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原住民、アミ族の祖母への思いを映画に込めて。 台湾アニメーション『幸福路のチー』ソン・シンイン監督インタビュー

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原住民、アミ族の祖母への思いを映画に込めて。
台湾アニメーション『幸福路のチー』ソン・シンイン監督インタビュー
 
 東京アニメアワードフェスティバルでグランプリを受賞、他にも世界の映画祭で受賞を果たし、台湾アニメーション映画初の快挙を続ける台北郊外の幸福路(こうふくろ)を舞台にした『幸福路のチー』が、11月29日(金)より京都シネマ、今冬よりテアトル梅田、出町座、シネ・リーブル神戸他全国順次公開される。
 
 監督は、京都で映画理論を、アメリカで映画制作を学び、アニメーション制作の実績が乏しい台湾で新たにアニメーションスタジオを設立して本作を作り上げたソン・シンイン。ジャーナリスト時代に培った観察力を生かし、台湾の昔の風情や、その裏にある政治背景を織り交ぜながら、70年代生まれの台湾女性が抱える葛藤や、人生の転機、家族との関係を時代ごとに細やかに描写。合間に挿入されるファンタジックなシーンは、想像力溢れる主人公チーの内面を鮮やかに映し出す。チーの成長やその中で浮かび上がる様々な問題に自分の体験を重ねる人も多いのではないだろうか。
 
11月に自著「いつもひとりだった、京都での日々」(早川書房刊)が日本で発刊されたのに合わせて来日したソン・シンイン監督に、お話を伺った。
 

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■移民社会ではないのに、一つの家族の中で親世代は北京語、子ども世代は母語と二つの言語が混じっている。

――――本作を見ると、今まで日本で紹介されてきた台湾映画で知ることができた断片的な台湾の歴史が、私の中で一本の線につながりました。まず、小学校時代に学校で母語を禁止され、北京語でしゃべり、学ぶことを強制されるシーンがありましたが、実際にシンイン監督はどのように感じていたのですか?
シンイン監督:私が小学生の頃は、きれいな北京語を喋れば、いい人間、つまり能力のある人間になれると思っていたので、そのことに何の疑問も抱いていませんでした。私の両親は北京語が喋れないのに、私には北京語を喋れと言うので、おかしいとは思っていたんです。でも、今の若い台湾人は、とても上手に母語で喋っていて、かえって私たち世代の方が母語を喋れないという皮肉な現象が起きています。例えば私の友達の子どもは、学校で母語教育が必須ですが、親世代は母語教育を受けていない。移民社会ではないのに、一つの家族の中に、違う言語が入っているのかと、すごく複雑な気持ちになります。今まで信じたものが覆されてしまい、何を信じていいのか。私が13歳の時、蒋経国総統が死去し、高校入学(90年)の時、ようやく小中学校における郷土教育が開始されましたから、母語が話せないというのは台湾人の中でも、私たち世代特有の体験ですね。
 
 
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■フェミニズムに触れ、祖母の行動やルーツを否定していたのは間違った教育だったと気付く。

――――ヤン・ヤーチェ監督の『GF*BF』では、戒厳令解除や、その後の学生運動の高まりも描かれていました。その時代の思い出を教えてください。
シンイン監督:87年に戒厳令が解除された時は、少しずつ国が変わっていく様子を肌で感じました。例えば、20歳の時にフェミニズムの本を読み、とても影響を受けたのです。その時初めて、アミ族の祖母がビンロウを噛んだり、タバコを吸うことはダメだと思い込んでいたり、自分のルーツを否定していたことを振り返り、間違った教育をされていたことに気づいたのです。でも既に祖母は亡くなっていて、その気持ちを伝えることはできませんでした。
 
――――台湾原住民の一つ、アミ族の祖母の死が、アメリカで暮らしていたチーが台湾に戻るきっかけになっています。さらにチーが困った時は、ふっと現れる守護神のような役割も果たしていますね。
シンイン監督:私自身は、祖母と仲良くありませんでした。実際、私の世代はみな親が仕事で忙しかったので、おばあちゃんっ子の友達が多かった。だから、友達の様子を観察しながら、「あんなおばあちゃんがいいな」とずっと羨ましく思っていたのです。映画で登場するのは、そんな孫と密接な関係にあった祖母像を描いています。私の祖母はとても気が強くて、芯も強い。あまり教育を受けたことはないけれど、シンプルな言葉がすっと出てくる。例えば、「そんなに勉強が嫌いなら、勉強しなければいい」と。母にすれば女の子はいい教育をしないとダメという気持ちがあり、医者や弁護士のような立派な職業に就いてほしいと思っていたので、祖母の言葉にすごく怒っていました(笑)今は、祖母に対してお詫びをしたいと思っています。
 
 
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■原住民運動が盛んになった90年代前半、アミ族の血が流れていることを誇りに思うようになった。

――――否定していたアミ族の血が流れていることを、今は肯定的に捉えているということですか?
シンイン監督:はい、今は誇りに思っています。90年代前半は、台湾で原住民運動が盛んだった時期です。当時、原住民は山胞(野蛮という意味)という差別用語で呼ばれていたので、正しい呼び方をすることを訴えました。大学の同級生でアミ族の男子がいたのですが、彼は自分の中国語名を捨てて、アミ族名に変えたのです。その時、彼のことをカッコいいと思いました。私も祖母のアミ族の血が流れていることを知った台湾大学の友達には、「羨ましい!」と言われたこともあったんです。
 
 

