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「からっぽ」な人間たちの意識下に潜り、新しい村上ワールドを作り上げた『アフター・ザ・クエイク』井上剛監督インタビュー

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 村上春樹の短編連作『神の子どもたちはみな踊る』にオリジナル設定を加えて映像化した『アフター・ザ・クエイク』が、10月3日(金)よりテアトル梅田、なんばパークスシネマ、イオンシネマ茨木、MOVIX堺、MOVIX八尾、ユナイテッド・シネマ岸和田、アップリンク京都、イオンシネマ京都桂川、イオンシネマ久御山、シネ・リーブル神戸、MOVIXあまがさき、イオンシネマ草津他全国公開される。
 監督は、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」や大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」をはじめ、劇場版にもなった『その街のこども』の演出を務め、天災を描き続けてきた井上剛。阪神・淡路大震災から30年を迎えた今、この30年の日本やこれからの日本を見つめる本作を作り上げた井上剛監督に、お話を伺った。
 

 

■阪神・淡路大震災から15年後が舞台の『その街のこども』を振り返って

――――井上監督の手がけた『その街のこども』は今でも毎年上映が続き、阪神・淡路大震災のその後を描いた映画の代名詞になっていますが、この作品が末長く上映され続けている理由をどのように分析されていますか?
井上:この作品は震災の映像が出てきませんし、震災で家族を失ったお話というわけでもなく、一見すると悲惨さを訴えている物語ではない。誰でも(自分の震災体験について)しゃべりたくなるようなリアリティーがあるからではないかと思っていますし、実際、作るときに心がけていたことでもありました。その描き方は本作にも通じるところがあります。
 
――――というのは?
井上:『その街のこども』は阪神・淡路大震災から15年後の話で、佐藤江梨子さんが演じた美夏は友人を亡くし、森山未來さんが演じた勇治は知り合いに亡くなった人はいなかったけれど、震災時に父親が周りの人から不名誉な扱いを受けたことがトラウマになっているという設定です。15年ぐらい経ち、少し時間や距離を置いたからこそ、たまたま出会った二人がたまたま語り出した。この“たまたま感”が良かったのだと思います。
 
――――拝見した当時、こういう視点での震災の描き方があるのかとすごく新鮮でした。
井上:タイトルに「こども」を入れたのも、こども時代の話を大人になった主人公二人がしているというのが、観客のみなさんに寄り添いやすかったのではないでしょうか。お互いの記憶の違いがあるので、会話をしていて通じるところもあれば、そうでないところもある。そういう日常の会話で起こりそうなことが映画の中で繰り広げられるので、観客のみなさんが自分ごととして捉えていただけたのかもしれません。
 
――――夜の街を歩きながら話すというシチュエーションが非日常感を出していたのでは?
井上:1995年、被災した当時の神戸は描けないけれど、夜のシーンにすることで、当時被災した街に住んでいた人は想像することができるでしょうし、そうでない人は会話に集中していただける。震災を扱った題材ですが、若い男女の話でもあり、鑑賞する敷居が低かったように思います。
 
 
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■95年、同時期に地下で起きた天災と人災を捉えた原作『神の子どもたちはみな踊る』

――――『その街のこども』製作時、『神の子どもたちはみな踊る』を読んでおられたそうですが、その魅力や、参考になった点は?
井上:NHK大阪放送局にいた頃で、「震災のドラマを作ってほしい」というオファーに対し、どういう題材で、どういう人に何を届ければいいのかを悩んだのです。そこで出会った本が村上春樹さんの『神の子どもたちはみな踊る』でした。95年に自分の故郷(芦屋)が震災で壊されてしまったことだけでなく、同年3月の地下鉄サリン事件と、同時期に天災と人災がいずれも地下で発生しているわけです。その二つが作家ならではの想像力で捉えて表現されており、着眼点や考え方がとても参考になりました。
 
――――時を経ての映画化は、阪神・淡路大震災から30年というタイミングを意識して作られたのですか?
井上:『その街のこども』以来になりますし、神戸で撮影をさせていただいたので、何か震災から30年のタイミングで自分にできることはないかと思い、『その街〜』のプロデューサーだった京田光広さんに企画を相談していたところ、同じタイミングで本作のプロデューサー、山本晃久さんが『神の子どもたちはみな踊る』を映像化したいと声をかけてくれました。
『その街のこども』も、ある不幸をどうやって乗り越えるのかと二人で語りかけるシーンで脚本の渡辺あやさんが「工夫するしかないんだよ」というセリフを書いていますが、阪神・淡路大震災からの30年は地震だけではなく、様々な不幸な出来事が起きました。繰り返される天災だけでなく、人間の無意識下、地下にある黒々としたものが全く衰えていないし、分断が起き、世の中が本当に良くなっているのかと考えたとき、話のスタートを95年においてはどうだろうかと考えたのです。だから神戸のことを思っての一面と、今に向けて作るにあたり、話のスタートのタイミングとして設定した面と両方の側面があります。
 
