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 安倍晋三元首相銃撃犯を描いた『REVOLUTION+1』の足立正生監督が、半世紀に及ぶ逃亡の末、病室で自身の名前を明かし、4日後に末期がんで亡くなった東アジア反日武装戦線「さそり」の元メンバー・桐島聡の半生を映画化。古舘寛治主演の『逃走』が、2025年4月4日(金)より京都シネマ、4月5日(土)よりシネ・ヌーヴォ、第七藝術劇場、元町映画館にて公開される。
 本作の足立正生監督に、お話を伺った。
 
 
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■「なぜ桐島聡はわざわざ本名を名乗ったのか」を考え続けて

――――足立監督は、桐島聡が指名手配された70年代当時、どのような印象を持っていたのですか?
足立:75年〜78年にかけて、自分たちが大きく敗北した問題を総括しなければ先に進めないので、先に進めるために東アジアの同志たちに来てもらったりしていたのです。ですから桐島君という名前は聞いたこともなかった。しかも海外にいたものだから、彼に対して何の知識もない状態でした。東アジア反日武装戦線の人たちは、その世代だけでなく、一世代上の僕らの運動の仕方を毛嫌いしていました。そこには組織官僚主義への反発や、新左翼のイデオロギー風言論への反発があったのでしょう。でも、この映画を作り終わり、新宿に飲みに行ったら、そこで「足立さん、やっぱりこの映画作ったね。だって、昔、何度も一緒にここで酒飲んでいたじゃない」と言われ、こちらがえっ!と驚いた(笑)それぐらい、桐島君と認識すらしていなかったし、何のイメージもなかったです。
 
――――2024年1月に入院患者が、自分が桐島聡だと名乗り出たというニュースを聞いた時はどうでしたか?
足立:(2000年に)強制送還されて日本に戻ってきたら、警察は何か知っているだろうと推測して「桐島、向こうに行ってるんだろ?」と。逆に「桐島って誰だ?」と聞き返しましたが、それが桐島聡という名前を聞いた最初でした。それから長く時が過ぎ、病床で死にかかっている男が「桐島聡」という本名を名乗ったと知り、まさにガン!ときた。ショックでしたね。名乗らないまま死ぬことで逃走貫徹になるわけですから、なぜ今、わざわざ本名を名乗るのか。とても考えさせられました。
 
 
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■逃げる闘いを続ける人へのメッセージではないか

――――桐島さんが名乗り出てから、何度もその理由を考え続けておられたんですね。
足立:色んな思いを整理して結論づけてみたのは、桐島が本名を名乗るのは、いわゆる自己顕示欲では全くない。わざわざ名乗ることで逃走のレベルをもう一つ上の段階に引き上げる“闘い”にしようとした。自分の逃げる闘いの表現を、自分の死をメディアにしてメッセージにしたのではないか。すでに死んだ仲間や逮捕された仲間、さらに言えば、全共闘以降、1万人ぐらいが逃走していると言われています。大半は既に時効が成立していますが、そのような逃げる闘いを自分と同じように続ける人たちへのメッセージなんです。桐島自身が「俺、頑張ったよ」というだけではなく、おそらく仲間や逃げている人たちに頑張ってほしいというメッセージだし、桐島が最後の自分の死をメディアにして、表現を実現したのなら、映画というメディアを持っている我々がそれに応えないでどうする!と思った。それがこの映画を作った根拠です。
 
――――名乗り出るまでは、本当に孤独な闘いでした。
足立:桐島は逃げているというより、地下活動を継続していたのでしょう。桐島みたいに徹底して友人、知人や支援する団体とコンタクトを取ることなく逃げ切るという、この研ぎ澄ました感じは相当苦労が要るわけです。その辛さの中で磨いていたからこそ、最後に本名を名乗るところを推測しながら(脚本を)書けたのです。
 
加えて言えば、東アジア反日武装戦線“狼”部隊の大道寺将司は死刑判決を受け(のち獄中で病死)、たくさんの死傷者を出した敗北的なミスについての贖罪を延々と俳句で詠んできましたが、その中には自分たちが闘おうとした意思がぬぐいきれずに溜まっていた気持ちを詠んだものもありました。その句集を桐島が読み、自分ならどうするのかと考えた末の本名を名乗るという決断ではないかと考え、大道寺の俳句に影響を受けたであろうということも、桐島の真意を推測判断する根拠にしました。
 
――――半世紀にわたる桐島の人生を描くため、色々調べる中で新たに発見したことは?
足立:大枠の人物像はありましたが、それよりも非常に純粋で、モラリスティックで、一直線にバンドをやったと思えば、連続企業爆破のキャンペーン闘争に入っていき、そのまま逃げるという闘争をやっていた。考えていた以上に、人のいい青年が歳を重ねて老けていく中でも人々に愛されるような大人になっていったということが、リサーチした中でさらに明確になったことでしたね。
 
 
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■若い頃の桐島役に入れ込んでいた杉田雷麟

――――笑顔の指名手配写真が非常に印象的でしたが、若い頃の桐島を演じた杉田雷麟さんは風貌も非常に似ていました。
足立:杉田君自身がこの役に入れ込んでいて、桐島本人になっているような気分だったのではないかな。若さがほとばしる一直線でイキイキした感じがないと成立しない映画なので、杉田君は良くやってくれたという感じがありますね。
 
――――チラシでは「最期の4日」と書かれていましたが、実際は逃走前から逃走直後の数年間の若き日を杉田さんが、まさに若さほとばしる感じで演じていましたね。
足立:宇賀神寿一と二人で彼のアパートへ逃げた後、指名手配写真が出回っていたことから、実際には宇賀神が桐島の逃走前に彼の髪を切っているんですよ。それではあまりにも出来過ぎだったので、映画では桐島が自分で切るシーンになりましたが、結局二人は神社で待ち合わせを決めたものの会うことができず「僕がしてあげられたのは髪を切ったことだけだった」と。映画パンフレット用に宇賀神寿一と、大地の牙の浴田由紀子と鼎談をしたとき、本人が語っていましたね。
 
 

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■中年以降の桐島を演じた古舘寛治

――――本作の主役である中年以降の桐島を演じた古舘寛治さんのキャスティングについて教えてください。
足立:たくさんの候補の中から絞り込み、最後の2〜3人になったときに古舘さんの写真を見たら「もう桐島がいるじゃないか!」と。それですぐにオファーしました。古舘さんは最初、僕を警戒していたみたいですが。
 
――――古舘さんは深田監督作品でも知られる演技派俳優ですが、目立たないように生きてきた桐島の雰囲気がよく出ていましたね。
足立:出しゃばらない感じや、突き飛ばされてもひっくり返らないようなしぶとさがちゃんと混在して、桐島という人物が実在した感じが出ている。古舘さんはちゃんと人物像を整理してくれたと思うし、できるだけ芝居をしないようにという共通認識を持って演じてもらいました。自分のやりたいようにト書きやセリフを変えていいと言ったら、最初から最後まで真っ赤に書き込みをしてくるから「全部書き直してるじゃないか」というと、「赤く書いている部分を全部足立さんに聞いてから、判断しようと思います」と言われて。結局セッションをして全部解決したり、なかなか楽しかったですよ。
 
――――死の間際まで演じておられ、俳優冥利に尽きる役だったのでは?
足立:長セリフもあるし、自分の分身である坊主との禅問答など大変だったと思いますが、古舘さんも楽しくやっていたと思いますよ。「こんなに詰めた撮影をされるのは初めてだ」と言っていましたが。彼のスケジュールに合わせ、10日間の撮影だったので「余裕じゃないか」と言ったら、(古舘さんは)怒ってましたね(笑)。
 
――――映画の中で特にしっかり見せようと思ったシーンは?
足立:最期の4日間という時間のくくりの中でまとめなければ、3時間ぐらいの映画になってしまう。だからそのくくりの中で、現実の桐島は死ぬ間際に病室のベットにいるだけの姿なのですが、その全ての過去を回想し、妄想して思いを馳せながら本名を名乗るところに帰結していく。妄想の側から回想シーンや病室の現実シーンを見るという編集にしたいというのが僕の要求で、ある人が「妄想、回想、現実がポップに編集されているから、しんどくなかった」と感想をくれたけれど、そういう編集にしているから当然なんです。
 
 
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■ラッキーを呼び込んでいた桐島の人となり

――――70年代、履歴書や自分を証明するものを提示しなくても、住み込みで雇ってもらう様子や、桐島の人生を通じて日本社会の変遷も映し出していますね。
足立:高度成長期でしたから、履歴書は全く関係なかったし、特に日雇い仕事には底辺労働者が群れをなしていた。よくて山谷や釜ヶ崎、もっと悲惨な寄せ場もたくさんありました。桐島たちも大学を追い出されてから山谷に入りますが、そこで仕事をすると目立つので他の手配所から仕事を得ていたんです。その後藤沢に流れ着いて38年間過ごします。大規模工事をするような土建会社ではないとか、桐島が原則的にやればやるほど、ラッキーを呼び込むようなところがありましたね。
 
――――変な欲を出さない限り、平穏な暮らしを続けられる人物だったと?
足立:自分より随分若い女性に惚れられることがあっても、自分が逃亡者でいずれ迷惑をかけるので「結婚できない」と自制する部分も桐島にはありました。何よりも最期に今まで貯めてきた250万の現金を病院に持っていき、自分の入院費を支払っているんです。一事が万事。そのエピソードに彼の性格が象徴されていますよ。
 
――――阪神淡路大震災など、逃走の間日本で起きた歴史的な事象も挿入していますね。
足立:桐島は逃げているだけですが、同時にキャンペーン闘争をまだ続けたいと思っているので、時代の動きが彼には生々しく伝わってくるんですよ。それなのに何もできない、何もやれないという気持ちが積み重なった49年間なのです。ただ、のっぺらぼうに過ぎたわけではない。日々逃げるしんどさはあるけれど、逆にこれはどうするのという感じは、僕も多少わかるんです。その切なさの中で、宇賀神の亡霊が「切ない、苦しい闘いでも幸せはある。お前やってみてくれないか」と言います。あんな無責任なセリフは誰にも書けないですよ。でも僕は、ぜひ宇賀神にそれを言わせたかった。
 
 

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■現代の閉塞感との共通性を捉え、桐島世代の人々の生き様がもう一度広く論議されれば

――――桐島に対する映画でのアンサーだとおっしゃっていましたが、実際に映画が完成してのお気持ちは?
足立:所詮、自分でイメージした桐島しか描けないので、できるだけリサーチしたものを反映して俳優に演じてもらうことで突き放していくというプロセスを取って作りました。試写を終わって、身につまされて泣いて出てくる同時代の方もいらっしゃるし、若い方には現代の閉塞感との共通性を捉えてもらえるところまで、見ていただければもう言うことはないですね。
 
――――高橋伴明監督も「桐島です」を作られていますが、足立監督と同時期にお二人が桐島聡の映画を作って公開するということにも、大きな意味を感じますね。
足立:最初はもう一人、桐島聡の映画を撮ろうと考えていた人がいたんですよ。それぐらい彼が本名を名乗ったことで高い関心が寄せられていたし、高橋伴明さんは桐島と同世代だから余計にそうでしょう。映画が公開された後で、桐島像や桐島世代の人々の生き様がもう一度広く論議されたり、捉え直されたりすればいいのではないかと思います。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『逃走』
2025年 日本 114分 
脚本・監督:足立正生 
出演:古舘寛治
杉田雷麟  タモト清嵐 吉岡睦雄 松浦祐也 川瀬陽太 足立智充  中村映里子
2025年4月4日(金)より京都シネマ、4月5日(土)よりシネ・ヌーヴォ、第七藝術劇場、元町映画館にて公開
4月5日(土)にシネ・ヌーヴォ、京都シネマ、4月6日(日)に第七藝術劇場、元町映画館にて足立正生監督、中村映里子さんの舞台挨拶あり(予定)
公式サイト:kirishima-tousou.com
(C) 「逃走」制作プロジェクト2025
 

激しく、美しく、破滅的 心揺さぶるラブ・サスペンス

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「現実に生きるキャラクターたちの葛藤と生存の物語を描きたかった」


ネイサン・スチュワート=ジャレットとジョージ・マッケイW主演で贈る、心揺さぶるラブ・サスペンス『FEMME フェム』が、3月28日(金)より新宿シネマカリテほか全国公開となります。


FEMME_poster.jpgナイトクラブのステージで観客を魅了するドラァグクイーン、ジュールズ。ある夜、ステージを終えた彼は、タトゥーだらけの男プレストンと出会う。だが、その出会いは突然、憎悪に満ちた暴力へと変わり、ジュールズの心と体には深い傷が刻まれる。舞台を降り孤独な日々を送りながら、彼は痛みと向き合い続けていた。数ヶ月後、偶然立ち寄ったゲイサウナでジュールズはプレストンと再会。ドラァグ姿ではない彼を、プレストンは気づかぬまま誘う。かつて憎悪に駆られジュールズを襲った男が、実は自身のセクシュアリティを隠していたことを知ったジュールズ。彼はその矛盾を暴き、復讐を果たすため、密会の様子を記録しようと計画する。ところが、密会を重ねるたび、プレストンの暴力的な仮面の奥にある脆さと葛藤が浮かび上がる。プレストンの本質に触れるたび、ジュールズの心にもまた説明のつかない感情が芽生え始める。待ち受けるのは復讐か、それとも──。

 

ベルリン国際映画祭で初披露され、英国インディペンデント映画賞で11部門ノミネートされるなど、賞レースを賑わせた。主演には『キャンディマン』のネイサン・スチュワート=ジャレット、最新作『けものがいる』が日本公開を控えるジョージ・マッケイ。差別的な動機による暴力で心身に深い傷を負ったドラァグパフォーマーが、自らを襲撃した男と危うい駆け引きの渦に引き込まれていく。支配と服従が交錯する先に待つのは、復讐か、それとも赦しか──。


