映画祭シネルフレ独自取材による映画祭レポートをお届けします。

『イタリア映画祭2013』座談会

『イタリア映画祭2013』座談会

zadankai-550.jpg左から、岡本太郎(司会)、①カルロッタ・クリスティアーニ(編集)、②ジュゼッペ・バッティストン(俳優)、③ジュゼッペ・ピッチョーニ監督、④エドアルド・ガッブリエッリーニ監督、⑤イヴァーノ・デ・マッテオ監督、⑥ダニエーレ・チプリ監督)

・日時:4月29日(月・祝)15:15~16:45
・会場:有楽町朝日ホール(千代田区有楽町2-5-1 マリオン11階)

★開会式と作品紹介は⇒ こちら

★『赤鉛筆、青鉛筆』ジュゼッペ・ピッチョーニ監督トークは⇒ こちら

★『それは息子だった』ダニエーレ・チプリ監督トークは⇒ こちら

 

 今年も個性豊かなクリエイターが揃っての座談会が開催された。それぞれの作品の見どころと共に、「テーマがはっきりとして分かりやすい」、「音楽の使い方が絶妙」、「人物描写が味わい深い」というイタリア映画の特徴も見えてくる。それはオペラのような劇的表現に似たものを感じさせて興味深い。『イタリア映画祭2013』は、そんなイタリア映画の魅力を再発見する貴重な機会となった。


【ゲスト紹介】

zadankai-1.jpg①『日常のはざま』『司令官とコウノトリ』編集:カルロッタ・クリスティアーニ
『日常のはざま』の監督:レオナルド・ディ・コンスタンツォの代わりに来日。本作は監督にとって初の劇映画になり、今まで活動してきたドキュメンタリーの経験が色濃く反映されている。映画の舞台となるナポリの子どもとワークショップを重ねたことで、思春期特有の心の揺れを捉えることに成功している。
 

zadankai-2.jpg②『司令官とコウノトリ』出演:ジュゼッぺ・バッティストン Giuseppe Battiston
一度見たら忘れられない大柄な体で、ありとあらゆる役を難なくこなすイタリア映画界きっての名脇役。本映画祭で上映された『ラ・パッショーネ』『考えてもムダさ』などで、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の助演男優賞を3回受賞している。

 

 

zadankai-3.jpg③『赤鉛筆、青鉛筆』監督:ジュゼッペ・ピッチョーニ Giuseppe Piccioni
(大阪では、5/12(日)11:00~上映)

登場人物の心の動きを細やかに描く演出に長けている、本映画祭の常連監督の一人。今年の6月には、マルゲリータ・ブイとシルヴィオ・オルランドが主演で、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の5冠に輝いた名作『もうひとつの世界』が公開される。

 

 

zadankai-4.jpg④『家の主たち』監督:エドアルド・ガッブリエッリーニ Edoardo Gabbriellini
『ミラノ、愛に生きる』でティルダ・スウィントンと恋仲になるシェフ役をはじめ、俳優としてのキャリアが長い。本作は、カンヌ映画祭の批評家週間に選ばれた初監督作から約10年ぶりとなる第2作で、豪華キャストが息の合った演技を見せる。

 

 

zadankai-5.jpg⑤『綱渡り』監督:イヴァーノ・デ・マッテオ Ivano De Matteo
俳優やドキュメンタリーの監督を務める一方で、劇映画でも前作「La belle gente」が高い評価を受け、着実にステップを踏んできた。現代のイタリア社会の深刻さを真っ向から見すえた本作は、ヴェネチア国際映画祭で称賛された。

 

 

 

zadankai-6.jpg⑥『それは息子だった』監督:ダニエ―レ・チプリ
 
Daniele Ciprì
(大阪では、5/12(日)13:40~上映)

2004年に本映画祭でも上映された『カリオストロの帰還』以降は、主に撮影監督として活躍し、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』でイタリアの主要な賞を総なめにする。本作で、満を持して長編劇映画に久々に復帰した。

 

 

 


 

――― ロケ地や時代について?