■先行して本を執筆し、投資者を募って、アニメーションスタジオを自ら立ち上げる。

――――台湾のアニメーション界はまだ成熟していない中、本作を制作するのは大きな冒険だったのではないですか?
シンイン監督:まだ台湾で制作されたオリジナルアニメーションで成功したものはありませんでしたから、ハードルが高かったのは事実です。知り合いの有名監督がアニメーションに挑戦していますが、1億台湾ドルかけて、まだ何もできていません。そんな状態ですから、制作中私も「作品は完成しないだろう」とよく言われていました。だから完成した時は本当に周りに驚かれたのです。中国の検閲を心配する投資家もいましたが、エンジェルファンドを使ったり、先に本を執筆して、投資してくれそうな人に送り、私のアイデアや夢に投資してくれる人を募りました。集まったお金で自分のアニメーションスタジオを立ち上げ、最終的に、宣伝も含めて5000万台湾ドル(1.8億円)で本作を作ったのです。
 
 
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■審査員だったグイ・ルンメイが元になった短編を高評価。チーのキャラクターデザインは、ルンメイをイメージして。

――――グイ・ルンメイがチーの声を演じていますが、その経緯は?
シンイン監督:本作の元になった短編アニメーション『幸福路上』が台北電影獎でグランプリを受賞した時、グイ・ルンメイさんも審査員の一人でした。審査委員長だったピーター・チャン監督から「『幸福路上』を一番気に入っていたのは、グイ・ルンメイだ」と聞いていたので、長編化を考えた時、まずルンメイさんが頭に浮かびました。ダメ元で、マネージャーに脚本を送り、主人公の声優になってほしいと伝えたところ、ルンメイさんはすぐに脚本を読んで、「短編より何倍も感動しました」とすぐに快諾してくれたのです。おかげで、投資家のプレゼン時にルンメイさんのキャスティングを伝えることができ、非常に助かりました。キャラクターデザインも、ルンメイさんをイメージしています。今、ユニクロの台湾イメージキャラクターなので、そのカタログを見ながら、アニメーターたちと議論してデザインしました(笑)他のキャラクターは、全て特にモデルはいないんです。一般的な台湾人という視点でデザインしていきました。
 
――――今や台湾を代表する映画監督の一人、ウェイ・ダーションさんも、チーの叔父、ウェン役で声優を務めています。雰囲気が似ているので、ダーションさんをモデルにキャラクターデザインしたのかと思いました。
シンイン監督:キャラクターデザインは全てできていたのですが、ウェン役だけどうしても声優が決まらなかったんです。そこでプロデューサーの一人が、「あなたの友達、ウェイ・ダーションがいいんじゃない?」と勧めてくれました。ダーションさんは『海角七号 君想う、国境の南』で大ブレイクするずっと前、私がジャーナリスト時代に彼を取材したことがあったのです。本当にまだ誰も取材しない時代だったので、当時新聞社の上司になぜ取材したのかと驚かれました(笑)そういう縁があったので、依頼すると脚本を読む前から即快諾してくれましたが、内心は本当に完成するのかという懸念もあったようですね。
 
――――脚本を書くのは大変でしたか?
シンイン監督:マルジャン・サトラピ監督の『ペルセポリス』のように、ある女性の半生、つまり自分の中から湧き上がるものを書いているので、楽しかったです。中には自分の政治的主張を作品に込める人もいますが、私はそれをしたくなかったのです。
 
 

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■チーの生涯の友人、チャン・ベティは、同姓同名の友人をエピソードもそのまま描く。

――――登場人物の中で、チーの小学校時代からの友達で金髪に青い目の混血児、チャン・ベティは、大人になってからもチーを勇気付ける存在ですね。
シンイン監督:チャン・ベティは実在の人物です。私のクラスメイトで、映画同様に出会ったその日におもらしをしてしまったり、泣き虫な女の子でしたが、私が小学4年生の時、突然学校に来なくなり、私の生活からいなくなってしまったのです。映画では、ベティは大人になってたくましいシングルマザーになっています。というのも、彼女のような女性をとてもすごいと思うからで、この映画を見て、連絡をくれたらという思いも込めて描きました。
 

――――シンイン監督もアメリカで暮らしている時期がありましたが、チーのように離れてみて故郷、台湾への望郷の念が湧いてきたのでしょうか?

シンイン監督:もちろん、そうです。だから、台湾に戻って、この作品を作りました。これからも台湾をベースに映画を撮っていきたいです。アメリカ時代はシカゴに住んでいたのですが、クラスメイトは優しかったけれど、貧しい白人はアジア人のことが嫌いなので、一度バーで「中国に帰れ、ビッチ!」と見知らぬ白人男性からビール瓶を投げつけられたこともありました。アメリカン・ドリームは幻想でしたね。

 
――――この作品はすでに世界中で上映されていますが、観客からの声で心に残ったものはありますか?
シンイン監督:あるフランス人の若い女性はすごく泣いていて、自分の祖母もトルコ出身なので、台湾のことは知らないけれどチーの気持ちが分かると言ってくれました。みなさん、自分の人生を重ねて見てくださるみたいです。男性の方も、「チーは自分を見ているようだ」と言ってくださいます。皆の心の中に、家族への憎しみもあれば、愛もあるのではないでしょうか。
(江口由美)
 

<作品情報>
『幸福路のチー』(2017年 台湾 111分) 
監督:ソン・シンイン 
声の出演:グイ・ルンメイ、チェン・ボージョン、リャオ・ホェイジェン、ウェイ・ダーション、ウー・イーハン他
2019年11月29日(金)より京都シネマ、2020年1月24日(金)よりテアトル梅田、シネ・リーブル神戸他全国順次公開
公式サイト→http://onhappinessroad.net/
 

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