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「イデオロギーが違っても、人はこんなに優しくいたわり合って家族になれる」『スープとイデオロギー』ヤン ヨンヒ監督インタビュー

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 『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』『かぞくのくに』のヤン ヨンヒ監督最新作『スープとイデオロギー』が、6月11日(土)よりシネマート心斎橋、第七藝術劇場、今夏元町映画館にて公開される。 
初めて母(オモニ)にカメラを向けた本作は、韓国近代史最大のタブーと呼ばれ、多数の島民が犠牲者になった済州四・三事件の体験を初めて語り始めた姿や、新しい家族、カオルを迎え入れる姿を捉えている。アルツハイマー病と診断されたオモニが被害の過去に向き合い、葛藤する一方で、カオルに教え、ヤン監督と3人で食べる参鶏湯のスープから立つ湯気が、イデオロギーを超えた団欒の風景を優しく包む。国家に翻弄されたオモニと娘の歴史を監督自らのナレーションで綴っていく、秀作ドキュメンタリーだ。
 本作のヤン ヨンヒ監督にお話を伺った。
 

 
――――著書の「朝鮮大学校物語」(6月10日文庫版発売)を拝読し、ヤン監督の実体験をベースにしながらも、本当はこうしたかったという願望を主人公に託したのではと感じました。徹底した思想教育が行われても、映画の中で監督自身が「私はアナキスト」と語ったように、自分のイデオロギーを保っていられたのは、幼い頃に3人の兄が帰国事業で北朝鮮に渡った実体験が大きかったのでしょうか?
ヤン:それが一つの大きな疑問を持つきっかけになりました。授業で習う北朝鮮のことは、ある意味距離を置いて捉えていて、自分の目で見なければ納得できなかったので、学校からの訪問や、家族のいるピョンヤンのアパートにも泊まりました。わたしが日本で過ごすのと同じ時間を、兄たちはどのように過ごしていたのかが頭から離れなかったです。
 一緒に過ごした時間が短すぎる、生き別れた兄たちですが、そういう単語は使わない。「母なる祖国への栄光ある帰国」とすごく美化した修飾語が常に付くのです。2020年代の今もその修飾語を使っているのならあまりにもナンセンスですよ。
 
 
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■映画を観ることで培われた価値観と、主義を強要されることへの拒否感

――――先ほどの著書の主人公も、厳しい門限をかいくぐりながら映画や演劇に足を運んでいましたが、ヤン監督自身にもその影響はあったのでしょうか?
ヤン:わたしが周りのものに疑問を持ち、自分の頭で考えたいと思ったきっかけは映画でした。兄たちと別れた後、親たちは熱烈な活動家になったので、完全に鍵っ子の一人っ子になり、中学に入った頃から一人で映画館に行っていたんです。それについて、両親は何も言わなかったですね。自分が学校やコミュニティーで受ける教育やそこで与えられる価値観と、日本で世界中の映画を観る中で培われた価値観は、高校の始めぐらいまでは共存していました。何度も叱られるのが面倒で、なんでも頷く優等生を演じていたのです。
 しかし、大学進学時の進路指導から、わたしの人生なのに自分で決めさせてもらえないことへの反発が湧き上がりました。ここは日本ですから朝鮮総連の考え方に従わないという生き方も認めるべきだと思いますが、学校から「こういう両親の元で育ったのだから」とすごく強要されたのです。先生にも朝鮮大学校に送り込むノルマがあったし、結局両親も子どもを北朝鮮に送ってしまったから頑張らなくてはと、人質を取られているような部分もあり、イエスマンになっていました。本当にその主義を信じるならそれでいいと思いますが、他人に強要しないでほしい。家族が北朝鮮にいても、両親が朝鮮総連で活動をしていても、わたしは個人として生きていく。それだけなんです。
 
――――その想いは、ヤン監督の過去作品からも十分感じ取れます。
ヤン:植民地のときは皇国臣民にさせられ、戦後は日本人の資格や参政権を剥奪し、外国人登録をさせられと、すごく無責任な日本政府の政策に翻弄されてきたのですが、結局政府は在日のことをわかろうとしないことが明らかになった。地域のレベルで日本人と韓国や朝鮮人がわかりあうためには、ぶっちゃけトークじゃないけれど、自らのことをさらすしかないと思ったんです。組織としては外交的な交流イベントをやっていたけど、それよりもお互いに家に行き来して知り合うことの方がいいんじゃないかと。映画にしてもそうですが、自国のことを賛美するプロパガンダ映画ばかり観ていては、理解は深まらないですし、基本的にはその国の矛盾や苦しみを知る中で、普遍的な共通項が見え親近感も湧くわけです。
 
 
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■ステレオタイプ的な在日の描かれ方に疑問、映像で自分たちを語る

