レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

朝鮮戦争による戦争孤児と南北分断により生まれた現在の脱北孤児を重ねて描く『ポーランドへ行った子どもたち』チュ・サンミ監督インタビュー

main_A.jpg
 
 1950年代、北朝鮮から秘密裏にポーランドへ送られた朝鮮戦争の戦災孤児たちに光を当てたドキュメンタリー映画『ポーランドへ行った子どもたち』が、9月22日(木)よりシネ・ヌーヴォ、9月23日(金・祝)より京都シネマ、11月5日(土)より元町映画館にて公開される。
監督は、『気まぐれな唇』『誰にでも秘密がある』など俳優として活躍し、結婚出産後の現在はDMZ国際ドキュメンタリー映画祭理事、2021年に釜山国際映画祭「今年の俳優賞」審査委員を務めるなど、多方面で活躍しているチュ・サンミ。本作では監督自身がナビゲーターとして登場し、ポーランドへ行った子どもたちを描くフィクションのオーディションで出会った脱北者のイ・ソンとポーランドで戦争孤児たちの国家に翻弄されてきた足跡を辿る。彼らの面倒を献身的にみてきたかつての先生たちからは突然の北朝鮮による帰国命令で泣く泣く別れた子どもたちとの思い出が語られる。また二人はアウシュビッツにも足を運び、ポーランドの戦争の傷跡を見つめる。監督自身が出産後に体験した心の傷をはじめ、旅で明らかになるイ・ソンが抱えてきた心の傷など、それぞれの奥深くあるものが他者の心の傷と重なり合いながら表出していくのだ。過酷な分断の歴史を紐解くと同時に、それが他人事ではないことを感じ取ることができるだろう。
 本作のチュ・サンミ監督に、リモートでお話を伺った。
 

監督.jpg


 

――――既に劇場公開された韓国では大反響を呼んだとのことですが、特にどんな点が注目されたのですか?
チュ監督:韓国で、北朝鮮の戦争孤児がポーランドに送られていたという事実はほとんど知られていませんでした。両国の分断は長い間続いており、小学校の歴史の授業でも、「北朝鮮が朝鮮戦争のとき南に侵略してきた」という具合に、韓国の被害については習いますが、北朝鮮の被害については習うことはなかった。70年代韓国でのセマウル運動も、北朝鮮に対する敵対心から、自国を発展させる原動力になっていたのです。そのように北朝鮮の被害について、韓国で語られることはこれまでほとんどありませんでした。
 本作が韓国で公開されたのは2018年の平昌オリンピック開催で両国の融和ムードが生まれた時期でしたから、このような事実があったことに衝撃を受けつつ、韓国だけでなく北朝鮮にも戦争孤児がおり、東ヨーロッパに送られ、同じような痛みを経験していたと、お互いに共感できる問題として受け止めていただいたようです。
 
 
sub_1.jpg

 

■産後うつからの脱却と、子どもたちへの想い

――――この事実を最初に知った時の状況や、そのときの気持ちについて教えてください。また監督にとって出産を経験したことは、子どもに対する接し方や自身のキャリアについてどのような変化をもたらしたでしょうか?
チュ監督:妊娠時からうつがはじまり、出産直後から産後うつがひどくなりました。テレビで子どもの事件や事故報道を目にするだけで、すぐにチャンネルを変えたり、テレビを消してしまう。全ての子どもたちの苦痛が自分の子どもの苦痛のように考えてしまうという症状でした。2年ほど酷いうつ状態が続き、我が子が死ぬ悪夢にうなされ、早く映画を作らなければと思ったのです。既に大学院で映画を学び始めており、長編映画を作ろうと思っていたところ、知り合いの出版社で『ポーランドへ行った子どもたち』の素材に触れる機会がありました。
 同時に、北朝鮮でコチェビと呼ばれる孤児の映像を見ました。1990年代後半の苦難の行軍の時代、大飢饉で300万もの人が亡くなり、親たちが食料を探しに行っている間に孤児になってしまった子どもたちの映像を見ながら、それらが自分の子どもたちのことのように思え、涙が止まらないという経験をしたのです。ですから『ポーランドへ行った子どもたち』をまさに自分のことに受け止め、映画作りを決意しました。当初は自分の出演を想定していませんでしたが、そのような経緯から説明役として登場することになりました。
 

sub_11.jpg

 

