20世紀を代表する建築家で、母国フィンランドのみならず、世界中に「アアルト建築」と呼ばれる建築を作り上げてきたアルヴァ・アアルトと、彼と共に建築、内装、家具の分野で多大な貢献をしてきたアイノ・アアルトの人生やその仕事を描くドキュメンタリー映画『アアルト』が、10月13日(金)よりシネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、アップリンク京都にて公開される。
アルヴァとアイノが手がけてきた建築や家具たちも続々と登場。ドイツのバウハウスなど、建築に新しい風が吹いていた時代、万国博覧会のフィンランド館を手がけたことから時代の寵児となり、アメリカでも人気を博していく様子や、戦争による復興需要により、新しいまちづくりに取り組んでいく姿は、建築家が果たす役割の大きさを実感させられる。人たらしで、パトロンを得て外での仕事を楽しむアルヴァと、家具の会社の経営から子育て、そして自身のクリエイティブワークまで黙々とこなしていたアイノ。50代でアイノが病死し、アトリエで勤めていたエリッサと再婚してから、人生の最晩年までアルヴァの老いもしっかりと見つめた稀有なドキュメンタリーだ。
本作のヴィルピ・スータリ監督にお話を伺った。
■小学校時代に通ったアアルト設計の図書館は「特別だった」
――――スータリ監督は小学校時代からアアルトがデザインした図書館が好きで訪れていたそうですが、その当時その場所でどんな気持ちを抱いたのでしょうか。
スータリ監督:幼いからこそ世界が新鮮に見えるし、幼い時の記憶ほど長く自分のなかに残るものです。子どものころ、アアルトがデザインした図書館は日常の生活に何気なくあるものでしたが、なぜわたしがそんなに特別だと思ったのかを追求したいという気持ちが、この映画を作るきっかけになったと思います。当時、わたしの故郷の冬はマイナス30度ぐらいまで気温が下がり、とても寒かったのですが、とても特殊な形をした図書館の取っ手を引いて中に入ると、素晴らしい空間が広がっていたのです。ここはまさにわたしのリビングルームだと感じました。アアルト&アイノの作品は触らずにはいられなくなるような感覚に訴えてくる美しさを備えており、レンガの壁を触ってみたり、革張りの椅子に座ってみたり、真鍮のランプが照らす中読書をしたりと、リビングのように過ごしました。
――――それは特別な体験ですね。
スータリ監督:でも当時のわたしには、何が特別なのかを理解することができなかった。映画を撮るということは、当時毎日触れているものが、なぜそんなに特別だったのかを解き明かすという試みでもあったのです。アルバート・アアルトは、わたしの父母世代は建築家として敬愛していました。
■アアルト夫婦の間で取り交わされた書簡をみつけ、映画化を確信
――――なるほど。他にも本作を作る動機になったことはありますか?
スータリ監督:当時、わたしの故郷は戦争によって完全に焼け落ちてしまい、本当に醜い状態でした。そこで復興を急ぐため、アアルトら建築家が招聘され、都市計画を立てて、新しい建築物を作り、焼け出されてしまった人たちの尊厳を取り戻したのです。そんないろいろなことがわたしの頭の中にあり、この作品を作ろうと思ったのです。それまでにドキュメンタリー作家として30年のキャリアを積んでいたので、わたしは建築家ではありませんが、建築家アアルトの作品になぜ感銘を受けたのかを語っていこうと思いました。実際に、彼がどんな人物であったかを具体的に知らなかったのですが、取材を通じて妻、アイノ・アアルトという非常に興味ふかい人物を見出しましたし、ふたりの間で取り交わされた書簡をみつけたことで、映画が作れると確信したのです。
――――まずは調査が必要ですが、まずはどんなことから始めたのですか?
スータリ監督:4年間製作に携わり、2年間はフルタイムでかかりっきりとなって、大量の資料を形にするわけですから思い出すのも大変なぐらい(笑)。調査を進める中で、100名以上の人間が関わってくる、一種の前世紀の文化研究に近いリサーチが必要だったのです。ロックフェラー財団所有の資料や、国連が持っている資料など世界中の資料保存場所にアクセスしましたし、家族が保管している手紙や写真も一番大事でした。そこで重要だったのは、人と人との研究者同士のネットワークを、網の目のように広げ、背景についてインタビューしたことで、それも大きな仕事でした。様々な人の解釈を組み上げていくのは大変でしたが、ゆっくりと時間をかけて取り組むというアプローチをとり、アアルトの家族からの信頼も時間をかけて築き上げていきました。ちなみに編集のユッシ・ラウタニエミさんは、フィンランド版アカデミー賞の編集賞を受賞したので、苦労が報われたと思いますよ。
■記録映画ではないシネマ性を出すことを意識して
――――それは、おめでとうございます。ちなみに編集では特にどんな点に苦労したのでしょうか?