本作のメガホンをとったサム・H・フリーマンとン・チュンピンからコメントが到着しました。
 

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『FEMME フェム』の発端となったのは、ネオノワール・スリラーというジャンルに根付く「ハイパー・マスキュリニティ(過剰な男らしさ)」の概念を覆したいという思いから始まった。私たちはこのジャンルを愛しているが、そこにクィアな視点が欠落していることを以前から感じていた。そこで、リベンジ・スリラーの中心にクィアの主人公を据えることで、新たな価値観を提示できると考えた。


しかし、制作が進むにつれ、本作は単なる復讐劇にとどまらず、セクシュアリティ、マスキュリニティ(男らしさ)、家父長制、アイデンティティといったテーマを深く掘り下げる物語へと発展していった。私たち自身の経験や恐怖、怒りを見つめ直すことで、よりリアルで観客に共鳴する物語が形作られたのだ。


Femme_sub01.jpg最終的に、この映画は「ドラァグ」そのものについての物語だと確信した。ジュールズが纏うフェミニンな「ドラァグ」はもちろん、本作に登場するすべてのキャラクターが何らかの「ドラァグ」を纏い、それを通じて自らの力や社会的地位を築いていることに気づいたからだ。本作は、その仮面が剥がれたときに生じる変化を描いている。


また、映画の道徳的な枠組みに縛られることなく、善人が正しい道を歩み、悪人が報いを受ける──そんな単純な構造ではない、現実に生きるキャラクターたちの葛藤と生存の物語を描きたかった。この映画を作ることは、私たち自身にとってもエキサイティングで、カタルシスをもたらす経験となった。観客の皆さんにも、ぜひこの旅に加わってもらいたい。
 

観る者の心をかき乱すラブ・サスペンスの傑作『FEMME フェム』は、3/28(金)より新宿シネマカリテ、テアトル梅田、アップリンク京都、シネ・リーブル神戸 ほか全国公開。


STORY誘惑こそ復讐

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ヘイトクライムの標的にされたドラァグクイーンのジュールズは、自分を襲ったグループの一人プレストンとゲイサウナで顔を合わせる。性的指向をひた隠しにしているプレストンに復讐するチャンスを得たジュールズは、巧みに彼に接近していくが、徐々に説明のつかない感情が芽生え始める。待ち受けるのは復讐か、それとも──。


監督・脚本:サム・H・フリーマン、ン・チュンピン 
製作:ヘイリー・ウィリアムズ&ディミトリス・ビルビリス 
撮影:ジェームズ・ローズ 編集:セリーナ・マッカーサー
出演:ネイサン・スチュワート=ジャレット、ジョージ・マッケイ、アーロン・ヘファーナン、ジョン・マクリー、アシャ・リード
2023年/イギリス/英語/98分/カラー/シネマスコープ/5.1ch
原題:FEMME/字幕翻訳:平井かおり/映倫R18+
配給:クロックワークス
© British Broadcasting Corporation and Agile Femme Limited 2022   
公式サイト:https://klockworx.com/movies/femme/

2025年3月28日(金)~新宿シネマカリテ、テアトル梅田、アップリンク京都、シネ・リーブル神戸 ほか全国公開。


(オフィシャル・レポートより)

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 苦しみながらも懸命に⽣きている⼦どもたちが集う大阪・富田林市の駄菓子屋を描いた卒業制作『ぼくと駄菓子のいえ』が座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル、なら国際映画祭などで上映され、高い評価を得た田中健太監督。その最新作となるドキュメンタリー映画『風たちの学校』が、3月15日から新宿K‘s cinema、4月19日からシネ・ヌーヴォ、5月9日から出町座、今夏元町映画館にて公開される。
 本作の田中健太監督にお話を伺った。
 
 
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■ここだったらやっていけそうだと思った山奥の黄柳野高校

――――『風たちの学校』は田中さんの母校で取材を重ねたドキュメンタリーですが、愛知県奥三河にある黄柳野(つげの)高校を知ったきっかけは?
田中:僕は中学時代、不登校でした。きっかけは些細なことだったのですが、一度学校に行かなくなると、どんどん行きにくくなり、結局3年間のうちほとんど家で過ごしていました。当時教育センターと呼ばれていたところに時々行って、ちょっと卓球をしたり気分転換していたのですが、そこで高校の進路についても相談に乗ってもらったのです。出席日数が足りず、一般的な高校は受け入れてくれないため、通信制高校か不登校でも受け入れてくれる高校という2択でした。通信制は嫌だけれど、家から通える高校だとまた中学校と同じ不登校の繰り返しになってしまう。そこで提示してもらったのが全寮制で不登校児を受け入れてくれる黄柳野高校でした。
 
――――映画でも、学校見学会に子どもと行ったら、次の季節の見学会も行きたいと非常に前のめりで結局入学したという保護者のお話もありましたが、田中さんご自身の第一印象は?
田中:最寄駅からタクシーで30分ぐらい山道を行くぐらい、本当に山奥にあるのですが、タクシーを降りたとき、玄関に「ようきたね」という看板があり、学校の奥に見える山や自然、そして通り抜けていく風を感じるようなとても爽やかな場所でした。学校のことは詳しく知らなくても、ここだったらやっていけそうな印象を持ちました。木の温もりが感じられる校舎も、自分を受け入れてくれるような、温かみがありますよね。
 
――――クラスがやんちゃグループ、おとなしい子グループ、女の子グループに分裂していると先生が悩まれるシーンもありましたが、ご自身の体験は?
田中:僕は本当におとなしい系でしたが、やんちゃな子は怖いなという印象でした。ただ何かしら関わっていくうちに、見た目が怖そうに見えても優しかったり、話があう部分があり、そこが学びにもなりました。
 

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■高校時代から映画を撮り始める

――――在学時代で一番の思い出は?
田中:部活動で友達と映画を作ったことです。一緒に脚本を頑張って書いたり、お金を出し合って8ミリカメラを買い、よく使い方がわからないまま、撮影していましたね。基本的に、学生たちが「これをやりたい」と言えば、学校は応援してくれます。
 
――――なぜ映画を撮ろうと思ったのですか?
田中:中学時代に家でテレビを見ていると、ドラマの再放送がよくかかっていて、「相棒」シリーズや「踊る大捜査線」シリーズをよく見ていたので、映像に対する距離感が近かったと思います。進学を考えたときも、やはり映画の道に進みたいと思い、専門学校や大学を調べて、結果的に大阪芸術大学に進学しました。
 
――――この作品は卒業制作(『ぼくと駄菓子のいえ』の次となる作品ですが、母校を撮ろうと思った理由は?
田中:『ぼくと駄菓子のいえ』も学校に馴染めないとか、親との関係が難しい子どもたちを受け入れている駄菓子屋の話です。そこにいる子どもたちと関わっていると自分と近い境遇だという部分もあり、映画にしたいと思って撮影させてもらいました。ただ、改めてなぜ自分が不登校だったのかと自分に向き合ううち、もう少し自分に近いものを題材にしたいと思い、黄柳野高校を映画にできないかと考えるようになったのです。
 
――――卒業生が学校を撮りたいと申し出る事に関しては、きっと学校側も歓迎してくださったのではと思うのですが、在校生やその保護者についてはどのように撮影の許可を取ったのですか?
田中:卒業生というのは大きくて、基本的に撮影されたくない人は全体の1割ぐらいだったので、その人たちは撮影しないように進めました。その上で、今回主人公的扱いでしっかりと撮影させていただいた学生たちの保護者の方々としっかり話をしながら、許諾を取って行く形で進めました。
 
 
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■自分のことを受け入れてくれる感じがしたみのきくんとことみさん

――――メインで登場する二人は、自分自身と必死で向き合いながら、懸命に生きている姿に心掴まれますね。どういうプロセスでこの二人に密着しようと決めたのですか?
田中:僕から選ぶとか、撮りたいと交渉するというよりも、それぞれが僕のことを受け入れてくれた感じがしましたし、力関係が上になってしまってはいけないので、自然と距離が近づいていくという感じでした。当時、豊川から学校まで20キロぐらいの距離を夜に歩く「オールナイトウォーキング」という学校行事が行われていたのですが、そこでみのきくんを撮影させてもらううちに、距離が縮まった感覚があります。みのきくんは3年間撮影し、ことみさんは彼女が2年生のときだけ1年間撮影に伺えなかったので、1年生と3年生の2年間の記録になります。撮り始めたのは大学在学中の2013年で、2018年まで撮影しました。
 
――――3年間撮ったみのきくんは、特にその成長の過程を追えたという自負があるのでは?
田中:ほぼずっと撮らせてもらっていたので、映画にしたのはその一部ですが、学校の用務員のおじさんのような、3年間横から眺めていたという立ち位置でしたし、感慨深いです。
 
――――時にはアップの画もありましたが、撮影のスタイルについて教えてください。
田中:まず、あまりカメラを離して撮るやり方はしたくないと思っていました。隠し撮りのような感じではなく、カメラが横にあり、撮られていることを相手が認識できるような形で撮影することを意識していましたね。
 
――――あまりカメラを意識しているようには見えなかったのは、信頼関係があったからでしょうね。一般の高校以上に地域密着型の学校だなとも感じたのですが。
田中:僕が在籍していた頃は、地域の人と一緒によもぎ饅頭を作るぐらいでしたが、徐々に地域との交流に力を入れてきているようで、撮影当時もそうですし、それ以降も地域とのつながりが深まっているようです。
 
 
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■「素材がどういう映画になりたいのか」

――――さきほど2018年で撮影を終えたとのことですが、公開までに結構時間がかかっていますね。
田中:実は、学校が開校時のことやその歴史を追ったり、他にも撮影している学生がいたので、どのように形にするかを悩んでしまったんです。そこから動き出すきっかけになったのが、山形ドキュメンタリー道場に参加したことでした。そこで第一線で活躍されている講師の方々から意見をいただき、改めて素材を見直しました。一番大きかったのは道場の講師でもある秦岳志さんが編集に入ってくださったことです。秦さんのおかげで編集もスムーズに進み、ようやく完成のメドが立ちました。
 
――――山形ドキュメンタリー道場は小田香さんが『セノーテ』の時に参加されています。ちなみに講師からどんなアドバイスをもらったのですか?
田中:小田さんと同じ時(2018年)に参加しました。当時はことみさんの撮影が終わったものの、もう少し撮らなくては映画にならないと悩んでいたのですが、想田和弘監督から「もう撮れているんじゃないか」と背中を押していただきました。坂上香監督は、僕が卒業生だということでかなり前のめりになり、視野が狭くなっていることを指摘してくださり、例えば自由の森学園や同じような教育方針の違う学校へ見学に行き、少し距離を置いて考えてみてはとアドバイスしていただきました。
 
 当時の僕は学校の歴史もいれつつ、子どもの成長もいれつつ、こんな感じにしたら面白いんじゃないかという考えが頭の中にあったのですが、秦さんは素材がどういう映画になりたいのかをしっかりと見つめるようにアドバイスしてくださった。それは、本当に僕にとって大きかったですね。
 
――――秦さんのアドバイスから改めて素材を見直したとき、どんな発見がありましたか?
田中:あの頃は、みのきくんが過去を激白するようなドラマチックな場面を入れようとしていたのですが、3年生になったとき自分史を書こうとしていたシーンは、最初は入れていなかった。新しい視点で見た時に、みのきくんの新しい一面を発見しました。
 
――――書いた後に、消しゴムで消した筆圧の残る紙がアップで映し出され、それがみのきくんの内面の葛藤を表していましたね。ことみさんは自分で制御できない状態に陥るときがあり、そのシーンをしっかりと映し出しており、勇気があるなと思ったのですが。
田中:撮影したものの撮ってよかったのかと悩みましたし、本当にこれを映画に入れていいのかも悩みました。ある程度の編集段階で入れ、ことみさんに相談した結果、最終的にOKをいただきました。他にもこうしたらというアイデアを出してくれたりもしましたね。
 
――――ことみさんの人間的な魅力がしっかりと映し出されていましたね。黄柳野高校の先生はテストの点数以外の学生たちの営みを評価されており、直接学生や保護者にも伝えておられたのが、いい関わりの仕方をされているなと拝見していたのですが。
田中:テストの点数とは違う部分も評価し、受け入れてくれるところがあり、僕自身が在学していたときもいいなと感じていました。
 
――――全寮制なので、ずっと同じメンバーというのはある意味しんどいかもしれませんが、先生方が見守ってくださるので、3年間で学生たちそれぞれの自己肯定感が高まっているのでは?
田中:ありのままの自分を受け入れてくれるところなので、僕自身は中学校時代が不登校で劣等感を覚えていたのですが、黄柳野高校に行くことで自信を取り戻すことができたし、この学校のおかげで、今の自分があると思います。吹き抜けのところにある「ようきたね」という言葉で迎えてくれるのがいいですよね。
 
――――タイトル『風たちの学校』に込めた想いは?
田中:僕が初めてこの学校に来た時に、吹き抜けのところで風が当たったのがすごく気持ちよかったし、在学中も含め、その風に背中を押してもらっているイメージがあり、「風」を入れようと思いました。メインで密着したのは学生2名ですが、他にも撮影させていただいたり、力を貸してくださった方もたくさんいらっしゃるので、本編には登場しませんがそのみなさんのことを「風たち」という形で表現しました。
 
 
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■見かけで人を判断するのではなく、話をしてみるとその人の良さがわかる

