武田信玄生誕500年の記念イヤーとなる2021年に、信玄の父、武田信虎の最晩年を描く本格時代劇が誕生した。甲斐国を統一したものの、信玄に追放された信虎が80歳にして武田家存続のために知略を巡らせる姿を描いた本格時代劇『信虎』が、11月12日(金)よりTOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ西宮OS、TOHOシネマズ二条にて公開他全国ロードショーされる。
監督は『DEATH NOTE デスノート』シリーズの金子修介。相米慎二監督作品をはじめ、多彩な俳優活動で出演作は数知れず、今回36年ぶりの主演作となる名優・寺田農が、信玄との葛藤を内に秘めながら、最後の力を振り絞って武田家存続のために打って出る信虎のどこか滑稽にも見える部分を見事に体現。榎木孝明、永島敏行、渡辺裕之、隆大介と戦国時代劇には欠かせないベテラン陣を揃えた他、信虎の若き娘、お直を演じる谷村美月も隠れたキーパーソンになっている。
『影武者』など後期の黒澤明作品や今村昌平作品に携わった巨匠・池辺晋一郎による音楽が映画に風格を与え、ロケ地をはじめ美術、衣装と細部にいたるまで本物にこだわった、戦国時代モノに新たな視座を与える作品だ。信虎を演じた寺田農さんにお話を伺った。
――――2018年に大阪のシネ・ヌーヴォで開催されたATG大全集で寺田さんが初主演された『肉弾』(岡本喜八監督)を初めて拝見したときの衝撃が大きかったのですが、本作の信虎役も圧巻でした。
寺田:映画史に残る名監督の五所平之助さんや中村登さんの作品に出演したり、テレビで「青春とはなんだ」などの青春モノに出た後、岡本喜八さんの『肉弾』で主演を務めました。26歳の時でしたから、若く元気。芝居のことは何もわからなかったけれど、監督の言われるまま、野球のピッチャーに例えれば150キロの直球を投げることができたし、それしか投げられなかった。歳を重ねるごとに変化球が増えてきて、『信虎』は直球を投げる気力がもうないから、七色の変化球を駆使するんです。たまに直球を投げたつもりでも120キロぐらいで、途中で落ちるんじゃないかというぐらい。だから、役者っていうのはうまくならないんだなと本当に思いますね。『信虎』は77歳の時に撮影しましたが、50年以上役者をやる中で、ただ老けていくのか、そこに魅力が生まれるのかというだけの話です。
歳相応の風格が備わり、いい役者にはなるけれど、演技そのものは変わらない。今回、それがよくわかりました。
■隆慶一郎の論考で、信虎へのイメージが覆される。
――――武田信玄の父、信虎に対してどんなイメージを持っておられたのですか?
寺田:僕は昔から本を読むのが好きで、司馬遼太郎さんや池波正太郎さん、天才だった隆慶一郎さんの戦国物を山のように読んできましたから、戦国時代のイメージはありましたし、東映映画『真田幸村の謀略』にも出演したのでその輪郭も大体わかっていました。ただ信虎については、息子の信玄に追放されたことしか知らなかったので、80歳のじいさんになった信虎がどうしたのかを描くところに興味を持ちました。
そこからはさらに本を読み、信虎の理解を深めたのですが、中でも面白かったのが隆慶一郎さんの武田信玄の父信虎追放をめぐる論考でした。信玄は親父の追放を、生涯の十字架のように背負っていたのではないか、そして追放したのは信玄ではなく、重臣たちだったというのが信虎追放劇の真相とする説です。隆さんは、関ヶ原の戦い以降の徳川家康は影武者だった(「影武者徳川家康」)と書くぐらいひねりの効いた作風なのですが、親父を追放した割には、信虎にお金や側室も送り、京都に行った信虎は最新の情報を信玄に送っていた。そういう話を読むと、今まで漠然と持っていたイメージがひっくり返されますよね。
■戦略家であり知将だった信虎の妄執。
――――戦国時代の映画といえば、どうしても戦いの描写が中心となりますが、遠くから戦況を憂い、なんとか武田家を残そうとする信虎の物語は、また新たな視点ですね。