――――観る側から撮る側に転じたきっかけは?
ヤン:NHKなどのテレビドキュメンタリー番組だと昔からよく虐げられる在日像が描かれていました。アリランが流れ、在日の人が泣いているシーンがすごく嫌で、飲み会で言ったんです。「なんで、あんな可哀想な在日の番組しか作らないんですか?わたしたち、めっちゃ笑ってまっせ!」と。すると「それなら、ヤンさんが自分で作ってみたら?」と言って、アジアプレスの野中章弘さんがちゃんと番組の枠を取ってくれた。わたしの映像作品は、そこから始まっています。
 オープンマインドで生きていると、質問ばかりされます。名前、国籍、日本にいる理由など何度も同じようなことを聞かれますが、そこで思うのは、本当に日本人は何も知らないということ。わたしたちは今だに透明人間のようなものです。だから説明しようとするのだけど、一方で在日だからといって在日のことが全てわかるわけではない。だから自分で勉強し、わたしにとって、その表現手段が映像なのです。
 
――――今回は済州四・三事件を取り上げていますね。
ヤン:『ディア・ピョンヤン』では一切触れていませんが、アボジ(父)は済州島出身で1942年、15歳の時に日本に来ているので事件の時は日本にいたんです。アボジの遠い親戚が犠牲になったかもしれないけど、オモニは日本生まれだから関係ないと思っていました。ただ二人ともの故郷なので何かあるかもと編集中に済州四・三事件の本は読んでいたんです。でも映画に入れるにはもう十分にほかの要素が多かったので、あえて入れなかった。だから、どこかで「いつか済州四・三事件について描くこと」を宿題のように思っていたかもしれません。
 
 
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■オモニが済州四・三事件のことを語り出すまでの葛藤

――――オモニが事件のことを告白するまでに、その予兆はあったのですか?
ヤン:わたしもニューヨークで暮らすまで朝鮮籍だったので、30代最後まで韓国に行ったことがなく、家で済州島のことを両親に聞いていました。アボジは懐かしい歌を歌ったり、故郷の様子を話してくれたのですが、オモニはいつも「面倒くさい!」とか「聞かんとき!」と生理的に韓国を拒絶していて、差別主義者じゃないはずなのに尋常じゃない様子を見せていました。いよいよ父が亡くなり、自分も入退院を繰り返すようになって、少しずつ語るようになってきたんです。あまりにも長い間記憶に蓋をしてきたので、思い出すのにも時間がかかったようです。
 冒頭の告白のシーンは、ちょうど『かぞくのくに』を作る前後で、偶然病室が個室だったので、いつでも撮れるようにカメラを持参していました。オモニには、「死ぬまでのオモニの仕事は、わたしのカメラの前で今まで語らなかったことを語ること」だとずっと伝えていました。本当はどう思っていたのか、兄を行かせたときの気持ちを聞かせてと伝え、次第に済州四・三事件のことも語り出したんです。ただその際には、韓国が民主化され、今はこのことを語っても捕まらないし、国が調査委員会を作り、世界に残すべき虐殺の歴史であるという認識のもと、膨大なデータを正確に残そうと、長年聞き取り調査をやっていることを話しましたね。ただ、オモニの証言だけでは、作れても短編映画ぐらいだなと思っていました。
 

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■参鶏湯の味を引き継ぐ、新しい家族の登場が映画化の決め手に

――――そこで現れたのが、夫になったカオルさんですね。知り合って長いのですか?
ヤン:初めて実家を訪れるシーンがありますが、その3ヶ月前に初めてボブ・ディランのコンサートに誘われたのがきっかけでした。古風なところがあるので、オモニに挨拶に行きたいと言うのです。そこで思ったのが、いまだに最高指導者の肖像画があるクレイジーな家に、日本人の男性が「ぜひ娘さんと結婚させてください」とやってくるなんて、コメディーみたいでオモロイやんかと思って、最初はあなたの顔が映らないように映すからと説得したところ、カオルさんが「僕の顔がでないと、つまんないじゃん」。どういう女と付き合ってるか、よくわかってるなと(笑)。
 新しい日本人の家族ができるというのは、たとえ反対されても面白いし、最初は短編でもいいぐらいの気持ちでした。作品になれば映画祭などで上映があるかもしれないし、将来もし私たちが別れることになったとしても、それでも映画は世にでるし、著作権はわたしが持つ、ここまで全てOKしてもらえることを条件に撮影を始めました。すると、映画のような出来事が起きて、わたしもビックリしたんです。
 
――――どんな点に驚いたのですか?
ヤン:お茶を出すだけかと思っていたので、鶏を炊くと言い出したのにはビックリしました。済州島で男性が結婚の挨拶にくるとき、「体を大事にして、娘をよろしく」という意味合いで参鶏湯を振る舞うのだそうですが、オモニもそんな気持ちで作ったそうです。しかもカオルさんを喜んで受け入れてくれて。初めて来るお客さんをもてなすには、相当ワイルドな料理ですが、カオルさんも喜んで食べてくれたので、オモニは嬉しそうでしたね。カオルさんは書く仕事をしているので好奇心旺盛で、オモニの話も上手に聞いてくれ、わたしが忙しいときは、一人で鶴橋に行き、オモニと過ごしてくれました。
 