――――在学中に熱心に学校の部活動でボクシングに取り組んでいたみのきくんは今、ボクサーとして活躍されているそうで、田中さんもしかりですが、高校のときに好きなことをさせてもらえる環境があることで、自ら好きなもの、やりたいことを掴み取っていけるのかもしれません。高校の学びの中で、今でも田中さんの心の支えになっていることは?
田中:寮生活では最初、怖いと思っていたやんちゃなタイプの同級生たちが、関わっていくと話が合う部分がある。見かけで人を判断するのではなく、話をしてみるとその人の良さがわかるというのは、今僕がドキュメンタリーという分野で映画を作っていくことにつながっていると思います。僕もあの学校に行ったから在学中に映画を作り、今も映画を撮れているので、逆に言えば中学時代、不登校でよかったと思っています。
 
――――より多くの方に黄柳野高校の学びを知っていただきたいですね。
田中:この学校だけではないと思いますが、学校に行くことも、行かないこともフラットな形で選択できる社会になればいいなと思います。学校に行かなくてもフリースクールとか、家で勉強してもいいし、黄柳野高校のような学校に行ってもいい。もっと色々な学ぶことの選択肢が多様にあり、学校に行く/行かないということがもっとフラットに語られるようになってほしいですね。
 (江口由美)
 

<作品情報>
『風たちの学校』
2023年 日本 77分 
監督・撮影・編集:田中健太  
編集・アソシエイトプロデューサー:秦岳志
公式サイト:https://kazetachi-gakko.com/
2025年3月15日から新宿K‘s cinema、4月19日からシネ・ヌーヴォ、5月9日から出町座、今夏元町映画館にて公開
 
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 米アカデミー賞の国際長編映画賞に、華語(中国語)を中心に制作された作品としては初めてマレーシア代表としてエントリーされ、世界の映画祭を席巻したジン・オング監督初長編作『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』が、1月31日(金)よりテアトル梅田、シネ・リーブル神戸で絶賛公開中、2月7日(金)より京都シネマ、2月28日(金)より豊岡劇場で公開される。
 聾唖(ろうあ)の兄アバンを演じたのは、台湾の人気俳優ウー・カンレン。無鉄砲な弟アディをマレーシアのスター俳優ジャック・タンが演じ、クアラルンプールの中にあるスラム街、富都(プドゥ)で身分証も持てず、いつも怯えながら生きる兄弟の愛と非情な運命が心を揺さぶる。これまで『ミス・アンディ』(大阪アジアン映画祭2020で上映)など社会の中で弱者、マイノリティとされる人々に目を向けた作品をプロデュースしてきたジン・オングの満を持しての長編デビュー作だ。
 日本での劇場公開を前に来日を果たしたジン・オング監督と、弟・アディ役のジャック・タンさんに、お話を伺った。
 

 

■ずっと兄弟の物語を撮りたかった(オング監督)

――――大阪アジアン映画祭2020でプロデュース作『ミス・アンディ』を拝見し、マイノリティーと呼ばれる人たちに光をあてる社会派ヒューマンストーリーだと感じました。今回、ご自身の初長編作を撮るにあたり、なぜこの兄弟の物語を構想したのか教えてください。
ジン・オング監督:『ミス・アンディ』はプロデュース作として世に送り出しましたが、実は初監督作品はマレーシア人の兄弟を主人公にして撮りたいと以前から考えていました。でもただ兄弟の話を撮るだけでは、何か足りないと感じていましたので、社会問題を提起するような内容を盛り込みました。つまり、社会の低層に生きており、身分証を持たない人々をテーマにし、本作を撮るに至ったわけです。
 
――――以前から兄弟ものを撮りたかったとのことですが、その理由は?
ジン・オング監督:兄弟でなければいけないという訳ではありませんが、ふたりの間の情感をきちんと描きたい、そういう映画を撮りたいと思っていました。マレーシアでは本作のように中華系マレーシア人の家庭を描く作品は少ないです。僕自身も姉と妹はいるけれど、兄や弟はないので、実はずっと弟を持つことに憧れがあったことも、今回兄と弟の物語を描いたことに影響しているのではないでしょうか。映画の中でその憧れが実現したとも言えますね。
 
――――兄弟ふたりとも身分証(ID)を持っていませんが、弟のアディだけはマレーシアで生まれたことを証明する出生証明書を持っており、兄弟二人の置かれている状況の違いが、その行動にも大きな影響をもたらしています。
ジン・オング監督:この兄弟のような身分証のない人たちが、実際にも数多く社会問題として存在しています。彼らは日々怯えながら生きており、苦難に見舞われることが多いのです。日ごろニュースで触れられることや、我々が見ることのない「見えないものとされている」人々のことをきちんと描き、多くの人に知らせたい。それが、わたしがこの映画を撮る目的でもあったのです。
 

 

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■富都の匂いの裏には様々な物語が秘められている(オング監督)

小さい頃、とてもワクワクした場所だった(ジャック・タン)

――――アバンやアディが住んでいる富都(プドゥ)という街の歴史や、下町だけど非常にエネルギッシュな感じを描き出している撮影などについて、教えてください。
ジン・オング監督:富都は、とにかく街の匂いに特徴があります。いろいろな街には様々な路地裏や、人々が住んでいる匂いがあると思うのですが、富都はそこに住んでいる人たちから発せられた様々な匂いがあり、その匂いの裏には様々な物語が秘められています。そういう匂いの感覚を感じられる場所なんです。
 
――――ジャックさんは実際に富都で撮影をされて、いかがでしたか?
ジャック・タン:僕はクアラルンプールで育ったので、富都はよく知っています。小さい頃は両親に連れられて富都の市場や周りの店に行きました。色々なゲームのグッズや珍しいペットが売られていて、僕にとってはとても楽しい、ワクワクした場所だったのです。でも当時はまだ幼かったので、そこで働いている人たちのバックグラウンドがとても多様で、辛い境遇の人も多いということが全然わかっていませんでした。
 
 
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■デビュー当時からタッグを組んでいるオング監督が役作りを助ける(ジャック・タン)

――――ジャックさんはどのような形でエンターテイメント業界に進まれたのですか?
ジャック・タン:2008年、僕が17歳のときに同級生とエンタメのオーディションに参加したのです。1500人が参加したそのオーディションで、最終的に残った4人のうちのひとりに選ばれました。当時、レコード会社にいたジ・オング監督に出会ったのもそのころで、僕のデビューは台湾のドラマ出演(「我和我的兄弟·恩」)だったのです。ですからオング監督とはもう17年一緒に仕事をしており、その間、歌をはじめ色々なことでご一緒させてもらい、学ばせてもいただいて、ここまできました。。
 
――――兄、アバン役のウー・カンレンさんは台湾の人気俳優ですが、ジャックさんは本作で共演するまで接点はあったのですか?もしくはどんな印象を抱いていたのですか?
ジャック・タン:カンレンさんとは共演の機会はそれまでありませんでしたが、彼が出演したドラマの中で、弁護士役をされていたのを見て、とても感激しました。すごくいい役者さんだと思っていたところ、今回、監督がカンレンさんを兄役でキャスティングしてくださったので、とてもご縁があるなと思いましたね。
 
――――長年一緒に仕事をしてきた中、今回はとても難しい役をオング監督から与えられたと思いますが、アディ役をどのように解釈して演じたのですか?また役作りについて教えてください。
ジャック・タン:オング監督は演技の面でも様々な局面で助けてくれ、本当に感謝しています。撮影に携わったスタッフの皆さんからも大きな力を得て演じましたので、ひとりではとても役作りはできなかったと思います。それほどアディという役は難しかった。というのも、僕が育ってきた環境と、アディが直面している苦しい状況は全く想像もできないぐらい違っていましたから。オング監督は脚本も書かれていますが、そこに書かれていること以上のアディにまつわることを色々語ってくださいました。
 

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■ウー・カンレンに学んだプロ意識(ジャック・タン)

――――実際にカンレンさんと兄弟役を演じたことで、得たことはありましたか?
ジャック・タン:カンレンさんから学んだのは、まずは「どうやって監督を困らせるのか」ということです(笑)。カンレンさんは自分に対する要求が非常に厳しく、役作りのために出してくるリクエストがすごく多いです。プロとして演じるためには十分な準備が必要です。僕はこれまでは、プロダクションサイドが提供してくれたものをベースに演技をしていましたが、カンレンさんはプロダクションサイドの要求を上回るリクエストを出してくるんです。それぐらいの気持ちで役作りに取り組むというプロとしての意識の違いを目の当たりにした想いでしたし、僕自身のプロとしての意識も変化してきました。
 
――――なるほど、それはプロダクション側も、共演者としても身が引き締まる思いがしますね。
ジャック・タン:リハーサル時に本読みをするのですが、この作品はとても情感を込めないといけない。でもオーバーに表現しまうのは良くないので、なるべく抑えめにいきましょうとカンレンさん自身がおっしゃったんです。でも、実際のカンレンさんは、自分の表情をこらえきれずに爆発させていたと思います。僕らはリハーサル時点で、とても泣いてしまいました。
 

■兄弟ふたりの情感を演出したゆで卵のシーン

――――お互いの額でゆで卵をコツコツと割って食べるシーンが度々登場し、兄弟の歴史を表していましたが、どういう狙いであのシーンを描いたのです か?
ジン・オング監督:マレーシアでは卵は比較的安い食品なので、外国人労働者がよく購入し、ゆで卵にして食べているんです。卵で栄養を補っているわけですね。そういう背景から、兄弟ふたりの間の情感を出すために、このシーンを書きました。なぜテーブルで割らず、額で割っていたかというと、幼い頃に同級生のお母さんがお弁当にゆで卵を持たせており、息子は食べるときに額でコツコツと割って食べていた。その印象がとても強く残っていたんですよ。
 
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■ウォン・カーウァイへのオマージュを込めたシーン(オング監督)

――――個人的にはウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』にオマージュを捧げているようなシーンも見受けられましたが、カラーグレーディングや映画のトーンでこだわった点について教えてください。
ジン・オング監督:わたし自身、最初は広告デザインを勉強していたので、色調デザインについてはすごくこだわりがあります。本作でも様々な場面で色にこだわり、変化をつけています。冒頭の労働者たちが集まったスラム街の描写は暗いタッチですが、そこで暮らしたり働いている人たちが着用している服などは明るい色を入れ込んでいきました。そして、ご指摘のとおり『ブエノスアイレス』の主人公ふたりのダンスシーンは、今回ダンスシーンに使った色合いと似ていますよね。やはりそれは、わたしからのウォン・カーワイ監督へのオマージュでもあるのです。
 
――――アバンからの愛を、どういう気持ちで受け止めていたと解釈してアディを演じたのですか?
ジャック・タン:ふたりにとってお互いしかいないわけです。今までも多くの観客から「アバンとアディの関係は兄弟を超えた微妙なところにあるのではないか」と聞かれもしましたが、ふたりだけが頼りで生きている兄弟ですから、アバンからの愛をアディは素直に受け入れている。兄弟を超えたところにふたりの関係があるのではないでしょうか。
 
――――ちなみに、今のマレーシア映画界はどんな状況にあるのでしょうか?
ジン・オング監督:マレーシアで映画を撮るということは中国系の人にとっては、とても厳しい状況です。人口比率的にも多くないですし、むしろ外に向かって発信していくというのが、マレーシア映画界の現状で、外に向かっていろんなチャンスを掴みに行っている状況ですね。

 

■マレーシアの人々を描いた作品を世界に届けたい(オング監督)

固定観念に縛られず、チャンスがあればなんでもやってみたい(ジャック・タン)

――――ありがとうございました。最後におふたりの今後の活動や目指したいことについてお聞かせください。
ジン・オング監督:やはり、マレーシアに住んでいる人のことを描いていきたいですね。これまであまり語られてこなかったマレーシアの人々の映画を撮り、できるだけ世界の人々にマレーシアの状況を知っていただけたらと思います。
 
ジャック・タン:僕はとても幸運な役者だと思います。この作品が上映していただけ、僕もプロモーションで来日することができました。多くの観客に観ていただけることを期待していますし、どういう反響があるか、すごく楽しみです。今後は、あまり自分を固定観念で縛らず、チャンスがあればなんでもやってみたいと思っています。今回も来日前に台湾のテレビドラマに出演しましたし、この後は香港へ映画の撮影に行く予定です。色々な場所で様々な活動をしていきたいですね。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』“富都青年 / Abang Adik”
2023年 マレーシア・台湾 115分 
監督・脚本:ジン・オング(王礼霖) 
出演:ウー・カンレン(吴慷仁)、ジャック・タン(陈泽耀)、タン・キムワン(邓金煌)、セレーン・リム(林宣妤)
1月31日(金)よりテアトル梅田、シネ・リーブル神戸で絶賛公開中、2月7日(金)より京都シネマ、2月28日(金)より豊岡劇場で公開
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 筒井康隆による老人文学の傑作「敵」を『紙の月』『騙し絵の牙』の吉田大八監督が映画化した『敵』が、1月17日(金)よりテアトル梅田他で絶賛公開中だ。
 77歳の元大学教授で、妻亡き後一人暮らしの渡辺儀助に扮するのは12年ぶりの主演となる長塚京三。全編モノクロームの映像で、死を迎えるまで尊厳を持って生きたいと願う儀助の心の平安が、「敵」によって脅かされていく様をダイナミックかつコミカルに描く。世界初上映された第37回東京国際映画祭では東京グランプリ、最優秀男優賞、最優秀監督賞の三冠に輝き、アジア全域版アカデミー賞「第18回アジア・フィルム・アワード」でも作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、撮影賞、衣装賞の6部門ノミネートを果たした必見作だ。
 本作の吉田大八監督に、お話を伺った。
 