寺田:戦国時代はなんとか領土を拡大するため戦をするわけですが、専用軍人などいない時代ですから、戦のときだけ百姓を動員し、領土は拡大したものの、田畑は荒れてしまう。だから信虎も領土を広げて甲斐を統一したというのに、追放されたら民は手を叩いて喜んだというのです。ただそれは一面でしかない。日本人はキャッチフレーズで物事を捉えがちですが、そうじゃないのではないかと思うんです。今年、武田信玄生誕500年を迎えましたが、信玄が日本の武将の人気ベストテンでかなり上位に入るのは、親の七光りではないか。信虎はかなりの戦略家であり、今でいうプロデューサー的素質で、現状をしっかり見る目を持つ知将でもありました。ただ悲しいがな、80歳になっても信玄が危篤と聞けば「俺がやらねば」と老いの一徹で、周りも止められない。望郷の念と、もう一度返り咲きたいという妄執ですよね。そしてもはや織田信長の時代になるとわかったら、武田家をなんとか残そうと方向転換をしますが、それも妄執でしかないのです。
――――とにかく武田家をなんとかして残したいという思いで、信虎は命尽きるまで、あらゆる手を使って尽力します。
寺田:家を残すという言葉があるように、500年前の日本人は家名に誇りを持っていたし、逆に言えば恥を知っていた。近代とは違い、当時は日本人の原点とも言えるいいところをたくさん持っていました。そこが信虎の魅力ですね。粗忽で早とちりで愛嬌もある。一方で悲しいかな老いの眼で現実をわかっていない。周りの誰もがついてこないという苦悩もあるわけです。
――――50代で息子から甲斐を追放され、一人になったことで一国一城の主人とは違う、広い視点を獲得できたのではないかと想像しながら観ていました。
寺田:戦国時代は加藤清正や福島正則のような戦闘集団の武将系もいれば、石田三成のような官僚系もいる。信虎の場合は武将としても力があり、頭も良く、世の中の動きを見通せる両方兼ね備えた人物であり、だからこそ信玄と衝突したのかもしれません。
■ゆかりの場所での撮影が作品の匂いに。「主役だからと力を入れる必要はない」
――――36年ぶりの主演作ですが、どのような意気込みで臨んだのですか?
寺田:僕は努力、忍耐、覚悟とか、こだわりという言葉が大嫌いです(笑)。すっと現場に行って、さっと終わるのが一番いい。「もう一度甲斐国に戻って、面白いことをやっちゃおうかな」というひょうきんさは似ているかもしれませんが、信虎が抱いていたような妄執なんて、僕には全然ないですから。
時代劇で大事なのは演じるための舞台背景です。特に今回は全てゆかりの場所で実際に撮影させていただいています。例えば渡辺裕之さんが演じた織田信長がお茶を飲みながら語るシーンは、本当にあの場所で、あの茶碗で飲んだわけです。美術の小道具から太刀や鎧など、全てが限りなく当時の本物に近い。そういう背景を作ってくれることが大事で、それが映像としての美しさになり、作品の匂いになる。役者の役割なんて大したことはない。特に主役は脚本に必要なことを書かれているわけですから。信虎の場合、坊主頭になり、黒い袈裟を着てセリフを喋れば、さまになる。そこで力を入れる必要はないんです。
■役になりきるのではなく、20〜30%は役者自身がその時持つ魅力を出す。
――――確かに、時代劇を演じる上でのロケーションや美術の細部に至るまで、本作はこだわり抜いていますね。その上で信虎というキャラクターを自由自在に表現されていました。
寺田:脚本に書かれたものを立体化して(観客に)お目にかけるのが役者の仕事ですが、そのキャラクター自身が生きていなければ面白くない。ただセリフを言うだけではダメなので、そこに何かがあればいいんです。よく「役になりきる」と言いますが、なりきったらその俳優はいらないわけで、僕は大嫌いなんですよ。役になりきるのではなく、70〜80%がその作品におけるキャラクターだとしたら、残りの20〜30%は役者自身がその時持っている魅力なんです。マーロン・ブランドやロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノもそういう部分が魅力的ですよね。若い俳優が可哀想だと思うのは訓練する場がないので、どうしても比率が逆転してしまう。80%その人のまま演じてしまうから、何をやっても同じに見えるわけです。
――――訓練というのは、監督の演出なども含まれるのでしょうか。
寺田:良し悪しはともかく、僕の場合は誰も何も言わないんです。ジジイの特権かもしれませんが(笑)金子さん自体が相米(慎二監督)とは違って、しつこく演出するタイプではありませんから。この作品を相米に撮らせて、僕が信虎をやったら、きっと考え込んじゃって(撮影が)終わらないだろうね。
