熟高年の“究極の恋愛映画”を作りたかった。
『八重子のハミング』佐々部清監督インタビュー
若年性アルツハイマーを発症した妻八重子と、亡くなるまでずっと寄り添い介護を続けた夫誠吾の12年間に渡る愛の物語。自らの介護体験を短歌とエッセイで綴った陽信孝(みなみ・のぶたか)さんの原作を映画化したヒューマンドラマ『八重子のハミング』が、5月13日(土)よりシネ・リーブル梅田他全国順次公開される。監督は、『半落ち』(04)『ツレがうつになりまして。』(11)『種まく旅人~夢のつぎ木~』(16)の佐々部清。本作では、監督だけでなく、脚本とプロデューサーも兼ね、実際に八重子が愛した山口県の各所でロケを敢行、風情のある景色が夫婦の思い出を呼び起こす。本作の語り部でもある誠吾役には演技派俳優の升毅、八重子役には近年、小説家としての活動が多かった高橋洋子が28年ぶりに銀幕に復帰。どんどんと記憶を失くし、子どもがえりしていく八重子を持ち前の愛らしさで熱演している。誠吾の愛情深い介護の様子をはじめ、二人を見守る家族や医師、教え子、友人たちの姿が、優しい感動を与えてくれる作品だ。
本作の佐々部監督に、プロデューサーとしてゼロから映画制作を行った経緯や、映画で描きたかったことについて、お話を伺った。
■脚本、監督と並行しての初プロデューサー業、「命懸け」宣言で道が開ける。
―――本作は佐々部監督ご自身がプロデューサーになり、他の作品を撮りながら完成にこぎ着けた作品です。そこまでして、この『八重子のハミング』に全てを注ぎ込んだ理由は?
佐々部:僕は原作者の陽さんとは飲み友達で、大好きな人なのですが、陽さんから『八重子のハミング』を出版する前に自費出版した『雲流る』という本をいただきました。別の監督で映画化されることも同時に聞いたのですが、新幹線でこの本を読むと涙が止まらなくなり、こういう題材の映画を自分で監督できれば良かったのにと思いながら、いい映画になることを祈っていたのです。しかし、翌年陽さんに映画化に向けての話を聞くと、シナリオハンティングや取材に誰も来ていないと言うのです。あれ?と思って映画会社を調べると、映画化の話は立ち消えており、原作者に何も知らされていなかった。同じ映画業界にいる人間として憤りを感じながら、陽さんにはこの原作を僕に預けてもらえれば、僕が脚本を書き、映画化の話を持ち込んでプレゼンをしますとお話しました。それが8年前のことになります。脚本は書けても、映画会社に持ち込んで、結果を待ってというプロセスを繰り返すうちに、4年ぐらいはあっという間に過ぎてしまいました。取材の交通費、宿泊費から脚本代まで全て自費で、お金は一切いただいていない状況でしたから、最終的に台本を印刷して、陽さんに渡し、「ここまでが限界です」と伝えるのがやっとでした。
―――脚本はできたものの、企画がなかなか通らない中、実現に向けての気運が生まれたきっかけは?
佐々部:『群青色の、とおり道』(15)を撮った時、若いプロデューサーにこの台本を読んでもらったところ、「今の時代に絶対やるべき企画、一緒にやりたい」と僕の背中を押してくれました。お金集めから一緒に、ゼロからやりたいと言ってくれたので、そこからまず行政で資金面の柱を作ろうと交渉をはじめました。僕らは東京なので、山口県にも窓口になってくれる人が欲しいと、企画・イベント会社をしている高校時代の同級生に頼み、そこを山口事務所にさせてもらいました。そこから、資金提供のお願いに行くときは、僕も山口県まで行き、彼と同行したりしながら、土台作りを進めていきましたね。
―――エンドクレジットにもたくさん方のお名前が出ていますが、今までやったことのない、資金集めも自ら行う映画作りを通して感じたことは?
佐々部:ほぼ助けてもらった人のおかげで出来た映画です。今まで山口県で4本映画を撮りましたが、それは映画会社が出してくれたお金で撮りましたから、地元に宿泊代やガソリン代などを還元しているし、(映画について)文句は言わないでというぐらいの気持ちでいました。今回は地元の方や、行政の税金からいただいたお金で撮らせていただいているので、本当に1円もムダにしたくない。それに報いるには、たくさんの方に観ていただけるようないい映画にしなければいけないというプレッシャーがありました。
でも「命懸けでやります」と記者発表したおかげで、本当にたくさんの応援団が出来ました。僕の年齢で「命懸けで」と宣言したことが、皆さんに響いたようです。とにかく人が動き出してくれ、企業だけでなく、個人や主婦の方にも一人50万ぐらいの金額で出資をしていただきました。元本は保証できませんが、大化けすれば夢は見ることができるかもしれない。山口県での上映を終え、少しですが配当を出させていただきました。今後全国での上映や、DVD化したときも配当が出せるようにしています。
■「引退宣言をした覚えはない」キラキラとチャーミングな高橋洋子さんに八重子役を。
―――八重子役の高橋洋子さんは、海峡映画祭のゲストとして来場されていたそうですが、オファーをしようと思った理由は?