 
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■かえるくんは徹底的に善であり、揺れない存在

――――原作の中で銀行員片桐の前にかえるくんが登場する「かえるくん、東京を救う」は印象的ですが、本作ではその部分はナレーションにし、映画オリジナル部分で新たなエピソードとして二人を登場させています。その狙いは?
井上:登場人物たちのテーマはみんな「からっぽ」なんです。1995年の小村(岡田将生)は本当に頭の中がからっぽですが、2025年の片桐(佐藤浩市)はからっぽなのだけど、想像力で目の前のことが豊かに見えることもある。だから片桐にはかえるくんが見えるんです。
かえるくんは徹底的に善であり、揺れない存在です。ひょっとしたら(闘う羽目になる)みみずくんとも仲が良かったかもしれない関係性の象徴でもある。神の化身のようでもあり、いろいろなことを想像させるかえるくんが、ナレーションだけではなく実物で、コミカルに登場し、片桐とユーモラスなやりとりをし、戯れ、そして冒険するかのように日本を救うストーリーはファンタジックで面白いと思ったんです。
95年の第1章から共通しているのは地下に潜るということで、それまで意識の地下に潜っていたのが、25年の第4章では実際の地下に片桐とかえるくんが潜っていき、お互いに無意識の中に入って何かと闘っていく。闇に飲まれていくかえるくんは、人間の善なのか、失くしてしまったものなのか、いろいろと想像できるかえるくんを具現化してみたいと思ったのです。
 
――――今回、このかえるくんの声をのんさんが演じていますね。
井上:さきほど言及したかえるくんのイメージと重なりますが、イノセンスなものであってほしいという想いがあり、のんさんにオファーしました。少年のようでもあり、違うようでもあり、悪意がなく、でもコミカルなことができて、何よりもイノセンスな感じが出るといいなと思ったのです。
 
 
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■ドキュメンタリー的な要素を取り入れた第2章

――――登場人物はみな、孤独を抱えた人たちですが、そこに何かの仕掛けがあることで、見知らぬ者同士が胸の深い想いを打ち明けられるということが描かれた2011年のエピソードが印象的でした。
井上:2011年の第2章は舞台装置的には海岸がメインで、とにかくシンプルかつナチュラルにやることがテーマでした。ほかの3つの章とは一番演出スタイルが違い、ドキュメンタリー的な要素を取り入れました。大江崇允さんの脚本では「順子は地に足がついていない」と書かれていたのでその感じを掴みたくて、順子(鳴海唯)が電車に乗っているシーンは実際の京王線で撮っていますが、なんども何時間も彼女の佇まいを近くから、時に遠い距離から長回しで撮影し、キャラクターをみんなで探りました。
 
――――「地に足がついていない」のも、キャラクターに共通することですね。
井上:地面がとても大事なお話なので、どういう立ち方をするのかをどの章も大事にしました。第2章は毎日海辺で、関西弁の男・三宅(堤真一)が焚き火をするのですが、その火だけが厳然とそこにあり、でもいつかは消えるという当たり前のことが人生のようでいいなと思っていました。また僕たちは現在からの視点で見ているので、いずれはその浜に東日本大震災による津波が押し寄せることもわかっているので、「アフター・ザ・クエイク」と言いながら「ビフォア・ザ・クエイク」であることも表現しているのです。堤さんも、ご自身は阪神・淡路大震災での被災経験はないそうですが、震災についての話をせずとも、現場では当時神戸市東灘区で被災した三宅としてその場におられた。すべてナチュラルに撮影が進んだ感じがありました。
 

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■「からっぽ」を表現する難しさ

――――一方95年の第1章は、登場人物の「からっぽ」感が非常に出ているエピソードですが、小村を演じた岡田将生さんをはじめ、妻、未名役の橋本愛さん、北海道で出会うシマオ役の唐田えりかさんと、それぞれが独特の存在感を示していました。
井上:俳優のみなさんは、演じるのが難しかったと思います。答えのない内容の難しさだけでなく、本当にこの演じ方で、「からっぽ」な感じを観客に受け取ってもらえるのかどうか。岡田さんをはじめ、みんないくばくかの「からっぽ」感を抱えたキャラクターの表現について、悩まれていました。
 また第1章だけ、意図的に小説の言葉遣いを用いているのですが、それでも不自然になることなく、言葉をしゃべっているのに、とてもスカスカな感じとか、不穏さを感じとっていただくにはどうすればいいのかと。岡田さんや唐田さんが見事に演じていましたね。橋本愛さんはセリフのない役でしたが、未名を演じてもらうためにお呼びしました。
 