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■脚色をしている感覚はなく、息を吸うように書けた

――――筒井康隆さんの原作から、映画オリジナルのラストも含め、様々な面がアップデートされていると感じましたが、脚色するにあたり、念頭に置いていたことは?
吉田:僕が脚色をするときは、基本的に自分の読後感を中心に書いています。今まで様々な原作を脚色してきましたが、いつもなら例えばこの場面とか、この一文とか、核となる部分を掴み、そこから再構成する過程で、いろいろなものを足したり外したりというプロセスでした。今回は、中学時代から筒井康隆さんを愛読してきた自分にとっては、ある意味育ってきた土壌なので、あまり脚色をしているという感覚がなかったんです。「敵」を映画にするなら、当然こうなるだろうし、きっと筒井先生も納得してくださるだろう。映画版のオリジナルとして付け加えた部分や膨らましたところが、原作の世界とシームレスに馴染むだろうという根拠のない自信がありました。だからごく自然に、息を吸うように書きはじめて終わるという形でしたし、ほぼ初稿の形が決定稿になったんです。自分としてもこういう脚色のプロセスは珍しかったですね。
 
 
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■長塚京三イコール儀助だった

――――自身の老いに向き合う主人公、儀助が観客にどう映るかという点では、演じた長塚京三さんの演技が絶妙且つリアルで、最後まで目が離せませんでした。長塚さんと儀助を作り上げるプロセスについて教えてください。
吉田:撮影前に2〜3回、長塚さんと脚本の読み合わせを行いました。長塚さんが儀助のセリフを、僕がそれ以外の登場人物のセリフやト書きを全部読むのですが、30分に一度くらい休憩を入れるんです。そこでの雑談で、脚本の印象や解釈について意見交換をしたり、長塚さんは若い頃にフランス留学されていたので、そのときのエピソードをお聞きしたり、贅沢な時間を過ごすことができました。そんな風に長塚さんのお話を聞いているうちに、これは「儀助=長塚さん」でいいのではないかと思ったのです。留学時代のエピソードも、きっと儀助にはそういう歴史があったのだろうと考える。長塚さんが書かれたものを、あらためて儀助の話を聞くつもりで読み返してみる。長塚さんと儀助が僕自身の中でイコールになり、二人が重なっていきました。それが長塚さんとの読み合わせの一番の成果だと思っています。
 
――――なるほど、特別な役作りや細かい調整はもはや必要なかったと?
吉田:現場でもそこを演出する必要がなく、気分的に楽でした。なにしろ長塚さんが儀助なのだから、そこに嘘はないんです。
 
 
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■長塚京三と黒沢あすかの間に起きたケミストリー

――――元教え子で学生時代から目をかけてきた鷹司靖子(瀧内公美)や、馴染みのバー「夜間飛行」で出会った大学でフランス文学を学ぶ菅井歩美(河合優実)など、若くて魅力的な二人の前の儀助と違い、夢の中で出会う亡き妻信子の前ではその本音を露わにし、後悔の言葉を度々口にします。現実と幻想が混濁する中、信子を演じる黒沢あすかさんの存在感が光っていましたね。
吉田:以前から黒沢さんには、日本の俳優ばなれしたスケールを感じていました。黒沢さんが画面に登場するだけで、空気がダイナミックに動くという稀有な俳優なので、いつかはご一緒したいと機会を伺っていたのです。だから、今回の信子役は黒沢さんに適役だと思いましたし、長塚さんと並んだ姿が見たいと思いましたね。
 信子が登場した瞬間に、一気に儀助の表情が変わっていくんですよ。それまでの、鷹司靖子や菅井歩美に対し格好をつけていたポーズがさっと取れて、迷子が母親を見つけたときのような「ほんとにさびしかった、でもまたあえてホッとした」という表情をする。それは黒沢さんと長塚さんの間で起きたケミストリーだなと思います。当たり前ではありますが、3人の女性たちに対してこんなに違う表情を見せるのかと、現場で長塚さんの演技を見ながら、僕も楽しませていただきました。
 
――――物語の鍵となる井戸や物置があり、手入れが行き届いている儀助の家が、室内撮影も多かった本作の、もう一つの主役とも言えますが。
吉田:原作を読んでいても、なかなか儀助の家を空間的に把握するのが難しかったので、まずは美術デザイナーに家の図面を起こしてもらい、それに即して動線を考えながら脚本を書いていったのです。そこから半年以上かけて家探しを行い、撮影直前にやっと見つかったのがあの家でした。ただ、もちろん原作通りの間取りではなかったので、庭の離れを物置に決め、それに合わせて脚本を書き換えることで、より映画がリアルに肉付けされていく感触がありました。コロナのタイミングで原作を読み直したこと、そのときちょうど長塚さんが儀助役に適した年齢であったこと、あの家が見つかったこと、この3つの奇跡のうちどれが欠けても『敵』という映画は成立していなかったと思います。
 
 
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■「敵」に込められたイメージの豊かさ

――――老いやフェイクニュースなど、日常でも本作でも様々な「敵」が想起されますが、吉田監督ご自身が考える「敵」とは?
吉田:個人的には、敵によって生かされるものがあるのではないかと、最近なんとなく思っています。好敵手なんて言葉があるように、敵の存在によって自分を緊張させ、高めて、新しいパワーに目覚める、なんて少年漫画を読んで育ってきた男子特有の考え方なんでしょうけど、本作でも「敵」というのが死や老い、孤独だけではなく、死んだ妻ともう一度会いたいとか、美しい教え子とそれ以上の関係になりたい、という欲望が夢や妄想としても現れるし、それによって儀助は生かされる。そういう欲望が全て消えてしまったら、人間が明日も目覚めて生きていこうという気持ちには、なかなかなれないのではないか。ちょっと辛すぎると思うんです。
 
――――胸の中の傷、心残りなどもそうなのかもしれませんね。
吉田:へたにスッキリしてしまったら、「あ、人生ここで終わりたい」と思ってしまうかもしれない。生かすも殺すも「敵」次第。今は漢字一文字の「敵」に込められたイメージの豊かさを、日々感じています。
(江口由美)
 

<作品情報>
『敵』
2024年 日本 108分 
監督:吉田大八
原作:筒井康隆「敵」(新潮文庫)
出演:長塚京三、瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、中島歩、カトウシンスケ、高畑遊、二瓶鮫一、高橋洋、唯野未歩子、戸田昌宏、松永大輔、松尾諭、松尾貴史 
宣伝・配給:ハピネットファントム・スタジオ/ギークピクチュアズ
1月17日(金)よりテアトル梅田他で絶賛公開中
(C) 1998 筒井康隆/新潮社 (C) 2023 TEKINOMIKATA
 
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 『心の傷を癒すということ 劇場版』(2021)を契機に、港町・神戸から世界へ響く映像作品を届けるため立ち上げられた「ミナトスタジオ」の船出作品で、神戸で暮らす人びとへの膨大かつ綿密な取材を基に、震災後をリアルに描くオリジナルストーリー『港に灯がともる』が、1月17日(金)よりテアトル梅田、第七藝術劇場、なんばパークスシネマ、シネ・ヌーヴォ、MOVIX堺、MOVIX八尾、MOVIX京都、京都シネマ、キノシネマ神戸国際、シネ・リーブル神戸、MOVIXあまがさき、元町映画館、シネ・ピピア、洲本オリオン他全国公開される。
 本作の安達もじり監督に、お話を伺った。
 

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■安克昌先生の著書と弟、安成洋さんとの出会いがすべてのはじまり

――――前作『心の傷を癒すということ 劇場版』や、モデルとなった安克昌さんとの著書を通じての出会いが、本作に大きく影響していますが、遡ってお話いただけますか。
安達:阪神・淡路大震災発生時、私は京都で暮らしていたので、カイロなどをリュックに詰めて被災地に運び、大変な光景を目の当たりにする一方、対岸の火事を見るような位置にいたことを自分の中で引け目に感じることがありました。
震災のことを自分の経験で描けないとずっと思ってきたし、今でも思っている部分はありますが、本作のプロデューサーでもある京田光広から薦められた安克昌先生の著書「心の傷を癒すということ 神戸…365日」を読むうちに、安先生のことを描いてみたいと強く思うようになりました。安先生は2000年に亡くなられているので、まずは弟の安成洋さんにご著書をもとに安先生の人生をドラマ化させてもらえないかとお願いに行ったことがすべてのはじまりです。安先生のご家族にも本当によくしていただき、2020年にNHKの土曜ドラマ(全4回)『心の傷を癒すということ』を放送することができました。このドラマをもっと色々な人に観ていただき、著書に触れる機会を増やしたいと考えた成洋さんが、1年後の2021年に劇場版として映画化してくださり、今でも全国の学校や自主上映会場で上映が続いています。成洋さんも可能な限り会場へ足を運んで観客との対話を続けていらっしゃいます。
 
――――映画を観た後に対話をすること自体が、ある種のケアになっていますね。
安達:そうですね。成洋さんがそういう活動の意義を感じる中で、「1本で終わるのはもったいない」というお声が多方面から寄せられたそうです。あるとき成洋さんから「震災から30年のタイミングで公開する、心のケアをテーマに、神戸を舞台にした映画を作ってもらえないか」と相談を受けました。成洋さんは本作を作るための会社「ミナトスタジオ」を一人で立ち上げ、その会社から正式に依頼を受け、私がNHKエンタープライズに在籍中に製作しました。
 
 

■30年という時間を通して描こうとしたことは?

――――完全オリジナル作品ですから何を取っ掛かりにするのか悩まれたのではないですか?
安達:『心の傷を癒すということ』を作ったことで成洋さんを含め様々なご縁が繋がっていったことを大事にしたかったし、原点となった安先生の著書を改めて紐解きながら、震災30年で描くべきことは何かを考えました。安先生が書かれているように「街はどんどん復興していくけれど、心の傷は簡単に癒えるものではない」ということを、30年という時間を通して描けないか。30年を見つめるなら、震災の年に生まれた人を主人公にしたら、その人をめぐる様々な人とのやりとりから、多くのことが見えてくるのではないかという仮説を立て、そこから話を考えていきました。
 
――――次は神戸のどこを描くかですね。
安達:一番被害の多かった長田地区は様々なルーツを持つ方が暮らしておられ、震災のときは垣根なく助け合ったという話をお聞きしましたし、丸五市場の雰囲気にも魅了され、ここを物語の核に設定しようと思いました。在日ベトナム人や華僑の方も多くいらっしゃいますが、在日コリアンの方が一番多く住んでおられるし、その歴史が長いので、在日コリアンの家族という設定にしました。また、世代によって悩みが違うとお聞きすると、そういう世代を描くこともキーポイントになり得ると感じました。
 

■世代間の体験や悩みの違いから構想を広げて

――――世代間の体験の差は大きいと思います。
安達:神戸の方とお話していると、ふとした時に「震災前は」とか「震災後」というこう言葉が出てきて、いくつで震災を体験したかも含めて、すごく大きなことだったと感じました。一方で震災後に生まれた人にも取材をすると、中には震災は教科書の中の話だとか、学校で教えられることというお話もある。いつ、どこで、幾つの時に経験するかによって、人というのは考えることや悩みが違うことを改めて感じ、そういう人たちが交差する物語にしていきたいと構想を広げ、最終的には「心のケア」に集約していきました。
 
――――心の傷をずっと抱えたまま生きている人たちの物語を丁寧に描いておられます。
安達:お話を聞いていると震災のことに触れたくない方も当然たくさんいらっしゃいます。ドキュメンタリーで撮ってもカメラの前になかなか出てこないのではないかという感情を大切に描いていきたい。劇映画だからこそ描けることを表現していきたい。そこは今回大事にした部分ですね。
 
 

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■主人公、灯役の富田望生の演出は「神戸で暮らしてみる」

――――今回は震災の1ヶ月後に生まれた灯が主人公ですが、富田望生さんの起用も含めてその狙いを教えてください。
安達:『心の傷を癒すということ』は精神科医の方の目線で描く物語でしたが、今回は心に傷を抱えた人の側から描いてみたいと思い、『心の傷~』の時にお世話になった精神科医の方にご相談しながら、登場人物の感情の流れを作っていきました。3きょうだいの設定ですが、ほんの少し生まれた時期が違ったり、性別や震災を経験したか否かで、それぞれの居住まいが違ってきます。姉の美悠は自分の思いをはっきり言うタイプなのに対し、次女の灯はちょっと家族の状況を一歩引いて見ているような女性なのではないかと思い、台本を作っていきました。
灯が自分のルーツや震災に関わることについて、知るのを避けてきたという設定でしたから、富田さんにはそれらについて事前に勉強することをお願いはしませんでした。一方で撮影の1〜2週間前から神戸に来ていただき、神戸の人と一緒にご飯を食べたり、神戸の人と一緒に日常を過ごしてもらい、灯がどのような空気を吸って生きてきたのかを感じ、体に落とし込んでいただきました。ほぼシーン順の撮影(順撮り)で、灯が30歳になるまでの人生を1ヶ月半ぐらい時間をかけて撮りましたので、灯がどういう場所で、どんな人と出会い、そこで何を感じるかを一つずつ確認しながら、灯のことを一緒に感じて撮っていきました。
 
――――きょうだい間の性格の違いもよく出ていました。震災当時大変だったという話をずっと聞かされてきた灯は家族の中で、迷惑をかけないように気づかずないうちに頑張りすぎていたのではないかと。
安達:灯はとても優しい子だと思うのです。他人の気持ちをすごく受け入れてしまうからこそ拒絶してしまうという彼女の心の機微を富田さんがすごく繊細に演じてくださり、こちらはほとんどその場で演出をすることがなかったぐらいです。富田さんはデビュー作の『ソロモンの偽証』(2015)からずっと拝見しており、素晴らしい芝居をされる方ですし、実際にお会いしてみるとすごく感受性の豊かな方で、繊細でありつつ真っ直ぐなピュアさがあり、いつかご一緒したいと思っていました。灯はすごく難しい役ではありましたが、年齢的にもちょうど当てはまりますし、思い切ってオファーをし、快諾していただけました。
 