■骨格はシェイクスピアの悲劇。
――――信虎は信玄と直接対面することはありませんが、ずっと心の中で信玄と対話しているような気がしました。
寺田:映画の最初は「恨みもあるが、まあ褒めてやろう」と言うし、死ぬ間際では謝ろうと思ったりもする。歴史ものはどうしても、うまく描けば描くほどシェイクスピアの悲劇に重なるんです。最初脚本を読んだときは、「リア王」の狂ったジジイみたいな感じがすごくしたね。コスチュームプレイですし、骨格はまさにシェイクスピアです。
――――信虎と周りとの会話が中心となって進行するのも演劇的といえますね。
寺田:上手い脚本は周りがストーリーテラーとして動くことで主役像が見えてくる。今回オリジナル脚本を担当した宮下玄覇さんは歴史研究家なので、史実を重視しているのですが、登場人物がかなり多い割に信虎と彼らとの絡みが少ない。だから信虎がストーリーテラーにならないと進行しないんです。ラストも、主役が死んでから15分以内に終わらないと作品がダレるとアドバイスしたのですが、最終的には宮下さんの思いを貫かれましたね。
■映画音楽はイカリ。池辺晋一郎さんの音楽で作品がぐっと引き締まる。
――――歴史研究家ならではのこだわりといえば、音の面でもこだわりが感じられますね。
寺田:刀がぶつかる音や、鎧が擦れる音も本物にこだわっていますし、何よりも池辺晋一郎さんの音楽がいい。池辺さんが携わった『影武者』より、はるかに好きですし、135分の作品がぐっと引き締まるのはこの音楽があればこそだと思います。
出来上がった映画を船に例えると、船の乗組員が役者やスタッフで、船自体は脚本で、その船の方向を定める船長は監督です。音楽はイカリの役割で、最後にそれを下せば船が安定するように、音を入れて映画がぐっと引き締まる。映画を作るにあたって、まず脚本を作り、そこから撮影現場、編集と一つ一つの作業を通じてグレードアップしていき、最後に音楽という順番が一般的ですが、最後なものだから日本では一番割りを食う部分なのです。予算を使い果たしてお金はないし、携わる人数が限られる。その困難な状況にもめげず、これだけの曲をお書きになる。その音楽で作品の価値が決まるわけです。
――――信虎は煩悩を捨て、武田家を残すことのみに気持ちを向けていきますが、寺田さんがもし煩悩を捨て、一つだけにフォーカスするとすればどんなことに気持ちを向けますか?
寺田:生まれてから今まで煩悩の塊みたいな人生でしたし、無数の煩悩の中に生きているので、それを嫌だと思わないし、今から何かをしたいと思わない。ただ今までのように好きな絵を見て、好きな本を読み、好きな音楽を聴いて、みんな死んじゃっていなくなっちゃけど、昔の仲間とお酒を飲んでいるような、そんな感じがいいですね。あと、もう自分の感性では見つけられないので、ワクワクするようなことを誰か教えてほしいですね。だからよく若い人と話すし、知りないことを知りたいという好奇心はまだあります。
■映画界の偉人のことを自ら学んでほしい。
――――最後に、若い世代に伝えたいことは?
寺田:昔、西島秀俊さんと仕事をしたときに、飲みに行って相米さんや実相寺さんの話を聞いていいですかと言われたことがありますが、そうやって聞いてきてくれる人には僕で良ければ、いくらでも話します。今の若い俳優を目指している人たちは、三船敏郎さんや市川雷蔵さんのことも知らない。音楽を志す人がベートーベンやブラームスを知らないことはないはずですが、なぜ役者の業界はそんな偉人のことを知らなくてもやっていけるのか。もっと自ら学んでほしいと思いますね。
(江口由美)
<作品情報>
『信虎』
(2021年 日本 135分)
監督:金子修介
共同監督・脚本・製作総指揮・企画・プロデューサー・編集・時代考証:宮下玄覇
出演:寺田農、谷村美月、矢野聖人、荒井敦史、榎木孝明、永島敏行、渡辺裕之、隆大介、石垣佑磨、杉浦太陽、葛山信吾、嘉門タツオ、左伴彩佳、柏原収史
11月12日(金)よりTOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ西宮OS、TOHOシネマズ二条にて公開他全国ロードショー
公式サイト → https://nobutora.ayapro.ne.jp/
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