はありますか?
二つの時代の物語を作って、合体させるわけですが、こちらの世界でやっていることを、もう一つの世界でもやっていように意識的に見せたり、時代が違うことを地続きのように見せることで、サスペンスを作りだし物語を構成するという試みを、きっちり本にしてからは現場に臨みました。現場は役者さんが体当たりの演技をみなさん見せてくれました。有森さんはこれでもかというぐらい(役を)作ってきて下さるので、こちらもだんだんサディスティックになって、さらにもっとと(笑)
この撮影中に震災があったんですよ。3月の頭から撮影して、有森さんと伊原さんの最後のラブシーンを撮っているときにグラッときたんです。やはり震災があると、お金のある作品の現場は次々と撮影を延期されたのですが、こういうローバジェットの作品は一度止めたら終わりで、一度スタッフを解散したら二度と映画はできません。ガソリンはないし、停電にはなるし、晴れた日にやっていたら計画停電のアナウンスは入るし、本当にこれで出来るのかなと思いました。被災者の方のことを考えましたが、そのとき自分たちに出来ることは「この映画を最後までがんばること」だと、皆必死になりましたね。
―――全てを奪う母の存在が強烈で、その後のカオリの人生にトラウマのような影響を与えてしまいますね。
今まで被害者と思っていたカオリが、急に加害者になってしまうシーンがあります。それは非常にやりきれないことであって、ああいうことが20年後の境界性人格障害につながるのでしょうね。
―――自ら起こした事件がきっかけで、香織を見守るようになる刑事、河内もかなり辛い設定でした。
自首することも、自殺することもできず20年間経ってしまう訳ですが、二度と会うこともないと思った香織に会うことによって、ますます心の傷が深まってしまう。伊原さんが最後になぜ死ぬのかという質問を受けることもあるのですが、それは死ぬしかないだろうと。もしあそこで香織と幸せになってしまったら、この映画は違う映画になってしまいます。
―――最初からタイトルにと決めていた「檸檬」ですが、冷蔵庫の腐りかけの檸檬など、いろいろな檸檬が登場します。本作の「檸檬」はどんなイメージで使ったのですか?
この映画の中でいろいろな檸檬がでてくるということは、いろいろな象徴になっています。若い頃の檸檬というのは、自分たちの周りの困難を乗り越えようとする気持ちであったり、腐ってくると自堕落の象徴となったりします。英語のスラングで檸檬は「壊れもの」という意味があり、欠陥品という意味で使われるのですが、まさに欠陥品ばかりのキャラクターがでてきますから。
―――殺したいと思っても、やはり母親は好きだという非常に複雑な心境を描ききっていますね。
母親も辛いんですよね。今は母性愛神話が崩壊していると言われています。母は子どもを愛さなければいけないというしがらみがありますが、愛せない人や不器用な人もいるはずです。でも、社会がそれを許さないので、子どもを愛せない人は辛いのです。社会に規律があった時代ではなくなっている今、弱い人はどんどん依存せざるをえなくなっています。
―――若松監督の助監督のご経験もおありですが、若松監督から影響を受けたことは?
若松監督は本当に面白い方で、いい加減なところもたくさんありましたが、やはり自分のお金でちゃんと映画を作って、最後に自分の力で公開までもっていくということをやってきた監督なので、映画を作る覚悟を切に学びました。演出とかそういうレベルの話ではないですね。
―――これからはどんな作品を手がけていきたいですか?
本作がきっかけで、『完全なる飼育』シリーズをやってみないかと声をかけていただきました。シリーズ一本目は新藤兼人脚本、和田勉監督と一番有名なのですが、その後若松監督も撮っていて、好き勝手なことをやっているんです(笑)シリーズもののエンターテイメント作品に声をかけてもらったのは初めてだったので、うれしいです。今までは自分の企画として自力でこぎつけたところがありましたから。観ている側をエンターテイメントとして引っ張れる映画を作っていきたいですね。一方で、インディペンデント系のものをやっていける二本立てで考えられれば幸せです。
―――最後にこの作品で一番の見せ場は?
本当に役者の方々が体当たりの演技をしていて、役者の才気と意欲で成り立っている映画だと思います。それを観てほしいですね。
万引き、セックス依存症、アルコール依存症と、様々な症状に陥る人間や、バブルの栄光をひきずった人間など、人間動物園さながらのきわどいキャラクターが勢揃いの本作を観ていると、人間は何かに依存しなければ壊れてしまう生き物なのかという想いが胸をよぎる。本作で描かれる、様々なトラウマから依存バランスが保てず壊れてしまった人たちは時に観るのが辛くなるが、そこを剥き出しにするのが片嶋流なのだろう。インタビュー中でも話題にのぼった有森也実や、二作連続主演となる韓英恵の鬼気迫る演技は言うまでもなく、今、一番旬の俳優、綾野剛がライブシーンも披露しながら、バブル時代の寵児となる石山をナルシスト度満点で演じ、新しい一面を垣間見ることができる。母親の愛に気付かずに育った女が、死の間際に見たものは何か、ぜひ劇場で確かめてほしい。(江口由美)