映画祭シネルフレ独自取材による映画祭レポートをお届けします。

2022年10月アーカイブ

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現在日比谷・有楽町・銀座地区で開催中の第35回東京国際映画祭(以降TIFF)で、ワールド・フォーカス部門作品の『エドワード・ヤンの恋愛時代 [レストア版]』が上映された。TOHOシネマズ 日比谷 スクリーン12で上映後に行われたトークショーでは濱口竜介監督が登壇。市山尚三プログラミング・ディレクター(以降PD)が聞き手を務め、長らく日本で上映されることのなかった同作品の魅力を語った。
 

■念願の上映実現

1994年当時もTIFFでプログラムを担当していた市山PDは、東京国際映画祭京都大会で、アジア秀作映画週間のオープニング作品として本作を上映。同じくオリヴィエ・アサイヤス監督の『冷たい水』が上映された際に、来場していた主演のヴィルジニー・ルドワイヤンとエドワード・ヤンが出会ったことから、ヤン監督の次回作『カップルズ』への出演につながったと思い出を紹介。
 
さらに権利関係が複雑で、かなり長い間台湾でも上映されていなかったところ、今年のヴェネチア国際映画祭でこのリストア版が上映されたことから、権利関係がクリアになったと判断。ヤン監督の妻にぜひとも上映したいと連絡し、今回の上映が実現したことを明かした。
 

■『牯嶺街少年殺人事件』後の大きな飛躍となる作品

濱口監督が『エドワード・ヤンの恋愛時代』を初めて鑑賞したのは、2000年代の初め、遺作となった『ヤンヤン 夏の想い出』以降で、それまで観ていたヤン監督作品とは違う異質さを感じたという。市山PDからはヤン監督がウディ・アレンのような映画を撮るという話を台北で聞いたエピソードを披露。一方、濱口監督は「全ての長編を見直すと、ヤン監督は1作1作大胆に自分自身を更新する作家。クロノロジカルな視点から見て感じた」とフィルモグラフィーから作家性を分析。さらに、「『牯嶺街少年殺人事件』は大傑作で、映画史上に残るマイフェイバリットの1本で、その後に作るのは本当に大変だったと思うが、そのことがあって、この作品が生まれているのだろうなと思った」と昨年『ドライブ・マイ・カー』で世界的な評価を得た濱口監督らしい切実なコメントも語られた。
 
 
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■『エドワード・ヤンの恋愛時代』でモダンな台北を描く裏にある狙い

市山PDが、「こんなにおしゃれな映画を撮る人だったのかと驚いた」と『牯嶺街少年殺人事件』以前や『台北ストーリー』のセンスとも違うことを指摘すると、濱口監督は本作がヤン監督にとって本当に大きな飛躍であったことを説明。「ヤン監督も台北にこだわり続けて映画を作ってきたが、本作では全く違う台北を描こうとしている。彼自身も、台北自身もこの10年で変わったので、軽佻浮薄な感じの恋愛コメディのように見える映画を作ったのではないかと思う」と、台北の描き方の時系列での変化を分析した。
 
今回のTIFFではツァイ・ミンリャン監督の台北を舞台にしたデビュー作『青春神話』も上映されるが、市山PDは「『青春神話』は『恋愛時代』の2年前に撮られた作品だが、同じ街とは思えないほど古い繁華街がでてくる。それが取り壊され、新しい建物ができている台北の歴史上の転換点で、今は完全に近代的な都会になっている」と同時代の2作品を比較。
 
濱口監督は、都市の中に新旧の要素が混在している中で、ヤン監督はモダンな台湾を描くことを選んだと指摘。今回の上映での観客の反応を例に取りながら「ウディ・アレンみたいな映画を作りたいという気持ちはあるが、コメディのように見え、笑っていない人もたくさんいた。それはこの街のモダンな側面な中にある、ある種の病、都市特有の人間性が阻害されている部分に焦点を当てたかったのではないか」とその狙いに触れた。
 
 
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■『牯嶺街少年殺人事件』と真逆の構造

さらに『牯嶺街少年殺人事件』と比較してまず驚いたのが、登場人物の顔がちゃんと見えることだと語った濱口監督。「『牯嶺街少年殺人事件』は顔が遠くに見えたり、わかりにくかったが、映画の最初からキャラクター全員の顔が把握できるし、そういうカメラポジションを選んでいると思った」とその特徴に触れた上で、見ていたい顔かといえば、必ずしもそうではないと話は思わぬ展開に。「みんな何かに駆り立てられていて、コミュニケーションをしているようで、お互いに相手をどなりつけているだけ。顔がはっきりと入ってくるけれど、
エドワード・ヤンの登場人物が持っていた神秘や謎が、最初は持たずに登場してくる」と様々な意図のもと行われている演出であることを指摘した。
 
さらに、顔がわかりやすくはなったが、情報が入りやすくなったという状況ではなく、彼らの深層にあるような乾きが叫びとして出てくる状況になっていると説明。「結果として彼らはどうなっていくのか。最初は顔が見えるが、後半にいくにつれて顔が見えなくなり、都市の光が届かない場所でコミュニケーションしはじめる。親密な、彼ら自身が本当に思っていたことを喋り出すわけで、黒い画面とともに今までと違う声が生まれてきた。人間性が最終的には回復されていくのが、『牯嶺街少年殺人事件』との最も大きな構造の違い」と真逆の構造を解説。悲劇的な大傑作を撮ったあとで、絶望的な状況から、楽観的なものを取ろうとするトライがここからはじまっていると力を込めた。
 
 
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■配給を熱望。原題『独立時代』の意味を忘れないで

今回、改めて『エドワード・ヤンの恋愛時代』を見て思ったことを聞かれ、「どこか配給してほしい」と即答した濱口監督。「エドワード・ヤンは、人生の絶望的な状況も描かれているが、そこからどうやって人生で生きるに値するものを見つけるかを、フィルムグラフィーを通じて追求した作家。全作品が上映されることを望みたい」と熱望した。
 
ヤン監督は映画を作るにあたって、予算オーバーしてしまうので、その都度出資者を募り、その結果、現在権利関係がややこしくなっている事情を市山PDが明かすと、濱口監督は「色々な出資者がいるとはいえ、ヤンは基本的にはインディペンデントな志を持って作っていた人。『恋愛時代』という邦題は配給するにはいいタイトルだと思うし、多くの人が三角関係、四角関係になる話ではあるが、恋愛を楽しく賛美している映画に見えて、実際そうではないように見える」とし、原題『独立時代』について「チチとミンがよりを戻すが、自分を信じることを決め、ミンといつでも別れることができるという境地に達したから、戻ることができると感じているのではないか。どのキャラクターも自分が属しているところから離れ、自分の時間を回復していく物語なので『独立時代』というタイトルも忘れないでほしい」とタイトルに込めたヤン監督の狙いを思い測った。
(江口由美)
 
第35回東京国際映画祭は、11月2日(水)まで日比谷・有楽町・銀座地区ほかで開催中
公式サイト:www.tiffcom.jp
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