――――神戸暮らしをされた富田さんの感想は?
安達:神戸のことをとても好きになっておられました。富田さんにご紹介した神戸の方のお話なども聞き、みなさんが神戸を離れたくない気持ちも伝わっていたみたいです。私の想像ですが、人の温かさの中にも港町ならではのほどよい距離感があり、外から来る人がいて当たり前という文化が形成されているのではないか。だからすごく居心地のいい場所と感じておられた気がします。
 
 

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■「少しだけ歩み寄る」ことの大事さ

――――在日三世の灯と在日二世の父、それぞれの想いがぶつかり合うシーンは、世代間のルーツに対する意識の差やコミュニケーションを取るのが難しい父娘関係という普遍的な問題を見事に映し出していましたね。
安達:在日コリアンの家族を描いたドラマは以前演出したことがあるので、当時も様々な方にお話を伺ってきましたが、今回新たに気づいたことがありました。映画でウクライナから来られた小さいお子さんのいる若いご夫妻に出演していただいたのですが、彼らは当然戦争が終われば母国に帰って子どもを育てたいと思っておられます。一時的に日本に来ただけで、もちろん子どももウクライナ人だという生のお声を聞いたとき、在日一世の方々の話を聞いたときに、わたし自身が昔語りとして聞いていたなと反省もしましたし、そこから在日二世や三世の人の想いも、その人が生きている事に対してちゃんと想像を馳せていかなくてはいけないということを痛感しました。灯も父の生き様にほんの少しですが想いを馳せることができたことで、少しですが父との折り合いをつけることができた。物語はそこで終わりますが、少しだけ歩み寄るという感じがすごく大事だなと、今回作りながら改めて感じました。
 
――――灯が不安に打ちのめされながら、何度も息を整えて父に向き合おうとする姿がとても印象的で、「呼吸」を大事にした作品であることが灯のロングショットからも伺えました。富田さんの芝居を切らない編集にその意気込みを感じたのですが。
安達:台本には「深呼吸をする」と書いてはいましたが、編集する際に富田さんの演じる灯の呼吸がとても繊細に表現されていることに気づき、これはもしかしたら灯がちょっとだけ息ができるようになる物語なのではないかと感じたのです。そこから呼吸を軸に編集し、灯の呼吸をとても大事に扱っていきました。通常なら息を吸って吐いたときをカット点にするのが観客から見ても気持ちいいと思うのですが、今回は息を吸ったところでカットをしたり、細かい作業をたくさんやっていますし、灯が父と口論をしている途中、お手洗いに駆け込んで息を整えるシーンもほとんど切らずに使用しています。
 
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■シンプルに父と娘の物語を紡ぐ

――――在日二世の父は、子ども世代とは違う在日一世の両親の苦労をリアルに見て、感じて来た世代ですが、演じた甲本雅裕さんにはどんな演出をしたのですか?
安達:甲本さんも最初はどうしたらいいのかと身構えていらっしゃるところがあったのですが、わたしからは一つだけ、「お父さんを演じてください」とシンプルなお願いをしました。あくまで父と娘の物語を紡いでいきたいと思っていましたから。
 
――――まさにコミュニケーションが苦手な父と娘が、どのように歩み寄っていくのかが作品を通底する軸ですね。
安達:灯が少しずつ自分と折り合いをつけようとしていく物語ではありますが、その中で父の一雄は本当に変わらない。物語の最後に、灯が少しだけきっかけを与えていると思うのですが、この先変わるかどうかはわからない。そういう生き方をしてきたことが、彼が自分で立って生きていられる唯一の根拠なのではないでしょうか。結局灯と似た者同士だからこそぶつかる一面があると思います。
 

■灯の居場所になった設計事務所のふたり

――――灯の転職先である設計事務所の建築士、青山勝智(山中崇)も心の中にトラウマを持つキャラクターです。コロナ時のビジネスが苦しくなる状況と重ねた描写は、自分のことで手一杯だった灯に大きな影響を与えますね。
安達:普段は明るくて普通に接することができる人でも、何らかの悩みを見えないところで抱えています。青山さんも設計事務所の桃生さんも、灯がこの場所だったら居ることができるという居場所になってくれたふたりですから、彼らの裏にはそれぞれ苦しんできたことがあり、だからこそ灯のしんどさがわかる。そういうことを描けたらと思っていました。青山役の山中崇さんと桃生役の中川わさ美さんがとても素敵に表現して下さいました。最高のおふたりでした。
 
――――設計事務所を通じて丸五市場の再建という案件に灯が携わることになりますが、改めて安達監督が感じた市場の魅力とは?
安達:まずは画になるということに魅力を感じました。最初は丸五市場に入るのにちょっとドキドキしましたが、取材で通ううちに、すごく居心地がいい場所で、気楽に立ち話ができるようになって。この居心地の良さは何なのだろうと考えるうちに、丸五市場はきっと灯にとっても居心地のいい場所になるし、そういう表現にしていきたいと思いました。写真展のシーンは、実際に大勢の方にご協力いただき、写真を提供していただいたのですが、あれだけの丸五市場や長田の昔の写真が集まると、それだけで説得力がありますね。写真展当日のシーンも多数の地元の方に登場していただきました。
 
――――『港に灯がともる』というタイトルについて教えてください。
安達:神戸の街を六甲の方から見下ろすと、山と海がキュッと近いんです。夕方から街に灯がともる様子を見ていると、すごく人が生きている感じがして好きな光景なので、そのままタイトルにしました。
 

■新しい対話が生まれるきっかけに

――――灯のように心の傷を抱えた人も多い中、震災30年の映画であるとともに、心のケアの映画だなと強く感じる作品ですね。
安達:いまだに震災の映画を観ることができないというお声もいただいていた中、震災30年のタイミングで作りましたが、心のケアの物語という入り口で観ていただけたらいいなと思っています。この映画を観たことがきっかけで、少し誰かに自分自身のことを話したくなるなど新しい対話が生まれていけば、そんな幸せなことはありません。
 (江口由美)
 

<作品情報>
『港に灯がともる』
2024年 日本 119分 
監督:安達もじり
出演:富田望生、伊藤万理華、青木柚、山之内すず、中川わさ美、MC NAM、田村健太郎、土村芳、渡辺真起子、山中崇、麻生祐未、甲本雅裕
1月17日(金)よりテアトル梅田、第七藝術劇場、なんばパークスシネマ、シネ・ヌーヴォ、MOVIX堺、MOVIX八尾、MOVIX京都、京都シネマ、キノシネマ神戸国際、シネ・リーブル神戸、MOVIXあまがさき、元町映画館、シネ・ピピア、洲本オリオン他全国公開
公式サイト:https://minatomo117.jp
配給:太秦
(C)Minato Studio 2025.
 
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 限られた上層階級の人間が延命治療として自分と同じ見た目の「それ」を保有できる近未来を描いた甲斐さやか監督(『赤い雪 Red Snow』)の最新作『徒花 -ADABANA-』が、2024年10月18日(金)よりテアトル梅田、アップリンク京都、シネ・リーブル神戸ほか全国ロードショーされる。
病で死期の迫る男、新次を井浦新が演じる他、彼のカウンセラーまほろを水原希子、新次が忘れられない「海の女」を三浦透子が演じている。格差社会の行き着く果てとも言える命が選別される時代に、持つものと持たざるものの運命や、周りから思われることと、自分が感じていることの違い、そして「それ」という自分のいい記憶だけを学習させたクローンの存在の不気味さなど、ひたひたと迫り来る近未来での命の終わり方について、問いを投げられているような意欲作だ。本作の甲斐さやか監督にお話を伺った。
 
 
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■90年代半ばから構想していた「男がクローンと向き合って対話する」物語

―――本作のアイデアは前作の『赤い雪 Red Snow』(19)以前から持っていらしたそうですね。
甲斐:『赤い雪』も劇場公開まで5年ぐらいかかったのですが、同作のプロデューサーから、さらにその5年前に企画があれば出してほしいと言われたとき、既に『徒花』を出していたんです。プロデューサーの意見として、『徒花』も好きだけど、先に『赤い雪』をやりたいということで、一旦はお蔵入りになりました。それでも、『徒花』というタイトルを最初からつけ、ずっと色々な人に企画を見ていただいていたのです。
 
―――『徒花』というタイトル自身に強い思い入れがあったと?
甲斐:90年代半ば、都市伝説が好きな友人から「中国にはクローン人間がいる」という話を聞いたことに影響を受け、クローンや生命倫理を調べているうちに、日本のソメイヨシノという桜の品種がクローン桜であることがわかりました。そこから、カウンセラーが、ガラス貼りの部屋で男がクローンと向き合って対話をするという大体の骨格が生まれ、コロナ禍を経て改稿を重ねましたが、そのイメージがブレることはありませんでした。
 

■コロナ禍を経験し、「今やるべき作品」になった

―――20年前はSF的だったことも、AIが日常生活にも影響を与える今となっては、むしろ身近にあり得ることのように感じますね。
甲斐:10年前は、「パンデミックが起きて国連がクローン技術を推奨した」というこの物語の前提を話しても、「想像がつかない」と言われましたし、ガラス越しというのはクローンが無菌状態で育つ必要があるからだと説明しなければいけなかった。相手を納得させ、リアリティーのある自分ごとの話とご理解いただくには、時間が必要だったともいえます。当時は話としては面白いけれど、ハードルが高いという反応でしたが、コロナが発生し、わたしたちの現実をさらに追い越していってしまいました。戦争もしかりですが、何か想定もしていなかったことが起きてしまうと、急に現実が脆くも崩れ落ちてしまうし、自分の命が守られているようで、脆いものだと気づかされてしまう。この設定がそのようなリアルなものになったと思うし、同じように感じてくださった音楽プロデューサーのakikoさんをはじめ、多くの関係者の方が「あの脚本は?」と連絡をくださったんです。コロナで上級国民だけ治療ができるという噂もあり、わたしたちの生命倫理感も揺らぎましたが、警鐘やどう思うかという投げかけの意味もあり、今やるべき作品ではないかと思いました。
 
―――上級国民と呼んでもいい、なんでも手に入れている立場だからといって、果たして幸せなのかとか、クローンの「それ」を使ってでも延命したいのかとか、様々な問いが浮かんできます。主人公新次の設定や、前作でも出演されていた井浦さんの起用について教えてください。
甲斐:20年前の構想初期はインディペンデント作品が念頭にあったので、とくにどなたも考えていなかったのですが、あるとき井浦さんのことを認識したときに「「それ」っぽい!」と思ったことがありました。わたしの活動と並行し、実現しないまま引き出しにしまわれた『徒花』がずっと心にありながら、『赤い雪』のときに、ある役にイメージがピッタリだったため、まずは同作で井浦さんとご一緒することになったんです。
 
 
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■『赤い雪』撮影中から『徒花』に興味を示してくれた井浦新

―――少しずつ井浦さんが「それ」になる運命が近づいて来た気がしますね。
甲斐:『赤い雪』公開の2年前(2017年)に撮影を行ったとき、井浦さんは『赤い雪』をすごく気に入ってくださり、「少しずつこういう作品に出たいので、また一緒にやりましょう」と声をかけてくださったんです。そこで『徒花』のことをハッと思い出し、井浦さんに撮影現場でその構想を口頭でお伝えすると、すごく乗り気になってくださった。さらに『赤い雪』初号の後でまた一緒にやりたいと伝えてくださった際、『徒花』のプロットが読みたいと言ってくださいました。だから『赤い雪』の舞台挨拶でロケ地の山形を巡っているころは、すでに『徒花』の新次や「それ」の演技プランの話をしていたんです(笑)
 
―――井浦さんの並々ならぬ意気込みが伝わってきますね。新次のカウンセラー、まほろを演じた水原希子さんのオファーについて教えてください。
甲斐:コロナを経て『徒花』をようやく撮れることになり、改めて脚本を書き直していたので、わたしが20代のころに撮っていたら、後半、まほろに現れる戸惑いや、そこまでのカタルシスを覚えるシーンはなかったでしょう。この話は新次の成長物語と思って見ているけれど、途中からまほろの物語になる。要は一度の生の物語ではなく、新次の命が終わっても、まほろがその命を引き継いでいくかもしれないとか、途中から彼女が成長する話になっていくと考えたとき、彼女が自分の存在を疑うということがこの映画の大切なシーンになるとはっきりしてきました。
 
 
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■清らかなまほろ、自然と溶け込む海の女、弾けなくなったピアニストが示すことは?

