太地町という小宇宙から世界で起きている対立を映し出す。
『おクジラさま ふたつの正義の物語』佐々木芽生監督インタビュー
第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞作『ザ・コーヴ』で取り上げられ、一気に非難の的となった和歌山県太地町の捕鯨問題。前々作『ハーブ&ドロシー アートの世界の小さな巨人』(2010)の公開前から太地町で撮影を始めた佐々木芽生監督が、東日本大震災等で一時中断を余儀なくされながらも、2014年から撮影を再開。2016年釜山国際映画祭にて世界初上映された最新作『おクジラさま ふたつの正義の物語』が、いよいよ9月 30日から第七藝術劇場、今秋より京都シネマ、豊岡劇場にて順次公開される。
南国の香りが漂い、町中にクジラのモニュメントがある太地町の捕鯨の歴史は江戸時代まで遡る。国の制限のもと、今も伝統の追い込み漁を続けている太地町に訪れ、捕鯨反対運動を展開するシーシェパードのメンバーたちにもマイクを向け、長くアメリカに住み、ドキュメンタリーに携わってきた佐々木監督ならではの視点で、太地町に住む人たち、訪れる人たちの意見や暮らしぶりを丁寧に追っていく。佐々木監督の代弁者のような存在として、長年日本に住みながらAP通信記者活動をしてきたジェイ・アラバスター氏の太地町移住にも密着。太地の人々を取材するには、彼らと同じ場所に住み、話し合える関係性を作り上げようとするアラバスター氏の考えや行動の結果は、映画にもしっかりと映し出されている。対立から相互理解へ。文化や習慣の違いを超えることはできるのか。国レベルでは無理なことでも、個人レベルでは成し遂げることができるのではないか。捕鯨問題からはじまる本作から想起するものはあまりにも多く、そしてその問題について考えることが、道は長くても「他社との共存」に繋がるかもしれない。そんな希望を抱かせてくれる、意義深い作品だ。
本作の佐々木芽生監督に、世界と日本の動物愛護に関する認識のズレや、太地町から見える様々な対立が意味することについて、お話を伺った。
■捕鯨の是非を問うのではなく、太地町を通して見える世界を見ていただきたい。
━━━奥が深い、凝縮されたテーマになっていますね。
色々な国際関係の縮図であり、会社や友人関係、夫婦関係の縮図にも見えます。太地町という小宇宙から、世界で起きている色々な問題、衝突や対立が映し出されるのではないかという思いがありました。捕鯨の是非を問うのではなく、太地町を通して見える世界を見ていただければと思っています。
━━━日本に長く滞在し、記者活動を続けてきたジェイ・アラバスターさんの存在が、作品のバランスを取る役目を果たしています。
どなたかが、アラバスターさんと私は合わせ鏡だと指摘されて、なるほどと思ったのですが、彼はアメリカ人でありながら日本に長く住んでいます。私は日本人でありながらアメリカに長く住んでいる訳で、二人ともこの捕鯨問題に関しては少し引いた目線で、同じような考えを持っています。色々話し合いましたし、同じような考え方を持っている人で、お互い共感する部分も大きかったので、この映画にも出演していただきました。
━━━初めてアラバスターさんとお会いになったのは、いつ頃ですか?
2014年の暮れごろだと思います。2010年から撮影を始めたものの、中断を余儀なくされ、再び撮影を再開すべく太地町に戻った時に出会ったのが、アラバスターさんでした。あの映画の中では主人公がいない、つまり寄り添える人がいなかったのです。でも、アラバスターさんのように、アメリカ人だけど太地町に引っ越し、町の人たちを理解しようとする人がいると、捕鯨賛成派、反対派とどちら側の人も彼に寄り添えます。主人公というよりは、映画のガイドであり、特に後半は彼に寄り添って物語が進んでいくので、その存在は大きかったです。
■世界の流れは環境保護、動物愛護から動物の権利の問題へ
━━━佐々木監督ご自身は、捕鯨に対してどのような考え方をお持ちですか?
