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「やがてはなくなるかもしれない鯨漁を、世代を超えて残し、伝えたい」 『くじらびと』石川梵監督インタビュー

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 鯨が見えた途端、手作りの舟から大きな銛を持った男が飛び上がって鯨に一撃を食らわせる。鯨と命がけの戦いを繰り広げる男たち、そしてなんとかして逃げようと全力でもがく鯨の迫力ある対決に思わず目を奪われる。インドネシア、レンバタ島ラマレラ村で今でも行われている伝統的な鯨漁とそこからつながる命の循環を見事な映像美で描くドキュメンタリー映画『くじらびと』が、9月3日(金)よりなんばパークスシネマ、シネ・リーブル梅田、神戸国際松竹、MOVIXあまがさき、京都シネマ にて絶賛公開中だ。
 
監督は、初監督作品『世界でいちばん美しい村』で2015年に起きたネパール大地震の震源地近くにあるラプラック村と、そこに生きる人たちの絆、祈りを描いた写真家、石川梵さん。写真集「海人」をはじめ、ライフワークの一つとしてインドネシアのラマレラ村の人々やそこで行われる鯨漁に密着してきた石川さんが、ドローン撮影も駆使しながら、銛一本で突く伝統的な鯨漁や村人たちの暮らしをまさに体当たりで撮影。迫力ある映像と共に描かれるのは、捕獲した鯨を村の皆で分け合う和の文化や、村で代々受け継がれてきた信仰だ。
 
 「大いなる命の循環、大いなる営みを叙事詩のように表現したかった」という本作の石川監督に、ラマレラ村との関わり、鯨漁の撮影や映像で残す意義についてお話をうかがった。
 

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■秘境を探してたどり着いたラマレラ村、鯨獲りの根っこにある信仰に惹かれて

―――命がけで鯨を獲る舟に撮影で同乗することが許されるというのは、信頼関係が築かれていないとできないことだと思いますが、その経緯を教えてください。
石川:80年代以降、僕は誰も見たことのないような秘境に行く写真家として世界中を回っていました。当時ニューギニアでレンバタ島のことを聞き、インターネットもなく何の情報もない中、91年に初めて現地に向かいました。舟で迎えに来てもらったのですが、鯨の匂いがぷ〜んとして、1槽だけ壊れた舟があるのでどうしたのかと思ったら「鯨にやられたんだ」と。ついにそんなところに来たんだなと思いましたね。
 
大自然の中に生きる人や、その中で自然に生まれる信仰というのは僕の大きなテーマなのですが、このラマレラ村も知れば知るほど、鯨を獲ることの根っこにある信仰に惹かれていきました。
鯨獲りの舟にはお金を出せば旅行者も乗せてもらえます。ただ、漁が始まると下がれ!と相手にしてはもらえませんが。
 
 
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■4年かかった鯨獲りの撮影

―――初めて鯨が撮れたのはいつですか?
石川:毎年行ってもなかなか鯨が出ない。猟期以外は、朝から舟を出して、延々と待つんです。赤道直下の中、毎日8時間ぐらい待って帰るとうくとを大体3ヶ月ぐらい繰り返しますから、だんだん気が遠くなっていきますよ。そこまで長くいると、「おまえ、漕げ」と言われるぐらいにまでなっていました。
 
実は2年目、僕が来る直前に鯨が獲れたんです。本来なら間に合うはずだったのに飛行機が遅れてしまって。3ヶ月粘っても出ないので帰ったふりをしようかと言いながら戻ると、宿の主人から「おまえが帰った翌日に出たよ」と。その時は神さまが意地悪しているのかと思いました。結局、4年かかったんですよ。鯨漁は勇壮に見えますが、そのほとんどが待っている時間です。延々と待ち続けることが実は、鯨漁の本質です。時々マンタが獲れることもありますが、1年何も獲れないこともある。それぐらい非効率な漁なんです。
 
