2022年8月26日(金)なんばパークスシネマ
ゲスト:赤井英和、SHINGO★西成
司会:津田なおみ(敬称略)
甦る“浪花のロッキー”こと赤井英和の栄光の日々と、
死線をさまよった挫折の日々。
息子が撮った破天荒だが愛されキャラの元プロボクサー・父の実像。
12試合連続KO勝ち、しかも1Rで――ノンタイトル戦ながら対戦相手にボクシングをさせる間もなく瞬殺。 “浪花のロッキー”と呼ばれた赤井英和の圧倒的強さは当時の大阪の人々を熱狂させた。現在、俳優・タレントとして芸能界で活躍しているが、かつてケンカの強さでその名を轟かせた根っからのファイターである。高校入学後、先輩に誘われて入ったボクシング部で最初は雑用ばかりやらされ、いきなり試合に出ろと言われる。何をすればいいのかも分からず断ると、「どついたったらええねん」と言われ、さらにルールも知らないと断ると、「蹴ったらアカン、噛みついたらアカン…」とまあこんな調子で赤井英和のボクサー人生が始まることになる。
赤井英和は、1989年のロングランヒットを飛ばした阪本順治監督の映画『どついたるねん』で一躍芸能界にもその名が知れ渡ることになるが、当時の試合映像を見ることはあまりなかった。本作では、連続KO勝ちの試合の様子や、最後の試合となった大和田正春との試合など、さらに息子の活躍を見守る両親の様子や、負傷して生死をさまよい再起不能と宣告されながらもリハビリに励む様子など、過去を振り返りながら語る現在の赤井に密着している。赤井の長男・英五郎が監督・編集しているせいか、時折本音をのぞかせるリラックスした様子がまた赤井英和の愛されキャラの魅力を感じさせる。
監督曰く、「父は猪突猛進型で、過去も未来も考えられず、今の瞬間しか生きられない男」。だからこそ率直な物言いしかできないのだろう。その飾らない人間味のある人柄に惹かれるのかも知れない。そして、「これまで父をはじめ家族を支えてきてくれた方々への感謝を込めたビデオレターとしてこの映画を作りました」と語っている。破天荒な父親への息子からの貴重な贈り物のような作品だ。
9月9日(金)からの全国公開を前に、なんばパークシネマで開催された一般試写会での舞台挨拶に登壇した赤井英和。地元大阪での開催とあって、赤井英和の応援団の皆さんや大勢のファンが詰めかけた。試写会の前に、道頓堀では赤井英和自ら道行く人々に映画のチラシを配りながら練り歩くというイベントもあり、ほんまもんの赤井英和に驚きながらも、一緒に写真撮ったり、応援の声を掛けられたりしていた。舞台挨拶ではサプライズとして、本作のエンディング曲を歌っている「SHINGO★西成」が応援に駆けつけてくれて、ナマ歌を披露して会場を沸かせた。
〈以下はトークの全文です〉
――最初のご挨拶
赤井:本日はご来場下さいまして誠にありがとうございます。世の中、コロナやいろんなことで大変な状況ですが、私自身が実際、脳挫傷、硬膜下血腫、芯昏睡と死にかけた事がありましたが、こうして元気でやっておりますので、この映画を観て元気を取り戻して頂きたいなと思っております。本日はよろしくお願いいたします。
――どうしても赤井さんが大阪にいらっしゃると、「お帰りなさい」と言いたいのですが、赤井さんは如何ですか?
赤井:「ただいま!」という感じです(笑)。
――今日は道頓堀辺りから歩いていらっしゃったそうですが?
赤井:はい、道頓堀からずっと出会う人みなさんに映画のチラシを渡しながら歩いてきました。行ったり来たりしながら、映画の宣伝をさせて頂きました。
――主演の方がチラシ配り!? 皆さんの反応は如何でしたか?
赤井:一緒に写真撮ったり、「ええっ、ほんまに?」と驚いて頂いたり、「映画観にいくいく!」と言って頂いたりして嬉しかったです。
――やはり大阪の方の反応は違うなと感じることはありますか?
赤井:地元、西成、釜ヶ崎、あいりん地区出身ですから、今も歩いていたらニッカポッカ履いてるおっちゃんが、「お帰り!」てな感じで言うてくれますんで、帰ってきたなという感じですね。
――息子さんが監督してお父さんの映画を撮るなんて、珍しいことだと思いますが?
赤井:ぜんぜん知らんかったんですよ。YouTubeで「おおきに、赤井英和」というのをやってたんで、その中のインタビューかなと思ってたら、まさかこんな映画を作ってるなんて思ってもみませんでした。嫁さんも僕には全然言えへんかったんですわ。なんでや言うたら、「先に方々で言うてしまうから、アイツは!」って、教えてもらえへんかったんです。つい最近、試写室で観て、「こんなん作ってたんや~」とびっくりしました。若い時の自分の試合を見て、今まで沢山のファイターを見てきましたけど、あんなアグレッシブルでメチャクチャなファイターはおれへんかったな~と、当時も大阪の皆さんに応援して頂いて、私の試合の時は大阪中が祭みたいになってましたから、懐かしく思いました。
――この映画ではファイティングシーンが沢山出てきますが、当時の気持ちとかも思い出しましたか?
