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「生者も死者も、過去も未来も、現実もフィクションも、全てが今、この一瞬に存在している」 『やがて海へと届く』中川龍太郎監督インタビュー

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 注目作家、彩瀬まるの原作を、主演に岸井ゆきの、共演に浜辺美波を迎えて映画化した中川龍太郎監督最新作『やがて海へと届く』が、4月1日(金)よりTOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、OSシネマズミント神戸他全国ロードショーされる。
東北へ一人旅に出た大学時代の親友、すみれ(浜辺美波)が消息を絶ってから5年。真奈(岸井ゆきの)はすみれの不在を受け入れられずにいたが、すみれの母(鶴田真由)や、すみれの恋人だった遠野(杉野遥亮)は、彼女を亡き者として扱い、真奈は反発を感じずにはいられない。遠野からすみれが愛用していたビデオカメラを渡された真奈は、ある日、意を決して、そのビデオを再生する。そこには真奈とすみれがふたりで過ごした時間と、真奈の知らないすみれの秘密が映されていた…。
  すみれへの想いを抱えて生きる真奈を演じる岸井と、活発に見えてどこかミステリアスなすみれを演じる浜辺。それぞれがみせる表情に、お互いを信頼し、そして強く慕う気持ちが滲み出る。すみれがいない部屋に差し込む柔らかな光、時には全てを、時には悲しみをも洗い流してくれる海など、自然の中でいきる人間の脆さや運命をも密かに感じさせる。中川監督20代の集大成と言える圧巻のラストにも注目してほしい。
本作の中川龍太郎監督にお話を伺った。
 

 
――――本当にスケールの大きな作品で感動しました。原作から変更した点も多く見受けられましたが、原作を読まれた時にどこが映画の核になると感じましたか?
中川:原作を映画化するにあたり、どこか自分と繋がっていたり、実感できる部分があるか。それが大事だと思うのです。友人の死はわたしも経験していますし、真奈とすみれのように、お互いに自立した存在として相手を尊敬していたけれど、片割れのような存在がいなくなってしまったという物語は自分で描ける。そこを一つの軸にしました。
 

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■真奈とすみれは、お互いに憧れを抱く「もう一人の自分」

――――真奈とすみれの関係は、親友でもあり、どこかお互いに恋焦がれているような微妙なニュアンスが表現されていますね。
中川:真奈とすみれはお互いに憧れを抱いているのだと思います。憧れという感情はある意味、恋愛と近いものに見える瞬間があることは事実です。自分に欠けているものを埋め合わせてくれる、もうひとりの自分みたいなイメージではないかと岸井さんや浜辺さんと話していました。
 
――――冒頭、真奈がすみれの荷物を片付けに行き、部屋で佇んでいるシーンがあります。じっくりと真奈の佇まいを見せることで、彼女の底知れぬ悲しみや、すみれが生きていると思いたい気持ちが伝わってきました。
中川:岸井さんに真奈が失った時間を実感してもらう必要があったので、特にこちらからは指示せず、岸井さんが感じるままに演じてもらったシーンです。その長さが、真奈が思考するときのテンポになっていきました。
 
――――なるほど、そのシーンのテンポは岸井さんに委ねたんですね。
中川:撮影のとき、もっと早くと指示を出すのは違うと思った。本当はもっとセリフがあり、脚本ではもっと最後の方に出てくるシーンだったのですが、編集でだいぶんシーンの構成を変え、長さも短くなりました。それでもちょっと長すぎたかなと思っていたのですが、そう言っていただけて良かったです。
 

■自分なりに震災との距離感を表現

――――すみれが消息を絶った場所について、原作では明言されていませんでしたが、映画では東日本大震災の被災地へ実際に足を運んでいます。中川監督ご自身が2011年3月11日に体験されたことや、映画の作り手としていつかは描こうと考えておられたのか、お聞かせください。
中川:大学生時代に東京で被災し、その2年後に友人が亡くなりました。ですから、僕が社会人として生きてきた時間は震災後の日本であり、僕はその時代を、友人を失った個人として生きてきたという感覚がすごくありました。震災のときにあまりリアリティーを持てなかったのは、どこか歴史的なものを見ている感覚があったと思うのです。多くの方が被災し、亡くなられましたが、そのおひとりおひとりに、その死を悲しみ、ずっと思い続ける人たちがいらっしゃる。個人から見た悲劇という視点から、東日本大震災を描いてみたいという想いはずっとありました。
 友人を訪れに東北へ足を運んだこともあったのですが、陸前高田の壁のような巨大防波堤を見たり、今回出演していただいたみなさんのお話を聞いたりする中で、自分なりに震災との距離感を表現してみようと気持ちが固まっていきました。
 