―――そこまでして鯨漁にこだわるのは村独自のシステムがあるからですね。
石川:鯨を獲ると、未亡人や貧しい人にまで鯨が行き渡るのです。先住民の長、トゥアン・タナが最初に鯨乞いの儀式を行い、鯨が獲れるとその一部をお礼としてトゥアン・タナに捧げる習わしもあります。舟にエンジンを導入した2000年ごろ、その儀式を辞めた時期があったのですが、途端に鯨が獲れなくなってしまった。結局再び儀式を行っていますが、まさに神話的世界ですね。
 
―――当時石川さんが取材し、写真を撮ったのが伝説のラマファ、ハリさんでした。
石川:取材で「誰が一番優れたラマファか?」と聞いても、みなが素晴らしいという人たちなので取材する側としてはやりにくく、彼らにとっては和を乱さないという考えがあるわけです。そこで取材をしたのがハリさんでした。撮影時で70歳を過ぎていましたが、手足が本当に大きく、筋骨隆々の体つきをされていた。当時から映画を作りたいと思っていたので、撮影素材を『くじらびと』に取り入れることができてよかったです。
 
 
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■鯨漁をする側の視点だけでなく、鯨側の視点で見ることにより獲得した普遍性

―――くじら獲りの際、水中での撮影がとても迫力がありましたが、どのように撮影したのですか?
石川:実は一番安全なのは鯨の背中。鯨が弱って動かなくなってきたとき、僕が鯨の背中に捕まって撮りました。僕が撮りたかったのは鯨の目で、なぜ目かといえば、先ほどの4年目に初めて鯨が獲れたとき、陸揚げされた鯨が泣いたんです。断末魔の叫びのような声で、もうびっくりしました。今までは海の上の人間の物語ばかり撮ってきたけれど、海の中の鯨の物語も撮らなければいけないと気が付いたのです。鯨の感情がどこにあるかといえばやはり目で、この映画自体も「目」がキーワードになっています。目をつむる、目を開けるという鯨自身の目だけでなく、途中で鯨を獲る時に「目を見るな」という話も挿入されます。捕鯨の映画は概して一面的ですが、鯨漁をする側の視点だけでなく、鯨側の視点で見ることにより、ある種の普遍性をこの物語は獲得すると実感しました。
 
―――舟作りの名人、イグナシウスの息子、ベンジャミンが漁で事故死という悲劇は映画でも大きな転換点となります。
石川:2018年、クルーを入れて本格的に撮影を始めてからです。僕のビザが切れ、一時的に現地を離れた時にその事故が起きてしまった。他のクルーは現地に残っていたけれど、気を遣って撮影をしていなかったので、ここは撮りに行かなければダメだと促しました。僕もすぐ駆けつけ、僕が撮るならとご家族も了承してくださった。東日本大震災でも同じですが、その時には複雑な思いがしても、後々撮影したことを感謝してくださる。どこまで人と人との付き合いを通してフォローができるかですね。
 
 
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■村の未来を象徴する少年、エーメン

―――とても笑顔の素敵なエーメン君は最初主役になるように見えましたが、どのように出会ったのですか?
石川:最初は前作の『世界でいちばん美しい村』のように子どもが主人公で、子どもの目線で見るような形にしようと、エーメン君が主人公だと思って追いかけていたんです。でもドキュメンタリーって思い通りにならないもので、ただ先ほどのベンジャミンの事故が起こってから、だんだん主人公がベンジャミンの兄、デモに変わっていくわけです。
この村自身も他の地域と同様にグローバル化や変化の波が押し寄せ、危機に直面しているのです。映画でもエーメンが鯨捕りになりたい一方で、両親は大学への進学を勧めようとしますが、エーメンのような子どもたちの未来は、村の未来を象徴しています。反捕鯨の動き以上に、グローバリズムによって取り去られようとしている村の文化や信仰がある中、エーメンはただ映画にとって癒しの存在だけではなく、ラストで村の未来を象徴し、群像劇の意味ができたと思っています。
 