■南北分断により生まれた現在の脱北孤児と、朝鮮戦争による戦争孤児

――――映画では『切り株』というフィクション映画のオーディションシーンが映りますが、彼ら脱北者の学生たちに演じてもらおうと考えた理由は?
チュ監督:もともとはフィクションとして映画製作を進めていましたが、シナリオのモニタリング段階で、元となる実話が韓国であまりにも知られていないので、まずはドキュメンタリーで事実を知らせることが大事ではないかという提案を受け、そこからドキュメンタリー製作へと舵を切りました。その過程で脱北者の子ども達と、韓国の子ども達が一緒に合宿をするというプロセスが大事なのではないかと考えました。北朝鮮の方言を韓国の子どもに伝えてあげることもできますし。結局はコロナで実現していませんが、そのためのオーディションの場面を本作で取り入れています。
 もう一つの理由は、脱北者の青少年たちは苦難の行軍の影響で、ラオスの国境を超えて韓国にやってきたというケースが多く、彼らは“分断孤児”と呼べるのではないかと思ったのです。南北の分断がなければ、300万人の餓死は起きなかったでしょうし、韓国から食料援助できたはずです。ですから彼らは分断の結果、孤児になり、南にやってきたわけで、現在の脱北孤児と、過去の朝鮮戦争による戦争孤児の、今も続いている悲惨な状況を伝えたいという気持ちもありました。
 
sub_2.jpg
 

■脱北者、イ・ソンさんにとってのポーランド旅とは?

――――ポーランドへ強制移送された戦災孤児たちの足跡をたどる旅に同行したイ・ソンさんは本作の主役と言える存在ですが、第一印象や、旅に誘ったときの様子について教えてください。
チュ監督:オーディションで他の子どもたちと違い、イ・ソンさんだけがとても明るかったのです。他の子どもたちは自分の過去を話すのですが、彼女は「もうなんともない。克服した」と、過去のことについて語らない傾向にありました。また、主人公キドクの親友役、オクスンを演じてもらうことになり、ポーランドではキドクのお墓に行くことが決まっていたので、親友役を演じるイ・ソンさんに同行してもらうことを考えていました。
 ポーランドで撮影しながら気づいたことですが、事前にドキュメンタリーの撮影であることを伝えていたものの、彼女自身が北朝鮮でドキュメンタリーにあまり接していなかったことから、ドキュメンタリーが何かを理解できておらず、自分の過去を明かさなければいけないという認識がなかったのです。でも語らないことが、彼女の精神的な回復を妨げているのではないかと思い、ポーランドで戦争孤児たちの世話をした先生たちを訪ねたり、キドクのお墓に行く中で、彼女はたくさん泣いたのです。そういう行程が自分の傷を外に出したり、過去を話すことにつながったようで、後々「ポーランドの旅が、自分の心の傷を治癒する旅になった」と言ってくれました。
 
――――世界初上映は釜山国際映画祭でした。
チュ監督:イ・ソンさんは俳優志望なので、わたしとレッドカーペットを一緒に歩き、とてもいい経験をしたと思います。もともと彼女は、資本主義社会の韓国に良い印象を抱いていなかったのですが、映画を観た観客が涙を流しながら話しかけてきたり、応援者も表れるなど激励を受け、韓国社会で生きていくことに関して良かったと思えるようになったそうです。
 

sub_8.jpg

 