――――セリフがないというのも、逆に生々しい感情が伝わりますね。
井上:同じ震災を体験しても、感じ方は人それぞれです。小村のように、それでも日常を歩んで行く方に意識を置く人と、未名のようにそこで留まって動けなくなってしまう人と。震災に限らず何かの局面が訪れたとき、どこか空虚な気持ちを抱えてしまうことはよくあると思うのですが、それを演じるのは難しいですね。
 
 
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■祈りと神の存在について考える第3章

――――表題作「神の子どもたちはみな踊る」を2020年に置き換えた第3章は、祈ることがテーマでもあります。地下鉄サリン事件以降、宗教や祈ることへ否定的な見方も多くなったのではないかと。
井上:地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教はカルトで胡散臭いと捉えられてきましたが、2020年ごろに宗教二世の問題が大きく報じられ、何が正しいのかと考えていくと、陰謀論も含めて何が正しくて、一体どこに向かっていくのかと誰もが思っているでしょう。みんなが聡明で正しければ戦争はないわけで、そうでないから戦争が各地で起こっている今、神と呼ばれる存在は一体何をしているのか。宗教二世の善也を演じた渡辺大知さんが発したセリフは、よくわかる。一方で宗教指導者の田端(渋川清彦)が「それでも祈る」というのは、人間の業が出ている気がします。
 
――――太古の昔から人々は神に祈りを捧げてきた事実があり、確かに祈るだけで戦争は終わらないけれど、そこで武器を手にして良いのかと、いろいろと考えを巡らされますね。
井上:95年から第1章がはじまり、20年近く経った第3章で改めて祈りとは何かを問う。辛い時があったとき、どうすればいいのか。本作では現場でギターの大友良英さんが弾いてくれている中、渡辺さんに善也として踊ってもらいましたが、善也が動きたくなった理由も自分で見つけもらうようにしました。
 
 
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■神戸の地下に潜る撮影で「スタート地点に戻ってきた」

――――2025年の第4章は、片桐を含め、どのように設定を考えていったのですか?
井上:今、もう一度かえるくんが現れて、意識の底に向かっていったとき、95年からの30年を片桐がどのように生き、何に責められたり、何と闘っているのかを想像するところからスタートしました。また村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』などの冒険譚を映像でやってみたいという想いもありましたので、第1章から続いてきた意識下に入ることを実際に地下に潜ってやること、最後は(地上/通常)に戻るという構成で大江さんに脚本を書いていただきました。
 
――――その地下のシーンは、非常にスペクタクルで迫力がありましたね。
井上:あの地下のシーンは神戸で撮影したんですよ。神戸の地下にこんな場所があるなんてと感動しました。15年前の『その街のこども』は神戸の地上の話でしたが、スタッフ・キャストと神戸の地下に潜り、本当に真っ暗で恐怖すら感じる中で撮影できたのは、スタート地点に戻ってきた感覚で良かったです。
 
――――ありがとうございました。95年から30年後の今、この作品を届けるにあたり、メッセージをお願いします。
井上:震災を経験してきた日本が、95年からどのように歩み、また人の心はどうなってきたのかを考えて作りました。あの揺れは時や場所が変わったとしても、今でもどこかで揺れています。大事な地面が揺れると人の人生に当然影響してくると同時に、ただ想像することもできる。想像することで人と人とが繋がっていければと思っています。
(江口由美)
 

<作品情報>
『アフター・ザ・クエイク』
2025年 日本 132分 
監督:井上剛  脚本:大江崇允
原作:村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫刊)
出演:岡田将生、鳴海唯、渡辺大知、佐藤浩市、橋本愛、唐田えりか、吹越満、黒崎煌代、黒川想矢、津田寛治、井川遥、渋川清彦、のん、錦戸亮、堤真一 
10月3日(金)よりテアトル梅田、なんばパークスシネマ、イオンシネマ茨木、MOVIX堺、MOVIX八尾、ユナイテッド・シネマ岸和田、アップリンク京都、イオンシネマ京都桂川、イオンシネマ久御山、シネ・リーブル神戸、MOVIXあまがさき、イオンシネマ草津他全国公開
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