
頑固で孤独な初老の男のほろ苦い日常と、思わぬ恋心をメキシコ出身の若手女性監督ロレーナ・パディージャが描く長編デビュー作『マルティネス』が、8月22日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショーされる。
チリ人俳優フランシスコ・レジェス(『ナチュラルウーマン』)が、仕事のため移住したメキシコでキャリアの終盤を迎え、老いや死、孤独に直面しながら愛に迷う曲者の主人公・マルティネスを絶妙のさじ加減で演じている。淡々とした日常に訪れる変化と共に思わぬ方向へ変わっていくマルティネスに、監督はどんなメッセージを込めているのか。パディージャ監督(写真下)にオンラインでお話をうかがった。

■どこにも居場所や所属がない感覚を表現
――――ご自身の初長編で、初老の移民男性を主人公にした物語を描いたいきさつを教えてください。
パディージャ監督:わたしはメキシコ人ですが、過去15年間で5カ国10都市に居住経験があります。だから故郷でも、母国ではない国でも属していないという感覚が強くなりました。移民の方も、わたしの感覚と同様に、どこにも居場所や所属がないと感じているでしょうから、共感や興味を覚えるようになったのです。
――――なぜ、そんなに多くの場所を訪れながら暮らしておられたのですか?
パディージャ監督:元々どの世界にも所属していないという感覚があったので色々な国で住んでみたのですが、最終的にはメキシコに帰り、とても満足しています。それは国に対する満足ではなく、わたしがこれでいいんだと自分の内面に向き合った上で、満足できるようになったということなのです。
■フランシスコ・レジェスは、マルティネスのイメージそのもの
――――様々な場所を訪れながら、ご自身と向き合う旅をされてきたんですね。
次に、孤独で偏屈な主人公、マルティネスを演じたフランシスコ・レジェスとの出会いについて教えてください。
パディージャ監督:マルティネスというキャラクターのルックスについて、元々かなりしっかりしたイメージがありました。最初はメキシコでキャスティングを行いましたが、なかなかイメージ通りの俳優が現れなかった。ある日、セバスティアン・レリオ監督の『ナチュラルウーマン』の予告編を見る機会があり、そこに登場したフランシスコ・レジェスさんを見た瞬間に「彼こそがマルティネスだ!」と思いました。すぐにレジェスさんにコンタクトを取り、脚本を送ってオンラインミーティングをしたところ、オファーを受けてくれたのです。わたしの頭の中に、会ったこともないレジェスさんが演じるマルティネスの顔が浮かんでいたので、本当に驚きましたね。

■即興的に長回しに変えることでできたベストシーンは?
――――レジェスさんとの役作りについて教えてください。
パディージャ監督:レジェスさんとの役作りはとてもやりやすかったです。わたしは大学で映画を教えているので(メキシコのモンテレイ工科大学グアダラハラキャンパスで脚本・監督コースを担当)、その給料を貯めてチリに行き、彼と役作りや撮影を行いました。わたしは撮影現場で脚本にないことを取り入れ、即興的に変えていくことが好きで、レジェスさんがそのやり方を受け入れてくれるか不安でしたが、快く受け入れてくれました。本当に良かったです。しかも彼は本当にハンサムなんですよ(笑)。
――――即興の演出がうまく作用したと思うシーンは?
パディージャ監督:マルティネスが同僚のコンチタとパブロ、(孤独死した隣人の)アマリアについての作り話をしていたシーンは、現場で脚本を変更し、かつわたしが最も重要だと思っているシーンです。わたしは長回しも多用するのですが、カットと言わずに回し続けていると、彼らは舞台経験が豊富な俳優たちなのでひたすら演技を続けてくれ、その結果とてもいいシーンになりました。

■人はいくつになっても変われると強く信じて
――――本作は年をとることをネガティブに捉えるのではなく、自分次第で変わっていけるとポジティブに捉えているように感じました。今のお話を聞くと、パディージャ監督自身のお父様に対する願望を描いたようにも映りますね。
パディージャ監督:面白いことに、母にこの映画を見せた時は、「この映画は、実家であなたのお父さんを撮ればよかったんじゃないの」と言われたのですが、父に見せたときは「わたしはマルティネスとは違うし、こんな偏屈じゃない」と言われました。それが現実なのです。わたし自身は、人はいくつになっても変われると強く信じていますし、そこにこそ映画の力があると思っています。
――――アキ・カウリスマキ作品のような、ミニマムな描写の中に哀愁やユーモア、働く人間の心情が描かれていましたが、影響を受けた監督や、このようなテイストの作品にした狙いについて教えてください。
パディージャ監督:アキ・カウリスマキはとても好きな監督です。わたしは華やかさや特別なことはなくても、シンプルなストーリーや、市井の人々が主人公の作品が好きです。ミランダ・ジュライも素晴らしい監督で、作品で登場するキャラクターもシンプルですが、どこかユニークさがあって好きです。他にはアレクサンダー・ペイン監督の『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』も好きですね。わたし自身も祖父母や叔母といい関係を築いているので、人が好きですし、とにかく人にまつわる話が好きなのだと思います。シンプルなテイストの映画が好きだからこそ、自分で撮るときはシンプルなトーンの映画を目指しているのです。
■もっとわたしたち女性監督には映画を作る機会が必要
――――ありがとうございました。最後にメキシコ映画界、しいてはラテンアメリカ映画界における女性監督の状況や今後の展望について教えてください。
パディージャ監督:今は多くの女性監督が台頭しており、すごく興味深い時期に身を置いていると思います。ただ、女性監督と一言でいっても、皆それぞれに個性があり、違う状況にありますので、もっとわたしたちには映画を作る機会が必要だと感じています。わたしはニューヨーク大学の芸術学部(ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツ)でフルブライト奨学生としてドラマティック・ライティングの修士号を取得しましたが、そこには世界各国から女性監督が集まっていました。彼女たちは脚本や撮影も担当しますし、母親業をこなしながらそれらをやっている人もいます。彼女たちの撮影や物語へのアプローチ、クルーとの関係性づくりなど、本当に様々です。だからこそ、色々な観点から描く女性の作品が観ることができると思っていますし、わたし自身も観たいと思っています。
(江口由美)
『マルティネス』“MARTÍNEZ”
2023年 メキシコ 96分
監督・脚本:ロレーナ・パディージャ
出演:フランシスコ・レジェス、ウンベルト・ブスト、マルタ・クラウディア・モレノ
8月22日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー
© 2023 Lorena Padilla Bañuelos