『イタリア映画祭2013』開会式と作品紹介
(左から、ジュゼッペ・バッティストン(俳優)、カルロッタ・クリスティアーニ(編集)、ジュゼッペ・ピッチョーニ監督、フェルザン・オズペテク監督、エドアルド・ガッブリエッリーニ監督、イヴァーノ・デ・マッテオ監督、ダニエーレ・チプリ監督)
①『イタリア映画祭2013』東京
会期:4月27日(土)~29日(月・祝)
5月3日(金・祝)~ 6日(月・休)
会場:有楽町朝日ホール(千代田区有楽町2-5-1 マリオン11階)
②『イタリア映画祭2013』大阪
会期:5月11日(土)~12日(日)
会場:ABCホール(大阪市福島区福島1‐1‐30)
★ 座談会の模様は⇒ こちら
★『赤鉛筆、青鉛筆』ジュゼッペ・ピッチョーニ監督トークは⇒ こちら
★『それは息子だった』ダニエーレ・チプリ監督トークは⇒ こちら
公式サイト⇒ http://www.asahi.com/italia/2013/
今年で13回目を迎える「イタリア映画祭」。4月27日午後6時から開会式が行われ、上映作の監督5人と編集者1人、出演者1人が登壇した。今年は東京で13本、大阪では7本上映される。移民問題を扱った作品が多かった昨年に比べ、今年は経済格差による犯罪や家族問題を扱った作品が目立った。中でも、『素晴らしき存在』『それは息子だった』『赤鉛筆、青鉛筆』『家の主たち』『司令官とコウノトリ』など、イタリアならではの様々なテーマを個性豊かにとらえた作品は目を引いた。それは、作品毎にカメレオンのごとく変化する巧みな俳優たちと、狂気や希望、悲哀、情愛など、鋭い洞察力で人間を深く見つめた作り手の表現力によるところが大きい。
以下は、鑑賞した13作品を少しご紹介したい。ゲストによるトークショーの模様は、順次紹介予定。
【作品情報】
① 『素晴らしき存在』フェルザン・オズペテク監督(大阪では、5/11(土)12:30~)
2012年/105分/Magnifica presenza (Ferzan Ozpetek)
② 『それは息子だった』 ダニエーレ・チプリ監督(大阪では、5/12(日)13:40~)
2012年/90分/È stato il figlio (Daniele Ciprì)
2012年/108分/Il comandante e la cicogna (Silvio Soldini)
④ 『家の主たち』エドアルド・ガッブリエッリーニ監督
2012年/90分/Padroni di casa (Edoardo Gabbriellini)
2012年/90分/L’intervallo (Leonardo Di Costanzo)
⑥ 『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督
(大阪では、5/11(土)17:50~)
2012年/129分/Romanzo di una strage (Marco Tullio Giordana)
⑦ 『綱渡り』イヴァーノ・デ・マッテオ監督
2012年/100分/Gli equilibristi (Ivano De Matteo)
⑧ 『天国は満席』カルロ・ヴェルドーネ監督/2012年(大阪では、5/12(日)18:20~)
119分/Posti in piedi in paradiso (Carlo Verdone)
⑨ 『赤鉛筆、青鉛筆』ジュゼッペ・ピッチョーニ監督(大阪では、5/12(日)11:00~)
2012年/98分/Il rosso e il blu (Giuseppe Piccioni)
⑩ 『家への帰り道で』エミリアーノ・コラピ監督
2011年/83分/Sulla strada di casa (Emiliano Corapi)
⑪ 『ふたりの特別な一日』フランチェスカ・コメンチーニ監督
(大阪では、5/11(土)15:20~)
2012年/89分/Un giorno speciale (Francesca Comencini)
⑫ 『来る日も来る日も』パオロ・ヴィルズィ監督(大阪では、5/12(日)15:55~)
2012年/102分/Tutti i santi giorni (Paolo Virzì)
⑬ 『リアリティー』マッテオ・ガッローネ監督
2012年/115分Reality (Matteo Garrone) 特別上映作品
~イタリアにトリップしてナマな現実に触れる~
多様なジャンルの映画13本が上映された。うち12本が2012年製作で,残り1本が2011年製作だ。総じて,イタリアの経済危機を反映し,生活に苦しむ人々の姿が様々な角度から捉えられていた。悲惨さを強調するのではなく,希望を見出そうとする姿勢がある。イタリアは,ルネサンスの国であり,オペラ発祥の地であると痛感させられる。人々の心情を表現する方法に長けているからだ。ドラマ構築と映像表現の妙を堪能できる映画祭だった。
① 8人の幽霊たちがピエトロにとって『素晴らしき存在』となる。虚実入り混じる人生を可視化しデフォルメしたような映画だ。人々は限られた時間の中で精一杯の演技をする。真実を隠すためであったり真実を追求するためであったり,目的は様々だ。1943年に演じられなかった舞台が時を超えて2012年に実現する。それを客席で見ているピエトロの表情は悲喜こもごもの人生を映す鏡のようだ。そのとき流れるエンディング曲と共に心に残る。
② 役立たずと言われた息子が20歳ころの体験を語る。『それは息子だった』はコメディのような悲劇だ。カリカチュアされた人物がコミカルでありグロテスクでもある。閉塞感の漂う世界で,死が唐突に訪れる。父親が娘を失うシーンのモンタージュが時代を超えて迫ってくる。息子を失った祖母が憑かれたように発する言葉が矢のように突き刺さる。それは家を守るための悲壮な決断だった。逃れられない悲喜劇を描くオペラを観た感覚が残る。