佐々部:海峡映画祭には、1回目からゲストの招聘などを含めた顧問という位置づけで関わっているのですが、2015年、『旅の重さ』(72)を上映し、主演の高橋洋子さんにゲストとしてご来場いただきました。『旅の重さ』は僕も大好きな映画で、吉田拓郎さんの音楽も素晴らしい。高橋さんにも興味があったので、空港の送迎から食事まで、ずっとアテンドをしながら、観察していたのです。お話すると、今でも高橋さんは映画が好きで、よくご覧になっているそうで、同世代なので映画の話も弾みますし、高橋さん自身もキラキラされていて、チャーミングなんです。もし八重子さんを高橋さんが演じて下さったら、僕よりも上の世代の方には「あの高橋洋子が…」と観客の方にも興味を持っていただけるのではないかと、色々な考えを巡らせていました。ドラマをそつなくこなすタレントのような人ではなく、やはり映画女優に演じてもらいたかったですし。高橋洋子さんは「引退宣言をした覚えはない」とおっしゃっていて、いいお話があれば、いつでも女優に復帰したいという意欲をお持ちでした。そこで思い切って高橋さんに台本をお渡しして、読んでいただきました。
■熟高年の“究極の恋愛映画”。批判をされてもきれいな映画、美しくありたいという映画にしたかった。
―――男性が介護側になる物語は、悲壮感が漂いがちですが、本作はラブストーリーにも見えますし、非常に落ち着いて介護をしているように映りました。脚本を書く上で念頭に置いたことは?
佐々部:原作者は、若年性アルツハイマーや介護のことを知ってほしくて、この本を出版したり、在命中は奥さんを講演に連れて行ったりしていたのですが、僕は、映画化するときに熟高年の“究極の恋愛映画”を作りたかった。だから高橋さんには限りなくチャーミングで輝かしい人を演じてほしいし、升さんには撮影期間だけでも高橋洋子を愛おしく思い、好きでいてほしい。それしか注文を出しませんでした。それをうまく繋げば、恋愛映画が作れるのです。縦の軸には恋愛を、横の軸には家族の物語を作れれば、背景に若年性アルツハイマーや介護を置けばいい。最初から介護を啓蒙するような難病ものにするつもりはなく、批判をされてもきれいな映画、美しくありたいという映画にしたいと思いました。
また、原作の手記は短歌があり、それにまつわるエッセイの羅列で、ストーリーの作りようがなかったので、脚本化にあたってすごく悩みました。結局、誠吾を今の原作者と同じ年代にし、語り部にすれば、観客が混乱しそうな時に修正することができ、物語を運びやすくなる。それを発見してからは、スムーズに書けました。
■認知症の人を介護する側から描くことで、観客が受け取りやすい物語に。
―――自分の介護を振り返るという視点で進行するからこそ、感情的になりすぎず、適度な距離感で観客も観ることができますね。
佐々部:観客の皆さんが、冒頭の講演会のシーンで来場者と一緒に座っている感覚になればいいなと思い、来場者越しで誠吾を捉えるショットにしています。来場者席の延長に観客の皆さんがいるような気分になってもらいたいという狙いです。
アルツハイマーを取り上げた映画といえば、ジュリアン・ムーア主演『アリスのままで』(14)や、渡辺謙主演『明日の記憶』(06)、韓国映画『私の頭の中の消しゴム』(04)などがありますが、アルツハイマーになっていく患者の視点で描かれる物語です。『八重子のハミング』は、主役が介護をする側であるのがいい。映画館に来る観客は、99.9%が認知症患者ではなく、介護する側の立場の人ですから、そちら側の人を描けば共感をしてもらえるのではないか。その切り口もこの原作のいいところで、観客が受け取りやすい物語だと思いました。
―――映画では病気が進行していく八重子が描かれていながらも、周りの人たちの声かけや、元生徒のエピソードで、元気な時の八重子の人柄を浮かび上がらせています。
