2年ぶりに対面で開催された第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で見事脚本賞を含む4冠を受賞した濱口竜介監督最新作『ドライブ・マイ・カー』が、8月20日(金)から大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、シネ・リーブル神戸、TOHOシネマズ二条ほか全国ロードショーされる。
村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」所収の「ドライブ・マイ・カー」に「シェエラザード」「木野」の要素も加えて映画化した本作は、その世界観を踏襲しつつ、東京、広島、北海道、釜山と時間も場所も超えた、深みのある人間ドラマに仕上がっている。
演出家の家福(西島秀俊)と妻、音(霧島れいか)。愛し合っているはずの夫婦関係に影を落とす高槻(岡田将生)、そして音の急死から2年後、家福の愛車、赤いサーブ900の専属運転手となるみさき(三浦透子)をめぐる物語は、言葉にできないそれぞれの過去や苦しみ、それを乗り越えようとする生き様が次第に立ち上がってくる。3時間だから描ける芳醇さにぜひ身を委ねてほしい。
本作の濱口竜介監督に話を聞いた(後半、一部結末に触れる部分があります)。
■村上作品の中で『ドライブ・マイ・カー』なら映画を作る糸口がある
――――村上春樹作品の映画化ということで心理的ハードルも若干高かったのではないかと思いますが、どのような部分に最も魅力を感じたのですか?
濱口:最初、プロデューサーから村上春樹さんの小説を映画化しようと渡されたのは別の作品でした。普通に考えても村上春樹さんの作品は映画になりづらい部分がありますから、提案された作品については映画化が難しいと思いました。そんな中、『ハッピーアワー』の製作中に映画化を抜きにして手にした短編が『ドライブ・マイ・カー』でした。読んだときに、これは自分が映画でやってきたこととすごく響きあうし、今まで取り組んできたこととの親和性を感じたんです。
もう1点、共同監督の酒井耕さんと東北でドキュメンタリー(「東北記録映画三部作」の『なみのおと』『なみのこえ』『うたうひと』)を撮っていたとき、ひたすら彼と一緒に車で移動していたので、車の中で生まれてくる会話があることが、自分の実感として残っていました。
そういう過去の記憶も含めて、そのときは現実的ではなかったけれど「これは映画にできるかもしれない」と読んだ当初から思ったし、その後プロデューサーに「『ドライブ・マイ・カー』だったらできるかもしれない」と返しました。ものすごく覚悟をしたというより、これだったら映画を作る糸口があるという感じでしたね。
――――本当に映画の魅力が詰まった3時間でした。コロナ禍で自由に移動できないし、演劇も中止に追い込まれる中、本作ではそれらの魅力を疑似体験させてもらった心地よさがありましたね。
濱口:ありがとうございます。カンヌでも、上映したシアターの客席が舞台の客席のように感じたり、車に乗っているような感覚が多々あったので、僕もそういう疑似体験を観客と一緒に観て味わうことができた気がします。
■シンプルに演技をする多言語演劇を取り入れて
――――当初は釜山でほぼ撮影する予定だったそうですが、年内に撮影を終えるまで急ピッチで脚本を改訂されたのではないかと思います。多言語演劇の要素も含めて、どのように行ったのか教えてください。
濱口:車を自由に走らせることができるという点に魅力を感じ、基本的に釜山で撮る予定でした。釜山で国際演劇祭が行われる設定にしていたんです。東京の家福が演出家として釜山に呼ばれ、彼に現地での運転手がつくという流れならスムーズだろうと。そこでどういう演劇をやっているのかと考えたときに、実際にもやられている多言語演劇がいいのではないかと思いました。
多言語演劇というのはシンプルに演技をする方法ではないでしょうか。相手の言っている言葉の意味がわからなくても、相手の声や身体の動きを通して現れているので、映画の中のような訓練を重ねれば、ある音がどんな意味を持つのかが俳優たちは大まかにわかるわけです。言葉の意味ではなくもっと直接的にお互いの体同士で反応しあう演技ができるのではないか。そう思って映画に取り入れましたし、実際にその瞬間を目撃していただけると思います。
――――今回大江崇允さんとはどのような経緯で共同脚本を務めることになったのですか?
濱口:山本プロデューサーがずっと脚本家の大江さんと仕事をされており、今回僕から共同脚本家の候補を探していたときに大江さんを推薦してくれたんです。大江さんは演劇に詳しい方なので、それはぜひとお願いしました。
■納得度の高い作品を生む共同脚本
――――一般的に単独で脚本を書く方が多いですが、濱口監督は過去何度も共同で脚本を手がけておられますね。そのスタイルの方がやりやすいのですか?
濱口:一人で書く良さもありますが、結果的にちゃんとやればクオリティーが高くなるのは、複数で脚本を書く方です。客観性の部分もしかりですし、できるだけ多くのフィルターを通っているものの方が、納得度の高い作品が生まれやすいですね。
――――カンヌの授賞式でも大江さんがこのままでいいと励ましてくれたから脚本を書ききることができたとおっしゃっていましたが、一番悩んだ点は?