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■被災をして家族を亡くされた方々とこの物語を地続きで描きたい

――――真奈が職場の同僚、国木田と東北に向かい、地元の人たちがカメラに向かって震災で亡くなった家族の話をする集いに参加するシーンがあります。俳優と現地の人たちの両方が登場しますが、その意図は?
中川:いろいろな作品を観たときに、現実に起きた悲劇とフィクションの中の悲劇はどうしても分断されてしまうと感じていました。ドキュメンタリーで観る“死”とフィクションで観る“死”は違いますよね。身勝手かもしれませんが、僕にとってはつながっているのです。身近な死を題材に映画を作ってきたという自分の経緯もありますし、フィクションをずっと撮ってきたので、実際に被災をして家族を亡くされた方々とこの物語が地続きであるべきだと思ったんです。
 
――――実際に被災された方の話を、岸井さん演じる真奈が聞いている。やわらなか地続き感があり、物語に強度が増した気がします。
中川:東日本大震災のことを描くときに、被災された方に出演してもらわず、東北の風景を借景として取り込むだけなのは不誠実ではないかと思っていました。原作者の彩瀬先生はご自身が東北で被災されているので、あのような形で物語を書くことができますが、僕にしろ、岸井さんや浜辺さんにしろ、そこまでの体験をしたわけでありません。だから、その物語が存在する根拠、いわば重しとして、被災された方の存在が重要だったと思います。
 
――――真奈とすみれ、それぞれの視点で描くにあたり、ビデオカメラを用いていますね。カメラを相手に向けることは暴力性が生じる場合もありますが、今回は、記憶する装置という意味合いに見えました。
中川:コミュニケーションの手段としてビデオカメラを映画では登場させています。さきほどの被災者の方の話を撮るのもそうですし、自分が知らない世界のもう片方の面を知るための、コミュニケーションの媒介であり、何かを暴くためのものではありません。どちらかといえば、手紙のようなものですね。
 

■すみれから真奈への視点を表現しなければ、この原作でやる意味がない

――――すみれが「わたしたちには世界の片面しか見えていないと思うんだよね」という言葉がとても印象的でしたが、映画でもすみれと真奈、それぞれの視点を見せる構成にしていますね。
中川:僕はこの物語を真奈の話だけにするのは、ちょっと違うと思っていました。真奈だけの話にすると、生者が死者について都合の良い解釈をする話になってしまうのかという恐怖がありました。すみれから真奈がどのように見えていたかを表現しなければ、この原作でやる意味がない。真奈のグリーフワークの話だけではいけないと思ったのです。今回、すみれが死にゆくパートはアニメでしか表現できないと思い、積極的にそちらを選択したので、すみれパートは最初と最後にしか入れられませんでした。
 
――――確かに、今まで喪失感とどう向き合うかという生者視点の物語が圧倒的に多いですね。もう一つ、被災地でさきほどの家族のことを話すシーンと同様に、俳優も地元の人も混じっての正面を向いたスチール写真が次々と映し出されるシーンが圧巻でした。その意図は?
中川:あのポートレイトはスタッフ間でも様々な意見があり、最後まで撮るかどうかもわからない状況でしたし、脚本でも今とは違う位置にあったシーンです。僕は、生きている人間の世界だけではなく、生者も死者も、この世界に並存しているという考えで、実際に被災されて大切な人を亡くした方々と、物語の中のすみれ、さらには過去のすみれと死の直前のすみれも全て同じ瞬間に存在している。ポートレイトはその発露なのです。死者の世界と生者がいる現実の世界の違いもなく、過去と未来の違いもない。全てが今、この一瞬に存在していることを示したかったのです。
 