■戦争孤児たちがポーランド人との出会いと別れの場所になった線路跡

――――ポーランドロケでは、戦争孤児たちが送られてきた線路跡の森で、感慨深げに「この森が覚えている」とおっしゃっていましたが、どんな気持ちを覚えたのですか?
チュ監督:フィクションのロケハンのための映像も別で撮っており、実際に現地に行くことでシナリオの絵作りが具体的に描けるようになりました。子どもたちにとっては到着の場所であり、最初は不安で恐れをなしていたと思うのです。彼らにとって外国人というのは米軍の存在しか知らず、ポーランド人も同様に見えて怖かったはずです。一方、先生たちの証言によると、7年後の別れの時に子どもたちは首に抱きついて大泣きしたそうで、親と思っていた先生たちと生き別れた場所でもあった訳です。これらを前向きに捉えると、戦争のトラウマを抱いていた子どもたちが、ここで暮らすことにより感情を表現できるぐらい回復し、心を開けるようになったと考えることもできます。そういう意味でも、森の中の駅跡というのは、子どもたちの変化を見せるとても重要な場所になると感じました。
 

sub_4.jpg

 

■ナチスドイツによる心の傷を負った先生たちにとって、戦争孤児たちは分身のような存在だった

――――プワコビシェで取材したかつての先生たちが、我が子を失った親のような表情で語っておられましたね。
チュ監督:子どもたちが7年間過ごしたプワコビシェは、森の中で湖もあり、とても環境の良い場所ですから、子どもたちは自然にも癒されたと思います。ポーランドのドキュメンタリー映像を見たときに、半世紀以上も前のことを涙しながら語る先生たちの愛情深さは何なのか。感情が豊かなのか、それとも特別の理由があるからなのかが気になりました。それが映画作りのきっかけであり、一番先生方に聞いてみたいことでもあったのです。
 
――――ポーランドと朝鮮は同じ痛みを持つことを「同じ母の子宮から生まれた双子のよう」という比喩で表現され、感覚的に理解できました。
チュ監督:実際にお話を聞いて気づいたのは、単に愛情だけではなかったということです。第二次世界大戦でポーランドにナチスドイツが侵攻し、大変な経験をした先生方の当時の年齢が、北朝鮮からポーランドにやってきた戦争孤児たちの年齢と同年代だったそうです。ポーランドの先生方も家族や親戚を亡くし、自身が先生孤児であるケースもありました。先生方自身がこうむった青春時代の辛かった時期のトラウマが、北朝鮮の戦争孤児たちの面倒を見ることによって、逆に癒されていたそうです。自分たちの若いころの姿を彼らに投影しながら、分身のように感じて彼らを理解したのだと感じました。
 戦争孤児たちが北朝鮮に帰ってから、その後の消息が分からないので、心配して泣いておられたし、70年前の子どもたちの姿がイ・ソンさんに重なり、彼女を抱きしめて泣いている先生たちもおられ、本当に感動しました。
 

■自分たちの話として受け止めて

――――ありがとうございました。最後に日本の観客へのメッセージと、劇映画「切り株」の製作状況についてお聞かせください。
チュ監督:フィクションとして製作予定だった「切り株」は、コロナ下で映画製作が難しくなってしまったため、今はドラマの脚本を書きながら、もう少しコロナが落ち着いたら映画が撮れるかどうかを見極めているところです。
わたしが今感じるのは、SNSなどで、ロシアのウクライナ侵攻をはじめ、戦争で爆破された村や難民の状況が、全世界リアルタイムで入ってくる状況にあります。『ポーランドへ行った子どもたち』は韓国の人たちにとっては北朝鮮の立場になって考えるきっかけになる作品になったと思いますが、日本の観客のみなさんにとっても同じように、韓国や北朝鮮の人たちの立場を考えてみることができるのではないでしょうか。日本の植民地時代を経て、南北の朝鮮が分断したという流れがあり、歴史はつながっています。ですから別の国の話と距離を置くのではなく、自分たちの話と受け止めてもらえればうれしいです。
 また今のウクライナの状況にも重なりますが、難民や孤児たちを愛情をもって見つめてほしいと思います。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ポーランドへ行った子どもたち』” Children Gone to Poland”(2018年 韓国 78分) 
監督:チュ・サンミ 
出演:チュ・サンミ、イ・ソン他
劇場:9月22日(木)よりシネ・ヌーヴォ、9月23日(金・祝)より京都シネマ、11月5日(土)より元町映画館にて公開 
配給: 太秦
公式サイト http://cgp2016.com/
©2016. The Children Gone To Poland.
 

月別 アーカイブ