実は今後、エーメンを主人公にした続編を考えています。3年後の15歳にエーメンは進路を選択しなくてはならない。もう一人、エーメンと同年代で、有名な名ラマファの孫がいるので、この二人を対比させて村の未来を考えていける作品にしたい。やはり文化の多様性は必要ですし、地域の文化はグローバリズムの中で消えていくなら、大きな損失です。貴重な文化の終焉を見届けるという思いと、そうならないでほしいという思いを込めて撮っていきたいですね。
 
―――後半、デモが父イグナシウスから舟作りを習い、村民が協力して新しい鯨舟を作るシーンが非常に印象的です。冒頭、まさかこの舟で鯨を獲るのかと思っていましたが、この作業を見ると、舟に込められた魂のようなものを感じますね。
石川:近代的な船を作ったら逆に鯨の一撃で壊れてしまうでしょう。左右非対称というのも知恵ですし、「舟は生きている」という考えがあり、それを伝え続けるイグナシウスがいる。彼は伝統の権化のような人で、編集をしていくと彼の語りが素晴らしいので、気がつくとイグナシウスがナレーションと言ってもおかしくないぐらいに登場してもらっています。彼のような人がいなくなると、村の伝統は薄まってしまうかもしれません。
 
―――後半の鯨漁は息もつかせぬ緊迫感と、それぞれの役目を果たす人たちの連携ぶりが見事でしたが、その中で撮影するのは至難の技では?
石川:待ち時間が長いのでずっと頭の中でシミュレーションをしていました。まず、鯨がドンときた時に振り落とされないようにする。また舟ごと水の中に持っていかれることがあるので、どうやってカメラを守るかもシミュレーションしました。もう一つ、鯨がきた時にカメラを守ると撮れないので、水を浴びたらカメラがダメになるけれど、タイムラグを利用してとにかく撮る。1番舟は鯨を突くとやることがなくなるので、2番舟に移るのですが、僕も水に飛び込んで泳いでいって。その舟は再建するために僕も援助をした舟で、乗組員とも仲がよかったので、仕方ないなと乗せてくれ、僕も前に行って鯨の頭を撮ったり、自由にやらせてくれたんです。綱を避けなければ、足を大怪我したり、命を落とすこともあるのですが、誰も危ないと注意してくれない。「梵なら大丈夫だろう」って(笑)
 
 
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■作品が世代を超え、現地に還元できる

―――この作品は、現地の方に観ていただいたのですか?
石川:まだこれからですね。僕が最初に行った頃は誰も行ったことがないですが、最近は日本のテレビからBBCまで多くのメディアが入って撮影するだけ、誰も再訪しないので撮り逃げ状態です。それは良くないので、今回行った時も過去の映像を見せると、「亡くなったおじいちゃんが映ってる」とか「若い頃の知り合いがいる」とみんな喜んでくれるんですね。また2010年現地を訪れたとき、反捕鯨の動きがあり、外部からの揺さぶり(網漁やクジラウォッチングの症例)もあり、随分村が揺れていたのです。ラマデラ村はそれに抵抗し、存続したのですが、その時、村の古老に「お前が昔撮った村の映像を見せてやれ。今は自分だけがいいという風潮になっているが、昔は皆が村のためにと一つになっていた」と言われたのです。僕は日本や世界に、ラマデラ村のことを紹介するつもりで映像や写真を撮っていたけれど、僕の作品が世代を超え、現地に還元できると気づき、衝撃を受けました。
 
やがてはなくなるかもしれない鯨漁を、現地で世代を超えて残せるのではないかということは、今回映画を作るモチベーションになりました。だから丹念に取材しましたし、時間もかけましたが、この映画だけでなく、この映画の裏にある映像資料も含めて、現地の方にとっても貴重なものになると思います。
(江口由美)

<作品情報>
『くじらびと』(2021年 日本 113分)
監督・撮影・プロデューサー:石川梵 
出演:エーメン、イナ、ピスドミ、アガタ、フレドス、イグナシウス、デモ他
2021年9月3日(金)~なんばパークスシネマ、シネ・リーブル梅田、神戸国際松竹、MOVIXあまがさき、京都シネマ にて絶賛公開中。
 
公式サイト⇒https://lastwhaler.com/  
(C) Bon Ishikawa
 

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