③ 過去から現在を俯瞰して嘆きながら,そんな現在もまだ捨てたものではないと希望を感じさせる。『司令官とコウノトリ』は様々な人間模様が巧みに配置された魅力的なコメディだ。出自,民族,宗教その他の属性を超えて人々は手を携えていける。その媒介役がコウノトリのアゴスティーナだ。彼女は軽々と国境を超える。5年前に死んだ妻の幽霊が夫を支えるように現れるのも微笑ましい。リズミカルで起伏に富んだ編集の妙に乗せられる。
④ かつて見たことのない花火が強烈な印象を残す。『家の主たち』のラストで花火が砕け散る。優美に舞い散る儚さや幻想的で幽玄な世界からは程遠い。その発端を特定するのは難しい。ローマから来た2人の兄弟が小さな町の人々の心に微妙な影響を及ぼしたことは確かだ。静かな水面に石が落ちて波紋が広がる。恐怖,不安,憎悪,誤解等が連鎖し絡み合っていく。保護種のオオカミを撃った一発の銃声が何発もの花火の爆発音に増幅される。
⑤ サルヴァトーレ17歳は見張らされ,ヴェロニカ15歳は見張られる。この2人がナポリの廃墟となった建物で『日常のはざま』の短い時間を共有する。実際に精神病院だった建物で撮影されたという。人々の苦しみを宿しているような独特の雰囲気が漂う。少女は一度外へ出るが再び塀の内側へ戻って涙ぐむ。希望を見出せない社会とそこから逃れられない自分。シェフになる夢を持つ青年は日常へと戻っていく。2人はこの日を決して忘れない。
⑥ 1969年12月12日16時47分,ミラノのフォンターナ広場で爆弾テロが発生した。その捜査を担当した刑事カラブローゾを軸として事件の真相に迫る。『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』は,靄が掛かったような当時の社会情勢を映したかなり重い社会派映画だ。彼は内務省のダマートと「爆発は2つ,犯人は2人」という仮説を語り合う。背景には当時の冷戦構造が見えてくる。だが,刑事の非業の死に象徴されるように真相は闇に葬られる。
⑦ 平穏な人生を送っていると思っていても実は『綱渡り』をしているのかも知れない。ジュリオは,妻と子2人との家族生活のバランスを崩し,どんどん落下していく。いくら頑張っても事態は好転せず,プライドも保てなくなっていく。カメラは,彼の外見の変化と同時に,変貌していく内面を追い続ける。その中で,父を慕う16歳の娘カミッラの存在が活きている。ジュリオの哀れさと痛みを際立たせるが,最後には救いを感じさせてくれる。
⑧ 天国の席を確保したいが,『天国は満席』で立見席しかないかも。それでも今生きていること自体が幸せだ。かつて羽振りの良かった中年男3人がルームシェアして,妻子への仕送りに追われ,ポケットは空っぽの生活を送る。典型的なイタリア式コメディだ。イヤフォンで聴診しようとする女医も絡んで抱腹絶倒。17歳の娘の妊娠が契機となって,割としっとりと着地する。最後に舞台もローマからパリへ。収まるところに収まるのが運命だ。
⑨ 一口でペンと言っても色や形は様々で,使う人も違っている。原題が“赤と青”の『赤鉛筆,青鉛筆』では,生徒の一人サフィラの「私のペンを返して」という台詞が印象に残る。学校という限られた時間と場所でも,生徒と教師が互いの人生に影響を与え合うには十分だ。補助教員はアンジェラを信用できなかった自分を苛み,校長はブルニョーリに母性を喚起され,老教師はエレナに精気を吹き込まれる。3組とも変わったのは教師の方だ。
⑩ アルベルトが妻子らの待つ『家への帰り道で』抜き差しならない状況に陥る。スクリーンには追い詰められた不安と焦燥が満ちている。穏やかで安らぎのある家庭のイメージと握り締めた忘れな草のエピソードが彼の誠実さを物語る。要領良く立ち回れず,自ら破局を招いた。彼と同じ立場のセルジョの選択に希望が見えるが,息子の前で強がって見せる姿が哀しい。踏み潰す価値もないと吐き捨てるように言われても,我が道を進むしかない。
⑪ 女優を目指すジーナが母の縁故で代議士に会いに行く。途中,ハイヤー運転手マルコと『ふたりの特別な一日』を過ごすことになる。浮かない表情の彼女はハイヒールをズックに履き替えて元気を取り戻す。ローマの中心部を疾走しながら,万引した高級ドレスを放り上げる。だが,スカーレットのように「明日は明日の風が吹く」と強くは生きられない。ヘンデルのオペラ「リカルド」の“私を泣かせて下さい”が絶妙のタイミングで流れる。
⑫ 同棲中の2人は知り合って6年になる。グイドは夜勤を続け,アントニアは昼間働いている。対照的な2人だが,すれ違うことなく『来る日も来る日も』愛情に包まれていた。体外受精を試みる過程がコミカルに描かれた後,突然アントニアが姿を消す。懸命に彼女を探すグイドを見ていると,無性に2人の馴れ初めを知りたくなった。その後には洒落たエンディングが用意されている。これから始めるのだと力強く宣言するようで素晴らしい。
⑬ 幻想に溺れて『リアリティー』を失っていくルチャーノの姿がリアルに描かれる。ナポリをメルヘンチックな馬車が走るオープニングで,ファンタジックな中に不安を呼び起こすような音楽も効果的だ。TV番組に出て大金を掴む夢に取り憑かれる。妻と子3人の生活を何とか支えてきた人生で初めてのチャンスを逃すまいと,狂気の中に突き進む。幻覚を見ているような眼差しが不気味で,自分だけの世界に静かに横たわる姿に胸を突かれる。
(河田 充規)
公式サイト⇒ http://www.asahi.com/italia/2013/