『さすらいの女神たち』(2010)、『バルバラ セーヌの黒いバラ』など監督作が高い評価を得ているフランスの人気俳優で監督のマチュー・アマルリックによる最新作『彼女のいない部屋』が、シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマで絶賛公開中だ。
海外資料にあるストーリーは「家出をした女性の物語、のようだ」という1行のみで、監督自身も実際に主人公クラリスに起きたことを、鑑賞前の人には明かさないようにお願いしている。ピアノの音色と、家族の風景の断片がコラージュのように錯綜する中、クラリスの人生はどこに向かうのか。ぜひスクリーンで、何度でもクラリスが目にする世界や感情を共有してほしい。
週末を巨大な台風14号が襲う中、東京から無事移動し、9月20日(火)シネ・リーブル梅田でのティーチインの日を迎えたというマチュー・アマルリック監督。「まわりからは無理だと言われましたが、来ました」との言葉に、客席からも大きな拍手が送られた。フランス語で質問する観客も多く、時間が足りないほどの熱気を帯びたティーチインの模様をご紹介したい。
※鑑賞後のティーチインのため、映画の核心部分に触れる箇所があることを、ご了承ください。
■想像しようとする仕草が映画の鍵
―――クラリスが体験する現実と仮想現実が行き来する作品ですが、撮影はどのように行ったのですか?
アマルリック監督:映画も台風のように、どちらから、どんな流れでやってくるかわかりませんし、現実もそういうものです。順番に物事が秩序だって進んでいけばよいのですが、実際は希望があったり、何かに悩んだり、記憶が蘇ったりと色々な方向に揺れながら、人生が進んでいくと思うのです。おっしゃるように、この映画は想像の部分が多く、想像しようとする仕草が映画の鍵となっています。現実から出ていこうとする、想像しようとしているクラリスを映していきます。
この作品はクロディーヌ・ガレアが書いた戯曲をもとにしています。実際に上演されることはなかったのですが、とてもシンプルでありながら、とても力強い物語で、最初に想像したものが現実と交差し合う構造になっています。
身を切るような辛い思いを味わったとき、人は現実からそこから逃れるために想像の力を働かせようとします。そこでは真実とまやかしの区別がなくなり、錯乱する瞬間が誰しもあると思うのです。クラリスという女性はそんな瞬間を生きているのです。
■メロドラマと亡霊たちの2つのジャンルを実現
―――家族不在の悲しみや狂気、深い愛など様々な感情を覚えました。監督がどのような点に魅力を感じて映画化したのですか?またご自身が思う本作の魅力とは?
アマルリック監督:クラリスが想像しようとする身振りが原作に描かれていることに、とても興味を覚えました。クロディーヌ・ガレアの戯曲は短いものですが、死者と生者のパラレルワールドを描いており、自分の親しい家族がそこにいるかのような感情を抱きました。日本では死者と共に生きるという文化があると思いますが、西洋、特にフランスは死んでしまった人は別の場所におり、どこにもいないものと思って生きています。でもそうではない考え方のあることが描かれていることが映画化したいと思った動機の1つです。
また、この作品ではメロドラマと亡霊たちの2つのジャンルを実現できると思ったのも大きな動機でした。どこに現実があるのか、現実が何なのかがわかりそうで、わからない。それを映画という素晴らしいアートの力で探求し、みせることができると思うのです。
■上映国の配給がつけるタイトルは、作品の異なる扉を開ける
―――邦題の『彼女のいない部屋』は、原題「Serre moi fort」と大きく異なりますが、監督自身はどう思われますか?
アマルリック監督:戯曲のタイトルは「Je reviens de loin」(遠くからわたしは戻ってくる)でしたが、映画ではフランスの有名歌手、エティエンヌ・ダホの歌から取り、「Serre moi fort」(わたしを抱きしめて)としています。邦題は全く違いますが、それぞれ国の文化が違う観点でこの作品にアプローチし、この作品の異なる扉を開けてくださるのは、とても素晴らしいと思いますし、僕は日本語のタイトルやその響きも好きです。
黒沢清監督の『スパイの妻』も、フランスでは溝口健二監督の『近松物語』のフランス語タイトルに近い題名をつけ、両者のつながりを見せるようにしていますし、それぞれの国で扉の開け方が違うのは、良いのではないかと思っています。「Serre moi fort」(わたしを抱きしめて)はもっとセンチメンタルな印象になりますが、『彼女のいない部屋』は「彼女」と「部屋」の二重性が含まれており、興味深いですね。
―――劇中とエンディングで流れる「チェリー」について、起用理由を教えてください。
アマルリック監督:劇中で、クラリスの夫や子どもたちがクレープを作っているシーンがあります。実際にはクラリスが子どもたちの成長を想像する中で、まるで彼女がいなくても彼らがそこに存在しているかのようなシーンになっており、夫に向かって彼女がもう一度「わたしはここにいるのよ!」と誘惑しなければいけない。そのときにクラリスを演じたヴィッキー・クリープス自身が「チェリー」を歌い始め、僕は素敵だなと思いました。この映画は雪山のシーンがあるため、3回にわけて撮影したのですが、その間に「チェリー」をもう一度使いたいと思い、クラリスが車を運転しているシーンで、ヴィッキーにもう一度歌ってもらい、この曲が一つのテーマ曲となったのです。
■自分がピアノを続けていたら…との想いも込めたピアノのシーン
―――本作はセリフ以上にピアノの音色が印象的で、登場人物の気持ちを表しているようでしたが、ピアノの起用についてお聞かせください。
アマルリック監督:クロディーヌ・ガレアの戯曲でもピアノは大事な要素でした。クラリスと娘とのコミュニケーションツールとなっており、娘がピアノと共に成長していくのです。僕も子どものころはピアノを習い、ベートーヴェンのソナタを弾いていたのですが、あるとき辞めてしまったことをすごく後悔しているのです。ある意味、この映画で成長した娘たちがピアノを弾くシーンは、自分がピアノを続けていたらこうなっていたのではないかという想いも重なりながら、撮影していました。娘、ルーシー役の二人は俳優ではなく、ピアニストを選んでいます。全て彼女たちが弾いたものを収録しているので、まさにライブですし、彼女たちの感情が音色に込められています。また、マルタ・アルゲリッチのようなプロのピアニストも登場していますが、繰り返し聞こえてくるのが「ガヴォット」というジャン=フィリップ・ラモーの曲で、同じ曲がバリエーションとなって作品を支えているのです。
(江口由美)
※最後のフォトセッションで自らポスターを持ち、観客の方に歩み寄って笑顔を見せたマチュー・アマルリック監督。左は通訳の坂本安美さん(アンスティチュ・フランセ日本映画プログラム主任)
<作品情報>
『彼女のいない部屋』“Serre moi fort”
(2021年 フランス 97分)
監督・脚本:マチュー・アマルリック
出演:ヴィッキー・クリープス、アリエ・ワルトアルテ、アンヌ=ソフィ・ボーウェン=シャテ、サシャ・アルディリ
(C) 2021 - LES FILMS DU POISSON - GAUMONT - ARTE FRANCE CINEMA - LUPA FILM