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『ほとりの朔子』深田晃司監督インタビュー

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~自然体な二階堂ふみの魅力全開!余白が味わいを残す青春バカンス映画~

『ほとりの朔子』(2013年 日本=アメリカ 2時間5分)
監督・脚本:深田晃司
出演:二階堂ふみ、鶴田真由、太賀、古舘寛治、杉野希妃、大竹直、小篠恵奈他
公式サイト⇒
http://sakukofilm.com/
1月18日(土)~シアター・イメージフォーラム、2月8日(土)~シネ・ヌーヴォ他全国順次公開
※ナント三大陸映画祭2013グランプリ(金の気球賞)、若い審査員賞受賞
 ロッテルダム国際映画祭2014 スペクトラム部門
 東京国際映画祭2013 コンペティション部門
 タリンブラックナイト映画祭2013 コンペティション部門 最優秀監督賞
©sakuko film partners

「朔子は割と自分に近いものがある」二階堂ふみ、鶴田真由、杉野希妃、深田晃司監督が『ほとりの朔子』ワールドプレミアで登壇! (第26回東京国際映画祭レポート)はコチラ


sakuko-fukada-1.jpg二階堂ふみ主演の最新作『ほとりの朔子』が東京シアター・イメージフォーラムにて絶賛公開中だ。監督は、前作『歓待』(10)で東京国際映画祭「ある視点」部門作品賞をはじめ世界の映画祭で高い評価を得た深田晃司。本作もナント三大陸映画祭2013グランプリ(金の気球賞)、若い審査員賞をダブル受賞し、国内外の映画祭で高い評価を得ている。

何と言っても、主人公朔子を演じる二階堂ふみの、今までになく等身大で自然体な魅力に惹きつけられる。浪人生朔子がひと夏をインドネシア地域研究家の叔母海希江(鶴田真由)と避暑地で過ごすという設定で、海希江の昔馴染みでホテルの雇われオーナーの兎吉(古舘寛治)やその娘辰子(杉野希妃)、福島から避難してきた甥の孝史(太賀)らちょっと屈折した過去を抱えながら生きていく人たちに巡り合い、傍観者であった朔子が自分の進む道を見出していく青春物語だ。

山や川など自然溢れるシチュエーションで繰り広げられた本作。かねてからエリック・ロメールに心酔していることを明かしている深田監督らしいロングショットや台詞の数々、そして朔子や辰子の70年代レトロ調ファッションなど、バカンス映画のエッセンスが詰まっている。その一方、反原発集会のエピソードや登場人物たちの会話の中に、今の日本が切り離せない問題が内在させしているところも見逃せない。

味わい深く、何度も観たくなるような『ほとりの朔子』の深田晃司監督がキャンペーンで来阪し、単独インタビューに応えてくれた。


━━━まずは、ナント三大陸映画祭2013グランプリ(金の気球賞)、若い審査員賞のダブル受賞、おめでとうございます。どういうところが観客に受け入れられたと感じましたか?
ありがとうございます。フランスのお客さんにはびっくりするほど評判が良く、聞くと癒されたそうです。また、「今のフランス人監督に、こういう(『ほとりの朔子』のような)映画を撮ってほしい」と言われたのも印象的でした。後は、「なぜ恋人同士なのに、こんなに距離が遠いんだ」と、日本人とフランス人のコミュニケーションの違いを楽しんでいただいたようです。多分フランス人は公衆の面前でもカップル同士でイチャイチャしますが、日本人は恋人同士でも街中では手もつながないこともありますし、映画の中でのそういう恋人たちの描き方が新鮮だったのかもしれませんね。

 

■稀有な才能を持った女優、二階堂ふみは「役を生きる」

 

━━━深田監督にとっては初となる青春映画ですが、どういうこだわりを持って作ったのですか?
「日本でバカンス映画を撮ってみてはどうか」というところから企画がスタートしたのですが、そもそも日本にはバカンス自体が存在しません。日本でバカンスのような時間を描こうとすると、引きこもりや、大人になっても精神的に成長できないようなダメな大人の話になってしまうのです。ヨーロッパやアメリカの人からみれば、「日本はなぜ30代や40代になっても、青春を引きずりモラトリアムの問題に悩んでいるのか」と、かなり不思議に見えるようですね。私はあまりそういう方向には近づきたくなかったので、今回は浪人生という設定を通じて、ちゃんと終わりのある時間の中で「なんでもできるし、なんにもできない」青春の時間をバカンス映画として描いてみました。

━━━今回浪人生役となった二階堂ふみさんのありのままの10代の姿がとても魅力的でしたが、深田監督からみた女優、二階堂ふみの魅力とは?
本当に希有な才能を持っている女優さんで、一つ言えるのは「とにかくライブだ」ということです。役を演じているときも、作っているのではなく役を生きることができる俳優さんはとても貴重です。その役になりきったり、「この性格だとこういう言い方をするんだろうな」と演じるのではなく、すっと役の個性に近づけて、キャメラの前で演じるまでも役を生きていられる。貴重な個性だと思います。撮影でも終始自然体でしたね。逆に僕の方が初めての女優さんなので、緊張していたぐらいです。

 

