日英交流400周年記念作品『飛べ!ダコタ』油谷誠至監督インタビュー
(2013年 日本 1時間49分)
監督:油谷誠至 音楽:宇崎竜童
出演:比嘉愛美、窪田正孝、洞口依子、中村久美、芳本美代子、蛍雪次郎、園ゆきよ、マーク・チネリー、ディーン・ニューコム、綾田俊樹、ベンガル、柄本明
2013年10月5日(土)~シネマスクエアとうきゅう、塚口サンサン劇場、10月19日(土)~布施ラインシネマ、11月2日(土)~十三セブンシアター、京都みなみ会館、他全国順次公開
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★公式サイト⇒ http://www.tobedakota.com/
(C)「飛べ!ダコタ」製作委員会
~佐渡の人々が教えてくれた日本人の真心~
今から67年前、佐渡島でj実際にあったお話。終戦間もない冬、佐渡島の小さな村にイギリス軍の要人輸送機《ダコタ》が不時着し、難儀しているイギリス人を助けようと村をあげて協力した。さらに、再びダコタを飛び立たせようと浜辺に滑走路まで造ったという。厳しい冬の佐渡の海を背景に、村人とイギリス人が戦争という辛い過去と言葉の壁を超り越えて絆を深める様子を、芸達者な演技陣により人情深く描かれた感動作である。
戦争が終わったとはいえ、ついこの間まで敵国として戦ったイギリス軍である。村人の中には家族が戦死したり傷付いたりした者もいる。複雑な感情を胸に、イギリス人を助けた村人たちの無償の行為は今まで知られることはなかった。だが、当時整備士をしていたイギリス兵の息子が、今は亡き父親の「この地で大変お世話になった。もう一度佐渡へ行きたい。」という思いを告げに佐渡を訪れたことから、「国境を越えた絆を風化させてはならない」とこの映画の製作が始まった。
『飛べ!ダコタ』が初監督作となる油谷誠至監督(59歳)。厳冬の佐渡島で、少ない製作費の下、それこそ劇中のイギリス人のように佐渡の人々に助けられながらの撮影だったようだ。こうして苦労しながら撮ったからこそ、作品に思いやりや優しさが滲み出ているのであろう。油谷監督に、作品に込めた思いやオールロケを敢行した現場の様子などを伺った。
【油谷誠至監督プロフィール】
1954年広島県出身。フリーの助監督として、五社英雄、松尾昭典、実相寺明雄などの下で活躍後、88年より総合ビジョンにて深町幸男監督に師事。89年山田太一脚本の連続ドラマ「夢に見た日々」で監督デビュー。04年「牡丹と薔薇」では、昼ドラ・ブームの火付け役となった。主な作品に、「母親失格」(07)「Xmasの奇跡」(09)などの東海テレビの昼帯ドラマ、二時間ドラマ「救急救命センター」シリーズ(00~)月曜ドラマスペシャル500回記念作で矢沢永吉主演ドラマ「雨に眠れ」(00)がある。本作で、初の映画監督に取り組む。
◆ 映画に込めた思い
――― 製作のキッカケは?
知り合いが佐渡のフィルムコミッションからこの話を聞いて、TV向けに情報発信したら、映画プロデューサーの耳に入り、偶然私にこの企画を持ちかけられた。
――― 初監督作品ですが、この話を初めて聞いた印象は?どこに焦点を当てて映画化しようと思ったのですか?
このような美談をそのまま伝えても薄っぺらくなってしまう。それならTVのドキュメンタリーで十分。今までに自分の中でいろいろ考えていたことがあり、それをこの話の中に盛り込めるのではと思って、脚本作りに手間をかけた。
――― 今回3人で脚本を手掛けていますが、盛り込もうと思った事とは?