赤井:勿論です。21回試合やってきましたが、あの時はこうだった、あ~だったとか思い出しました。最後の試合で、試合中の事故でダメージを受け、開頭手術をし、脳挫傷、硬膜下血腫、芯昏睡となり、両親は医者に「8割は諦めてくれ」と言われてたんですが、今こうして元気でやってますので、何とかなります。明日という字は明るい日と書きますが、世の中こんな状況ですが、気持ち入れて本気でやったら何とかなるんじゃないかなということが、この映画から伝わってくると思います。
――今もカッコいいんですが、この映画のポスターの赤井さん、メチャメチャカッコいいですよね?
赤井:ありがとうございます。丁度世界タイトル戦の前です。知り合いから紹介して頂いた坂東玉三郎さんから篠山紀信先生を紹介して頂いて、玉三郎さんが篠山紀信先生に「撮りなさいよ」と言ったら、「私はこの人知らないから撮らない」と言われて、玉三郎さんが「いいから撮りなさいよ!」と言って頂いて撮ってもらった写真ですね。丁度23歳の時です。
――試写でこの映画をご覧になって、その後監督である息子さんと何かお話されましたか?
赤井:私の現役時代のことを残してくれて、ありがとう!と感謝の気持ちを伝えました。
――これでご家族の絆も強まったんじゃないかなと思います。赤井さんがこうやって大阪に戻って来られると、赤井さんの沢山の応援団の方が来て下さってますが?
赤井:学校の後輩とか仲間とか串カツ「だるま」の会長とか、いつも応援してもらって、またこうして沢山の方に来て頂いて、本当に嬉しく思います。ありがとうございます!
――今日は、その応援隊として特別にお越し頂いてる方がいらっしゃるんですよ。
赤井:ええっ、誰ですか?
――ご紹介しますね。この映画のエンディングテーマを歌って下さってます…
赤井:SHINGO★西成!?えええええ~!!!
――同じ西成ご出身ということもありまして、今日は駆けつけて下さいました。SHINGO★西成さんのご登場です!
(SHINGO★西成の登場!)
SHINGO:誰や誰やて、俺や俺や!(客席に向かって)みなさん今日はお越し下さいまして誠にありがとうございます!
――お二人はいつからのお知り合いなんですか?
赤井:いつからって、小学校の後輩やな。あんまり小学校の後輩って言わんけどな(笑)。
SHINGO:赤井さんは、自分にとっても、地元にとってもヒーローです!
赤井:今は疲れてもうた「ひーろー」やけどね(笑)。
――出ました、オヤジギャグ!エンディング曲にSHINGOさんの「独立記念日」という作品が使われていますが、どういう経緯で使用されることになったのですか?
赤井:監督の英五郎がずっとSHINGOのファンで、是非SHINGOにいちゃんの曲を映画に使わせて頂きたいとお願いした次第です。
SHINGO:いつも赤井のにいちゃんは、「SHINGO元気か~?」って、こういう浮き沈みのある仕事してる俺のこと気に掛けてくれるんですよ。その息子も気に掛けてくれて、「行こうぜ!」と言ってくれたんでやりました。
――エンディング曲のお陰で映画がキュッと締まるような感じがして、とても素敵なんですけど……ちょっと聴きたいような……?
(客席からも拍手が起こり、ちょっと歌って下さることに――)
SHINGO:俺は家賃4,100円の高速の下の育ちなんですけど、「どうせ俺なんか、どうせ僕なんか」と言って(卑下して)来たんです。そんな中で、赤井のにいちゃんが「やったらできる!」とか「お前ならできる!」と言ってくれたんで、俺は今でも焦らず、腐らず、諦めずにやってます。にいちゃんの背中を見て、これからもまた伝説は続くんやなあと思って、歌わせてもらっていいですか?
赤井:え~い!(拍手)
「独立記念日」熱唱!
――最後のご挨拶を。
赤井:2か月に近い入院生活を送って、8割方は諦めてくれと親は医者に言われて死にかけた私でも、今でも元気に生きております。明日が明るい日になるよう、これからも一所懸命生きていきますので、どうか皆さんも明るい明日を目指して、頑張って生きて下さい。本日はどうもありがとうございました!
『AKAI』
監督・編集:赤井英五郎
出演: 赤井英和
公式サイト: https://gaga.ne.jp/akai_movie/
配給:ギャガ
映像協力: 朝日放送テレビ、坂本順治(『どついたるねん』監督)
©映画『AKAI』製作委員会
2022年9月9日(金)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、kino cinema神戸国際 ほか全国ロードショー
(河田 真喜子)