レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

『それは息子だった』ダニエーレ・チプリ監督トーク《イタリア映画祭2013》

musuko-550.jpg

『それは息子だった』ダニエーレ・チプリ監督トーク《イタリア映画祭2013》

 

(È stato il figlio 2012年 90分)
監督:ダニエーレ・チプリ
出演:トニ・セルヴィッロ、ジゼルダ・ヴォローディ、アルフレード・カストロ、ファブリッツォ・ファルコ、

(大阪では、5/12(日)13:40~上映)

★《イタリア映画祭2013》座談会の模様は⇒こちら
★《イタリア映画祭2013》開会式と作品紹介は⇒こちら

★『赤鉛筆、青鉛筆』ジュゼッペ・ピッチョーニ監督トークは⇒こちら



~悲劇をブラックユーモアに転化できるイタリアのパワー~

 

 郵便局のロビーでひとりの男が、このパレルモで起こったある事件について語り出す。それは悲劇から始まり、奇怪な程の変遷を経て幸運を掴み、さらにそこから想像を絶する劇的顛末へと導く。謎めいた話の展開に他の待合客も引き込まれていく。物語もさることながら、父親を演じたトニ・セルヴィッロは、『湖のほとりで』『イル・ディーヴォ』『ゴモラ』『至宝』などでも強烈なインパクトを植え付けた名優。今回もお金によって怪物と化す、まさに怪演で見る者を圧倒する。

 年老いた両親と妻と収入のない息子と幼い娘の6人暮らしのニコラ。生活はニコラひとりの肩に掛かっており、毎日廃棄された船舶などから資材集めに精を出していた。ところがある日、最愛の娘がマフィアの抗争に巻き込まれ死んでしまう。悲嘆にくれるニコラだったが、多額の賠償金を政府から支払われること知って、その受領に悪戦苦闘する。待ちに待った賠償金を手にしたニコラは、分不相応な高級車を買って、人が変わったように働かなくなる。そして、さらに悲劇がこの一家を襲う。

chipuri-1.jpg このような劇的展開でカタルシスを感じさせてくれる映画も珍しい。『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』で撮影監督を務めたチプリ監督は、時代の変遷や、大きな集合住宅に向かう登場人物たちの後姿や、賠償金を得てからの生活の変化など、目に焼き付くような色彩や強いコントラストの映像でいやがうえにも釘付けにする。背景に流れるオペラ楽曲がまた劇的展開を助長する。だが、この映画は決して暗くて重い悲劇ではない。どこか愚かしい人間の営みの中に笑いを誘う描き方をしていて、そのユニークな演出と怪優たちの競演がまた面白い。

(河田 真喜子)



――― はじめに。
ダニエーレ・チプリ監督:この映画を紹介できてとても嬉しいです。シチリアで実際に起こった事件を基に作られています。

――― この物語との出会いと、映画化のキッカケは?
ロベルト・アライモ原作の小説を映画化しないかと持ちかけられたが、数か月迷っていました。最初飛ばし読みして、この小説のリアリズムとうまく折り合いがつかなかったのです。でも、ある日郵便局へ行って順番を待っていたら、ある男が来て独り語りを始めました。彼の現実認識が自分が小説と対峙する様子と重なり、これは映画化できる!と思ったのです。将来を絶たれた少年を主軸にし、一体この少年に何が起こったのか?と謎をかけながら引き込む。実際この事件の裁判記録を読んでリサーチしました。35年も服役したそうです。

chipuri-2.jpg――― ラストでおばあさんが突然リーダーシップをとってびっくりしたが、観客の反応は?
どこの国に行っても、観客の反応を見たいので上映中はなるべく客席にいるようにしています。やはりラストシーンはドラマチックで、反響は大きい。この家族は貧しい暮らしの中でお金を求めて止まないという、イタリアではごく普通の一家。あまり重くなり過ぎないよう、アメリカのアニメ『ザ・シンプソンズ』のような一家を想定しました。イタリアでは似たような事件はよく起こっていて、少年は母系社会の犠牲になったと思っています。そこで、原作と違って、祖母の存在を際立たせて恐ろしい形相で表現したのです。

――― 製作するまでのイメージは?
私の仕事の仕方は変わっていてハチャメチャなので、脚本は共同で執筆することにしています。そこから絵を空想して描き出す。自分の中にストリーテラーのような語り部がいて、子供の頃からあり得ない場所を想像するのが好きでした。今回はまずパレルモの要塞のような街(島)を想像し、そこに役者を設定し、演劇的な演出と映画をミックスさせる方法で撮影に入りました。

 

月別 アーカイブ