すべての人にエンディング・ドラマが待っている。
病院で最後を迎えるか、在宅で終えるか、人それぞれだが、カメラでその様子を捉えたドキュメンタリーがNHK地上波とBSで放送され、好評を博した。
もっぱら阪神や東日本など大震災報道を手がけ「命」をテーマにしてきた下村幸子監督は次に“終末医療”を取り上げた。「NHKスペシャルで放送された素材を映画にしたのはより多くの人に見てもらいたいから」にほかならなかった。「私のライフワーク。映画館で見てもらって、観客に問いかけたい」と語る言葉には説得力があった。
自ら現場に泊まり込んで監督、撮影もこなした「人生をしまう時間(とき)」(NHKエンタープライズ)は、カメラが臨終の場に付き添い、寄り添って見届けた稀有な作品。厳粛な死を身近に捉えながらも、生活の中にある“死ぬということ”を明るく見つめた。こんな映画は見たことない。何千本と映画を見てきた身にはお芝居の死は慣れている。だが、人が目の前(画面の中)で「息絶える実録もの」を見るのは初めての経験。これには驚いた。
超高齢化が進む日本、国は終末医療の場を病院から自宅へ移す政策を取った。家族に看取られ、穏やかに亡くなる「自宅死」に関心が高まる。だが“理想の最期”には厳しい現実も立ちはだかる。下村監督の前に現れたのが埼玉県新座市の「堀之内病院」の小堀鷗一郎医師80歳。文豪・森鴎外の孫で東大病院の外科医で手術の名人だったが、たどり着いたのが在宅の終末期医療だった。
型破りな小堀医師が一方の主役でもある。ざっくばらんで経験豊富。患者への気配りを忘れず去り際には「また来るからね」と付け加える。そんな小堀医師の特徴を下村監督はひと言で「人間力」という。ズバリ「小堀医師と在宅医療チームに密着した200日の記録」である。患者と家族とともに様々な難問に向き合い、奔走する医師や看護師、ケアマネジャーたちは“一人の人生の終わり”に何が出来るのか。映画はまさに命の現場からの“生中継”でもある。
映画は9つのエピソードで綴られる。いずれも身近な問題として「いつか通る道」と背筋が伸びる思いだ。すべてが近しいテーマなのだがとりわけ、70代の夫婦が103歳の母親を介護する(第1章)、78歳の母親が53歳の子を看取る(第2章)は切実。中でも、胸に響いたのは末期の肺がんを患う父親と、見守る全盲の娘のくだり。父親は妻が脳梗塞で倒れた後、娘のことを思って在宅での闘病を希望した。「このまま(病状が)持ち直してくれれば」という娘に小堀医師は「今が持ち直している状態。今みたいな日が1日でも長く続けばけっこう」と釘を刺す。父が死に向かっていることを娘は本当に分かっているのか、と疑問に感じている。
医師は父親に「庭になる百目柿を取りに来た」といい、父親は「まだ青いよ。もう少し匂ってから」という。いよいよ臨終の場、娘は父親の息を確かめ、文字通り息絶えるまで「喉仏が動かなくなって」死んだことを娘が確かめる。小堀医師が「死亡時間」を記入して彼の終末医療が終わった。
そこには日本人がいつしか忘れてしまった家族ならではの温かい絆があった。名匠・小津安二郎監督が晩年、繰り返し描いた宝物“日本の家族”は最後の「東京物語」では崩壊の兆しも予感させたが、この臨終の場面に引き継がれたようだった。ラスト、百目柿がいくつもなっているアップの場面は命は終わっても家族の思いは終わらない、という象徴ではないか。
■2019年 日本 1時間50分
■監督・撮影:下村幸子
■小堀鷗一郎、堀越洋一
■コピーライト:©NHK
■公式サイト: https://jinsei-toki.jp/
2019年10月5日(土)~第七藝術劇場、10月12日(土)~京都シネマ、11月9日(土)~元町映画館 他全国順次公開。
(安永 五郎)