スータリ監督:建物はそもそも動かないし、家具も動かない。登場人物も亡くなっている方ばかりで、生きて動いているものが一つもない状態で撮影するのは、非常に難しかったです。フィルムの中で物語の流れを感じさせ、有機的かつイキイキとした感じを出すのが大変で、編集も大変でした。記録映画ではないシネマ性をきちんと出すことを意識しましたね。専門家や関係者のインタビューを出すのではなく、たくさんの人の話を取り入れながら、ひとりのナレーターが話をする形にしました。そういう考えのもと、アルヴァやアイノをいきいきと描くことに心を砕いたのです。
■フィンランド人でも知らなかった建築家、アイノ・アアルトに光を当てる
――――アルヴァ・アアルトを調べるうちに、アイノ・アアルトという興味深い人物に出会ったとおっしゃいましたが、スータリ監督はアアルトをどんな人物と捉えたのですか?
スータリ監督:アイノに、今スポットライトを当てるべきだと思ったのです。フィンランド人でさえ、彼女のことを知りませんでしたから。ただアイノはアルヴァと若い時に知り合い、いろんなことを一緒に発見するなど対等な立場にいましたし、ドイツのバウハウス運動にも関わり、有機的なモダニズムを一緒に生み出していました。アアルトの世界観の土台はふたりで作り上げたもので、その上にアルヴァが建築していったのです。実際、アルヴァの建築の内装は、ほとんどアイノが手がけており、バウハウス運動のように建物も含めた全体性としてのアートを成し遂げる上で、非常に重要な役割を果たしていました。ですから、映画の中でも、まずアイノが建築家であることを盛り込みたいと考えていたのです。
――――日本でも展覧会「アイノとアルヴァ 二人のアアルト フィンランド-建築・デザインの神話 AINO and ALVAR AALTO: Shared Visions」でアイノのことを知った人も多かったと思います。
スータリ監督:アイノは並々ならぬ審美眼を持っており、アルヴァは自分が何かを作る際はまずアイノに見せて、意見を求めていたそうで、そういう点でも全幅の信頼を置かれていました。ただアイノは寡黙で、いつも周りの観察しているような人だったのに対し、アルヴァはとても外交的で誰とも友達になれる魅力的な人物でした。ふたりは愛し合っていたので良いと思うのですが、わたしがアルヴァを夫にすることは、あり得ないですね。アイノの死後に再婚した若いエリッサに対し、自分の好きな髪型や服に変えさせるような束縛的なことをしていたこともありましたから。ただ、アルヴァの魅力にわたし自身が恋をした部分もあるのです。でもそれ以上に100年前の女性でありながら、現在にも通じるようなアイノの建築家や大工としてのスキルを持ち、家具会社の運営をし、ふたりの子どもを育て、何よりも扱いが複雑な夫アルヴァの世話をする、とても先進的かつエネルギッシュな女性でしたから、大きなインスピレーションを得ることができました。ちなみにアルヴァの声を演じたのはわたしの夫ですが、彼はアルヴァのような「ありえない」夫ではないことを付け加えたいです(笑)
――――晩年はお酒で身を滅ぼすような部分もあったアルヴァですが、いずれにせ、アルヴァのあらゆる部分を描き出していましたね。
スータリ監督:アルヴァが人として抱えていた問題を、しっかりと映しだそうと思っていました。彼は晩年になると若い世代とコミュニケーションが取れなくなり、恐竜の生き残りのように扱われました。昔は先鋭的な建築家だったのに、最後は自分の殻の中に閉じこもり、余計にアルコールのせいで悪循環を招いてしまったのです。ドキュメンタリーで人物を描くにあたり、フォーカスする人物を聖人君主化はしません。人としてのアアルトを出していくわけです。最後に、アルヴァは、「人は悲劇と喜劇との組み合わせである」と語っていたのですが、まさにそれを映画に反映させたかったのです。
(江口由美)
<作品情報>
『アアルト』”AALTO”(2020年 フィンランド 103分)
監督・脚本:ヴィルピ・スータリ
出演:アルヴァ・アアルト、アイノ・アアルト他
2023年10月13日(金)よりシネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、アップリンク京都にて公開
配給:ドマ
公式サイト https://aaltofilm.com/
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