――――何かセリフを言うとか、エモーショナルなお芝居をするということではなく、ただじっと真正面を見つめているポートレートたちを見ていると、ただ存在する、そのことの力強さや美しさを大いに感じました。ちなみに、先ほど言及のあったアニメパートは脚本を書いたのですか?
中川:アニメパートは自分で詩を書きました。原作ではある種の心情が吐露されているのですが、それをアニメという具体表現にするのは統一のイメージを共有することが難しいです。悲しみの色、みたいなものも人によって違うでしょうし、むしろはっきりとわかるように、具体的に特定できる言葉のみをなるべく用いて詩を書きました。その詩から、アニメーションを担当していただいた久保さん、米谷さんと話し合い、絵コンテに起こしてもらい、編集作業をしながら作っていきました。お二人とも素晴らしい方たちなので、とても楽しかったですね。
 

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■岸井ゆきの、浜辺美波との役作り

――――岸井さんとは、どのようにして真奈を作り上げていったのですか?
中川:岸井さんとは、真奈を演じる上で疑問があれば、その都度話をしてきましたが、役作りのため事前に何かを指示してやってもらうことはなかったです。すみれを演じた浜辺さんは、若い頃から芸能活動をされており、一般的な学校生活を送る時間がなかったと思うので、すみれが通ったことに設定していた女子校に来ていただき、そこの先生と話をしてもらったり、学校見学をしてもらいました。また、女子大生と会話をしてもらい、体ですみれが置かれていた環境を感じてもらう時間を作りました。さらに、カメラをお渡しして、ご自身の身の回りのことを撮影してもらい、すみれというキャラクターを演じる上での下地作りは、丁寧にやらせていただきました。
 
――――真奈とすみれの関係を作るため、岸井さんと浜辺さんが、クラインクインまでに一緒になる時間を多く持つようなことはあったのですか?
中川:現場で初対面とならないように、事前に対面する時間は作りましたが、このおふたりが特別仲良くなる必要はないと感じていました。というのも、真奈とすみれはそれぞれ独立した人だという捉え方ですから。むしろ、一見するとその気持ちが伝わらないぐらいの方がいいんじゃないかなと。
 
――――確かに、お互いに恋人がいたりもしましたし、常に一緒にいるという関係ではなかったですね。
中川:言語化するのが難しいですが、あのふたりは相談相手なのかもしれません。真奈とすみれは共通のものが好きだから仲が良いのではなく、共通の嫌いなものがあるから仲が良い。「ああいう男は許せない!」とか、ふたりの間には連帯感があるのだと思います。
 

■テーマ面、映画の外的要因面で一区切りとなる作品。これからは生きることの肯定を描きたい

――――中川監督は今までも死と向き合う作品を作ってこられましたが、『やがて海へと届く』は、今までの作品と何か違う部分がありましたか?
中川:僕は友人との出会いから映画を撮り始め、友人の死を題材にした作品で、ささやかな形ではありますが世の中に映画監督として出ることができた。この作品で死と向き合うというテーマに一区切りをつけることができたのかなと思っています。1月27日に公開されたスタジオジブリが制作の愛知県観光動画『風になって、遊ぼう。』では冒険することや、生きていくことの肯定が描かれているので、これからはバイタリティーのあるパワフルな作品を作っていきたいですね。
 また、映画の外的要因から言えば、今回は商業映画に多く出演されている俳優を起用し、ある程度の予算を出していただきました。その上である程度好きなように撮らせてもらえたというのは、自主映画として何もないところから撮り始めた身として、一つの区切りになるのではないかと思っています。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『やがて海へと届く』PG-12
2022年 日本 126分 
[監督・脚本]中川龍太郎 [脚本]梅原英司
[原作]彩瀬まる「やがて海へと届く」講談社文庫
[出演]岸井ゆきの、浜辺美波、杉野遥亮、中崎敏、鶴田真由、中嶋朋子、新谷ゆづみ、光石研
[劇場]4月1日(金)より全国ロードショー
[配給]ビターズ・エンド
(C) 2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会
 

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