『TATSUMI マンガに革命を起こした男』別所哲也さんインタビュー
『TATSUMI マンガに革命を起こした男』(2011年 シンガポール 1時間36分)
監督:エリック・クー
原作:辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』
声の出演:別所哲也、辰巳ヨシヒロ他
2014年11月15日(土)~角川シネマ新宿、11月29日(土)~テアトル梅田、2015年1月17日(土)~京都シネマ、1月~シネ・リーブル神戸他全国順次公開
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~別所哲也が語る、世界が絶賛する劇画“TATSUMI”ワールドと一人六役の“挑戦”~
日本が世界に誇るアニメーションの中でも、よく耳にする“劇画”が実はどのようなものであり、誰によって誕生したか知っている人は少ないのではないだろうか。戦後大阪で手塚治虫に憧れてマンガを描き続けた青年、辰巳ヨシヒロが、深みのあるリアルな描写で大人のためのストーリーマンガを“劇画”と宣言したのが1959年のこと。以来、高度経済成長の陰で、怒りにも似た感情を時には情熱的に、時には哀愁を込めて描く作品を作り続けてきた。
海外では、アニメ界のアカデミー賞と呼ばれるアイズナー賞を受賞し、本屋では平積みで置かれるほど絶大な人気を誇っている辰巳ワールド。マンガの世界で社会を風刺する世界観を表現できることから、バンド・デシネ(フランスのアニメのジャンル)というアート性や社会性を持ち、メジャーな人気を誇るカルチャーにも大きな影響を与えている。
辰巳ヨシヒロの大ファンであるシンガポールのエリック・クー監督が、辰巳ヨシヒロの自伝的劇画『劇画漂流』から辰巳ヨシヒロの半生を描くと共に、辰巳ワールドの伝説的な短編マンガ『地獄』、『いとしのモンキー』、『男一発』、『はいってます』、『グッドバイ』を挿入。戦後、日本が歩んできた復興の陰にある市井の人々の苦悩や哀しみが、迫力のある絵と、劇画の雰囲気を損なわない絶妙の色合いで、今を生きる我々に訴えかけてくるのだ。
短編マンガでナレーションをはじめ6人のキャラクターの声を一人で演じた俳優、別所哲也さんに、辰巳ヨシヒロさんの劇画の魅力や、一人六役を演じた感想、日本にいる私たちが辰巳ワールドに触れることの意義などについてお話を伺った。
■成熟したヨーロッパ社会で熱狂的に受け入れられている辰巳ヨシヒロさんの世界。その社会性と過激さから、知られないような社会になっている日本は、むしろ怖い。
━━━辰巳ヨシヒロさんの劇画をいつお知りになりましたか?またその印象は?
別所:恥ずかしながら、この作品で声の出演というオファーがあるまでは辰巳ワールドを知りませんでした。何故なのかと考えてみると、描かれている世界が過激で、社会性を帯びているので子どもからは遠く離して見せたくないという事情や、いじめや理不尽さ、情けなさや格好悪さが描かれているからなのです。物語を作るとき、僕たちは知らぬ間に格好よくて、ヒーローで、夢があって、元気なキャラクターの方に目を向けてしまいがちです。でも、人間にはもう一つの面、いわゆるアザーサイドがあり、それをダークと捉えるのか、人間の一部と捉えるのかという部分で、日本とヨーロッパは感じ方に違いがある気がします。
ヨーロッパで本作や辰巳ワールドが圧倒的に支持されているのは、人間力や成熟した社会が背景にあるからです。日本は辰巳ワールドが実在していた場所なのに、僕も含めて知らない、もしくは知られないようになっている社会になっていて、むしろ怖いと思いますね。
━━━エリック・クー監督から別所さんに直接オファーがあったそうですが、その経緯は?
別所:ハリウッドで映画デビューしていることや、僕が携わっている国際短編映画祭を含め、世界の映画祭を通しての交流が根底にありました。エリック監督のことはカンヌ映画祭に出品されておられたのでお互いの存在は知っていたのですが、間を取り持つプロデューサーが入ってくれたことで、全てが一つに繋がっていきました。正直、最初にオファーを受けたときは驚きましたが、彼にしてみれば日本人でありながら英語でクリエイティブな話も含めコミュニケーションがとれ、辰巳ワールドがなぜ日本に息づいていないのかと共感できる人も探していたのだと思います。
■辰巳ヨシヒロのキャラクターの分身として、人間の情けなく、いやらしく、ダメな部分を演じ分けたことが、やりがいに。
━━━今回6人の役を演じ分けましたが、監督からはどのような指示がありましたか?
