制作年・国 | 2017年 日本=キューバ合作 |
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上映時間 | 2時間4分 |
監督 | 脚本・監督:阪本順治 (『顔』、『闇の子供たち』、『大鹿村騒動記』、『団地』) |
出演 | オダギリ ジョー、ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ、永山絢斗 |
公開日、上映劇場 | 2017年10月6日(金)~TOHOシネマズ梅田ほか全国ロードショー! |
~50年前、革命兵士として散った日系ボリビア人~
アメリカの傀儡政権を打ち倒したキューバ革命(1953~59年)を同志フィデル・カストロ(1926~2016年)と共に成し遂げたチェ・ゲバラ(1926~67年)。筋金入りのこの革命家が南米ボリビアで処刑されてから、今年でちょうど半世紀を迎える。そのゲバラが世を去る少し前、一緒にボリビアの軍事政権と闘っていた日系二世のボリビア人も同じように銃殺された。歴史に埋もれていたこの人物に阪本順治監督が光を当てた。
フレディ前村ウルタード(1941~67年)。この名前、ぼくは聞いたことがなかった。鹿児島県出身の父親とボリビア出身の母親との間にボリビアの片田舎で生まれた。映画では幼少期はほとんど触れられず、医師になるために21歳の時、キューバ国立ハバナ大学医学部に同志のボリビア人学生と共に留学するところから描かれる。オダギリジョーが実直なフレディ青年を好(巧)演している。全編、ボリビアの方言訛りのスペイン語で通していたというからご立派!!
冒頭は日本だった。これにはびっくりした。キューバ革命終結直後の1959年(昭和34年)7月25日、新生キューバの使節団の代表(親善大使)として来日していたゲバラの広島訪問を再現した場面である。原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館を見学していた。映画を観たあと、ウラを取ると、確かにゲバラは広島に来ていた。そのことをぼくは全く知らなかった。原爆による惨状を知ったゲバラが「どうして日本人はアメリカに怒らないのだ!」と訝ったエピソードも映画の中できちんと映し出されていた。
その日本の場面に阪本監督はこだわっていたようだ。日本とゲバラとの関わりを初めに強く印象づけ、日本人の血を継ぐ主人公フレディ前村とゲバラとの絆が因縁めいていることを強調させようとしたのだろう。日系人に焦点を当てた物語だから、この流れは十分、理解できる。ただ、冒頭を観るかぎり、またもゲバラの映画かなと思ってしまいそうだったが……。
フレディは実に勤勉な学生だ。寡黙で、ひたすら医学の知識を身に着けようと奮闘する。留学生仲間の女子学生に恋情を抱くも、これといって行動に移さず、熱き想いを胸に秘めつつ友達であり続けようとする。ドラマの主人公としては、かなり地味な人物だ。はっきり言って、オモロくない~(笑)。映画の前半、そうした勉学に勤しむ日常が淡々と描かれる。
ところが平穏には終わらない。時代は米ソ冷戦期。アメリカ本土の目と鼻の先にあるキューバにソ連が核弾頭を積んだミサイルの配備を着々と進めていることがわかり、米ソ間で激しい緊張が生じた。1962年10月のキューバ危機である。第三次世界大戦勃発の可能性も危ぶまれる中、フレディら留学生は祖国に戻るか、キューバに留まって武器を手に取るか、二者択一の選択に迫られた。20歳のフレディは迷うことなく、民兵として対米革命軍に加わった。これが最大の転換期だった。
どうして平凡な医学生が学問を捨て、革命兵士になろうとしたのか。同じように元医学生で経済的に恵まれていたゲバラが学生時代、南米をオートバイで巡る中で格差社会やアメリカによる搾取の実体を目の当たりにし、打倒資本主義をめざす革命家の道を歩んだ。そのことは映画『モターサイクル・ダイアリーズ』(2004年)に詳しく描かれていた。
そんなゲバラの変身に比べると、フレディの動機がどうもわかりにくい。幼いころボリビアでアメリカ資本主義の犠牲になっていたのだろうか。貧困生活を送っていたゆえ、平等な社会を求める社会主義に心が引かれていったのか。このことは社会主義革命を成し遂げたキューバに留学しに来たということから納得はできる。まぁ、キューバに来たのは学費無料の「特典」に魅了されたのかもしれないが……。さらにはゲバラへのオマージュ(敬意)があったのだろうか。本作を観ても、何となく成り行きで武器を手にしていたようにも受け止められる。ここをもう少しグサッと突いてほしかった。
キューバ危機の翌年、あろうことか母国ボリビアで軍事クーデターが起き、軍部による独裁国家が生まれた。その政府を打倒すべく、フレディがかなり逡巡しながらも、祖国に戻り、いよいよ本格的な革命兵士になる。映画を観るかぎり、ボリビアに戻る前、ゲバラと1回、会っていた。
そのとき、ゲバラのファースト・ネームと医師であることを合わせ、「エルンスト・メディコ(医者のエルンスト)」の兵士名が与えられる。本名を捨てることは革命のために生きる証しだ。そしてゲバラが指揮するボリビア戦線で正真正銘、2人は紛れもなく同志になった。広島での冒頭シーンがここに来て結びつくのだ。
正直、ドラマ性はやや弱かった。もう少しゲバラとの絡みがほしかった。なぜそこまでゲバラに惹かれたのか……。多少、フィクション的要素を盛り込み、ドラマチックな展開を期待したいところだが、阪本監督はとことん史実に従った。こんなボリビア日系二世がいたということを知ってもらいたいという使命感にも似た思いが強かったのだろう。映像からもその気持ちがビンビン伝わってきた。
そういうスタンスで撮られた映画なので、キューバ危機やボリビア内戦など当時の記録映像を折に触れて挿入し、ドキュメンタリー・タッチ風に仕上げていた。プロボクサー辰吉丈一郎の実像に迫った『BOXER JOE』(1995年)と『ジョーのあした―辰吉丈一郎との20年―』(2015年)でドキュメンタリー的な映画を経験しているが、現代史の大きな事件と絡んだ実在の人物を取り上げたのはこれが初めてだ。
フレディ青年の内に秘めた革命への情熱をオダギリジョーが無理なく演じていたと思う。セリフが少ない分、身体で見せる演技が求められる。動じることなく、現地の空気にしっくり溶け込み、フレディ前村になり切っていたと思う。ジャングルでゲリラ戦を展開しているときの革命兵士の姿から独特な〈オーラ〉が放たれ、思わずゾクッとしてしまった。
ゲバラ役のキューバ人俳優ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタは背丈が少し高いけれど、見た目がゲバラにそっくり。黙っていても、銀幕に映ると、カリスマ性と圧倒的な存在感が伝わってきた。その意味で、スティーヴン・ソダーバーグ監督の『チェ 28歳の革命/39歳 別れの手紙』(2008年)でベニチオ・デル・トロが扮したゲバラと匹敵しそう。もっとも、ラテン系の彫りの深い男性がヒゲを生やし、アーミー・ベレー(軍隊のベレー帽)をかぶると、誰でもゲバラっぽく見えるのかもしれないけれど(笑)。
本作はゆめゆめ娯楽映画ではない。『どついたるねん』(1989年)、『ビリケン』(1996年)などイチビリ精神が散りばめられた映画とは対極的な作品。50年前に世を去ったゲバラの目にかなった日系人の足跡を記録に残そうとした映画なのだ。観終わってから、理想主義を貫いたゲバラの生き方に阪本監督が強く共感しているように思えてならなかった。フレディ青年の眼差しが監督の視線と重なって仕方がなかったから。
武部 好伸(エッセイスト)
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