日本人だから捕鯨に賛成という訳ではなく、日本も悪いところがあります。情報発信のまずさは、伝統や文化を傘に、我らVS彼らのような二項対立の構図を作ってしまっています。映画の中にもありますが、鯨を全然食べないのに、「自分たちの文化を攻撃された」という見せ方をするので、それはけしからんという流れになってしまう訳です。今の世界の動きというのは、太地町で起きているイルカ漁の問題は環境保護ではなく、動物愛護、動物の権利の問題の象徴なのです。映画『ザ・コーヴ』によって、問題が大きな鯨からイルカにシフトしました。その後に太地町で起きていることは氷山の一角で、韓国での犬食やスペインの闘牛、フランスのフォアグラやイギリスの狐狩りなど、動物の問題だけでも世界中で色々な反対運動が起きています。特にアメリカでは、動物に残虐な扱いをしてはいけないという動物愛護や動物福祉の問題が、今は一歩踏み出して、動物の権利が問題になっています。つまり動物の本来の姿ではないような、動物園の檻に入れたり、芸をさせたりすることは動物の意思に反しているという考え方なのです。
━━━アメリカでは、水族館にイルカはいないそうですね。
アメリカもそうですし、ヨーロッパはもっと前からと聞いています。水族館でイルカのショーをやっているのは、世界中でも日本、中国、途上国、中東ぐらいで、先進国ではほぼやっていませんね。日本だけがその認識がなく、非常に遅れています。そういう色々な問題を踏まえた上で捕鯨の是非を議論するべきなのに、伝統だからと議論が進まない。捕鯨といっても、調査捕鯨もあれば、太地町のような小型鯨類を獲る沿岸捕鯨もありますが、それらも全部一緒に議論されていることにも疑問を感じます。
━━━撮りながら、両方の意見を聞いていると、作品の落としどころが難しくなってきたのでは?
何が真実か分からなくなってきます。もちろん、あんな小さな町が世界の批判のターゲットになってしまったという不運さに対し、私が太地町の人たちに同情的であることは変わらないです。ただ、イルカ漁存続の是非については、日本の法律で保障されていることなので、太地町の漁師を攻めることではありません。それを太地町だけに背負わせるのは、フェアじゃないと思います。
■捕鯨問題で中立的と言いながら非常に偏っている日本のメディア
━━━そういう点では、この映画は中立的ですが、どういうお考えで作られたのでしょうか?
捕鯨の問題に関して、日本のメディアは中立的と言いながらも、非常に偏っています。「シーシェパードは悪だ」「お金儲けでやっている」「悪のシーシェパードがやってきて、日本の伝統を壊そうとしている」という描き方で、どちら側も偏っています。誰かを悪に仕立て上げ、善悪を付けても説得力がありません。私の中でもイルカ漁に関してどちらが良いのか判断しづらいです。海外の人たちの価値観と日本人の価値観は全然違いますから。
━━━「違う」ということを認識するという線引きがされている映画ですね。
そこが大事です。ただ中立という言葉は、私の中ではいかがわしい感じがして、使わないようにしています。その人の立ち位置によって中間地点はズレてしまいますから。シーシェパードにとっての中間地点と、太地町の人たちにとっての中間地点は全然違うので、あまり意味がありません。私は「バランスが取れた」という言い方をしています。
━━━『ザ・コーヴ』公開から7年経ちますが、シーシェパードの活動は依然として活発なのですか?
日本に抗議活動に来る人たちはいなくなりました。国内からはいなくなっている、活動家の人たちが入れなくなってはいますが、ネット上ではその勢いは衰えていません。保護活動家のリック・オルバリーさんは、日本に入国できないので9月1日の追い込み漁解禁日にはロンドンの日本大使館の前にいました。世界中の日本大使館や領事館前で抗議活動を行われています。オリンピックボイコットの話も出ていますし、本気で各国が抗議行動に出れば、大変なことになるのではないでしょうか。また、シー・シェパードは2014年からフェロー諸島で抗議活動を行っていました。ただ、相当地元で反発され、2年で活動できなくなったんです。フェロー諸島の人たちは英語で猛然とシーシェパードに反論しますから、シーシェパード側も地元の人の生の声を聞いて、このまま抗議し続けるのは難しいと判断したようですね。
━━━反論するという意味では、佐々木監督は撮影で訪れた際に、太地町の人たちとシーシェパードの人たちの間に入って、通訳する立場となっています。お互いの言い分を一心に受ける稀有な体験をした訳ですが。
こちらはドキュメンタリーを撮っている側なので当事者になってはいけないのですが、太地町の現場で日本語と英語両方を話せる人が本当に誰もいなかったので、必然的に当事者として引きずり込まれた状況でした。
━━━今回の取材で実際に騒動の最中にある太地町を訪れた感想は?