――――理想的な息子ですね。参鶏湯はヤン監督の思い出の味でもあるのですか?
ヤン:東京で一人暮らしをして映画の仕事をするようになってからは、毎月母が参鶏湯を送ってくれました。最初は自分で作れるように、あの大きなお鍋を送ってきたんです。北朝鮮じゃないから東京でも鍋は売っているのに(笑)。本当に風邪予防になるし、からだの気が整います。映画でカオルさんが一人で参鶏湯を作っているシーンもありますが、実は東京で参鶏湯を作る練習をしていたんですよ。まだ家にあった大鍋が役立ちました。
 
 
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■家族との決裂と自分の生き方を示した、肖像画のシーン

――――映画ではヤン監督とオモニの母娘がお互いに労わりあう関係性が見えましたが、そうなるまで時間がかかったのでしょうか?
ヤン:両親の全体主義的思想や組織や祖国のためにという考えを、わたしは反面教師にして生きていこうと思っていますが、とても仲の良い夫婦だったので、そこは羨ましかったです。
長男が選ばれて北朝鮮に送られ、現地で心を病んで亡くなってしまったので、両親は犠牲者でもあるのですが、一方で帰国事業を推進した立場の人間でもあります。だから一生懸命に北朝鮮の親戚に仕送りするオモニを見て、心の中では自分たちのことしか考えないのかと腹も立っていました。組織に対する不信感が、しいては親についての不信感にも繋がったし、あの時代は仕方がなかったと言われても、時代のせいにするなと言いたくなる。
 今回、さりげなく入れているけれど強烈なメッセージを放っているのが、肖像画を下ろしているシーンです。あれはわたしにとって家族との決別とも言えるのです。作家の金石範(キム・ソッポム)さんが本作をご覧になり「痛烈な歴史批判、素晴らしいシーン」だと言ってくださり、わたしは泣きそうになりました。北朝鮮にいる家族にとっても朝鮮総連の人にとっても肖像画を下ろすということは許されないし、あえてそれを見せることで、家族に一生会えなくてもわたしはこういう生き方をするし、映画を作るという宣言をしたのです。
 
――――四・三事件70周年追悼式では、済州島にある膨大な数の墓石に息をのみました。実際に現地を訪れたからこそ感じるものがあったのでは?
ヤン:済州島では四・三事件の歴史を風化させないように取り組んでいます。平和公園にある博物館は非常に大きく、収集した事件や犠牲者に関する資料が蓄積されていますし、村々では虐殺の遺跡となってしまいますが、現場が保存されており、小規模な博物館でも当時の様子を細かく解説しています。映画では遺族からの申し出があり、確認が取れた犠牲者数として1万4千人としましたが、オモニの叔父や元婚約者などはその人数に含まれないし、今も一切語りたくないという方や、家族全員亡くなった方、行方不明の方もおられ、実際は3万人を下らないと思います。世界には人間としてよくそんなことができるなというジェノサイドが後を絶ちませんが、アメリカが背後にいたとはいえ、イデオロギーのために自国民を殺した訳です。
 

■イデオロギーが違っても、スープを一緒に食べ、優しくいたわり合う家族になれる

――――『スープとイデオロギー』というタイトルには、深い意味が込められていますね。この映画におけるスープの役割はとても大きいです。
ヤン:現実では個人は国家やシステムには勝てない。それに反発すると弾圧されるので、多くの人は同調圧力に屈してしまうのです。でも、映画では“スープ”が勝たなければいけない。
『かぞくのくに』でヤン・イクチュンさんが演じた監視人は、一人の公務員に過ぎませんが、主人公家族にとっては北朝鮮の監視システムである訳です。息子を守るためには歯向かえない相手だけれど、映画の中で母が、あの監視人さえも包み込んでしまう静かな、母の矜持のような存在感を見せます。だから、この映画でのスープは、イデオロギーを溶かしてしまうぐらい意味のあるものです。我が家の小さな食卓ですら、わたしと両親が笑いながらご飯を食べるのにすごく時間がかかりましたし、さらに新しい家族が増え、一つの鍋で作ったスープを一緒に食べる。すると、イデオロギーが違っても、人はこんなに優しくいたわり合って家族になれるのです。イデオロギーを理由に人を殺す必要なんて、本当にないと思います。(江口由美)
 

<作品情報>
『スープとイデオロギー』(2021年 韓国=日本 118分) 
監督・脚本・ナレーション:ヤン ヨンヒ
アニメーション原画:こしだミカ
音楽監督:チョ・ヨンウク(『お嬢さん』『タクシー運転手 約束は海を越えて』など) 
エグゼクティブ・プロデューサー:荒井カオル
6月11日(土)よりシネマート心斎橋、第七藝術劇場、今夏元町映画館に公開
公式サイト https://soupandideology.jp/
©PLACE TO BE, Yang Yonghi
 
 

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