別所:最初は女性の役も全部やってほしいと言われました。演出の意図としては、辰巳先生の創り出したキャラクターは先生の分身だから、それを一人の役者が演じたら面白いのではないかということだったのでしょう。声優経験はありますが、そのときは一人一役でしたし、正直悩みましたが、辰巳先生のキャラクターの分身として演じ分けるのだと解釈すれば腑に落ちました。日本では落語もありますし、普段の自分ではできない役を劇画の中で演じるというのは俳優としてすごく演じ甲斐がある、チャレンジングなことです。国際的なプロジェクトでもありましたし、これはやろうと気持ちが固まりました。
━━━実際にどうやって6人のキャラクター(声)を作り上げていったのですか?
別所:ただ単に声を変えるのではなく、各キャラクターの立ち方や生活習慣、考え方などのパーソナルヒストリーを自分で作っていき、「重心が高い人だから早口なのではないか」とか、「スタスタ歩くから息遣いが荒くなるのではないか」などと考えて作っていきましたね。
━━━なるほど、一人一人演じるかのごとく、声を作りあげたわけですね。
別所:一球入魂ではないですが、一つ一つキャラクターを作っていくのはとても面白かったです。自分の肉体を動かして作っていくのとは違い、声を出して映像もあって、辰巳先生の世界とエリックの演出をその場の反射神経で受け止めながら作り上げていきました。声の質もそうですが、自分でも「俺ってこんな声が出るんだ」と、今まで自分で意識しないような声も出たのには驚きました。催眠術にかかっているようで、映像を見ながら自分で覚醒していく感じが面白かったです。
━━━それだけ辰巳ヨシヒロ先生の絵に力があったのでしょうか?
別所:『地獄』や『愛しのモンキー』、『男一発』等、ちょっとドキッとするようなことが起こるんですよ。物語の持っているドラマチックさや意外性に役者としても火をつけられた気分で動いていったのかもしれません。
━━━実際に辰巳ヨシヒロ先生の分身ともいえる6つの役を演じたことで、別所さん自身何か見えてきたことや、辰巳ワールドについて思うことはありましたか?
別所:僕たちは昭和40年代生まれで高度経済成長の恩恵を受けて育った世代ですが、辰巳ワールドはオリンピック景気以降、日本を一気に引っ張ってきた僕たちの両親の世代が後ろも振り返らず生きてきた時代の世界観が、多く描かれています。社会の重みもずしりと感じましたし、日本の戦後の良くも悪くも生まれ変わって前進する時代を体感できました。
キャラクター的には、僕のように身長が186センチもあるような俳優に、弱々しかったり、引っ込み思案だったり、自己主張できなかったり、どちらかといえば負け組のキャラクターは今までオファーがこなかったです。今回そういう役を演じることができ、とてもやりがいを感じました。人間の情けなくて、イヤらしくて、ダメな部分を演じられてこそ、初めて俳優と呼べるのかなと思いますし、そういう経験ができたのはすごく良かったです。
■「辰巳先生に対する思いを映画で真空パックに」エリック・クー監督が挑んだ最初で最後のアニメ作品。
━━━エリック監督の辰巳ヨシヒロ先生に対する思いが、作品から伝わってきました。シンガポールの監督でありながら、本当に細部まで描かれていましたね。
別所:エリック監督は辰巳先生に心酔しています。若い頃辰巳先生の劇画に出会い、多感な少年期にヒーローの世界ではなく、人間のダメな世界が描き出されているのを見て「これだ」と思ったそうです。それ以来ずっと辰巳先生の作品を読み続け、今回辰巳先生の絵の世界観を残して、辰巳先生に対する思いを「映画で真空パックにしたい」と作品に臨んでいます。基本は実写の監督なので、「一生でこれが最初で最後だ」と宣言していますし、僕以外の声の出演者はドキュメンタリーのように一般の方を起用しています。ドキュメンタリー的な世界観の中で、劇画の部分だけ俳優を使って動かしていくという構成ですね。
━━━エリック監督の演出はかなり厳しかったですか?