本当に風光明媚な町です。熊野の自然が豊かで、温暖な気候ですし、町の人たちは玄関に鍵もかけず、ピンポンを鳴らすこともなく、お家に入っていくような、とてもおおらかな町なのです。そこに外国人活動家やシーシェパードの人たちが来て、町がギスギスしてしまったのは本当に気の毒です。映画で黄色い帽子を被ったアラバスターさんが毎朝漁師さんに向かって「おはようございます」と挨拶するシーンが出てきますが、あの撮影の最中にアラバスターさんが帽子をなくしてしまったと言うのです。そして「きっと誰かが届けてくれる」と。驚いたのですが、案の定次の日に、彼の家の玄関奥の土間に黄色い帽子がぽんと置かれていました。何のメモ書きもないので、誰が届けてくれたか分からないのですが。また、アラバスターさんが帰宅した後冷蔵庫を開けると、大きな魚が入っていたこともあったそうです。そういう暖かさが太地町にはあるんですよね。
■グローバルVSローカルという構図は世界共通。ネットにアクセスできないローカルの人の声はメディアに上らない。
―――本作を編集される頃はアメリカそういう雰囲気を感じながら、編集していたのですか?
昨年編集し終わる頃、アメリカではちょうど大統領選の最中でした。ブレグジット(イギリスのEU離脱)の国民投票を支えたのは、地方でグローバリズムに生活を脅かされている人たちです。トランプ氏に投票した人も、グローバリズムや移民は嫌だという地方の生活者が多かった訳で、グローバルVSローカルという構図は本当に世界共通なのだと痛感しました。昨年6月にブレグジットがあったとき、「本当に太地町で起きていることと同じだ」と思いました。なぜかと言えばローカルの人たちはSNSやYouTubeなどネットを使った発信をほとんどしません。ですから、彼らの声はメディアに上ってきづらいのです。彼らは情報弱者ですし、世界で何が起きているのか、そこに対して彼らの生活がどのような影響を受けるのか。また、その影響に対する意見や不安などをSNSにアクセスできない人たちは伝えることができない。太地町の人たちもそうですが、地方でネットやSNSにアクセスできない人たちの声はかき消されてしまう。国内でも届かないし、国境を越えて世界にもまず届きません。
―――映画でもアラバスターさんが町の人にネットでの発信方法を教えているシーンがありましたが、シーシェパードの動画も駆使したリアルタイムの発信力、拡散力の凄さ、それがために声を上げられない側が不利な状況に追い込まれている様もよく理解できました。情報発信力の向上がここまで切実な問題になっているんですね。
その危機感が日本には全然ないのかという気がします。特に英語での発信ですね。太地町では外国人を見ると受け入れがたい気持ちになってしまいますし、警察はパスポート番号を控えたりもするのですが、逆にこんな時だからこそ外国人を歓迎する方法はないかと思います。個人レベルの交流ができれば、太地町の味方をする外国人も増えるでしょうし、状況は変わるのではないでしょうか。
■動物愛護の視点に立つ人、太地町の人、両方の世界観を表す『おクジラさま』
―――タイトルの『おクジラさま』には、どんな意味が込められていますか?
生類憐みの令で「お犬様」という言い方があったのですが、それに象徴されるように、日本では17世紀の終わりに犬や動物たちを人間もしくはそれ以上に愛護し、大切にすることを定めた法令が出されました。実はこの生類憐みの令は人類史上初めて動物愛護を定めた法律で、当時では世界最先端だった訳です。動物愛護の視点に立つ人からすれば、クジラは一つの象徴であり、1970年代以降は環境保護問題の象徴にもなっている神格化された「おクジラさま」ですし、太地町の人たちにとっては命を繋ぐための犠牲になってくれる、大事な「おクジラさま」で、感謝と畏敬の念を持っています。この二つの世界観が『おクジラさま』というタイトルに込められているのです。
―――『ハーブ&ドロシー』同様、本作も根底に流れているのは「人間賛歌」だそうですね。
「なぜ、わざわざこんなに違うものを作ったのですか?」と聞かれることもありますが、私の中ではそうでもないんです。テーマは捕鯨とアートと違うように見えますが、本当の根底にあるものは同じだと思っています。
(江口由美)
<作品情報>
『おクジラさま ふたつの正義の物語』
(2017年 日本・アメリカ 1時間36分)
監督:佐々木芽生
2017年9月 30日(土)~第七藝術劇場、10月28日(土)~豊岡劇場、今秋~京都シネマ他全国順次公開
(c)「おクジラさま」プロジェクトチーム