2つあって、1つは日本人が持っている国民性を再認識すること。歴史が育んだ日本人の文化は戦後間もない頃までは残っていた。その後、民主主義が入って来て物質中心の社会が拡がり現在に至っている。それが戦後の在り様だと思うので、それを悲観的には考えてはいない。戦後の頃まではあった日本人の心は、今もひとりひとりが持っている。外見がいくら変わっても、祖父母や両親から受け継いだ日本人のDNAは変わらない。この映画がそうした日本人が持っている美徳を再認識するいい機会になればと思う。
もう一つは反戦。終戦直後の日本を舞台に、女性の目を通して戦争の悲惨さを描ければ、戦争で得るものなど何一つないんだと理解してもらえるのではないかと思った。この二つをダコタの実話の中に盛り込めんで映画化した。
――― そうした明確な意図があるからこそ分かりやすい映画に仕上がっていると思う。真っ先に「おもてなし」という言葉を思い浮かべたが?
日本人は傷付いた人を助けるという思いやりの気持ちや慈悲の心を持っている。それが「おもてなし」という形で表現され、日本人の美徳という評価に繋がったのだと思う。
――― そういう気持ちが薄れてきているのでは?
個人主義、物質主義、何でも人や社会のせいにする責任転嫁、また自由=権利主張、それには責任が付いてまわるという認識が薄れてきている。でもすべてが悲観的なものばかりではなく、心のどこかに日本人が継承してきた思いやりの気持ちを持っているはず。この映画がその琴線に触れてくれればいいなと思う。
◆ 撮影現場について
――― 佐渡の皆さんも、自分たちの歴史を映画化してくれて嬉しかったでしょうね?
全島を挙げて協力してくれた。寒い中、婦人会や町内会の皆さんが、公民館などで温かい炊き出しをしてくれて、本当にありがたかった。寒い時は最高ですよ。とても感謝している。
――― 佐渡でのプレミア試写は如何でしたか?
8000人ぐらいの方が見て下さり、とても喜んで頂いた。それに、これは佐渡だけではなく、日本のどこででも共通するテーマだと言われた。
――― 周りの期待や初監督作ということで緊張は?
今回のスタッフの平均年齢は60歳。全部今村昌平監督の『うなぎ』や『カンゾウ先生』などのスタッフばかりだった。みんな私が20歳代に助監督をしていた時代の仲間たち。私は30歳位でテレビの世界へ行ったが、他の人はそのまま映画の世界で活躍されてきた。松竹の時に知り合った仲間ばかりだったので緊張しなかった。
――― 日本人なら誰でも共感できる内容で、低迷する邦画界の希望にもなりました。
観客がいい映画を求めるか、作り手がいい映画作りに努めるか、コロンブスの卵みたいな問題。NHKドラマ部門で、『夢千代日記』の深町幸男さんが僕を監督にしてくれて、その後山田太一さんらと一緒に仕事をしてきた。助監督の仲間はその後Vシネマの方へ進み、バイオレンスやエロやホラーなどを作っていたが、僕はTVで人間ドラマを中心にやってきたので、それが良かったと思う。TVドラマを撮っていても、人間性や心情面を重視したドラマ作りをしてきた。
――― やはり視点が違いますね?ところで、少ない製作費だったようですが?
最初の2億5千万円という予算では製作会社が資金を集められずに頓挫してしまった。それでも、佐渡の人たちが是非作って欲しいという気持ちが強く、資金は佐渡の方で用意して下さることに。結果、1億5千万円で撮ることになり、スタッフの給料減らしたり、宿泊費や食事代、交通費など、あらゆることを節約して、何とか完成することが出来た。
――― ダコタは本物の飛行機を使った?これだけでも相当費用がかかったのでは?
どうしても本物のダコタを使いたかった。分解、輸送、組立と、ダコタだけで3000万円かかった。本来もっと費用がかかるものを、今村組のスタッフだから節約現場には慣れていて、自炊でも何でも自分たちでやる。そういう姿勢が佐渡の皆さんの共感を得て、いろいろ協力してくださった。
――― まさに映画の中の高千村の人々とイギリス軍との関係と同じですね?そういう交流があったからこそ、人情味溢れる作品に仕上がったのでしょう。
製作するのに精いっぱいで、宣伝費を残せなかったのが残念!(笑)
――― 素晴らしい映像でしたが、厳冬での撮影は大変だったのでは?