別所:厳しいというより、要求が多かったです。撮影は2日半でしたが、ずっとスタジオに缶詰で、気がつけば水も飲まずに、3時間休憩なしという状況でした。とてもアジア的でアーティストの熱気を感じましたね。劇中に登場する阪急電車のシーンではエリックが唯一うなだれて「僕は日本人ではないから、この時代の電車の色が分からない・・・」と必死に調べていました。辰巳先生の作品は白黒ですから、色合いを作り出すのにかなり苦労したようです。
━━━海外の映画祭や劇場では既に上映され、ようやく日本での劇場公開ということで、エリック監督をはじめ、別所さんも特別な思いがあるのでは?
別所:とても残念なことに今、辰巳先生が病床にいらっしゃる状況です。本当ならば辰巳先生は大阪ご出身なので、関西で公開される際に劇場のお客さんの様子を見ていただきたいところなのですが。10年に声で参加し、東日本大震災が起きた11年にカンヌ映画祭へ行き、東京国際映画祭で賞を頂き、12年のアメリカ・アカデミー賞にシンガポール代表として選出され、その後、世界中で上映され、現在に至っています。本当に感無量ですね。
■大阪出身の辰巳ヨシヒロが熱望した地元公開。ちょっとほろ苦くて、ドキッとする大人の辰巳ワールドを全てのマンガファンに観てほしい。
━━━ようやく最後に日本での公開が叶った格好ですね。
別所:これも運命なのでしょう。やはり日本では本作は邦画なのか洋画なのか、ドキュメンタリーなのかアニメなのかと問われてしまいがちですが、『TATSUMI マンガに革命を起こした男』はジャンルレスです。型破りのところがあるので、観ようと思っても戸惑いがあるのではないでしょうか。僕も最初は辰巳先生を知りませんでしたが、本作を観たら本当に大切なものを持ち帰れます。日本公開までに時間をかけて映画が成熟していき、芳醇な香りと共に上映されるのもいいなと受け止めています。
ただ、少し辛辣なことを言えば、日本では本作のようなインディーズ的な世界観や、GでもPGでもないようなちょっと過激で、子どもに見せてもいいの?という部分があると、どこか遠くへ追いやってしまい、あまり自分の中で大きく取り上げたりしなくなってしまう傾向がありますね。
━━━話題にすることもはばかられるような雰囲気はありますね。
別所:日本の悪いところですよ。ちょっと棚上げしたり、先送りしたりという感覚が、ヨーロッパから見れば不思議で仕方がなく映るのです。本作を観ていただければ、そのあたりの日本のカラクリ自体にも気付いていただけるのではないでしょうか。もっとこういう世界に、観る方も成熟して向き合っていくのが普通のことですから。今日本では、昔話で残酷な場面を「子どもに見せるのはふさわしくない」と書き換えたという話題も耳にしますが、理不尽なことや残酷なことにきちんと物語で触れていないと、本当に理不尽なことや残酷なことが分からなくなってしまいます。でも今は逆で、「残酷なシーンを見せるから、猟奇殺人などが起こる」と言われ、触れることを排除する方向に向かっていますね。
辰巳先生が描いてきた世界は、万人がヒーロー感を満喫したり、健康的と感じる世界ではありませんから、今観ることに意義があると思います。
━━━本作に携わったことで、別所さんのこれからの役者人生でチャレンジしたいことや、新しい可能性が見えてきたのでは?
別所:人間の情けなさや哀しさ、ダメさを表現できる人間臭い表現者になっていきたいです。そして、涼やかに、軽やかに演じたいですね。人間だから「ああ、そういうことがあるね」と腑に落ちたり、心当たりがあるようなことは大事な気がします。また、俳優は「人に非らず」と書くのですが、例えば架空のモンスターのような、人を超越したキャラクターを演じる跳躍力も劇画の役を演じる中で養われたと思います。今まで演じてきたようなトレンディーな感じではない役の方が、俳優としては演じごたえがある気がしますね。
━━━最後にこれから劇場でご覧になるみなさんに、一言お願いします。
別所:辰巳先生は大阪出身の方なので、関西での上映を楽しみにされています。世界中の観客や京都のマンガミュージアムに足を運ぶようなマンガファンが絶賛している世界です。スタジオジブリの作品や押井守さんのような世界も素敵ですが、そういう劇画アニメや、ルパン三世を観た人たちや、ドラえもんが好きな人たちにも観てほしいです。ちょっとほろ苦くて、ドキッとする大人の味もしますが、現在大人のあなたにも、これから大人になるあなたにも、「大人ってこういうことじゃない?」「これを受け止めて、大人になろうよ」とメッセージを送りたいです。
(江口由美)