濱口:基本的な物語は家福と突然失ってしまった妻の音、運転手のみさきの話になるので、演劇の話がどの程度絡むべきなのかは最後の最後まで、明確には見えづらかったです。最終的には編集段階まで持ち越しましたね。
――――多言語演劇を一から作るところが入ることで、停滞した空気が流れていくというか、作品に新たな命が宿るようなインパクトがありました。
濱口:脚本段階では、本当に要るのかなとも思うわけですが、実際に撮影すると「要るね!」となるわけです。ずっと見ていられるし、とても魅力的な時間であることが、実際の俳優たちを前にすることでわかりやすくなります。
――――その過程で、演出家の家福自身の変化も見えたように感じましたが。
濱口:家福は演出家なので、仕事場ではよく見て、よく聞く人間です。でもプライベートではそうではなかった。そのことを気づかせるのが、プライベートとバブリックな場を繋ぐ岡田将生さんが演じた高槻ですね。
――――濱口監督の演出方法として、事前に本読みを重ねることがありますが、本作では演劇中の本読みのシーンが出てきますね。
濱口:厳密にはやや異なりますが、僕の演出の場合は無感情で本読みをすることを重ねていきます。一般的に言って、演技をする上での問題点として、何が起こるかわかっているのに、はじめてのように反応しなくてはならないことが挙げられます。何十回も本読みをすることで、条件反射的に言葉が出てくるようになりますから、物事の順番はある意味、完全に固定されます。ただ、どんな風に言うかは本番はじめて知るので、セリフを言う相手に対して「こんな風に言うのか」と、多分皆さん感じるのではないかと思いますし、そのときの反応がどこか生々しくなっていく。部分的にですがさきほど挙げた演技の問題は解決するのではないかと感じています。
■三浦透子のもつ気高さを引き出し、みさきとして映画に定着させる
――――原作では運転のうまさに焦点当たっていた運転手のみさきですが、本作では時間をかけてその人物像が立ち上がってくる様がとても印象的でした。みさきという人物の掘り下げ方や、また演じた三浦透子さんについて教えてください。
濱口:原作では家福の精神的介助役という部分が強いみさきですが、基本的にはとても魅力的なキャラクターだと思っていました。短編を長編に展開していくにあたり、どのように描けば最終的には家福と互角のような存在感まで育てていけるかを考えていました。どこまでみさきの存在を大きくすることが適当なのかと。
三浦透子さんを見ていると、このように描きたくなるという魅力がすごくありました。彼女自身が持っている気高さのようなものがあるのです。そういうものをちゃんと引き出したい、映画に定着させたいという気持ちがみさきの描写に反映されていると思います。
■閉じて終わるのではなく、突き抜けていく物語に
――――みさきも絡む、飛躍のある本作のラストが本当に素晴らしく、このラストを観て原作を超えたと思いました。またコロナの時代であることも描く選択をされていますが、そこに込めた想いは?
濱口:衣装合わせのときに、「マスクをつけますか、つけませんか?」と言われて、「つけます」と。たった一つのことですが、それはとても大きなことであることもわかっています。マスクをつけない(コロナを表さない)こともできたけれど、そちらの方が、今の心持ちに合っていたし、マスクをつけることで、登場人物たちが自分たちと同じ世界に生きているという実感を持ってもらえると思います。晴れ晴れとした表情はしているけれど、世界の厳しさはあるということを表現していますね。
実際には舞台に絡むシーンで終わってもいい話ですが、それでは円環が閉じて終わる印象があるので、最終的にどこか突き抜けていく物語にしたいという気持ちがありました。結果としては三浦さんの見せてくれた表情が、それまでの表情とは違う素晴らしいもので、いい形で終われるのではないかと思ったんです。
■亡き後も存在感を残す、音役の霧島れいか
――――もう一人、比較的原作のニュアンスがにじみ出る前半で、夫婦のすれ違いと情感を絶妙な塩梅で表現したのが音役の霧島れいかさんです。美しい背筋がしなる様に品のあるエロスを感じました。
濱口:原作は妻が死んだところから始まりますが、原作ほど主人公の心情に立ち入ることはできない中、妻の死から2年後、淡々と暮らしている家福の心情はどのようなものなのかを観客が理解するには、妻の存在は明確に示されなくてはいけない。そして彼ら夫婦が抱えている問題はとのようなものだったのかもわからなくてはいけない。それを見せるためには、ある種の性描写は必要だと思っていたので、脚本段階からかなり詳しくどんなことをするのか書き込んでいました。
霧島さんに脚本を読んでいただき、かなり勇気が要ることだと思いますが、ぜひやりたいとおっしゃってくださった。脚本はこちらがやりたいことを書いているけれど、やりたくなければ言ってくださいとお伝えしていましたが、その上ですごく勇敢にやりきっていただいたので、とてもありがたかったです。ずっと家福と音の話として観ることができるように、その後も存在感を残してくれたと思います。
■役者の相互作用が起きるような脚本
――――濱口監督が今まで描き続けてきた作品と同様に、本作もコミュニケーションの物語であり、言葉のあるコミュニケーション、言葉に頼らないコミュニケーションの両方を描くという点でも今までの総括以上の飛躍があったかと思います。最後に監督の考えをお聞かせください。
濱口:自分で「コミュニケーションの映画だ」と思って撮っているわけではありませんが、脚本の書き方や演出の仕方によるところが大きいのだと思います。役者であり、キャラクターでもある人物たちが具体的に相互作用しあうことにより、何かが生まれる。それは現実生活の中では頻繁に起きているものですが、それを演技の場で起こしてくれれば、それが観客にも観念的ではなく、もっと直接的に伝わるのではないかと思っています。そういう相互作用が起きるためには、相互作用が起きるような脚本を書かなければいけない。その結果がご覧になっているような映画になる、ということですね。
(江口由美)
<作品情報>
『ドライブ・マイ・カー』(2021年 日本 179分)
監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介、大江崇允
原作:村上春樹「ドライブ・マイ・カー」(短編小説集『女のいない男たち』所収/文春文庫刊)
出演:西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生他
8月20日(金)から大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、シネ・リーブル神戸、TOHOシネマズ二条ほか全国ロードショー
公式サイト⇒https://dmc.bitters.co.jp/https://dmc.bitters.co.jp/
(C) 2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会