―――なるほど、今撮ることでまほろの人物像がくっきり浮かび上がってきたんですね。
甲斐:そのときに、水原さんは多国籍な関係でお育ちになり、そのせいで辛い思いをされることがあっても、それを乗り越えて今があるという記事を新聞か何かで読んだことがあり、彼女は自分の存在を疑うまほろを自然に演じられるかもしれないと思いました。昔、CM撮影で1日だけお会いしたときの佇まいがすごく清らかでまじめな感じだったので、まほろのキャラクターを彼女に演じていただけたらと思い、お手紙を添えて脚本をお送りしました。
 
―――わたしはアニエス・ヴァルダが好きなのですが、三浦透子さんが演じる海の女の登場シーンは、思わず『冬の旅』の主人公モナのようと思って見ていました。
甲斐:アニエス・ヴァルダは好きですし、『冬の旅』は改めて見返したぐらいなので、どこかで影響を受けている部分はきっとあると思います。『赤い雪』でマラケシュ映画祭に参加したときに、ゲストで来場していたヴァルダにも会えたんですよ。
海の女は、新次にとって憧れの人であり、自分がそうなりたかった分身のような存在で、主人公たちの中で一人だけ生に執着のない人物なんです。新次がいろいろなものを手放せたら、彼女のようになれたかもしれないという、野生や自然をまとった存在として、三浦透子さんに演じていただきました。
 
―――治療を受けている患者の一人として登場する女性ピアニスト(甲田益也子)の存在は死と向き合い鬱々としている新次とはまた違う雰囲気を放っていましたね。
甲斐:ピアニストは小さいころから色々なものを詰め込んで来られた方で、彼女のように一流になるほどの特訓を受けていなくても、わたしたちは知らず知らずのうちに、受験が加熱していたり、新次の母(斉藤由貴)のように子育てが失敗できないというプレッシャーを抱えていたり、いろんなことで無理やり詰め込むことを強要されているし、自分にも強いている部分があると思うのです。甲田益也子さんが演じたピアニストはある意味その犠牲者でもあり、何かを突き詰めた人でもある。その彼女のクローンが、無邪気に音楽を楽しんでいるわけで、あれはあれで、彼女の記憶のいいところだけを切り取り、洗脳しているわけです。
 
―――良い面しか見せない洗脳というのは、怖いですね。
甲斐:はい、それは現代社会でコントロールされている情報を受け続けているのと同じであり、現実の違和感にうっすらと気づきながらも、立ち止まって選択する力が弱っている気がするんです。だから甲田さんの役を通して、病んだ現代人を描けるのではないかと思い登場させています。
 

■本作に込められた問いとは?

―――新次は最後に「それ」という自分に向き合うというのは説得力がありますね。
甲斐:失くしてしまったものを一つ一つ拾い集めるようで、残酷ではあるけれど、どこかで希望を託せるようでもある。ただクローンを使って延命することが幸せなのかという命題はありますよね。
 
―――『徒花』というタイトルにも関連しますが、失敗だらけの人生でもやり直すというより、そういう人生を受け入れて生を全うすることが自然ではないかと思ってしまいます。
甲斐:無駄ってあるのかなとか、失敗とは?と考えてしまいます。無駄にこそ美があるし、頑張りすぎなくてもいいんじゃないかというメッセージも込めさせていただきました。
 
 
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■変わらずある自然とそれに調和する音を取り入れて

―――近未来ですが、SFっぽすぎない美術と、寺院にいるかのような神聖な気持ちになる音楽がこの作品の深遠な雰囲気を見事に作り上げていました。美術や音楽設計について教えてください。
甲斐:20年前、そう遠くない未来を想定していましたが、出生率も本当に減っているし、労働力が足りないならクローン人間を使おうという発想は平気で起きるし、あとは倫理の問題だろうと思っていました。そういう中でも自然は変わらずにずっとあり、その強さや恐ろしさがあり、常に人間に跳ね返ってくることがあるだろうと思ったんです。ロケ地でとにかくこだわったのは、近未来SFのようにピカピカな場所ではなく、昔かもしれないが未来かもしれないという、どこか懐かしさのある場所で、窓の外の借景はとにかく緑がパワーを持っているところにしたいということ。探すのは大変だったと思います(笑)でも、廃墟が見つかり、剪定されていない分、野生の魔術的なパワーが出ていたので、そこに決めました。
 
―――なるほど、自然と人間との対比もテーマであることがわかりますね。
甲斐:はい。音楽はジャズシンガーのakikoさんと20代のころから仲が良く、コロナ前に『徒花』を読んでもらっていました。コロナ禍になって一番強く、今だから撮るべき作品だと背中を押してくれたのです。彼女は世界中の音楽に詳しいので、音楽プロデューサーになってもらい、その上で脚本の音楽のトーンをふたりで話し合い、作曲家の長屋和哉さんにたどり着きました。長屋さんもチベット僧と一緒に演奏をされたり、サウンドスケープを手がけられているので、今回の音楽に合うと思いました。それだけではなく、モーリス・ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」のようなクラッシック音楽をakikoさんから推薦していただいたり、静かだけれど音楽がかかってるというこの映画のトーンを決めていきました。シンギングボウルの倍音も取り入れ、いわゆる劇伴ではなく、自然と調和をしている音楽で、飽きないような…と考えていきました。
 
―――ありがとうございました。最後に、非常に美しく、写真の中央に染みのように広がっている形状が脳のようにも桜のようにも見える本作のポスタービジュアルについて、教えていただけますか?
甲斐:写真は永瀬正敏さんに撮っていただきました。新次の「それ」は、実は手先が非常に器用で、現実の絵描きのゴーストライターをやっているという設定なんです。彼は全くエゴがないので、他の人の名前で自分の作品が世に出ることに全く抵抗がない。その彼の部屋にどんな絵があるだろうと思ったときに、このロールシャッハ的なアートを飾っていたのです。失った自分と出会い直すような映画なのですが、このデカルコマニー模様は脳にも見えるし、生命にも、桜にも見えると思うし、みなさんにも色々なものを想像していただけるのではないでしょうか。
(江口由美)
 

<作品情報>
『徒花 -ADABANA-』
(2024年 日本 94分)
監督・脚本:甲斐さやか
出演:井浦新、水原希子、三浦透子、甲田益也子、板谷由夏、原日出子、斉藤由貴、永瀬正敏
2024年10月18日(金)よりテアトル梅田/アップリンク京都/シネ・リーブル神戸ほか全国ロードショー
公式サイト⇒ https://adabana-movie.jp/
Ⓒ2024「徒花-ADABANA-」製作委員会 / DISSIDENZ
 
 
 
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 岡山県牛窓にある猫神社こと五香宮に集まる猫たちと、猫を世話する町の人たちから地域コミュニティーの今を映し出す想田和弘監督観察映画第10弾『五香宮の猫』が、2024年10月18日(金)より京都シネマ、19日(土)より第七藝術劇場、26日(土)より元町映画館他、全国順次公開される。
 
 前作の『精神0』(20)から4年ぶりとなった本作では、牛窓の神羅万象に目を向けながら、町を駆け抜け、たくましく生きる猫たちに肉薄。五香宮で地域の人が参加してのTNR活動、自治会会合での話し合いなど、猫たちを巡る問題は、半野生の動物と人間がどう共生していくのかを探る手掛かりにもなる。地域活動に参加する元気な高齢者たちの姿にも勇気づけられることだろう。本作の想田和弘監督に、お話を伺った。
 

 

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■避けてきた地域コミュニティー(自治会)で体感したことは?

―――ニューヨーク在住だった想田さんは前作『精神0』のキャンペーンで2020年、日本が海外からの水際対策をしていた時期に東京滞在をし、そこから岡山県牛窓に転居されたことで、この作品の誕生につながる訳ですが、その経緯を教えていただけますか。
想田:柏木の母が牛窓出身なので、97年に(柏木)規与子さんと結婚してから時々遊びに行っていたのですが、本格的に牛窓が好きになったのは2012年に『演劇1』『演劇2』のプロモーションのため帰国したときです。キャンペーンの合間に空いてしまった1ヶ月間、自然豊かな場所でゆっくりしたいなあと思ったときに、柏木の母の同級生が家の離れを貸してくださり、すごく牛窓が好きになってしまった。近隣の漁師さんと仲良くなり、彼らやこの街を撮りたいと思った結果、2013年に『牡蠣工場』『港町』を撮影しました。以降も休暇のたびに牛窓に滞在していたのですが、『精神0』のキャンペーンでコロナ禍に東京で足止めになったときは、相当キツかったですね。民泊に閉じ込められた状態で、映画館はおろか、どこにも行けなかったので、どこかに逃げたいと思ったとき、行く先は当然牛窓でした。ある日牛窓の海が見える2階の部屋で昼寝をしていると、このままここに居たいなと思ってしまった(笑)
 
―――1ヶ月間滞在するのと住むのとでは、随分違ってくると思いますが。
想田:僕は栃木県足利市出身ですが、そこから東京、そしてニューヨークに行ったわけで、地縁や血縁から逃れ、個人として自由気ままに生きることを志向してきたんですね。でも牛窓に住むとなると自治会に入り、自治会費を払い、近所の草刈りや神社の掃除をするわけで、最初は自分が自分じゃないような感じがしました。でもやってみると案外楽しくて、人間は長い歴史を通じておそらくこうしてずっと生きてきたわけで、それを鬱陶しいものとして排除したことで生まれた弊害はものすごく大きいことに気がつきました。
 
 
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■牛窓暮らしで、人生のプライオリティーが変わった

―――この作品は五香宮にいる野良猫を入り口にしながらも、町のコミュニティーやそこにある自然、生き物など森羅万象が描かれ、主役的な人が存在していたこれまでの作品からさらに高みに到達したような、素晴らしい作品だと思います。前作が2020年だったので、観察映画第10作となる本作ができるまで、結構時間がかかったんですね?
想田:これまでは1〜2年に1本公開するペースで作品を作ってきましたが、今回は4年ぶりとなります。というのも、僕のプライオリティーが変わったのです。ニューヨークで暮らしていたときは仕事が最優先で、それ以外は全て邪魔なものだと蹴散らしてきましたが、今やそれが逆転し、蹴散らしてきたものを大事にし、暇ができたときに映画を作ったり、仕事をしていますね。
 
―――それぐらいがちょうどいいと思います。今は多くの人が世の中の早すぎるスピードに飲み込まれ、気持ちが病んでしまいがちですが、スピードを落としてゆっくり目の前を見ると、豊かなものが見えてくるのではと思いますよね。
想田:はい。目標を設定してそのために何かをやるということばかりしていると、やっていることが全て何かの手段になってしまい、早く済めば済むほど良いことになってしまう。僕の場合は、映画を作ることが最大の使命になっていたので、それ以外のこと、例えばご飯を食べるのも単なる「給油」みたいな感覚でしたが、今はひとつひとつのこと、それ自体に意味があると思って楽しんでいます。食事を作ったり、散歩をしたり、瞑想をしたり、猫と遊んだり、友達と時間を過ごすことを一番大事なことと思い、何かのためではなく、それ自体に意味があることとして暮らしています。なぜだかわからないけれど、そのように切り替わっていったんですよ。
 
―――牛窓暮らしでご自身にも大きな変化があったんですね。
想田:そうですね。例えば猫なんて、明日のために努力しないし、昼寝するときは全力でするし。そこに「いる」ということができるわけです。僕も8年ぐらい前から本格的に瞑想をするようになったのですが、いかに人間にとってここに「いる」ことが難しいか。いくら瞑想で自分の呼吸に意識を集中しようとしても、必ず、今日の晩御飯はどうしようとか、昨日のインタビューはもっとこんなことが言えたのにとか、そんなことばかり頭に浮かんで、ただそこにいるということができない。牛窓の家の庭に樹齢100年以上になる木があるのですが、100年間微動だにせず、そこにいるわけです。そういうものをしげしげと見つめていると、凄いなあって心底尊敬するし、自分のお手本に見えてくるんですよ。
 
 
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■人間がどのように半自然と付き合うのかをテーマに、身構えずに撮る

―――今回は、どういう気持ちでカメラを回しておられたのですか?
想田:最初は規与子さんが地域猫活動のTNR(避妊去勢手術)を手伝うことになり、明日五香宮で一斉捕獲があると聞き、どんな感じなのだろうと興味を抱いてカメラを回し始めたんです。そこから2〜3日五香宮に張り付いていると、いろんな人がやってくるんです。それを気の向くままに撮らせてもらううちに、場として面白いと感じ始め、定点観察するといい映画になる予感がしたんです。そこから結局2年近くカメラを回しました。といっても、最初は毎日のように撮影していましたが、それが一段落した後は、祭りや行事、掃除のある日など、何かあるときに撮影をしていました。
 
―――地域の情報は大事ですね。ちなみに猫はカメラで撮ろうとすると逃げられそうな気がしますが、想田さんのカメラは相当肉薄していましたね。
想田:こちらが何かを撮ろうとすると、猫に伝わり、身構えられてしまうんです。ですから撮るという意識を持たずに撮るという…。
 
―――難易度が高いですね(笑)猫に試されているような。
想田:試されますよ。なるべくそこにいるだけという感じに自分の意識を持っていくようにしています。まあ、それは相手が人間でも同じなんですけどね。観察映画の考えは、何かを撮ろうとするのではなく、よく見て、よく聞いて、そこで発見したことを素直に映画にするわけですから、猫の撮影はその訓練になりますね、
 
―――タイトルにもなるぐらい猫をたくさん撮影して、気づいたことはありますか?
想田:猫は完全に野生ではなく、半自然の存在です。人間の関与がなければ生きていけない動物なんです。野良猫であっても、ずっと撮っていると背後に必ず人間の影が見えてくるので、人間がどのように半自然と付き合っているのかが、一つのテーマになったと思います。
 
 
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■タブーの猫問題に切り込み、猫のいない社会の違和感を想像

―――地域猫についての意見を町の人に聞いておられますが、みなさん、非常に慎重な返答をされていたのが印象的でした。
想田:実は猫の問題は地元ではタブーです。だからこの作品を作ること自体、タブーに触れるような行為でもありました。というのも猫が好きな人と糞尿被害で困っている人がくっきりと分かれていて、あなたはどちらなのと探り合っているところがあります。そういう中で映画を撮るのは緊張しましたし、僕の質問に答えてくれる人もとても言葉を選んでおられましたね。
 
―――映画が進むにつれ、野良猫たちが地域の問題になっていることがわかってきますね。
想田:野良猫の避妊去勢手術は、ある意味妥協策です。猫を世話する側からすると、今後新たな猫が生まれることはないので、今いる猫たちに餌をやることを認めていただきやすいんですね。でも、本当にそのやり方がいいのか。避妊去勢手術を進めていくと、ひょっとすると、近い将来一匹も野良猫がいなくなってしまうかもしれない。そういう社会でいいのかと、避妊去勢手術を自分でも実践しながら、違和感も覚えるんですよ。猫がその辺をウロウロしているぐらいの包容力というかおおらかさが社会から失われている証拠なのではとも思いますよね。ホームレスを排除するベンチと似たようなものを感じます。街が管理され、コントロールが可能になればなるほど、野良猫のように制御不能な存在は生きていく余地が狭まり、排除されていく。これは先進国共通の流れではないでしょうか。
 