⑥ダニエーレ・チプリ監督:『それは息子だった』、ロベルト・アライモの原作を映画化したいという企画がきた時、実際に起こった事件なのでリアルにせずにコメディっぽく描こうと思った。1970年代~80年代のシチリアのパレルモが舞台だが、リアリズムを追求した訳ではないので、パレルモ以外で撮影。裁判記録を読んでいると、実はこの家族はいろんなことを引き起こしており、2部にもつながるような話がある。歴史と事件との関係上、主役にはトニ・セルヴィッロのような大胆な演技のできる俳優を起用した。それに合わせて他の俳優たちも4週間かけてキャスティングし、グロテスクなストーリーだがドラマチックなコメディに仕上がったのは、こうした素晴らしい俳優たちに負うところが大きいと思っている。

⑤イヴァーノ・デ・マッテオ:『綱渡り』はローマが舞台だが、どこの街か分からないような感じにしたかった。撮影監督が上手く撮ってくれたと思う。イタリアが抱えている問題は欧州全般に通じる問題となっていて、政治家たちに、命がけで綱渡りのような生活を送っている人々のために、より安全な救いのネットを作ってほしいと訴えたかった。私は実は柔道をやっていて、畳にも馴染深いし、日本語で数も数えられる。今回日本に来られて本当に嬉しい。これで「技あり1本!」が獲れたかなと思う(笑)。

④エドアルド・ガッブリエッリーニ:『家の主たち』は久しぶりの監督作です。『見渡す限り人生』や『ミラノ、愛に生きる』などでは俳優をやっていた。リボルノ出身だが、そこでロケしなかったのは、ミステリーやサスペンスに合ってなかったから。デヴィッド・リンチの『ツインピークス』を見ていて、モミの木が沢山ある所で撮りたかった。トスカーナ州とエミリア・ロマーニャ州との境にある小さな村でロケ。そこは別荘地でもあり、いかにも何かが起こりそうな予感がする場所。

③ジュゼッペ・ピッチョーニ:来日回数を覚えていない位沢山来日している。実は、ずっと日本にいて動いていないんですよ。日本の小部屋に隠れていて、映画祭がある時にだけ出てきているんです(笑)。『赤鉛筆、青鉛筆』はローマの学校、いろんな問題はあるが、過ごしてきた懐かしい学校を描きたかった。様々な問題が取り巻く状況の中で、教える者と教えられる者との関係、特に教師の立場で教えるという人生の意味を語っている。
――― 高校を描いた作品では現在公開中の『ブルーノのしあわせガイド』があるが、日本の学園ものとは随分見方が違うなと思った。イタリアの方が「学ぶ」ということを信じていて羨ましいと感じた。

②ジュゼッぺ・バッティストン:今回の役は複雑で楽しい役だった。イタリアを創ってきた偉人たちの銅像と私が演じたアマンツィオは、腐敗や堕落が蔓延する政治界へ宣戦布告するという役割を担っている。この役は実際には私より年上で、いろんな言語を網羅するかなり変わった人物。日本の観客の感想を聴きたい。

観客:イタリアの映画は、政治や社会問題に果敢に挑戦しようとする力がある。日本の映画にはそんな力も傾向もなくて残念に思った。

②ジュゼッぺ・バッティストン:作品はコメディだが、現実はそうはいかない状況。それも笑うしかないって感じかな(笑)。

①カルロッタ・クリスティアーニ:『日常のはざま』と『司令官とコウノトリ』の2作品の編集をした。『司令官とコウノトリ』はミラノでロケしている。小さい家にしか住めない家族の状況や、バルセロナへ行きたがる若者の傾向などをよく捉えていた。『日常のはざま』はナポリで撮っているが、街は殆ど映っていない。唯一屋根の上のシーンで、街の音が吹き込まれていた。若者が抱える困難な状況を表現していた。
――― 重くのしかかる社会から一日だけ解放されたようだった。イタリアはいろんな意味でロケには有利なお国柄で、多くの作家たちがどんな世界を描くかがはっきりしている。それがイタリア映画の力だと思う。

 

――― 登場人物の中で注目してほしい人は?