佐渡の“シベリアおろし”には驚いた。1日のうちでも天候はころころ変わり、暗くて重い雲に覆われ、雪と強風にあおられる厳しい現場だった。
――― 撮影の時期は?
1月~2月にかけて2回に分けて撮影。室内のシーンもオール佐渡ロケ。撮影終了して我々が引き上げてからも、小松原茂キャメラマンは一人残って、ベストショットを撮り続けていた。お陰で佐渡の素晴らしい風景を盛り込むことができた。
◆ キャストや作風について
――― キャスティングは?
比嘉君とは初めての仕事ですが、他の皆さんはTVドラマからの仲間。柄本明をはじめ劇団東京乾電池のメンバーをはじめ個性的なキャストがそろった。柄本明さんと奥さんの角替和枝さんが共演したのは初めてなのでは?
――― 戦争責任についての重要なシーンを二人に語らせていますね?
そう、「天子様もおらたちも騙された」と言う村のおばちゃん(角替和枝)に対し、「騙されたんじゃない!騙されたと思っている内は、いつまで経っても次の戦争も止められん!」と村長(柄本明)が激昂する重要なシーン。
――― 息子の戦死の知らせを受けて慟哭する洞口依子さんの演技は真に迫っていましたね?
皆さんそう仰って下さる。洞口君とは何回か一緒に仕事をしてきたが、今回の母親役は「女性の姿を通して反戦を語る」という重要な役柄を、迫真の演技で表現してくれた。
――― 銃後の人々を描いているが、戦争で傷付いたことには変わりないですね?
その通りです。窪田君や洞口君が演じた人たちは当時はどこにでも居た人々。生還した人々もまた生きるために必死だった厳しい時代に、外国の人にこれ程親切にできる精神は素晴らしいと思う。
――― 人物描写が丁寧ですね?
テレビの仕事をしているとある程度の職人にはなれる。限られた時間で、そのキャラクターを印象付ける事には慣れている。そういう執念は若い頃から鍛えられてきた。
――― 若い映画監督について?
自分の思いも必要だが、それを観客に伝える技術を、様々な経験を積んでもっと研いてほしい。
――― ご自身の作風について?
木下恵介監督の『二十四の瞳』や『喜びも悲しみも』のような、どちらかというと分かりやすく感動的な作風に近いかなと思う。
――― 木下恵介監督のファンでしたか?
いえ、私は若い頃から溝口健二監督が好きでしたが、私にはあれほど女性を執念深く撮れない。今では成瀬巳喜男が好きになってきた。特に『乱れる』は凄い!
――― 女性の内面をスリリングに描いて惹き付けられますね?
男のダメさ加減もしっかり描いて、その対称的な構図が面白い。それに、名監督の作品に共通する特徴は、「品性」。テーマにしても、描写にしても、品のない映画は人の心に残らないと思う。
最後は映画談議に花が咲いて、インタビューを忘れて“映画ファントーク”となってしまった。油谷誠至監督は59歳で長編映画監督デビューとなったが、それまで培った経験と幅広い人脈、そして人を見つめる確かな目、さらには日本映画界の巨匠たちに共通する「品性」をわきまえた信頼できる監督だと感じた。このような監督にこそ、日本人が自信を取り戻せるような映画をもっと撮ってほしいと思う。今後さらなる活躍の場が広がることを心から願う。
★11月2日(土)~29(金)、大阪は十三・セブンシアターでも公開されることになりました。ゆるゆるのご当地映画と違い、史実を基に、普遍的テーマと明確な作り手の意図が映像に盛り込まれ、また俳優陣の的確な演技力によって引き締まった作品に仕上がっています。全国に上映の輪が広がって、一人でも多くの方に見て頂きたいと、心からそう思える映画です。お友達やご家族と、ご覧頂きたいです。
(河田 真喜子)