―――小学生たちが野良猫たちとじゃれ合うシーンもありましたが、地域の動物と触れ合うことは、生き物との共生を体感する上でも大事なのではと思いますが。
想田:みんなで野良猫の面倒を見たり、ケアをすることができれば、地域にとっても一つのプロジェクトになり得るし、そういうことができれば一番いいのにと、僕のように猫の好きな人間は思うわけです。ただ、彼らの糞尿で悩まれている方もいるので、本当に難しい問題です。
 
 
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■老後のロールモデルに囲まれて、歳をとるのが怖くなくなった

―――本作は牛窓を通して昔の日本のコミュニティーのあり方を描いています。町の風情も素敵だし、典型的な地方の高齢化も映し出していますが、みなさんお元気で、その点でもお手本のようですね。
想田:老後のロールモデルがたくさんいらっしゃるので、以前ほど歳をとるのが怖くなくなりましたよ。この映画に登場する「てんころ庵」という女性が運営しているサロンでは、80代から90代が中心です。女性の方が長生きで、夫亡き後ほとんどがひとりで暮らしていらっしゃる。でも全然寂しそうではなくて、毎週集まっては一緒にご飯を作って食べたり、体操をしたり、生協(共同購入)したりしている。そうやって繋がって入れば家族である必要はなく、ご近所さんでも大丈夫なんですね。僕はニューヨークに住んでいるときは、あまり自分の明るい老後を想像できなかったですが、今は年をとったら猫と遊んで、散歩でもしていればいいんだと思えるようになりました。
 
―――都会から離れ、自然に囲まれた場所で、ご近所さんとのんびり暮らす。いいと思います。
想田:本当は生きることって、シンプルなんじゃないかな。お日さまがあり、きれいな空気と水があり、土があり、そして仲間がいればなんとかやっていける。それだけの話なんですよ。
 
―――五香宮でのご神事も映していらっしゃり、日本の各地で行われている伝統行事を記録することの重要さも感じました。
想田:今はかろうじて五香宮を支えるコミュニティーが維持されていますが、超高齢化しているので、近い将来、五香宮の神事もなくなる可能性があります。そして猫もいなくなってしまうかもしれない。だから、僕が今見ている愛おしい光景を、今回タイムカプセルに詰めるような気持ちで映画を撮ったとも言えます。
 

■アフターコロナのミニシアターでの取り組みと、配信が作り手に与える深刻な状況

―――想田さんは地元岡山のシネマ・クレールさんで、シネマ放談の会を定期的に開催され、好評を博しておられますね。
想田:全国のミニシアターでやってほしいぐらいです!映画をみんなで観て、その後そのまま映画館に残って1時間以上、たっぷりと言いたい放題をするという会で、映画の悪口もOKなんです(笑)。規与子さんも毎回参加していますが、歯に衣着せぬとはこういうことかというぐらい毒舌のときもあって。僕はファシリテーターなので焚きつけるだけ。最初に五つ星を満点として、どの星をつけたかみなさんに挙手してもらうんです。するとだいたい五つ星と一つ星の方がいるので、一つ星の人の方から話を聞いていき、次は五つ星の人が反論するのを聞いていると、みなさん自分の意見を言いたくなってくる。それが本当に楽しいし、常連さんも増えて、お客さん同士のつながりも出てくるので、場としての映画館も盛り上がっていくのではないかと期待しています。
 
―――ちなみにアフターコロナのミニシアターの状況は、どのような状況と認識されていますか?
想田:劇場にもよりますが、コロナで減ったお客さんが戻ってきていないというのはよく聞きます。あと今年はDCPの入れ替え時期なので、そこをどう乗り越えるかですね。もう一つ、DVDが本当に売れなくなったのが結構問題になっています。一般の方は、代わりに配信で稼げばいいじゃないかと思われるでしょうが、配信はほとんど儲けがない。配信されていることでDVDも売れなくなり、映画館でも観客が減るというマイナス効果はあっても、プラス効果になることは見出しにくいですね。一部の人気作品を除き、ほとんどの映画は本当に収入にならない状況です。僕も最近は、配信に出さない方がいいんじゃないかと思っています。ソフトへの揺り戻しがあればいいのですが、なければ製作者も配給会社も両方とも厳しくなりますね。
 
 
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■目指してきた観察映画のコンセプトにすごく近くなれた

―――牛窓の自然をさまざまな天候のもとで撮影したものが、随所に挿入されていますが、日頃から意識的に撮影しているのですか?
想田:さまざまな天候の牛窓を撮りたいとは思ってました。毎朝起きるとランニングするのが日課なのですが、本当に毎日海の色や光が違うし、いつも見とれてしまうんですよ。そういう景色を撮っておきたいという気持ちはずっと持っていたので、それをする良い機会になりました。
 
―――その自然な肩の力の抜けた感じや、想田さんの心持ちが映っていた気がします。
想田:もともと僕が目指してきた観察映画のコンセプトには、すごく近くなれたのではないかという気がしています。ドキュメンタリーといえば、すごい大事件だとか、貧困とか、とても惨めな顛末などを観客が欲望し、それにつられて作り手もそういうものを欲望してしまう。ある意味ディザスターツーリズムのような、人の不幸を飯の種にするところが、どうしてもあると思うのです。一方観察映画は、わたしたちの日常にカメラを向け、観る側がよく観て、よく聞いて、センサーの感度を上げながら、日常生活に起きるさざ波のような変化を捉えれば、それが映画になるという考えなのです。今までもそれを心がけていましたが、そこまで徹底できず、事件やすごい展開を期待してしまう気持ちがずっとありました。でも今回、それは本当になかったです。それどころか、たびたびカメラを回すのを忘れてしまって。例えば、野良猫は寿命が短く、本当によく死んでしまうのですが、誰々が死んだと聞いたら思わずカメラを持たずに駆けつけてしまう。お葬式の後に、「今のを撮っておけばよかった」と思う一方で、世話をしてきた人のことを考えると、撮るのは気がひけるという気持ちもありました。ただ、一度はそういう現実をちゃんと描かなければ嘘がある気がして、一度だけ心を鬼にして撮らせてもらいました。結果的には命のサイクルを描く映画にもなったと思います。
 
―――海外生活の長かった想田さんですが、日本の良さに気づく部分もあったのでは?
想田:すごく日本の良さを見直す機会になりました。猫のことで揉めそうになっても、踏み込む一歩手前で止めるみたいな、衝突を避けるための知恵がありますね。僕自身はいつも踏み込んで、白黒ハッキリさせてきた人間なので、問題自体は解決しなくても、そこで顔を合わせて話すだけで、解決に近い平和が訪れる。そういう発想がなかったので、これはすごいと思いました。
(江口由美)
 

<作品情報>
『五香宮の猫』(2024年 日本 119分)
 監督:想田和弘 製作:柏木規与子
2024年10月18日(金)より京都シネマ、19日(土)より第七藝術劇場、26日(土)より元町映画館他、全国順次公開
※10月20日(日)京都シネマ、第七藝術劇場、11月4日(月・祝)元町映画館にて想田和弘監督の舞台挨拶あり
 公式サイト⇒https://gokogu-cats.jp/
(C) 2024 Laboratory X, Inc
 

 

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ニューヨーク・ブロードウェイの傑作舞台を、日本語字幕つきで映画館で楽しめる「松竹ブロードウェイシネマ」。シリーズ最新作となる傑作ミュージカル『アーネストに恋して』(原題:Ernest Shackleton Loves Me)が、10月4日(金)より全国順次公開される。


Ernest-pos.jpgミュージカル俳優としてあまたの賞に輝き、近年では演出家としても活躍する城田優にインタビューを実施。本作の魅力や、役者陣のすばらしさ、さらには舞台に欠かせない“想像力”の是非についてまで、演者として、ときに演出家としての視点であますところなく語ってもらった。


【STORY】
ある夜更け、出会い系サイトに自己紹介動画を投稿したビデオゲーム音楽の作曲家・キャット。彼女のもとに、突然20世紀を代表するリーダーと称される南極探検家のサー・アーネスト・シャクルトンから返信が届く。南極で船が難破し流氷の上で身動きが取れなくなったアーネストは、時空を超えてキャットにアプローチし、壮大な冒険の旅へと誘う。思いがけないことに、ふたりは互いの中に自らを照らし導く光を見出すのであった。

 


Ernest-shirota-550-2.jpg――映画『アーネストに恋して』をご覧になり、いかがでしたか?

第一印象は、とにかく斬新!登場人物が二人だけで、タイムスリップのようなSF感があり、ファンタジックで、かつヒューマンドラマもミックスされている。これまで多くの観劇をしてきましたけど、そんな僕からしても設定自体の斬新度数がかなり高い1本でした。


――キャット役のヴァレリー・ヴィゴーダ、アーネスト役のウェイド・マッカラムの演技はどう受け止めましたか?

キャット側は膨大な数の楽器を扱うということ、アーネスト側は一人二役という演じ分けと説得力が必要で、それぞれ本当に大変な役だと思いました。特にキャットはバイオリンにギターにマンダリン、ピアノ…あらゆる楽器を演奏しながら演技もされていますよね。よくあるエンターテインメントですけど、ミュージカルでやっているのを僕は初めて見ました。

キャットの作曲家という設定もおかげで違和感がないですし、説得力があり、観ていても面白い。日本のミュージカル界に、同じようなことをやれる俳優はいるのかな?と思います。本当にレベルが高いことをしていらっしゃると思いました。


Ernest-shirota-500-1.jpg――二人芝居という独特の空気感の中で、特に印象的だったシーンはありますか?

いやあ、ずっとすごいと思っていましたよ…!キャットのド頭の音楽のシーンは、とにかく好きでした。あのシーンで、「この作品は楽しんでいいんだな」とお客様が思える方向に導いていて、トゥーマッチなシリアスにならない感じが、この作品を観るにちょうどいい入り口になっているんですよね。


僕は常々、お芝居には想像力が必要だと思っているんです。特に、本作は100年前の偉人と出会い系サイトで知り合い、その二人が南極という僕らが知らない場所に冒険に行くという突拍子もないストーリーですよね。それを信じる想像力、客席に「いやいや、そんなわけ」と冷静にさせない力があるので、そういう意味でも頭の導入がすごい肝だと思いました。いかにお客さんに想像させられるかというのが僕らの仕事なわけで、いわゆるただの会話劇よりも、よっぽど想像力がないと、役者も観る側も楽しめない作品だと思いました。


――キャットはアーネストに出会い、彼のポジティブさに背中を押され自分の人生を切り拓いていこうとします。その描かれ方については、どう感じましたか?

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観る人たちみんなが共感するような、とても人間らしいキャラクターですよね。キャットは出会い系サイトで年齢を偽り、仕事もピンチで、子の父である彼氏ともうまくいっていない。全然、純風満帆ではないんですよね。でも、世の中に生きている人たち、僕も含めて誰もが「自分だけなんでこういう思いをするんだろう?」と思って生きていると思うんです。そこで感情移入の心が生まれるわけです。

キャットは非常にファンタジックな出会いを経て、アーネストに冒険にいざなわれる。冒険=未知なる世界なので怖いけど、そんな人の心を「せっかく1回の人生なんだから、アーネストみたいに冒険しよう」と思わせてくれる。たとえ危険な旅になろうと、自分が知らない世界を知り、突き進んでいく力みたいなものが、キャットもアーネストと出会い、彼と一緒に冒険の片鱗を見て湧いてきたんだと思うんです。「うまくいかなくてもいい、とにかく諦めてたまるか」というマインドが、時に恋や仕事、友情や趣味などの“愛”というものに変換されてエネルギーになると思うんです。彼女の場合はそれがアーネストという存在だったんだなと思いました。
 


Ernest-shirota-550-3.jpg――最後に、本作は『キンキーブーツ』なども上映した「松竹ブロードウェイシネマ」の最新作です。ブロードウェイの舞台を日本の劇場で観られることについて、城田さんはどう感じますか?またもし本作のアーネスト・シャクルトンと『キンキーブーツ』のローラの共通点があれば教えてください。

ふたりの共通点はチャーミングなところですかね。本取り組みに関してはポジティブなことから言えば、ブロードウェイに行くにはお休みを取り、渡航費、滞在費、観劇の費用など、本当にお金がかかります。どんなに行きたくても、なかなか自由に行けないと思うので、観られないお客様たちにとっては本当に救いでしかないシステムだと思います。現に、僕自身もこの作品を映像で観させていただきましたし、非常に恩恵を受けています(笑)。

その一方で、演者側からすると、生の良さというのがあるんですよね。ミュージカルはその時の役者、お客様との相性で作り出されるものだから、一公演一公演、同じシーンでも違ってくるんです。その瞬間に生まれたエネルギーを生で感じることに価値があるとも思うので、こうした上映サービスも取り入れながら、生でも観ていただければと僕は思います。
 


《松竹ブロードウェイシネマ》『アーネストに恋して』

演出:リサ・ピーターソン 
Ernest-550.jpgのサムネイル画像脚本:ジョー・ディピエトロ 
作曲:ブレンダン・ミルバーン 作詞:ヴァレリー・ヴィゴーダ 
監督(シネマ版):デイヴィッド・ホーン
出演:ヴァレリー・ヴィゴーダ
 (俳優、ミュージシャン、作詞・作曲家、ディズニー楽曲のクリエイター)
   ウェイド・マッカラム
 (俳優、ダンサー、歌手、作曲家、脚本家、映像作家、演出家)
配給:松竹 ©BroadwayHD/松竹
ⒸJeff Carpenter
(原題:Ernest Shackleton Loves Me 2017年 アメリカ 1時間28分)

■公式サイト: https://broadwaycinema.jp/
www.instagram.com/shochikucinema/
www.facebook.com/ShochikuBroadwayCinema
■twitter.com/SBroadwayCinema

★2018年ルシル・ローテル賞ミュージカル部門主演男優賞 ウェイド・マッカラム(ノミネート)
★2017年オフ・ブロードウェイ・アライアンス最優秀ミュージカル賞受賞

2024年10月4日(金)~東劇、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、kino cinema 神戸国際 他全国公開!