⑥ダニエーレ・チプリ監督:『それは息子だった』、郵便局で語っている男(ブス)。アルフレード・カストロというチリでは劇作家をしている俳優で、いわば私の分身のような語り部の役割。それから、主人公を演じたトニ・セルヴィッロは、『ゴモラ』『イル・ディーヴォ』『至宝』などにも出演している名優で、彼はパレルモの人々の体の動かし方や喋り方や考え方などを緻密に表現していた。なんせ、パレルモの人々は自分こそ宇宙の中心と考えている人が多いので(笑)。

⑤イヴァーノ・デ・マッテオ:『綱渡り』、主人公を演じたヴァレリア・マスタンドレアとは2回目のコラボ。彼が演じる父親像は、現実にこうした経験をしている人々を反映していた。ジュリオという名前は、亡くなった私の友人の名前から付けた。ジュリオの心理状況は、綱渡りの人生を送っている私自身。理想的な演技をしてくれて、大変満足している。娘役のロザベル・ラウレンティ・セラーズは、この役に血肉を与えてくれた。息子役のルーポ・デ・マッテオは、私の実の息子です。自分がもしこのような状況に陥ったら、探しに来てほしいという願いを込めて作った(笑)。

④エドアルド・ガッブリエッリーニ:『家の主たち』ではとても豪華なキャスト陣で、作っている途中からどんな作品に仕上がるかとても楽しみだった。中でも、兄役のヴァレリア・マスタンドレアは素晴らしい役者。ジャンニ・モランディという歌手は、イタリアでは有名な歌手で、十数年も歌ってなかったのを、この映画のために歌ってくれた。〈永遠の好青年〉というイメージの彼に、残酷な役をやらせるのが心配だった。でも、彼は楽しんで積極的に演じてくれた。ベテランから若い素人の役者まで、監督するのがとても楽しかった。

③ジュゼッペ・ピッチョーニ:いろんなキャリアの役者を起用した。中でも、年老いた先生を演じたロベルト・エルリツカは演劇界の重鎮で、教育現場に幻滅を感じているが希望を見出していく人物像を巧みに演じてくれた。演出することの最たるものが俳優たちとの仕事。ロベルトは少し年寄り過ぎるが、伝説的な尊厳のある教師が文化や教育に対して幻滅するという役を、予想以上に味わい深く演じてくれた。

――― バッティストンさんはいろんな役を演じてきたが、その役作りは?
②ジュゼッぺ・バッティストン:基本は、本当の自分とは違う人物を創り上げることが役者の本質。イタリアの現状ではそのようなアプローチがされていなくて、同じようなイメージのままいくことが多い。イタリアでは演劇界も活発で、役者としての仕事はある。先程話題になったロベルト・エルリツカ氏は演劇界の第一人者。

――― 人物にポイントをおいて編集することはあるのか?
①カルロッタ・クリスティアーニ:『日常のはざま』では、素人の俳優とプロの俳優の場面の編集の仕方は全く違った。プロの俳優だと使える場面の選択範囲が広く、編集するのも楽しい。主役二人は素人なので、何回もワークショップを重ねて撮っている。
――― 『日常のはざま』のレオナルド・ディ・コスタンツォ監督とは、ドキュメンタリー作品でも一緒に仕事をしているが、編集の仕方に違いはあるのか?
①カルロッタ・クリスティアーニ:1本だけコラボ。編集の仕方は違う。
――― 編集者は女性が多いが、男性監督が好きに撮って、女性編集者がきちっとまとめてくれる?
①カルロッタ・クリスティアーニ:現在は5:5の割合。編集は昔から室内での仕事なので、女性が多いかも。

③ジュゼッペ・ピッチョーニ:編集者の役割は大きい。作品のリズムやセリフを活かすのは編集次第。マルゲリータ・ブイが「美しいものとは?」という質問に、「撮影、編集、他のスタッフの素晴らしい仕事が完成して、初めて美しいものができる」と答えていた。

①カルロッタ・クリスティアーニ:スタッフは別に隠れている訳ではないが、なるべく作品のクォリティを引き上げようと常に努力している。それが映画製作の基本だから。

(河田 真喜子)