佐々部:もう少し元気な時の八重子を描こうともしたのですが、熟高年となったときの八重子を見てほしいのに、別の人が若い時を演じるのは映画としてはマイナスの気がして、僕は苦手です。だから白黒にして、高橋さんと升さんに若い頃のエピソードも演じてもらいました。誠吾が介護に専念するため辞表を書くシーンの前に、当初は、八重子が女先生と呼ばれた若い頃、坊主頭の生徒を叱るエピソードを入れたのですが、編集すると肝心の辞表のシーンの意味合いが薄れてしまった。わざわざ坊主頭になってもらった役者さんには申し訳ないが、そこはカットしました。大人になった元女生徒が訪れる椿原生林のシーンで、10年、20年後に八重子が理想にしていた教育が結果を出したことを見せているので、元気な時の八重子は充分表現できているはずです。
八重子のお葬式のシーンでも、200~300人のエキストラさんに並んでもらったのですが、実際には2000人も参列したそうです。テレビだと「橋本橋まで並んでるぞ」と言っておしまい。映画だと、そこからを見せなければいけない。葬儀場の外の橋本橋まで参列者が並ぶシーンはほんの1カットですが、その1カットがあるから映画なのです。
■現場でひらめき、映画に奥行きを与えた名シーン。
―――升さん演じる夫、誠吾は、最後まで妻を「八重子さん、かあさん」と呼び続け、元気な時と変わらぬ接し方で、八重子の尊厳を守っていました。その本質に触れるラストのセリフが、非常に効いていましたね
佐々部:本当は、梅沢富美男さん演じる医者が八重子の死後、誠吾に言う尊厳に関するセリフはありませんでした。あのシーンを撮る前の日、撮影中頑張って下さった梅沢さんに、最後にもう一つ、決めのセリフを言ってもらいたいと思って考えていると、「人の尊厳を守った」というセリフが浮かびました。まさに本質のところを突いているので、梅沢さんには「難しい単語を使っていますが…」と相談してみると、「このセリフ、最後にきちゃう?うれしい!」と喜んでくださり、最後に重みがつきました。
八重子が口だけで「ありがとう」と告げるシーンも、助監督からの、八重子の最後のアンサーが聞きたいという言葉から発想を得たもの。本当はそれを受けて誠吾が「こちらこそ」と言うところまで撮っていたのですが、両方入れると映画が甘っちょろくなってしまうので、八重子さんだけにしたんです。すると、映画を観た方が「あれは『アイ・ラブ・ユー』って言っているんですか?」とか、色々な受け取り方をしてくださり、映画として奥行きができました。
■作品に馴染む、谷村新司バージョン『いい日旅立ち』。
―――音楽教師であった八重子の介護エピソードに様々な曲が登場する中、エンディングでは谷村新司さんの『いい日旅立ち』、劇中では『昴』が使われています。実際に生前の八重子さんがお好きな曲だったのですか?
佐々部:今回は八重子さんが好きだった場所ばかりで撮影しましたし、谷村新司さんも生前八重子さんが一番好きな歌手でした。『昴』は歌詞が歌えなくなった時でも、ハミングでメロディーを奏でていたそうです。谷村さんにお手紙を書き、谷村さんからは「何かこの映画に協力したい」ということで、楽曲使用を許可していただきました。この作品は、ピアニストの穴見めぐみさんに劇中音楽を依頼し、ピアノがメインになると分かっていたので、還暦を越えた谷村さんがピアノソロだけで歌っているアコースティックバージョンをエンディングに起用することで、全体がうまくリンクできました。『いい日旅立ち』の歌詞も、「母の背中で…」と作品にもリンクしている気がします。最近、佐々部組ではカラオケのラストは決まって、谷村新司バージョンの『いい日旅立ち』を皆で歌っていますよ。
―――最後に、これからご覧になる皆さんに、メッセージをお願いします。
佐々部:きっと10年後、20年後、この国で介護はもっと大きな問題になっていきます。そこへ準備する気持ち、こんなことが起こり得るかもしれないということを少しでも考えてもらえるといいなと思います。また、男と女が夫婦となって添い遂げることが、こんなに素敵だということを分かってもらえるといいなと思って作りました。地味な映画ですが、映画館で観ていただけるとうれしいです。
(江口由美)
<作品情報>
『八重子のハミング』(2016年 日本 1時間52分)
監督・脚本:佐々部清
原作:陽信孝『八重子のハミング』小学館刊
出演:升毅、高橋洋子、文音、中村優一、安倍萌生、辻伊吹、二宮慶多、上月左知子、月影瞳、朝加真由美、井上順、梅沢富美男他
2017年5月13日(土)~シネ・リーブル梅田他全国順次公開
配給:アークエンタテインメント
(C)Team『八重子のハミング』