『人類資金』記者会見
ゲスト:阪本順治監督、佐藤浩市、森山未来
(2013年 日本 2時間20分)
監督:阪本順治 脚本:福井晴敏、阪本順治
出演:佐藤浩市 香取慎吾 森山未來 観月ありさ 石橋蓮司 豊川悦司 寺島進 三浦誠己 岸部一徳 オダギリジョー ユ・ジテ ヴィンセント・ギャロ 仲代達矢
2013年10月19日(土)~全国ロードショー
★作新紹介⇒ こちら
★公式サイト⇒ http://www.jinrui-shikin.jp/
(C)2013「人類資金」製作委員会
~世界を救えるか、ホントにあった“M資金”~
阪本順治監督が世界経済をテーマにしたエコノミック・サスペンス『人類資金』が完成し17日、題材に合わせて大阪・北浜証券取引所で阪本監督、主演の佐藤浩市、森山未来らが参加して映画をアピールした。
人気作家・福井晴敏の原作を映画化した『人類資金』はM資金(日本軍が秘匿した金塊)専門の詐欺師・真舟(佐藤浩市)が、実際にM資金を管理する組織の責任者M(香取慎吾)とかかわり、アジア・カペル共和国の青年セキ(森山未来)と出会ったことから、世界経済の仕組みに逆らって弱者救済に立ち上がる、という壮大なスケールの物語。
昨年5月、日本映画では初めてという国連本会議場でクランクインしたあと、厳寒のロシア・ハバロフスク、気温40度のタイ、もちろん日本各地でのロケ含め4か国を駆け巡った労作。それだけにまずは完成にこぎつけた安堵感が漂った。
――― 世界を駆け巡った映画が完成した感想は?
佐藤浩市: 経済を題材にしたエンターテイメントなんて、この時期によく出来た、と思う。原作と同時進行で、ほとんどオリジナルなんだから…。
森山未来:ハードな内容のこの映画がどこまで観客の皆さんに伝わるか。画面の向こうに見えてくるものがあると思う。
阪本監督:7年前に構想してから“人類”はあったが“資金”がなかった。脚本がようやくまとまりかけたら(2011年)3・11でもう一度練り直し、考え直し、何年かかかってしまった。でも、この年に公開するのがベストだと思う。経済に興味なかった人も今なら興味持ってくれるのではないか。東京五輪が決まり、次のバブルが始まるような時代に公開することに意味があると思う。この映画が成功しないことには次はない。
M資金の映画、と言っても誰も振り向いてくれない中、一人が「オレ、乗っかる」と言ってくれた。この泥舟に誰が乗っかってくれるか、といった感じだった。我々の本気度を示すため、去年5月、ニューヨークの国連本会議場での撮影の許可をもらい、(森山)未来一人だけ連れて行って撮影を開始した。そこで終わったら『国連』という短編映画ができあがっていた(笑)。
佐藤浩市:今の時期にM資金、どうして? という感じだったけど「オレ、やるよ」と乗っかった。この状況で見切り発車しても沈まされるんじゃないかと思うこともあったが、まだ浮かんでいる。“阪本《人類資金》丸”は支持出来る。
森山未来: 僕はネタバレになるんで、あまりしゃべれないけど、台本読んで分からない言葉が多かった。でも、台本から凄い熱量が沸き上がってくる感じがすごくあった。これは乗らなきゃ損だ、と思った。
阪本監督: 福井(晴敏=原作)も全く無知でしたね~『初めての人にもわかる経済用語』と言う本を森山君にも勧めました。経済についてイチから勉強しました。
佐藤浩市: 僕は下北沢と中目黒にアパートを持ってます(笑) って、嘘ですよ。父(三国連太郎)の背中を見てきたのである程度はその重要性は認識しているが、まったく疎いです。全部女房まかせです。
森山未来:昔から宵越しのカネは持たない生き方している。ざっくり、お金がどう回っているか、輪郭は把握出来るようになった。 カネ持ってないなりに、飲み屋で経済の話をしようとしている。
森山未来:去年5月の国連シーンが2、3日。10か月空いて、今年2月末から4月という撮影。監督の前作『北のカナリアたち』撮影の合間だったり、それ以外にも舞台に立ってたりして忙しかった。てんやわんやでこの現場に戻ってきて、背筋がピンとした感じだった。
佐藤浩市:僕は冬のロシア・ハバロフスクから入ってタイに行った。気温差60度ですからね。監督からは、寒いとところから暑いところへ行くと「酒がよく回る」といういいアドバイスをもらった(笑)。ハードでタイトな撮影になることは分かっていたの、その覚悟はできていた。
阪本監督:難産ではあったが、どうしたらスケール感を失わずに撮れるかが課題だった。移動日を抜いて実質31日間という日数はデビュー作『どついたるねん』とまったく一緒だった。あれは新世界周辺だけで撮ったがこれは世界中で撮った(笑)。
飛行機も格安チケットだから1日も撮影を延ばせなかった。だけど、幸運には恵まれた。ハバロフスクで「ここは雪が欲しい」という時に降ってくれた。僕はいつも(昨年亡くなった)原田芳雄さんの写真を持っていて、それを天にかざしたら晴れてくれる。奇跡的というか偶然性を味方にしながら撮りきれたと思う。最後の方では、スタッフが「そろそろ原田さんの写真お願いします」なんて言ってましたからね(笑)。
――― 最初が国連会議場のシーンだったが?
阪本監督:見切り発車だったので、これで映画が作れなければ、この国連のシーンの短編映画でも作ろうかと、開き直って撮った。僕より未来君がきつかったでしょうね。
森山未来:いきなり国連で、そこだけ撮るんですからね。でも、僕は「ここから逆算すればいい」と考えるようにしました。カペル共和国のセキ(森山の役名)が「援助は必要ありません」というんですが、普通の感覚で言うのはは難しい。でも、ホントの国連でエキストラの人たち200~300人の前で演説する。景色が自分の中で広がっていく感じでした。空っぽになってやれた。
――― 4カ国で撮影するのは最近の日本映画では珍しい?
阪本監督:僕は『闇の子供たち』でタイは知っている。ロシアはウラジオストックにフィルムコミッショナーがあったのでテレビ局から機材を借りた。基本、あるものでやるという姿勢です。苦労よりも、行った先々でいろんなものを調達した。そんな邪魔くささが面白い。
佐藤浩市:いまどき、観光映画撮る訳じゃない。ロシアのスタッフはとても協力的だった。勤勉な人が多くて仕事がやりやすかった。タイはおおらかというか、リラックスさせてくれましたね。ニューヨークはユニオン(組合)では出来ないんで、そうじゃない人々でやりましたが、プロ意識持っていて「映画は自分たちのもの」という気概で、撮影はその通り進みましたね。
森山未来:僕は現地の言葉をしゃべらないといけなかった。ロシアでも、少数民族の言葉も…。舌の使い方や唇の使い方などは大変だったが、いつの間にか共通言語になっていた。
何カ国か行ったけど、日本でもいろんなところへ行かされて大変でした。地下鉄通路の撮影では酸欠になりかけた。その場所では僕等の撮影が最後ということだった。
阪本監督:見たことのないような斬新な映画です。この映画でいいお正月の朝を迎えたい。
(安永 五郎)