(取材、文:赤山恭子、写真:高野広美)

   

 
 
 
 
 
 
 
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  俳優の瑚海みどりが自ら脚本を手がけ、アスペルガー症候群の中年女性とその夫が子どもを巡り、お互いの本心をさらけ出して受け止めるまでの葛藤を描き、田辺・弁慶映画祭でグランプリ・観客賞など5冠を達成した長編デビュー作『99%、いつも曇り』。
本作が、《田辺・弁慶映画祭セレクション2024》として、9月25日(水)にテアトル梅田で1回限定上映、9月27日(金)より佐賀THEATER ENYA(シアターエンヤ)、9月28日(土)より名古屋シネマスコーレにて1週間限定公開される。
瑚海みどりが演じる主人公一葉の他人とうまく歩調を合わせることができない凸凹ぶりと、常に全力で生きるパワーが突き抜けており、「40代〜50代の女性を等身大で描く作品が実に少ない中、こんなキャラクター/映画を観たかった!」と大阪・シアターセブンや神戸・元町映画館での上映で好評を博した作品だ。
   本作の瑚海監督にお話を伺った。
 
 

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■アスペルガーの傾向がある人はすごく真面目、全力で生きている

―――本作では大人の一葉だけでなく、子ども時代の一葉が通常なら内緒にすることをしゃべってしまい、友達にきつく言われるシーンもありましたね。
瑚海:一般的な常識やお約束について、ハッキリと説明してくれないとわからない。額面通り受け取ってしまうので、相手は冗談のつもりでも、こちらは真剣に受け取って怒ってしまうこともあります。わたしの体験だけでなく、アスペルガーの傾向がある人を観察していると、みなさんものすごく真面目なんです。他人から見れば眉をひそめたくなるような言動であっても、本人はすごく真剣に考えて発言している。それが理解できると、すごく愛おしく思えるようになるのです。
 
―――本当に、一つ一つを理解しようとし、わからないことを適当に流さないというのは、大変労力がいるだろうなと想像します。
瑚海:みんなから見るとそう思えないかもしれませんが、わたし自身も毎日ものすごいパワーで生きている。全力で生きているので、本当に疲れるんですよね。
 

■映画を通じて同じように悩んでいる人の力になれば

―――アスペルガー症候群の女性を自ら演じた作品を撮ってみて、客観的に自らの状況を見つめることができたのではないかと思うのですが。
瑚海:よく「力を抜けよ」と言われましたが、それができないからこういう生き方をしているんですよね。わたしも10代のときから苦しかったし、一葉のセリフにもありましたが、「自分の子どもにこの遺伝子を受け継がせたくない」というのは、わたしの本音です。自分の子どもを産まないという一葉の選択も、それでよかったと自分を肯定する意味があり、実際にご覧になった方から「自分も同じ気持ちです」と声をかけていただいたこともありました。
これだけたくさんの人間がいる中で、わたしと同じように悩んでいる人の力になればと思って作った映画が、本当にそういう方に届き、支えになれているのなら良かったですし、わたしの悩んでいることを、同じ悩みを持つ方や、そのほかのみなさんと映画を通じて共有し、それがなんとなく伝わって広がっている手応えを感じています。
 
―――ちなみに瑚海さんは、小さい頃から演じるのが好きだったのですか?
瑚海:幼稚園時代のお遊戯会では木の精みたいな小さな役だったけれど、そこから喜びを感じはじめていたかもしれません。小学2年生の学芸会で役決めをするとき、主役に手を挙げていて、その姿を俯瞰して見ているもう一人の自分が「わっ!」とビックリしたんです(笑)もう一人候補の子がいたけれど、クラスのみんながわたしを推してくれ、みんなが認めてくれたことが嬉しかった。でも当時はすごく恥ずかしがりで、クライマックスで「神様、助けてください」と言う場面でも、緊張してセリフが言えずにただ泣いているだけだったんです。それを周りは「熱演だ!」と思ってくれたんですよ。そこからわたしの中で演じることへのエンジンがかかっていきました。中学時代は演劇部の雰囲気が肌に合わなかったので、家で一人芝居をしていたし、それだけ演じることをやりたかったんでしょうね。
 
―――女性の場合、年齢が上がれば演じる役が狭まり、ステレオタイプな役ばかりになりがちです。演じるのが好きなのに、やりたい役を演じられないという葛藤はなかったですか?
瑚海:若い頃から、映画において女の人は歳をとるとおばさんか、お母さんの役しかないのでつまらないと思っていました。演劇はまだ役の幅がありますが、映画では、例えば吉永小百合さんが演じるような優しいお母さんか、大竹しのぶさんのような奇天烈なお母さん、さらには八千草薫さんみたいな優しいおばあちゃん、後は近所の悪口を言っているおばちゃんというように、中年以降の女性の役がかなりステレオタイプなものしかなかった。でも世の中にはたくさん色々な人がいるし、高齢化が進行してもっと社会で活躍している女性がたくさんいる。それなのに、日本ではそういう女性たちが物語にならないですよね。
ヨーロッパでは母を大事にする文化があるので、中年女性の生き方やその人なりの悩みを描くことが多いんです。
 
 
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■当事者意識を持てるリアルなセリフを書く

―――実際に自分の演じたい役を自ら作るために、監督をして映画を作る方も増えていますね。本作では出産ギリギリの年齢を迎えている夫婦が子どもについて激論を交わす場面もありますが、脚本を書く上で大事にしたことは?
瑚海:わたし自身の過去を振り返ってみると、もう離婚しているのですが、当時の結婚相手は再婚で実子はいるけれど、わたしと新たに子どものいる家庭を作りたがっていました。ただ、わたしは自分のために生きたかった。誰かのために生きるとしても、この作品のように自分が作り上げたものを通して誰かの役に立てればという気持ちであり、子どもを産んで子どものために生きるということではなかった。自分が何者になるのかを考え続けている人生ですから、夫との間に子どものいる人生が見えない。そういう自分のリアルな経験を借りて脚本に取り入れている部分はあります。実際、わたしの俳優仲間でも子どもを産み育てている人は数えるぐらいしかいない。そういう姿や会話の中から垣間見える部分から、自分の中で想像を膨らませました。
特に心がけたのは、リアルに書くこと。メルヘンのようにしてしまうと、途端に他人事と捉えられてしまうので、できるだけ当事者意識を持てるリアルなセリフを書いています。実際、自分のことを吐露するのは恥ずかしいですが、映画を作るなら、そこを徹底的にやらなければ作る意味がない。結局半分以上は自分の悩みや思いをもとに書いていきました。
 
 
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■周りの人をしっかり描かなければ、助け合っているところが見えてこない

―――映画が後半になるにつれ、夫、大地の会社での状況や一葉の言動に苛立つ様子なども夫側の心理描写も実にリアルだなと。
瑚海:アスペルガー症候群の女性を描こうとすると「この人はかわいそうだ」という映画になりがちですが、別にそういうことを描きたいわけではないんです。誰しもが自分の人生の主役ですから、一葉だけを描いたら気持ち悪い映画になってしまう。加えて、発達障害支援センターへ取材に行ったとき、センターの方から「支えている人たちは大変ですから、(現実味のない)きれいな話にしないでください。」と伝えられました。一葉の周りの人を描いていかなければ、お互いに助け合っているところも見えてこないので、その部分は丁寧に描いていきました。夫の大地については、わたしの元夫が自分のことを大事にしてくれたことに感謝を込めて描いています。お互いに思い合っているけれど、それがだんだんズレてきて、自分の思う通りにはいかない。会話をすればすぐに紐解けることが、お互い勝手に想像してしまう。そういうリアルなところもわたしの体験から描いています。
 
―――一葉の特徴でもあるのが、受け子だと追いかけた子どもが、帰る家がないことがわかり自宅でカレーを食べようと誘うくだりです。他人に対する垣根の低さを感じたし、最初はそのことに不機嫌だった夫の大地も、最後には疑似家族のような状態を受け入れていた気がします。一葉の友人もしかり、周りのキャラクターについて、どういう狙いで作られたのか教えてください。
瑚海:ドラマを描く場合、主人公が個性的なキャラクターだとそれ以外の人が色のないキャラクターになってしまうとか、もしくは何でもできてしまうようなキャラクターが多かったりするけれど、リアルな生活の中で周りの人間はもっと色々な人たちがいて当然じゃないですか。だから主人公だけを目立たせるのではなく、他の登場人物も「おや?」と思わせる部分を見せたかった。またわたし自身が、いろいろな苦悩を正直に抱えて生きている人に親しみを感じ、ホームレスのおじさんに自分から話しかけたり、お弁当をあげたりしたこともありますし、ゲイの友人もたくさんいます。そんな自分の傾向を一葉に当てはめているところがありますね。リアルどころか、個性的な人間大集合になってしまいましたけれど(笑)。
 
 
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―――なるほど、カラフルな人間たちを描いているわけですね。
瑚海:受け子の子どもについては、一葉は例のごとく一生懸命だから、犯人だと思ったら必死で追いかけるし、その子が帰る場所がないと聞いたら、どうしようかと一生懸命考えて「うち来る?」と声をかけたわけです。ただ、それで我が子にしてしまおうというような安易なことはさすがにしない。一葉のような人間にとって、他人と生きていくのはとても難しいわけですから、その子が可哀想だと思うなら働く場所を探してあげて、たまに遊びに来るぐらいの関係でいるのが現実的ですよね。最後にカレーをみんなで食べている一連のシーンは、ある意味お客さまを、意図的にミスリードしています。
 
―――夫の大地はとても子ども好きのように映りますが、あえて彼を一葉以外の家族がいない孤独な設定にした理由は?
瑚海:大地を八方塞がりにして、一葉を失えば自分ひとりになってしまう状態にしています。会社には自分を気にかけ、励ましてくれる後輩の樹里がいるけれど、結婚生活15年の大地は家族を大切にする人なので、一葉が突拍子も無いことを言い出したとて、すぐに離婚とはならない。一方、一葉は大地と樹里とのことを誤解したり、自分がいない方が大地のためにいいと思ってしまう。そこも夫婦間でズレているわけです。
 
 
 

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■ビジュアルやアートが得意なキャラクターを視覚的にも際立たせて

―――映画全体も色使いがとてもカラフルですね。音楽も最初からガンガン飛ばしてきますし、映画全体のトーンについてお聞かせください。
瑚海:アスペルガーの傾向にある人は、視覚の記憶が残っていることもあり、ビジュアルに関する仕事やアート系の仕事が得意なことが多い。わたしも俳優を辞めてグラフィックデザインをやっていた時代がありましたし、そういう傾向の方のYoutubeを見ても、ファッションがすごくオリジナリティがあってオシャレなんです。一般的な女性雑誌に載るスタイルよりもパンクな感じだったり、髪型や髪色もユニークなので、一葉にもその傾向を当てはめたいと思いました。色はキャラクターごとに分けており、一葉は赤、大地は青という対照的な感じにしています。暖色系と寒色系でうまく凸凹としてはまるようにしました。
 
―――音楽は34423(みよし ふみ)さんですね。
瑚海:ふみさんはシンセサイザー系の音楽が得意な方で、「ふみさんの面白いと思うものでミックスしてください」と劇伴をオファーしたんです。まずは一度作ってからという話でしたが、最初にふみさんが作ってくれた曲がすごくカッコよくて、一曲目はすぐに決まりました。一葉がサイケな感じでスーパーから出て来るのですが、冒頭は一葉のことを印象付けるシーンなので、ふみさんはそれを分かって音楽を作ってくれたんです。ふみさんも一曲目で感じを掴めたので、その後の曲は作りやすかったのではないでしょうか。
 
―――「こんな風に女性を描く映画を待っていた」と我々は本当に喜んでいるのですが、次回作の構想はありますか?
瑚海:今回とは全く違う、サスペンスをやりたいと思っています。主人公は中年の姉妹で、仲良くしていても、同性であればすごく意識していると思うのです。特に姉が妹にライバル意識を持っていると、妹は自分の気持ちが弾かれて姉を愛せなくなってしまう。大人になっても拭えない姉妹関係が、周りの話を聞いていても結構多いので、そういうリアルな話にしたい。これからどうやって生きていけばいいのかということに悩んでいる部分もみんなと共有していきたいので、自分が歳をとるのと同じ歩幅で、同世代の女性たちを描いていきたいですね。
(江口由美)
 

<作品情報>
『99%、いつも曇り』
(2023年 日本 123分)
監督・脚本:瑚海みどり 
出演:瑚海みどり、二階堂 智、永楠あゆ美 
2024年9月25日(水)20:30よりテアトル梅田で1回限定上映
※上映後、瑚海みどり監督の舞台挨拶あり
 
2024年9月27日(金)〜10月3日(木)@佐賀THEATER ENYA(シアターエンヤ)
※9月29日(日)瑚海みどり監督、曽我部洋士(出演)による舞台挨拶あり
2024年9月28日(土)〜10月4日(金)@名古屋シネマスコーレ 
※9月28日(土)瑚海みどり監督、永楠あゆ美(出演)による舞台挨拶あり
 
公式サイト⇒https://35filmsparks.com/ 
©35 Films Parks
 
 
 
 

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