■コミュニケーションの関係性の中から台詞を考える。
 

sakuko-fukada-2.jpg━━━深田監督は、以前のインタビューで「演出家の仕事は脚本の段階で始まっている」とおっしゃっていましたが、日頃脚本を書く際に心がけていることは?
基本的に脚本を書くときに気をつけていることは三つあります。一つは、コミュニケーションの関係性の中から台詞を考えるということです。そのキャラクターが今どういう気持ちだからこの言葉を言うと考える以前に、このキャラクターは相手とこういう関係で、今こういう状況だから、この言葉を使うだろうというところから考えていきます。言葉は気持ちや感情からよりも関係性からでると思っていますから、その部分は気をつけています。二つ目は名台詞やかっこいい台詞を書かない。「倍返し」とかは書かないということですね(笑)。もう一つは、本音を話させないということです。人はそんなに本音を話さないし、重要なのは本人が本音を話しているつもりでも、それが本音かどうかは本人自身にも分かるわけがないという考え方なんですね。

━━━本音を話させないという部分では、前作『歓待』は疑似家族を、そして本作も親戚ながら一時的に家族のように暮らしているという点では疑似家族を描いていますが、意図的にこういう設定にしているのですか?
僕の中で、家族は不条理だと思っているんですよ。たまたまそこに生まれてしまっただけで、本来親も子どもも他人であり、違う肉体や違う考え方を持っているわけなのに、家族という制度のもと共同体として過ごさなければならない。不条理なだけにいろいろなドラマができるのだと思います。ただ僕が普通の家族をイメージしようとすると、一般的なドラマの中で描かれた家族に近づいてしまうので、すごく凡庸なものになってしまう。普通の家族の中にある普通ではないひだを描くことはなかなか難しいので、僕が描くときは最初からねじれた家族になってしまうのです。楽してますね。

 

■朔子は「余白」。映画で余白を描くために、余白の周辺を緻密に描く。
 

━━━最初に本作を観たときは、朔子の瑞々しさや、大人たちに影響を受けていく姿に目を奪われましたが、二度目は朔子同様自分自身が傍観者となって、大人たちの割り切れない大人の関係が綿々と描かれているところがすごく面白く感じられ、全く別の見方ができました。朔子の周りの大人たちの描写はどういう考えで描いていったのですか?
子どもの視点から大人の世界を見るという意識はあまりなく、僕の中で朔子は「余白」であり、映画は余白の描き方が大事だと思っています。映画もいろいろなタイプがあり、お客さんが100人いれば100人が同じように感情移入できるように巻き込んでいく映画はあってもいいと思うのですが、僕が撮りたいのは、お客さんの数だけ見方が分かれる映画なのです。しかし、ただ余白を作ればお客さんがいろいろな見方をしてくれるかと言えば必ずしもそうではなくて、余白を描くためには、余白の周辺を緻密に描く必要があります。この映画に関して、余白の一番の中心になるのは朔子自身なので、朔子を通じていろいろなことが想像できるように朔子の周辺を緻密に描いています。

━━━インドネシアの研究をしている海希江が朔子に「人も国も同じ」と、自分の国のことを自分の国の人が一番分かっているかどうかは分からないという話をしたのが印象的でしたが、この台詞を書いた背景や意図は?
自分にとっての世界や人間の見方に落ち着くと思うのですが、結局自分が何者かは誰にも分からないのです。他者とコミュニケーションを取り、他者から帰ってくる反応を受けて、ようやくおぼろげに自分という輪郭が見えてくる。どうしても保守化していく日本も全く同じです。他の国との付き合いの中で生きていかなければならないし、他の国を通じて自分の国の嫌なところも見えてくることもあります。他者と付き合って生きていくことは、自分にとって都合のいい他者と付き合うことではなく、自分にとってときには都合の悪い他者、あるいは気持ちよくない他者とも生きる。そもそも他者と生きるということは、そういう軋轢とぶつかり合いながら生きていくことも含めての「他者と生きる」ことなのだという気持ちが多少あり、あの台詞になったと思います。

 

■原発事故、放射能問題後目立ってきた「故郷」をキーワードに謳い上げることの危うさ。
 

━━━反原発集会でのスピーチのシーンは、周りが被災者に期待するスピーチと実際の声との乖離を描くことで、「避難者が故郷に帰りたい」と思っていることを強制している周りの雰囲気や現場の声とのズレを浮かび上がらせていました。
お客さんにどう届くかが楽しみです。私自身は反原発の立場ではありますが、反原発の動きが収まりつつあるように見える今、反原発や原発賛成というどちらにも振り切れないオルタナティブなポジションが描かれるケースというのは今まであるようでなかったみたいです。観た後、結構喜んでいただけるお客さんが多かったですね。

━━━実際に撮影されたのは震災から一年後ですが、もうすぐ震災から三年を迎えるにあたり、今原発に関連するシーンを見ると、また全然違う印象がありますね。
震災後原発事故が起き、放射能のため今まで生きてきた土地を捨てざるを得なくなってから、「故郷」という言葉がキーワードとしてクローズアップされてきました。故郷を大事にしている方はたくさんいらっしゃるし、その気持ちを疑うつもりはありませんが、一方で「そんなに故郷って大事なのだろうか」とも思うのです。放射能で危険な状態でも、故郷は守らなければいけない、住み続けなければいけないぐらい大事なものなのか。土地のほうが、そこで住む人の健康や命より大事になってしまうような考え方は、「故郷」だとそんなに危険な感じはしないのですが、容易に「国家」とも置き換えられる考え方だと思います。心情として素直に「故郷から離れられない」というのは理解できますが、あまり「故郷」をキーワードにして第三者がそれを謳い上げるのは、すごく危険な気がして、スピーチの言葉につながったのだと思います。

━━━最後に、この作品について一言お願いします。
この映画のテーマは何ですかと聞かれたら、ずばり「テーマは俳優です」。主演の二階堂ふみさんと鶴田真由さんは監督の力を越えてすごく魅力的に映っているので、そこはぜひ観ていただきたいですね。
(江口由美)

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